朝ごとの食物

6月の祈り 第30日

第1週5日

 

自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい

 

マタイ16:24-25

……イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいなら、自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい。なぜなら、すべて自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、すべてわたしのために自分の魂の命を失う者はそれを見いだすからである。

 

「真の召会生活を実際化する道は、キリストをわたしたちのすべてとして経験することです(コロサイ1:27.2:17.3:1, 4, 10-11, 15)。17)。真の召会生活は、キリストを真に内側で享受することから来ます(エペソ3:17前半)。キリストがわたしたちの内側の存在の中へと発展することの結果が、真の召会生活です(エペソ4:13, 15-16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストをわたしたちのすべてとして経験し、自分の十字架を負い、キリストについて行くことができますように。主よ、わたしたちが召会生活のために自己、魂の命、天然の命を否んで、わたしたちの霊の中で主に従うことができますように。

 

 

召会は天然の命ではなく、霊的な命をもって建造されます

 

 わたしたちが主に従おうとするなら、自己を否み、放棄しなければならないと、主はわたしたちに告げられました(マタイ16:24)。わたしたちの内側には、聖書が自己と呼ぶ天然の魂の命があります。そしてこの自己の内側には、サタンの「足」があります。サタンはそこにいます。あなたが自己を顧み、自己に同情し、自己のために何かを行ない、自己に同調するときはいつでも、あなたはサタンの手の下にあります。そのような場合、召会生活を持つことは不可能です。これは、自己、魂の命、天然の命が召会生活に反するからです。

 

 わたしたちは、召会が天然の命をもって建造されるのではなく、霊的な命をもって建造され、魂によってではなく、霊によって建造されることをはっきりしておかなければなりません。…… 真の召会生活が、キリストの命であることを見ることは重要なことです。それは、わたしたちによって実際化され、経験され、享受され、表現されたキリストです。(リー全集、1963年、第2巻(上)、「主日の朝のメッセージ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第29日

第1週4日

 

キリストの計り知れない豊富を食べて経験して、キリストの豊満となります

 

エペソ3:8

すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、異邦人に福音として宣べ伝えるためであり。

 

 「真の召会生活は、キリストの生活、すなわちキリストご自身です(コロサイ3:4.ヨハネ11:25)。真の召会生活は、教えや教理の事柄ではありません。真の召会生活は、わたしたちがキリストを実際化し、経験し、享受し、表現し、展覧する生活です(ピリピ3:10)。真の召会生活は、わたしたちの日常生活でキリストを経験することによってのみ、実際化されることができます(ローマ8:9-11, 17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。召会生活を愛します。主よ、わたしたちの日常生活の中でキリストの計り知れない豊富を経験させてください。そして、召会がキリストの豊満となりますように。主よ、わたしたちが真の、正常な、享受に満ちた召会生活を持つことができますように。

 

 

キリストを経験すればするほど、真の召会生活があるようになります

 

 わたしたちは、キリストの豊富とキリストの豊満の違いを理解する必要があります。キリストの豊富は、キリストが何であるかのすべての項目です。例えば、光、命、道、小羊、門、牧場、牧者、贖い主、救い主、大いなる「わたしはある」などです。……キリストの豊満は、キリストのからだとしての召会です。キリストはかしらであり、からだはかしらの豊満です。からだはかしらに符合しなければなりません。キリストは宇宙的に大きいので、ご自身を彼の豊満として表現するために、彼のからだとしての召会を必要とします。

 

 すべての聖徒たちがキリストを彼らの愛、忍耐、謙そん、またすべてとして経験し、享受するとき、この享受は自然にキリストの豊満としての召会生活を生じさせます。 ……わたしたちがキリストを経験すればするほど、ますます真の召会生活があるようになります。わたしたちは真の、正常な、ふさわしい召会生活を持つために、キリストの豊富の完全な経験を持たなければなりません。(リー全集、1968年、第1巻(上)、「ノースカロライナ州ハイポイントにおいて与えられたメッセージ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第28日

第1週3日

 

キリストご自身に連れ戻されて、真の召会生活をします

 

ピリピ3:13-15

……一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。……

 

「わたしたちがキリストご自身に連れ戻される結果は、真の召会生活です(Ⅰコリント1:2.12:27.ローマ16:1, 4-5, 16, 20)。真の召会生活は、すべての聖徒が団体的な方法で、キリストを実際化し、経験し、表現することです(エペソ3:16-21)。召会生活は、わたしたちが、計り知れない豊富を伴うすべてを含むキリストを経験し享受し、またわたしたちを通して表現することにほかなりません(8, 21節)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちがキリストご自身に連れ戻されたことを感謝します。主よ、召会生活において、すべてを含むキリストを経験し、享受させてください。わたしたちの日常生活において、キリストがわたしたちの中で、わたしたちを通して行動してくださいますように。

 

 

日常生活において、キリストの真の経験を回復する

 

 主がわたしたちの目を開いて、わたしたちが必要とするのは善良であることではなく、キリストをわたしたちの命、またすべてとして持つことであることを見せてくださいますように。わたしたちは、邪悪な事柄から良い事柄にではなく、命としてのキリストによって生きないことから、命としてのキリストによって生きることへと向きを変える必要があります。わたしたちは、天のビジョンを見る必要があります。それは、神の意図がキリストをわたしたちのすべてとするということです。……

 

 この終わりの日々に、主が彼の回復の中で回復されている主要な項目は、キリストの真の経験です。主が気にかけておられるのは、おもにさまざまな形式、教理を回復することではありません。むしろ、生ける方として彼は、わたしたちの日常生活において、わたしたちの命、またすべてとしての彼ご自身の経験を回復されたいのです。(リー全集、1964年、第2巻(上)、「ニューヨークにおいて与えられたさまざまなメッセージ」、第2編

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第27日

第1週2日

 

キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知ります

 

ピリピ3:9-10

……キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、

 

「ピリピ第3章3節から16節において、キリストは信者が追い求めるべき目標として提示されています:パウロは、キリストを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定しました(ピリピ3:8前半)。パウロは、すべての事で損失を被り、それらをちりあくたと勘定しました。それは彼がキリストを獲得するためでした(7節, 8節後半)。パウロの切なる願いは、キリストの中に見いだされることでした(9節)。…… パウロは、キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知ることを切望していました(10節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主イエスよ、キリストを知る知識の卓越性を持たせてください。主よ、わたしたちがキリストの計り知れない豊富すべてを経験し、享受し、所有することができますように。

 

 

キリストの尊さのビジョンを持って、キリストを獲得します

 

 パウロはまだ律法によって生きていた時、律法の中に見いだされました。しかしある日、彼はキリストを知る知識の卓越性を持ち始めました。彼は、キリストが彼のすべて、すなわち愛、親切、へりくだり、知恵、忍耐、意図、態度、彼の言葉、発言、表現でさえなければならないというビジョンを見ました。キリストを知る知識のこの卓越性のゆえに、彼は進んですべての事を損失であると勘定しました。さらに、彼はすべての事で損失を被り、それらをちりあくたと勘定しました。それはキリストを獲得して、彼の中に見いだされるためです。

 

 わたしたちはキリストの尊さのビジョンを持つ必要があります。そして、わたしたちが見たキリストを獲得する必要があります。……キリストを知るとは、ただ彼についての知識を持つことだけでなく、彼のパースンを獲得することです。キリストは、神たる方の豊満の具体化であり(コロサイ2:9)、すべての積極的な事柄の影の実際です(コロサイ2:16-17)。キリストを獲得することは、キリストの計り知れない豊富すべてを経験し、享受し、所有することです(エペソ3:8)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第26日

第1週1日

 

すべてのものから、キリストご自身に連れ戻される必要があります

 

ピリピ3:7-8

しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆえに、損失と勘定するようになりました。……わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します.その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します.それは、わたしがキリストを獲得するためであり、

 

「わたしたち、キリストにある信者また神の子供たちは、すべてのそらすものから自由にされて、キリストご自身に連れ戻される必要があります(エペソ3:8, 14-18.コロサイ3:10-11)。わたしたちは、すべてのそらすものから向きを変えて、キリストに向くとき、キリストご自身に連れ戻されます。それはわたしたちがキリストを認識し、キリストを経験し、キリストを享受し、キリストを表現し、キリストで構成されるためです(ガラテヤ2:20.4:19.ピリピ3:9-10)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが、すべてのものから自由にされて、キリストご自身に連れ戻されますように。そして、キリストを獲得することができますように。主よ、わたしたちがさらにキリストを認識し、経験し、享受することができますように。

 

 

神の救いの目的は、すべてを含むキリストをわたしたちの中へと造り込むことです

 

 神の意図は彼の永遠の定められた御旨であり、それは彼の心の願いから出てきます(エペソ1:9-11.3:9-11)。……わたしたちはすべてを含むキリストの中で、神、人、創造主、被造物、贖い主、贖い、神聖な命、人の命、他の多くの積極的な事柄を持ちます。神の救いの目的がわたしたちを罪から清め、地獄から救い、悲しみから救い出すこと以上のものを含むことを認識している信者は多くありません……

 

 わたしたちは神の意図と神の救いの目的が、すべてを含むキリストをわたしたちの中へと、わたしたちの力、光、導き、健康、知識、知恵、すべてとして造り込むことであることを、決して認識したことがないかもしれません。神が彼のかたちに、器としてわたしたちを創造したのは、……彼をわたしたちの内容として入れるためでした。(リー全集、1964年、第2巻(上)、「ニューヨークにおいて与えられたさまざまなメッセージ」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会 第5週6日)

 

愛は覆い、キリストのからだを建造します

 

Ⅱコリント12:15

しかし、わたしはあなたがたの魂のために、大いに喜んで費やし、自分自身を使い尽くしましょう。わたしはあなたがたを、あふれるばかりに愛すれば愛するほど、ますます愛されなくなるのでしょうか?

 

「パウロがエペソの聖徒たちを牧養したのは、彼らに「公にも、また家から家でも」教えることによってであり(20節)、また三年の間、聖徒たち一人一人を涙をもって訓戒し(31, 19節)、彼らに神のみこころをすべて言い表すことによってでした(27節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、へりくだりと涙をもって聖徒たちに仕えたパウロの模範を感謝します。わたしたちもあなたの愛の中で、他の人たちに仕え、牧養することができますように。

 

 

教えることを伴って牧養することは、真の復興をもたらします

 

 愛は覆い、建造します。ですから、キリストのからだを建造するために、わたしたちが何であっても、何を行なっても、愛が最も卓越した道です。わたしたちがこの牧養する負担を受け入れることによって、わたしたちの間に真の復興があるようになることを、わたしは望みます。すべての召会がこの教えを受け入れ、キリストのすばらしい牧養にあずかるなら、回復の中に大きな復興があるようになります。

 

 過去、わたしたちは多く語り教えて、牧養することはほとんどありませんでした。牧養することと教えることは、わたしたちが主と共に行動するための二本の足のようであるべきです。わたしたちの牧養することは、常に教えることを伴っているべきであり、わたしたちの教えることは、常に牧養することを伴っているべきです。(リー全集、1994年-1997年、第5巻(上)、「バイタルグループ」、第4、8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第23日

朝ごとの食物 国際華語特別集会 第5週5日)

 

わたしの小羊を養いなさい

 

ヨハネ21:15

彼らが朝食を済ませた時、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこれら以上にわたしを愛するか?」。ペテロは彼に言った、「はい、主よ.わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの小羊を養いなさい」。

 

「わたしたちは主イエスの務めの模範にしたがって人々を牧養して、神の永遠のエコノミーを完成する必要があります(マタイ9:36.ヨハネ10:11.ヘブル13:20.Ⅰペテロ5:4)。わたしたちが御父の愛し赦す心と、救い主の牧養し捜し求める霊を持っていないことが、わたしたちが実を結ばないことの原因です(ルカ15:1-24)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが御父の愛し赦す心と、救い主の牧養し捜し求める霊を持つことができますように。わたしたちが、ただ一人の人を得られた主の模範から学ぶことができますように。

 

 

主の願いは、福音を宣べ伝えて一人の人を得ることです

 

 福音の宣べ伝えは、罪人に対する最高の牧養です。……福音を宣べ伝えた最初の方であるキリストは、牧養することによって彼の務めを遂行されました。彼はエリコに行って一人の人、取税人のかしらを訪問されました(ルカ19:1-10)。……主の願いは、福音を宣べ伝えて一人の人を得ることであり、主の宣べ伝えは牧養することでした。

 

 ヨハネによる福音書第4章は、主がガリラヤに行かれる途中、「彼はサマリアを通過しなければならなかった」と言っています(4節)。主が主要道路からヤコブの井戸に近いスカルへ迂回されたのは、以前に五人の夫を持っていた罪深いサマリア人の女を訪れるためでした。主は彼女がヤコブの井戸に来ることを、あらかじめ知っておられました。ヤコブの井戸はキリストの予表であり、彼は水の源泉であり、湧き上がって永遠の命へと至ります(14節後半)。わたしたちは、ことさらスカルに迂回して、ただ一人の人を得られた主の模範から学ばなければなりません。三年を費やして一人の人を得ることは価値があります。あなたが三年を費やして一人の人を継続的に訪問するなら、その人を得るでしょう。(リー全集、1994年-1997年、第5巻(上)、「バイタルグループ」、第7、11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第5週4日)

 

四つの項目を通して、日ごとに更新されます

 

テトス3:5

彼はわたしたちを救ってくださいました.それは、…… 彼のあわれみによってであり、再生の洗いと聖霊の更新を通してです。

 

エペソ5:26

それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり。

 

 「わたしたちは四つの項目を通して日ごとに更新されます。それは、十字架(Ⅱコリント4:10-12, 16-18)、聖霊(その聖霊によってわたしたちは神聖な命をもって改修され、造り直され、改造されます…テトス3:5)、わたしたちのミングリングされた霊(エペソ4:23)、神の聖なる御言葉です(5:26)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが更新されるための四つの備えを感謝します。主よ、わたしたちが十字架、聖霊、ミングリングされた霊、聖なる御言葉によって、日々、更新を受けることができますように。

 

 

わたしたちはその霊の供給を日ごとに受け、新陳代謝的に更新されます

 

 神はわたしたちが更新を受けるように助ける最上の備えを持っておられます。① 最初の備えは、十字架、すなわち、イエスの致死力です。パウロは常に十字架、主の死の殺しの下にいました(Ⅱコリント4:10)。② 第二の備えは聖霊です。……わたしたちの内側には聖霊があります。聖霊の主要な働きは、まずわたしたちを再生し、それからわたしたちを毎日、更新することです[参照、テトス3:5]。わたしたちは、その霊の新しい供給を日ごとに受け、それは新陳代謝的にわたしたちを更新します。……

 

 ③ 第三の備えは、わたしたちのミングリングされた霊、すなわち、神聖な霊とミングリングされたわたしたちの人の霊です。わたしたちの人の霊の中で、聖霊が住み、働き、わたしたちを更新しておられます。エペソ人への手紙第4章23節は、わたしたちが、わたしたちの思いの霊の中で新しくされる必要があると言います。わたしたちの霊は、わたしたちが更新を受ける所です。…… 十字架、聖霊、わたしたちの霊に加えて、④ 聖なる御言葉があります。からだのかしらは、言葉の中の水の洗いによって、召会、彼のからだを清めます(エペソ5:26)。……言葉の中には、わたしたちを洗う水があります。「洗い」は、「更新」の同義語です。これら四つの項目、すなわち、十字架、聖霊、わたしたちのミングリングされた霊、聖なる御言葉によって、わたしたちは更新を受けることができます。(「日ごとに新しくされる」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第5週3日)

 

クリスチャン生活は祭壇と天幕の生活です

 

創12:7-8

エホバは、アブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫に、この地を与える」。アブラムは、彼に現れたエホバのため、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東の山に進んで……そして彼はエホバのため、そこに祭壇を築いて、エホバの御名を呼び求めた。

 

「わたしたちは祭壇と天幕の生活をする人でなければなりません(創12:7-8.13:3-4,18)。神がわたしたちに現れることは、わたしたちの献身を生み出し、わたしたちに祭壇を築かせます。祭壇は、わたしたちであるすべてとわたしたちが持っているすべてを、神の定められた御旨のために神にささげることによって、神を礼拝するためです。(創8:20-21前半.出29:18-22)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが自分を祭壇にささげることができたのは、あなたがわたしたちに出会ってくださったからです。主よ、さらにわたしたちに現れてください。そして、わたしたちの献身が更新されて、祭壇と天幕の生活をする人となりますように。

 

 

人が神に出会うとき、命の中で自然に献身が起こります

 

 クリスチャン生活は祭壇と天幕の生活です。祭壇は神に対してであり、天幕はこの世に対してです。神はご自身の子供たちがご自身の臨在において祭壇を持ち、地上で天幕を持つことを要求しておられます。……祭壇と天幕は相互に関係があり、二つは分離することができません。創世記第12章7節[において]、わたしたちは祭壇が神の現れに基づいていることを見ます。……だれでもまず神に出会うのでなければ、人は神に自分をささげることができません。……だれでも神が人に現れることがなければ、自分のすべてを神にささげることはできません。

 

 献身は人の勧めや説得によるものでなく、それは神が現れることの結果です。まず神が人に現れないのに、だれも自発的に自分のすべてを祭壇にささげることはできません。……人が神に出会うとき、命の中で自然に献身が起こります。もしあなたが一度でも神を見たなら、また一度でも神に触れたなら、あなたはもはや自分自身のものではありません。神は軽々しく触れることができる方ではありません! いったん人が神に触れるなら、もはや彼は自分自身のために生きることができません。(ニー全集、第37巻、第16編、「祭壇と天幕の生活」)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第5週2日)

 

わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます

 

Ⅱコリント4:16

こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。

 

箴4:18

しかし、義人の路は夜明けの光のようだ.いよいよ輝きを増して真昼となる。

 

「わたしたちは、朝ごとにキリストがわたしたちの罪のためのささげ物であることに基づいて、彼をわたしたちの全焼のささげ物と平安のささげ物としてささげるべきです。それによってわたしたちは新しい開始を持ちます。わたしたちはこのことを毎日、甘さと深さをもってそれを行なわなければなりません(レビ6:12-13)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが毎朝、早く起きて、主との交わりを持つことができますように。そして、甘さと深さをもって、主を全焼のささげ物と平安のささげ物としてささげることができますように。

 

 

朝ごとに主を全焼のささげ物としてささげて、新しい開始を持ちます

 

 更新は毎朝早く起こります。わたしはこの事柄がわたしたちの間で適切に実行されることを望みます。…… すべての場所でこの召しのラッパを吹き、すべての聖徒たちを呼び覚まし、早く寝て、早く起きるようにすべきです。わたしたちは起きてすぐ、主との良い接触を持つべきです。わたしたちがどれほど忙しくても、他の事柄がどれほど重要でも、主との接触を持つまで、それらをわきに置かなければなりません。……

 

 レビ記第6章12節は言います、「祭司は朝ごとに薪をその[祭壇の]上で燃やし、全焼のささげ物をその上に並べ……」。これは、キリストがわたしたちの罪のためのささげ物であることに基づいて、わたしたちが朝ごとに彼を全焼のささげ物としてささげるべきであることを示しています。それによってわたしたちは新しい開始を持ちます。わたしたちはこのことを毎日行なわなければならないだけでなく、また、甘さと深さをもってそれを行なわなければなりません。朝の十五分間はおもに祈りや供給のためではなく、むしろ主との直接の接触のためです。それによってわたしたちは彼に語り、彼はわたしたちに語ります。(「時機を得たラッパと現在の必要」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第5週1日)

 

わたしたちは朝早く主を享受して、日ごとに新しい開始を持ちます

 

エペソ4:12,16

それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり。……からだ全体は……からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「わたしたちは主の来臨のために自分自身の用意を整えるために、復興の生活、すなわち、日ごとに更新される生活をすることによって、わたしたちの勝利を維持する必要があります(Ⅱコリント4:16-18)。この更新は朝ごとに新鮮にされなければなりません(マタイ13:43.ルカ1:78-79.箴4:18.士5:31)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを朝ごとに新鮮にし、日ごとに更新してください。主よ、わたしたちが朝早く主を享受して、日ごとに新しい開始を持つことができますように。そして、わたしたちが時間を贖って人々に接触し、聖徒たちを顧みることができますように。

 

 

わたしたちの時間をささげて人々と接触し牧養すること]を回復する必要があります

 

 もしあなたが主のための心を持っているなら、今からあなたは日々復興し、勝利の生活をし、すべてを主のためにささげ、奮闘してすべての時間を贖って人々に接触すべきです。一人一人聖徒たちを顧みなさい。一度に多くの人と接触することを望まないでください。最も効果的なのは遅くても、確実な方法です。……

 

 今わたしたちはこの事柄[すなわち、わたしたちのすべてとわたしたちの時間をささげて人々と接触し牧養すること]を回復する必要があります。これによってはじめてエペソ人への手紙第4章12節から16節にあるキリストのからだの有機的な建造と、コリント人への第一の手紙第14章26節にある相互性の集会がわたしたちの間で実現され、実行されます。このために、わたしたちは日ごとの復興と日ごとの勝利を基礎として必要とします。わたしたちはまた勝利を維持するために、主の愛から流れ出た生活と働きを必要とします。もしわたしたちが復興の生活をしないで、牧養することで労苦しないなら、長い期間、勝利し続けることはなく、勝利を維持する道はないでしょう。わたしたちを勝利の中に維持するものは、主に対する生活と働きです。わたしたちはこれらの両面を必要とします。(「時機を得たラッパと現在の必要」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週6日)

 

忠信で思慮深い奴隷は、支配する権威を褒賞として与えられます

 

Ⅱコリント6:14

未信者と不釣り合いなくびきを負ってはなりません。義と不法とに何のかかわりがあるでしょうか? 光と暗やみとに何の交わりがあるでしょうか?

 

「王国の実現において、忠信で思慮深い奴隷は、支配する権威を褒賞として与えられます。しかし、邪悪な奴隷は、栄光のキリストから、彼の王国の栄光から、彼の王国にある彼の栄光の臨在から断ち切られます(マタイ24:47, 51)。王国の実現から断ち切られることは、外の暗やみに放り出されることです。そこでは、泣き叫んだり歯がみしたりします」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを忠信で思慮深い奴隷として、あなたに仕える者にしてください。主よ、わたしたちがこの世を愛してこの世に入って行くことから守られて、分別のある者となることができますように。

 

 

邪悪な奴隷は、栄光のキリストから、彼の王国の栄光の臨在から断ち切られます

 

 主の委託にそれほど忠信でない怠惰なしもべは、主がすぐには戻って来ない、彼が来るのは遅れていると弁解します(マタイ24:48)。…… 忠信である方法は、主の言葉をまき散らすことです。主の言葉は、あらゆる飢えた者にとって食物です。主の家庭は信者だけでなく罪人からも成っています。飢えた罪深い人たちを養うために、だれが行くでしょうか? わたしたちはみな「わたしです!」と言わなければなりません。わたしたちは行かなければなりません。……わたしたちは神の御言を広めることができるために、すべての事を行なわなければなりません。……

 

 また、主のあわれみと主の恵みを通して、わたしたちは最善を尽くして、奴隷仲間、信者仲間を打ちたたかないようにしなければなりません。彼らについて批判したり、つぶやいたりしてはなりません。彼らについて否定的なことを語らないでください。…… あなたの口は、批判するために造られたのではなく、キリストを語り出すために造られたのです。兄弟たちを批判することは、奴隷仲間を打ちたたくことです。このようにすれば罰せられます。わたしたちは、無感覚になって、麻ひさせられ、この世的な人々と共に楽しむためにこの世に入るべきではありません。わたしたちは分別のある者とならなければなりません。(「主の現在の動きを実行する方法」、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週5日)

 

主イエス・キリストが来られるのを、熱心に待ち望んでいます

 

Ⅱテモテ4:8

今からは、義の冠がわたしのために用意されているのです.かの日には、義なる審判者である主が、それをわたしに授けてくださいます.わたしだけではなく、主の出現を慕ってきたすべての人にも授けてくださいます。

 

ピリピ3:20

しかし、わたしたちの国籍は天にあります.そこから救い主、主イエス・キリストが来られるのを、わたしたちは熱心に待ち望んでいるのです。

 

「わたしたちは、わたしたちの信者仲間を裁いたり罪定めしたりすべきではなく、彼らに対して親切であり、情け深くあり、神がキリストにあってわたしたちを赦してくださったように、彼らを赦すべきです(ルカ6:37.エペソ4:31-32)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、 神がキリストにあってわたしたちを赦してくださったように、わたしたちも他の人を赦すことができますように。主よ、わたしたちが良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通すことができますように。

 

 

パウロは良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました

 

 テモテへの第二の手紙第4章1節で、パウロはテモテに言いました、「わたしは神の御前と、生きている者と死んだ者を裁かれるキリスト・イエスの御前で、彼の出現と彼の王国によって、厳かにあなたに命じます」。これはパウロが殉教する直前の勧めです。彼は、良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通した、裁きの座で義の冠が自分に授けられ、主の出現を愛してきたすべての人にも授けてくださると言いました(6-8節)。彼は主の裁きと王国によって、テモテに思い起こさせ、わたしたちにも思い起こさせて、わたしたちが主の出現を愛する生活をすべきであると言います。

 

 このことによってわたしたちは、落胆せず、後退せず、弱くならず、最後まで忠信であり続けることができます。……  わたしたちは自分の心を守り、主に心を完全に占有していただくべきです。それは、わたしたちは勝利を得て、これらの起ころうとしているすべての事から逃れ、人の子の前に立つことができるようになるためです(ルカ21:34-36.参照、啓12:5-6、14)。(「神の定められた最新の道とキリストの再臨のしるし」、第7章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週4日)

 

わたしたちは今日、主の出現、主の臨在を愛する必要があります

 

マタイ24:48-51

しかし、その邪悪な奴隷が心の中で、「わたしの主人は来るのが遅れる」と言い、奴隷仲間を打ちたたき始め、酔っ払いどもと食べたり飲んだりするなら、その奴隷の主人は、思いがけない日、知らない時に来て、彼を断ち切り、偽善者たちと同じ目に遭わせる。……

 

「わたしたちが心の中で、「わたしの主人は来るのが遅れる」と言うことは、今の邪悪な世を愛し、主の出現を愛さないことです( Ⅱテモテ4:8, 10)。「来る(来臨)」のギリシャ語は、「パルシーア(parousia)」であり、「臨在」を意味します。主の出現、主の来臨を愛するために、わたしたちは今日、主の出現、主の臨在を愛していなければなりません(マタイ24:3, 37.使徒26:16.Ⅱコリント2:10.詩歌389番)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが信者仲間を批評したり、世的な人々との交流を保つことから救ってください。主よ、わたしたちが、主イエスを愛し、主の臨在を愛し、主の出現を愛する者となることができますように。

 

 

外の暗やみに放り出されることは、永遠に滅びることではなく、経綸上懲らしめられることです

 

 [マタイによる福音書第24章48節で]邪悪な奴隷は信者です。なぜなら、彼は主に任命され(45節)、主を「わたしの主人」と呼び、主が来られることを信じているからです。49節は、邪悪な奴隷は奴隷仲間を打ちたたき、酔っ払いどもと食べたり飲んだりすると言っています。奴隷仲間を打ちたたくとは、信者仲間を虐待することであり、酔っ払いどもと食べたり飲んだりするとは、世的な事柄で酔いしれているこの世の人々との交遊を保つことです。……

 

 外の暗やみに放り出される者はだれでも、主から、主の臨在から、主の交わりから、主がおられる栄光の領域から断ち切られます。これは、永遠に滅びることではなく、経綸上懲らしめられることです。……主は偽信者に義務を割り当てられません。確かに邪悪な奴隷は救われた者です。マタイによる福音書、王国の書では、論点は救いではありません。論点は王国です。すなわち、わたしたちが王国に入る褒賞を受けるかどうか、褒賞を失うかどうか、王国の享受を得損なうかどうか、泣き叫んだり歯がみしたりする所で懲らしめと訓練を受けるかどうかです。(「マタイによる福音書ライフスタディ(3)」、第63編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週3日)

 

二人の油の子は、全地の主のそばに立つ者です

 

ゼカリヤ4:12,14

……二本の金の注ぎ口のそばにあって、そこからその金の油を空にする二本のオリブの枝は何ですか?…… 彼は言った、「これらは二人の油の子であり、全地の主のそばに立つ者です」。

 

Ⅱコリント3:6

神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。

 

「わたしたちは、「新鮮な油の子」となって、歓喜の油としての、新鮮な、現在の、究極的に完成された霊で絶えず満たされて、その霊を燭台の中へと流し出し、燭台を輝く証し、すなわちイエスの証しとならせる必要があります(ゼカリヤ4:6, 12-14.ピリピ1:25.啓3:18.マタイ25:9)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを新しい契約の奉仕者としてくださったことを感謝します。主よ、わたしたちが「新鮮な油の子」となって、その霊で絶えず供給され、満たされますように。主よ、召会が金の燭台として輝く証し、イエスの証しとなりますように。

 

 

二人の証し人(油の子)は大患難の中で  イスラエル人と信者たちを強めます

 

[ゼカリヤ書第4章3節で]二本のオリブの木は、当時の大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルを表徴します。彼らは二人の油の子であり、神の宮の再建のために、エホバの霊で満たされていました(3-6、12-14節)。二人の油の子はまた現在の時代の最後の三年半の、二人の証し人です。彼らは大患難の中で神の証し人となり、神の民、すなわちイスラエル人とキリストにある信者たちを強めます(啓11:3-12.12:17)。この二人[の証し人]……モーセとエリヤは、大患難の期間に迫害されるイスラエル人と信者たちを支え、供給します。……

 

 真のクリスチャンとして、わたしたちはオリブの木です。厳密に言って、わたしたちがオリブの木であるのは、個別の枝であるという意味においてではなく、唯一のオリブの木であるキリストの枝であるという意味においてです。枝として、わたしたちは油、すなわち、その霊をもって人を供給し、彼らが生かされるようにする必要があります。主を賛美します、キリストの中で、わたしたちは七倍の霊をもって人を供給するオリブの木です!(「ゼカリヤ書ライフスタディ」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週2日)

 

霊的食物として享受して、他の人たちを養います

 

ピリピ1:25

……その信仰に対するあなたがたの進歩と喜びのために、わたしがここに残り、あなたがたすべてと共に居続けることであり。

 

「主をわたしたちの霊的食物として享受して、他の人たちを養うことができるようになるために、わたしたちはすべての祈りによって、また彼の言葉を思い巡らすことによって、すなわち、多くの再考をもって彼の言葉を声に出して語ることによって、彼の言葉を受け取る必要があります(エペソ6:17-18.詩119:15(参照、フットノート), 48, 148.ヨシュア1:8.レビ11:2-3.エゼキエル3:1-4.コロサイ3:16)」。

  

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがあなたの言葉をすべての祈りによって、また思い巡らすことによって、受け取ることができますように。主よ、わたしたちが主を適切な食物として、必要な人たちに供給することができますように。

 

 

すべての日は、わたしたちが適切な食物をだれかに供給すべき時です

 

 信者たち、諸召会、さらにはすべての罪人があなたの周りにいます。彼らに食物を供給するのはあなたの義務、あなたの責任です。彼らが罪人であるなら、彼らが必要とする食物として、恵みの福音を供給しなければなりません。彼らが何かに病んでいる信者であるなら、彼らを養い、いやし、強め、目覚めさせる状態にふさわしい言葉を、聖書から供給する必要があります。これを行なうことは、忠信で思慮深い奴隷となって、応じるべき時に、適切な食物を、あらゆる種類の人々である主の財産に供給することです。あなたは職場に入る時、これが未信者たちに福音の適切な食物を供給する応じるべき時の一つであることを、認識しなければなりません。

 

 あなたが学校に行く時、……あなたの周りのすべてのクラスメートは、あなたに渡された主の財産です。それは、あなたが機会、すなわち応じるべき時を取って、彼らに福音を供給するためです。すべての日は、わたしたちが適切な食物をだれかに供給する応じるべき時です。……わたしたちはみな立ち上がり、目を覚まして、勤勉で、忠信で、思慮深くなって、愚かにならず、応じるべき時に、適切な食物を必要な人たちに供給しなければなりません。(「主の現在の動きを実行する方法」、第8章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第4週1日)

 

忠信で思慮深い奴隷となる

 

マタイ24:45-47

そこで、主人が家族の上に任命して、時に応じて彼らに食物を与える忠信で思慮深い奴隷は、だれであろうか?  主人が来た時、そのように行なっているのを見られる奴隷は幸いである。まことに、わたしはあなたがたに言う.主人は彼に自分の全財産を管理させるようになる。

 

「忠信で思慮深い奴隷は、神の家の執事、家庭の管理者であり、キリストを「食物」として彼の信者たちに分与します(Ⅰコリント9:17.エペソ3:2.Ⅰコリント4:1.Ⅰペテロ4:10)。忠信さは、主に対して示されるものです(Ⅰコリント4:2.7:25)。思慮深さは、信者たちに対して表されるものです(参照、コロサイ1:28.歴代下1:10.ピリピ4:5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、神の家族、召会を愛します。主よ、わたしたちが定められた時に、主の家族に命の供給をする忠信で思慮深い奴隷となることができますように。主よ、勤勉に御言を追い求め、神の家族に食物を給仕することができますように。

 

 

定められた時に、主の家族に命の供給をすることを学びます

 

 マタイによる福音書第24章45節から51節は、忠信であることと思慮深くあることに関してです。……忠信であることは主に対してであり、思慮深くあることは信者たちに対してです。目を覚ましているのは、主の臨在の中へと携え上げられるためですが、忠信であることは、王国で王として支配するためです(47節)。45節で語られている家族は、信者たちを指しており(エペソ2:19)、彼らは召会です(Ⅰテモテ3:15)。食物を与えるとは、召会の中で、神の言葉とキリストを命の供給として信者たちに供給することです。わたしたちはみな、どのようにして定められた時に主の家族に命の供給をするかを学ばなければなりません。(「マタイによる福音書ライフスタディ(3)」、第63編)

 

 わたしたちが共に集まる時はいつも、これは適切な食物を主の家族に供給する応じるべき時、定められた時の一つです。……栄養になる、良い朝食を料理するには、あなたの勤勉さを必要とします。……忠信であるとは……勤勉であることと等しく、怠惰であるとは怠けることと等しいのです。わたしたちは集会に来るとき、御言を追い求めることで勤勉になり、用意して良い食物を給仕することができなければなりません。(「主の現在の動きを実行する方法」、第8章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週6日)

 

主のひそかな出現のために、自分自身の用意を整えます

 

マタイ2:9-10

彼らは王の言うことを聞いて、行った.すると見よ、彼らが昇るのを見たあの星が彼らを導き、その子供がいる所に来て、その上にとどまった。彼らはその星を見た時、大いに喜び歓喜した。

 

啓22:16

「…… わたしはダビデの根また子孫であり、輝く明けの明星である」。

 

「明けの明星」は、王国時代の夜明け前の夜の最も暗い時に、キリストの出現を愛している者たちの心にひそかに昇るキリストを指しています(啓22:16後半)。明けの明星としてのキリストは、勝利者たちに彼らの第一の褒賞として与えられます。わたしたちは、明けの明星としての主のひそかな出現のために、自分自身の用意を整える必要があります(啓22:28-29)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたは輝く明けの明星です。主よ、日ごとに、明けの明星をわたしたちの心の中に昇らせることができますように。主よ、あなたのひそかな出現のために、自分自身の用意を整えることができますように。

 

 

明けの明星を心の中に昇らせるのは、日頃の経験であるべきです

 

 わたしたちは御言を愛していますが、死んだ文字の方法で愛しているのではありません。わたしたちは御言を心にとめて、何かが内側で明るくなり、わたしたちの心の中に昇るまで御言を愛します。それは知識や書かれた律法ではなく、夜明け、輝く星が昇ることです。

 星観測者たちの時代には、星を見ることは奇跡的な出来事でしたが、今日、明けの明星を見ることは通常なことであるだけでなく、わたしたちの日頃の経験であるべきです。わたしたちは日ごとに、明けの明星を心の中に昇らせる必要があります。わたしたちは単に聖書を読むだけであってはいけません……わたしたちは夜が明けて明けの明星がわたしたちの心の中に昇るまで、預言者の言葉を心にとめている必要があります。

 

 ですから、今日その星は生ける言葉からやって来ます。……ペテロの第二の手紙第1章19節に、言葉と明けの明星が共にあります。まず、わたしたちは言葉を持ちます。それから、預言者の言葉を心にとめることによって、わたしたちは心の中に明けの明星を昇らせます。もしわたしたちが絶えずこの内なる昇る星について行くなら、わたしたちは絶え間なくその霊の中にいるでしょう。これが、新約の奉仕です。(リー全集、1970年、第1巻(下)、「新約の奉仕」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週5日)

 

明けの明星がわたしたちの心に昇ります

 

マタイ2:2

……「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにおられますか? わたしたちは彼の星が昇るのを見たので、彼を礼拝しに来ました」。

 

啓22:16

「…… わたしはダビデの根また子孫であり、輝く明けの明星である」。

 

「わたしたちが、暗い所に輝くともし火を心にとめるように、聖書の言葉を心にとめるとき、わたしたちの内側の状況は、夜が明けた日のようであり、また明けの明星がわたしたちの心に昇るようです(Ⅱペテロ1:19c)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは聖書の言葉を心にとめます。主よ、わたしたちの手にある書かれた言葉が、生ける言葉に変えられますように。そして、周りの環境が暗やみ満ちていても、わたしたちの内側が栄光で満ちていますように。

 

 

御言はキリスト(開けの明星)に変えられる必要があります

 

 わたしたちには預言者の言葉、聖書があります[Ⅱペテロ1:19]。しかしながら、預言者の言葉は星ではありません。聖書は星ではありません。それでは、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか?……わたしたちには預言者の言葉があるので、夜が明けて明けの明星がわたしたちの心に昇るまで、それを心にとめ、それに全き注意を払う必要があります。…… ここで「星」を指して用いられている言葉は、英語に訳すと「発光体」となります。この星は、発光体のようなものであり、暗やみに光をもたらします。……聖書は単なる白黒の文字…… 死んだ文字であってはなりません。わたしたちは、発光体のようなもの、すなわち明けの明星としてのキリストがわたしたちの内側に昇るまで、聖書の言葉を心にとめていなければなりません。

 

 もしわたしたちが御言を生き生きと、正しく取り扱うなら、それは必ず生けるキリストとなるでしょう。これが分岐点です。すなわち、御言はキリストに変えられる必要があります。書かれた言葉は生ける言葉に変えられる必要があります。わたしたちは決して、キリストを生ける言葉から分離することはできません。わたしたちは、預言者の言葉がキリストとして、発光体として、暗やみに現れる夜明けとして、わたしたちの内側に昇るまで、それを心にとめているべきです。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週4日)

 

明けの明星は、夜明け前の最も暗い時に出現します

 

啓2:28

わたしはまた、彼に明けの明星を与える。

 

マタイ24:42-43

だから、目を覚ましていなさい.あなたがたの主が来られるのがいつの日か、あなたがたはわからないからである。……家の主人は、盗人の来るのがどの夜回りの時であるかを知っていたなら、目を覚ましていて、自分の家に破って入り込ませはしない。

 

「明けの明星は、夜明け前の最も暗い時に出現します(啓22:16後半.参照、民24:17.マタイ2:2, 9-10)。これが示している事は、キリストがこの時代の終わりの前の最も暗い時に、輝く明けの明星として出現するということです(啓22:16後半)。キリストは輝く明けの明星として、夜が明ける前に、彼のために目を覚まし、用意し、待ち望んでいた勝利者たちに対して、ひそかに出現します(啓22:16後半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは暗やみの時代に生きています。主よ、あなたは盗人のように来られます。主よ、わたしたちがいつも目を覚まし、用意し、あなたを待ち望むことができますように。

 

 

勝利者たちは特別な光、明けの明星としてのキリストを持ち、享受します

 

 わたしたちは聖書の預言を心にとめるなら、わたしたちの内側で輝いているともし火を経験し、明けの明星がわたしたちの心に昇ることを享受し、わたしたちの内側の霊的な夜明けを持つでしょう。わたしたちは、主イエスが明けの明星として出現される実際の時が来るまで、この状態のままであるかもしれません。そして、義の太陽としての彼と共に夜明けがあります。

 

 まずわたしたちは預言者の言葉の輝きを持ち、そしてこの輝きはわたしたちの内側で夜明けとなります。外面上わたしたちは暗やみの時代に生きていますが、内面的には光に満ちています。わたしたちは明けの明星と霊的な夜明けを享受し続け、主が明けの明星として、目を覚ましている者たちに出現し、義の太陽として夜が明ける時に至るでしょう。(「ペテロの第二の手紙ライフスタディ」、メッセージ8)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週3日)

 

聖書の預言の輝く言葉を心にとめます

 

Ⅱペテロ1:19

また、わたしたちはさらに堅くされた預言者の言を持っています.夜が明けて明けの明星があなたがたの心に昇るまで、その言を、暗い所に輝くともし火のように、よくよく心にとめていなさい.

 

「夜が明けて明けの明星がわたしたちの心に昇るまで、わたしたちは暗い所に輝くともし火を心にとめる必要があります(Ⅱペテロ1:19c)。「夜が明けて」は比喩であって、光に満ちた来たるべき時を説明しており、それは夜が明けた輝く日です。明けの明星は、その夜明けの前に信者たちの心に昇ります。これらの信者たちは、聖書の預言の輝く言葉を心にとめることによって、明るくされ照らされている者たちです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、現在の時代は暗い夜ですが、預言者の言葉は暗やみに輝くわたしたちのともし火です。主よ、預言者の言葉の光が輝いて、わたしたちの内側が霊的な夜明けに至りますように。

 

 

 預言者の言葉は暗やみに輝くわたしたちのともし火です

 

 ペテロの第二の手紙第1章19節の夜が明けることは主の再来の時を指していると言うのは正しいのです。その日に、主は義の太陽として輝くでしょう。主の出現がとても近い時は、早朝にたとえられます。その時に、主イエスは目を覚ましている彼の信者たちに対して明けの明星です。これはすべて真実ですが、ペテロはさらに多くの事さえ言っています。実は、第1章19節でペテロは同時に二つの事柄を扱っています。彼は、全世界が暗い所であり、この現在の時代が暗い夜であると言っています。

 

 もしわたしたちが聖書の預言を持っていなかったなら、わたしたちも暗やみの中にいたでしょう。なぜなら、わたしたちはともし火を持っていないからです。しかし預言者の言葉は暗やみに輝くわたしたちのともし火です。この預言の言葉を心にとめるとき、わたしたちは光の輝きを受けます。最終的に、この光は輝いてわたしたちの内側の霊的な夜明けに至り、明けの明星がわたしたちの心に昇るでしょう。ですから、ペテロはまず霊的な日、わたしたちの内側で夜が明ける日について語っているのです。彼はまた将来の日、主の再来の日についても語っています。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週2日)

 

預言者の言は、明けの明星としてわたしたちの心に昇ります

 

Ⅱペテロ1:19

また、わたしたちはさらに堅くされた預言者の言を持っています.夜が明けて明けの明星があなたがたの心に昇るまで、その言を、暗い所に輝くともし火のように、よくよく心にとめていなさい.

 

詩119:105

あなたの言葉はわが足のともし火、わが径の光です。

 

「ペテロは聖書の預言(預言者の言葉)を、暗い所に輝くともし火にたとえています(Ⅱペテロ1:19b)。もしわたしたちが、暗い所でともし火として輝く聖書の預言者の言葉を心にとめるなら、キリストはわたしたちの心に昇り、暗やみの中で輝きます(Ⅱペテロ1:19b)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの言葉はわが足のともし火、わが径の光であることを感謝します。主よ、わたしたちが堅くされた預言者の言葉をよくよく心にとめることができますように。主イエスよ、わたしたちの暗い心に、明けの明星が昇り、暗やみの中で輝きますように。

 

 

キリストはわたしたちの心に昇り、暗やみの中で輝きます

 

 ペテロは第1章19節から21節で進んで、旧約に見いだされる預言者の言葉を用いて彼らの証しを確証します。使徒たちの証しと聖書の預言者の言葉は両方とも真理の輝きです。この輝きは、神聖な備え、神が彼の力によって作られた備えの部分です。それは、彼の選ばれた子供たちが異端と背教から離れることができるためです。……

 

 ペテロは、信者たちが預言者の言葉をよくよく心にとめることを示しています。これは、彼らが旧約の預言を学んでおり、それらを心にとめていたことを意味します。ペテロは聖書の預言の言葉を、暗い所に輝くともし火にたとえています。これが示している事は、この時代が暗い夜の暗い所であるということと(ローマ13:12)、この世のすべての人々が暗やみの中で行動し活動しているということです。それがまた示しているのは、聖書の預言者の言葉が、信者に対して輝くともし火のように、彼らの暗やみの中で輝く霊的な光を伝達し(知的理解のための文字の知識だけではなく)、彼らを導いて真昼へと入らせ、さらには暗い夜を経過させて、主の現れる夜明けの日に至らせるということです。(「ペテロの第二の手紙ライフスタディ」、メッセージ8)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第3週1日)

 

主イエスが戻って来られる時、夜は明けます

 

ローマ13:12

夜はふけて、昼は近づきました。ですから、暗やみのわざを脱ぎ捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

 

Ⅰテサロニケ5:5-6

……あなたがたはみな光の子であり、昼の子であるからです。わたしたちは、夜の者でも暗やみの者でもありません。ですから、他の人たちのように眠ることなく、目を覚まして醒めていましょう。

 

 「信者たちが預言者の言葉を心にとめることは、極めて重要です(Ⅱペテロ1:19a)。預言者の言葉は、神がわたしたちに知るようにと要求している事柄です。信者たちはそれらを心にとめるべきです(Ⅰペテロ1:10.Ⅱペテロ3:2.ルカ1:70)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが預言者の言葉に十分な注意を払うことができますように。主よ、わたしたちが預言者の言葉を学んで命に触れ、霊に触れ、主に触れさせてください。わたしたちを暗やみから救い、主の再来を待ち望む者にしてください。

 

 

預言者の言葉を理解し、心にとめることは、極めて重要です

 

 夜は眠りの時ですが、「夜はふけ」ました(ローマ13:12)。ですから、眠りから覚め、目を覚まして、もはや眠るべきではありません。今の時代は夜です。主イエスが戻って来られる時、夜は明けます。次の時代は昼です。……わたしたちは眠りから覚めるだけでなく、暗やみのわざを脱ぎ捨てて、光の武具を着けなければなりません(12節)。これは戦いを示します。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(1)」、第27編)

 

 預言者の言葉は、神が人に知るようにと要求している事柄です。信者たちはそれらを心にとめるべきです[Ⅱペテロ1:19-21]。……ペテロの言葉は、旧約の預言者の言葉は、イエス・キリストの証しを確証し、強めることを示しており(16-18節)、信者たちが異端と背教に反対するための予防注射です。主イエスはまたわたしたちに、預言者の言葉を理解するようにと命じました(マタイ24:15)。……もし召会がこれらの預言に十分な注意を払わないなら、多くの信者たちが信仰を失い、偽りによって欺かれ、「あの知識に欠けるゆえに滅ぼされ」(ホセア4:6)、目を覚ましていないために主の来臨を忘れてしまうことは、避けられないでしょう。(「真理課程、第4段階、第1巻」、第1課)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第2週6日)

 

キリストの中で完全に成長(円熟)した人をささげるためです

 

コロサイ1:28-29

わたしたちはこのキリストを告げ知らせ、知恵を尽くしてすべての人を戒め、すべての人を教えています.それはわたしたちが、キリストの中で完全に成長したすべての人を、ささげるためです.このために、わたしもまた労苦し、わたしの内で力をもって活動している彼の活動にしたがって、奮闘しているのです。

 

「パウロの務めの目標は、キリストの中で円熟した、すなわち完全に成長したすべての人を、一人の新しい人のためにささげることでした(コロサイ1:28-29.3:10-11)。コロサイ第1章28節の「完全に成長した」と訳されたギリシャ語は、「完全な」、「全体的な」、あるいは「円熟した」とも訳すことができます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの内で力をもって活動しているあなたの活動を感謝します。主よ、わたしたちがキリストの中で完全に成長した人となることができますように。主よ、召会を建造するために、わたしたちをキリストの豊富で満たしてください。

 

 

命における円熟を、主の来臨を待ち望む生活を追い求めます

 

 わたしたちは携え上げの用意をするために、命における円熟を必要とします(マタイ24:40-41)。携え上げは、命における神の完全な救いの究極的完成の段階、すなわち、わたしたちの体の変貌、贖いです(ローマ5:10.8:23.ピリピ3:21)。わたしたちが受けた神聖な命の要求のゆえに、…… わたしたちは主の来臨を待ち望む生活を追い求めることを願います(Ⅰテサロニケ1:10.2:19.3:13.4:15.5:23)。わたしたちは主を愛し、主の来臨を待ち望むとき、主の臨在へと携え上げられることを望みます(マタイ24:40-41.ルカ17:31-36.21:36)。円熟することは、一夜の事柄ではありません。主の来臨のために、わたしたちは自分自身の用意を整えて、彼を愛し、彼の中で成長して、彼の出現の時に円熟して携え上げられる必要があります(啓14:1-5)。

 

 円熟のしるしは以下のものを含みます(ヘブル6:1)。① わたしたちを変える神聖な命で満たされる(エペソ3:19)。② 命の中で王として支配する(ローマ5:17)。③ 固い食物を食べることができる(ヘブル5:12-14)。④ 理解力において完全に成長する(Ⅰコリント14:20)。⑤ わたしたちの天の御父が完全であるように、完全である(マタイ5:48)。⑥ からだを見て、からだを認識し、からだの中で、またからだのために生き、からだを顧慮し、からだを尊ぶ(エペソ4:13-16)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第2週5日)

 

後ろにあるものを忘れて、目標に向かって追い求めます

 

ピリピ3:13-15

兄弟たちよ、わたしはまだ自分自身、捕らえたとは思っていません.ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。こういうわけで、成人した者はみな、この思いを持とうではありませんか……。

 

「新約聖書で用いられている「円熟」という言葉は、信者たちが再生の時に受けた神の命の中で完全に成長し、円熟し、成就されるということを指しています。キリストの命における信者たちの成長と円熟との究極の結果は、完全に成長した人です。それは成長して円熟した人となった、キリストのからだとしての召会です(13節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが自分自身に満足しないで、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、目標に向かって追い求めることができますように。主よ、キリストの命において絶えず成長して、円熟へと至らせてください。

 

 

キリストの命における成長と円熟を追い求めます

 

 使徒パウロはピリピ人への手紙第3章12節から15節で、彼がどのようにキリストの命における成長と円熟を追い求めたかをわたしたちに告げています。このことにおいて、彼は決して自分自身に満足せず、常に追い求め、後ろにあるものを忘れて前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、目標と目的であるキリストに向かって前進していました。それは彼がキリストを獲得するためであり、それによってキリストの命の中で成長し円熟するためです。パウロは彼自身がこのように追い求めたことを模範として、彼が導き顧みていた信者たちに、彼らが彼と同じようになり、キリストの命において追い求め、キリストを十分に獲得して、成長し円熟するようにと勧めました。最後にパウロは、(比較的)成人している者はみなこの思いを持ち、これを目標とすべきであると言いました。……

 

 エペソ人への手紙第4章13節の完全に成長した人とは、成長して円熟した人となった、キリストのからだとしての召会を指しています。……キリストの命におけるわたしたちの円熟は、キリストの身の丈の度量において、わたしたちを彼と同じようにします。すなわち、わたしたちは一方で彼のかたちを持ち、もう一方では彼の身の丈を持つのです。(「生命課程」、第4巻、第46課)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 国際華語特別集会  第2週4日)

 

キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、再び産みの苦しみをします

 

ガラテヤ4:19

わたしの子供たちよ、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしはあなたがたのために、再び産みの苦しみをしています.

 

「わたしたちが神聖な子たる身分において円熟して、成人した子となるために、キリストがわたしたちの内に形づくられる必要があります(ガラテヤ4:4-5.ローマ8:15.エペソ1:5)。わたしたちの再生の時から、わたしたちが彼のかたちを持つように、主はわたしたちの中で働いています(Ⅱコリント3:18.ローマ8:29)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちを御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定めてくださったことを感謝します。主よ、わたしたちが命において徐々に成長して、キリストがわたしたちの内に形づくられますように。

 

 

わたしたちは神聖な子たる身分において円熟して、成人した子となります

 

 神の救いの目標は、信者たちが命において徐々に成長して、円熟し、ついには、究極的に、キリストと全く同じになることです。神はどのようにこのような救いを成し遂げるのでしょうか? まず、彼はご自身のひとり子を遣わして、わたしたちの罪のために十字架上で死なせました。それから、キリストの中で、またその霊として(Ⅰコリント15:45後半)、彼はわたしたちの中へと入り、わたしたちの中でわたしたちの命として生きます。キリストはわたしたちの中に生きているだけでなく(ガラテヤ2:20)、またわたしたちの中で成長しています。彼の意図は、わたしたちの中で成長し、形づくられ、円熟することです(エペソ4:13)。これが神の救いの道です。……

 

 成長して円熟に至ることは、キリストがわたしたちの命としてわたしたちの中に生きること、また、彼がわたしたちの中で絶えず成長して、彼がわたしたちの内に形づくられるまでになることを意味します。キリストがわたしたちの内に完全に形づくられるとき、わたしたちは彼の命において円熟します。(リー全集、1955年、第3巻、「クリスチャンが命において成長する道」、第1編[英文])

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)