朝ごとの食物

歴代志、エズラ、ネヘミヤ、エステル記  第6週6日~第10週6日

 

4月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週6日)

 

神聖な原則は、常に他の人と組み合わされることです

 

ネヘミヤ8:2-3

祭司エズラは……会衆……の前に律法を持って来た。そして、彼は……それを朗読した。……

 

ルカ10:1

これらの事の後、主はほかに七十人を立てて、ご自分が行こうとしているあらゆる町や場所へ、彼の御顔の先に、二人ずつ遣わされた。

 

「ネヘミヤは、エズラがいなければ、神の民を再構成することができないことを知っていました。神聖な原則によれば、からだの正常な代表は常に、他の人と組み合わされる人たちによります(Ⅰコリント1:1.出4:14後半-16)。単独であることは個人主義的ですが、他の人と共に遣わされることは、からだの原則にしたがって遣わされることです(ルカ10:1.使徒13:1-3.ローマ12:5.Ⅰテサロニケ1:1)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを単独で個人主義的であることから救ってください。主よ、わたしたちが他の人と組み合わされ、からだの原則にしたがってあなたに仕えることができますように。

 

 

主はからだの原則にしたがって、二人ずつ遣わされました

 

 ネヘミヤは国のかしら、支配者でしたが、全く野心的ではありませんでした。これは、彼がエズラの必要を承認したという事実で示されます。国民を再構成することで、ネヘミヤは神の御言を知らないことを認識しました。しかし、神の御言に対する知識のゆえに有名なエズラがまだ生きていたので、ネヘミヤは進んでエズラの所に行って助けを求めました。今日のリーダーの多くは、そのように助けを求めることをしません。(「ネヘミヤ記ライフスタディ」、第5編)

 

 主イエスは彼の弟子たちを遣わしたとき、彼らを二人ずつ遣わされました(ルカ10:1)。……それは、証しとしての二の原則においてです。単独であることは個人主義的ですが、他の人と共に遣わされることは、からだの原則にしたがって遣わされることです。

 神聖な原則を保つことで、主は彼のしもべを個人主義的にならせようとしませんでした。モーセはアロンを必要としました。…… 神はモーセのための組み合わせとして、彼を用意しておられたのです。(「出エジプト記ライフスタディ(1)」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週5日)

 

神の奥義としてのキリストと、キリストの奥義としての召会を見る

 

エペソ4:3-4

平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努めなさい.一つからだと一つ霊、……

 

エペソ4:16

……からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「パウロは、彼と彼の同労者たちが、「キリストのしもべ、また神の奥義の執事」であると言いました(Ⅰコリント4:1)。彼らは執事であり、神の奥義の天のビジョンを信者たちに分与しました。これらの奥義は、神の奥義としてのキリストと、キリストの奥義としての召会です(コロサイ2:2.エペソ3:4.5:32)。この分与する奉仕、執事職は使徒たちの務めです(3:2, 8-9)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。その霊の一を保つことを熱心に努めさせてください。 キリストをわたしたちのすべてとして経験、享受して、キリストのからだの一が回復されますように。また、すべての兄弟姉妹の肢体の機能が回復されますように。

 

 

主の回復における三つの主要な項目が回復されますように 

 

 主の回復は、三つの主要な項目の回復です。これらの項目はわたしたちの召会生活の実行のために不可欠であり、それらのどれをも失わないことは極めて重要です。 第一に、主の回復は、キリストのからだの一を回復することです。過去、何世紀にもわたって、クリスチャンは何度も分裂してきました。…… そして1920年に主は中国でウオッチマン・ニー兄弟を起こして、彼にキリストのからだを見せられました。彼は見たものを文書に遺し、わたしたちは彼から多くの助けを受けました。

 

 第二に、主の回復はいかなる教理の回復でもなく、キリストをわたしたちのすべてのすべてとして回復することです。キリストはすべてです。彼は中心であり、彼はまた円周です。わたしたちはキリストだけを顧慮します。過去六十年、主はわたしたちを用いて、キリスト、召会、一におけるキリストのからだについて、多くの出版物を出させてくださいました。 第三に、主の回復は、キリストのからだのすべての肢体の機能を回復することです。主は、彼のからだのあらゆる肢体が、機能する肢体であることを願っておられます。(「神の定められた道を実行するための基本原則[英文])

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週4日)

 

新約エコノミーを学ぶ必要があります

 

使徒26:19

こういうわけで、アグリッパ王よ、わたしは天のビジョンに背かず。

 

エペソ3:3-4

わたしが前に簡単に書き送ったように、その奥義は、啓示によってわたしに知らされました.あなたがたがそれを読むなら、キリストの奥義に関するわたしの理解を、知ることができます。

 

箴29:18

ビジョンがない所では、民は勝手に振る舞う.……

 

「回復」は、破壊や損失を被った後、正常な状態に復興すること、あるいは戻すことを意味します。「回復」が意味するのは、神の永遠のエコノミーの内容の、回復の現在の進展にしたがって、聖書に啓示されている神の当初の意図と標準に戻ることです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが神の当初の意図と標準に戻ることができますように。主よ、わたしたちが創世記から、召会の現れである新エルサレムの究極のビジョンに至るまでのすべてを含むビジョンにしたがって、主に仕えることができますように。

 

 

わたしたちは神の究極的に完成されたビジョンに従っています

 

 今日わたしたちが神に仕えるために、わたしたちのビジョンは、創世記におけるアダムの第一のビジョンから、召会の現れである新エルサレムの究極のビジョンにまでひたすら延びていなければなりません。 わたしたちは、前の光景すべてを含む、[新エルサレムの]最後の光景にしたがって、神に仕えているのです。

 わたしたちは最新の究極のビジョンを持っているので、それに緊密に従うべきです。わたしたちは絶対に人に従っているのではありません。そうではなく、わたしたちはビジョンに……神の究極的に完成されたビジョンに従っているのです。(「主の回復における重要な導きの言葉、第1巻(上))

 

 神の新約エコノミー以外の事を強調する教えが、わたしたちの間に入り込む危険性があります。……わたしたちは主の回復の中の聖徒たちに、新約エコノミーを学ぶように教える必要があります。聖徒たちは神のエコノミーを学ぶことによって、何が必要であり、何が必要でないかを識別する能力を持つでしょう。……主の新しい道のゆえに、戸が広く開かれており、すべての人が語り、行動します。ですから、わたしたちは天のビジョンによって、新約エコノミーの啓示によって制限されなければならないのです。(「新約エコノミーを実行するための神の定められた道」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週3日)

 

神の代理権威は建造のためにあります

 

Ⅱコリント13:10

……わたしがいない時にこれらの事を書くのは、わたしがいる時に、主がわたしに与えてくださった権威にしたがって、厳しくしないですむためです.この権威は建造するためであって、打ち倒すためではありません。

 

「新約がわたしたちに見せているのは、務めの中で導く者たちにおける神の代理権威があり、この権威が建造のためであるということです(Ⅱコリント13:10)。新約の務めにおけるリーダーシップは、新約の教えに重きがあるのであって、新約の務めを導く者たち自身に重きがあるのではありません(使徒2:42.Ⅱテモテ3:10)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが与えられた代理権威は、建造するためにあります。主よ、あなたは秩序を保つために、わたしたちの家族、学校、職場、地域などの中に多くの代理権威を与えておられます。主よ、わたしたちがその代理権威に服して、従うことができますように。

 

 

聖書は、召会生活と務めにおける神の代理権威を啓示しています

 

 新約がわたしたちに見せているのは、務めの中で導く者たちにおける神の代理権威があるということです。家族には代理権威があり、人の統治にも代理権威があります。代理権威がなければ、全地は混乱し無秩序になり、生活するのにふさわしくなくなります。……聖書は強く、召会生活と務めにおける神の代理権威を啓示しています。

 

 務めの中の導く者における神の代理権威は、建造するためであって、打ち倒すためではありません(Ⅱコリント13:10)。……神の代理権威は、導く者たちの教えの中にありました(Ⅰコリント4:17後半-21.7:17後半.16:1.11:2.Ⅱテサロニケ3:6、9、12、14)。パウロは彼の教えの中で彼の権威を行使しました。パウロは至る所のあらゆる召会で同じ事を教え(Ⅰコリント4:17後半)、諸召会は彼の語りかけに従いました。これはパウロの代理権威の証明でした。権威は常に、正しい語りかけに従います。(「使徒たちの教えと新約のリーダーシップ」、第2章[英文])

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週2日)

 

新約には一つの務めと一つのリーダーシップがあります

 

Ⅰテモテ1:3-4

わたしがマケドニアへ出発する時あなたに勧めたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人たちが異なる事を教えたり、……命じなさい.そのようなものは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]ではなく、むしろ論議を引き起こすだけです。

 

「新約によれば、使徒たちの権威は霊的であり、彼らの言葉の務めの中にあります(使徒2:42.Ⅱコリント13:5-6.Ⅰテサロニケ2:13〕。諸召会が使徒たちに従うのは、使徒たちが新約の教えを持っているからです(ピリピ2:12.使徒20:17-36)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちに信仰の中にある神のエコノミーのビジョンと認識をさらに与えてください。使徒たちの言葉の務めの下で、その霊の一を保つことができますように。

 

 

神の新約エコノミーに関する使徒たちの教え

 

 新約には、唯一の務めがあり、その務めには唯一のリーダーシップがあります。新約の務めにはリーダーシップの真理はありますが、主は公にだれかをリーダーに任命することはされませんでした。使徒行伝の初期のころ、ペテロが使徒たちの先頭に立っていた(参照、1:15.2:14)ことを見せています。しかしながら、主イエスはペテロを職務のリーダーに任命されませんでした。リーダーシップは、命による、真の必要による、状況による自然なものです。リーダーシップは命の成長によって形作られ、必要から生まれます。もし必要がなければ、リーダーシップも出現し得ないでしょう。…… 

 

 リーダーシップは、使徒たちの教えの中で生み出され、強められ、また制限され、限定されます。テモテへの第一の手紙第1章3節から4節で、パウロはテモテに、エペソにとどまっていて…… 神の新約エコノミーに関する使徒たちの教えと異なる事を教えないように命じなければなりませんでした。使徒たちの教えとは、神の新約エコノミーに関してであり、それは手順を経た三一の神を、彼の選ばれ、贖われた民の中へと分与して、キリストがからだを持ってご自身を表現し、三一の神が新エルサレムにおいて全体的な、永遠の表現を持つことです。(「新約エコノミーを実行するための神の定められた道」、第19章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第10週1日)

 

主の回復において、リーダーシップは霊的能力にかかっています

 

マタイ20:25-28

……異邦人の支配者たちは人々の上に君臨し、偉大な者たちは人々の上に権威を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはいけない.だれでも、あなたがたの間で偉大でありたい者は、あなたがたのしもべとなり、あなたがたの間で第一になりたい者は、あなたがたの奴隷となりなさい.……

 

「神の永遠のエコノミーにおいて、また主の回復において、リーダーシップは霊的能力にかかっています。リーダーシップは職務のもの、永久のもの、組織的なもの、階級制度のものではありません(Ⅰテサロニケ1:5.2:1-14.5:12-13.ヘブル13:7, 17, 24)。神の新約エコノミーにおいて、リーダーになろうとする者はだれでも、進んで奴隷とならなければなりません(マルコ10:35-45)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたが来られたのは仕えられるためではなく、仕えるためでした。主よ、わたしたちがあなたの命によって、進んで奴隷となることを学ぶことができますように。

 

 

神の新約エコノミーにおいて、リーダーシップは奴隷の身分を意味します

 

 天然的な人の概念によれば、リーダーは他の人より高いのです。しかし、[マタイによる福音書第20章と第23章で]主は、だれでも人々の間で偉大でありたい者は、奴隷でなければならないと言われました。こういうわけで、リーダーシップに対する主の概念は、天然の概念と反対です。そうです。主の子供たちの間で今日、リーダーの必要があります。しかしながら、これらのリーダーは、神の新約エコノミーにおいて、リーダーシップが奴隷の身分を意味するということを認識する必要があります。もしあなたが主の子供たちの間でリーダーになろうとするなら、奴隷でなければなりません。……

 

 新約聖書は、すべての神の子供たちが一つからだであることを啓示しています。多くの肢体がありますが、一つのかしらがあるだけです。すべての肢体に直接、命令を与えるのは一つのかしらであって、小さな頭を通してではありません。主の回復には組織はなく、一つの有機体、からだがあるだけです。……からだには唯一のかしら、すなわちキリストがあるだけです。(リー全集、1978年、第3巻(下)、「真理メッセージ」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週6日

 

霊的な武器を用いて、昇天の祈り、すなわち戦いの祈りをします

 

マタイ6:9-10

……天におられるわたしたちの父よ、あなたの御名が聖とされますように.あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。

 

「霊的戦いの第三の原則は、霊的な武器を用いなければならないということです(Ⅱコリント10:3-5)。霊的な武器は力があって、敵の要塞を破壊します(4-5節)。わたしたちが戦っているとき、わたしたちのすべての活動は霊からのものでなければならず、わたしたちの霊の内側からの感覚に触れていなければなりません。これは極めて基本的な原則です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが召会の中で霊的戦いをすることができますように。 神の御座から言い表される、戦う祈りを学ばせてください。主よ、わたしたちが主の御前にひざをかがめ、神の御前で祈ることができますように。

 

 

霊的戦いの第四の原則は、昇天における戦う祈りをすることです

 

 霊的戦いの第四の原則は、戦う祈りを持つことです。使徒がエペソ人への手紙第6章でさまざまな霊の武器を述べた後、続けて「どんな時にも霊の中で祈り」と言いました[18節]。……霊的戦いは大いに祈りにかかっています。サタンが最も恐れるのは聖徒たちが主の御前にひざをかがめること、あるいは神の御前での召会の祈りです。……

 

 わたしたちは、最も価値のある祈りが昇天における祈りであることを見るなら、祈りが戦いであることを容易に理解することができます。……それがエペソ人への手紙第6章で語られている祈りの性質です。それは普通の、ありふれた、一般的な祈りではありません。それは非常に高いものであり、天の領域から発せられています。

 天の領域において、また神の御座から言い表されるすべての祈りは戦いの祈りです。このように祈る人は十字架を通過し、復活し、昇天した人です。彼は地よりはるか上の御座の上におり、どんな地的なものによっても触れられません。そのような領域から彼が言い表す祈りは空中の悪魔を打ち破り、神の権威をもたらすことのできる祈りです。(「祈りの学課、(後編)」、第18篇)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週5日)

 

霊的戦いの原則を知り、適用する必要があります

 

Ⅱコリント10:3-5

なぜなら、わたしたちは肉の中で歩いてはいても、肉にしたがって戦っているのではないからです.わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前に力があって、要塞をも破壊し、神の知識に逆らい立っている議論や、あらゆる高ぶりを破壊し、あらゆる思想をとりこにして、キリストに対して従順にならせます。

 

「わたしたちは、霊的戦いの原則を知り、適用する必要があります。霊的戦いの第一の原則は、肉の武器、人の手腕、天然の方法を用いることができないということです。霊的戦いは、肉に敵対するものではなく、霊の勢力に敵対するものであるので(エペソ6:12)、武器は肉のものであってはいけません(Ⅱコリント10:3-5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが霊的戦いの原則を知り、適用することができますように。主よ、わたしたちが 肉の武器、天然の方法を用いることがないように守ってください。そして、天上でキリストと共に座していることができますように。

 

 

霊的戦いの原則は  肉の武器、人の手腕、天然の方法を用いないで、昇天の地位を保つことです

 

 わたしたちが霊的戦いを実際に経験するとき、わたしたちが守らなければならない基本的な原則があります。霊的戦いの第一の原則は、肉の武器を用いることはできないということです。…… パウロは決して肉の武器を用いたことのない人です。彼が召会を対処したり、聖徒たちと接触したりするとき、彼は完全に率直であり、それは矢のように真っすぐでした[4節]。……このゆえに彼は、「神の御前に力があって、要塞をも破壊し」、それによって霊的戦いにおいて勝利を得たのです。

 

 霊的戦いの第二の原則は、昇天の地位を保つことです。……霊的戦いに従事することのできるただ一種類の人がいるだけです。それは救いを受け入れた人であり、死から復活した人でもあり、そして今、天上でキリストと共に座している人です。ただこの種類の人だけが天上の超越した地位から空中の敵を攻撃することができるのです。霊的戦いをするために、わたしたちは天的な地位を保たなければなりません。(「命の経験(後編)」、第18篇)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週4日)

 

召会は団体の戦士です

 

エペソ6:12-13

というのは、わたしたちの格闘は血肉に敵対するものではなく、支配者たちに、権威者たちに、この暗やみの世の主権者たちに、天上にいるあの悪の霊の勢力に、敵対するものだからです。こういうわけで、神のすべての武具を取りなさい.それは、あなたがたが邪悪な日にあって抵抗することができ、またすべてのことをやり抜いた後も、なお立つことができるためです。

 

「霊的戦いは、キリストのからだの事柄です。わたしたちは、からだの中で戦わなければなりません(エペソ1:22-23)。 召会は団体の戦士であり、信者たちは共にこの団体の戦士を構成します(6:10-20)。わたしたちは戦うために、からだの実際の中にいなければなりません(4:12, 16)。わたしたちは団体的に軍隊へと形成された後、神の敵と戦うことができるようになります(6:11-1)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。召会は団体の戦士です。主よ、わたしたちがキリストのからだの中で、あの悪の霊の勢力に対して戦うことができますように。主よ、わたしたちが霊的戦いをするために、からだの実際の中にいることができますように。

 

 

召会は団体的に軍隊へと形成された後、神の敵と戦います

 

 霊的戦いは、個人の事柄ではありません。それはからだの事柄、神の敵と戦う団体的な実体の事柄です。……わたしたちは団体的に軍隊へと形成された後、神の敵と戦うことができるようになります。神の戦略は、彼の軍隊としての召会を用いて敵と戦うことです。ですから、軍隊から孤立することは非常に危険です。軍隊の中にとどまってはじめて、わたしたちは必要な保護を得ます。

 

 年数を経て、わたしたちは、[霊的戦い]が絶対に神の団体の軍隊としての召会の事柄であることを見ました。もし召会から分離するなら、あなたは打ち破られるでしょう。サタンの戦略は、神の軍隊としての召会からあなたを孤立させることです。……霊的戦いはからだの事柄です。これを認識して召会と共にとどまるなら、わたしたちは勝利を得ます。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(3)」、第63,97編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週3日)

 

霊的戦いは、キリストの勝利に基づいています

 

エペソ6:10-11

最後に、主の中で、また彼の力強い大能の中で力づけられなさい。神のすべての武具を身に着けなさい.悪魔の策略に敵対して立つことができるためです.

 

「召会をキリストのからだとして建造するためには、霊的戦いが必要です(エペソ6:10-20)。 霊的戦いは、キリストの勝利に基づいています(ヘブル2:14.コロサイ2:15)。霊的戦いの出発点は、キリストの勝利の上に立つことです。それは、キリストがすでに敵を打ち破ったことを見ることです(雅4:8.啓3:21.5:5-6)。地上における召会の働きは、キリストの勝利を維持することです。主はすでに戦いに勝ち、召会はここで彼の勝利を維持します(エペソ6:11, 13)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主イエスよ、あなたはすでに戦って勝利を得られました。わたしたち召会の働きは、主の勝利を維持することです。主よ、わたしたちがこの霊的な事実を見て、キリストの勝利の上に立つことができますように。

 

 

召会の働きは、キリストの勝利を維持することです

 

 エペソ人への手紙第6章10節から12節を読む時、召会の働きと責任は霊的戦いであることを認識します。この戦いの相手は血肉ではありません。空中に住む霊的存在です。……[エペソ人への手紙第6章13節から14節で]わたしたちは立つべきであると告げられています。攻撃すべきであるというのではありません。霊的戦いは、攻撃するものではなく、防御するものです。なぜなら、主イエスはすでに戦って勝利を得られたからです。地上での召会の働きは、主の勝利を維持することだけです。主はすでに戦いに勝たれました。召会はここで主の勝利を維持するためにあるのです。

 

 召会の働きは、悪魔に打ち勝つことではありません。主によってすでに打ち破られた悪魔に対抗することです。召会の働きは、強い人を縛ることではありません。強い人はすでに縛られてしまいました。召会の働きは、彼を自由にさせないことです。攻撃の必要は全くありません。守るだけで十分です。霊的戦いの出発点は、キリストの勝利の上に立つことです。それは、キリストがすでに打ち勝たれたことを見ることです。…… わたしたちが勝利を得ようと希望することではありません。なぜなら、勝利はすでに得られたからです。…… 召会の働きと責任は、霊的戦いです。それは、神の権威とサタンの力との間の衝突です。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週2日)

 

問題に出会うときはいつでも、主の御前に持ち出して祈らなければなりません

 

ネヘミヤ4:17,21

城壁を建てる者たちと荷を運ぶ者たちは、一方の手で工事をし、もう一方の手で武器を握っていた。…… こうして、わたしたちは工事で労苦したが、彼らの半分は、夜明けから星が出てくるときまで、槍を握っていた。

 

「召会を神の都として建造することは、容易な働きではありません。建造は戦いによってのみ遂行されることができます(エペソ2:21-22.4:16.6:10-20)。わたしたちは召会を宮として建造し、戦って、神が王国を得るようにしなければなりません(6:10)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちの問題のすべてを主の御前に持って行き、主に告げて祈ることができますように。兄弟姉妹と共に、戦う祈りによって霊的戦いを戦うことができますように。そして、 栄光の召会が各地で建造されますように。 

 

すべての聖徒たちが戦う祈りによって霊的戦いを戦うなら、栄光の召会がその地方に建造されます

 

 わたしたちが建造に触れると、すぐに敵がやって来て攻撃し、妨害します。…… わたしたちは戦う祈りを持たなければならないのです。わたしたちが問題に出会うときはいつでも、主の御前に来て、祈らなければなりません。…… 人がたくらみをもってわたしたちに害を及ぼそうとしているなら、そのたくらみを主の御前に持ち出さなければなりません。もし兄弟姉妹が互いに信用し合えないなら、…… このことも主の御前に持ち出さなければなりません。わたしたちが弱い時でさえ、やはりそのことを主に持ち出さなければなりません。……わたしたちはこれらの事柄を拒絶し、戦う祈りによってそれらを対処しなければなりません。

 

 もし一地方のすべての兄弟姉妹が自分たちの機能を働かせ、同労者と責任を担う兄弟姉妹が聖徒たちに置き換わらずに、むしろ彼らを成就して共に奉仕するなら、もし務めを持ったすべての人たちが召会を建造するためであるなら、また、もしすべての聖徒たちが共に建造する働きを行ないつつ、武具を身に着けて戦う祈りによって霊的戦いを戦うなら、その時あなたは栄光の召会がその地方に建造されるのを見るでしょう。あなたはまた新エルサレムの縮図が現れて、神にとっては安息の場所となり、彼のすべての子供たちにとっては家となるのを見るでしょう。そして、そこには神の臨在があり、神の御座があり、神の命があります。また、そこには神の力と神の光があります。(「神の建造する働き」、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第9週1日)

 

イスラエルの子たちは一方で戦う用意をし、もう一方で神に信頼しました

 

ネヘミヤ4:14,16

わたしは……起き上がり、高貴な人たちと支配者たちとその他の人々に言った、「彼らを恐れてはならない.大いなる畏るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、息子と娘、妻と家のために戦いなさい」。…… その日から、わたしのしもべの半分は工事で労苦し、彼らの半分は槍と盾と弓と鎧を持っていた.……

 

「ネヘミヤ記第4章は、都の再建に対する敵の妨害を記述しています。ユダヤ人は、彼らの神に祈り、ネヘミヤの指示と指揮の下で、日夜、敵に対して見張りを置きました。 一方で、イスラエルの子たちは戦う用意をしていました。もう一方で、彼らは神に信頼し、神が彼らのために戦われると信じました(9-23節)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは敵を恐れないで、大いなる畏るべき主を覚えます。主よ、わたしたちの日常生活の最も小さな事柄においてさえ、戦いがあることを見せてください。主よ、わたしたちが神に信頼して、建造のための戦いに従事することができますように。

 

 

わたしたちの日常生活の最も小さな事柄においてさえ戦いがあります

 

 歴代の純粋な心で主を愛する人たちや、霊の中で神の永遠の定められた御旨について何かを知っている人たちは、ある種の霊的戦いを経験しています。彼らは、神の回復のあらゆる段階には神の敵がかかわっており、あらゆる段階で戦いが必要であることを認識しています。しかし神聖な建造を認識するために、霊的戦いが必要であることを見た者はごくわずかです。

 

 どうして聖書は、「各自は右手に武器を持っていた」などという小さな事を記録しているのでしょうか[ネヘミヤ4:23後半]? ……アメリカ標準訳は言います、「だれもが武器を携えて水のある場所へ行った」。彼らが水を求めていた時でさえ、家を建てる者たちは自分たちの武器を忘れませんでした。これが見せているのは、わたしたちの日常生活の最も小さな事柄においてさえ戦いがあるということです。…… わたしたちの目標に達するために、わたしたちはあらゆる面において戦う必要があります。(「主の回復における重要な導きの言葉」、第1巻(下)、「新しい道の実行のためのビジョンと具体的な歩み」、第14章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週6日)

 

城壁が建造された後、召会は死の攻撃に対抗することができます

 

マタイ16:18

そこでわたしもあなたに言う.あなたはペテロである.わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。

 

「城壁が建造された後、わたしたちは召会に対する死の攻撃に対抗することができ、キリストの復活の命の中でキリストのからだを建造することができるようになります(マタイ16:18.ヨハネ11:25.エペソ1:22-23.4:16)。わたしたちは、天然の命によって生きないで、内側の神聖な命によって生きるとき、復活の中にあります。そのような生活の結果は、キリストのからだとしての召会の成長と建造です(ピリピ3:10-11.エペソ4:15-16.コロサイ2:19.3:15)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは復活であり、命です。主よ、わたしたちがキリストの十字架を経験し、内側の神聖な命によって生きることができますように。復活の命によって召会が建造されて、死の攻撃に対抗することができますように。

 

 

召会は、命、キリストの復活の命を必要とします

 

 罪と死は、サタンの「同労者」です。死を広める人は、サタンに協力する者です。サタンの目標は、人に罪を犯させて堕落させることだけでなく、人を死の縄目の中へともたらすことでもあります。死は、サタンの働きの特徴です。サタンの働きの究極の目標は、人に死を浸透させることです。今日のわたしたちの集会は、人数が多いことにかかっているのではありません。……重要なことは、わたしたちが集会の中で死に打ち勝たなければならないということです。わたしたちは死を飲み尽くし、命を解き放たなければなりません。…… 

 

 召会は、良い教理や良い神学、すばらしい注釈を必要としません。召会は、命、キリストの復活の命を必要とします。……どうか主が、わたしたちをあわれんでくださいますように。わたしたちが死に触れたり、あるいは死を召会の中にもたらすことから、わたしたちを守ってくださいますように。どうか神が召会を命で満たしてくださいますように。そしてサタンが召会を攻撃する隙間を見いだすことができなくなりますように。(ニー全集、第44巻、第113編、114編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週5日)

 

城壁が召会の中で建造されるなら、破壊する者から保護されます

 

ローマ16:17

さて兄弟たちよ、わたしはあなたがたに勧めます.あなたがたが学んできた教えに反して、分裂やつまずきの原因を作る者たちを警戒し、また彼らから離れ去りなさい。

 

「城壁が召会の中で建造されるなら、わたしたちは、敵によって用いられて神の建造する働きを破壊する者から保護されます。キリストのパースンに関する異端を教える者は、反キリストであって、主人としての主のパースンと、主が信者たちを買い戻した贖いを否定します。人なるイエスが神であることを否定することは大きな異端です(7節.Ⅰヨハネ2:18,22-23.4:2-3)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちすべてには野心があります。主よ、わたしたちが  召会の中に、自己や自分の野心を持ち込むことがないように守ってください。また、わたしたちが主の回復の中で、こうかつな野心から純粋にされて、主の務めを託される人になりますように。           

 

 

へりくだっていて野心のない人だけが、主に用いられます

 

 わたしたちは野心に警戒する必要があります。野心は恐るべきものです。もちろん、すべての人には野心があります。野心のない者は人ではありません。しかしながら、あなたが来て同労者、長老として奉仕するとき、自分の野心をもって来てはなりません。……わたしたちの子供がまだ若い時からでさえ、わたしたちは彼らを育てて野心を持たせます。野心がなければ、わたしたちの子供はよく勉強しないし、卒業することはできないでしょう。……しかしながら、同労者と長老の義務を果たすために、あなたがたは自分の野心を持ち込んではなりません。野心は同労者と長老としてのあなたがたの義務を無にします。いったんあなたが野心を持てば、おしまいです。

 

 同労者や長老の義務を果たすために、あなたがたは純粋な心を持ち、主の回復における意図、目的、動機、行動において、いかなる形のこうかつな野心からも純粋にされる必要があります。…… へりくだっていて野心のない人だけが、主に用いられることができ、主からの賜物を受けることができ、主の務めを託されることができます。(リー全集、19994-1997年、第5巻(上)、「どのようにして同労者、長老となるか、またどのようにしてその義務を果たすか」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週4日)

 

キリストと召会に関する神のエコノミーに集中します

 

使徒2:42

そして、彼らは使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続け…

 

Ⅰテモテ1:3-4

……ある人たちが異なる事を教えたり、作り話や果てしのない系図に、心をとめたりすることがないように命じなさい.そのようなものは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]ではなく、むしろ論議を引き起こすだけです。

 

「わたしたちは城壁を建造して、異なる教えから召会を保護する必要があります。異なる教えは使徒たちの教えに反しています(使徒2:42.Ⅰテモテ1:3-4)。異なる教えは、神のエコノミーと一致しない教えを指しています(Ⅰテモテ6:3)。 わたしたちは異なる教えを避け、キリストと召会に関する神のエコノミーに集中しなければなりません(Ⅰテモテ1:3-4.エペソ3:9.5:32)」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたの御言葉を愛します。主よ、わたしたちを神のエコノミーと一致しない異なる教えから守ってください。主よ、わたしたちが使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続けることができますように。

 

 

使徒たちの教えは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]です

 

 新約の啓示、使徒たちの教えは、神のエコノミーと関係があります。テモテへの第一の手紙第1章3節から4節によれば、「神のエコノミー」は、神の新約の啓示の一般的な用語であると言えるかもしれません。パウロはテモテをエペソにとどまらせましたが、それはある人たちが異なる事を教えないように命じるためであったと言っています。文脈によれば、異なる教えは、神のエコノミーと一致しない教えを指しています。ある者たちが教えたのは、いくらかは新約の啓示に基づいていたが系図と律法でした。これらは信仰の中にある神のエコノミーとは異なるものでした。……

 

 神のエコノミーは新約の啓示であり、使徒たちの教えです。それは唯一無二で、完全で、全体的です。それに何かを付け加えたり、何かを取り去ることはできません。……これ以下のものは何であれ不十分であり、これ以上のものは何であれ人の教えであり、神のエコノミーの言葉ではありません。(リー全集、1994-1997年、第2巻(下)、「聖書の中の支配し制御するビジョン」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週3日)

 

キリストは、わたしたちの命であり、またわたしたちのかしらです

 

コロサイ3:4

わたしたちの命なるキリストが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。

 

コロサイ1:18

そして御子は、召会であるからだのかしらです……

 

「召会生活は、キリストの唯一の頭首権の下でかしらにつり上げられる生活です(エペソ1:10,22-23.4:15-16.コロサイ2:19)。都としての召会は、命としてのキリストをもって建造されるだけでなく、キリストの頭首権をもっても建造されます。こういうわけで、キリストは、わたしたちの命となるだけでなく、わたしたちのかしらともならなければなりません(コロサイ3:4.1:18.2:19)」。

 

 主よ、あなたを愛します。御子は召会であるからだのかしらであることを賛美します。主よ、わたしたちが、キリストをかしらとして認識し、家としての召会が拡大されて都となりますように。

 

 

御座とは、キリストの頭首権、権威、王職、主権です

 

 聖書の最後の二つの章に、御座のある都があります。その御座からは命の川が流れ出て、両岸に命の木が生長しています。御座から命が流れ出ます。……わたしたちは、命が何であるかを知っています。しかし、御座とは何でしょうか? これはキリストの頭首権、権威、王職、主権です。わたしたちがキリストを命として認識することは容易ですが、わたしたちがキリストをかしらとして認識することは、そんなに容易ではありません。……

 

 命としてのキリストを多少知っている人はいますが、彼らはキリストの頭首権については何も知りません。新約はわたしたちにはっきりと、キリストがわたしたちの命であり、わたしたちのかしらでもあると告げています。ヨハネによる福音書は命としてのキリストについて語っています。そして、書簡、特にコロサイ人への手紙は、キリストがわたしたちのかしらでもあると告げています。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週2日)

 

キリストの頭首権の下で、命における正しい秩序へともたらされます

 

ネヘミヤ4:6

こうして、わたしたちは城壁を建てた.城壁はみな連なって、その高さの半分に達した.民に働く心があったからである。

 

「城壁の建造の目的は、キリストの頭首権の下で、わたしたちすべてを命における正しい秩序へともたらすことです(エペソ1:22-23.コロサイ1:18.2:19)。キリストは団体的に召会であるからだのかしらであり、また個人的にすべての信者のかしらです。彼は直接わたしたち一人一人のかしらです(コロサイ1:18.Ⅰコリント11:3)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは召会のかしらです。そして、わたしたち一人一人のかしらです。主よ、わたしたちがキリストの頭首権の下にいることを認識して、かしらにつり上げられる召会生活をすることができますように。

 

 

真の都の建造は、すべての兄弟姉妹がキリストの頭首権を認識することによります

 

 地方召会の多くには、家における命の真の享受がありますが、都に関する限り、城壁にまだいくらか破れがあります。……こういうわけで、ゼルバベル、ヨシュア、エズラの後に、都の城壁を建造するためにネヘミヤを必要とするのです。敵はこのことを、宮の建造よりもさらに憎んでいます。……家の建造が破壊されることはあっても、いったん都の建造が完成すれば、家を保護するための防御としての城壁という防衛があるようになることを、敵は知っているのです。ですから、長い目で見て、わたしたちが必要とするのは城壁の建造です。……

 

 もしわたしがわたしの主の頭首権を認識したなら、他の聖徒たちに対して幸いでも幸いでなくても、わたしは彼らとただ一となります。わたしに選択の余地はありません。わたしは主の命の中にいるだけでなく、主の頭首権の下にもいるのです。わたしは頭首権を知っています。そしてわたしはその下にいます。真の都の建造は、すべての兄弟姉妹たちがキリストの頭首権を認識するように助けることです。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第8週1日)

 

神の家としての宮の再建の後、神の王国としての都の城壁を再建します

 

ネヘミヤ2:17

……来て、エルサレムの城壁を建て上げ、これ以上わたしたちが辱めを受けないようにしよう。

 

マタイ16:19

わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.あなたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。

 

「エズラ記は、イスラエルの捕囚の帰還と宮の再建との歴史です。ネヘミヤ記は、エルサレムの都の城壁の再建の歴史です(ネヘミヤ2:17-20)。神の家を再建することは、堕落した召会を神が回復することを予表し、エルサレムの都の城壁を再建することは、神の王国を神が回復することを予表します(ネヘミヤ2:17-20)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは神の家の中で、キリストをわたしたちの命として享受してきました。今、わたしたちはキリストをかしらとして認識することができますように。そして、召会が城壁のある都として建造されますように。

 

 

宮としての神の家は、都の城壁によって保護され、防衛されます

 

 新約聖書はまず、キリストはわたしたちの命であると告げていますが、最終的に、キリストはわたしたちのかしらであると言っています。……もしわたしたちがキリストを命として経験するだけで、わたしたちのかしらとしてあまり認識しないなら、わたしたちは家としての召会を持つだけです。そこにはまだ都がありません。キリストはわたしたちの命であるだけでなく、わたしたちのかしらでもあることをわたしたちが認識するとき、その時キリストは拡大の第二段階を持たれるでしょう。その時、召会は家であるだけでなく、都ともなるでしょう。家はおもに命と関係があります。そして都はおもにかしらと関係があります。・・・・・

 

 宮の建造を回復した後、依然として都を建造する必要があります。都がなければ、宮のための保護がありません。宮は完全なものです。宮は主が臨在される場所であり、宮でわたしたちは主に会い、仕えます。しかし、宮は保護を必要とします。都の城壁は宮にとって防衛です。都の城壁がなければ、保護がありません。これはわたしたちが、新約の中で適用しなければならない予表です。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週6日)

 

ネヘミヤは彼の天然の人の中で生きたのではなく、復活の中で生きました

 

Ⅰペテロ5:2-3

あなたがたの間の神の群れを牧養しなさい.強いられてではなく、自ら進んで、神にしたがって監督し、卑しい手段で利得を求めることによってではなく、熱心に監督しなさい.また割り当てられた人たちの上に、権力を振るうのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。

 

「ネヘミヤは彼の天然の人の中で生きたのではなく、復活の中で生きました。彼は進取的でしたが、彼が進取的であったことは、他の特徴も伴っていました。総督ネヘミヤは、王の地位にあり、エルサレムの城壁を再建するために、神のエコノミーを遂行することで心の純粋な人でした。彼は、神の民の間でリーダーがどうあるべきかの模範でした(参照、Ⅰテモテ3:2-7.Ⅰペテロ5:1-3)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが、兄弟姉妹と共に召会を建造することができますように。主よ、神のエコノミーを遂行することで、心の純粋な人とならせてください。

 

 

ネヘミヤは城壁を再建し、神のエコノミーを遂行することで、心の純粋な人でした

 

 総督ネヘミヤは、王の地位にあり、エルサレムの城壁を再建するために、神のエコノミーを遂行することで心の純粋な人でした。ダビデを含むすべての王とは異なり、彼は利己的ではなく、自分の利益を求めず、性欲にふけりませんでした。ですから、彼は資格づけられて最高の分け前、神が彼の選民に約束された良き地の王職を享受しました。彼は自分のことを求めず、城壁を建造するために人を養いました。人の歴史で、彼はそのように振る舞った唯一の、国のリーダーでした。その結果、彼は神に用いられたのです。

 

 ネヘミヤは民との関係において、全く利己的ではありませんでした。……彼は実際にはユダの代理の王で[したが]……決して自分のために何も求めませんでした。ネヘミヤには自己の利益はありませんでした。彼は常に進んで、自分が持っているものを、民と国家に犠牲としました。……報酬を受けるのではなく、彼は百五十人以上の人たちの日ごとの必要を備えました[参照、5:14-18]。ネヘミヤはまた敵と戦う用意をしている者たちの間にいて、夜の見張りをしました(4:17-23)。彼はこれらの事柄を人にさせたのではなく、自らその見張りに就きました。(ネヘミヤ記ライフスタディ、第1、5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週5日)

 

わたしたちはネヘミヤと彼の進取性を学びます

 

ネヘミヤ4:17

城壁を建てる者たちと荷を運ぶ者たちは、一方の手で工事をし、もう一方の手で武器を握っていた。

 

「ネヘミヤが進取的であったことは、彼の人の行為における美徳でした。この事が示しているのは、わたしたちの天然の能力、才能、美徳がキリストの十字架を経過して、復活の中へと、三一の神の究極的完成であるその霊の中へともたらされて、神のエコノミーを完成することにおいて神にとって有益なものにならなければならないということです」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちにネヘミヤの進取性を持たせてください。主よ、わたしたちの天然の能力、才能が死と葬りを経過して、復活の中にありますように。主よ、わたしたちがキリストの十字架を経過して、神にとって有益なものとなりますように。

 

 

天然の能力、才能、美徳は、十字架を経過して復活の中へともたらされます

 

 予表において、多くの人が彼らの天然の能力と天然の美徳にしたがって、一時的に神に用いられ、これは霊的なものを表徴しました。この事例はネヘミヤと彼の進取性です。彼の進取性は人の行為における美徳でした。予表では、天然のものが一時的に神に用いられましたが、新約における予表の成就では、あらゆる天然の美徳と能力は十字架にもたらされるべきです。それらは十字架につけられて、取り除かれる必要があります。……

 

 わたしたちの天然の能力、才能、美徳が十字架にもたらされて死ぬようにするなら、わたしたちは復活させられます。そして復活の中で、わたしたちの能力、才能、美徳は、天然の命の中にあったときより何倍もすばらしくなります。これらのものは依然としてわたしたちのものですが、死と葬りを経過したので、今や復活の中にあります。……わたしたちは継続して存在しますが、わたしたちとわたしたちの天然の能力は復活の中へともたらされました。…… わたしたちの天然の命から、究極的に完成された三一の神の中へと移される必要があります。(ネヘミヤ記ライフスタディ、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週4日)

 

エルサレムの都の城壁は、都の中にある神の家の防衛と保護のためです

 

ネヘミヤ2:17

……エルサレムは荒廃し、その城門は火で焼かれている。来て、エルサレムの城壁を建て上げ、……

 

マタイ16:18-19

……わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.……わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.……

 

「わたしたちは、キリストをわたしたちの命として認識し享受するとき、召会を神の家として持ちます。わたしたちがさらに前進してキリストの頭首権を認識するなら、家は拡大して、都、すなわち神の王国となります(エペソ1:10, 22-23.4:15.啓22:1)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは神の家としての召会の中で、キリストをわたしたちの命として認識し享受してきました。主よ、今、わたしたちがさらに前進して、キリストの頭首権を認識し享受して都の城壁の再建にあずかることができますように。

 

 

キリストの頭首権を認識するなら、家は拡大して、都すなわち神の王国となります

 

 エズラ記はイスラエルの捕囚からの帰還と神の家の再建の歴史であり、神の選民の間で神のエコノミーにしたがって、地上での神の証しのために神の回復を開始します。ネヘミヤ記はエルサレムの都の城壁の再建の歴史であり、神の選民の間で神の証しの回復を継続し、神のエコノミーを完成します。ネヘミヤ記の極めて重要な点は、エルサレムの都が、都の中にある神の家の防衛と保護であったということです。この事は次のことを表徴します。

 

 すなわち、地上での神の住まい、またホームとしての神の家が必要とするのは、神の王国が領域として確立されて、地上での神の行政のための権益を保護し、神のエコノミーを遂行することであるということです。神の家を再建することは、堕落した召会を神が回復することを予表し、エルサレムの都の城壁を再建することは、神の王国を神が回復することを予表します。……地上での神の家は、神の王国[参照、マタイ16:18-19]が家を防衛し、彼の永遠のエコノミーを遂行することを必要とします。(ネヘミヤ記ライフスタディ、第1、2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週3日)

 

勝利者は召会の立場で、召会に代わって働きを行ないます

 

啓12:10-11

……今、わたしたちの神の救いと力と王国と、彼のキリストの権威とが来た.わたしたちの兄弟たちを訴える者、昼も夜もわたしたちの神の御前に彼らを訴える者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血のゆえに、また彼らの証しの言のゆえに、彼に打ち勝った.彼らは死に至るまでも、自分の魂の命を愛さなかった。

 

「男の子は勝利者たちから成っており、召会を代表して立ち、召会全体が取るべき地位を取り、召会に代わって働きを行ないます(啓2:7後半, 11後半, 17後半, 26-28.3:5, 12, 21.12:5, 11)。神は男の子を用いて神のエコノミーを成就し、神の定められた御旨を完成します(Ⅰテモテ1:4.Ⅱテモテ1:9.エペソ1:9, 11.3:11)」。

 

 主よ、あなたを愛します。召会を愛します。主よ、わたしたちが小羊の血と証しの言を持って、自分の魂の命を愛さない一群れの勝利者となることができますように。主よ、あなたが勝利者たちを通して、神の定められた御旨を完成することができますように。

 

 

男の子は召会のために立つ勝利者を構成します

 

 勝利者が召会の立場に立ち、召会が行なうべきであった働きを行なう時、その結果は、「今、わたしたちの神の救いと力と王国と、彼のキリストの権威とが来た」です[啓12:10]。啓示録第12章の男の子は召会のために立つ勝利者を構成します。ですから、男の子が携え上げられると直ちに、サタンは天から投げ落とされ、王国が到来します。

  勝利者が勝利者となるのは、自分自身のために栄光や冠を受けるためではなく、ただひたすら召会全体が立つべき立場に立ち、召会のために働きをするためです。神の御前で、召会は神が願っておられる状態にあるべきです。召会は神に対して責任を果たし、召会に託された働きを成し遂げ、その正当な立場に立つべきです。

 

 しかしながら、……召会は神のための立場を獲得していません。残された一群れの人々だけが、召会に代わってその働きを果たし、召会の責任を担っています。この一群れの人々が勝利者です。彼らが行なうことは、召会全体の働きと勘定されます。……神の定められた御旨は達成され、神は満足されます。これが男の子の原則です。……  いったん男の子が生まれれば、神の定められた御旨はもはや妨げられ得ないかのようです。これが今日、神が召しておられるものです。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週2日)

 

勝利者は神の定められた御旨に到達し、神の要求を満たします

 

創3:15

また、わたしは敵意を置く.おまえと女との間に、またおまえの子孫と女の子孫との間に.彼はおまえの頭を打ち砕くが、おまえは彼のかかとを打ち砕く。

 

啓12:1-2

また、大いなるしるしが天に見えた.一人の女が…….彼女は子を宿していたが、陣痛と出産の苦痛で叫んでいた。

 

「召会が神の定められた御旨に到達していないので、神は一群れの勝利者を選びます。勝利者は神の定められた御旨に到達し、神の要求を満たします。これが男の子の原則です(啓12:1-2, 5,10-11.2:7,11,17,26-28.3:5,12,20-21)。宇宙的な輝く女は、神の民の総合計を表しています。究極的に、創世記第3章15節の女の子孫は拡大して、男の子によって表徴される、勝利を得た信者たち、すなわち、神の民のさらに力強い部分を含みます(啓12:1-2, 5, 10-11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、すべての世代を通して、神の民は男の子を生み出そうとして、産みの苦しみをしてきました。主よ、わたしたちが神の定められた御旨に到達し、神の要求を満たす男の子として生み出され、成就されますように。

 

 

女の子孫である主イエスは、蛇の頭を打ち砕きました

 

 女の子孫である主イエスは、蛇の頭を打ち砕きました。主はサタン、死の力を持つ者を滅ぼされました[参照、ヘブル2:14.Ⅰヨハネ3:8]。主イエスが十字架上で蛇を滅ぼしておられる間に、蛇は彼のかかとを砕きました。これは、サタンが主イエスの足を十字架に釘づけることによって、彼を傷つけたことを意味します(詩22:16)。 創世記第3章15節の女は、第一にエバであり、第二に神のすべての民であって、エバによって表徴された処女マリアを含みます。ですから、女の子孫はおもに、マリアから生まれた主イエスです。

 

 しかしながら、女の子孫に関しては、啓示録第12章でさらに見ることができます。啓示録第12章で描かれ、創世記第3章15節で表徴された女は宇宙的な女であり、彼女の内側には男の子と呼ばれる部分があります(啓12:1,2,5)。聖書的な意味では、女は弱さを代表します。なぜなら、女は弱い器であるからです(Ⅰペテロ3:7)。男、特に男の子は、力を代表します。……すべての神の民は、いくらか弱い女ですが、すべての神の民の間にはさらに力強い部分、すなわち男の子、勝利者がいます。……ですから、男の子も女の子孫の一部分です。(創世記ライフスタディ(2)、第19編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第7週1日)

 

男の子の携え上げは、召会の時代を終わらせ、王国の時代をもたらします

 

啓12:5

彼女は一人の子、男の子を産んだ.この子は鉄の杖で、すべての諸国民を牧養することになっている.彼女の子供は、神に、神の御座に携え上げられた。

 

「神は、この時代を終結させ、王国の時代をもたらすことを願っています。神はこの事を完成するために、彼の時代の手段を持たなければなりません。わたしたちはみな、神にとって時代の価値を持つように主を仰ぎ見て、祈るべきです。わたしたちは、自分の行なっている事を自分自身に問い、この時代を終結させ、次の時代、すなわち王国の時代をもたらす必要があります」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは召会の時代を終わらせ、王国の時代をもたらすために、勝利者を必要としています。主よ、わたしたちが神の定められた御旨を成就する勝利者たちとなりますように。主よ、男の子が人の力と悪魔の力を取り除き、王国をもたらしますように。

 

 

神の定められた御旨は勝利者たちにおいて成就されます

 

 男の子の携え上げは、召会の時代を終わらせ、王国の時代をもたらします。男の子は、神が行動することができるようにします。……神は制限を受けることがあり得ることを、わたしたちは決して忘れるべきではありません。神は、ご自身のすべての行動において人を待たれます。神が天で縛ることは、わたしたちが地上で縛ることに基づいています。神が天で解くことは、わたしたちが地上で解くことに基づいています。すべてのことは召会にかかっています。

 

  勝利者になるとは、おもに患難を逃れることではありません。わたしたちは、携え上げがわたしたち自身にとってではなく、主にとってどのような価値を持つかを見る必要があります。…… 神の願いは、被造物が堕落した被造物を対処することです。神の定められた御旨によれば、召会全体がサタンを対処すべきです。しかしながら、召会は失敗しました。……[ですから]、神の定められた御旨は勝利者たちにおいて成就されます。なぜなら、彼らは神と共に働くからです。……神は常に、時代の行動をする一群れの勝利者たちを持っておられます。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、付録)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週6日)

 

新エルサレムの都は純金であって、透き通ったガラスのようです

 

Ⅱコリント5:21

神は罪を知らなかった方を、わたしたちに代わって罪とされました.それは、わたしたちが彼の中で神の義となるためです。

 

啓示録22:1

また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。

 

「新エルサレムの都は純金であって、透き通ったガラスのようです。都の大通りは純金であって、透明なガラスのようです(啓21:18後半,21後半)。これが表徴しているのは、都全体が透明であって、不透明な所が全くないということです。もしわたしたちが命を与える霊をもって注入され浸透されるなら、わたしたちの内なる存在は透明になり、水晶のように透き通るでしょう(Ⅱコリント3:8-9,18)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちが命を与える霊をもって注入され浸透されますように。主よ、わたしたちの内側が透明で、水晶のように明らかになり、神の心を知ることができますように。主よ、わたしたちが清いだけでなく、十字架上の主の死によって、純粋にされますように。

 

 

わたしたちは十字架上の主の死によって、純粋にされます

 

 わたしたちの中に生きて働いておられるその霊を経験した結果として、わたしたちは義しくなります。自然に、わたしたちの内側は透明で、水晶のように明らかになり、神の心を知ります。直ちに、努力なしに、わたしたちは主の思いを知り、彼のみこころと働きについて明確な理解を持ちます。そのとき、わたしたちが行なうことは、主の思いとみこころにしたがっています。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(1)」、第27編)

 

 約三十年前わたしは、純粋であるとは清いこととは違うという短い言葉を聞きました。わたしは最初にその言葉を聞いた時、理解することができず、とても驚きました。わたしは、清められれば十分であると思っていました。しかしながら、その語り手は、純金が純粋にされて何の混合もなく透明になるように、わたしたちはなおも純粋にされる必要があると言いました。その時から、主は徐々にわたしに、清いことと純粋であることの違いを見せてくださいました。……わたしたちは単に清いだけでは十分でないということが、はっきりしているべきです。わたしたちは十字架上の主の死によって、純粋にされる必要があります。(リー全集、1963年、第2巻(下)、「神の中心思想」、第13編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)