ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週6日~
5月の祈り 第31日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週1日)
すべての肢体の内側にある永遠の命の流れ
Ⅰヨハネ1:3
わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも伝えます.それは、あなたがたもわたしたちと交わりを持つためです.わたしたちの交わりとは、御父との、また御子イエス・キリストとの交わりのことです。
「交わりは、キリストの有機的なからだのすべての肢体の内側にある、肢体を通しての、肢体の間にある永遠の命の流れです。それは新エルサレムにおける神と小羊の御座から流れ出る命の水の流れによって説明されています(啓22:1)」。
主よ、人の体の中に血液の循環があるように、わたしたちがキリストのからだの中にある循環、交わりの中で生きることができますように。
人の体の中の血液の循環から、神聖な命の流れを理解する
神聖な命は流れます。聖書の結びで、啓示録の最後の章は実に意義深い絵をわたしたちに与えています。神と小羊の御座があります(22:1)。この御座から一つの水流、流れが出ています。それは命の水の流れであり、この流れは一つの川です。
わたしたちが人の体の中の血液の循環を考えるなら、この交わり、神聖な命のこの流れを理解する助けとなるでしょう。わたしたちの体の中にはただ一つの血液の循環があり、それはわたしたちの体のあらゆる肢体に届きます。・・・・・ 体のすべての肢体は一つの血液の循環にあずかっています。多くの肢体がありますが、ただ一つの血液の流れです。人の体の内在的な要素はその血液です。わたしたちの人の体の中にあるこの血液の循環は、キリストのからだの内在的な交わりの絵です。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第4章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第29日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週6日)
キリストのからだの有機的な機能
Ⅰコリント12:4-6
ところが、賜物には区別がありますが、同じ霊です.務めには区別がありますが、同じ主です.働きには区別がありますが、同じ神であり、彼はすべての人の中ですべての事柄を行なわれます。
「Ⅰコリント第12章4節から6節には、父なる神の働き、子なる神の務め、霊なる神の賜物があります。その霊の賜物は、主の務めを遂行するためです。わたしたちが有機的に機能しているとき、わたしたちの中におられる三一の神は、わたしたちと共に行動します」。
主よ、あなたはわたしたちを待っておられます。わたしたちが主のみこころと一になって機能することができますように。
その霊の賜物は主の務めを遂行するためです
わたしたちが供給の節々、あるいは活動する各部分として機能しているとき、わたしたちの中におられる三一の神は、わたしたちと共に行動します。コリント人への第一の手紙第12章4節から6節で、三一の神が述べられています。父なる神の働き、子なる神の務め、その霊なる神の賜物があります。その霊の賜物は主の務めを遂行するためです。そして主の務めは父なる神の働きを成し遂げるためです。
三一の神はわたしたちから離れて行動されません。彼はわたしたちを待っておられます。わたしたちが動くとき、彼は行動されます。わたしたちが語るとき、彼は語られます。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第28日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週5日)
命における成長に伴って発展する命における賜物
ローマ12:6-8
また、わたしたちに与えられた恵みにしたがって、さまざまな賜物を持っているのですから、それが預言であれば、信仰の程度にしたがって預言し、奉仕であれば奉仕することに、教える者は教えることに、勧める者は勧めることに忠実であり、与える者はただ与え、導く者は勤勉に、あわれみを示す者は喜びにあふれて行なおうではありませんか。
「神の恵みがキリストの中で神聖な要素としてわたしたちの中へと入って来て、わたしたちの命となり、享受を得させるとき、・・・・・この要素は、わたしたちの命における成長に伴って発展して、命における賜物となります。それによって、わたしたちはキリストのからだの中で機能することができます(ローマ12:6-8節)」。
からだの生活のための命にある恵みの賜物を感謝します。わたしたちの命が成長して、命における賜物が発展し増し加わりますように。
命にある恵みの七つの賜物
ローマ人への手紙第12章6節から8節に含まれるすべての項目は、命にある恵みの賜物です。・・・・・ローマ人への手紙第12章で述べられている七つの賜物をすべて一緒にすると、それらは地方召会のために、からだの生活を実行することで必要な賜物であることを、あなたは見いだすでしょう。地方召会において、まず神の直接の霊感の下で神のために語ることを必要とします。このことに基づいて、教えがあり、預言と教えの両方に基づいて、勧めがあります。これと共に、長老のリーダーシップと執事の奉仕があります。
それに加えて、召会に物質のものをささげ、窮乏の人たちを顧み、主の働きを進めることのできる人たちがいます。最後に、人にあわれみを示す人たちがいます。困難と苦難に満ちた時代の中で、彼らは人に同情し、あわれみを示すことができます。これら七つの賜物は、召会生活を実行するのに十分です。(ローマ人への手紙ライフスタディ(1)、第26編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第27日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週4日)
かしらであるキリストの中へと成長し込む
エペソ4:15-16
……愛の中で真実を固く保って、わたしたちはすべての事で、彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです.この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。
「命の成長は、かしらであるキリストの中へと成長し込むことですが、からだの中で活動(機能)することは、かしらから出てくる活動(機能)を持つことです(エペソ4:15-16)。まず、わたしたちはかしらの中へと成長し込みます。次に、かしらから出てくる、からだの建造のためのものを持ちます(16節)」。
主よ、わたしたちがすべての事で、かしらであるキリストの中へと成長し込むことができますように。そして、わたしたちがみな、かしらから出てくる機能を持つことができますように。
キリストの中へと成長し込み、かしらから出てくる機能を持つ
宇宙の中の真実な事柄は、かしらとしてのキリストと、彼のからだとしての召会です。わたしたちは愛の中でこの二つの事柄を固く保たなければなりません。それはわたしたちがすべての事でかしらであるキリストの中へと成長し込むためです。……成長することは建造することです。
わたしたちがかしらであるキリストの中へと成長し込むなら、何かがかしらであるキリストから出てきます。「キリストの中へと」は、わたしたちの成長のためです。「キリストから」は、わたしたちの機能、わたしたちが役に立つためです。一方で、わたしたちはキリストの中へと成長しつつあります。もう一方で、わたしたちが行なうことは、源としての彼からであり、わたしたちが機能し、役に立つためです。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第26日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週3日)
実際上の一から、実行上の一に到達する
エペソ4:3
平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努めなさい。
エペソ4:13
ついにわたしたちすべては、その信仰の一に、また神の御子を知る全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達するのです。
「最終的に、キリストのからだのすべての肢体は、「その信仰の一に、また神の御子を知る全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し」ます(エペソ4:13)。3節のその霊の一は、実際上の神聖な命の一です。13節の一は、実行上のわたしたちの生活の中の一です」。
主よ、わたしたちは今、その霊の一、実際上の神聖な命の一を与えられていることを感謝します。さらに、わたしたちが実際上の一から前進して、実行上の一に到達することができるようにしてください。
実行上のわたしたちの生活の中の一に到達する
エペソ人への手紙第4章3節のその霊の一は、実際上の神聖な命の一です。13節の一は、実行上のわたしたちの生活の中の一です。わたしたちはすでに実際上の神聖な命の一を持っています。わたしたちはそれを保つ必要があるだけです。しかし、わたしたちは、実行上の生活の一に到達するまで、前進する必要があります。・・・・・・
実際の一と実行の一の間には距離があります。こういうわけで、実行の一に「到達」する必要があります。その霊の一は開始ですが、その信仰の一、また神の御子を知る全き知識の一は目的地です。これは、・・・・・・ わたしたちは実際の一から行程を行き、実行の一に到達しなければならないということです。(エペソ人への手紙ライフスタディ(2)、第43編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第25日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週2日)
聖徒たちの機能を引き出し、その務めの働きを行なわせる
Ⅰコリント12:28
こうして神が召会の中に立てられたのは、第一に使徒、第二に預言者、第三に教える者、次に力あるわざを行なう者、次にいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、各種の異言を語る者です。
使徒13:1
さて、アンテオケの地に在る召会には、……預言者たちと教える者たちがいた。
「賜物のある人たちは、組み合わせの中で共に結合されて、召会の中の聖徒たちを成就して、聖徒たちの機能を引き出し、各自にその務めの働きを行なわせます(エペソ4:12)。賜物のある人たちが成就することによって、すべての聖徒はその務めの働きを行ない、その結果、キリストのからだが建造されます(エペソ4:12, 16)」。
主よ、わたしたちに与えられた機能が引き出されて、その務めの働きをすることができますように。主よ、召会の中で、わたしたちを成就してください。
諸地方召会の中で聖徒たちが成就される
召会の内在的な建造は、かしらが与えた賜物(使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者たち)が聖徒たちを成就することによります(エペソ4:11-12)。これらは、パウロ、ペテロ、マルチン・ルター、ジョン・ネルソン・ダービーなどの特別な賜物です。これらのかしらが与えた賜物は、諸地方召会の中で聖徒たちを成就します(Ⅰコリント12:28、使徒13:1)。彼らが集会の中で成就しているとき、キリストのからだの肢体に水を注いでいるのです(Ⅰコリント3:6後半)。わたしたちはこれらの集会に来るなら、多くの水注ぎを受けます。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第24日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第3週1日)
聖徒たちが成就されて、キリストのからだを建造する
エペソ4:11-12
そして彼ご自身は、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧する者また教える者として与えられました.それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり。
「召会の内在的な建造は、キリストのからだのすべての成就された肢体を通してなされます(エペソ4:11-16)。昇天したかしらであるキリストが与えた賜物(使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者)は、諸地方召会の中で聖徒たちを成就するためです(エペソ4:11-12.Ⅰコリント12:28.使徒13:1)。
主よ、わたしたちがキリストを供給されて、成就されますように。キリストのからだ、召会を建造することができますように。新約エコノミーにおける唯一の務めを感謝します。
成就された聖徒たちが直接、召会を建造する
召会が内在的に建造されるために、昇天したかしらは第一に賜物を与えなければなりません。第二に、かしらが与えた賜物、すなわち使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者が聖徒たちを成就します。次に、成就された聖徒たちが直接からだを建造します。
エペソ人への手紙第4章が啓示しているのは、かしらであるキリストは、聖徒たちを賜物とすることによって、またキリストのからだの建造のためにこれらの賜物を召会に与えることによって召会を建造するということです。このことは、かしらが直接、召会を建造するのではないことを見せています。さらに、・・・・・・ 他の人たちを成就する賜物のある人たちも、直接召会を建造するのではありません。彼らは聖徒たちを成就し、そして聖徒たちが直接建造の働きを行ないます。主の回復にいるわたしたちの多くは、水注ぎ、成就の下におり、長年にわたってわたしたちの地方において直接、召会を建造することができました。成就された聖徒たちは直接、召会を建造する者たちです。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第22日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週6日)
キリストの増し加わりとしての花嫁
ヨハネ3:6
肉から生まれるのは肉であり、その霊から生まれるのは霊である。
ヨハネ6:63
命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である。
「キリストの増し加わりとしての花嫁は、キリストご自身です。なぜなら、キリストのからだ、すなわち、「あのキリスト」(Ⅰコリント12:12、直訳)は、団体のキリストであって、かしらとしてのキリストと、彼のからだとしての召会(肢体としてのすべての信者を伴う)とから構成されているからです」。
主よ、あなたが語られる言葉は霊であり命であることを感謝します。 主よ、わたしたちがその霊を受けて、その霊で満たされて、キリストの増し加わりである花嫁となることができますように。
わたしたちが無限のキリストの宇宙的な増し加わりになる
ヨハネによる福音書第3章30節は、キリストの増し加わりについて語っています。この増し加わりは、キリストの繁殖と複製です。わたしたちの存在の再生された部分は、キリストの複製、繁殖であることを知るのは重要です。キリストのこの増し加わりが、キリストの花嫁です。・・・・・・わたしたちの存在の再生された部分、わたしたちの再生された霊だけが、キリストの増し加わりです。(ヨハネの文書における幕屋とささげ物の成就、第11章)
わたしたちが無限のキリストの宇宙的な増し加わりになる唯一の方法は、その霊を受けて、その霊で満たされることです。その霊を持てば持つほど、ますますわたしたちはキリストの増し加わりになるでしょう。この増し加わりはわたしたちの再生で始まり、わたしたちが計り知れない霊で満たされることで究極的に完成します。(ヨハネの文書における幕屋とささげ物の成就、第12-13章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第21日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週5日)
花嫁を持つ者は花婿である
ヨハネ3:29-30
花嫁を持つ者は花婿である.……彼は必ず増し加わるが、わたしは必ず減少する」。
ヨハネ3:34
神が遣わされた方は神の言葉を語る.彼はその霊を限りなく与えられるからである。
「召会の有機的な増し加わりは、キリストが彼の花嫁としての彼の有機的なからだの中で増し加わることです(ヨハネ3:29-30前半)。キリストの豊満は彼のからだです。そしてキリストのからだは、彼の配偶者、彼の花嫁です(エペソ4:12-13, 16.5:25-27)」。
キリストは花婿であり、わたしたち召会はキリストの花嫁です。キリストが増し加わり、自分が減少しますように。主よ、あなたの言葉がわたしたちの中で、霊となり、命となって増し加わりますように。
花嫁は、キリストの増し加わり拡大です
再生によって生み出され、花婿としてのキリストによってめとられる花嫁は、キリストの増し加わり、拡大です。(それゆえに、キリストの増し加わりとしての花嫁はキリストご自身でもあり、それは、コリント人への第一の手紙第12章12節が、キリストのからだはキリストでもあると言っているようにです)。
キリストはその霊を限りなく与え、また無限の方として、彼の信者たちに永遠の命(無制限の命)を与えられます(ヨハネ3:29-30、34、36)。・・・・・・キリストは贖われた罪人を再生することによって増し加わり、彼らをキリストの花嫁、妻とならせます。この花嫁はキリストの増し加わりです。(ヨハネによる福音書の結晶の学び、第5章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第20日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週4日)
キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達する
エペソ4:13
ついにわたしたちすべては、その信仰の一に、また神の御子を知る全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達するのです。
「キリストの豊満、すなわち、キリストのからだには、身の丈があります(エペソ4:13.1:23)。わたしたちは前に向かって追い求める必要があり、ついにはわたしたちすべてがキリストの豊満の身の丈の度量に到達します。これがわたしたちの目標です。わたしたちは勤勉にこの目標に向かって追い求めなければならず、ついにはわたしたちすべてが共にこの目標に到達します(ピリピ3:12-14)」。
主よ、わたしたちの中でキリストが成長し、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達することができますように。このために、わたしたちが目標に向かって追い求めることができますように。
完全に成長した人に到達する
エペソ人への手紙第1章は、キリストのからだはキリストの豊満であることを啓示し、第4章は、キリストの豊満には身の丈があることを啓示します。ですから、キリストの豊満の身の丈は、キリストのからだの身の丈です。エペソ人への手紙第4章13節でパウロは、キリストの豊満の身の丈だけでなく、身の丈の度量についても語っています。キリストのからだとして、召会には身の丈があります。この身の丈は成長するので、第4章13節はその度量について語ります。この度量が完全に成長した人です。
多くの信者たちの中で、キリストの豊満の身の丈はあまり成長していません。・・・・・・しかしキリストが彼らの中で成長される時、彼らは、徐々に増し加わって、キリストの豊満の身の丈の度量へと至ります。わたしたちは前進して、ついにわたしたちすべては、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達する必要があります。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第19日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週3日)
召会は、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です
エペソ1:23
この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。
「召会は成長して、ついには円熟、すなわち「キリストの豊満の身の丈の度量」にまで到達します(エペソ4:13)。わたしたちはキリストの豊富を享受することを通して(エペソ3:8)、彼の豊満となって、彼の完全な表現となります」。
主よ、わたしたちにキリストの豊富を享受させてください。そして、成長してキリストの豊満となり、キリストを表現することができますように。
キリストの豊富を享受して、キリストの豊満となる
からだは、単なる一群れの召し出された者たちの構成体ではありません。からだは、キリストの豊満です。からだは、キリストの表現であるだけでなく、またキリストの豊満です。この豊満は、どのようにして存在するようになるのでしょうか? それは、あなたがキリストの豊富をあなたの中へと受け入れて、それがあなたによって享受され、吸収されて、あなたにさえなることによってです。このことを、魚、鶏肉、パンを食べることと比較してもよいでしょう。約五、六時間後、それらはあなたの中へと消化されて、あなたになります。その時、あなたは豊満になります。
わたしは台湾の豊富をとてもたくさん食べてきました。そしてこの豊富はわたしの中へと吸収されて、わたしになりました。ですから、今、わたしは命と活力に満ちてここに立つことができます。これが豊満です。召会はキリストの豊満です。
宇宙的なキリスト、すべてのものを満たすキリスト、天と地の両方におられるキリストは、彼の豊満となるからだを必要とします。(リー全集、1977年、第3巻(下)、「一つからだ、一つ霊、一人の新しい人、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第18日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週2日)
キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせる
コロサイ3:16
知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ、詩と詩歌と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みをもって、心から神に向かって歌いなさい。
「神がわたしたちの中でどれだけ増し加わるかは、わたしたちがどれだけの場所を神に与えて増し加わっていただくかにかかっています(エペソ3:17前半.コロサイ3:16)。わたしたちが神にわたしたちの中の場所を与えるとき、神はわたしたちの中で拡大し、拡増します。この拡増が、わたしたちの中での神の増し加わりです」。
わたしたちの中での神の増し加わり
神の増し加わりは、わたしたちの内側におけるものであり、神がわたしたちの中でどれだけ増し加わるかは、わたしたちがどれだけの場所を神に与えて増し加わっていただくかにかかっています。 わたしたちはこの世に満ち、自己に満ち、自分自身の関心事に満ちているかもしれませんが、聖書を読むことによって、少しずつ聖書の言葉は、わたしたちのこの世的なものの一部、自分自身の関心事の一部、神ご自身以上に物事を愛するわたしたちの愛の一部を取り除きます。
そのとき、わたしたちの内側でさらに多くの場所を神に与えます。神はこの場所を得て、わたしたちの中で拡大し、拡増します。この拡増が、わたしたちの中での神の増し加わりです。神の増し加わりは、わたしたちの成長となります。なぜなら、わたしたちと神とは一であるからです。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第2章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第17日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第2週1日)
神の増し加わりによって成長する
コロサイ2:19
かしらに結び付いていないのです.この方から、からだ全体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。
「召会の内在的な成長、有機的な成長は、神聖な命における成長です。この命は、手順を経た、分与する三一の神です(エペソ4:15-16.3:16-17.Ⅱコリント13:14)。からだがかしらに結び付くことによって供給されるとき、からだは神の増し加わりによって成長します(コロサイ2:19)」。
主よ、わたしたちがいつもかしらに結び付いて、かしらから供給されますように。 主よ、わたしたちが神の増し加わりによって、成長することができますように。
かしらに結び付くことによって、供給されて成長する
命における真の成長は、神の増し加わりによって成長すること、すなわち、神が増加することによって、神が加えられることによって成長することです。ご自身において、神は増し加わることはできませんし、増し加わる必要はありません。神は永遠で、完全で、全体的です。しかしながら、神はわたしたちの中で増し加わる必要があります。わたしたちはみな内側でさらに多くの増加、加えることを必要とします。わたしたちは神の増し加わりによって成長する必要があります。すなわち、わたしたちは神にわたしたちの中で増加し、成長していただく必要があります。
神はあらゆる点で豊かです。神は栄光において、またすべての神聖な属性において豊かです。神は、愛、慈愛、あわれみ、光、命、力、強さにおいて豊かです。・・・・・・今やこのように豊かな神が、ご自身をわたしたちの中へと加えています。・・・・・・神は実際で、豊かで、実質的であり、わたしたちは彼を吸収する必要があります。・・・・・・神がわたしたちの中へと加えられれば加えられるほど、神はますますわたしたちを成長させます。これが、神が人を成長させる道です。(新約の結論(21)、メッセージ356)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第15日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週6日)
議論、高ぶり、思想などの要塞を破壊する
Ⅱコリント10:4-5
わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前に力があって、要塞をも破壊し、神の知識に逆らい立っている議論や、あらゆる高ぶりを破壊し、あらゆる思想をとりこにして、キリストに対して従順にならせます。
「わたしたちと主との間の愛は、わたしたちの思想にかかっています。キリストを命として享受することを妨げる人の思想(思い)の病状は、第一に思いをかたくなにすること(Ⅱコリント3:14)、第二にサタンによってくらまされていること(4:4)、第三に反逆すること(10:4-5)、第四に腐敗することです(11:3)」。
主よ、わたしをあわれんでください。わたしには自分の思想を対処する方法がありません。主よ、わたしの思想を探り、わたしの思想を救い、引き寄せ、あなたに集中することができるようにしてください。
反逆的な思想が征服されて、キリストに従順になる
わたしたちが主を愛する清純な処女になりたいなら、わたしたちの思想には何の混合も含まれていてはなりません。この要求は厳しいのです。わたしたちの思想は純粋でなければなりません。ひとたびわたしたちの思想が純粋になるなら、わたしたちのかたくなにされた思想は柔らかくされ、くらまされた思想は明らかにされ、わたしたちの反逆的な思想は征服されます。…… くらまされた思想は、かたくなにされた思想から来ますし、かたくなにされた思想は反逆的な思想から来ますし、反逆的な思想は不純な思想から来ます。
ローマ人への手紙第8章6節は、わたしたちは自分の思いを霊に付けるべきであると言います。わたしたちの思想が救われるために、わたしたちの思想は向きを変えられ、集中させられ、きよめられ、正しい路線上になければなりません。(リー全集、1967年、第1巻(上)、「キリストを聖徒たちの分け前として経験する」、第13編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第14日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週5日)
心を主に向けて、命の道にとどまる
Ⅱコリント11:2-3
わたしは神のねたみをもって、あなたがたをねたんでいます.なぜなら、あなたがたを清純な処女としてキリストにささげるために、一人の夫に婚約させたからです。
「わたしたちは絶えずわたしたちの霊を訓練し(Ⅰテモテ4:7)、わたしたちの心を主に向けて(Ⅱコリント3:16-18)、召会の有機的な存在のために、召会の内在的な本質の実際にある、命の道にとどまらなければなりません」。
主よ、わたしたちの心をいつもあなたに引き寄せてください。一心にあなたを愛することができますように。
主を愛することに関して、目を覚ましている
わたしたちは自分たちの愛に関して目を覚ましている必要があります。……わたしたちと主との間の愛は、わたしたちの思想にかかっています。それは、夫と妻の間の愛が、互いに正常な思想を持つことにかかっているのと同じです。・・・・・
主に対するわたしたちの思いもまた正常であるべきです。わたしたちの思いは守られなければならず、腐敗させられてはなりません。コリント人への第二の手紙によれば、わたしたちの思想の第一の病状は、わたしたちがかたくなになることです。…… ある人が主以外の何かに関して強い思いを持つとき、彼の思いはかたくなになる可能性があります。ひとたび人が思いにおいてかたくなになるなら、彼と主との間におおいがあるようになって、彼は主を知ることができなくなります。…… [思い]が柔らかくなるために、主のあわれみを必要とします。(リー全集、1967年、第1巻(上)、「キリストを聖徒たちの分け前として経験する」、第13編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第13日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週4日)
召会の宇宙的な面と地方的な面
Ⅰコリント12:28
こうして神が召会の中に立てられたのは、第一に使徒、第二に預言者、第三に教える者、次に力あるわざを行なう者、次にいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、各種の異言を語る者です。
「Ⅰコリント第12章28節でパウロは、使徒(彼らは宇宙的です)、預言者と教える者(彼らは宇宙的であり、また地方的です)、執事と長老(彼らは地方的です)をみな一緒にしています。これが意味するのは、この節の「召会」という言葉が、宇宙召会とすべての地方召会を暗示しているということです」。
召会には、宇宙的な面と地方的な面があります。今、わたしたちは、宇宙的な召会の表現である地方召会の中にいることを感謝します。このビジョンと供給にあずからせてくださいますように。
三一の神は一であり、彼は召会の本質そのものです
第一に、神は機能において宇宙的である使徒を置かれました[Ⅰコリント12:28]。第二に、神は預言者を置かれました。彼は機能において単に宇宙的ではありません。なぜなら預言者は、アンテオケに在る召会の一部分であったからです(使徒13:1)。第三に、彼は教える者たちを置かれました。彼らも地方的にアンテオケにありました(1節)。「助ける者」は、奉仕する者、執事を指しており、彼らは地方召会の聖徒たちを助けます。「治める者」は、地方召会の長老たちの管理を指しています[Ⅰコリント12:28]。…… パウロは、使徒(彼らは宇宙的です)、預言者と教える者(彼らは宇宙的であり、また地方的です)、執事と長老(彼らは地方的です)をみな一緒にしています。
神の目に、宇宙召会とすべての地方召会はただ「召会(the church)」です。手順を経て、今や分与する三一の神は一であり、彼は召会の本質そのものです。ですから、この召会は、その宇宙的な面でも地方的な面でも、一つの召会です。・・・・・ すべての召会は、手順を経て分与する三一の神の、唯一の、一つの有機体です。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第1章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第12日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週3日)
ぶどうの木であるキリストの中に住む
ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわたしの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実を結ぶ.わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。
「わたしたちは召会の有機的な存在を見て、経験する必要があります(エペソ1:17)。召会が宇宙に存在するのは、神の一つの宇宙召会としてであり、神の宇宙的な表現、すなわち神の豊満のためです(Ⅰコリント10:32.12:28.エペソ3:19後半)。召会は地上で多くの地方に広がっていき、多くの地方召会となり、地方における彼の表現となります(啓1:4, 11)」。
主よ、あなたはぶどうの木であり、わたしたちはその枝です。ですから、わたしたちがいつも、あなたの中に住んでいることができますように。そして、多くの実を結ぶことができますように。あなたから離れては、わたしたちは何もすることができないのです。
まことのぶどうの木は、三一の神の有機体です
キリストの多くの兄弟たちは、宇宙におけるまことのぶどうの木であるキリストの中へと接ぎ木された多くの枝であり、多くの実を結び、彼の開展における拡大となります。それは、彼らが三一の神を、彼の有機体として表現するためです(ヨハネ15:1,5,16,8)。この宇宙的なぶどうの木は、わたしたちの本質です。神はわたしたちの本質であり、キリストはわたしたちの本質であり、ぶどうの木もわたしたちの本質です。ぶどうの木はその枝々、すなわちキリストの内在的で有機的な開展を伴って、キリストの拡大となります。……
わたしがその一部分であるぶどうの木は大きく、全地に広がっています。これは真の偉大なぶどうの木であって、それが召会の本質です。まことのぶどうの木の枝として、わたしたちはキリストの増殖、キリストの複製、キリストの開展、キリストの拡大です。この増殖、複製、開展、拡大、枝々を伴ったまことのぶどうの木は、三一の神の有機体です。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第1章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第11日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週2日)
キリストの花嫁は、彼の増し加わりです
創2:22
こうして、エホバ・神は、その人から取ったあばら骨を一人の女に建造し、彼女をその人の所に連れて来られた。
ヨハネ1:12
しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた。
わたしたちは再生されるとき、神の子供たちとされ、花婿であるキリストの花嫁とされ、彼の増し加わりとなります。それは、アダムの配偶者としてのエバによって予表されます(ヨハネ1:12-13.3:29-30.創2:21-23)。
召会は、わたしたち神から生まれた子どもたちから成っています。また、召会はキリストの花嫁です。ハレルヤ! 召会の内在的な本質は、肉体と成り、十字架につけられ、復活したキリストです。主よ、わたしたちがその実際を経験することができますように。
召会の内在的な本質は、復活したキリストです
召会はキリストの花嫁です。そして予表によれば、この花嫁は、アダムの配偶者であったエバによって予表されています。エバはまずアダムの一部分でした。アダムが眠っている間に、神は彼の脇を開いて、あばら骨を取り出されました。それから神はそのあばら骨をエバという名の女に建造し、アダムの所に連れて来て彼の配偶者とされました(創2:21-23)。…… 彼はエバを見た時、宣言しました、「今度こそ、これがわたしの骨の骨、わたしの肉の肉である」(創2:23)。エバは召会の絵です。
召会はキリストの一部分として、キリストから出て来ました。召会の内在的な本質は、肉体と成り、十字架につけられ、復活したキリストです。彼が召会の本質であるのは、召会が彼の一部分であったからです。召会は神から生まれた子供たちから成っているだけでなく、召会はまたキリストの花嫁、配偶者、キリストの増し加わりとしてのキリストの一部分でもあります。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第1章
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第10日
(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(1) 第1週1日)
召会の内在的な本質は、神聖な命です
Ⅰヨハネ1:2
この命が現れました.わたしたちはこの永遠の命を見たので、あなたがたに証しをし、また伝えています.この永遠の命は御父と共にいましたが、わたしたちに現れたのです。
「召会の内在的な本質は神聖な命、不朽の命です。この命は、手順を経た三一の神がわたしたちの中へと分与したものであり、そして今もわたしたちの中へと分与しつつあるものです。この神聖な命は、実は手順を経て、今や分与する三一の神です(ヨハネ14:6.10:10後半.Ⅰコリント15:45後半.ローマ8:2, 10, 6, 11.Ⅱコリント5:4)」。
主よ、わたしたちは神聖な命によって再生されたことを感謝します。手順を経た三一の神の分与を感謝します。召会の内在的な本質、成長、建造、交わりを見ることができますように。
神聖な命、手順を経た三一の神の分与
クリスチャンの間の問題を解決するために、わたしたちは召会の内在的な事柄に来なければなりません。すなわち第一に、内在的な本質、第二に、内在的な成長、第三に、内在的な建造、第四に、内在的な交わりです。
召会の内在的な本質は神聖な命であり、手順を経た三一の神が分与したものであり、そして今もわたしたちの中へと分与しつつあるものです。神聖な命は、その霊がわたしたちの霊の中で再生することによって、わたしたちを生みます。神聖な霊は人の霊を生みます(ヨハネ3:3、5-6)。この二つ霊がミングリングされて一になっているとは、何とすばらしいことでしょう(Ⅰコリント6:17)!……その霊はわたしたちの霊とミングリングされて一つ霊となっています。その霊は人と一になり、この再生された人は神と一になっています。これはすばらしくないでしょうか?(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第1章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第8日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週6日)
真理に対する従順によって、偽りのない兄弟愛へと至る
Ⅰペテロ1:22
あなたがたは真理に対する従順によって、自分の魂をきよめて、偽りのない兄弟愛へと至ったのですから、純粋な心から互いに熱く愛し合いなさい。
ヨハネ17:17
彼らを真理の中で聖別してください.あなたの言は真理です。
「真理の道を取ることは、真理に従順になることによって、わたしたちの魂をきよめることです。これは聖別する真理であり、神の実際の言葉です(Ⅰペテロ1:22.ヨハネ17:17)。真理に従順になることによって、わたしたちの魂をきよめることは、わたしたちが神を愛するようにします(マルコ12:30)」。
主よ、わたしたちが 真理に対して従順になりますように。主よ、わたしたちを真理の中で聖別してください。そして、偽りのない兄弟愛へと至ることができますように。
真理の道を取ることは、兄弟愛へと至る
ペテロの第一の手紙第1章22節のペテロの言葉によれば、わたしたちは真理に対する従順によって自分の魂をきよめます。ここでペテロは単に愛だけでなく、兄弟愛だけでもなく、偽りのない兄弟愛について語ります。ですから、この一つの節でペテロはわたしたちの魂のきよめ、真理に対する従順、偽りのない兄弟愛を扱います。そして彼はさらに進んで、互いに心から熱く愛し合うよう促します。(ペテロの第一の手紙ライフスタディ、メッセージ14)
22節でペテロは、わたしたちは真理に対する従順によって、自分の魂をきよめて、偽りのない兄弟愛へと至ると言います。わたしたちの魂のきよめは、わたしたちの全存在を神に集中して、心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして彼を愛することであるので(マルコ12:30)、それは偽りのない兄弟愛という結果になります。わたしたちは、神が愛されるすべての人を、心から熱く愛します。まず、神の再生は聖なる生活という結果になります。次に、彼の聖別(きよめ)は兄弟愛という結果になります。(ペテロの第一の手紙ライフスタディ、メッセージ14)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第7日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週5日)
神のエコノミーにしたがった真理の道
ヨハネ14:20
その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。
Ⅱペテロ2:2
……多くの者は彼らの淫蕩に倣い、真理の道は彼らのゆえにののしられます。
「真理の道は、真理にしたがったクリスチャン生活の進路です。この真理は新約の内容の実際です(Ⅱペテロ2:2)。真理の道は真っすぐな道です。真理の道は義の道です。義の道を取ることは、神と人に対して正しい生活、神の義にしたがって、神の義の王国のために、神の統治上の裁きを受け入れることができる生活をすることです(Ⅱペテロ2:21,9.マタイ5:20.ローマ14:17)」。
主よ、わたしたちを放縦やむなしさから救ってください。神の義と真理の真っすぐな道を取ることができますように。また、「この道」にある分与と享受によって歩むことができますように。
真理の道は、神の新約エコノミーにおける主の完全な救いです
ペテロはこの第二の手紙で、生活様式と生活の方法の両方を強調します。なぜなら彼の手紙は、神の行政の統治上の観点に基づいているからです。聖と義である神の統治にふさわしくあるため、彼の民は、放縦やむなしさではなく、神の義と真理の真っすぐな道の中で、聖くて、純粋で、善良で、卓越した生活様式の中で生きる必要があります。(ペテロの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ9、10)
真理の道は「この道」であり、神の新約エコノミーにおける主の完全な救いを意味します(使徒9:2)。それは、神がキリストの贖いとその霊の油塗りを通して、ご自身を信者たちの中に分与する道です(エペソ1:7.Ⅰヨハネ2:27)。それは、信者たちが神にあずかり、神を享受する道です(Ⅱペテロ1:4)。それは、信者たちが神を享受することによって霊の中で彼を礼拝し、迫害されたイエスと一になることによって彼に従う道です(ヨハネ4:24.ヘブル13:12-13)。それは、信者たちが召会の中にもたらされ、キリストのからだの中へと建造されて、イエスの証しを担う道です(Ⅰコリント1:2.12:27.啓1:2)。(ペテロの第二の手紙 結晶の学び アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第6日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週4日)
神の御言の中に啓示された、さらに深い真理の六項目
啓22:17
その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」。
エペソ1:23
この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。
「神の御言の中に啓示された、さらに深い真理は以下のものを含みます。
① 神の永遠のエコノミーに関する啓示(エペソ1:10.3:9)。
② 神聖な三一に関する啓示(Ⅱコリント13:14.啓1:4-5)。
③ すべてを含むキリストのパースンと働きに関する啓示(コロサイ2:9, 16-17.3:11)。
④ 究極的に完成された命を与える霊に関する啓示(ヨハネ7:39.Ⅰコリント15:45後半.啓22:17)。
⑤ 神の永遠の命に関する啓示(ヨハネ3:15-16)」。
⑥キリストのからだ、すなわち神の召会に関する啓示(エペソ1:22-23.Ⅰコリント12:12-13, 27.10:32)。
主よ、これらの深い真理を啓示してください。わたしたちの召会生活の中で経験し享受することができますように。
神聖な啓示における第三から第六の主要な項目
神聖な啓示における第三の主要な項目は、すべてを含むキリストのパースンと働きに関してです(エペソ1:23)。このすべてを含むキリストは、万物の上の第一位である方、すべての中ですべてを満たしている方として、神のエコノミーの中心また円周です。
第四の主要な項目は、究極的に完成された命を与える霊に関してです(Ⅰコリント15:45後半.ヨハネ7:39.啓22:17)。その霊は手順を経過して、究極的に完成された霊と成られました。第一に、複合の霊(出エジプト記30:23-25)、第二に、命を与える霊(Ⅰコリント15:45)、第三に、七つの霊、すなわち、七倍に強化された霊と成りました(啓1:4.4:5.5:6)。
第五の主要な項目は、神の永遠の命に関してです(ヨハネ3:15-16)。わたしたちはこの永遠の命を神から、神の御子、イエス・キリストを信じることを通して得ました。
第六の項目は、キリストのからだ、すなわち神の召会に関してです(エペソ1:22-23.Ⅰコリント10:32)。新約に見られる啓示と模範によれば、召会は、この世から召し出されたキリストにある信者たちの集まりです。この集まりは、一方で、生ける神の家であり(Ⅰテモテ3:15)、もう一方で、それはキリストの有機的なからだです(エペソ1:22-23)。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第5日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週3日)
真理のために戦う必要があります
Ⅰテモテ6:12
その信仰の良い戦いを戦いなさい.永遠の命を保持しなさい.あなたはすでに永遠の命へと召され、多くの証人の前で良い告白を表明したのです。
「多くの基本的な真理が、根本主義的と見られている信者たちによってさえ放棄されたので、主の回復にいるわたしたちは、真理のために戦う必要があります(Ⅰテモテ6:12, 20-21)」。今日、背教の時、わたしたちは神の純粋な御言の完全な啓示を証しし、神の御言の中に啓示された、さらに深い真理のために戦う必要があります」。
主よ、わたしたちに神の御言の中のさらに深い真理を啓示してください。主の回復にいるわたしたちは、この真理のために戦うことができますように。
聖書の神聖な啓示は六つの主要な項目を含んでいます
聖書の神聖な啓示は主の回復の内容です。この啓示は六つの主要な項目を含んでいます。第一の項目は、神の永遠のエコノミーに関してです(Ⅰテモテ1:4後半.エペソ1:10.3:9)。神のエコノミーは神のご計画です。このご計画のために、神は行政上の案配をされました。それは行政上の管理であり、ご自身を、手順を経て究極的に完成されたすべてを含む霊を通して、彼の選ばれ、再生され、聖別され、造り変えられた三部分から成る人たちの中に分与し、彼らが命と性質において神となることができ、しかも神格にあずかることはないということです。こうして、彼らはキリストのからだとして構成され、究極的に拡大され建造されて、神の永遠の団体の表現としての新エルサレムとなります。
神聖な啓示における第二の主要な項目は、神聖な三一に関してです(ヨハネ14:9-20.マタイ28:19.Ⅱコリント13:14.啓1:4-5)。神聖な三一の三者は同時同存し、相互内在しています。三者は区別されていますが、分離されることはできません。これはすべて、教理的な論争や研究のためではなく、わたしたちの経験と享受のためです(Ⅱコリント13:14)。神聖な三一は、神をご自身の選ばれた人々の中に分与し、彼らが彼の永遠のエコノミーを完成することです。(三一の神の究極的に完成された霊と信者たちの再生された霊との結合の結果、第6章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第4日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週2日)
「現にある真理」の中で堅固にされる
Ⅱペテロ1:12
こういうわけで、あなたがたはこれらの事柄を知っており、また現にある真理の中で堅固にされているのですが、わたしは常にこれらの事柄を、あなたがたに思い起こさせようとしているのです。
「現にある真理とは、信者たちと共にあって、彼らがすでに受け入れており、今、所有している真理です(Ⅱペテロ1:12)。わたしたちは現にある、最新の真理を知り、真理の絶対性を保持する必要があります(ヨハネ18:37)。
わたしたちは最後の時代にいます。主よ、わたしたちは一般的な真理を認識するだけでなく、最新の「現にある真理」を知り、真理の絶対性を保持することができますように。
今の時代に必要な最新の「現にある真理」を知る
「現にある真理」は「最新の真理」とも訳すことができます。「最新の真理」とは何でしょうか? あらゆる真理は聖書の中にありますが、人の愚かさ、不真実、過失、不従順によって、多くの真理が失われ、人から隠されています。時が満ちて、神はある時期になって、ある真理を解放し、それらをもう一度、新しく現されます。……
例えば、マルチン・ルターは十六世紀に神によって起こされました。神は彼の目を開いて、信仰による義認を見せました。この事実はルターの時代以前にもすでにありました。ルターはこの真理を最も良く知った人であり、この真理を最も良く認識したのです。こういうわけで、この真理はあの時代に「現にある真理」となったのです。
主の働き人はみな神の御前で、何が現にある真理であるのかと問う必要があります。聖書の中に多くの主要で重大な真理がありますが、わたしたちが知る必要があることは、神の現にある真理です。わたしたちは一般的な真理を認識するだけでなく、また神の現にある真理について明確でなければなりません。(ウオッチマン・ニー、「わたしたちは何であるのか?」)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第3日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第2週1日)
神聖な力は、すでに与えられている
Ⅱペテロ1:3 彼の神聖な力は、ご自身の栄光と美徳によって、わたしたちを召してくださった方を知る全き認識を通して、命と敬虔にかかわるすべての事柄を、わたしたちにすでに与えてくださっています。
「ペテロの第二の手紙は、この手紙が召会の堕落と背教の時に書かれたことを見せています。神の救いは、ご自身を三一の中で信者たちの中に分け与えて、彼らの命また命の供給とすることです。これは神のエコノミー、神のご計画です(Ⅱコリント13:14.エペソ1:10.3:9.Ⅰテモテ1:4)」。
主よ、召会の堕落と背教の時代の中で、わたしたちに与えられている神聖な力を感謝します。この豊富で神聖な備えをさらに経験することができますように。
豊富で神聖な備えによって、サタン的な背教に打ち勝つ
ペテロの第二の手紙第1章3節、・・・・ 第2章は、この手紙がテモテへの第二の手紙、ヨハネの第二、第三の手紙、ユダの手紙と同じように、召会の堕落と背教の時に書かれたことを示しています。ですから、背教が本書の背景です。著者の負担は信者たちに予防剤を注射して、背教の毒素に抵抗させることでした。神の救いは、ご自身を三一の中で信者たちの中に分け与えて、彼らの命また命の供給とすることです。これは神のエコノミー、神のご計画です。背教は信者たちを、困惑させる哲学という人の論理に導くことによって、神のエコノミーから逸らしました。……
この死の毒素に対して予防剤を注射するために、ペテロはまず神聖な力を、最強で最も効果的な抗毒剤として定めました。これは信者たちに、生み出し、供給する神聖な命(殺す知識ではない)と、神を表現する敬虔(人の知恵の見せびらかしではない)に関するすべてのものを備えます。この豊富で神聖な備えは、続く節からさらに詳細に扱われており(1:3-11)、信者たちが正当なクリスチャン生活を生き、サタン的な背教に打ち勝つことができるのに十分すぎるほどです。(ペテロの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ10、2)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り 第1日
(朝ごとの食物 ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週6日)
永遠の王国へと豊かに入る
Ⅱペテロ1:10-11
こういうわけで、兄弟たちよ、さらに勤勉になって、あなたがたの召しと選びを堅固なものとしなさい.・・・・ このようにして、あなたがたは豊かに、あふれるばかりに供給されて、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国へと入るのです。
「わたしたちが神聖な命と神聖な性質との発展において享受する満ちあふれる供給は(3-7節)、わたしたちをあふれるばかりに供給して、わたしたちの主の永遠の王国へと豊かに入らせます」。
主よ、わたしたちに神聖な命と神聖な性質との成長と発展を得させてください。わたしたちに豊かに、あふれるばかりに供給してください。そして、主の永遠の王国へと豊かに入ることができますように。
命の中で成長することを通して、王国へと入る
わたしたちの内側のキリストの成長は、わたしたちが王国へと入ることです。実は、この成長は王国の発展です。…… 王国へと入ることは、わたしたちの内側で神聖な命が発展する事柄です。わたしたちがこの命の豊かな発展を持つなら、この発展は神の王国へと豊かに入ることになるでしょう。
ペテロの第二の手紙第1章3節から11節で、どのように王国へと入ることが、わたしたちに豊かに、あふれるばかりに供給されるかを見ます。一見して、神の王国へと入るのはわたしたちです。実は、王国へと入ることは主によって、わたしたちが彼の命の中で成長することを通して、またこの命がわたしたちの内側で発展することを通して、わたしたちに供給されるのです。(マルコによる福音書ライフスタディ、第66編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)