朝ごとの食物

キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週2日~召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第3週3日

6月の祈り 第30日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第3週3日)

 

地方召会は、一地方におけるキリストのからだの表現です

 

マタイ16:18

……わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。

 

ローマ12:5

わたしたちも数は多いのですが、キリストの中で一つからだであり、そして各自は互いに肢体なのです。

 

「キリストの唯一のからだが多くの地方召会の中で表現されるのは、三一の神が一であるように、神聖な一においてであり、また神聖な性質、要素、本質、表現、機能、証しにおいてです。多くの召会がありますが、それらは一つの神聖な性質、一つの神聖な要素、一つの神聖な本質、一つの神聖な表現、一つの神聖な機能、一つの神聖な証しを持っています。なぜなら、それらは一つからだであるからです(啓1:11.ヨハネ17:11, 21, 23)」。

 

   わたしたちが地方召会に導かれたことを感謝します。 それぞれの地方召会は、宇宙的なからだの地方における表現です。主よ、わたしたち召会が三一の神の豊富を享受して、主の豊かさを表現することができますように。

 

 

宇宙的には、すべての召会は一つからだです

 

 マタイによる福音書第16章18節で、主イエスはペテロに言われました、「あなたはペテロである.わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる」。……キリストご自身こそ、その上に召会が建造されるまさにその岩です。マタイによる福音書第16章18節の召会は宇宙召会、全宇宙における唯一の召会です。・・・・・

 

 地方召会はキリストのからだの地方における表現です(Ⅰコリント12:27.エペソ2:22)。……宇宙的には、すべての召会は一つからだです。地方的には、それぞれの地方召会は、宇宙的なからだの地方における表現です。地方召会はからだではありません。それはからだの一部分にすぎません。それはからだの地方における表現です。(召会生活の回復のために絶対必要な要素、第4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第3週2日)

          

主イエス・キリストの中にある有機的な結合

 

ローマ6:4

こういうわけで、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされることを通して、彼と共に葬られたのです.それは、キリストが……死人の中から復活させられたように、わたしたちも命の新しさの中を歩くためです。

 

「主イエス・キリストの中にあるとは、キリストであるすべてとキリストが行なったすべての中で、彼と有機的に結合されることです(Ⅰテサロニケ1:1.Ⅰコリント1:30)。主イエス・キリストの中でわたしたちは、旧創造に属するすべての事を終結させます。なぜなら、キリストの中にあることは、彼の死の中にあることであるからです。この死は、すべての消極的な事柄を終結させます(ローマ6:4)」。

 

 主よ、召会は父なる神と主イエス・キリストの中にあることを感謝します。キリストの中にはすべての豊富があります。主イエス・キリストの中で旧創造は終結させられました。復活の中で、義、聖、力、強さ、大能を経験することができますように。

 

 

主イエス・キリストの中で終結させられ、復活の中にいる

 

 主イエス・キリストの中にあることは、一方で、わたしたちが終結させられ、もはや旧創造の中にいないことを意味します。もう一方で、それはキリストの中にいることによって、わたしたちが復活の中にいることを意味します。キリストの中にいるとは、復活の中に、その霊の中に、力の中に、強さの中に、権威の中にいることです。

 

 あなたはキリストの中にいるので、御座の上にいることを認識しているでしょうか? あなたは力、大能、強さ、権威の中にいるだけでなく、御座の上にもいるのです。(テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ、第8、9編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第3週1日)

 

召会は三一の神の中にあります

 

Ⅰテサロニケ1:1

…… 父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会へ.恵みと平安があなたがたにありますように。

 

「召会は三一の神の中にあります。「父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会」(Ⅰテサロニケ1:1)。召会は、父なる神から生まれて彼の命と性質を持っている、またキリストとの有機的結合の中へともたらされた一群れの人です。召会が神の中にあるために、神はわたしたちの御父とならなければならず、わたしたちは彼と命の関係を持たなければなりません(Ⅰヨハネ3:1前半)」。

 

 わたしたち召会は、父なる神から生まれました。主よ、わたしたちが、日ごとに御父の命と性質にあずかることができますように。主よ、キリストとの有機的結合の中で、わたしたちの召会生活が守られますように。

 

 

召会はキリストとの有機的結合の中へともたらされた一群れの人です

 

 [テサロニケ人への二つの手紙]はいずれも、テサロニケにある地方召会に宛てられており、その召会はその都市のキリストにあるすべての信者から成っていました。そのような地方召会は信者たちから成っており、父なる神と主イエス・キリストにあります。これが示しているのは、そのような地方召会が父なる神から生まれて彼の命と性質を持っており、主イエス・キリストであるすべてと彼が行なったすべての中で、彼と有機的に結合されているということです。

 

 ですから、それは人々からですが(テサロニケ人のような)、有機的に神の中に、また主の中にあるのです。神聖な命と性質の中にあるそのような有機的な結合は、信者たちが召会生活のための聖なる生活をするための極めて重要な基礎であり、それが二つの手紙の主題です。(テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週6日)

 

主の回復は、わたしたちを新約の唯一の務めへと連れ戻します

 

Ⅱコリント4:1

こういうわけで、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたのですから、落胆しません。

 

「主の回復は、わたしたちを新約の唯一の務めへと連れ戻します(Ⅱコリント3:18.4:1)。この務めは、わたしたちを強めて、栄光への道のり、すなわち十字架の道において、キリストの苦難の交わりの中でキリストに従わせ、命を現させ、増殖させます(ヨハネ12:24-26.コロサイ1:24.Ⅱコリント4:10-11, 16-18.11:23-33)」。

 

 主よ、わたしたちを新約の唯一の務めへと連れ戻して、わたしたちを強めて、栄光への道のりを歩ませてください。主よ、キリストを恵み、真理、命、その霊としてわたしたちの中へと分与して、キリストのからだの実際を得させてください。

 

 

この務めは、キリストのからだの実際を得させます

 

 この務めは、キリストを恵み、真理、命、その霊としてわたしたちの中へと分与し、わたしたちにキリストを啓示し、わたしたちにキリストを享受させ、わたしたちを命において成長させます。それはわたしたちが命において救われて、命の中で王として支配するためです(Ⅱコリント1:12, 24.ピリピ1:25.ローマ5:10, 17)。

 

 この務めは、わたしたちを新しい復興の中へともたらして、新エルサレムを生かし出させ、また新エルサレムを成し遂げさせ、神のエコノミーの最高峰であるキリストのからだの実際を得させます(Ⅱコリント3:6, 8-9.5:18-20.ローマ12:4-5.エペソ4:4-6,16)。(召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週アウトライン)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週5日)

 

完全に神に和解させられるのに、二つの段階があります

 

Ⅱコリント5:18-20

18・・・ 彼[神]はキリストを通して、わたしたちをご自身に和解させ、その和解の務めを、わたしたちに与えてくださいました.19 すなわち。神はキリストにあって、世の人をご自身に和解させ、……和解の言をわたしたちに託されたのです。20 ですから、わたしたちはキリストのために大使であり、……わたしたちはキリストに代わって、あなたがたに懇願します.神に和解させられなさい。

 

「和解の務めは、もろもろの罪の赦しを通して世の人をキリストへと和解させる務めであって、彼らに法理的な贖いを得させます。また信者たちをキリストへと和解させる務めであって、彼らを霊の中で、すなわち至聖所の中で生きる人とならせて、彼らに有機的な救いを得させます。これは、神にしたがって人々を牧養することです(Ⅱコリント5:18-21.Ⅰペテロ5:1-6.ヘブル13:20)」。

 

 主よ、多くの時わたしたちは天然の命の中に生きています。主よ、わたしたちがすでに裂かれた第二の幕を通過して、至聖所の中にいる人となることができますように。

 

 

世の人が罪から神に和解させられ、信者たちが肉から神に和解させられる

         

 コリント人への第二の手紙第5章19節では、神に和解させられるのは世の人です。20節では、それは信者たちです。彼らは、すでに神に和解させられていますが、さらに一層、神に和解させられるのです。これは、人が完全に神に和解させられるのに、二つの段階があることをはっきりと示しています。第一段階は、罪人が罪から神に和解させられることです。このために、キリストはわたしたちの罪のために死なれました(Ⅰコリント15:3)。それは、わたしたちの罪が神によって赦されるためです。これは、キリストの死の客観的な面です。・・・・ 

 

 第二段階は、天然の命の中に生きている信者たちが、肉から神に和解させられることです。このために、キリストは、わたしたち、人のために死なれました。それはわたしたちが、復活の命の中で、彼に生きるためです(Ⅱコリント5:14-15)。これはキリストの死の主観的な面です。・・・… それはわたしたちが、キリストにあって神の義となるためです。彼の死の二つの面によって、彼は神の選びの民を、完全に神に和解させられました。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ、第37編)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週4日)

 

その霊の務めは、わたしたちをキリストの生ける手紙とします

 

Ⅱコリント3:6

神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。

 

「その霊の務めは、新契約の務めであって、それは神聖で奥義的な「インク」としての生ける神の霊でわたしたちの心に書き記すことによってわたしたちを神化し、わたしたちをキリストの生ける手紙とします。これは神聖な啓示の最高峰です(Ⅱコリント3:3, 6, 8, 18.4:1.イザヤ42:6.49:6.詩45:1-2)」。

 

 その霊の務めは、わたしたちに命を与えます。主よ、生ける神の霊でわたしたちの心にキリストを書き記してください。わたしたちがキリストの生ける手紙となりますように。

 

 

新契約の務めを通して、キリストをわたしたちの心に書き記す

 

 コリント人への第二の手紙第3章3節の……「で(with)」という言葉は、霊のインク、生ける神の霊が、書き記したり書いたりする人によって用いられる本質、要素であることを示しています。……その霊は著者でも、書くのに使われた道具でもなく、書くのに使われる本質、要素、実質です。生ける神の霊、すなわち生ける神ご自身は、ペンのような道具ではなく……要素です。それをもって使徒たちは、キリストを内容として供給し、生ける手紙を書いてキリストを伝達するのです。・・・・・ 

 

 新契約の務めを通して、キリストはわたしたちの中に書き記されてきました。神聖な本質が、わたしたちの存在の中に書き込まれてきました。この本質はその霊です。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ、第25編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週3日)

 

一層一層と上っていって新エルサレムの中にある存在となる

 

ローマ8:30

そして神は……召した者たちを、さらに義とし、そして義とした者たちを、さらに栄光化されました。

 

啓21:11

それは神の栄光を持っていた。その光は最も尊い宝石のようであり、水晶のように透明な碧玉のようであった。

 

「わたしたちは神の有機的な救いの各部分を経験するとき、一層一層と上っていって、ついにはわたしたちは新エルサレムの中にある存在となります(ローマ5:10, 17, 21.8:10, 6, 11.啓22:1-2.参照、エレミヤ18:15.ミカ5:2)」。

 

 主よ、わたしたちが神の有機的な救いの各部分を経験することができますように。主よ、神の命と性質の栄光をもって、わたしたちに浸透してください。

 

 

最終的に、わたしたちは神の栄光の中へともたらされます

 

 最終的に、わたしたちは神の栄光の中へともたらされ、彼の栄光にあずかります。へブル人への手紙第2章10節は、神は多くの子たちを栄光へ導き入れておられると言います。パウロはローマ人への手紙第8章30節で、これに言及しています、・・・・・。栄光化は神の全体的な救いの段階であり、その中で神は彼の命と性質の栄光をもって、完全にわたしたちの体に浸透されます。

 

 このようにして、彼はわたしたちの体を変貌させ、彼の御子の復活した、栄光の体に同形化されます(ピリピ3:21)。これは神の有機的な救いにおける究極の段階であり、そこにおいて神は完全な表現を獲得され、それは新エルサレムにおいて究極的に現されます。(「受肉、包括、強化」、第4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週2日)

 

正当で正常なクリスチャンは「小さな新エルサレム」です

 

啓22:1-2

また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。その川のこちら側にも向こう側にも命の木があって……。

 

「あらゆる地方召会は、新エルサレムの小型であるべきです。また、あらゆる信者は、「小さな新エルサレム」であるべきです。新エルサレムに属するものは何であれ、わたしたちの団体的な経験と個人的な経験の両方となるべきです(啓21:3, 22-23.22:1-2, 14, 17.3:12)」。

 

 新エルサレムに属するものを主観的に経験させてください。わたしたちの内側に御座がありますように。御座から流れている命の水の川の供給があり、命の木としてのキリストの享受がありますように。わたしたちが清められて、水晶のように透明になりますように。

 

 

新エルサレムに属するものを経験する

 

 新エルサレムは単に、ある一群れの人たちのための将来における客観的なものであると考えてはなりません。わたしたちは、啓示録第21章と第22章に記録されていることが、今日とても個人的な方法でわたしたちによって経験されるべきであることを認識しなければなりません。経験的に言って、あらゆる正当で正常なクリスチャンは「小さな新エルサレム」です。

 

 団体的に新エルサレムに属するものは何であれ、わたしたちによって個人的に個々に経験されるべきです。わたしたち各自と共にまた各自の中に、神聖な三一の三つの門があります。さらに、わたしたち各自の中には神と小羊の御座がなければなりません。わたしたちは心と霊の中で彼を御座に着けなければなりません。言い換えれば、わたしたちの存在の中心に神と小羊の御座があるべきです。(神の新約エコノミー(下)、第38章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第2週1日)

 

この時代の全体的なビジョンに緊密に従う

 

使徒26:19

こういうわけで、アグリッパ王よ、わたしは天のビジョンに背[きませんでした]。

 

エペソ1:17

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の御父が、知恵と啓示の霊をあなたがたに与えて、あなたがたに彼を十分に認識させ[るように]。

 

「あらゆる時代には、その時代のビジョンがあります。わたしたちはこの時代の務めを通してこの時代の全体的なビジョンを持っているのですから、このビジョンにしたがって神に仕え、それに緊密に従う必要があります(使徒26:19.エペソ1:17.3:9.Ⅰテモテ4:6)」。

 

 主よ、わたしたちに知恵と啓示の霊を与えて、天のビジョンを見ることができるようにしてください。創世記におけるビジョンから、究極的な完成である新エルサレムを含む、すべての時代のビジョンを与えてください。

 

 

この時代の務めを通して、この時代の全体的なビジョンを持つ

 

 過去千九百年間、数えきれないほどのクリスチャンが神に仕えてきました。…… あるクリスチャンは、新約の福音書で啓示されているビジョンにしたがって仕えています。それはイエスの地上の務めとだけ関係があります。ある人たちは、全く何のビジョンもなく仕えています。最新のビジョンにしたがって神に仕えるために、わたしたちはパウロの最後の書簡の水準に達する必要があります。

 

 事実、わたしたちは啓示録の七つの召会への書簡の水準に達し、王国、新天新地、召会の究極的な完成である新エルサレムを含む、すべての時代を扱う啓示に達しなければなりません。簡単に言えば、今日わたしたちが神に仕えるために、わたしたちのビジョンは、創世記におけるアダムの第一のビジョンから、召会の現れである新エルサレムの究極的なビジョンまで、ひたすら延びていなければなりません。(時代のビジョン、第2章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週6日)

 

神の召会を牧養させる

 

使徒20:28

あなたがた自身と群れ全体に気をつけなさい.聖霊は彼らの間に、あなたがたを監督として立てられ、……神の召会を牧養させるのです。

 

「パウロがエペソの聖徒たちを牧養したのは、「公にも、また家から家でも」、彼らを教えることによって(使20:20)、また三年の間、涙をもって聖徒たち一人一人を訓戒し(使20:31,19)、彼らに神のみこころをすべて、余すところなく言い表すことによってでした(27節)」。

 

 キリストのからだを建造するために、愛が最も卓越した道です。主よ、キリストのすばらしい牧養にあずかって、わたしたちも神の召会を牧養する負担を受け入れ、復興されますように。

 

 

愛は覆い、キリストのからだを建造します

 

 召会は、人を逮捕する警察署や人を裁く法廷ではなく、信者たちを育てる家庭です。親は、子供が悪ければ悪いほど、ますます育てる必要があることを知っています。もし子供が御使いであるなら、親が彼らを育てる必要はありません。召会は愛の家庭であり、子供を育てます。召会はまた病院でもあり、病人をいやし回復します。最後に、召会は学校であり、あまり理解のない人たちを教え啓発します。召会は家庭、病院、学校であるので、同労者と長老は主と一になって、愛の中で人を育て、いやし、回復し、教えるべきです。

 

 愛は覆い、建造します。ですから、キリストのからだを建造するために、わたしたちが何であっても、何を行なっても、愛が最も卓越した道です。・・・・・ すべての召会がこの教えを受け入れ、キリストのすばらしい牧養にあずかるなら、回復の中に大きな復興があるようになります。  

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週5日)

 

神の群れを牧養する

 

ヨハネ10:10-11

……わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためである。わたしは良い牧者である.良い牧者は羊のために自分の命を捨てる。

 

「わたしたちが新しい復興の中へと入ることができるのは、キリストの天の務めにあずかって、彼の小羊を養い、彼の羊を牧養して、神の群れを顧みることによります。神の群れは召会であり、キリストのからだという結果になります。これは、使徒の務めとキリストの天の務めを合併することです(ヨハネ21:15-17.Ⅰペテロ2:25.5:1-4.ヘブル13:20-21.啓1:12-13)」。

 

 主よ、わたしたちが神の羊を牧養して、神の群れを顧みることができますように。 主よ、わたしたちが、御父の愛し赦す心、救い主の牧養し捜す霊を持つことができますように。

 

 

人性におけるはぐくみ、神性における養い

 

 神は彼の御子を、彼の人性において、わたしたちの罪のためになだめとして遣わしました(Ⅰヨハネ4:10)。これははぐくみです。……神は彼の御子をわたしたちに遣わして、わたしたちが彼を通して彼の神性において、命を持ち生きるようにされました(Ⅰヨハネ4:9)。これは養いです。……神がわたしたちに彼のひとり子を与えたのは、……わたしたちが、彼の人性における贖いを通して滅びることがなく(はぐくみ)、彼の神性において永遠の命を持つためです(養い)。

 

 キリストは人の子として来て、わたしたちを贖って、罪から離れさせました(Ⅰテモテ1:15)。これははぐくみであり、新約の最初の部分です。…… キリストは神の子として来て、神聖な命をわたしたちの中へと豊かに分け与えました(ヨハネ10:10)。これは養いであり、新約の第二の部分です。(バイタルグループ、メッセージ9)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週4日)

 

神・人の務めの開始の時、イエスはバプテスマされる

 

マタイ3:15-16

……「……このようにしてすべての義を成就するのは、わたしたちにふさわしいことである」。……イエスはバプテスマされると、直ちに水から上がられた.すると見よ、天が彼に開かれた.そして彼は、神の霊がはとのように下って、彼の上に来るのをご覧になった。

 

「第一の神・人の務めの開始の時、彼はバプテスマされてすべての義を成就し、彼の肉(彼の人性――ヨハネ1:14.ローマ1:3.8:3)によれば、彼が死と葬り以外に役に立たないことを承認しました(マタイ3:15-17)」。

 

 主よ、あなたはすべての義を成就するためにバプテスマされました。主よ、わたしたちも、自分を死と葬りの中に置いて、復活の中で生きることができますように。

 

 

主は務めを遂行する前にバプテスマされて義を成就する

 

 第一の神・人として、キリストは地上で特別な方法で生活されました。それは神の永遠のエコノミーの達成のためでした。・・・・・

  彼の務めのどの部分をも遂行する前に、彼が行なった最初の事は、ヨハネによってもたらされた義の道にしたがって、バプテスマされて義を成就することでした(マタイ3:15.21:32)。……

 

 主イエスは彼の肉(彼の人性――ヨハネ1:14.ローマ1:3.8:3)によれば、彼が死と葬り以外に役に立たないことを承認しました。イエスがバプテスマされる必要があったのは、彼が肉体と成られたからであり、肉は神の目に、何の役にも立たず、ただ死と葬りにだけふさわしいのです。そのような死んだ人をバプテスマによって葬ることは義の道であり、おきてと規定を伴った律法の道ではありません。(神・人の生活、第4章)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週3日)

 

神・人の生活をして、キリストのからだの実際を生きる

 

Ⅰペテロ2:21

あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです。

 

「わたしたちが神・人の生活、すなわち、キリストのからだの実際を生きることを実行するなら、自然に団体の模範、すなわち神のエコノミーの中で生きる模範が建て上げられます。この模範は、召会の歴史における最大の復興となり、主の再臨をもたらします(詩48:2とフットノート1.啓3:12, 21)」。

 

 主よ、あなたはご自身を否むことによって神を生きられました。主よ、わたしたちが第一の神・人であるキリストの神聖な生活をすることができますように。

 

 

神聖な啓示にしたがった生活をする

 

 神が必要とするのは、団体の人々が神の恵みによって、神聖な啓示の高嶺を通して起こされ、この啓示にしたがった生活をすることです。復興は、わたしたちが見てきたビジョンを実行することです。弟子たちの中へと息吹き込まれた命と実際の霊は、彼らが三年半の間、主と共にいたとき、主について観察してきたことのすべての実際へと導きます(ヨハネ16:13.20:22)。(召会生活の回復のための極めて重要な要因(1)、第1週 アウトライン)

 

 三年半、主に従った弟子たちは、彼が何を行なわれたか、主がどのように振る舞い、どのように語られたかを見ました。それが彼らを弟子に構成しました。…… キリストはこの三つの過程、すなわち、彼の人の生活、彼のすべてを含み、すべてを終わらせ、命を解き放ち、新しい人を創造する死、命を分与する復活の過程を用いて、彼に従う者たちを弟子に構成しました。(バイタルグループ、メッセージ2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週2日)

 

神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためです

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.……

 

Ⅰコリント15:45

……「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」……最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。

 

「神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となり、キリストのからだを生み出し建造して、新エルサレムを究極的に完成するためです。これは全聖書の本質、聖書という「箱」の中の「ダイヤモンド」、神の永遠のエコノミーです(創1:26.ヨハネ12:24.ローマ8:29)」。

 

   主よ、あなたの回復の中で、わたしたちに真の復興を与えてください。 主よ、わたしたちがみな、神の中心的な啓示の明確な展望を持つことができますように。召会がキリストのからだとなり、新エルサレムを究極的に完成することができますように。

 

 

神の中心的な啓示の明確な展望を持つ

 

 わたしたちはみな、神の中心的な啓示の明確な展望を持つ必要があります。神の中心的な啓示とは、神が肉体と成り、肉体が命を与える霊と成り、命を与える霊が七倍に強化された霊と成って、召会を建造し、召会がキリストのからだとなり、新エルサレムを究極的に完成するということです。

 

 わたしたちは、三一の神が肉体と成ったこと、肉体が命を与える霊と成ったこと、命を与える霊が七倍に強化された霊と成ったことを、見る必要があります。この霊は召会を建造し、それはキリストのからだとなって、神のエコノミーの最終目標としての新エルサレムを究極的に完成します。……今日の主の回復はまさに、神の永遠のエコノミーの行動における神の霊に関するこれらの極めて重要な点の回復です。(神聖で奥義的な領域、第1章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 召会生活の回復のための極めて重要な要因(1) 第1週1日)

 

ハバクク3:2

……エホバよ、あなたのみわざをこの年のうちに復興してください.……

 

詩119:25

わたしの魂はちりに付いています.あなたの言葉にしたがって、わたしを生かしてください。

 

神聖な啓示の最高峰(高嶺の真理)に到達する

 

「わたしたちが新しい復興の中へと入ることができるのは、神がわたしたちに与えた神聖な啓示の最高峰、すなわち、神の永遠のエコノミーの啓示に到達することによります(Ⅰテモテ1:3-4.Ⅰコリント9:17.使徒26:19, 22)」。

 

 主よ、わたしたちが新しい復興の中へと入ることができますように。神がわたしたちに与えた神聖な啓示の最高峰に到達することができますように。神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためです。ハレルヤ!

 

 

神の永遠のエコノミーの啓示に到達する

 

 新約の主要な内容とは、三一の神が彼の大いなる喜びにしたがって永遠のエコノミーを持っており、ご自身を彼の選ばれ贖われた人の中へと、彼の命と性質において分与し、彼らをすべて、命と性質において彼であるのと同じにし、彼らを彼の複写として、彼らが彼を表現するということです。この団体的な表現は、新エルサレムにおいて究極的に完成します。

 

 ですから、新エルサレムは、完全に究極的に完成された肉体と成ることの拡大、増し加わり、すなわち三一の神の豊満であり、彼は人性とミングリングされた神性の中でご自身を表現します。これが新約の内容であり、これがヨブが必要とした答えです。(ヨブ記ライフスタディ、第10編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週6日)

 

キリストのからだとして、召会は自治的であることはできません

 

Ⅰコリント1:2

コリントに在る神の召会へ、すなわち、キリスト・イエスの中で聖別された者たち、召された聖徒たち……。

 

Ⅰコリント12:13

……わたしたちはユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、みな一つ霊の中で、一つからだの中へとバプテスマされ、みな一つ霊を飲むようにされたからです。 

 

「地方召会は、キリストのからだの表現のためであり、キリストのからだのさまざまな地方における現れです(Ⅰコリント1:2.12:27)」。もしわたしたちが、からだを認識し、からだの感覚を持つなら、キリストの有機的なからだとしての召会は、自治と何の関係もないことを認識するようになります」。

 

 主よ、召会はキリストのからだです。主よ、わたしたちが、キリストのからだを認識し、からだの感覚を持つことができますように。諸召会が互いに依存することができますように。

 

 

諸地方召会は相互に依存する状態にとどまっています

 

 諸召会は、絶対的に互いに独立しているべきではありません。すべての信者は互いに依存すべきであり、すべての地方召会も互いに依存すべきです。特に霊的な事柄において、わたしたちは互いに依存すべきです。ある都市の召会は、命において、またその建造において、他の諸召会からの助けを必要とするかもしれません。諸地方召会は相互に依存する状態にとどまるべきです。

 

 自治の観念が恐ろしいのは、それが諸召会をお互いに分離させるからです。わたしたちはこの全宇宙のすべての信者が一人の人であることを、忘れるべきではありません。(キリストのからだ、第2章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週5日)

 

信仰の中にある神のエコノミー[経綸]に心をとめる

 

Ⅰテモテ1:3

わたしがマケドニアへ出発する時あなたに勧めたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人たちが異なる事を教えたり、作り話や果てしのない系図に、心をとめたりすることがないように命じなさい.そのようなものは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]ではなく、むしろ論議を引き起こすだけです。

 

「教えの風の目的、すなわち敵サタンの邪悪な目的は、キリストの有機的なからだを建造することを妨げ、キリストの有機的なからだの肢体を分裂させて、愛と親切の中でキリストのからだの一を保つのではなく、果てしのない分裂を引き起こすことです(Ⅰコリント1:10-11.ユダ19節)」。

 

 主よ、キリストの有機的なからだが建造されますように。主よ、わたしたちが神聖な啓示の中心路線から連れ去られないように守ってください。 

 

 

サタンは聖徒たちをサタンの誤りの体系の中へと誘導する

 

 サタンには体系があり、できることなら、サタンはすべてのクリスチャンをその中へと誘導したいのです。サタンの体系の目標、的、目的は、聖徒たちを妨げる意図をもって神聖な啓示の中心路線から連れ去り、さらにはキリストのからだの建造を破壊することです。

 

 ある教えの風は邪悪には見えません。しかしながら、邪悪な要因がそこにあって、聖徒たちをサタンの誤りの体系の中へと誘導し、彼らがキリストのからだを建造するのを妨げ、さらにはキリストのからだの建造を破壊します。教えの風はまた幼子たち[エペソ4:14]を波にもてあそばせ、それによって召会生活において不安にし苦しませます。(使徒たちの教えと新約のリーダーシップ、[英文])

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週4日)

 

幼子は、教えのあらゆる風によって吹き回される

 

エペソ4:14-15

それは、わたしたちがもはや幼子ではなく、波にもてあそばれたり、教えのあらゆる風によって吹き回されたりすることがないためです.この教えは、誤りの体系をもくろむこうかつな人の悪巧みです.むしろ、愛の中で真実を固く保って、わたしたちはすべての事で、彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです。

 

「教えの風によって引き起こされる波から逃れる唯一の道は、命において成長することです。命において成長する安全な道は、正常な召会生活の中にとどまって、キリストと召会を保護とすることです(エペソ4:13-15)」。

 

 主よ、教えのあらゆる風によって吹き回される幼子の状態から、わたしたちを救ってください。主よ、わたしたちが召会生活の中で命において成長することができますように。

 

 

命において成長して、キリストと召会を保護とする

 

 教えの風の目的は召会生活を荒廃させることです(使徒8:3)。これはタルソのサウロが使徒パウロになる前に行なったことです。また教えの風の目的は、キリストの有機的なからだの建造を妨げ、キリストの有機的なからだの建造を破壊し、キリストの有機的なからだの肢体を分裂させて、愛と親切の中でキリストのからだの唯一の一を保つのではなく(Ⅰコリント1:10-11)、憎しみとねたみの中で果てしのない分裂(分派)を引き起こすことです。・・・・・ 

 

 わたしたちは教えの風の目的とその内在的な要因を見てきました。それは、人々をサタンの誤りの体系の中へともたらし、導き入れることをもくろむこうかつな人の悪巧みです。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第5章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週3日)

 

使徒たちの教えを堅く持ち続ける

 

テトス1:9

使徒たちの教えにかなっている信実な言を守る者でなければなりません.それは、彼が健康な教えによって、勧めることも、反対者に非を認めさせることもできるためです。

 

「わたしたちは暗やみの混乱した状況の中で、新約の中にある、照らし秩序を保つ言、すなわち、使徒たちの教えを堅く持ち続ける必要があります(使徒2:42)」。

 

 主よ、使徒たちの教えは健康な教えであり、わたしたちに命を与え、わたしたちを養い、いやしてくださることを感謝します。この使徒たちの教えを堅く持ち続けることができますように。

 

 

使徒たちの教えは、健康で、命に満ちていました

 

 [テトスへの手紙第1章で]言及されている教えは、使徒たちの教えであり(使徒2:42)、それは最終的に新約聖書になりました。これは、諸召会が使徒たちの教えにしたがって設立され、そして使徒たちの教えに従ったことを示します。それはまた、諸召会の秩序が、使徒たちの教えにしたがって与えられた、信実な言によって維持されたことを示します。召会の無秩序はおもに、使徒たちの教えから逸脱することによって起こりました。・・・・・

 

 テトスへの手紙第1章9節でパウロは、「健全な教え」、あるいは「純粋な教え」とさえ言っていません。彼は「健康な教え」について語っています。・・・・・ 健康な教えは常に命と関係があり、わたしたちを養い、いやすことができます。生きているものだけが、健康であることができます。・・・・・使徒たちの教えは健全で純粋であるだけでなく、健康で、命に満ちていました。(テトスへの手紙ライフスタディ、第1編、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週2日)

 

使徒たちの教えにかなっている信実な言を守る

 

テトス2:7-8

すべての事柄について、あなた自身を良いわざの模範として示しなさい.教えには腐敗がなく、謹厳を保ち、非難されることのない健康な言を用いなさい.……

 

 わたしたちは、「使徒たちの教えにかなっている信実な言を守る」者でなければなりません(テトス1:9)。諸召会は使徒たちの教えにしたがって設立され、そして使徒たちの教えに従いました。召会の秩序は、使徒たちの教えにしたがって与えられた信実な言によって、維持されました。

 

 主よ、わたしたちが召会の中で、命の供給を与える、健康な教えを語ることができますように。使徒たちの教えにしたがい、召会を良い秩序のある健全な状態にもたらしてください。

 

 

健康な教えは、召会を良い秩序のある健全な状態にもたらします

 

 健康な教えは常にその信仰の(テトス1:13)真理(1:14)にしたがっています。それは使徒たちの教えの内容、神の新約エコノミーの内容です。それは命の供給を信者たちに与え、霊的な病をいやすだけでなく、そうすることで、召会を良い秩序のある健全な状態にもたらします。

 

 ですから、召会の無秩序と衰退を扱っているテモテヘの第一と第二の手紙、テトスへの手紙の三つの書で、それが大いに強調されているのです。テトスへの手紙第2章1節でパウロはテトスに、健康な教えから、使徒たちの教えから逸脱しないようにと命じました。・・・・・わたしたちは……健康な教えにふさわしい事柄を語ることを思い起こさせられるべきです。(テトスへの手紙ライフスタディ、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第5週1日)

 

使徒たちの教えは、新約の教え全体です

 

ヘブル1:1-2

神は、……これらの日々の終わりには、御子の中でわたしたちに語られました。……

 

使徒2:42

そして、彼らは使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続け、パンをさくことと祈りを堅く持ち続けた。……

 

「使徒たちの教えは、神の永遠のエコノミーの唯一の健康な教えです(使徒2:42.Ⅰテモテ1:3-4.6:3.テトス1:9.2:1)。使徒たちの教えは、新約の教え全体であり、神が御子の中で彼の新約の民に語ったものです(ヘブル1:1-2)」。

 

 使徒たちの教えは、新約における神の語りかけです。主よ、あなたは聖書の御言を通して、語っておられます。わたしたちが聖書を読むときに、生ける神の語りかけがありますように。

 

 

使徒たちの教えとは、新約における神の語りかけ全体です

 

 使徒たちの教えとは、新約における神の語りかけ全体です。新約全体は、使徒たちの教えです。……神は語られました。そして今日、神は依然として語られます。神の語りかけには多くの事柄があります。……今日、神は御子の中でわたしたちに語られます[ヘブル1:1-2]。神は多くの部分において、多くの方法で、預言者たちを通して語るのではなく、御子の中で語られます。神はわたしたちにひとりのパースン、すなわち御子の中で語られます。

 

 使徒たちの教えは、新約における神の語りかけ全体であり、それは第一に人としての御子の中で、第二に使徒たちを通してその霊としての御子の中でです。新約で、神は肉体と成る原則を離れることはできません。彼は人を通して語らなければなりません。四福音書で、その人はイエスでした。続く二十三冊の書で、その人は使徒たちでした。今日、わたしたちがその人です。神は肉体と成る原則の中で語られます。(使徒たちの教え、メッセージ1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週6日)

 

ブレンディングの目的は、キリストのからだの実際の中へともたらすことです

 

啓1:11

それはこう言った、「あなたが見ていることを巻物に書いて、七つの召会に、すなわち、エペソに、スミルナに、ペルガモに、テアテラに、サルデスに、ヒラデルヒヤに、ラオデキヤに送りなさい」。

 

「ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです。わたしたちが諸地方召会を尊ぶのは、一つの目的のためです。それはわたしたちが手続きとしての諸地方召会の中にいて、キリストのからだの実際の中へともたらされる必要があるということです」。

 

 主よ、わたしたちがブレンディングされて、キリストのからだの実際の中へともたらされますように。主よ、すべての聖徒たちが、キリストのからだのブレンディングの生活の中へともたらされますように。

 

 

キリストのからだの交わりとブレンディングの実際を持つ

 

 わたしたちはキリストのからだの交わりとブレンディングとの実際を持たなければなりません。そうでなければ、わたしたちがどれほど追い求めても、またわたしたちがどれほど単純でへりくだっていても、遅かれ早かれ、わたしたちの間には問題が生じ、さらには分裂があるようになります。ですから、わたしたちはからだのビジョンによって支配され、すべての召会のすべての聖徒たちを、キリストのからだ全体のブレンディングの生活の中へともたらすことによって、使徒の足跡に従わなければなりません。(神の有機的な救いを経験することは、キリストの命の中で支配することと等しい、第6章)

 

 ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです。……わたしが諸地方召会を尊ぶのは、一つの目的のためです。地方召会は、わたしをキリストのからだの中へともたらす手続きです。……ですから、わたしたちが諸地方召会にいる必要があるのは、キリストのからだの実際の中へと導き入れられ、もたらされることができるためです。(リー全集、1994-1997年、第1巻(上)、「ブレンディングに関する実行上の要点」、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週5日)

 

神聖な交わりは、わたしたちを共にブレンディングします

 

Ⅰコリント12:24-25

ところが、わたしたちの美しい肢体には、その必要はありません。神は欠けている肢体にさらに豊かな尊さを与えて、体を調和させられました.それは体に分裂がなく、各肢体が互いに同じ顧みを持つためです。

 

「神聖な交わりは、わたしたちを共にブレンディングします。すなわち、わたしたちを調節し、調整し、調和させ、共にミングリングして、一つからだとならせます(Ⅰコリント10:17.12:24-25)。共にブレンディングされることは、十字架を経過し、その霊によってあらゆる事を行ない、キリストのからだのためにキリストを他の人たちの中へと分与することです(参照、歴代下1:10)」。

 

 主よ、わたしたちはブレンディングされ、ミングリングされますように。わたしたちが常に立ち止まって他の人と交わることができますように。神聖な交わりの中で、キリストの宇宙的なからだの一を保つことができますように。

 

 

からだの生活の中で調整され、ブレンディングされる

 

 からだの生活の中で調整され、ブレンディングされ、調節され、ミングリングされ、調和されるために、わたしたちは十字架を経過し、その霊により、キリストのからだのためにキリストを他の人に分与しなければなりません。……さらに、わたしたちが行なうことは、わたしたちの益のため、またわたしたちの味わいにしたがったものではなく、召会のためであるべきです。(神聖で奥義的な領域、第6章)

 

 ブレンディングは、わたしたちが常に立ち止まって他の人と交わるべきであることを意味します。その時わたしたちは多くの益を受けるでしょう。もしわたしたちが自分を孤立させ隔離するなら、多くの霊的な益を失うでしょう。交わることを学んでください。……ブレンディングを数回、実行し始めた後、その味わいを得るでしょう。これは、キリストの宇宙的なからだの一を保つのに最も助けになる事です。(神聖で奥義的な領域、第6章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週4日)

 

召会の間には、何の組織もなく、キリストのからだの交わりがあります

 

エペソ1:22-23

また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。

 

「すべての地方召会は一つの召会です。それらの地方召会の有機的な関係は、神聖な命の有機的な交わりに基づいています。すべての召会の間には、何の組織もありませんが、キリストのからだの交わりがあります(ピリピ1:5.参照、使徒9:31)」。

 

 主よ、わたしたちの交わりが、神聖な命の有機的な交わりに基づいていますように。三一の神の有機体としての召会を感謝します。キリストのからだの生活を実行することができますように。

 

 

諸召会の関係は、神聖な命の有機的な交わりに基づいています

 

 すべての地方召会は一つの召会です。……それらの関係は組織的ではありません。諸召会の関係は神聖な命にしたがって有機的であり、神聖な命の有機的な交わりに基づいていなければなりません。わたしたちはこの見方を保つなら、多くの問題から救われます。・・・・・

 わたしたちはただ、三一の神の有機体としての召会の、からだの生活を実行することを顧慮すべきです。主の回復の中で、わたしたちは自治や同盟を実行しません。わたしたちはただ、キリストのからだにおける唯一の宇宙的な交わりに基づいた実行を持つだけです。一地方の召会は、別の地方の召会と全く関係がないという態度を持つべきではありません。……わたしたちはキリストのからだの唯一の宇宙的な交わりに基づいた唯一の関係を実行すべきです。(手順を経て分与する三一の神の有機体であるキリストのからだとしての召会の有機的建造、第4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週3日)

 

一つの神聖な交わりは、織り込まれた交わりです

 

Ⅰヨハネ1:6-7

もし、わたしたちが神と交わりを持っていると言いながら、暗やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を実行していません.しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩くなら、わたしたちは互いに交わりを持ち、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちを清めます。

 

「一つの神聖な交わりは、織り込まれた交わりです。すなわち、水平の交わりが垂直の交わりと織り込まれています。使徒たちの初期の経験は、御父との、また御子イエス・キリストとの垂直の交わりでした。しかし、使徒たちが永遠の命を他の人たちに伝えた時、彼らは神聖な交わりの水平の面を経験しました(Ⅰヨハネ1:2-3.参照、使徒2:42)」。

 

 主よ、わたしたちが召会生活の中で、水平の交わりと垂直の交わりとを経験することができますように。そして、織り込まれた交わりを享受することができますように。

 

 

水平の交わりは、わたしたちを垂直の交わりへともたらします

 

 ヨハネの第一の手紙第1章2節から3節と6節から7節は、神聖な命の交わりには垂直の面と水平の面の両方があることを啓示しています。交わりの垂直の面は、わたしたちと三一の神との交わりを指しています。交わりの水平の面は、わたしたちの互いの交わりを指しています。

 

 神聖な交わりの水平の面は、人の霊によります。神聖な交わりの垂直の面は、神聖な霊、すなわち聖霊によります(Ⅱコリント13:14.Ⅱテモテ4:22)。…… わたしたちは人の霊によって、神聖な交わりの水平の面へと入ります(ピリピ2:1.啓1:10)。水平の交わりは、わたしたちを垂直の交わりへともたらします。二人の兄弟たちが彼らの霊を活用して真の、正常な、水平の交わりを経験するなら、最終的にとても誠実で真実なとりなしへともたらされます。彼らが共に祈るとき、神聖な交わりの二つの面が織り込まれます。……この織り込まれた交わりは真の交わりです。(三一の神が三部分から成る人に命となる、第17章、第18章――英文)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

6月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 キリストのからだとしての召会の内在的で有機的な建造(2) 第4週2日)

 

キリストのからだの交わりは、諸召会の間の交わりです

 

Ⅰヨハネ1:3

わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも伝えます.それは、あなたがたもわたしたちと交わりを持つためです.わたしたちの交わりとは、御父との、また御子イエス・キリストとの交わりのことです。

 

「キリストのからだの交わりは、諸召会の間の交わりであり、使徒たちの交わりです(使徒2:42.Ⅰヨハネ1:3)。教えは交わりを生み出し、交わりは教えから来ます(Ⅰコリント4:17.1:9.10:16)。今日の主の回復において、わたしたちは使徒たちの教えの下におり、また使徒たちの交わりの中にいます(使徒2:42)」。

 

 主よ、わたしたち信者の内側にある、永遠の命の流れの中におらせてください。わたしたちがその霊の交わりを通して、御父の愛と御子の恵みを享受することができますように。

 

 

交わりは、永遠の命から流れ出たものです

 

 交わりは、永遠の命から流れ出たもので、実際上、神聖な命を受けて所有している信者たちの内側にある、永遠の命の流れです。それは、新エルサレムにおける命の水の流れによって説明されています(啓22:1)。すべての真の信者は、この交わりの中にあります(使徒2:42)。交わりは、わたしたちの再生された霊の中のその霊によって遂行されます。ですから、それは「聖霊の交わり」(Ⅱコリント13:14)、「[わたしたちの]霊の交わり」(ピリピ2:1)と呼ばれています。

 

 わたしたち信者は、この永遠の命の交わりの中で、御父と御子のすべてに、また御父と御子がわたしたちのために成し遂げたすべてにあずかります。すなわち、わたしたちはその霊の交わりを通して、御父の愛と御子の恵みを享受するのです(Ⅱコリント13:14)。……使徒行伝第2章42節で、それは「使徒たちの交わり」、またヨハネの第一の手紙第1章3節で「わたしたち(使徒たち)の交わり」、御父と御子イエス・キリストとの交わりと呼ばれています。(Ⅰヨハネ1:3、フットノート3)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)