朝ごとの食物

列王紀上、下  第7週2日~第11週3日

 

11月の祈り 第30日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上,下  第11週3日)

 

高き所は、異邦の民が彼らの偶像を拝んだ場所でした

 

申12:2

あなたがたは、追い出す諸国民が彼らの神々に仕えたすべての場所、すなわち高い山の上も、丘の上も、茂ったあらゆる木の下も、完全に破壊しなければならない。

 

「真の、すべてを含む一を回復し、守るために、わたしたちは高き所を壊さなければなりません(列王上11:7-8.12:26-33)。 高き所は、異邦の民が彼らの偶像を拝んだ場所でした。イスラエルの子たちがカナンの地に入ってそれを所有するとき、神は彼らに、諸国民のすべての高き所を破壊するようにと命じました(申12:1-3)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちは真のすべてを含む一を回復し守ることができますように。主よ、わたしたちが、高き所を再び築くことがないように守ってください。主よ、わたしたちが神の選びの唯一の場所にとどまることができますように。

 

 

あらゆる邪悪で忌むべきものが、高き所を立てることと関係があります

 

 イスラエルの子たちは、諸国民が彼らの神々に仕えた場所……を破壊し、また宮もエルサレムに建てられましたが、最終的に、破壊されたものが戻って来ました。高き所(列王上11:6-8、12:31)、茂った木、石柱の像、アシラ像、偶像の名が元の状態に戻りました。実は、神の願いにしたがって一の立場の上に宮を建てた本人であるソロモンが率先して、再び高き所を築きました……。彼はモーセが民に破壊するように命じたまさにその高き所を再び築きました。これらの高き所は、淫行と偶像礼拝と関係がありました。ソロモンが高き所を立てたことは、特に情欲の放縦と結び付いていました。彼が高き所を築いたのは、「自分の外国人のすべての妻」[11:8]のためでした。

 

 高き所を立てることは、分裂を持つことです。ですから、高き所の意義は分裂です。旧約におけるイスラエルの子たちに対する神の意図は、神の民が一の中で保たれて、正当な方法で神を礼拝することでした。神は彼の民の一を守るために、彼らが神の選びの唯一の場所に来るように求めました。しかしながら、高き所はこの唯一の場所の代替、別の選択でした。これは、分裂が一を置き換えるものであることを示します。唯一の場所であるエルサレムは一を表徴しますが、高き所は分裂を表徴します。(リー全集、1979年、第2巻(下)、「一の真の立場」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上,下  第11週2日)

 

キリストにあるすべての真の信者は神の祭司とされています

 

啓1:6

わたしたちを王国とし、彼の神また父の祭司としてくださった方に、栄光と権能が永遠にわたってあるように。アーメン。

 

啓2:6

しかし、あなたにはこのこともある.あなたはニコライの者たちのわざを憎んでおり、わたしも憎んでいる。

 

「神の新約エコノミーの中で、キリストにあるすべての真の信者は神の祭司とされています。しかし、堕落したキリスト教では、組織を建て上げて、何人かの信者が神の奉仕を行なうように定め、彼らを聖職者階級にして、残りの信者を平信徒にしました。(Ⅰペテロ2:9.啓1:6.5:10.2:6,15)。命の備えと真理の啓示は、使徒たちが背教と召会の堕落を対処する時に用いた抗毒剤です(Ⅰヨハネ1:1-2,5-6)」。

 

 主よ、わたしたちすべての信者は神の祭司とされていることを感謝します。わたしたちの召会生活において、兄弟姉妹がみな一の中で、祭司として機能することができますように。

 

 

正当な召会生活には、聖職者も平信徒もあってはなりません

 

 神はエコノミーの中で、すべて彼の民が神に直接仕える祭司となることを意図されました。出エジプト記第19章6節で、神はイスラエルの子たちを、祭司の王国となるように定められました。これは、彼ら全員が祭司となるのを、神が望まれたことを意味します。しかしながら、彼らは金の子牛を拝んだために(出32:1-6)、祭司職を失いました。そしてレビの部族だけが、神に対する忠信のゆえに選ばれ、神の祭司としてのイスラエル全国民に置き換わりました(出32:25-29.申33:8-10)。ですから、神とイスラエルの子たちの間に中間階級ができました。これがユダヤ教では、一つの強力な制度となりました。

 

 新約で、神はご自身のエコノミーにしたがって、当初の意図に戻られます。それによって、彼はキリストにあるすべての信者を祭司とされています(啓1:6.5:10.Ⅰペテロ2:5、9)。しかし初代の召会の終わりごろ、一世紀においてさえ、ニコライの者たちが中間階級として介入し、神のエコノミーを損ない、すべての信者の普遍的な祭司職を損ないました。正当な召会生活には、聖職者も平信徒もあってはなりません。すべての信者は神の祭司であるべきです。(啓2:6、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上,下  第11週1日)

 

ヤラベアムの背教は、今日のキリスト教の予表です

 

申12:5-7

エホバ・あなたがたの神が、あなたがたの全部族の中から選んで彼の御名を置かれる場所、すなわち彼の住まいを尋ね求めて、そこへ行かなければならない。そして、あなたがたの全焼のささげ物と犠牲……を、そこに持って行かなければならない.

 

「ヤラベアムの背教は、今日のキリスト教の予表であると考えることができます(列王上12:25-33.13:33-34)。背教とは、イエス・キリストの御名の下で、また神を礼拝するという口実の下で、自己のために事を行なうことです(使徒9:2.18:26.Ⅱペテロ2:2,15,21.ユダ11節.士18:30-31)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが神に従う正しい路線からそらされることがないように守ってください。主よ、わたしたちがイエス・キリストの御名の下で集まり、真の一の立場で神を礼拝し続けることができますように。

 

 

背教とは、神に従う正しい路線からそらされることを意味します

 

 ヤラベアムは二つの金の子牛を造り、一つをベテルに置き、もう一つをダンに置いて、彼の民をそらし、エルサレムで神を礼拝しないようにしました(列王上12:25-30)。神は彼の民が一年に三度、エルサレムに集まって来ることを定めました。ヤラベアムは、十部族がエルサレムで神を礼拝するなら、彼らの正当な王に戻ると恐れました。こうして、彼は二つの礼拝センターを設立し、エルサレムに旅をするのは便利でないと言いました。便宜上の言い訳はまた、今日の宗派を正当化するのに用いられています。

 

 ヤラベアムの背教は、聖地で唯一無二の礼拝センターを持って、イスラエルの子たちの合一、一を守るという神の定め(申12:2-18)を破りました。これは大きな罪となり、民に偶像を拝ませました。(「列王紀上、下ライフスタディ」、第8編)

 背教とは、神に従う正しい路線からそらされることを意味します。……だれかが神を礼拝することを口実として使って、悪魔的な方法を取る時はいつでも、背教に陥ります。(「創世記ライフスタディ(6)」、第103編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第26日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上,下  第10週6日)

 

主はシオンの糧食を豊かに祝福します

 

詩132:14-16

これは、永遠にわたしの安息する場所である.わたしはそれを願ったゆえに、ここに住む。わたしはシオンの糧食を豊かに祝福し、その貧しい者たちをパンで満ち足らせる。また、その祭司たちに救いを着せる.その誠実な者たちは歓喜の響きわたる叫びをもって叫ぶ。

 

134:3

天と地を造られたエホバが、シオンからあなたを祝福してくださるように。

 

「上りの歌(詩篇第120篇から第134篇)は、聖徒たちの経験と賛美におけるシオンとエルサレムの尊さについて語っています。詩篇第132篇は、シオンに上って行く勝利者に関して七つの尊い項目を述べています。これらの項目は召会生活の高嶺であり、シオン(神の山の最高峰)における勝利者の状態を描写しています(詩132:13-18)」。

 

 主よ、あなたはシオンの糧食を豊かに祝福してくださいます。主よ、わたしたちが召会生活の高嶺シオンに上って行くことができますように。主よ、あなたが兄弟姉妹とすべての地方召会を、シオンから祝福してくださいますように。

 

 

神の祝福は、シオン(勝利者)から召会に臨みます

 

 [詩篇第132篇15節から18節で]エホバは[シオンについて語り]言われます。すなわち、彼はシオンの糧食を豊かに祝福し、その貧しい者たちをパンで満ち足らせ、その祭司たちに救いを着せ、その誠実な者たちは歓喜の響きわたる叫びをもって叫び、彼はそこにダビデの角を生えさせ、彼の油塗られた方のためにともし火を備え、彼の油塗られた方の敵どもに恥を着せ、彼の上には彼の冠が輝きます。……

 

 詩篇第132篇には、勝利者に関して七つの項目があります。すなわち、安息、住むこと、食物、衣服、勝利の角、照らすともし火、輝く冠です。これらの項目は召会生活の高嶺です。……しかしながら、神に家がないとき、わたしたちにも家がありません。彼に満足がないとき、わたしたちにも満足はありません。しかし神がシオンで安息し住まわれるとき、わたしたちは十分な食物を持ちます。さらに、わたしたちは正しい衣服、角、ともし火、冠を持ちます。……これが、シオン(神の山の最高峰)における勝利者の状態です。(「詩篇ライフスタディ(2)」、第42編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第25日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上,下  第10週5日)

 

その心にシオンへの大路がある人は幸いです

 

詩84:5-7

幸いです、その力があなたにあり、その心にシオンへの大路がある人は。彼らはバカの谷を通っても、そこを泉とします.まことに、前の雨は祝福をもってそこを覆います。彼らは力から力へと進み、おのおのシオンにおいて神の御前に現れます。

 

「勝利者たちは、肉体と成った三一の神、すなわち、神・人としてのキリストを享受しています。また、彼らの心にはシオンへの大路があります。はぎ取りと涙は、神の家の愛らしさと甘さとを享受するという結果になります(詩84:1, 6と1節のフットノート1と6節のフットノート1)。わたしたちは泣いているとき、その霊で満たされ、その霊はわたしたちの泉また前の雨となります」。

 

 主よ、わたしたちの心にシオンへの大路がありますように。主よ、わたしたちが涙の谷を通るとき、神の家の甘さと祝福を享受できますように。主よ、涙の谷が泉となり、その霊の祝福となりますように。

 

 

涙の谷を通って召会生活の中へと入って来る者は、その霊となった祝福を見いだします

 

 詩篇第84篇は、神の家とキリストに対する詩篇の作者の愛についてであり、詩篇第73篇に始まる神を追い求める者をはぎ取ること、神の家の荒廃についての詩篇に続きます。回復と復興の時(詩第80篇)、神の家の愛らしさと甘さは強化されます(詩84:1、フットノート1)。 一方で、シオンへの大路にある者は、神の中で強められます(詩84:5)。もう一方で、彼らはサタンによって反対され、サタンは彼らが迫害に苦しむようにします。サタンによってひき起こされる問題と迫害は、大路を涙の谷とならせます。この特殊な用語は、詩篇の作者が神によって取り扱われ、彼によってはぎ取られたことを示します。(詩84:6、フットノート1)

 

 わたしたちがバカ[「涙」を意味する]の谷を通るとき、神はこの谷を泉とされます(参照、コロサイ1:24.ヘブル10:34)。この泉はその霊です(ヨハネ4:14.7:38-39)。……わたしたちは泣いているとき、その霊で満たされ、その霊はわたしたちの泉となります。(詩84:6、フットノート2)。 涙の谷を通って召会生活の中へと入って来る者は、この涙が最終的に、彼らにとって大きな祝福となることを見いだします。この祝福はその霊です(ガラテヤ3:14)。(詩84:6、フットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第24日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第10週4日)

 

聖くて傷のない栄光の召会がご自身にささげられます

 

エペソ4:23

そして、あなたがたの思いの霊の中で新しくされ、

 

エペソ5:26-27

それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。

 

「召会は、わたしたちの霊とミングリングされている、美しくする、花嫁を用意する霊で満たされています。それによってわたしたちは、キリストの聖なる、美しい、神を表現する花嫁、すなわち、傷や不完全さのない花嫁となります(エペソ5:18, 26-27)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、神聖な霊とミングリングされている霊に信頼します。 主よ、言葉の中の水の洗いによって、召会を清めてください。主よ、聖くて傷のない栄光の召会があなたにささげられますように。 

 

 

言葉の中の水の洗いによって、召会は清められます

 

 過去、キリストは召会のためにご自身を捨てられました。現在、彼は召会を聖化しつつあります。将来、彼は召会を彼の満足のための配偶者として、ご自身にささげられるでしょう。ですから、愛することは聖化するためであり、聖化することはささげるためです。

 エペソ人への手紙第5章26節でパウロは、キリストは召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清められると言っています。神聖な概念によれば、ここの水は神の流れる命を指しており、それは流れる水で予表されます(出17:6.Ⅰコリント10:4.ヨハネ7:38-39.啓21:6.22:1、17)。……キリストの贖う血……は、わたしたちの罪を洗い去りますが(Ⅰヨハネ1:7.啓7:14)、命の水は、わたしたちの古い人の天然の命の傷、すなわち「しみやしわや、そのようなもの」(エペソ5:27)を洗い去ります。……それは召会が聖くて傷のないものとなるためです。

 

 キリストは再来の時、そのような栄光の召会をご自身にささげられます。……最終的に、キリストにささげられる召会は、神を表現する召会となるでしょう。そのような召会はまた、聖くて傷のないものです。聖くなるとは、キリストで浸透され、造り変えられることです。傷がないとは、しみやしわがなく、わたしたちの古い人の、天然の命のものがないことです。(「エペソ人への手紙ライフスタディ」、第54、97編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第10週3日)

 

城門よ、長く耐え忍ぶ戸よ、上げられよ.栄光の王が入って来られる

 

詩24:7

城門よ、あなたがたの頭を上げよ.長く耐え忍ぶ戸よ、上げられよ.栄光の王が入って来られる。

 

啓3:20

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている.だれでもわたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは彼の所に入って行き、彼と共に食事をし、彼はわたしと共に食事をするであろう。

 

「主の回復は、シオンを建造することです。シオンによって予表される勝利者たちは足がかりであり、それを通して栄光の王である主は戻って来て、全地を彼の王国として所有します(詩24:1, 3, 7-10.ダニエル2:34-35.7:13-14.ヨエル3:11.啓11:15.19:13-14)」。

 

 主よ、わたしたちはシオンの山として、わたしたちの戸を開きます。主よ、あなたが召会に入って来てください。そして、主よ、わたしたちをあなたが戻って来られるための踏み石、足がかりとしてください。

 

 

召会は山であり、主が戻って来られるための踏み石、足がかりです

 

 詩篇第24篇3節は尋ねます、「だれが、エホバの山に登るのですか? だれが、彼の聖なる場所に立つのですか?」。答えは、キリストと彼の兄弟たちです。召会は山であり、主が戻って来られるための踏み石、足がかりとして今日、主によって占有されています。地は主のものですが、今日地は強奪されています。しかしこの強奪された地には拠点、山があり、それは主が戻って来て全地を得られるための踏み石です。

 

 わたしたちはシオンの山として、わたしたちの戸を開けて、キリストに入って来ていただかなければなりません[参照、7節]。……ダビデが契約の箱をシオンに戻したとき……ダビデは詩篇第24篇を書いたのです。シオンがあり、城門と戸がありました。……契約の箱はキリストの予表でした。契約の箱が入って来ることは、キリストが入って来られることを予表しました。…… ですから今日、わたしたちは応答して言わなければなりません、「そうです、戸を開き、彼に対してすべて広く開きます。あなたが地に戻って来られる前に、召会に入って来てください。入って来てこの小さな山、シオンの山を完全に所有してください」。(リー全集、1969年、第3巻(上)、「詩篇において啓示され予表されたキリストと召会」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第10週2日)

 

主の回復は、シオンを建造することです

 

啓14:1

また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山の上に立っており、彼と共に十四万四千人がいて、小羊の名と彼の父の名がその額に記されていた。

 

「主の回復は、シオンを建造することです(啓14:1.エペソ4:16.啓21:2, 9-10)。エルサレムの特色、命、祝福、確立は、シオンから来ます(列王上8:1.詩51:18.102:21.128:5.135:21)。啓示録において、主が欲するもの、主が建造するものはシオン、すなわち勝利者です。これは神の聖なる御言における霊的な啓示の内在的な実際です」。

 

 主の回復は、シオンを建造することです。主よ、わたしたちがシオンの山の上に立って、彼と共にいる初穂となることができますように。 主よ、わたしたちがキリストのからだの実際をもって、召会時代を閉じさせ、キリストの来臨をもたらす者たちとなりますように。

 

 

キリストのからだの実際は、一群れの神・人による生活の集大成、総合計です

 

 神は今日、敗北した召会の中で、十四万四千人を捜しておられ、彼らはシオンの山の上に立ちます(啓第14章)。神は常に少数の信者を用いて、命を召会に流れさせ、召会を復興されます。主がかつてそうであったように、これらの勝利者たちは血を流さなければならず、こうしてはじめて命が他の人に流れ出ることができます。召会のために、勝利者は勝利の立場を取り、また患難と軽べつを受けます。

 

 キリストのからだの実際は、一群れの神・人によるそのような生活の集大成、総合計です。このような生活は、キリストのからだの実際であって、この時代、すなわち召会時代を閉じ、キリストの来臨をもたらして、彼が王国時代にこれらの神・人と共にこの地を取り、所有し、支配するようにするでしょう。彼らは召会時代に成就され、完全にされ、完成されました。ですから次の時代、王国時代に、彼らはキリストと共に千年の間、王として支配するでしょう(啓20:4-6)。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(上)、「ブレンディングに関する実行的な要点」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第10週1日)

 

シオンは召会における勝利者を予表します

 

詩48:2

シオンの山は、……大いなる王の都であって、高くて麗しく、全地の喜びである。

 

詩125:1

エホバに信頼する者たちは、シオンの山のようである.それは動かされることがなく、永遠に存続する。

 

「エルサレムは召会を予表し、シオンは召会における勝利者を予表します。シオンは聖なる都エルサレムの顕著な部分また麗しさとして、召会の高嶺、中心、引き上げるもの、強化、豊かにするもの、麗しさ、実際としての勝利者を予表します(詩48:2, 11-12.20:2.53:6前半.87:2)。 召会生活は、今日のエルサレムです。召会生活の中には、今日のシオンとしての一群れの勝利者がいなければなりません(ローマ12:4-5.エペソ4:16.啓2:7.3:12)」。

 

 主よ、シオンの山は、大いなる王の都であり、高くて麗しく、全地の喜びです。主よ、わたしたちがシオン、キリストのからだの実際の中で生きることができますように。主よ、わたしたちの召会生活の中に、今日のシオンとしての一群れの勝利者を興してください。

 

 

召会生活の中には、今日のシオンとしての一群れの勝利者がいなければなりません

 

 エルサレムは山の頂上に建てられています。……エルサレムには頂があり、それはシオンの山であって、その上に宮が建てられました。宮を建てる約千年前、神はアブラハムに、シオンの山の別名であるモリヤの山で、息子イサクをささげるよう求められました(創22:2.歴代下3:1)。今日の回復における良い状態は、エルサレムのようなものです。しかしながら、そこにシオンはありません。新約で勝利者はシオンにたとえられています。啓示録第14章1節で、十四万四千人の勝利者は、エルサレムにいるだけではなく、彼らはシオンの頂にいます。勝利者、バイタルグループは、今日のシオンです。今日のわたしの負担は、あなたがたを助けてバイタルグループの高嶺、すなわち、勝利者のシオンに到達させることです。

 

 最終的に、啓示録には究極的完成があります。この究極的完成において、七つの燭台はすべて消え去ります。第1章で、わたしたちは七つの燭台を見ます。しかし最後の二つの章ではただ一つの都を見ます。最終的に、地方召会は終わり、からだだけが残り、永遠に残ります。このキリストのからだは、この地上における神の住まいとしての唯一の幕屋であり、小羊の唯一の花嫁です(21:2-3)。わたしたちはみなこれを見なければなりません。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(上)、「ブレンディングに関する実行的な要点」、第2、3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第19日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週6日)

 

神の栄光は召会の中で、またキリスト・イエスの中で現されます

 

エペソ3:16,21

どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように。…… 神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように。アーメン。

 

「新エルサレムの際立った特徴は、この都が神の栄光、すなわち神の表現を持っているということです(啓21:11,23)。新エルサレムは、永遠における神の団体的な表現であり、神の現れを帯びており、神の栄光の中にある神のかたちを表現します(啓21:10-11.4:3)。この栄光は、神と共にわたしたちに来て、わたしたちの中へと造り込まれた後、わたしたちと共に神に戻っていきます。これが、召会の中で神の栄光が現される道です(エペソ3:16-21)」。

 

 主よ、神の栄光が神と共にわたしたちに来て、わたしたち召会の中へと造り込まれますように。そして、召会に造り込まれた栄光が、神に戻っていくことができますように。主よ、召会が神に栄光を帰すことで、率先することができますように。

 

 

神の栄光は神と共にわたしたちに来て、わたしたちと共に神に戻って行きます

 

 召会は神の栄光であり、神の栄光は神と共にわたしたちに来て、わたしたちと共に神に戻って行きます。そのような召会には、神とわたしたちとの間、わたしたちと神との間に往来があります。この往来によって、神の栄光がわたしたちの中へと造り込まれ、わたしたちの中で神の栄光が現されます。この往来が、「しかし」という小さな言葉で表徴されているのです。21節は言います、「神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように。アーメン」。

 

 神の栄光は、召会の中へと造り込まれ、神は召会の中で表現されます。ですから、召会の中で、神に栄光があります。すなわち、召会の中で神の栄光が現されます。……召会は宇宙における初穂として、神に栄光を帰すことで率先します。わたしたちが神に栄光を帰すことで率先するなら、他のすべての家族は、天にあるものも地にあるものも、わたしたちに続いて、神に栄光を帰すでしょう。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第35編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週5日)

 

わたしたちが成就されて一となるためです

 

ヨハネ17:22-23

あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです.わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.……

 

「主は、御父の御名の中にある、永遠の命による一(ヨハネ17:6-13)と、聖なる言による聖別を通しての一(14-21節)という二つの段階の一のために祈った後、第三段階の一のために祈りました。この第三段階の一は、信者たちの一が神聖な栄光の中にあって、三一の神を団体的に表現するためであるということに関するものです(22-24節)」。

 

 

 主よ、わたしたちが神聖な一にあずかるために、永遠の命、聖なる言、神聖な栄光が与えられていることを感謝します。主よ、わたしたちが三一の神を団体的に表現するために、わたしたちが成就されて一となりますように。わたしたちが栄光の望みであるわたしたちの命としてのキリストによって生きることができますように。

 

 

深くて、高い一は、信者たちの一が神聖な栄光の中で、三一の神を団体的に表現することです

 

 ヨハネによる福音書第17章によれば、一の第一の根拠は再生、すなわち、御父の命を受けることであり、第二の根拠は聖別……です。……わたしたちは神の外側のあらゆるものから神ご自身に分離された時、聖別の根拠の上にあり、すべてのこの世的な場所とこの世的な事柄から、一つの中心へと分離されます。この一つの中心は三一の神、すなわち、その霊としての御子の中にある御父です。わたしたちはこの中心へと聖別され、この中に一があります。

 

 この一の第三の根拠はこれよりも深く、高いです。それは神聖な栄光の現れの中にある一です。わたしたちは再生された後、この世を放棄することによって聖別され、この世から分離された後、自分を否むことを通して、わたしたちの内の栄光の望みであるわたしたちの命としてのキリストによって(コロサイ1:27)、生きなければなりません。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第40編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第17日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週4日)

 

キリストの御名の中でそしられるなら、あなたがたは幸いです

 

Ⅰペテロ4:14

キリストの御名の中でそしられるなら、あなたがたは幸いです.なぜなら、栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

 

Ⅰペテロ5:10

しかし、……あなたがたをご自身の永遠の栄光の中へ召してくださった方は、あなたがたがしばらく苦しみを受けた後、彼自らあなたがたを成就し、堅固にし、力づけ、土台づけてくださいます。

 

「Ⅰペテロ第4章14節は、「栄光の霊、すなわち神の霊」について語っています。栄光の霊は、神の霊です。この栄光の霊は、迫害の中で苦難を受けている信者たちの上にとどまっています。それは、今や栄光の中にある、復活して高く上げられたキリストの栄光を現すためです(Ⅰペテロ4:13-14)」。

 

 主よ、わたしたちは神のかたちに造られ、神の栄光のために造られました。わたしたちがあらゆる環境の中で、栄光の霊を経験することができますように。主よ、あなたがわたしたちを成就し、堅固にし、力づけ、土台づけてくださいますように。

 

 

栄光の霊は、迫害を受ける信者たちの上で輝く栄光となります

 

  栄光の霊は神の霊です。栄光の霊は次のような方です。すなわちこの方を通して、復活の中でキリストの栄光が現されました(ローマ1:4)。この栄光の霊は、神ご自身の霊であって、迫害の中で苦難を受けている信者たちの上にとどまっています。それは、今や栄光の中にある、復活して高く上げられたキリストの栄光を現すためです。そのような霊は、苦難を受けている信者たちを通して表現される神の霊であり、また彼らによって享受され、経験される神の霊です。…… ペテロの第一の手紙によれば、キリストの霊はわたしたちの中にあり(1:11)、栄光の霊はわたしたちの上にとどまっています[4:14]。……

 

 このすばらしい霊の一つの面は、その霊がわたしたちの中にあって、キリストを啓示することです。同じ霊のもう一つの面は、彼がまた栄光の霊であって、わたしたちの上にとどまって神を表現することです。わたしたちが主のために苦難と迫害を受ければ受けるほど、栄光はますますわたしたちの上にとどまるでしょう。……ですから、キリストの御名の中でそしられるなら、わたしたちは喜ぶべきです。なぜなら、栄光の霊、すなわち神の霊がわたしたちの上にとどまっているからです。この栄光の霊は、内住する霊、キリストの霊、恵みの霊であって、迫害を受ける信者たちの上で輝く栄光となります。(「新約の結論(6)」、メッセージ80)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週3日)

 

栄光の御父は、彼の多くの子たちを通して表現される神です

 

エペソ1:17

……わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の御父……。

 

ヘブル1:3

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の明確なかたちであって……。

 

ヨハネ17:5

父よ、世が存在する前に、わたしがあなたと共に持っていた栄光でもって、あなたご自身と共に、今わたしの栄光を現してください。

 

「エペソ第1章17節で、パウロは「栄光の御父」という用語を用いています。栄光の御父は、彼の多くの子たちを通して表現された神です(ヘブル2:10)。「御父」という称号は、再生を暗示しており、「栄光」という言葉は、表現を暗示しています。ですから、「栄光の御父」という称号は、再生と表現を暗示しています。  キリストは、今日はわたしたちの命であり、将来はわたしたちの栄光です(コロサイ3:4.1:27)」。

 

 主よ、わたしたちが御父によって再生されたことを感謝します。主よ、あなたは多くの子たちを通して栄光を現される神です。主が再び戻って来られる時、わたしたちも主と共に、栄光のうちに現されますように。

 

 

神の偉大な救いの最終段階は、彼の多くの子たちを栄光へ導き入れることです

 

 栄光の御父は[エペソ1:17]、彼の多くの子たちを通して表現された神です。「御父」という称号は再生を暗示していますが、「栄光」という言葉は表現を暗示しており。……わたしたちは神によって再生されて、神の表現となりました。多くの子たちの再生と神の表現は神聖なエコノミーの完成です。…… ヘブル人への手紙第2章10節は、神は多くの子たちを栄光へ導き入れると言います。神の偉大な救いの最終段階は彼の多くの子たちを栄光へ導き入れることです。

 

 ローマ人への手紙第8章は告げていますが、わたしたちに対する神の恵みのみわざは、あらかじめ知ることで始まり、あらかじめ定めること、召すこと、義とすることを通し、そして神が栄光化することで終わります(20-30節)。全被造物は神の子たちの出現、栄光化を熱心に期待しながら、被造物自身も、神の子供たちの栄光の自由に入るのを待ち望んでいます(19-20節)。これは主が再び戻って来られる時に成就し(ピリピ3:21)、その時、わたしたちも彼と共に、栄光のうちに現されます(コロサイ3:4)。これがわたしたちの望みです(コロサイ1:27)。神の子たちのこの栄光化は、神の救いの目標として、千年王国の間も継続し、新エルサレムにおいて、永遠にわたって完全に現されるでしょう(啓21:11、23)。(「新約の結論」、メッセージ4、21)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週2日)

 

栄光の神がアブラハムに現れ、彼を召されました

 

列王上8:11

祭司たちはその雲のゆえに、立って務めをすることができなかった.エホバの栄光がエホバの家を満たしたからである。

 

使徒7:2

……栄光の神が彼[わたしたちの父祖アブラハム]に現れて……

 

使徒7:55

しかしステパノは、聖霊に満ちており、天を一心に見つめていると、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た。

 

「三一の神は栄光の神です(使徒7:2,55)。神は栄光の神です(使徒7:2,55)。いつであれ神が表現されるとき、それは栄光です。見えない神は神であり、見える神は栄光です(出13:21)。栄光の神はアブラハムに現れ、彼を召し、彼をこの世から神へと分離しました。アブラハムはその栄光によって引き付けられ、捕らえられました(使徒7:2)」。

 

 主よ、あなたはアブラハムに栄光の神として現れ、彼を引き付け、捕らえられました。栄光の神よ、あなたがわたしたちの内側に来て、わたしたちを引きつけてください。そして、栄光の神よ、あなたがわたしたちを満たしてください。

 

 

神の栄光はアブラハムを引き付け、彼をこの世から神へと分離し、聖別しました

 

 使徒行伝第7章2節で、……ステパノは[証ししました]、「栄光の神が彼[わたしたちの父祖アブラハム]に現れて……」。この栄光は、イスラエルに雲や火が現れ(出16:10.24:16-17.レビ9:23.民14:10.16:19.20:6.申5:24)、また幕屋や宮を満たした(出40:35、列王上8:11)ように、見える栄光であったのかもしれません。アブラハムに現れ、彼を召されたのも、このような栄光の神でした。神の栄光によってアブラハムは大いに引き付けられました。それは彼をこの世から神へと分離させ、聖別させました(出29:43二九・四三)。それはまた、彼を神に従わせた大いなる励ましであり、また力でもありました(創12:1、4)。……

 

 栄光の神はアブラハムを召され、アブラハムはその栄光に引き付けられ、捕らえられました。原則は、今日、わたしたちについても同じです。わたしたちはみな主の栄光によって捕らえられました。……ある日、栄光の神は福音の宣べ伝えを通してわたしたちの所へやってこられました。わたしたちは引き付けられ、納得して、主を高く評価し始めました。その時、栄光の神がご自身の存在の要素をいくらかわたしたちの中へと注入され、わたしたちは自然に神を信じました。(「新約の結論(1)」、メッセージ4)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第9週1日)

 

雲は集会の天幕を覆い、栄光は幕屋と宮を満たしました

 

出40:34-35

……雲は集会の天幕を覆い、エホバの栄光が幕屋を満たした。モーセは集会の天幕に入ることができなかった.雲がその上にとどまり、エホバの栄光が幕屋を満たしたからである。

 

「栄光は神の属性です。栄光は、神の表現、すなわち、輝きの中で表現された神です(出24:16.使徒7:55)。神の栄光が、幕屋と宮を満たしました(出40:34-35.列王上8:10-11)。雲は集会の天幕を覆い、エホバの栄光が幕屋を満たしました(出40:34)」。

 

 主よ、わたしたちは召会生活において、集会の天幕の周りで雲を見てきました。 主よ、今さらに進んで、幕屋の内側の栄光を享受することができますように。主よ、幕屋の中へと入って、食卓でパンを享受し、香壇でとりなすことができますように。

 

 

わたしたちは、幕屋の内側に来て、神の栄光を見ることを願います

 

 出エジプト記第40章34節から38節には、主の栄光が幕屋を満たす記録があります。34節は……二つの面について語ります。それは集会の天幕の外側で起こったことと、幕屋の内側で起こったことについて語ります。雲は集会の天幕を覆い、栄光は幕屋を満たしました。集会の天幕と幕屋は両方とも同じ構造でした。人に関して、それは集会の天幕でした。しかし、神に関して、それは幕屋でした。わたしたちはまた、それは外側で集会の天幕であり、内側で幕屋であったと言ってよいでしょう。

 

 召会生活の中でわたしたちは、集会の天幕の周りに集められているだけかもしれません。わたしたちは幕屋の中にいないかもしれません。出エジプト記第40章で、集会の天幕は雲で覆われましたが、幕屋は栄光で満たされました。集会の天幕の周りに集まるだけの人たちは、雲を持つかもしれません。しかしながら、わたしたちは集会の天幕の上の雲だけでなく、幕屋の内側の栄光も享受する必要があります。…… 外庭の人たちは、全焼のささげ物の祭壇の周りに集まり、集会の天幕を覆う雲を見るでしょう。しかし彼らは栄光を見ることを願うなら、幕屋の内側に来る必要があります。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第185編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週6日)

 

共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至ります

 

エペソ2:22

その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです。

 

Ⅰコリント6:17

しかし、主に結合される者は、主と一つ霊になります。

 

「パウロは次のように言っています、「その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです」(エペソ2:22)。宮と住まいは、同じものの二つの面を指しています(エペソ2:21-22)。宮は、神の民が神と接触し、神を礼拝し、神の託宣を聞く所です(エペソ2:21)。神の住まいは安息の場所です。神はご自身の住まいにおいて安息します(エペソ2:22)」。

 

 主よ、わたしたちが聖なる宮へと成長し、霊の中にある神の住まいへと至りますように。主よ、召会の中でわたしたちが神と接触し、神を礼拝し、神の言葉を受けることができますように。そして、神がご自身の安息の場所、神の住まいを得られますように。

 

 

召会は、神の民が神と接触し、神を礼拝し、神の言葉を受ける場所であり、また神の安息の場所です

 

 エペソ人への手紙第2章22節の「あなたがた」は、地方の聖徒たちを指しています。これは21節の建物が宇宙的であり、22節の建物が地方的であることを示します。この節でパウロは、地方の聖徒たち、エペソにいる聖徒たちはキリストの中で共に建造されて、神の住まいへと至ると言いました。ですから、パウロはこれらの節で、召会の宇宙的な面と地方的な面の両方を取り扱いました。建物全体が成長していく、これは宇宙的な面を言っています。特定の地方の信者たちが共に建造される、これは地方的な面です。

 

 なぜパウロは宇宙的な面に言及する時、「聖なる宮」という用語を用い、地方的な面を語る時、「神の住まい」という用語を用いるのでしょう? ……宇宙的な宮以外に、地方的な宮と呼ばれる別の宮があるのではありません。宮と住まいは、同じものの二つの面を指しています。…… 宮は神の民が神と接触し、神を礼拝し、神の託宣を聞く所です。住まいは安息の場所です。神はご自身の住まいにおいて安息されます。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週5日)

 

主なる神、全能者と小羊がその宮だからです

 

Ⅰコリント3:16-17

あなたがたは神の宮であって、神の霊があなたがたの中に住んでおられることを、知らないのですか? ……神のその宮は聖なるものであり、あなたがたはそのようなものである……。

 

啓21:22

わたしはその中に宮を見なかった.主なる神、全能者と小羊が、その宮だからである。

 

「建物全体が、主の中にある宮へと成長していきます(エペソ2:21)。エペソ第2章21節の「宮」と訳されたギリシャ語が意味しているのは、聖なる所、宮の内なる部分です。召会は神の宮です。そのようなものとして、それは聖なる神の聖なる所、神の霊が住む宮です(Ⅰコリント3:16-17)。新エルサレムに宮はありません。なぜなら、主なる神、全能者と小羊が、その宮であるからです(啓21:22)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはかしらであるだけでなく、またからだです。主よ、わたしたち召会はキリストの拡大であり、団体のキリスト、拡大され拡張されたキリストです。主よ、わたしたちがキリストのからだの実際を経験して、新エルサレムとなりますように。

 

 

神は都全体であり、もう一方で、都は贖われた者から成る生ける構成体です

 

 新エルサレムの都全体が至聖所であり、神と小羊はこの都の中の宮です。これら二つの点を一緒にするなら、この都が神と小羊であることがわかるでしょう。都全体が至聖所であり、内なる宮は神と小羊ですから、その都は神と小羊です。

 都全体は幕屋と呼ばれます(啓21:3)。……幕屋は宮の前身です。宮が現れる前に幕屋があります。しかし、幕屋がその豊満に至る時、それは宮になります。

 

 ですから、わたしたちの前に三つの要点をとどめておく必要があります。すなわち、都全体が至聖所であること、宮は神ご自身と小羊であること、都全体が幕屋であることです。これらの要点をすべて一緒にする時、神ご自身が新エルサレムの都全体であることを見ます。しかしながら、……新エルサレムの都全体はまた、神の贖われた者すべてから成る一つの生ける構成体でもあります。一方で、神は都全体であり、もう一方で、都は贖われた者から成る生ける構成体です。(「啓示録ライフスタディ(3)」、第64編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第10日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週4日)

 

平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別してくださいます

 

Ⅰテサロニケ5:23

そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あなたがたの霊と魂と体とを守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨の時に、完全で責められるところのない者にしてくださいますように。

 

 「建物全体は聖くなりつつあります(エペソ2:21)。神がわたしたちを聖くするのは、聖なる方であるご自身を、わたしたちの存在の中へと分け与えることによります。それはわたしたちの全存在が、彼の聖なる性質で浸透され、飽和されるためです(エペソ1:4.Ⅰテサロニケ5:23)」。……

 

 主よ、あなたは聖なる方であることを感謝します。主よ、わたしたちにご自身を分け与えて、わたしたちの全存在が、あなたの聖なる性質で浸透され、飽和されますように。主よ、わたしたちが徹底的に聖別されて、主イエス・キリストの来臨の時に、完全で責められるところのない者になりますように。

 

 

主イエス・キリストの来臨の時に、完全で責められるところのない者にしてくださいます

 

 聖となるとは、第一に神に分離されること、第二に、神に占有されること、第三に、神に所有されること、第四に、神に浸透されて神と一になることです。最終的に、聖書におけるこのことの結果は新エルサレムです。それは聖なる都と呼ばれます。それは神に属し、神のためであるだけでなく、神に所有され、神で浸透され、神と一である都です。…

 

 今や性質上の聖別に来ます。それは義認の後に来ます(ローマ6:19、22)。これは単にわたしたちの地位における聖別だけでなく、わたしたちの性質における聖別でもあります。ですから、それは地位上の聖別よりもさらに深く、さらに主観的です。分離はかなり容易に、またごく短い期間に起こり得ます。しかし性質において浸透されることは長い時間を要します。主に対して忠信であるなら、わたしたちは日ごとに神の性質で浸透されるでしょう。神はわたしたちにご自身を浸透しようとしておられます。わたしたちは自分の存在の中で神を吸収する必要があります。これは時間を要します。これが聖とされる過程です。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(1)」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週3日)

 

隅の石であるキリストの中で、 主の中にある聖なる宮へと成長していきます

 

エペソ2:21

その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき。

 

Ⅰコリント3:6

わたしは植え、アポロは水を注ぎました.しかし、神が成長させてくださったのです。

 

「隅の石であるキリストの中で、「建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき」ます(エペソ2:21)。「建物全体」という句は、宇宙的な建造、全宇宙における召会を指しています(エペソ2:21)。この建物は生きているので、成長していきます。なぜなら、それは有機的なものであるからです(Ⅰペテロ2:5)。この建物は、聖なる宮、神の聖なる住まいへと成長していきます。この事が示しているのは、聖なる宮が生ける建物であるということです(エペソ2:21)」。

 

 主よ、わたしたちが天然の命の中でではなく、神聖な命、霊の命の中で成長することができますように。そして、わたしたちが共に組み合わされて、主の中にある聖なる宮へと成長し、霊の中にある神の住まいへと至りますように。

 

 

神の家としての召会の実際の建造は、信者たちの命の成長によります

             

[エペソ人への手紙第2章21節で]わたしたちは隅の石であるキリストの中で、建物全体が、ユダヤ人と異邦人信者たちを含めて、共に組み合わされ、聖なる宮へと成長していくのを見ます。神の家としての召会の実際の建造は、信者たちの命の成長によります。今日、召会は成長しつつあります。しかしながら、それが成長していくのは、わたしたちの天然の命の中でではなく、神聖な命、霊の命の中でです。

 

 「組み合わされ」という言葉が意味しているのは、その建物の条件と状態にふさわしくされるということです。キリストのからだとして、召会は再生されました。そして神の家として、召会は建造されつつあります。一見すると、成長と建造は別々のもののようですが、実際には、家の建造はからだの成長です。もしからだが成長しないなら、家は建造されることはできません。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週2日)

 

キリストの奥義は  彼の聖なる使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されています

 

エペソ2:20

そして、使徒たちと預言者たちの土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身が、その隅の石です。

 

エペソ3:4-5

……キリストの奥義……は、今や彼の聖なる使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されていますが、別の世代では、そのように人の子たちに知らされていませんでした。

 

「わたしたちはキリストにある信者として、またキリストのからだの肢体として、「使徒たちと預言者たちの土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身が、その隅の石」です(エペソ2:20)。キリストの奥義である召会が使徒たちに啓示されたのですから、彼らが受けた啓示は、召会が建造される土台と考えられます(エペソ3:4-5.2:20)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちに、キリストの奥義を啓示してください。主よ、わたしたちが使徒たちと預言者たちが受けた啓示の土台の上に、召会を建造することができますように。

 

 

使徒たちと預言者たちが受けたキリストと召会に関する啓示が、召会が建造される土台です

 

 わたしたちは神の建造として召会を考える時、その土台に特別な注意を払う必要があります。……多くのクリスチャンは、エペソ人への手紙第2章20節において何が土台であるかを理解するのが困難です。……キリストは唯一の土台です[Ⅰコリント3:11]。それにもかかわらず、エペソ人への手紙第2章20節は、使徒たちと預言者たちの土台について語っています。……土台が使徒たちのパースンそのものであるという啓示録第21章とは対照的に、ここの土台は使徒たちと預言者たち自身ではありません。

 

 キリストの奥義が使徒たちに啓示されたのですから(エペソ3:4-5)、彼らが受けた啓示は、召会が建造される土台と考えられます。これは、マタイによる福音書第16章18節の岩と一致します。この岩は、キリストご自身であるだけでなく、キリストに関する啓示でもあり、その上に、キリストは彼の召会を建造されます。ですから、使徒たちと預言者たちの土台とは、召会を建造するためにキリストと召会について彼らが受けた啓示です。召会はこの啓示の上に建造されます。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第8週1日)

 

主の中にある聖なる宮へと成長していきます

 

エペソ2:5-6

わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは、恵みによるのです)、キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました。

 

「わたしたちが恵みによって救われたことと、キリストと共に復活させられて彼と共に天上で座らせられていることと、御父へと近づくことができることは、主の中にある聖なる宮へと成長することを通して、彼のからだである召会を建造するためです(エペソ2:5-6,8,18,21-22)」。

 

 主よ、わたしたちが恵みによって救われたことを感謝します。さらに、わたしたちが生かされて、キリストのからだの生ける肢体として、主を表現することができますように。そして、主よ、わたしたちを主の中にある聖なる宮へと成長させてください。

 

 

わたしたちは生かされて、キリストのからだの生ける肢体として、彼を表現します

 

 罪人として、わたしたちはローマ人への手紙に啓示されているように、神の赦しと義認を必要とします。ところが死んだ人としては、生かされる必要があります。赦しと義認はわたしたちを神の御前に連れ戻し、彼の恵みを享受させ、彼の命にあずからせます。しかし生かされることは、わたしたちがキリストのからだの生ける肢体として、彼を表現することができるようにします。神がわたしたちを生かされたのは、彼の永遠の命、すなわちキリストご自身を(コロサイ3:4)、彼の命の霊を通して(ローマ8:2)、わたしたちの死んだ霊の中へと分け与えることによってでした。

 

 神はわたしたちを、キリストと共に生かしてくださいました。神は、十字架につけられたイエスを生かした時、わたしたちを共に生かしてくださいました。ですから、神はわたしたちを、キリストと共に生かしてくださったのです。[エペソ人への手紙第2章5節の「恵み」は、]わたしたちの享受のために、わたしたちの中へと無代価で分与された神を示しているだけでなく、わたしたちを無代価で救う神の行動をも示しています。そのような恵みによって、わたしたちは自分のみじめな死の地位から、驚くべき命の領域へと救い入れられました。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(1)」、第21編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第7週6日)

 

宮の石は、キリストの人性、造り変えを経過したキリストを表徴します

 

列王上6:7

家は建てられるとき、石切り場で切られ、仕上げられた石で建てられた…

 

Ⅰペテロ2:4-5

人には捨てられたが、神には選ばれた尊い生ける石である主に来て、あなたがた自身も生ける石として、霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって、イエス・キリストを通して、神に受け入れられる霊のいけにえをささげなさい。

 

「宮の石は、造り変えにおけるキリストの人性、造り変えを経過したキリストを表徴します(列王上5:15-18.6:7, 36.歴代上29:2.歴代下3:6)。宮の石はまた、石としてのキリストによって造り変えられた、キリストにある信者たちを表徴します(マタイ16:18.ヨハネ1:42.Ⅰペテロ2:4-7.啓21:11, 14, 18-21.参照、ダニエル2:34-35, 44-45)」。 

 

 主よ、あなたは神に選ばれた尊い生ける石です。主よ、わたしたちが石切り場で切られ、仕上げられた石となり、他の人と共に組み合わされ、召会を建造するのに用いられる生ける石となることができますように。

 

 

新約は生ける石について語り、旧約は石を切ることについて語ります

 

 召会の中のあらゆる救われた人は、召会の中の石です。石が荒野の山にあったように、わたしたちはみなこの世にいましたが、ある日、神の働き人がわたしたちを見いだしました。すなわち、わたしたちは神の働きによって見いだされました。そして神の働き人と神の働きがわたしたちを対処し、わたしたちの上で切る働きを開始しました。召会を建造するのに用いられる霊の石は、内側に命を持ち外側で働きかけられなければなりません。

 

 ですから、新約は生ける石について語り(Ⅰペテロ2:5)、旧約は石を切ることについて語るのです(列王上5:15、17-18.6:7)。召会を建造するのに用いられる石は、内側で生きていなければならず、外側で切られなければなりません。生きていることは再生を暗示します。しかしながら、再生の後、石はなおも長い期間にわたって神に切っていただく必要があります。……彼らがある大きさになって他の人に符合するように多くの切ることが必要です。……このようにして彼らはどこに置かれても、他の人と共に組み合わされ、建造されることができるでしょう。(「召会の三つの面、第1巻:召会の意義」、第15章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第7週5日)

 

神に役立つ人は、絶えず神の裁き(青銅)の下にいる人です

 

列王上7:15

彼は青銅の柱二本を鋳造した.それぞれの柱の高さは十八キュビトであり、それぞれの柱の周囲はひもで測って十二キュビトであった。

 

ローマ7:18

わたしは自分の中に、すなわち、自分の肉の中に、善なるものが住んでいないことを知っています.…

 

「宮の柱は、青銅で建てられました。青銅は、神の裁きを表徴します(列王上7:14-15, 21.啓3:12.21:22)。聖書で柱は、神の建造のしるし、証しです。神に役立つ人は、絶えず神の裁き(青銅)の下におり、自分が肉の中の人であって、何の価値もなく、ただ死と葬りにふさわしいことを認識しています(詩51:5.出4:1-9.ローマ7:18.マタイ3:16-17)」。

 

 主よ、わたしたちが絶えず神の裁き(青銅)の下にいる者であることを認識させてください。わたしたちはこの複雑な錯綜する状況の中で、自分が何であるかによってではなく、ゆりのように、神にある信仰によって生きることができますように。

 

 

わたしたちはこの複雑な錯綜する状況の中で、神にある信仰によって生きます

 

 予表では、青銅は常に神の裁きを表徴します。二本の柱が青銅で造られたことは、わたしたちが柱であろうとするなら、神の裁きの下にいる者であるのを認識しなければならないことを、はっきりと示しています。……  列王紀上第7章17節は、「柱の頂にある柱頭のために、格子細工の網と鎖細工の飾りひもが、一つの柱頭に七つ、もう一つの柱頭に七つ」と語っています。召会の肢体が直面するあらゆる状況は、針やいばらの冠で取り囲まれた格子細工、格子です。……この状況にいることが、わたしたちの運命です。わたしたちはこの複雑な錯綜する状況の中で責任を担うだけでなく、そのただ中で生きなければなりません。

 

 この錯綜する状況の中で責任を担うために、わたしたちは神にある信仰によって生きなければなりません。列王紀上第7章19節は、「廊の柱の頂にある柱頭はゆりの花の細工であって」と言います。ゆりは神にある信仰の生活を表徴します。まず、わたしたちは自分を罪定めして、自分が堕落し、能力がなく、資格がないこと、自分が無であることを認識しなければなりません。そして、自分が何であるか… 何を行なうことができるかによってではなく、神にある信仰によって生き、… 神がわたしたちにとって何であるかによって存在するゆりでなければなりません(マタイ6:28、30)。(創世記ライフスタディ(5)、第83編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第3日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第7週4日)

 

油とぶどう酒が合わさると、人のいやしとなります

 

ルカ10:34

近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。……

 

士9:13

しかし、ぶどうの木は彼らに言った、「わたしは、神と人を活気づけるわたしの新しいぶどう酒を捨て置き、行って木々の上で揺れていなければならないのでしょうか?」。

 

「ローマ第11章が啓示しているのは、わたしたちがオリブの木としてのキリストの枝々であって(17, 24節)、「オリブの実」を結び、人を和らげる油(聖霊を表徴する)を生み出すということです。ヨハネ第15章が啓示しているのは、わたしたちがぶどうの木としてのキリストの枝々であって(5節)、「ぶどうの実」を結び、人を活気づけるぶどう酒(神聖な命を表徴する)を生み出すということです。 油とぶどう酒は合わさると、人のいやしとなります」。

 

 主よ、わたしたちが主を呼び求め、主の言を祈り読みすることによって、主の中に住むことができますように。そして、主よ、わたしたちが他の人たちを和らげる油と活気づけるぶどう酒を生み出すことができますように。

 

 

主の中に住むことによって和らげる油とかき立てるぶどう酒を生み出すことができます

 

 ヨハネによる福音書第15章とローマ人への手紙第11章は、二種類の木、すなわちぶどうの木とオリブの木の枝について語っています。ぶどうの木はぶどう酒を作るためにぶどうを生み出し、オリブの木は油を作るためにオリブを生み出します。……油には和らげる効力があり、ぶどう酒には活気づけ、かき立てる効力があります。主は和らげる油を生み出すオリブの木であり、また活気づけるぶどう酒を生み出すぶどうの木でもあります。

 

 あらゆる世代を通して、多くの人々は内側で傷つき、落ち込み、失望してきました。彼らは自分の傷を和らげる油を必要とし、また彼らをかき立てるぶどう酒を必要とします。わたしたちはぶどうの木の枝であり、オリブの木の枝です。それは和らげる油と活気づけるぶどう酒を生み出します。油とぶどう酒は一緒にされると、人々のいやしとなります。わたしたちは、主の中に住むことによって和らげる油とかき立てるぶどう酒を生み出すことができ、また主の言を祈り読みすることによって主の中に住むことができます。(リー全集、1968年、第1巻(上)、「ロサンゼルスにおけるさまざまなメッセージ」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第7週3日)

 

オリブの木の根の豊かな養分に共にあずかります

 

ローマ11:17,24

……野生のオリブの木であるあなたが、彼らの間に接がれ、オリブの木の根の豊かな養分に共にあずかる者となったとしても、…… もしあなたが、本来は野生のオリブの木であるものから切り離されて、栽培されたオリブの木へと、自然の性質に反して接がれたとしたら、…

 

「オリブの木は、造り変えられた、命を与える霊としてのキリストを表徴します(列王上6:23, 31-33.Ⅰコリント15:45後半)。オリブ油は、神の霊を予表します。ですから、オリブの木は、神の霊の中のキリストの人性、すなわち油塗られたキリストを表徴します。わたしたちはキリストの枝々であり、栽培されたオリブの木としての彼の中へと接ぎ木されており、彼を享受しています(ローマ11:17, 24)」。

 

 主よ、わたしたちは栽培されたオリブの木としてのキリストの中へと接ぎ木されました。主よ、キリストと有機的に結合されたことを感謝します。主よ、わたしたちの霊を活用して、命を与える霊と接触し、また神の御言を読むことによって、キリストの豊富を享受することができますように。

 

 

天的なオリブの木の豊かな養分としてのキリストの豊富にあずかります

 

 ローマ人への手紙第11章17節は、異邦人がユダヤ人の間に接がれて、オリブの木の根の豊かな養分に共にあずかる者となることについて語っています。……17節の「豊かな養分」は、キリストの豊富を指しています。木の豊かな養分は、木の樹液、命の液です。実際的には、今日オリブの木の豊かな養分、すなわちキリストの豊富は命を与える霊であり、キリストは彼の復活の中で命を与える霊と成りました(Ⅰコリント15:45)。……

 

 もしわたしたちが天的なオリブの木の豊かな養分としてのキリストの豊富にあずかることを願うなら、わたしたちはキリストの命の液としての命を与える霊と接触する必要があります。キリストの豊富を享受するもう一つの方法は、神の御言を読むことです。わたしたちは聖書を読むとき、あらゆる言葉にアーメンと言うべきです。こうすることによって、わたしたちは霊を活用し、主と接触し、彼を享受し、豊かな養分としてのすべてを含む霊にあずかります。(リー全集、1968年、第1巻(上)、ロサンゼルスにおけるさまざまなメッセージ、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  結晶の学び 列王紀上、下  第7週2日)

 

香柏の木はレバノンの山の上に生えていて、復活したキリストを表徴します

 

ホセア14:5-6

わたしはイスラエルに対して露のようになる.彼はゆりのように花咲き、レバノンの木のように根を張る。その若枝は伸び、その栄華はオリブの木のように、そのかおりはレバノンの木のようになる。

 

「香柏は、復活したキリストを表徴します(列王上6:9-10, 15-16, 36)。香柏の木はレバノンの山の上に生えていました。こういうわけで、香柏は復活におけるキリストの人性、復活したキリストを表徴します(詩104:16.雅4:8)。わたしたちは、レバノンの香柏の木のように、キリストの中へとわたしたちの根を張る者となる必要があります」。

 

 主よ、わたしたちがゆりのように神に信頼し、レバノンの木のように深く根を張る者となることができますように。主よ、わたしたちがエホバの家に植えられ、命において成長し、年老いても実を結び、生気に満ちますように。

 

 

わたしたちは… ゆり、レバノンの木、オリブの木、花咲くぶどうの木のようになります

 

 ホセア書第14章4節から8節には、復興の時の(マタイ19:28)イスラエルの絵があり、それはホセア書第2章15節から23節、第3章5節、第6章1節から3節、第10章12節に啓示されているようにです。……主はイスラエルに対して露のようになられ、イスラエルはゆりのように花咲き(神に信頼する純粋な生活を表徴する)、レバノンの木のように根を張ります(引き上げられた人性において堅く立つことを表徴する)。その若枝は伸び(繁茂し拡大することを表徴する)、その栄華はオリブの木(忠信さにおける栄光を表徴する)のように、そのかおりはレバノンの木(引き上げられた人性における命の甘い香りを表徴する)のようになるでしょう。

 

 主の陰の下に座す(彼らが享受した十分な恵みによって覆われることを表徴する―Ⅱコリント12:9)者は帰って来ます。彼らは穀物のように生き返り(命に満ちて、満足させる食物を生み出すことを表徴する)、ぶどうの木のように花咲きます(開花して元気づける飲み物を生み出すことを表徴する)。イスラエルの名声はレバノンのぶどう酒のようになるでしょう(良い評判が名酒のように広まることを表徴する)。わたしは、これが主の回復におけるすべての地方召会の状態になることを望みます。(「ホセア書ライフスタディ」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)