朝ごとの食物

第7週3日~第12週4日

 

11月の祈り第30日

(7月訓練 第12週4日)

 

新エルサレムは団体的なシュラムの女となります

 

雅6:13

帰れ、帰れ、シュラムの女よ.帰れ、帰れ、わたしたちはあなたを見たい。……

 

雅6:4

わが愛する者よ、あなたは美しいことテルザのよう、愛すべきことエルサレムのよう、恐ろしいこと旗印を持った軍隊のようである。

 

「神聖なロマンスは、雅歌において詩的に描写されています(雅1:2.8:14)。追い求める者は、手順を経過してシュラムの女、すなわち、ソロモンの複製、新エルサレムの型となります(雅6:13,4)。新エルサレムは団体的なシュラムの女となり、神に選ばれ贖われたすべての人を含みます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。雅歌において詩的に描写されている神聖なロマンスを賛美します。キリストと彼の妻としての新エルサレムが、宇宙的な夫婦となって永遠に至ることを賛美します。主よ、あなたの心にあるものを求めて、あなたと共に前進させてください。

 

 

ソロモンの複製であるシュラムの女は、新エルサレムの型です

 

 神聖なロマンスが雅歌において詩的に描写されています。雅歌において追い求める者は手順を経過してシュラムの女、すなわちソロモンの複製、また新エルサレムの型となります(雅6:13、4)。愛する者の名である「シュラムの女」は「ソロモン」の女性形であって、雅歌第6章13節において初めて用いられています。それが示しているのは、この時点で彼女がソロモンの複製また配偶者となり、命、性質、かたちにおいてソロモンと同じになるということです。それはアダムにとってのエバと同様です(創2:20-23)。これが表徴するのは、キリストを愛する者が命、性質、かたちにおいてキリストと同じになって、彼と符合し(Ⅱコリント3:18、ローマ8:29)、彼らが結婚するということです。

 

 ソロモンを愛する者は、造り変えのさまざまな過程を経過し、ソロモンの複製となりました。新エルサレムは団体のシュラムの女となり、神に選ばれ贖われたすべての人を含みます。新エルサレムにおいて、贖う神(ソロモンによって表徴される)と彼のすべての贖われた者(シュラムの女によって表徴される)は一となります。…… キリストと彼の妻は共に結合され、新エルサレムとなって神を表現します。これは究極的に完成されたシュラムの女です。(「新約の結論(25)」、メッセージ428)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第29日

(7月訓練 第12週3日)

 

新エルサレムは、小羊の妻である花嫁です

 

啓21:2

わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。

 

啓19:7

わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。

 

 「新エルサレムは「小羊の妻である花嫁……聖なる都エルサレム」です(啓21:9-10)。使徒ヨハネは「聖なる都……が、夫のために着飾った花嫁のように整えられて」いるのを見ました(啓21:2)。新エルサレムは花嫁です。これは、彼女が物質の都ではなく、団体のパースンであって、キリストを満足させることを示しています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。新エルサレムが宇宙的な夫婦であることを感謝します。主よ、わたしたち召会が純金、真珠、宝石としての三一の神をもって着飾り、花嫁としての用意を整えることができますように。

 

 

新エルサレムは純金、真珠、宝石、すなわち要素としての三一の神で着飾っています

 

 キリストと彼の妻としての新エルサレムが永遠にわたって宇宙的な夫婦となります[22:17]。手順を経て、究極的に完成された三一の神の総合計であるその霊は、信者たちと一となり、信者たちは今や完全に円熟して花嫁となります(21:2、9-10)。手順を経て、究極的に完成された三一の神と、彼の再生され、造り変えられ、栄光化された民の究極的完成は、宇宙的な夫婦となり、三一の神を永遠にわたって表現します(11、23節)。……

 

 キリストの花嫁としての新エルサレムは、ただ究極的に完成されるだけではなく、また着飾る必要もあります(19節)。今日わたしたちはその金のベースとしての父なる神と、その真珠の門としての子なる神と、その宝石の城壁としての霊なる神をもって新エルサレムを着飾り、新エルサレムを究極的に完成する必要があります。新エルサレムは純金、真珠、宝石、すなわち要素としての三一の神で着飾っています。これが究極的に完成された神聖な三一であり、ご自身をわたしたちの存在の中へと構成して、わたしたちを金、真珠、宝石にします。(「新約の結論(25)」、メッセージ427)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第28日

(7月訓練 第12週2日)

 

新エルサレムは、神化されている人から成る構成体です

 

啓4:3

座している方は、碧玉や赤めのうのようであり、また御座の周囲には、緑玉のように見える虹があった。

 

啓21:11

それは神の栄光を持っていた。その光は最も尊い宝石のようであり、水晶のように透明な碧玉のようであった。

 

「新エルサレムは、神の選ばれ、贖われ、再生され、聖別され、更新され、造り変えられ、同形化され、栄光化された、神化されている人から成る構成体です(ヨハネ3:6.ヘブル2:11.ローマ12:2.8:29-30)。わたしたちが神化されることが意味するのは、わたしたちが手順を経て究極的に完成された三一の神で構成されつつあるということです。それによって、わたしたちは命と性質において神とされ、彼の団体的な表現となって永遠に至ります(啓21:11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神に選ばれ、贖われ、再生されたことを感謝します。そして、今、聖別され、更新され、造り変えられ、同形化される過程にあることを感謝します。主よ、わたしたちが命と性質において神とされ、神化されて神の団体的な表現となりますように。

 

 

神化されることは、手順を経て、究極的に完成された三一の神で構成されることです

 

 新エルサレムは神の選ばれ、贖われ、再生され、聖別され、更新され、造り変えられ、同形化され、栄光化された、神化されている人から成る構成体です(ヨハネ3:6、ヘブル2:11、ローマ12:2、8:29-30)。わたしたちが神化されることが意味するのは、わたしたちが手順を経て、究極的に完成された三一の神で構成されつつあるということです。それによってわたしたちは命と性質において神とされ、彼の団体的な表現となって永遠に至ります(啓21:11)。新エルサレムが建造されるのは、神がご自身を人の中へと造り込んで、命、性質、構成において人を神と同じにし、神と人を団体の実体とすることによります。

 

 新エルサレムは、構成し、結合し、ミングリングする方法によって、神ご自身が彼の贖われた者たちと共に拡大したものです(ヨハネ3:29前半、30前半、14:20、15:4前半、Ⅰコリント6:17)。こういうわけで、信者たちの神化は、新エルサレムにおいて究極的に完成する過程です。…… それはわたしたちが命において、また性質において神となり、永遠にわたって彼の団体の表現となることです。これが最高の真理であり、最高の福音です(啓3:12)。(「新約の結論(25)」、メッセージ428)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第27日

(7月訓練 第12週1日)

 

召会生活のために新エルサレムのビジョンを持つ必要があります

 

啓示録21:9-11

……「ここに来なさい.あなたに小羊の妻である花嫁を見せよう」。そして彼はわたしを霊の中で、大きな高い山へ連れて行き、聖なる都エルサレムが、天から出て神から下って来るのをわたしに見せたが、それは神の栄光を持っていた。その光は最も尊い宝石のようであり、水晶のように透明な碧玉のようであった。

 

「わたしたちのクリスチャン生活と召会生活のために、わたしたちは新エルサレムのビジョンを持つ必要があります(啓21:9-11)。新エルサレムは、神性と人性とが共にミングリングされ、ブレンディングされ、建造されて一つの実体となっている構成体です。すべての構成要素には同じ命、性質、構成があるので、団体的なパースンです(ヨハネ14:20,23.啓21:2-3,9-23)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが新エルサレムになる過程にあることを感謝します。この時代に新エルサレムとなるために、わたしたちを照らし、供給し、牧養して導いてください。

 

 

この時代に新エルサレムとなりますように

 

 新約の主要な内容とは、三一の神がご自身の大いなる喜びにしたがって永遠のエコノミーを持っておられ、それは彼の命と性質の中でご自身を彼の選ばれ、贖われた民の中へと分与し、それによって彼らをご自身の複製とし、彼らが彼を表現するためであるということです。この団体の表現は新エルサレムにおいて究極的に完成します(エペソ3:9、1:9-23)。聖書の究極的な完成である新エルサレムは、神が人と成ることと、人が神格においてではなく、命と性質において神となることと関係があります(啓21:2、3:12)。

 

 キリストの中で、神は人と成り、人を彼の命と性質において神とします。それによって贖う神と贖われた人は、共にミングリングされ、構成されて、一つの実体、すなわち新エルサレムとなることができます(21:3、22)。最終的に、三一の、永遠の神は新エルサレムとなってわたしたちすべてと合併し、わたしたちもまた神の有機的な救いの過程を通して(ローマ5:10)、新エルサレムとなります。(「新約の結論(25)」、メッセージ428)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第25日

(7月訓練 第11週6日)

 

聖書はただ一つの事、宇宙的な合併を明らかにしています

 

啓21:3,22

……見よ、神の幕屋が人と共にある.神は彼らと共に幕屋を張り…… わたしはその中に宮を見なかった.主なる神、全能者と小羊が、その宮だからである。

 

「新エルサレムは、神の幕屋であり、幕屋の中心は、隠されたマナとしてのキリストです。この宇宙的な神性と人性の合併、すなわち、神と人との相互の住まいの中へと合併される道は、隠されたマナとしてのキリストを食べることです(啓21:3.出16:32-34.ヘブル9:4.啓2:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちに宇宙的な神性と人性の合併のビジョンを見せてください。新エルサレムは神のエコノミーの目標であり、宇宙的な合併です。主よ、わたしたちが隠されたマナとしてのキリストを食べて、宇宙的な神性と人性の合併の中にもたらされますように。

 

 

幕屋の中へと合併される道は、隠されたマナを食べることです

 

 わたしは七十年以上を費やして聖書を学びましたが、ごく最近になって、聖書が実はただ一つの事、すなわち宇宙的な合併を明らかにしていることを見ました。目的を持つ神にはエコノミーがあり、彼は彼のエコノミーの中で、宇宙的な合併を持つことを意図されます。わたしたちは、新エルサレムが神のエコノミーの目標であることを見てきましたが、新エルサレムが一つの合併であることを見ませんでした。

 

 幕屋の中へと合併される道は、隠されたマナを食べることです。……旧約の幕屋は、神の幕屋と呼ばれる新エルサレムの型です。神の幕屋として、新エルサレムは宇宙的な合併です。この宇宙的な合併は神の永遠の目標です。新エルサレムは神の幕屋であり、この幕屋の中心は、わたしたちが食べるための隠されたマナとしてのキリストです。新エルサレムにいる道は、キリストを食べることです。わたしたちはキリストを食べれば食べるほど、この宇宙的な合併の中へとますます合併されます。(リー全集、1994年-1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第24日

(7月訓練 第11週5日)

 

三一の神と信者たちとの宇宙的な合併の実際の中に生きます

 

ヨハネ15:7

あなたがたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがたの中に住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい.そうすれば、それはあなたがたにかなえられる。

 

「キリストの中に住んで、彼をわたしたちの住まいとすること、また彼にわたしたちの中に住んでいただき、わたしたちを彼の住まいとしていただくことは、手順を経て究極的に完成された三一の神と、贖われ再生された信者たちとの宇宙的な合併の実際の中に生きることです(ヨハネ14:2,10-11,17,20,23)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが初めの愛をもって、あなたを愛することができますように。今日、あなたの中に住まわせてください。今日、あなたの中にとどまることができますように。

 

 

外側の書かれた言葉の中に住むなら、 即時的な生ける言葉はわたしたちの中に住みます

 

 わたしたちがキリストの中に住み、彼にわたしたちの中に住んでいただくことは、彼を愛することによります(ヨハネ14:21,23)。わたしたちは初めの愛をもって主を愛することによって、主に万物のうちで第一位となっていただきます。そしてわたしたちは三一の神の中へと合併されて、彼の住まいとなります(啓2:4-5.コロサイ1:18後半.ヨハネ14:21,23.エペソ3:16-17.参照、詩27:4)。わたしたちが主イエスを愛するとき、彼はご自身をわたしたちに現します。そして御父は彼と共に来て、わたしたちと共に住まいを造り、わたしたちの享受となります。この住まいは相互の住まいであって、その中で三一の神はわたしたちの中に住み、わたしたちも彼の中に住みます(ヨハネ14:23)。

 

 わたしたちがキリストの中に住み、彼にわたしたちの中に住んでいただくことは、わたしたちの外側にある聖書の恒常的な言葉と接触することによってであり、またわたしたちの内側にあるその霊としての現在の言葉と接触することによってです(ヨハネ5:39-40.6:63.Ⅱコリント3:6.啓2:7)。わたしたちは、外側の書かれた言葉によって、奥義的な主についての説明、解釈、発表を持ちます。そして内側の生ける言葉によって、内住するキリストに対する経験を持ち、実際の主の臨在を持ちます(エペソ5:26.6:17-18。わたしたちが主の恒常的な書かれた言葉の中に住むなら、彼の即時的な生ける言葉はわたしたちの中に住みます(ヨハネ8:31.15:7.Ⅰヨハネ2:14)。(主の出現の前の、主の回復の中心的な負担と現にある真理との概要 アウトライン)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第23日

(7月訓練 第11週4日)

 

合併の第二の面は、御子のまことのぶどうの木です

 

ヨハネ15:1

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は栽培者である。

 

ヨハネ16:21

女は子供を産む時、……子供を産むと、一人の人が世に生まれた喜びのゆえに、もはやその苦しみを覚えていない。

 

エペソ2:15

……それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、

 

「復活の中にある、究極的に完成された神と再生された信者たちとの合併の第二の面は、御子のまことのぶどうの木です(ヨハネ15:1-8,16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは野生のオリブの木の枝でしたが、キリストの中へと信じることを通して、栽培されたオリブの木へと接がれたことを感謝します。主よ、わたしたちが復活したキリストとの命の結合の中にもたらされ、三一の神と合併されていることを感謝します。

 

 まことのぶどうの木は、すべてを含むキリストのしるしとして、手順を経て究極的に完成された三一の神の有機体です。その枝は、キリストの信者たちです。彼らは本来、野生のオリブの木の枝でしたが、キリストの中へと信じることを通して(ヨハネ3:15)、栽培されたオリブの木へと接がれました(ローマ11:17,24)。栽培されたオリブの木もまことのぶどうの木も、キリストを表徴します。ですから、栽培されたオリブの木へと接がれることは、キリストへと接がれることです。

 

 

合併の第三の面は、その霊の新しい子供です

 

「復活の中にある、究極的に完成された神と再生された信者たちとの合併の第三の面は、その霊の新しい子供です(ヨハネ16:13-16,19-22)」。新しい子供、新しい人は、究極的に完成された霊によって復活の中で生まれました。この新しい子供、新しい人は、十字架上のキリストにより、数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄したことによって創造されました(ヨハネ16:21,13-15節.エペソ2:15)。この新しい子供、新しい人は、復活したキリストと共に彼の復活の中で、御父によって再生され、信者たちの霊の中のその霊によって生まれました(Ⅰペテロ1:3.ローマ1:4.ヨハネ3:6後半)。(主の出現の前の、主の回復の中心的な負担と現にある真理との概要 アウトライン)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第22日

(7月訓練 第11週3日)

 

キリストの栄光が現されたことの結果の合併の第一の面は、御父の家です

 

ヨハネ14:2,23

わたしの父の家には多くの住まいがある.もしそうでなかったなら、わたしはあなたがたに話したであろう.あなたがたのために、場所を用意しに行くのである。 ……だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る。

 

「キリストの栄光が現されたことの結果、すなわち彼の復活の結果は、神の選ばれ、贖われ、再生されたすべての人と、彼ご自身との合併であり、それには三つの面があります。すなわち、御父の家、御子のぶどうの木、その霊の子供です。復活の中にある、究極的に完成された神と再生された信者たちとの合併の第一の面は、宮によって予表される御父の家です(ヨハネ14:2.2:16-21.Ⅰテモテ3:15)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの栄光が現されたことの結果の御父の家を感謝します。わたしたちは御父の家で神の家族を持ち、満足し、安息を享受します。御父と御子がしばしばわたしたちに来て、わたしたちの中で建造する働きを行なってくださいますように。

 

 

御父と御子は来て臨み、わたしたちの中で建造する働きを行ないます

 

 御父の家は、御父と御子、そして贖われた選びの人たちに内住するその霊が、贖われた選びの人たちに絶えず臨むことによって建造され、究極的に完成された三一の神と彼の贖われた選びの人たちとの相互の住まいとなります。……ヨハネによる福音書第14章2節は、御父の家には多くの住まいがあると告げ、23節でわたしたちは、これらの住まいは、御父と御子が彼を愛する者たちに臨むことによって建造されることを見ます。その霊は明らかに23節で述べられているのではなく、むしろ暗示されています。なぜならその霊は、主イエスを愛するすべての者の再生された霊に内住するからです。

 

 わたしたちの日常生活で、御父と御子はしばしば来てわたしたちに臨みます。……わたしたちがどこにいても、御父と御子は来て臨み、わたしたちの中で建造する働きを行ない、住まいを造られます。それは、三一の神とわたしたちとの相互の住まいとなるでしょう。これが、三一の神が絶えず臨むことを通しての御父の家の建造です。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第21日

(7月訓練 第11週2日)

 

キリストの死を通して、彼の復活の中でキリストの栄光が現されます

 

ヨハネ12:23-24

イエスは彼らに答えて言われた、「人の子の栄光が現される時が来た。まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。

 

「キリストの神性の栄光を解き放つことは、キリストの死を通して彼の復活の中で(ルカ24:26)、御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されることです(ヨハネ12:23-24)。彼の神性の栄光を彼の神聖な命と共に解き放つことは、地上に火を投じることでした(ルカ12:49-50)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが十字架につけられ、人性の殻が砕かれることを通して、神聖な命と神聖な栄光が解き放たれたことを感謝します。主よ、あなたの復活の中で霊の命の衝撃力を持って、神聖な命が解き放たれ、多くの実を結ぶことができますように。

 

 

この火は、主が神聖な命を解き放たれたことから来る衝撃力です

 

 キリストが肉体と成ったことを通して着た彼の人性は、彼の神性の栄光を隠す殻となりました。……ヨハネによる福音書第1章14節は、神が肉体と成ったと告げています。この肉体、この人性が、キリストの神性の栄光を隠す殻となりました。キリストの神性はそれ自身、神聖な栄光です。神が光であるように、神性は栄光です。キリストが肉体の中に、彼の人性の中におられた時、彼の肉体は彼の神性を隠す殻であり、こうして彼の栄光を隠しました。

 

 神聖な栄光は彼の肉体の殻の中に隠されていたので、彼の栄光が現される必要がありました[参照、12:23、17:1、5]。キリストの神性の栄光を解き放つことは、地上に火を投じることでした(ルカ12:49)……。この火は霊の命の衝撃力、主が神聖な命を解き放たれたことから来る衝撃力です。……キリストが十字架上において彼の死のバプテスマでバプテスマされた時、彼の神性の栄光が解き放たれました。彼の復活の時から、火は地上で燃え続けています。この火はエルサレムから始まり、次にユダヤとサマリアを経過して地の果てにまで広がります。今日この火は全地で燃えています。(リー全集、1994年-1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第20日

(7月訓練 第11週1日)

 

合併は、パースンが互いに内住することです

 

ヨハネ14:20

その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。

 

「信者たちと主との関係は、「結合」、「ミングリング」、「合併」という言葉で述べられます。「結合」は、わたしたちと主が命において一であることに関してであり、「ミングリング」は、神聖な性質と人の性質と関係があり、「合併」は、パースンが互いに内住すること(すなわち相互内住すること)です(ヨハネ15:4-5.Ⅱペテロ1:4.ヨハネ14:20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが復活を通して、別の慰め主としてわたしたちの中に生きてくださることを感謝します。わたしたちが相互に内住する合併を見ることができますように、そしてその実際を経験させてください。

 

 

ヨハネ14章には、合併を示す四つの「中に」があります

 

 御子は最初の慰め主として、彼の死を通して彼の信者たちを離れ、彼の復活を通して彼らに戻って来て彼らの別の慰め主となり、彼らを彼と共に生きるようにしました。

 究極的に完成された三一の神と再生された信者たちは、キリストの復活の中で一つの合併となりました。……「その日には」[20節]は、御子の復活の日にはです。「わたしがわたしの父の中に……いることをあなたがたは知るであろう」。御子と御父は、合併されて一となっています。「あなたがたがわたしの中におり」。再生された信者たちは、御子の中へと合併され、また御子の中で御父の中へと合併されています。「わたしがあなたがたの中にいる」。御父の中にある御子は、再生された信者たちの中へと合併されています。ここに三つの「中に」があります。

 

 17節には四つ目の「中に」があります。「実際の霊……はあなたがたと共に住んでおり、あなたがたの中におられるようになる」。17節の実際の霊の「中に」は、20節の三つの「中に」の総合計です。(リー全集、1994年-1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第3、5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第18日

(7月訓練 第10週6日)

 

神・人たちは、キリストが現れるとき神の様を帯びます

 

Ⅰヨハネ3:2

愛する者たちよ、今や、わたしたちは神の子供たちです.わたしたちがどのようになるかは、まだ明らかにされていません。彼が現れるなら、わたしたちは彼のようになることを知っています.なぜなら、わたしたちは、彼がそうであるように、彼を見るからです。

 

「神・人たちは、神の神性にあずかる神聖な権利を持っており、これは神の様を帯びる権利を含んでいます(Ⅰヨハネ3:2)。キリストが現れるとき、三一の神が現れます。わたしたちは彼を見るとき、三一の神を見ます。わたしたちは彼のようになるとき、三一の神のようになります(2節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが神の神性にあずかる神聖な権利を持っていることを感謝します。わたしたちは再生されて神の種類となったことを感謝します。わたしたちが神の子供たちであることを認識して生活することができますように。

 

 

神・人たちは、神の種類、神の種族になるという神聖な権利を持っています

 

 最後に、神・人たちは、神の種類、すなわち神の種族になるという神聖な権利を持っています(ヨハネ1:12.ローマ8:14、16)。わたしたちは再生されて神の種類となりました。神の子たちとして、わたしたちは神の種類、神の種族です。ヨハネによる福音書第1章12節は言います、「すべて彼を受け入れた者……に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた」。わたしたちは主イエスを、彼の中へと信じることによって受け入れ、神はわたしたちに、神の子供たちとなる権威、権利を与えられました。

 

「その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます」(ローマ8:16)。そのような証しは、わたしたちが神の子供たちであり、彼の命を所有していることをわたしたちに証しし、確証します。わたしたちはこれを認識し、それを覚えている必要があります。わたしたちはどこにいても、自分が神・人であり、神の神性にあずかる神聖な権利があることを覚えている必要があります。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第17日

(7月訓練 第10週5日)

 

わたしたちは神の子たる身分にあずかります

 

エペソ1:5

みこころの大いなる喜びにしたがい、イエス・キリストを通して、わたしたちを子たる身分へと、彼ご自身へあらかじめ定められました。

 

ローマ8:23

……その霊の初穂を持つわたしたち自身も、自らの内でうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです。

 

 「神・人たちの神聖な権利のもう一つの面は、神の子たる身分にあずかることです(エペソ1:5.ローマ8:23)。世の基が置かれる前から、すなわち、過去の永遠に、神はわたしたちを子たる身分へとあらかじめ定めました(エペソ1:5)」。

 

   主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが神の子たる身分にあずかることができたことを感謝します。わたしたち、神の子たちがその出現、その現れにあずかれることを感謝します。今日、神聖な性質にさらにあずかり、享受することができますように。

 

 

わたしたちは神の現れにあずかります

 

 神の神性にあずかる神・人たちの神聖な権利のもう一つの面は、神の子たる身分にあずかることです(エペソ1:5.ローマ8:23)。わたしたちが神の命、神の性質、神の思い、神の存在、神のかたち、神の栄光を持つことができるのは、わたしたちが神の子たちであるからです。……人の子が彼の人の父の栄光、あるいは栄誉に分を持つように、神の子たちは彼らの神聖な御父の栄光に分を持ちます。……

 

 神・人たちとしてのわたしたちはまた、神の現れにあずかります(ローマ8:19)。わたしたちの命なるキリストが現される時、わたしたちは彼と共に栄光のうちに現されます(コロサイ3:4)。今日、神は隠れておられますが、ある日、彼は全宇宙に現されます。ローマ人への手紙第8章19節は、神が現され、出現する時、わたしたち、神の子たちはその出現、その現れにあずかることを示しています。神は彼の子たちと共に現され、彼らは命、性質、思い、存在、かたち、栄光において神と同じになります。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第16日

(7月訓練 第10週4日)

 

栄光から栄光へ、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきます

 

Ⅱコリント3:18

しかし、わたしたちはみな、主の栄光をおおいのない顔をもって、鏡のように見つめ、そして反映して、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきますが、それはまさに主なる霊からです。

 

 「神・人たちとしてわたしたちは、神のかたちにあずかる権利を持っています(Ⅱコリント3:18)。キリストは神のかたちであって、神が何であるかを表現します(コロサイ1:15.Ⅱコリント4:4)。主と同じかたちへと造り変えられることは、神の長子としての復活したキリストへと同形化されること、彼であるのと同じにされることです(ローマ8:29)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちを御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定めてくださったことを感謝します。主よ、わたしたちが鏡のように主の栄光を見つめ反映して、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますように。

 

 

栄光化は神の全体的な救いの段階です

 

 最終的に、わたしたちは神の栄光の中へともたらされて、神の栄光にあずかります。ヘブル人への手紙第2章10節は、神は多くの子たちを栄光へ導き入れると言います。パウロはローマ人への手紙第8章30節でこれに言及しています、「神はあらかじめ定めた者たちを、さらに召し、そして召した者たちを、さらに義とし、そして義とした者たちを、さらに栄光化されました」。栄光化は神の全体的な救いの段階であり、その中で神は彼の命と性質の栄光をもって、完全にわたしたちの体に浸透されます。

 

 このようにして、彼はわたしたちの体を変貌させ、彼の御子の復活した、栄光の体に同形化されます(ピリピ3:21)。これは神の有機的な救いにおける究極の段階であり、そこにおいて神は完全な表現を獲得され、それは新エルサレムにおいて究極的に現されます。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第15日

(7月訓練 第10週3日)

 

わたしたちは思いの霊の中で新しくされます

 

ピリピ2:5

キリスト・イエスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい。

 

エペソ4:23

そして、あなたがたの思いの霊の中で新しくされ。

 

ローマ8:6

肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

 

「わたしたちは再生を通して神・人たちとなったので、神の思いにあずかる権利を持っています(Ⅰヨハネ2:27.ピリピ2:5.Ⅰコリント2:16)。もしわたしたちがキリストの思いをわたしたちの思いとするなら、わたしたちはキリストの思いを持つことができます(ピリピ2:5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが神の思いにあずかる権利を持っていることを感謝します。わたしたちの思いを霊につけて、思いの霊の中で新しくされますように。主よ、キリストの思いをわたしたちの思いとすることができますように。

 

 

わたしたちはキリストの思いをわたしたちの思いとする必要があります

 

 わたしたちは再生を通して神・人たちとなったので、また神の思いにあずかる権利を持っています。これは、わたしたち人が、神聖な思いを持つことができることを意味します。……わたしたちはキリストの思いをわたしたちの思いとする必要があります[ピリピ2:5]。

 

 エペソ人への手紙第4章23節は、「あなたがたの思いの霊の中で新しくされ」と言います。ここの霊は信者たちの再生された霊であり、それは神の内住する霊とミングリングされています。そのようなミングリングされた霊がわたしたちの思いへと広がり、こうしてわたしたちの思いの霊となります。ミングリングされた霊がわたしたちの思いに浸透、飽和し、思いを所有すればするほど、ますます思いは神の思いのようになります。これは彼の思いをわたしたちの思いとすることであり、これは神の思いにあずかることです。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第14日

(7月訓練 第10週2日)

 

わたしたちは、神の命にあずかることができます

 

ヨハネ3:15

それは、彼の中へと信じる者がすべて、永遠の命を持つためである。

 

Ⅱペテロ1:4

彼はその栄光と美徳を通して、尊く、際立って偉大な約束を、わたしたちにすでに与えてくださっています.それは、これらの約束を通して、あなたがたが情欲によるこの世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となるためです。

 

「神・人たちとしてのわたしたちは、神の神性のさまざまな面にあずかることができます。わたしたちは、神の命にあずかることができます(エペソ4:18.ヨハネ1:4.10)。神の命は、神聖であり、神の性質を持っており、また永遠であり、非受造であり、初めも終わりもなく、自ら存在し、永遠に存在し、決して変わることがありません(ヨハネ3:15.Ⅰヨハネ2:25.5:13, 20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神・人たちとしてのわたしたちは、神の命にあずかることができることを感謝します。主よ、神ご自身、聖なる方を、わたしたちの存在の中へと分け与えてください。わたしたちが神の聖なる性質をもって浸透されますように。

 

 

わたしたちは神・人たちとして、神の性質にあずかる権利を持っています

 

 神・人たちとしてのわたしたちはまた、神の性質にあずかる神聖な権利を持っています。エペソ人への手紙第1章4節……で、神がキリストの中でわたしたちを選ばれたのは、特別な目的、わたしたちを聖くするためであることを見ます。「聖く」は、聖別され、神へと分離されるだけでなく、あらゆる俗的なものと異なり、区別されることを意味します。神は聖ですが、わたしたちは俗です。神だけが万物と異なっており、区別されます。ですから、彼は聖です。聖は彼の性質です。神はわたしたちを、彼が聖であるほどまでに聖くすることを意図されます(Ⅰペテロ1:15-16)。

 

 聖くなることは、神の聖なる性質にあずかることです。わたしたちを聖くなるように選んで、神はご自身、聖なる方を、わたしたちの存在の中へと分け与えることによって、わたしたちを聖くされます。それは、わたしたちの全存在が彼の聖なる性質をもって浸透され、飽和されるためです。わたしたち、神の選ばれた者が聖くなることは、神の神聖な性質にあずかることです(Ⅱペテロ1:4)。こうして、わたしたちは神の命だけでなく、神の性質にもあずかるのです。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第13日

(7月訓練 第10週1日)

 

神・人たちとしてわたしたちは、神の神性にあずかるという神聖な権利を持っています

 

ヨハネ3:6

肉から生まれるのは肉であり、その霊から生まれるのは霊である。

 

ヨハネ1:12-13

しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は血からではなく、肉の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生まれたのである。

 

「わたしたちが認識する必要のある事は、神・人たちとしてのわたしたちが神の神性にあずかる、すなわち神にあずかるという神聖な権利を持っているということです(ヨハネ3:15.Ⅱペテロ1:4)。神・人となる第一歩は、わたしたちが霊の中で霊なるキリストから生まれて、彼の神聖な命と性質を持っているということです(ヨハネ3:6.Ⅱペテロ1:4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがあなたを受け入れ、御名の中へと信じて、神の子供たちとなる権威を与えられたことを感謝します。主よ、わたしたちがあなたの神聖な命と性質を持っていることを見て享受することができますように。 

 

 

今やわたしたちは神・人、神から生まれて神の子供たちとなりました

 

[御言における高い水準の……真理]の一つが、神の神性にあずかるという事柄です。……わたしは、神の神性にあずかる神・人の権利に関する簡潔な言葉を与えたいと思います。[詩歌355番]……3節……は、「彼とあなたは一になります」(全訳)と言っています。わたしたち、堕落した人が、主と一になることができるとは、何とすばらしいことでしょう! …… 今やわたしたちはさらに高いもの――神・人たちとしてのわたしたちが神の神性にあずかるという神聖な権利を持っていることを見る必要があります。

 

「あずかる」という句は、分を持つことだけでなく、享受のために分を持つことを意味します。それは、わたしたちが何かを所有すること、所有しているものを享受することを示します。……わたしたちはみな神の神性にあずかる、すなわち、神にあずかることができることを認識する必要があります。……しかし今や神・人、神から生まれて神の子供たちとなった者として、わたしたちは、神が何であるかにあずかり、神格においてではなく、命、性質、表現において神となりさえします。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「肉体と成ること、包括、強化」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第11日

(7月訓練 第8週6日)

 

わたしたちをキリストのからだ全体のブレンディングの生活の中へともたらします

 

ローマ16:1,3-4,20

わたしはあなたがたに、わたしたちの姉妹フィベを推薦します.彼女はケンクレヤに在る召会の女執事です。…… キリスト・イエスにあるわたしの同労者、プリスカとアクラによろしく.彼らはわたしの命のために、自らの首を差し出しました.彼らにはわたしだけでなく、異邦人のすべての召会も感謝しています。…… 今や平安の神が速やかに、サタンをあなたがたの足の下に踏み砕かれます。……

 

「ローマ第16章は、使徒パウロの卓越した模範をわたしたちに与えています。パウロはすべての聖徒を、キリストのからだ全体のブレンディングの生活の中へともたらしました。このような生活の中で、わたしたちは真に命の中で王として支配することができます(ローマ5:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、キリストのからだである召会を愛します。主よ、わたしたちをキリストのからだ全体のブレンディングの生活の中へともたらしてください。そして、聖徒たちの間の相互の心遣いを増し加えてください。平安の神がサタンをわたしたちの足の下に踏み砕かれますように。

 

 

からだの中の召会の交わりによって、サタンはわたしたちの足の下に踏み砕かれます

 

 ローマ人への手紙第16章は、使徒の卓越した模範をわたしたちに与えています。…… 彼は推薦とあいさつによって、わたしたちをキリストのからだ全体のブレンディングの生活の中へともたらし、平安の神に、サタンをわたしたちの足の下に踏み砕かせ、わたしたちがキリストの豊富な恵みを享受することができるようにしました(1-16、21-24、20節)。ローマ人への手紙第16章で、使徒パウロは少なくとも二十七の名前を挙げて、一人ずつ聖徒たちにあいさつをしました。さらに、彼は普遍的に聖徒たちにあいさつしました。この事が示しているのは、パウロには、彼ら一人一人について相当な知識と理解と関心とがあったということです。そのような推薦とあいさつは、聖徒たちの間の相互の心遣いと諸召会の間の相互の交わりを表しています。

 

 からだの中の召会の交わりによって、平安の神は、サタンをわたしたちの足の下に踏み砕かれ、わたしたちはキリストの豊富な恵みを享受することができます。(リー全集、1994-1997年、第5巻(下)、「神の有機的な救いを経験することは、キリストの命の中で王として支配することと等しい」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第10日

(7月訓練 第8週5日)

 

諸召会の間の交わりは、キリストのからだの交わりです

 

Ⅰコリント10:16

……わたしたちがさくパン、それはキリストの体の交わりではありませんか?

 

Ⅰコリント12:13

……みな一つ霊の中で、一つからだの中へとバプテスマされ、みな一つ霊を飲むようにされたからです。

 

「キリストの一つの宇宙的なからだを構成するすべての諸召会の間には、組織はなく、キリストのからだの交わりがあります(ピリピ1:5)。諸召会の間の交わりは、キリストのからだの交わりです(Ⅰコリント10:16)。一つ霊があるので、ただ一つのからだがあり、そしてこのからだの中にはただ一つの命の循環があります。この循環がキリストのからだの交わりです(エペソ4:4.Ⅰヨハネ1:3,7)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 一つからだと一つ霊を感謝します。主よ、わたしたちがからだの中にある一つの命の循環、一つの交わりの中で生きることができますように。主よ、わたしたちが交わりを尊び、諸召会に開いて、キリストのからだの交わりを持つことができますように。

 

 

からだの中にはただ一つの命の循環、一つのキリストのからだの交わりがあります

 

 エペソ人への手紙第4章4節でパウロは、「一つからだと一つ霊」と言っています。からだがその霊の前に述べられているのは、わたしたちの間の一がからだと関係があり、からだのためであるからです。……からだとその霊は一であるので、わたしたちはからだの唯一の一を保たなければなりません。その霊は一つからだの本質です。その霊がなければ、からだは空虚であって命はありません。……

 

 一つ霊があるので、ただ一つのからだがあります。さらに、からだの中にはただ一つの命の循環、一つの交わりがあります。この循環がキリストのからだの交わりです。キリストの一つの宇宙的なからだを構成するすべての召会の間に組織はなく、キリストのからだの交わりがあります。……すべての召会がこの循環の中に、からだの交わりの中にとどまるなら、健康になります。しかしながら、天然の人の思いは、組織を持つか、それとも人と何の関係も持たないかです。一方で、わたしたちは諸召会の間にいかなる組織も持つべきではありません。もう一方で、わたしたちは開いて、すべての召会と交わりを持つべきです。(「新約の結論(12)」、メッセージ204)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第9日

(7月訓練 第8週4日)

 

命の中で王として支配することは、召会生活の中で表現されます

 

ローマ12:1-2

兄弟たちよ、こういうわけで、わたしは神の慈しみを通して、あなたがたに勧めます.あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげなさい.それが、あなたがたの理にかなった奉仕です。またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。

 

「わたしたちが神聖な命の統治の下で、命の中で王として支配することの結果は、真の実際的なからだの生活であり、それは召会生活の中で表現されます(ローマ5:17,21.12:5-8)。ローマ第12章から第13章のからだの生活を生きることのそれぞれの項目は、わたしたちが神聖な命によって統治されて、主に生きることを必要とします(参照、Ⅱコリント5:14-15)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちはキリストの中で一つからだであり、各自は互いに肢体であることを感謝します。わたしたちが神聖な命によって統治されて、実際的なからだの生活をすることができますように。

 

 

わたしたちは命の中で王として支配するとき、造り変えられ、神のみこころをわきまえます

 

 ローマ人への手紙第12章から第13章で述べられているすべての項目は、からだの生活をするためです。それぞれの項目は、わたしたちが神聖な命によって統治されることを必要とします。これらすべての項目は小さい事ですが、わたしたちが神聖な命によって統治されるときはじめて、それらを行なうことができます。わたしたちの体を生きた犠牲としてささげることは(12:1)、命の中で王として支配する事柄です。…… 

 

 わたしたちは命の中で王として支配するとき、この時代にかたどられないで、思いが新しくされることによって造り変えられ、何が神のみこころであるかをわきまえます(2節)。わたしたちは神聖な命によって制御されるとき、必ず、神がそれぞれに割り当てられた信仰の度量にしたがって、冷静な思いで思います(3節後半)。わたしたちが自分自身について思うことは、野生の馬のようです。しかし命の中で王として支配することによって、わたしたちの思うことが制御されます。(リー全集、1994-1997

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第8日

(7月訓練 第8週3日)

 

神の全体的な救いの目標は、わたしたちが命の中で王として支配することです

 

ローマ8:37-39

しかし、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります。なぜなら、死も、命も、天使たちも、支配たちも、現在の事柄も、来たるべき事柄も、力も、高いものも、深いものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないと、わたしは確信するからです。

    

 「ローマ第5章の命の中で王として支配することは、ローマ第6章から第16章にあるすべてのことのかぎです。わたしたちはこの光の中で、ローマ第6章から第16章にあるすべてのことを見る必要があります。これらの章で述べられているすべての事柄は、わたしたちの努力の結果ではなく、わたしたちがあふれるばかりの恵みを受けた結果です(ローマ5:21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちはキリスト・イエスにある神の愛を感謝します。わたしたちがあふれるばかりの恵みを受けて、命の中で王として支配する経験の中へと入ることができますように。

 

 

命の中で王として支配することは、神の有機的な救いの満ち満ちた経験です

 

 わたしたちは命の中で王として支配するなら、ローマ人への手紙第6章から第16章で提示されているすべての事柄の中にいます。わたしたちは命の中で王として支配しているとき、わたしたちの性情における聖別のために、神の聖なる性質で浸透され飽和されつつあり、わたしたちのミングリングされた霊は思いの中へと拡大して思いを新しくします。……

 

 命の中で王として支配することは、神の有機的な救いの満ち満ちた経験です。神の全体的な救いは、わたしたちが恵みと義を受けることを通してであり、この全体的な救いの結果は、神の全体的な救いの目標として、わたしたちが命の中で王として支配することです。ローマ人への手紙第5章の命の中で王として支配することは、本書の残りを開くかぎです。わたしたちはこの光の中で、ローマ人への手紙第6章から第16章のすべてのものを見る必要があります。これは完全に、ローマ人への手紙を解釈する新しい方法です。(リー全集、1994-1997年、第5巻(下)、「ローマ人への手紙における神の全体的な救いの結晶の学び」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第7日

(7月訓練 第8週2日)

 

命の中で王として支配することは、神聖な命の統治の下にいることです

 

ヨハネ3:5

……人は水と霊から生まれなければ、神の王国に入ることはできない。

 

ローマ5:21

それは、罪が死の中で王として支配したように、恵みもまた義を通して王として支配し、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に至るためです

 

「わたしたちは、命の中で王として支配することの経験の中へと入る必要があります(ローマ5:17,21)。経験において、命の中で王として支配することは、神聖な命の統治の下にいることを意味します(マタイ8:9)。パウロは、彼の生活と務めにおいて、神聖な命の統治の下にいた者の模範です(Ⅱコリント2:12-14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたは御父の神聖な命の統治の下にいて、命の中で王として支配されました。主よ、わたしたちもあなたに従順になり服従して、生活の中で神聖な命の統治の下にいることができますように。

 

 

エホバの王としての支配は、モーセの服従から出て来ました

 

 民数記第16章で、コラとダタンとアビラムがモーセとアロンに逆らって立ち上がった時、モーセはひれ伏しました(4節)。ひれ伏すことで、モーセはエホバに服従しました。モーセの服従のゆえに、エホバは入って来て、その事態を対処することができました(23-24、31-35節)。モーセが治め、王として支配しているように見えました。実際は、エホバが王として支配しておられたのです。エホバの王としての支配は、モーセの服従から出て来ました。確かにモーセは神に服した時、しるし的に言えば、あふれるばかりの恵みを享受しました。あふれるばかりの恵みは、ほかでもないキリストの享受の豊満です。

 

 わたしたちが主人に服従することは、主人が入って来て反逆者たちを支配するようにさせるでしょう。反逆者たちにとって、それは一種の支配です。しかし服従する者たちにとっては、それはあふれるばかりの恵みの享受です。(「ローマ人への手紙において啓示されたキリストの命における救い」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第6日

(7月訓練 第8週1日)

 

あふれるばかりの恵みと義の賜物によって、命の中で王として支配します

 

ローマ5:17

もし一人の違犯によって、死が一人を通して王として支配したなら、あふれるばかりの恵みとあふれるばかりの義の賜物を受ける者たちは、さらにいっそう一人の方、イエス・キリストを通して、命の中で王として支配します。

 

「神の全体的な救いは、わたしたちがあふれるばかりの恵みとあふれるばかりの義の賜物によって、命の中で王として支配することです(ローマ5:17,21)。命の中で王として支配することは、神の有機的な救いの満ち満ちた経験です(ローマ5:10,17,21)。命の中で王として支配するとは、サタン、この世、罪、肉、自分自身、すべての環境の境遇に打ち勝ち、それらを征服し、支配することです(ローマ8:2,35-37)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの法理的な贖いによって、あふれるばかりの義の賜物を受けていることを感謝します。さらに、わたしたちがあふれるばかりの恵みを通して神聖な命の中で、キリストと共に王として支配することができますように。

 

 

命の中で王として支配することは、神の有機的な救いの満ち満ちた経験です

 

 わたしたちはキリストの死を通して贖われ、義とされ、神に和解させられました。これは法理的な面についてです。しかしながら、ローマ人への手紙は、神の救いには法理的な面があるだけでなく、有機的な面もあることを見せています。有機的な救いはローマ人への手紙第5章10節で言及されています……今日わたしたちは神の有機的な救いの過程を経過して、彼の命の中で救われつつあります。……

 

[ローマ人への手紙第5章17節の]あふれるばかりの義の賜物は法理的な贖いを指し、あふれるばかりの恵みは手順を経た三一の神です。わたしたちが受けた命は……わたしたちがすべての事柄を、王として支配することができるようにします。……わたしたちは客観的に義を受けましたが、なおも継続的にあふれるばかりの恵み(究極的に完成された霊としての手順を経た三一の神)を受けて、主観的に命の中で王として支配する必要があります。(リー全集、1994-1997年、第5巻(下)、「神の有機的な救いを経験することは、キリストの命の中で王として支配することと等しい」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第4日
(7月訓練 第7週6日)
同形化は、神聖な命における円熟です
ローマ8:23,30
……その霊の初穂を持つわたしたち自身も、自らの内でうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです。…… そして神はあらかじめ定めた者たちを、さらに召し、そして召した者たちを、さらに義とし、そして義とした者たちを、さらに栄光化されました。
「建造は、神聖な命の中で共に結合され組み合わされることです。神の建造は、信者たちの上での造り変える霊の働きによって、共に結合され組み合わされることを通してもたらされます(エペソ4:16)。同形化は、神聖な命における円熟です。同形化は、神聖な命における信者たちの再生、養い、聖別、更新、造り変えの究極的完成です(ローマ8:28-29)」。 
 
 主イエスよ、あなたを愛します。神の願いは、わたしたちが神の長子のかたちに同形化されることです。主よ、わたしたちにご自身の命と性質をもって浸透してください。そして内側から神の栄光をもって浸透して、栄光化へと至らせてください。
栄光化は、神の長子の栄光がわたしたちの内側から現れ出たものです
 神の長子のかたちに同形化されるとは、信者たちが神・人として命の中で完全に成長することです。これはキリストの復活の力を通して、すべての事でキリストの死に同形化されることであり(ピリピ3:10)、イエス・キリスト(すなわち神・人)の霊の満ちあふれる供給を通して、キリストを生き、キリストを大きく表現することです(1:19-21前半)。これは神・人であるキリストの複写となることであり、それはわたしたちが彼、すなわち神の長子に完全に似るためです(Ⅰヨハネ3:2)。
 栄光化されるとは栄光の中へと入ることです。再生、牧養、性情の聖別、更新、造り変え、建造、神の長子のかたちへの同形化を経過した後、信者たちは円熟し、携え上げられるように資格づけられ、ただ主の来臨を待っています。……栄光化は、信者たちがキリストの命の中で成長し円熟して、彼らからキリストの栄光を広げることです。……栄光化は、神の長子の栄光がわたしたちの内側から現れ出たものです。……それはまた、わたしたちが栄光の中へと入ることです(へブル2:10.Ⅰペテロ5:10.Ⅰテサロニケ2:12)。(リー全集、1994年―1997年、第3巻(下)、「神の救いの有機的な面」、第4、5編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

11月の祈り第3日

(7月訓練 第7週5日)

 

更新は神の新創造の過程であり、再生の洗いの継続です

 

テトス3:5

彼はわたしたちを救ってくださいました.それは、わたしたちが行なった義のわざによってではなく、彼のあわれみによってであり、再生の洗いと聖霊の更新を通してです。

 

ローマ12:2

またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.……

 

 更新は、神の新創造の過程です。更新は、再生の洗いの継続であり、聖別の進行する過程に基づいており、信者たちを新しくします。更新は以下のことによって遂行されます。更新する霊と、キリストが内住している信者たちの再生された霊はミングリングして一つ霊となり、信者たちの思いの中へと拡大して、彼らの全存在を新しい人の肢体として更新することによってです(テトス3:5.エペソ4:23)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは主権をもって環境を案配してくださることを感謝します。主よ、わたしたちが日々、再生の洗いと聖霊の更新を経験することができますように。また、思いが新しくされることによって、 わたしたちを造り変えてください。

 

 

造り変えは、最終的にわたしたちをキリストの栄光のかたちへと造り変えます

 

 更新は、信者たちを環境上の苦難によって朽ちさせることを通して起こります(Ⅱコリント4:16)。……神はわたしたちの環境を案配して、少しずつ、そして日ごとに、わたしたちの外なる人が消耗していき、内なる人が新しくされるようにします。信者たちは徹底的に、また絶対的に更新されなければなりません。それは、彼らが実際的に神の真の新創造、また神のための真の新創造となるためです(ガラテヤ6:15)。……

 

 造り変えは一種の新陳代謝であり、キリストの神聖な命の要素を信者たちの存在の中へと加えることにより、外側でキリストのかたちにおいて表現されます。……造り変えは内側の新陳代謝の事柄であり、その結果、外側の表現になります。 造り変えは主なる霊(霊なるキリスト)によって完成され、信者たちをキリストの栄光のかたちへと造り変えます(Ⅱコリント3:18)。造り変えに含まれる新陳代謝は、最終的にわたしたちをキリストの栄光のかたちへと造り変えます。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「神の有機的な救いの秘訣――『その霊ご自身わたしたちの霊と共に』」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第2日

(7月訓練 第7週4日)

 

新しい信者たちを、その霊である言葉の乳をもって養います

 

Ⅰペテロ2:2

生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。

 

ヘブル5:14

しかし、成人した者たちのためには、固い食物があります.彼らの機能は、習慣的に訓練されて、善悪を識別することができるのです。

 

「牧養するときの養いは、神聖な命で養うことです。養いは再生の継続であって、それはキリストが養いはぐくむことによって彼の群れを牧養することを通してです。それは、彼の羊たちが神聖な命において成長して、円熟へと至るためです(エペソ5:29.ヨハネ10:10-11, 14-16.21:15-17.ヘブル13:20.Ⅰペテロ5:4.2:25)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは良い牧者であり、わたしたちが命を得、しかも豊かに得るために来てくださったことを感謝します。わたしたちが言葉の乳を切に慕い求め、成長して救いへと至ることができますように。また、固い言葉で養われ、神聖な命において成長して、円熟へと至りますように。

 

 

成長している信者たちを、命の霊である固い言葉をもって養います

 

 わたしたちが生まれたばかりの赤子、新しい信者たちを養うのは、その霊である言葉の乳をもって(ヨハネ6:63.エペソ6:17)、彼らが神聖な命において成長し、彼らの日ごとの救いへと至るためです……言葉が命であるという事実は[ヨハネ6:63]、それが養う乳を含んでいることを暗示します。……わたしたちが言葉の乳で養いを得るのは、「成長して救いへと至る」ためです[Ⅰペテロ2:2]。この救いは、わたしたちがすでに持っている永遠の救いではなく、日ごとの救いです。

 

 初期の養いに続いて、継続的な養いがあります。継続的な養いは、成長している信者たちを、命の霊である固い言葉をもって(ヘブル5:14)養うことです。それは、彼らが神聖な命において円熟し、造り変えとキリストのかたちへの同形化へと至るためです。まず、母親は赤子を乳で養いますが、子供が成長していくと、固い食物で養います。原則は成長していく信者たちを養うことでも同じです。聖書のある部分は固い食物です。……もしわたしたちが乳を飲むだけであるなら、円熟することはできません。円熟するためには、固い食物を必要とします。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「神の有機的な救いの秘訣――『その霊ご自身わたしたちの霊と共に』」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り第1日

(7月訓練 第7週3日)

 

再生は神の救いの有機的な面の開始です

 

Ⅰペテロ1:23

あなたがたが再生されたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、生きていて存続する、神の言によるのです。

 

ヨハネ1:12-13

しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は……神から生まれたのである。

 

「再生は、神の全体的な救いの中心であり、神の救いの有機的な面の開始です。再生は、神聖な命の増殖です。それは、神の命を信者たちの中へと分け与えて、贖われた信者たちを彼らの霊の中で、神の霊を通して再生し、再創造することによってです(ヨハネ3:6後半)。再生を通して、信者たちは天然の命、人の命に加えて、神の永遠の神聖な命を持ちます(ヨハネ3:15, 36)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが神の命の言葉を通して再生されたことを感謝します。また、わたしたちは再生されて、神の子供たちとなる権威を与えられたことを感謝します。わたしたちは人の命に加えて、神の永遠の神聖な命にあずかっていることを感謝します。

 

 

再生を通して人は天然の命、人の命に加えて、神の永遠の神聖な命を持ちます

 

 ペテロの第一の手紙第1章23節は……再生が神の命の言葉を通してであることを見せています。再生された大部分の人たちは、神の言葉を通して再生されました。神の言葉が「遺伝子」のようにわたしたちの中へと入り、わたしたちの中で活動しました。このようにしてわたしたちは再生されました。

 

 ヨハネによる福音書第1章12節から13節は……再生される方法が、主イエスの中へと信じることによって、彼を受け入れることであることを見せています。彼は神からの言であり(1節)、神からの光でもあります(9節)。わたしたちは彼を受け入れるとき、神の子供たちとなる権威を持ちます。この権威はほかでもなく、神の命です。神はわたしたちの権威として彼の命を与えて、わたしたちが神の子供たちとなるようにされました。ですから、わたしたちは…… 神によって生まれたのです。これが再生であり、それは大きな事柄です。…… その霊としての神ご自身がわたしたちの霊の中へと入って来て、わたしたちを生かされます。言い換えれば、わたしたちは霊の中で、神の霊によって再生され、生かされるのです。これが再生です。(リー全集、1994年―1997年、第3巻(下)、「神の救いの有機的な面」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)