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3月の祈り27日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第3週第4日

 

日常生活の中で、知恵としてのキリストを適用します

 

Ⅰコリント1:2

コリントに在る神の召会へ、すなわち、キリスト・イエスの中で聖別された者たち、召された聖徒たち、それと共に、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての者へ.……

 

ピリピ4:13

わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。

 

「わたしたちは神によって召された者たちとして、キリストの力と知恵を認識し経験する必要があります(Ⅰコリント1:24)。Ⅰコリント第1章2節は、「召された聖徒たち」に言及しています。「召されている者」(Ⅰコリント1:24)とは、永遠において神によって選ばれ(エペソ1:4)、時間においてキリストを信じた(使徒13:48)信者たちを指しています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは召されている者、永遠において神によって選ばれ、時間においてキリストを信じた信者たちです。主の御名を呼び求める者には、キリストは神の力、また神の知恵であることを感謝します。わたしたちの知恵としてのキリストを適用することができますように。

 

キリストはわたしたちの経験において、現在の実際的な知恵となります

 

 神の知恵としてのキリストは、絶えず神からわたしたちへと流れて、わたしたちの経験においてわたしたちの現在の実際的な知恵となります。わたしたちは何か問題に直面し、対処する方法がわからないことを認識するとき、キリストをわたしたちの知恵として適用すべきです。わたしたちが主と共にとどまり、彼の分与を受けるなら、彼はあらゆる種類の問題や事柄を対処する知恵としてわたしたちの中に伝達されます。これはわたしたちの日常生活の中で知恵としてのキリストを適用することです。……

 

 わたしたちに知恵があるなら、わたしたちは物事を行なう正しい方法を知るでしょう。しかし、わたしたちが知恵を持っていないなら、わたしたちが物事を行なう方法は愚かなものでしょう。……信者にとって知恵であるキリストは、実は神聖な道です。このゆえに、コリント人への第一の手紙第1章30節の知恵は、ヨハネによる福音書第14章6節の道と等しいのです。この節で主イエスは、「わたしは道であり」と言います。神の道は彼の知恵です。キリストを享受し、彼にあずかるなら、わたしたちは彼をわたしたちの知恵、わたしたちの道として持つでしょう。この知恵はわたしたちがキリストを享受することから来ます。(「新約の結論(19)」、メッセージ307)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り26日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第3週第3日

 

十字架につけられたキリストを経験するとき、神の知恵ともなります

 

エペソ1:9

みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいました.これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるもので、

 

コロサイ1:9

こういうわけで、わたしたちもこの事を聞いた日から、あなたがたのために絶えず祈り、そして願い求めています.どうかあなたがたが、あらゆる霊的知恵と理解力において、神のみこころを知る全き知識で満たされ、

 

「わたしたちが十字架につけられたキリストを経験するとき、彼はわたしたちに対して神の力となるだけでなく、神の知恵ともなります(ローマ6:6.ガラテヤ2:20)。わたしたちは十字架につけられたキリストを経験するとき、終結させられます(ガラテヤ2:20)。わたしたちが主イエスの御名を呼び求めて、主を経験し享受しているとき、彼の十字架はわたしたちを終結させます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、十字架につけられたキリスト、みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださっていることを感謝します。主よ、わたしたちが十字架につけられたキリストを経験して、わたしたちであるすべてが終結させられ、神のご計画が成就されますように。

   

十字架につけられたキリストは、みこころを成就する神の深遠なご計画と関係があります

 

 エペソ人への手紙第1章9節は、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びについて語っています。エペソ人への手紙第3章11節でパウロは、「神がわたしたちの主キリスト・イエスの中で立てられた、永遠の定められた御旨」に言及しています。さらに、エペソ人への手紙第1章11節でパウロは、神が「みこころの熟慮にしたがってすべての事柄を行なう」と言います。神の知恵としての十字架につけられたキリストは、神の大いなる喜びにしたがった、またみこころを成就する神の方法にしたがった神のご計画と関係があります。神の大いなる喜びにしたがった神のご計画と、みこころを成就する神の方法は、深くて深遠です。それにもかかわらず、これらの深遠な事柄は、わたしたちの経験に適用されることができます。……

 

 わたしたちが十字架につけられたキリストを経験するとき、彼はわたしたちに対して神の力となるだけでなく、神の知恵ともなります。わたしたちは神の知恵としての十字架につけられたキリストを持っているので、神のみこころを遂行する方法を尋ね求める必要はありません。わたしたちは十字架につけられたキリストを経験することによってのみ、神のみこころを行なう方法を自然に持ちます。わたしたちは神のみこころを行なう知恵を持つようになります。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り25日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第3週第2日

 

キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます

 

ガラテヤ2:20

わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。

 

「十字架につけられたキリストは、神の力です(Ⅰコリント1:24)。キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます。キリストの死、すなわち、キリストが十字架につけられることは、神の力となりました(24節)。十字架につけられたキリストは、神の知恵です(Ⅰコリント2:7)。わたしたちは何を達成するにも、力また知恵としてのキリストを必要とします(1:24)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。十字架の力、キリストのすばらしい死の力を賛美します。わたしはキリストと共に十字架につけられ、キリストがわたしの中に生きておられることを感謝します。わたしたちの中の肉、自己、天然の命が日々終わらされる経験をすることができますように。

 

十字架につけられたキリストは、また神の知恵です

 

 キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます。サタン、この世、罪、堕落した人、肉、天然の命、旧創造、規定を打ち破るためには、神の力が必要です。……この力は、神が創造において行使された力のような、語ることによって事を行なうものではありません。むしろ、それは十字架の力、キリストのすばらしい死の力です。……キリストの死は神の力となって、サタンを滅ぼし、この世の問題を解決し、罪を除き去り、堕落した人、肉、天然の命、旧創造を終結させました。……一つの死、キリストの死によって、宇宙のすべての問題は一掃されました。ですから、十字架につけられたキリストは、すべての消極的なものを滅ぼし、神のご計画を遂行するための神の力です。……

 

 この十字架につけられたキリストは、また神の知恵です。わたしたちは何を達成するにも、力と知恵の両方を必要とします。……知恵は計画し決定するためですが、力は計画され決定したものを遂行し達成するためです。……わたしたちは知恵がなくて力を持つなら、愚かな方法で自分の力を使うかもしれません。ですから、わたしたちは力と知恵の両方であるキリストを必要とするのです。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り24日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第3週第1日

 

十字架につけられたキリストは、神の力また神の知恵です

 

Ⅰコリント1:23-24

しかし、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます.彼はユダヤ人にはつまずきの石であり、異邦人には愚かでありますが、召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリストは神の力、また神の知恵です。

 

「パウロは、Ⅰコリント第1章24節でキリストを神の力また神の知恵として言及する前に、23節で次のように宣言しています、「わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます.彼はユダヤ人にはつまずきの石であり、異邦人には愚かであります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 キリストは神の力また神の知恵でであることを感謝します。十字架につけられたキリスト、ご自身を救うためには何も行なわなかったキリストを賛美します。主よ、わたしたちが 十字架につけられたキリストを神の力また神の知恵として、経験し、享受することができますように。

 

宇宙のすべての問題が解決されるために、キリストは十字架につけられました

 

 神のエコノミーを遂行するために神の力また神の知恵であるキリストは、十字架につけられたキリスト、すなわち、ご自身を救うためには何も行なわなかったキリストです。人の目には、もし人が十字架につけられるなら、彼は無力であると見なされます。なぜなら、力強い人は自分が十字架につけられることを許そうとしないからです。しかし、神の力であるキリストは十字架につけられました。さらに、人の見方によれば、知恵ある人は十字架を避ける方法を見いだします。しかし、神の知恵であるキリストは、十字架につけられました。(「新約の結論(19)」、メッセージ307)

 

 宇宙には多くの種類の問題があります。サタン、この世、罪の問題があります。また人の問題もあります。神によって彼の目的のために創造された人は、堕落して罪深くなりました。人に関する他の問題は肉と天然の命です。それに加えて、宇宙にあるすべてのものは古くなりました。…… これらすべての問題に加えて、人が生きるために神によって与えられた規定と規則の問題があります。ですから、十字架はサタン、この世、罪、人、肉、天然の命、古さ、規定の問題を取り扱います。これらの問題が解決されるために、キリストが十字架につけられる必要がありました。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り22日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第6日

 

すべての苦難において、わたしたちは勝ち得て余りがあります

 

ローマ8:37-39

しかし、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります。なぜなら、死も、命も、天使たちも、支配たちも、現在の事柄も、来たるべき事柄も、力も、高いものも、深いものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないと、わたしは確信するからです。

 

「すべての苦難において、わたしたちを愛してくださったキリストを通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります(ローマ8:37)。わたしたちに対する神の不変の愛と、キリストがわたしたちのためにすべてを成就されたという事実のゆえに、患難も迫害も、わたしたちを圧迫することはできず、わたしたちを打ち破ることはできません。むしろ、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の愛が神の永遠の救いの源であることを感謝します。何ものも、わたしたちをこのキリスト・イエスにある神の愛から引き離すことはできません。わたしたちは、あらゆる患難や災いにおいて勝ち得て余りがあります。主よ、あなたは永遠の、引き離すことのできない愛をもって、わたしたちを永遠に愛してくださることを賛美します。

 

主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません

 

 神の愛が彼の永遠の救いの源です。この愛はキリストの中にあり、聖霊を通して、わたしたちの心の中に注がれています(ローマ5:5)。何ものも、わたしたちをこの神の愛から引き離すことはできません。神の救いにおいて、わたしたちに対するこの愛はキリストの愛となりました。この愛は、神の全体的な救いがわたしたちの中で完成されるまで、キリストの恵みを通して、わたしたちのために多くの驚くべき事をします。これらの驚くべき事は、神の敵があらゆる種類の苦難や災いを用いてわたしたちを攻撃することを引き起こします(8:35-36)。しかしながら、これらの攻撃は、キリストにある神の愛に対するわたしたちの応答のゆえに、わたしたちの益となります(28節)。ですから、わたしたちは、あらゆる患難や災いにおいて勝ち得て余りがあるのです(37節)。

 

 わたしたちは神の愛する者たちであり、何ものも彼の愛からわたしたちを引き離すことはできません。いったん神がわたしたちを愛するなら、彼は永遠の、引き離すことのできない愛をもって、わたしたちを永遠に愛されます。ですから、神の救いは彼の愛によって保証されています。(「新約の結論(18)」、メッセージ302) 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り21日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第5日

 

キリストは、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにする方です

 

ローマ8:31-32,34

……もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵対し得るでしょうか? ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべてのために御子を渡された方が、どうして彼と共に、万物を無代価でわたしたちに賜わらないことがあるでしょうか?……34 だれが罪に定めるのですか? キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます。

 

「わたしたちはキリストを、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにする方として経験し、享受し、表現することができます(ローマ8:37)。わたしたちは神を愛し、キリストの愛によって押し迫られ、拘束され、動機づけられ、強いられ、かき立てられ、推進されて、すべての事柄において勝ち得て余りがあることができます(31-39節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主は復活させられた後、神の右でわたしたちのためにとりなしておられることを感謝します。わたしたちが主のかたちに同形化され、主の栄光の中へともたらされるように、とりなしてくださることを感謝します。

 

キリスト・イエスは死んで復活させられ、わたしたちのためにとりなしておられます

 

 ローマ人への手紙第8章32節から39節は、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにさせる方としてのキリストを提示しています。32節は言います、「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべてのために御子を渡された方が、どうして彼と共に、万物を無代価でわたしたちに賜わらないことがあるでしょうか?」。この節は、神がキリストと共に、万物を無代価でわたしたちに賜わることを示しています。

 

 34節は続けて言います、「だれが罪に定めるのですか? キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます」。キリストはわたしたちのために死なれ……復活させられた後、神の右でわたしたちのためにとりなしておられます。この節は、今日キリストは天で神の右におられることを述べています。しかしながら10節は、彼が今、わたしたちの中に、わたしたちの霊の中におられることを述べています(Ⅱテモテ4:22)。その霊として(Ⅱコリント3:17)、彼は遍在しており、神の右にもわたしたちの霊の中にも、天にも地にもおられるのです。(「新約の結論」、メッセージ318、302)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り20日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第4日

 

命の霊の法則に「スイッチを入れる」七つの項目を実行します

 

ローマ8:13-16

……その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。なぜなら、神の霊によって導かれている者はみな、神の子たちであるからです。あなたがたは……子たる身分の霊を受けたのであり、この霊の中で、わたしたちは「アバ、父よ!」と叫ぶのです。その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます。

 

「命の霊の法則は、あらゆる人を解放するのではありません。今日、多くのクリスチャンは解放されていません。命の霊の法則は、この章にあるすべての行ない[七項目]を果たす信者だけを解放するのです(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31編)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。命の霊の法則を感謝します。スイッチを入れる七つの項目を経験し、享受することができますように。とりなす霊がわたしたちを御子のかたちに同形化しようと祈ってくださることを感謝します。

 

命の霊の法則にスイッチを入れる七つの項目

 

 [ローマ人への手紙第8章においてわたしたちの側で行なうことの]第一の点は、わたしたちが霊にしたがって歩かなければならないことです[4節]。… わたしたちが霊にしたがって歩く時、わたしたちはスイッチを入れるのです。すると、その法則が働くのです。命の霊の法則は、わたしたちが霊にしたがって歩くまで決して働きません。第二の点は、わたしたちがその霊の事柄を思う必要があるということです[5節]。わたしたちの行なう第三の項目は、わたしたちの死ぬべき体の行ないを死に渡すことです(13節)。第四の項目は、神の霊によって導かれることです(14節)。… それは、その霊があなたを導くことではなく、あなたがその霊によって導かれていることです。

 

 15節に第五の項目があります。あなたは叫ばなければなりません。… わたしたちは子たる身分の霊を持っており、この霊の中で、わたしたちは「アバ、父よ!」と叫ぶのです。叫ぶことはスイッチを入れることです。 [第六の項目]16節がその霊がわたしたちの霊と共に証しすると言うとき……わたしたちの霊が証ししているとき、その霊はわたしたちの霊と共に証しするのです。……ここでの主要な強調は、わたしたちの霊が率先しなければならないということです。 23節は[第七]の項目を与えます。あなたはうめくことがスイッチを入れることであることをかつて認識したことがありますか?  わたしたちはみなうめくことを学ばなければなりません。これらはローマ人への手紙第8章から見いだすことのできる、行なうべき七つの項目です。… あなたはこれら七つの事柄を行なわなければなりません。毎日これらを実行することに努めなさい。(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31、26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り19日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第3日

 

命の霊の法則として活動する三一の神と協力するために「スイッチを入れ」ます

 

ローマ8:4-6

それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。なぜなら、肉にしたがっている者は、肉の事柄を思い、霊にしたがっている者は、その霊の事柄を思うからです。肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

 

「わたしたちは、命の霊の法則として内側で活動する三一の神と協力することができます。それは、以下の方法でこの法則に「スイッチを入れる」ことによってです。わたしたちは霊にしたがって歩く、すなわち霊の中で生きる必要があります(ローマ8:4.参照、詩23:3)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、命の霊の法則として内側で活動する三一の神に協力することができますように。 命の霊の法則が活動するための七つの条件を実行して、スイッチを入れることができますように。 霊にしたがって歩くこと、思いを霊の事柄に付けること、体の行ないをすべて死に渡すこと、その霊によって導かれること、アバ父よ!と叫ぶこと、証しすること、うめくことを実行させてください。

 

スイッチを入れる七つの項目を実行するなら、命の霊の法則は働きます

 

[物質の]建物の中には、多くの系統[例えば、暖房、光、音、ビデオなど]が……設置されています。今や、それらはわたしたちがスイッチを入れる必要があるだけです。… これは命の霊の法則を例証します。… 自然による霊的な法則があるのです。わたしたちがその条件を満たすとき、この法則が働きます。その条件とは何でしょうか? 霊にしたがって歩くこと、あなたの思いを霊の事柄に付けること、体の行ないをすべて死に渡すこと、導かれること、叫ぶこと、証しすること、うめくことです。わたしたちがこれら[七つの]事柄をすべて行なうとき、内住することは働きます。そして、それが命の霊の法則の働きです。

 

 今やあなたはローマ人への手紙第8章2節が「命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で… わたしを解放した」と言うとき、それは普通の「わたし」ではなく、スイッチを入れている「わたし」であることを見ることができます。… これは今日、地上で神のエコノミーを遂行する最上の祈りです。もしわたしたちがこれら七つの項目すべてを経験しているそのような人であるなら、確かに命の霊の法則はわたしたちを解放しています。もしわたしたちがこれら七つの項目をすべて実行するなら、命の霊の法則は真にわたしたちの中で働きます。(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り18日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第2日

 

キリストのからだの中で生活し奉仕するすべてのかぎは、内側で活動する命の霊の法則です

 

エペソ4:16

この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「キリストのからだの中でのわたしたちの生活と奉仕のすべてのかぎは、わたしたちの内側で活動する命の霊の法則です。命の霊の法則は、神格においてではなく、命、性質、表現においてわたしたちを神とし、神の長子のかたちへと形成して、ご自身の団体の表現とならせます(ローマ8:2,29)。命の霊の法則は、わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し、あらゆる種類の機能を持たせます(エペソ4:11-12,16)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 命の霊の法則は、神聖な命の自然な力であることを賛美します。また、命の霊の法則は、わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し、さまざまな機能を持つようにしてくださることを感謝します。わたしたちの生活と奉仕において、命の霊の法則にスイッチを入れることができますように。

 

命の法則の神聖な能力は、神を生きることができ、キリストのからだに構成します

 

 内なる命の法則の神聖な能力は、神を生きることができます。この能力はまた、キリストにある信者たちが神で構成されるようにすることができます。信者たちは神で構成されているので、団体的な民として神の表現です。信者たちは神で構成されていますが、彼らと神との間には依然として区別があります。神は神格を持つ神のままであり、わたしたち信者は、命と性質において神と同じにされていますが、神格においてではありません。…… わたしたちは命と性質において神と同じですから、彼の増し加わり、彼の拡大となり、彼の豊満として彼を表現します。これは内なる命の法則の能力の最高の面です。

 

 この能力のもう一つの面は、キリストのからだと関係があります。わたしたちが神で構成されるようにすることに加えて、内なる法則の能力は、わたしたちをキリストのからだに構成します(Ⅰコリント12:13、エペソ5:30)。これは、神聖な命にはわたしたちをキリストのからだとする能力があることを意味します。さらに、この能力には、からだのすべての機能のすべての才能があります。わたしは、わたしたちがみな、内なる命の法則の中心性と機能に深く印象づけられることを望みます。(「エレミヤ書ライフスタディ」、第26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り17日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第2週第1日

 

命の霊の法則によって、キリストを解放する方として経験します

 

ローマ8:2、16

なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。16 その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます。 

 

「わたしたちは命の霊の法則によって、キリストを、わたしたちを解放する方として経験し、享受し、表現することができます(ローマ8:2)。ローマ第8章の命の霊の法則を享受することは、わたしたちをローマ第12章のキリストのからだの実際の中へともたらします。わたしたちがからだの中で、またからだのために生きるとき、この法則はわたしたちの内側で活動します(ローマ8:2,28-29.12:1-2,11.ピリピ1:19)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。三一の神は、肉体と成ること、十字架、復活、昇天の手順を経過して、命の霊の法則となり、わたしたちの霊の中に設置されたことを感謝します。主よ、わたしたちが主との接触の中にとどまって、命の霊の法則を自動的にわたしたちの内側で活動させることができますように。

 

主は命の霊の法則として、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則からわたしたちを解放します

 

 ローマ人への手紙第7章22節から第8章4節は、解放する方としてのキリストを啓示しており、彼は命の霊の法則によって、罪と死の法則から、苦悩している者を救い出します。第7章24節でパウロはあわれなほどに叫んでいます、「何とわたしは苦悩している者でしょう! だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか?」。パウロの問いかけに対する答えは、第7章25節と第8章において提示されています。……パウロには罪定めがありませんでした。なぜなら、彼は命の霊の法則によって、罪と死の法則からの解放を経験したからです。

 

 命の霊には、生ける法則があります。この生ける法則は生けるパースン、すなわち、キリストにあって手順を経て、わたしたちの内側に住んでおられる三一の神です。命の霊の法則とは、キリストにある三一の神であり、彼は肉体と成ること、十字架につけられること、復活、昇天の手順を経過し、わたしたちの中へと入り、わたしたちの命となっただけでなく、わたしたちの法則ともなられました(2-3、10-11、34節)。この生けるパースンは命の霊の法則として、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則からわたしたちを解放します。(「新約の結論(18)」、メッセージ301)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り15日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第6日

 

わたしたちは御子のかたちに、神の御子の長子のかたちに同形化されます

 

ローマ8:29

なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです.それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです。

 

「わたしたちはローマ第1章3節から4節と第8章29節を結び付ける必要があります。肉体と成ること、十字架、復活を通して、神の御子であるキリストは、神の長子となりました。そして多くの子たち、すなわちキリストの兄弟たちは、キリストのかたちに同形化されつつあります(ヘブル2:10-11.ローマ8:29)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちを御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたことを感謝します。主よ、あなたは神聖と人性であり、わたしたちは人性と神聖です。わたしたちがキリストのかたちに同形化される道を日々、歩み続けることができますように。

 

わたしたちも神の子供たちとして、人の性質と神聖な性質を持っています

 

 神はわたしたちが人性を失うことを意図されません。その反対に、わたしたちは永遠に人性を帯びているでしょう。しかし永遠におけるわたしたちの人性は、天然のものではありません。それは復活させられ、栄光化され、引き上げられるでしょう。これは、コリント人への第一の手紙第15章の天然の体と霊の体、すなわち復活の体との対照によって証明されます。今日のわたしたちの肉体は種のようです。しかしある日、この「種」は復活させられ、栄光化されるでしょう。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(2)」、第52編)

 

 この事はわたしたちを神化の事柄にもたらします。またこの事が暗示しているのは、神のエコノミーにおける神の意図が、彼ご自身を人と成らせ、それによってキリストの中で、キリストにある信者であり神の子供たちであるわたしたちを、命、性質、構成において(しかし、神格においてではない)神とならせるということです。そのような暗示は極めて重要であり、最終的に、聖書はこの事柄をもって究極的に完成します(ローマ8:29.1:3-4.ヨハネ1:1-13.Ⅰヨハネ3:1.啓21:2,10-11)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り14日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第5日

 

キリストが神の御子と明示されたことは、「聖別の霊に」よりました

 

ローマ1:3-4

彼の御子に関するものです.この方は、……聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示された……イエス・キリストです。

 

Ⅰペテロ3:18

キリストも、罪のために、ひとたび苦しまれました.義なる方が不義なる者たちに代わってくださったのです.それは、彼があなたがたを神にもたらすためです.彼は肉においては死に渡されましたが、霊においては生かされたのです。

 

「キリストが人性を持つ神の御子と明示されたことは、「聖別の霊に」よりました(ローマ1:4)。聖別の霊は、主イエスの内側にある命の本質です。彼が地上で肉体の中で生きていた時、彼の内側にはこの本質がありました(マタイ1:18,20.ルカ1:35)。主イエスは死人の中から復活させられた時、彼の中にあった聖別の霊によれば、復活により、力の中で、神の御子と明示されました(ローマ1:4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主は聖別の霊によって死人の中からの復活により、神の御子と明示されたことを賛美します。主よ、わたしたちが生活の中で、命の新しさの中を歩き、復活の中で引き上げられた人性を経験し、享受することができますように。

 

聖別の霊によれば、復活により、力の中で、神の御子と明示されました

 

 キリストの十字架に対する責任者たちは、十字架は彼が明示され、栄光が現される最高の道であったことを認識しませんでした。カーネーションの種を用いてこの点を例証しましょう。その種が土壌の中に埋められることによって終わらせられるなら、それは最終的に発芽し、生長し、開花します。同じ原則で、キリストは死と復活を通して、神の御子として「開花し」ました。サタンはキリストの十字架は彼の結末を告げるものと期待しましたが、主イエスは、これは実は始まりであること、聖別の霊によって死人の中からの復活による彼の明示になることを知っておられました。

 

 明示された神の御子として、キリストはなおも二つの性質、神性と人性の両方を持っておられます。しかしながら、彼が今持っておられる人性は、天然の人性ではなく、復活の中で引き上げられた人性です。彼の肉体でさえ神の御子と明示されました。ですから、彼は神性と人性の両方を伴う神の御子と明示されたのです。そのようなすばらしいパースンとして、彼は神の子たちと明示されつつあるすべての者の模範、型となられました。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(2)」、第52編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り13日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第4日

 

キリストは復活において、力の中で、人の性質を持つ神の御子と明示されました

 

ローマ1:3-4

彼の御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示されたわたしたちの主イエス・キリストです。

 

「わたしたちが知る必要があるのは、キリストが復活において、力の中で、人の性質を持つ神の御子と明示されたということです(ローマ1:3-4)。 キリストは彼の復活によって、彼の人の性質、すなわち彼の人性を聖別し、引き上げました。また彼は復活から、この人の性質を伴う神の御子と明示されました。この意味で、彼は復活の中で神の御子として生まれました(ローマ1:3-4.使徒13:33.ヘブル1:5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストが復活において、力の中で、人の性質を持つ神の御子と明示されたことを賛美します。主は神の御子として神性だけでなく、人性も持っておられます。主の復活の力がわたしたちの人の性質に浸透して、わたしたちもまた神の子たちとして明示されますように。

 

復活によって主は人性を持つ神の御子と明示されました

 

 キリストが人の子として明示される必要はありませんでした。なぜなら、人々は彼を見て、直ちに彼が人であると認識したからです。しかしながら、彼は神の御子と明示される必要がありました。なぜなら、神の御子は人の子としての彼の中に隠されていたからです。……この隠された神性は復活によって、明示され、現される必要がありました。彼が復活した時、彼は人性を持つ神の御子であると明示され、現されました。

 

 肉体と成る前、キリスト、神聖な方はすでに神の御子でした(ヨハネ1:18.ローマ8:3)。肉体と成ることによって、彼はある要素、すなわち、人の肉を着ました。それは神性と何の関係もありませんでした。ですから、死と復活を経過することによって、彼のこの部分は聖別され、引き上げられる必要がありました。復活によって、彼の人の性質は聖別され、引き上げられ、造り変えられました。ですから、復活によって彼は人性を持つ神の御子と明示されました(使徒13:33.ヘブル1:5)。…… 今や、神の御子として彼は神性だけでなく、人性も所有しています。「新約の結論(18)」、メッセージ295)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り12日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第3日

 

神の長子は、神性と人性の両方を持っています

 

Ⅰペテロ1:3

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父.この方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を通してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ。

 

ヘブル2:10

万物がその方のために存在し、万物がその方を通して存在する方が、多くの子たちを栄光へ導き入れるのに、彼らの救いの創始者を、苦難を通して成就されるのは、彼にふさわしいことでした。

 

「キリストは彼の復活を通して生まれて長子となり、また同時に彼のすべての信者も生まれて神の多くの子たちとなりました(Ⅰペテロ1:3.ヘブル2:10)。神の長子は、神性と人性の両方を持っています。わたしたち彼の信者も、神の多くの子たちとして、人の性質と神聖な性質の両方を所有しています(Ⅱペテロ1:4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストが復活を通して生まれて、神の長子となられたことを賛美します。わたしたち信者も、神の多くの子たちとして、人の性質と神聖な性質の両方を持っていることを感謝します。わたしたちが日ごとに神の長子のかたちに同形化されていきますように。

 

わたしたちは神の多くの子たちとして、人の性質と神聖な性質の両方を持っています

 

 神の御子は永遠ですが、この永遠の神の御子は……人の子として生まれました。彼は肉体と成ることでマリアから生まれ、その誕生によって人の子と成りました。ですから、彼の肉体と成ることは彼の最初の誕生でした。しかし聖書はまた、キリストには第二の誕生があったことを告げています。キリストは第一の誕生の時、人の子として生まれ、そして第二の誕生の時、神の長子として生まれました。一方で、ヨハネによる福音書第3章16節は、「神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された」と言います。……もう一方で、ローマ人への手紙第8章29節は、「それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです」と言っています。

 

 あなたはかつて、キリストが二つの方法で神の御子であることを考えたことがあるでしょうか? 第一の方法で彼は神のひとり子でした。第二の方法で彼は多くの子たちの間で長子です。ローマ人への手紙第8章29節は、信者たちが同形化されるのはひとり子のかたちにではなく、神の長子のかたちにであると言っています。(リー全集、1980年、第2巻(下)、「キリストを経験する秘訣」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り11日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第2日

 

キリストの復活は、神の長子としての彼の誕生でした

 

詩2:7-8

……あなたはわたしの子.今日、わたしはあなたを生んだ。わたしに求めよ.わたしは諸国民をあなたの嗣業として与え、地の果てまであなたの所有として与える。

 

ヘブル1:6

そして神は、長子を人の住む地に再びもたらす時、「神のすべての御使いは、彼を拝しなさい」と言われます。

 

「パウロは詩篇第2篇7節において主の復活を見ることができました。「あなたはわたしの子.今日、わたしはあなたを生んだ」。パウロは「今日」という言葉を、主の復活の日に適用しました。この事が意味するのは、キリストの復活が神の長子としての彼の誕生であったということです(使徒13:33)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主の十字架上での死と復活を感謝します。主よ、わたしたちはキリストの復活を通して、主と共に生まれ、主の多くの兄弟たち、神の多くの子たちとなったことを感謝します。主よ、わたしたちが死と復活の主観的な経験を持つことができますように。

 

わたしたちは主と同じ復活を通して、主と共に生まれ、神の子たちとなりました

 

 詩篇第2篇7節から9節は、キリストの宣言です。この言葉は使徒パウロによって、使徒行伝第13章33節で引用されており、詩篇第2篇7節がキリストの復活を指していることを示します。神の油塗られた方、キリストは断たれ、十字架につけられた(ダニエル9:26)後、復活させられ、彼の人性の中で神の長子として生まれました(ローマ1:3-4.8:29.ヘブル1:5-6)。彼のすべての信者たちは同じ復活を通して、彼と共に生まれ、彼の多くの兄弟たち、神の多くの子たちとなりました(ヨハネ20:17.Ⅰペテロ1:3.ローマ8:29.ヘブル2:10)。(詩2:7、フットノート1)

 

 わたしは、もしパウロがいなければ、詩篇第2篇がキリストの復活について語っているのを、わたしたちが見ることができたとは思いません。パウロは「あなたはわたしの子.今日、わたしはあなたを生んだ」という言葉の中に、主の復活を見ることができました(参照、使徒13:33)。……これは、キリストの復活が、神の長子としての彼の誕生であったことを意味します。イエス、人の子は、死人の中から復活させられることを通して生まれて、神の御子となりました。…… わたしたちは、主の復活が彼の誕生であったことを認識する必要があります。これは極めて重要な事柄です。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第37編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り10日

キリストを経験し、享受し表現する(2)  第1週第1日

 

ダビデの子孫が神の御子となる

 

使徒13:32-33

わたしたちは、父祖に対してなされた約束の福音を、あなたがたに宣べ伝えているのです.すなわち、神は彼を復活させて、子孫であるわたしたちに、この約束を完全に成し遂げられました.それは詩篇第二篇にも、『あなたはわたしの子である.この日わたしはあなたを生んだ』と書き記されているとおりです。

 

「使徒第13章で「パウロは言いました。すなわち、ダビデの子孫から「神は約束にしたがって、イスラエルに救い主、イエスをもたらし」(23節)、また神は彼を復活させて、……この約束を完全に成し遂げられました.それは詩篇第二篇にも、『あなたはわたしの子である.この日わたしはあなたを生んだ』と書き記されているとおりです」(33節)。復活は、人なるイエスにとって誕生でした。彼は復活において神によって生まれ、多くの兄弟たちの間で神の長子となりました(ローマ8:29)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは復活において神によって生まれ、多くの兄弟たちの間で神の長子となられたことを感謝します。このビジョンを実際として享受することができますように。

 

主イエスは復活の中で神によって生まれ、神の長子となりました

 

 復活は、人なるイエスにとって誕生でした。彼は復活の中で神によって生まれ、多くの兄弟たちの間で神の長子となられました(ローマ8:29)。彼は永遠から神のひとり子でした(ヨハネ1:18.3:16)。肉体と成った後、復活を通して、彼は彼の人性において神によって生まれ、神の長子となられました。(使徒13:33、フットノート1)

 

 人の性質によれば、キリストはダビデの子孫であり、歴史における人の子孫です(マタイ1:1.22:42)。彼の神聖な性質によれば、彼は神の御子、すなわち、神の表現です。新約において、「神の御子」という称号は、神の表現を意味します(ヨハネ5:19.14:7-9.ヘブル1:3)。神の御子として、キリストは父なる神を表現します……(ヨハネ1:18)。だれもかつて神を見たことがありませんでしたが、御子は神の言また神の語りかけとして、神を明らかに示されました(1節.啓19:13.ヘブル1:2)。御父は目に見えない神、隠れた神であり、神の御子である主イエスは現された神です。ダビデの子孫また神の御子として、キリストは全体的な神であり完全な人、すなわち、神・人です。(「新約の結論(18)」、メッセージ295)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)



集会についてのお知らせ

千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。

 

今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。