朝ごとの食物

9月の祈り3日

(メモリアルデー特別集会 第5週 第3日)

 

神の王国は食べ飲みすることではなく、義と平和と聖霊の中の喜びとです

 

ローマ14:17

なぜなら、神の王国は食べ飲みすることではなく、義と平和と聖霊の中の喜びとであるからです。

 

ローマ8:4

それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。

 

「義は神の王国と関係があります(ローマ14:17)。召会生活は神の王国であり、神の王国は義です。神の御座は、土台としての義をもって確立されています(詩89:14)。神の義がある所に、神の王国もあります(イザヤ32:1.ヘブル1:8-9)。旧約において、義はしばしば王国と同義語です。義がある所では、あらゆるものは正しい方法でかしらにつり上げられます。これが王国です。義はまず神のかたちという結果になります。義は次に神の王国を確立します。ローマ第8章には義と神のかたちがあります。ローマ第14章には義と神の王国があります。かたちと王国はいずれも義に基づいています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の王国は、義と平和と聖霊の中の喜びとであることを賛美します。召会生活は神の王国であり、神の御座は土台としての義をもって確立されています。主よ、わたしたちが命の霊にしたがって歩き、律法の義を満たし、神の御子のかたちに同形化される道を歩むことができますように。

 

命の霊にしたがって歩き、律法の義を満たし、神の御子のかたちに同形化されます

 

 わたしたちがその霊にしたがって歩くので、律法の義の要求はわたしたちにおいて満たされ、わたしたちは義を持ちます。……わたしたちは義を持つ時、わたしたちが仕え礼拝する神の表現を持ちます。わたしたちが命の霊によって生かし出す自然な義としてこの表現を持つので、人は納得し、征服させられるのです。

 

 ローマ人への手紙第8章4節でパウロは、律法の義の要求について語り、そして29節では神の御子のかたちについて語ります。「なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです」。この節を2節と4節と一緒にするなら、霊、義、かたちがあります。日ごとに、わたしたちは命の霊にしたがって歩き、律法の義を満たす必要があります。これは、神の御子のかたちに同形化されることと等しいです。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(1)」、第29編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り2日

(メモリアルデー特別集会 第5週 第2日)

 

わたしたちが主の中で神の義となるためです

 

Ⅱコリント5:21

神は罪を知らなかった方を、わたしたちに代わって罪とされました.それは、わたしたちが彼の中で神の義となるためです。

 

エペソ4:24

また……義……の中で、神にしたがって創造された、新しい人を着たのです。

 

「義には四つの面の定義があります。① 義は、神の義なる厳格な要求にしたがって、神の御前で、人、事、物に対して正しくあることです(マタイ5:20)。② 義は、その霊としてわたしたちの中に生きるキリストの外側の表現です(Ⅱコリント3:8-9)。これは神のかたちとしての義です(エペソ4:24.コロサイ3:10)。③ 義は神の王国の事柄です(マタイ6:33.詩89:14)。神の王国は義です。④ 義はわたしたちの存在において神に対して正しいという事柄です(Ⅱコリント5:21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 わたしたちが神の御前で、人、事、物に対して正しくあることができますように。義は神の王国の事柄です。 主よ、わたしたちが命を与える霊によって注入され、浸透されますように。そして、わたしたちの内なる存在が水晶のように透明になり、神の心を知ることができますように。

 

その霊を経験して、わたしたちは水晶のように透明になり、神の心を知ります

 

 わたしは召会の集会で命を与える霊の供給を受けるので、集会に行かないことはほとんどありません。……わたしの唯一の願いは、集会にいること、そして供給を受けることです。特に、わたしはアナハイムに在る召会の祈りの集会を享受しています。その集会の中で、わたしはその霊で注入され浸透されます。その後、あらゆるものが金色であり、わたしの内側には命の木が成長し、命の川が流れているようです。

 

 わたしたちの中に生きて働いておられるその霊を経験した結果、わたしたちは義しくなります。自然に、わたしたちの内なる存在は透き通っており、水晶のように透明になり、神の心を知ります。直ちに、努力なしに、わたしたちは主の思いを知り、彼のみこころと働きについて明確な理解を持ちます。その時、わたしたちが行なうことは、主の思いとみこころにしたがっています。これが義です。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(1)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り1日

(メモリアルデー特別集会 第5週 第1日)

 

義と公正はあなたの御座の土台です

 

Ⅰヨハネ1:9

もし、わたしたちが自分の罪を告白するなら、神は信実で義であられるので、わたしたちの罪を赦し、すべての不義からわたしたちを清めてくださいます。

 

Ⅱコリント3:8-9

ましてその霊の務めは、栄光の中にないわけがありましょうか? 罪定めする務めに栄光があるなら、まして義とする務めは、なおさら栄光にあふれるのです。

 

「神の義とは、神が彼の公正と義なる行ないにおいて何であるかです(啓15:3.ローマ1:16後半-17前半.ヨハネ3:16.Ⅰヨハネ1:9)。わたしたちのキリストに対する経験は、神の義の土台にかかっています。この土台は、神の義、すなわち、神の御座の揺り動かされない土台です(詩89:14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神は信実で義であられることを賛美します。神の義の土台は、神の御座の揺り動かされない土台です。神はわたしたちの罪を赦すことによって、神の義を明らかにしてこられました。主に感謝します。わたしたちの日常の生活の中で、神に対して、人に対して、自分自身に対して義しくあるような方法で、冷静であることができますように。

 

わたしたちのキリストに対する経験は、神の義の土台にかかっています

 

 神は聖いだけでなく、義でもあります。聖は神の内側の性質と関係がありますが、義は神の外側の行ない、方法、行為、活動と関係があります。神が行なうあらゆることはすべて義です。神の義とは、神が彼の公正と義において何であるかです。……神が彼の公正と義において何であるかが、彼の義を構成します。

 

 わたしたちのキリストに対する経験は、神の義の土台にかかっています。この土台はわたしたちの熱心であるとか、勝利を得たとかではなく、神の義、すなわち、神の御座の揺り動かされない土台です(詩89:14)。神はわたしたちの罪を赦すことによって、彼の義を明らかにしてこられました。このようにして、神はご自分が義であることを証明してこられたのです。今や、そのような神の義がわたしたちの確固とした土台です。(「新約の結論(1)」、メッセージ9)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)