朝ごとの食物

ヨブ記、箴言、結晶の学び(3) 第9週4日~ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週4日

4月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週4日)

 

美徳に知識を、知識に自制を[供給しなさい]

 

Ⅱペテロ1:5-7

まさにこのゆえに、勤勉の限りを尽くして、あなたがたの信仰に美徳をあふれるばかりに供給し、美徳に知識を、知識に自制を、自制に忍耐を、忍耐に敬虔を、敬虔に兄弟愛を、兄弟愛に愛を供給しなさい。

 

「自制は、情感、願望、習慣における制御の訓練、自己の抑制です。そのような自制は、命における正常な成長のために、知識において訓練される必要があります(Ⅱペテロ1:6前)。忍耐を訓練するとは、人と環境を耐え忍ぶことです(Ⅱペテロ1:6)。

 

 主よ、わたしたちが神聖な性質にあずかり、神聖な性質を発展させることができますように。

 

 

自制に忍耐を発展させる必要があります

 

 ペテロの第二の手紙第1章6節で、自制、あるいは節制は、情感、願望、習慣における制御の訓練、自己の抑制です。これは、命の正常な成長のために、知識が供給され、発展させられることを必要とします。

 わたしたちはいったん知識を得ると、容易に高慢になります。こういうわけで、わたしたちは知識に自制を発展させる必要があるのです。自制は制限を意味します。木が生長するとき、根は拡大しますが、幹はむしろ制限される様で上に生長します。これは、美徳と知識の発展に伴って、わたしたちが自制と共に来る制限を必要とすることの例証です。

 

 6節のペテロの言葉によれば、わたしたちは自制に忍耐を発展させる必要があります。自制はわたしたち自身を対処することです。忍耐とは、他の人のこと、また環境のことで耐え忍ぶことです。正しいクリスチャン生活をするために、わたしたちは周りの人に対して、またわたしたちの周囲と環境に対して忍耐を必要とします。……

 信仰が種であるなら、美徳と知識は根であり、自制は幹、忍耐と敬虔は枝です。最後に、7節では開花と実としての兄弟愛と愛を見ます。(ペテロの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ6)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週3日)

 

神聖な命と神聖な性質との発展を経験する

 

Ⅱペテロ1:5-11

まさにこのゆえに、勤勉の限りを尽くして、あなたがたの信仰に美徳をあふれるばかりに供給し、美徳に知識を、……このようにして、あなたがたは豊かに、あふれるばかりに供給されて、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国へと入るのです。

 

「わたしたちは、神聖な命と神聖な性質との発展を経験する必要があります。それは神聖な種の中に含まれており、その種はわたしたちの中にすでにまかれており、わたしたちを永遠の王国へと豊かに入らせます(Ⅱペテロ1:1, 4-11)。すべての神聖な豊富はこの種の中にありますが、わたしたちは勤勉になってそれを発展させなければなりません(Ⅱペテロ1:1-8.3:18)」。

 

 主よ、わたしたちに与えられた信仰の種を発展させてください。美徳と知識、自制、忍耐と敬虔を通して、兄弟愛に、さらに愛へと発展させることができますように。

 

 

信仰のすべてを含む種を発展させて、永遠の王国へと豊かに入る

 

 ペテロの第二の手紙第1章5節から11節のペテロの言葉によれば、成長して円熟に至るとは、わたしたちがすでに受けたものを発展させることです。わたしたちはすばらしい同じ尊い信仰を割り当てられました。この信仰はすべてを含む種です。すべての神聖な豊富がこの種の中にあるのですが、わたしたちは勤勉になって、それらを美徳へと発展させなければなりません。そして美徳に知識を、知識に自制を、自制に忍耐を、忍耐に敬虔を、敬虔に兄弟愛を、兄弟愛に愛を発展させる必要があります。これらの美徳を発展させることによって、わたしたちは成長し、ついには円熟に達するでしょう。

 

 その結果、わたしたちはキリストで満ちるでしょう。またパウロの言葉によれば、わたしたちはキリストの豊満の身の丈の度量に到達するでしょう(エペソ4:13)。そしてわたしたちは資格づけられ、装備されて、来たるべき王国で王となるでしょう。(ペテロの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ7)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第27日

(朝ごとの食物  ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週2日)

 

この世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となる

 

Ⅱペテロ1:4

彼はその栄光と美徳を通して、尊く、際立って偉大な約束を、わたしたちにすでに与えてくださっています.それは、これらの約束を通して、あなたがたが情欲によるこの世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となるためです。

 

「神聖な性質にあずかる者となることには、条件があります。それは、わたしたちが情欲によるこの世の腐敗から逃れることです。わたしたちは逃れることとあずかること、あずかることと逃れることの循環の中に、生きる必要があります(Ⅱペテロ1:4)」。

 

 尊く、際立って偉大な約束を感謝します。主よ、わたしたちが情欲によるこの世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となることができますように。

 

 

この世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる循環

 

 神はわたしたちに、美徳と栄光とを成し遂げるという約束を与えられました。それは、わたしたちが神聖な性質にあずかるためです。これは神の活動です。しかし神の活動は、わたしたちの協力を必要とします。そしてわたしたちの協力は、情欲に満ちた生活を避け、それによって情欲によるこの世の腐敗から逃れることです。

 

 わたしたちはこの腐敗から逃れれば逃れるほど、ますます神の性質を享受するでしょう。同じように、わたしたちは神聖な性質にあずかればあずかるほど、ますます情欲によるこの世の腐敗から逃れるでしょう。これは一つの循環、逃れることとあずかることと、あずかることと逃れることの循環です。・・・・・ わたしは、あずかることと逃れることのこの循環がわたしの内側で強く、素速い方法で働くので、この世のいかなる腐敗を取り入れることも難しいと、証しすることができます。わたしは神聖な性質にあずかり、この神聖な性質はわたしを強めて腐敗から遠ざけます。そしてわたしはこの世の腐敗から遠ざかれば遠ざかるほど、ますます神聖な性質の豊富を享受します。これは神のエコノミーの経験です。(ペテロの第二の手紙ライフスタディ、メッセージ3、5、2)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第26日

(朝ごとの食物  ペテロの第二の手紙 結晶の学び 第1週1日)

 

神聖な性質にあずかる

 

Ⅱペテロ1:4

彼はその栄光と美徳を通して、尊く、際立って偉大な約束を、わたしたちにすでに与えてくださっています.それは、これらの約束を通して、あなたがたが情欲によるこの世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となるためです。

 

 

神聖な性質にあずかる者、神聖な命と神聖な性質の発展、

それは永遠の王国へと豊かに入ることのためである

 

「神聖な性質とは、神であること、すなわち、神であることの豊富、要素、構成要素を指しています(ヨハネ4:24.Ⅰヨハネ1:5.4:8,16)。神の子供たちとして、わたしたちは神・人であり、神から生まれ、神の命と性質を所有し、神の種族に属します(Ⅰヨハネ3:1.ヨハネ1:12-13)」。

  

 主よ、わたしたちが主を信じた時に神聖な命を受けたことを感謝します。わたしたちの生活の中で、神聖な性質を享受し続けることができますように。

 

 

神聖な命と性質にあずかり、発展させ、永遠の王国へと入る

 

 この[第1週]のメッセージのタイトルは、とても満ち満ちたものです。わたしはこのタイトルにある「あずかる者」、「発展」、「入る」という言葉を強調したいと思います。それらは、このメッセージの開始にとって中心的なものです。タイトルにおけるこれらの言葉の順序は、前述した節(Ⅱペテロ1:4)におけるそれらの言葉の現れにしたがっており、またわたしたちの霊的経験にもしたがっています。わたしたちはまず、神聖な性質にあずかる者となります。そして、わたしたちはあずかるとき、わたしたちの内側における神聖な命と性質の発展を経験します。最後に、この発展は、わたしたちが永遠の王国へと入ることとなります。(Ⅱペテロ結晶の学び メッセージノート)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月25日 第4回オンライン福音集会

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4月の祈り 第24日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週6日)

 

神の王国は、彼の栄光の中で、権威をもって現れる

 

ローマ8:22-23

全被造物は、……共にうめき……その霊の初穂を持つわたしたち自身も、自らの内でうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです。

 

マタイ6:10

あなたの王国が来ますように.……

 

 「全被造物は今は虚無と腐敗の状態の中に拘留されていますが、神は彼の王国をもたらして、現在のこの状態を対処されます(啓11:15)。神の王国は、神が彼の神聖な行政のために、彼の栄光の中で、彼の権威をもって現れることです。ですから、神の王国に入ることと、神の表現された栄光に入ることは、一つの事として同時に起こります(ヘブル2:10.マタイ5:20.Ⅰテサロニケ2:12.Ⅱテサロニケ1:10.啓21:9-11.22:1, 5)」。

 

   主よ、わたしたちに王国を啓示してください。わたしたちが王国の実際を生きることができるようにしてください。

 

 

この王国が出現する時、全被造物は自由にされます

 

 被造物は神の子たちのこの出現を見ようと切に期待し、熱心に待ち望んでいます。…… 被造物の唯一の望みは、神の子たちが出現する時、この朽ち果てる奴隷状態から解放されて、神の子供たちの栄光の自由に入ることです。全被造物は今は虚無と腐敗の状態の中に拘留されていますが、神は王国をもたらして、現在のこの状態を置き換えられます。現在の状態は虚無と朽ち果てる奴隷状態です。来たるべき王国は神の栄光の王国となり、神の出現した子たちでおもに構成されています。

 

 この王国が出現する時、全被造物は自由にされます。被造物はこの王国が来るのを切に期待し、熱心に待ち望んでいます。こうして、「全被造物は、今に至るまで共にうめき、共に産みの苦しみをしている」のです(22節)。宇宙はうめき、産みの苦しみをして、神の子たちの出現を待ち望んでいます。さらに、「その霊の初穂を持つ」わたしたち自身もうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを期待しているのです(23節)。(ローマ人への手紙ライフスタディ(1)、第19、21編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週5日)

 

神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいる

 

ローマ8:19-21

被造物は切なる期待をもって、神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいます。・・・・ それは被造物自身も、朽ち果てる奴隷状態から自由にされて、神の子供たちの栄光の自由に入る望みがあるからです。

 

「被造物は切なる期待(完全に集中して期待すること)をもって、「神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいます」(ローマ8:19)。出現とは、以前は覆われ隠されていたものが、明らかにされ出現することです(エペソ1:17.3:5.ガラテヤ1:15-16.啓1:1)」。

 

 主よ、全被造物は産みの苦しみの中で、切なる期待をもって、神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいます。わたしたちもうめきながら、それが成就されることを熱心に待ち望んでいます。

 

 

神の子たちの栄光が現される日が来ます

 

 [ローマ人への手紙第8章19節の「出現」]は、神の子たちの現れ、あるいは啓示を意味します。わたしたちはみな神の子たちです。……もしわたしたちが街頭で人々に、自分は神の子であると言うなら、わたしたちは気が狂っていると彼らは思うでしょう。彼らは言うでしょう、「あなたとわたしを見てみなさい。どこに違いがありますか?…… 」。

 

 しかしながら、神の子たちが現される日が来ます。その日には、「今から、わたしたちは神の子たちである」と宣言する必要はないでしょう。なぜなら、わたしたちはみな栄光化されるからです。わたしたちは栄光の中にあり、神の栄光によって子と明示されるでしょう。その時、他のすべての人は、わたしたちが神の子たちであることを承認しなければならないでしょう。彼らは言うでしょう、「この人たちを見てください。あのように栄光に満ちているこれらの人たちはだれでしょう? 彼らは神の子たちであるに違いありません」。……全被造物が待望の目をもってこれを待っています。なぜなら、被造物は神の子たちの出現を熱心に待ち望んでいるからです。(ローマ人への手紙ライフスタディ(1)、第19編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週4日)

 

真実な方を知る理解力を与えてくださった

 

Ⅰヨハネ5:20

神の御子が来られて、真実な方を知る理解力を与えてくださったことを、わたしたちは知っています.そして、わたしたちは真実な方の中に、すなわち御子イエス・キリストの中にいるのです。これが真の神、また永遠の命です。

 

「わたしたちは、イエスにあるあの実際の中で生きることができます。なぜなら、「わたしたちは真実な方の中に……いる」からです(Ⅰヨハネ5:20)。「真実な方」は、神がわたしたちに対して主観的になることを指しており、客観的な神がわたしたちの生活と経験の中で真実な方となることを指しています」。

 

 主よ、わたしたちは「真実な方」の中にいます。主よ、わたしたちの日常生活の中でこの真実な方を深く経験することができますように。イエスのあの実際にしたがってキリストを学ぶことができますように。

 

 

わたしたちは鋳型としてのキリストの中にいる

 

 主イエスは地上での三十三年半において、鋳型、模範を形成されました。彼を信じる人たちはみな、それに同形化されるべきです。・・・・・・

 キリストはこの鋳型を設定された後、死と復活を経過し、そして復活において命を与える霊と成られました。そのような霊として、彼はわたしたちの中へと入って来て、わたしたちの命となられます。わたしたちがキリストを信じてバプテスマされた時、神はわたしたちを鋳型としての彼の中へと入れました。それは、練り粉が型の中へと入れられるようにです。鋳型の中へと入れられることによって、わたしたちは鋳型を学びます。

 

 これが意味することは、キリストの中へと入れられることによってわたしたちはキリストを学ぶということです。一方において、神はわたしたちをキリストの中へと入れました。もう一方において、キリストはわたしたちの中へと入って来て、わたしたちの命となられました。今やわたしたちは、わたしたちが神によって入れられた鋳型にしたがって彼によって生きることができます。わたしたちは鋳型としてのキリストの中におり、彼はわたしたちの命としてわたしたちの中におられます。このようにして、わたしたちはイエスにあるあの実際にしたがって、キリストを学びます。(新約の結論(20)、メッセージ341)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週3日)

 

思いのむなしさの中を歩かない

 

エペソ4:17

こういうわけで、わたしはこの事を言い、また主の中で証しをします.もはやあなたがたは、異邦人が彼らの思いのむなしさの中を歩くように、歩いてはなりません。

 

 「エペソ第4章17節から21節と24節で、パウロはイエスにあるあの実際を提示しており、それは、わたしたちがもはや思いのむなしさの中を歩かないためです。思いのむなしさの中を歩く諸国民は、その心のかたくなさのゆえに、理解することで暗くなっています(エペソ4:18)」。

 

 主よ、わたしたちが思いのむなしさの中を歩くことがないようにしてください。わたしたちの心をかたくなさから救ってください。イエスにあるあの実際にしたがって、生きることができますように。

 

 

イエスにあるあの実際にしたがって生きる

 

 エペソ人への手紙第4章17節のパウロの勧告が示唆していることは、わたしたち信者はかつて救われる前、思いのむなしさの中を歩いていたのであって、救われた後も続けてそのように歩くかもしれないということです。神を表現していない、クリスチャンの間の宗教活動や実行でさえ、例えば、クリスマスやイースターなどは、迷信、偽り、欺き、むなしさです。信者として、わたしたちはもはや思いのむなしさの中を歩くべきではありません。そうではなく、わたしたちは新しい人に神を生かし出させるべきです。

 

 新しい人の生活のあらゆる詳細は、わたしたちの生活において表現される神でなければなりません。これは、もはや思いのむなしさの中を歩くことではなく、イエスにあるあの実際にしたがって新しい人の生活を生きることです。・・・・・それは、わたしたちの天然の命によってではなく、復活におけるわたしたちの命としての彼によってです。キリストを学ぶとは、キリストの模範の中へと鋳込まれること、すなわちキリストのかたちに同形化されることにほかなりません(ローマ8:29)。(新約の結論(20)、メッセージ341)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第20日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週2日)

 

神は人の心に永遠を置かれました

 

伝3:11

彼はすべてを造り、時にかなって美しくされた.また、彼は彼らの心に永遠を置かれた……。

 

Ⅱコリント4:18

わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます.なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。

 

 「腐敗した世にある人生は空であり、風を捕らえるようなものですが、わたしたちは神が人の心に永遠を置いたことを認識する必要があります(伝3:11)。伝道の書第3章11節の「永遠」は、「神が植えた、歴代、働いている、一種の目的のある感覚です。日の下では、神以外に、何もこの感覚を満足させることはできません」(The Amplified Bible、詳訳聖書[英文])」。

 

 主よ、わたしたちに空の空、すべては空であることを見せてください。わたしたちに永遠を慕い求める感覚を増し加えてください。主よ、あなただけがわたしたちの深い感覚を満足させることができます。

 

 

神だけが、わたしたちの心を満足させることができます

 

 神は人がご自身を受け入れ、内容とするようにと、人をご自身のかたちに、人の霊を持つものに創造されました。伝道の書第3章11節は、神は人の心に永遠を置かれたと言っています。この宇宙にあるものは、おもに二つの部類から成っています。それは一時的なものと永遠のものです。コリント人への第二の手紙第4章18節でパウロは言っています、「……見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。」この節は、伝道の書第3章11節のソロモンの言葉の正しい説明です。この賢い王は、神はすべてを創造し、時にかなって美しく、また人の心に永遠を置かれたと言いました。

 

 これはわたしたちの人の経験と符合します。人はどれほど金持ちになり、成功したとしても、やはりむなしさを感じています。人は深い所で永続するものを求めています。永続するものだけが永遠のものです。詳訳聖書は言っていますが、人の心にある永遠は、「神が植えた、歴代、働いている、一種の目的のある感覚です。日の下では、神以外に、何もこの感覚を満足させることはできません」。わたしたちには、神以外のものは何も満足させることはできないという目的のある感覚があります。神だけが、わたしたちの心の目的のある感覚を満足させることができます。(神・人の生活、第1章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第19日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第12週1日)

 

空の空、すべては空である

 

伝1:2

空の空、伝道者は言う.空の空、すべては空である。

 

伝14

わたしは日の下で行なわれるすべてのわざを見たが、見よ、すべては空であって、風を捕らえるようなものである。

 

 「ある事がどれほど良く、卓越し、すばらしく、不思議であっても、それが旧創造のものである限り、それは日の下にある空の空の一部分です(伝1:9.2:11, 17, 22)。天にあり、「日の下」(伝1:9)にない新創造だけが、空ではなく実際です(Ⅱコリント5:17.ガラテヤ6:15.エペソ4:24)」。

 

 主よ、どんなに良く見えても、それが旧創造のものであるなら、空の空であることを、わたしたちに見せてください。また、新創造だけが空でなく実際であることを見せてください。

 

 

空の空を逃れる道がある

 

 伝道の書の内容は、ソロモンが堕落して神から離れ、神に戻って来た後、日の下での堕落した人類の、腐敗した世にある人生の記述です。…… 人の堕落を通して、人と、神が人に管理するように託した全被造物は、朽ち果てる奴隷状態の中へともたらされ、虚無に服従させられました(ローマ8:20-21)。こうして、腐敗した世での人生は空となり、風を捕らえるようなものとなりました。

 

 著者ソロモンはこれを完全に認識し、彼の記述の中でこれを極みまで強調しました。しかし、彼はこのことで全く失望していませんでした。むしろ、彼は人々に、この空を逃れる道があることを教えました。すなわち、神に戻り、神を人のすべて、人の贖い、命、富、享受、快楽、満足とし、人がなおも神に用いられて、神が人における当初の定められた御旨を成就し、神の永遠のエコノミーを完成することができるということです(伝12:13-14)。(伝道の書ライフスタディ、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第17日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週6日)

 

支配する王と価値のある女

 

箴31:4

……ぶどう酒を飲むことは王のすることではない.……「強い酒はどこだ?」とは、君主の言うことではない。

 

箴31:10-12

だれが、価値のある女を見つけることができるか?彼女の価値はサンゴにはるかにまさる。・・・・・ 彼女は生涯のすべての日々、夫に善を行ない、悪を行なわない。

 

 「箴言第31章は、主を畏れる者の二つの模範をわたしたちに提示しています。一方で、わたしたちは主と同じような王(王族の男)のようになって、支配する権威を持つべきです。他方で、わたしたちは価値のある女となって、どのように神の家の中で案配し、管理し、顧み、聖徒たちの必要を供給するかを知っているべきです」。

 

 主よ、わたしたちが神のために王として支配することを学ばせてください。また、わたしたちが価値のある女として、召会を愛し、神を畏れて生活することを学ばせてください。

 

 

支配する王と価値のある女の学びをする

 

 箴言の最後の章は、二つの模範を提示しています。支配する王と価値のある女です。一方で、わたしたちは主と同じような王(王族の男)のようになって、支配する権威を持つべきです。他方で、わたしたちは価値のある女となって、どのように神の家の中で案配し、管理し、顧み、聖徒たちの必要を供給するかを知っているべきです。

 箴言第31章3節から9節が語っているのは、支配する王、すなわち淫蕩でなく、ぶどう酒を飲まず、他の人たちの権利のために語り、公正を行なう人です。これはキリストと彼の勝利者を予表します。このような人だけが王として支配することができます。・・・・・・

 

 箴言第31章10節から31節は、価値のある女について描写しています。彼女は賢く、親切で、勤勉で、能力があり、また彼女の家を案配し、管理し、供給することができます。・・・・・ この価値のある女は、召会と、主を愛する聖徒たちを予表します。主を愛することにおいて、わたしたちはみなこの価値のある女のようであるべきです。(リー全集、1956年、第1巻、529ページ[英文])

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週5日)

 

神の赦しの恵みは、神を愛させます

 

ルカ7:47

こういうわけで、わたしはあなたに言う.彼女の罪は多いが、赦されている.だから彼女は多く愛した.しかし、少ししか赦されていない者は、少ししか愛さない」。

 

 「主を畏れることと主を愛することは、わたしたちの罪が赦されたことの二つのすばらしい結果です。神の赦しの恵みはまた、わたしたちに神を愛させます。ルカによる福音書における罪深い女が主を多く愛した理由は、彼女が主によって多く赦されたからです(ルカ7:39-50)」。

 

 主よ、あなたはわたしたちの多くの罪を赦してくださいました。わたしたちはさらにあなたを畏れ、さらにあなたを愛し、注ぎ出すことができますように。主のあわれみを感謝します。

 

 

神が人を赦した結果、人は神を畏れ、神を愛するようになる

 

 神の赦しの恵みは、わたしたちに神を畏れさせるだけでなく、また神を愛させます。消極面で、わたしたちは神を畏れるので、神の喜ばない事を行ないません。積極面では、わたしたちは神を愛するので、神の喜ぶ事を行ないます。……ルカによる福音書第7章で、罪深い女は、主によって赦されたので、自分の罪深い生活をやめただけでなく、自分の持っているすべてと、自分であるすべてを主の上に注ぎ出して、彼に対する愛を表現しました。

 

 わたしたちを罪定めする律法は、わたしたちを罪から解放することはできませんが、わたしたちを赦す恵みはそうすることができます。……わたしたちは神によって赦されれば赦されるほど、ますます神を愛します。罪深い女が主を多く愛した理由は、彼女が主によって多く赦されたからです。ですから、神が人を赦した結果、人は神を畏れ、神を愛するようになるのです。(真理課程、第一段階、第3巻、第36課)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週4日)

 

わたしたちはみな、キリストの裁きの座の前に立つ

 

Ⅱコリント5:10

なぜなら、わたしたちはみな、キリストの裁きの座の前に現れなければならないからであり、それは善であれ悪であれ、めいめいが実際に行なった事にしたがって、体を通してなされた事柄に対して報酬を受けるからです。

 

 「わたしたちはみな神に対する適切な畏れを持つべきです。なぜなら、わたしたちキリストにある信者はみな、キリストの裁きの座の前に現れるからです。その時、キリストは再来して彼の信者たちを裁きます。それは彼らの永遠の救いに関してではなく、彼らの時代の褒賞に関してです(Ⅱコリント5:10.Ⅰコリント4:4-5.3:13-15.ローマ14:10)」。

 

 主よ、わたしたちが主を畏れて、主に信頼し、主の御名の中に避け所を得て、命の路を歩くことができますように。あなたの慈愛は永遠です。主のあわれみが豊かにありますように。

 

 

心のはかりごとが明らかにされる

 

 使徒パウロは言っています、「ですから、主が来られるまで、その時に先立って、何事も裁いてはいけません.主は暗やみの中の隠された事柄を明るみに出し、心のはかりごとを明らかにされます」(Ⅰコリント4:4-5)。ローマ人への手紙においてパウロは言っていますが、わたしたちはみな、神の裁きの座の前に立ち、神に自分自身の言い開きをします(ローマ14:10,12)。わたしたちはそれぞれ、神の大いなる裁きの下に来ます。

 

 今日、わたしたちは自分の兄弟たちを批判し、裁くかもしれませんが、その日には神が批判や裁きについてのわたしたちの言葉をわたしたちに説明させるでしょう。…… 裁きの日は畏るべきものです。わたしたちがだれであろうと、その日に「わたしたちはみな、キリストの裁きの座の前に現れなければならないからであり、それは善であれ悪であれ、めいめいが実際に行なった事にしたがって、体を通してなされた事柄に対して報酬を受ける」のです(Ⅱコリント5:10)。

(生ける神と復活の神、第5章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週3日)

 

主を畏れることは、主を尊ぶことをも意味します

 

箴3:9-10

あなたの財産とすべての産物の初物をもって、エホバを尊べ.そうすれば、あなたの倉は満ち満ち、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒で満ちあふれる

 

 「箴言第3章9節から10節は、わたしたちがわたしたちの財産と、すべての産物の初物をもって、主を尊ばなければならないと言います。わたしたちは、少なくともわたしたちの産物の十分の一(初穂)は、神に与えられなければなりません。わたしたちは、神がわたしたちに与えてくださった物を与えるときは、常に、とても気前よくあるべきです。これが神を尊ぶことです(マラキ3:7-12.Ⅱコリント9:6-8)」。

 

 主よ、 わたしたちの産物の十分の一(初穂)を、ささげることで主を尊ぶことができますように。わたしたちの心を単一にして、主の御名を畏れさせてください。肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れて、聖別を完成させてください。

 

 

肉と霊の汚れから自分を清め、神を畏れて、聖別を完成する

 

 神は、ご自身の子供たちが聖となることを求められます。コリント人への第二の手紙第7章1節でパウロは言います、「こういうわけで、愛する者たちよ、わたしたちはこれらの約束を持っているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れて、聖別を完成しようではありませんか」。この節がわたしたちに示していることは、わたしたちの聖は、わたしたちが神を畏れることと非常に関係があるということです。

 

 神は聖ですから、わたしたちが神に近づこうとすればするほど、ますます自分の汚れを感じます。わたしたちが神に仕えようとすればするほど、ますます自己を恐れます。わたしたちが最初に主を畏れることを学ぶ時、自然に、自分の行なうすべてのことにおける自己の要素を恐れるようになります。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第13日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週2日)

 

神を畏れることは、神に信頼することです

 

箴3:5

心を尽くしてエホバに信頼せよ.自分の英知に頼ってはならない.7 あなたは自分の目に賢い者となってはならない.エホバを畏れ……よ。

 

エレミヤ17:7-8

エホバに信頼し、その信頼がエホバである者は幸いである。彼は……木のようになり、その根を川のそばに伸ばし……干ばつの年にも心配することはなく、実を結ぶことをやめない。

 

 「神のエコノミーによれば、神に信頼する者は、水のほとりに移植された木のようです。水が表徴するのは、生ける水の源泉としての神です(エレミヤ2:13)。木は川のほとりで、水のすべての豊富を吸収することによって生長します。

 

 主よ、わたしたちが主に信頼して、水のほとりに移植された木のように成長することができますように。主のすべての豊富を吸収して、神で構成されますように。

 

 

神に信頼する者は、水のほとりに移植された木のように成長する

 

 神をあがめることはまた、神に信頼することでもあります。箴言第3章5節から8節はわたしたちに、心を尽くしてエホバに信頼し、自分の英知に頼ってはならないと命じています。わたしたちは自分のすべての道で彼を認めるべきです。そうすれば、彼はわたしたちの路を真っすぐにします。(箴言ライフスタディ、第2編)

 

 神のエコノミーによれば、神に信頼する者は、水のほとりに移植された木のようです(エレミヤ2:13前半)。木は川のほとりで、水のすべての豊富を吸収することによって生長します。これは神の分与によって完成される神のエコノミーの絵です。木としてのわたしたちは神聖な分与を受けるために、水としての神を吸収する必要があります(参照、Ⅰコリント3:6)。供給する神の豊富は、木としてのわたしたちの中へと分与され、神の神性をもってわたしたちを構成し、神の度量へと成長させます(コロサイ2:19)。このようにして、わたしたちと神は一となり、同じ要素、本質、構成、外観を持ちます(啓4:3.21:11)。(エレミヤ17:8、フットノート1)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第11週1日)

 

エホバを畏れることは知識の初めである

 

箴1:7

エホバを畏れることは知識の初めである.……

 

イザヤ11:2

そして、エホバの霊が彼の上にとどまる.それは、知恵と聡明の霊、助言と勢力の霊、エホバを知る知識とエホバを畏れる霊である。

 

 「人が正常な人の生活をするための第一の原則は、主を畏れることと、主をあがめることです。主を畏れることは、主を怒らせることを恐れること、彼の臨在を失うことを恐れること、次の時代に褒賞を受けないことを恐れることです。わたしたちはこの時代に主の笑顔を失うことと、次の時代に彼の褒賞を失うことを恐れるべきです(箴1:1, 7.エペソ4:30.Ⅱコリント5:9-10)」。

 

 主よ、わたしたちが神を畏れることを知っている人になることができますように。実際の霊としての主がわたしたちを、彼の服従の命と、御父に対する彼の従順の命を経験することの実際の中へと導いてくださいますように。

 

 

神を畏れ、神をあがめる

 

 神をあがめることは、神を畏れることです。エホバを畏れることは知識と知恵の初め、聖なる方を知ることは英知です(箴1:7、9:10、15:33前半)。知識、知恵、英知は神から来ます。わたしたちが神を畏れ、神をあがめるなら、これらはわたしたちの財産となるでしょう。もしわたしたちが銀のように知恵を求め、隠れた宝のように知恵を探すなら、その時、わたしたちはエホバを畏れることを理解し、神を知る知識を見いだすでしょう(2:4-5)。(キリストの人性の結晶の学び、第1章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第10日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週6日)

 

愛はすべての違反を覆う

 

箴10:12

憎しみは争いをひき起こし、愛はすべての違反を覆う。

 

Ⅰペテロ4:8

何よりもまず、あなたがた自身の間で熱い愛を保ちなさい.なぜなら、愛は多くの罪を覆うからです。

 

 「覆うことは祝福をもたらします。しかし、暴露することは、のろいをもたらします(創9:22-27)。他の人たちを暴露する人たちは、のろいを被ります。他の人たちの罪、欠点、短所を覆う人たちは、祝福を享受し、獲得し、受けます」。

 

 主よ、わたしたちの間で熱い愛を保ち、愛が多くの罪を覆うことを経験することができますように。主よ、キリストのからだの肢体たちの欠点、短所、罪を暴露する者ではなく、覆う者とならせてください。

 

 

他の人たちの罪、欠点、短所を覆う人たちは祝福を受ける

 

 もしある兄弟が真理から迷い出て、宗派に参加したり、映画に行ったりするなら、わたしたちの小組は、わたしたちは彼を必要としないと感じ、彼には資格がないので彼を受け入れないかもしれません。これは愛ではありません。これは憎しみです。愛は多くの罪を覆います。たとえ彼が映画に行くことを知っていても、人に告げるべきではありません。これが彼を覆うことです。わたしたちは、彼のおおいを取ったり、彼を暴露したりしたくありません。おおいを取ることは、愛ではありません。憎しみは争いをかき立てますが、愛はすべての罪を覆います。

 

 わたしたちはむしろ、泥酔のゆえに父の裸を覆ったノアの子たちのようでありたいのです。わたしたちは人を暴露したくありません。覆うことは祝福をもたらしますが、暴露することはのろいをもたらします。これは小さな事柄ではありません。暴露する人たちはのろいに苦しみを被りますが、他の人たちの罪、欠点、短所を覆う人たちは祝福を享受し、獲得し、受けます。(同労者、長老、主を愛する者、主を追い求める者に対する愛の言葉、第2章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週5日)

 

心を護衛して、命の道にとどまる

 

申10:12

今、イスラエルよ、エホバ・あなたの神があなたに求めておられるのは、ただあなたが、エホバ・あなたの神を畏れ、彼のすべての道に歩み、彼を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてエホバ・あなたの神に仕え。

 

 「わたしたちは神の建造のために命において成長するために、主を愛し、わたしたちの霊に注意を払い、何ものにもまさってわたしたちの心を護衛して、命の道にとどまる必要があります(Ⅰペテロ1:8.2:2, 5.3:4, 15.箴21:2.4:18-23.申10:12.マルコ12:30)」。

 

 主よ、わたしをあわれんでください。わたしの心が更新されることを願います。わたしの感情があなたの愛で満たされることを願います。あなたの意志と真に一である意志を持つことを願います。

 

 

心を徹底的に対処する必要がある

 

 もしわたしたちの心がまどろみ、眠っているなら、霊を活用して主の御名を呼び求めることは効果がないでしょう。もしわたしたちの行動する主体、わたしたちの心がまどろんでいるなら、この活用は働くことができないのです。こういうわけで、わたしたちは心を徹底的に対処する必要があるのです。

 

 この対処はわたしたちの思い、感情、意志を含んでいなければなりません。わたしたちの思いはキリストの思いでなければならず、わたしたちの感情はキリストの愛で浸透されなければならず、わたしたちの意志は彼の意志と一でなければなりません。これがわたしたちの心の状態であるなら、わたしたちの心は活発で機能するでしょう。そしてわたしたちの心が活発であるとき、主を呼び求めるなら、この呼ぶことは大いに効果があるでしょう。(テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ、第22編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週4日)

 

心から命の流れが出てくる

 

箴4:23

何ものにもまさってあなたの心を見守れ.そこから命の流れが出てくるからである。

 

マタイ5:8

心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである。

 

 「わたしたちと神との関係は、まずわたしたちの心にかかっています。なぜなら、心は、わたしたちが自分自身を表現する器官であり、またわたしたちが物事を受け入れるか拒絶するかの決定をする器官であるからです(使徒8:37.ローマ10:9-10)」。

 

 主よ、わたしに明確な思い、理解する心を与えてください。わたしを引き寄せてください.わたしたちはあなたの後を走ります。主よ、あなたに対する愛する心と、あなただけを愛する感情をわたしに与えてください。

 

 

心はわたしたちの全存在の入り口、護衛である

 

 箴言第4章23節、「あなたの心を見守れ」は、……「あなたの心を護衛せよ」と訳すこともできます。命の流れは、命の流れ出です。この節によってわたしたちは、心がわたしたちの全存在の入り口、護衛であることを認識することができます。

 

 わたしたちは自分の思い、感情、良心、意志を対処するなら、正常な心を持ち、それは神のための有用な入り口となります。わたしたちは主との良いやりとりを持ち、彼に正しい方法でわたしたちを対処する立場と道を得ていただきます。その時わたしたちは、三一の神を命と油塗りとしてわたしたちの内側に持つでしょう。これはわたしたちの協力を要求します。……このすべてを実行へと移してください。思いの中で明確になること、感情をもって主を愛すること、正しい良心を持つこと、意志において柔らかくされることを実行してください。これを行なう唯一の道は、祈ることによります。(リー全集、1964年、第4巻(下)、「命の経験についての実際的な学課」、第9編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週3日)

 

人の霊はエホバのともし火です

 

箴20:27

人の霊はエホバのともし火であり、内なる存在の最も深い部分をすべて探る。

 

啓4:5

……そして七つの火のともし火が、御座の前で燃えていた.この七つの火のともし火は、神の七つの霊である。

 

 「人の霊は、人の中にある神のともし火です(マタイ25:1)。人の再生された霊の中で輝いている光は、神ご自身です(Ⅰヨハネ1:5)。神の霊もまたともし火であり、彼の七倍に強化された輝きを持っています(啓4:5)。わたしたちの再生された霊は、神の霊によって内住されたともし火であり、神の霊もまたともし火です。」

 

 わたしたち人の霊の中にある神のともし火を感謝します。主よ、七倍に強化された輝きを持って、わたしたちの最も深い部分をすべて照らし、探ってください。 わたしたちを透明にし、神で満たしてください。

 

 

神の七つの霊は、人の最も深い部分を照らし、探ります。

 

 人の霊はエホバのともし火であり、内なる存在の最も深い部分をすべて探ります(箴20:27)。神の霊も神のともし火です(啓4:5)。事実、彼の輝きは七倍に強化されています。これは、「この七つの火のともし火は、神の七つの霊である」の意味です。人の霊と神の霊は両方ともともし火であり、共に内側の各部分を照らします。……わたしたちが霊を用いて祈るとき、それは輝くともし火として機能し、わたしたちの魂のすべての部分を探ります。……

 

 神の霊は今日七つのともし火であって、強化された方法でわたしたちの上で輝いています。わたしたちの多くはこの強化された輝きを経験してきました。それは良心のとがめよりもさらに力強く、間違った思考や間違った動機を罪定めします。(リー全集、1979年、第1巻(下)、「ライフメッセージ、第2巻」、第75編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第6日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週2日)

 

代価を払って、真理を買う。

 

箴23:23

真理を買え.それを売ってはならない.知恵と教訓と英知を買え。

 

Ⅲヨハネ3節

兄弟たちが来て、あなたが真理にあって堅固であることを、すなわち、あなたが真理の中を歩いていることを証ししてくれたので、わたしは大いに喜んでいます。

 

 「真理は、買わなければならないもの、代価を払わなければならないものです(箴23:23前半)。また、神聖な真理は絶対的です。わたしたちは真理のために絶対的になって、真理の絶対性を保持しなければなりません(ヨハネ14:6.18:37.Ⅲヨハネ3-4, 8節)。

 

 主よ、わたしたちが代価を払って、真理を買うことができますように。また、人々や物事や個人的な感情に影響されないで、真理に対して絶対的でありますように。

 

 

真理に対して絶対的である

 

 真理は、買わなければならないもの、代価を払わなければならないものです。もしわたしたちが主を喜ばせて、真理のために立ちたいなら、代価を払わなければなりません。もしわたしたちが真理について明確であるなら、最後までそれに従わなければなりません。多くのクリスチャンが代価を払うことができないのは、人を喜ばせたいからです。彼らは真理をごまかそうとします。……真理は、家の柱のようなものです。柱は、窓や門のようではなく、自在に大きくしたり小さくしたりすることはできません。・・・・・・

 

 真理は決して変えることはできません。もし代価を払って真理のいかなる部分にも従うことができないなら、わたしたちはただ自分自身を罪定めし、自分の弱さを告白することができるだけです。わたしたちはそれをやり遂げることができないないので、あるいは自分のために願わしい結果をつくるゆえに、真理の標準を引き下げることはできません。(ニー全集、第37巻、第37編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(4) 第10週1日)

 

天的なビジョンを見る

 

箴29:18

ビジョンがない所では、民は勝手に振る舞う.……

 

使徒26:19

こういうわけで、アグリッパ王よ、わたしは天のビジョンに背かず。

 

 「天的なビジョンはわたしたちを支配し、わたしたちを制限し、わたしたちを制御し、わたしたちを方向づけ、わたしたちを保護し、わたしたちを徹底的に変革し、わたしたちを真の一の中に保ち、わたしたちに前進する大胆さを与えます(箴29:18前半)」。

 

 主よ、わたしたちが聖書に来る時、啓示を受けることができますように。また、啓示が照らされて、ビジョンを受けることができますように。わたしたちが天的なビジョン見て、 ビジョンのある人となりますように。

 

 

ビジョンのある人となる

 

 パウロはユダヤ教の中で神に仕えていたとき、ビジョンによらず、伝統によって仕えていましたが、主がダマスコへの途上で彼に出会い、彼を召し、彼を選んだ日から、彼はビジョンのある人となりました。それ以後、彼の奉仕はそのビジョンによって支配されました。(主の回復における重要な導きの言葉、第1巻(上)、第1章)

 

 わたしたちは毎日神に来ることによって、聖書に来ることを学ぶ必要があります。わたしたちは自分の罪を告白して明確な状態をつくるべきであり、それによってその霊の中で神と交わりを持つことができます。そしてわたしたちは、祈り読みによって彼の言葉を読むべきです。毎日わたしたちは啓示を受けるでしょう。その霊はまた啓示を照らして、わたしたちはビジョンを受けるでしょう。言葉から啓示へ、啓示からビジョンへの前進があります。(三一の神の啓示と彼の行動、第1、4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第3日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(3) 第9週6日)

 

主を愛してキリストを追い求める

 

ヨハネ1:1

初めに言があった.言は神と共にあった.言は神であった。

 

エペソ6:17

……救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を。

 

 「わたしたちは次のような人とならなければなりません。それは、自己の完全さではなく、主を愛してキリストを追い求め(参照、ピリピ3:3-14)、全聖書の主の言葉を愛し、祈る霊をもってそれを読み、文字の教理ではなく、命の霊と言葉を尋ね求める(参照、ヨハネ5:39-40.Ⅱコリント3:6)人です。わたしたちは箴言を、自己修養の助けを得るためではなく、わたしたちの霊を養うために読むべきです。それはわたしたちが、神聖な属性の表現である神聖な美徳において完全であるクリスチャン生活をするためです(ガラテヤ5:22-23.マタイ5:5-9)」。

 

 主よ、わたしたちが聖書の言葉を読むとき、生ける言葉・キリストとなりますように。そして、その霊の言葉としてわたしたちの中に適用されますように。わたしたちにとって聖書が光、命、霊、霊的な養いに満ちたものとなりますように。

 

 

 全聖書の主の言葉を愛し、祈る霊をもって読む

 

 ローマ人への手紙第10章17節によれば、信仰は言葉を聞くことから来ます。ですから、信仰の源は言葉です。言葉には三つの面があります。最初に、神の書かれた言葉、聖書があります(ヨハネ10:35)。次に神の生ける御言、キリストがあります(ヨハネ1:1)。最後に、適用された神の言葉、その霊があります(エペソ6:17、ヨハネ6:63)。……

 

 この三つ――書かれた言葉、生ける言葉、適用された言葉はすべて、神ご自身のことを言っています。「初めに言があった……言は神であった」(ヨハネ1:1)。ここの言葉はパースンです。聖書にある神の書かれた言葉は、生ける言葉としてのキリストになり、彼はその霊、その霊の言葉としてわたしたちの中へと適用されます。それは神ご自身です。あなたがこのように神を獲得すれば獲得するほど、ますます彼はあなたの信仰となられます。 (ローマ人への手紙における結晶、メッセージ8)

 

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(3) 第9週5日)

 

魂と霊を切り離し、心の思考と意図を識別する

 

ヘブル4:12

なぜなら、神の言は生きていて効力があり、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、……を切り離すまでに刺し通して、心の思考と意図を識別することができるからです。

 

 「わたしたちは祈りの霊をもって、神の生きていて効力がある言を受け取る必要があります。それによって、わたしたちは、わたしたちの新しい人を建て上げることができ、またわたしたちの霊と魂を識別することができます(ヘブル4:12)」。

 

 主よ、神の光、臨在でわたしたちを満たしてください。わたしたちの内側で輝いて、わたしたちの魂と霊を切り離してください。主よ、魂と霊の混合からわたしたちを救ってください。

 

 

神の言葉の照らしによって、魂と霊の混合を除き去る

 

 ヘブル人信者たちは、古いヘブルの宗教をどうすべきか、さまよっていました。……ですから本書の著者は、神の言葉、すなわち旧約から引用された言葉が、鋭いもろ刃の剣のように彼らのさまよいを刺し通し、彼らの魂と霊を切り離すと言ったのです。骨髄が関節の中に深く隠されているように、霊は魂の深みにあります。骨髄と関節を切り離すことは、おもに関節を砕くことを要求します。同じ原則で、霊と魂を切り離すには、魂を砕く必要があります。(ヘブル4:12、フットノート2.)

 

 敵の戦略は常に、わたしたちの霊と魂を混合することです。わたしたちの最大の問題は、わたしたちの混合です(マタイ5:8.ルカ11:34-36.詩119:105, 130)。そのような混合を除き去る方法は、聖霊の啓示を通してです。魂と霊を切り離すことは、神の言葉がわたしたちを照らし、わたしたちの内側で輝いて、わたしたちの心の思考と意図を明らかにするときに起こります(詩36:9.Ⅰペテロ2:9)。

 わたしたちが神の言葉から、神の照らしの下で見るものは何であれ、光によって殺されます。クリスチャンの経験における最大の事は、光から来る殺しです。魂と霊を切り離すことは、照らしから来ます(イザヤ6:1-8.使徒9:1-4.13:9-10)。(ヨブ記、箴言、伝道の書の結晶の学び、アウトライン)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  ヨブ記、箴言、結晶の学び(3) 第9週4日)

 

神の息である箴言を吸い込んで、命の供給を受ける

 

Ⅱテモテ3:16

聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります。

 

エペソ6:17-18

また救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を、すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい.どんな時にも霊の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために目を覚ましていなさい。

 

 「箴言は神の息であって、わたしたちが吸い込んで、神から命の供給を受けるためです。聖書は神の息吹き出したものです。わたしたちがどの節でもすべての祈りによって読むとき、このように祈り読みすることは、わたしたちが神の息を吸い込むことになります(Ⅱテモテ3:16.エペソ6:17-18)。

 

 箴言は神の息吹き出したものです。主よ、わたしたちが聖書の御言を吸い込んで、命の供給を受けることができますように。箴言を祈り読みするとき、格言が霊と命の言葉となりますように。

 

 

祈り読みは聖書を文字から霊と命に変化させます

 

 神のエコノミーによれば、金塊のような、箴言の原則や、宝石のような、箴言の細則は、わたしたちが古い人を建て上げるためではありません。そうではなく、それらは、わたしたちが新しい人を建て上げ、キリストを追い求めるわたしたちの生活を強めて、神のエコノミーを完成するためです。この事は、キリストのからだを生み出し建造して、神の心の願い、また究極の目標である新エルサレムを究極的に完成します。(ヨブ記、箴言、伝道の書 結晶の学び、アウトライン)

 

 箴言でのこれらのメッセージにおけるわたしの負担は、あなたがたの新しい人によって、あなたがたの霊を活用して祈り読みすることによって、あなたがたが神の御言に触れるのを助けることです。祈り読みは聖書を文字から霊と命に変化させます。祈り読みすることなしに、箴言は単に格言の集成にすぎません。しかしわたしたちが箴言を祈り読みするとき、わたしたちの祈り読みすることはすべての格言を、わたしたちにとって霊と命の言葉とならせます。(箴言ライフスタディ、第4編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)