2020年 サンクスギビングデー特別集会

11月の祈り 第30日

(サンクスギビングデー特別集会 メッセージ1)

 

一人の新しい人のために、すべてを含む、無限に拡張するキリストは、文化に置き換わる

 

 「わたしたちの文化が、すべてを含む、無限に拡張するキリストによって置き換えられる緊急の必要」

 

コロサイ1:12-13

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように.御父はわたしたちを暗やみの権威から救い出して、彼の愛する御子の王国に移してくださいました.

 

◎ 神の敵は文化を利用してキリストに置き換えます。敵は文化の良い面を利用してキリストに置き換えようとします(参照、ピリピ3:4-8)。コロサイ人への手紙で、「暗やみの権威」は特に、文化の良い面とわたしたちの天然の人の良い面とを指しています(コロサイ1:12-13)。コロサイの聖徒たちは文化の最高の面を召会に侵入させることによって、暗やみの権威の下に落ち込んでしまいました(コロサイ2:8)。

 

 ◎ コロサイ人への手紙におけるキリストの無限に拡張する啓示の目的は、文化を対処することです(コロサイ2:8.3:10-11)。この書でパウロは、すべてを含む、無限に拡張するキリストのビジョンを提示して、このキリストがわたしたちの文化に置き換わるべきであるという事実をわたしたちに印象づけています(コロサイ1:27)。

 

 主よ、わたしたちを文化と天然の良い面、暗やみの権威から救い出してください。すべてを含む、無限に拡張するキリストによって置き換えられるようにビジョンを与えてくださいますように。

 

 

拡張したキリストが文化に置き換わる

 

 神は彼の救いにおいて、わたしたちを罪、裁き、火の池、この世、自己から救うだけではありません。彼はまたわたしたちを、文化を含めて、キリストに置き換わるすべてのものから救います。文化は実際的にわたしたちの日常生活でキリストに置き換わるので、それは神の目に憎むべきものです。

 どのようなキリストが、わたしたちの文化に置き換わることができるのでしょうか?  文化に置き換わるキリストは、拡張するキリストであって、大部分のクリスチャンが知っている有限なキリストではありません。・・・・・・   わたしたちの文化に置き換わり、わたしたちのすべてとなるキリストは、すべてを含む、拡張するキリストです。(コロサイ人への手紙(三)ライフスタディ第45編)

(2020年 サンクスギビングデー特別集会アウトライン)

  

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 

朝ごとの食物

エレミヤと哀歌 結晶の学び第9週 第1日~第12週 第6日

 

11月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第6日)

 

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる

 

ヘブル8:11

彼らはそれぞれ同じ国民に、またそれぞれ兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない.それは、小さな者から大きな者まで、彼らがみな、わたしを知るからである。

 

「命の機能はわたしたちに、内側の命の方法で神を知ることができるようにします。わたしたちは主観的に、内側から、命の感覚によって、神を知ることができます。命の感覚は、わたしたちの内側にある神聖な命の感覚、知覚です(ローマ8:6.エペソ4:18-19.ピリピ3:10前半)」。

 

 主よ、神がわたしたちの神であり、嗣業であり、享受する分け前であることを感謝します。また、わたしたちは神の民となり、神の嗣業であることを感謝します。わたしたちが内側にある命の感覚によって、さらに神を知ることができますように。

 

 

命の木の原則にしたがって生きる

 

 命の感覚は、神聖な命(エペソ4:18)、命の法則(ローマ8:2.ヘブル8:10)、その霊の油塗り(Ⅰヨハネ2:27)からやって来ます。命の感覚は、消極面では死の感覚であり、積極面では命と平安の感覚です(ローマ8:6.イザヤ26:3)。

 わたしたちは命の感覚にしたがって命の原則の中で生きるべきであり、正しいか間違っているかの原則、すなわち死の原則にしたがって生きるべきではありません。この事は、善悪知識の木の原則にしたがってではなく、命の木の原則にしたがって生きることです(創2:9)。命の感覚は、わたしたちが天然の命の中で生きているか、あるいは神聖な命の中で生きているかをわたしたちに知らせ、またわたしたちが肉の中で生きているか、あるいは霊の中で生きているかをわたしたちに知らせます。

 

「神に仕え、神のために働くために、クリスチャンは善悪知識の木から離れ続けることを学ばなければなりません。……命の木に触れる者だけが、自分の生活と働きが新エルサレムの中にとどまり続けるのを見ます」(ウオッチマン・ニーが務めを再開した時期のメッセージ記録(上)、第16章)。

(エレミヤ書と哀歌 結晶の学び 第12週)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第5日)

 

命の法則の機能は、命の成長を必要とする

 

ローマ8:4

それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。

 

「わたしたちが主に触れ、主と接触し続けているとき、命の法則、すなわち、命の霊の法則は自動的に、自然に、何の努力も必要とせずに働きます(ピリピ2:12-13.ローマ8:2, 4, 6, 13-16, 23.Ⅰテサロニケ5:16-18)。また、命の法則の機能は、命の成長を必要とします。なぜなら命の法則は、それが成長してはじめて機能するからです(マルコ4:3, 14, 26-29)」。

 

 主よ、命の霊の法則は自然に働くことを感謝します。わたしたちは自分で努力することをやめて、神と協力することができますように。また、命の法則が機能するために、わたしたちの命をさらに成長させてください。

 

 

心の中にご自身のホームを造る

 

 キリストはわたしたちの思い、意志、感情、良心を占有することによってわたしたちの心の中にご自身のホームを造ります。パウロは、御父がわたしたちを内なる人、すなわちわたしたちの霊の中へと増強してくださるように祈りました。それによってキリストはわたしたちの心の中にご自身のホームを造る機会を得られます。わたしたちは、主がわたしたちの内なる存在のあらゆる部分をご自身で満たすことによってわたしたちの心の中にご自身を定住させることに同意し、協力する必要があります。

 わたしたちが主を信じるとき、彼はわたしたちの霊の中へと入って来ます。しかし、わたしたちは主にわたしたちの意志、感情、特に思いの中へと広がる許可を与える必要があります。…… そうでなければ、主はわたしたちの霊の中に閉じ込められ、わたしたちの内なる存在全体に定住し、わたしたちの心の中にご自身のホームを造ることができないでしょう。…… わたしたちはわたしたちの思い、感情、意志を占有する自由を主に与える必要があります。(すべてを含む内住する霊、英文)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第4日)

 

命の霊の法則は、最高の法則です

 

ヘブル8:10

それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれであると主は言われる.わたしはわたしの律法を彼らの思いの中に分け与え、それを彼らの心に書き記す.わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

 

ローマ8:2

なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。

 

「神はご自身の神聖な命をわたしたちの中へと分け与えることによって、この最高の命の最高の法則(単数ーエレミヤ31:33)を、わたしたちの霊の中へと入れます。この法則はわたしたちの霊から、わたしたちの内側の各部分の中へと、すなわち、わたしたちの思い、感情、意志の中へと拡大し、いくつかの法則(複数ーヘブル8:10)となります」。

 

 主よ、あなたが与えてくださった神聖な命と、命の法則を感謝します。この法則は今や、わたしたちの心に書き記され、そして思い、感情、意志へと拡大しつつあることを感謝します。

 

 

思い、感情、意志へと拡大し、いくつかの法則(複数)となる

 

 [ヘブル人への手紙第8章10節の]「律法(複数)」という言葉は、[この節の引用の]源であるエレミヤ書第31章33節においては単数形です。このことは、その一つの律法が拡大して多くの律法となることを証明します。最終的に多くの律法に発展したこの一つの律法は命の法則です(ローマ8:2)。……命が高ければ高いほど、その法則は高くなります。……神はご自身の神聖な命をわたしたちの中へと分け与えることによって、この最高の法則を、わたしたちの霊の中へと入れます。この法則は、わたしたちの内側の各部分の中へと、すなわちわたしたちの思い、感情、意志へと拡大し、いくつかの法則(複数)となります。……わたしたちが主の御名を呼び求めた時、神聖な命がわたしたちの霊の中へと入って来ました。徐々に、わたしたちがこの命の中で成長していくと、この命はわたしたちの霊から内側のすべての部分へと発展する機会を持ちました。この命がわたしたちの内側の各部分へと発展する時、どの部分にもわたしたちを規制する法則があるようになります。多くの法則がその一つの命の法則から発展するのです。……命の法則は、わたしたちを内側から、その命の要素にしたがって規制します。(ヘブル人への手紙ライフスタディ(3)、第36編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第3日)

 

主の尊い血は、永遠の契約の血です

 

ヘブル9:22

こうして、ほとんどすべての物は、律法にしたがって血できよめられます.血を流すことがなければ、赦しはありません。

 

マタイ26:28

これは、多くの人に罪の赦しを得させるために、注ぎ出されるわたしの契約の血である。

 

「キリストの尊い血は神を満足させ、信者たちを神に近づけ、敵のすべての訴えに打ち勝ちます(出12:13.エペソ2:13.Ⅰペテロ1:18-19.ヘブル10:19-20, 22.9:14.Ⅰヨハネ1:7, 9.啓12:10-11)。わたしたちは主の尊い永遠の契約の血によって、実際の至聖所(ヘブル10:19-20)の中へと、すなわち、わたしたちの霊(エペソ2:22.Ⅱテモテ4:22)の中へと入って、神を享受し、神によって注入されることができます」。

 

 主よ、あなたの尊い血を感謝します。わたしたちの罪を赦し、敵の訴えに打ち勝ち、神に近づけてくださいました。今、わたしたちは契約の血によって、わたしたちの霊の中へと入り、新しい契約の内容のすべてにあずかることができることを感謝します。

 

 

新しい契約の血は、神のさらにまさった享受の中へと導く

 

 エレミヤ書第31章33節[で]……神は彼の律法をわたしたちの内側の各部分に置き、それをわたしたちの心に書き記すことを約束しておられます。この言葉はヘブル人への手紙第8章10節で引用されています。わたしたちの内なる存在の中へと書き記された法則は、外側の律法ではなく、内なる命の法則です。……

 神ご自身がその霊としてわたしたちの中へと入って来て、神の命と性質をわたしたちに分け与えます。神の命と性質は内なる命の法則、自然にわたしたちを規制する有機的な要素となります。新しい心、新しい霊、神の霊、内なる命の法則、神を知る命の能力、これらはさらにまさった事であり、罪の赦しのための血がわたしたちをその中へと導き入れました。(出エジプト記ライフスタディ(4)、第79編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第2日)

 

彼らの罪を決して思い出さない

 

ヘブル8:12

なぜなら、わたしは彼らの不義に対してなだめとなり、もはや彼らの罪を決して思い出さないからである。

 

詩130:4

しかし、あなたには赦しがあるので、あなたは畏れられます。

 

「神の御前に、主の贖う血は、一度で永遠にわたしたちを清めたのであって(ヘブル9:12, 14)、その清めの効果は繰り返される必要はありません。しかしながら、わたしたちが神と交わって自分の良心が神聖な光によって照らされるときはいつでも、わたしたちは自分の良心において、主の尊い血の恒常的な清めを即時的に適用することを何度も必要とします」。

 

 主よ、あなたはわたしたちの罪を赦して忘れてくださることを感謝します。神聖な光がわたしたちの良心を照らすとき、罪を告白するなら、主の尊い血の清めがあることを感謝します。わたしたちは赦されるたびに、神を畏れ、神を愛します。

 

 

神の赦しの恵みは、神を畏れさせ、神を愛させます

 

 神はわたしたちを赦すとき、わたしたちを罪の刑罰から免れさせ、わたしたちの罪をわたしたちから離れさせるだけでなく、わたしたちの罪を忘れられます。いったん神がわたしたちを赦すなら、神はご自身の彼の記憶からわたしたちの罪を消し去り、もはやそれらを思い出されません。

 人々は神の赦しが人を大胆にし、無謀にすると考えます。彼らは神の赦しの恵みが人を神の畏れへともたらすことをほとんど知りません(詩130:4)。わたしたちの経験は、わたしたちが神によって赦されれば赦されるほど、ますます彼を畏れるようになるということを告げます。わたしたちは神の赦しの恵みを受ければ受けるほど、ますます神に対して畏れを持ちます。……神の赦しの恵みは、わたしたちに神を畏れさせるだけでなく、また神を愛させます[ルカ7:47]。(真理課程、第1段階、第3巻、第36課)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第12週 第1日)

 

新しい契約の内容を経験し、享受する

 

エレミヤ31:33-34

しかし、これらの日々の後に、わたしが……結ぶ契約はこれであると、エホバは告げられる.わたしはわたしの律法を彼らの内なる各部分に置き、それを彼らの心に書き記す.……そして、彼らはもはや、それぞれ隣人とそれぞれ兄弟に教えて、『エホバを知れ』と言うことはない.まことに、……彼らはみなわたしを知るようになるからであると、エホバは告げられる.まことに、わたしは彼らの罪科を赦し、もはや彼らの罪を思い出さないからである。

 

「わたしたちの霊的な経験によれば、わたしたちは最初に清め、すなわち赦しから来る清めを得ます。その後、わたしたちは命の法則の中で神の民となり、内側の方法で神に対するさらに深い認識を持ちます」。

 

 主よ、わたしたちの罪を赦してくださったことを感謝します。わたしたちは神聖な命を得て、命の法則を得ました。今、神の民となり、神との交わりの中で神を知り、享受することができることを感謝します。

 

 

新しい契約における、四つの祝福

 

 新しい契約において、四つの祝福が約束されています。(1)わたしたちの不義をなだめ、わたしたちの罪を忘れる(赦す)こと(ヘブル8:12)。(2)神聖な命をわたしたちの中に分け与えることによって、命の律法(法則)を分け与えること(10節前半)。(3)神をわたしたちの神として得て、わたしたちが神の民になるという特権を持つこと―この神聖な命は、わたしたちが神との交わりの中で、神を享受することができるようにします(10節後半)。(4)命の機能を持ち、わたしたちが神を内側の命の方法で知ることができるようにすること(11節)。神が完成された契約によれば、この四つの祝福は彼の約束です。しかし、主がわたしたちに遺贈された遺言によれば、それらは彼の遺産です。(ヘブル8:12、フットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第6日)

 

キリストのからだを建造する相互の牧養

 

ルカ15:4-5

あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいて、その一匹を失ったなら、九十九匹を荒野に残しておき、失ったその一匹を見つけるまで捜しに行かないだろうか? そして、それを見つけたなら、喜んでそれを自分の肩にかつぎ、

 

「すべての信者は、彼らの霊的な成長がどの段階にあったとしても、牧養を必要とします。わたしたちは御父の愛し赦す心にしたがって、また御子の捜し、見いだし、牧養する霊にしたがって神の群れを牧養する必要があります(ルカ15:4-24, 32)」。

 

 主よ、あなたは迷い出た一匹の羊のようなわたしを捜し出して救ってくださいました。今、神の群れの牧養にあずかっています。御父の愛し赦す心を感謝します。御子の捜し、見いだし、牧養する霊を感謝します。

 

 

神の群れを牧養する

 

 神・人の観念は、キリストが罪人を、特に最大の罪人を救うために来られたということです。彼は、「ギャング」、「ギャング」のリーダーであるタルソのサウロをさえ救われます。パウロは言いました、「『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた』という言は信実であって、全く受け入れるに値します。わたしはその罪人のかしらです」(Ⅰテモテ1:15)。パウロがこのように言うことができたのは、彼がキリストに反対していた最大の罪人であったからです。

 彼はキリストに反逆しましたが、彼が反逆していた時、キリストは彼を打ち倒し、召して、救いました。イエスご自身が言われました、「丈夫な人には医者はいらない.いるのは病んでいる人である。……わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:12-13)。こういうわけで、彼は罪人や取税人の間にいて、彼らと共に食事をし、祝宴し、食卓に着いて、彼らと共に享受しておられたのです。(同労者、長老、主を愛する者、主を追い求める者に対する愛の言葉、第2章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第5日)

 

わたしの羊を牧養しなさい

 

ヨハネ21:15-17

……イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこれら以上にわたしを愛するか?」。ペテロは彼に言った、「はい、主よ.わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの小羊を養いなさい」。……「わたしの羊を牧養しなさい」。……「わたしの羊を養いなさい」。

 

 「使徒パウロは、キリストの天の務めにおける牧養と協力して、聖徒たちを牧養する模範です(ヘブル13:20-21.7:25-26.Ⅰテモテ1:16.Ⅱコリント1:3-4.使徒20:20)。パウロが聖徒たちを牧養したのは、養う母として、また勧めをする父としてでした(Ⅰテサロニケ2:7-8, 11-12)。

 

 主よ、わたしたちが愛の中で、相互に牧養することによって、すべてを含む、優しい顧みが兄弟姉妹に与えられますように。

 

 

神の羊の群れを牧養する

 

 主の牧養は、彼の天の務めにおいてであり(Ⅰペテロ5:4)、神の召会を顧み、彼のからだという結果になりました。主は地上にいた時、牧養しておられました。復活と昇天の後、彼はなおも牧養しておられます。

 主は彼の復活の後、彼の昇天の前に、彼の弟子たちと共にとどまっていた時、彼のいくつかの現れのうちの一つにおいて、ご自身が天にいて地上にいない間、ご自身の小羊を養い、ご自身の羊を牧養することをペテロに託しました(ヨハネ21:15-17)。牧養することは養うことを暗示しますが、養いよりも多くのものを含みます。牧養するとは、すべてを含む、優しい顧みを群れに与えることです。

 この事は、使徒の務めとキリストの天の務めを合併して、神の羊の群れを牧養することです。神の羊の群れは召会であり、その結果はキリストのからだです。(ヨハネによる福音書の結晶の学び、第13章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第4日)

 

キリストはわたしたちの魂の牧者です

 

Ⅰペテロ2:25

あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、あなたがたの魂の牧者また監督者に立ち返ったのです。

 

詩23:1-3

エホバはわたしの牧者であって、わたしには欠けるものがありません。彼はわたしを緑の牧場に伏させ、憩いの水辺にわたしを伴われます。彼はわたしの魂を回復し……ます。

 

「霊なるキリストはわたしたちの魂の牧者として、わたしたちの内側の状態を監督し、わたしたちの内なる存在の状況を顧みます(Ⅰペテロ2:25)。わたしたちの魂はとても複雑なので、わたしたちの魂の中で、主がわたしたちを牧養することと、わたしたちの問題、必要、傷を顧みることとを必要とします。」

 

 主よ、わたしたちの多くの問題と苦しみは、わたしたちの魂にあります。霊なるキリストが、わたしたちの魂を顧みて回復してくださることを感謝します。魂の牧者である主を賛美します。

 

 

魂の牧者の顧みと牧養

 

 わたしたちの問題は、わたしたちがさまよっている羊のようであることでした。しかし今やわたしたちは、わたしたちの魂の牧者また監督者に立ち返り、戻りました。…… 牧者は彼の群れの物質的な必要を顧みます。わたしたちの牧者キリストは、わたしたちの魂の必要を顧みます。彼はわたしたちの体の牧者ではありません。彼はわたしたちの魂、内なる存在の牧者です。わたしたちはみな霊を持っており、霊はわたしたちの内なる器官です。しかし、わたしたちの存在は魂です。ですから、キリストはおもにわたしたちの魂を顧みることによって、わたしたちを牧養されます。彼はわたしたちの思い、感情、意志を顧みられます。……

 

 この書簡[Ⅰペテロ]は、多くの迫害を受けていたユダヤ人のクリスチャンに書かれました。一見して、迫害は外側でわたしたちの体と関係があるようです。実は、迫害は魂に向けられているのです。わたしたちの魂が苦しむので、わたしたちの魂が主の牧養を必要とします。このような顧みを必要とするのはわたしたちの体ではなく、おもにわたしたちの霊でもありません。わたしたちの魂(思い、感情、意志)が、牧者としての主を必要とするのです。(ペテロの第一の手紙ライフスタディ、メッセージ21)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第3日)

 

 キリストは良い牧者、わたしたちの魂の牧者です

 

ヨハネ10:10-11

……わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。わたしは良い牧者である.良い牧者は羊のために自分の命を捨てる。

 

「主イエスが良い牧者として来たのは、わたしたちが命を得、しかも豊かに得るためです(ヨハネ10:10-11)。主は、ご自身の魂の命、人の命を捨て、ご自身の羊のために贖いを完成しました。それは、わたしたちが主のゾーエの命、彼の神聖な命にあずかるためです(ヨハネ10:11, 15, 17)」。※ 神聖な命「ゾーエ(zoe)」、魂の命「プシュケ(psuche)」

 

 主よ、あなたの贖いのゆえに、わたしたちは神聖な命を得たことを感謝します。この神聖な命の中でわたしたちは真に一であり、わたしたちは一つの群れ、一つの召会、一つのからだです。主を賛美します。

 

 

一つの群れ、一人の牧者は、一つからだと一つかしらです

 

 主は人として、彼の人の命を捨て、わたしたちのために贖いを完成されました。それは、わたしたちが彼のゾーエの命を受けるためでした。……

 牧者、神聖な命、人の命はみな群れのためです。ヨハネによる福音書第10章16節で主は言われました、「またわたしには、この囲いのものではない他の羊もいる。わたしは彼らをも導かなければならない。彼らはわたしの声を聞く。こうして一つの群れ、一人の牧者となる」。このユダヤ人の囲いのものでない羊とはだれでしょうか? 彼らは異邦人です。それでは、この一つの群れとは何でしょうか? 一つの群れとは一つの召会、キリストの一つのからだを表徴します(エペソ2:14-16.4:6)。これは、主がご自身の死を通して彼の肢体の中に分与された命によって生み出されました(ヨハネ10:10-18)。以前、囲いはユダヤ教でした。今、群れは召会です。羊の囲いはユダヤ教であり、今もなおそうですが、群れは召会です。群れは二つの民(信じるユダヤ人と異邦人)を含む召会です。主は両者を共に一つの群れへと、一人の牧者の下にもたらされます。今や、一つの群れと一人の牧者は、一つからだと一つかしらです。(ヨハネによる福音書ライフスタディ、第22編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第2日)

 

カナンの良き地は、召会生活の中にある

 

エゼキエル34:13-14

わたしは彼らをもろもろの民から連れ出し、国々から集めて、彼らの地へともたらす.そしてイスラエルの山々の上、小川のほとり、またその地の人の住むすべての所で彼らを養う。わたしは良い牧場で彼らを養う.彼らの住まいはイスラエルの高地の山々の上にある.……

 

「主は牧者として、諸国民からご自身の民、ご自身の羊を集め、彼らをカナンの地に連れ戻し、高い山々に住まわせます。カナンの地は、神の民の割り当てられた分け前としてのすべてを含むキリストを予表し、高い山々は、復活し昇天したキリストを表徴します(エゼキエル34:11, 14)」。

 

 主よ、あなたの顧みと牧養を感謝します。あなたはわたしたちに割り当てられた良き地です。すべてを含むキリスト、復活し昇天したキリストをさらに享受させてください。

 

 

牧養されて、主の王職に服従する

 

 キリストはわたしたちの牧者として、わたしたちのすべての問題と責任を含めて、わたしたちを顧みられます。彼は霊的な事だけでなく、わたしたちの人の必要に関するすべての事においても、わたしたちを顧みられます。これは、詩篇第23篇によれば、彼がわたしたちの生活のあらゆる面において、わたしたちを顧みられることを意味します。・・・・・

 主イエスは真にわたしたちの牧者です。……主イエスは牧者として来られる時、王としても来られます。主がわたしたちの牧者としてわたしたちを顧みることの結果は、わたしたちが王としての彼に従って、彼の王職の下に来るようになるということです。主はわたしたちの牧者であって王となられ、わたしたちの王であって牧者となられます。一方で、彼はわたしたちを牧養されます。もう一方で、彼はわたしたちを統治されます。わたしたちは主の牧養を受けるとき、主の御座、王国、権威を理解します。彼が彼の顧みと供給をもってわたしたちを牧養しておられるのは、わたしたちが彼の王職に服従するためであり、また彼が彼の御座と王国をわたしたちの内側に据えられるためです。(エゼキエル書ライフスタディ、第16編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第11週 第1日)

 

神の心にかなった牧者としてのキリスト

 

エレミヤ3:15

わたしはあなたがたに、わたし自身の心にかなった牧者たちを与える.彼らは知識と英知をもってあなたがたを養う。

 

「キリストは大能の方、支配し裁く方として、牧者となるために来ます。キリストは、ご自身の羊を支配し矯正することによって、またご自身の羊の群れを養い、彼の御腕に小羊を集め、彼の懐に抱いて行き、幼子に乳を飲ませる者たちを導くことによって、ご自身の羊の群れを顧みます(イザヤ40:10-11.マタイ2:6.9:36)」。

 

 主よ、あなたは良い牧者です。羊のために、ご自分の命を捨ててくださいました。そして、わたしたち散らされていた羊を捜し、尋ね出してくださったことを感謝します。召会生活の中で、さらに豊かな牧養にあずかることができますように。

 

 

わたしの羊を捜し、尋ね出す

 

 エゼキエル書第34章11節は言います、「まことに、主エホバはこう言われる。見よ、わたし自ら、わたしがわたしの羊を捜し、尋ね出す」。牧者として、主は捜すだけでなく、尋ねてくださいます。わたしたちはみな堕落した状態のゆえに、多くの邪悪な事の下に葬られたので、神にわたしたちを捜していただく必要がありました。

 ルカによる福音書第15章に、失われた羊を捜している牧者(牧者であるキリストを表徴する)と、失われた銀貨のためにともし火をともして家の中を捜している女(その霊を表徴する)がいます。放蕩息子はその時、その霊が尋ねることによって家に引き寄せられました。…… 今やわたしたちは、牧者である主イエスによって捜し出された者たちです。わたしたちはどうしてここで、召会生活の中にいることができるのでしょうか? これはわたしたちによるのではなく、絶対に神によります。わたしたちがここにいるのは、牧者である彼がわたしたちを捜し、尋ねてくださったからです。

(エゼキエル書ライフスタディ、第16編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第6日)

 

家としての召会は拡大して、都としての召会となる

 

詩篇26:8

エホバよ、わたしはあなたの家の住まいと、あなたの栄光が住む場所を愛します。 

 

詩篇46:5

神が都の真ん中におられるので、都は揺らぐことはない。神は夜明け前に、これを助けられる。

 

「召会の回復はまた、エルサレムの神の宮、神の家の再建によって、またエルサレムの都の再建によって予表されています(エズラ1:3.ネヘミヤ2:11, 17.詩26:8.36:8-9.46:1, 5.47:2, 6-8)」。

 

 主よ、わたしたちは神の家である召会を愛します。召会は拡大して都となります。建造された神の都は揺らぐことはありません。ハレルヤ! 主を賛美します。

 

 

都としての召会へと拡大する

 

 わたしたちは新約の家と都の間の関係を理解するために、召会がキリストの拡大、またキリストの増し加わりであることを認識する必要があります。すべての信者はキリストの一部分、またキリストの肢体です。このすべての部分を一緒に合わせたものが、キリストの増し加わりです。ですから、召会はキリストの豊満です(エペソ1:22-23)。なぜなら、キリストは増し加わって、多くの肢体の中へと拡大したからです。

 キリストの拡大の第一段階は、家としての召会です。この拡大の第二段階も召会ですが、家としてではなく都としてです。……最終的に、召会全体は都となります。宮が都となったので、啓示録第21章22節は、新エルサレムの都には宮がないと告げています。都は幕屋、住まいです(啓21:2-3)。ですから、都は極みまでの宮の拡大、家の発展です。(新約の結論(14)、メッセージ230)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第5日)

 

キリストの豊富と、キリストに対する経験の回復

 

エレミヤ30:17

まことに、わたしがあなたを快復し、あなたの打ち傷をいやすからだとエホバは告げられる.……。

 

エレミヤ33:16

それらの日々にユダは救われ、エルサレムは安全に住む.「エホバわたしたちの義」、これが、その町が呼ばれる名である。

 

神の宮のすべての器と共にエルサレムに帰還する

 

「イスラエルの子たちは、バビロンに持って行かれていた神の宮のすべての器と共に、神の定められた唯一の立場であるエルサレムに戻って来ました(歴代下36:18.エズラ5:14.6:5)。 銀と金のこれらの器は、キリストの豊富と、キリストに対する経験のさまざまな面を表徴しています(エペソ3:8)」。

 

 主よ、バビロンに持って行かれた噐がエルサレムに戻され、キリストの豊富と経験が、正常な召会生活にもたらされますように。そして、キリストの測り知れない豊富の経験が回復されますように。主を賛美します。

 

 

キリストのさまざまな面をすべて回復し、取り戻す

 

 今日のバビロンは、神の民を捕囚にしただけではなく、神の宮からすべての豊富を奪ってきました。キリストの豊富を表徴する器は運び去られました。こういうわけで、ローマ・カトリックやプロテスタントの宗派において、キリストの計り知れない豊富に関して(エペソ3:8)、どちらかと言えば、ほとんど言われていないのです。信者たちは、キリストを食べ、キリストを飲み、キリストと共に祝宴し、キリストを十分に享受するように励まされることはありません。キリストの豊富を享受することが少ないか、全くないのは、宮の器がすべて大いなるバビロンによって運び去られているからです。

 今や主はキリストの豊富の経験を回復することを願っておられます。主はご自身の忠信な民をバビロンから召し出して、彼らを正常な召会生活に連れ戻したいだけではなく、失われてきたキリストのさまざまな面をすべて回復し、取り戻したいのです。(新約の結論(14)、メッセージ230)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第4日)

 

残された者レムナントはエルサレムに連れ戻される

 

エレミヤ23:3-4

しかし、わたしはわたしの羊の群れの残された者[レムナント]を、わたしが追いやったすべての地から集め、彼らの牧場に連れ戻す.彼らは繁殖し増殖する。そこで、わたしは彼らの上に牧者たちを起こして彼らを牧養させる.彼らはもはや恐れることはなくおののくことはなく、また失われることもないと、エホバは告げられる。

 

「エホバは、ご自身の羊の群れの残された者[レムナント]を、ご自身が追いやった地から集め、彼らの牧場に連れ戻し、彼らが繁殖し増殖すると言いました(エレミヤ23:3)。神の民の残された者[レムナント]、少数の者だけが、選ばれた地、エルサレムに帰還して、宮を再建しました(エズラ1:3.2:1-67)」。

 

 主よ、わたしたちはバビロンでの捕囚、キリスト教から、一の唯一の立場に連れ戻されたことを感謝します。ここで、わたしたちは神の霊の家である召会を建造し、花嫁の準備をして、主の再来を待ち望んでいます。主を賛美します。

 

 

召会を建造して、主の再来をもたらす

 

 バビロンにおける捕囚の七十年後、神はご自身の民に聖地に帰るように命じられました。民の大部分はアッシリアに、エジプトに、バビロンにとどまりましたが、民の残された者[レムナント]は聖地に帰還しました。主イエスは捕囚から帰還したこの残された者[レムナント]から生まれました。この残された者[レムナント]の聖地への帰還がなければ、主が一回目に来られることは不可能であったでしょう。

 同様に、キリストが二回目に来ることは、ご自身の新約の信者たちの残された者[レムナント]が、宗教のバビロン、すなわち、堕落したキリスト教から(啓第17章)、一の正当な立場に帰還して、神の霊の家である召会の建造を回復することにかかっています(Ⅰテモテ3:15.Ⅰペテロ2:5)。わたしたちは自分がどこにいるのかを問うべきです。わたしたちはなおもバビロン捕囚の中にいるのでしょうか、それともエルサレム、すなわち、一の唯一の立場に帰還した人々の間にいるのでしょうか?(リー全集、1971年、第1巻(下)、「新しい人、キリストのからだ、キリストの花嫁としての召会のためにキリストを経験する」、第8編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第3日)

 

ダニエルは、予言を理解して祈る

 

エレミヤ25:11-12

この地全体は荒れ果て、荒廃して、これらの諸国民は七十年、バビロンの王に仕える。エホバは告げられる、こうして七十年が満ちた後、わたしはバビロンの王とその民を、またカルデア人の地を、彼らの罪科のゆえに罰して、それを永遠の廃虚とする。

 

「ダニエルは、イスラエルの捕囚の七十年に関するエレミヤ書第25章11節から12節と第29章10節から14節の予言を理解していたので、自分の顔を「主なる神に向けて求め、……祈り」ました(ダニエル9:2-3)。ダニエルは地上での神の同労者として、聖書から神のみこころを理解し、聖書にしたがって神のみこころのために祈りました」。

 

 主よ、わたしたちも聖書から神のみこころを理解することができますように。そして、ダニエルのように、神のみこころを知って、祈る人となることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

神はダニエルの祈りを成就する

 

 ダニエルは地上で神の同労者でした。彼は神の心に対する理解があり、神と接触しました。彼は神の中で生き、神に彼の中で生きていただきました。ダニエルは神との結合の中にある人でした。その結果、ダニエルは神と同労し、神と組み合わされ、地上の出来事に大きな方向転換があったときに神の表現であることができたのです。

 ダニエルは、イスラエルの子たちの荒廃が七十年続くことと、その七十年の終わりに神がイスラエルの子たちを彼らの捕囚の地からイスラエルの地にもたらし、彼らがイスラエルを再建することを神の言から理解していました。彼は神の意図を知っており、そのために断食して祈りました。彼は神が地上で行動しておられたことを知っていたので、祈りを通して神と組み合わされるために神の表現となりました。ダニエルが祈った程度は、神が働いた程度でした。神はダニエルが祈ったことを行なわれました。イスラエルの子たちのエルサレムへの帰還は、神がダニエルの祈りを成就することでした。イスラエルの子たちの捕囚からの帰還は、ダニエルの祈りの結果でした。(祈りの意義と目的、第3章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第2日)

 

彼らは来て、シオンの高嶺で歌う

 

エレミヤ31:11-12

まことに、エホバはヤコブを買い戻し、……彼を贖われたからである。彼らは来て、シオンの高嶺で歌い、エホバの良きものに向かって流れ出る.すなわち穀物に、新しいぶどう酒に、新鮮な油に、羊と牛の群れの子に流れ出る.彼らの魂は潤った園のようになり、彼らはもはやしぼむことはない。

 

「彼らは来て、シオンの高嶺で歌い、エホバの良きものに向かって流れ出る.……彼らの魂は潤った園のようになり、彼らはもはやしぼむことはない」(エレミヤ31:12)。「わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて歓喜させる」(エレミヤ31:13)。

 

 主よ、あなたは嘆きを喜びに変えて、慰めてくださる方であることを感謝します。また、悲しみに代えて歓喜させてくだる方です。いつも、慈愛に満ちた主の約束に戻って来ることができますように。主に感謝します。

 

 

懲らしめられ、打たれた後に、復興がある

 

 イスラエルの復興は、エホバが公正をもってイスラエルを懲らしめた(罰した)後に起こります(エレミヤ30:11後半)。 エホバは彼(イスラエル)を、彼の罪科が大きいゆえに、敵を打つように、残酷な者を懲らしめるように打たれました(エレミヤ30:14,15)。彼を食い尽くす者はみな食い尽くされ、一人残らず、捕囚となって行きます。エホバは彼を快復し、彼の打ち傷をいやされます(16-17節)。

 エホバはヤコブの天幕の捕囚の民を帰らせ、彼の住まいに深く同情されます(エレミヤ30:18前半)。 町はその塁の上に建て直され、宮殿にはかつてのように人が住みます。彼らの中から感謝と、喜び楽しむ者の声が出て来ます(18節後半-19節前半)。エレミヤ 第31章38節から40節でエホバは、エルサレムの町は建てられてエホバに帰すると告げておられます。(エレミヤ書ライフスタディ、第24編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(4) 第10週 第1日)

 

捕囚の民を連れ戻すという約束

 

エレミヤ29:14

……わたしは、あなたがたの捕囚の民を帰らせ、あなたがたを……集めると、エホバは告げられる.わたしはあなたがたを、そこから捕らえ移した元の所に連れ戻す。

 

「エホバは、イスラエルの捕囚の民を帰らせて、彼らの地に連れ戻すことを約束しました(エレミヤ16:15.30:1-3, 10-11, 16-19.31:1-9, 11-13)」。

 

 主よ、わたしたち召会は、神によって選ばれ贖われ、真の召会生活へと連れ戻されたことを感謝します。今、わたしたちはキリストとその霊を命の供給として享受し、神の住まいを建造しています。ハレルヤ!主を賛美します。

 

 

エホバは永遠の愛をもってイスラエルを愛された

 

 エレミヤ書第30章から第33章は、イスラエルの復興に関するエホバの約束についての部分です。

 エホバは遠くから(彼らが彼に従った荒野から――エレミヤ2:2後半)イスラエルに現れました。エホバは永遠の愛(花嫁の愛――2:2前半)をもってイスラエルを愛されました。ですから、彼は彼らを、慈愛をもって引き寄せてきたと言われました(31:3)。エホバは続けて言われました、「イスラエルの処女よ、わたしはあなたを再び建てる.そしてあなたは建てられる。再び、あなたはタンバリンをもって自分を飾り、喜び楽しむ者たちの踊りの中に出て行く。再び、あなたはぶどう園をサマリアの山々に植える.植える者たちは植えて、その実にあずかる」(4-5節)。

 エホバはイスラエルとユダの捕囚の民を帰らせ、彼らをその父祖たちに与えた地に連れ戻され、彼らはそれを所有します(30:3)。・・・・・・  エホバは彼らを北の地から連れ出し、彼らを地の果てから集めることを約束されました(31:8前半)。大いなる集団がイスラエルの地に帰って来ます。この集団は、盲人、足の不自由な者、妊婦、産みの苦しみをしている女を含みます(8節後半)。(エレミヤ書ライフスタディ、第24編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第6日)

 

大いなるバビロンの二つの倒壊

 

エレミヤ51:61-62

……あなたはバビロンに来るとき、……言いなさい、「エホバよ、あなたはこの所について語られました.すなわち、そこを断ち切り、……それが永遠の廃虚となるということです」。

 

啓11:15

……世の王国は、わたしたちの主と彼のキリストの王国となった.彼は永遠にわたって王として支配される。

 

「大いなるバビロンには、二つの倒壊があります。すなわち、宗教のバビロンの倒壊と、物質のバビロンの倒壊です(啓14:8.18:2)。宗教のバビロンの倒壊は、大患難の始めに起こります(啓17:16-17)。物質のバビロンの倒壊は、大患難の終わりに起こります(啓18:2, 21)」。

 

 この時代の終わりに、大いなるバビロンは倒壊します。ハレルヤ! 救いと栄光と力とは、わたしたちの神のものです。主を賛美します。アーメン、ハレルヤ!

 

 

新エルサレムがもたらされる

 

 この時代の終わりに、ローマ帝国は復興され強められて、その最後のカイザル、反キリスト、不法の者を生み出し(啓17:9-11.Ⅱテサロニケ2:3-4、8)、彼はとても力強いでしょう。彼が大患難の初めにローマ教会を滅ぼすでしょう。……

 そして、大患難の終わりに、キリストは彼の軍隊としての勝利者たちと共に天から下って来て、反キリストと直接、戦い、彼を打ち破り、彼を生きたまま火の池の中へと投げ込むでしょう(啓第19章)。それは神に敵対する人の最後の戦いであり、その戦いはバベルで始まり、増大し、強まり、ハルマゲドンの戦いに至ります。キリストが反キリストを打ち破ることをもって、ローマ帝国全体が滅ぼされ、ローマの事物はすべて地から取り除かれ、一掃されるでしょう。……その時、地上で際立っているものはバビロンではなく、新エルサレムです。(エレミヤ書ライフスタディ、第37編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第5日)

 

混合した状況のバビロンから出て来る

 

エレミヤ51:9

わたしたちはバビロンをいやそうとしたが、彼女はいやされない.彼女を捨てよ.それぞれ自分の地に行こう.まことに、その裁きは天に達し……

 

「わたしたちは人の力と神の力が混合したあらゆる状況から、人の能力と神の働きが混合したあらゆる状況から、人の意見と神の言葉が混合したあらゆる状況から、出て来なければなりません(啓18:4, フットノート1)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちが、人の力と神の力の混合から、人と神が混合したあらゆる状況から出て来ることができるようにしてください。わたしたちを照らし、導いてください。

 

 

バビロンの原則は、人のものを神の御言と混合させる

 

 バビロンの原則とは、人のものを神の御言と混合させることであり、肉のものを霊のものと混合させることです。それは、人のものを神のものに見せかけることです。それは人の欲を満たすために、人が栄光を受けることです。こういうわけで、バビロンは混合して堕落したキリスト教です。それでは、バビロンに対するわたしたちの態度はどうあるべきでしょうか? 啓示録第18章4節は言います、「わたしはまた、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた、『わたしの民よ、彼女から出よ.それは、あなたがたが彼女の罪に加わらないためであり、また、あなたがたが彼女の災害を被らないためである』」。また、コリント人への第二の手紙第6章17節は言います、「それゆえ、『主は言われる、彼らのただ中から出て、分離されよ.また汚れているものに触れてはならない.そうすれば、わたしはあなたがたを喜び迎えよう』」。……神の御言によれば、神の子たちはバビロンの特徴を含むどんな事柄にもかかわることはできません。神は、人の力と神の力が混合したあらゆる状況から、人の能力と神の働きが混合したあらゆる状況から、人の意見と神の御言が混合したあらゆる状況から、出て来なければならないと言われました。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第5編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第4日)

 

バビロンに対する神の裁き

 

啓18:4

……わたしの民よ、彼女から出よ.それは、あなたがたが彼女の罪に加わらないためであり、また、あなたがたが彼女の災害を被らないためである。

 

「エレミヤ書第50章と第51章は、バビロンに対する神の裁きについて語っています。バビロンはバベルから始まりました(創10:8-10)。バベルで、サタンは人類に神に反逆させ、偶像を拝ませ、人の自己を高く上げさせました。こういうわけで、バベルは、人が神に反逆し、人が偶像を拝み、人が自己を高く上げることの起源、源でした(創11:1-9)」。

 

 主よ、わたしたちの中には、なおも神に反逆し、自己を高く上げるバビロンの性質があります。わたしたちの内側を照らしてください。神に仕えるために、わたしたちが宗教と物質の面のバビロンから、完全に出てくることができますように。

 

 

宗教の面と物質の面のバビロン

 

 新約において、バビロンは啓示録において強い方法で述べられています。宗教の面がまず述べられ(啓第17章)、次に政治の面が述べられています(啓第18章)。宗教のバビロンは、「奥義、大いなるバビロン、地の遊女どもと忌むべきものの母」として啓示されています(17:5)。啓示録第2章20節で、彼女はイゼベルによって表徴されています。政治のバビロンと比較して、宗教のバビロン、背教のローマ・カトリックはとても奥義的です。その内側には神、キリスト、サタンがあります。それは名義上、神を告げ知らせ、救い主としてのキリストを告げ知らせています。しかし会員はその宣べ伝えを信じるとき、サタンの秘密、奥義、深い事柄にもたらされ(24節)、偶像を礼拝します。背教のローマ教会は神を宣べ伝えますが、偶像を礼拝します。これは偽善です。(イザヤ書ライフスタディ(1)、第26編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第3日) 

 

この世は邪悪な体系であり、サタンの体系化です

 

Ⅰヨハネ2:15

世と世にあるものを愛してはいけません。だれでも世を愛するなら、御父への愛は彼の中にありません。

 

マタイ6:33

むしろ、まず父の王国と父の義を求めなさい。そうすれば、これらの物はすべて、あなたがたに加えられる。

 

「神はご自身の定められた御旨を成就するために、人を創造して地に住まわせました。しかし神の敵サタンは、神の創造された人を強奪するために、文化、教育、工業、商業、娯楽、宗教をもって、人を体系化することによって、神に反対するこの世の体系を地上に形成しました(エペソ3:11.創1:26-28.2:8-9.4:16-24)」。

 

 主よ、あなたを愛させてください。まず、父の王国と父の義を求めることができますように。この世の邪悪な体系、暗やみの王国は、キリストの十字架の死を通して裁かれました。主を賛美します。

 

 

思いが新しくされて、造り変えられる

 

 ローマ人への手紙第12章2節でパウロは言います、「この時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい」。この時代にかたどられるとは、この世の現在の潮流に同形化されることです。わたしたちは現在の時代に同形化されるのではなく、思いが新しくされることによって造り変えられるべきです。造り変えられれば造り変えられるほど、ますますわたしたちは肉、自己、この世から救い出されます。

 何であれ、わたしたちを占有し、心を奪うものは、わたしたちにとって、この世の一項目となり得ます。あなたは、すべての占有し、心を奪うものから完全に解放される必要があります。あなたがこのように言えるような時が来なければなりません、「主よ、あなたを賛美します。わたしは解放されました。……この地上には、わたしを占有し、心を奪うものは何もありません」。これがあなたの状況であるとき、あなたはこの世と何の関係もなくなりますが、あなたは依然として地上で生きているでしょう。あなたは引き続き、食物、結婚、衣服、家、交通手段を必要とします。しかし、これらのものは何一つ、あなたを占有し、心を奪うことはないでしょう。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第2日)

 

暗やみの王国、サタンの権威から神に立ち返らせる

 

ヨハネ12:31

今は、この世が裁きを受ける時である.今、この世の支配者は追い出される。

 

使徒26:18

彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである.それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。

 

「エジプトが予表するのは、生計を立てる、享楽のこの世です。エジプトの支配者パロが予表するこの世の支配者サタンは、このような世を用いて、神のエコノミーのために神が選んだ人を占有し、強奪しています(創12:10.41:57―42:3.民11:4-6.ヘブル11:25.ヨハネ12:31)」。

 

 主よ、わたしたちの目を開いてください。この世の暗やみの王国から、神へと立ち返らせてください。自分の生活と享楽のためだけに生きるのではなく、神の定められた御旨のために生きることができますように。

 

 

この世の奴隷状態から解放されて神に生きる

 

 エジプトによって予表されるこの世は、神が彼の定められた御旨のために創造し、選ばれた人々を強奪します(出エジプト5:6-9)。イスラエルの子たちは、彼らに生計を与え、彼らに享楽を提供するこの世のこの面で奴隷にされたのです。富んでいても貧しくても、多くの人は今日、金銭の奴隷です。彼らは懸命に働いて多額の金をもうけ、ごく短い期間に、持っているすべてを使い果たし、この世の快楽にふけります。ですから、多くの人は今日、神に仕えないでマモンに仕えているのです。……エジプトの地において[古代のイスラエル人]は良い生計を立て、この世の豊富を享受しました。しかしエジプトは、神が当初彼らを召された目的を彼らが果たすのを妨げていました。(出エジプト記ライフスタディ(1)、第2編)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌 結晶の学び(3) 第9週 第1日)

 

エジプトとバビロンに対する神の裁き

 

エレミヤ46:25

万軍のエホバ、イスラエルの神は言われる、「見よ、わたしはノのアモンとパロとエジプトとその神々と王たちを、パロと彼に依り頼む者たちをも罰する。

 

ヨハネ17:14

わたしは彼らにあなたの言を与えましたが、世は彼らを憎みました.それは、わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。

 

「エレミヤ書は、神が入って来て、諸国民を罰し裁く絵を提示しています。諸国民はこの世の各面を予表します(エレミヤ46:2.47:1.48:1.49:1, 7, 23, 28, 34.50:1)。そして、神のエコノミーを完成するために、神の新約の選民である召会は、この世のあらゆる面から分離されなければなりません(ヨハネ17:14, 16.ローマ12:2.Ⅰヨハネ2:15-17)」。

 

 主よ、あなたをさらに愛させてください。わたしたちはこの世とかかわりを持ちながら生活しています。わたしたちがこの世から分離されますように。生ける水の源泉から飲む召会生活をするように守ってください。

 

 

この世のさまざまな面によって汚されない召会生活

 

 エレミヤ書は……わたしたちに、神の選民であるイスラエルが諸国民に大いにかかわっていることを示しています。これは、多くの面でこの世に大いにかかわっているわたしたち、神の新約の選民の予表です。第46章から第51章の諸国民は、この世の九つの異なる面を予表します。今日この世にはさらに多くの面があります。エレミヤがわたしたちにこのような絵を提示するのは、わたしたちがこの世のさまざまな面によって汚されていない召会生活を生きることができるためです。わたしたちは、どのようにこの世からの明確な分離を持って、そのどの面にも結び付けられ混合しないかを知る必要があります。神は入って来てこの世のすべての面を裁き、彼の選民としての召会と、この世のあらゆる面との明確な区別をされます。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)