朝ごとの食物

2月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週2日)

 

「エホバ」は、「わたしは『わたしはある』である」を意味します

 

歴代上16:8

エホバに感謝し、彼の御名を呼び求めよ.彼のみわざをもろもろの民の間に知らせよ。

 

出3:14

神はモーセに言われた、「わたしは、『わたしはある』である」。また彼は言われた、「イスラエルの子たちにこう言いなさい、『「わたしはある」が、わたしをあなたがたに遣わされた』」。

 

「バビロンの捕囚から良き地に帰還した人はみな、エホバを知り、エホバに従い、エホバを礼拝するように命じられました(歴代上16:8-14)。「神」は、神の力、および神と被造物の関係を暗示しています。「エホバ・神」は、神が人と関係を持つことを示しています。「エホバ」は、「わたしは『わたしはある』である」を意味します。これは、エホバが自ら存在し永遠に存在する永遠の方であり、今おられ、昔おられ、未来永遠におられる方であることを示しています(出3:14.啓1:4)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはエホバ「わたしはある」である方です。主よ、あなたは永遠に存在する永遠の方であることを啓示してください。そして、あなただけが「ある方」であり、わたしはないことを経験させてください。

 

 

「エホバ・神」は、神が人と関係を持つことを示しています

 

「神」というのは一般的な御名ですが、「エホバ」というのは親密な御名です。「神」は、神の力を指していますが、「エホバ」は、彼の愛を指しています。「神」は創造を指しており、「エホバ」は、彼の親密さを指しています。創世記第1章は「エホバ」に言及していません。なぜなら、それは創造を扱っているからです。第1章が人に言及する時も、それは創造と力に関係があります。創世記第2章は、神と人との親密さと、神と人との関係について語っています。こういうわけで、それは「エホバ・神」に言及しているのです。単に「エホバ」と言う代わりに、「エホバ・神」と言うの……は、第2章のエホバが第1章の神であることを証明します。エホバ・神とは、力強い方であるだけでなく、人に近づかれる方でもあるのです。(ニー全集、第9巻、第21号)

 

 神が約束を成就する神であるために、彼は存在する神でなければなりません。すなわち、彼は自ら存在する方でなければなりません。唯一の意味で、「ある」という動詞は彼にだけ適用されます。この動詞は、エホバという御名の基本的な構成要素です。この宇宙で彼だけが自ら存在する方です。(「出エジプト記ライフスタディ(1)」、第14編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週1日)

 

イスラエルの民の歴史は、新約の信者たちを予表しています

 

Ⅰコリント10:11

さて、これらの事柄が彼らに起こったのは、一種の予表としてであって、もろもろの時代の終わりに臨んでいるわたしたちへの警告のために、書き記されたのです。

 

Ⅱテモテ2:13

わたしたちが不信実であっても、彼はなおも信実である.彼はご自身を否むことができないからである。

 

「イスラエルの民の歴史は、予表であり、新約の信者たちを予表しており、召会を予表しています(歴代下36:22-23.Ⅰコリント10:6,11)。ユダは忠信でなかったために、バビロンに捕囚として連れ去られました。こういうわけで、捕囚から帰還した者たちは、神に対して忠信でなければなりませんでした(歴代上9:1.Ⅰコリント4:1-2.7:25.Ⅱテモテ2:13.啓17:14)」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたはわたしたちを彼のエコノミーの中へと導くことにおいて信実です。主よ、わたしたちが生ける水の源泉としての神から飲み、キリストをわたしたちの中へと受け入れ、彼を消化することができますように。

 

 

神は彼のエコノミーを完成することにおいて信実です

 

 神は、わたしたちを彼のエコノミーの中へと導くことにおいて信実です。神のエコノミーとは、わたしたちがキリストを飲み、キリストを食べ、キリストを享受し、キリストを吸収し、キリストを消化して、神がわたしたちをもって彼の増し加わりを得て、彼のエコノミーを成就することです。イスラエルは生ける水の源泉としての神から飲むのではなく、彼らの偶像から飲みました。ですから、神はバビロン人を用いてこれらの偶像を対処し、またエルサレムと宮をさえ破壊されました。それらが彼らにとって偶像となっていたのです。

 

 わたしたちは、自分たちがイスラエルより良いわけではないことを見る必要があります。いかなるものも、わたしたちにとって偶像になり得るのです。しかし神は、彼のエコノミーを完成することにおいて信実です。彼は彼の信実の中でわたしたちの偶像を対処し、わたしたちが彼から飲むようにされます。わたしたちはみな生ける水の源泉としての神から飲み、キリストをわたしたちの中へと受け入れ、彼を消化する必要があります。それは、彼が増し加わって神のエコノミーを成就し、彼の配偶者を通して彼の表現を持たれるためです。(「エレミヤ書ライフスタディ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週6日)

 

わたしたちの霊を活用して、キリストを七倍に強化された霊として経験し、享受します

 

ゼカリヤ12:1

イスラエルについてのエホバの言葉の託宣。天を延べ、地の基を据え、人の霊をその中に形づくられたエホバはこう告げられる。

 

ゼカリヤ10:8

わたしは彼らに口笛を吹いて彼らを集める.わたしが彼らを贖ったからである.彼らはかつて増し加わったように増し加わる。

 

「人類歴史の中の神の行動を完成して神の永遠のエコノミーを完成する道は、わたしたちの霊を活用して、キリストを七倍に強化された霊として経験し、享受することです(啓1:10.4:2.17:3.21:10.4:5.5:6.ゼカリヤ3:9.4:10)。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちすべてをあなたの神聖な歴史の中に保ってください。主よ、わたしたちを人類歴史の中のあなたの行動の中に保ってください。わたしたちの霊を活用して、キリストを七倍に強化された霊として経験し、享受することができますように。

 

 

神は人を霊のあるものに創造されました

 

 天は地のためであり、地は人のためであり、人は神によって霊のあるものに創造されました。それは人が神と接触し、神を受け入れ、神を生き、神のために神の定められた御旨を完成し、神と一となるためです。旧約の書に、ゼカリヤ書第12章1節のような節があるというのは驚くべきことです。それは、人類歴史と政治と関係があるキリストを明らかにしています。これは神のエコノミーにおいて、神がキリストを、地上での彼の行動の中心性と普遍性とするように計画されたことを示します。そのような神として、彼は全人類を支配し、数千年の間、時代また時代と世界情勢を管理してこられました。

 

 創造主また贖い主としての彼に関心がある彼の選びの民のために、神は受け入れる器官を創造する必要がありました。それは、彼らが能力を持って、キリストであることを神が計画したすべてを受け入れるためです。キリストはすばらしいのですが、もしわたしたちが霊を持たなかったなら、どうして彼を受け入れることができたでしょうか?……もしわたしたちが人の霊を無視するなら、神と接触する道はありません。(「ゼカリヤ書ライフスタディ」、第12編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週5日)

 

エペソ第5章と第6章は、召会が花嫁また戦士であることを啓示しています

 

啓19:7-8,14

わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。…… 天にある軍勢が白い馬に乗り、白くて清い細糸の亜麻布を着て彼に従った。

 

「エペソ第5章と第6章は、召会が花嫁また戦士であることを啓示しています。啓示録第19章にも、召会のこれら二つの面があります(エペソ5:25-27.6:10-20.啓19:7-9,11,14)。わたしたちは神聖な歴史の中で、すなわち、人類歴史の中の神の行動の中で花嫁となるために、神の美しくする言葉を必要とします。またわたしたちは神聖な歴史の中で、すなわち、人類歴史の中の神の行動の中で戦士となるために、神の殺す言葉を必要とします(エペソ5:26.6:17-18.参照、Ⅱテモテ3:16)」。

 

 主よ、あなたを愛します。 主よ、あなたの花嫁となるために、輝く清い細糸の亜麻布の衣を用意することができますように。主よ、このためにあなたを愛し、神の美しくする言葉を与えてください。また、あなたの戦士となるために、神の殺す言葉も与えてください。

 

 

花嫁は「輝く清い細糸の亜麻布」を着ています

 

 啓示録第19章によれば、召会はキリストにささげられる花嫁と、神の敵に対して神と共に戦う戦士の両方です。主イエスは再び来る時、第一に彼の花嫁に会われます。花嫁を迎えた後、キリストと勝利者たちは、敵との戦いの中へと入ります。……主は白い馬に乗られ[11節]、天にある軍勢は、白い馬に乗り、白くて清い細糸の亜麻布を着て彼に従います(14節)。啓示録第17章14節もこれに言及しています。…… 啓示録第19章7節と8節で、花嫁が「輝く清い細糸の亜麻布」を着ているのを見ます。次に14節で、主に従って戦いに行く軍勢が、「白くて清い細糸の亜麻布を着て」いるのを見ます。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(4)」、第97編)

 

 わたしたちは召会として、からだ、神の住まい、神の王国、神の家族、新しい人であるだけでなく、花嫁また戦士でもあります。花嫁として、わたしたちは美しくあって、しみやしわがなく、細糸の亜麻布を着ていなければなりません。戦士として、わたしたちは神の敵と戦うよう装備されていなければなりません[参照、エペソ第5章―第6章.啓第19章]。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(4)」、第97編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週4日)

 

エホバの御使いは、三一の神としてのエホバご自身です

 

ゼカリヤ1:8,20-21

……一人の人が赤い馬に乗っていた.彼は谷底にあるミルトスの木の間に立っており、…… その時、エホバはわたしに四人の職人を見せられた。……「四つの角はユダを散らし……たが、それらの職人が来たのは、……ユダの地に対して角を上げて追い散らした諸国民の角を投げ落とすためです」。

 

「すべてを含むキリストは、人類歴史の中の神の行動の歴史であり、神の現れのために神の建造を得ます(ゼカリヤ4:9.6:12-15.マタイ16:18)。キリストは巧みに働いて、人類歴史の中の世界情勢を主権をもって制御するとき、神聖な歴史の中でご自身を巧みにわたしたちの中へと造り込んで、彼の無限の知恵と神聖な設計を表現します(使徒5:31.エペソ2:10)」。

 

 主よ、あなたはこれまでの人類歴史の中の世界情勢を制御しておられます。主よ、人類歴史の中に神の行動の歴史があり、あなたはわたしたちのためにとりなしておられます。どうか、あなたご自身をわたしたちの中へと造り込み、わたしたちを徹底的にきよめてください。

 

 

四つの角は四つの王国とその王たちです(バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国)

 

 [ゼカリヤ書第1章8節前半の]この人は人性におけるキリストです。……ここの人はエホバの御使いです(11節前半)。エホバの御使いは、三一の神としてのエホバご自身です(出3:2前半、4-6、13-15)。…… このビジョンで、この人は赤い馬に乗っています(ゼカリヤ1:8前)。……ここの赤い馬は、キリストが血を流すことによる贖いにおける素早い行動を表徴します。……

 

 ゼカリヤ書第1章18節から21節には四つの角と四人の職人のビジョンがあります。「また、わたしが目を上げて見ると、見よ、四つの角があった。わたしは、わたしと話していた御使いに言った、『これらは何ですか?』。彼はわたしに言った、『これらは、ユダ、イスラエル、そしてエルサレムを追い散らした角です』」(18-19節)。この四つの角は四つの王国とその王たちであり(バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国)、ダニエル書第2章の大きな人の像によって、またダニエル書第7章3節から8節の四頭の獣によって表徴されており、神の選ばれた民を害し、破壊しました。

  [ゼカリヤ書第1章20節と21節の]これらの四人の職人は、神に用いられる技巧であり、人手によらずに切り出された石を含み、イスラエルの国を滅ぼした四つの王国とその王たちを滅ぼします。キリストは職人の間の方であり、人手によらずに切り出された石として来て、大きな像を砕きます。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週3日)

 

キリストの勝利における二度目の来臨は、力と権威を伴っています

 

ゼカリヤ14:3-4

その時、エホバは出て行って、戦いの日に戦うように、それらの諸国民と戦われる。その日、彼の足はエルサレムの東側の前にあるオリブ山の上に立つ.そしてオリブ山はその真ん中で東と西に裂けて非常に大きな谷となり、その山の半分は北へ、他の半分は南へ移る。

 

「ゼカリヤ書第12章から第14章は、キリストの勝利における二度目の来臨について語っています。それは力と権威を伴っています。キリストは二度目に、彼の聖徒たち、すなわち、勝利者たちを伴って来て(ゼカリヤ14:5.ヨエル3:11)。彼の足は、エルサレムの東側の前にあるオリブ山の上に立ち(ゼカリヤ14:4.使徒1:9-12)、イスラエルの子たちを破壊から救います(ゼカリヤ14:2-3, 12-15.12:1-9)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは二度目の来臨の時、聖徒たち、勝利者たちを伴って来られます。全イスラエルは悔い改め、イスラエルのすべての子たちは四方から集められます。そして、イスラエルの国は復興され、万物は復興されます(使徒3:21)。その時から王国時代が始まります。主よ、これらのことが速やかに成就されますように。

 

 

キリストは二度目の来臨の時、彼の聖徒たち、勝利者たちを伴って来て、オリブ山の上に立ちます

 

 大患難の期間に、イスラエルは、反キリストと彼の軍隊によって踏みにじられます(啓11:2)。さらに、大患難の主要な災害が、その地に起こるでしょう(マタイ24:16-22)。最後に、反キリストは多くのユダヤ人を殺害し、彼らをオリブ山で包囲します。しかし、まさにその危機の時、キリストは力と大いなる栄光を帯びて、天の雲に乗って来られます。すると全イスラエルは、自分たちが刺し通した方を仰ぎ見るでしょう。そして彼のゆえに嘆き、悔い改めるでしょう(マタイ24:30.ゼカリヤ12:10)。

 

 キリストはオリブ山に下りて来て、イスラエル人を救われます(14:4-5)。キリストは諸国民を裁いた後、大いなるラッパと共に、御使いを遣わされます。すると彼らは、彼がアブラハムに約束された良き地に、イスラエルのすべての子たちを四方から集めます。それは、イスラエルの国の復興の時となります(マタイ24:31)。またそれは、万物の復興をもたらします(使徒3:21)。その時から、王国時代が始まります。(「神の定められた最新の道とキリストの再臨のしるし」、第7章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週2日)

 

キリストの一度目の来臨は、へりくだった親密なものでした

 

ゼカリヤ9:9

シオンの娘よ、大いに喜べ.エルサレムの娘よ、叫べ! 見よ、あなたの王があなたに来られる。彼は義であり、救いを担い、卑しくなって、ろばに乗られる.それも、ろばの子である子ろばに。

 

ゼカリヤ13:1

その日には、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを清める一つの開かれた源泉がある。

 

「ゼカリヤ書が啓示しているのは、人類歴史の中の神の行動の極めて重要な点と主要な内容が、キリストの二度の来臨であって、それはイエスの証し、神の建造のためであるということです。ゼカリヤ書第9章から第11章は、キリストの卑しい中での一度目の来臨について語っており、それはへりくだった親密なものでした」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはへりくだった王、卑しい王として、ろばに、子ろばにさえ乗って来られました。主よ、あなたはへりくだった親密な方法で来られました。主よ、あなたは良い牧者として羊のために命を捨てられ、あなたの脇は突き刺されました。そして、あなたは罪と汚れを清める一つの開かれた源泉となられたことを感謝します。

 

 

これらの傷は、わたしを愛する者の家で傷つけられたものです

 

 ゼカリヤ書第9章9節……が啓示しているのは、キリストが義なる方法でわたしたちの救いのために来ること、彼はろばに、子ろばにさえ乗られるということです。この節は、イエス・キリストが最後の時にエルサレムへと入って行ったとき、四福音書で成就されました。彼は王として、しかしへりくだった王、卑しい王として来て、威厳ある馬に乗ったのではなく、子ろばに乗られました。(「ゼカリヤ書ライフスタディ」、第12、9編)

 

 ゼカリヤ書第11章12節と13節は、イスラエルの正当な牧者としてのメシアが、嫌われ、攻撃され、拒絶されて、銀三十枚、すなわち奴隷の値で売られたことを啓示しています(出21:32)。ここで予言されていることは、福音書で成就されました。主イエスはローマ帝国の統治の下で売られ、ローマの支配者たちによって裁かれました。……

 ゼカリヤ書第13章6節は……言います、「だれかが彼に言う、『あなたの両腕の間にあるこれらの傷は何か?』。彼は、『わたしを愛する者の家で傷つけられたものだ』と言われる」。……イスラエルの子たちは彼を殺しましたが、彼は彼らの行動を、彼を愛する者からの傷と認めました。これはとても甘いのです。(「ゼカリヤ書ライフスタディ」、第11、13編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第1週1日)

 

旧約の十二巻の歴史書は、神の永遠のエコノミーを告げています

 

エペソ1:4

すなわち、この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び。

 

啓11:15

第七の御使いがラッパを吹いた.すると、天に大声があって言った、「世の王国は、わたしたちの主と彼のキリストの王国となった.彼は永遠にわたって王として支配される」。

 

「わたしたちは旧約の十二巻の歴史書を、神の永遠のエコノミーに結び付けなければなりません。聖書は実は、ただ一つの事、神の永遠のエコノミーを告げています。それは神の大いなる喜び、すなわち、神の心の願いに基づいています(エペソ1:4-5, 9-10.Ⅰテモテ1:3-4.6:3)。これら十二巻の歴史書は、わたしたちを警告し、照らすためです(Ⅰコリント10:11)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、十二巻の歴史書の学びを通して、人類歴史の中の神の行動を見せてください。主よ、歴史書の内在的な意義をわたしたちに啓示して、神の永遠のエコノミーの中にある神の大いなる喜び、神の心の願いに触れさせてください。

 

 

十二巻の歴史書から、人類歴史の中の神の行動が、 神の永遠のエコノミーを完成するためであることを見ます

 

 歴代志上、下の中心思想は、第一に、人類歴史の中の神の行動の完全な年代記をわたしたちに与え、アダムからサムエルまでの系譜を含みます。この年代記が示すのは、人類歴史の中の神の行動が、神が人と成り人が神となることによって、神が道を用意して人性の中で神の永遠のエコノミーを完成するということが、神の選びの民の歴史だけと関係があるという事柄ではなく、人類の全種族の歴史と関係があるという事柄です。サムエル記上、下と列王紀上、下における観点の中心点は、神の選ばれた民ですが、歴代志上、下では人類の全種族です。

 

 これは、サムエルからではなくアダムからキリストまでの血統を必要とし、これはマタイによる福音書第1章ではなく、ルカによる福音書第3章に記録されているキリストの系譜と符合します。マタイによる福音書第1章の観点は狭く、イスラエルに限定されます。ルカによる福音書第3章の観点は広く、全人類を含んでいます。これは、神の具体化として来るキリストが、神によって選ばれた一つの種族のためだけでなく、神によって創造された全人類のためでもあることの強力な証拠です。(「歴代志上、下ライフスタディ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週6日)

 

主の御名を呼び求める者はすべて救われます

 

ローマ10:12-13

ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません.同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです.なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。

 

ヨハネ3:6

肉から生まれるのは肉であり、その霊から生まれるのは霊である。

 

「再生は最大の奇跡ですが、それは正常な方法で起こります。こういうわけで、再生は正常であって奇跡的であり、わたしたちのクリスチャン生活における奇跡的で正常なことです(ヨハネ3:3,5-6,8.Ⅰペテロ1:23)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主の御名を呼び求める者はすべて救われます。わたしたちが「主イエスよ」と呼び求める時、手順を経た三一の神を得ることを感謝します。主イエスの御名をいつも呼び求めることができますように。

 

 

「主イエスよ」と呼び求める時、手順を経た三一の神を得ることは最も偉大な奇跡です

 

 主イエスの御名を呼び求める時、わたしたちは手順を経た三一の神を受け入れます。口を開いて、呼び求めることは、最も正常です。「おお、主イエスよ」と呼び求めることは、正常です。わたしたちは、どんな方法でも、いつでも、どこでも、主の御名を呼び求めることができます。…… 「おお、主イエスよ」と呼び求める時、…… わたしたちは、手順を経た三一の神を得るのです! これは奇跡的です。手順を経た三一の神を得ることは、最高の奇跡、すべての奇跡の中で最も偉大な奇跡です。彼を受け入れるために、着飾って、最高に整えて、敬虔にひざまずいて、形式的に正しく祈る必要はありません。

 

 わたしが行なうべきことは、ただ「おお、主イエスよ」と呼び求めることです。そうすれば、わたしは手順を経た三一の神を得て、享受します。これは、すべての世代を通じて、この宇宙の中で最も偉大な奇跡、またすべての奇跡の総合計と集大成です。これは完全に奇跡的ですが、それはとても正常です。わたしたちは、運転している時、あるいは寝る前に、主の御名を呼び求めることができます。(「キリストのからだの建造のために集会し奉仕する聖書的な道」、第13章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週5日)

 

神聖な分与がある通常の日々の生活をします

 

エペソ3:9,16-17

それはまた、……奥義のエコノミー[経綸]が何であるかを、すべての人を照らして明らかにするためであり…… どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように.またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように

 

「神聖な分与における通常の日々の生活は、神聖なエコノミーの奇跡的で正常なことにしたがっています(Ⅰテモテ1:4.エペソ3:9)。キリスト、その霊、三一の神、神聖な性質を伴う神聖な命に対する経験は、完全に正常なことです(エペソ3:16-17前半)」。

 

 主よ、あなたを愛します。神がわたしたちの中へと入り、わたしたちの命となられたことを感謝します。主よ、わたしたちの通常の生活の中で、神聖な命を経験することができますように。

 

 

わたしたちはクリスチャン生活の中で、奇跡的で正常であることを経験します

 

 わたしは、聖書の学びとクリスチャンとしての経験を通して、クリスチャン生活の中でキリスト、三一の神、その霊、神聖な命と神聖な性質を経験することは、完全に正常であるということを理解しました。それは正常なことです(「キリストのからだの建造のために集会し奉仕する聖書的な道」、第13章)。

 

 わたしたちの中にある神の霊的な命が実際であることを、わたしは六十三年以上の経験から本当に証しすることができます。これは神によって創造された肉体の命ではなく、神がわたしたちの中へと入り込み、わたしたちの内側で生まれて、わたしたちの命となられることです。わたしたちの外側の人は、神が造られた命です。わたしたちの内側の人は、神がわたしたちの命であることです。…… 実際に、神がわたしたちの中へと入って、わたしたちの命となるこの霊的な事柄は、全く正常な事柄です。救われることはとても正常な事柄です。(「新しい道のための訓練の言葉(一)」、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週4日)

 

霊的な事柄は、何度も繰り返されなければなりません

 

ローマ8:2

なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。

 

「わたしたちは少しずつ、日ごとに、神聖な分与を受け、ゆっくりと、安定した方法で、何度もこの分与を受ける必要があります(Ⅱコリント13:14.マタイ6:11.詩68:19)。ほとんどの霊的な事柄は、わたしたちの中で一度で永遠に達成されるのではありません。そうではなく、わたしたちの肉体の命のように、何度も繰り返されなければなりません(ヨハネ6:57後半.4:14.Ⅰコリント10:3-4)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしの中に生きておられます。主よ、神聖な分与を何度も繰り返して与えてくださることを感謝します。主よ、日ごとにあなたに依り頼み、あなたを命として生活することができますように。

 

 

神の霊がわたしたちの中で働くとき、静かに穏やかに活動しています

 

 このすばらしい方は、おもにわたしたちの命となるために、わたしたちの中におられ、わたしたちの中で静かに穏やかに活動し、働いておられます。これはわたしたちの体の命にたとえることができます。毎日、一日二十四時間、それはわたしたちの中で静かに穏やかに活動しています。ここに座っている間でさえ、内側で一つの活動、消化作用がなされています。しかし、わたしたちはそれを感じません。感じるとすれば、それはいつでもわたしたちの何かが悪い証拠です。消化だけではなく、吸収もあって、消化した食物の要素をわたしたちの血液の一部にし、これらの要素を体の細胞組織に構成します。神の霊がわたしたちの中で働くとき、彼はそれと同じように活動します。………

 

 わたしが六十年以上も主に従ってきた経験の中で、主は決してわたしを厳しく叱責するようなことはなかったと思います。わたしは実際に何回も彼を怒らせるようなことをしてきました。しかし彼は、常に喜んで彼ご自身をわたしの中へと供給し分与してくださいます。今日、主は確かにわたしの中に生きておられます。彼はわたしたちのパースン、わたしたちのかしら、夫であり、救い主です。彼は彼のホームをわたしたちの中に造り、わたしたちのパースンすべてを彼の安息の場所としたいのです。(「神聖な分与におけるさらに深い学び」、第3、11章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週3日)

 

主を愛し、主に開き続けて、自分の行ないを停止します

 

マタイ22:37

イエスは彼に言われた、「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい」。

 

「真のクリスチャン生活は、主を愛し、主に開き続けて、自分の行ないを停止する生活です(マルコ12:30.Ⅰヨハネ4:16-21)。わたしたちはただ主を愛し、自分自身を主に開き続け、主が行ないたいあらゆることを行なうあらゆる機会を主に与える必要があります(エペソ3:17)」。

 

 主よ、わたしはあなたを愛します。主よ、わたしはここであなたに開いています。主よ、わたしをあわれんでください。またあなたの恵みによって、わたしは自分の存在のいかなる部分もあなたに閉じたくありません。わたしは自分自身を完全に、徹底的にあなたに開き続けたいのです。

 

 

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい

 

 あなたは神によって創造された器です。命に満ちている器として、あなたは感情を活用して彼を愛する必要があります。あなたの心を尽くして主であるあなたの神を愛しなさい(マタイ22:37)。器として、あなたは何もする必要はありませんが、自分自身を開き続ける必要があります。わたしたちはみな自由意志の原則を知っています。もしあなたが彼を愛していないなら、主はあなたに強いて彼を愛させようとはされないでしょう。もしあなたが自分自身を開き続けないなら、主は決してあなたに強いて自分自身を開き続けさせようとされないでしょう。

 

 ですから、あなたは自分の自由意志を活用して、主を愛し、自分自身を開き続けなければなりません。しかし、行なうことを避けなさい。あなたの短気について忘れてください。あなたのつきまとう罪について忘れてください。あなたの弱点について忘れてください。主を愛し、自分自身を開き続け、行なうことを停止してください。(リー全集、1980年、第1巻(上)、「成就する訓練(上)」、第22編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週2日)

 

わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています

 

Ⅱコリント4:7

しかし、わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています.それは、この卓越した力が神のものであって、わたしたちからではないことが現れるためです。

 

「パウロの十四の書簡の要約は、「開いた器」という二つの言葉で表現されることができます。新約がわたしたちに示しているのは、器としての信者たちが神を愛し、彼ら自身を神に開き続けることを、神は願っているということです(Ⅱコリント3:16)」。

 

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちは主イエスを宝として、土の器の中に持っています。わたしたちが栄光へと至るあわれみの器に創造されたことを感謝します。主よ、わたしたちが生ける噐として、あなたに開き続けることができますように。

 

 

神は「開いた器」を欲しておられます

 

 神は、わたしたちが何かを行なうことを欲しておられるのではありません。彼はただわたしたちが生ける器であることを欲しておられます。もしあなたが生きていない器、瓶のように命のない器であったなら、主人はあなたを用いやすいでしょう。なぜなら、あなたには意志や思いや感情がないからです。……しかし、神は生きている物を……感情に満ちた、強い意志と思いを持つ、生きている瓶を創造されました。堕落の後、この生きている瓶は神にとって問題となりました。…… クリスチャンは無関心であるか、知ることにおいて、また行なうことにおいてあまりにも熱いかのいずれかです。…… 

 

 この点は新約において、特に……使徒パウロの十四の書簡においてはっきりしています。……あなたはこれら十四の書簡の要約が、「開いた器」というただ二つの言葉で表現されていると言うことができるでしょう。神は開いた器を欲しておられます。ローマ人への手紙第9章23節でパウロは、神がわたしたちを栄光へと至るあわれみの器に創造されたと告げました。それからコリント人への第二の手紙第4章7節で、彼は、「わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています」と言いました。これら二つの節は、キリストと召会に対するわたしたちの経験の基本的な秘訣であると考えてもよいでしょう。(リー全集、1980年、第1巻(上)、「成就する訓練(上)」、第22編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第6週1日)

 

わたしたちは神を内容とする尊い器となるために選ばれました

 

ローマ9:23

しかも、栄光へとあらかじめ用意しておられたあわれみの器に、彼の栄光の豊富を知らせようとされたとすれば、どうなのですか?

 

Ⅱテモテ2:20

ところが、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあり、そしてあるものは尊いことに、あるものは卑しいことに用いられます。

 

「神はご自身を内容とする器として人を創造し、尊い神であるご自身を内容とするために、多くの器からわたしたちを選びました。それはわたしたちが尊い器となるためです(Ⅱコリント4:7)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは多くの器からわたしたちを選んでくださいました。あなたのあわれみを感謝します。主よ、わたしたちがあなたに開き続けて、尊い噐、栄光の器となることができますように。

 

 

わたしたちが神の栄光の器となるためです

 

 神がわたしたちを選ばれたのは、わたしたちが神を内容とする尊い器となるためでした。神はご自身を内容とする器として人を創造されました。次に神は尊い神であるご自身を内容とするために、多くの器からわたしたちを選びました。それはわたしたちが尊い器となるためです。最後に、神は器であるわたしたちにご自身の栄光を知らせます。それはわたしたちが神の栄光の器となるためです(ローマ9:23)。

 

 このことはすべて、神のあわれみからであり、神のあわれみにしたがっています。それは、わたしたちの努力によって獲得されることはできません。こういうわけで、わたしたちは神を礼拝し、彼のあわれみのゆえに、彼を礼拝しなければなりません!(ローマ9:21、フットノート1)。尊い器は、神聖な性質(金)と、贖われ再生された人の性質(銀)の両方から構成されています。テモテや他の真の信者たちのような人たちは、真理を保持する堅固な土台を構成します。(Ⅱテモテ2:20、フットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週6日)

 

一つからだと一つ霊と共に、一つ望みがあります

 

エペソ4:4-6

一つからだと一つ霊、それはあなたがたも、あなたがたの召しの一つ望みの中で召されたようにです.一つ主、一つ信仰、一つバプテスマ.すべてのものの神また父は一つ、この方はすべての上に、すべてを貫き、すべての中におられるのです。

 

「エペソ第4章が描写している事は、手順を経た神が、霊、主、父として、どのようにしてキリストのからだとミングリングされて、からだのすべての肢体に神聖な三一を経験させるかということです(エペソ4:4-6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちには一つからだと一つ霊と共に、一つ望みがあることを感謝します。主よ、奥義的なからだとしての召会が三一の神とミングリングされて、内住のキリストが栄光のうちに現される日を待ち望みます。

 

 

奥義的なからだとしての召会は三一の神とミングリングされています

 

 エペソ人への手紙第4章で、パウロはまず一つからだについて語り、続いて一つ霊、一つ主、一つ神、父について語ります。これは、三一の神(父、子、霊)がからだの中で発展したことを示します。パウロが6節で、すべてのものの神また父は一つと言う時、彼は御父がすべての上に、すべてを貫き、すべての中におられると言います。これは三一の神とからだとのミングリングを示しています。どのようにして父なる神はすべての上に、すべてを貫き、すべての中にという三つの地位にいることが可能なのでしょうか? それは神が三一であるからです。…… 神は父としてすべての上におり、子としてすべてを貫いており、その霊としてすべての中にいます。ですから、奥義的なからだとしての召会は三一の神とミングリングされています。……

 

 一つからだと一つ霊と共に、一つ望みがあります(エペソ4:4)。現在、わたしたちの体は依然として物質的な命の中にあります。それはまだ変貌されていません。しかしながら、ある日、わたしたちの物質的な体が変貌される、すなわち、栄光化されるという望みがあります。その日には、内住のキリストが栄光のうちに現されるでしょう。この栄光は、その霊を伴うからだにとっての望みです。ですから、わたしたちは一つからだと一つ霊を、一つ望みと共に持っています。(「神聖な三一の神聖な分与」、第18、19、20章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週5日)

 

キリストが、わたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように

 

エペソ3:16-17

どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように.またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.…

 

「第3章で使徒が祈っている事は、父なる神が、力をもって、霊なる神を通して、信者たちを内なる人の中へと増強し、子なる神であるキリストが、彼らの心の中にご自身のホームを造り(すなわち、彼らの全存在を占有し)、それによって彼らが満たされて、三一の神の全豊満へと至るようにということです(エペソ3:16-19)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちを内なる人の中へと増強してくださいますように。そして、キリストが、信仰を通してわたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように。主よ、あなたがわたしたちの心のあらゆる部屋を占有し、浸透してください。

 

 

三一の神はとても美しい、深い組み合わせを見せています

 

 エペソ人への手紙第3章14節から19節において、……パウロは源としての御父に祈りました。次に、御父は手段、経路であるその霊を通して信者たちを増強されます。それから、キリストは信者たちの心の中にご自身のホームを造るために動き、また働かれます。最終的に、……三一の神の豊満という結果になります。御父は源であり、その霊は手段であり、御子は目的であり、三一の神の豊満は結果です。

 

 エペソ人への手紙第3章14節から19節で提示された絵は……三一の神のとても美しく、見事で、深い組み合わせを見せています。御父は、操作する者[召会]の祈りに答えます。すると、御父はご自身によってではなく、第三の者、すなわち、経路であるその霊によって働きます。……源と経路の両方は、目的また目標である御子のために何かを行ないます。しかも、御子が彼のすべての信者たちの心の中に、ご自身のホームを造ることも、ご自身のためではありません。三者のだれも自分自身のために行動する者はいません。これが、わたしたちの中で、より深い方法で働かれる神聖な三一の美しい絵です。彼は、わたしたちの心の中に、ご自身のホームを造るために、とても完全で深い方法で働かれます。(「神聖な三一の中で、神聖な三一と共に生きる」、第6章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週4日)

 

ユダヤ人と異邦人の信者は、一つからだの中で神に和解させられました

 

エペソ2:15-16,18

……それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、また十字架を通して、両者を一つからだの中で神に和解させるためでした.それによって敵意を殺してしまったのです。…… それは、わたしたち両者がキリストを通して、一つ霊の中で、御父へと近づくことができるためです。

 

「エペソ人への手紙第2章がわたしたちに見せている事は、神聖な三一の中で、すべての信者が、ユダヤ人も異邦人も、子なる神を通して、霊なる神の中で、父なる神へと近づくことができるということです(エペソ2:18)。わたしたちは、子なる神(完成者、手段)を通して、霊なる神(執行者、適用)の中で、父なる神(起源、わたしたちの享受の源)へと近づくことができます」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちがキリストの十字架を通して、一つからだの中で神に和解させられたことを感謝します。主よ、わたしたちがキリストを通して、一つ霊の中で、御父へと近づくことを経験し享受することができますように。

 

 

ユダヤ人と異邦人の信者は、一つ霊の中で、御父へと近づきます

 

 キリストは、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄し、隔ての中垣を取り壊し、敵意を殺して異邦人をユダヤ人に和解させ、ご自身の血を流して、ユダヤ人と異邦人を、神に対して贖ってくださいました。ですから、ユダヤ人と異邦人の信者は、彼を通して、御父へと近づいたのです(エペソ2:18、フットノート1)。まず、ユダヤ人と異邦人の信者は、一つからだの中で神に和解させられました(エペソ2:16)。それは地位上のことでした。次に彼ら両者は、一つ霊の中で、御父へと近づきました。これは経験的です。わたしたちは、地位的に持っているものを経験的に享受するために、その霊の中にいる必要があります。(エペソ2:18、フットノート3)

 

 神に和解させられるとは、救われることです。御父へと近づくとは、神を享受することです。神は命の源であって、わたしたちを再生し、神の子たちとしてくださいました。

 ここに、神格の三一が暗示されています。すなわち、完成者、手段である子なる神を通して、執行者、適用である霊なる神の中で、起源であり、わたしたちの享受の源である父なる神へと、わたしたちは近づきました。(エペソ2:18、フットノート4)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週3日)

 

エペソ人への手紙における神聖な三一の神聖な分与

 

エペソ1:4-5

この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び、みこころの大いなる喜びにしたがい、イエス・キリストを通して、わたしたちを子たる身分へと、彼ご自身へあらかじめ定められました。

 

「エペソ人への手紙第1章が明らかにしている事は、どのようにして父なる神が永遠の中で肢体たちを選び、あらかじめ定めたか、どのようにして子なる神が彼らを贖ったか、どのようにして霊なる神が担保として彼らに証印を押したか、こうしてご自身を彼の信者たちの中へと分け与えて、召会を形成したということです。この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です(エペソ1:3-14,18-23)」。

 

 主よ、神聖な三一の三重の分与を感謝します。主よ、御父の選びがあり、わたしたちが子たる身分へと定められたことを感謝します。また、御子の贖いを感謝します。そして、その霊の証印を押すことと、担保を入れることにより、わたしたちが神の嗣業とされたことを感謝します。召会はキリストのからだであり、神の全豊満であることを賛美します!

 

 

神聖な三一の三重の分与によって祝福される

 

 エペソ人への手紙第1章は、神が信者たちを、三重の分与によって祝福されたことを示します。それは第一に御父によって、第二に御子によって、第三にその霊によってです。最終的に、この分与は、超越したキリストの伝達によって遂行されます。御父の選びとあらかじめ定めることにおける分与は、多くの子たちという結果になり、聖別において神の家族を形成します。御子の贖いと救いにおける分与は、神の個人的な所有である神にとっての相続財産、神にとっての宝という結果になります。これは、御父の分与から生じた多くの子たちがすべて、神の相続財産として神にとって宝となることを意味します。

 

 神はわたしたちを、彼の所有、宝として獲得されます。そして、その霊の証印を押すことと担保を入れることにおける分与は、神が信者たちの嗣業になるという結果になり、彼らの完成へと至ります。神の三一の分与の結果は、多くの子たち、神の所有、わたしたちの嗣業です。(「手順を経られた三一の分与と超越したキリストの伝達の結果」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週2日)

 

エペソ人への手紙は、神聖な三一で構成されています

 

エペソ1:4-5,7

この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び、……わたしたちを子たる身分へと、彼ご自身へあらかじめ定められました。……その愛する者の中で、わたしたちは彼の血を通しての贖い、すなわち違犯の赦しを受けています.これは、神の恵みの豊富によります.

 

「神聖な三一は、聖書全体の枠組みです。全聖書、特にエペソ人への手紙は、神聖な三一で構成されています。エペソ人への手紙は、あらゆる章が基本的な要素としての神聖な三一で構成されている、聖書の唯一の書です」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、エペソ人への手紙の中にある神聖な三一のビジョンを見せてください。そして、エペソ人への手紙の深遠さを把握することができますように。主よ、わたしたちが神聖な三一の中で、また神聖な三一と共に生きることができますように。

 

 

召会は、三一の神で構成されており、三一の神を表現しています

 

 聖書の六十六巻は、支えと枠組みとしての神聖な三一の上に完全に建てられており、他の部分はみな付属品にすぎません。……三一は聖書全体の枠組みであり、新約のエペソ人への手紙については特にそうです。もしわたしたちが三一の神を知らなければ、エペソ人への手紙の深遠さを把握することはできません。なぜなら、この書のあらゆる章は、神聖な三一をその枠組みとしているからです。(「神の啓示とビジョン」、第7章)

 

 エペソ人への手紙は召会を啓示しています。そして、エペソ人への手紙に啓示されている召会は、三一の神で構成されており、三一の神を表現しています。エペソ人への手紙における神聖な啓示全体は、三一の神で構成され、成り立っています……。わたしたちは、わたしたちを支配し導くビジョンを見ることが必要です。……わたしたちはみな神聖な三一に関する神聖なビジョンを見る必要があります。わたしたちは神聖な三一の中で、また神聖な三一と共に生きる必要があります。(「神聖な三一の中で、神聖な三一と共に生きる」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第5週1日)

 

三一の神がご自身を、人の中へと造り込んで、彼らの命また命の供給となります

 

Ⅱコリント13:14

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。

 

詩36:8-9

彼らはあなたの家の脂肪分で満ち足り、あなたは彼らにあなたの楽しみの川から飲ませられます。あなたと共に、命の源泉があり、あなたの光の中で、わたしたちは光を見るのです。

 

「聖なる言における三一の神に関する啓示は、教理的な理解のためではなく、神を彼の神聖な三一において彼の選ばれ贖われた人の中へと分与して、彼らに経験させ享受させるためです(Ⅱコリント13:14)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちの中に住み、あなたご自身をわたしたちの中へと分与してくださる方です。主よ、あなたをわたしたちの分また命の供給として、主観的に経験させてください。

 

 

三一の神が人の中へと造り込まれて、彼らの享受、飲み物、命と光の源泉となります

 

 創世記から啓示録で、聖なる御言にある神格の三一の神聖な啓示は、神学の研究のためではないことが明らかにされます。この啓示は、神が奥義的な、すばらしい三一の中で、どのようにご自身を選びの民の中へと分与されるかの認識のためにあります。三一が分与されることによって、神に選ばれ贖われた民であるわたしたちは、コリントの信者たちに対する使徒の祝福の中で示されているように、現在から永遠に至るまで、手順を経た神にあずかり、経験し、享受し、所有するのです。(Ⅱコリント13:14、フットノート1)

 

 聖書のあらゆる書は、この聖書の箇所に対するあなたの理解を確証します。なぜなら、全聖書はこの[支配的な]原則にしたがって書かれたからです。それは、三一の神が彼の贖われた人の中へと造り込まれて、彼らの享受、飲み物、命と光の源泉となるということです。新約のどの部分を解釈することでも、この原則を適用することに際限はありません。そうすればわたしたちのメッセージは、どの部分を使っても、大いに豊かにされるでしょう。それは脂肪分に満ち、喜びの川の流れに満ち、命と光の源泉に満ちているでしょう。(「長老訓練、第2巻:主の回復のビジョン」、第13章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第4週6日)

 

勝利者は、主を命の木、隠されたマナ、豊富に満ちた宴席を享受しています

 

啓2:7,17

……勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう。……勝利を得る者には、あの隠されたマナを与えよう.……

 

啓3:20

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている.だれでもわたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは彼の所に入って行き、彼と共に食事をし、彼はわたしと共に食事をするであろう。

 

「啓示録第2章と第3章の主の言葉によれば、勝利者たちは、主を彼らの食物の供給として正しく食べることに回復されています。勝利者は、主を命の木また隠されたマナとして食べるだけでなく、主の豊富に満ちた宴席としても食べます(啓2:7, 17.3:20)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが毎日、主を命の木、隠されたマナ、また豊富に満ちた宴席として食べて、神とさらに一となることができますように。

 

 

召会生活における主要な事柄は、主をわたしたちの食物として食べることです

 

 啓示録第2章と第3章において、主は勝利者が命の木(2:7)と隠されたマナ(17節)を食べること、また彼の豊富に満ちた祝宴で彼と共に食事をすること(3:20)を約束されました。……啓示録第2章7節の命の木は、戻って創世記第2章を指し示しています。それは食べる事柄についての神の定めに関してです。また啓示録第2章17節の隠されたマナは、イスラエル人が荒野でマナを食べたことを指しています(出16:14-16,31)。さらに、啓示録第3章20節で、… 主の豊富に満ちた宴席で彼と共に食事をすることは、イスラエル人が良き地の豊かな産物を食べたことを指しています(ヨシュア5:10-12)。主が啓示録第2章と第3章においてご自身を命の木、マナ、良き地の産物として提示された順序が、旧約におけるこれら三つの事柄の順序と一致していることは意義深いのです。……

 

 主はわたしたちが彼を食べることを回復しようとしておられます。……召会生活における主要な事柄は、教理を学ぶことではなく、主をわたしたちの食物として食べることです。例えば、聖別は聖書的な教えです。しかしながら、聖別されるために、わたしたちは聖なる方である主を食べる必要があります。それはわたしたちが、わたしたちの聖としての彼をもって構成されるためです(使徒3:14.Ⅰコリント1:30)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第4週5日)

 

天の食物としてのキリストをもってわたしたちを養います

 

ヨハネ6:35,51,57

イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである.わたしに来る者は決して飢えることがなく、……」。 わたしは天から下って来た生けるパンである.……  生ける父がわたしを遣わされ、わたしが父のゆえに生きているように、わたしを食べる者も、わたしのゆえに生きる。

 

「神のエコノミーにおける彼の意図は、ご自身をわたしたちの中へと造り込み、わたしたちの飲食を変えることによって、また天の食物としてのキリストをもってわたしたちを養うことによって、わたしたちの構成を変えることです(出16:14-15.ヨハネ6:27, 32, 35)」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたは命のパンであり、天から下って来た生けるパンです。主よ、わたしたちが天の食物としてのキリストを食べて成長し、新陳代謝的に造り変えられますように。 

 

 

主イエスを食べることによって、キリストのかたちへと新陳代謝的に造り変えられます

 

 わたしたちがキリストを食べることによって、彼はわたしたちの心の中にご自身のホームを造られます。これは、彼がわたしたちの内なる全存在の中へとご自身を造り込まれることを意味します。主イエスはわたしたちの思いに浸透し、わたしたちの感情を飽和し、わたしたちの意志を占有して、わたしたちの全存在が彼によって所有されることを願っておられます。わたしたちが食べるとき、わたしたちの体の中へと取り入れられた食物は消化され、吸収されて、それはわたしたちの体の構成要素となります。これはわたしたちを徐々に成長させ、新陳代謝的に造り変え、ついにわたしたちは一人の完全に成長した人に到達するに至るのです。

 

 同じように、わたしたちは主イエスを食べることによって、神聖な命において成長し、(Ⅱコリント3:18)。そのような造り変えを通して、わたしたちはごく自然に新しい人を着て、完全に召会生活の中へともたらされます。この召会生活はからだの実際的な生活であり、そのからだはすべての中ですべてを満たしている方の豊満です。(リー全集、1972年、第3巻(下)、「神の建造のためにキリストを食べて享受することを回復する」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第4週4日)

 

わたしたちは命を与える霊としてのキリストを飲みます

 

Ⅰコリント10:3-4

そして、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲みました.すなわち彼らは、彼らについて来た霊の岩から飲んだのです.そしてその岩はキリストです。

 

「わたしたちが命を与える霊としてのキリストを飲むことによって、神はご自身をわたしたちの中へと造り込みます。なぜなら、わたしたちは飲むことによって主を取り入れ、主は有機的にわたしたちと一となり、わたしたちの命また構成要素となるからです(Ⅰコリント10:4.コロサイ3:4, 10-11)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは飲むことによって主を取り入れます。主よ、日々、命を与える霊としてのキリストを飲むことによって、主がわたしたちの中に造り込まれますように。

 

 

わたしたちはみな同じ霊の飲み物を飲むべきです

 

 霊の岩として、キリストは、信者たちについて来て、彼らに霊の飲み物を与えました。コリント人への第一の手紙第10章4節の霊の飲み物は、裂かれた岩から流れ出た生ける水を指しており(出17:6)、それは、わたしたちのすべてを含む飲み物としての十字架につけられ、復活したキリストから流れ出たその霊を予表します(ヨハネ7:37-39.Ⅰコリント12:13)。キリストの十字架において、生ける霊の岩であるキリストは神の律法の権威によって打たれました。それは復活の中で、命の水が彼から彼の贖われた民の中へと流れ込んで、彼らが飲むためでした。打たれた岩から流れ出た命の水は、その霊を表徴しています(ヨハネ7:37-39)。わたしたちはみな同じ霊の飲み物を飲むべきであり、すべてを含む霊以外の何も飲むべきではありません。(新約の結論(19)、メッセージ310)

 

 わたしたちが三一の神を食べ飲みするとき、彼はご自身をわたしたちの存在の中へと造り込みます。彼はわたしたちの食物また水としてわたしたちの中へと入り、わたしたちと有機的に一になります。……わたしたちが食べ飲みして取り入れる食物が消化され吸収されるとき、それはわたしたちの構成要素となります。(出エジプト記ライフスタディ(3)、第44編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第4週3日)

 

霊の飲み物、生ける水は、復活の中にある命の水です

 

出17:6

見よ、わたしは……あなたの前に立っている.あなたがその岩を打つと、水がそこから出て、民は飲むことができる……

 

「わたしたちが神聖な三一の神聖な分与を経験しようとするなら、わたしたちはみな同じ霊の飲み物を飲む必要があります。この飲み物は、すべてを含む、命を与える霊としてのキリストです(Ⅰコリント10:3-4)。霊の飲み物、生ける水は、復活の中にある命の水です。わたしたちは復活の中で命の水を飲むとき、復活の中にある人となり、復活に属する人となります(Ⅰコリント10:4.ヨハネ14:20.Ⅱコリント1:9)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは肉体と成ること、人の生活、死を経過し、復活の中に入られました。主よ、わたしたちが毎日、復活の中の生ける水を飲んで、患難や困難に対して勝ち誇ることができますように。

 

 

復活の中の生ける水を飲んで、患難や困難に対して勝ち誇ります

 

  [三一の神]は流れの中で、肉体と成ること、人の生活、死を経過し、そして復活の中へと入られました。今や復活の中で、彼はわたしたちが飲むための生ける水です。ですから、わたしたちが今日、享受する命の水は、復活の中にあります。生ける水には多くの成分、多くの要素があります。わたしたちがこの生ける水を正しい方法で飲むときはいつも、それはわたしたちに水の中のすべての要素と実質を供給します。これらの要素は内側でわたしたちの中で働きます。……

 

 わたしたちの経験では、わたしたちはこの流れる水とそのすべての成分の内なる働きを享受します。わたしたちの中で流れる水は、肉体と成る要素のない水ではありません。それは肉体と成ること、人の生活、死、復活における命の水を含む水です。この水に打ち勝ち、あるいはそれを服従させることができるものは何もありません。なぜなら、それが復活であり、またそれが命であるからです。……わたしたちはそれを飲めば飲むほど、ますます自分の天然の状態から出て来て、患難や困難に対して勝ち誇ります。この生ける水はわたしたちをこの世から、またあらゆる種類の消極的な事物から救い出します。(出エジプト記ライフスタディ(3)、第42編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)