朝ごとの食物

ピリピ人への手紙に啓示されているように、キリストを認識し、経験し、享受する 第1週2日~第5週4日


8月の祈り第31日

(メモリアルデー特別集会 第5週4日)

 

キリストの死をわたしたちの生活の鋳型とします

 

ピリピ3:10

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて。

 

ローマ6:5

もしわたしたちが、彼の死の様の中で彼と結合して生長したなら、彼の復活の様の中でも彼と結合して生長するのです。

 

「ピリピ第3章10節でパウロは、「彼の死に同形化されて」と語りました。この表現は、パウロがキリストの死を自分の生活の鋳型とすることを願っていたことを示しています。キリストの死に同形化されることは、キリストの死が鋳型であることを示しています(10節)。ピリピ第3章の中心は、キリストの死の鋳型に同形化されるという事柄です(7,9,12-16節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちがパウロのように、キリストの死を自分の生活の鋳型とすることができますように。主よ、わたしたちの中にある復活の命の力がわたしたちを導き、支え、担って、キリストの死の鋳型に同形化されますように。

 

 

わたしたちをキリストの死の鋳型の中へと入れて、わたしたちを彼の死に同形化します

 

 彼の死に同形化されることは、キリストの死が鋳型であることを示しています。わたしたちはこの死の鋳型の中へと入れられました。次に、復活の力はわたしたちをこの鋳型に同形化します。……[練り粉を鋳型の中で]焼いた後、練り粉は鋳型と同じ形状になります。同様に、わたしたちの中のキリストの復活の力は、わたしたちを導き、支え、担って、キリストの死の鋳型の中へと入れます。このようにして、わたしたちはキリストの死のかたちを帯びます。

 

 四福音書の中で記録されているように、わたしたちはこの死の鋳型をナザレ人イエスの日常生活の中で見ることができます。神からでないもの、また神から離れているものはすべて、死の鋳型によって終わらされ、規制されました。主イエスは死の影の下で、すなわち、死の鋳型の中で、地上で三十三年半生活されました。このようにして、彼は神に従い、神に仕え、神のために生き、神を生かし出しました。今日、わたしたちの中のキリストの命は、わたしたちを彼の死の鋳型の中へと入れます。…… 復活の命はわたしたちをキリストの死の鋳型の中へと入れて、わたしたちを彼の死に同形化します。(リー全集、1955年、第1巻、337-338ページ[英文])

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第30日

(メモリアルデー特別集会 第5週3日)

 

わたしたちはキリストのからだのために、彼の苦難にあずかります

 

Ⅱコリント4:10

絶えずこの体に、イエスの致死力が働いています.それはまた、イエスの命が、わたしたちの体に現されるためです。

 

「わたしたちの造り変えのためである苦難と、からだのためである苦難とには違いがあります(Ⅱコリント3:18.ピリピ3:10.コロサイ1:24)。パウロはコロサイ第1章24節において、彼自身の苦難を、キリストのからだのために、キリストの苦難の欠けているところを補い満たしていることであると考えました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは造り変えのための苦難を受けていますが、キリストのからだのための苦難をさらに必要としています。主よ、わたしたちの外なる人が消耗させられて、内なる人が新しくされますように。キリストのからだのために、キリストの苦難の欠けているところを補い満たすことができますように。

 

 

キリストのからだのためのキリストの苦難は、なおも継続しています

 

 かしらとして、贖いを成し遂げるためのキリストの苦難は完全なものです。しかし、からだを生み出し建造するためのキリストの苦難は、まだ完了していません。そのような苦難はまた、「彼の苦難」と呼ばれています[ピリピ3:10]。……パウロはコロサイ人への手紙第1章24節において、彼自身の苦難を、キリストのからだのために、キリストの苦難の欠けたところを補い満たしていることであると考えました。……

 

 キリストのからだのためのキリストの苦難はなおも継続しており、わたしたちはそれにあずかる必要があります。……主に従う者として、わたしたちはからだのために、彼の苦難にあずからなければなりません。彼の復活の力を経験することによってキリストを経験したいなら、彼の苦難にあずからなければなりません。…… わたしたちはキリストの復活の力を知れば知るほど、ますますキリストの苦難にあずかって、彼の苦難の交わりを持つでしょう。(「新約の結論(9)」、メッセージ142)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第29日

(メモリアルデー特別集会 第5週2日)

 

キリストの苦しみの欠けたところを、わたしの肉体において補い満たします

 

コロサイ1:24

わたしは今、あなたがたのために受ける苦難を喜び、そしてキリストのからだなる召会のために、キリストの苦しみの欠けたところを、わたしの肉体において補い満たしています.

 

「キリストの苦難は二つの部類から成っています。贖いを成し遂げるための苦難は、キリストご自身によって完成されました。召会を生み出し建造するための苦難は、使徒たちと信者たちによって補い満たされる必要があります(コロサイ1:24)」。

    

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが神の小羊として、贖いを成し遂げるために苦難を受けられたことを感謝します。主よ、わたしたちがキリストのからだなる召会を生み出し、建造するための苦難にあずかることができますように。わたしたちが多くの麦粒として、十字架の死を通して自分の魂の命を失うことができますように。

 

 

わたしたちは、からだを生み出し建造するためのキリストの苦難にはあずかります

 

 キリストの苦難は二つの部類から成っています。贖いを成し遂げるための苦難は、キリストご自身によって完成されました。召会を生み出し建造するための苦難は、使徒たちと信者たちによって補い満たされる必要があります(コロサイ1:24)。わたしたちは、贖いのためのキリストの苦難にあずかることはできませんが、からだを生み出し建造するためのキリストの苦難にはあずからなければなりません……。キリストは神の小羊として、贖いのために苦難を受けました(ヨハネ1:29)。キリストは一粒の麦として、増殖し建造するために苦難を受けました(ヨハネ12:24)。主は一粒の麦として、地に落ち、死を通して魂の命を失いました。それは、彼が復活の中で永遠の命を、多くの麦粒に解き放つためでした(10:10-11)。

 

 一粒の麦は、からだを建造するのに必要とされるすべての苦難を完成しませんでした。わたしたちは多くの麦粒として、一粒の麦が苦難を受けたのと同じように、苦難を受けなければなりません(12:24-26)。わたしたちも多くの麦粒として、死を通して自分の魂の命を失わなければなりません。それは、わたしたちが復活の中で永遠の命を享受するためです(25節)。これが、彼に従うことです。…… 召会が生み出され拡増する道は、人の栄光によるのではなく、十字架の死によります。(「新約の結論(21)」、メッセージ349)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第28日

(メモリアルデー特別集会 第5週1日)

 

キリストの苦難の交わりを知ることを切望します

 

ピリピ3:10

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、

 

Ⅱテモテ2:11

この言は信実です.「わたしたちが彼と共に死んだなら、彼と共に生きる」。

 

「パウロはキリストの苦難の交わりを知ることを切望しました(ピリピ3:10)。キリストにおいて、苦難と死が最初に来て、復活が続きました。わたしたちにおいて、キリストの復活の力が最初に来て、彼の苦難にあずかることと、彼の死に同形化されることが続きます(10節)」。

 

 主よ、あなたを愛します。復活の力の実際であるキリストは命を与える霊であることを感謝します。主よ、わたしたちの環境に困難があるとき、十字架を取り、十字架の下にとどまることができますように。主よ、死がある所に、復活の力もあることを経験させてください。

 

 

キリストの復活を知れば知るほど、彼の死の中へと入れられて、彼の苦難の交わりにあずかります

 

 キリストが復活の中におられることを認識するのは、わたしたちにとって極めて重要なことです。わたしたちは復活におけるキリストを経験するとき、復活のあらゆる要素を注入されます。すると、この注入はからだのために、わたしたちが彼の苦難にあずかることができるようにさせます。言い換えると、わたしたちは彼の十字架、死を経験するために、キリストの復活の分与を持たなければなりません。わたしたちが彼の死を経験するのは、キリストの復活を知ることによります。

 

 わたしたちは彼の復活を知れば知るほど、ますます彼の死の中へと入れられて、彼の苦難の交わりにあずかります。すべての信者たちは神の御子との交わりの中に入りたいと願っています[参照、Ⅰコリント1:9]。しかしながら、ピリピ人への手紙第3章10節でパウロは、キリストの苦難の交わりについて語っています。これは、わたしたちが天然的にはあずかりたくないものです。しかし、わたしたちはキリストの苦難を経験すればするほど、ますますキリストを得るでしょう。(「新約の結論(9)」、メッセージ142)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第26日

(メモリアルデー特別集会 第4週6日)

 

その霊は、キリストの復活とその力との実際です

 

ヨハネ11:25

イエスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる」。

 

ローマ8:11

そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます。

 

「その霊は、キリストの復活とその力との実際です(ローマ8:9-11.Ⅰコリント15:45後)。復活の原則とは、天然の命が殺されて、神聖な命がその代わりに起き上がることです(Ⅱコリント1:8-9)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは復活であり、命です。主よ、あなたご自身が復活の力の実際であることを感謝します。主よ、わたしたちが十字架につけられた生活をして、復活の力を経験することができますように。

 

 

彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます

 

 キリストの復活の力の実際は、その霊です。ローマ人への手紙第1章4節はこれを証明し、「聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示された」と言っています。さらに、ローマ人への手紙第8章11節は言います、「イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます」。

 

 いずれの節も、その霊がキリストの復活の力の実際であることを示しています。実は、キリストご自身が彼の復活の力であり、その霊が復活におけるキリストです。わたしたちはこの力を経験して、キリストを獲得する必要があります。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(3)」、第52編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第25日

(メモリアルデー特別集会 第4週5日)

 

復活はすべての中で最大の力です

 

使徒2:24

この方を、神は死の苦痛から解き放って、復活させました.イエスが死に捕らえられていることは、あり得ないからです。

 

「復活は、人(わたしたちの主イエス)が、さまざまな障壁を突破したこと、すべての中で最大の障壁である死でさえも突破したことを意味します(使徒2:24.エペソ1:19-20)。 死は最大の制限ですが、復活は死を征服しました。ですから、復活はすべての中で最大の力です(ピリピ3:10.エペソ1:19-20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが死を突破して復活されたことを感謝します。主よ、わたしたちが天然のものすべてに信頼せず、手放すことができますように。 死の中で手放し主の死と復活の経験を持つことができますように。そして、わたしたちがキリストの復活の中で神から戻されたものを用いることができますように。

 

 

復活とは、死を経過して、死から出て来たものです  

 

 復活とは何でしょうか? 復活とは、死を経過して、死から出て来たものです。……例えば、あなたには知恵、雄弁さ、天然の吸引力があるかもしれません。あなたは主に言わなければなりません、「わたしはこれらのものを用いません。わたしはこれらのものを自分自身の栄光としません。わたしは、死と復活を経過し、これらのものを死の中で捨て去ることを願います。それは、わたしが神の御手から返していただくことができるためです」。復活の経験とは、天然のものすべてを死の中で手放し、もはやそれらに信頼せず、それらを栄光としないことです。……

 

 あなたが持っているすべてはないのであり、あなたはもはや何もすることができません。しばらくの後、おそらく三日、三か月、あるいは三年(だれにもいつかはわかりません)、神は再び来られ、あなたの雄弁さはあなたに戻され、あなたの知恵はあなたに戻され、あなたの吸引力は戻って来ます。しかしながら、たとえあなたがこれらのものを再び得ても、それらは変わっています。あなたの天然の良さと天然のものすべては、もはやあなたのものではありません。今や、十字架があなたをこれらのものから分離します。あなたはもはやこれらのものを用いようとせず、主の喜びにしたがって用いてもらおうとします。これらのものは、もはやあなた自身のものではありません。そうではなく、あなたはそれらを神のものとします。(ニー全集、第42巻、第37編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第24日

(メモリアルデー特別集会 第4週4日)

 

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりを知ります

 

啓1:17-18

わたしは最初の者、また最後の者、また生きている者である.わたしは死んだが、見よ、永遠にわたって生きている.そして、死とハデス[陰府]のかぎを持っている。

 

啓2:8

……最初の者また最後の者、死んだが再び生きた者が、こう言われる。

 

「パウロは、キリストの復活の力を知り経験することを切望しました(ピリピ3:10)。キリストの復活の力は、キリストを死人の中から復活させた、彼の復活の命です(エペソ1:19-20)。主は死の苦しみを受けましたが、再び生きました。彼は死の中へと入りましたが、死は彼を捕らえておくことはできませんでした。なぜなら、彼は復活であるからです(使徒2:24.ヨハネ11:25)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは復活であり、命であることを感謝します。あなたの復活の力がわたしたちの中にあることを感謝します。わたしたちはキリストを知ることだけでなく、キリストの復活の力と彼の苦難の交わりを知ることを切望します。

 

 

わたしたちはまずキリストの復活の力を受け、それから十字架につけられた生活をします

 

 ピリピ人への手紙第3章10節でパウロは、「キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて」と言います。この節によれば、パウロはキリストを知ることだけでなく、キリストの復活の力と彼の苦難の交わりを知ることを切望しました。キリストの復活の力は、彼を死人の中から復活させた、彼の復活の命です(エペソ1:19-20)。……キリストの苦難にあずかること、すなわち「彼の苦難の交わり」(マタイ20:22-23.コロサイ1:24)は、彼の死に同形化されることによって、彼の復活の力を経験するための必要条件です(Ⅱテモテ2:11)。

 

 パウロが知り、経験することを追い求めていたのは、キリストご自身の卓越性だけでなく、彼の復活の命の力と彼の苦難にあずかることでした。キリストにおいて、苦難と死が最初に来て、復活が続きました。わたしたちにおいて、キリストの復活の力が最初に来て、彼の苦難の交わりと彼の死に同形化されることが続きます。わたしたちはまず、キリストの復活の力を受けます。次にこの力によって、彼の苦難にあずかり、十字架につけられた生活をして、彼の死に同形化されることができるようになります。そのような苦難は、おもにキリストのからだを生み出し、建造するためです。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(1)」、第21編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第23日

(メモリアルデー特別集会 第4週3日)

 

目標とは、最も満ち満ちた程度にまでキリストを獲得することです

 

ピリピ3:12-14

……わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それはわたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。兄弟たちよ、わたしはまだ自分自身、捕らえたとは思っていません.ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。

 

「クリスチャン生活は、すべてを含むキリストを獲得する生活です(エペソ3:8)。パウロは極めて多くキリストを経験し、獲得していましたが、完全に経験した、あるいは極みまで獲得したとは考えませんでした(ピリピ3:12)。パウロはなおも目標に向かって前進していました。その目標とは、最も満ち満ちた程度にまでキリストを獲得することでした(12-14節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがあなたを捕らえようと追い求めている のは、わたしたちがキリスト・イエスによって捕らえられているからです。主よ、わたしたちが自分の過去の経験を忘れて、さらにキリストを獲得することができますように。

 

 

自分の過去と経験を忘れて、さらにキリストを追い求めます

 

 パウロはすでに極めて多くキリストを経験し、獲得していましたが、彼を完全に経験した、あるいは極みまで獲得したとは思っていませんでした。彼はなおも目標に向かって努力し追い求めていました。その目標とは、最も満ち満ちた程度にまでキリストを獲得することでした。(ピリピ3:13、フットノート1)

 

 最も満ち満ちた程度にまでキリストを獲得するために、パウロはユダヤ教における自分の経験を放棄しただけでなく、キリストに対する過去の経験にもとどまりませんでした。彼は過去を忘れました。わたしたちの過去の経験がどれほど真実であっても、それを忘れないでそこにとどまることは、さらにキリストを追い求めることを妨げます(ピリピ3:13、フットノート2)。キリストの豊富は計り知れません。わたしたちが所有すべき彼の豊富の広大な領域があります。パウロは体を伸ばして、この領域の極限に達しつつありました。(ピリピ3:13、フットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第22日

(メモリアルデー特別集会 第4週2日)

 

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り(経験し)ます

 

ピリピ3:9-11

そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、何とかして、死人の中からの格別な復活に到達するためです。

 

 「ピリピ第3章10節の「知り」という言葉は、「経験する」と等しいです。キリストを知ることは、ただ彼に関する知識を持つだけでなく、彼というパースンを獲得することです(ピリピ3:8)。キリストを獲得するとは、代価を払って、キリストの計り知れない豊富を経験し、享受し、所有することです(エペソ3:8.参照、啓3:18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがキリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知ることができますように。主よ、わたしたちが、ただ主についての知識を持つだけでなく、代価を払って主のパースンを獲得することができますように。

 

 

キリストを獲得するとき、彼の中に生き、経験的に彼の中にいる者となります

 

 わたしたちはキリストの尊さのビジョンを持つ必要があります。そして、わたしたちが見たキリストを獲得する必要があります。例えば、ある人が宝石店を訪れて、展示されている多くの高価な品物を見るとします。これらの品物を見るのは一つの事ですが、それらを獲得するのは別の事です。キリストを知るとは、ただ彼についての知識を持つことだけでなく、彼のパースンを獲得することです。キリストは、神たる方の豊満の具体化であり(コロサイ2:9)、すべての積極的な事柄の影の実際です(16-17節)。

 

 キリストを獲得するとは、キリストの計り知れない豊富すべてを経験し、享受し、所有することです(エペソ3:8)。わたしたちはキリストを獲得するとき、彼の中に生き、経験的に彼の中にいる者となります。その時、人がわたしたちを見て観察するなら、わたしたちをキリストの中に見いだすでしょう。…… ああ、わたしたちがキリストを獲得し、彼の中に見いだされますように! わたしたちが進んですべての事で損失を被り、それらをちりあくたと勘定し、キリストの中に見いだされますように。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(1)」、第20編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第21日

(メモリアルデー特別集会 第4週1日)

 

キリストを知る知識の卓越性を持つことは啓示によります

 

ピリピ3:8,10

しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します.その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します.それは、わたしがキリストを獲得するためであり。…… 10 キリストと彼の復活の力……を知り、……

 

「パウロは、キリストを知ることを切望していました(ピリピ3:10)。ピリピ人への手紙の中心的な事柄は、キリストを主観的に認識し経験することです(ピリピ2:2, 5.3:7-10.4:10, 13)。ピリピ第3章8節のキリストを知る知識の卓越性を持つことは啓示によりますが、10節のキリストを知ることは経験によります」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちにキリストを豊かに啓示してください。わたしたちがその啓示によって、キリストを知る知識の卓越性を持つことができますように。そして、わたしたちにキリスト以外のあらゆるものを放棄させ、キリストと彼の復活の力を経験させてください。

 

 

キリストと彼の復活の力を知ることは、経験によります

 

 パウロが、彼自身の義を持つのではなく、神からの義を持つという状態の中に生きたのは、キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知る(経験する)ためでした。ピリピ人への手紙第3章8節のキリストを知る知識の卓越性を持つことは、啓示によります。しかし、10節のキリストを知ることは、経験、すなわち、彼に対する経験的な認識を持つこと、彼を知る十分な知識の中で彼を経験することによります。パウロはまずキリストの啓示を受け、そしてキリストの経験を求めました。それは、彼を経験的な方法で知り、また享受することです。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(1)」、第21編)

 

 キリストを知る知識の卓越性が、常にわたしたちのキリストに対する経験を超えるのです。……もしキリストを知るさらに高い知識を持たないなら、わたしたちはキリストのさらに高い経験を持つことはできません。こういうわけで、わたしたちがキリストを知る過去の知識に制限されないのはとても重要なことです。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(1)」、第19編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第19日

(メモリアルデー特別集会 第3週6日)

 

神の主権の下で、わたしたちは自分が建造したキリストご自身の中へと入ります

 

創6:14

自らゴフェルの木の箱船を造りなさい……

 

マタイ24:37-39

人の子の来臨も、ノアの日々のようである。なぜなら、洪水の前の日々、ノアが箱船に入る日まで、……洪水が来てすべてのものを取り去るまで、その裁きが来ることを知らなかったからである……

 

 「 わたしたちがキリストを従順の命として経験して、わたしたち自身の救いを成し遂げることは、ノアが建造した箱船の予表において見られます。箱船を建造することは、わたしたちの経験において神の救いとしての実際的な現在のキリストを建造することであって、それは神の大いなる喜びのために団体的なキリストとしてのキリストのからだを建造するためです(ピリピ2:8,12-13)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたち自身の救いを成し遂げることができますように。主よ、ノアが箱船を建造したように、わたしたちも神の救いとしてのキリストを建造し、その中に入ることができますように。

 

 

主を愛し、主と交わり、主によって生き、主と共に歩む時、あなたは経験においてキリストを建造します

 

 パウロがピリピ人への手紙第2章12節でわたしたちに告げたことは、わたしたちは従順になって、恐れとおののきをもってわたしたち自身の救いを成し遂げる必要があるということです。わたしたちは救われていますが、依然としてわたしたちの救いを成し遂げる必要があります。神の救いは、そんなに短期間で、簡単で、単純なものではありません。神の救いには長い期間があります。……今日、わたしたちは神の救いの行程にあり、……この行程を進んでいます。そしてわたしたちの進むことが、わたしたちの働きです。……[ノアが]箱船を建造すればするほど、さらに彼は神の救いを進みました。最終的に彼は、自分が成し遂げたものの中へと入りました(創7:7)。……

 

 あなたが建造しているキリストご自身が、わたしたちの将来の救いとなるでしょう。ある日、神の主権の下で、わたしたちは自分が建造したキリストご自身の中へと入るでしょう。もしあなたが日々の経験において主と共に働くなら、あなたは確かにキリストのものを建造します。最終的にあなたは、自分の建造したものの中へと入ります。そしてあなたは、あなたの享受としてのこのキリストの中に住みます。その時、あなたはキリストの中にとどまるのです。

(リー全集、1983年、第2巻(上)、「神聖な三一の神聖な分与」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り第18日

(メモリアルデー特別集会 第3週5日)

 

あなたがた自身の救いを成し遂げなさい

 

ピリピ2:12-13

……恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。

 

雅4:4

あなたの首は、武器倉のために建てられたダビデの塔のようだ.その上には千の小盾、すべて勇士の大盾がかけられている。

 

「わたしたちは魂において一であるために、わたしたち自身の救いを成し遂げる必要があります。それは、内側で活力を与える神と協力することによってです。この神はわたしたちの内で活動し、「神の大いなる喜びのために、願わせ働かせ」ます(ピリピ2:12-13)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたち自身の救いを成し遂げるために、神がわたしたちの内で願わせ働いておられることを感謝します。主よ、わたしたちは首の硬い者であり、かたくなで高ぶっている者ですが、キリストの意志に服従する者にしてください。

 

 

人の意志が神に服従することは、人における最も美しい事柄です

 

 聖書は、自己の意志にしたがって歩み、かたくなで高ぶっている人を、首の硬い者(イザヤ3:16、原文)と述べています。ですから、ここの首は、神の下にある人の意志を表します。主は人の意志が服従することを、人における最も美しい事柄と考えられます。雅歌第4章4節で、服従した意志の二つの面があります。第一に、「あなたの首は、……塔のようだ」。塔は、せむしと反対の状態を表します。……聖書の中では、せむしとは、サタンによって縛られていつも地面を見ている者です(ルカ13:11、16)。首が塔のようであるとは、その人が解き放たれていることを意味します。サタンの束縛もなく、この世を愛することもありません。塔はまた、強さも意味します。おとめの意志は、神によって強められて、もはやこの世を愛さず、もはやサタンによって影響されないほどまでになります。

 

 第二に、「あなたの首は、……ダビデの塔のようだ」[雅4:4]。これは普通の塔ではなく、ダビデの塔です。強さと解放の意味に加えて、わたしたちはまた、おとめの意志がダビデへの完全な服従へともたらされていることも見ます。彼女の強さは、キリストへの彼女の服従にあり、彼女の解放もまた、キリストへの彼女の服従にあります。わたしたちはみな、キリストによって捕らえられることの重要性を認識すべきです。:ニー全集、第23巻、「歌の中の歌(雅歌)」、第三区分

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第17日

(メモリアルデー特別集会 第3週4日)

 

わたしたちは、かしらの感覚を自分自身の感覚とします

 

ピリピ1:8

わたしが、あなたがた一同をキリスト・イエスの心の深みの中で、どんなに恋い慕っているか、神がわたしの証人です。

 

コロサイ3:12

こういうわけで、神に選ばれた者、聖なる愛されている者として、思いやりの心、慈愛、謙そん、柔和、辛抱強さを着なさい。

 

「わたしたちは魂において一であるために、キリストの感情、すなわち彼の「内側の各部分(心の深み)」(彼の内側の愛情、優しいあわれみ、同情を表徴する)において、キリストと一である必要があります(ピリピ1:8)。パウロは、キリストの感覚を自分自身の感覚とすることによって、キリストのからだの実際の中で生きました。からだに対するキリストの感覚は、からだに対するパウロの感覚となりました。わたしたちがからだの生活をするために、これが最も必要とされます(Ⅱコリント12:15)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはキリストのからだのかしらであり、わたしたちはキリストのからだの肢体であることを感謝します。主よ、わたしたちがかしらの感覚を、自分自身の感覚とすることができますように。主よ、あなたの内側の優しい細やかな感覚の中におらせてください。

 

 

召会を顧みるとき、キリスト・イエスの心の深みを自分の心の深みとします

        

 使徒は聖徒たちを慕うことでは、キリストのはらわた、優しい心の深みの中(内側の各部分)においても、キリストと一でした。これが示していることは、パウロがキリストを享受するのは、彼がキリストの心の深みと一であ[った]ということです。(ピリピ1:8、フットノート1)

 わたしたちはキリストのからだの肢体ですから、からだに対する感覚を持つべきです。……わたしたちはかしらの感覚を自分自身の感覚としなければなりません。……[ピリピ人への手紙第1章8節によれば]パウロは召会を顧みるとき、キリスト・イエスの心の深みを自分の心の深みとしました。これはまた、パウロがキリストの感覚を自分自身の感覚とすることによって、キリストのからだを顧慮していたことを意味します。……

 

 わたしたちはみなパウロのようになって、かしらの感覚を自分の感覚とすべきです。わたしたちがからだの生活をするために、これが最も必要とされます。わたしたちは自分自身を否み、自分自身をからだと一体化すべきです。こうすることによって、からだからの分離や断絶はなくなるでしょう。わたしたちが生きる生活は、完全にからだの生活となり、主は彼のからだの表現を得られます。(「主の切望にしたがった一と一つ心、そして彼の喜びにしたがったからだの生活と奉仕」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第16日

(メモリアルデー特別集会 第3週3日)

 

一つの事を思い、魂において結合されます

 

ピリピ2:2

どうかあなたがたは同じ事を思い、同じ愛を持ち、魂において結合され、一つの事を思って、わたしの喜びが満ちるようにしてください。

 

ピリピ3:8

しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します.その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します.それは、わたしがキリストを獲得するためであり。

 

「わたしたちは魂において一であるために、一つの事を思う必要があります。ピリピ人への手紙における「一つの事」とは、キリストに対する主観的な認識と経験と享受を指しています。「一つの事」とは、キリストを追い求めて、彼を獲得し、彼を捕らえ、彼を所有することです(ピリピ1:20-21.2:2,5.3:7-14.4:13)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが魂において一であるために、キリストを追い求め、獲得することができますように。主よ、わたしたちは神の子供たちですから、キリスト以外のものをちりあくたと勘定することができますように。

 

 

「一つの事」とは、キリストに対する主観的な認識と経験と享受を指しています

 

[ピリピ人は]、一つの事を思い、魂において結合されることに関するパウロの言葉に従順であるべきでした[ピリピ2:12、2]。彼らが思うべき一つの事とは、からだの生活のためにキリストを経験することです。わたしたちはまた、それがからだの生活のためにキリストを享受することであると言ってもよいでしょう。パウロはピリピ人に、この一つの事を思うよう懇願していました。

 

 この一つの事は、ピリピ人への手紙第3章ではっきりと啓示されています。そこで、パウロは主キリスト・イエスを知る知識の卓越性について語っています(8節)。召会のためにキリストをわたしたちの享受として経験することは、卓越したことです。……この一つの事以外のどのようなものも、ちりあくた、犬のための食物であり、わたしたちクリスチャンのためのものではありません。わたしたちは神の子供たちとして、犬の食物をもって養われるべきではありません。そうではなく、わたしたちは食卓で食べるべきです。(リー全集、1978年、第1巻(下)、「キリストを経験する」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第15日

(メモリアルデー特別集会 第3週2日)

 

福音の働きのために、一つ魂、同じ魂である必要があります

 

ピリピ1:27

ただ、キリストの福音にふさわしく振る舞いなさい.……すなわち、あなたがたが一つ霊の中でしっかりと立ち、一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘しており。

 

ピリピ2:20

それは、あなたがたのことを本気で心配しているわたしと同じ魂の人を、わたしは一人も持たないからです。

 

「福音の働きのために一つ魂であり、同じ魂であることは、一つ霊の中でキリストを経験することよりも難しいのです。テモテは、使徒パウロと同じ魂の兄弟でした(ピリピ2:19-21,参照、30節)。一つ魂であることは、わたしたちが霊の中で再生された後、前進してわたしたちの魂の中で造り変えられることを必要とします(Ⅱコリント3:18.ローマ12:2)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、福音の働きのために、わたしたちを前進させてください。わたしたちが一つ霊の中でしっかりと立ち、一つ魂をもって奮闘できるように、わたしたちを思いの中で造り変えてください。

 

 

キリストを享受するために、一つ霊の中にいて、一つ魂である必要があります

 

 もしわたしたちがイエス・キリストの霊の満ちあふれる供給によって、福音の交わりの中にとどまろうとするなら、一つ霊の中にいて、一つ魂である必要があります。ピリピ人への手紙における、キリストを経験することに関する特別な点は、一つ魂であるというこの事柄です。魂において一であることは、キリストを経験するためであるだけではなく、さらにはキリストを享受するためでもあります。わたしたちがキリストを経験することは、キリストを享受することでもあるべきです。

 

 例えば、子供たちは食べないなら、しかられるという恐れの下で食物を食べるかもしれませんが、自分が食べている物を享受しないでしょう。同じように、もしわたしたちが一つ霊の中にいるだけなら、キリストを経験するかもしれませんが、彼を享受しないかもしれません。わたしたちは享受することをもってキリストを経験するために、一つ霊の中にいて、一つ魂である必要があります。(リー全集、1978年、第1巻(下)、「キリストを経験する」、第2、3、4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第14日

(メモリアルデー特別集会 第3週1日)

 

魂において一となって、キリストを享受します

 

ピリピ1:4-5

あなたがたすべてのために祈り求めるたびに、いつも喜びをもって祈り求めています.それは、最初の日から今日まで、あなたがたが福音を前進させる交わりにあるからです。

 

ピリピ4:4

主の中でいつも喜びなさい.わたしは繰り返して言います.喜びなさい。

 

「厳密に言って、ピリピ人への手紙は、キリストを経験することについての書であるだけでなく、キリストを享受することについての書でもあります。キリストを経験することはおもにわたしたちの霊の中でのことですが、キリストを享受することはわたしたちの魂(わたしたちの思い、感情、意志)の中でのことです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、福音を前進させる交わりにあずかり、主の中でいつも喜んでいることができるように、わたしたちを守ってください。主よ、兄弟姉妹と魂において一となるように、主を享受させてください。

 

 

キリストを享受していないのは、魂において問題を持っているからです

 

 ピリピ人への手紙が書かれた理由は、彼らが主のためであり、主のしもべを顧み、霊においてとても良かったのですが、魂に問題を持っていたからです。なぜなら、彼らは同じ事を思わなかったからです。彼らの思考において、彼らは問題を持っていました。このゆえに、パウロはこの書簡を書いて、彼らが魂において一になるように勧め、懇願さえしたのです。わたしは、あなたがたがあまりキリストを享受していないかもしれないことを、いくらか心配しています。……

 

 時がたつにつれて、あなたはこの享受を失ったかもしれません。このことの理由は、魂に問題があるからです。姉妹たちはあまりにも感情の中にいますし、兄弟たちはあまりにも思いの中にいます。しかし、わたしたちはみな、かたくなな意志に関して問題を持っています。……長い間、主の回復の中にいる多くの人たちは、食物を享受することなしに食べる子供のようです。……もしあなたがキリストをあまり享受していないなら、それはあなたが魂において一でないことを示しています。……ユウオデヤとスントケが一でなかった理由は[参照、4:2]、彼らが魂において問題を持っていたことにあります。彼らは同じ事を思っていませんでした。(リー全集、1978年、第1巻(下)、「キリストを経験する」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第12日

(メモリアルデー特別集会 第2週6日)

 

神の聖なる所へと入るときに、苦難と困惑についての解答を得ます

 

詩142:2

わたしは御前にわが嘆きを注ぎ出し、彼の御前にわが苦しみを言い表します。

 

詩73:16-17

わたしがこれを理解しようと考えたとき、わたしの目にそれはめんどうなことであった.わたしが神の聖なる所へと入り、彼らの最後に気づくまではそうであった。

 

「詩篇第73篇は、尋ね求める詩篇の作者の誠実な祈りの記録です。彼は自分自身の苦難によって、また悪しき者の繁栄によって、つまずきそうになっていました。彼は、むなしく心をきよめたと考えました。なぜなら、彼は物質の繁栄を享受したのではなく、終日、災難に遭い、朝ごとに懲らしめを受けていたからです(詩73:12-16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、今の時代、悪しき者が繁栄し、神を尋ね求める敬虔な者は苦難を受けています。主よ、わたしたちが聖なる所、霊の中、また召会の中で神聖な啓示を受けることができますように。神のみこころを知ることができますように。

 

 

わたしたちが霊の中と召会の中にいるなら、別の見方、特別な了解を持ちます

 

 詩篇第73編2節から16節は、神を尋ね求める詩篇の作者の苦難と困惑の記録です。2節は……詩篇の作者が悪しき者の繁栄した状況によって、つまずきそうになっていたことを示します(3-12節)。……この神を尋ね求める敬虔な者は苦難を受けていました、……詩篇の作者はその状況を考えれば考えるほど、ますます悩み困惑しました。

 詩篇の作者は神の聖なる所で解答を得ました[17節]。……今日、神の聖なる所はどこにあるのでしょうか? 第一に、神の聖なる所、彼の住まいは、わたしたちの霊の中にあります。第二に、神の聖なる所は召会です。こうして、神の聖なる所へと行くために、わたしたちは霊に戻り、召会の集会に行く必要があります。いったんわたしたちが聖なる所、すなわち霊の中と召会の中にいるなら、悪しき者に関する状況に対して別の見方、特別な了解を持つでしょう。……

 

「わたしは天であなたのほかにだれを持つでしょう? 地ではあなたのほかに慕うものはありません」(25節)。この節は、神を純粋に尋ね求める者が、神を天における彼の唯一の所有、また地で唯一の慕うものとすることを啓示しています。……詩篇の作者は、神と彼を獲得すること以外の何も顧みませんでした。……「同様に」、パウロは、キリストを獲得するためにすべての事をちりあくたと勘定すると言いました[ピリピ3:8]。(「詩篇ライフスタディ(2)」、第37、30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第11日

(メモリアルデー特別集会 第2週5日)

 

自分の困難を主にもたらして、主に告げます

 

マタイ14:12

それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、遺体を引き取って葬った.そしてイエスの所に来て報告した。

 

マルコ6:30

さて、使徒たちは……自分たちの行なったこと、教えたことを、すべて彼に報告した。

 

「力づけてくださる方としてのキリストの中で、いっさいの事柄を行なう秘訣を学ぶことは、祈って主と行き来し、交わることです(詩歌568番、全訳)。彼はわたしたちの王、主、かしら、夫です。神と接触する祈りは、真に心から語られた言葉から成っています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは わたしたちが語るすべてを喜んで聞いてくださる方であることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたに自分の心を注ぎ出して、あなたと親密な交わりを持つことができますように。

 

 

主はわたしたちの思い煩いを担い、わたしたちが語ることを聞いてくださいます

 

 ある人は、父母、妻、兄弟、親友を亡くした悲しみに遭ったことはないかもしれません。それにもかかわらず、彼らが何かを失ったとき、…… イエスの所に行って告げるべきです。わたしたちが認識すべきなのは、主との徹底的な会話を持ち、自分の心を彼に注ぎ出すとき、わたしたちと主との親密さがさらに一段階進み、彼をさらに少し知るということです。これらの時の彼との親密な接触は、わたしたちと彼との通常の交わりより何百倍も良いのです。これらの接触によって、わたしたちは命において成長します。わたしたちは自分の困難を主にもたらして、主に告げるべきです。主はわたしたちを慰め、支えることができます。

 

 もし人が決して主の御前で涙を流したことがなく、自分の喜びや悲しみを決して主と分かち合ったことがなく、自分の個人的な事柄について決して主に話したことがないなら、主とのいかなる親密な交わりも決して持ったことがなく、主とのいかなる深い行き来も決して持ったことがありません。……人はすべてを主に告げることを通してのみ、主により近く引き寄せられることができます。……主はわたしたちのすべての悲しみを担ってくださいます。……わたしたちの主は進んでわたしたちのすべての思い煩いを担い、わたしたちが語ることを喜んで聞いてくださいます。(ニー全集、第18巻、第34号)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第10日

(メモリアルデー特別集会 第2週4日)

 

何事にも思い煩うことなく、わたしたちの要望を神に知らせます

 

ピリピ4:6-7

何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知らせなさい.そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心と思考を、キリスト・イエスの中で護衛してくださいます。

 

 「力づけてくださる方としてのキリストの中でいっさいの事柄を行なう実行上の道は、ピリピ第4章6節から7節に見いだされます、平安の神は、キリストにあるわたしたちの心と思考の前を巡回して、わたしたちを落ち着かせ、静めてくださいます(参照、イザヤ30:15前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは信実な神です。わたしたちのすべての環境は、良くても悪くても、神によって定められたものです。主よ、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、わたしたちの要望を神に知らせることができますように。

 

 

わたしたちのすべての環境は、良くても悪くても、神が定められたものです

 

 わたしたちは思い煩いのない生活をしようとするなら、わたしたちのすべての環境が、良くても悪くても、神によって定められたものであることを認識する必要があります。…… 仮に、ある兄弟が商売をしており、彼の商売は繁盛し、彼は多くのお金をもうけるとします。後ほど彼の商売は失敗し、彼はもうけた以上のものを失うかもしれません。お金をもうけるのも失うのも、神が彼に定められたものです。この兄弟が、自分の環境は神の定めから来るという十分な確信を持つなら、主の案配のゆえに主を礼拝することができます。おそらくお金を失うことは、お金をもうけること以上に彼にとって益となるでしょう。なぜなら、そのような損失を通して彼は成就され、建造されるからです。

 

 同じように、病と健康は神の定めとして神から来るものです。わたしたちはみな健康であることを切望すべきです。しかし時には健康は、病の時ほどわたしたちを成就しません。さらに、わたしたちは健康でなくなる時、健康である時よりもさらに多く祈ることを願います。 思い煩いを持たない最初の必要条件は、わたしたちが経験するすべての苦難が、神の定めであるという十分な確信を持つことです。……神は、わたしたちが必要とするものをご存じです。(「ピリピ人への手紙ライフスタディ(3)」、第60編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第9日

(メモリアルデー特別集会 第2週3日)

 

キリストの中にある一人の人となります

 

Ⅱコリント12:2

わたしはキリストの中にある一人の人を知っています.……

 

ピリピ3:9

そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って。

 

「パウロはキリストの中にある一人の人であり(Ⅱコリント12:2前半)、他の人によってキリストの中に見いだされることを願いました。ピリピ第4章13節で彼は、キリストの中で、すなわち彼を力づけてくださるキリストの中で、いっさいの事柄を行なうことができると宣言しました。これはキリストに対する彼の経験についての、すべてを含む、結論の言葉です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたはわたしたちを力づけてくださる方であることを感謝します。主よ、わたしたちは、キリストの中にある一人の人となりました。主よ、わたしたちが他の人によって、キリストの中に見いだされることを切に願います。

 

 

力づけてくださるキリストの中で、いっさいの事柄を行なうことができます

 

 パウロはキリストの中にある人であり(Ⅱコリント12:2)、他の人によって、キリストの中に見いだされることを願いました(ピリピ3:9)。第4章13節で彼は、自分を力づけてくださる方であるキリストの中で、いっさいの事柄を行なうことができると宣言しました。これは、キリストに対するパウロの経験の、すべてを含む、結論の言葉です。これは、わたしたちと主との有機的な関係についての、ヨハネによる福音書第15章5節の主の言葉、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」の逆です。わたしたちはキリストを持ち、彼の中にいる限り、彼の中でいっさいの事柄を行なうことができます。

 

 ピリピ人への手紙第3章でパウロは、キリストを獲得し、キリストの中に見いだされるために彼を追い求めていると証ししました。今や第4章13節で、パウロはキリストの中にいると言っています。パウロは自分を力づけてくださる方であるキリストの中で、いっさいの事柄を行なうことができました。キリストが満足の秘訣でした。キリストの中にあることによって、パウロは彼の中でいっさいの事柄を行なうことができました。(「新約の結論(9)」、メッセージ143)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第8日

(メモリアルデー特別集会 第2週2日)

 

地上でのキリストの人の生活は、神・人の原型です

 

エペソ4:20-21

……キリストを学んだ……もしあなたがたが真に彼に聞き、そして彼の中で、イエスにあるあの実際にしたがって教えられているのであれば。

 

マタイ11:29

わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす。

 

「キリストに従う者たちは、神・人の原型としての地上でのキリストの人の生活(人性においてご自身を否むことによって神を生きること)を通して弟子に構成されました(ヨハネ5:19,30)。それは人についての彼らの観念を徹底的に変えました(ピリピ3:10.1:21前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは地上での生活において、ご自身を否むことによって神を生きられました。主よ、わたしたちも自分を否んで、あなたの命によって生きることができますように。 主よ、わたしたちが神聖な命を生きる者、弟子に構成されますように。

 

 

人の命を否んで、神聖なものを解き放つ必要があります

 

 彼らが弟子に構成されたのは、キリストの十字架が彼らの人の命を無にして、彼らが神聖な命を生きるようにすることを通してでした(ガラテヤ2:20)。……彼らが弟子に構成されたのはまた、キリストを命を与える霊として知るためでした(Ⅰコリント15:45)。

 キリストの復活は、彼の増殖と増し加わりとして、神の多くの子たちを生み出すためでした(ヘブル2:10、ヨハネ12:24)。

 

 わたしたちは祈りによってこの交わりを考えるとき、内側のその霊に開くなら、弟子に構成されます。…… 彼らは弟子に構成されてバイタルになりました。弟子は、人の生活の中で神聖な命を生きる者です。務めの活力は、人が人の生活の中で神聖な命を生かし出すことによります。そのとき彼が発言することは、十字架につけられた人の生活から出て来る神聖なものです。わたしたちは人の命を否んで、神聖なものを解き放つ必要があります。これがバイタルであることの主要な要因です。(リー全集、1994-1997年、第5巻(上)、「バイタルグループ」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第7日

(メモリアルデー特別集会 第2週1日)

 

キリストの中で、いっさいの事柄を行なう秘訣を学びます

 

ピリピ4:11-13

……わたしはどんな境遇でも、満ち足りることを学んだからです。わたしは卑しくなる道を知り、また豊かになる道も知っています.あらゆる事において、またいっさいの事柄において、わたしは飽くことにも飢えることにも、豊かであることにも乏しくあることにも、秘訣を学びました。わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。

 

「パウロはキリストに回心した後、キリストの中へと、またキリストのからだの中へと入門しました。そして、どのようにキリストを命とするか(コロサイ3:4)、どのようにキリストを生きるか(ピリピ1:21前半)、どのようにキリストを大きく表現するか(20節)、どのようにキリストを獲得するか(3:8,12)、どのように召会生活を持つか(1:8,19.2:1-4,19-20.4:1-3)の秘訣を学びました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは、わたしたちの中に生きておられます。主よ、わたしたちが自分の置かれている環境の中で、キリストを生きる秘訣を学ぶことができますように。そして、パウロのように、どんな境遇でも、満ち足りることができますように。

 

 

キリストの中にいるという秘訣は……実行に移される必要があります

 

 ピリピ人への手紙第4章12節で、……パウロが学んだ秘訣とは何でしょうか? パウロは特別な秘訣を教えられたので、豊かであろうと貧しくあろうと、飽き足りていようと飢えていようと、どんな状況でも対処することができました。その秘訣は、ピリピ人への手紙第4章13節にあります。「わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです」。秘訣は、キリストがわたしたちの中におられることではなく、わたしたちが彼の中にいることです。……彼の中にいるという秘訣は……実行に移される必要があります。

 

 この秘訣を実行するために、わたしたちはまず、キリストがわたしたちの中に生きておられることを認識する必要があります。第二に、わたしたちは肉と天然の人を否まなければなりません。…… 第三に、わたしたちは一人ではないので、何も自分自身だけで行なうべきではありません。…… わたしたちは行動する前に、少し待って、行動しているのがわたしたちであるのか、それともキリストであるのかを確かめるべきです。わたしたちはこのようにすることによって、わたしたちの中に住んでおられるキリストに、わたしたちのために生きていただくのです。これが、秘訣を実行することです。(リー全集、1978年、第1巻(下)、「キリストを経験する」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第5日

(メモリアルデー特別集会 第1週6日)

 

自分を否み、自分の十字架を負って主に従います

 

マタイ16:24

それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいなら、自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」。

 

ローマ10:13

なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。

 

「わたしたちの自己(わたしたちの堕落した魂の思い、感情、意志)から出て来るものはすべて、サタンと悪鬼につながっています(マタイ16:21-27)。祈りは、真に自己を否むことです。祈ることは、キリストと彼の死と復活が、わたしたちの置き換えであるというビジョンを実行することです。それによってわたしたちは、完全に「キリスト化されて」、神の心の願いを満足させます(マルコ9:2-13)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、日々「おお、主イエスよ!」と呼んで、真に自己を否むことを経験することができますように。主よ、祈ることによって、自己の努力によって状況を対処することから救ってください。

 

 

祈ることは、実は「わたしではなく、キリストです」と宣言することです

 

 祈ることは、わたしたちが無であり、何もできないのを認識することを意味します。これは、祈りが真に自己を否むことであることを暗示します。……祈ることは、実は「わたしではなく、キリストです」と宣言することです。おそらく彼らは自らに言ったでしょう、「わたしたちは二年以上も主が悪鬼どもを追い出されるのを見てきて、彼から学んだ。わたしたちはこの子供から悪鬼を追い出すことができるはずだ」。……わたしたちは、彼らは必要な力、活力、神聖な電気なしに悪鬼を追い出そうとしたと言ってよいでしょう。

 

 わたしは、第9章29節の「祈り」という言葉が、実は「もはやわたしではなく、キリストです」を示しているという事実を強調したいのです。わたしたちはこの事柄に関して、なぜこの事例がわたしたちの置き換えとしてのキリストの啓示と、自分を否むことについての主の言葉の直後に続くのかを理解する必要があります[8:27-38]。(「マルコによる福音書ライフスタディ(1)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)  


8月の祈り 第4日

(メモリアルデー特別集会 第1週5日)

 

霊に付けた思いは命と平安です

 

Ⅱテモテ4:22

主があなたの霊と共におられますように。恵みがあなたと共にありますように。

 

ローマ8:6

肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

 

「わたしたちはキリストをすべてとし、いっさいの事柄においてキリストを獲得するために、絶えずわたしたちの自己を否むこととわたしたちの霊に戻ることを学ばなければなりません。わたしたちは完全にわたしたちの霊の中へと入らなければなりません。なぜなら、その霊としての主、すなわち、からだの実際は、わたしたちの霊の中にあるからです(Ⅱテモテ4:22.エペソ1:17.2:22.3:5, 16.4:23.5:18.6:18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちの霊と共におられることを感謝ます。主よ、わたしたちが神に信頼し、思いを霊に付けることを訓練することができますように。主よ、わたしたちの生活の中で、自己を否んで、霊に戻ることを学ばせてください。

 

 

自己を否んで、わたしたちの霊に戻ることの秘訣を学びます

 

 わたしたちは聖書を読むとき、わたしたちの思考を制御しなければなりませんが、それは本当は、思考を制御する事柄でもないのです。むしろ、わたしたちはただ霊に戻ることによって、それらを無視すべきです。わたしたちは祈り読みするとすぐに、肉に従うのではなく、霊に従うようになります。……クリスチャンの聖別、霊的な勝利、命における成長、力、主を享受することの秘訣は霊に戻ることです。

 

 わたしたちの舌は管理するのがとても困難なものです[詩39:1.120:2-4.141:3]。……しかしながら、わたしたちは今日、口を制御しようとする必要はありません。わたしたちは秘訣を学び、その秘訣を実行する必要があるだけです。すなわち、わたしたちは語ろうとするときはいつでも、霊に戻らなければなりません。……わたしたちはクリスチャンとして、正しいことを言っているかどうかを顧慮すべきではなく、霊に戻っているかどうかを顧慮すべきです。わたしたちは口を開く前に、霊に戻るべきです。これが秘訣です。(リー全集、1967年、第1巻(上)、「キリストを聖徒たちの分け前として経験する」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第3日

(メモリアルデー特別集会 第1週4日)

 

キリスト・イエスによって捕らえられているからです

 

ピリピ3:12

……わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それはわたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。

 

「わたしたちがキリストを獲得するのは、キリストがわたしたちを獲得するためです(ピリピ3:12.参照、ハバクク1:1)。それは以下の点にしたがってです。キリストを獲得することによって、わたしたちは神の臨在(霊なるキリスト)の感覚を持ちます(ヨハネ20:22.出33:11前半, 14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがあなたを追い求めているのは、あなたによって捕らえられているからです。 わたしたちがキリストを命として経験し、神の臨在、命の光、命の供給、命の成長、命の活力を持つことができますように。

 

 

キリストを命として経験することの五つの面

 

 わたしたちが実際にキリストを獲得したかどうかは、五つの点によって証明されます。第一に、わたしたちは神の臨在を持ちます。わたしたちは、神がわたしたちによって吸い込まれる新鮮な空気のようであると感じます。第二に、わたしたちは自分が光の中におり、内側で照らされていると感じます。第三に、わたしたちは内側で供給され、渇きをいやすための生ける水と飢えを満たすための生けるパンを持っていると感じます。

 

 第四に、温度計が上がっていくように、積極的な事柄と消極的な事柄に関係した要求がますます高くなります。これは、命が継続的に成長していることを示しています。第五に、わたしたちは内側で活力を持ちます。わたしたちは集会に来るときはいつでも、祈り、歌わなければならないと感じます。わたしたちは活動的でなければならないと感じます。これらの五つの面はわたしたちがキリストを獲得した証拠です。(リー全集、1967年、第1巻(上)、「キリストを聖徒たちの分け前として経験する」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


8月の祈り 第1日

(メモリアルデー特別集会 第1週2日)

 

すべてを含むキリストを見て、彼を享受する秘訣を学びます

 

Ⅰコリント1:9

神は信実です.この方を通して、あなたがたは彼の御子、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの交わりへと召されたのです。

 

Ⅱコリント3:17

そして主はその霊です.そして主の霊のあるところには、自由があります。

 

「わたしたちはすべてを含むキリストを見て、彼を享受する秘訣を学んだなら、主の回復に対して忠信になります(マルコ9:7-8.使徒26:19, 22.Ⅰコリント1:2, 9-10.2:9-10.Ⅱコリント2:10.Ⅱテモテ4:9-18.ピリピ1:19-21前半)。わたしたちは神によって定められた唯一の中心としての彼に焦点を合わせるべきです。それによって信者たちの間のすべての問題は解決されます(Ⅰコリント1:9.啓2:4-5.コロサイ1:17後半, 18後半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがすべてを含むキリストのビジョンを見ることができますように。そして、主を享受する秘訣を学ばせてください。主よ、キリストが唯一の中心であることを見て、主の回復、召会生活の中に保護してください。

 

 

わたしたちが回復の中で確固としているかどうかは、わたしたちが見たビジョンにかかっています

 

 もしあなたが召会生活を放棄することができるとしたら、これはあなたが決して召会を見たことがなかったことを証明します。……  わたしたちが回復の中で確固としているかどうか、分裂から保護されるかどうかは、わたしたちが見たビジョンにかかっています。わたしたちは、キリストが唯一の中心であることを見たなら、確固としているでしょう。回復の中で何が起こっても、わたしたちは召会生活にとどまるでしょう。わたしたちは、主の回復にいるという確信を内側に持つでしょう。

 

 キリスト以外のどのような選択、好み、味わいも持たないことを学びましょう。すべてを含むキリストがわたしたちの唯一の選択、好み、味わい、享受です。これが、主の来臨に至るまで、わたしたちを主の回復において召会の中に保護します。そうでなければ、結局わたしたちは失望し、そらされ、主の回復を放棄するでしょう。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)