10月の祈り第7日
(年二回の訓練(7月)第5週1日)
旧約の予表におけるヨベルは、失われた所有地に帰ることと、奴隷状態からの解放です
レビ25:10,13
あなたがたは五十年目の年を聖別し、全土にわたってすべての住民に、解放をふれ示さなければならない。それはあなたがたにとってヨベルである.あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族に帰らなければならない。…… このヨベルの年には、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。
「レビ記第25章8節から17節のヨベルの年は、イザヤ書第61章1節から3節で予言として記載されており、ルカ第4章16節から22節で実際に成就されています。ヨベルの年には、二つの主要な祝福がありました。それは、それぞれの人が自分の失われた所有地に帰ることと、奴隷状態からの解放です(レビ25:8-17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを神聖な所有地としての神に帰らせてくださったことを感謝します。また神聖な家族としての召会に帰らせてくださったことを感謝します。日々、真のヨベルを享受することができますように。
旧約の予表でヨベルは一年ですが、その成就は新約時代全体、恵みの時代です
ヨベルの年は主の受け入れる年であり、イザヤ書第61章1節から2節で予言され、ルカによる福音書第4章16節から22節で主の来臨によって成就されています。旧約の予表で、ヨベルは一年続きましたが、その成就は新約時代全体、恵みの時代であり、帰って来た罪の捕らわれ人を神が受け入れる時(イザヤ49:8.ルカ15:17-24.Ⅱコリント6:2)、罪の束縛の下にしいたげられていた者が神の救いの解放を享受する時です(ローマ7:14―8:2)。
信者たちが恵みの時代にヨベルを享受すること、すなわち、彼らへの神の恵みとしてのキリストを享受することは、千年期におけるヨベルの満ち満ちた享受、また新天新地の新エルサレムにおける最も満ち満ちた享受をもたらします。(レビ25:10、フットノート1)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
10月の祈り第5日
(年二回の訓練(7月)第4週6日)
キリストの変貌は、彼が彼の王国の中で来られることです
マタイ13:43
その時、義人は彼らの父の王国で太陽のように輝く。聞く耳のある者は、聞くがよい。
ピリピ3:21
キリストは、万物を彼ご自身に服従させることができる彼の活動によって、わたしたちの卑しい体をも変貌させ、それを彼の栄光の体に同形化してくださいます。
「王国の実現の時、わたしたちの人性は、わたしたちの内側の栄光ある神性によって栄光化されます(コロサイ1:27)。ある意味で、主は天から戻って来ますが、別の意味で、彼はわたしたちから出て来ます。彼がわたしたちからご自身を完全に生かし出すとき、それは彼の到来の時となります(マタイ16:27.Ⅱテサロニケ1:10.コロサイ1:27.3:4)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの生活の中で、神聖な性質を伴う神聖な命をもって、わたしたちに浸透してください。わたしたちの卑しい体を変貌させ、あなたの栄光の体に同形化してくださる約束を感謝します。
王国の実現の時、わたしたちの人性は内側の栄光なる神性によって栄光化されます
キリストの変貌(かたちが変わること)は彼が彼の王国の中で来られることであることを認識するクリスチャンは多くありません。……主の到来は突然起こるのではありません。むしろ、それは徐々に来るのです。ある意味で、主は天から戻って来られます。しかし別の意味で、彼はわたしたちから出て来られます。彼がわたしたちから完全にご自身を生かし出される時が、彼の到来の時です。マタイによる福音書第17章1節から2節と第16章28節によれば、彼の到来は彼の変貌であり、彼の変貌は彼の栄光が現されることでした。彼は変貌された時、栄光が現されました。……
わたしたちは今、内側に、神聖な性質を伴う神聖な命を持っています。しかしながら、わたしたちはなおも天然の人性を持っています。どれほど霊的で聖であっても、わたしたちの人性はまだ天然的です。それはまだ神聖な栄光で浸透されていません。しかし王国の実現の時、わたしたちの人性は、内側の栄光なる神性によって栄光化されるでしょう。(「マタイによる福音書ライフスタディ(2)」、第49編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
10月の祈り第4日
(年二回の訓練(7月)第4週5日)
主のために進んで魂を失うなら、変貌を経験します
マルコ8:35-36
なぜなら、すべて自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、すべてわたしのため、また福音のために、自分の魂の命を失う者はそれを救うからである。人が全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか?
「神の王国としての召会は、天然の命の中で存在することはできず、ただ変貌(かたちが変わること)というこの領域の中でのみ存在することができます(ローマ14:17)。主のために進んで自分の魂の命を失うなら、わたしたちは召会生活の中で顕著な変貌を経験します。この変貌は、真の復興となります(マルコ8:35-38.マタイ16:25-27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の王国としての召会は、天然の命の中で存在することはできません。主よ、わたしたちがあなたのために進んで自分の魂の命を失うことができますように。主よ、召会生活の中で顕著な変貌を経験させてください。
召会の中で自分の魂を失い、魂の享受を失うことを学ぶ必要があります
召会は、わたしたちが主のために進んで魂を失うことによって、かたちが変わります。言い換えれば、それは復興をもたらします。あらゆる真の復興は、キリストの来臨であり、彼の褒賞を伴った現在のキリストの来臨です(物理的な方法における彼の二度目の来臨ではない)。彼は忠信な人に積極的に褒賞を与え、不忠信な人に消極的に報いられます。わたしはこのことが召会生活において起こったのを見たことがあります。復興、すなわち、かたちが変わることが来たとき、ある人は享受し、他の人は暗やみで歯がみしました。……
召会の中で、わたしたちはみな自分の魂を失い、魂の享受を失うことを学ぶ必要があります。わたしたちの魂を失うことによって、かたちが変わることは起こります。そのとき、主のかたちが変わることの中で、わたしたちは積極的に褒賞を受け、主はわたしたちの魂を救われます。(リー全集、1978年、第1巻(上)、「召会を建造するための王国の訓練」、第5編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
10月の祈り第3日
(年二回の訓練(7月)第4週4日)
神の王国は主イエスの変貌(かたちが変わること)です
マルコ9:1-2
イエスはまた彼らに言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.ここに立っている者のうちのある人たちは、死を決して味わわないうちに、神の王国が力をもって来るのを見る」。それから六日の後、イエスはペテロとヤコブとヨハネとを連れて、彼らだけをひそかに高い山へ導いて行かれた。すると、彼は彼らの前でかたちが変わり、
「主イエスが変貌したこと(主イエスのかたちが変わったこと)は、彼の人性が彼の神性で浸透され飽和されたことを意味しました。この変貌は、彼の栄光が現されることであり、彼が王国の中で来ることと等しかったのです(マルコ9:2)。わたしたちが神の王国の種として受けた方は、わたしたちの中で成長して、ついにはわたしたちの内側から開花する必要があります。この開花は、わたしたちの中での、実際の、経験することができる主の変貌(かたちが変わること)です(コロサイ1:27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが命の種としてわたしたちの心の中へとまかれたことを感謝します。この種がわたしたちのうちで成長し発展して開花し、栄光の中で現されますように。
キリストがわたしたちの内側で変貌するとき、その変貌は神の王国となります
主イエスの変貌(かたちが変わること)は王国の到来です。これは、王国が物質の領域でないことを証明します。……王国は変貌した(かたちが変わった)パースンです。わたしたちは、主イエスの変貌(かたちが変わること)としての王国についてのこの理解を、わたしたちの経験の光の中で考える必要があります。……土壌によって受けられた種が、まだ変貌していない種であるように、わたしたちの経験の中で、わたしたちが受け入れたキリストは、変貌していない(かたちが変わっていない)キリストでした。種の変貌は、その種が成長して円熟した植物となり、その植物が開花することを必要とします。……
同じように、わたしたちが受け入れた主イエスは、わたしたちの中で成長して、わたしたちの内側から開花する必要があります。…… 主イエスがわたしたちの中で、日ごとの生活において実際的な方法で変貌する(かたちが変わる)とき、その変貌は神の王国となり、わたしたちの生活のあらゆるものを支配します。この王国はわたしたちを支配し、またわたしたちに神の完全な享受を与えます。(「マルコによる福音書ライフスタディ(2)」、第66編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
10月の祈り第2日
(年二回の訓練(7月)第4週3日)
マルコ第4章35節から41節の記録は、神の王国が反逆を征服する力であることの絵です
マルコ4:39
イエスは目を覚まして、風をしかりつけ、海に「黙れ! 静まれ!」と言われた。すると風はやんで、大なぎになった。
エペソ6:12
というのは、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに、天上にいるあの悪の霊の勢力に、敵対するものだからです。
「マルコ第4章35節から41節の記録は反逆の絵であり、また神の王国が反逆を征服する力であることの絵です。主は風をしかりつけ、海に黙るように命じました。それは反逆の天使たちと悪鬼どもが、その背後にいたからです。主が風をしかりつけ、海に語った後、風はやみ、大なぎになりました。それは邪悪な天使たちと悪鬼どもの反逆が、王国の力によって征服されたからです(マルコ4:39)」。
主イエスよあなたを愛します。神の王国が反逆を征服する力であることを賛美します。主よ、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに敵対するものであることを見ることができますように。
主が風をしかりつけ、海に語られた後、風はやみ、大なぎになりました
奴隷・救い主は、神の王国について強い言葉を語ったすぐ後、彼の弟子たちに言われました、「向こう岸へ渡ろう……」[マルコ4:35]。その時、反逆者サタンは、空中の彼の使いたちと水中の彼の悪鬼どもを使って反逆を引き起こしました。「大きな突風が起こって、波が舟に打ち込み、そのために舟は水浸しになりそうであった」(37節)。この嵐は、主と彼の弟子たちを運ぶ舟が海を渡るのをとても困難にしました。……
主は、その嵐がこれらの天使たちと悪鬼どもによって引き起こされたこと、それは彼が海の向こう岸に行って悪鬼の群れを追い出すのを阻止するためであったことを知っておられました。主がそれらの悪鬼どもを追い出されたとき、それは王国の到来でした。
今やわたしたちは、第4章で主が王国について語り、第5章で悪鬼どもを追い出すことを通して王国を遂行されたのを見ることができます。王国に関する言葉と王国を遂行することの間に、嵐の海の事例があります。主が風をしかりつけ、海に語られた後、風はやみ、大なぎになりました。なぜなら、空中の邪悪な天使たちと水中の悪鬼どもの反逆が征服されたからです。「マルコによる福音書ライフスタディ(1)」、第12、17編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
10月の祈り第1日
(年二回の訓練(7月)第4週2日)
主は神の霊によって悪鬼どもを追い出して、神の王国をもたらしました
マタイ6:10
あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。
マタイ12:28
しかし、わたしが神の霊によって悪鬼どもを追い出しているのであれば、神の王国はあなたがたに臨んでいるのである。
「主イエスは来て神の王国を建て上げ、神の永遠の定められた御旨を完成します(マルコ1:14-15)。神の王国は、神が彼の権威を行使して、彼のご計画を成就することができる神聖な領域です(マタイ6:10,33.ルカ12:32.コロサイ1:13)。主は神の霊によって悪鬼どもを追い出したとき、サタンの王国を破壊して、神の王国をもたらしていました(マタイ12:28)」。
主イエスよ、あなたを愛します。あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。わたしたち召会が主イエスと同じように、福音を宣べ伝えることによってサタンを追い出し、神の王国をもたらすことができますように。
主イエスは福音を宣べ伝えることによってサタンの王国を滅ぼし、神の王国をもたらしました
わたしたちは、王国とは人が何かを達成する範囲、あるいは領域であると言うかもしれません。時には、ある人は自分自身の王国を持っていると言います。これが意味するのは、彼が働いて自分の目標に到達し、あるいは自分の計画を成就することができる領域、範囲を持っているということです。ですから、王国とは、人が行ないたいことを行なう領域です。旧約聖書によれば、神の王国と呼ばれる領域があります。神の王国とは、神が彼の永遠の定められた御旨を成し遂げ、彼の目標を達成する範囲、領域です。……
マタイによる福音書第12章28節は、主イエスが福音を宣べ伝えることによってサタンの王国を滅ぼしていたとき、神の王国をもたらしておられたことを示します。……神の霊が力の中にある所に、神の王国があり、そこでは悪鬼どもに何の立場もありません。(「マルコによる福音書ライフスタディ(1)」、第13、12編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)