(ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第2週3日~(2) 第5週4日)
9月の祈り 第30日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週4日
各部族は、彼らが何であるかにしたがって割り当てられました
民26:55
ただし、その地はくじによって割り当てられ、彼らはその父祖の部族の名にしたがって、相続しなければならない。
ローマ12:3
わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います.自分自身について思うべきことを超えて、思い上がることなく、むしろ神がそれぞれに割り当てられた信仰の度量にしたがって、冷静な思いで思うべきです。
「良き地の割り当ての内在的な意義は、その地の所有者であるわたしたちが、ひとりのキリストをさまざまな面において経験するということです(ヨシュア13:1―22:34)。すべての部族はその地の所有者でしたが、各部族は彼らが何であるかにしたがって、その地の特定の分け前を所有しました(ヨシュア14:6-15.18:1-19:27)」。
主よ、わたしたちそれぞれに、良き地としてのキリストの割り当てがあることを感謝します。主よ、信仰の度量にしたがって恵みが与えられていることを感謝します。主よ、わたしたちが恵みにしたがって、キリストのからだの中で機能することができますように。
神がそれぞれに割り当てられた信仰の度量があります
神のエコノミーには、地の割り当てという事柄があります。ヨシュアがその地を所有した後、神はヨシュアに命じて、すでに所有している地と、さらにはまだ所有していない地も割り当てさせました。なぜなら神の目に、全地はイスラエルのためであったからです。・・・・・地の割り当ての内在的な意義は、地の所有者が異なっているということです。これは、キリストに対する経験が、神の民の間で同じでないことを示します。神の定めにおいて、良き地は神の民にさまざまな程度で割り当てられます。
新約ははっきりと、「神がそれぞれに割り当てられた信仰の度量」と言っています(ローマ12:3)。また「すべての肢体が同じ機能を持っていない」とも告げられています(ローマ12:4)。ですから、神はそれぞれの肢体に、からだの中のその機能にしたがって恵みを与えられます(エペソ4:7)。これが神の定め、また神聖な割り当てです。(ヨシュア記ライフスタディ、第11編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第29日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週3日)
食べることの第三段階である、良き地の豊富な供給を食べる
申8:7-9
それはエホバ・あなたの神が、あなたを良き地に導こうとしておられるからである.……小麦と大麦とぶどうといちじくの木とざくろのある地、油のオリブの木と蜜のある地であり、あなたが欠けることなくパンを食べる地であり、あなたはそこで何も欠けるものはない.その地の石は鉄であって、その山々からは銅を掘り出すことができる。
「イスラエルの民はカナンにおいて、食べることの第三段階である、良き地の豊富な供給を食べました(ヨシュア5:11-12)。この事は、彼らをさらに構成して、勝利を得た民としました。イスラエルの民は、良き地の豊富を享受することによって、その地の諸部族を征服し、神の王国を確立し、地上での神の住まいとしての宮を建造しました(ヨシュア5:11-12)」。
主よ、わたしたちが良き地の豊富な産物を食べることができますように。主よ、小羊とマナから、良き地の固い食物を食べることへと前進させてください、主よ、わたしたちは戦うために、石、鉄、銅を含んだ固い食物を必要とします。
キリストを食べることで、小羊とマナから、良き地の固い食物へと前進します
あなたのクリスチャン生活において、キリストを食べることは、小羊とマナから、良き地の固い食物へと前進しなければなりません。…… わたしたちは宮を建造し、戦わなければなりません。それは神が王国を得るためです。これが今日、神の必要としているものです。幕屋は十分ではありません。神は王職と戦う能力を持つ王国において都を伴う宮を必要としています。小羊はわたしたちに活力を得させてエジプトを離れさせ、マナはわたしたちを養って天的要素でわたしたちを構成します。これらの項目はいずれも良いのですが、戦うのに役立ちません。
わたしたちはその中に鉱物を含んだ固い食物を必要とします。わたしたちは極薄のパンではなく、岩となる必要があります。わたしたちは鉄と銅でできた武器を必要とします。おお、わたしたちは宮を建造するために、王国を確立するために、戦うために、敵を打ち破るために石、鉄、銅を必要とします! …… 神の民が固い食物を食べて、鉱物を取り入れ、鉱物が彼らを石、鉄、銅とするとき、神は彼の王国を得ます。(リー全集、1977年、第1巻(上)、「聖書の核心」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第28日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週2日)
過越の小羊を頭、足、内臓と共に食べる
出12:3,9
……各自は父祖の家ごとに小羊一頭を、すなわち一つの家族のために小羊一頭を取らなければならない。9 それを生のままで食べたり、あるいは水で煮て食べたりしてはならない.その頭を足と内臓と共に火で焼かなければならない。
「イスラエルの民はエジプト、荒野、良き地において、食べることの三つの段階を経験しました。 ① エジプトにおいて、過越の小羊を食べました(出12:3,8-9)。 ② 荒野において、マナを食べました(出16:14-16, 31.民11:7)。 ③ カナンにおいて、良き地の産物を食べました(ヨシュア5:11-12)」。
主よ、過越の小羊を頭、足、内臓と共に食べることの実際を得させてください。毎朝、マナとしてのキリストを食べて天の要素で再構成してください。良き地の豊富な産物を食べて、霊的な敵に打ち勝ち、建造されて神の住まいとなりますように。
エジプト、荒野、良き地において、食べることの三つの段階を経験します
イスラエルは神の救いに対する経験において、彼らの食べることで三つの段階を経過しました。第一段階において、彼らはエジプトで過越の小羊を食べ(出第12章)、それは彼らを強めてエジプトから歩いて出て行かせ、エジプトの世から分離されるようにしました。(ヨシュア5:12、フットノート1)
[過越の小羊の]頭は知恵を表徴し、足は活動と行動を表徴し、内臓はキリストの存在の内なる各部分を表徴し、それは彼の思い、感情、意志、心と、それらのすべての機能を含みます。過越の小羊を頭、足、内臓と共に食べることは、キリスト全体を、彼の知恵、活動と行動、内側の各部分を含めて取ることを表徴します(ヨハネ6:57.Ⅰコリント1:24.啓14:4後半.ピリピ1:8)。(出12:9、フットノート2)
第二段階において、彼らは荒野でマナを食べ(出第16章)、それは彼らを天の要素で再構成し、天的な民としました。第三段階において、彼らは良き地で豊富な産物を食べました。この事は、彼らをさらに構成して、勝利を得た民としました。(ヨシュア5:12、フットノート1)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第27日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週1日)
カナンの地の産物と良き地の割り当ての内在的な意義
ヨシュア5:12
マナは、彼らがその地の産物を食べた日にやんだ.……
ヨハネ6:57
……わたしを食べる者も、わたしのゆえに生きる。
「イスラエルの子たちがカナンの地に入った後、マナはやみました。マナはもはやなく、彼らはカナンの地の産物を食べました(ヨシュア5:12)。イスラエルがカナンで戦っているときに神が彼らに与えた、約束された地の豊富な産物は、信者たちに与えられる、究極的に完成された命の供給としてのキリストを予表し、それは彼らに彼の上で労苦することを要求します(申8:7-10)」。
主よ、わたしたちは荒野からカナンの地へと入っています。マナを食べていた時代から、カナンの地の産物を食べる時代に入っています。主の上で労苦して産物を得ることができますように。代価を払って約束された地の豊富な産物にあずからせてください。
良き地としての主の上で労苦して、いくらかの産物を得る必要があります
民が地の産物を食べ始めたとき、マナがやんだことは、地の産物がマナの継続であったことを示します。イスラエルが荒野でさまよっていたときに食べたマナは、神が彼の選びの民に直接与えた天の食物としてのキリストを予表し、それは食べる者に何の労苦も要求しません。イスラエルがカナンで戦っているときに神が与えた、約束された地の豊富な産物は(申8:7-10)、信者たちに与えられる、究極的に完成された命の供給としてのキリスト(命を与える霊――ガラテヤ3:14)を予表し、それは彼らに彼の上で労苦することを要求します。(ヨシュア5:12、フットノート1)
わたしたちはすべてを含むキリストをわたしたちの良き地とし、彼の上で労苦していくらかの産物を得る必要があります。その産物はわたしたちの有機的な、造り変える食物となります。・・・・そして有機的な方法で、わたしたちは神の嗣業、神の宝、所有となるでしょう。(ヨシュア記ライフスタディ、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月20~25日 9月全国特別集会
9月の祈り 第18日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第4週6日)
自分が遭遇するあらゆる問題を神に相談すべきです
ピリピ4:6-7
何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知らせなさい.そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心と思考を、キリスト・イエスの中で護衛してくださいます。
「主を愛し、彼の勝利を得る花嫁の構成要素となることを渇望する信者として、わたしたちは自分が遭遇するあらゆる問題に関して神に相談すべきです。わたしたちはあらゆる事柄を主にもたらし、彼の御前で、また彼との交わりの中で、事を考察し、調べ、決定する必要があります」。
主よ、わたしたちのあらゆる事柄をあなたにもたらし、あなたに決定していただくことができますように。わたしたち召会が妻として、夫である主と共に住み、いつも主と一であることを学ぶことができますように。
わたしたち召会は主の妻として、いつも主と一であることを学ぶ必要があります
真の結婚生活は、妻が自分の夫と共に住み、常に彼と一となるときです。……しかしながら、この愛する妻、イスラエルは、この事柄を習慣づけることを決して学んでいませんでした。アイで、彼らは敗北を被り、主と一であるこの学課を学びましたが、完全に学んだのではありませんでした。……アイの人々はイスラエルと激しく戦いましたが、[ヨシュア記第9章で]ギベオン人は彼らの所に来て、彼らのしもべとなることを請い求めました。
その結果は、この独立した、個人主義的な妻が欺かれたということです。彼女には保護がなく、安全保障もありませんでした。この章から、わたしたちは主の妻として、いつも彼と一であることを学ぶ必要があります。これがヨシュア記第9章の内在的な意義です。(ヨシュア記ライフスタディ、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第17日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第4週5日)
エホバの助言を求める者となる
ヨシュア9:14
そこで人々は、……エホバの助言を求めなかった。
Ⅱコリント11:2
わたしは神のねたみをもって、あなたがたをねたんでいます.なぜなら、あなたがたを清純な処女としてキリストにささげるために、一人の夫に婚約させたからです。
「ヨシュア記第9章14節は、聖書の非常に強力な箇所であり、なぜイスラエルの子たちがギベオン人によって欺かれたのかを示しています――「彼ら[は]……エホバの助言を求めなかった」。こういうわけで、ヨシュアは和を講じ、彼らと契約を結んで彼らを生かしておいたのです(15節)」。
主よ、わたしたちをエホバの助言を求める者にしてください。主よ、わたしたち召会が夫を忘れた妻のようにならないように守ってください。わたしたちが主に依り頼み、主と一でありますように。
イスラエルは夫を忘れた妻のようでした
わたしたちは旧約の歴史と預言を学ぶために、全聖書に対して、キリストと召会のための、新エルサレムにおいて究極的に完成する神のエコノミーに関する完全な視野、完全な展望を持つ必要があります。この編におけるわたしの負担は、この原則をヨシュア記第9章に適用し、わたしたちがこの章の内在的な意義を見ることです。……イスラエルの子たちは……ギベオン人によって欺かれました。……[なぜなら]彼らは夫を忘れた妻のようであったからです。
彼らがここで行なったことは、エバが創世記第3章で行なったことと全く同じでした。こうかつな蛇はアダムを誘惑し、そそのかしたかったのですが、あえて直接アダムに行きませんでした。そうではなく、サタンはアダムの配偶者である女に行きました。なぜなら蛇は、女を欺くほうがより簡単であることを知っているからです(Ⅱコリント11:3.Ⅰテモテ2:14)。……妻であるイスラエルは自分の夫の所へ行って、彼に尋ねるべきでした。(ヨシュア記ライフスタディ、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第16日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第4週4日)
バビロンの原則は偽善です
マタイ6:6
あなたは祈るとき、自分の密室に入り、戸を閉めて、隠れておられるあなたの父に祈りなさい.そうすれば、隠れて見ておられるあなたの父は、あなたに報いてくださる。
「イスラエル人がカナンの地へと入り、エリコに対して勝利を得たとき、罪を犯した最初の人はアカンでした。アカンの重大な罪についての、内在的で、霊的な意義と神聖な見方は、彼がバビロンの美しい外套(シナルは後にバビロンと呼ばれた地域です)をむさぼって自分自身を改善することを追い求め、外見をより良く見せようとすることでした(ヨシュア7:21)」。
主よ、バビロンの原則と偽善は、わたしたちの心の中にあります。主よ、わたしたちの内にある、人からの栄光を得ようとする心を取り扱ってください。主よ、あなたの光で照らしてください。 どうか、わたしたちを虚偽から救い、真実な人とならせてください。
バビロンのすべてのものを徹底的に一掃する必要があります
ヨシュア記第6章で、イスラエルの子たちはエリコに対して勝利を得ましたが、アイに対する戦いでは打ち破られました。アカンがバビロンの外套を取っておいたので(ヨシュア7:21)、神の民は敗北したのです。バビロンのものは何であれサタンに地位を与え、神の民を打ち破ります。ですから、わたしたちはバビロンのあらゆるものを放棄しなければなりません。わたしたちは神の純粋な民として神に仕えようとするなら、まずバビロンのすべてのものを徹底的に一掃する必要があります。(イザヤ書ライフスタディ(1)、第26編)
バビロンの原則とは偽善です。実際がないのに、人からの栄光を得ようとして、実際があるかのように振る舞うのです。ここに神の子供たちへの真の危険があります。それは霊的であるという装いをすることです。・・・・・ どうか主が彼の恵みによって、わたしたちがキリストの外側にあるいかなる栄光や誉れも求めないようにしてくださいますように。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第5章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第15日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第4週3日
わたしの臨在があなたと共に行く
出33:14
エホバは言われた、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」。
詩27:8
「わたしの顔を尋ね求めよ」とあなたが言われるとき、あなたに向かって、わたしの心は言います、「エホバよ、あなたの御顔を尋ね求めます」。
「わたしたちは良き地の実際としてのすべてを含むキリストに入り、所有し、享受しようとするなら、主の臨在によってそのようにしなければなりません。主はモーセに約束しました、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」(出33:14)。神の臨在は神の道、すなわち「地図」であって、神の民に彼らが歩むべき道を示します」。
主よ、わたしたちは良き地を所有するために、あなたの御顔を尋ね求めます。 主よ、あなたの臨在、あなたの笑顔がいつもわたしたちと共にありますように。主の臨在によって守られ、支配され、管理され、導かれることを学ばせてください。
主の臨在、主の笑顔が支配する原則です
主は、モーセに「わたしの臨在があなたと共に行く」と言われました。何という宝でしょう! 主の臨在、笑顔が支配する原則です。わたしたちは主から何を受けても、彼の臨在を失うことを恐れなければなりません。…… わたしたちはただ主の臨在によって守られ、支配され、管理され、導かれることを学ばなければなりません。…… わたしたちは間接的な臨在を欲しくありません。…… 主の直接の、直の臨在によって支配されるように努めてください。
これは必要条件や資格だけではなく、あなたが前進してその地を所有するための力でもあります。主の直の臨在は大能をもってあなたを強め、キリストの豊満、すべてを含むことを獲得させます。主の直接の臨在の中に何という強さ、何という力があることでしょう!(すべてを含むキリスト、第11章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第14日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第4週2日)
エリコの破壊の後、イスラエルはアイで打ち破られました
ヨシュア7:6
ヨシュアは衣服を裂き、彼とイスラエルの長老たちは、エホバの箱の前で夕方まで顔を地に伏せていた.……
ガラテヤ5:25
もしわたしたちが霊によって生きているならば、霊によって歩こうではありませんか。
「イスラエルのアイに対する敗北のかぎは、彼らが神の臨在を失い、もはや神と一でないことでした。この敗北の後、ヨシュアは契約の箱の前で主と共にとどまるという学課を学びました(ヨシュア7:6)。最終的に、主は入って来て彼に語り、行なうべきことを彼に告げました(10-15節)」。
主よ、イスラエルのアイに対する敗北から学ばせてください。主よ、わたしたちが神の臨在を失わず、神と一でありますように。主よ、物事を自分自身で行なうのではなく、主によって、主と共に行なうことができますように。
わたしたちは主と共に歩み、主と共に生き、主と共に存在する必要があります
イスラエルのアイに対する敗北のかぎは、彼らが神の臨在を失い、もはや神と一でないことでした。この敗北の後、ヨシュアは契約の箱の前で主と共にとどまるという学課を学びました。最終的に、主は入って来て彼に語り、行なうべきことを彼に告げられました。原則は今日わたしたちも同じです。わたしたちは神の臨在を持つなら、知恵、洞察力、先見性、事物に対する内なる認識を持ちます。
わたしたちはイスラエルの歴史のこの部分の内在的な意義を学ぶとき、主と共に歩む秘訣を学ぶ必要があります。今日わたしたちは単に主に従うということではなく、主と共に歩み、主と共に生き、主と共に存在する必要があります。これがクリスチャンとして歩み、神の子供として戦い、キリストのからだを建造する道です。(ヨシュア記ライフスタディ、第8編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第13日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第4週1日)
ラハブはイスラエルの神を信じ、宣言しました
ヨシュア2:11
わたしたちはそれを聞いたとき、心は溶けました.……エホバ・あなたがたの神、彼こそは、上は天にあっても下は地にあっても神であられるからです。
マタイ1:5
サルモンはラハブからボアズを生み、ボアズはルツからオベデを生み、……
「二人の斥候がエリコに来たとき、ラハブ(遊女でありカナン人であった)は、彼らと接触し、彼女の信仰から出た行動によって進んで彼らを受け入れ、彼らを隠し、彼らを解き放ちました(ヨシュア2:1後半-7, 15-16, 22.ヤコブ2:25)。ラハブはイスラエルの神を信じ、宣言しました、「エホバ・あなたがたの神、彼こそは、上は天にあっても下は地にあっても神であられる」(ヨシュア2:11後半)」。
ラハブは信仰を通して、神と神の民に転向しました
ヨシュアは二人の斥候を遣わして、良き地、特にエリコを探らせました(ヨシュア2:1前半)。斥候を遣わしたヨシュアの真の目的は、ラハブを見いだすことでした。
ラハブはイスラエルの神を信じました(ヨシュア2:8-11.ヘブル11:31前半)。彼女は斥候たちに、エホバがその地をイスラエルの民に与えておられること、この地の住民がみな彼らの前に溶けていることを、彼女は知っていると告げました。・・・・・そしてラハブは宣言しました、「エホバ・あなたがたの神、彼こそは、上は天にあっても下は地にあっても神であられる」(ヨシュア2:11後半)。彼女は神にある信仰のゆえに、「不従順な者たちと共に滅びませんでした」(ヘブル11:31後半)。(ヨシュア記ライフスタディ、第3編)
最終的に遊女ラハブは、キリストの卓越した、顕著な先祖の一人になりました。このカナン人の女は、ユダの部族のリーダーであるサルモンと結婚し、このユダヤ人のリーダーとの結合を通してイスラエルの一部分となり、ダビデの曾祖父ボアズを産みました。ラハブの名がマタイによる福音書第1章のキリストの系図に含まれているとは、何という誉れでしょう! これは、ヨシュア記に記録された歴史が、キリストに関する神の永遠のエコノミーの路線にあることの有力なしるしです。(ヨシュア記ライフスタディ、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第11日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週6日)
キリストの死をわたしたちの肉に絶えず適用し、主の食卓を守る
コロサイ2:11
またあなたがたは、彼の中で、手によらない割礼をもって割礼されました.すなわちキリストの割礼の中で、肉の体を脱ぎ捨てました。
ローマ8:13
……その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。
「イスラエルの子たちが割礼されたことは、ヨルダン川を渡ったことにおいて神がなされた事を、彼らが実際的に適用することでした(ヨシュア5:2-9)。新約において、霊的な割礼は、キリストの死をわたしたちの肉に絶えず適用することです(ピリピ3:3.コロサイ2:11)。イスラエルが過越を守ることは、信者たちが主の食卓を守って、主を彼らの贖い主また救い主として記念することを予表します(マタイ26:26-28)」。
主よ、キリストの死をわたしたちの肉に絶えず適用させてください。主よ、わたしたちが主の食卓で主を記念し、主を食べ飲みして、享受することができますように。
主の食卓でキリストにあずかり、享受します
新約において、割礼は、主の死をわたしたちの肉に絶えず適用することを意味します。ローマ人への手紙第6章3節から4節は、わたしたちはキリストの死の中へとバプテスマされ、彼と共に葬られたと言いますが、ローマ人への手紙第8章13節とガラテヤ人への手紙第5章24節は、わたしたちは十字架の割礼を、その霊によって自分の肉に適用すべきであると告げています。事実において、わたしたちの肉はすでに十字架につけられていますが、実行において、わたしたちは日ごとに肉を十字架につける必要があります。これが、キリストの死と葬りの中にとどまることの実際と実行であり、これが割礼の意義です。
ヨシュア記第5章の内在的な意義の第二の項目は過越です。過越の祭りが守られたのは、イスラエルが初子に対する死の裁きから贖われ、エジプトから、またパロの暴虐から救われたことを記念するためでした。これは主の食卓の予表です。……今日わたしたちの分け前は死ではなく、主の食卓でキリストにあずかり、享受することです。(ヨシュア記ライフスタディ、第5編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第10日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週5日)
死はわたしたちの中で働き、命はあなたがたの中で働くのです
Ⅱコリント4:11-12
なぜなら、わたしたち生きている者はイエスのために、絶えず死に渡されているからであり、それはイエスの命が、わたしたちの死ぬべき肉体に現されるためです。こうして、死はわたしたちの中で働き、命はあなたがたの中で働くのです。
「使徒パウロは、死ぬことによって命を供給したので、次のように証しして、言うことができました、「こうして、死はわたしたちの中で働き、命はあなたがたの中で働くのです」(Ⅱコリント4:12)。使徒たちの働きとは、死が彼らの中で働き、それによって命が信者たちの中で働くという働きです(Ⅱコリント4:10-12)」。
主よ、死はわたしたちの中で働くなら、命は召会の中で働きます。主よ、わたしたちが、キリストのからだなる召会のために、キリストの苦しみの欠けたところを、補い満たす者となることができますように。
キリストの苦しみの欠けたところを、補い満たしています
わたしたちが真に主の御前で十字架を負っている時はいつでも、キリストのからだは供給を受けます。もしわたしたちが命の供給の意味を知らないなら、パウロが「死はわたしたちの中で働き、命はあなたがたの中で働くのです」[Ⅱコリント4:12]と言った時に彼の意味したことを、わたしたちは理解することができないでしょう。さらに、パウロはコロサイの聖徒たちに告げました、「わたしは今、あなたがたのために受ける苦難を喜び、そしてキリストのからだなる召会のために、キリストの苦しみの欠けたところを、わたしの肉体において補い満たしています」(コロサイ1:24)。……これが命の供給です。(ニー全集、第36巻、「聖霊と実際」)
おそらく、わたしたちはパウロが、「死に渡されている」ことではなく、「死から救われている」と言うことを期待するでしょう。しかしながら、パウロは絶えず死に渡されていました。それは、イエスの命が、彼の死ぬべき肉体に現されるためでした。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ(2)、第33編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第9日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週4日)
イエスの致死力が働いて、イエスの命が現される
Ⅰコリント15:36
愚かな人よ、あなたがまくものは、死ななければ生かされないのです。
Ⅱコリント4:10
絶えずこの体に、イエスの致死力が働いています.それはまた、イエスの命が、わたしたちの体に現されるためです。
「使徒たちの働きとは、死が彼らの中で働き、それによって命が信者たちの中で働くという働きです(Ⅱコリント4:10-12)。死がわたしたちの中で働いた結果は、すばらしいです。それは、他の人たちの中での命です(Ⅱコリント4:12)。新契約の務めの真の働きは、働きをするという事ではなく、死ぬという事です(Ⅱコリント4:1.3:8-9.5:18)」。
主よ、わたしたちが主の御前で「イエスの死」を知ることができますように。 主よ、わたしたちに「イエスの死」の実際があり、「イエスの命」が召会の中で働きますように。
わたしたちがイエスの死を経過するなら、兄弟姉妹は命の供給を受けます
神はまずわたしたちに死を経過させてから、他の人たちに命を得させることを欲しておられます。わたしたちがまず、苦難と痛みを経過しなければなりません。そうしてはじめて、他の人たちは命を持つことができます。神の真理を学ぶために、人はまず川の底に立たなければなりません。召会が渡って良き地に入ることによって勝利を得ることができない理由は、ヨルダン川の底に立つ祭司に欠けているからです。
ヨルダン川の底に立っている者たちは、他の人たちの中に追い求める心を造り出します。もし真理がわたしたちの中に深く構成されているなら、それは他の人たちを引き付けて真理を追求させるでしょう。…… わたしたちは真理をわたしたちの中に構成させるとき、キリストのからだをさらに…… 成長させつつあるのです。勝利者は上から命を得て、からだに供給する者たちです。(ニー全集、第11巻、第34号)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第8日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週3日)
民がすべてヨルダンを渡り終えるまで、証しの箱を担ぐ祭司たちは、川の底に立っていました
ヨシュア4:10
箱を担ぐ祭司たちは、エホバがヨシュアに命じて民に語らせられたことがすべて完了するまで、ヨルダンの真ん中に立っていた.……民は急いで渡った。
「証しの箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の底の乾いた地にしっかりと立ち、ついに民はすべてヨルダンを渡り終えました(ヨシュア3:8, 13-15, 17.4:10-11, 15-18)。箱を担ぐ祭司たちは、水の中へと入って行った最初の者たちであり、また水から上がって来た最後の者たちでした。彼らは、神の民がすべて渡るまで、川の底で待っていました(ヨシュア3:17.4:15-16)。神は祭司たちを死の場所に置きました。それは、イスラエル人が命の地へと至る道を持つためでした(ヨシュア4:10)」。
主よ、わたしたちも死の場所の中にとどまっていることができますように。主よ、「死がわたしたちの中で働き、命はあなたがたの中で働く」という御言葉の実際を経験できますように。
祭司たちが死の場所にとどまることによって、兄弟姉妹が命の地へと至る道を持ちます
神は祭司たちを死の場所に置きました。それはイスラエル人が命の地へと至る道を持つためでした。祭司たちは、水の中へと入って行った最初の者たちであり、また水から上がって来た最後の者たちでした。彼らは神の勝利者でした。神が今日探し求めている一群れの人々とは、当時の祭司たちのように、最初に水の中へと入る人たち、すなわち最初に死の中へと歩いて入る人たちです。
彼らは進んで最初に十字架によって対処され、死の場所の中にとどまります。それは、召会が命の道を見いだすためです。神は最初にわたしたちを死の場所に置かなければなりません。そうしてはじめて、他の人たちは命を受けることができます。神の勝利者は、神の先駆者です。(ニー全集、第11巻、第34号)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第7日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週2日)
十二の石がヨルダンから取り出され、別の十二の石がヨルダンの中に立てられました
ヨシュア4:3
……ヨルダンの真ん中……から十二の石を取り、それを持って来て……。
9 また、ヨシュアは、ヨルダンの中の契約の箱を担ぐ祭司たちの足が立っていた場所に、十二の石を立てた.それは今日までそこにある。
「十二の石がヨルダンから取り出され、別の十二の石がヨルダンの中に立てられました(ヨシュア4:3-9)。ヨルダンから取られた十二の石は、新しいイスラエルの十二部族を表徴します(ヨシュア4:3-7)。それらの石がヨルダンの水から上げられたことは、死からの復活を表徴します(ヨシュア4:7)。ヨルダンの中に立てられた他の十二の石は、古い命と古い性質との中にあるイスラエルの十二部族を表徴します(ヨシュア4:9)」。
主よ、十二の石がヨルダンの川底に立てられたように、わたしたちをキリストの死の中にとどまらせてください。そして、キリストと共に、死から復活する経験をすることができますように。
わたしたちがキリストと共に、死から復活する経験を予表します
イスラエルの十二部族の十二人の代表は、ヨルダンの真ん中の、祭司たちの足がしっかりと立った場所から十二の石を取り、それを持って来て、その夜イスラエルが宿営する場所に据えました(ヨシュア4:1-5,8)。十二の石は、新しいイスラエルの十二部族を表徴します。それらがヨルダンの水から上げられたことは、死からの復活を表徴します。水から上げられた十二の石はしるしでした。それは、復活させられた新しいイスラエルが、死の水を渡ったことの証しになることを表徴します(ヨシュア4:6-7、21-24)。これは信者たちがキリストと共に、死から復活する経験を予表します(ローマ6:3-11)。
ヨシュアはヨルダン川の中の、契約の箱を担ぐ祭司たちの足が立っていた場所に、十二の石を立てました(ヨシュア4:9)。これは別の十二の石であり、古い命と古い性質との中にあるイスラエルの十二部族を表徴します。・・・・・ これが予表するのは、信者たちの古い人がキリストの死の中にとどまるべきであるということです(ローマ6:6、コロサイ2:20)。(ヨシュア記ライフスタディ、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第6日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第3週1日)
ヨルダン川を渡り、戦いのために準備をする
ヨシュア3:6
ヨシュアはまた祭司たちに語って言った、「契約の箱を担ぎ上げ、民の前を渡りなさい」……。
ローマ6:5-6
もしわたしたちが、彼の死の様の中で彼と結合して生長したなら、彼の復活の様の中でも彼と結合して生長するのです.……。
「イスラエルの民は、彼らの神の契約の箱と、レビ人である祭司たちがその箱を担いでいるのを見たとき、自分のいる所を出発して、それに従いました(ヨシュア3:3,6)。ヨルダン川は、キリストの死と復活を予表します(使徒2:23-24.3:15)」。
主よ、わたしたちが、バプテスマの実際であるキリストの死と復活にあずかりますように。主よ、わたしたちがキリストの死を経過して、わたしたちの古い人が葬られ、キリストにある新しい人となって、霊的戦いを戦うことができますように。
ヨルダン川を渡ることは信者のバプテスマを予表します
ヨルダン川はキリストの死と復活を予表し、ヨルダン川を渡ることは信者のバプテスマを予表します。(真理課程、第3段階、第2巻、第33課)
ヨシュア記第3章と第4章は、イスラエルがヨルダン川を渡ることについてです。イスラエルの民は、良き地に入って、その地を彼らの所有として取る用意ができていましたが、彼らは古い人の中では、勝利を得ることはできませんでした。彼らの古い人は葬られなければなりませんでした。それは、彼らが新しい人になるためでした。
これは神の新約エコノミーと一致します。イスラエルの子たちはキリストの死の中で葬られ、そしてキリストの復活の中で復活させられました。これは、旧約時代でさえ、イスラエルの子たちがキリストと一体化され、キリストと一であったことを示します。・・・・・彼らはキリストの死を経過して、彼らの古い人を葬り、そしてキリストにある新しい人となりました。それは霊的戦いを戦うためでした。(ヨシュア記ライフスタディ、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第4日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第2週6日)
エリコでの戦いに勝利したのは、角笛を吹いて叫んだことによります
ヨシュア6:5
祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞くとき、民はみな大声で叫ばなければならない。町の城壁が崩れ落ちたなら、民はそれぞれ真っすぐ上って行かなければならない。
「わたしたちは、イスラエルの民に最初の戦いにおいて勝利を得させることができるようにした決定的な要因を知る必要があります(ヨシュア6:1-20)。それは、イスラエルが戦うことによったのではなく、角笛を吹いて叫んだことによりました(ヨシュア6:2-5)」。
主よ、わたしたちが神の指示の言葉を信じて、霊的な戦いをすることができますように。主よ、わたしたちが平和の福音を告げ知らせる者になりますように。
平和の福音を宣言し告げ知らせて、霊的戦いをします
イスラエルがヨルダンを渡った後、最初の戦いにおいてエリコに勝利したことは、イスラエルが戦うことによったのではなく、角笛を吹いて叫んだことによりました。これは、彼らが神の指示の言葉を信じて、神と神の箱を証しし宣言することを表徴します(ヨシュア6:2-5)。これらは、彼らに勝利を得させるようにした決定的な要因でした。(ヨシュア記ライフスタディ、第7編)
わたしたちは戦いに行きますが、平和の道具をもって行き、雄羊の角をもって行きます。雄羊の角は、平和の武器をもって戦うことの象徴です。…… それらは絶対に平和的です。しかし、それらは戦いのための武器です。それらは吹かれる角笛であり、平和の福音を宣言し告げ知らせます。これは、わたしたちが霊的戦いをするために用いなければならない武器です。わたしたちはキリストを告げ知らせることによって戦います。(すべてを含むキリスト、第14章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第3日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第2週5日)
エホバの軍隊の将軍としてのキリストのビジョンを見る
ヨシュア5:13-14
……ひとりの人が彼[ヨシュア]に向かって立っていた.そして抜き身の剣がその人の手にあった。ヨシュアは彼の所へ行って彼に言った、「あなたはわたしたちのためですか、それともわたしたちの敵のためですか?」。彼は言った、「どちらでもない.わたしはエホバの軍隊の将軍として今、来たのだ」。ヨシュアは顔を地に伏せて礼拝した。
「わたしたちは霊的戦いに従事するために、エホバの軍隊の将軍としてのキリストを明らかにするビジョンを見る必要があります(ヨシュア5:13-14)。キリストは目に見えない将軍であって、イスラエルのためにカナンの七つの部族と戦いました(ヨシュア5:14)」。
主よ、わたしたちにエホバの軍隊の将軍としてのキリストのビジョンを見せてください。主よ、わたしたちの敵は血肉ではなく、人々の背後にある悪の軍勢であることを覚えさせてください。
敵は血肉の人々ではなく、天上にいる霊の軍勢、支配たちです
[ヨシュア記第5章13節から15節における]このビジョンは、エホバの軍隊の将軍としてのキリストを(14節)、ヨシュアに明らかにしました。ヨシュアはエホバの軍隊の目に見える将軍でしたが、キリストは目に見えない将軍でした。(ヨシュア5:13、フットノート1)
主キリストがエホバの軍隊の君、栄光の将軍であり(ヨシュア5:14)、…その軍隊の先頭に立たれ……わたしたちの前を行かれ……わたしたちのために戦われます。わたしたちはそのようなビジョンを必要とします。…
わたしたちはまた、わたしたちの敵が血肉[人々]ではないこと…を覚えていなければなりません。…敵は天上にいる霊の軍勢、支配たち、勢力たちです。……わたしたちは人々と戦っているのではなく、人々の背後にある悪の軍勢と戦っています。(すべてを含むキリスト、第14章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第2日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第2週4日)
良き地を所有するためには、霊的な戦いが必要です
エペソ6:10-12
最後に、主の中で、また彼の力強い大能の中で力づけられなさい。神のすべての武具を身に着けなさい.悪魔の策略に敵対して立つことができるためです.というのは、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに、天上にいるあの悪の霊の勢力に、敵対するものだからです。
「わたしたちは、良き地を所有して、神の定められた御旨を成就しようとするなら、霊的戦いに従事し、サタンの勢力を打ち破らなければなりません(ヨシュア6:21)。わたしたちは霊的戦いの必要性を認識する必要があります。(マタイ6:10.7:21.12:26, 28.イザヤ14:12-14)」。
霊的な戦いのために、召会が団体の戦士、キリストのからだとして建造されますように。召会全体が、すべての肢体たちを含めて、霊的戦いに従事することができますように。
召会全体が、すべての肢体たちを含めて、霊的戦いに従事するべきです
カナンは申命記第8章に啓示されているように、豊富な地であり、……もう一方で、カナンは邪悪な者と敵に満ちている地であり、彼らはみなイスラエルの子たちによって根絶されるべきで[あったことをわたしたちは見るでしょう]。カナンのこの特徴、あるいはこの面は、サタンの暗やみの王国の最も邪悪な部分を表徴します。……
わたしたちがすべてを含む地としてのキリストを享受することができるかどうかは、カナン人によって予表される敵を打ち破るかどうかにかかっています。これは、召会全体が、すべての肢体たちを含めて、エペソ人への手紙第6章で啓示されている霊的戦いに従事するべきであることを示しています。(民数記ライフスタディ(2)、第32編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
9月の祈り 第1日
(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(1) 第2週3日)
消極的な面でカナンは、サタンの暗やみの王国の空中の部分を表徴します
というのは、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに、天上にいるあの悪の霊の勢力に、敵対するものだからです。
「消極的な面で、カナンが表徴するのは、サタンの暗やみの王国の空中の部分、天的な部分、すなわち、サタンの勢力に満ちた天上です(エペソ2:2.6:12)。サタンは彼の権威と彼の天使たちを持っています。彼の天使たちはサタンの従属者であり、この世の暗やみの支配たち、勢力、支配者たちです(使徒26:18.マタイ12:26.25:41.エペソ6:12.コロサイ1:13)」。
罪人がキリストの贖いを通して、キリストを享受する者となる
エペソ人への手紙第2章は、天上にさまざまな層があることを示しています。キリストは最も高い層、すなわち第三の天にいて、わたしたちの良き地としてわたしたちのすべてです。しかし天上のさらに低い層、すなわち空中があります。そこでは空中の権威の支配者であるサタンが、地上の民が神と接触し、キリストを受け入れることを妨げています(2節)。これはカナン人によって予表されます。カナン人は、イスラエルが良き地に入ることを妨げていました。・・・・・
しかし、エペソ人への手紙第2章ではラハブ、すなわち悪い、邪悪で、死んでいるすべての罪人を見ます。それにもかかわらず、神はキリストの贖いを通してダイナミックな救いを果たし、そのような罪人を救い、そのようなラハブを、キリストを享受する者とすることができます。(ヨシュア記ライフスタディ、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)