朝ごとの食物

キリスト・イエスにある恵みの中で力づけられて、尊いことに用いられる器、十分に装備された神の人となって、神のエコノミーの唯一の務めの中でわたしたちの務めを十分に果たす(国際長老責任者集会 第4週1日~)

7月の祈り第24日

(メモリアルデー特別集会 第1週3日)

 

神の召しにふさわしく歩きなさい

 

エペソ4:1-3

こういうわけで、主の中の囚人であるわたしは、あなたがたに懇願します.召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩きなさい.謙虚と柔和を尽くし、辛抱強さをもって、愛の中で互いに担い合いつつ、平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努めなさい。

 

「クリスチャン生活をすることは、召されたわたしたちが、その召しにふさわしく歩くことです(エペソ4:1-4)。神の召しにふさわしく歩くことの第一の項目は、わたしたちが神聖な属性によって、また神聖な属性をもって強められた、造り変えられた人性の美徳をもって、キリストのからだの実際であるその霊の一を保つことを熱心に努めることです(エペソ4:1-4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが召してくださったその召しにふさわしく歩くことができるために、その霊の一を保ち、かしらであるキリストの中へと成長し込むことができますように。

 

 

わたしたちは造り変えられてイエスの人性を持ち、その霊の一を保ちます

 

 神の召しにふさわしく歩くことの第一の項目は一を守ることであり、第二はかしらであるキリストの中へと成長し込むことです。第三の項目は、イエスにあるあの実際にしたがってキリストを学ぶことです。エペソ人への手紙第4章2節で語られた美徳を持つためには、造り変えられた人性を必要とします。わたしたちの天然の人性には、謙虚、柔和、辛抱強さはありません。しかしこれらの美徳は、わたしたちの造り変えられた人性の中に、すなわち、イエスの人性の中に見いだされます。……柔和と謙虚はイエスの人性の特徴です[マタイ11:29]。

 

 わたしたち自身の中に持っているかのように見えるどの柔和も謙虚も見せかけであり、真のテストに耐えることはできません。主を賛美します、復活の命の中のイエスの人性が、今日わたしたちのものとなることができます! わたしたちは造り変えられれば造り変えられるほど、ますます多くイエスの人性を持ちます。復活したキリストの人性を持つことによって、わたしたちは自然に、その霊の一を保つのに必要とされる美徳を持ちます。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第46、36編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第23日

(メモリアルデー特別集会 第1週2日)

 

キリストの目の中で表現されたパースンにしたがって生き、行動します

 

Ⅰヨハネ4:19

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

 

Ⅱコリント2:10

しかし、何かの事であなたがたが赦す人を、わたしも赦します.……もしわたしが何かを赦したとしたら、わたしの赦したことは、あなたがたのためにキリストの御前で赦した……

 

「クリスチャン生活をすることは、キリストのパースンの中で、すなわち、キリストの御顔の中で、すべての事を行なうことです(Ⅱコリント2:10.4:6-7)。使徒パウロは、信者たちにとって模範であり(Ⅰテモテ1:16)、キリストの目の中で表現された彼のパースン全体の表示にしたがって、キリストの臨在の中で生き、行動しました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの霊の中には価値のある宝、キリストご自身の御顔があることを感謝します。主よ、わたしたちが主の目の表示を見つめて、自分の感情や思想にしたがってではなく、内にいます主の感情、思想にしたがって振る舞うことができますように。

 

 

目の周りの顔の部分は内側のすべての思想や感情の表示です

     

 コリント人への第二の手紙第2章10節は、「キリストの御前」を述べています。アメリカ標準訳はこの句を「キリストの臨在」と訳しています。…… このギリシャ語の言葉は顔、目の周りの部分を意味し、それは内側のすべての思想や感情の表示であって、その人全体の提示を表徴します。目の周りの顔の部分は内側のすべての思想や感情の表示であり、人が何を思い、内側でどのように感じているかを表徴します。パウロはキリストのパースンの中で、彼の目の中で表現された彼のパースン全体の表示にしたがって、その兄弟を赦しました。パウロは主の臨在の中で生きただけでなく、キリストの内側の感情や思想の表示の中で生きました。これは実に深く、柔和で、繊細です。……  

 

 パウロは主の目の表示を見つめ、その兄弟を赦さなければならないことを知りました。彼が赦したのは彼の感情にしたがってではなく、彼の思想にしたがってではなく、彼の内側に内住する方の感情、思想にしたがってでした。彼はキリストのパースンの中で振る舞いました。彼は赦したとき、キリストのパースンの中で赦しました。(リー全集、1967年、第2巻(上)、「霊の中の人の自叙伝」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第22日

(メモリアルデー特別集会 第1週1日)

 

クリスチャン生活は、キリストを生きる生活です

 

マルコ12:30

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい。

 

ヨハネ14:23

イエスは……答え[ら]れた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。

 

「クリスチャン生活は、キリストを生きる生活です。わたしたちの生きることはキリストであるべきであり、キリストを生きる道はキリストを愛することです(ピリピ1:19-21前半.ガラテヤ2:20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。主よ、わたしたちがキリストを生きるために、さらにキリストを極みまで愛することができますように。 

 

 

キリストを生きる道はキリストを愛することです

 

 わたしたちクリスチャンは清い良心を保つべきですが、わたしたちのクリスチャン生活の主要な点は、キリストを生きることです。キリストを生きることがわたしたちの目標であるべきです。……キリストを生きることが主要なことであるべきです。わたしたちのクリスチャン生活におけるすべての問題は、わたしたちがキリストを生きていないことのゆえに来ます。わたしたちは日々の活動に従事しているとき、わたしたちの生きることはそれらの活動ではなく、キリストであるべきです。

 

 わたしたちの思いはキリストに集中しているべきですが、わたしたちの思いが集中することは、キリストに対するわたしたちの愛にかかっています。こういうわけで新約聖書はわたしたちに、キリストを愛するように命じているのです(マルコ12:30.啓2:4-5.ヨハネ14:23.21:15-17.Ⅰペテロ1:8)。わたしたちはキリストを愛さないなら、キリストを生きることはできません。…… キリストを生きることは、わたしたちが彼を極みまで愛することを要求します。(「命の経験と成長」、メッセージ5)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第20日

(国際長老責任者集会 第8週6日)

 

賜物のある人たちは、ただ一つの務めを持っており、キリストのからだを建造します

 

エペソ4:11-12

そして彼ご自身は、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧する者また教える者として与えられました.それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり。

 

「使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者は(11節)、12節で述べられているように、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと至らせるためです。11節の賜物のある多くの人は、ただ一つの務めを持っています。それは、キリストを供給して、キリストのからだを建造することです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされますように。そして、わたしたちが成就されて、キリストのからだの建造へと至ることができますように。

 

 

成就された聖徒たちがキリストのからだを建造します

 

[エペソ人への手紙第4章11節]における賜物のある多くの人は、ただ一つの務めを持っています。それはキリストを供給して、召会であるキリストのからだを建造することです。これが新約エコノミーにおける唯一の務めです(Ⅱコリント4:1.Ⅰテモテ1:12)。文法の構造によれば、[エペソ人への手紙第4章12節の]「キリストのからだの建造へと至らせる」という句は、「その務めの働きへと」という句と同格です。これは、両方の句が同じことを指していることを示しています。それゆえに、その務めの働きはからだの建造です。

 

 使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者は、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと至らせます。12節の「へと至らせる」という言葉は、「という結果になる」、「の目的で」、「をもくろんで」を意味します。これは、聖徒たちを成就することがキリストのからだを建造するという目的のためであることを意味します。…… しかしながら、この建造は賜物のある者たちによって直接、完成されるのではなく、賜物のある者たちによって成就された聖徒たちによって完成されます。(「新約の結論(20)」、メッセージ340)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第19日

(国際長老責任者集会 第8週5日)

 

さまざまな角度からの同じ語りかけがあります

 

Ⅰコリント1:10

さて兄弟たちよ、わたしは、わたしたちの主イエス・キリストの御名を通して、あなたがたに懇願します.どうか、あなたがたがみな同じ事を語り、あなたがたの間に分裂がなく、同じ思いの中で、また同じ意見の中で調和されますように。

 

エペソ4:12

それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり。

 

「新約の務めはキリストのからだの奉仕であるので、またからだには多くの肢体がいるので、あらゆる肢体にはそれ自身の務めがあります(エペソ4:11-12)。さまざまな角度からの同じ語りかけがあるべきです(Ⅰコリント1:10)。わたしたちはみなこの務めに分があります。これはさまざまな機能、さまざまな角度、さまざまな面を持つ一つの務めです(エペソ4:11-12)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちすべてが同じ事を語り、同じ思いの中で、同じ意見の中で調和されますように。主よ、わたしたちがみな成就されて、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至るようにしてください。

 

 

聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせます

 

 新約の務めは唯一無二であり、団体的なものです。しかし、この務めはキリストのからだの奉仕であるので、またからだには多くの肢体がいるので、あらゆる肢体にはそれ自身の務めがあります。こういうわけで、肢体の面から言えば、多くの務めがあります。しかしながら、からだ全体の面から言えば、ただ一つの務めがあるだけです。あなたの務めは、団体的な務めから分離しているべきではありません。

 

 からだには団体的な務めがあり、からだのすべての肢体には個々の務めがあります。すでに見てきたように、肢体のすべての務めを共に加えると、団体的な務めに等しいのです。…… わたしたちはみな同じ事を供給すべきであるとわたしが言うとき、わたしが意味しているのは、わたしたちが新約の方法にしたがって同じ事を語るべきであるということです。(リー全集、1978年、第3巻(下)、「真理メッセージ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第18日

(国際長老責任者集会 第8週4日)

 

一つからだの中で主イエスから受けた個人的な務めを全うします

 

使徒20:24

しかし、わたしが自分の行程と、主イエスから受けた務めを全うして、神の恵みの福音を厳かに証しするためには、自分の命を尊いとは思いません。

 

使徒21:19

そこで、パウロは彼らにあいさつしてから、神が異邦人の間で、彼の務めを通して行なわれた事柄を一つ一つ述べた。

 

「使徒第20章24節は、パウロの個人的な務めを指しています。なぜならパウロは、彼が主から受けた務めについて語っているからです。この節の務めは個人的な務めです。パウロはキリストと一であり、キリストで構成されていました。こういうわけで、彼の務めは、彼の存在の中へと構成されていたキリストの務めでした」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストのからだは一つの団体的な務めを持っています。主よ、わたしたちが純粋な御言に戻り、キリストがわたしたちの存在の中へと構成されますように。

 

 

わたしたちは新約エコノミーにしたがった唯一の務めの中にいます

 

 これらの節は[使徒1:17、25.Ⅱコリント4:1.Ⅰテモテ1:12]、新約における務めが団体的なものであることを啓示していますが、他のいくつかの節は、務めが個人的なものであることを示しているかのようです。……使徒行伝第20章24節はパウロの個人的な務めを指しています。なぜなら、パウロは彼が主から受けた務めについて語っているからです。このゆえに、この節の務めは個人的な務めです。

 

 使徒行伝第21章19節は[また]、明確に、はっきりとパウロの個人的な務めに言及しています…… 個人的な務めについて語っている節を考えるとき、わたしたちはすべての信者が一つからだの肢体であることを認識する必要があります。全体として、からだは一つの団体的な務めを持っているのであって、多くの務めを持っているのではありません。からだの中には多くの機能がありますが、からだの中の務めは一つです。(リー全集、1978年、第3巻(下)、「真理メッセージ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第17日

(国際長老責任者集会 第8週3日)

 

新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました

 

Ⅱコリント3:6

神はまたわたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。

 

Ⅰテモテ1:12

わたしは、わたしを力づける方、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています.この方はわたしを忠信な者と認めて、その務めに任命してくださいました。

 

「Ⅱコリント第3章6節は、神はわたしたちを「新しい契約の奉仕者として、資格づけて」くださったと告げています。その霊、すなわち手順を経た三一の神の究極的表現は、神聖な命を、さらには神ご自身を信者たちと使徒たちの中へと分け与えて、彼らを新しい契約の奉仕者とします。ですから、彼らの務めは、命を与える霊によって、命である三一の神で構成されています(Ⅰコリント15:45後半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけ てくださったことを感謝します。キリストのからだを建造する団体的な務めに、わたしたちを任命してくださったゆえに、主を賛美します。

 

 

わたしたちは、キリストのからだを建造する団体的な務めに任命されました

 

 新約エコノミーにおける務めは団体の務めであり、何千人という、賜物のある人々を含む務めです。……コリント人への第二の手紙第4章1節でパウロは、……「わたしたちは……この務めを受けた」と言っています。パウロ、彼の同労者、他の使徒たちはみな、この務め、新約における一つの務めを持っていました。務めは奉仕です。すべての奉仕者は奉仕する者たちであって、この奉仕を遂行します[Ⅱコリント3:6]。多くの奉仕者には多くの奉仕があるのではなく、一つの奉仕、一つの務めがあります。

 

 テモテへの第一の手紙第1章12節で……パウロは、「彼はわたしを、わたしの務めに任命してくださいました」とは言っていません。パウロは、主が彼を唯一無二の団体的な新約の務めに任命してくださったと言っています。わたしたちはみな、主が彼のあわれみと恵みによって、キリストのからだを建造する団体的な務めにわたしたちを任命してくださったゆえに、主を賛美する必要があります。(リー全集1978年、第3巻(下)、「真理メッセージ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第16日

(国際長老責任者集会 第8週2日

 

わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けました

 

Ⅱコリント4:1

こういうわけで、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたのですから、落胆しません。

 

Ⅱテモテ4:5

しかし、あなたはすべての事柄に冷静であり、苦難に耐え、伝道者のわざを行ない、あなたの務めを十分に果たしなさい。

 

「コリント人への第二の手紙における務めは、新約の奉仕者たちの団体的な務めです。すべての奉仕者には、その務めにおいて彼ら自身の分があります。この団体的な務めにおいて、テモテにはテモテの分がありました(Ⅱテモテ4:5後)。わたしたちはこれらすべての分を共に加えるとき、新約の務めである「この務め」を持ちます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。新約の奉仕者たちの団体的な務めを感謝します。わたしたちが神の新約エコノミーの唯一の務めにあずかり、キリストを人々に供給して、キリストのからだを建造することができますように。

 

 

新約の務めの働きは、キリストのからだを建造することです

 

 コリント人への第二の手紙第4章1節で、パウロは「わたしたち」という代名詞を使って、多くの奉仕者に言及しました。次にテモテへの第二の手紙第4章5節でパウロはテモテに、彼の務めを十分に果たすようにと命じました。……これはテモテの個人的な務めでしたが、この個人的な務めは団体の務め、「この務め」[Ⅱコリント4:1]、新約の唯一の務めの一部でした。コリント人への第二の手紙第4章1節の務めは、新約のすべての奉仕者の団体の務めです。この団体の務めにおいて、パウロにはパウロの分があり、ペテロにはペテロの分があり、テモテにはテモテの分がありました。すべての奉仕者には、その務めの彼ら自身の分があります。わたしたちはこれらすべての分を共に加えるとき、新約の務めである「この務め」を持ちます。

 

 新約の務めの働きは、キリストのからだを建造することにおいて、召会に関する神の新約エコノミーを完成することです(エペソ3:9-10)。エペソ人への手紙第4章12節は、すべての聖徒たちは成就されて、「その務めの働きへと」至ると言っています。これは、何百何千の聖徒たちが成就されて、その務めの働きへと至ることができることを意味します。(「新約の務めと、使徒たちの教えと交わり」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第15日

(国際長老責任者集会 第8週1)

 

主の目には、新約時代にはただ一つの務めがあるだけです

      

使徒1:17,25

ユダはわたしたちの間に数えられ、この務めの分を割り当てられていました。…… ユダがそれて自分の場所へ落ちてしまったこの務めと使徒職の地位を、継がせられるのでしょうか。

 

「主の目には、ただ一つの務めがあるだけです(Ⅱコリント4:1.エペソ4:12)。ペテロはユダの代わりが必要であることについて語って、「ユダはわたしたちの間に数えられ、この務めの分を割り当てられていました」と言いました(使徒1:17)。使徒は十二人いましたが、彼らの務めは唯一無二でした。「この務め」とは、キリストのからだの原則にある一つの団体的な務めです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主の目には、新約時代にはただ一つの務めがあるだけです。わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたことを感謝します。わたしたちすべてが唯一無二のこの務めを遂行することができますように。

 

 

新約時代の間、神の唯一の意図はからだを建造することです

 

 主の目には、新約時代にはただ一つの務めがあるだけです。……十二使徒はすべて「この務め」の中にいました[使徒1:17、25]。このことは、新約において唯一無二の務めがあることを示しています。何年か前、わたしはこのことを見ていませんでした。しかし、他の者たちの務めを受け入れることに関する論争のゆえに、わたしは時間を費やして、この事柄に関する純粋な御言を学びました。わたしの目は開かれて、十二使徒がすべて「この務め」の中にいたことを見ました。ですから、使徒たちはユダの代わりについて祈った時、主が「この務め……を、継がせ」るためにだれを選ばれたのかを示してくださるよう求めました(25節)。

 

 新約時代の間、神の唯一の意図はからだを建造することです。神が宇宙を創造し、人を形づくり、贖いを完成されたのはすべてこのためでした。この一つの目的のために、神は一つの務めを持っておられます。神はこの新約時代に二つの活動を持っておられるのではありません。神は一つの活動と一つの務めを持っておられます。(「リー全集、1978年、第3巻(下)、「真理メッセージ」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第13日

(国際長老責任者集会 第5週6日)

 

言葉をその霊として受け取ることによって、召会生活と務めの中で守られます

 

ヘブル4:12

なぜなら、神の言は生きていて効力があり、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を切り離すまでに刺し通して、心の思考と意図を識別することができるからです。

 

「わたしたちは言葉をその霊として受け取ることによって、召会生活と務めの中で守られます。この言葉は殺す剣、すなわち霊的な抗生物質となって、わたしたちの内側の「病原菌」を殺し、わたしたちが健康なからだの生活、健康な召会生活をすることができるようにします」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の言は生きていて効力があることを感謝します。主よ、わたしたちが生きた方法で神の言を受け取ることができますように。そして、健康なからだの生活、健康な召会生活の中で、守られますように。

 

 

生きた方法でその霊として受け取る言葉は、わたしたちの内側の「病原菌」を殺します

 

 その霊としての言葉が殺す剣となることがないなら、わたしたちが何年間も召会生活の中で守られる道はありません。…… 召会に関する書であるエペソ人への手紙の終わり近くのパウロの言葉によれば、わたしたちは生きた方法で神の言葉を受け取る、すなわち、その霊としての言葉を受け取る必要があります。次にその霊は殺す剣となります。この剣はまず直接わたしたちを殺し、次に間接的に空中にある暗やみの力を殺します。……

 

 わたしたちが生きた方法でその霊として受け取る言葉は、わたしたちの内側の「病原菌」を殺す霊的な抗生物質です。病原菌が殺されるとき、空中の邪悪な勢力は、わたしたちを利用する道がなくなります。そしてわたしたちは、健康なからだの生活、健康な召会生活をすることができます。……言葉がその霊となるとき、その霊は剣となります。すなわち、わたしたちの中の病原菌と、空中の悪霊どもを殺すその霊の剣となります。このようにして、からだ、召会生活、わたしたちの務めは守られます。(リー全集、1984年、第1巻(下)、「教える者たちの訓練」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第12日

(国際長老責任者集会 第5週5日)

 

神の言葉をその霊の剣として受け取って、神の内敵をほふります

 

エペソ6:17-18

また救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を、すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい.どんな時にも霊の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために目を覚ましていなさい。

 

「神の言葉を神の息として受け取って神で構成されることは、神の言葉をその霊の剣として受け取って神の内敵をほふることでもあります(エペソ6:17-18前半)。この内側の内敵を対処するために、わたしたちは言葉の殺す力を経験し、聖書の恒常的な言葉を祈り、それをその霊の即時的な言葉とならせる必要があります(ヨハネ6:63.エペソ5:26.啓2:7)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが聖書の恒常的な言葉を霊の中で祈ることによって、受け取ることができますように。「レーマ」、現在の、即時的な、生ける語りかけは、敵を寸断する剣であることを感謝します。神の言葉を祈り読みして、自己という最大の敵がほふられますように。

 

 

聖書の恒常的な言葉「ロゴス」が、即時的な言葉「レーマ」になるとき、「レーマ」はその霊であり、敵を寸断する剣です

 

 御言は聖書です。しかし、もしこの御言が印刷された文字にすぎないなら、それはその霊でも剣でもありません。エペソ人への手紙第6章17節の言葉は、ギリシャ語では「レーマ」、どのような状況の下でもその霊によってその瞬間に語られた、即時的な言葉です。聖書の恒常的な言葉である「ロゴス(logos)」が、即時的な「レーマ(rhema)」になるとき、この「レーマ」はその霊です。その霊となるこの「レーマ」は、敵を寸断する剣です。例えば、わたしたちは特定の節を繰り返し読んでも、それを「ロゴス」、文字の言葉にとどまらせるだけかもしれません。そのような言葉は何も殺すことはできません。しかしある日、この節がわたしたちにとって「レーマ」、現在の、即時的な、生ける語りかけとなります。その時、この「レーマ」はその霊となります。

 

 こういうわけで、ヨハネによる福音書第6章63節で主イエスは言われました、「わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である」。ここでギリシャ語原文はやはり「レーマ」を使っています。即時的な、現在の言葉はその霊です。このような言葉が剣です。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(3)」、第65編)    

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第11日

(国際長老責任者集会 第5週4日)

 

神の息吹かれた聖書を通して、神の人は十分に装備されて、完全な者になります

 

ピリピ3:9

そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って。

 

Ⅱテモテ3:17

それは、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になるためです。

 

「神が聖書の教え、戒め、矯正、義の中の訓練を通してご自身を息吹き出した結果は、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になることです(Ⅱテモテ3:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちが神の命と性質にあずかり、主と一になり、主を表現する者となりますように。継続的に三一の神を吸い込み、それによってあらゆる良いわざのために十分に装備されますように。

 

 

継続的に三一の神を吸いこんで、啓示、戒め、矯正、義の中での訓練を受けます

 

 神の人は神の命と性質にあずかり(ヨハネ1:13、Ⅱペテロ1:4)、こうして彼の命と性質において彼と一になり(Ⅰコリント6:17)、それによって彼を表現する者です。これは敬虔の奥義、すなわち肉体において現された神に符合します(Ⅰテモテ3:16)。神の息吹かれた聖書を通して、神の人はあらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になります[17節]。ここの「完全」とは、「資格において完全で完璧であること」を意味します。また「装備される」とは、「適合され、備えられ、準備されること」を意味します。(「テモテへの第二の手紙ライフスタディ」、第6編)

 

 真理の夏期学校の目的は、若者に知的な知識を与えることではありません。わたしたちの夏期学校の目標は、教えに次ぐ教え、啓示に次ぐ啓示を提示することです。それは、若い人たちが神を見て、自分自身を見て、戒められ、矯正され、訓練されて神と人に対して正しくなるためであり、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になるためです。そのような人は真の神の人、実際の神・人となり、継続的に三一の神を吸い込み、それによって啓示、戒め、矯正、義の中での訓練を受けます。(リー全集、1984年、第1巻(下)、「教える者たちの訓練」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第10日

(国際長老責任者集会 第5週3日)

 

聖書は神の息吹であり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります

 

Ⅱテモテ3:16

聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります。

 

エペソ3:9

それはまた、万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミー[経綸]が何であるかを、すべての人を照らして明らかにするためであり。

 

「神の側で、聖書は神の息吹です。わたしたちの側で、聖書はわたしたちが神の息を受けて、四つの事で益を得ることです。それは教え、戒め、矯正、義の中の訓練です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。聖書は神の息吹です。主よ、あなたはすべての人を照らして明らかにする生ける神です。主よ、わたしたちが聖書を読むときに、知恵と啓示の霊を与えて、あなたを認識させてください。

 

 

戒めは、わたしたちが受ける啓示から来ます

 

 Ⅱテモテ3:16において、教えに戒め、または叱責が続くことは意義深いのです。この理由は、見ることによって戒められることなしに神のものを見ることはだれもできないからです。わたしたちは神の何かを見るときはいつも、自分の失敗、過ち、欠点、罪を認識し、その結果、戒められ責められます。この戒めは、わたしたちが受ける啓示から来ます。……わたしたちが聖書を読むことにおいて啓示を受けるとき、その啓示はわたしたちを戒め、またわたしたちを叱責します。

 

 戒めに続いて矯正があります。教え、または啓示はわたしたちに戒めをもたらし、戒めは矯正を生み出します。矯正は、間違っているものを正しくし、人を正しい道へ戻し、真っすぐな状態に回復することです。わたしたちは矯正された後、適切な訓練、すなわち義の中での訓練を受けます。パウロはここで、「教え、戒め、矯正」にはどんな修飾語句も用いていませんが、「訓練」には修飾語句を用いて、義の中での訓練について語ります。義は、正しくあるという事柄です。そのゆえに、ここの訓練は、わたしたちが正しくあるためです。(リー全集、1984年、第1巻(下)、「教える者たちの訓練」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第9日

(国際長老責任者集会 第5週2日)

 

聖書は神の息であり、この息は霊であり、霊は命を与えます

 

Ⅱテモテ3:14-16

しかし、あなたは学んで確信している事柄の中にとどまっていなさい.あなたはそれをだれから学んだか知っており、また幼い時から聖なる書に親しんできたことを、知っているからです.この聖なる書はあなたに、キリスト・イエスにある信仰を通して、救いへと至る知恵を得させることができるのです。聖書はすべて、神の息吹かれたものであり……

 

「神の息吹かれた聖書は、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります。それは、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になるためです(Ⅱテモテ3:14-17)。聖書は神の息であり、この息は霊であり、霊は命を与えます(ヨハネ6:63)。わたしたちが聖書を読むことは、神を吸い込んで命を受けることであるべきです。わたしたちが聖書を教えることは、神を吐き出して命を分け与えることであるべきです(使徒6:4)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの言葉は霊であり、命です。わたしたちが聖書を読むときに、その霊である神の言葉を、祈りと願い求めによって受け取ることができますように。

 

 

神の息吹かれた聖書は、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります

 

「神の息吹かれた」という表現は、聖書、神の言葉が神の息吹き出したものであることを示します。神の語りかけは神の息吹き出したものです。ですから、彼の言葉は霊(ヨハネ6:63)、あるいは息です。こうして、聖書はその霊としての神の具体化です。ですから、その霊は聖書の本質そのもの、実質です。それは、リンがマッチの本質的な実質であるようにです。

 

 わたしたちは聖書のその霊をわたしたちの霊で「擦って」、神聖な火を発火させなければなりません。霊なる神の具体化として、聖書(神の言葉)はキリストの具体化でもあります。キリストは神の生ける言葉であり(啓19:13)、聖書は神の書かれた言葉です(マタイ4:4)。(「テモテへの第二の手紙ライフスタディ」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第8日

(国際長老責任者集会 第5週1日)

 

人の体の中に吹き込まれた命の息は、人の霊となりました

 

創2:7

エホバ・神は土のちりで人を形づくり、その鼻の中に命の息を吹き込まれた.すると人は生きた魂となった。

 

ヨハネ20:22

彼は……彼らの中に息を吹き込んで言われた、「聖霊を受けよ」。

 

「神の究極の意図は、一人の団体の神・人を得て、神の団体の現れとすることです。神が願うのは良い人ではなく、神・人、すなわち神の息を持つ神の人です(ヨハネ1:1,14.Ⅰテモテ3:15-16.Ⅱテモテ3:16-17)。人の体の中に吹き込まれた命の息は、人の霊となりました(箴20:27.ヨブ32:8)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたち人が神と接触し、神を受け入れ、神を内容とすることができる人の霊が与えられていることを感謝します。主よ、あなたは復活して聖なる息と成ってわたしたちに内住し、わたしたちに供給してくださることを感謝します。

 

 

人の霊は神と接触することができ、神と一になることができます

 

 人の体の中に吹き込まれた命の息は、人の霊となりました(参照、ヨブ32:8)。人の霊は人の内なる器官であり、人が神と接触し、神を受け入れ、神を内容とし、神を人の全存在の中に吸収して、命またすべてとする器官です。それは特別に神によって形づくられ、神の聖なる御言の中で重要性において天と地と同列です(ゼカリヤ12:1)。人の霊は人が神を礼拝し(ヨハネ4:24)、神によって再生され(ヨハネ3:6後半)、神に結合されて(Ⅰコリント6:17.Ⅱテモテ4:22)、人が神との有機的結合の中で歩き、生き(ローマ8:4後半)、神の定められた御旨を完成するためです。

 

 人の鼻の中に吹き込まれた命の息は、神の永遠の命ではなく、神の霊でもありませんでした。……主が復活の日に聖霊を彼の弟子たちの中に吹き込むまで(ヨハネ20:22)、人は神の霊を受けませんでした。それにもかかわらず、人の霊は神の命の息から出て来たので、神の霊にとても近いのです。ですから、霊なる神と人の霊との間は伝達が可能であり、人の霊は神と接触することができ、神と一になることができるのです。(創世記2:7、フットノート5)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第6日

(国際長老責任者集会 第4週6日)

 

ダビデの子孫が神の御子となる

 

サムエル下7:12-14

あなたの日が満ち……るとき、わたしはあなたの身から出るあなたの子孫をあなたの後に起こし、彼の王国を堅く立てる。彼がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の座を永遠に堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。……

 

「『ダビデの子孫』」という表現は、キリストの威厳ある人の性質を示します。この人の性質は、彼の神聖な性質と共に引き上げられ、栄光が現されたものです(ローマ1:3-4)。サムエル記下第7章12節から14節前半の預言は、ダビデの子孫が神の子となり、神が彼の父となると言っています。言い換えると、人の子孫が神聖な御子となるということです(サムエル下7:14前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたは死人の復活から、力の中で神の御子と明示されました。ダビデの子孫としてのキリストが、わたしたちにとってすべてのすべてとなられたことを感謝します。すべてを含むキリストをさらに経験し、享受することができますように。  

 

 

ダビデの子孫であるキリストは、復活を通して、神の御子と明示されました

 

 サムエル記下第7章12節から14節前半で、……「あなたの子孫」と「わたしの子」に関する言葉は、ダビデの子孫が神の御子となること、人の子孫が神の御子となることを示しています。この思想は新約で、特にローマ人への手紙第1章3節と4節でとても強く継続されています。ここでパウロは言います、「彼の御子に関するものです.この方は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖別の霊によれば、死人の復活から、力の中で神の御子と明示されたわたしたちの主イエス・キリストです」。……

 

 これらの節が啓示しているのは、一方で、キリストがダビデの子孫であるということ、もう一方で、ダビデの子孫であるキリストが神の御子と明示されたということです。わたしたちは御言のこの二箇所を比較するとき、旧約と新約の両方で、ダビデの子孫が神の御子となるという事柄があることを見ます。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第25編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第5日

(国際長老責任者集会 第4週5日)

 

全宇宙がキリストの復活の中で新しい開始を持ちます

 

Ⅱコリント5:17

ですから、だれでもキリストの中にあるなら、その人は新創造です。古いものは過ぎ去りました.見よ、それらは新しくなりました。

 

ガラテヤ6:15

割礼も無割礼も重要ではありません.重要なのはただ新創造です。

 

「キリストの復活における働きのもう一つの面は、週の初めの日に復活して、新創造を発芽させたことです(Ⅱコリント5:17)。キリストが週の初めの日に復活したという事実は、全宇宙がキリストの復活の中で新しい開始を持つことを示しています(ヨハネ20:1-9)」。    

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたは週の初めの日に復活して、新創造を発芽させました。主よ、わたしたちはキリストの中にある人として、肉の古い性質にしたがってではなく、神聖な命の新しい命にしたがった、新創造の実際を生きることができますように。

 

 

主イエスの復活は新しい開始であり、新しい時代に道を開きました

 

 キリストの復活における働きのもう一つの面は、週の初めの日に復活して、新創造を発芽させたことです(Ⅱコリント5:17)。……主イエスが復活させられたのが週の終わりの日ではなく、週の初めの日であったことは意義深いのです[ヨハネ20:1]。初めの日は新しい始まりを意味します。聖書で、週の初めの日は八日とも呼ばれます(26節)。……主イエスは一週間の間に死に、別の週の初めに復活されました。ですから、主イエスの復活は新しい開始であり、新しい世代と新しい時代に道を開きました。

 

 キリストが週の初めの日に復活されたという事実は、全宇宙がキリストの復活の中で新しい開始を持つことを示しています。彼の復活は新しい期間、新しい時代をもたらしました。神の目に、旧創造全体はキリストと共に十字架につけられ、彼と共に葬られました。そして週の初めの日に、キリストの復活と共に新しい開始がありました。(「新約の結論(5)」、メッセージ73)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)



7月の祈り第4日

(国際長老責任者集会 第4週4日)

 

人としての主イエスに関しては、神が彼を死人の中から復活させました

 

Ⅱテモテ2:8

死人の中から復活させられた、ダビデの子孫であるイエス・キリストを、いつも思っていなさい.これがわたしの福音です。

 

「主イエス・キリストは、死人の中から復活させられました(Ⅱテモテ2:8)。人としての主イエスに関して新約は、神が彼を死人の中から復活させたと告げています(ローマ8:11)。神としての主イエスに関して新約は、彼が自ら死人の中から復活したと告げています(使徒10:41.Ⅰテサロニケ4:14)。キリストが死人の中から復活させられたことと、彼がご自分を死人の中から復活させたことは、彼の二重の身分、すなわち人性と神性の身分を示しています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主イエス・キリストの死人の中からの復活を賛美します。主よ、あなたは人性と神性の二重の身分を持っておられます。さらに復活の真理を啓示してください。日常生活の中で、復活を経験することができますように。

 

 

神としての主イエスに関して新約は、彼が自ら死人の中から復活したと告げています

 

 使徒行伝第13章30節に始まり、パウロは続けてキリストの復活について語りました。「しかし、神は彼を死人の中から復活させました」。……使徒行伝は、神がイエスを復活させたこと(2:24,32)、そして彼が死人の中から復活されたこと(10:40-41)を告げています。人としての主に関して新約は、神が彼を死人の中から復活させたと言います(ローマ8:11)。しかし神としての彼に関しては、彼が自ら死人の中から復活したと告げています(14:9)。

 

 使徒行伝第2章24節は、主が死に捕らえられていることはあり得ないと言います。主は神と復活の両方であり(ヨハネ1:1.11:25)、不朽の命を所有しておられます(ヘブル7:16)。彼はそのようにいつまでも生きている方であるので、死は彼をとどめることができません。彼はご自身を死に渡しましたが、死は彼を拘束しておくすべがありませんでした。むしろ、死は彼によって打ち破られ、彼は死から復活しました。(「使徒行伝ライフスタディ」、第37、10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第3日

(国際長老責任者集会 第4週3日)

 

主イエスは復活の中で、福音を通して命と不朽を現し出しました

 

Ⅱテモテ1:10

……わたしたちの救い主キリスト・イエス……は死を廃棄し、福音を通して命と不朽を現し出されました。

 

使徒2:24

この方を、神は死の苦痛から解き放って、復活させました.イエスが死に捕らえられていることは、あり得ないからです。

 

「主イエスは彼の死を通して死を廃棄し、彼の復活の中で福音を通して命と不朽を現し出しました(Ⅱテモテ1:10)。福音の中でわたしたちにもたらされている啓示は、キリストが死を廃棄し、わたしたちに永遠の不朽の命をもたらしたということです(10節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、福音を通して命と不朽を現し出してくださったことを感謝します。神聖な要素がわたしたちの霊の中へと分け与えられて、それがわたしたちの死ぬべき体に浸透してくださることを感謝します。

 

 

キリストは死を廃棄し、わたしたちに永遠の不朽の命をもたらしました

 

 復活を通して、[キリスト]は命を与える霊と成って(Ⅰコリント15:45後半)、わたしたちに神の命を分け与え(ヨハネ3:15)、わたしたちを再生しました(Ⅰペテロ1:3)。こういうわけで、彼は彼の死を通して死を廃棄し、彼の復活の中で福音を通して命と不朽を現し出されました。福音の中でわたしたちにもたらされている啓示は、キリストが死を廃棄し、わたしたちに永遠の不朽の命をもたらしたということです。テモテへの第二の手紙第1章10節の「命」は、神の永遠の命を指しています。

 

 この命は、キリストにあるすべての信者に与えられており(Ⅰテモテ1:16)、わたしたちに与えられた神聖な恵みの主要な要素です(ローマ5:17、21)。この命は、すでに死を征服しており(使徒2:24)、また将来、死を飲み尽くします(Ⅱコリント5:4)。命は、わたしたちの霊の中へと分け与えられた神聖な要素であり、神ご自身でさえあります。不朽は、命がわたしたちの体に浸透した結果です(ローマ8:11)。この命と不朽は、死と腐敗に対抗することができます。(「新約の結論(21)」、メッセージ364)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第2日

(国際長老責任者集会 第4週2日)

 

キリストは十字架の死を通して、死の権能を持つ者、悪魔を滅ぼしました

 

ヘブル2:14

こういうわけで、子供たちが血と肉にあずかっているので、同様に彼ご自身も同じものにあずかられたのです.それは、彼が死を通して、死の権能を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼすためであり。

 

「キリストの復活を通して、死は無効にされました。死はその力を失い、さらにはその味わいも失いました(2:9.使徒2:24)。キリストが死を廃棄することができたのは、キリストが死の権能を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼしたからです(ヘブル2:14)。主イエスはサタンに打ち勝ち、死を廃棄することによって、ハデス[陰府]と墓をも打ち破りました(啓1:18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは十字架上での死を通して、死の権能を持つ者、悪魔を滅ぼしてくださったことを感謝します。主イエスよ、あなたが肉、罪、サタン、この世を一掃してくださったことを感謝します。

 

 

キリストは一度の十字架刑によって、四つのもの、肉、罪、サタン、この世を一掃しました

 

[ヘブル人への手紙第2章14節で「滅ぼす」が意味するのは]、無にもたらす、無効にする、廃棄する、削除する、取り消す、捨てることです。蛇である悪魔が人を堕落へ誘い込んだ後、神は、女の子孫が来て蛇の頭を打ち砕くことを約束されました(創3:15)。時が満ちて、神の御子が処女から生まれ(ガラテヤ4:4)、肉体と成られました(ヨハネ1:14.ローマ8:3)。それは、彼が十字架上での肉体における死を通して、人の肉体の中の悪魔を滅ぼすためでした……これはサタンを削除すること、無にもたらすことでした。ハレルヤ、サタンは削除され、廃棄されました!(ヘブル2:14、フットノート1)

 

 肉と関係する三つの大きな醜いものがあります。それは、罪、サタン、この世(コスモス、すなわちサタンの体系)です。……罪とこの世はサタンから来ました。そして今日サタンはわたしたちの肉の中にいます。……キリストは罪の肉の様にある人と成られました[ローマ8:3]。この事実が示しているのは、彼が間接的に罪、サタン、この世と関係があったが、実際においてではなく、ただ様においてであったということです。(リー全集、1994年ー1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙における結晶の学び」、第18編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り第1日

(国際長老責任者集会 第4週1日)

 

キリストは死を廃棄し、命と不朽を現し出しました

 

Ⅱテモテ1:10

……わたしたちの救い主キリスト・イエス……は死を廃棄し、福音を通して命と不朽を現し出されました。

 

ヘブル2:9

ただ、イエスが栄光と尊貴を冠として与えられたことを見ます.彼が死の苦しみのゆえに、御使いたちより少し劣ったものとされたのは、神の恵みによって、あらゆるもののために死を味わわれるためです。

 

「わたしたちの救い主キリスト・イエス……は死を廃棄し、福音を通して命と不朽を現し出されました」(Ⅱテモテ1:10)。Ⅱテモテ第1章10節で、パウロはわたしたちに、キリストが死を廃棄したと告げています。これが意味するのは、キリストが、悪魔を滅ぼす彼の死(ヘブル2:14)と、死を飲み尽くす復活(Ⅰコリント15:52-54)を通して、死を無効にしたということです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの救い主キリスト・イエスが死を廃棄し、命と不朽を現し出されたことを賛美します。復活とは死に対する命の勝利です。主よ、 復活の実際である命を与える霊を享受して、栄光化への道を歩み続けることができますように。

 

 

キリストは死を飲み尽くす復活を通して、死を無効にしました

 

 キリストは死を廃棄されました[Ⅱテモテ1:10]。これが意味するのは、彼が、悪魔を滅ぼす彼の死(ヘブル2:14)と、死を飲み尽くす復活(Ⅰコリント15:52-54)を通して、死を無効にされたということです。……彼の復活を通して、死は無効にされました。死はその力を失い、さらにはその味わいも失いました。キリストが死を廃棄することができたのは、キリストが死の権能を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼしたからです。

 

 もちろん、主イエスはサタンに打ち勝ち、死を廃棄することによって、ハデス[陰府]と墓をも打ち破りました。……キリストは復活を通して、この厄介な集団を無効にしました。彼の復活は、サタン、死、ハデス[陰府]、墓に勝利したことを現しました(ヘブル2:14.使徒2:31)。(「新約の結論(21)」、メッセージ364)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)