朝ごとの食物

(ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週1日~)

 

11月の祈り 第30日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第2週2日)

 

神の究極の働きは、からだの証しを回復することです

 

エペソ4:12-13

それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり、ついにわたしたちすべては、その信仰の一に……到達するのです。

 

エペソ4:3

平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努めなさい。

 

「霊にしたがって生きる真の霊的な人(霊の人)は、彼の霊の中だけでなく、またからだの中で、からだを通して、からだのためにすべての事を行ない、すべての事を語ります。わたしたちが真に霊的であるなら、「平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つ」ことを熱心に努めます(エペソ4:3.Ⅰコリント2:14-15.3:1, 3)」。

 

 主よ、わたしたちが平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことができますように。主よ、わたしたちが成就されて、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至ることができますように。

 

 

召会はキリストのからだであり、それは愛の中でそれ自身を建て上げます

 

 神は今日、最も困難な事を回復しつつあります。……エペソ人への手紙第4章は、その務めの働きはその信仰の一に到達することであると言います。召会はキリストのからだであり、それは愛の中でそれ自身を建て上げます。わたしたちは新しい天とか新しい地とか、火の池などの事柄には関心はありません。しかし、わたしがベッドに横になる時、わたしはいつもエペソ人への手紙第4章の成就が気にかかるのです。…… 今日の神の子供たちの間には、多くの混乱があり、またあらゆる種類の分裂があります。いつわたしたちは一になるのでしょうか? 今日、あらゆる種類の務めがあります。状態はとても複雑です。どのようにしたら、この章は回復され得るのでしょうか?

 

 それにもかかわらず、…… 神の回復がエペソ人への手紙第4章の成就に到達する日が来ることを、わたしたちは信じます。神は至る所で、回復の働きをしておられます。これらすべての働きにおける究極の働きは、からだの証しの回復です。今日の神の導きは、わたしたちを初めに戻すことであり、初めの状態へと回復することです。(ウオッチマン・ニーが務めを再開した時期のメッセージ記録(下)、第64章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第2週1日)

 

からだ全体は愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです

 

エペソ4:15-16

むしろ、愛の中で真実を固く保って、わたしたちはすべての事で、彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです.この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「神の大いなる喜び、彼の心の願いは、この時代の要求、すなわち、この時代における神の必要に応じることです。エペソ第4章15節と16節は、からだのすべての肢体がかしらの中へと成長し込み、かしらから出て来る機能を持つということです」。

 

 主よ、わたしたち一タラントの者がすべて自分のタラントを持ち出して機能することができますように。主よ、わたしたちがかしらの中へと成長し込み、かしらから出て来る機能を持つことができますように。

 

 

召会の中で、一タラントの者がすべて自分のタラントを持ち出します

 

 今日の召会のすべての問題は、一タラントの者から生じます。主がわたしたちに見せているように、五タラントを越えた賜物を持っている者は一人もいません。二十年間で、召会は五タラントの者を一人しか持たないかもしれませんが、毎日、召会は一タラントの者を五人持つことができます。神の子供であればだれであれ、最も貧しい状態にある人でさえ、依然として一タラントを持っています。一タラントの者五人を一緒にするとき、それは五タラントの者一人に等しくなります。

 

 今日、召会の中で、一タラントの者がすべて自分のタラントを持ち出すなら、わたしたちの間で大きな賜物が多くいる必要はないでしょう。一タラントの者たちが出て来さえすれば、わたしはあなたに告げますが、全世界は征服されるでしょう。(ウオッチマン・ニー、「教会生活についてさらに語る」、第5章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週6日)

 

神は時代の行動のために、男の子を必要としています

 

啓12:5,10-11

彼女は一人の子、男の子を産んだ.この子は鉄の杖で、すべての諸国民を牧養することになっている.彼女の子供は、神に、神の御座に携え上げられた。

10-11  ……今、わたしたちの神の救いと力と王国と、彼のキリストの権威とが来た.・・・・・兄弟たちは、……血のゆえに、また彼らの証しの言のゆえに、彼に打ち勝った.……

 

「神は、ご自身の最も大いなる、時代の行動のために、男の子を必要としています(啓12:1-5, 7-12)。男の子は、召会の中の勝利者、また神の民の一部分である勝利者を指しています(啓2:26-27.12:5)。神は、男の子が神の敵を打ち破って神の王国をもたらし、神の永遠の定められた御旨が完成されることを必要とします(啓12:10)」。

 

 主よ、あなたは時代の行動のために、男の子を必要としています。主よ、わたしたちが、この時代を終結させて王国の時代をもたらすという神の必要に応答して、男の子となることができますように。

 

 

次の時代をもたらすために、今は特別な時です

 

 神の願いは、被造物が堕落した被造物を対処することです。神の定められた御旨によれば、召会全体がサタンを対処すべきです。しかしながら、召会は失敗しました。ですから、勝利者たちが立ち上がる必要があるのです。神の定められた御旨は勝利者たちにおいて成就されます。なぜなら、彼らは神と共に働くからです。わたしたちは勝利者の原則を、神の御言を通して見ることができます。神は常に、時代の行動をする一群れの勝利者たちを保持しておられます。

 

 わたしたちは時代の終わりにいるのでしょうか? もしそうであるなら、王国は間もなく始まるでしょう。もし時代の行動が近づいているなら、神は手段を必要とされます。一般的な働きはもはや十分ではありません。神の子供たちはビジョンに欠けています。彼らは状況の重大さと厳しさを見ていません。「今」は時代の事柄です。単に主の良いしもべとなるだけではもはや十分ではありません。・・・・ わたしたちはこの時代を閉じるために何をしているのでしょうか? わたしたちは次の時代をもたらすために何をしているのでしょうか? 今は特別な時です。ですから、特別なクリスチャンが特別な働きをする必要があるのです。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、付録)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週5日)

 

召会生活の中で、箱船としての団体のキリストを建造します

 

マタイ16:18

……わたしは……わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。

 

ピリピ2:12-13

……恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい.なぜなら、……あなたがたの内で活動する神だからです。

 

  「召会生活は今日の箱船であって、現在の時代を終結させ、神の王国をもたらします(Ⅰコリント1:2.12:12, 27.Ⅰテサロニケ1:1, 9-10)。わたしたちが召会生活の中で建造しているものは、箱船としての団体のキリストです。それはわたしたちの救いのためであり、またわたしたちの顧みの下にある人たちの救いのためです(Ⅰコリント12:12.14:26.ピリピ2:12-13)」。

 

 主よ、召会生活の中で、箱船としての団体のキリストを建造することができますように。主よ、わたしたちが召会生活を通して、この曲がった世代から救われて、神の王国の中へともたらされますように。 

 

 

わたしたちは箱船を建造して、わたしたち自身の救いを成し遂げます

 

 八人だけが箱船の中で、その曲がった世代から水を通して救われました。多くの人は永遠の滅びから救われたかもしれませんが、箱船に入った人は多くありませんでした。永遠の滅びから救われるために、わたしたちは何も行なう必要はありませんが、邪悪な世代から救われるために、箱船を建造する必要があります。ピリピ人への手紙第2章12節は、「あなたがた自身の救いを成し遂げなさい」と言います。……これは永遠の滅びからの救いではありません。それは15節に述べられている、曲がったよこしまな世代からの救いです。……

 

 わたしたちの多くは、永遠の滅びから救われたと言うことができるだけです。……これは、わたしたちの救いの半分にすぎません。わたしたちは残りの半分から、すなわちこの曲がったよこしまな世代から救われる必要があります。……わたしたちの救いの残りの部分には、神とわたしたちとの協力が必要です。……神の働きと協力するなら、消極的な面で、わたしたちは自然にこの曲がった世代から救い出されます。積極的な面で、わたしたちは箱船に入ります。それは正常な召会生活を表徴します。(リー全集、1975年―1976年、第1巻(下)、「イエスの証し」、第8編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週4日)

 

建造された召会は今日の箱船であり、邪悪な世代からわたしたちを救います

 

ヘブル11:7

信仰によって、ノアは、……彼の家の救いのために箱船を用意し……信仰による義の相続人となりました。

 

使徒2:40

……この曲がった世代から救われなさい……

 

「神はこの時代を終結させることを必要としています(ローマ12:2.エペソ2:2.Ⅱコリント4:4.テトス2:12)。主が来臨する前の状況は、ノアの日々の状況のようになります(マタイ24:37-39)。 ノアによって建造された箱船は、神の選びの民の救いであるキリストを予表します。今日わたしたちが建造している箱船は、団体のキリスト、召会であって、今日の曲がった、よこしまで、邪悪な世代からのわたしたちの救いです(Ⅰペテロ3:20-21.Ⅰコリント12:12, 27)」。

 

 神はこの時代を終結させ、王国時代をもたらそうとしています。主よ、今日の箱船である召会が建造されますように。主よ、今日の曲がった、邪悪な世代から、わたしたちに属する人たちが救われますように。

 

 

箱船を建造して、この現在の時代を終結させ、神の王国をもたらします

 

 今日は生けるイエスの時代であり、神はこのイエスによって生きる人々を欲しておられます。これらの人々は今日のノアであって、現在の世代を終結させ、来たるべき時代、すなわち、王国時代をもたらす人々です。これが今日、主が行なっておられることです。……主の働きは、彼を愛し追い求める者たちを引き寄せることです。彼らは、純粋な動機を持ち、開いた霊をもって、絶対的な方法で彼に従い、それによって、彼は召会生活を持ち、現在の潮流に対して全世界に反対し、この現在の時代を終結させ、神の王国をもたらします。これが、神が今日、成就しつつある彼の定められた御旨です。…… 

 

 主は「ノアの家族」が箱船を建造し、時代の潮流に反対して証しすることを願っておられます。それによって主は、彼らを用いてこの時代を終結させ、王国時代をもたらすことができます。わたしたちが召会生活の中で建造しているものは今日の箱船であり、それはわたしたちの救いのためであり(ピリピ2:12)、またわたしたちの顧みの下にある人たちの救いのためです。(1975年―1976年、第1巻(下)、「イエスの証し」、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週3日)

 

人に統治権を与えた神の意図は、神の敵サタンを従わせることです

 

創1:28

地に満ちよ、そして地を従わせよ.そして海の魚と空の鳥と地上を動くすべての生き物を治めよ。

 

啓5:10

彼らをわたしたちの神のために王国とし、祭司とされたからです.そして彼らは地上で王として支配します。

 

「神は、人が地を回復することを必要としています(創1:26, 28.マタイ6:10.啓5:10)。人が神によって創造されたのは、地を治め、地を従わせ、神のために地を回復するためでした(創1:26, 28)。人に統治権を与えた神の意図は、神に敵対して反逆した神の敵サタンを従わせることです(創1:26, 28)」。

 

 主よ、今、地は神の敵によって強奪されています。神は、人が地を回復することを必要としています。主よ、わたしたちがあなたに絶対的に服従して、サタンの働きと権威を覆す人になることができますように。

 

 

代価を払って絶対的に主に服従して、サタンを対処する人になります

 

 神は、人が支配し、神の全被造物に対して王として支配し、神の勝利を宣言するというご自身の必要を啓示されました。神のために支配することは小さな事ではなく、大いなる事柄です。神は、信頼することができ、神を失望させない人を必要としておられます。これが神の働きであり、これが神が獲得することを願われるものです。

 

 兄弟姉妹、これはわたしたちに代価を払うことを要求します。わたしたちは、悪鬼がどんなことを言うことができるかを知っています。ある悪鬼がかつて言いました、「イエスについては知っている.パウロについてもわかっている.だが、おまえたちはいったい何者だ?」(使徒19:15)。悪鬼がわたしたちに出会ったとき、彼は逃げるでしょうか、逃げないでしょうか? 福音を宣べ伝えることはわたしたちに代価を払うことを要求しますが、サタンを対処するためにははるかに大きな代価が払われなければなりません・・・・ わたしたちは、神が用いてサタンの働きと権威のすべてを覆させる人になろうとするなら、主に完全に、また絶対的に服従しなければなりません!(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第1章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週2日)

 

神はご自身の全能の力を人の意志という制限の下に置きました

 

ヨハネ6:38

なぜなら、わたしが天から下って来たのは、自分の意志を行なうためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行なうためだからである。

 

「人は自由意志をもって創造されました。その時から、神は制限を受け始めました(創1:26)。神は創造の時に、ご自身の全能の力を人の意志という制限の下に置きました(創1:28節.2:9, 16-17)。神は、人の意志が神の側に立つことを願っています。ですから、主がご自身のみこころのままに行なうことをわたしたちが妨げるものは何もないという点にまで、わたしたちをもたらすことを、主は必要としています(Ⅰコリント6:17.マタイ6:10.7:21.12:50.エペソ1:1, 9.5:17)」。

 

 主よ、わたしたちの意志が神の側に立つことができますように。主がご自身のみこころを行なうことができますように。主がわたしたちを主の経路としてくださいますように。

 

 

今日、神の力はわたしたちの度量によって支配されています

 

 神の意志と絶対的に一つである方、神がその人の中で何の制限も持たない方は、主イエスです。神は、ご自分の行ないたい事を、彼と共に、彼を通して行なうことができます。彼の死と復活を通して、その霊の力によって、からだが形成されました。神は、ご自身に完全に応答し、それらの人々によってご自身の意志に関する制限が永久に除かれるという肢体を捜し求めておられます。…… わたしたちが永遠の定められた御旨をもたらすことができる前に、神はわたしたちにおいて自由な道を得なければなりません。……

 

 王国が意味するのは、神がなしたいことを行なうことができ、彼がご自身の道を持ち、妨げられず、権威と力を持ち、それゆえ栄光を持つということです。……ある日、召会は、神が欲するすべてが盛られた器となりますが、それは今日、始まらなければなりません。

……今日、神の力は完全にわたしたちの度量によって支配されています。……神はご自身をわたしたちの中に入れ、わたしたちを彼の経路とされます。わたしたちは、神を閉じ込めることもできますし、神を解き放つこともできます。(ニー全集、第46巻、第183編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 神の必要と主の回復における現在の必要に応じる(1) 第1週1日)

 

神のみこころが地上で行なわれるために、人の協力を必要とします

 

マタイ6:10

あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。

 

「神のみこころが地上で行なわれ、神の永遠の定められた御旨が成就されるために、神はわたしたちの協力を必要としています(Ⅰコリント6:17.マタイ7:11.12:50)。わたしたちの目は開かれて、神が自ら制限を受けていることを見る必要があり、またわたしたちがどのように彼と協力すべきかを見る必要があります(マタイ6:10.18:18-19.Ⅱコリント6:1)」。

 

 主がみこころ行なうことで、わたしたちのゆえに制限を受けていることを、わたしたちが見ることができますように。主よ、わたしたちがどのように主と協力すべきかを教えてください。

 

 

神は全能ですが、彼のからだの中で行動することにおいて制限を受けています

 

 神は全能ですが、彼の全能であることは制限を受けます。なぜなら神は、彼の働きに適合する、ある条件を持たなければならないからです。問題は、神がご自身の力を現されるような位置に、わたしたちがいるかどうかということです。

 

 キリストのからだは、キリストを表現するものです。…… からだは彼の表現ともなり得るし、彼の制限ともなり得ます。地上で、主は制限のある肉の体の中で行動されました。今日、主は霊のからだ、彼の召会の中で行動してご自身を表現し、現されます。主は彼のからだの中で、その霊の中で行動しておられます。地上で、主は彼の体においてご自身を現されました。そして今日、主は同じ事をしておられます。わたしたちはこの霊のからだの肢体であり、用いられて彼を表現するか、それとも彼を制限しているかのどちらかです。光が照り始め、自分の責任がいかに大きいかをわたしたちが認識するとき、それは大いなる日です。(ニー全集、第46巻、第183編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第20日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週6日)


主にある信仰は、わたしたちを死から命へと移します
                 

Ⅰヨハネ3:14
わたしたちは死から命へと移っていることを知っています.なぜなら、わたしたちは兄弟たちを愛しているからです。愛さない者は死の中に住んでいます。


「主にある信仰は、わたしたちが死から命へと移る道です。兄弟たちに対する愛は、わたしたちが死から命へと移った証明です(ヨハネ5:24.Ⅰヨハネ3:14前半)。信仰を持つとは、永遠の命を受けることです。愛するとは、その永遠の命によって生き、それを表現することです(ヨハネ3:15, 36.Ⅰヨハネ3:11, 14-18.4:7-12, 16, 19-21)」。
 

 主よ、わたしたちが信仰を持ち、永遠の命を受けたことを感謝します。主よ、わたしたちは今、主イエスを愛し、兄弟姉妹を愛しています。主にある信仰は、わたしたちを死から命へと移しました。ハレルヤ!



愛することは、永遠の命によって生き、それを表現することです

 死は、悪魔、神の敵サタンからであり、死をもたらす善悪知識の木で表徴されます。命は、神、命の源からであり、命という結果になる命の木で表徴されます(創2:9、16-17)。死と命は、これら二つの源、すなわちサタンと神からであるだけではなく、それらは二つの本質、二つの要素、二つの領域でもあります。死から移ることは、死の源、本質、要素、領域から、命の源、本質、要素、領域へと移ることです。

 このことは、わたしたちの再生の時にわたしたちの中で起こりました。わたしたちはこのことを知っています(オイダ[oida])。すなわち、わたしたちはこのことについての内なる知覚を持っています。なぜなら、わたしたちは兄弟たちを愛しているからです。兄弟たちに対する愛(アガペ[agape]――神の愛)は、このことの強い証拠です。・・・・・兄弟たちを愛さないのは、神聖な命の本質と要素によって生きていないこと、またその領域の中にとどまっていないことの証明です。それはサタンの死の本質と要素の中に生きていること、またその領域の中に住んでいることです。(ヨハネの第一の手紙ライフスタディ、メッセージ27)


(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週5日)

 

わたしたちは、命の感覚によって生きる必要があります

 

マタイ16:18

そこでわたしもあなたに言う.あなたはペテロである.わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。

 

ヨハネ11:25

……わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる。

 

「わたしたちは、命の感覚によって生きる必要があります。命の感覚とは、わたしたちの内側の神聖な命の感覚、知覚です(ローマ8:6.エペソ4:18-19)。命の感覚はわたしたちを導き、支配し、制御し、方向づけ、わたしたちが神聖な命の中で生きているか、それとも天然の命の中で生きているか、またわたしたちが肉の中で生きているか、それとも霊の中で生きているかを知らせます(ローマ8:6)」。

 

 主よ、あなたは復活であり、命です。主よ、わたしたちが命の感覚によって、霊の中で生きることができますように。そして、主よ、召会に対する死の攻撃に勝利することができますように。

 

 

わたしたちは、召会に対する死の攻撃に勝利する必要があります

 

 キリストは復活であり命です。召会は地上におけるキリストの器であるので、召会はこの命と復活を表現すべきです。神の意図は召会がキリストの命を現すことです。ですから、召会は命に満ちていなければなりません。召会の中で神から生じるものはすべて命です。そしてサタンから生じるものはすべて死です。・・・・・サタンが召会を攻撃するために用いる究極の武器は、死です。死は容易に特定することができません。死は召会の中へとひそかに忍び込む可能性があります。

 

 マタイによる福音書第16章18節は、主の召会の土台は岩であるキリストであり、ハデス[陰府]の門もこの召会に勝つことはできないと言っています。ハデス[陰府]は死です。もし召会の根が天にあるなら、それを天から切り離すことは不可能でしょう。・・・・・どうか神が召会を命で満たしてくださいますように。そして、どうかサタンが召会を攻撃する隙間を見いだしませんように。(ニー全集、第44巻、第114編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週4日)

 

狭い門から入り、命に至る道を歩みます

 

マタイ7:13-14

あなたがたは、狭い門から入りなさい.崩壊に至る門は広く、その道は幅広い.そして、そこから入って行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は狭められているので、それを見いだす者は少ない。

 

「神の御前でのわたしたちの生活と働きには、二つの道があり得ます。それは、命に至る道と崩壊に至る道です(マタイ7:13-14)。わたしたちは、命に至る道を歩むために、狭い門から入り、それから狭められている道を歩む必要があります(マタイ7:13-14)。狭い門は、外側の行為だけを取り扱うのではなく、内側の動機までも取り扱います」。

 

 主よ、わたしたちの生活と働きにおいて、崩壊に至る道ではなく、命に至る道を取ることができますように。主よ、わたしたちが生涯にわたって、この狭められた道を歩み続けることができますように守ってください。

 

 

主の回復の中で、霊の中で生き、霊の中で歩き、王国の実際を享受します

 

 門が狭く、狭められているのは、王国の新しい律法がさらに厳格であり、……要求がさらに高いからです。……それは外側の行為だけを取り扱うのではなく、内側の動機までも取り扱います。古い人、自己、肉、人の観念、この世とその栄華はすべて排除されます。神のみこころに合うものだけが入ることができます。……門を入ることは、その道、生涯にわたる道を歩き始めることにすぎません。…… 主の回復の中のわたしたちは、霊の中で歩かなければなりません。霊の中で生き、霊の中で歩くことは、わたしたちを制限します。

 

 マタイによる福音書第7章14節の「命」は、王国の永遠に祝福されている状態のことを言っており、この王国は神の永遠の命で満たされています。この命は、今日、王国の実際の中にあり、来たるべき時代には、王国の実現の中にあります(マタイ19:29.ルカ18:30)。今日わたしたちは主の回復の中で、命に至る狭められている道を取っています。(マタイによる福音書ライフスタディ(1)、24編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週3日)

 

善悪知識の木から命の木へと向きを変えます

 

Ⅱコリント11:3

ところが、わたしが恐れるのは、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが腐敗させられて、キリストに対する単純さと純潔を失いはしないかということです。

 

ローマ8:6

肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

 

「わたしたちは、善悪知識の木の意義を認識し、この木から命の木へと完全に向きを変える必要があります(創2:9, 16-17)。命の木が表徴しているのは、三一の神がキリストの中で、ご自身を食物の形で彼の選ばれた人の中へと命として分与するということです(創2:9)。新約は、キリストが命の木の型の成就であることを啓示しています(ヨハネ1:1, 4, 14.11:25.14:6.15:1, 5)」。

 

 主よ、 わたしたちが善悪知識の木から命の木へと完全に向きを変えて、命の木から食べることができますように。 主よ、わたしたちが思いを霊に付けて、命と平安を享受することができますように。

 

 

命の木は単純ですが、善悪知識の木は複雑です

 

 [コリント人への第二の手紙第11章3節で]使徒パウロは、ユダヤ教宣教者たちの教えが、創世記第3章で蛇がエバに語った欺きの言葉に比べるられることができることを示しています。・・・・ 創世記第3章を読めば、蛇がエバを命の木の享受からそらしたことを知ります。蛇が命の木の享受から彼女の向きを変えた方法は、もう一本の木、死という結果になる善悪知識の木を彼女に提示することでした。

 

 命の木は単純です。この木には、ただ一つの要素があり、その要素は命です。命の木は命という結果になります。その反対に、善悪知識の木は複雑であり、また複雑化します。この木には、善、悪、知識、死があります。

 聖書は全体として、この二本の木の発展です。命の木が表徴しているのは、キリストにある神がその霊として、わたしたちの命であるということです。善悪知識の木は、死としてのサタンを表徴します。・・・・ 蛇は複雑さのある善悪知識の木によって、エバを命の木からそらしました。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ(2)、第53編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週2日)

 

神の命は神聖であり、唯一の命です

 

ルツ1:16

しかし、ルツは言った、「……あなたが行かれる所はどこへでも、わたしは行きます.あなたが住まわれる所はどこにでも、わたしは住みます.あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」。

 

「神の命の神聖で永遠の性質によれば、神の命は唯一の命です。神の命だけが、命と考えることができます(ヨハネ1:4.10:10後半.11:25.14:6)。命は奥義的です。なぜなら、命は神ご自身であるからです(ヨハネ1:1, 14.5:26.エペソ4:18)」。

 

 主よ、神の命は神聖で、永遠の性質において唯一の命です。主よ、わたしたちがボアズのように命の道を取り、主の回復の中で、命としての三一の神を享受することができますように。

 

 

ボアズは命の道を取りました

 

 今日、主の回復の中でわたしたちは、士師たちの道を取らず、力に満ちて、大きな働きを行なおうとしません。……どの士師たちもキリストの父祖となりませんでした。……むしろ、ルツとボアズという一組の夫婦がこのことを行ないました(マタイ1:5)。彼らは戦ったり、力を行使したりしませんでした。ボアズは裕福でしたが、依然として農夫であり、収穫の時期に畑の麦の束と共に寝ていました。若い女が自分自身を差し出した時でさえ、彼は彼女に告げました、「わたしの娘よ、……わたしよりも近い血縁者がいます。今夜はここで過ごしなさい.朝になって、もし彼が血縁者の義務を果たすなら、結構です.彼にそれを行なわせなさい。ところが、もし彼があなたに血縁者の義務を果たすことを喜ばないなら、わたしがそれをあなたのために行ないましょう.エホバは生きておられる。朝まで寝ていなさい」(ルツ3:13-13)。

 

 ボアズは、もし彼がより近い血縁者を顧みないなら、神の聖なる社会が踏み越えたことのゆえにルツを罪定めすることを知っていました。このことは、ボアズがどれほど律法を守る者であったかを示します。これは力とは関係がありませんでした。それは完全に命に基づいていました(リー全集、1993年、第2巻、73-74ページ、英文)。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第12週1日)

 

ルツ記はナオミ、ルツ、ボアズを用いて、命の事柄を啓示しています

 

ローマ8:2

なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。

 

「わたしたちは、ヨシュア、カレブ、すべての士師たちに、力における神の行動を見ます。彼らは力の霊の中で行動しましたが、命の霊の中では行動しませんでした(士14:6)。それとは対照的に、ルツ記は命の書です。この書の目的は、わたしたちに、力について何かを告げることではなく、ナオミ、ルツ、ボアズを模範として用いて、命の事柄を極みまで啓示することです(ルツ1:16-17, 20-21.2:10-16.3:1, 7-13.4:9-15)」。

 

 主よ、わたしたちがナオミ、ルツ、ボアズのように、命の霊の中で行動することができますように。また、ナオミのように、神をはぎ取る方として認識することができますように。

 

 

ナオミは神に対して反逆せず、むしろ神をはぎ取る方として認識しました

 

 士師記における暗く、暗黒の状況の後、ルツ記という短い書があります。それは明るく、白く、輝いています。ルツ記は力ではなく、命を取り扱っています。エリメレクは罪を犯しませんでしたが、聖なる地を離れてモアブに移動したことのゆえに神によって懲らしめられました。なぜなら、彼はそうすることによって、神の永遠のエコノミーにしたがって生きなかったからです。……

 

 神は彼と彼の子たちを懲らしめ、彼の妻と二人の嫁たちを子供のいないやもめとして残しました(ルツ1:1-5)。ナオミは神に対して反逆せず、むしろ神を、彼女の夫と息子たちを彼女からはぎ取る方として認識しました(20-21節)。

 命だけが、血統を保持して神を人性の中へともたらし、キリストを供給し、キリストを全人類に供給することができます。(リー全集、1993年、第2巻、71-74ページ、英文)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週6日)

 

復活させられた主と結婚し、神に対して実を結びます

 

ローマ7:4

……あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死んでいるのです.それは、あなたがたが別の方、すなわち、死人の中から復活させられた方に結び付いて、わたしたちが神に対して実を結ぶためです。・・・・・ 6 その結果、わたしたちは文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で仕えているのです。

 

 「ローマ第7章4節で、パウロは葬儀と婚礼を一緒にしています。一方で、わたしたちは葬られました。他方で、わたしたちは結婚しました。わたしたちは、わたしたちの古い身分によれば、死んでいたのです。それはわたしたちがわたしたちの新しい身分にしたがって、別の方と結婚するためです。わたしたちの新しい身分によれば、わたしたちは死人の中から復活させられた彼と結婚し、神に対して実を結びます」。

 

 主よ、わたしたちが復活させられた方に結び付いて、神に対して実を結ぶことができますように。主よ、わたしたちが霊の新しさの中で、主に仕えることができますように。

 

 

わたしたちは霊の新しさの中で仕えます

 

 ローマ人への手紙第7章4節で、わたしたちは死んで結婚します。ガラテヤ人への手紙第2章19節で、わたしたちは死んで生きます。もしわたしたちが二つの身分を持たなかったら、どうしてこれが可能でしょうか? わたしたちは、わたしたちの古い身分によれば、死んでいたのです。それは、わたしたちがわたしたちの新しい身分にしたがって、別の方と結婚するためです。わたしたちの新しい身分によれば、わたしたちは死人の中から復活させられた彼と結婚し、神に対して実を結びます。

 

 妻として、わたしたちはまた、文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で主に仕えなければなりません。この節[ローマ7:6]の「霊」という言葉は、その霊としての主が内住されるわたしたちの再生された人の霊のことです(Ⅱテモテ4:22)。わたしたちが霊の新しさの中で仕えるのは、神がわたしたちの霊を更新されたからです。(ローマ人への手紙ライフスタディ(1)、第12編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週5日)

 

わたしたちはキリストをわたしたちの夫として生きます

 

ローマ6:6

わたしたちは次のことを知っています.わたしたちの古い人が彼と共に十字架につけられたのは、罪の体が無効にされて、わたしたちがもはや、罪に奴隷として仕えることがないためです.

 

「わたしたちはもはや夫の古い身分を持っていません。なぜなら、わたしたちは十字架につけられたからです(ガラテヤ2:20.ローマ6:6)。わたしたちは今や正当な妻の新しい身分だけを持っています。その身分においてわたしたちはキリストをわたしたちの夫としており、もはや古い人にしたがって生きるべきではありません」。

 

 主よ、わたしたちの古い人がキリストと共に十字架につけられたことを感謝します。主よ、わたしたちは今や正当な妻として、キリストをわたしたちの夫として生きることができますように。

 

 

わたしたちは神の妻として、神に依り頼み、神をわたしたちのかしらとします

 

 神の創造において、人の本来の地位は妻の地位でした[参照、イザヤ54:5]。……わたしたちは神の妻として、彼に依り頼み、彼をわたしたちのかしらとしなければなりません。 人は堕落したとき、別の地位、すなわち古い人が自分で取った地位を取りました。……神によって創造された人は妻でしたが、堕落した人は夫となりました。……夫の地位を取って、堕落した人は神から独立し、自分自身を夫としてのかしらとしました。

 

 あなたは救われる前、決して自分を妻と考えませんでした。……堕落した人たちの間では男も女も、自分を夫と考えています。……こうして、堕落した人は強く醜い夫になりました。再生された新しい人の地位は真の妻の地位です。再生はわたしたちの本来の地位を回復します。(ローマ人への手紙ライフスタディ(1)、第12編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週4日)

 

ルツは各面において召会を予表します

 

ローマ7:4

こういうわけで、わたしの兄弟たちよ、あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死んでいるのです.それは、あなたがたが別の方、すなわち、死人の中から復活させられた方に結び付いて、わたしたちが神に対して実を結ぶためです。

 

「ルツはボアズによって買い戻された後、彼の新しい妻となりました(ルツ4:13)。こうして、彼女は救われた後の召会を予表し、召会の天然の人を再生することを通して(ヨハネ3:6後半)、キリストの配偶者となりました(29前半.ローマ7:4)」。

 

 ルツがボアズの妻となったように、主よ、わたしたち召会もキリストの配偶者となりました。主よ、わたしたちが主を愛し、花嫁としての実際を生きることができますように。

       

 

キリストの死は、古い人の堕落した部分を終わらせ、神によって創造された部分を贖いました

 

 ルツが神の創造におけるアダムにある女、また人の堕落におけるモアブ人であり、こうしてこの二つの面を持つ古い人となったことが予表するのは、召会が救われる前、神の創造における人、また人の堕落における罪人として、「わたしたちの古い人」であったということです(ローマ6:6)。・・・・

 

 わたしたちの古い人は、キリストと共に十字架につけられました(ローマ6:6)。キリストの十字架は、わたしたちの古い人の堕落した部分を破壊しましたが、創造された部分を贖いました。キリストは、わたしたちの古い人の堕落した部分を贖ったのではありませんでした。その反対に、彼はそれを終わらせられました。しかしながら、彼はわたしたちを回復するために、わたしたちの創造された部分を贖われました。ですから、キリストの十字架上での死はわたしたちの古い人の堕落した部分を終わらせ、神によって創造された部分を贖いました。(ルツ記ライフスタディ、第6編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週3日)

 

神の建造の中で柱である人たちは、格子細工と鎖細工の中にとどまります

 

マタイ6:28-30

また、なぜあなたがたは、衣服について思い煩うのか? 野のゆりがどのように生長するか、よく考えてみなさい。それらは労苦もせず、紡ぎもしない。…… 栄華を極めたソロモンでさえ、これらの一つほどにも着飾ってはいなかった。今日はここにあっても、明日は炉に投げ入れられる野の草を、神はこのように装ってくださるのだから、あなたがたにはなおさら、着せてくださらないはずがあろうか? あなたがた信仰の小さい者よ。

 

「宮の柱の柱頭には「格子細工の網[格子棚のような]と鎖細工の飾りひも」がありました。これらは錯綜する複雑な状況を表徴します。神の建造の中で柱である人たちは、そのような状況の中で生き、責任を担っています(列王上7:17.Ⅱコリント1:12.4:7-8)」。

 

 主よ、わたしたちに与えられた複雑な環境の中で、主の復活を経験することができますように。そして、主よ、信仰のゆりが生長し、キリストの豊富なざくろが生み出されますように。

 

 

十字架と復活の過程を経てゆりが生長し、ざくろが表現されます

        

 わたしたちはみな裁かれました。わたしたちは神の裁きの下で自分を裁く必要があります。青銅の柱になって、「わたしは堕落し、腐敗し、罪深く、死ぬ以外に何の益もありません」と言うのは簡単です。ところが、格子細工の十字架と鎖細工の制限のただ中で、復活の過程の三日を経過することは、とても困難です。

 

 しかし、わたしたちが格子細工と鎖細工の中に多くいればいるほど、……ますますゆりが生長し、わたしたちはますますざくろを表現します。そして、わたしたちは生ける証しとなります。それは天然的なものではなく、格子細工の十字架と鎖細工の制限の下にある復活の過程の証しです。逃れる道はありません。わたしたちは格子細工と鎖細工の中にとどまっていなければなりません。それはまさしく、三日間葬られ、復活の過程を経て出て来ることに似ています。わたしたちがこの経験を通る時、ゆりが生長し、ざくろが表現されます。(創世記ライフスタディ(5)、第83-84編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週2日)

 

列王上7:21

彼はその柱を宮の廊に立てた。彼は……左の柱を立てて、その名をボアズと呼んだ。

 

啓3:12

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.……

 

ボアズのような人は、召会生活の中の柱です

 

「ボアズのようになる者たちは、召会生活の中の柱です(宮の柱の一つは「ボアズ」と名づけられました――列王上7:21)。聖書の中で柱は、造り変えを通してからだの生活を実行することにおける神の建造のしるし、証しです(創28:22前半.列王上7:15-22.ガラテヤ2:9.Ⅰテモテ3:15.啓3:12.ローマ12:2.エペソ4:11-12)」。

 

 主よ、わたしたちを召会生活の中の青銅の柱とならせてください。主よ、「わたしはキリストと共に十字架につけられました」と言って、神の裁きの下にいる生活をすることができますように。

 

 

青銅で作られた柱のような人は、神の裁きの下にいる人です

 

 二本の柱は青銅で作られました(列王上7:15)。創世記では柱は石の柱ですが、列王紀上第7章では柱は青銅の柱です。……[青銅は]神の裁きを表徴します。例えば、幕屋の入り口の祭壇は、神の裁きを示す青銅で覆われていました(出27:1-2、民16:38-40)。洗盤も青銅で作られました(出30:18)。さらに、竿の上にかけられた青銅の蛇(民21:8-9)も、キリストが神によって、わたしたちのために裁かれたことを証ししました(ヨハネ3:14)。……

 

 二本の柱が青銅で作られたことは、わたしたちが柱であろうとするなら、神の裁きの下にいる者であるのを認識しなければならないことを、はっきりと示しています。わたしたちは神の裁きの下にいるだけではなく、自分自身の裁きの下にもいるべきです。ガラテヤ人への手紙第2章20節でのパウロのように、わたしたちは言わなければなりません、「わたしはキリストと共に十字架につけられました。わたしが十字架につけられたのは、わたしが神のエコノミーの中で何の益にもならないからです。わたしはただ死に値するものです」。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第11週1日)

 

ボアズが予表するのは、召会を贖い、召会を配偶者とするキリストです

 

ルツ4:9-10

すると、ボアズは……言った、「あなたがたは今日、わたしがナオミの手から……マロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。さらに、……モアブ人の女ルツを、わたし自身の妻として買いました.それは、わたしが死んだ者の名を彼の嗣業に起こし……」。

    

「ボアズは、富が豊富で気前よく与える人として(ルツ2:1, 14-16.3:15)、キリストを予表します。ボアズはルツの死んだ夫マロンの血縁者として(ルツ2:3.3:9, 12)、マロンの財産の失われた権利を買い戻し、マロンのやもめであるルツを自分の妻とし、必要とする相続人を生み出しました(ルツ4:9-10, 13)。彼が予表するのは、召会を贖い、召会を配偶者としてご自身を増し加えるキリストです(エペソ5:23-32.ヨハネ3:29-30)」。

 

 主よ、あなたはボアズがルツを贖い、彼女のために長子の権を贖ったように、召会を贖い、召会を配偶者としてくださったキリストです。主よ、わたしたちが、キリストに対する享受を失った兄弟姉妹を顧みて、彼らの長子の権を回復することができますように。

 

 

主の享受を失った兄弟姉妹の長子の権を贖う人になりますように

 

 ルツ記は、ボアズがルツを贖い、彼女のために長子の権を贖ったことを告げています。・・・・ ボアズは彼の血縁者の嗣業を買い戻し、その人のやもめと結婚しました(ルツ4:1-17)。ですから、彼はキリストの有名な父祖、キリストの大いなる結合者となりました。あなたは、兄弟またボアズとして、……他の人のキリストの長子の権をも顧みるべきです。言い換えれば、あなたは自分自身のキリストの享受だけでなく、他の人のキリストの享受をも顧みるべきです。

 

 ルツとナオミは享受、長子の権を失っていましたが、神の規定によれば、長子の権を回復し、贖う道がありました。しかし、それは他の人によって贖われなければなりませんでした。原則は今日、召会生活においても同じです。…… 実に多くの時、何人かの愛する人たちが、キリストに対する享受を失います。ある意味で、彼らはナオミかルツになります。そうであれば、あなたは、失われた長子の権を贖い、贖われた者と結婚することができるボアズになる必要があります。(マタイによる福音書ライフスタディ(1)、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週6日)

 

ルツはキリストを生み出すために、ダビデの王家をもたらしました

 

マタイ1:5-6

……ボアズはルツからオベデを生み、オベデはエッサイを生み、エッサイはダビデ王を生んだ。……

 

イザヤ54:5

あなたの造り主はあなたの夫であり、……イスラエルの聖なる方はあなたの贖い主であり、……

 

  「ルツ記第4章が語っているのは、ルツが神のエコノミーのために褒賞を得ることについてです。ルツの褒賞のもう一つの面は、ルツが系譜の中で重要な先祖となって、キリストを生み出すためにダビデの王家をもたらしたことです(ルツ4:13後半-22.マタイ1:5-16)。これは、ルツが、すべてを含む、すべてに拡張する益と、キリストを人類へともたらす地位と能力を得たことを示します」。

 

 主よ、わたしたちのクリスチャン生活がキリストの肉体と成ることの継続となりますように。 主よ、わたしたちがみなキリストのために語り、キリストを語り出し、さらにはキリストを人々に供給することができますように。

 

 

わたしたちのクリスチャン生活は、キリストの肉体と成ることの継続となります

 

 ルツは系譜の中で重要な先祖となって、キリストを生み出しただけでなく、キリストの肉体と成ることのために、神の創造された人性の路線を継続しました(マタイ1:5-6)。キリストの肉体と成ることは、キリストを永遠から彼の神性を伴って時間の中へともたらす事柄でした。……

 

 わたしたちのクリスチャン生活は毎日、キリストの肉体と成ることの継続であるべきです。それによって、わたしたちがキリストを人々に供給することを通して、キリストがもたらされ、人々の中へと生まれることがあるべきです。この事が起こるためには、わたしたちがみなキリストのために語り、キリストを語り出し、さらにはキリストを人々に語る必要があります。このようにしてキリストを供給することは確かに、わたしたちを変えます。(ルツ記ライフスタディ、第5編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週5日)

  

主イエスに嫁ぎ、主を夫とし、家としての召会の中で、主と共に生きる

 

ルツ3:1

さて、しゅうとめのナオミは彼女に言った、「わたしの娘よ、わたしはあなたのために安息する場所を捜し求めて、あなたを幸いにしてあげるべきではないでしょうか?」。

 

「ルツ記第3章が語っているのは、ルツが自分の安息を求めることについてです。わたしたちは救われて主を愛しているかもしれませんが、わたしたちの安息のための家を得るために、主イエスに嫁ぎ、主をわたしたちの夫とし、わたしたちの家としての召会の中で、主と共に生きなければなりません(ローマ7:4.Ⅱコリント11:2.エペソ5:25-27)」。

 

 主よ、あなたはわたしたちの真の夫です。主よ、わたしたちの家としての召会の中で、夫としての主と共に生きることができますように。

 

 

わたしたちの安息のための家を得るために、主イエスに嫁ぐ

 

 ルツが良き地に入って来た後、良き地の産物を享受する権利を得たように、わたしたちはキリストを信じた後、権利を得て、わたしたちの良き地としてのキリストを享受します。しかしながら、落ち穂拾いをした後、わたしたちは確固とした安息を得ることができる家をなおも必要とします。このような安息は、ただ結婚を通してのみ得ることができます。

 

 わたしたちの夫を見いだす場所は、わたしたちの家、召会の中です。キリストは召会の中で夫です。夫を持つだけでは十分ではありません。わたしたちはまた家を持たなければなりません。……もしキリストを持ち、キリストを享受し、キリストを経験しても、召会を持たないなら、わたしたちにはやはり家がありません。ですから、わたしたちの夫としてのキリストだけでなく、わたしたちの家としての召会も強調しなければなりません。わたしたちの夫としてのキリストと、わたしたちの家としての召会は、一つの完全な単位であり、わたしたちが正常で十分な安息を得るためです。(ルツ記ライフスタディ、第4編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週4日)

  

罪人がキリストにあずかり、享受する道、地位、資格、権利があります

 

ルツ2:8,12

ボアズはルツに言った、「……ほかの畑に落ち穂拾いに行ったり……しないで、わたしの若い女たちの近くにとどまっていなさい」。 12 エホバがあなたの行なったことに報いてくださるように.またあなたが、その翼の下に来て避け所としたエホバ・イスラエルの神から、十分な報酬を得られるように。

 

「ルツ記は、罪人がキリストにあずかりキリストを享受する道、地位、資格、権利を描写しています。神の定めにしたがって、キリストの中へと信じたわたしたちは、資格づけられ地位が与えられ、キリストを享受するというわたしたちの権利を主張します(コロサイ1:12.啓2:7.22:14)」。

 

 主よ、神聖な恵みにおいて豊かであるキリストに感謝します。主よ、良き地の畑としてのすべてを含むキリストを享受させてください。主よ、わたしたちは異教の罪人ですが、わたしたちには、食卓の下にあるパンくずにあずかる特権があることを感謝します。

 

 

第2章のかぐわしい物語には、以下の四つの予表があります

 

 物語として、ルツ記の記載は、愛らしく、感動的で、説得力があり、納得させられるものです。第2章のかぐわしい物語には、以下の四つの予表が暗示されています。

① ボアズは財力において豊かであって(2:1)、神聖な恵みにおいて豊かであるキリストを予表します(Ⅱコリント12:9)。

 

② 神の約束された良き地の畑は(ルツ2:2-3)、すべてを含むキリストを予表し、彼は神の選民に対する命の供給のための、すべての霊的で神聖な産物の源です(ピリピ1:19後半)。

 

③ 大麦と小麦は(ルツ2:23)、神と神の民の食物を作る材料としてのキリストを予表します(レビ第2章.ヨハネ6:9,33,35)。

 

④ モアブ人の女ルツは(申23:3)、神の約束から除外された異教の罪人であり(エペソ2:12)、権利を得て神の選民の刈り入れの落ち穂拾いにあずかりました。これは、「異邦人の犬」が特権を得て、食卓の下にある、神の選ばれた子供たちの分け前であるパンくずにあずかることを予表します(コロサイ1:12.マタイ15:25-28)。(ルツ記ライフスタディ、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週3日)

 

寄留者、貧しい者、やもめが、神の選民の嗣業の豊富な産物にあずかる

 

レビ23:22

あなたがたの地の収穫物を刈り取るとき、あなたは畑の隅々まで、ことごとく刈り取ってはならない.あなたの収穫物の落ち穂を集めてはならない.それらを貧しい者と寄留者のために、残しておかなければならない.わたしはエホバ・あなたがたの神である。

 

「ルツ記第2章が語っているのは、ルツが異教の背景から神に帰って来た者として、自分の権利を行使し、神の選民の嗣業の豊富な産物にあずかったことについてです。ルツは、寄留者、貧しい者、やもめとしての彼女の三重の身分にしたがって、自分の権利を行使し、刈り入れの落ち穂拾いをしました」。

 

 主よ、わたしたちは寄留者、貧しい者、やもめの身分にありますが、神の家の嗣業にあずかる道があることを感謝します。主よ、わたしたちに自分の畑の隅を大きく残す信仰が与えられますように。

     

 

畑の隅と落ち穂を、貧しい者、寄留者、みなしご、やもめに残しておく

 

 収穫物を刈り取ることでの神の命令は、イスラエルの子たちが畑の隅と落ち穂を、貧しい者、寄留者、みなしご、やもめに残しておくなら、エホバは彼らを祝福されるということでした。・・・・・神は良き地におけるイスラエル人の収穫物を祝福することを願われましたが、この祝福には条件がありました。それは、何かが貧しい者のために残されているということです。民は、畑の隅々までことごとく刈り取ることが許されませんでした。

 

 しかしながら、神がモーセを通して刈り取りについて与えられた律法の規定の中で、畑の隅の大きさは指定されませんでした。その大きさは、エホバにある地主の信仰にかかっていました。エホバにある人の信仰が大きければ大きいほど、畑の隅はますます大きくなりました。わたしは、それがこの規定に従うボアズの実行であったと思います。彼は、エホバにある大きな信仰を持っていたに違いありません。神の主権の下で、この規定は一人の人、ルツのために書かれたかのようです。(ルツ記ライフスタディ、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週2日)

 

ナオミとルツは、キリストの出生地であるベツレヘムに戻って来ました

 

ルツ1:16,19

しかし、ルツは言った、「あなたを離れ……るように、……わたしに勧めないでください。あなたが行かれる所はどこへでも、わたしは行きます.あなたが住まわれる所はどこにでも、わたしは住みます.あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」。19  こうして、彼女たち二人は旅をして、ベツレヘムに着いた。……

 

「ナオミが聖地に帰って来たことは、彼女が神のエコノミーの中の安息に帰って来たことでした。彼女は偶像礼拝の国であるモアブから、インマヌエルの地(イザヤ8:8)であるユダに帰って来て、キリストの出生地であるベツレヘムに到着しました(ルツ1:19前半,22後半)。ナオミが嫁ルツと共に帰って来たのは、キリストに関する神のエコノミーを完成するためです(ルツ1:22節前半)」。

 

 主よ、わたしたちは良き地におり、その分け前を持っています。主よ、わたしたちもルツのように、神の民と共にキリストの享受にあずかることを選択することができますように。ルツのように神と神の王国を選び、神のエコノミーを完成するために生きることができますように。

 

 

ルツが選択した目標は、神の選民と共にキリストの享受にあずかることです

 

 ルツ記第1章1節と2節でわたしたちは、エリメレクが、神のエコノミーの中の安息からそれて行くことを見ます。彼は良き地におり、その分け前を持っており、そこにとどまっているべきでした。神が約束し与えられた良き地にとどまることは真の安息です。イスラエルの安息は、彼らの繁栄であって彼らの享受また満足となり、神のエコノミーにおける彼らと神との状態と関係がありました。イスラエル人が良き地を離れたことは、自らを神の永遠のエコノミーから断ち切っていたことを意味しました。・・・・・・

 

 ルツが選択した目標は、神の選民と共にキリストの享受にあずかることであり、彼女はキリストの重要な先祖、キリストを人類の中へと生み出すことを助けた者とさえなりました。これは単にモアブ人のやもめの決意だけでなく、目標、選びでした。ルツは神と神の王国を選び、キリストに関する神のエコノミーを完成するようにしました。そのような目標と、そのような人がこの目標を選んだことのゆえに、ハレルヤ!(ルツ記ライフスタディ、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(4) 第10週1日)

 

ナオミは神のエコノミーの中の安息に帰って来ました

 

ヘブル4:9,11

こういうわけで、ある安息日の安息が、神の民のために、まだ残されているのです。・・・11 こういうわけで、その安息へ入るように、努め励もうではありませんか.

 

 ルツ記第1章が語っているのは、エリメレクが神のエコノミーの中の安息からそれて行くこと(ルツ1:1-2)、ナオミが神のエコノミーの中の安息に帰って来ること(3-7, 19-22節)、ルツが自分の目標のために選択すること(8-18節)についてです。 ルツ記は安息の書です。安息日の安息は、わたしたちの安息としてのキリストであり、カナンの良き地で予表されています(申12:9.ヘブル4:8-9)。

 

 主よ、わたしたちが神のエコノミーの中の安息からそれて行くことがないように守ってください。主よ今の召会時代に、天のキリストをわたしたちの霊の中で安息として享受することができますように。

 

 

キリストは三つの段階で、聖徒たちの安息です

 

 この安息日の安息は、わたしたちの安息としてのキリストであり、カナンの良き地で予表されています(申12:9.ヘブル4:8)。キリストは三つの段階で、聖徒たちの安息です。

 

(1)召会時代に、彼は天のキリスト、ご自身の働きから安息して、天で神の右に座しておられる方として、わたしたちの霊の中で、わたしたちの安息です(マタイ11:28-29)。

 

(2)千年王国において、サタンがこの地から取り除かれた後(啓20:1-3)、王国を伴うキリストは、勝利を得た聖徒たちのさらに満ち満ちた安息です。彼らは彼の共同の王となって(4、6節)、彼の安息にあずかり、それを享受します。

 

(3)新しい天と新しい地において、すべての敵が、最後の敵である死を含めて、キリストに服従させられた後(Ⅰコリント15:24-27)、キリストは、すべてを征服する方として、神に贖われたすべての者の永遠にわたる最も満ち満ちた安息となります。(ヘブル4:9、フットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)