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12月の祈り3日
(2024年9月全国特別集会 第1週2日)
その霊の務めは、わたしたちを新しい復興の中へともたらします
エペソ5:25-27
夫たちよ、キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたように、あなたがたの妻を愛しなさい.それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。
わたしたちの霊と共にあるその霊は、有機的な救いのすべての経験の秘訣です。この有機的な救いは、わたしたちを神化することであり、また花嫁を美しくすることです(エペソ5:25-27)。
◎ 生み出す霊は、キリストによって生かされたわたしたちの霊の中で、わたしたちを再生し、わたしたちに、神から生まれた、神の子供たちとなる権威を与えます(ヨハネ 1:12-13.3:6.テトス3:5)。
◎ 聖別する霊は、キリストによって捕らえられたわたしたちの霊から、神の性質をもってわたしたちを聖別し、わたしたちを神に対して聖とします(ローマ6:19,22.エペソ5:26)。
◎ 更新する霊は、キリストが内住しているわたしたちの霊の中で、わたしたちを更新し、わたしたちが十字架の砕きを通して新しい人を着るようにします(ローマ 12:2.エペソ4:23-24.Ⅱコリント4:16-18)。
◎ 造り変える霊は、キリストによって満たされているわたしたちの霊の中で、わたしたちをキリストの栄光のかたちへと造り変えて、彼を表現させます(3:15-18)。
◎ 円熟させる霊は、キリストをもって豊かにされたわたしたちの霊の中で、神の長子であるキリストのかたち、すなわち、神の子たちの原型にわたしたちを同形化します(コロサイ1:28.エペソ4:13.ローマ8:28-29)。
◎ 証印を押す霊は、キリストと共に歓喜するわたしたちの霊の中で、神の栄光をもってわたしたちに浸透し、わたしたちを神の栄光の中へともたらして、わたしたちを栄光化します( エペソ4:30.ヘブル2:10.ピリピ3:20-21)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの霊と共にあるその霊を感謝します。その霊は、有機的な救いのすべての経験の秘訣です。わたしたち召会が神化され、花嫁として美しくされるために、わたしたちが、生み出す霊、聖別する霊、更新する霊、造り変える霊、円熟させる霊、証印を押す霊、強化された霊にあずかることができますように。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
12月の祈り2日
2024年9月全国特別集会 第1週1日
新約の務めはその霊の務めです
標語:
和解の務めは、わたしたちを外庭から至聖所の中へともたらします。この至聖所へと、キリストは大牧者として、ご自身の御名のために、わたしたちを義の途の上で導きます。それによって、わたしたちが日々いつまでも主の家、神の聖なる所(キリスト、召会、わたしたちの霊、新エルサレム)に住みます。
Ⅱコリント3:6
神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、その霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。
新約の務めは、神聖な啓示の高嶺としてのその霊の務めであって、わたしたちを新しい復興の中へともたらします(Ⅱコリント3:6-8.啓22:17前半.ハバクク3:2)。
神のエコノミーの内容は、三一の神が手順を経て究極的に完成されたことも、彼の選ばれ贖われた人が手順を経て究極的に完成されることも含んでいます。まず、三一の神は人と成って(ヨハネ1:14)、人の生活、すべてを含む死、すべてを超越する復活を経て、命を与える霊(Ⅰコリント15:45後半)、究極的に完成された霊と成ることによって、手順を経ました。
それから、このすばらしい究極的に完成された霊が、神の選ばれ贖われた人々の中へと入るとき、彼らは、神格においてではなく命と性質において神となるというすばらしい過程を経過し始めます。この過程は再生をもって開始し、聖別、更新、造り変え、同形化、栄光化をもって継続して、ついに彼らは究極的に完成されてキリストの花嫁となります。
主イエスよ、あなたを愛します。 新約の務め、神聖な啓示の高嶺としてのその霊の務めを感謝します。その霊は人に命を与えることを感謝します。わたしたちを新しい復興の中へともたらしてください。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り30日
(年二回の訓練(7月)第12週6日)
王国としてのキリストの満ち満ちた享受の中へと入ります
使徒28:30-31
……パウロは自分の借りた住居に満二年、滞在して、彼を訪ねて来るすべての人を喜び迎え、大胆に、妨げられることなく、神の王国を宣べ伝え、主イエス・キリストについての事柄を教え続けた。
14:22
弟子たちの魂を堅固にし、その信仰にとどまるよう彼らに勧め、「わたしたちが神の王国に入るためには、多くの患難を経なければならない」と言った。
「神の王国とは、命としてのキリストがご自身の信者たちの中へと拡大して、神がご自身の命の中で支配する領域を形成したものです(Ⅱペテロ1:3-11)。使徒第14章22節でパウロは、その信仰にとどまっている信者たちに、わたしたちが神の王国の中へと入るためには、多くの患難を経なければならないことを認識するよう、懇願しました。なぜなら、全世界は、わたしたちがそこに入ることに反対しているからです」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが福音を信じて再生され、召会生活の中へと入ることができたことを感謝します。主よ、命としてのキリストがご自身をわたしたちの中へと拡大してくださいますように。わたしたちの魂を堅固にし、その信仰にとどまり、復活したキリストの増殖にあずからせてくださいますように。
神の王国は、復活したキリストの増殖です
王国への入り口は再生であり、王国の発展は信者が神聖な命の中で成長することです。神の王国は今日の召会生活であり、忠信な信者たちはその中で生活し(ローマ14:17)、来たるべき王国へと発展して、千年期において勝利を得た聖徒たちに対する嗣業の褒賞となります(ガラテヤ5:21.エペソ5:5)。最終的に、それは神の永遠の王国また神の永遠の命の永遠の祝福の永遠の領域として、新エルサレムにおいて究極的に完成し、神のすべての贖われた者が新天新地で永遠にわたって享受します。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第4編)
ルカの文書である[使徒行伝]は神の王国をもって始まり(1:3)、神の王国をもって終わります[28:31]。王国を宣べ伝えることが復活したキリストを増殖させることであるという事実は、第28章31節の「主イエス・キリストについての事柄を教え続けた」という言葉によって証明されます。これは、神の王国が主イエス・キリストについての事柄と並行することを示します。キリストについての事柄を人々に教えることは、神の王国を拡大することです。ですから、神の王国は、実は復活したキリストの増殖です。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り29日
(年二回の訓練(7月)第12週5日)
神の王国は、使徒行伝における使徒たちの宣べ伝えの主題です
使徒1:3
イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きておられることを、多くの確かな証拠によって……示し、四十日にわたって現れ、神の王国についての事柄を語られた。
ルカ17:20-21
……イエスは答えて言われた、「神の王国は見える様では来ない……なぜなら、見よ、神の王国は、あなたがたの間にあるからだ」。
「神の王国は、使徒行伝における使徒たちの宣べ伝えの主題です(使徒1:3.8:12.14:22.19:8.20:25.28:23,31)。復活したキリストが、四十日にわたって使徒たちに現れ、彼らに「神の王国についての事柄」を語ったという事実が示しているのは、王国が、ペンテコステの後の、使徒たちの来たるべき使命において、彼らの宣べ伝えの主題になったということです(使徒1:3)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の王国は神の支配、統治であり、すべての祝福と享受を伴った主イエス・キリストご自身であることを感謝します。王国の種としてのキリストが増殖して、諸召会が生み出されますように。
神の王国は神の支配、統治であり、すべての祝福と享受を伴います
使徒行伝で主が王国について何を語られたかは告げられていませんが、わたしたちは他の箇所の御言を考えることによって、主が言われたことを推論することができます。福音書で主イエスは弟子たちに、王国について多く教えられました。……主が福音書で王国について語られた時、主が彼らの「教授」として彼らを教えておられたことを、弟子たちは理解することができませんでした。ですから、わたしは、主イエスが彼の復活と昇天の間の四十日間に、彼の教えを繰り返されたと信じます。……
神の王国を知ることは、霊的知覚、霊的洞察力を必要とします。……ヨハネによる福音書第20章で、彼ら[弟子たち]は復活したキリストのすばらしいパースンを、命を与える霊として彼らの中へと受け入れました。その結果、使徒行伝第1章で彼らは大いに異なりました。一方で、彼らは同じ人々でした。もう一方で、彼らは異なっていました。なぜならキリスト、命を与える霊が、今や彼らの命またパースンとして彼らの内側におられたからです。彼らは命を与える霊を内側に持ったので、神の王国についての主の語りかけを理解することができました。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り28日
(年二回の訓練(7月)第12週4日)
イエスの霊はイエスの実際です
ローマ8:9
しかし、確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは……霊の中にいるのです。もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません。
「キリストの霊がキリストの実際であるように、イエスの霊はイエスの実際です(ローマ8:9.使徒16:7)。もしわたしたちがイエスの霊を持っていないなら、イエスはわたしたちにとって実際にはなりません。イエスがわたしたちにとって実際であるのは、わたしたちがイエスの霊を、イエスの実際また実際化として持っているからです(7節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがイエスの霊を持っていることを感謝します。主よ、イエスの霊をわたしたちすべてに対して実際とならせてください。わたしたちがイエスの実際の中で生きて、イエスを真に知ることができますように。
イエスの霊は苦難に耐える豊かな力をもった人の霊です
わたしたちが主のためにどのような種類の働きを行なうかは、わたしたちがどのような種類の霊によって案内され、導かれ、教えられ、構成されるかにかかっています。パウロは神の霊やエホバの霊ではなく、主の肉体と成ることと誕生を含む聖霊と、主の人性、人の生活、すべてを含む死、命を分け与える復活、昇天を含むイエスの霊で構成されていました。…… パウロはこのすべてを含む霊で構成された人でした。こういうわけで、彼は出て行って宣べ伝えたとき、真にイエス・キリストを宣べ伝えることができました。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第44編)
キリストの霊がキリストの実際であるように、イエスの霊はイエスの実際です。もしわたしたちがイエスの霊を持たないなら、イエスはわたしたちにとって実際ではないでしょう。しかし今日、イエスはわたしたちにとって実際です。なぜなら、わたしたちは、イエスの霊をイエスの実際、実現として持っているからです。イエスは地上にいた時、絶えず激しい迫害を受けた人でした。ですから、イエスの霊は苦難に耐える豊かな力をもった人の霊です。彼は人の霊であり、また苦難のための力の霊です。(「新約の結論(17)」、メッセージ293)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り27日
(年二回の訓練(7月)第12週3日)
イエスの霊には、苦難の要素と苦難に耐える力があります
使徒16:6-7
また、彼らはアジアで御言を語ることを、聖霊に禁じられたので、フルギヤとガラテヤの地方を通って行った。彼らがムシヤに来た時、ビテニヤに入って行こうとしたが、イエスの霊が彼らを許さなかった。
「イエスの霊は、わたしたちが神聖な命を生きるための、イエスの中にある、神性を伴う神の霊であるだけではなく、わたしたちが正常な人の生活をしてその苦難に耐えるための、イエスの中にある、人性を伴う人なるイエスの霊でもあります(ローマ8:18.Ⅱコリント1:5)。パウロは彼の苦難の中で、イエスの霊を必要としました。なぜなら、イエスの霊には苦難の要素と苦難に耐える力があって、それは迫害を耐え忍ぶことができるからです(コロサイ1:24.使徒9:15-16.16:7)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 イエスの霊には苦難に耐える力があることを感謝します。主よ、わたしたちが、毎日の生活の中で、主の人性、人の生活、死、復活、昇天のすべてを含んでいるイエスの霊を経験し、享受することができますように。
反対や迫害に立ち向かうためにイエスの霊を必要とします
「聖霊」という称号が最初に用いられたのは、主イエスが胎に入った時でした。……時が来て、キリストが来られる道を備え、人の体を備えた時でした……(ルカ1:15、35.マタイ1:18、20)。……この称号[聖霊]は主の肉体と成ることと関係があります。このゆえに、最初の記述の原則によれば、聖霊はキリストの肉体と成ることと誕生と関係があります。
使徒行伝第16章7節でルカは、聖霊からイエスの霊に転換しています。イエスは人として、まず人の生活をし、それから十字架につけられ、復活させられ、そして天に昇り、主またキリストとされました。イエスの霊は、聖霊よりも多くのものを含んでいます。聖霊は、主イエスの肉体と成ることと誕生だけを含んでいますが、イエスの霊は、彼の人性、人の生活、死、復活、昇天を含んでいます。…… イエスの霊とは、人性を持つ方、地上で三十三年半の間、人の生活をし、すべてを含む死を遂げ、死人の中から復活して、神聖な命をすべての信者の中へと分け与えることによって増殖し、天に昇って主またキリストとされた方の霊です。……この霊は、すべてを含むイエスの総合計また完全な実際化です。……使徒たちはそのようなすべてを含む霊の導きと案内の下で行動していたのです。 (「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第44編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り26日
(年二回の訓練(7月)第12週2日)
神は召会をご自身の血を通して獲得しました
使徒20:28
あなたがた自身と群れ全体に気をつけなさい.聖霊は彼らの間に、あなたがたを監督として立てられ、神がご自身の血を通して獲得された神の召会を牧養させるのです。
「神は召会を、「ご自身の血を通して」獲得しました(使徒20:28)。神は「ご自身の血」という代価を払って、召会を買い取りました。肉体と成ることを通して、わたしたちの神、創造主、永遠の方は、人とミングリングされました(ヨハネ1:1,14)。彼は神・人と成り、血を持ち、わたしたちのために死ぬことができました(Ⅰヨハネ1:7)。神・人である主イエスは、十字架上で死んだとき、人としてだけでなく、また神として死にました。彼が流した血は、人なるイエスの血だけでなく、神・人の血でもありました」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが「ご自身の血」の代価を払って、召会を買い取ってくださったことを感謝します。主が流された血は、神・人の血であり、永遠の効力があります。キリストの尊い血による贖いを感謝します。御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちを清めてくださることを感謝します。
神・人である主イエスは十字架上で死んで、神・人の血を流しました
[使徒行伝第20章28節の]「ご自身の血」という語句は、とても独特な表現です。神は神であって、人や被造物ではありません。それでは、どうして創造主である神が血を持っておられるのでしょうか? 肉体と成る前、神には確かに血はありませんでした。しかし、肉体と成ることを通して、わたしたちの神、創造主、永遠の方、エホバは、人とミングリングされました。その結果、彼はもはや単に神ではありませんでした。すなわち、彼は神・人と成りました。神・人として、彼は確かに血を持っておられ、それを通して召会が獲得されたのです。
神・人であるキリストは、十字架上で死なれたとき、人としてだけでなく、また神として死なれました。十字架上で死なれた方は、また神から胎の中に入り、神を通して生まれた方でもあります。彼は神・人であったので、神の要素が彼の中にありました。神聖な要素が彼の人性とミングリングされました。こうして、神はご自身を人性に結合させて、救い主となられ(ルカ2:11)、わたしたちのために死んで、ご自身の血を流されました。(「新約の結論(13)」、メッセージ207)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り25日
(年二回の訓練(7月)第12週1日)
神聖な三一は使徒行伝の構造です
使徒2:32-33
このイエスを、神は復活させました.わたしたちはみな、そのことの証し人です。彼は神の右に引き上げられ、御父から約束された聖霊を受けて、あなたがたが見聞きしているものを、注ぎ出されたのです。
「神聖な三一が新約全体の枠組みであるように、神聖な三一は使徒行伝の構造です。使徒行伝の一章また一章が、神の新約エコノミーを遂行するための、神聖な三一の活動を明らかにしています――例えば、使徒(1:1-2,4-5,8,11,21.2:4,17-18,21-24,27,31-33,36,38)。父、子、霊がすべて、その霊の注ぎ出しと緊密に関係していました。その霊は、手順を経た三一の神の究極的完成です(33節.ヨハネ7:37-39.ピリピ1:19」。
主イエスよ、あなたを愛します。神聖な三一が新約全体の枠組みであることをさらに啓示してください。御子は昇天し、御父は彼を引き上げ、その霊は注ぎ出されたことを賛美します。 父、子、霊がすべて、その霊の注ぎ出しと関係しています。すべてを含む霊によって、主の天の務めが地上で遂行されますように。
父、子、霊は御子の昇天とその霊の注ぎ出しと緊密に関係していました
聖書はわたしたちに、キリストが昇天したと告げています(エペソ4:8-9.ヘブル9:24)。しかしそれはまた、彼が神によって引き上げられ、高く上げられたとも言っています(マルコ16:19.ルカ24:51、ピリピ2:9)。神が彼を引き上げられた後、聖霊が弟子たちの上に注ぎ出されました。御子は昇天し、御父は彼を引き上げ、その霊は注ぎ出されました。三一の神(父、子、霊)は、昇天とその霊の注ぎ出しに完全にかかわっていました。御子の死には三一の神が含まれました。御子の復活には三一の神が含まれ、御子の昇天と引き上げられることにも三一の神がかかわっていました。父、子、霊は御子の昇天とその霊の注ぎ出しと緊密に関係していました。(リー全集、1984年、第3巻(上)、「神の新約エコノミー」、第7編)……
キリストの昇天の後のその霊の注ぎ出しは、復活し昇天したキリストを、すべてを含む霊として下らせて彼の天の務めを地上で遂行し、神の新約エコノミーのために彼のからだとしての召会を(エペソ1:23)建造する(マタイ16:18)ためでした。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り23日
(年二回の訓練(7月)第11週6日)
御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義を見る
ヨハネ17:23
わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.また、あなたがわたしを遣わされたこと、あなたがわたしを愛されたように彼らを愛されたことを、世の人が知るためです。
「わたしたちは、御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義を見る必要があります(ヨハネ14:2-3,23)。御父の家としての召会の中で生きることは、命としての三一の神の中で生きることであり(1:4.5:26)、光の中で生きることであり(1:4.8:12)、復活の中で生きることであり(1:25)、恵みと実際の中で生きることであり(1:14,16-17)、神聖な栄光の中で生きることであり(17:22-23)、祈りと礼拝の家の中で生きることであり(14:13.15:7)、牧養の生活を生きることであり(10:10-11,15-17)、神の建造の中で、神の建造のために生きることであり(2:19-21.14:23)、 一を守るために、究極的に完成された霊の神聖で奥義的な領域の中で生きることです(7:39.14:16-20)」。
主イエスよ、あなたを愛します。御父の家としての召会を感謝します。主よ、わたしたちが御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義の各面を見ることができますように。またそれを経験させ、享受させてください。
神聖で奥義的な領域の中にいて、三一の神とミングリングされる
すべての信者は一を守るために、究極的に完成された霊のこの神聖で奥義的な領域の中にいて、三一の神とミングリングされるべきです。[そして]、すべての信者は御子の中に住み、御子が彼らの中に住んで、彼らが多くの実を結び、御父の栄光が現される(表現される)ようにすべきです(ヨハネ15:4-5、8)。
すべての信者は一となるべきです。それは、御父が御子の中におられ、御子が御父の中におられて、信者たちも御父と御子の中にいるためです。御子が信者たちの中におられ、御父が御子の中におられるのは、信者たちが成就されて一となるためです(17:21、23)。わたしたちの一は、三一の神の三の間の一と同じでなければなりません。実は、信者たちの一は三一の神の一です。三一の神の中で、わたしたちは成就されて一となることができます。ですから、真の一は、三一の神の中にあります。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「神聖で奥義的な領域」、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り22日
(年二回の訓練(7月)第11週5日)
召会は父なる神の中にあります
Ⅰテサロニケ1:1
パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会へ.恵みと平安があなたがたにありますように。
ローマ11:36
なぜなら、万物は彼から出て、彼を通し、彼に帰するからです。彼に栄光が、永遠にありますように。アーメン。
「御父の家、すなわち召会は父なる神の中にあります(ヨハネ14:2,20.Ⅰテサロニケ1:1.Ⅱテサロニケ1:1)。召会が父なる神の中にあるためには、神がわたしたちに対して御父とならなければならず、またわたしたちが神と命の関係を持つ必要があります(ヨハネ20:17)。新約では、「御父」は命の源を示しています(ヨハネ5:26)。召会が父なる神の中にあるということは、召会が唯一の源である方、すなわち発起者また開始者の中にあるということを意味します(Ⅰコリント8:6)」。
主イエスよ、あなたを愛します。召会が父なる神の中にあることを感謝します。わたしたちはみな御父から生まれ、御父がわたしたちの命の源であることを認識させてください。わたしたち召会が唯一の源である方、発起者である御父を認識し、深く経験することができますように。
新約では、「御父」は命の源を示しています
テサロニケ人への第一の手紙の中でわたしたちは召会が神のもの、またキリストのものであるだけでなく、父なる神にある、また主イエス・キリストにあるという啓示を持ちます。[1章1節の]「父」という言葉は命の関係を示します。…… 神は召会の人たちの父です。なぜなら、わたしたちはみな彼から生まれたからです。わたしたちが神から生まれたこと、そして彼が今わたしたちの父であることはすばらしい事実です!
仮に、あなたの父が合衆国の大統領であるとします。もしそうだとしたら、あなたは彼を「わたしの父、大統領」と言うことができるでしょう。…… それは大統領があなたの父であって、あなたは彼と命の関係を持っていることを示します。同じ原則で、わたしたちは神をわたしたちの父であると語ることができます。もはや神はわたしたちの創造主だけではありません。彼はわたしたちの父となられたのです。なぜなら、わたしたちは彼から生まれたからです。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第5編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り21日
(年二回の訓練(7月)第11週4日)
御父の家は、三一の神とわたしたち、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されます
ヨハネ14:21,23
わたしの戒めを持ち、それを守る者は、わたしを愛する者である.わたしを愛する者は、わたしの父に愛される.わたしも彼を愛して、わたし自身を彼に現す。…… イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。
「神の御子、主イエス・キリストは、その霊により、また彼の死と復活を通して、有機体、召会を建造しつつあり、それは彼のからだまた御父の家であって、三一の神と彼の選ばれ贖われた人とのミングリングによって生み出されます(ヨハネ14:7-24)。御父の家は、御父と御子がその霊と共に、贖われた選びの民を絶えず訪れることによって建造されます(23節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。御父の家は、三一の神がわたしたちを絶えず訪れることによって建造されることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたを愛する者、あなたの言を愛する者になって、相互の住まいが建造されますように。
神と信者たちが共に建造されて、相互の住まいとなります
ヨハネによる福音書第14章はおもに、いかにして三一の神がご自身をわたしたちの中へと分与し、彼とわたしたち、わたしたちと彼が、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されるかを見せています。この章は、三一の神、すなわち父、子、霊が、イエス・キリストの中でご自身を信者たちの中へと分与しておられること、この神と信者たちが共に建造されて、神性と人性の建造となっていくこと、最終的にこの建造が相互の住まいとなること、神が人の中に住まわれ、人が神の中に住むことを明らかにしています。
これは第15章4節の主の言葉、「わたしの中に住んでいなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの中に住む」の基礎です。これは相互の住み合いです。なぜなら、わたしたちは彼の中に住み、彼はわたしたちの中に住まわれるからです。「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第32編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り20日
(年二回の訓練(7月)第11週3日)
わたしたちは救われ再生された後、神の中にまたキリストの中にいます
ヨハネ14:3,20
わたしが行って、あなたがたのために場所を用意したなら、再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える.わたしがいる所に、あなたがたもいるようになるためである。…… その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。
「あなたがたのために、場所を用意しに行く」ことが意味するのは、主が場所を用意し、贖いを完成し、道を開き、立場を作って、わたしたちを神の中へと入らせるということです(ヨハネ14:2-3,6)。わたしたちはみなキリストにある信者として、神の中に場所を持っており、またからだの中に場所を持っており、今やキリストの死と復活を通してわたしたちのために用意された場所の中で生きるべきです(ヨハネ14:2-3,20.Ⅰコリント12:27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの死と復活を通して神の中に、キリストの中にもたらされたことを感謝します。神とキリストは、わたしたちの住まいです。キリストの死と復活を通して、キリストのからだの中で生きることができますように。
主の死と復活によって、わたしたちは神の中に、キリストのからだの中に場所を持っています
主の贖いは、わたしたちのために天に場所を用意することではありませんでした。主の贖いは、わたしたちのために神の中に場所を用意することでした。……この思想は最高の水準にあります。主はわたしたちを贖って、わたしたちを神の中へともたらし、わたしたちのために神の中に場所を用意されました。…… 全新約を通しての中心思想は、わたしたちが救われ再生された後、神の中に、またキリストの中にいるということです。神とキリストはわたしたちの住まいです。 ……主が場所を用意しておられたのは、わたしたちが神の中へと入り、主が彼の贖いによってわたしたちを神の中へともたらすためでした。彼の死と復活によって、彼はわたしたちを神の中へともたらされました。主を賛美します。わたしたち一人一人は神の中に場所を持っています! ……
主は、「再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える」と言われました(14:3)。これは、主がわたしたちをある場所に迎えるのではなく、わたしたちをご自身の中に迎えることを意味します。主が彼の弟子たちをご自身に迎えるとは、20節で「あなたがたがわたしの中におり」という言葉で述べられているように、彼らをご自身の中へと入れることです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り19日
(年二回の訓練(7月)第11週2日)
御父の家にある多くの住まいは、キリストのからだの多くの肢体です
Ⅰコリント3:16
あなたがたは神の宮であって、神の霊があなたがたの中に住んでおられることを、知らないのですか?
Ⅰコリント12:27
今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。
「御父の家とは、三一の神が(肉体と成ること、十字架、復活を通して)ご自身を信者たちの中へと造り込み、完全に彼らとミングリングされ、彼らを建造して一つの有機体とならせ、彼の住まい、また表現とすることです(ヨハネ14:2-3,23)。御父の家とは、手順を経て究極的に完成された神と、彼の贖われ、再生され、造り変えられた選びの民とで構成された、神性と人性の合併です(ヨハネ14:20)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神の宮であって、神の霊がわたしたちの中に住んでおられることを感謝します。主よ、三一の神がわたしたちの中に造り込まれ、ミングリングされますように。そして、わたしたちが造り変えられて、神性と人性の合併である御父の家を享受することができますように。
主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造るのは、キリストのからだの建造です
御父の家には多くの住まいがあります(ヨハネ14:2)。2節にある「住まい(複数)」のギリシャ語は、23節で「住まい(単数)」と訳されているのと同じ言葉の複数形です。「住まい」は何を意味するのでしょうか? 多くの住まいはキリストのからだの多くの肢体であり(ローマ12:5)、キリストのからだは神の宮です(Ⅰコリント3:16-17)。主のからだには多くの肢体があり、それぞれの肢体は住まいです。多くの住まいがからだの多くの肢体であることは、ヨハネによる福音書第14章23節によって十分に証明されています。それは、主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造ると言っています。……わたしたちはみな神の建造における住まいです。この建造はキリストのからだであり、すべての住まいはキリストのからだの肢体です。……
ヨハネによる福音書第14章2節の「わたしは……行く」という言葉は、主が死と復活を通して行き、神の住まいの建造のために、人を神の中へもたらそうとしておられたことを意味します。これはマタイによる福音書第16章18節で述べられた召会の建造です。そこで主は「わたしの召会を建てる」と言われました。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り18日
(年二回の訓練(7月)第11週1日)
わたしたちは神の中へと信じ、それによって神の中へと入ります
ヨハネ14:1-2
あなたがたは心を騒がせてはならない.神の中へと信じ、またわたしの中へと信じなさい。わたしの父の家には多くの住まいがある.もしそうでなかったなら、わたしはあなたがたに話したであろう.あなたがたのために、場所を用意しに行くのである。
「ヨハネ第14章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じ、それによって神の中へと入らなければならないということです(ヨハネ14:1)。.神を信じることは客観的ですが、神の中へと信じることは主観的です。主観的に信じることは、わたしたちを神の中へともたらします。主の中へと信じることによって、わたしたちは彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受し、彼がわたしたちのために完成したすべてにあずかります(ヨハネ3:15)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが客観的に神を信じるだけでなく、主観的に神の中へと信じることができますように。主よ、わたしたちが主の中へと信じて、主と一になり、主がわたしたちのために完成したすべてを享受することができますように。
神の中へと信じることは主観的であり、彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受します
ヨハネによる福音書第14章1節は、二つの非常に重要な点を啓示しています。第一は、主が神と同じであることです。人が神の中へと信じるなら、主の中へと信じなければなりません…… 第14章1節の第二の重要な点は、神を信じることは神の中へと信じることとは違うということです。……この章の基本的な思想は、主が弟子たちに、神の中にいるのを助けようと、あるいは教えようとしておられたということです。
わたしたちは、神を信じるのは客観的であり、神の中へと信じるのは主観的であることを、覚えていなければなりません。このように主観的な信じることが、わたしたちを神の中へもたらすのです。要するに、主は、「あなたがたが神の中へと信じるなら、わたしの中へとも信じなければならない」と言っておられたのです。「中へと(into)」という前置詞は非常に重要です。……わたしたちは前置詞を見落としてはなりません。それは事実を客観的に信じる事柄ではなく、主観的に信じる事柄であって、この事がわたしたちを神の中へもたらします。この章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じなければならないということです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ」、第29編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2024年 1月1日
朝の祈りの集会
わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます
2024年1月1日午前7時から祈りの集会で、わたしたちは詩編第43篇3節-4節の言葉を祈り読みをして、詩歌285を歌い、また家族の救いなどを祈り、享受しました。祈りと共に新しい年を開始できたことを感謝します。
詩歌285
高き山の上でただ主を見たし、天のみこえを聞き、新鮮な空気を吸う
さらに高嶺へと導きたまえ、霊のいずみ飲みて、さらに主享受す
詩篇第43篇3節-4節
3 あなたの光とあなたの真理を送ってください.それらはわたしを導きます.それらはわたしを、あなたの聖なる山に、あなたの幕屋に連れて行きます。4 わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます.神よ、わが神よ、わたしは竪琴をもってあなたをほめたたえます。
詩篇43篇3節、4節フットノート
3-1 光と真理(実際)は分離されたものではなく、一つのものの二つの面です。真理は光の輝きであり、光は真理の源です(Ⅰヨハネ1:5-6と6節のフットノート6、最後の段落)。光がわたしたちの上に輝くと、わたしたちは真理、実際を受けます。わたしたちは交わりの中で神に行くと、光の中にいます。この節によれば、神聖な光と神聖な真理は神の捕囚の聖徒たちを、神の聖なる山と彼の幕屋に導きます。幕屋は諸地方召会を予表します。光と真理は召会の中にあります(Ⅰテモテ3:15)。
4-1 詩第42篇から第44篇を書いた詩篇の作者は、捕囚の中で神を愛する者でした(42:6)。彼らは神を慕いあえぎ、神に渇き(42:1-2)、エルサレムに戻りシオンの山に行って祭壇に到達することを願いました。こうして、彼らは宮の中に入って、彼らの歓喜と喜びである神に会うことができました。こういうわけで彼らは、神が彼らに光と真理を与えてくださり(3節)、どのようにして捕囚から解放され、神の住まいに戻るかを知るようにと祈ったのです。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。
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