サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週5日~ (3) 第9週6日

 

4月の祈り 第30日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週6日)

 

エペソ第3章16節から21節において、パウロの霊、態度、祈り、信仰を見ます

 

エペソ3:19-21

そして、知識を超越したキリストの愛を知ることができるように.また、あなたがたが満たされて、神の全豊満へと至るように。…… わたしたちが求め、また思うすべてを、はるかに超えて豊かに行なうことのできる方、神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように。アーメン。

 

 「エペソ第3章16節から21節は、パウロの霊、態度、祈り、信仰を見せています。キリストの奥義は、啓示によってパウロに知らされました(エペソ3:3-6)。ですから、彼の霊と態度(彼が見たもの、彼が言ったこと、彼が心の中で顧慮したこと)は、内住するキリストに対する内なる経験を通して、キリストのからだとしての召会を建造するというビジョンと関係がありました」。

 

 主よ、わたしたちにパウロの霊、態度、祈り、信仰を見せてください。主よ、わたしたちに内住するキリストに対する内なる経験を与えてください。そして、キリストのからだとしての召会を建造することができますように。

 

 

内住するキリストに対する内なる経験を通して、キリストのからだとしての召会を建造します

 

 エペソ人への手紙第3章16節から21節は、……どのように召会の中で神に仕えるかを知るようにわたしたちを助け、パウロの霊、態度、祈り、信仰を見せています。わたしたちは召会の中で神に仕えるとき、このような霊、態度、祈り、信仰を持つべきです。もしわたしたちが真に召会と召会を建造する材料を見たなら、わたしたちはこのような霊と態度を持ち、またこのような祈りと信仰を持つでしょう。

 

 パウロの霊と態度(彼が見たもの、彼が満たされていたもの、彼が言ったこと、彼が心の中で顧慮したこと)は、神が肉体の中で現され、人とミングリングされて、キリストをもって召会を建造し、召会がキリストで満たされるというビジョンと関係がありました。この事柄は、パウロの全存在を満たしていました。ですから、彼の霊と態度は、この事柄と関係がありました。聖書のこの部分における最も尊い点は、パウロの祈りや信仰ではなく、彼の霊と態度です。(「どのようにして召会を治めるか」、第9章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週5日)

 

わたしたちの心の中に深くご自身のホームを造ってください

 

エペソ3:17-18

またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ、力に満たされて、すべての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得し、

 

「キリストは、わたしたちの心のあらゆる部屋を占有するという願いを持っています。キリストがわたしたちの心の中の、下に深くご自身のホームを造るとき、わたしたちは神の農場のために、愛の中に根ざしつつあり、神の建造のために、愛の中に土台づけられつつあります(エペソ3:17)」。

 

 主よ、あなたがわたしたちの心の中に深くご自身のホームを造ることができますように。主よ、わたしたちがすべての聖徒たちと共に、キリストの広さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得することができますように。

 

 

すべての聖徒たちと共に、キリストの宇宙的な大きさを会得します

 

 わたしたちの心は、四つの部屋がある家のようです。これらの部屋は、思い、感情、意志、良心です。キリストは、わたしたちの心のすべての部屋と、あらゆる部屋を隅々まで占有するという願いを持っておられます。彼がわたしたちの心の中に深くご自身のホームを造られるとき、わたしたちは強くなって、すべての聖徒たちと共に、キリストの広さ、長さ、高さ、深さを会得します(エペソ3:18)。これらは宇宙の大きさです。……これらすべての大きさは、計り知れないキリストを描写しています。彼の大きさ(各次元)は宇宙の大きさです。彼はその広さ、長さ、高さ、深さです。わたしたちはただ、すべての聖徒たちと共に、彼の宇宙的な大きさを会得することができるだけです。(「神の新約エコノミー(下)」、第39章)

 

 わたしたちはキリストを経験する時、まず彼であることの広さを経験し、次にその長さを経験します。これは平面的です。キリストの中で前進する時、わたしたちは彼の豊富の高さと深さを経験します。これは垂直的です。まず、キリストの広がりを、その広さと長さとして経験します。その後、彼の昇って行くことをその高さとして経験し、最後に彼が下って行くことをその深さとして経験します。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第33編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週4日)

 

内住するキリストをわたしたちが内側で経験します

 

エペソ3:16-17

どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように.またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ

 

「エペソ第3章16節から21節でパウロが祈ったのは、内住するキリストを信者たちが内側で経験して、キリストのからだとしての召会を有機的に建造することについてでした(エペソ4:12,16.2:21-22)」。

 

 主よ、わたしたちを内なる人の中へと増強してくださいますように。また、わたしたちの心の中にキリストがご自身のホームを造ってくださいますように。主よ、わたしたちがキリストで満たされて、神の豊満となるに至りますように。

 

 

キリストのからだとしての召会を有機的に建造します

 

 エペソ人への手紙第3章14節から19節が啓示しているのは、使徒が御父に向かって祈ること、御父がその霊を通して信者たちを増強すること、キリストが信者たちの心の中に、ご自身のホームを造ること、信者たちが愛の中に根ざし土台づけられ、キリストの大きさを会得し、知識を超越したキリストの愛を知って、満たされて[三一の]神の全豊満へと至ることです。(神聖な三一の中で、また神聖な三一と共に生きる、第6章)

 

 召会は構成されて、キリストの豊満また神の豊満となります。……パウロが祈ったのは、わたしたちが内なる人の中へと増強されるようにということでした。そしてその結果、キリストがわたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができ、それによってわたしたちの内なる全存在を、ご自身をもって占有し、所有し、浸透し、飽和することができるようになります。このようにして、わたしたちはキリストで満たされ、力強くなって、キリストの大きさを会得し、知識を超越したキリストの愛を知るようになります。最終的に、わたしたちはキリストで満たされて、神の豊満となるに至ります。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第33編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第27日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週3日)

 

霊的な消化と吸収という新陳代謝的な過程を経験してキリストのからだを建造します

 

Ⅱコリント3:18

しかし、わたしたちはみな、主の栄光をおおいのない顔をもって、鏡のように見つめ、そして反映して、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきますが、それはまさに主なる霊からです。

 

 「神のエコノミーとは、ご自身をわたしたちの中へと造り込んで、わたしたちが霊的な消化と吸収という新陳代謝的な過程を経験し、それが造り変えを生み出すということです。この造り変えは、わたしたちの天然の命における、漸進的で内在的な新陳代謝的な変化です。これはキリストのからだを建造して、新エルサレムを究極的に完成するためです(Ⅱコリント3:18)」。

 

 主よ、わたしたちが霊的な食物を日ごとに食べ、消化し、吸収することができますように。 主よ、わたしたちが日ごとに新陳代謝的な過程を経験して、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきますように。そして、キリストのからだが建造されますように。

 

 

わたしたちは霊的な消化と吸収という新陳代謝的な過程を経験して造り変えられます

 

 造り変えは新陳代謝的な過程であり、新しい要素をわたしたちの存在の中へと加え、古い要素を排出することによってわたしたちを変えます。これは、人が食物を正しく日ごとに食べ、消化し、吸収することを通して、健康な顔色になることによって例証されます。この健康な外見は化粧の結果ではなく、養いの結果です。……

 

 同じように、わたしたちは日ごとに霊的な養いを受ける必要があります。この養いは新しい要素を供給し、古いものが運び去られるようにします。徐々に、わたしたちは成長し、変化し、円熟します。……神のエコノミーとは、ご自身をわたしたちの中へと造り込んで、わたしたちが霊的な消化と吸収という新陳代謝的な過程を経験し、それが、命における漸進的で内在的な変化を生み出すことです。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第26日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週2日)

 

主はご自身を命の種として、土壌である人の心の中へとまきます

 

ヨハネ14:23

イエスは……答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。

 

マタイ13:3

彼は多くの事を、彼らにたとえで語って言われた、「見よ、あの種まく者が、種をまきに出かけた」。

 

「主はご自身を命の種として、土壌である人の心の中へとまいています。それは、主が彼らの中で成長し、生きて、彼らの内側から表現されるためです(マタイ13:3)。種は土壌の中へとまかれ、土壌の栄養分をもって成長します。その結果、産物は、種と土壌の両方からの要素の構成です(23節)」。

 

 主よ、あなたはご自身を命の種として、土壌であるわたしたちの心の中へとまいてくださいました。主に感謝します。主よ、わたしたちの中にまかれた神聖な種がわたしたちの内側で成長することができますように。

         

 

神聖な種はそれ自身と、人の心の土壌の中の栄養分をもって成長します

 

 マタイによる福音書第13章で、種は土壌の中へとまかれ、土壌の栄養分をもって成長します。ですから、この種はそれ自身だけで成長するのではありません。種はそれ自身と、土壌の中の栄養分をもって成長します。その結果、産物は、種と土壌の両方からの要素の構成です。ここでわたしたちは、重要な霊的原則を見ます。成長するために、種は良い土壌の中へとまかれなければなりません。……砂も石も、必要な栄養分を供給することはできません。

 

 種は神性であり、土壌とその栄養分は人性です。わたしたちは内側に神によって創造されたある栄養分を持っています。それは、彼がわたしたちの中へと入って来て、わたしたちの中で成長するための備えです。神は人の霊を、人の栄養分をもって創造されました。こういうわけで、人は主を信じて、彼を受け入れることができるのです。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第25日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (3) 第9週1日)

 

神ご自身がわたしたちの中へと造り込まれて、わたしたちの命、性質、構成となります

 

サムエル下7:12-14

……わたしはあなたの身から出るあなたの子孫をあなたの後に起こし、彼の王国を堅く立てる。彼がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の座を永遠に堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。……

 

「神の心の願いにしたがった神の永遠のエコノミーは、ご自身を人の中へと建造し込み、人を彼の中へと建造し込むことです(エペソ3:16-17前半)。この相互の住まいはキリストのからだの実際であり、新エルサレムにおいて究極的に完成します(ヨハネ15:4-5前半.Ⅰヨハネ2:27-28.3:24.4:13, 15-16.啓21:3, 22)」。

 

 主よ、神ご自身をわたしたちの中へと建造し込んでください。主よ、あなたがわたしたちの中へと造り込まれて、わたしたちの命、性質、構成となってくださいますように。 主よ、この相互の住まいであるキリストのからだの実際にあずからせてください。

 

 

神と人との相互の住まいは、キリストのからだの実際です

 

 ダビデが必要としたものは、今日わたしたちが必要とするものです。わたしたちは神にご自身をキリストの中でわたしたちの人性の中へと建造し込んでいただくことを必要とします。これが意味するのは、神にご自身をキリストの中でわたしたちの中へと造り込んでいただき、わたしたちの命、性質、構成となっていただくのを、わたしたちが必要とするということです。

 

 その結果、わたしたちは単に神の心にかなった人であるだけではありません。すなわち、わたしたちは、神格においてではなく命と性質において神です。わたしたちは今日、外側ではダビデほど高くありませんが、神の命、性質、構成を持っていると宣言することができます。・・・・・ 主は今わたしたちの中へと入って、ご自身を命としてわたしたちの存在の中へと分け与え、分与し、わたしたちの内なる構成となり、わたしたちを彼と同じ神・人とされます。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第25、29編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週6日)

 

キリストの兄弟たちは、キリストのかたちに同形化されつつあります

 

ローマ8:29

……御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです.それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです.

 

「肉体と成ること、十字架、復活を通して、神の御子であるキリストは、神の長子となりました。そして多くの子たち、すなわちキリストの兄弟たちは、キリストのかたちに同形化されつつあります(ヘブル2:10-11.ローマ8:29)」。

 

 主よ、神が人と成ったのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためです。主よ、このビジョンがわたしたちの生活となりますように。そして、神と人が共にミングリングされて一つの実体となるという新エルサレムのビジョンが成就されますように。

 

 

神がキリストの中で人と成られたのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためです

 

 サムエル記下第7章12節で神はダビデの子孫について語り、14節前半で彼は、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われました。ここには、ダビデの子孫が神の御子となるというとても大いなる意義のあるものがあります。これらの節は明確に、人の子孫、すなわち、人の子が、神の御子になることができることを明らかにしています。これが暗示しているのは、神の意図が、ご自身を人と成らせるのは、人を神格においてではなく命と性質において神とならせるためであるということです。

 

 そのような暗示は極めて重要です。最終的に、全聖書はこの事柄をもって究極的に完成します。聖書の究極的な完成である新エルサレムは、神が人と成り、人が神格においてではなく命と性質において神となること、神と人が共にミングリングされて一つの実体となることと関係があります。

 ……聖書という「箱」の中の「ダイヤモンド」とは、神がキリストの中で人と成られたのは、人が神格においてではなく命と性質において神となるためであるという啓示です。(サムエル記上、下ライフスタディ、第31編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週5日)

 

聖別する方と、聖別されつつある者たちは、すべてひとりの方から出ています

 

ヘブル2:11

聖別する方と、聖別されつつある者たちは、すべてひとりの方から出ているのであり、それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない……。

 

ローマ1:3-4

彼の御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示されたわたしたちの主イエス・キリストです。

 

「もしキリストが人の性質を着なかったなら、彼が神の御子と明示される必要はありませんでした。なぜなら、彼は永遠からでさえ、神性においてすでに神の御子であったからです(ヨハネ1:18.17:5)。彼は肉体と成ることを通して人性を着ており、復活の中で、人性を持つ神の御子と明示されました(1:14.ローマ8:3.1:3-4.ヘブル2:14)。今や主が持っている人性は、天然の人性ではなく、復活の中で引き上げられた人性です(ローマ1:4)」。

 

 主よ、あなたは神性と人性のある神の御子として、今や多くの神の子たちのための型、模範です。主よ、あなたの中には聖別の霊がありましたが、わたしたちの中にも聖別の霊があります。この聖別の霊にしたがって、わたしたちが神の子たちと明示されつつあることを感謝します。

 

 

聖別の霊を持つことによって、わたしたちは内側に神の実質を持ちます

 

 カーネーションの種が明示されるのは、ラベルを貼ることによってではなく、地に葬られ、生長してカーネーションの花を咲かせることによります。これはカーネーションの種が、その中にある命によって明示されることを示します。すなわち、それは命によって明示されます。

 

 同じ原則で、キリストは死人の中から復活させられた時、彼の中にあった聖別の霊にしたがって、復活により力の中で明示されました。彼は今や以前にもましてすばらしい方法で神の御子です。なぜなら、彼は今や神聖な性質と、人の性質(復活させられ、造り変えられ、引き上げられ、栄光化され、明示された人の性質)との両方を持っておられるからです。神性と人性のある神の御子として、キリストは今や神の多くの子たちの大量生産のための型、模範です。……ローマ人への手紙は、肉の中の罪人が力の中で、復活によって神の子たちになるという記録です。(ローマ人への手紙ライフスタディ(2)、第53-54編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週4日)

 

主は聖別の霊によって力の中で神の御子と明示されました

 

ローマ1:3-4

彼の御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示されたわたしたちの主イエス・キリストです。

 

「わたしたちが知る必要があるのは、キリストが復活において、力の中で、人の性質を持つ神の御子と明示されたということです(ローマ1:3-4)。キリストは肉体と成る前、すでに神の御子でしたが、復活から神の御子と明示される必要が依然としてありました。なぜなら、彼は肉体と成ることによって、神性とは何の関係もない人の性質を着ていたからです(ヨハネ1:1, 14.ローマ8:3)」。

 

 主よ、あなたは復活の中で神の御子と明示されました。主よ、わたしたちも復活によって、わたしたちの人の性質が聖別され、引き上げられ、御子のかたちへと造り変えられますように。

 

 

主は復活によって人を神の中へともたらし、ご自身の人性を神聖な子たる身分の中へともたらしました

 

 肉体と成ることによって、彼はある要素、すなわち、神性とは何の関係もない人の肉を着ました。それは神性と何の関係もありませんでした。ですから、死と復活を経過することによって、彼のこの部分は聖別され、引き上げられる必要がありました。復活によって、彼の人の性質は聖別され、引き上げられ、造り変えられました。……彼の復活は彼の明示されることでした。……復活によって彼は人を神の中へともたらしました。すなわち、彼はご自身の人性を神聖な子たる身分の中へともたらしました。

 

 彼の復活の中で、キリストはご自身の人性において神の御子と明示されました。それは、単なる言葉においてではなく、聖別の霊によって力の中ででした。疑いもなく、神聖な力は彼の復活の中で大いに行使されました。しかし、わたしたちは見る必要がありますが、力の中でキリストの人性が神の御子と明示された神聖な力は、命の力です。(新約の結論(18)、メッセージ295)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第20日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週3日)

 

わたしたちはキリストの復活を通して生まれて、神聖な性質にあずかる者となりました

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.……わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

 

ヘブル1:6

そして神は、長子を人の住む地に再びもたらす時、「神のすべての御使いは、彼を拝しなさい」と言われます。

 

「キリストは彼の復活を通して生まれて神の長子となり、また同時に彼のすべての信者も生まれて神の多くの子たちとなりました(Ⅰペテロ1:3.ヘブル2:10)。長子は、神性と人性の両方を持っています。わたしたち彼の信者も、神の多くの子たちとして、人の性質と神聖な性質の両方を持っています(Ⅱペテロ1:4)」。

 

 主よ、あなたは復活を通して生まれて神の長子となり、同時にわたしたちすべての信者も生まれて神の多くの子たちとなりました。主に感謝します。主よ、わたしたちが神の多くの子たちとして、神聖な性質にあずかることができますように。

 

 

復活の後、主は再生された多くの子たちをご自分の兄弟たちと呼び始めました

 

 キリストは永遠から神のひとり子でした(ヨハネ1:18)。彼は神によって世に遣わされた時、やはり神のひとり子でした(Ⅰヨハネ4:9.ヨハネ1:14.3:16)。彼が死を経過し、復活の中へと入ることによって、彼の人性は神性へと引き上げられました。ですから、死と復活を経過した彼の神性において、またその人性を伴って、彼は復活の中で神の長子として生まれました(使徒13:33)。同時に、彼のすべての信者たちは彼の復活の中で彼と共に復活させられ、神の多くの子たちとして彼と共に生まれました(Ⅰペテロ1:3)。こうして、彼らは彼の多くの兄弟たちとなって彼のからだを構成し、彼の中で神の団体の表現となりました。

 永遠から永遠まで、キリストは神性において神のひとり子です。肉体と成ることにおいて人性を伴って人と成られた後、人の子としての彼は復活の中で生まれて、神の長子となりました。……

 

 復活を通して、キリストの弟子たちは神聖な命をもって再生されて神の多くの子たちとなったので、復活の後、彼は彼らをご自分の兄弟たちと呼び始めました(ヨハネ20:17.マタイ28:10)。ヘブル人への手紙第2章11節から12節はこのことを確証します。……彼はまた、彼らを召会と見なされました。これは、召会が神の長子の多くの兄弟たちから成る団体の構成体であることを示しています。(新約の結論(18)、メッセージ303)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第19日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週2日)

 

復活は、人なるイエスにとって誕生でした

 

啓22:16

わたしイエスは……ダビデの根また子孫であり、輝く明けの明星である。

 

使徒13:33

……神は彼を復活させて、子孫であるわたしたちに、この約束を完全に成し遂げられました.それは詩篇第二篇にも、『あなたはわたしの子である.この日わたしはあなたを生んだ』と書き記されているとおりです。

 

「使徒行伝第13章32節と33節でわたしたちが見るのは、キリストが神の長子として父祖たちに約束され、神がイエスを復活させることによって、この約束を成し遂げたということです。復活は、人なるイエスにとって誕生でした。彼は復活において神によって生まれ、多くの兄弟たちの間で神の長子となりました(ローマ8:29)」。

 

 主よ、あなたには二つの誕生があったことを見ることができますように。主よ、あなたは人の子として地上で生活し、復活を通して神の長子となられました。わたしたちも復活を通して、主と同じかたちへと造り変えられていきますように。

 

 

主イエスには二つの誕生があります。彼はマリアから生まれて人の子となり、死人の中から復活して、神の長子となりました

 

 パウロは「……今日わたしはあなたを生んだ」という[詩篇第2篇7節]の中に、主の復活を見ることができました。パウロは「今日」という言葉を、主の復活の日に適用しました。これは、キリストの復活が、神の長子としての彼の誕生であったことを意味します。イエス、人の子は、死人の中から復活させられることを通して、生まれて神の御子となりました。ですから、神がイエスを死人の中から復活させたことは、神がイエスを生んで神の長子とならせたということです。わたしたちは、主の復活が彼の誕生であったことを認識する必要があります。これは極めて重要な事柄です。

 

 主イエスには二つの誕生がありました。まず、彼はマリアから生まれて人の子となられました。そして三十三年半の後、彼は十字架につけられ、葬られ、死人の中から復活させられました。復活を通して、彼は第二の誕生を持たれました。なぜなら人として、彼は復活の中で生まれて神の御子となられたからです。ですから、彼は最初の誕生において、マリアから生まれて人の子となられ、第二の誕生において、復活の中で生まれて神の御子となられました。(使徒行伝ライフスタディ(2)、第37編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第8週1日)

 

ダビデの子孫は実は神の長子としてのキリストです

 

サムエル下7:12,14

あなたの日が満ちて、あなたが父祖たちと共に眠るとき、わたしはあなたの身から出るあなたの子孫をあなたの後に起こし、彼の王国を堅く立てる。14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。……

 

「サムエル下7:12前半, 14前半の「あなたの子孫」は、文字どおりにはダビデの子であるソロモンを指しています(列王上5:5.8:15-20)。ヘブル第1章5節後半(サムエル記下第7章14節前半からの引用)によれば、ダビデの子孫は実は神の長子としてのキリストであり、彼は神性と人性の両方を持っています(ヘブル1:5前半, 6)」。

 

 主よ、あなたはエホバ・救い主であり、神の御子です。また、あなたは復活を通して、人性において神の御子と明示されました。主よ、わたしたちがこのことを啓示によって見ることができますように。

 

 

キリストはダビデの子、またダビデの主としての神の御子の両方です

 

 サムエル記下第7章12節の「あなたの子孫」と14節の「わたしの子」に関する言葉は、ダビデの子孫が神の御子となること、すなわち、人の子孫が神聖な御子になることを暗示します。この言葉は、ローマ人への手紙第1章3節から4節のパウロの言葉と符合します。それは、ダビデの子孫としてのキリストが復活の中で、人性において神の御子と明示されることについてです。……

 

 それはまた、マタイによる福音書第22章41節から45節の主の質問とも関係があります。それは、どうしてキリストがダビデの子、またダビデの主としての神の御子の両方、すばらしいパースン、神性と人性の二つの性質を持つ神・人であり得るかについてです。これらの節ははっきりと、人の子孫、すなわち人の子が、神の御子となることができることを明らかにします。神ご自身、神聖な方が、人性の子孫、人(ダビデ)の子孫となられました。この子孫は神・人イエス、エホバ・救い主であり(マタイ1:18-21.Ⅱテモテ2:8)、ただ彼の神性による神の御子でした(ルカ1:35)。彼の復活を通して、彼は人の子孫として人性の中で神の御子となりました。(サムエル下7:14、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週6日)

 

その日、わたしは倒れたダビデの幕屋を起こし、すべての諸国民を所有する

 

アモス9:11-12

その日、わたしは倒れたダビデの幕屋を起こし、その城壁の破れを繕い、その廃虚を起こし、昔の日々のように建てる.これは、彼らがエドムの残された者と、わたしの名によって呼ばれているすべての諸国民を所有するためである.この事をなされるエホバは告げられる。

 

「アモスは、キリストが王として「倒れたダビデの幕屋」を起こすと予言しました(アモス9:11)。ダビデの幕屋とは、ダビデの王国、またダビデの王家です(サムエル下7:12, 16)。この予言が示していることは、キリストが帰って来て真のダビデとなり(イザヤ9:7.16:5.エレミヤ30:9)、彼の父祖ダビデの王国を再建し、全宇宙を復興するということです。その時、ダビデの王国はキリストと神の王国となり、永遠に至ります(啓11:15)」。

 

 主よ、あなたは再来されます。その日、あなたは倒れたダビデの王国を復興されます。そして、すべての諸国民はユダヤ人のようにエホバの御名によって呼ばれ、神に所有されます。主よ、この予言の言葉を成就してください。

 

 

ある日キリストが戻って来て、真のダビデとなり、ダビデの王国を復興し、すべての諸国民を所有します

 

 アモス書第9章のこの予言は、ある日キリストが戻って来て、真のダビデとなられることを示しています。キリストは戻って来る時、彼の最後の現れにおいて真のダビデとなり、彼の王国と彼の王家を復興します。それは千年王国であり、そこにおいてすべての諸国民はエホバの御名によって呼ばれます。すなわち、すべての諸国民は神に属します。これに基づいて使徒行伝第15章で、ヤコブはユダヤ人信者たちに、ペテロとパウロが異邦人に行ったことで煩わされてはならない、なぜなら復興においてすべての異邦人はユダヤ人のように、神に属するからであると告げたのです。

 

 キリストは来て、倒れたダビデの王国を復興し、彼の王国を設立して全宇宙を復興されます。その時すべての諸国民は神の民となります。これはアモスの予言における大きな項目です。(アモス書ライフスタディ、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週5日)

 

ダビデの王国は、キリストの来たるべき王国を予表しています

 

サムエル下7:12-13

…… わたしはあなたの身から出るあなたの子孫をあなたの後に起こし、彼の王国を堅く立てる。彼がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の座を永遠に堅く立てる。

 

「ダビデの王国は、キリストの来たるべき王国を予表しています(サムエル下7:12, 16.マルコ11:10.啓11:15)。キリストはダビデに対する神の約束にしたがって、ダビデの王座を受け継ぎます(32-33節)。来たるべき時代の千年王国の地的部分は、メシアの王国となり、それはマタイ第13章41節で人の子の王国と呼ばれています(啓11:15)。これは、主が再建する(使徒15:16.マルコ11:10)イスラエルの復興された王国(使徒1:6)、ダビデの幕屋(ダビデの王国)となります」。

 

  主よ、ダビデに対する神の約束が、キリストの中で成就したことの意義を見せてください。主よ、わたしたちがこの恵みの時代に、王国の実際を生きることができますように。

 

 

神のエコノミーにおける神の意図は、ご自身をキリストの中で、彼の選ばれた人の中へと建造し、彼と彼の民を一にすることです

 

 ダビデの家はキリストを指しており、ダビデの王国はキリストの王国を指しており、ダビデの座はキリストの御座を指しています。ダビデの王国はキリストの王国であり、ダビデとキリストは一つの座を持っています(イザヤ9:7.16:5.ルカ1:32.使徒2:29-31)。…… 

 

 ですから、[サムエル記下第7章12節での]ダビデに対する神の反応は、キリストをダビデと、またダビデの子孫と一にしました(12節)。これが暗示するのは、神のエコノミーにおける神の意図が、ご自身をキリストの中で、彼の選ばれた人の中へと建造し、彼と彼の民を一にすることであるということです。永遠から永遠までの神の意図は、ご自身をわたしたちとし、わたしたちを神格においてではなく、命、性質、構成において彼とならせることです。最終的に、神の建造する働きを通して、すべてを含む、すべてに拡張するキリスト、三一の神の具体化が、キリストのからだの中であらゆる肢体となり、新しい人の中であらゆるパースンとなることです(Ⅰコリント12:12.コロサイ3:10-11)。召会の中で、からだの中で、新しい人の中で、キリストはすべてであり、すべての中におられます。(サムエル下7:16、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週4日)

 

王なるダビデは、王なるキリストを予表します

 

エゼキエル34:23-24

わたしは彼らの上にひとりの牧者を立て、彼は彼らを養う.すなわちわたしのしもべダビデである.彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。そして、わたし、エホバは彼らの神となり、わたしのしもべダビデは彼らの間で君となる。わたし、エホバがこう語った。

 

「王なるダビデは、王なるキリストを予表します(サムエル上16:12.サムエル下16:5-6.マタイ1:6.2:2.27:11.啓19:16)。ダビデは神によって立てられた王であり、戦う王であり、人にさげすまれ拒絶された王です。ダビデはキリストを予表しており、キリストは神の羊の群れの真の牧者であって、わたしたちを養い、わたしたちが満たされ、満足するようにします(ヨハネ10:11.ヘブル13:20.イザヤ9:7.ホセア3:5)」。

 

 主よ、あなたは神の羊の群れの真の牧者として、わたしたちを養い顧みてくださることを感謝します。主よ、わたしたちが牧養された後、わたしたちが主に服従し、主の王職と、わたしたちの内側の御座の下に来ることができますように。

 

 

主イエスは牧者として来てわたしたちを顧みて、王としてわたしたちを管理します

 

 主イエスは牧者として来てわたしたちを顧みるとき、王としても来てわたしたちを管理します。主がわたしたちの牧者としてわたしたちを顧みた結果は、わたしたちが王としての彼に服従し、彼の王職と、わたしたちの内側の御座の下に来ることです。(エゼキエル34:24、フットノート1)。[エゼキエル書第34章23節から24節の「わたしのしもべダビデ」は]キリストを指しており、彼は真のダビデ(マタイ12:3)、神の羊の群れの真の牧者(詩第23篇.ヨハネ10:11.ヘブル13:20)、神の民の王です(エゼキエル34:24.イザヤ9:7.ホセア3:5.ミカ5:2.ルカ1:32-33)。(エゼキエル34:23、フットノート1)

 

 イスラエルに関してエゼキエル書第37章24節で与えられている予言は、千年期、すなわち復興の時代において、また永遠に、すなわち新しい天と新しい地において成就されます。(エゼキエル37:24、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第13日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週3日)

  

あなたの若者はあなたにとって、夜明けの胎から出る露のようになる

 

詩110:1-3

エホバはわたしの主に言明される、「わたしがあなたの敵どもをあなたの足台とするまでは、わたしの右に座していなさい」。エホバはあなたの力の杖を、シオンから差し出されるであろう.あなたの敵どものただ中で支配せよ。あなたの民は、あなたの戦いの日に、献身の輝きの中で、自発のささげ物となる。あなたの若者はあなたにとって、夜明けの胎から出る露のようになる。

 

「詩篇第110篇は、詩篇第109篇におけるキリストの予表としてのダビデの祈りに対する答えです(ヘブル5:7)。神がこの祈りに答えたのは、キリストの復活を通してだけでなく、キリストの昇天を通してでもありました(使徒2:23-24, 32-33.5:31)」。

 

 主よ、わたしたちがあなたの戦いの日に、献身の輝きの中で、自発のささげ物となりますように。そして、主よ、わたしたちがあなたにとって、夜明けの胎から出る露のようになって、あなたが潤されますように。

 

 

何世紀にもわたって、献身の輝き、美しさの中で、自分自身を自発的に主にささげた人たちがいました

 

 [詩篇第110篇2節が示しているのは]天のシオンから、神がキリストの力の杖を差し出して、すべての諸国民を支配するということです。……今日、諸国民は彼の敵どもです。[3節は]ある種の戦いが進行していることを示します。今日がなおも戦いの時であるのは、キリストがまだ足台を持っておられないからです。ですから、この務めはいつも戦いに従事しているのです。わたしたちは、……召会に関するあらゆる種類の不正常な立場に抵抗し、それを無効にします。これが反対と戦いをひき起こすのです。

 

 召会は堕落しましたが、何世紀にもわたって一つの路線があり、献身の輝き、美しさの中で、自分自身を自発的に主にささげた人たちがいました。地上のあらゆるものを放棄して、何千もの人たちが自分を惜しげもなくキリストにささげました。このささげることに伴って、献身の輝きがありました。(詩篇ライフスタディ(2)、第38編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週2日)

  

苦難を受けたダビデの祈りは、主イエスの苦難を予表しています

 

詩22:1

わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか? なぜ遠く離れてわたしを救わず、わたしのうめきの言葉を聞かれないのですか?

 

ヘブル5:7

この方は、肉体にあった日、激しい叫びと涙をもって、彼を死から救うことのできる方に祈りと嘆願をささげ、そして彼の敬虔のゆえに、聞き入れられたのです。

 

「ダビデが予表している苦難を受けたキリストは、詩篇第22篇、第109篇、第110篇で啓示されています。詩篇第22篇で、わたしたちが見るのは、苦難を受けたダビデが、死を経過して苦難を受けたキリストを予表しているということです(詩22:1前半, 6-21)」。

 

 主よ、あなたがわたしたちのために十字架上で苦難を受けられたことを感謝します。キリストが神の救いに信頼されたように、わたしたちも主に信頼することができますように。

 

 

ダビデは苦難を受けたキリストを予表し、ソロモンは王職にあって支配するキリストを予表します

  

 [詩篇第22篇1節前半の言葉]は、苦難を受けたダビデによって語られました。実は、それは贖う死の苦難を受けたキリストに関する予言となりました。それは、主イエスが十字架を苦しんでおられたとき、主によって引用されました(マタイ27:46)。詩篇第22篇2節から5節は、ダビデのうめく祈りの継続であり、それはうめきから賛美に変わりました。この後、キリストは続けて語られました。

 

 6節から始まって、その声は別の方、キリストに変わっています。これが、その詩篇が書かれた方法です。ダビデが語っていたとき、最終的にキリストが入って来て、ダビデが語る中で語られました。詩篇第22篇で、わたしたちが見るのは、苦難を受けたダビデが、死を経過しつつあるキリストを予表しているということです(1節前半、6-21節)。……ダビデは苦難を受けたキリストを予表し、ソロモンは王職にあって統治し支配するキリストを予表します。(詩篇ライフスタディ(1)、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第7週1日)

 

ダビデはキリスト(真のダビデ)を予表します

 

マタイ12:3-4

ダビデが、自分も供の者たちも飢えた時に何をしたか、あなたがたは読んだことがないのか? 彼は神の家へ入り、祭司のほか、彼も供の者たちも食べてはならない臨在[供え]のパンを、彼らは食べたではないか。

 

「マタイ12章3節から4節における主の言葉は、祭司職から王職への時代の変化を暗示しています。ダビデの到来は、祭司の時代から王の時代へと時代を変えました。この時代では、王は祭司より高い位にありました。キリストの到来によって、時代はまたも変わりました。これは律法の時代から恵みの時代への変化であり、この時代にはキリストが万物の上におられます」。

 

 主よ、真の王、真のダビデであるキリストを賛美します。主よ、あなたは恵みの時代をもたらしてくださいました。主よ、わたしたちが復活したキリストと神の王国を認識し、経験し、享受することができますように。

 

 

キリストの到来によって、律法の時代から恵みの時代へ変化しました

     

 マタイによる福音書第12章3節から4節のキリストの言葉は、祭司職から王職への時代の変化を暗示しています。古代、ダビデの到来は、祭司の時代から王の時代へと時代を変えました。この時代では、王は祭司より高い位にありました。祭司の時代には、民の指導者は祭司に聞き従うべきでした(民27:21-22)。しかし王の時代には、祭司は王に服従すべきでした(サムエル上2:35-36)。ですから、ダビデ王が彼に従う者たちと行なったことは不法ではありませんでした。

 

 今やキリストの到来によって、時代はまたも変わりました。これは律法の時代から恵みの時代への変化であり、この時代にはキリストが万物の上におられます。彼が行なわれることは何であれ正しいのです。安息日を守る事柄は、律法の古い時代に属していました。しかし恵みの時代にはキリストが最終の言葉を持っておられます。それは律法の事柄ではなく、キリストの事柄です。(新約の結論(5)、メッセージ67)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週6日)

 

神の統治上の御手に陥ることは厳粛な事柄です

 

Ⅰペテロ3:9

悪をもって悪に報いず、ののしりをもってののしりに報いず、むしろ、互いに祝福し合いなさい.……あなたがたが……祝福を受け継ぐためであるからです。

 

「わたしたちがダビデの歴史から見ることができるのは、神の統治上の御手に陥ることが厳粛な事柄であるということです(サムエル下12:10-14)。ダビデは神との交わりをとても速く回復しました。しかし、彼が死んだ後にも、神の懲らしめは続きました(15節後半―20:26)」。

 

   主よ、わたしたちが他の人たちを批判したり、厳しくして、神の統治上の御手に陥ることがないように守ってください。わたしたちが他の人たちに愛情深く、寛大であり、他の人たちを祝福することができますように。

 

 

わたしたちが他の人たちに与える祝福を、わたしたち自身が受け継ぎます

 

 わたしたちが他の人たちに対して寛大であればあるほど、ますます神もわたしたちに対して寛大になります。……もしわたしたちが自分の兄弟たちに対してつらくあたり、厳しくするなら、神もわたしたちに対してつらくあたり、厳しくするでしょう。あなたは兄弟たちに親切で、愛情深くあり、寛大であることを学ばなければなりません。多くの事において他の人たちに自由を与えてください。……他の人たちが困っている時、それはわたしたちが彼らを助ける時であって、その人を批判する時ではありません。(ニー全集、第50巻、「初信者を成就するメッセージ(3)」、第40編)

 

 わたしたちが召されたのは、他の人たちを祝福するためです。ですから、わたしたちは祝福された人として、いつも他の人たちを祝福すべきです。それはわたしたちが祝福を受け継ぐためです。わたしたちが他の人たちに与える祝福を、わたしたち自身が受け継ぐのです(マタイ10:13)。(Ⅰペテロ3:9、フットノート2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週5日)

 

神は、愛しあわれみ深いだけでなく、公正で畏るべき方です

 

サムエル下12:10

それゆえ、今、剣はあなたの家から永久に離れない.あなたがわたしを軽んじて、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。

 

「ダビデに対する神の懲罰の裁きの記録は、今日のわたしたちに対する警告として書かれています(Ⅰコリント10:11)。神は、愛しあわれみ深いだけでなく、公正で畏るべき方でもあります。神はダビデを赦しました。しかし、神はまた神の統治上の義にしたがってダビデを取り扱い、懲らしめました(サムエル下12:10-14)」。

 

 主よ、わたしたちが、神は愛しあわれみ深いだけでなく、公正で畏るべき方でもあることを知ることができますように。主よ、わたしたちを目の欲と肉の欲にふけることから救ってください。

 

 

神はダビデを赦しましたが、神はまた神の統治上の義にしたがってダビデを取り扱いました

 

 神は、愛しあわれみ深いだけでなく、公正で畏るべき方でもあります。……神はダビデを赦しましたが(サムエル下12:13)、もう一方で、神は神の統治上の義にしたがってダビデを取り扱い、懲らしめました(サムエル下12:10、フットノート1)

 神の懲らしめにおいて、ウリヤの妻が産んだ最初の子が死にました(サムエル下12:18)。神の主権あるあわれみの中で、もう一人の子が彼女から産まれました。神によって与えられた彼の名はエデデアであり、それは「エホバの愛されるもの」を意味します(25節)。ダビデは彼にソロモンという名を与えました。それは「平安」を意味します(24節)。……

 

 しかしその時から、ダビデの家族やイスラエルの王国全体に、平安はなくなりました。ソロモンの王職はすばらしい開始を持ちましたが、同じ事が彼の父に起こったように彼にも起こり、彼の最期は悲惨でした。……わたしたちの神はあわれみ深いですが、公正でもあります。(サムエル記上、下ライフスタディ、第34編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週4日)

 

エホバがあなたのために家を造る   

 

サムエル下7:5

「行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『エホバはこう言われる、あなたはわたしのために、わたしが住む家を建てようとするのか?  11 ……エホバがあなたのために家を造ると、エホバはあなたに告げられる。

 

「ダビデは、地上における神の住まい、すなわち、神の箱の住まいを顧慮しました(サムエル下6:1―7:29.詩132:1-18)。神は、ダビデが宮を建造することを望みませんでしたが、ダビデは、建造する者、敷地、宮の建造のための材料を備えました。神はまたダビデに対して、ご自身の霊によって宮の型を啓示しました。そしてダビデは死ぬ前に、この型を自分の息子ソロモンに与えました(サムエル下8:11.列王上7:51.歴代上22:14-16.29:1-5.28:11-19.使徒13:22,36)」。

 

 主よ、あなたがダビデのために家を造る方です。主よ、わたしたちの奉仕が源としてのあなたから出たものでありますように。主よ、わたしたちが神の家の建造のために、神と共に同労することができますように。

 

 

ダビデは自分の務めを果たし、宮の建造の完成のために神と共に同労しました

 

 ダビデは神の箱を顧慮しました。……ダビデは王となった後、地上での神の住まいを忘れませんでした。…… 神はナタンを通してダビデに語りました、「あなたはわたしのために、わたしが住む家を建てようとするのか?……わたしは……あなたのために家を造る……わたしはあなたの身から出るあなたの子孫をあなたの後に起こし……彼がわたしの名のために家を建て……る」(サムエル下7:5、11-13節)。

 

 ダビデは神の宮の建造のための材料を備えました。神に対するダビデの心は死にものぐるいでした。神は、ダビデが宮を建造することを望みませんでしたが、ダビデは、宮の建造のための材料を備えました。ダビデは、建造する者、敷地、宮の建造のための材料を備えました(サムエル下8:11.列王下7:51.歴代上26:26-27)。ダビデは自分の務めを果たし、宮の建造の完成のために神と共に同労しました。使徒行伝第13章36節は、「ダビデは神のみこころによって彼自身の世代に仕え、眠りにつき」と言っています。ダビデは神の御前に安息を得ました。(リー全集、1954年、第4巻、533-535ページ、[英文])

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第6日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週3日)

 

ダビデは心から神の権威を知って服従しました

 

サムエル上24:4-6

ダビデに従う人たちは彼に言った、「……彼をあなたの目に良いようにせよ」。そこでダビデは立ち上がり、気づかれないようにサウルの上着のすそを切り取った。しかし、その後、……ダビデの心は自らを責めた。彼は従う人たちに言った、「わたしの主君、エホバの油塗られた者に手を伸べてそのようなことをするのを、エホバは禁じられる.彼はエホバの油塗られた者だからである」。

 

「もし何人かの人たちが代価を払って、十字架の下で生きることによって十字架の砕きを経験し、自分の天然の命と性情を知り対処し、肉を死に渡し、神の御前で自分自身を否むなら、彼らは確かに神の権威を知り、神の権威をもたらすことができるでしょう。これが、基本的な原則です」。

 

 主よ、わたしたちを神の権威を知る者にしてください。そして、ダビデのように十字架の下で生きて、神の油塗られた権威に服従する者にならせてください。

 

 

神が権威として立てた時に塗られた油に服従します

 

 ダビデは心から神の権威を知っている人でした。……彼はサウルを主、エホバの油塗られた人と考えました。これは一つの重要なことを語っています。権威に服従することは、人に服従することではありません。それはその人の上の油塗りに、すなわち神が彼を権威として立てた時に彼に塗られた油に服従することです。……彼はサウルが神に油塗られたことを知っていました。こういうわけで、彼は逃亡することができるだけでした。彼はサウルを害するために、自分の手を下すことはできませんでした。サウルは神の命令に不従順で、神によって拒絶されました。しかし、これはサウルと神との間の事でした。ダビデに関しては、彼は神の油塗られた者に服従しました。これが、神の御前でのダビデの責任でした。

 

 一人の若いアマレク人がダビデのもとに来て、栄誉を要求するつもりで、自分が……サウルを殺したと言いました。ダビデの態度は依然として自己を否み神の権威に服従する態度でした。彼はその若者に言いました、「エホバの油塗られた者に手を伸ばして滅ぼすことを恐れなかったとは、何ということか?」(サムエル下1:14)。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週2日)

 

ダビデは神の心にかなった人でした

 

ガラテヤ5:17,24

なぜなら、肉の欲することはその霊に逆らい、その霊は肉に逆らうからです.この両者は互いに敵対し、その結果、あなたがたは自分の欲する事柄を、行なうことができなくなります。24 しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのです。

 

 「ダビデは神の主権の下で選ばれて、現在の王であるサウルの従者になりました。これら二人が一緒にされることによって、サウルは神のみこころに反対する者であることが暴露され、ダビデは神の心にかなった人であることが明らかにされました(サムエル上18:6-11前半)。ダビデがサウルとの関係においてテストされたことは、ダビデが絶えず十字架につけられていたことを意味しました」。

 

 主よ、召会の中には神聖な権威があることを感謝します。主よ、わたしたちはただ霊の中でキリストを生き、神聖な定められた秩序にしたがって召会生活をすることができますように。

 

 

召会の中には正しい秩序を伴う神聖な権威があります

 

 サウルのすべての迫害を通して、ダビデは戦ったり、何かを行なって自ら復讐したりしませんでした。彼はただ逃げました。サウルの迫害の下でのダビデの経験を通して、わたしたちは重要な学課を学ぶ必要があります。……それは、召会生活の中に肉のいかなるものもあるべきではないということです。怒りも、たくらみも、策略も、陰謀もあるべきではありません。召会は神の王国であり(ローマ14:17)、召会の中には正しい秩序を伴う神聖な権威がなければなりません。……

 

 ダビデは神を畏れ、神によって案配された秩序を覆そうとはしませんでした。わたしたちは主の回復の中にいると言っても、神が定めた秩序があることを知らないなら、それは恥です。反逆と争いは召会生活を無にします。……わたしたちはただ霊の中でキリストを生き、神聖な定められた秩序にしたがって召会生活をするべきです。(サムエル記上、下ライフスタディ、第13、14編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第6週1日)

 

ダビデは神の主権と十字架の学課を学びました

 

サムエル上17:45-47

ダビデはそのペリシテ人に言った、「……わたしはおまえが挑んだ万軍のエホバ、イスラエルの戦列の神の御名の中でおまえに立ち向かう。この日、エホバはおまえをわたしの手に渡される.……全地はイスラエルに神がおられることを知るであろう。この全会衆は、エホバが救われるのは剣や槍によるのではないことを知るであろう.この戦いはエホバのものであって……」。

 

「わたしたちはダビデの歴史において(サムエル上16:1―サムエル下24:25)、神の主権と、ダビデが十字架の学課を学んだことを見る必要があります。ダビデは神の主権の下で、神に信頼することとゴリアテを打ち破ることにおいて、テストされ、良しとされました(サムエル上17:1-58)」。

 

 主よ、わたしたちの環境のあらゆる面が、神の主権ある御手の下にあることを感謝します。主よ、わたしたちがダビデのにように、主に信頼し、彼の中で確信を持つことができますように。

 

 

わたしたちの環境のあらゆる面は、絶対的に神の主権ある御手の下にあります

 

 ダビデはゴリアテの挑戦のことを聞き、……ゴリアテが生ける神の軍隊に挑んでいると考えました(26節後半)。彼はまた、そのような挑む者を殺すことは、イスラエルから侮辱を取り除くことであると考えました(26節前半)。……ダビデは、[自分がそこに来た(29節後半)]理由は、神によってそこに遣わされ、その挑む者を打ち破るためであったということを認識していました。・・・・・ ゴリアテとペリシテ人に対するダビデの勝利は、神が彼を選び、油塗られたことに対する強力な確証でした。…… 

 

 サムエル上第16章と第17章でダビデに起こったことは、完全に神の主権の下にありました。わたしたちがみな認識する必要がある事は、今日わたしたちはキリストを追い求めているので、わたしたちの環境のあらゆる面が、絶対的に神の主権ある御手の下にあるということです。最終的に、召会生活に挑む者は打ち破られるでしょう。ですから、わたしたちは主に信頼し、彼の中で確信を持ち、平安でいるべきです。(サムエル記上、下ライフスタディ、第12編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週6日)

 

肉が徹底的に滅ぼされて、神の王国の中にいるようになります

 

ガラテヤ5:24-25

しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのです。もしわたしたちが霊によって生きているならば、霊によって歩こうではありませんか。

 

「サウルが王職を失ったのは、彼がアマレクを徹底的に滅ぼさなかったからです――サムエル上15:26, 28:もしわたしたちが主の言葉に従って、肉を徹底的に滅ぼし、霊にしたがって生き歩くなら、王職を持ち、神の王国の中にいるようになります――ローマ8:4.14:17.ガラテヤ5:19-21.Ⅱペテロ1:5-11」。

 

 主よ、わたしたちの霊に内住する、命を与える、究極的に完成された霊を感謝します。わたしたちが霊にしたがって生き歩き、肉を徹底的に対処することができますように。

 

 

肉が十字架につけられて、神の王国、キリストのからだとしての召会が建造されます

 

 わたしたちは、神の王国の中で肉によって何も行なわないように、このサウルの不従順の記録によって警告されるべきです。わたしたちは神を畏れ、自分が肉であることを覚えておく必要があります。……主に感謝します。主は彼のあわれみの下で、御言の内在的な秘密をわたしたちに開いて、真の学課を見せてくださいました。

 

 わたしたちは十字架の学課を学び、肉をその情と欲と共に十字架につけ、常に、またあらゆることで自分の肉を十字架上につけおかなければなりません(ガラテヤ5:24)。わたしたちは忠信に霊を活用して主に従うべきです。彼はわたしたちの霊に内住する、命を与える、究極的に完成された霊であり、わたしたちと一です。こうして神の王国、キリストの内在的なからだとしての召会が建造されます。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週5日)

 

肉のあらゆる面は、善くても悪くても、恵みと神の王国に対抗します

 

サム上15:22-23

……エホバは、エホバの御声に従うことほどに、全焼のささげ物や犠牲を喜ばれるだろうか? 見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に等しく、不従順は偶像礼拝とテラピムに等しいからである。

 

「サウルと民が、徹底的に滅ぼすべきものの最も良いものを惜しんだことは、経験的に、わたしたちが自分の肉、天然の命の良い面を尊び、それらを滅ぼしたくないという事実を描写しています。 肉のあらゆる面は、善くても悪くても、恵みと神の王国に対抗し、わたしたちにキリストを享受させないようにします。ですから、わたしたちは肉のあらゆる面を憎み、肉を滅ぼすことで絶対的にならなければなりません(ローマ8:13.ガラテヤ3:3.5:2-4)」。

 

 主よ、あなたの光でわたしたちを照らしてください。主よ、わたしたちが肉のあらゆる面を憎み、肉を滅ぼすことで絶対的になることができますように。

 

 

わたしたちは肉のあらゆる面を憎み、肉を滅ぼすことで絶対的にならなければなりません

 

 サウルはすべての民を徹底的に滅ぼしましたが、「アガグと、肥えた羊と牛の最も良いもの、小羊とすべての良いものを惜しみ、それらを徹底的に滅ぼそうとしないで、つまらない価値のないものをすべて徹底的に滅ぼした」のです(サムケル上15:8後半-9)。サウルにとって、これは自分を富ませる機会でした。彼は、神の王国の中に自分自身の君主制を建て上げようとしていたのです。

 

 ある者がサムエルに、サウルはカルメルに行って、自分のために記念碑を立てたと告げました(12節)。サウルがこの記念碑を建てたのは、神の王国のためではなく、自分の勝利を記念し、彼と彼の君主制を豊かにするためでした。これは、サウルの意図が、自分の君主制を建て上げることであったことを強く示します。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)