朝ごとの食物

世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第6日~エレミヤと哀歌結晶の学び(1) 第1週第1日

 

8月の祈り 第31日

(朝ごとの食物 エレミヤと哀歌結晶の学び(1) 第1週 第1日)

 

主がわたしたちを遣わすすべての所へ行って、語ることができるように祈る

 

エレミヤ:7-8

エホバは彼に言われました、「自分が若者であると言ってはならない.まことに、わたしがあなたを遣わすすべての所へ、あなたは行って、あなたに命じるすべてのことを、あなたは語らなければならないからだ。彼らの顔を恐れてはならない.まことに、わたしはあなたと共にいて、あなたを救い出すからである」。

 

「エレミヤは祭司に生まれましたが、神によって召されて、イスラエルの国に対して預言者になっただけでなく、すべての諸国民に対しても預言者となりました。ですから、彼は祭司・預言者でした(エレミヤ1:1, 4-8)」。

 

 主よ、わたしたちも、あなたが遣わされる所へ行って、あなたの言葉を語ることができますように。わたしたちの福音が、主に祝福されますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

エレミヤは祭司として生まれ、預言者となる

 

 エレミヤは祭司として生まれましたが(エレミヤ1:1)、イスラエルの国に対して預言者となっただけでなく、すべての諸国民に対しても預言者となりました(エレミヤ1:5-8)。ですから、彼は祭司・預言者でした。

  エレミヤの預言の内容はこうです。すなわち、神が彼のエコノミーを完成することは、愛の中で、彼の優しい顧み、あわれみ、同情をもって彼の選民イスラエルを懲らしめ、彼の愛に符合する義の中で諸国民を裁いて、イスラエルが新創造とされ、神聖な命の内なる法則を持ち、また神を知るこの命の能力を持って(エレミヤ31:33-34)、彼らの神聖な義である(エレミヤ23:6.33:16)、彼らの中心性また普遍性としてのキリストを現すことを通してです。(エレミヤ1:5のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週 第6日)

 

わたしたちが神の言葉を語るように祈る

 

啓示録19:13

彼は血に浸された衣をまとっている.また、彼の名は神の言と呼ばれる。

 

啓示録19:15

彼の口からは鋭い剣が突き出ており、彼はそれをもって諸国民を打つのである……。

 

 「啓示録第19章で、天から下って来られた主イエスは戦いをする将軍として現れます。彼は白い馬に乗っており、彼の名は「神の言」と呼ばれます(啓19:11, 13)。今日わたしたちが語る神の言葉は主イエスです。最終的に、わたしたちが語り続けるとき、わたしたちの語ることは主イエスが出て来るようにさせます」。

 

 主よ、今日わたしたちが神の言を食べて消化し、神の言と一になり、神の言葉を語ることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

花嫁はまた、神の敵を打ち破る戦士である

 

 エペソ第5章25節から27節と第6章10節から20節で、わたしたちは、召会が花嫁と戦士であることを見ます。啓示録第19章にも、召会のこれら二つの面があります。キリストは彼の婚宴の日に、神の敵と長年戦ってきた者と結婚します。すなわち、キリストはすでに邪悪な者に打ち勝った勝利者と結婚します(啓19:7-9.Ⅰヨハネ2:14)。

 

 キリストは戦う将軍として、彼の軍隊である花嫁と共に来て、ハルマゲドンで反キリストと戦います(啓19:11-21)。キリストは彼の軍隊と共に来るとき、人の子として来ます(マタイ26:64.啓14:14)。彼は人の子として、彼に符合し、彼を完全にする配偶者を必要とします。この配偶者は彼の花嫁です(ヨハネ3:29)。主は言であり、彼の戦いは神の言を語ることです(啓19:13)。主は戦う時、神のために語り、神を表現します。ですから、ハルマゲドンでの主の戦いは、力強い語りかけです。

 

 婚宴の礼服(わたしたちの日常の義としてわたしたちから生かし出されるキリスト)は、わたしたちが婚宴に参加するように資格づけるだけでなく、軍隊に加わってハルマゲドンの戦いで、キリストと共に反キリストと戦うように資格づけます(マタイ22:11-12.啓19:7-8, 14)。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2)、第6週、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


 8月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週 第5日)

 

花嫁となり、また、神の敵を打ち破る戦士となることを祈る

 

雅歌6:4

わが愛する者よ、あなたは美しいことテルザのよう、愛すべきことエルサレムのよう、恐ろしいこと旗印を持った軍隊のようである。

 

エペソ6:10

最後に、主の中で、また彼の力強い大能の中で力づけられなさい。

 

 「キリストは彼の婚宴の日に、神の敵と長年戦ってきた者と結婚します。すなわち、キリストはすでに邪悪な者に打ち勝った勝利者と結婚します(啓19:7-9.Ⅰヨハネ2:14)」。

 

 主よ、わたしたちが主を愛し、花嫁として内側から輝く美しさを持ちますように。もう一方で、神の敵を打ち破る戦士ともなりますように。主のあわれみが豊かにありますように。

 

 

雅歌第6章4節の「旗印を持った軍隊」

 

 愛する方のこの賛美は、彼女が天の聖なる所また天のエルサレムとなることが、敵に対する彼女の勝利のゆえであることを示します。勝利者となってはじめて、わたしたちは幕の内側で生活することができます。

 勝利を得たキリストの愛する者は、神と一になって神の住まいとなるとき、神の目に美しいことテルザのようであり、愛すべきことエルサレムのようです。しかしながら、敵にとって、彼女は恐ろしいこと旗印を持った軍隊のようです。旗印は、戦う備えをすることを示し、また勝利が得られたしるしです。恐るべき軍隊は、主の勝利者が神の敵サタンを恐れさせ、また神の民の目に恐ろしくなることを表徴します。この軍隊は、神の民が堕落したときに神の王国のために戦い、主の召しに答える勝利者となります(啓2:7、11、17、26.3:5、12、21)。最終的に、勝利者は集団的に花嫁となり、キリストと結婚します(啓19:7-9)。婚礼の後、この花嫁は軍隊となって彼女の夫キリストに従って戦い、反キリストと彼のすべての追従者を打ち破ります(啓19:11-21)。(雅歌6:4のフットノート2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週 第4日)

 

聖くて傷のない栄光の召会がキリストにささげられるように祈る

 

エペソ5:27

またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。

 

エペソ3:17

またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.

 

 「召会の中へと造り込まれ、そして召会を通して表現されるキリストから、花嫁の美しさは出て来ます(エペソ3:17前半)」。

 

 主よ、聖くて傷のない栄光の召会となるために、さらに主を食べ飲みさせてください。そして、わたしたちの心の中に、ご自身のホームを造り、わたしたち召会から主が輝き出ますように。今日、恵みが豊かにありますように。

 

 

キリストの花嫁として愛と光の中を生きる

 

 勧告のこの区分で、使徒は召会のもう一つの面、すなわち花嫁の面を見せています。この面は、エバがアダムから出てきたように(創2:21-22)、召会はキリストから出てくること、召会はキリストと同じ命と性質を持つこと、エバがアダムと一つの肉体となったように(創2:24)、召会はキリストの配偶者として彼と一になることを啓示しています。召会が新しい人であるのは、恵みと実際の事柄ですが、召会がキリストの花嫁であるのは、愛と光の事柄です。第4章での使徒の勧告は、新しい人に焦点があり、それは恵みと実際をその基本的要素とします。この章での彼の勧告は、キリストの花嫁に焦点があり、それは愛と光をその基本的実質とします。わたしたちは、新しい人として恵みと実際の中を歩くべきであり、キリストの花嫁として愛と光の中を生きるべきです。(エペソ5:27のフットノート2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週第3日)

 

輝く清い細糸の亜麻布の衣を用意することができるように祈る

 

啓19:8

彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。

 

ピリピ3:9

そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、

 

 「主観的な義として聖徒たちから生かし出されたキリストが、彼らの婚宴の礼服となります(啓19:8)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主を食べ飲みし、主に感謝し主を賛美します。生活の中で、キリストにある信仰を通しての義を生かし出し、婚宴の礼服を用意することができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

啓示録第19章8節の「聖徒たちの義」

 

 あるいは、義なる行ない。ここの義(複数)は、わたしたちが救いのために受けた義(すなわちキリスト)ではありません(Ⅰコリント1:30)。わたしたちの救いのために受けた義は客観的であり、わたしたちが義なる神の要求を満たすことができるようにしますが、ここの勝利を得た聖徒たちの義は主観的であり(ピリピ3:9)、彼らが勝利を得たキリストの要求を満たすことができるようにします。詩篇第45篇13節から14節で、王妃は二枚の衣を着ています。一つは、わたしたちの救いのための客観的な義に相当し、もう一つは、わたしたちの勝利のための主観的な義に相当します。第二の衣は、マタイによる福音書第22章11節から12節の婚宴の服に等しいのです。(啓示録19章8節のフットノート2)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週第2日)

          

神聖な命において円熟するように祈る

 

ヘブル6:1

こういうわけで、キリストの初歩的な言を後にして、……円熟にもたらされようではありませんか……。

 

啓19:7

……小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。

 

 「わたしたちは成長し続けて、ついには神聖な命において円熟して、一人の完全に成長した人となり、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達する必要があります(エペソ4:13)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちが命において成長して、円熟することができますように。そして、花嫁の用意を整えることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

啓示録第19章における花嫁の用意

 

 [啓示録第19章7節]の 「彼の妻」は召会(エペソ5:24-25、31-32)、キリストの花嫁(ヨハネ3:29)のことです。しかし8節から9節によれば、妻、キリストの花嫁は、ここでは千年王国の間、勝利者たちだけから成っています。啓示録第21章2節の花嫁、妻は、千年王国の後、永遠にわたって、すべての救われた聖徒たちから成っています。花嫁の用意は勝利者の命の円熟にかかっています。さらに勝利者は、分離した個人ではなく、団体の花嫁です。この団体的な面のために、建造が必要です。勝利者は命が円熟しているだけでなく、一人の花嫁として共に建てられています。(啓示録19:7のフットノート2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第6週第1日)

 

すべての勝利者から成るキリストの花嫁を準備するように祈る

 

啓19:7

わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。

 

啓19:9

…「小羊の婚宴に招かれている者は幸いである……」。彼はまたわたしに言った、「これらは神の真実な言である」。

 

「主の回復は、すべての勝利者から成るキリストの花嫁を準備するためです(啓19:7-9.参照、創2:22.マタイ16:18)」。

 

 主よ、あなたはまもなく来られます。わたしたち召会がさらに主を愛して、花嫁の準備を整えることができますように。そして、神の王国がもたらされますように。主の恵みが今日、豊かにありますように。

 

 

小羊の婚姻のために、花嫁が用意を整える

 

 大多数の聖徒たちの携え上げ(14:16.Ⅰテサロニケ4:15-16)と、褒賞を与えるキリストの裁きの座での裁き(啓11:18.Ⅱコリント5:10)の後、すぐに続く出来事は小羊の婚姻であり、次に反キリストと大いなるバビロンの崩壊(啓19:19-21.18:1--19:4)であり、それらは神の支配――神の王国をもたらします(啓19:6)。ですから、救われた者の大群衆は、ハレルヤをもって歓喜し賛美します(啓19:1, 3, 6)。また二十四人の長老たちと四つの生き物が、彼らと共に神を賛美します(啓19:4)。

 神の支配、王国は、小羊の婚姻と関係があります。そして小羊の婚姻は、神の新約エコノミーの完成の結果です。神の新約エコノミーは、キリストの贖いと神聖な命を通して、キリストのために花嫁、召会を得ることです。全世紀を通して聖霊の不断の働きによって、この目標はこの時代の終わりに達成されます。その時、花嫁である勝利を得た信者たちは用意を整え、そして神の王国が来ます。これは、マタイによる福音書第26章29節の主の予言に相当します。(啓示録19:7のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第6日)

 

主の召しに答えて勝利者(バイタルな人)になることを祈る

 

詩119:88

あなたの慈愛にしたがって、わたしを生かしてください.わたしはあなたの口の証しを守ります。

 

歴代上12:32

イッサカルの子たちから、時を知っていて、イスラエルが何をなすべきかを知っている人々……。

 

 「聖書はバイタルな人について語っています。……勝利者はバイタルな人です。……バイタルな人、勝利者は、祈りの人です。あなたは真の祈りのために真の負担を持つ必要があります」。

 

 主よ、あなたとさらに親密な交わりを持たせてください。また兄弟姉妹とも親密な交わりを持つことができますように。そして、真の負担を持ち、バイタルな祈る人となることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

 「サルデスの死」と「ラオデキヤのなまぬるさ」と

「実を結ばない」ことに打ち勝つ

 

 今日、わたしたちにとって最も重大な事柄は、必死になって、サルデスの死に打ち勝ち、ラオデキヤのなまぬるさに打ち勝ち、ヨハネによる福音書第15章の主によって対処された実を結ばないことに打ち勝つことです。

 わたしたちは、主と緊密で、親密で、徹底的な交わりを持つ必要があり、また追い求める聖徒たちとも緊密で、親密で、徹底的な交わりを持つ必要があります。……わたしたちは共に労苦することのできる何人かの仲間を得る必要があります。聖書の実例によれば、ダニエルは三人の仲間を持っていました(ダニエル1:6)。 (世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、第5週第6日より)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第5日)

 

自分の日々を数えることを教えてくださるように祈る

 

ヨエル2:25

[エホバは言われた]……群がるいなご……が食べた年を、わたしはあなたがたに償い戻す。

 

詩篇90:12

わたしたちに自分の日々を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

 

詩篇84:10

まことに、あなたの外庭にいる一日は、よその千日にもまさります。

 

 「どうか主が、わたしたちの霊的感覚と霊的視力を訓練してくださいますように。…… 時間は常にありますが、機会は常にあるものではありません。機会は時間の中で現れます。時間は常にありますが、機会は、やって来ては去っていきます。ですから、わたしたちは機会を捕らえなければなりません」。

 

  主よ、わたしたちに自分の日々を数えることを教えてください。そして、知恵の心を得させてください。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

自分の神を知る者たちは、力を示して事を行なう

 

 ダニエル書第11章32節後半は言います、「自分の神を知る者たちは、力を示して事を行ないます」。これは、神の民が新しい地を開拓することを意味します。わたしたちは神のみこころを知れば知るほど、ますます機会をとらえるでしょう。神を知る人たちは、決して日ごとに習慣的に生きないでしょう(参照、申4:25とフットノート)。

 

 もしわたしたちの奉仕が神のみこころにしたがっているなら、一日は多くの日と等しくなるでしょう。しかし、神のみこころの外で過ごした日は勘定されません。神の王国の外で、神に雇われる人はいません(マタイ20:6-7)。ネブカデネザルは自分の働きに満足していました(ダニエル4:30, 37後半)。これはバビロンの原則です。

 

 しかしながら、主に感謝します。彼はわたしたちに慰めの言葉を与えてくださいました。それは、ヨエル書第2章25節の言葉です。いなごが食べた年は、わたしたちに償い戻されます。もしわたしたちが自分の日々を無駄にするなら、十年は一日と等しくなるでしょう。しかし、もしわたしたちが時を贖い取るなら、一日は十年と等しくなるでしょう。

 詩篇第84篇10節は言います、「あなたの外庭にいる一日は、よその千日にもまさります」。天の日々は、二十四時間で数えられません。神は日々を数える別の方法を持っています。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ5、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


 8月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第4日)

 

時を贖い取り、機会を捕らえるように祈る

 

エペソ5:15-16

ですから、あなたがたはどのように歩くか、よくよく注意しなさい.賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の日々は邪悪ですから、時を贖い取りなさい。

 

コロサイ4:5

外部の人々に対して知恵の中を歩き、時を贖い取りなさい。

 

 「ある日、わたしたちは主にまみえるでしょう。今わたしたちに満足を与えているわたしたちの生活の事柄を、わたしたちはおそらく悔いるでしょう。多くの時、わたしたちは神のみこころに達しておらず、愚かに振る舞ってきました」。

 

 わたしたちはこれまで、多くの機会を浪費してきました。今、わたしたちに時を贖い取らせ、機会を捕らえさせてください。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

時を贖い取りなさい

 

 すなわち、あらゆる好機会を捕らえる。これは、わたしたちの歩みの中で賢くあることです(エペソ5:15)。この悪い時代では(ガラテヤ1:4)、毎日が邪悪な日であり、邪悪な事柄に満ちていて、わたしたちの時を無効にし、縮減し、奪い去ります。ですから、わたしたちは賢く歩いて、時を贖い取り、利用し得るあらゆる機会を捕らえなければなりません。(エペソ5:16のフットノート1, 2 )

 

主のみこころを理解する

 

 主のみこころを理解することは、わたしたちの時を贖い取る最上の道です(エペソ5:16)。わたしたちの時の大部分は、主のみこころを知らないために、浪費されています。(エペソ5:17のフットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第3日)

 

神の言を通して神の願いへと結び付き、そして祈る

 

ダニエル9:2-3

……彼の統治の第一年に、わたし、ダニエルは、預言者エレミヤに臨んだエホバの言葉、すなわち文書によって、エルサレムの荒廃の満了の年数は、七十年であることを理解した。そこで、わたしは顔を主なる神に向けて求め、断食と荒布と灰をもって祈り、また嘆願した。

 

 ダニエル書第6章の中心は、神のエコノミーを遂行するための人の祈りです。人の祈りはレールのようなものであり、神の行動が前進するための道を整えます。祈りによる以外に、神のエコノミーを満たし、成就させる道はありません。これはこの章の内なる秘訣です。

 

 主よ、わたしたちもダニエルのように、御言葉を通して神の願いに触れて、祈ることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

イスラエルの捕囚が七十年であることを理解して祈る

 

 エレミヤ第25章11節から12節と第29章10節から14節の予言は、残された者[レムナント]がエルサレムに帰還する前の、イスラエルの捕囚の七十年に関してであり(歴代下36:21-23)、この予言に対するダニエルの理解は、この章でダニエルに与えられた七十週のビジョンの原因でした。(ダニエル9:2のフットノート1)

 

 ダニエルはバビロンで捕囚の中にいました(ダニエル9:1-2)。彼の心は完全に神と神の民、神の宮、地上での神の王国のための聖なる都の上に置かれていました(2節後半-19節)。彼は霊の中にいて、神への祈りと嘆願で占有されていました(20-23節)。こうして、彼は正しい立場と角度を持って、啓示を受け、神からのビジョンを見たのです(参照、啓1:9のフットノート3、10節のフットノート1、12節のフットノート1)。(ダニエル9:3のフットノート1)  

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第2日)

 

ナジル人としての自発的な献身のために祈る

 

ダニエル1:8

ところが、ダニエルは王のえり抜きの食物や王が飲むぶどう酒で自分を汚すまいと心に定めたので、宦官の長に、自分を汚させないようにと求めた。

 

 「ダニエルは仲間を持っており、彼らと共に彼は神に対して絶対的に献身しており、またサタンに従う時代から神へと分離されていました(ダニエル1:4-8.5:12, 22.6:10)」。

 

 わたしたちがナジル人として自発的で絶対的な献身をして、徹底的に神へと聖別されますように。そして、神の目に尊ばれる人となり、時代を転換させることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

ダニエルと彼の仲間たちのような勝利者

 

 ダニエルは反抗して戦い、悪魔の誘惑を大胆に拒絶しました(ダニエル1:8-13)。神はダニエルの戦いを尊重し(14-20節)、ダニエルと彼の仲間たちは神の失敗した選民の残された者[レムナント]の間で勝利者となりました。神の選民がバビロンに捕囚にされたゆえに、一見して神は地上での権益に対して敗北したかのようです。実は、神は若い勝利者たちを通して、彼に対する礼拝と彼の証しを守りました。選民は失敗しましたが、若い勝利者たちは勝利を得ました。彼らの勝利は神の勝利でした。この勝利のゆえに、神はサタンに対して、バビロンの中で神はなおも、サタンの策略に勝利を得た何人かの勝利者を持っていると、誇ることができました。最終的に、ダニエルと彼の仲間たちのような、神の捕らえられた選民の間の勝利者を通して、神は時代を転換させ、彼の捕らえられた残された者[レムナント]を、カナンの地に戻すことができました(参照、列王上19:18のフットノート1)。(ダニエル1:8のフットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第5週第1日)

 

時代を転換させる価値のある人となるように祈る

 

啓示録12:5

彼女は一人の子、男の子を産んだ.この子は鉄の杖で、すべての諸国民を牧養することになっている.彼女の子供は、神に、神の御座に携え上げられた。

 

啓示録12:10-11

……今、わたしたちの神の救いと力と王国と、彼のキリストの権威とが来た.わたしたちの兄弟たちを訴える者……が、投げ落とされたからである。兄弟たちは……彼に打ち勝った。

 

 「神は、時代の行動、時代を転換させる行動を持とうとするときはいつも、時代の手段を得なければなりません。わたしたちは神に対して、時代の価値のある人とならなければなりません(啓12:5-11.1:20.ダニエル12:3.マタイ13:43)」。

 

 主よ、わたしたちが時代を転換させる価値のある人、一群れの勝利者たちとなりますように。あなたのあわれみと慈愛により頼みます。

 

 

召会の時代を終わらせ、王国の時代をもたらす

 

 男の子の携え上げは、召会時代を終わらせ、王国時代をもたらします。男の子によって、神は動くことができるようになります。……神も制限を受けることがあることを、わたしたちは忘れるべきではありません。神は、ご自身のすべての動きにおいて人を待たれます。神が天で縛ることは、わたしたちが地上で縛ることに基づいています。神が天で解くことは、わたしたちが地上で解くことに基づいています。すべてのことは召会にかかっています。

 

 神の願いは、堕落した被造物を被造物が対処することです。神の目的によれば、召会全体がサタンを対処すべきなのです。しかしながら、召会は失敗しました。ですから、勝利者たちが起き上がる必要があるのです。神の目的は勝利者たちにおいて果たされます。なぜなら、彼らは神と共に働くからです。わたしたちは勝利者たちの原則を、神の言葉を通して見ることができます。神はいつも、経綸上の動きをする一群れの勝利者たちを持っておられます。(ニー全集、第34巻、栄光の教会、付録)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第6日)

 

主が再来する時、「結び付ける信仰」が見いだされるように祈る

 

ルカ18:8

……人の子が来る時、地上に信仰を見いだすであろうか?

 

ガラテヤ2:20

わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、……神の御子の信仰の中で生きるのです。

 

 「結び付ける信仰は、キリストが勝利のうちに再来される時に、キリストにまみえるための勝利者に対する神聖な要求です。これはルカによる福音書第18章8節に基づいています」。

 

 主よ、わたしたちが再生された時に、キリストとの命の結合の中へともたらされた信仰を感謝します。主よ、あなたが再来する時まで、この結び付ける信仰によって生きることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

主の再来の時、結び付ける信仰が見いだされる

 

「人の子が来る時、地上に信仰を見いだすであろうか?」(ルカ18:8後半)。

 

 「信仰」と訳されたギリシャ語は、文字どおりには、「その信仰」を意味します。これは、やもめの信仰のような、わたしたちのしつこい(根気強い)祈りのための、根気強い信仰を示します。わたしたちがそれを通して救われた信仰は、初期の段階の信仰です。わたしたちをキリストとの命の結合の中へともたらした信仰は、結び付ける信仰、すなわち、わたしたちが三一の神と絶えず接触することを通してわたしたちの中へと入って来る信仰です。それは、わたしたちが神の御子によって生きるためです(ローマ1:17.ガラテヤ2:20.ヨハネ14:19)。

 

 結び付ける信仰は、キリストが勝利のうちに再来される時にキリストにまみえるための勝利者に対する神聖な要求です(ルカ18:8後半)。また、結び付ける信仰は、わたしたちの中で行動する三一の神であり、わたしたちを彼の計り知れない豊富に結び付けます(エペソ3:8)。この結び付ける信仰は、自分自身に信頼しない信者たちの信仰です。むしろ、彼らの信頼は神にあります(Ⅱコリント1:9)。

 主イエスは再来する時、結び付ける信仰によって生きている多くの勝利者たちを見いだします。彼はご自身の統治の千年間において、彼らをご自身の王国のための宝と考えます(ルカ18:8後半.啓20:4,6)。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ4、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第5日)

 

殉教した聖徒たちの祈り

 

啓6:9-10

小羊が第五の封印を開いた時、神の言のゆえに、また自分たちが持っていた証しのゆえに、殺された人たちの魂が祭壇の下にいるのを、わたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、「聖なる真実なるご主人さま、いつまであなたは地上に住む者たちを裁かず、わたしたちの血の報復をなさらないのですか?」。

 

 啓示録第6章9節と10節で、[ルカによる福音書第18章]のようなしつこい(根気強い)祈りが、殉教した聖徒たちの魂によってなされているのを見ます。「主よ、あなたはいつまで黙っておられるのですか?… おお、主よ、いつまでですか?」。これは見えない領域からの祈り、パラダイスにいる殉教した聖徒たちからの祈りです。

 

 主よ、わたしたちも同じように祈ります。主イエスよ、あなたを愛します。アーメン。主イエスよ、来たりませ!

 

 

第五の封印が開かれる

 

 第五の封印は、第一世紀からこの時代の終わり近くまでの、クリスチャンの殉教を見せています(これは、旧約の聖徒たちの殉教も含みます―マタイ23:34-36)。第一の封印で示されているように、福音が宣べ伝えられている間は、常に忠信な聖徒たちの殉教があります。(啓示録6:9のフットノート1)

 

 型としては、祭壇は幕屋と宮の外庭にあり、外庭は地を表徴します。ですから、祭壇の下は地の下であり、そこに殉教した聖徒たちの魂がいます。それは、主イエスが死んだ後に行かれたパラダイスです(ルカ23:43)。それは地の中心にあり(マタイ12:40)、ハデス[陰府]の一部分(使徒2:27)、心地よい部分で、そこにアブラハムがいます(ルカ16:22-26)。(啓示録6:9のフットノート2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


 8月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第4日)

 

ご自身を隠す神を深く知るように祈る

 

イザヤ45:15

まことに、イスラエルの神、救い主よ、あなたはご自身を隠す神です。

 

Ⅰペテロ4:19

ですから、神のみこころによって苦難を受ける者たちも、良いことを行なって、自分の魂を信実な創造主にゆだねなさい。

 

 「主イエスは神に信頼しましたが、十字架にかけられていたとき、宇宙には神がおられないかのようでした。主がこの大きな試練を経過されたとき、神は隠れておられました」。

 

 主イエスよ、あなたは、神のみこころによって苦難を受けられました。わたしたちも同じ道を歩みます。わたしたちのすべてを信実な主にゆだねて祈ることができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

 

ご自身を隠す神を認識する

 

 わたしたちの神は、エステル記が示しているように、ご自身を隠す神です(イザヤ45:15)。ですから、わたしたちが認識する必要があるのは、わたしたちが仕えている全能の遍在する神が、ご自身を隠しているということです。特に、主がわたしたちを助けている時はそうです(ヨハネ14:26.ローマ8:26)。そのようなとき、わたしたちは主を見ることができません。また、一見すると主は何も行なっていないかのようです。実は、隠された方法で、主はわたしたちのために多くの事を行なっています(ローマ8:28, 34.エステル4:14)。

 

 ルカ18章のたとえのやもめは、不義な裁判官の所に来て、彼女を訴える者に対する復讐を彼に求め続けました。わたしたちはこの復讐を求めてしつこく(根気強く)祈るべきであり、失望するべきではありません(ルカ18:1, 3)。

 わたしたちの夫が表面上、不在で、わたしたちが地上にやもめとして残されている時、一時的に、わたしたちの神は不義な裁判官であるかのようです(6節)。神は不義であるかのようですが、わたしたちは依然として彼に訴え、しつこく(根気強く)祈り、彼を何度も何度も煩わさなければなりません。それは、神が「日夜ご自身に叫び求める」選ばれた者の復讐を速やかに遂行するためです(7-8節前半)。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ4、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第3日)

 

失望しないで、絶えず祈ることを学ぶ

 

ルカ18:1-3

またイエスは、彼らが絶えず祈るべきであり、また失望しないように、たとえを話して言われた、「ある町に、神を恐れず、人を尊重しない裁判官がいた。その町にあるやもめがいて、いつも彼の所に来ては、『わたしを訴える者に復讐してください』と言っていた」。

 

 「ルカ第18章1節から8節のたとえは、主が表面上、不在の期間に、わたしたちがわたしたちを訴える者から受ける苦難を示しています。実は、主は不在ではありません。主はおられます。わたしたちを訴える者がわたしたちを迫害している間、わたしたちの神は義でないかのようです。なぜなら、神は、彼の子供たちが不義な迫害を受けるのを許しておられるからです」。

 

 主よ、今の世界情勢とわたしたちが受けている困難と苦しみを、あなたは知っておられます。わたしたちが失望しないで、絶えず祈ることができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

 

絶えず祈るべきであり、失望しないように

 

 ルカ第18章1節から18節において、主イエスは、弟子たちが「絶えず祈るべきであり、また失望しないように」、たとえを話しました(ルカ18:1)。このたとえの意義は深遠です。わたしたちはここで啓示されている神を認識する必要があります。3節のやもめは、信者たちを表徴しています。ある意味で、キリストにある信者たちは、今の時代ではやもめです。なぜなら、信者たちの夫であるキリストが表面上、彼らと共におられないからです(Ⅱコリント11:2)。

 

 わたしたちを訴える者がわたしたちを迫害している間、わたしたちの神は義でないかのようです。なぜなら、神は、彼の子供たちが不義な迫害を受けるのを許しているからです(Ⅰペテロ2:20.3:14,17.4:13-16,19)。何世紀にもわたって、主イエスに誠実に忠信に従う何千何万という人たちが、不義な迫害を受けてきました。今日でさえ、多くの人は、不義な虐待を受けています(啓2:8-10)。わたしたちの神は介入して裁かず、擁護しないので、公正ではないかのようです。この状況のゆえに、主イエスは不義な裁判官を用いて、ご自身の迫害される民のために何も行なわないように見える神を表徴しました(ルカ18:2-6)。わたしたちの神は、エステル記が示しているように、ご自身を隠す神です(イザヤ45:15)。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ4、アウトラインより)

 

  

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


 8月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第2日)

 

「この山」に向かって、権威の祈りをする

 

マルコ11:23

まことに、わたしはあなたがたに言う.だれでもこの山に向かって、「持ち上げられて、海に投げ込まれよ」と言い、心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、そのとおりになる。

 

 「権威の祈りは、神に何かを行なっていただくように求めることではありません。むしろ、神の権威を行使し、この権威を適用して、問題や取り除かれるべき事柄を対処することです。すべての勝利者はこのような祈りをすること、山に向かって語ることを学ばなければなりません」。

 

 主よ、わたしたちがこのような権威の祈りを学ぶことができますように。

 

 

権威の祈りを学ぶ

 

 マルコ第11章20節から24節の祈りは、権威の祈りです。このような祈りは、神に向けられているのではなく、「この山」に向けられています(23節)。権威の祈りは、神に何かを行なっていただくように求めることではありません。むしろ、神の権威を行使し、この権威を適用して、問題や取り除かれるべき事柄を対処することです(ゼカリヤ4:7.マタイ21:21)。

 神がわたしたちに委託したことは、彼がすでに命じた事を命じ、また彼がすでに命令した事を命令することです(マタイ17:20)。ですから、権威の祈りは、わたしたちを妨げているものに去るように告げる祈りです。

 

 召会は、完全な信仰を持ち、疑わないで、わたしたちの行なう事が完全に神のみこころにしたがっているということをはっきりと知ることによって、このような権威の祈りを持つことができます(マタイ6:10.18:19-20)。ですから、権威の祈りは、勝利者と大いに関係があります。すべての勝利者は、「この山」に向かって語ることを学ばなければなりません(マルコ11:23)。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ4、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(2) 第4週第1日)

 

神への信仰を持って祈る

 

マルコ11:22

イエスは彼らに答えて言われた、「神への信仰を持ちなさい」。

 

マルコ11:24

こういうわけで、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが祈って求めるものはすべて、受けたと信じなさい.そうすれば、そのとおりになる。

 

 主よ、心の中で疑わないで、神への信仰を持って祈ることができますように。 神のエコノミーを完成するために、神のみこころにしたがって祈らせてください。そして、神と一である人となりますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

神のみこころを遂行するために信仰によって祈る

 

 マルコ第11章20節から24節で、主イエスは彼の弟子たちに、神のエコノミーにしたがって、神のみこころを遂行するために信仰によって祈るようにと教えました。祈る人が神とミングリングされ、神と一になるとき、神は彼の信仰となります。これが、神への信仰を持つことの意味するものです(マルコ11:22)。信仰から出た祈りだけが、神に触れます。信仰がなければ、祈りは効果がありません。

 

 信仰とは、わたしたちが求めたものは受けたと信じることです(マルコ11:24)。主の言葉によれば、わたしたちは受けるであろうと信じるのではなく、すでに受けたと信じるべきです。望むとは、将来のことを期待することを意味しますが、信じるとは、ある事がすでになされたと考えることを意味します。ですから、信仰とは、神がある事を行なうことができる、あるいは行なうと信じるだけでなく、神がその事をすでに行なったと信じることです。(世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉、メッセージ4、アウトラインより)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第6日)

 

わたしたちがキリストの生ける肢体となって、共にからだの生活をするように祈る

 

ローマ12:4-5

一つの体の中には多くの肢体があり、そしてすべての肢体が同じ機能を持っていないように、わたしたちも数は多いのですが、キリストの中で一つからだであり、そして各自は互いに肢体なのです。

 

 「最終的に、からだの生活はローマ第12章の実際へと到達します。この事は、主の再来のために花嫁の用意を整えます(啓19:7)」。 

 

 主よ、わたしたちが一肢体として機能して、キリストのからだの生活を実行することができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

参照:ローマ12:5のフットノート2

 

 

キリストのからだの生活

 

 神の救いの目的は、千万の聖徒たちの中でキリストが増殖し、彼らをキリストのからだの肢体とすることです。すなわち、ばらばらの完全な個人単位ではなく、生きていて、機能する、組み合わされた、団体的な全体の諸部分となることです。これらの部分には異なる機能がありますが、互いに分離しているのではなく、「各自は互いに肢体」です。それぞれの肢体は、他のすべての肢体と有機的に結合しています。そしてそれぞれは、他の肢体の機能を必要とします。すべての肢体は共に組み合わされて、この章に啓示されているからだの生活を実行しなければなりません。(ローマ12:5のフットノート2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第5日)

 

神からのビジョンがわたしたちの歩みを導き、わたしたちの生活を制御するように祈る

 

ローマ8:28-30

また神を愛する者、すなわち、彼の目的にしたがって召されている者たちには、すべてが共に働いて益となることを、わたしたちは知っています。なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです.……さらに栄光化されました。

 

 神のエコノミーによれば、神は世界を支配し、ある状況を生み出してイスラエルを彼の選民とならせ、召会を得て彼の奥義的な民とならせ、諸国民を得て神の永遠の王国の中の臣民とならせます。もしわたしたちがこの事を見るなら、自分がどこにいるのかを知り、自分の人生の意義を知るようになります(Ⅱテモテ1:9.ローマ8:28-30)。

 

「すべてが共に働いて益となる」・・・ 参照:ローマ8:28のフットノート2, 3

 

 

すべてが共に働いて益となる

 

 その霊がわたしたちのためにとりなしをされる時、父なる神は答えてくださいます。そしてわたしたちの環境を按配し、すべてを共に働かせて、わたしたちに益となるようにしてくださいます。(ローマ8:28のフットノート2)

 

 文脈によれば、ここの益は、物質の人、事、物とは関係がありません。これは、わたしたちがさらにキリストを得ること、キリストをわたしたちの内に造り込んでいただくことを言っています。それは、わたしたちが新陳代謝的に造り変えられ、最終的に神の御子のかたちに同形化されるため(ローマ8:29)、すなわち、完全な子たる身分へともたらされるためです。(ローマ8:28のフットノート3)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第4日)

  

キリストがわたしたちの心の中にご自身のホームを造ることができるように祈る

 

エペソ3:16-17

どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように.またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.

 

 主よ、わたしたちをわたしたちの霊の中へと増強してください。そして、主がわたしたちの霊から魂へと、心のあらゆる部分へと広がっていき、ご自身のホームを造ってくださいますように。参照:エペソ3:17のフットノート1

 

 

キリストがわたしたちの心の中にご自身のホームを造る

 

 わたしたちの心は、魂の各部分…思い、感情、意志に、わたしたちの霊の主要部分である良心を加えたものから成っています。これがわたしたちの内なる部分です。再生を通して、キリストはわたしたちの霊の中に入って来られました(Ⅱテモテ4:22)。その後、わたしたちは彼に、心のあらゆる部分へと広がっていただくようにすべきです。わたしたちの心は内なる各部分の総合計であり、内なる存在の中心ですから、キリストがわたしたちの心の中にご自身のホームを造られる時、彼は内なる部分全体を制御し、内なるあらゆる部分にご自身を供給し、増強してくださいます。(エペソ3:17のフットノート1) 

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第3日)

 

わたしたちの体をささげ、この時代にかたどられないように、思いが新しくされることを祈る

 

ローマ12:1-2

兄弟たちよ、……あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげなさい.それが、あなたがたの理にかなった奉仕です。またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。

 

 主よ、召会生活のために、わたしたちの体をささげます。主よ、この時代にかたどられることがないように、あなたを愛させてください。また、わたしたちの思いが新しくされることによって造り変えられますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。参照:ローマ12:2のフットノート2、4

 

 

この時代にかたどられない

 

  「この時代」は、この世の現在の、実際的な部分を意味します(参照、ガラテヤ1:4のノート3)。わたしたちはその部分に触れ、その中で生きています。この世、サタンの邪悪な体系は(参照、エペソ2:2のノート1)、神以外のすべての人、事、物の構成です。それは世俗的な事柄と同時に、宗教も含んでいます。ガラテヤ人への手紙第6章14節で述べているこの世は、パウロの時代の宗教世界です。このサタン的な世は、多くの時代から成っており、それぞれの時代にはそれ自身の形態、特徴、様式、流行、潮流があります。わたしたちは、自分の前に現れている現在の時代を捨てないで、この世を捨てることはできません。(ローマ12:2のフットノート2)

 

思いが新しくされる必要がある

 

 わたしたちは体をささげた後、思いが新しくされる必要があります。思いが新しくされることは、魂の造り変えの基礎であって、思いを霊に付けた(ローマ8:6)結果です。わたしたちの思いは、魂の主要な部分です。この思いが新しくされると、意志と感情も、それに続いて自然に新しくされます。新しくされるとは、新しい要素がわたしたちの中に造り込まれることです。すると、内側に新陳代謝の変化が生じ、わたしたちをキリストのからだの建造、すなわち召会生活の実行にふさわしいものとするのです。第12章から第16章のあらゆる美徳と勝利も、この造り変えの結果です。(ローマ12:2のフットノート4)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第2日)

 

人の中にある神の歴史は、主が人の中に内住することによって継続することを祈る

 

ミカ5:2

しかし、ベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの千万の間で最も小さいが、あなたからわたしへと、イスラエルの支配者となる者が出て来る.また、彼の出て行くことは太古から、永遠の日々からである。

 

 主よ、人の中にある神の歴史を感謝します。主よ、あなたは命を与える霊と成って、わたしたちの中に内住しておられます。今日、主との生きた交わりが深まりますように。主の恵みが豊かにありますように。参照:ミカ書5:2のフットノート1

 

 

キリストの出て行くこと、彼の現れは、継続的な事柄です

 

 ミカ書第5章2節は、ベツレヘムにおけるキリストの肉体と成ることについて予言しています(マタイ2:4-6.ルカ2:4-7)。キリストはベツレヘムから出て来られましたが、彼の出て行くことは太古から、永遠の日々からでした。これはキリストの永遠の起源を指しており、永遠において、地が創造される前に、キリストは出て来る準備をしておられたことを示しています。キリストの現れること、彼の現れは、永遠において始まりました。太古から、永遠の日々から、三一の神は準備しており、永遠の中から出て来て、時間の中へと入り、彼の神性を伴って来て、人性の中へと入りました。それは人としてベツレヘムで生まれることによってです。彼が万物を創造されたのは、彼が永遠の中から出て来て、時間の中へと入る準備でした。これが創造の目的でした。次に、「いなご」が活動してイスラエルを食い尽くしていたとき(ヨエル1:4.2:25)、キリストは出て来られました。

 

 キリストの出て行くこと、彼の現れは、継続的な事柄です。肉体と成った時、彼の出て来ることが始まりました。肉体と成った後、彼は継続して出て行き、人の生活、死、復活、昇天、究極的に完成された霊(すなわち、キリストご自身の実際)の注ぎ出し、福音の宣べ伝えを通して彼が人の住む全地に拡大することを経過しました。このすべてはキリストの出て行くことの重大な段階です。彼の出て行くことは停止したのではなく、今日も継続しています。キリストの出て行くこと、彼の現れは、彼が勝利者、すなわち勇士たち(ヨエル3:11)と共に戻って来て、反キリストを打ち破り、彼を火の池の中へと投げ込む(啓19:19-20)とき、すなわちサタンがアビスの中へと投げ込まれ(啓20:2-3)、キリストが彼の座を設けて王として支配する(マタイ25:31,34,40)とき、究極的に完成します。その時、彼の現れは完全になります。(ミカ書5:2のフットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第3週第1日)

 

人類歴史の内側にある神聖な歴史について明確な展望を持つように祈る

 

ヨエル1:4

かみ切るいなごが残したものは、群がるいなごが食べ、群がるいなごが残したものは、なめ尽くすいなごが食べ、なめ尽くすいなごが残したものは、食い尽くすいなごが食べた。

 

ヨエル2:32前半

そして、エホバの御名を呼び求める者はすべて救われる。

 

 神よ、あなたは四種類のいなごを遣わして、イスラエルの民を神に立ち返らせようとしました。神の御言葉を感謝します、「エホバの御名を呼び求める者はすべて救われる」。ですから今、わたしたちは、「おお主イエスよ!」と主の御名を呼び求めます。主の恵みが豊かにありますように。参照:ヨエル書1:4のフットノート1

 

 

人の歴史(人に属する歴史)と神の歴史(神聖な歴史)

 

 聖書は二つの歴史の記録です。それは人の歴史(人に属する歴史)と神の歴史(神聖な歴史)です。前者は外側の殻のようであり、後者は殻の内側の核のようです。小預言書で、人に属する歴史ははっきりと説明され、この節で述べられている四種類のいなごによって表徴されます。人に属する歴史の内側の神聖な歴史も、かなり詳しく啓示されています。神聖な歴史は、人性における三一の神の神聖な奥義として、過去の永遠に、永遠の神と彼の永遠のエコノミーをもって始まりました(ミカ5:2後.Ⅰテモテ1:4.エペソ1:4-5、9-11)。それは継続して、キリストは肉体と成り(ミカ5:2前)、死に、葬られ、復活し、神の贖いと救いを地上のすべての民に広げ(ヨナ1:17.2:10)、究極的に完成された霊を注ぎ出して三一の神の団体の表現としての召会を生み出し(ヨエル2:28-32)、諸国民の願い(ハガイ2:7前半)、また義の太陽(マラキ4:2前半)として二回目に来臨し、彼の軍隊としての勝利者たちと共に来て、反キリストと彼の軍隊を打ち破り(ヨエル3:1-15)、シオンで千年王国において王として支配します(ヨエル3:16-21.ミカ4:7)。最終的に、王国は新しい天と新しい地における新エルサレムにおいて究極的に完成し、永遠に至ります。新エルサレムは神の歴史の究極、究極的完成の段階です。(ヨエル書1:4のフットノート1から抜粋)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


8月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第6日)

 

啓示録第1章において、御座におられる三一の神をさらに深く知るように祈る

 

啓1:4-5

……恵みと平安があなたがたにあるように.今おられ、昔おられ、やがて来ようとしておられる方から、また彼の御座の前の七つの霊から、また忠信な証人、死人の中から最初に生まれた方、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストからあるように。

 

 主よ、あなたは三一の神です。あなたは、永遠の父なる神、御座の前の七つの霊、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストです。七倍の霊よ、みわざを成してください。わたしたちの内を照らし、燃やしてください。今日、三一の神の恵みと平安が豊かにありますように。参照:啓示録1:4のフットノート3

 

 

啓示録第1章における三一の神

 

 今おられ、昔おられ、やがて来ようとしておられる方は、永遠の父なる神です。神の御座の前の七つの霊は、神の活動する霊、霊なる神です。神に対して忠信な証人、召会に対して死人の中から最初に生まれた方、この世に対して地上の諸王の支配者である方イエス・キリストは(啓示1:5)、子なる神です。これは三一の神です。永遠の父なる神として、彼は過去におられ、現在おられ、やがて来られる方です。霊なる神として、彼は神の活動のために七倍に強化された霊です。子なる神として、彼は、(1) 神の証人、証し、表現、 (2) 召会、新創造のために死人の中から最初に生まれた方、 (3) この世に対しては地上の諸王の支配者です。そのような三一の神から、恵みと平安が、諸召会に分け与えられます。(啓示録1:4のフットノート3)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)