朝ごとの食物

12月の祈り第30日

(長老責任者訓練 第6週6日)

 

キリストの良い奉仕者になるために、有機的な特徴を持つことを願います

 

Ⅱテモテ4:2

御言を宣べ伝えなさい.時が良くても悪くても、用意をしていなさい.辛抱強さと教えの限りを尽くして、責め、戒め、勧めなさい。

 

Ⅱテモテ1:6-7

……あなたの内にある神の賜物を、再び燃え立たせることです。というのは、神がわたしたちに賜わったのは、臆する霊ではなく、力と、愛と、冷静な思いとの霊であるからです。

 

「わたしたちはキリストの良い奉仕者になるために、以下の有機的な特徴を持つことを切望しなければなりません。わたしたちは毎日、毎時、主との交わりの中に住まなければなりません(Ⅰコリント1:9.Ⅱコリント13:14)。わたしたちは祈る人でなければなりません(コロサイ4:2.創4:26.哀3:55-56.ローマ10:12-13)。わたしたちは朝早く御言の中で主を享受して、毎日の新しい開始を持たなければなりません(詩119:147-148)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの中にある、力と、愛と、冷静な思いとの霊を感謝します。主よ、わたしたちがキリストの良い奉仕者になるために、毎日、毎時、主との交わりの中に住まわせてください。また祈る人となり、朝早く御言の中で主を享受して、毎日の新しい開始を持つことができますように。

 

 

自分の霊を活用(訓練)して敬虔へと至ります

 

 わたしたちが神の言葉を供給するときはいつも、主要な事はわたしたちの霊を活用することです。キリストの良い奉仕者は、自分の霊を活用(訓練)して敬虔へと至るという習慣を建て上げて、日常生活の中でキリストを生きます(Ⅰテモテ4:6-8,15-16.Ⅱテモテ1:6-7.ローマ1:9.7:6.12:11.ヨハネ4:23-24)。敬虔は、神を表現する生活であり、神聖なエコノミーのための神聖な分与の結果です。この分与は、わたしたちの霊を活用して、日常生活でキリストを生き、召会生活の中で神を団体的に現すことにかかっています(Ⅰテモテ1:3-4.3:15-16.4:7-8.Ⅱテモテ1:6-7.詩歌371番の5節)。

 

 わたしたちは、わたしたちの霊を活用し、祝福に満ちた[ほめたたえられるべき]三一の全体を適用し享受して、聖霊の中で祈り、自分自身を神の愛の中に保ち、わたしたちの主イエス・キリストの勝利に満ちた出現の日における、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望まなければなりません。それはわたしたちが、永遠の命の総合計、すなわち新エルサレムとなるためです(ユダ19-21節)。(キリストの良い奉仕者アウトライン)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第29日

(長老責任者訓練 第6週5日)

 

わたしたちの負担は、神の啓示を人に解き放つことです

 

イザヤ13:1

アモツの子イザヤが見た、バビロンについての託宣。

 

ゼカリヤ12:1

イスラエルについてのエホバの言葉の託宣。……

 

「預言者たちが受けた啓示は、彼らが受けた負担でした。負担がなければ、召会を建造するための言葉の務めはなく、預言することもありません(イザヤ1:1.2:1.13:1.15:1.ゼカリヤ12:1.マラキ1:1.使徒6:4.Ⅰコリント14:4後半)。わたしたちの負担は、神の啓示を人に解き放つことです。そして、神の啓示が解き放たれるのは、神がわたしたちに与えてくださる啓示の言葉を通してです(2:11-16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが神の語りかけを持つことができますように。適切な言葉、正しい内なる言葉を与えてください。そして、神の啓示を人に解き放つことができますように。

 

 

負担は、光プラス思想プラス内なる言葉です

 

 啓示と光は最初にやって来ます。これが出発点です。……しかし、啓示と光だけが言葉の務めを構成しているのではありません。人は彼の思いと理解力において更新されなければなりません。神が再び照らすその時、彼は啓示の内容について明瞭になるでしょう。わたしたちは、ぼんやりした、そして霧の立ちこめたような啓示を伝達することができません。わたしたちが啓示について他の人々に語ることができる前に、少なくともそれがわたしたちの思いの中で明瞭になっていなければなりません。……しかし、たとえわたしたちの思いが明瞭であっても、わたしたちは正しい言葉を持たないがゆえに、やはり言葉の奉仕者ではないかもしれません。……

 

 それでは、負担とは何でしょうか? 第一に、負担はわたしたちが霊の中で受ける光であり、その光を捕らえる思想、そして最後にその光と思想を補充する内なる言葉です。負担の最終段階は、内なる言葉の解放です。これら三つの事柄の組み合わせが、預言者たちの負担を組み立てます。負担は、光プラス思想プラス内なる言葉です。わたしたちの負担は、神の啓示を人に解き放つことです。そして神の啓示が解き放たれるのは、わたしたちが受けたことがある啓示の言葉を通してです。(ニー全集、第53巻、「神の言葉の務め」、第12章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第28日

(長老責任者訓練 第6週4日)

 

命の木の原則にしたがって聖徒たちに仕えます

 

啓示録22:14

自分の衣服を洗う者たちは幸いである.彼らは命の木への権利を持ち、門を通って都の中へと入ることができる。

 

「キリストの良い奉仕者は命を供給し、正しいか間違っているかの木の原則にしたがってではなく、命の木の原則にしたがって聖徒たちに仕えます(創2:9.ヨハネ10:10後半.Ⅰコリント15:45後半.Ⅱコリント3:6.4:10-12.Ⅰヨハネ5:12,16前半)。――「わたしたちは彼[キリスト]以外のいかなる人、物、事にでもなく、ただ彼にだけ集中すべきです。彼に焦点を合わせ、彼を唯一の中心とすべきです。それは、信者たちの間のあらゆる問題が解決されるためです」(Ⅰコリント1:9のフットノート2)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちはキリスト・イエスによって捕らえられていることを感謝します。わたしたちがキリスト以外のいかなる人、物、事にでもなく、ただ主にだけ集中し、キリストの中で生き、わたしたちの命としてのキリストを享受することができますように。

 

 

知識の木から救い出され、命の木の中で生きます

 

 神は人とミングリングされて、人の要素となり、人にとってあらゆるものとなりたいのです。これは、わたしたちが他の題目を理解していないということではなく、それらの味わいがなくなるということです。命の木があらゆるメッセージを測る尺度となります。神が来て、人の命になること……から離れたどのようなメッセージも、教えの風です[参照、エペソ4:14]。……他の人たちがキリストの中で生き、彼らの命としてのキリストを享受するように導くメッセージは……命のメッセージと呼ばれ、[また]人々に命の供給を与えます。

 

 真に預言者として務めをする人たち、すなわち、命の木を享受し、神の中で生き、神に自分を満たしていただく人たちは、神の表現となり、神のために語ります。彼らが他の人たちを彼らの命としての神を享受させることにもたらすのは、命のメッセージを与えるからです。真に預言者として務めをすることを願う人は、知識の木から救い出され、命の木の中で生きなければなりません。(「命の木と善悪知識の木のビジョン」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第27日

(長老責任者訓練 第6週3日)

 

キリストの良い奉仕者は、真理の絶対性を保持します

 

Ⅰテモテ3:15

それは、もしわたしが遅れた場合、神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知ってもらうためです.神の家とは生ける神の召会であって、真理の柱また基礎です。

 

ヨハネ17:17

彼らを真理の中で聖別してください.あなたの言は真理です。

 

「キリストの良い奉仕者は、自分自身を犠牲にし、自分自身をわきに置いて、真理の絶対性を保持します。真理は、自分の感覚にしたがって歩く人に託されることはできません。人は、真理の側に立って、自分自身に反対しなければなりません。 自分自身を対処した者たちだけが、真理を維持することができます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の召会は真理の柱また基礎であることを感謝します。主よ、わたしたちを真理の中で聖別してください。そして、真理に対して絶対的であることができるように、わたしたちを守ってください。主よ、わたしたちが真理の光の中で、自分自身を罪定めする者になることができますように。

 

 

自分の間違いを認めるなら、新しい光がやって来て、新しい道が開かれます

 

 神の働きを顧みることを学ぶ際の一つの基本的な学課は、真理に対して絶対的であることです。聖書の中のどの真理も、人の状況とかかわりを持ちません。今日、人は真理に対して絶対的ではありません。なぜなら、自分の状況が真理とかかわりを持っているからです。真理が人の状況とかかわりを持っているので、人がある真理を経験していない時、彼はその真理を語ることができないと感じるのです。しかしながら、人は経験を持っているからある真理に関して話す資格があるわけではないことを、人は認識する必要があります。真理はそれ自身において絶対的です。……

 

 今日、多くの暗やみがあるのは、人が真理を犠牲にしてしまい、真理を自分に従わせているからです。もしわたしたちが真理を唯一の標準とすることができるなら、またもしわたしたちが、主がそのような事をしてくださったので、勇気をもって自分が間違っていることを認めると言うなら、新しい光がやって来て、新しい道があなたがたに開かれるでしょう。……もしあなたが光を犠牲にしないなら、光はあなたを引き上げるでしょう。(ニー全集、第57巻「ウオッチマン・ニーの務めの回復」、第12編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第26日

(長老責任者訓練 第6週2日)

 

成人した者たちのためには、固い食物があります

 

ヘブル5:12-14

時間の上では、あなたがたは教える者であるはずなのに、神の言の初歩的な基本を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります.そして固い食物ではなく、乳を必要とする者になっています。すべて乳にあずかっている者は、義の言に経験がありません.なぜなら、彼は幼子であるからです.しかし、成人した者たちのためには、固い食物があります.……

 

「わたしたちは、キリストの豊富を霊的な食物として人々に供給する必要があります。それは、彼らが養われ、命において成長するためです。神の言葉は、養いのための乳や固い食物にたとえられます(ヘブル5:12-14.Ⅰコリント2:2.Ⅰペテロ2:2)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の言葉は乳であり、また固い食物であることを感謝します。主よ、わたしたちが神の言の乳を飲む幼子の状態から、固い食物を食べる成人へと成長させてください。わたしたちがみな良い教えの言で養われて、キリスト・イエスの良い奉仕者となることができますように。

 

 

わたしたちは緊密に従ってきた良い教えで養われます

 

 テモテへの第一の手紙第4章6節によれば、わたしたちはまた緊密に従ってきた良い教えで養われるべきです。良い教えの言は、キリストの豊富を内容とし伝達する甘い言葉であり、キリストの信者たちを養い、啓発し、強めます。実は、その信仰の言と良い教えの言は同じ事を指しています。わたしたちは他の人たちを教えようとするなら、わたしたち自身がまずこれらの言葉に緊密に従わなければなりません。それらに緊密に従い、それらで養われると、わたしたちは他の人たちを養うことができるでしょう。

 

 例えば、もし母親がどのように自分自身を正しく養うかを知らないなら、どのように健康な食物を子供たちに食べさせるかを知らないでしょう。彼女自身の養われる経験を通して、彼女はどの食物が子供のために最上であるかを知るでしょう。これが例証する事実は、キリストの良い奉仕者として、わたしたち自身がまずその信仰の言と、わたしたちが緊密に従ってきた良い教えの言で養われなければならないということ、こうしてわたしたちは他の人を養うことができるということです。「テモテへの第一の手紙ライフスタディ」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第25日

(長老責任者訓練 第6週1日)

 

良い教えの言に養われて、キリスト・イエスの良い奉仕者となります

 

Ⅰテモテ4:6

これらの事を兄弟たちの前に提示するなら、あなたはその信仰の言と、あなたが緊密に従ってきた良い教えの言に養われて、キリスト・イエスの良い奉仕者となります。

 

「キリストの良い奉仕者とは、キリストをもって人々に仕えて、キリストを救い主、命、命の供給、あらゆる積極的なものとして人々に供給する者です。わたしたちがキリストを人々に供給しようとするなら、わたしたち自身が養われていなければなりません。キリストの良い奉仕者は、キリストについて単に人々に教えるのではなく、キリストを食物として人々の中へと供給します(マタイ4:4.エレミヤ15:16.エゼキエル3:1-4.ヨハネ6:57,63)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたを食べる者は、あなたによって生きることができることを感謝します。主よ、わたしたちがキリストを食物として、人々に供給するために、まず、わたしたち自身が養われますように。主よ、わたしたちがキリストをそしゃくし、消化し、わたしたちの内なる存在に浸透していただくことができますように。

 

 

わたしたちはキリストで養われて、キリストを食物として、他の人たちに供給します

 

 わたしたちはキリストを他の人たちに供給しようとするなら、わたしたち自身がまず養われなければなりません。わたしたちはキリストで養われて、キリストを食物として、命の供給として持ち、他の人たちに供給するでしょう。「養われて」という言葉は、キリストの良い奉仕者がただ他の人にキリストについて教えるだけでなく、キリストを食物として他の人の中へと供給すると言う根拠をわたしたちに与えます。……

 

 テモテはこれらの事を他の人たちの前に提示することができる前に、まず自らそれらを食べなければなりませんでした。彼はそれらをそしゃくし、消化し、彼の内なる存在に浸透させなければなりませんでした。それから彼はそれらを兄弟たちの前に提示することができました。今日わたしたちはテモテの事例に従い、自分が主によって務めを通して養われたものを聖徒たちの前に提示すべきです。わたしたちみながこれを行なうなら、召会生活は何とすばらしくなることでしょう!(「テモテへの第一の手紙ライフスタディ」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第23日

(長老責任者訓練 第4週6日)

 

うまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていなさい

 

コロサイ4:2

うまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていなさい。

 

使徒6:4

ただしわたしたちは、祈りと言の務めを堅く持ち続けることにしましょう。

 

「すべての召会のすべての聖徒がうまずたゆまず祈るなら、回復は大いに豊かにされ、引き上げられます。さらに、聖徒たちは主と、彼の臨在と、彼の即時的で、恒常的な油塗りとを享受するようになります。彼らは一日中、主の笑顔を享受し、キリストの生けるパースンは彼らの経験また享受となります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの御言葉を感謝します。主よ、わたしたちがうまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていることができますように。主よ、あなたのあわれみによって自発的に、継続的に祈ることができますように。

 

 

わたしたちは自発的であり、空になり、継続的に祈る必要があります

 

 あなたが自発的であることにかけ、空であることにかけ、祈りにかけているなら、わたしはあなたを助けることができません。また、あなたは他の人たちの助けになることもできません。……わたしたちは祈るべきです、「主よ、あなたのあわれみによって、わたしは自発的です。あなたの恵みの中で、わたしは空です。わたしは完全に空になって、あなたに開いています。わたしは過去の経験の何をも保持したくありません。わたしは新鮮でありたいです」。主で満たされるように、いつも、絶えず祈りなさい。そうすれば、あなたは波のようにあなたに来る[神聖な]知恵、理解、知識を経験するでしょう。……

 

 あなたはどのように神聖な性質をもって聖徒たちと接触するか、どのように彼らにキリストを供給するか、どのようにキリストの贖いと神の裁きをもって彼らを建て上げるかを知るでしょう。あなたはまた、造り変えの中で、また召会生活の中で聖徒たちを建て上げる内なる能力を持つでしょう。彼らを性格において建て上げるだけでなく、彼らを神の住まいとして建て上げるのです。(リー全集、1983年、第1巻(上)、「長老たちとの実行面の談話」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第22日

(長老責任者訓練 第4週5日)

 

神は消極的な状況を通して語りますが、キリストの豊富を伴っています

 

Ⅰコリント1:9

……あなたがたは彼の御子、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの交わりへと召されたのです。

 

エペソ5:8

なぜなら、あなたがたはかつては暗やみでしたが、今は主の中で光であるからです.光の子供たちとして歩きなさい。

 

「通常、胸当ての十二の宝石は、ウリムの輝きの下にありました。突然、ある名が彫られている宝石が暗くなりました。このように特定の宝石が暗くなることが、神の即時的な語りかけでした。パウロの書簡と、アジアの七つの召会に対する主イエスの七つの書簡はすべて(啓第2章―第3章)、この原則にしたがって書かれました。それらは諸召会において見いだされる積極的な事柄にしたがってではなく、諸召会の消極的な状況にしたがって書かれました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは主の中で光りであることを感謝します。光の輝きの中で兄弟姉妹の実際の状況を読み取り、主の導きを尋ね求めることができますように。そして、キリストの豊富が召会に供給されますように。

 

 

主の照らしを見て、聖徒たちを読んで、神の導きを受けます

 

 ウリムとトンミムのある胸当ての今日の適用は……導く者たちが聖徒たちとキリストを心に担うことを要求します。それは、彼らが神の導きのために聖徒たちの状態とキリストの完成を知るためです。……これらの導く者たちは、主の照らしを見て、聖徒たちを読む必要があります。そうすれば彼らは、自分の地方の召会に関する神の導きを受けることができるでしょう。ウリムとトンミムのある胸当てを通して神が語る方法は、わたしたちが期待するものと反対です。

 

 神は、輝いている石を通してではなく、暗くなる石を通して語ります。これは、神が消極的な状況を通して語ることを意味します。通常、胸当てにある十二の石は、ウリムの輝きの下にありました。突然、ある名が彫られている宝石が暗くなりました。この特定の宝石が暗くなることが、神の即時的な語りかけでした。……神は突然暗くなった宝石を通して語られました。…… 旧約と新約のいずれにおいても、神の語りかけは消極的な状況にしたがっていますが、ご自身の民に対する供給としてのキリストの豊富を伴っています。 (「出エジプト記ライフスタディ(6)」、第129編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第21日

(長老責任者訓練 第4週4日)

 

新約において、ウリムとトンミムはミングリングされた霊に置き換わりました

 

ローマ8:4,14

それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。…… なぜなら、神の霊によって導かれている者はみな、神の子たちであるからです。

 

「旧約によれば、胸当てに加えられたウリムとトンミムは、神がご自身の民に語って彼らにご自身の導きを示す手段でした。こういうわけで、わたしたちは、決断の胸当てが「導きの胸当て」であると言ってもよいのです(レビ8:8.民27:21.申33:8.ヨシュア7:16-21.サムエル上23:6,9-12.28:6.エズラ2:63.ネヘミヤ7:65)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ新約において、裁きの胸当ては導きの胸当てとなり、わたしたちが神の導きを知ることができることを感謝します。主よ、わたしたちは何であれ肉、自己、古い人、この世からのものを裁くことができますように。そして、わたしたちが神の導きを知ることができますように。

 

 

裁きの胸当ては、実は導きの胸当てです

 

 新約の神聖政治では、ウリムとトンミムはミングリングされた霊に、すなわち、わたしたちの再生された人の霊とミングリングされた神聖な霊に置き換わりました(ローマ1:9.8:16.ヨハネ3:6.4:24.Ⅰコリント6:17)。神の委託はわたしたちの霊の中にあります。(「神の定められた道の訓練と実行(下)」、第23章)

 

 胸当ては裁きの胸当てと呼ばれました(出28:15)。… ここの裁きは、おもに何が正しいか間違っているか、何が義であり不義であるかを決定することではありません。そうではなく、この裁きは、神の民が神の導きを知ることができるためです。ですから、裁きの胸当ては、実は導きの胸当てです。…… わたしたちは何であれ肉、自己、古い人、この世からのものを裁かなければなりません。わたしたちは肉の事柄、肉に付けられた思いを裁かなければなりません。この裁きは、わたしたちが神の導きを知る道を明確にします。(「出エジプト記ライフスタディ(6)」、第123編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第20日

(長老責任者訓練 第4週3日)

 

大祭司は神の御前で、ウリムとトンミムを伴う胸当ての上の石を読みました

 

出28:29-30

……アロンは聖なる所に入って行くとき、裁きの胸当てにあるイスラエルの子たちの名を胸に抱いて、エホバの御前で絶えず記念としなければならない。あなたは裁きの胸当てに、ウリムとトンミムを入れなければならない.そしてアロンがエホバの御前に出るとき、それがアロンの胸の上にあるようにし、……

 

 「長老たち[兄弟姉妹]は神の指示を注入されて召会を顧みるために、多くの徹底的な祈りを持って「聖徒たちを読む」実際の中へと入らなければなりません。それは、旧約の大祭司が神の御前で、ウリムとトンミムを伴う胸当ての上の石を読んだようにです(出28:29-30)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたはアルファであり、オメガであり、その間のすべての文字であることを感謝します。大祭司がイスラエルの子たちの名を胸に抱いて、エホバの御前で絶えず記念としたように、わたしたちも多くの祈りを持って「聖徒たちを読む」実際の中へと入り、必要を顧みることができますように。

 

 

多くの徹底的な祈りを持って「聖徒たちを読む」実際の中へと入ります

 

 胸当ての十二の名は、ヘブル語アルファベットの二十二文字のうちの十八文字を含みました。その他の四文字は、トンミムと呼ばれるものの上に置かれました。「トンミム」というヘブル語は、「成就する者」、あるいは「完成する者」を意味します。ですから、トンミムと呼ばれる追加のものを伴う胸当ての上には、ヘブル語アルファベットの二十二文字すべてが見いだされ得ました。キーボードのキーの英語アルファベットの二十六文字が、単語、句、文章、あるいは段落を構成するのに用いられることができるように、胸当てとトンミムの上のヘブル語アルファベットの二十二文字は、言葉と文章を構成するのに用いられることができました。……  

 

 トンミムは胸当ての文字を完成するもの、成就するものでした。これは、キリストがどれほどわたしたちの中へと書き記されたとしても、わたしたちは依然として全体的ではないことを示します。いくつかの文字、キリストの何かが、依然として失われています。わたしたちは完成するキリスト、これらの失われている文字を担う方を必要とします。(「出エジプト記ライフスタディ(6)」、第126編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第19日

(長老責任者訓練 第4週2日)

 

男たちは怒ったり議論したりすることなく、聖い手を挙げて祈ります

 

Ⅰテモテ2:4,8

神はすべての人が救われて、真理の全き知識へ至ることを願っておられます。…… ですから、男たちは怒ったり議論したりすることなく、あらゆる所で聖い手を挙げて祈ることを、わたしは願っています。

 

「手は、わたしたちの行ないを象徴します。このゆえに、聖い手が表徴するのは、聖い生活、すなわち、敬虔で神に属する生活です。このような聖い生活は、わたしたちの祈りの生活を強めます。祈りの生活を持ち、絶えず祈るために、わたしたちの感情と思いは規制されて、正常な状態にもたらされ、わたしたちの霊の中のその霊の管理を受けなければなりません」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。すべての人が救われて、真理の全き知識へと至るようにという神の願いを感謝します。主よ、わたしたちがすべての人のために、祈ることができますように。わたしたちが祈りの生活をするために、わたしたちの霊の中のその霊の管理を受けることができますように。主よ、わたしたちの話すことが祈りに変えられて、祈りの生活をすることができますように。

 

 

祈りの生活を持つために、わたしたちの感情と思いは規制される必要があります

 

 もしあなたが長老たちや聖徒たちを批判的に見つめているなら、あなたの祈りの生活は殺されるでしょう。しかしあなたが聖い手を挙げるなら、あなたの祈りは強められるでしょう。8節でパウロはまた兄弟たちに、「怒ったり議論したりすることなく」祈るように勧めます。怒りと議論は、わたしたちの祈りを殺します。怒りは、わたしたちの感情から出て来ます。議論は、わたしたちの思いから出て来ます。

 

 祈りの生活を持ち、絶えず祈るために、わたしたちの感情と思いは規制されて、正常な状態にもたらされ、わたしたちの霊の中のその霊の管理を受けなければなりません。「議論」のギリシャ語は、「論争的な議論」を意味します。パウロがここで語っているのは、正常な通常の議論ではなく、論争に満ちた議論です。わたしたちは正しく祈ろうとするなら、これを避けなければなりません。(「テモテへの第一の手紙ライフスタディ」、第3、4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第18日

(長老責任者訓練 第4週1日)

 

何よりもまず、すべての人のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい

 

Ⅰテモテ2:1-2

そこで、わたしは勧めます.何よりもまず、すべての人のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい.また、王たちや、高い地位にあるすべての人のためにもそうしなさい.それは、わたしたちが十分に敬虔で謹厳であって、平穏で静かな生活をするためです。

 

「今日、主の回復において正しい召会生活を持つための必要条件は、祈りの生活を持つことです。正しい召会は、祈る召会です。主の回復の中のすべての人は、多く祈らなければならず、祈らないという罪に抵抗しなければなりません(サムエル上12:23)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが何よりもまず、すべての人のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげることができますように。主よ、わたしたち一人一人に、祈りの生活を持たせてください。主よ、わたしたちが祈らないという罪に抵抗して、祈る人になり、祈る召会となることができますように。

 

 

召会生活の中で率先する人たちは、祈りの生活をしなければなりません

 

 わたしたちはテモテへの第一の手紙第2章1節から7節のパウロの霊に触れるなら、彼の負担は、召会生活の中で率先する人たちが、祈りの生活をしなければならないことであるのを感じるでしょう。これらの節で、パウロはテモテにこう告げているかのようです、「わたしはあなたに神のエコノミーの明確な絵と、それがいかに異なる教えと相対するかを見せてきました。わたしはまたあなたに、主のあわれみの中で、主がわたしを彼のエコノミーの模範としてくださったことを指摘しました。わたしはまたあなたに、神のエコノミーのために良い戦いを戦うようにと厳かに命じました。

 

 今わたしの霊の深みで、祈るようあなたに勧める負担があります。願いと、祈りと、とりなしと、感謝とが、すべての人のためにささげられるようにと勧めます。教えが祈りの前に来ると考えてはなりません。違います。祈りが第一であり、教えは第二でなければなりません」。(「テモテへの第一の手紙ライフスタディ」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第16日

(長老責任者訓練 第2週6日)

 

わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています

 

ピリピ2:15-16

それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、…… 傷のない神の子供たちとなり、彼らの間で世にあって発光体のように輝き、命の言を提供するためです.……

 

Ⅱコリント4:7

しかし、わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています.それは、この卓越した力が神のものであって、わたしたちからではないことが現れるためです。

 

「神がわたしたちの心の中を照らすのは、わたしたちが他の人たちを照らすためです。それによって彼らは、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を認識し、すなわち、神を表現し明らかに示すキリストを認識します(ピリピ2:15.ヨハネ1:18)。キリストの栄光の福音は、わたしたちの中へと輝き、それからわたしたちの中から輝き出ます(マタイ5:16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を輝かせてくださったことを感謝します。わたしたちの中のこの輝きが、他の人たちを照らし、尊い宝としてのキリストが分与されますように。

 

 

神がわたしたちの心の中を照らすのは、わたしたちが他の人を照らすためです

 

 [コリント人への第二の手紙第4章6節の]神がわたしたちの心の中を照らすことは、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を輝かせること、すなわち、わたしたちにキリストの福音の栄光を知らせる照らしという結果になります。…… 宇宙における神の照らしは、旧創造を生み出しました。彼がわたしたちの心の中を照らすことは、わたしたちを新創造としました。なぜなら、この照らすことは、土の器であるわたしたちの中へと栄光のキリストの驚くべき宝をもたらしたからです。

 

 わたしたちの心の中の神の照らしは、わたしたちを輝かせて、わたしたちがキリストの御顔にある栄光を知るためです。…… 彼を知ることは、栄光の神を知ることです。特に、コリント人への第二の手紙第4章6節における輝きは、神によって心が照らされた人たちから、神の光の照らしが他の人たちの上を照らすことに言及しています。…… 神がわたしたちの心の中を照らすのは、わたしたちが他の人を照らすためです。それによって彼らは、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を認識し、すなわち、神を表現し明らかに示すキリストを認識します(ヨハネ1:18)。(「新約の結論(19)」、メッセージ317)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第15日

(長老責任者訓練 第2週5日)

 

神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き

 

Ⅱコリント4:4,6

……神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き…… なぜなら、「暗やみから光が照りいでよ」と言われた神は、わたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてくださったからです。

 

「神の栄光の知識の輝きは、イエス・キリストの御顔にあります。これが意味していることは、キリストの栄光の福音が一人の愛すべきパースンであって、彼の御顔にわたしたちは神の栄光を見ることができるということです(Ⅱコリント4:4,6.マタイ17:2)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの栄光の福音は一人の愛すべきパースンでるあることを感謝します。主よ、わたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてください。そして、わたしたちを神のかたちとしてのキリストの中へともたらしてください。

 

 

キリストの栄光の福音は一人の愛すべきパースンです

 

 神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きは、わたしたちの上を照らしました。コリント人への第二の手紙第4章4節におけるキリストの栄光の福音は、6節における神の栄光の知識と一致します。……神の栄光の知識の輝きは、イエス・キリストの御顔にあります。これは、使徒たちによって宣べ伝えられた福音が教理でも、神学でも、教えでもないことを示しています。

 

 むしろ、それは一人の愛すべきパースンであって、彼の御顔にわたしたちは神の栄光、すなわち、神のかたちを見ることができるということです。わたしたちは、イエス・キリストの御顔にある神の栄光が照らすことを経験するとき、この照らしはわたしたちを神のかたちとしてのキリストの中へともたらします。わたしたちはそのようなキリストに引き付けられます。(「新約の結論(19)」、メッセージ317)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第14日

(長老責任者訓練 第2週4日)

 

キリストの福音は、照らし輝き出す彼の栄光の福音です

 

ヘブル1:3

御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の明確なかたちであって、彼の力ある言葉によって、万物を維持し担っておられます.そして、罪のきよめを成し終えてから、高き所の威光ある方の右に座られました。

 

「キリストは、神のかたちであり、神の栄光の輝きです。こういうわけで、キリストの福音は、照らし輝き出す彼の栄光の福音です(コロサイ1:15.ヘブル1:3.Ⅱコリント4:3-4.啓6:2)。福音は、キリストの栄光の福音であって、わたしたちの心の中を輝かせ、照射し、照らします(Ⅱコリント4:4,6)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、神の栄光の輝きであり、神のかたちであるあなたをほめたたえます。主よ、わたしたちの心の中を輝かせ、照射し、照らしてください。主よ、日ごとにわたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてください。

 

 

キリストの栄光の福音は、人の心の中を輝かせ、照らします

 

 福音はキリストの栄光の福音であり、それは人の心の中を輝かせ、照射し、照らします。もし人の心が何にも覆われておらず、この時代の神であるサタンによって思いがくらまされていないなら、人は福音の輝きを見ることができます。コリント人への第二の手紙第4章6節は言います、「『暗やみから光が照りいでよ』と言われた神は、わたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてくださったからです」。……

 

 使徒たちは、キリストを主と宣べ伝え、彼ら自身が信者たちの奴隷であることを宣べ伝えました。なぜなら、暗やみから光が照りいでるようにと命じられた神が、彼らの心の中を照らされたからです。神は宇宙の中を照らして、旧創造を生み出されました。今や、神は使徒たちの心の中を照らして、彼らを新創造とされました。(コリント人への第二の手紙ライフスタディ(1)、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第13日

(長老責任者訓練 第2週3日)

 

神聖な栄光は彼の肉体の殻の中に隠されていました

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

 

12:23-24

……人の子の栄光が現される時が来た。まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。

 

「神の栄光は、キリストの肉体と成ったこと、人の生活、十字架、復活、昇天、再来と関係があります。言は肉体と成りました。そして、彼の神性の栄光は、彼の人性の殻の中に隠されていましたが、キリストの神性の栄光は、彼の死によって彼の人性の殻が砕かれることを通して、解き放たれました(ヨハネ12:23-24)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは一粒の麦として地に落ちて死なれたことを感謝します。主よ、あなたの死を通して、キリストの栄光が解き放たれ、復活の中で多くの麦粒を生み出してくださったことを感謝します。さらにあなたの栄光の表現としての増し加わりがありますように。

 

 

主イエスの死を通して、彼の栄光が解き放たれました

 

 神聖な栄光は彼の肉体の殻の中に隠されていたので、彼[キリスト]の栄光が現される必要がありました。ヨハネによる福音書第12章23節で彼は、「人の子の栄光が現される時が来た」と言われました。…… 主イエスは、彼の肉体の殻の拘束から解き放たれることを願われました。彼はヨハネによる福音書第12章24節で、この解き放つことに言及しておられます……。もし主イエスが一粒の麦として死なれなければ、彼は同じままであったでしょう。

 

 しかし彼は地に落ちて死なれ、その死は彼を人性の殻から解き放ちました。彼の肉体と成ることは、彼の神聖な栄光が彼の肉体の中に隠されるようにしましたが、彼の死を通して、彼の栄光が解き放たれ、彼の復活の中で多くの麦粒を生み出しました。それは彼の栄光の表現としての増し加わりとなります。(リー全集、1994-1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第12日

(長老責任者訓練 第2週2日)

 

この時代の神は、 キリストの栄光の福音の輝きを、照らさせないようにしています

 

Ⅱコリント4:4,6

この時代の神は、彼らの中で、信じない者たちの思いをくらましてしまい、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、彼らの上に照らさせないようにしています。…… なぜなら、「暗やみから光が照りいでよ」と言われた神は、わたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてくださったからです

 

「この時代の神は、欺く者サタン、この現在の時代の支配者です(ヨハネ12:31.14:30.16:11.エペソ2:2)。「この世の支配者」は、サタンが世の人を支配していることを指しており、「この時代の神」は、サタンが今日、世の人から礼拝を受けていることを指しています(ヨハネ12:31.Ⅱコリント4:4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。イエス・キリストの御顔にある神の栄光の知識を感謝します。主よ、わたしたちを助けて、おおいとなっているあらゆるものを落とさせてください。主よ、わたしたちが自分の観念を下ろし、あなたに心を向けることができますように。主よ、わたしたちの中で、この時代の神に何も地位を持たせないほどにしてください。

 

 

「この時代の神」は、サタンが今日、世の人から礼拝を受けています

    

 コリント人への第二の手紙第4章3節でパウロは言います、「そこで、もしわたしたちの福音が覆われているとするなら、それは滅びつつある者たちにとって覆われているのです」。ある人にとって、福音は古い観念、特に律法に関する観念によって覆われています(Ⅱコリント3:14-15)。原則として、哲学、宗教、文化的伝統など、キリストの福音の理解を妨げるすべてのものは、おおいです。ですから、写真を撮る時、レンズのカバーを取らなければならないように、キリストの宣べ伝えも、人々のおおいを取り除かなければなりません。

 

 [第4章4節の]この時代の神は、欺く者サタン、この時代の支配者です。彼は今日の世を支配し、人の思考と思いをくらますことによって、人から礼拝されることを求めています。この節の「くらます」とは、人の理解におおいをかけることを意味します。さらに、ここの「思い」とは、文字どおりには、「理解」や「思想」を意味します。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(1)」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第11日

(長老責任者訓練 第2週1日)

 

祝福に満ちた神の栄光の福音

 

使徒7:2

……わたしたちの父祖アブラハムが……まだメソポタミヤにいた時に、栄光の神が彼に現れて、

 

ローマ9:23

しかも、栄光へとあらかじめ用意しておられたあわれみの器に、彼の栄光の豊富を知らせようとされたとすれば、どうなのですか?

 

「栄光は、神の一つの属性です。栄光は、神の表現、輝かしく表現された神です(出40:34.使徒7:55.Ⅱペテロ1:3.啓21:11)。三一の神は、栄光の神です(使徒7:2)。神はわたしたちを、尊い器、栄光へと用意しておられた器として造りました。そして、キリストの栄光の福音を通して、神はわたしたちを、彼の永遠の栄光によって、彼の永遠の栄光の中へと召しました(Ⅱコリント4:4.Ⅰテモテ1:11.Ⅰテサロニケ2:12.Ⅰペテロ5:10.Ⅱペテロ1:3)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを、尊い器として造り、神の永遠の栄光の中へと召されたことを感謝します。わたしたちに託された福音は栄光の福音であり、神のエコノミーの福音です。わたしたち、召会から祝福に満ちた神の栄光の福音が宣べ伝えられますように。

 

 

使徒パウロに託された福音は、祝福に満ちた神の栄光の輝きです

 

 神のエコノミーは、「祝福に満ちた神の栄光の福音にしたがって」います(Ⅰテモテ1:11)。あなたは以前にこの表現を聞いたことがあるでしょうか? 多くの人が聞いたのは恵みの福音、赦しの福音、義認の福音、再生の福音ですが、栄光の福音ではありません。この福音は、罪の赦しや信仰による義認についての良きおとずれをもたらすだけではありません、栄光の福音は、神のエコノミーの福音です。栄光は表現された神です。ですから、栄光の福音は表現された神の福音です。それは神の栄光を表現する福音です。

 

 「祝福に満ちた神の栄光の福音」とは卓越した表現です。それは4節に述べられている神のエコノミーを指しています。使徒パウロに託された福音は、祝福に満ちた神の栄光の輝きです。この福音は、キリストの中で神の命と性質を神の選ばれた民の中へと分与することによって、神の栄光を輝かし出します。この栄光の中で、神は彼の民の間でほめたたえられます。これは使徒が主から受けた委託と務めです(12節)。これは地方召会の中で一般的に教えられ、宣べ伝えられるべきです。(「テモテへの第一の手紙ライフスタディ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第9日

(長老責任者訓練 第1週6日)

 

光の中で聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかります

 

コロサイ1:12

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように。

 

使徒26:18

……それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。

 

「それは、わたしにある信仰によって、彼らが……聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである」。この嗣業は、三一の神ご自身と、彼が持っているすべて、彼の贖われた民のために彼が行なったすべて、また行なおうとしているすべてです(使徒26:18))」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、知恵と知識のすべての宝が隠されていることを感謝します。主にある信仰によって聖別された人たちの分け前を感謝します。今、召会生活の中で、わたしたちに割り当てられた神聖な分け前を経験し、享受させてください。

 

 

信仰によって、罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けます

 

 使徒行伝第26章18節の「嗣業」という言葉は、「分」、あるいは「分け前」とも訳されます。このギリシャ語の言葉はまた、コロサイ人への手紙第1章12節でも用いられています。……コロサイ人への手紙第1章12節の聖徒たちの分け前は、使徒行伝第26章18節の主にある信仰によって聖別された人たちの分け前です。……聖徒たちは神によって聖別された人たちです。聖徒たちの分け前はキリストご自身です。コロサイ人への手紙全体は、神がすべてを含むキリストをわたしたちの分としてわたしたちに与えられたという事実を取り扱っています。

 

 知恵と知識のすべての宝は、このすべてを含むパースンの中に隠されています(コロサイ2:3)。そして彼の中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいます(9節)。キリストは、神によってわたしたちに割り当てられた神聖な分け前としてわたしたちに与えられました。(リー全集、1964年、第1巻(上)、「神のご計画の中の若者」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第8日

(長老責任者訓練 第1週5日)

 

使徒第26章18節は、神聖な委託の内容を啓示しています

 

使徒26:16-19

「……わたしがあなたに現れたのは、……あなたを奉仕者、証し人として定めるためである.……あなたを彼らに遣わし、彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである.それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである」。こういうわけで、……わたしは天のビジョンに背かず。

 

「使徒第26章18節はわたしたちの神聖な委託の内容を啓示しており、それはわたしたちに神のエコノミーの天のビジョンにしたがって奉仕させます。わたしたちはこれらの内容について祈り、主にそれらをわたしたちの経験と実際とならせてくださるように求める必要があります。それによってわたしたちは他の人たちを、この経験と実際の中へともたらすことができます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの目を開いてください。暗やみから光へ立ち返らせてください。サタンの権威から神に立ち返らせてください。主よ、わたしたちを助けて罪の赦しを受けさせてください。わたしたちを信仰によって聖別してください。そして、聖徒たちの間での共通の分け前を持たせてください。主よ、わたしたちが召会生活の中にとどまることができますように。

 

 

使徒行伝第26章18節の七つの要点を経験し、享受する

 

 全体的で、完全で、すべてを含む福音が使徒行伝第26章18節に見いだされます。すなわち、人々の目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせ、彼らに罪の赦しを得させ、彼らを信仰によって聖別し、彼らに聖徒たちの共通の分け前を享受させて召会生活を持たせます。この一つの節の中には七つの要点があります。それは、(1)人々の目を開くこと、(2)彼らを暗やみから光へ立ち返らせること、(3)彼らをサタンの権威から神に立ち返らせること、(4)彼らを助けて罪の赦しを受けさせること、(5)彼らを助けて信仰によって聖別すること、(6)彼らに聖徒たちの間での共通の分け前を持たせること、(7)召会生活の中にいることです。……

 

 これが、青年たちがこの世代に宣べ伝えなければならない福音です。天国に行くことについての貧弱な福音を宣べ伝えてはなりません。使徒行伝第26章18節で啓示されている引き上げられた福音を宣べ伝えなさい。(リー全集、1975年―1976年、第3巻(下)、「青年の訓練」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第7日

(長老責任者訓練 第1週4日)

 

キリストは召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって清めます

 

エペソ5:26-27

それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。

 

「命を与える霊としてのキリストは、言葉の中の水の洗いにしたがって召会を清めることによって、召会を聖別します。神聖な概念によれば、エペソ第5章26節の水は、神の流れる命を指しており、それは流れる水によって予表されています(出17:6.Ⅰコリント10:4.ヨハネ7:37-39.啓7:17.21:6.22:1,17)。わたしたちが今やそのような洗う過程の中にいるのは、召会が聖くて傷のないものになるためです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは命を与える霊として、語る霊であることを感謝します。主よ、わたしたち召会を言葉の中の水の洗いによって清めてください。わたしたち召会が聖くて傷のない栄光の召会となりますように。

 

 

キリストは言葉の中の水の洗いによって召会を清めます

 

 キリストが召会のためにご自身を捨てられたのは、「キリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるため」でした(エペソ5:26)。主イエスは肉体の中でわたしたちのためにご自身を捨てた後、復活させられ、復活の中で命を与える霊と成られました(Ⅰコリント15:45)。命を与える霊として、彼は語る霊です。彼が語られることは何であれ、わたしたちを洗う言葉です。エペソ人への手紙第5章26節で「言葉」と訳されたギリシャ語は、恒常的な言葉である「ロゴス(logos)」ではなく、即時的な言葉を示す「レーマ(rhema)」、すなわち、主が現在わたしたちに語っている言葉を指しています。

 

 命を与える霊として、主は沈黙しておられません。彼は絶えず語っておられます。あなたが彼をあなたのパースンとするなら、彼があなたの内側で語ることをどれほど願っておられるかを発見するでしょう。……キリストを命またパースンとする者はだれも、黙っていることはできません。その反対に、彼はキリストに強制されて語るでしょう。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(3)」、第54、55編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第6日

(長老責任者訓練 第1週3日)

 

神聖な聖別は、神聖なエコノミーを完成する保持する線です

 

ヘブル2:11

聖別する方と、聖別されつつある者たちは、すべてひとりの方から出ているのであり、それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされないで。

 

Ⅰテサロニケ5:23

そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あなたがたの霊と魂と体とを守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨の時に、完全で責められるところのない者にしてくださいますように。

 

「神聖な聖別は、神聖なエコノミーを完成することにおける保持する線です。それはわたしたちを神聖に息子化し、わたしたちを神の子たちとならせ、わたしたちを神の命と性質において(しかし神格においてではない)神と同じにならせ、神の表現とならせるためです。このゆえに、神の聖別は神聖な息子化であるのです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを神の子たちとならせるその霊の聖別する働きを感謝します。主よ、わたしたちが悔い改めて再生された時から、栄光化されるまで、わたしたちをその霊の聖別する働きの中で守ってください。

 

 

神の聖別は神聖な息子化のためです

 

 神聖な聖別は、神聖なエコノミーを完成することを保持する線です。……神のエコノミーは神の心の願いの意図であり、神はこの意図を定められた御旨とされました。この定められた御旨が神のエコノミーとなり、今なおそうです。聖別は神のエコノミーにおける大きな点です。……わたしたちは、「保持する線」という言葉が何を意味するかを見る必要があります。人は魚釣りに行くとき、糸(line)を必要とします。……糸は魚を保持します。言い換えれば、糸は魚釣りを方向づけます。わたしたちが、聖別は保持する線であると言うのは、わたしたちに対する神のエコノミーの働きのあらゆる段階が、わたしたちを聖くすることであるからです。

 

 その霊の聖別する働きは、まずわたしたちの悔い改めをもたらし、わたしたちの栄光化まで継続します。わたしたちの悔い改めと栄光化の間には、再生、更新、造り変え、同形化、わたしたちの体の変貌、すなわちわたしたちの全存在の栄光化があります。これはわたしたちを聖くする神聖な聖別の線ですから、この線は神のエコノミーを完成することを保持します。(「わたしたちの霊を伴うその霊」、第12章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第5日

(長老責任者訓練 第1週2日)

 

聖くなるように選び、子たる身分へとあらかじめ定められました

 

エペソ1:4-5

すなわち、この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び、みこころの大いなる喜びにしたがい、イエス・キリストを通して、わたしたちを子たる身分へと、彼ご自身へあらかじめ定められました。

 

「わたしたちが神格においてではなく、命と性質において神となることが開始されたのは、父なる神が過去の永遠において聖くなるようにわたしたちを選び、子たる身分へとわたしたちをあらかじめ定めることによってでした。神聖な子たる身分のための神聖な聖別は、神聖なエコノミーの中心であり、新約の啓示の中心思想です(エペソ1:4-5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが過去の永遠において聖くなるよう選ばれ、子たる身分へとあらかじめ定められたことを感謝します。主よ、わたしたちの目を開いて、聖別は子たる身分へと至り、子たる身分のためであるという、新約の啓示の中心思想を見せてください。聖霊を通して、神の聖なる性質をわたしたちの中へと分与してください。

 

 

聖別は子たる身分へと至り、子たる身分のためです

 

 聖別は、神の民を神へと分離することです。それは、神が彼らの上で働き、また彼らの中で働いて、彼らを彼の子たちとするためです。神は、多くの子たちを得るという意図を持ち、エコノミーを立てられました。…… まず、彼らは神へと聖別されました。次に、……神は来て彼らを生み、彼らを彼の子たちとされました。これはその霊の聖別を通してでした。エペソ人への手紙第1章4節は、神はわたしたちを聖くなるように選ばれたと言います。次に5節は、彼はこれを、わたしたちを子たる身分へとあらかじめ定めることによって行なわれたと言います。こうして、聖別は子たる身分へと至り、子たる身分のためです。

 

 わたしたちが聖くなることと子となることは、いずれも神の分与を必要とします。……神だけが聖である唯一の方です。わたしたちは聖くなるために、聖なる要素がわたしたちの中へと分与されることを必要とします。聖霊はわたしたちの中へと入って来るとき、神の聖なる性質をわたしたちの中へと分与し、その聖なる性質は聖なる要素となり、それをもって聖霊はわたしたちを聖別します。(「手順を経られた三一の分与と超越したキリストの伝達の結果」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第4日

(長老責任者訓練 第1週1日)

 

神の永遠のエコノミーの天のビジョン

 

ヨハネ1:12-13

しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は……神から生まれたのである。

 

「神の永遠のエコノミーとは、神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となり、キリストのからだを建造して、新エルサレムを究極的に完成するためであるということです(ヨハネ1:1,14.Ⅰコリント15:45後半.啓4:5.5:6.21:2,10-11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちに神の永遠のエコノミーの天のビジョンを開いて見せてください。そしてわたしたちの生活の中で経験し、享受させてください。わたしたちが霊を訓練して、神がわたしたちの中で増し加わり、神・人となることができますように。

 

 

わたしたちの霊を訓練し、成長して純粋な神・人となります

 

 神はわたしたちを創造したとき、わたしたちを彼のかたちに、彼の姿にしたがって創造されました。わたしたちは写真のようであり、彼のかたちを持っていますが、彼の命はありません。わたしたちが再生された後、この写真は「本物の」人となり、彼の命と性質を持ち、彼であるのと同じになります。彼は「人化」された神であり、わたしたちは「神化」された人です。最後に、二つは一になり、両方とも神・人です。

 

 こういうわけで、わたしたちは自分自身を訓練して神・人とならなければなりません。……神がわたしたちを生んでくださったのは、わたしたちが彼の命と性質を受けることができ、彼の命の中で成長することができるためです。神がわたしたちの中で成長されるとき、わたしたちは成長します(コロサイ2:19)。神がわたしたちの中で増し加わるために、わたしたちは霊を訓練しなければなりません。なぜなら、神と人の間で進むあらゆる正常な事柄は、霊にかかっているからです。わたしたちが霊を訓練すればするほど、ますます神はわたしたちの中で活動し、増し加わります。その結果、わたしたちは成長して純粋な神・人となります。これが、神が求めておられることです。(「神聖な分与におけるさらに深い学び」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第2日

(7月訓練 第12週6日)

 

神であるもの、新しいエルサレムの性質、主のパースンがすべて、勝利者の中へと造り込まれています

 

啓3:12

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.彼はもはや決して外に出ることはない.わたしはまた彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都……新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記そう。

 

「回復された召会の中の勝利を得る人の上に、主イエスは彼の神の御名、神の都である新しいエルサレムの名、彼の新しい御名を書き記します(啓3:12後半)。神の御名、新しいエルサレムの名、主の御名が勝利者の上に書き記されることが示しているのは、神であるもの、新しいエルサレムの性質、主のパースンがすべて、勝利者の中へと造り込まれているということです(ヨハネ14:19-20,23.エペソ3:16-17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたのあわれみと、わたしたちに対する愛の関心に感謝します。主よ、日々わたしたちはただあなたに戻り、心をあなたに向け、霊をを活用し、尊い血の力を適用します。主よ、わたしたちが神であるもの、新しいエルサレムの性質、主のパースンのすべてを経験し享受することができますように。

 

 

神の御名、新しいエルサレムの名、主の御名が勝利者の上に書き記されています

 

 神の御名、新しいエルサレムの名、主の新しい御名が勝利者の上に書き記されることが示しているのは、勝利者が神によって、新しいエルサレムによって、主によって所有されているということです。また神ご自身、神の都(新しいエルサレム)、主ご自身がすべて、勝利者のものとなるということです。そして勝利者が神と一になり、新しいエルサレムと一になり、主と一になるということです。神の御名は神ご自身を意味します。新しいエルサレムの名は都そのものを意味します。主の御名は主ご自身を意味します。

 

 神の御名、新しいエルサレムの名、主の御名が勝利者の上に書き記されることが示しているのは、神であるもの、新しいエルサレムの性質、主のパースンがすべて、勝利者の中へと造り込まれているということです。……千年王国における新エルサレムは、勝利を得た聖徒たちだけに対する賞となります。(啓示録3:12、フットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


12月の祈り第1日

(7月訓練 第12週5日)

 

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう

 

啓21:22

わたしはその中に宮を見なかった.主なる神、全能者と小羊が、その宮だからである。

 

啓3:12

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.彼はもはや決して外に出ることはない.……

 

「主イエスは、回復された召会の中の勝利を得る者を柱とし、神の宮の中へと建造します。神の宮は三一の神ご自身です(啓3:12前半.21:22)。主がわたしたちを柱にするのは、わたしたちを造り変えることによってです。すなわち、わたしたちの天然の要素を運び去り、彼の神聖な要素で置き換えることによってです(ローマ12:2.Ⅱコリント3:18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、この新しい日を感謝します。主よ、ご自身を分与してわたしたちの天然の要素を運び去り、神の神聖な本質で置き換えてください。わたしたちを神の宮の中の柱へと構成してください。

 

 

勝利者は造り変えられ、柱とされて神の宮の中に建造されています

 

 柱は……来たるべき時代と永遠の中で、神の宮にいる勝利者たちです。……[啓示録第3章12節で]、勝利者は柱とされて神の宮の中に建造されているのがわかります。彼は神の建造の中に建造されているので、「もはや決して外に出ることはない」のです。この約束は、勝利者に対する賞として千年王国で成就されます。

 

 啓示録第3章12節の「しよう(make)」という言葉はとても意義深いのです。主は、勝利者を柱にすると言われます。主がわたしたちを柱にされるのは、わたしたちを造り変えることによってです。すなわち、わたしたちの天然の要素を運び去り、彼の神聖な本質で置き換えることによってです。ですから、第3章12節の「しよう(make)」の意味は、わたしたちを構成して何かにすること、創造的な方法でわたしたちを構築することです。主が今日の召会生活において願っているのは、わたしたちを神の宮の中の柱にし、神の宮の中の柱へと構成することです。(「新約の結論(7)」、メッセージ112)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)