新約の務め
12月の祈り31日
(2024年10月長老責任者訓練 第1週2日)
人は水と霊から生まれて、神の王国に入ります
ヨハネ3:5-6
まことに、まことに、わたしはあなたに言う.人は水と霊から生まれなければ、神の王国に入ることはできない。肉から生まれるのは肉であり、その霊から生まれるのは霊である。
「神の王国の中へと入る唯一の道は、命としての神を受け入れ、神ご自身を得ることです。これは再生です(ヨハネ3:5,16.Ⅰヨハネ5:11-12)。神の王国は、人が入る神聖な領域であり、神聖な命が必要となる領域です。このゆえに、わたしたちが神の王国を見るために、あるいは神の王国の中へと入るために、神は再生を必要とします(ヨハネ3:3,5)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが主の御名を呼び求めたとき、再生されて神の王国へと生まれたことを感謝します。わたしたちが、日々、神の王国の実際にあずかることができますように。
神の王国の領域の中へと入るために、神聖な命による再生を必要とします
ヨハネによる福音書第3章3節と第3章5節の主の言葉は、再生が神の王国に入る唯一の入り口であることの明確な啓示です。神の王国に入るために、わたしたちは再び生まれる必要があります。神の王国に入ることができる他の方法はありません。神の王国は神の統治です。それは入る神聖な領域であり、神聖な命が必要となる領域です。神聖な命だけが、神の事柄を認識することができます。
このゆえに、わたしたちが神の王国を見るために、あるいは神の王国の中へと入るために、神聖な命による再生を必要とします。王国は常に命と関係があります。……人だけが人の王国にあずかることができます。なぜなら、人だけが人の命を持っているからです。ですから、神の命がなければ、どうしてわたしたちは神の王国にあずかることができるでしょうか?(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(1)」、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り30日
(2024年10月長老責任者訓練 第1週1日)
神の王国は神聖な命の領域です
ヨハネ3:3
まことに、まことに、わたしはあなたに言う.人は新しく生まれなければ、神の王国を見ることはできない。
ヨハネ11:25
イエスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる」。
「神の王国は神聖な命の領域です(ヨハネ3:3,5,15-16.18:36.1:12-13)。新約は、神の命を「その命」、すなわち唯一の命としています。この命は真に命であり、命であると正しく考えることができます(エペソ4:18)。主イエスが来たのは、わたしたちが命を得るためです。このために彼はご自身の魂の命を捨てて、彼の内側から神聖な命を解き放ち、そして彼の復活において、神の選ばれ贖われた民の中へと神聖な命を分け与えました(マタイ16:24-26.ルカ9:24-25)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の王国は神聖な命の領域です。主よ、あなたはご自身の魂の命を捨てて、わたしたちの中へ神聖な命を分け与えてくださったことを感謝します。わたしたちが命を得て、しかも豊かに得て、神の命で構成され、成長し、円熟へと至らせてください。
王国とは、わたしたちの中にまかれ、成長し、円熟して、収穫の時に至るキリストです
王国とは何でしょうか? 王国とは、わたしたちの中にまかれ、わたしたちの中で成長し、わたしたちの中で円熟して、収穫の時に至るキリストです。王国は単に一つの時代や範囲だけではありません。それは彼のすべての活動において、わたしたちにとって命であるキリストの総合計です。動物の王国は、すべての動物の命とそのすべての活動の総合計です。鳥は飛んでおり、猿は木登りをしており、亀は水の中を泳いでいます。……
同じように、キリストの王国は、わたしたちにとって命であるキリストと彼のすべての活動の総合計です。わたしたちはみなキリストを内側に命として持っており、キリストにある多くの活動を持っています。これがキリストの王国です。最近、わたしは集会で肢体たちの非常に多くの活動を見て、観察し、享受していました。あなたは、それは召会の集会であると言うかもしれません。わたしは同意しますが、それはキリストの命と活動を伴ったキリストの王国でもあるのです。(リー全集、1972年、第2巻(上)、「王国」、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り28日
(2024年9月全国特別集会 第4週6日)
わたしたちは新エルサレムを生かし出して、新エルサレムとなります
Ⅰコリント3:9
なぜなら、わたしたちは神の同労者であり、あなたがたは神の耕された地であり、神の建物であるからです。
Ⅰコリ3:12,13
ところが、その土台の上に、人が金、銀、宝石、木、草、刈り株をもって建てるなら、それぞれの人の働きはあらわになります.なぜなら、かの日がそれを明らかにするからです.……
キリストの有機的なからだを通して、新エルサレムが得られます
わたしたちは、金のベースとしての父なる神と、真珠の門としての子なる神と、宝石の城壁のための霊なる神をもって、新エルサレムを飾り、究極的に完成する必要があります。それは、流れる三一の神であるその霊を命の水の川として飲み、勝利を得た獅子・小羊であるキリストを彼の豊富で新鮮な供給を伴う命の木として食べることによってです。新エルサレムは究極的に完成される必要があるだけではなく、飾られる必要があります。新エルサレムは「夫のために着飾った花嫁のように整えられ」ます(啓21:2, 18-21)。
今日でさえ、新エルサレムはなおも建造中です。わたしたちは新エルサレムの建造のために、キリストのからだを建造しています。わたしたちは神と共に働いて、新エルサレムを建造しています。主の関心事は、諸召会においてまず生み出されるキリストの有機的なからだを通して、新エルサレムを得ることです。わたしたちは神聖な命において成長し、三一の神を人に供給して神聖な命において成長させるとき、キリストのからだを建造し、新エルサレムを究極的に完成しつつあります(コロサイ2:19.エペソ4:16)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神の耕された地であり、神の建物です。わたしたちがイエス・キリストの土台の上に金、銀、宝石をもって建造することができますように。主よ、わたしたちが神聖な命において成長して、キリストのからだを建造し、新エルサレムとなることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り27日
(2024年9月全国特別集会 第4週5日)
新約の務めの唯一の目標は新エルサレムです。それは神の永遠のエコノミーの究極の目標です(啓21:2,10)
啓21:2,10
わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。…… そして彼はわたしを霊の中で、大きな高い山へ連れて行き、聖なる都エルサレムが、天から出て神から下って来るのをわたしに見せたが。
新エルサレムは、三一の神、すなわち神聖な三一が三つの基本的な要因として彼の贖われた者たちの中へと造り込まれ、彼らと共に構成されて、すばらしい宝の構成となったものであり、全聖書の結論です
新エルサレムの第一の主要な面は、その構成において見られます。そのベースは御父の性質である金によって表徴され、その門は御子の贖いの死と命を分与する復活の結果である真珠によって表徴され、その城壁はその霊の造り変える働きの究極的完成である宝石によって表徴されています(啓21:12-13, 18-21)。新エルサレムの第二の主要な面は、その装備において見られます。御父の統治の中心は御座によって表徴され、御子の住まいは宮によって表徴され、その霊の照らし輝く光はともし火の中の油によって表徴されています(啓22:1.21:16, 22-25.22:3,5)。
新エルサレムの第三の主要な面は、その供給が神聖な三一の流れであることにおいて見られます。その流れの基礎と源は大通りによって表徴される御父であり、その流れは命の水の川によって表徴されるその霊であり、その流れの要素は命の木によって表徴される御子です(1-2節)。こういうわけで、新エルサレムの構成全体は、手順を経て究極的に完成された三一の神と、彼の再生され、造り変えられ、栄光化された選びの民とが、彼の神聖な三一の中で、三重の方法で建造されたものです(参照、エペソ4:4-6)。
主イエスよ、あなたを愛します。新エルサレムは神の永遠のエコノミーの究極の目標です。主よ、わたしたちが新エルサレムの構成であるベース、門、城壁に見られる神聖な三一にあずかることができますように。また新エルサレムのその供給である大通り、命の水の川、命の木の実際としての神聖な三一を経験し享受することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り26日
(2024年9月全国特別集会 第4週4日)
その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」
創2:22
こうして、エホバ・神は、その人から取ったあばら骨を一人の女に建造し、彼女をその人の所に連れて来られた。
啓21:2
わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。
啓22:17前半
その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」。聞く者も「来たりませ!」と言いなさい。……
神の永遠の意図は、わたしたちが新エルサレムになることです
目標は、一組の夫婦、すなわちひとりの団体の大いなる神・人を生み出すことです(創2:22.啓21:2, 9.22:17前半)。手順を経た三一の神の究極的完成であるその霊は、手順を経た三部分から成る人の究極的完成である花嫁と結婚します(啓22:17節前半)。そして、手順を経た人は、手順を経た神と永遠に調和して、神の完全な表現と満足になります(啓21:11, 23)。
新エルサレムは、究極的で永遠のエバ、団体の花嫁、小羊の妻であり、キリストのあふれ流れる、造り変える、建造する復活の命によって生み出される尊い材料をもって建造されます(創2:22)。アダムの脇から取られたあばら骨でエバを建造することは、キリストの復活の命で召会を建造することを予表します(参照、ヨハネ19:34)。エバがアダムから出てきた純粋な産物であったように、召会はキリストから出てきた純粋な産物です。キリスト以外のものはすべて召会ではありません(創5:2.エペソ5:28-32.参照、Ⅰコリント1:9)。
主イエスよ、あなたを愛します。 新エルサレムは、団体の花嫁、小羊の妻であるというビジョンを感謝します。主よ、新エルサレムが、復活の命によって生み出される尊い材料をもって建造されますように。主よ、わたしたちを夫であるキリストにふさわしい花嫁として成就してください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り25日
(2024年9月全国特別集会 第4週3日)
命の木は神のエコノミーの中心です(創2:7-9.啓22:2)
創2:9
エホバ・神はその土地から、見て喜ばしく、食べるのに良い、すべての木を生えさせ、さらに園の中央に命の木と、善悪知識の木とを生えさせられた。
啓22:2
その川のこちら側にも向こう側にも命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民のいやしのためにある。
キリストにあるすべての真の信者は、小規模なエデンの園です
命の木は、十字架につけられ復活したキリストを表徴します。彼は、人に命を分け与える方であり、食べられる形となって人を喜ばせ、満足させる方です(ヨハネ 14:6.15:1.出15:25.啓2:7.22:14.ヨハネ6:57)。命の木の原則は、すべてのことにおいて神に依存する原則です(参照、ヘブル11:8.ヨシュア9:14.イザヤ9:6.詩16:7-8.マタイ14:19)。 わたしたちが主から独立して行なう事はすべて、知識の木の原則の中にあります(ヨハネ5:39-40.Ⅱコリント3:6)。キリストにあるすべての真の信者は、小規模なエデンの園であり、彼の霊の中に命の木としての神を持っており、彼の肉の中に知識の木としてのサタンを持っています(ローマ8:2,6)。
命の水の川は、四つの分流となって流れており、地の四方へと至ります(創2:10-14.啓22:1.参照、ヨハネ7:37-39.詩36:8-9)。川の流れには、神の建造のための三種類の尊い材料があります(創2:11-12.啓21:11-14,18-21)。新エルサレムは、神聖な設計者また建築者である三一の神によって、神ご自身と彼の神化された民を材料として建造され、すばらしい宝の構成となります。わたしたちは代価を払って、神の神聖な性質を表徴する金を買う必要があります(啓3:18.ゼカリヤ4:12-14,6.マタイ25:8-9)。わたしたちは、苦難、消耗させる圧迫、十字架の殺す働きを通して、キリストの豊富を経験し、神の建造のための宝石へと造り変えられる必要があります(Ⅱコリント 3:18.4:10-11,16.ローマ8:28-29)。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちの霊の中に命の木としての神を持っていることを感謝します。 わたしたちは環境の中の苦難や消耗させる圧迫を通して成長し、造り変えられますように。主よ、わたしたちを神の建造のための宝石としてください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り24日
(2024年9月全国特別集会 第4週2日)
神は人を創造して人の霊(エホバのともし火)を持たせました
箴言20:27
人の霊はエホバのともし火であり、内なる存在の最も深い部分をすべて探る。
伝道3:11
彼はすべてを造り、時にかなって美しくされた.また、彼は彼らの心に永遠を置かれた.しかも人は、神が行なわれたことを、初めから終わりまで見極めることはない。
神は人の心の中に永遠を植え付けました
神は人を創造して、人の霊を持たせ、人が神と接触し、神を受け入れ、内容とすることができるようにしました(創2:7.箴20:27.Ⅱテモテ4:22)。わたしたちは内側に二つのともし火、すなわち神の霊とわたしたちの霊を持っており、わたしたちの内側の各部分を輝かし、照らし、わたしたちに神聖な命を供給します。それによってわたしたちは命の都になることができます(啓4:5.箴20:27)。わたしたちは、霊を活用して三一の神を享受することによって新エルサレムになります(ユダ19-21節.ヨハネ4:14後半,24.Ⅰテモテ4:7.3:15)。
そして、神は人の心の中に永遠を植え付けました(伝3:11)。ですから、人は、永久のものに対する深い願望を持っています。そして、永久であるのは、永遠のもの、永遠の命、神の命だけです(Ⅱコリント4:16-18.エペソ3:17)。 主の回復とは、彼の召会であるわたしたちを、見えるものから見えないものに、一時的であるものから永遠であるものに回復することです(ローマ8:24-25.ヘブル11:27.Ⅰペテロ1:8)。
主イエスよ、あなたを愛します。神は人を創造して、わたしたちに人の霊を持たせてくださったことを感謝します。わたしたちは内側に二つのともし火、神の霊とわたしたちの霊を持っています。神は人の心の中に永遠を植え付けてくださいました。主よ、わたしたちが見えるものにではなく、見えないものに目をとめることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り23日
(2024年9月全国特別集会 第4週1日)
新エルサレムは、エデンの園に関する神聖な啓示の反映と成就です
創1:26
それから、神は言われた、「われわれのかたちに、われわれの姿にしたがって、人を造ろう.そして彼らに、海の魚と空の鳥と家畜と全地と地を這うすべての這うものを治めさせよう。
啓21:1-2
またわたしは、新しい天と新しい地を見た.それは、第一の天と第一の地が過ぎ去って、もはや海もないからである。わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。
エデンの園と新エルサレムに関する神聖な啓示は、聖書全体を貫く神聖な啓示の中心路線です
神の永遠の意図は、わたしたちが新エルサレムになることです。これは、創世記第1章から第2章の三一の神の建築計画である有機的な青写真において見られます。また啓示録第21章から第22章の三一の神の有機的な傑作である完成したものにおいて見られ、それは、わたしたちが何であるか、またわたしたちがどのように働きをすべきかのモデルです(ヘブル11:10.エペソ2:10)。
人は、神の種類にしたがって創造された器です。それは、人が神を内容とし、表現するためです(創2:7.ローマ9:21, 23.Ⅱコリント4:6-7.啓22:5)。神は人を、神のかたちに、神の姿にしたがって創造し、人をご自身の複写、写しとし、神の栄光、神の表現とならせました(創1:26.使徒17:28-29前半.イザヤ43:7.啓21:11.4:3)。そして、神は人を創造して、人にご自身の統治権、ご自身の権威を与えて、神を代行させました(創1:26.ローマ5:17.啓20:4-6.22:5)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神を内容とし、表現するために造られた神の器であることを感謝します。主よ、わたしたちに聖書全体を貫く神聖な啓示の中心路線を見せてください。神によって建造される新エルサレムに関する神聖な啓示を見て、わたしたちが何であるか、またどのように働きをすべきかを知ることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り21日
(2024年9月全国特別集会 第3週6日)
わたしたちの霊は至聖所であり、王としての霊なるキリストの奥の間です
雅1:4後半
……王はわたしを彼の奥の間に連れて行かれた.「わたしたちはあなたの中で喜び楽しみ、ぶどう酒にまさってあなたの愛をほめたたえます。彼女たちは一心にあなたを愛します」。
ヨハネ4:24
神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなければならない。
雅歌の中のロマンスは、わたしたちと主との関係が霊的なものでなければならないことを描写しています(雅1:4後半)
キリストは霊的にわたしたちを訪れます。なぜなら、彼はわたしたちの霊の中の命を与える霊であるからです。わたしたちの霊は至聖所であり、それは主の主また王の王としての霊なるキリストの奥の間です(Ⅰコリント15:45後半.ローマ8:16.Ⅰコリント6:17.Ⅱテモテ4:22.啓17:14.19:16)。エペソ人への手紙においてパウロが示しているのは、キリストのからだのためにキリストと接触し、キリストを享受するために、わたしたちは霊を活用しなければならないということです(エペソ1:17.2:22.3:5, 16.4:23.5:18.6:18)。
御父は真の礼拝者を捜し求めています。真の礼拝者は、彼らの霊を活用して、生ける水から飲むことによって霊なる神と接触します。生ける水から飲むことは、神に真の礼拝をささげることです(ヨハネ4:23-24, 10, 14.7:37-38.イザヤ12:1-6)。わたしたちは、絶えず霊を活用する習慣を建て上げなければなりません。それは、聖霊の中で祈って自分自身を(父なる)神の愛の中に保ち、わたしたちの主イエス・キリスト(二度目の来臨の時の御子――Ⅱテモテ1:16-18)のあわれみを待ち望んで、永遠の命へと至る(永遠の命の総合計である新エルサレムとなる)ことによってです(ユダ19-21節)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの霊は至聖所であり、主の主また王の王としての霊なるキリストの奥の間です。主はわたしたちの霊の中の命を与える霊であることを感謝します。わたしたちは、絶えず霊を活用する習慣を建て上げることができますように。わたしたちの霊を活用して、生ける水から飲むことによって霊なる神と接触し、霊と真実の中で礼拝することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り20日
(2024年9月全国特別集会 第3週5日)
わたしたちと主との関係は愛情深いものであり、私的なものです
雅1:2-3
彼の口の口づけをもって、わたしに口づけしてください! あなたの愛はぶどう酒にまさるのです。あなたの塗り油はかぐわしい香りを放ち、あなたの名は注がれた香油のようです.それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
雅歌の中のロマンスは、わたしたちと主との関係が愛情深いものでなければならないことを描写しています(雅1:1-2)。
わたしたちに内住している主はわたしたちの御父であり、また恵みはわたしたちの母です(ローマ8:15-16.ガラテヤ4:24-26.イザヤ66:12-13)。 わたしたちに内住している主は、わたしたちの夫であり(マタイ9:15.Ⅱコリント11:2-3)、兄であり(ヨハネ20:17.ローマ8:29)。友であり(マタイ11:19.ヨハネ15:12-17)、助言者であり(イザヤ9:6)、弁護者であり(Ⅰヨハネ 2:1)、慰め主であり(ヨハネ14:16.16:7,13)、またわたしたちの牧者です(詩23:1.Ⅰペテロ2:25)。
雅歌の中のロマンスは、わたしたちと主との関係が私的なものでなければならないことを描写しています(雅1:3-4)。わたしたちはひそかで、具体的で、効果のある方法で、私的に主と接触し、主と時間を費やし、わたしたちの全存在を主に開いて、主の照らしと注入を受けなければなりません。それによって、わたしたちは神をもって光を放ち、神を輝かし出すことができます(マタイ6:6.出33:11.Ⅱコリント3:16-18.イザヤ60:1,5節前半.マタイ14:22-23.マルコ1:35.ルカ5:16.6:12.9:28)。あらゆる信者が必要とするのは、自分が遭遇することに関して主と接触し、主に相談し、主に決定していただくことなしに、自分自身の考えを持たず、自分自身の決定をせず、いかなる行動も取らないという程度にまで弱くなることです。これがクリスチャンの最も甘い生活です(Ⅱコリント12:9-10)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちに内住している主はわたしたちの御父であり、また恵みはわたしたちの母であることを感謝します。主よ、わたしたちと主との関係がさらに愛情深いものとなりますように。わたしたちの生活の中で遭遇するすべてのことで、主と接触し、主に相談し、主に決定していただくことができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り19日
(2024年9月全国特別集会 第3週4日)
わたしを引き寄せてください
雅歌1:4前半
わたしを引き寄せてください.わたしたちはあなたの後を走ります.…
詩27:4
わたしは一つの事をエホバに願いました.わたしはそれだけを求めます.わたしの命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめ、彼の宮で尋ね求めることを。
わたしたちはキリストをわたしたちの夫として受け入れ、経験し、享受しなければなりません
雅歌の中のロマンスは、わたしたちと主との関係が個人的なものでなければならないことを描写しています(雅1:4前半)。わたしたちはアブラハムの模範に従わなければなりません。アブラハムは、神の友であり、神の願いのためでした(歴代下20:7.イザヤ41:8.ヤコブ2:23.創18:1-33)。またわたしたちはモーセの模範に従わなければなりません。モーセは、神の仲間であり、神の権益のためでした(出33:11)。わたしたちはダビデとアサフの模範に従わなければなりません。
彼らは神の家の中で、また神の家のために、神の輝く御顔を求めました(詩27:4, 8.80:3, 7, 14-19)。わたしたちは主イエスの模範に従わなければなりません。彼は絶えず神の御前で生きました(使徒10:38c.ヨハネ8:29.16:32)。わたしたちはペテロの模範に従わなければなりません。ペテロの主に対する愛は回復され、彼は主の羊を牧養し、殉教に至るまで主に従い、自分の天然の強さに少しも信頼しませんでした(ヨハネ21:15-19.マルコ16:7)。わたしたちはパウロの模範に従わなければなりません。パウロはキリストの愛に押し迫られて、キリストの大使としてキリストの御前で生きて、キリストを喜ばせました(Ⅱコリント2:10.5:9, 14, 20)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしを引き寄せてください。主よ、わたしの心はあなたの御顔を尋ね求めます。わたしの命の日の限り、主の家に住むことができますように。主よ、わたしたちを回復し、あなたの御顔を輝かせてください.
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り18日
(2024年9月全国特別集会 第3週3日)
神の超越して偉大な四重の力は、今わたしたちの中へと伝達されつつあります
エペソ1:10,20,22
時代の満了時のエコノミー[経綸]へ至るためです.すなわち、キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを、彼の中でかしらにつり上げようとされたのです。…… 神は、その力をキリストの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、……また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました。
わたしたちはキリストをわたしたちのかしらとして受け入れ、経験し、享受しなければなりません
わたしたちがキリストの中でかしらにつり上げられることは、天使たちの反逆と人の反逆によって引き起こされた、死と暗やみの中にある宇宙的な崩壊の堆積からわたしたちを救い出します。信者たちがキリストのかしらにつり上げることにあずかるのは、召会生活の中で進んでかしらにつり上げられることによってであり、命において成長することによってであり、キリストの光の下で生活することによってです(エペソ1:10.ヨハネ1:4.啓21:23-25.エペソ5:8-9)。
神の超越して偉大な力は、今わたしたちの中へと伝達されつつあります。この力は三一の神の四重の力としての超越したキリストご自身です(Ⅰコリント1:24)。正常で、真実で、正しい、真の召会は、この偉大な四重の力(復活の力、昇天の力、服従させる力、かしらにつり上げる力)から出て来て、彼のからだとしての召会を建造します(エペソ1:19-23)。
わたしたちは御父に求めて、わたしたちを内なる人の中へと増強していただかなければなりません。それは、キリストが信仰を通して、わたしたちの心の中に、力をもって、ご自身のホームを造るためです。この力は、キリストを死人の中から復活させた力、キリストを天上で神の右に座らせた力、万物を彼の足の下に服従させた力、彼を万物の上にかしらとして召会に与えた力です(エペソ3:16-17.1:19-23)。
主イエスよ、あなたを愛します。今わたしたちの中へと伝達されつつある神の超越して偉大な力を感謝します。わたしたちを内なる人の中へと増強し、四重の力、復活の力、昇天の力、服従させる力、かしらにつり上げる力を経験し、享受することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り17日
(2024年9月全国特別集会 第3週2日)
わたしたちは、単に主のために生きるだけでなく、主に生きる人々となります
ローマ14:8-9
わたしたちは生きるにしても、主に生きるのであり、死ぬにしても、主に死ぬのです。こういうわけで、わたしたちは生きるにしても死ぬにしても、主のものです。このために、キリストが死んで再び生きられたのは、彼が……主となられるためです。
わたしたちはキリストをわたしたちの主として受け入れ、経験し、享受しなければなりません
わたしたちは、単に主のために生きるだけでなく、主に生きる人々とならなければなりません(Ⅱコリント5:9, 14-15)。キリストの愛がわたしたちに押し迫るとは、それがわたしたちを強制的に制限し、わたしたちを壁に囲まれた狭い道にいるように、一つの路線と目的へと閉じ込めることを意味します。使徒たちは、このように押し迫られて、もはや自分自身に生きていたのではなく、主に生きていました(Ⅱコリント5:14-15)。キリストの愛はわたしたちに押し迫って、主に生きるようにさせます。主に生きることが意味するのは、わたしたちが完全に彼の制御と指示と管理の下にいるということです。それがまた意味するのは、彼の要求を満たし、彼の願いを満足させ、彼の意図することを完成することを、わたしたちが願うということです。
キリストが十字架上で死なれたのは、わたしたちの法理的な贖いのためであり、キリストが復活の中でわたしたちの内側で再び生きているのは、わたしたちの有機的な救いのためです。それは、彼がわたしたちの内住する主、すなわち、わたしたちの霊の中の主なる霊となって、わたしたちの内側で支配する方となるためです。わたしたちはキリストの尊い血という代価をもって買い取られたので、「わたしたちは……主のものです」(8節)。そして、わたしたちは絶えず彼を主として高く上げ、わたしたちの生活と働きの中で彼に第一位を与えるべきです。わたしたちは、主の中で主の働きのために労苦する者です。主の働きは、その務めの働きであって、キリストの有機的なからだを建造します(Ⅰコリント6:19-20.15:58.16:10.エペソ4:11-12)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちをあなたの尊い血をもって買い取ってくださったことを感謝します。キリストの愛がわたしたちに押し迫っていることを感謝します。主よ、わたしたちが自分自身に生きるのではなく、主に生きることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り16日
(2024年9月全国特別集会 第3週1日)
キリストをわたしたちの王、わたしたちの主、わたしたちのかしら、わたしたちの夫として受け入れ、経験し、享受します
エゼキエル1:26
また、彼らの頭の上にある大空の上に御座のようなものがあり、サファイア石の外観のようであった.そして御座のようなものの上に、人のような外観の方がその上におられた。
ヘブル4:16
ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか。
わたしたちはキリストをわたしたちの王として受け入れ、経験し、享受しなければなりません
わたしたちの霊的な経験における最も高い点は、澄み渡る空とその上の御座を持つことです(エゼキエル1:22,26-28)。わたしたちがクリスチャンとしてどのような空を持つかは、わたしたちの良心にかかっています。わたしたちの良心は、わたしたちの空とつながっています(ローマ9:1.Ⅱコリント1:12)。わたしたちと主の間に何の妨げもなく、またわたしたちと互いの間に何の妨げもないとき、わたしたちの空は水晶のように澄み渡ります。そして、わたしたちは正しい良心を持つだけでなく、純粋な良心も持ちます(使徒24:16.Ⅰテモテ1:5,19.3:9.Ⅱテモテ1:3.参照、マタイ5:8.箴22:11.Ⅱテモテ2:22)。
御座は宇宙の中心であり、主の支配する臨在です。わたしたちの霊の中の御座は、実はキリストご自身です(イザヤ22:23.ヘブル4:16.ローマ5:21.啓22:1)。わたしたちに澄み渡る空があるなら、御座があり、わたしたちは自然に御座の支配と統治の下にいるでしょう。神がわたしたちの中で御座を持つとは、神がわたしたちの中で統治する地位を持つことを意味します(参照、ダニエル4:17,25-26.5:18-31.イザヤ6:1-8)。澄み渡る空の上に御座を持つことは、わたしたちのクリスチャン生活の中で神に最も高く最も卓越した地位を持っていただくことです。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちの王、わたしたちの主、わたしたちのかしら、わたしたちの夫であることを感謝します。主よ、わたしたちが神と人に対して、とがめのない良心を常に持つことができますように。そして、わたしたちと主との間に何の妨げもなく、わたしたちの空は水晶のように澄み渡っていますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り14日
(2024年9月全国特別集会 第2週6日)
キリストに対する単純さと純潔を失わないように
Ⅱコリント11:3
ところが、わたしが恐れるのは、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが腐敗させられて、キリストに対する単純さと純潔を失いはしないかということです。
詩139:23
神よ、わたしを探り、わたしの心を知り、わたしを試みて、わたしの煩う思いを知ってください。
わたしたちの日常生活のあらゆる事について神に確認すべきです
パウロは、コリントの信者をキリストに婚約させることにおいて、彼らに対する深い関心を言い表しています(Ⅱコリント11:3)。パウロは、神の永遠のエコノミーの唯一の教え以外の異なる教えを、創世記第3章1節から7 節で蛇がエバに欺いて語ったことにたとえています。蛇は、エバを命の木を享受するという単純さから、複雑な、また複雑にする善悪知識の木へとそらしました。それはすなわち死の木であり、死は神を享受することから分離するものです(ローマ8:6)。
ヨシュア記第9章でイスラエルの子たちがギベオン人に欺かれたのは、彼らが夫を忘れた妻のようであったからです。彼らがここで行なったことは、エバが創世記第3章で行なったことと全く同じでした。わたしたちは神を自分の夫とし、神と共に生き、常に神に信頼し、神と一になって神を享受すべきです。わたしたちは習慣的に、「エホバの助言を求め」(ヨシュア9:14)、「彼の宮で尋ね求め」て(詩27:4後半)、わたしたちの日常生活のあらゆる事について神に確認すべきです。 真の新約の務めを識別する秘訣は、ただ以下のことです。すなわち、主を享受することからわたしたちを断ち切るものはすべて蛇からのものですが、主を享受することを増し加えるものはすべてその霊から、また新約の務めからのものであるということです。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしの思いを探り、救い出して、わたしの思いがあなただけに集中することができるようにしてください。主よ、わたしたちの思いを霊に付けさせてください。わたしたちが、わたしたちの霊を顧慮し、わたしたちの霊に注意を払うことができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り13日
(2024年9月全国特別集会 第2週5日)
あなたの名は注がれた香油のようです
ヨハネ14:21,23
わたしの戒めを持ち、それを守る者は、わたしを愛する者である.わたしを愛する者は、わたしの父に愛される.わたしも彼を愛して、わたし自身を彼に現す。 ……だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る。
雅1:3
あなたの塗り油はかぐわしい香りを放ち、あなたの名は注がれた香油のようです.それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
主よ、わたしがいつもあなたを愛するようにしてください
「あなた自身をささげて主を愛しなさい。このように有効な道は他にありません。このように安全で、このように豊かで、このように享受に満ちた道は他にありません。ただ彼を愛しなさい。他の事を気にしてはいけません」(ウイットネス・リー全集、1972年、第1巻(上)、「雅歌において描写されている命と建造」、第2編)。 わたしたちが彼を愛するとき、彼はご自身をわたしたちに現します。そして、彼と御父はわたしたちの所へ来て、わたしたちと共に住まいを造ります(ヨハネ 14:21,23)。
こういうわけで、わたしたちは次のような祈りをする必要があります、「主よ、あなたの愛をわたしに示し、あなたの愛をもってわたしに押し迫り、わたしがあなたを愛し、あなたに生きるようにしてください」、「主よ、わたしがいつもあなたを愛するようにしてください」。わたしたちは絶えず主に告げなければなりません、「主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしをあなたの愛の中に保ってください! あなたご自身をもってわたしを引き寄せてください! わたしをいつも、あなたの愛すべき現在の臨在の中に保ってください」(雅1:1-4)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、すべての愛はあなたのものです。あなたの愛によってわたしは生きるからです。主よ、わたしをいつも、あなたの愛すべき現在の臨在の中に保ってください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り12日
(2024年9月全国特別集会 第2週4日)
主イエスよ、あなたを愛します
啓2:7
耳のある者は、その霊が諸召会に言われることを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう。
エペソ4:16
この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。
主の回復は、初めの愛、すなわち最上の愛をもって主イエスを愛することの回復であり、また主イエスを命の木として食べることの回復であって、キリストの有機的なからだを建造するためです。それは、神の永遠のエコノミーの目標としての新エルサレムを建造することです(啓2:4-5,7.エペソ4:15-16.啓22:14)
命の木を食べること、すなわち、キリストをわたしたちの命の供給として享受することは、召会生活の主要な事柄であるべきです。命の木としてのキリストは、「食べるのに良い」ものであり(創2:9)、それによってわたしたちは、彼を食べてわたしたちの享受とすることができ、また彼で構成されて神の表現となることができます(創1:26.ヨハネ6:57,63)。 召会生活の内容は、キリストを享受することにかかっています。すなわち、わたしたちが彼を享受すればするほど、その内容はますます豊かになります。
主を信じることは、主を命として受け入れることです。主を愛することは、主を命として享受すること、わたしたちが受け入れたこのパースンを享受することです。信仰が神によってわたしたちに与えられているのは、わたしたちが信仰によってキリストをわたしたちの命として受け入れるためです。愛は、そのようなすばらしい信仰から出てくるものであって、わたしたちが、わたしたちの命としてのキリストの中で、三一の神のすべての豊富を生かし出すことができるようにします(Ⅱペテロ1:1.ヘブル12:1-2前半.Ⅱコリント4:13.ガラテヤ5:6.ヨハネ1:12-13.21:15-17.コロサイ3:4)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが主イエスを信じたときに受け入れた命はパースンであることを感謝します。このパースンを享受するために、初めの愛をもって主を愛することができますように。主よ、日ごとにあなたとの新しい接触を持たせてください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り11日
(2024年9月全国特別集会 第2週3日)
主イエスに首位を与えて、初めの愛を回復します
啓2:4-5,7
しかし、わたしには、あなたを責めるべき事が一つある.あなたは初めの愛を離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めのわざを行ないなさい.しかし、そうしないなら、わたしはあなたの所へ行く.そして、もしあなたが悔い改めないなら、あなたの燭台をその所から除き去る。…… 勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう。
わたしたちは初めの愛を回復して主を命の木として享受し 命の光となり、金の燭台として輝きます
アジアの諸召会の一つである、エペソに在る召会は、使徒パウロの婚約させる務めから離れ去っていたので(Ⅱテモテ1:15.啓1:4前半)、最終的に、彼らは初めの愛を離れ、命の木としてのキリストに対する享受を失いました(啓2:4-5,7)。主を愛するという事柄における彼らの失敗は、各時代にわたる召会の失敗の主要な原因となりました(マタイ24:12.マルコ12:30-31.参照、啓3:14-22.ダニエル7:25)。わたしたちは、あらゆる面において、またあらゆる事において、主イエスに首位を与えて、彼に対するわたしたちの初めの愛を回復しなければなりません。そうすれば、わたしたちは彼を命の木として享受します。そして、この命は命の光となります(ヨハネ8:12.エペソ5:8-9,13)。わたしたちは命の光によって、金の燭台として、すなわち、イエスの証しとして輝きます。
もしわたしたちが主に対する初めの愛を失って、悔い改めず、主を愛することから出て来る初めのわざを行なわないなら、燭台はわたしたちから除き去られてしまいます(啓1:9-12,20.2:4-5)。金の燭台は、三一の神を象徴します。すなわち、実質である御父は御子において具体化され、具体化である御子はその霊を通して表現され、その霊は諸召会として完全に実際化され、表現されます。そして諸召会は、イエスの証しです(出 25:31-40.ゼカリヤ 4:2-10.啓1:10-12)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちのあなたに対する初めの愛を回復してください。そして、主を命の木として享受させてください。わたしたち内にあるこの命が命の光となり、金の燭台である召会がイエスの証しとして輝きますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り10日
(2024年9月全国特別集会 第2週2日)
不朽不滅の中で、わたしたちの主イエス・キリストを愛します
Ⅱコリント11:2
わたしは神のねたみをもって、あなたがたをねたんでいます.なぜなら、あなたがたを清純な処女としてキリストにささげるために、一人の夫に婚約させたからです。
エペソ6:24
不朽不滅の中で、わたしたちの主イエス・キリストを愛するすべての人に、恵みがありますように。
使徒パウロの務めにおける負担は、信者たちをキリストに婚約させることです
主の回復の目標は、わたしたちが愛する唯一の夫としてのキリストを回復することです。わたしたちは、キリストに引き寄せられて、キリストを愛し、キリストを評価し、キリストを宝とすべきです。 新約の真の務めは常にわたしたちを奮い立たせて、初めの愛をもって主イエスを愛させ、わたしたちを強めて、単純に命の木としてのキリストを食べさせ享受させ、わたしたちの命の供給とならせます(Ⅱコリント11:2-3.3:3-6)。 初めの愛をもって主を愛することは、すべての事において彼に首位、第一位を与え、彼の愛によって押し迫られて、わたしたちの生活の中で彼をすべてとして尊び、受け入れることです(啓2:4-5.コロサイ1:18後半.Ⅱコリント5:14-15.マルコ12:30.詩73:25-26)。
エペソ人への手紙におけるパウロの結びの言葉は、「不朽不滅の中で、わたしたちの主イエス・キリストを愛するすべての人」に対する恵みの祝福です(エペソ6:24)。エペソ人への手紙において、「愛の中で」という感情豊かな句が、繰り返し用いられています(1:4.3:17.4:2,15-16.5:2)。エペソ人への手紙の目標は、わたしたちを神の内なる実質である愛の中へともたらし、わたしたちが愛としての神を享受し、神聖な愛の甘さの中で神の臨在を享受し、それによってキリストが愛したように、他の人たちを愛するということです(エペソ1:15.2:4.3:19.5:2,25)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが初めの愛をもって、主イエスを愛することができますように。主よ、わたしたちが愛としての神を享受し、それによって他の人たちを愛することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り9日
(2024年9月全国特別集会 第2週1日)
新約の婚約させる務め
イザヤ62:5
まことに、若い人が処女をめとるように、あなたの子たちはあなたをめとり、花婿の喜びが花嫁の上にあるように、あなたの神はあなたを喜ばれる。
啓19:7
わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。
全聖書は神聖なロマンスであり、神がどのように彼の選ばれた民に求愛し、最終的に彼らと結婚するかの記録です(創2:21-24.雅1:2-4.イザヤ54:5.62:5.エレミヤ2:2.3:1,14.31:32)。
わたしたちは神の民として神との愛の関係の中へと入るとき、神の命を受けます。それは、エバがアダムの命を受けたようにです(創2:21-22)。この流れる、造り変える、建造する命が、わたしたちを神と一にならせ、神をわたしたちと一にならせることができます(9-12,22節)。神と彼の民が一になるためには、両者の間に相互の愛がなければなりません(ホセア11:4.ヨハネ14:21,23.出20:6.エレミヤ2:2.31:3)。
神の民が神を愛し、時間を費やして神の言葉の中で彼と交わるとき、神は彼らに彼の神聖な要素を注入し、彼らを彼と一にして彼の配偶者とし、命、性質、表現において彼であるのと同じにします(詩119:140,15-16.エペソ5:25-27.Ⅱコリント3:18)。
主イエスよ、あなたを愛します。全聖書は神聖なロマンスであることを感謝します。主よ、わたしたちをあなたへと引き寄せてください。主よ、わたしたちが神の民として神との愛の関係の中へと入り、神の命を受け、経験し、享受することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り7日
(2024年9月全国特別集会 第1週6日)
親密な心遣いを持って牧養する
ヘブル10:22
わたしたちの心はすすがれて邪悪な良心から離れ、体は清い水で洗われ、真実な心で、信仰の全き確信をもって、至聖所に進み出ようではありませんか。
Ⅰテサロニケ2:7
むしろ、わたしたちはあなたがたの間で、養う母が自分の子供たちをはぐくむように優しくしました。
父なる神の愛し赦す心と、救い主キリストの牧養し探し求める霊を持って牧養する
わたしたちが他の人をどの程度、神へともたらすことができるかは常に、わたしたちが神との関係においてどこにいるかによって測られます。わたしたちは神の中にいればいるほど、ますます他の人を和解させて、神の中へともたらすことができます。パウロは至聖所の中にいた人であったので、信者たちに、至聖所に「進み出(る)(come forward)」ように命じることができました(「出て行く(go forward)」ではない)(Ⅱコリント12:2前半.5:20.ヘブル10:22)。
どれほどわたしたちが実を結ぶかは、わたしたちが行なうことができることにかかっているのではなく、わたしたちが親密な心遣いを持っているかどうかにかかっています。供給する命は、イエスの人性において人をはぐくんで彼らを温め、キリストの神性において、キリストの豊富をもって人を養う命です(Ⅱコリント12:15.Ⅰコリント9:22.マタイ9:12)。 パウロは養う母、勧める父のように聖徒たちを牧養しました。パウロが弱い人の水準に下ったのは、彼らを得ることができるためでした(Ⅰテサロニケ2:7-8,11-12.使徒20:19-20,27,31.Ⅱコリント11:28-29.Ⅰコリント9:22.参照、マタイ12:20)。
主イエスよ、あなたを愛します。パウロが養う母、勧める父のように聖徒たちを牧養した模範を感謝します。主イエスよ、わたしたちも親密な心遣いを持って他の人たちを牧養することができますように。主よ、わたしたちが父なる神の愛し赦す心と、救い主キリストの牧養し探し求める霊にあずかることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り6日
(2024年9月全国特別集会 第1週5日)
和解の務めは、罪人を神に連れ戻し、 彼らを神と絶対的に一にします
Ⅱコリント5:19,20
すなわち、神はキリストにあって、世の人をご自身に和解させ、彼らに対して彼らの違犯を数えないで、和解の言をわたしたちに託されたのです。ですから、わたしたちはキリストのために大使であり、いわば神がわたしたちを通して、あなたがたに懇請しておられるのです.わたしたちはキリストに代わって、あなたがたに懇願します.神に和解させられなさい。
新約の務めは和解の務めであり、その内在的な意義は、神にしたがって牧養することであって、わたしたちを新しい復興の中へともたらします(Ⅱコリント5:18-20)。
◎ 和解の務めは、わたしたちを外庭から至聖所の中へともたらします。この至聖所へと、キリストは大牧者として、ご自身の御名のために、わたしたちを義の途の上で導きます。それによって、わたしたちは日々いつまでも主の家、神の聖なる所(キリスト、召会、わたしたちの霊、新エルサレム)に住みます(詩23:3,6.73:17.77:13.ヨハネ1:14.2:21.Ⅰテモテ3:15-16.エペソ2:22.啓21:2-3,22)。
◎ 使徒パウロは完全に神に和解させられていたので、資格づけられてキリストの大使となり、キリストを代行し、人々を牧養してキリストの中へともたらしました。パウロはキリストの大使として、「代理の神」でした(Ⅱコリント5:18-20.1:3-4,12.2:10.11:2)。キリストの大使は、和解の務めを遂行します。和解の務めは、罪人を神に連れ戻すだけでなく、信者たちを神の中へともたらし、彼らを神と絶対的に一にすることでもあります(Ⅱコリント5:18-20)。
主イエスよ、あなたを愛します。神はキリストを通して、和解の務めをわたしたちに与えられたことを感謝します。わたしたちが和解の務めによって罪人を神に連れ戻し、信者たちを神の中へともたらすことができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り5日
(2024年9月全国特別集会 第1週4日)
刺繍された着物は、主観的な義に相当します
詩45:14
彼女は刺繍された着物を着て王の所に導かれ、彼女の背後のおとめたちも、彼女の付き添いたちも、あなたにもたらされます。
ピリピ3:9
そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、
もう一つの衣「刺繍された着物」は主観的な義に相当し、それはわたしたちの勝利のためです――「彼女は刺繍された着物を着て王の所に導かれ」(詩45:14前半.参照、啓19:8.マタイ22:11-12)。
◎ 勝利を得た信者たちはキリストの団体的な王妃であり、キリストを彼らの王の住まいとし、キリストは彼らの主観的な義となります(詩45:13前半.ヨハネ15:4前半)。刺繍された衣は、主観的なキリストであって、このキリストは、わたしたちの性格の中へと織り込まれ、わたしたちの存在の中へと刺繍し込まれて、わたしたちが生かし出す義となります。
◎ この刺繍は、聖霊の造り変える働きを表徴します。聖霊は日ごとに働いて、キリストを一針一針わたしたちの中へと刺繍し込みつつあり、わたしたちの婚宴の礼服となります。 ですから、回復された後に堕落した召会は、代価を払って、主観的な義としてのキリストを生き、神が良しとする行為としてのキリストを着せられる必要があります(3:18)。わたしたちは、次の時代にわたしたちの義の冠としてのキリストを褒賞として与えられるために、この時代に彼をわたしたちの主観的な生かし出された義として経験し、享受しなければなりません(ピリピ3:9)。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちが主観的な義としてのキリストを生きて、キリストを着せられますように。キリストがわたしたちの性格の中へと織り込まれ、わたしたちの存在の中へと刺繍し込まれますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り4日
(2024年9月全国特別集会 第1週3日)
新約の務めは義の務めであり、キリストを生かし出し、キリストを真に表現します
Ⅱコリント3:9
罪定めする務めに栄光があるなら、まして義とする務めは、なおさら栄光にあふれるのです。
詩篇45:13
王の娘は住まい(宮殿)の内にいて栄光を極め、彼女の衣は織った物であり、金が織り込まれています。
新約の務めは義の務めであり、それはキリストを生かし出し、キリストを真に表現すること、すなわち神・人の生活であって、わたしたちを新しい復興の中へともたらします(Ⅱコリント3:9.ローマ5:18,21)。
◎ キリストが信者たちにとって義であることには二つの面があります。キリストはわたしたちの客観的な義であり、それはわたしたちが神へと悔い改め、キリストの中へと信じる時、神の御前で義とされるためです(ローマ3:24-26.使徒13:39.ガラテヤ3:24 後半,27)。 キリストはまたわたしたちの主観的な義であり、それはキリストを生かし出し、キリストを真に表現することであって、キリストを生きることによって神を表現している超越した状態です(ピリピ3:9.1:21前半)。
◎ 義のこれら二つの面は、詩篇第45篇13節から14節にある王妃の二つの衣によって予表されています。 一つの衣は客観的な義に相当し、それはわたしたちの救いのためです――「彼女の衣は織った物であり、金が織り込まれています」(13節後半)。 この事が表徴するのは、死と復活を通して対処されたキリストが、召会の義となって、神の義の要求を満たし、召会が神によって義とされるということです(Ⅰコリント1:30.ルカ15:22.エレミヤ23:6)。王妃が金で覆われていることは、召会が神聖な性質の中で現れることを表徴します(詩45:9後半.Ⅱペテロ1:4)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが悔い改め、キリストの中へと信じて、神の御前で義とされたことを感謝します。さらに、わたしたちがキリストを生かし出し、キリストを真に表現する主観的な義の面を経験し、享受することができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り3日
(2024年9月全国特別集会 第1週2日)
その霊の務めは、わたしたちを新しい復興の中へともたらします
エペソ5:25-27
夫たちよ、キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたように、あなたがたの妻を愛しなさい.それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。
わたしたちの霊と共にあるその霊は、有機的な救いのすべての経験の秘訣です。この有機的な救いは、わたしたちを神化することであり、また花嫁を美しくすることです(エペソ5:25-27)。
◎ 生み出す霊は、キリストによって生かされたわたしたちの霊の中で、わたしたちを再生し、わたしたちに、神から生まれた、神の子供たちとなる権威を与えます(ヨハネ 1:12-13.3:6.テトス3:5)。
◎ 聖別する霊は、キリストによって捕らえられたわたしたちの霊から、神の性質をもってわたしたちを聖別し、わたしたちを神に対して聖とします(ローマ6:19,22.エペソ5:26)。
◎ 更新する霊は、キリストが内住しているわたしたちの霊の中で、わたしたちを更新し、わたしたちが十字架の砕きを通して新しい人を着るようにします(ローマ 12:2.エペソ4:23-24.Ⅱコリント4:16-18)。
◎ 造り変える霊は、キリストによって満たされているわたしたちの霊の中で、わたしたちをキリストの栄光のかたちへと造り変えて、彼を表現させます(3:15-18)。
◎ 円熟させる霊は、キリストをもって豊かにされたわたしたちの霊の中で、神の長子であるキリストのかたち、すなわち、神の子たちの原型にわたしたちを同形化します(コロサイ1:28.エペソ4:13.ローマ8:28-29)。
◎ 証印を押す霊は、キリストと共に歓喜するわたしたちの霊の中で、神の栄光をもってわたしたちに浸透し、わたしたちを神の栄光の中へともたらして、わたしたちを栄光化します( エペソ4:30.ヘブル2:10.ピリピ3:20-21)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの霊と共にあるその霊を感謝します。その霊は、有機的な救いのすべての経験の秘訣です。わたしたち召会が神化され、花嫁として美しくされるために、わたしたちが、生み出す霊、聖別する霊、更新する霊、造り変える霊、円熟させる霊、証印を押す霊、強化された霊にあずかることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り2日
2024年9月全国特別集会 第1週1日
新約の務めはその霊の務めです
標語:
和解の務めは、わたしたちを外庭から至聖所の中へともたらします。この至聖所へと、キリストは大牧者として、ご自身の御名のために、わたしたちを義の途の上で導きます。それによって、わたしたちが日々いつまでも主の家、神の聖なる所(キリスト、召会、わたしたちの霊、新エルサレム)に住みます。
Ⅱコリント3:6
神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、その霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。
新約の務めは、神聖な啓示の高嶺としてのその霊の務めであって、わたしたちを新しい復興の中へともたらします(Ⅱコリント3:6-8.啓22:17前半.ハバクク3:2)。
神のエコノミーの内容は、三一の神が手順を経て究極的に完成されたことも、彼の選ばれ贖われた人が手順を経て究極的に完成されることも含んでいます。まず、三一の神は人と成って(ヨハネ1:14)、人の生活、すべてを含む死、すべてを超越する復活を経て、命を与える霊(Ⅰコリント15:45後半)、究極的に完成された霊と成ることによって、手順を経ました。
それから、このすばらしい究極的に完成された霊が、神の選ばれ贖われた人々の中へと入るとき、彼らは、神格においてではなく命と性質において神となるというすばらしい過程を経過し始めます。この過程は再生をもって開始し、聖別、更新、造り変え、同形化、栄光化をもって継続して、ついに彼らは究極的に完成されてキリストの花嫁となります。
主イエスよ、あなたを愛します。 新約の務め、神聖な啓示の高嶺としてのその霊の務めを感謝します。その霊は人に命を与えることを感謝します。わたしたちを新しい復興の中へともたらしてください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)