朝ごとの食物

12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週3日~第6週5日

3月の祈り 第31日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週5日)

 

霊の純粋さが奉仕の基本的な条件です

 

Ⅱコリント6:4,6

あらゆることにおいて、神の奉仕者として自分自身を推薦しています…… 純潔にも、知識にも、辛抱強さにも、親切にも、聖い霊にも、偽りのない愛にも。

 

Ⅰテモテ3:9

純粋な良心をもって、その信仰の奥義を保っていなければなりません。

 

「働きにおける第一の資格は、霊の純粋さです(Ⅱコリント6:4前半,6)。霊が純粋である人を見いだすのは、とても困難です(7:1)。純粋さは、リーダーシップにおける必要条件であり、またわたしたちの奉仕の基本的な条件です(Ⅰテモテ3:9.1:5)。もしわたしたちが神によって用いられたいなら、わたしたちの霊は解放されなければならず、またわたしたちの霊は純粋でなければなりません(Ⅱコリント6:4前半,6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを魂と霊との混合から救ってください。わたしたちの霊を純粋にしてください。主よ、わたしたちの中で働いて、外なる人を砕き、純粋な霊が解放されるようにしてください。

            

 

働きにおける第一の資格は、力の度量ではなく、霊の純粋さです

 

 神の子供たちの間の問題は、魂と霊との混合です。彼らの霊が解放されるときはいつでも、彼らの魂も解放されます。霊が純粋である人を見いだすのは、難しいのです。……働きにおける第一の資格は、力の度量ではなく、霊の純粋さです。多くの人々は偉大な力を持つことを望みますが、彼らは霊の中の純粋さに注意を払いません。……一方で、彼らは力をもって建造します。他方で、彼らは彼らの不純さをもって破壊します。彼らは神の力を実証しますが、同時に彼の霊は混合した霊です。

 

 混合の問題は、働き人たちの間で最大の問題です。わたしたちはしばしば兄弟たちの中の命に触れるとき、死にも触れます。わたしたちは兄弟たちの中の神に触れるとき、彼らの自己にも触れます。わたしたちは柔和の霊に触れますが、頑固な自己にも触れます。わたしたちは聖霊が彼らの中にあることを見いだしますが、また彼らの中に肉があることを見いだします。……もしわたしたちが神によって用いられたいなら、わたしたちの霊は解放されなければならず、この霊は純粋でなければなりません。(ニー全集、第54巻、「外なる人が砕かれて霊が解放される」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第30日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週4日)

 

純粋な良心を持つ人は、神と彼のみこころだけを尋ね求めます

 

使徒24:16

……わたしも神と人に対して、とがめのない良心を常に持とうと、自分自身を訓練しております。

 

Ⅱテモテ1:3

わたしは、……純粋な良心の中で、先祖たちから、仕えている神に感謝しています。

 

「わたしたちは、正しい良心を持つ必要があるだけでなく、純粋な良心も持つ必要があります(使徒23:1.24:16.Ⅰテモテ3:9.Ⅱテモテ1:3)。正しい良心とは、神と人に対してとがめのない良心です(使徒23:1.24:16)。純粋な良心とは、あらゆる混合からきよめられている良心です(Ⅱテモテ1:3)」。

 

   主よ、わたしたちが神と人に対して、とがめのない良心を持つことができるようにしてください。そして、わたしたちの心が神と神のみこころだけを追い求めて、純粋な良心を持つことができますように。

 

 

心が単一で、純粋で、神だけを追い求めているとき、良心は純粋になります

 

 良心はわたしたちの霊の主導的な部分です。もしわたしたちの良心が間違っているなら、わたしたちは決して正しい霊を持つことはできません。……実は、もしわたしたちの良心が間違っているなら、わたしたちの霊は死んでいます! ですから、わたしたちは正しく霊を活用することができる前に、まず「正しい」良心を持たなければなりません。それから、わたしたちはまた「純粋な」良心を必要とします。……純粋な良心は、わたしたちが神と神のみこころだけを追い求めることを意味します。

 

 多くの時、わたしたちは神を追い求めていますが、また「神以外」のものを追い求めているのです!……ですから、わたしたちの心は純粋ではありません。なぜなら、それは神だけを追い求めていないからです。……わたしたちの心が単一で、純粋で、神だけを追い求めているとき、わたしたちの良心は純粋になります。(「ストリーム(1)」、306-307ページ、[英文])

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週3日)

 

心の純粋な人たちは、神を見ます

 

マタイ5:8

心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである。

 

Ⅱコリント3:18

しかし、わたしたちはみな、主の栄光をおおいのない顔をもって、鏡のように見つめ、そして反映して、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと徐々に造り変えられていきますが、それはまさに主なる霊からです。

 

「わたしたちは、心と良心と霊において純粋である必要があります。心の純粋な人たちは、神を見ます(マタイ5:8.ヨブ42:5.啓22:4)。新約の意味によれば、神を見ることは神を獲得することと等しく、神を獲得することは、神の要素、命、性質において神を受け入れることであり、それによってわたしたちは神で構成されます」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの心と良心と霊において純粋にしてください。そして、神を見ることができますように。主よ、わたしたちがみなあなたと同じかたちへと徐々に造り変えられていきますように。 

 

 

新約の意味によれば、神を見ることは神を獲得することと等しいです

 

 心が純粋であるとは[マタイ5:8]、目的において単一であること、神の栄光のために神のみこころを達成するという単一の目標を持つことです(Ⅰコリント10:31)。わたしたちは神を追い求めることで心が純粋であるなら、神を見ます。神を見ることは、心が純粋であることに対する褒賞です。もちろん、わたしたちの肉体の目をもって神を見ることは不可能です。しかしながら、わたしたちは、わたしたちの霊をもって、また純粋で単一なわたしたちの心をもって神を見ることができます。わたしたちは開いた霊と純粋な心を持っているなら、神を見ます。神を見ることは、経験であり、享受です。わたしたちが神を見るとき、彼はご自身をわたしたちの中へと分与し、ご自身をわたしたちの存在の中へと注入されます。(「新約の結論(15)」、メッセージ251)

 

 ヨブは、神を見たと言っただけでなく、自分を忌み嫌うと言いました。わたしたちの経験によれば、わたしたちは神を見て神を愛すれば愛するほど、ますます自分を忌み嫌います。わたしたちは神を知れば知るほど、ますます自分を否みます。(「ヨブ記ライフスタディ」、第30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週2日)

 

霊は、わたしたちの魂と体を経過して出て来るときに汚染されます

 

Ⅱコリント7:1

……肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れて、聖別を完成しようではありませんか。

 

ヘブル4:12

なぜなら、神の言は生きていて効力があり、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を切り離すまでに刺し通して、心の思考と意図を識別することができるからです。

 

「神の子供たちの間の大きな問題は、自己と霊との混合です(ヘブル4:12)。わたしたちの最も内なる部分にある霊は、純粋であり、汚れていません。しかしながら、霊は魂と体を経過して出て来るとき、汚れと腐敗によって汚染されてしまいます(Ⅱコリント7:1)」。

 

 主よあなたを愛します。主よ、わたしたちの魂と体は汚れており、腐敗しています。主よ、わたしたちのこの汚れと腐敗を照らしてください。そして、わたしたちの意図や動機が純粋であるかどうか識別して、対処することができますように。

 

 

わたしたちの霊は純粋ですが、霊を囲んでいる魂と体は汚れており、腐敗しています

 

 わたしたちは、霊は清くなければならないと言いましたが、霊そのものは実は汚れてはいません。確かにコリント人への第二の手紙第7章1節は、「霊のあらゆる汚れから自分を清め」と言っていますが、この汚れは霊そのものではなく、魂と体によって影響を受けた[もの]です。……わたしたちの最も内なる部分にある霊は純粋であり、汚れていません。しかしながら、霊を囲んでいるのは魂と体であり、それらはいずれもサタンの邪悪な要素で混合されており、汚れており、腐敗しています。ですから、霊は魂と体を経過して出て来るとき、汚れと腐敗によって汚染され……不純、不適切さ、他のさまざまな望ましくない状態を帯びます。

 

 霊を対処する実行上の方法は、……第一に、わたしたちは混合を罪定めする必要があります。そして第二に、聖霊の力によってそれらを取り除きます。…… 罪定めすることも取り除くことも聖霊の力を通してですが、それでもそれらはわたしたち自身の率先することによります。わたしたちは進んでそのような対処を持ち、願わなければなりません。そのときわたしたちは聖霊の力から引き出すことができます。聖霊はわたしたちの意志の協力を要求します。聖霊はこれを得るとき、対処するための力をわたしたちに供給されます。(「命の経験」、第13編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第6週1日)

 

エズラは、あらゆる異教のものから分離させて、回復をきよめました

 

エズラ10:10-11

祭司エズラは立ち上がって彼らに言った、「……だから、今、エホバ・あなたがたの父祖の神に告白して、彼のみこころを行ない、この地の民から、また外国の女から自らを分離しなさい」。

 

ネヘミヤ13:30

こうして、わたしは彼らをすべての外国のものから清めた……

 

「主の回復は独特なものです。この回復は、絶対的に純粋で、単一で、聖いものでなければならず、いかなる混合もあってはなりません。こういうわけで、わたしたちは、多くのエズラやネヘミヤがきよめる働きを遂行することを必要とします。主の回復のすべての段階において、きよめることが必要になります(エズラ9:1―10:44)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがこの世のもの、異教のものを召会の中に持ち込むことがないようにしてください。主よ、わたしたちが主の回復のすべての段階において、混合からきよめられていきますように。

 

 

主の回復のすべての段階において、きよめることが必要です

 

 エズラは回復を強め、豊かにしただけでなく、またそれをきよめました。彼が到着する前、混合がありました。何人かのイスラエル人が異教の妻と結婚して、この混合から子供たちが生まれました。これは、わたしたちが文字どおりにではなく、霊的に適用すべき予表です。回復は聖なる種です。わたしたちが受け入れる聖くないものは何であれ混合です。……回復は聖いのですが、取り入れられている事柄のいくつかは、それほど聖くありません。ですから、そこには混合があり、きよめるために多くのエズラを必要とするのです。エズラは回復をきよめた人でした。

 

 エズラ記とネヘミヤ記のいずれにおいてもきよめがありました。一つは宮の建造の後であり、もう一つは都の建造の後でした。主の回復のすべての段階において、きよめを必要とします。エズラは祭司である教える者であり、民に祭司の教えを与えて、彼らがきよめられるのを助けました。彼は神の言を民に読み、彼らは霊感を受けました。彼らはみな、すべての見知らぬ混合を放棄するという契約を結ぶことに同意しました。地方召会において、すべての混合は排除され…… 徹底的にきよめられなければなりません。俗なあらゆるものと、天的な性質と相いれないあらゆるものは、追い払われなければなりません。主の回復は純粋でなければなりません。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週6日)

 

真理の全き知識へ至ることを願います

 

Ⅰテモテ2:3-4

わたしたちの救い主・神……はすべての人が救われて、真理の全き知識へ至ることを願っておられます。

 

「回復には最高の真理があります。その真理は、過去の数世紀にわたって回復された真理の究極的完成です(Ⅰテモテ2:4.Ⅱテモテ2:2,15)。わたしたちは聖書の「枝」に注意を払うのではなく、「根」と「幹」の中へと深く入り込むべきであり、神のエコノミーとキリストのからだとの各段階を見る必要があります(ヨハネ1:14.Ⅰコリント15:45後半.エペソ1:22-23.4:4-6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。 主よ、主の回復の中にある真理を感謝します。主よ、わたしたちの知性と理解を通して、真理がわたしたちの記憶の中にとどまりますように。そして、その真理がわたしたちの常時の長期的な養いとなりますように。

 

 

真理を蓄積して、絶えず常時の養いの下にいる人となります

 

 真理の中で建て上げられるのは容易な仕事ではありません。あなたは[回復訳聖書の]本文とすべてのフットノートを学ばなければなりません。……引照聖句に注意を払うと助けになります。次にライフスタディのメッセージを学ぶ必要があります。……回復訳の本文とフットノートとライフスタディのメッセージを教科書のように考えてください。…… もしライフスタディを[研究することなく]読むだけなら、あなたは一時的な養いを受けるだけでしょう。それは一種の霊感となるにすぎません。……霊感は空中の水蒸気のようなものです。読んだものがわたしたちの存在の中で真理となるとき、この養いは永遠にとどまります。……

 

 わたしが主から受けたものは常に堅固な真理であるので、それはわたしの中にとどまり、絶えずわたしを養います。あなたは真理を持たなければなりません。真理があなたの中へと入り込む唯一の道は、あなたの知性を通してです。そうすればそれは記憶の中にとどまります。もし理解しなければ、真理はあなたの中へと入り込むことはできません。真理があなたの中へと入り込むのは、あなたの知性、理解を通してです。さらに、真理はあなたの記憶の中へと入るなら、常時の長期的な養いとなります。そうすればあなたは真理を蓄積して、絶えず常時の養いの下にいる人となります。(「長老訓練、第3巻:「ビジョンを遂行する道」、第9章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週5日)

 

わたしたちは神のものを見るときはいつでも、自分たちの誤り、悪事、欠点、罪を認識します

 

Ⅱテモテ3:16

聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります。

 

「教えは啓示と等しく、啓示はおおいを開くことです(Ⅰテモテ2:7.エペソ3:3-4,9)。わたしたちが召会の集会で何かを語っているとき、わたしたちの語ることは、おおいを取り去ることであるべきです。これは、わたしたちの教えることが、啓示を提示すべきであることを意味します(Ⅰテモテ4:6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。神の息吹かれた聖書を愛します。主よ、わたしたちが聖書の語りかけから教えられ、戒められ、矯正されますように。そして、義の中での訓練を受けることができますように。

 

 

わたしたちは矯正された後、適切な訓練、すなわち義の中での訓練を受けます

 

 あなたが召会の集会で何かを語っているとき、あなたの語ることは、おおいを取り去ることであるべきです。これは、あなたの語ることが、啓示を提示すべきであることを意味します。テモテへの第二の手紙第3章16節において教えの後に、戒めまたは叱責が続くことは意義深いです。……だれも自分が見たことによって戒められることなしに、神のものを見ることはできません。わたしたちは神のものを見るときはいつでも、自分たちの誤り、悪事、欠点、罪を認識します。その結果、わたしたちは戒められ、叱責されます。……わたしたちが聖書を読んで啓示を受けるとき、その啓示はわたしたちを戒め、またわたしたちを叱責します。

 

 教えや啓示はわたしたちに責めをもたらし、責めは矯正を生み出します。矯正は間違っているものを正しくし、人を正しい道へ戻し、真っすぐな状態に回復することです。わたしたちは矯正された後、適切な訓練、すなわち義の中での訓練を受けます。パウロはここで、…… 義の中での訓練について語ります。義は正しくあるという事柄です。そのゆえに、ここの訓練はわたしたちが正しくあるためです。(「教える者たちの訓練」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週4日)

 

主イエスは人々をサタンの暗やみから、神聖な光の中へともたらします

 

イザヤ49:6

あなた[は]わたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を起こし、イスラエルの保護された者を戻す…….わたしはまた、あなたを諸国民の光とし、わたしの救いを地の果てにまで至らせる。

 

「主イエスが人々を教えたのは、彼らをサタンの暗やみから、神聖な光の中へともたらすためでした(マルコ6:6.参照、使徒26:18)。主は世の光であり、大いなる光として来て、死の影の中に座っている民の上に輝きました(ヨハネ8:12.マタイ4:12-16)。主の教えは光の言葉を解き放ち、暗やみと死の中にいる者が命の光を受けるようにしました(ヨハネ1:4)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは世の光であり、大いなる光として来られたことを感謝します。あなたの言葉がわたしたちの中で輝き、わたしたちを照らしてください。また、人々を暗やみから神の光の中へともたらしてください。

 

 

暗やみの中の民は、主の教えによって照らされました 

 

 主イエスがガリラヤの地方で起こされたこと、また彼が宣べ伝えと教えをユダヤからではなく、ガリラヤから始められたことは、神の主権によりました。聖書の記録によれば、ガリラヤはさげすまれた地方であっただけでなく、暗やみの地でもありました。……マタイによる福音書第4章15節から16節は言います、「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの向こう側、異邦人のガリラヤ.暗やみの中に座っている民は、大いなる光を見た.そして、死の領域と死の影の中に座っている民に、光が昇った」。……

 

 主イエスがガリラヤを歩いたとき、彼は大いなる光であって、暗やみの中で輝き、死の領域と影の中に座っている民の上に輝きました。特に、奴隷・救い主の教えは大いなる光の輝きでした。彼の口から出たあらゆる言葉は照らす言葉でした。ですから、彼が人々を教えていた間、光が彼らの上で輝いていました。このようにして、暗やみの中の民は、主の教えによって照らされました。(「マルコによる福音書ライフスタディ」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週3日)

 

神の民を再構成するために、神の言葉で彼らを教育する必要があります

 

Ⅱテモテ3:16-17

聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯正し、義の中で訓練するのに益があります.それは、神の人があらゆる良いわざのために十分に装備されて、完全な者になるためです。

 

「エズラは神の民を再構成するために、とても有用でした。なぜなら彼は、天的で神聖な構成と文化の総合計を備えており、彼を通して、民は神の言葉で再構成されることができたからです(ネヘミヤ8:1-2)。神の民を再構成するためには、神の口から出て来て、神を表現する言葉をもって、彼らを教育する必要がありました(詩119:2,9,105,130,140)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを教え、戒め、矯正し、義の中で訓練する聖書の言葉を感謝します。主よ、わたしたちが神の言葉で再教育されて、神の言葉で再構成されますように。

 

 

エズラは神に仕える祭司、また聖書学者であり、神の言葉に精通していました

 

 神は良き地、すなわち約束の地、インマヌエルの地(イザヤ8:8)を忘れることができませんでした。良き地は、神の証しのために神・人の地となるべきです。まず、王家の子孫であるゼルバベルの指導の下で帰還がありました。捕囚からの第一の帰還において、彼は指導するのにふさわしかったのです。…… 彼は強力な総督であり、祭壇を伴う宮を再建することで民を導きました。しかしながら、民は依然として手に負えませんでした。なぜなら、彼らは構成においてバビロン人になっていたからです。

 

 ですから、エズラの必要があったのです。彼は神に仕える祭司、また聖書学者、学者であり、神の言葉に精通し、モーセの律法に精通していました(エズラ7:6,11)。彼は天的で神聖な構成と文化の総合計を備えていました。エズラは民を召集して、自分自身の罪だけでなく、イスラエルの罪も告白し、彼らを神の御言に戻しました。……今日ゼルバベルだけでなく、さらに多くのエズラの必要があります。……今日わたしたちは、人に教え、人を教育し、天的な真理で彼らを構成するエズラたちを必要とします。(「エズラ記ライフスタディ」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週2日)

 

エズラは天的な真理でイスラエルの民を教育し再構成しました

 

ネヘミヤ8:2-3,8

祭司エズラは……会衆……の前に律法を持って来た。そして、彼は……それを朗読した。すべての民の耳は律法の書に傾けられた。…… 彼らは神の律法の書を読み、解釈してそのより深い意義を解き明かしたので、民はその読んだことを理解した。

 

「エズラは天的な真理でイスラエルの民を教育することによって、彼らを再構成しました。それは、イスラエルが神の証しとなることができるためでした(ネヘミヤ8:1-3,5-6,8,13-18)。捕囚から帰還した後、イスラエルの民は依然として手に負えませんでした。なぜなら、彼らはバビロンで生まれ育ち、彼らの構成においてバビロン人になっていたからです」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたの御言葉を愛します。神の言葉は霊であり命です。主よ、わたしたちが日ごとに聖書を読むことができますように。そして主よ、御言葉のより深い意義が解き明かされ、天的な真理でわたしたちが再構成されますように。

 

 

神の言葉はわたしたちを再構成します

 

 わたしたちは再構成されるために、神の律法、すなわち、神の言葉に戻ることによって、神に戻る必要があります(ネヘミヤ第8章)。……だれも神の言葉に戻ることなしに、神に戻ることはできません。神の言葉はわたしたちを再構成します。わたしたちはみな自分自身の性情と習慣的な振る舞いを持っていますが、神は彼の言葉を通してわたしたちを再構成することができます。こういうわけで、わたしたちは聖書を読む必要があるのです。神の言葉は徐々にわたしたちの思いと考え方を変えます。神の言葉はその霊と一です(エペソ6:17)。神の言葉がわたしたちの内側で働くとき、その霊は言葉を通して、神の要素を伴う神の性質を自然にわたしたちの存在の中へと分与します。

 

 わたしたちは、そのような分与がわたしたちの内側で起こっていることに気づきさえしないかもしれません。このようにして、わたしたちは再構成されます。…… わたしたちは再構成されるために、聖書の六十六巻の書を何度も読む必要があります。わたしは六十五年以上も御言を読んできた者として、御言を日ごとに読むことを通して、再構成されてきたと証しすることができます。(「ネヘミヤ記ライフスタディ」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第5週1日)

 

エズラは、神に信頼する人、神と一である人、神の言葉に精通している人でした

 

エズラ7:6

このエズラは……エホバ・イスラエルの神が与えられたモーセの律法に精通した学者であった.エホバ・彼の神の御手が彼の上にあったので、王は彼のすべての願いをかなえた。

 

「エズラは祭司であり、学者でもありました。ですから、彼は文字の学者ではなく、祭司の学者でした(エズラ7:6,11-12,21.ネヘミヤ8:1-2,8-9,11-12.12:26)。エズラは、神に信頼する人であり、神と一である人であり、神の言葉に精通している人であり、神の心、神の渇望、神のエコノミーを知っている人でした(7:6,11-12,21)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、主の回復において エズラのような祭司であり、神と一であり、神の言葉に精通している人が必要です。主よ、わたしたちがエズラのように、神に信頼し、神と一であり、神の言葉に精通することができますように。

 

 

わたしたちはエズラ、祭司の学者、祭司的な教える者を必要とします

 

 祭司とは、一日中、主とミングリングされ、主で浸透され、主を常食とし、主を呼吸している人です。彼が語ることは何であれ、まさに主ご自身です。主の回復の中で、教える者たちはまさにこのようであるべきです。エズラはこのような人でした。彼は断食を布告し、そして断食しました。彼は絶えず主と接触することによって、主と全く一でした。彼は文字の学者ではなく、祭司の学者でした。・・・・・

 

 わたしたちはエズラ、祭司の学者、祭司的な教える者を必要とします。これが、絶え間なくまた即時的に神と交わり、神で浸透され、神と一である教える者です。エズラは全く主と共にいました。彼は、エルサレムに戻る時に自分を守るための軍隊を王に求める地位にありましたが、そうしませんでした。彼は主に信頼しました。これが、主の回復において教える者となる資格のある人です。…… 主の建造の回復において、……わたしたちは命を必要とします。わたしたちは教えとミングリングされた祭司職を必要とします。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週6日)

 

原則において、すべての信者は、新鮮な油の子であるべきです

 

ゼカリヤ4:3,12,14

また、そのそばに二本のオリブの木があり、一本はその鉢の右に、一本は左にあります。…… 二本の金の注ぎ口のそばにあって、そこからその金の油を空にする二本のオリブの枝は何ですか?……  彼は言った、「これらは二人の油の子であり、全地の主のそばに立つ者です」。

 

「燭台の両側にある二本のオリブの木は、当時の大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルを表徴します。彼らは二人の油の子であり、神の宮の再建のために、エホバの霊で満たされていました(ゼカリヤ4:1-6, 11-14)。原則において、キリストにあるすべての信者は、新鮮な油の子であるべきです。彼らは、喜びの油としての新鮮で、現在の、究極的に完成された霊で満たされて、その霊を燭台の中へと注ぎ出して、燭台を輝く証し、イエスの証しとならせます(1:12, 20.詩45:7.46:4.92:10.ヨハネ7:38)」。.

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが日ごとに代価を払って、神の神聖な性質をさらに多く得ることができますように。主よ、わたしたちが喜びの油としての新鮮で、究極的に完成された霊で満たされますように。そして、その霊を兄弟姉妹の中へと、燭台の中へと注ぎ出すことができますように。

 

 

わたしたちは代価を払って、さらに多くの油を、神の神聖な性質を得る必要があります

 

 [ゼカリヤ書第4章12節は]枝が「そこからその金の油を空にする」と言います。金の油を空にするとは、金の油が流れ出るようにすることです。ここの「金」という言葉は油を指しています。油と金は一です。油はその霊を意味し、その霊は神です。さらに、予表では、金は神を表徴します。鉢を満たす金はその霊であり、その霊は神であり、神は金で予表されます。

 

 わたしたちはこの事柄をわたしたちの今日の経験に適用するとき、わたしたちから流れ出るその霊は神であり、神は金であることを見ます。こうして、わたしたちはキリストを他の人に供給し、彼らに油を供給するとき、実は彼らに神を供給しているのです。神はわたしたちから流れ出て、彼らの中へと流れ込みます。わたしたちはみなオリブの木となって、わたしたち自身から神を空にして、流し込むべきです。(「ゼカリヤ書ライフスタディ」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週5日)

 

七つの霊は神の行政を遂行するために燃えています

 

箴20:27

人の霊はエホバのともし火であり、内なる存在の最も深い部分をすべて探る。

 

啓4:5

……七つの火のともし火が、御座の前で燃えていた.この七つの火のともし火は、神の七つの霊である。

 

「七倍に強化された霊は、七つの火のともし火であり、わたしたちを焼き、照らし、暴露し、探り、裁き、きよめ、精錬して、金の燭台を生み出し、神の新約エコノミーを成就します(啓4:5.1:2, 4, 9-12, 20)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、純金の燭台を産出するために、神聖な炎よ、来てください。そして、わたしたちを裁き、きよめ、精錬してください。主よ、あなたが金の燭台を生み出すことができるよう、来て、精錬してください。

 

 

主よ、わたしを照らし、わたしの内側を探り、わたしを暴露してください

 

 七つの霊は神の行政を遂行するために今日、この地上で燃えています。神のエコノミーを遂行することにおける、燃える炎の目的は金の燭台、召会をもたらすことです。燃えることは裁くこと、清めること、精錬すること、生み出すことを暗示します。……わたしは世界における、または召会における、外観上の失望させる状態を信じません。わたしは、世界を支配し指図する、また純金の燭台を産出するため、裁き、きよめ、精錬する、燃える七つの霊の炎を信じます。わたしたちは純金の燭台を産出するためにわたしたちを裁き、清め、精錬する機会と入り口を主に与えるため、ここで努めています。わたしたちは神の七つの霊の炎に対し、広く開いています。

 

 わたしたちはみな祈る必要があります、「親愛なる、神聖な炎よ、来てください! 来て、裁いてください! 来て清めてください! あなたが金の燭台を生み出すことができるよう、来て、精錬してください」。……彼のあわれみによって、わたしたちは彼に開いています。毎日、毎朝、毎夕、わたしたちは祈る必要があります。「主よ、来てください、わたしたちはあなたに対して開いています! わたしたちの存在のあらゆる通りをあなたに開きます」。「主よ、わたしを照らしてください。主よ、わたしの内側を探り、わたしを暴露してください。わたしは浄化され、きよめられたいのです」。そのとき主は純金の燭台を生み出す道を持たれます。(「神の新約エコノミー」、第23章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週4日)

 

キリストは贖う小羊と建造する石です

 

ゼカリヤ3:9

……一つの石の上に七つの目がある。見よ、わたしはそれに彫り物を彫ると、万軍のエホバは告げられる.そしてわたしはその地の罪科を、一日のうちに取り除く。

 

ゼカリヤ4:10

……これらの七つは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぶ.それらは、全地を行き巡るエホバの目である。

 

「ゼカリヤ書が啓示していることは、燭台の七つのともし火(ゼカリヤ4:2.啓4:5)が、神の七つの霊、すなわち七倍に強化された霊(啓1:4)であるということです。彼は、エホバの七つの目(ゼカリヤ4:10)であり、贖う小羊の七つの目(啓5:6)であり、建造する石の七つの目(ゼカリヤ3:9)であって、三一の神を完全に表現し、神の家を再建します」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたは七倍に強化された霊です。主よ、あなたは 贖う小羊の七つの目であり、建造する石の七つの目です。あなたの目でわたしたちの内側を探り、照らしてご自身をわたしたちの中へと注入してください。そして、あなたの建造のための真の材料としてください。

 

 

全地を行き巡るエホバの目は、七倍に強化された神の七つの霊です

 

 [ゼカリヤ書第4章10節で]「これらの七つ」はエホバの目であり、第3章9節にある石の上の七つの目……であり、小羊、キリストの七つの目でもあります(啓5:6)。こうして、石、エホバ、小羊は一です。キリストは贖う小羊と建造する石であり、またエホバです。キリストの七つの目が神の七つの霊であることは[参照、啓1:4のフットノート5と啓5:6のフットノート5]、キリストと聖霊が区別はあっても、分離していないことを示します。人の目が本質的にその人と一であるように、聖霊は本質的にキリストと一です(ローマ8:9-10.Ⅱコリント3:17)。

 

 キリストの七つの目の機能は、観察し探って、神の裁きを宇宙に執行し、神であるすべてを彼の選びの民の中へと伝達し注入することです。キリストは最後のアダムとして、彼の復活の中で命を与える霊と成りました(Ⅰコリント15:45後半.ヨハネ6:63前半.Ⅱコリント3:6後半)。彼はまた七倍に強化された霊でもあります。この霊は命の霊です(ローマ8:2)。ですから、七つの霊の機能は、神聖な命を神の民の中へと分け与えて、神の永遠の住まい、新エルサレムを建造することです。(ゼカリヤ4:10、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週3日)

 

主の家の建造が完成した時に、主の栄光が戻ってきます

 

ハガイ2:7,9

……すべての諸国民の願いが来て、わたしはこの家を栄光で満たすと、万軍のエホバは言われる。…… この家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい……

 

「エゼキエルは神のビジョンの中で、エホバの栄光がエホバの家に戻り、その家を満たすのを見ました(エゼキエル43:1-5)。エホバの栄光が家に戻ったのは、家の建造が完成したからです(2,5節)。このことが示しているのは、栄光の神が召会の中に住むために、召会は建造されて、神の住まいとならなければならないということです(エペソ2:21-22.3:14-21)」。

 

 主よあなたを愛します。 主よ、栄光の神が召会の中に住むために、召会が建造されますように。主よ、わたしたちの召会生活におけるすべてのものが、神の栄光のためでありますように。

 

 

召会生活の中で、主の栄光に対して開かれている城門を必要とします

 

 家の建造が完成した後、主の栄光が戻ってきました。エゼキエルは彼の初期の務めにおいて、主の栄光が一連の段階の中で去るのを見ました。最初に、主の栄光は宮を離れ、(エゼキエル9:3.10:4)。敷居から、それは都へと出て行きました。都から、主の栄光は都の東側のオリブ山へさらに出て行き(11:23)、そこから主の栄光は天に昇りました。

 主の栄光が戻ってきたのは、宮の建造が完成したからです[エゼキエル43:1-3]。……何と主は地に戻って来ることを願っておられることでしょう! しかし、彼は戻って来るために、彼の足の裏が安息する場所、彼が足を置くことができる場所を必要とされます。彼の住まい、彼の家は、彼が足を置くことができる地上の場所です。(「エゼキエル書ライフスタディ」、第33編)

 

 エゼキエル書第43章4節は言います、「エホバの栄光が、東に面した城門を通って家に入って来た」。主は東の城門によって戻って来られました。宮には三つの城門があります。……南と北の城門は民の便利さのためですが、東に面した城門は民の便利さのためだけでなく、主の栄光のためでもあります。召会生活の中で、わたしたちはいくつかの城門を必要としますが、最も重要なものは東の城門、すなわち主の栄光に対して開かれている城門です。これは、わたしたちが召会生活の中で、主の栄光に対して開かれている城門を必要とすることを意味します。(「エゼキエル書ライフスタディ」、第24、26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週2日)

 

キリストは真に全人類の願いとして来られます

 

ハガイ2:7

わたしはすべての諸国民を揺り動かす.そして、すべての諸国民の願いが来て、わたしはこの家を栄光で満たすと、万軍のエホバは言われる……

 

「すべての諸国民の願いが来て」(ハガイ2:7前半)。これはキリストを指しており、彼はすべての諸国民の願いです。たとえ諸国民はキリストを知らなくても、なおもキリストを願っています。(マラキ3:1後半)。すべての諸国民の願いとしてのキリストの来臨は、神の民のバビロンでの捕囚からの帰還と、神の家の建造の回復にかかっています(Ⅰテモテ3:15.Ⅰペテロ2:5)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが回復の中にいるのは、あなたの家を建造して、あなたがすべての諸国民の願いとして再来することができるためです。 主よ、わたしたちがまず王国を求めることによって、あなたの家、召会が建造されますように。

 

 

すべての人が命、光、平安、善、義を持つことを願うのは、実はキリストを願っているのです

 

 すべての人は、命、光、平安、善、義を持つことを願いますが、彼らが願っているのは実はキリストであることを認識していません。……キリストはあらゆる人性の美徳の実際です。こうして、美徳を願うことは、実はキリストを願うことです。

 人の創造における神の案配によれば、愛、親切、忍耐、へりくだりなどの人性の美徳は、神聖な属性の表現のためです。……人性の美徳は「手袋」であって、「手」である神聖な属性を表現するためです。手のない手袋には内容がないように、神聖な属性のない人性の美徳には実際がありません。

 

 ハガイ書第2章20節から23節には、来たるべき王国におけるメシア(ゼルバベルによって予表される)に関する約束があります。ハガイは命じられ、ゼルバベルに語って言いました、「わたしは天と地を揺り動かす。……その日、万軍のエホバは告げられる、……わたしのしもべ、……わたしはあなたを選び取り、あなたを印のようにする……わたしはあなたを選んだからであると、万軍のエホバは告げられる」(21-23節)。エホバがゼルバベルを印のようにすることは、エホバが彼をご自身の代理とし、彼を愛し、彼に信頼したことを示します。(「ハガイ書ライフスタディ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第4週1日)

 

山に登り、木を運んで来て、家を建てよ

 

ハガイ1:4,8

この家が廃虚となっているのに、あなたがた自身は板張りの家に住むべき時であろうか?…… 山に登り、木を運んで来て、家を建てよ.そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光が現されるとエホバは言われる。

 

「神の家としての回復された宮の再建において、ヨシュア(祭司職を代表する)とゼルバベル(王職を代表する)は両者とも、いくらか弱くなり、失望しました。ですから、神は預言者ハガイと預言者ゼカリヤを用いて神のために語らせ、ヨシュアとゼルバベルを強め、助け、励ましたのです(エズラ5:1-2.参照、Ⅰコリント14:3)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが主の家を顧みないで、自分の家のことで奔走することから救ってください。主よ、わたしたちが神の家の回復に関して絶対的になることができますように。主よ、山に登り、木を運んで来て、主の家を建てることができますように。

 

 

わたしたちは主の権益のために時間を取ることを学ぶ必要があります

 

 ハガイ書の中心思想は、エホバの家の建造が、今日の神の民の幸いと関係があり、また復興の時代における千年王国の到来とそのメシアの来臨と関係があるということです。旧約で神の家、あるいは宮は、まず個人的に神の家としてのキリストの予表であり、次に団体的に神の家としての召会(からだ、拡大されたキリスト)の予表でした。こうして、ハガイ書はわたしたちを指していると考えるべきです。それは、わたしたちがその予表の実際であるからです。エホバが捕囚から帰還した民を対処することは、彼が回復の中にいるわたしたちを対処することを表徴します。…… 

 

 エホバは彼の命令の中で民に、自分の道をよく考え、山に登り、木を運んで来て、家を建てるように、そうすれば、彼はそれを喜び、栄光が現されると告げられました(ハガイ1:7-8)。今日わたしたちの福音の宣べ伝えは、材料を集めて神の家を建造することです。(「ハガイ書ライフスタディ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週6日)

 

神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげなさい

 

ローマ12:1

兄弟たちよ、こういうわけで、わたしは神の慈しみを通して、あなたがたに勧めます.あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげなさい.それが、あなたがたの理にかなった奉仕です。

 

「常にささげる全焼のささげ物の生活をすることは、生きた犠牲になることです(ローマ12:1)。全焼のささげ物は、わたしたちの献身の予表であり、わたしたちが自分自身を生きた犠牲として神にささげることの予表です。わたしたちは、全焼のささげ物としてのキリストをもって父なる神を礼拝して、神に満足していただき、神の願いを成就する必要があります(レビ1:3, 9後半.民28:2.ヨハネ4:23-24)」。

 

 主よ、わたしたちが日ごとに全焼のささげ物をささげる献身の生活をすることができますように。主よ、わたしたちが自分自身を生きた犠牲として神にささげ、神に満足していただき、神の願いを成就することができますように。神に喜ばれるかおりが神に立ち昇り、神の満足と安息となりますように。

 

 

全焼のささげ物は、神に喜ばれるかおりが神に立ち昇り、神の満足と安息となります    

 

 献身の意味は、「犠牲」となることです[ローマ12:1]。旧約において、人は雄牛や雄羊を犠牲としてささげました。その原則はこうです。雄牛は本来は囲いの中にいて、地を耕し、車を引くために用いられていました。今やそれは囲いから引き出されて、祭壇のそばに連れて来られます。地位における変化があります。それから、それは殺され、祭壇の上に置かれ、火によって焼き尽くされて神への甘く香ばしいかおりとなります。これが用途の変化です。このようにしてこの雄牛は犠牲となります。……祭壇の上のすべての犠牲は神のものであり、神が用いて享受するためです。簡単に言えば、犠牲となることは、神にささげられて彼に用いられることです。これらの犠牲のささげ物はわたしたちの献身の予表です。……献身の意味は、自分自身を生きた犠牲として神にささげて、神に満足していただくことです。(「命の経験」、第3編)

 

 わたしたちが煙の中の全焼のささげ物を神にささげるとき、神に喜ばれるかおりが神に立ち昇り、神の満足と安息となります。神は満足するので、神がわたしたちを受け入れることは甘美なことになります。この事が全焼のささげ物の意義です。(レビ記ライフスタディ(1)、第4、9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週5日)

 

わたしたちがキリストの上に手を置くとき、彼はわたしたちと一になります

 

レビ1:4-5

彼はその全焼のささげ物の頭の上に手を置かなければならない.そうすれば、それは彼に代わって受け入れられて、彼のために罪を覆う。彼はその若い雄牛を、エホバの御前でほふらなければならない.そして祭司であるアロンの子たちは、その血を献げて、集会の天幕の入り口にある祭壇の上と四つの側面に、その血を振りかけなければならない。

 

「全焼のささげ物が意味するのは、わたしたちが神を表現し代行するために神によって創造された人として、神以外の何もののためでもあるべきではないということです(創1:27-28.参照、詩73:25.マルコ12:30)。わたしたちは、自分が神のために絶対的でないこと、また自分自身の中では絶対的になることはできないことを認識する必要があります。ですからわたしたちは、キリストをわたしたちの全焼のささげ物とする必要があります(レビ1:3-4)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしと共にいるわたしの全焼のささげ物です。主よ、わたしは神を満足させることができませんが、あなたは神を満足させることができます。わたしは神のために絶対的でありませんが、あなたは常に神のために絶対的です。ですから主イエスよ、今わたしは、あなたをわたしの全焼のささげ物とします。

 

 

主は全焼のささげ物の生活をわたしたちの中で繰り返します

 

 わたしたちは、自分が完全に失格であり、望みがないと認識しているかもしれません。これがわたしたちの実状です。しかしわたしたちがキリストの上に手を置くとき、わたしたちの弱点は彼のものとなり、彼の強い点、彼の美徳はわたしたちのものとなります。さらに、霊的に言って、そのような結合によって、彼はわたしたちと一になり、わたしたちの中で生きられます。彼はわたしたちの中で生きるとき、ご自身が地上で生きた生活、すなわち、全焼のささげ物の生活をわたしたちの中で繰り返します。

 

 わたしたちは自分自身の中でこのような生活を生きることはできませんが、彼はわたしたちの中でそれを生きることができます。わたしたちは彼の上に手を置くことによって、彼をわたしたちと一にし、わたしたち自身を彼と一にします。その時、彼はわたしたちの中で彼の生きることを繰り返します。これが全焼のささげ物をささげることです。(「レビ記ライフスタディ(1)」、第3、14編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週4日)

 

キリストは地から神に昇っていくことができる唯一の方です

 

レビ1:9

……そして祭司は、そのすべてを祭壇の上で、全焼のささげ物として焼いて煙を立ち上らせなければならない.それは火によるささげ物であり、エホバを満足させるかおりである。

 

「全焼のささげ物」と訳されたヘブル語は文字どおりには、「上って行くもの」を意味し、神に昇っていくものを示しています。この昇っていくことはキリストを指しています(レビ1:3,10,14)。地から神に昇っていくことができる唯一のものは、キリストが生きられた生活です。なぜなら、キリストは、神のために絶対的である生活をした唯一のパースンであるからです(ヨハネ6:38)。キリストはわたしたちの中で生きるとき、ご自身が地上で生きた生活、すなわち全焼のささげ物の生活を、わたしたちの中で繰り返します(ガラテヤ2:20)」。

 

 主よ、あなたは宇宙で神のためである唯一の方です。主よ、わたしたちは神に対して絶対的である生活をしたあなたを必要とします。わたしたちはあなたの上に手を置きます。主よ、あなたがわたしたちの中で全焼のささげ物の生活を生きてくださいますように。

 

 

わたしたちは全焼のささげ物としてのキリストを必要とします

 

 わたしたちは最初に全焼のささげ物としてのキリストを必要とします。なぜなら、神に対するわたしたちの第一の問題は、違犯の事柄ではなく、神のためではないという事柄であるからです。わたしたちは違犯をしようとしまいと、依然としてそれほど神のためではありません。わたしたちは何も間違った事をしなかったとしても、依然として神のためではありません。わたしはこの人やあの人に対して間違いがないかもしれませんが、神に対して間違っています。なぜなら、わたしは依然として神に対して絶対的ではないからです。ですから、わたしたちの最初の必要は、全焼のささげ物としてのキリストです。……

 

 あなたは本当に絶対的に神を顧みているでしょうか? あなたの行なうことはすべて、言うことはすべて、あなたであることはすべて、百パーセント神のためであるとあなたは言うことができるでしょうか? いいえ、わたしたちのうちだれ一人として正直にこのように言うことのできる人はいません。では、わたしたちはどうしたらよいでしょうか? …… わたしたちは全焼のささげ物としてのキリストを必要とします。全焼のささげ物は、キリストが絶対的に神のためである方であることを表徴します。(リー全集、1971年、第2巻(上)、「実際であるキリスト」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週3日)

 

全焼のささげ物は完全に絶対的に、神の満足のためです

 

民28:2

イスラエルの子たちに命じて言いなさい、「わたしのささげ物、わたしを満足させるかおりの、火によるささげ物としてのわたしの食物を、あなたがたは注意して、その定められた時にわたしに献げなければならない」。

 

「全焼のささげ物が表徴しているのは、キリストが神の満足のために絶対的であるということです(レビ1:3-9)。全焼のささげ物が予表しているのは、キリストが神に対して完全で絶対的な生活をしたということだけではなく、キリストが神の民にこのような生活をさせることができる命でもあるということです(ヨハネ5:19, 30.6:38.7:18.8:29.14:24.Ⅱコリント5:15.ガラテヤ2:19-21)」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたは完全に神の満足のための全焼のささげ物です。主よ、わたしたちがキリストと結合されて、キリストを神の食物としてささげることができますように。

 

 

神とわたしたちは、同じ食物、キリストを享受します

 

 民数記第28章のすべてのささげ物は、神の食物であり、キリストを指しています。これは、キリストがわたしたちの食物であるだけでなく、神の食物でもあることを示します。神とわたしたちは、同じ食物、キリストを享受します。……キリストはこの章の内在的な実質です。キリストはまた平和でもあり、わたしたちに神と交わりを持たせることができます。最高の交わりは食べることと関係があります。わたしたちは神と最高の交わりを享受しようとするなら、キリストを彼の食物として彼に給仕する必要があります。そうすればわたしたちが神と交わりを持っている時、わたしたちと神はキリストを食べ飲みすることによって、キリストの相互の享受を持つでしょう。

......

 

 しかしながら、最終的に、神の食物はわたしたちの食物ともなります。わたしたちは注意深くレビ記を読むなら、全焼のささげ物が完全に絶対的に、神の満足のために焼かれるべきであることを見るでしょう。全焼のささげ物のどの部分も、それをささげる者が食べるべきではありません。しかしながら、全焼のささげ物は、ささげる者の大きな分け前である穀物のささげ物を伴います。これは、わたしたちが神に仕え、キリストを神の食物として神にささげる時、神がわたしたちを顧みてくださることを示します。(「レビ記ライフスタディ(2)」、第40編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週2日)

 

十字架は、すべての霊的な経験の基礎、立場です

 

Ⅰコリント2:2

なぜなら、わたしはあなたがたの間ではイエス・キリスト、しかも十字架につけられたこの方のほかは、何も知るまいと決心したからです。

 

ルカ9:23

そしてイエスは彼らすべてに言われた、「だれでもわたしについて来たいなら、自分を否み、日ごとに自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい。

 

「全焼のささげ物の祭壇は、キリストの十字架を予表しています(出27:1.40:6.ヘブル13:10)。神はご自身のエコノミーにおいて、ひとりのパースン(キリスト)と一つの道(十字架)をわたしたちに与えます(Ⅰコリント2:2)。十字架は、すべての霊的な経験の基礎、立場です。すべての霊的な経験は、十字架から開始します(ガラテヤ2:20.6:14.Ⅰコリント2:2)。わたしたちは霊的に前進するために、日ごとに十字架を経過する必要があります(マタイ10:38.16:24.ルカ14:27)」。

 

 主よ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちが日々、全焼のささげ物としてキリストをささげることができますように。主よ、わたしたちが日ごとに自分を否み、自分の十字架を負って、主に従って行くことができますように。

 

 

キリストが宇宙の中心点であり、十字架は神の行政の中心です

 

 神はご自身のエコノミーにおいて、ひとりのパースンと一つの道をわたしたちに与えておられます。ひとりのパースンは、首位の方であるすべてを含むキリストであり、一つの道は、十字架です。すべてを含む方として、キリストはわたしたちにとってすべてです。彼は神、人、宇宙におけるすべての積極的な事物の実際です。神はわたしたちにこのすばらしいパースンを与えて、わたしたちの救いとされました。ひとりのパースン、キリストは宇宙の中心です。一つの道、十字架は神の行政の中心です。神は十字架によってあらゆるものを統治し、十字架によってあらゆるものを対処されます。ですから、キリストが宇宙の中心点であるのと同じように、十字架は神の行政の中心です。…………

 

 わたしたちが取るべきただ一つの道は、十字架の道であることを認識するでしょう。十字架は狭い道であり、またハイウエーです。進んで十字架を取ろうとしない者にとって、十字架は狭い道です。しかし進んでこの道を取ろうとする者にとって、十字架はハイウエーとなります。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(2)」、第26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第3週1日)

 

神の家の回復のために、祭壇の回復は召会生活の開始です

 

エズラ3:2

……神の人モーセの律法に書かれているとおり、イスラエルの神の祭壇を築いて、全焼のささげ物をその上にささげた。

 

 「わたしたちは家の回復のために、祭壇の回復を必要とします(エズラ1:2-3,5.3:2-3)。召会生活のために回復されるべき第一のものは、祭壇です(ローマ12:1)。わたしたちは召会生活を持つことができる前に、あらゆるものを祭壇の上に置いて、神に満足していただかなければなりません。この事が召会生活の開始です」。

 

 主よ、あなたを愛し、主の回復を愛します。主よ、召会生活の回復のために、わたしたちのすべてをささげることができますように。主よ、わたしたちがあなたの権益と満足のための召会生活をすることができますように。

 

 

真の献身は、召会に建造の回復をもたらします

 

 主の回復において祭司職と王職の必要があります。それからあるものが回復されるでしょう。エズラ記第3章は、回復された第一のものが祭壇であったと告げています。わたしたちは家の回復のために、祭壇の回復を必要とします。……祭壇は主にすべてのものをささげるための場所です。これが真の献身の回復です。エズラ記第3章において、彼らは毎日、朝と夕、全焼のささげ物をささげました。そして彼らは絶えず全焼のささげ物をささげました。いつも祭壇の上で燃えている物がありました。このような献身の予表だけが召会を建造することをもたらすことができます。

 

 わたしたちは主に対して真剣であるなら、すべてを祭壇の上にささげなければなりません。……わたしたちはエルサレムに帰還していても、バビロンにいた時のような生活を維持すべきではありません。エルサレムでの生活は、絶対的に主の権益のためでなければなりません。主の回復における生活は、絶対的に召会の建造の回復のためでなければなりません。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「神の家と神の都の回復」)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週6日)

 

主を賛美することによって、霊的戦いに従事します

 

歴代下20:22

彼らが歌って叫び、賛美し始めたとき、エホバは伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン、モアブ、セイル山の子たちを襲わせたので、彼らは討たれた。

 

詩86:12

主、わが神よ、わたしは心を尽くしてあなたを賛美し、永遠にあなたの御名に栄光を帰します。

 

「歴代志下第20章15節から22節で、わたしたちは主を賛美することによって、霊的戦いに従事することを学ぶことができます。彼らが歌って叫び、賛美し始めたとき、エホバは伏兵を設けて、敵を襲わせたので、敵は討たれました(22節)。霊的な勝利は戦いにかかっているのではなく、賛美にかかっています(歴代下20:20-22)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主イエスよ、あなたは勝利を得られました。あなたは天においても地においても、いっさいの権威を持っておられます。主よ、あなたを賛美します。主よ、わたしたちが賛美することによって勝利することを経験できますように。

  

 

霊的な勝利は戦いにかかっているのではなく、賛美にかかっています

 

 ヨシャパテがユダの王となった時、ユダ王国はすでに傾きかけていて、とても弱く、すべては惨めな状態にありました。……ユダの人々は全く希望を失い、打ち敗られて滅亡してしまうに違いないと思いました。ヨシャパテは復興された王であり、神を畏れる人でした。……ヨシャパテは……ユダの人々に、神を信じるべきであると言いました。……歌を歌う者を立てて、主を賛美させました[歴代下20:21]。この歌を歌い主を賛美する者たちに、聖なる衣服を着させ、軍勢の前に進ませ……ました。「彼らが歌って叫び、賛美し始めたとき、エホバは伏兵を設けて、……アンモン、モアブ、セイル山の子たちを襲わせた……」(22節)。

 

 「……し始めたとき」とは、彼らが歌を歌い、主を賛美しているちょうどその時を意味します。……賛美ほど素早く主の御手を動かすものはありません。……わたしたちは祈る必要があり、毎日よくよく祈る必要があります。しかし、多くのことは賛美によってのみ勝利することができるのです。わたしたちがここで見るのは、霊的な勝利は戦いにかかっているのではなく、賛美にかかっているということです。……祈りによってだけでなく、賛美によってサタンに勝利するのです。……歴代志下第20章では……向こう側には軍勢がいますが、こちら側には歌を歌うことがあります。(ニー全集、第48巻、第16編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週5日)

 

宇宙には三つの意志、神の意志、サタンの意志、人の意志があります

 

マタイ6:10

あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。

 

ヨハネ15:7

あなたがたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがたの中に住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい.そうすれば、それはあなたがたにかなえられる。

 

「宇宙には三つの意志、すなわち神の意志、サタンの意志、人の意志があります。神は、人の意志が神に結合し、人が神と一になることを願っています。それによって、人は祈りの中で神のみこころを発表し、神のみこころに呼応して、神を大いに喜ばせます(マタイ6:10.7:21)。神によって開始され、神が開始した事に呼応する祈りだけに、霊的な価値があります(エペソ6:18.Ⅰヨハネ5:14-16前半)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちにあなたのみこころを啓示してください。そして、それをあなたに祈り返すことができますように。主よ、わたしたちが祈りの上で、神ご自身と協力することを学ばせてください。

 

 

神が開始したものに呼応する祈りだけが、価値のある祈りです

 

 神の働きにおける一つの主要な原則は、神は人の祈りを求めておられることです。神は、人が祈りの上でご自身と協力することを求めておられます。…… すべての霊的な働きは四つの段階から成ってい{ます]。その第一段階は、神が事を行なうことを意図することです。これは神のみこころです。第二段階は、神がその霊を通して神の子供たちにこのみこころを啓示して、彼らに神のみこころを…知らせます。第三段階は、神の子供たちが神のみこころに呼応し、神に祈り返すことです。祈りとは、神のみこころに呼応することです。……その結果、第四段階で、神は必ずそのことを成し遂げられます。

 

 わたしたちが注意を払うのは第三です。すなわち、わたしたちがどのように神のみこころを再び神に持って行って祈るかです。……すべて価値のある祈りは、再び持って行く祈りです。もしわたしたちの祈りがただ、自分の考えていること、望んでいることを成功させてほしいと言うことであれば、それは霊的な領域にあってあまり大きな価値はありません。神が開始し、神が開始したものに呼応する祈りだけが、価値のある祈りです。神の働きはこのような祈りによって支配されます。…… 神は、人が同意するのを待ってはじめて、事を行なわれます。これは神の働きの大きな原則であり、聖書における最も大切な原則の一つです。(ニー全集、第38巻、第41編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週4日)

 

神がアブラハムと結んだ契約は、神の恵みの力を通して成就されます

 

歴代上16:16-18

それは彼がアブラハムと結ばれた契約、イサクへの彼の誓いである。彼はそれを堅く立ててヤコブに対するおきてとし、イスラエルに対する永遠の契約として、言われた、「わたしはあなたにカナンの地を与えて、あなたがたの嗣業の分け前とする」。

 

 「良き地に帰還したイスラエルの子たちは、神がアブラハムと結んだ契約を覚えるようにと告げられました(歴代上16:15-18.創15:7-21)。神がアブラハムと結んだ契約は、約束の契約でした。それは、神の恵みの力を通して成就されます(ヨハネ1:14,17)。新約は、この契約の継続です(ガラテヤ3:17.4:22-26)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたがアブラハムと結んだ契約は、キリストの中で成就されました。あなたは地上で苦難の生活、信仰の生活した後、十字架につけられ、復活されました。主よ、新約においてわたしたち召会が、子孫と地の実際であるキリストを経験し、享受することができますように。

 

 

新約は、神がアブラハムと結んだ契約の継続です

 

 神は子孫に関する約束だけでなく、地に関する約束もアブラハムに繰り返されました。……アブラハムは、子孫に関する約束について主を信じました。地に関する約束は、創世記第15章7節で神によって肯定的になされていますが、アブラハムは地に関するこの約束については神を信じる信仰に欠けていました。 アブラハムが地の約束に関して神を信じるのは困難であることを見いだしたので、神は強いられて彼と契約を結びました。創世記第15章9節から21節で、神がキリストを通してアブラハムと契約を結ぶことによって、彼の約束を確証されたことを見ます。

 

 神はアブラハムと彼の契約を結ぶとき、雌牛一頭、雌やぎ一頭、雄羊一頭、山ばと一羽、家ばとのひな一羽を持って来るようにと告げられました(創15:9)。……神がアブラハムと契約を結ばれたのはこれらを通してであり、このようにしてアブラハムが神の永遠の定められた御旨を完成することができることを暗示しました。(「創世記ライフスタディ(3)」、第44,45編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 12月訓練 歴代志,エズラ・・  第2週3日)

 

キリストの宇宙的なからだの唯一の一は、地方召会の地方という唯一の立場の上で表現されます

 

歴代下36:23

エホバ……はわたしに、ユダにあるエルサレムで彼に家を建てるよう命じられた。あなたがたのうち、すべて彼の民はだれでも、エホバ・彼の神が共におられるように.その者は上って行きなさい!

 

「イスラエルの子たちが良き地に帰還したことは、クリスチャンが分裂から召会の立場に、すなわち一の立場に戻ったことを表徴します(歴代下36:22-23.参照、申12:1-32)。召会の地方の立場は、基本的に、諸地方召会で実行されるキリストのからだの唯一の一です(エペソ4:4.Ⅰコリント1:2.12:27)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、キリストの宇宙的なからだの唯一の一、「その霊の一」のビジョンを与えてください。すべてのクリスチャンが、分裂から召会の一の立場に戻ることができますように。そして、その霊の実際、神聖な三一の生ける実際、キリストのからだの一の中にある祝福の中にとどまることができますように。

 

 

召会の立場は、三つの極めて重要な要素から構成されています

 

 新約における神聖な啓示によれば、召会の立場は、以下の三つの極めて重要な要素から構成されています。召会の立場を構成する第一の要素は、キリストの宇宙的なからだの唯一の一であり、この一は「その霊の一」(エペソ4:3)と呼ばれています。この一は、主がヨハネによる福音書第17章で祈った一です。

 召会の立場の第二の要素は、地方召会が設立され存在する地方の唯一の立場です。新約が提示しているのは、宇宙召会(キリストの宇宙的なからだ)の表現であるすべての地方召会が、それぞれの都市に位置するという明確な絵です。このゆえに、わたしたちはエルサレムに在る召会(使徒8:1)、アンテオケに在る召会(使徒13:1)、…… アジアの七つのそれぞれの都市に在る七つの召会(啓1:4、11)を見るのです。召会が存在する境界としての各都市は、その召会の地方の立場です。

 

 召会の立場の第三の要素は、一の霊の実際であり、それはキリストの宇宙的なからだの唯一の一を、地方召会の地方という唯一の立場の上で表現します。簡単に言って、召会の立場の第三の要素は、その霊の実際であり、その霊は神聖な三一の生ける実際です(Ⅰヨハネ5:6、ヨハネ16:13)。この霊によって、キリストのからだの一は真のもの、また生けるものとなります。(「主の回復の簡潔な提示」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)