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4月の祈り第27日

(年二回の訓練12月 第10週6日)

 

自発的で、空にされていて、祈っている人はその霊で満たされます

 

出31:3

わたし[エホバ]は彼[ベザレル]を神の霊で満たして、知恵と理解力と知識を持たせ、あらゆる巧みな作業をさせ、

 

コロサイ4:2

うまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていなさい.

 

「召会が生き生きとしていて新鮮で豊富であるかどうかは、一つの事にかかっています。それは、わたしたちが絶えずその霊で満たされていることです。絶えずその霊で満たされるために、わたしたちは自発的で、空にされていて、祈っている人となる必要があります(コロサイ4:2.ピリピ2:13.マタイ5:3, 8.ルカ1:53.エペソ5:18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。天の父は、求める者たちに聖霊を与えてくださることを感謝します。主よ、わたしたちがうまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていることができますように。主よ、わたしたちを一日中、主の笑顔を享受する者にしてください。

 

 

神は自発的な空の器を通して、彼の住まいを建造します

 

 出エジプト記の記録は、神の霊の満たしを強く強調しています。……幕屋は神ご自身によって設計されました。しかし、……幕屋は神によって直接建てられたのではありません。それは、神すなわち神の霊で満たされた神の民によって建てられました。神の霊は神ご自身です。……神の霊……はわたしたちに届く神です。神がわたしたちに届くとき、その届く神はまさにその霊です。

 

 神はご自分だけで彼の住まいを建造することはできません。神は自発的な空の器を通してのみそれを行なうことができます。召会が生きていて、新鮮で、豊かであるかどうかは、この一つの事にかかっています。それは、わたしたちが三一の神で絶えず満たされているということです。このために、親愛なる兄弟たち、わたしたちは最初に自発性を必要とし、次に空にされる必要があります。(リー全集、1983年、第1巻(上)、「長老たちとの実行面の談話」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第26日

(年二回の訓練12月 第10週5日)

 

神の臨在は彼の道、「地図」であり、彼の民が取るべき道です

 

出33:14,21

エホバは言われた、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」。…… エホバは彼らの前を行き、昼は雲の柱の中で彼らの道を導き、夜は火の柱の中で彼らに光を与えて、彼らが昼も夜も進んで行くことができるようにされた。

 

「良き地の実際としてのすべてを含むキリストを所有し、彼の中で歩くために、わたしたちが見る必要のある事は、わたしたちが主の中で生活することにおいても、主の中で働くことにおいても、主の臨在がわたしたちにとってすべてであるということです(出33:12-17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたの臨在がわたしたちと共に行くとき、あなたはわたしたちに安息を与えてくださることを感謝します。主よ、わたしたちが昼も夜も、神、御言、霊を通して、即時的な生ける導きを受けることができますように。

 

 

主の臨在、笑顔は、良き地としてのキリストを所有するための支配する原則です

 

 出エジプト記第33章12節から17節において、モーセは神と交渉して、神の臨在がモーセと共にまた民と共に行くように要求しました。神の臨在は彼の道、「地図」であり、彼の民が取るべき道を示します(参照、ヨハネ14:6… ヘブル11:8…)。(出33:14、フットノート1)

 

 予表では、雲はその霊を表徴し(Ⅰコリント10:1-2と1節のフットノート4…)、照らすための火は神の御言を表徴します(詩119:105)。ですから、神からの即時的な、生ける導きは、霊を通して、あるいは御言を通して来ます。二本の柱は神ご自身を象徴します。なぜなら神は霊であり、また御言であるからです(ヨハネ4:24.1:1)。さらに、御言はまた霊です(ヨハネ6:63.エペソ6:17)。こうして、神、御言、霊は一であり、昼も夜も絶えずわたしたちを導き、案内します。クリスチャン生活には、昼と夜の違いはありません。なぜなら火の柱からの光は、夜を昼とならせるからです。(出13:21、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第25日

(年二回の訓練12月 第10週4日)

 

「あのキリスト」とは、個人のキリストではなく、団体のキリストです

 

Ⅰコリント12:12

それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべての肢体が多くあっても一つの体であるように、キリストも同様だからです。

 

コロサイ2:6-7

それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、……彼の中で歩きなさい。

 

 Ⅰコリント第12章12節は言います、「それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべての肢体が多くあっても一つの体であるように、あのキリスト[直訳]も同様だからです」。この節の「あのキリスト」とは、個人のキリストではなく、団体のキリスト、すなわち彼のすべての肢体と合併されたキリストです。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、キリストのからだの啓示、ビジョンを感謝します。キリストはかしらであり、召会はからだです。主よ、わたしたちがあなたを顧慮し、あなたのからだをも顧慮することができますように。

 

 

キリストのすべての信者は、彼と有機的に結合され、彼の命と要素で構成されています

 

 [コリント人への第一の手紙第12章12節の「あのキリスト」(直訳)]は、団体のキリストを指しており、かしらとしてのキリストご自身と、肢体としてのすべての信者を伴う彼のからだとしての召会から構成されています。キリストのすべての信者は、彼と有機的に結合され、彼の命と要素で構成されており、こうして、キリストを表現する彼のからだ、有機体となったのです。ですから、彼はかしらであるだけでなく、からだでもあります。わたしたちの肉体は、多くの肢体があっても一であるように、このキリストも同様です。(Ⅰコリント12:12、フットノート2)

 

 [コロサイ人への手紙第2章6節で]わたしたちがその中で歩く必要がある方は、合併された神です。キリストを受け入れることは、からだ・キリストを受け入れることです。なぜなら、今日キリストは団体のからだであるからです(Ⅰコリント12:12)。わたしたちはこのキリストを受け入れる必要があります。(リー全集、1973年―1974年、第1巻(下)、「団体のキリストのビジョンと経験」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第24日

(年二回の訓練12月 第10週3)

 

主の回復において、キリストの三つの時期の満ち満ちた務めを見ます

 

Ⅰコリント15:45

そこで、「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」と書かれていますが、最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。

 

啓21:2

わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。

 

「主の回復は、三つの時期(肉体と成ること、包括、強化)の満ち満ちた務めにおけるキリストの回復です。主の回復とは、神が肉体と成り、肉体が命を与える霊と成り、命を与える霊が七倍に強化された霊と成って、召会を建造し、召会がキリストのからだとなり、新エルサレムを究極的に完成するということです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。最後のアダムは命を与える霊と成られたことを感謝します。わたしたちが召会生活の中で、今や七倍に強化された霊を享受して、召会が建造されますように。

 

 

召会生活の中で、あらゆる段階において啓示されている神を享受します

 

 「神が肉体と成り」とは、「独身の」神が肉体と成った神、贖う神となることです(ヨハネ1:1, 14, 29)。 「肉体が命を与える霊と成り、命を与える霊が七倍に強化された霊と成って」とは、複合の神が強化された神となって、内住する神となることです(Ⅰコリント15:45後半.啓1:4.3:1.4:5.5:6。 「建造された召会がキリストのからだとなり、新エルサレムを究極的に完成する」とは、合併された神、すなわち、からだ・キリストが、新エルサレムを究極的に完成することです。新エルサレムは、手順を経て究極的に完成された三一の神と、手順を経て究極的に完成された三部分から成る召会の究極の結合、ミングリング、合併です(ヨハネ17:21.エペソ4:4-6, 16.コロサイ2:19.啓19:7-9.21:2, 9-10)。

 

 わたしたちは召会生活の中で、あらゆる段階において啓示されている神を享受します。わたしたちの神は、創造の神、肉体と成った神、贖う神、内住する神でしたし、今なおそうです。彼は究極的に、最終的に合併された神であり、わたしたちは彼の合併の中にいます。その合併は今日、新エルサレムの前味わいとしての召会生活です。ここで合併された神の中で、わたしたちはすべてを含む神をあらゆる段階で享受します。わたしたちは召会生活の中で命の水の川の流れを感じ、また新エルサレムの前味わい、神と人との究極的合併を経験します。(リー全集、1973年―1974年、第1巻(下)、「団体のキリストのビジョンと経験」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第23日

(年二回の訓練12月 第10週2日)

 

主に結合される者は、主と一つ霊になります

 

Ⅰコリント6:17

しかし、主に結合される者は、主と一つ霊になります。

 

啓22:17

その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」。聞く者も「来たりませ!」と言いなさい。渇いている者は来たれ.欲しい者は、命の水を値なしに飲むがよい」。

 

「キリストの中で歩くために、すなわち、霊にしたがって、また良き地の実際としての霊によって歩くために、わたしたちが見なければならないことは、再生された三部分から成る信者と究極的に完成された三一の神との霊的な交わりのかぎが、Ⅰコリント第6章17節「主に結合される者は、主と一つ霊になります」であるということです。わたしたちはその霊である神から再生されて、霊となりました(ヨハネ3:6)。わたしたちは、わたしたちの霊の中にある神の住まいとなります。その霊はそこに住む方です(エペソ2:22)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主に結合される者は、主と一つ霊になることを感謝します。主よ、わたしたちはその霊である神から再生されて、ミングリングされた霊の中で聖別、更新、造り変え、同形化、栄光化へと至る過程を歩み続けることができますように。

 

 

「一つ霊」は、その霊である主とわたしたちの霊とのミングリングを示しています

 

 「主に結合される」ことは、信者たちが主の中へと信じることによる(ヨハネ3:15-16)、主との有機的結合を言っています。この結合は、ぶどうの木とその枝との結合(ヨハネ15:4-5)によって説明されます。それは命(神聖な命)「の」事柄だけでなく、命「の中の」事柄でもあります。復活された主とのそのような結合は、わたしたちの霊の中でのみ可能です(Ⅰコリント6:17、フットノート1)。 [「一つ霊」]は、その霊である主とわたしたちの霊とのミングリングを示しています。わたしたちの霊は、神の霊によって再生されました(ヨハネ3:6)。その霊は今やわたしたちの中におられて(Ⅰコリント6:19)、わたしたちの霊と一です(ローマ8:16)。(Ⅰコリント6:17、フットノート2)

 

 啓示録第2章と第3章では、諸召会に語るのはその霊でした。この書の終わりのこの箇所[第22章17節]では、その霊と花嫁である召会が一になって共に語っています。これは、その霊を経験することでの召会の進歩を示しています。召会は進歩して、三一の神の究極的完成であるその霊と一になっています。(啓22:17、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第22日

(年二回の訓練12月 第10週1日)

 

キリストの中で歩き、生き、行動して、彼の豊富を享受します

 

コロサイ2:6-7

それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから。……彼の中で歩きなさい。

 

ガラテヤ5:16

しかしわたしは言います.霊によって歩きなさい.そうすればあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。

 

「わたしたちはキリストを受け入れたので、彼の中で歩くべきです。今日の良き地は、すべてを含む霊としてのキリストです(ガラテヤ3:14)。彼はわたしたちの霊の中に住んで(Ⅱテモテ4:22.ローマ8:16)、わたしたちの享受となっています。ですから、霊にしたがって、また霊によって歩くことは(ローマ8:4.ガラテヤ5:16)、新約における中心的で重要な点です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主はわたしたちの霊の中に住んでおられ、わたしたちの享受であることを感謝します。主よ、わたしたちが霊にしたがって、また霊によって歩くことによって、良き地としてのキリストを享受することができますように。

 

 

今日の良き地は、すべてを含む霊としてのキリストです

 

 コロサイ人への手紙第2章7節で、歩くとは、生き、行動し、振る舞い、存在することです。わたしたちはキリストの中で歩き、生き、行動して、彼の豊富を享受すべきです。それは、イスラエルの子たちが良き地の中で生活して、そのすべての豊富な産物を享受したようにです。今日の良き地は、すべてを含む霊としてのキリストです(ガラテヤ3:14)。彼はわたしたちの霊の中に住んで(Ⅱテモテ4:22.ローマ8:16)、わたしたちの享受となっています。この霊にしたがって歩くことは(ローマ8:4.ガラテヤ5:16)、新約における中心的で重要な点です。(コロサイ2:7、フットノート3)

 

[ガラテヤ人への手紙第5章]の文脈によれば、[16節]の霊は、聖霊であるに違いありません。この聖霊は、わたしたちの再生された霊の中に住んで、それとミングリングされています。霊によって歩くとは、わたしたちの歩みが、わたしたちの霊の内側から、聖霊によって規制されることです。これは、……肉の領域で、律法によって規制されることと対比しています。(ガラテヤ5:16、フットノート2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第20日

(年二回の訓練12月 第9週6日)

 

神聖な性質を享受することを通して、卓越した美徳の発展があります

 

Ⅱペテロ1:3,5-7

彼の神聖な力は、ご自身の栄光と美徳によって、わたしたちを召してくださった方を知る全き認識を通して、命と敬虔にかかわるすべての事柄を、わたしたちにすでに与えてくださっています。……5-7 まさにこのゆえに、勤勉の限りを尽くして、あなたがたの信仰に美徳をあふれるばかりに供給し、美徳に知識を、知識に自制を、自制に忍耐を、忍耐に敬虔を、敬虔に兄弟愛を、兄弟愛に愛を供給しなさい。

 

「Ⅱペテロ第1章3節から8節には、神聖な性質を享受することを通して持つ、卓越した美徳の発展があります。「命と敬虔にかかわるすべての事柄」とは、神聖な命のさまざまな面であり、それらは良き地の産物の豊富によって予表されています(Ⅱペテロ1:3)。最終的にわたしたちは、命における完全な発展と円熟を持ちます(5-8節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、命と敬虔にかかわるすべての事柄が信仰という種として、わたしたちにすでに与えられていることを感謝します。主よ、わたしたちが神聖な性質を享受することを通して、成長することができますように。兄弟姉妹が互いに愛し合うだけでなく、神の愛をもってすべての人を愛するまでの円熟へと至らせてください。

 

 

信仰という種から成長し、発展して、兄弟愛と愛へと至ります

 

 ペテロの第二の手紙第1章5節から7節には、信仰から愛への発展があります。この発展は美徳、知識、自制、忍耐、敬虔を含みます。最終的に、わたしたちは完全な発展と円熟を持ちます。それは、信仰という種から、美徳と知識という根、自制という幹、忍耐と敬虔という枝々を通して、兄弟愛と愛という花と実へと至ります。

 

 神聖な美徳は信者たちの中に存在しており、また彼らによって所有されているだけでなく、また神聖な命の発展と成長において彼らの中で満ちあふれ、増殖しています。すべての美徳はすでに種の中に存在しています。そして今それらは満ちあふれる機会を待っています。種の中の美徳が満ちあふれるために、種は土の中にまかれ、それから成長し、発展して、それが開花し、実を結ぶに至る必要があります。(「ペテロの第二の手紙ライフスタディ」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第19日

(年二回の訓練12月 第9週5日)

 

雅歌において、個人の信者とキリストとの愛情に満ちた交わりの漸進的な経験があります

 

雅4:3,13

あなたの唇は紅の糸のようで、その口は愛らしい.あなたの両頬は、ベールの後ろにあって、ざくろの片割れのようだ。……13 あなたの若枝は、最上の実を結ぶざくろの果樹園、ヘンナ樹にナルド。

 

「雅歌によれば、ざくろには、個人の信者とキリストとの愛情に満ちた交わりの漸進的な経験において、霊的な意義があります(雅4:3後半,13前半.6:7,11.7:12.8:2後半)。キリストが彼を愛する者を享受することにおいて、彼女は閉じられた園であって、あらゆる種類の異なる色の植物を、内なる命のさまざまな表現として成長させ、またさまざまな香りの植物を、円熟した命の豊かな表現として成長させます(雅4:13-14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちとキリストとの愛情に満ちた交わりが深まっていきますように。主よ、わたしたちが働きよりも命に注意を払い、ざくろの花が咲いたかを見る者たちとなることができますように。

 

 

キリストを愛することにおいて、彼女は閉じられた園であって、この世の目から覆われています

 

 両頬は、美しさが現し出される場所です。わたしたちのすべての外側の表現(喜怒哀楽など)は、両頬を通して見られます。「あなたの両頬は、ベールの後ろにあって、ざくろの片割れのようだ」。このざくろは、一つの全体のものではなく、すでに開かれたものです。……ざくろは種に満ちており、一粒一粒の種は果汁に満ちており、赤色であり、甘く、美しいものです。これが意味することは、信者たちの外側の美しさは、主の命が満ちあふれることからやって来るということです。しかしながら、すべてのものはこの世の目から覆われていなければなりません。これが、ざくろがベールの後ろにあることの意義です。……

 

 言い換えると、わたしたちの美しさに気づいておられる方は、ただ主だけであるのです。わたしたちは外側の人々に対して良い証しを持つべきであり、またわたしたちの光は人の前で輝くべきですが、そのような行為は展覧するためではありません。わたしたちの表現は、ただ主の御前だけのものです。信者の生活の原則は、永遠に幕の内側にあり、閉ざされた戸の後ろにあることです。(ニー全集、第23巻、「歌の中の歌(雅歌)」、第3区分)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第18日

(年二回の訓練12月 第9週4日)

 

柱頭を囲む二百のざくろは、命の豊富を表現します

 

エレミヤ52:23

また、空中に向かって九十六のざくろがあり、周りの網細工の上には全部で百のざくろがあった。

 

ヨハネ7:38

わたしの中へと信じる者は、……その人の最も内なる所から、生ける水の川々が流れ出る。

 

「宮の柱の頂にある柱頭を囲む二百のざくろは、命の豊富の表現を表徴します(列王上7:18-20.歴代下3:15-16.エレミヤ52:22-23)。自分自身を裁く者(青銅)と、自分自身を無と考える者は、錯綜した複雑な状況(格子細工の網と鎖細工の飾りひも)のただ中で、完全に責任を担うことができます。なぜなら、彼らは自分自身によってではなく、神にある信仰(ゆりの花の細工)によって生きるからです。ですから、彼らは二百倍の命の豊富(ざくろ)を表現します(列王上7:15-22)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが宮の柱の柱頭を囲む二百のざくろのように、命の豊富の表現を持つことができますように。主よ、わたしたちが自分自身を裁く者となり、複雑な状況に責任を担うことを学ばせてください。自分自身によって生きるのではなく、神にある信仰によって生きることができますように。

 

 

柱頭の百個のざくろのうち四個(天然の命・自己)が隠されています

 

 二百のざくろのゆえにハレルヤ! それぞれの柱頭の周りには、……突出部がありました。それぞれの柱頭の突出部を取り巻いて、百のざくろが二列になっていました。これは、命の豊富の百倍の表現の二倍を示します。あなたが錯綜した複雑な状況の中で、日ごとに責任を担うこれらの長老たちに接触するなら、彼らがざくろ、すなわち命の豊富を表現するのを見るでしょう。……   

 

 百個ごとのざくろのうち四個が隠されていたことは、わたしたちの命の豊富の表現が永遠であり、復活の中に、その霊の中にあり、四という数で表徴されるわたしたちの天然の存在は、覆われていなければならないことを示します。わたしたちの天然の命、天然の存在、自己、自我は、完全に隠されなければなりません。……キリストの豊富が表現されているとき、他の人は復活の中、その霊の雰囲気の中にある命の豊富の永遠の表現を見ることができますが、わたしたちの天然の人がどこにいるかを言うことは困難です。わたしたちの自我が覆われていることを見るのは、何と意義深いことでしょう!(「創世記ライフスタディ(5)」、第83編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第17日

(年二回の訓練12月 第9週3日)

 

正常な召会生活のしるしはざくろと鈴です

 

出28:33-34

そのすそに、青色と紫色と緋色の撚り糸でざくろを作り、そのすその周りにこれを付け、その周りのざくろの間に金の鈴を付けなければならない.すなわち、上服のすその周りに、金の鈴とざくろ、金の鈴とざくろとなるようにしなければならない。

 

「ざくろと金の鈴が、大祭司の上服(召会を表徴する)の底部にありました(出28:33-34)。召会は人性を、命の豊満の表現のために持っており、また神性を、金の鈴を鳴らすために持っています。わたしたちはまず命の豊満の表現を持ち、次に金の鈴の音、すなわち召会の神性から出る語りかけを持ちます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。大祭司の上服のざくろとざくろの間に金の鈴があることを感謝します。主よ、 わたしたち召会を通して、キリストの命が表現されますように。また、わたしたちが金の鈴から来る警告の声、語りかけを聞くことができますように。

 

 

命の豊満の表現を持ち、次に金の鈴の音の語りかけがあります

 

 命の豊満は、召会の人性において表現されますが、警告の声は、金の鈴によって表徴されているように、召会の神性において表現されます。召会の正しい語りかけは常に召会の神性から来ます。……そのような音は喜ばしく穏やかです。なぜなら、それは鋼鉄の鈴からではなく、金の鈴から来るからです。……召会の中でわたしたちは人の統制の下にいません。……しかしながら、わたしたちはみなざくろと鈴によって統制されています。……[正常な召会生活の]しるしはざくろと鈴です。

 

 ざくろと鈴は交互に置かれ、鈴とざくろとなっていました(出28:34)。これは、神聖な声が神聖な命と互いに関係があることを示します。……もしわたしたちが召会生活の中で鈴を持ってもざくろがないなら、うわさ話や批判があり、金の鈴の音はないでしょう。しかしざくろが鈴と交互に置かれているなら、うわさ話や批判は消え、その代わりに正常な、神聖な音があるでしょう。(「出エジプト記ライフスタディ(6)」、第130編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第16日

(年二回の訓練12月 第9週2日)

 

すべてに拡張する、すべてを含むキリストのビジョンを見ます

 

エペソ3:17-19

またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ、力に満たされて、すべての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得し……あなたがたが満たされて、神の全豊満へと至るように。

 

「熟したざくろとその種は、命の豊満と命の満ちあふれと美しさとの印象を与えます。わたしたちは、命において成長して円熟するなら、ざくろとなります(コロサイ2:19.1:28)。キリストの中で完全に成長することは、キリストで満たされ、浸透され、飽和されることです(コロサイ1:28)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。すばらしい、すべてに拡張する、すべてを含むキリストのビジョンを見ることができますように。そして、わたしたちの全存在をこのキリストに集中させてください。主が、わたしたちを満たし、わたしたちに浸透してざくろとなることができますように。

 

 

キリストで満たされ、浸透され、飽和され、神の全豊満へと至ります

 

 コロサイ人への手紙は、すばらしい、すべてに拡張する、すべてを含むキリストのビジョンを提示しています。いったんわたしたちがこのビジョンを見るなら、わたしたちの全存在はこのキリストによって引き寄せられ、キリストによって所有され、彼で占有されるでしょう。それから徐々に、すべてに拡張するキリストはわたしたちの注意を占有し、わたしたちの天然の人の命のあらゆる要素を置き換えるでしょう。彼はわたしたちの親切、へりくだり、わたしたちの両親に対する愛でさえ、ご自身に置き換えます。せいぜい、わたしたちの天然の美徳は磨かれた銅にたとえることができるだけですが、キリストは金です。

 

 主は、わたしたちが生まれつき所有しているどんなものよりも、はるかに価値があります。あらゆるものにまさり、わたしたちの天然の命にあるすべてのものを、ご自身に置き換えるキリストを経験すればするほど、ますますわたしたちは、「わたしにとって生きることはキリストです」と宣言することができるようになります。……わたしたちにとって、生きることはキリストです。彼はわたしたちを完全に所有し、占有し、ご自身で満たします。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第15日

(年二回の訓練12月 第9週1日)

 

ざくろが表徴するのは、命の豊満、命の満ちあふれと美しさです

 

申8:8

小麦と大麦とぶどうといちじくの木とざくろのある地……

 

コロサイ2:19

かしらに結び付いて……この方から、からだ全体は、……神の増し加わりによって成長するのです。

 

「聖書において、ざくろが表徴するのは、命の豊満、命の満ちあふれと美しさ、命の豊富の表現です(申8:8.出28:33-34.列王上7:18-20.雅4:3後半,13前半)。わたしたちがキリストを小麦、大麦、ぶどうの木、いちじくの木として経験し享受するなら、キリストの命の満ちあふれがわたしたちと共にあり、キリストの美しさがわたしたちの周りにあるでしょう。これがキリストをざくろとして経験することです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを命と光に満ちている愛する御子の王国へと移してくださったことを感謝します。主によって規制され支配されて、命の満ちあふれを経験し、あなたをざくろとして経験することができますように。

 

 

わたしたちは、命において成長して円熟するなら、ざくろとなります

 

 あなたは熟したざくろを見るとき、命の満ちあふれと美しさを直ちに認識します。あなたはキリストを復活した方として享受し、また彼の復活の力によってこの地上でイエスの命を生きて、あらゆる種類の圧搾、迫害、困難、争いに苦しむなら、あなたの内側でキリストの甘さと満足を認識し、命の美しさと満ちあふれを他の人に現すでしょう。他の人はあなたと接触するとき、キリストの愛と吸引力を感じ、命の満ちあふれが彼らに分け与えられるでしょう。(「すべてを含むキリスト」、6章)

 

 わたしたちは、主イエスに対するわたしたちの愛から、進んで主によって規制され支配されればされるほど、ますます命において、命の満ちあふれにおいてさえ成長します。これは、彼の愛する御子の王国が、キリストを命として享受するためであることを示します。……わたしたちは哲学、倫理、禁欲主義、規定を保持していた時、暗やみの権威の下にありました。しかし神はわたしたちをこの権威から救い出して、命と光に満ちている愛の王国へと移してくださいました。ここにはただ……キリスト、彼の愛する御子だけがあります。ここでは愛、光、命を持ちます。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第13日

(年二回の訓練12月 第8週6日)

 

キリストはわたしたちの経験の中で、現在の実際的な知恵となります

 

Ⅰコリント1:24,30

召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリストは神の力、また神の知恵です。…… しかし、あなたがたがキリスト・イエスの中にあるのは、神によるのです.このキリスト・イエスは、神からわたしたちに与えられた知恵、すなわち、義と聖別と贖いとなられました.

 

「わたしたちの割り当てられた分け前、またわたしたちの計り知れないほど豊富な良き地としてのキリストの中で、わたしたちは何も欠けるものがありません。このキリストはわたしたちのすべてに十分な神であり、大いなる「わたしはある」です。わたしたちは主を日ごとに経験し、享受することができます」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは神からわたしたちに与えられた知恵、すなわち、義と聖別と贖いとなられたことを感謝します。主よ、わたしたちがあなたをすべてに十分な神、大いなる「わたしはある」として経験し、享受することができますように。

 

 

キリスト・イエスは、神から与えられた知恵、すなわち、義と聖別と贖いです

 

 キリストはまた神からわたしたちに与えられた知恵でもあります(Ⅰコリント1:24後半、30節後半)。わたしたちは日々、わたしたちにとって知恵であるキリストを必要としています。知恵であるキリストは絶えず神からわたしたちへと流れて、わたしたちの経験の中で、今、現在の実際的な知恵となります。キリストはわたしたちの義です(30節後半)。キリストはわたしたちが神によって義とされるための義であり、それはわたしたちが霊の中で再生されて、神聖な命を得るためです。さらに、わたしたちの主観的な義として、キリストはわたしたちの中に住まわれる方であり、それはわたしたちが神によって義とされることができ、また常に神に受け入れられる生活をするためです。

 

 キリストご自身は、わたしたちの聖別です(30節後半)。……これは、キリストは造り変えを生み出す要素であることを意味します。……コリント人への第一の手紙第1章30節によれば、キリストはわたしたちの贖い、すなわち、わたしたちの体の贖いでさえあります(ローマ8:23)。わたしたちの贖いである方として、キリストは「わたしたちの卑しい体をも変貌させ、それをキリストの栄光の体に同形化してくださいます」(ピリピ3:21)。(「1990年秋 訓練生へ語られたメッセージ」、第18章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第12日

(年二回の訓練12月 第8週5日)

 

キリストはあらゆる必要であり、すべての享受です

 

ヨハネ8:12

こうして、イエスは再び彼らに語って言われた、「わたしは世の光である.わたしに従う者は、決して暗やみの中を歩くことがなく、命の光を持つ」。

 

ヨハネ4:14

……わたしが与える水は、その人の内で源泉となり、湧き上がって、永遠の命へと至るのである」。

 

「土壌としてのキリストは、神の歴史と奥義であり、彼のパースンと手順とのすべての豊富を伴っています(コロサイ2:2)」。キリストはわたしたちが必要とする光、空気、水、食物、衣服、住まい、享受、安息です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。土壌としてのキリストは、すべての豊富を伴っていることを感謝します。主イエスよ、あなたは世の光です。 主よ、あなたの御名を呼び求めて、光の中を歩くことができますように。主よ、日ごとにあなたを食べ、飲み、呼吸して、あなたを享受させてください。

 

 

キリストはすべての影の本体であり、あらゆる積極的な事物の実際です

 

 キリストはあらゆる必要であり、すべての享受です。……ヨハネによる福音書第8章12節は、キリストは世の光であり、キリストに従う者はだれでも、暗やみの中を歩くことがなく、命の光を持つと言います。……キリストはまたわたしたちの食物です。ヨハネによる福音書第6章で、キリストはわたしたちに、彼は生けるパンであり、わたしたちが彼を食べるなら、彼のゆえに生きると告げられました(51、57節後半)。……

 

 コリント人への第一の手紙第10章4節によれば、キリストはわたしたちの霊の飲み物です。クリスチャンのレースにおいて、わたしたちはすべてを含む飲み物としての、すべてを含むキリスト以外に何も飲むべきではありません。……キリストはまさにわたしたちの息です。ヨハネによる福音書第20章22節は、キリストは弟子たちの中にご自身を息吹かれたことを見せています。わたしたちは彼の御名を呼び求めることによって、瞬間ごとに彼を呼吸する必要があります。……キリストはすべての影の本体であり、わたしたちの享受のために、宇宙にあるあらゆる積極的な事物の実際です。(「1990年秋 訓練生へ語られたメッセージ」、第18章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第11日

(年二回の訓練12月 第8週4日)

 

何も欠けるもののない土壌としてのキリストを享受します

 

コロサイ2:9-10

なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです.そしてあなたがたは、キリストにあって満ち満たされているのです.彼はすべての支配と権威のかしらです。

 

「コロサイ第2章8節から15節は、その中でわたしたちが何も欠けるもののない土壌としてのキリストの完全な記述と説明を提示しています。わたしたちが時間を費やして、すべてを含む地としての彼を吸収するとき、これらの節における事実はわたしたちの経験となります。事実は、キリストの中にあり、経験は、キリストによって、またキリストをもってです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいることを感謝します。土壌としてのキリストは、わたしたちの霊の中におられます。主よ、わたしたちが土壌としてのキリストの中に根ざして、その豊富な供給を得ることができますように。

 

 

土壌としてのキリストの中に根ざして、満ち満たされます

 

 コロサイ人への手紙第2章7節の「根ざしており」という表現は、土壌があることを暗示します。8節から15節は、わたしたちがその中に根ざしている土壌としてのキリストの完全な記述です。わたしたちはすでに土壌の中に根ざしており、土壌から吸収する要素をもって成長します。わたしたちは土壌としてのキリストが、わたしたちの霊の中におられることを知っています。

 

 このとても特別な土壌の第一の面は、9節に見いだされます……。わたしたちは、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいる方の中に根ざしています。……[そのとき]、第一に起こる事は、わたしたちがキリストにあって満ち満たされることです(10節)。……[満ち満たされている]というギリシャ語の言葉は完全、完成、満足、満ち満ちた完成を暗示します。土壌としてのキリストの中で、わたしたちは満たされ、完全にされ、完成され、満足を得て、徹底的に供給されます。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(3)」、第53編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第10日

(年二回の訓練12月 第8週3日)

 

わたしたちは良き地としてのキリストの中に根ざしています

 

コロサイ2:7,19

すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら…… かしらに結び付いていないのです.この方から、からだ全体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。

 

「コロサイ第2章6節から7節が啓示しているのは、その中でわたしたちが何も欠けるもののない(申8:9)良き地としてのキリストが、豊富な土壌であって、わたしたちはその中に根ざしており、その土壌から吸収する要素をもって成長するということです(エペソ3:17後半)。日ごとにわたしたちは、時間を取ってキリストを吸収する必要があります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがすでにキリストの中に根ざしていることを感謝します。主よ、わたしたちが時間を取って主の足下に座り、主を吸収し、主の豊富を享受することができますように。

 

 

日ごとに時間を取って主を吸収し、時間を取ってキリストの豊富を消化します

 

 成長も建造も根ざすことにかかっています。……良き地として、キリストご自身は豊富で、肥沃な土壌です。わたしたちはすでにキリストの中に根ざしており[コロサイ2:7]、日ごとにキリストの豊富な養分をわたしたちの中へと吸収し、わたしたちを成長させる要素としなければなりません。一日中、柔らかい根としてのわたしたちは、土壌としてのキリストの豊富を吸収すべきです。わたしたちはこれらの豊富を吸収すればするほど、ますますキリストによって浸透され、有機的にキリストによって置き換えられます。これが成長すること、キリストの中で建造されることです。……

 

 わたしたちの必要は、時間を取って神を吸収することです。わたしたちは日ごとに時間を取って食物を食べるように、日ごとに時間を取って主を吸収し、時間を取ってキリストの豊富を消化すべきです。…… あなたの状況、状態、失敗、弱さを忘れ、ただ時間を取って主を享受してください。……あなたが時間を取って主を吸収するなら、キリストの中で何の欠けることもないと、証しすることができるでしょう。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(3)」、第52編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第9日

(年二回の訓練12月 第8週2日)

 

キリストにあずかり、キリストを享受する唯一の道は、光の中にあります

 

Ⅰヨハネ1:5

さて、わたしたちが彼から聞いて、あなたがたに伝える知らせはこれです.すなわち、神は光であって、神の中には少しの暗やみもありません。

 

イザヤ2:5

ヤコブの家よ、来たれ.わたしたちはエホバの光の中を歩もう。

 

「わたしたちは、良き地としてのすべてを含むキリストを享受するために「光の中に」いなければなりません。光は神の臨在です(コロサイ1:12.Ⅰペテロ2:9.イザヤ2:5.Ⅰヨハネ1:5)。神は光です(Ⅰヨハネ1:5)。神の言葉は光です(詩119:105,130)。キリストは光です(ヨハネ8:12.9:5)。キリストの命は光です(1:4)。信者たちは光です(マタイ5:14.ピリピ2:15)。召会は、光をもって輝く燭台です(啓1:20.詩73:16-17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神は光であり、神の中には少しの暗やみもないことを感謝します。主よ、わたしたちが主と交わり、内なる油塗りに従って、光の中を歩むことができますように。

 

 

召会の中、また集会の中で、わたしたちは光の中にいます

 

 キリストにあずかり、キリストを享受する唯一の道は、光の中にあります。神とキリストは光です。主に向き、主の臨在の中に入る時、わたしたちは光の中にいて、自然にわたしたちの分け前としての主を享受し始めます。…… わたしたちはさらに多く主と接触する必要があります。わたしたちはおおいのない顔と開かれた心で主の御言を読む必要があります。わたしたちは主と交わり、内なる油塗りに従う時、実際的に内側の命としての主を経験するでしょう。この命は光です。内なる油塗りに従うなら、わたしたちは光の中にいるでしょう。わたしたちはまた、真実な方法で人と交わることによって、光の中にもたらされます。交わりの中に光の輝きがあります。

 

 さらに、わたしたちは召会生活の中にいて、集会に参加する必要があります。なぜなら召会の中、また集会の中で、わたしたちは光の中にいるからです。召会の集会で、わたしたちはしばしば内側深くに、光の中にいてわたしたちの分け前としてのキリストを享受しているという感覚を持ちます。このすべては、わたしたちが光の中にいて聖徒たちの分け前としてのキリストを享受するための手段です。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第8日

(年二回の訓練12月 第8週1日)

 

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかります

 

コロサイ1:12

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように.

 

Ⅰペテロ2:9

……それは、あなたがたを暗やみから、驚くべき光の中へ召してくださった方の美徳を、あなたがたが告げ知らせるためです.

 

「首位である、すべてを含む方としてのキリストは、光の中で聖徒たちに割り当てられた分け前であり、わたしたちに経験と享受を与えます(コロサイ1:12)。新約の信者たちの割り当てられた分け前は、物質の地ではなく、命を与える霊としてのすべてを含むキリストです(コロサイ2:6-7.ガラテヤ3:14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します  光の中で、わたしたち聖徒たちに割り当てられた分け前があることを感謝します。主よ、わたしたち新約の信者たちに割り当てられた命を与える霊としてのすべてを含むキリストを享受することができますように。

 

 

キリストの計り知れない豊富を享受し、建造されて、キリストのからだ、召会となります

 

 「割り当てられた分け前」は、嗣業の分け前を指しています。それはイスラエルの子たちに、カナンの良き地の分け前が、彼らの嗣業として割り当てられたことで例証されます(ヨシュア14:1)。新約の信者の嗣業、彼らに割り当てられた分け前は、物質の地ではありません。それは、すべてを含むキリストです。彼は聖徒たちの享受のために、彼らの神聖な嗣業としての割り当てられた分け前です。(コロサイ1:12、フットノート2)

 

 神のエコノミーの目標は、単に彼の民を贖い、エジプトで予表されるこの世から救うことだけでなく、良き地で予表されるキリストの中へともたらし、彼らがキリストを所有し、キリストの計り知れない豊富を享受することでもあります。イスラエルの子たちは地の豊富を享受することによって、宮を建造して、地上での神の住まいとならせることができました。また、エルサレムの都を建造して、地上に神の王国を設立することができました。同じように、キリストにある信者たちは、キリストの計り知れない豊富を享受することによって建造され、キリストのからだ、召会となります。それは、キリストの豊満、彼の表現(エペソ1:22-23)であり、また神の住まい(エペソ2:21-22.Ⅰテモテ3:15)と神の王国です(マタイ16:18-19.ローマ14:17)。(申命記8:7、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第6日

(年二回の訓練12月 第7週6日)

 

わたしたちは、自分が主の昇天の中にいることを見る必要があります

 

エペソ2:6

キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました。

 

コロサイ1:27

神は彼らに、異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどんなものであるかを、知らせたいと願われました.それはあなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。

 

「わたしたちは、自分が主の昇天の中にいることを見る必要があります(エペソ2:6)。恵みの時代全体は、主の昇天の時期です(1:20)。主は今日、ご自身の昇天において、わたしたちの霊の中にいます(Ⅱテモテ4:22前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内にいますキリストは栄光の望みであることを感謝します。主よ、わたしたちが主の昇天の中にいることの啓示を与えてください。わたしたちの霊の中で、主と共に昇天の中にいるという霊的な実際を経験することができますように。

 

 

主は今日、ご自身の昇天において、わたしたちの霊の中にいます

 

 天の務めは主の昇天における彼の働きです。…「昇天」という用語は、主が天に昇った時から、主の再来の時に天から下って来る時までの期間を含みます。… 恵みの時代全体は主の昇天の時期です。彼は天で、多くのことを行なっておられますが、今日のクリスチャンは、このキリストの務めに対してあまり注意を払っていません。今日、彼は天で神の右に座しておられる(ローマ8:34)だけでなく、わたしたちの中にもおられます(10節)。これはとても奥義的です。

 

 主は昇天において天におられ、わたしたちの中にある主の臨在も昇天の中にいます。今日わたしたちは昇天の中にいます。わたしたちは地的な人でなく、天的な人です。ピリピ人への手紙第3章20節は、わたしたちの国籍は天にあると言います。わたしたちは天の市民ですから、みな昇天の中にいます(エペソ2:6後半)。……主は昇天において、わたしたちの中へと入って来られました。主は今日、ご自身の昇天において、わたしたちの霊の中におられます。三一の神は、この昇天において、わたしたちの中で行動し、この行動は彼の歴史となります。それはまたわたしたちの歴史となります。(「人の中の神の動き」、メッセージ8)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第5日

(年二回の訓練12月 第7週5日)

 

キリストは彼の昇天において、天における大祭司とされました

 

ヘブル4:14-15

……わたしたちは、天を通って行かれた大いなる大祭司、イエス、神の御子を持っているのですから、その告白をしっかりと保持しようではありませんか。わたしたちの大祭司は、わたしたちの弱さに同情することのできない方ではなく、罪のないことは別にして、すべての面でわたしたちと同じように試みられたのです。

 

「キリストは彼の昇天において、天における大祭司ともされました。彼は神の臨在の中でわたしたちを担い、またわたしたちのすべての必要を顧みます。彼は昇天において彼の祭司の職務に就任しました(ヘブル2:17-18.4:14-15.詩110:1-4.ヘブル5:6.7:26)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは昇天において、わたしたちの大いなる大祭司であることを感謝します。大祭司として、わたしたち召会のためにとりなしてくださっていることを感謝します。わたしたちのすべての必要を顧みておられることを感謝します。

 

 

キリストは、天において諸召会のためにとりなしている大祭司であり、顧みている大祭司です

 

 キリストは彼の昇天において、天における大祭司ともされました[ヘブル4:14]。……主は肉体と成ることを通して神からわたしたちに来られました。そして復活と昇天を通してわたしたちから神に戻って行ってわたしたちの大祭司となり、神の臨在の中でわたしたちを担い、わたしたちのすべての必要を顧みておられます(2:17-18.4:15)。……キリストは彼の昇天において、天を通って行かれました。今や彼は天におられるだけではなく(9:24)、天より高く、すべての天よりもはるかに高いのです(エペソ4:10)。彼は昇天において彼の祭司の職務へと就任しました。…… 

 

 啓示録でキリストがまず行政執行者としてではなく、祭司として明らかにされていることは意義深いのです。啓示録第1章13節は、「その燭台の間に、人の子のような方が、足まで垂れた衣を着て」と言います。一方でキリストは、天において諸召会のためにとりなしている大祭司です(ヘブル7:25-26.ローマ8:34)。もう一方で彼は、諸召会において行動しそれらを顧みている大祭司です。(「ルカによる福音書ライフスタディ(3)」、第79編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第4日

(年二回の訓練12月 第7週4日)

 

キリストは昇天において、彼のからだである召会のかしらとされました 

 

コロサイ1:18

そして御子は、召会であるからだのかしらです.彼は初めであり、死人の中から最初に生まれた方です.それは彼ご自身が、万物のうちで第一位となるためです。

 

エペソ3:19

……知識を超越したキリストの愛を知ることができるように.また、あなたがたが満たされて、神の全豊満へと至るように。

 

「キリストは彼の昇天において、彼のからだである召会のかしらとされました。それは彼の豊満の中で神を表現するためです(コロサイ1:18.エペソ1:23.3:19)。かしらとからだは一であり、宇宙的な人を形成します。この神聖な事柄には、空間の要素も時間の要素もありません。からだは神聖な命において、また神聖な霊においてかしらと一です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。かしらであるキリストからの神聖な伝達を感謝します。主よ、わたしたち召会は、神聖な命において、また神聖な霊においてかしらと一です。主よ、あなたが到達し獲得されたものは何であれ、今や召会の中へと伝達されています。わたしたちがいつも開いて、日ごとに神聖な伝達を経験することができますように。

 

 

からだは神聖な命において、また神聖な霊においてかしらと一です

 

 わたしたちは、「キリストの昇天はわたしから遠くかけ離れたものです。わたしはそれを理解することができず、神聖な伝達を見ることができません」と言うべきではありません。あなたは惑星に太陽の周りを回転させている力を見ることはできませんが、やはりそれを信じます。わたしたちは神聖な霊の領域の中に力があって、キリストが彼の昇天の中で到達し獲得されたすべてを、わたしたちに伝達していることを信じる必要があります。……彼が到達し獲得されたものは何であれ、今や召会の中へと伝達されつつあります。わたしたちが清い容器であり、進んで自分自身を開いている限り、この伝達は絶えず起こります。……

 

 わたしたちは神聖な伝達を信じるだけであってはなりません。日ごとにそれを経験する必要があります。わたしはこの伝達を経験しているので、何もわたしを打ち破り、妨げ、圧迫することはできないと、証しすることができます。光、命の供給、支える力は、この神聖な伝達のゆえに絶えずわたしに来ます。(「ルカによる福音書ライフスタディ(3)」、第78編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第3日

(年二回の訓練12月 第7週3日)

 

キリストを万物の上にかしらとして召会に与えられました

 

エペソ1:22-23

また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。

 

「わたしたちは、主の昇天の主観的な面を見る必要があります(参照、詩91:1.雅4:7-8.6:10)。エペソ第1章19節から23節は、昇天したキリストからわたしたちに対する伝達があることを啓示しています。22節は、神はキリストを「万物の上にかしらとして召会に」与えたと言っています。「召会に」という句は、昇天したキリストから召会、彼のからだに対する伝達を示します」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神は、キリストを万物の上にかしらとして召会に与えられたことを感謝します。昇天したキリストからわたしたち召会に対する伝達があることを感謝します。主よ、わたしたちが開いて、あなたの伝達を受けることができますように。

 

 

昇天したキリストからわたしたちに対する伝達があります

 

 神がキリストをかしらとされたのは、召会にです。それは召会に伝達されます。召会はそれにあずかります。これはエペソ人への手紙第1章19節の「わたしたちに働く彼の力」という言葉と符合します。「わたしたちに」という句がかぎです。なぜなら、それも伝達を示すからです。……昇天したキリストから召会への神聖な伝達を通して、人・救い主の昇天は明確にわたしたちと関係があります。彼の昇天の中でわたしたちが彼に結合されていることに何の疑いもあり得ません。

 

 こういうわけで、エペソ人への手紙第2章6節は、わたしたちはキリスト・イエスの中で、共に天上で座らせられていると告げています。わたしは何年間も、…… わたしたちがどのようにして天上で座らせられることができるのか、理解することができませんでした。わたしは、電気がすばらしい例証であって、これを理解するのを助けることを見いだしました。わたしたちの家庭で作動している電気は、発電所にもあります。これは、電気が同時に発電所とわたしたちの家庭の両方にあることを意味します。同じように、神聖な伝達を通して、わたしたちは天でキリストに結合されています。これは……驚くべき事実です。天の発電所の中にある力は、わたしたちの中にもあるのです。(「ルカによる福音書ライフスタディ(3)」、第78編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第2日

(年二回の訓練12月 第7週2日)

 

キリストの昇天において、神はキリストを天の務めに就任させました

 

使徒2:36

……あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです。

 

ヘブル1:9

あなたは義を愛し、不法を憎まれます.それゆえに神、あなたの神は、歓喜の油を、あなたのパートナーにまさって、あなたに塗られました」と言われます。

 

「イスラエルの全家は、確かに知っておきなさい.あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです」(2:36).この節の「された」という言葉は、「就任した」を意味すると理解することができます。キリストの昇天において、神はキリストを彼の天の務めに就任させました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの霊の中におられるキリストは、今や昇天において、キリストとして天で御座に着いておられます。天においても地においても、いっさいの権威があなたに与えられています。主よ、わたしたちが神聖な権威の下で生きるという学課を学ぶことができますように。

 

 

昇天において、キリストは万物を所有する万民の主とされました

 

 昇天において、キリストは万民の主です(使徒2:36.10:36)。神として、キリストは常に主でした(ルカ1:43.ヨハネ11:21.20:28)。しかし人として、彼は復活の中で彼の人性を神の中へともたらした後、昇天において主とされました。昇天において、キリストは万物を所有する万民の主とされました。使徒行伝第10章36節で、ペテロはキリストのことを「万民の主」と語っています。ここの「万民」はすべての人、すべての民を指しています。キリストは昇天において、ユダヤ人の主だけではなく、異邦人の主でもあります。彼は地上にいるすべての異なる人種と民の主です。

 

 彼は昇天の前に主でしたが、公式にはこの職務へと就任しておられませんでした。神に対する旧約の名の一つは主(ヘブル語、アドナイ――Adonai)であって、「主人」を意味します。キリストは旧約ではアドナイでした。そして彼は人、軽べつされたナザレ人に成られました。この方は、地上にいた時でさえ主でした。しかし、彼は昇天においてはじめて、彼の主権へと就任されました。キリストは昇天において、すべての人だけでなく、万物の主として就任されたのです。(「新約の結論(1)」、メッセージ31)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


4月の祈り第1日

(年二回の訓練12月 第7週1日)

 

主はご自身の昇天によって栄光と尊貴を冠として与えられました

 

ヘブル2:9

ただ、イエスが栄光と尊貴を冠として与えられたことを見ます.彼が死の苦しみのゆえに、御使いたちより少し劣ったものとされたのは、……

 

ヘブル12:2

わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。

 

「人・救い主の昇天は、彼の天の職務に就任することであり、それは、創造、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活の過程を通してであり、神また人として、創造主また被造物として、贖い主、救い主、命を与える霊としてであり、神の行政を執行し、神の新約エコノミーを完成するためです。主はご自身の昇天によって、栄光と尊貴を冠として与えられました(ヘブル2:9)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは十字架を耐え忍び、神の御座の右に座しておられることを感謝します。あなたは今も天でわたしたちのためにとりなしてくださっています。主よ、あなたの祈りがわたしたちの祈りとなりますように。

 

主の昇天は天の職務に就任することであり、神の行政を執行します

 

 わたしたちは人・救い主の昇天を理解しようとするなら、それが彼の天の職務に就任することであることを見る必要があります。この就任することは長い過程を必要としました。それは、創造で始まり、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活をもって継続しました。この過程は、神、人、創造主、被造物、贖い主、救い主、命を与える霊としての人・救い主と関係がありました。

 

 主イエスは就任して、神の行政を執行し、神の新約エコノミーを遂行されました。客観的な面で、主の昇天は、彼が栄光と尊貴を冠として与えられるようにし(ヘブル2:9)、神の行政のために御座に着かせられるようにし(12:2)、彼が主となって万物を所有し、キリストとなって神の委託を遂行するようにしました。(「ルカによる福音書ライフスタディ(3)」、第76編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り第30日

(年二回の訓練12月 第6週6日)

 

キリストの御座に近づくその秘訣は、わたしたちの霊です

 

ヘブル4:16

ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか。

 

ヘブル4:2

……その聞いた言は、彼らにとって益となりませんでした.それが聞いた者たちの中で、信仰と混ざり合わされなかったからです。

 

「ヘブル人への手紙の筆者はヘブル人信者たちに、魂の中でさまよってためらうことをしないで、霊の中へと前進して、天のキリストにあずかり、彼を享受するようにと勧めました。天の御座に座しているキリストは(ローマ8:34)、今やわたしたちの中にも(10節)、すなわちわたしたちの霊の中にもいます(Ⅱテモテ4:22)。この霊は、神の住まいがある所です(エペソ2:22)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、天の御座に座しているキリストは、わたしたちの霊の中にもおられることを感謝します。わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、いつもわたしたちの霊に戻ることができますように。そして、天のはしごとしてのキリストを通して、恵みの御座に触れることができますように。

 

 

わたしたちの霊は今日、神の住まいである場所です

 

 疑いもなく、[ヘブル人への手紙第4章16節]で述べられている御座は、天にある神の御座です(啓4:2)。……この御座は、神と小羊の御座です(啓22:1)。わたしたちは今、まだ地上に生きているのに、どのようにして天にある神と小羊、キリストの御座に近づくことができるのでしょうか? その秘訣は、ヘブル人への手紙第4章12節で述べられているわたしたちの霊です。天の御座に座しているキリストは(ローマ8:34)、今やわたしたちの中にも(10節)、すなわちわたしたちの霊の中にもいます(Ⅱテモテ4:22)。この霊は、神の住まいがある所です(エペソ2:22)。ベテル、神の家、神の住まい、すなわち、天の門において、キリストははしごであり、地を天に結び付け、天を地にもたらします(創28:12-17.ヨハネ1:51)。

 

 わたしたちの霊は今日、神の住まいである場所ですから、この霊は今や天の門であり、そこにおいてキリストははしごであって、わたしたち地上の人を天に結び付け、天をわたしたちにもたらします。ですから、わたしたちが霊に戻る時はいつでも、天のはしごとしてのキリストを通して、天の門に入り、天にある恵みの御座に触れます。(ヘブル4:16、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)



2024年    1月1日

朝の祈りの集会 

 

わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます

 

2024年1月1日午前7時から祈りの集会で、わたしたちは詩編第43篇3節-4節の言葉を祈り読みをして、詩歌285を歌い、また家族の救いなどを祈り、享受しました。祈りと共に新しい年を開始できたことを感謝します。

                                             

詩歌285

高き山の上でただ主を見たし、天のみこえを聞き、新鮮な空気を吸う

さらに高嶺へと導きたまえ、霊のいずみ飲みて、さらに主享受す

 

詩篇第43篇3節-4節

 3 あなたの光とあなたの真理を送ってください.それらはわたしを導きます.それらはわたしを、あなたの聖なる山に、あなたの幕屋に連れて行きます。4 わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます.神よ、わが神よ、わたしは竪琴をもってあなたをほめたたえます。

 

詩篇43篇3節、4節フットノート

3-1  光と真理(実際)は分離されたものではなく、一つのものの二つの面です。真理は光の輝きであり、光は真理の源です(Ⅰヨハネ1:5-6と6節のフットノート6、最後の段落)。光がわたしたちの上に輝くと、わたしたちは真理、実際を受けます。わたしたちは交わりの中で神に行くと、光の中にいます。この節によれば、神聖な光と神聖な真理は神の捕囚の聖徒たちを、神の聖なる山と彼の幕屋に導きます。幕屋は諸地方召会を予表します。光と真理は召会の中にあります(Ⅰテモテ3:15)。

 

4-1  詩第42篇から第44篇を書いた詩篇の作者は、捕囚の中で神を愛する者でした(42:6)。彼らは神を慕いあえぎ、神に渇き(42:1-2)、エルサレムに戻りシオンの山に行って祭壇に到達することを願いました。こうして、彼らは宮の中に入って、彼らの歓喜と喜びである神に会うことができました。こういうわけで彼らは、神が彼らに光と真理を与えてくださり(3節)、どのようにして捕囚から解放され、神の住まいに戻るかを知るようにと祈ったのです。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


第15回オープン福音ルーム

3/31:神・人ー主イエス「わたしもあなたを罪に定めない」

 詩歌:292


第14回オープン福音ルーム

6/25:不思議なキリスト

コリント人への第一の手紙 第15章45節後半

最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。

 


第13回オープン福音ルーム

ヨハネによる福音書 第15章13節

人が友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛を、誰も持つことはない。

 11/6

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9/4:神は肉体において現わされた

テモテへの第一の手紙 第3章16節前半

そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です. この方は肉体において現わされ、


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6/25:神の愛と慈しみを受ける

読み語り旧約聖書・メピボセテの受けた愛と慈しみ

ローマ10:12

ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません. 同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです。


第10回 オープン福音ルーム

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真の平安に来る
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マタイ11:28

すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.  そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。


2.27 オープン福音ルーム

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命の光を持つ
22年2月27日 アウトライン.pdf
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ヨハネ8:12

こうして、イエスは再び彼らに語って言われた、「わたしは世の光である.  わたしに従う者は、決して暗やみの中を歩くことがなく、命の光を持つ」。 

詩歌:226 補117

集会についてのお知らせ

千葉にある教会は、ひき続き行動自粛に努めてまいります。しかし、主日(日曜日)には、小規模のパンさきのためのあつまりを、三密(密集・密閉・密接)にならないように注意し、マスク着用で行っております。電車・バスで来られる方もマスク着用の上、ソーシャルディスタンスに注意し、状況が許される範囲でご参加ください。なお体温が37.2°以上の方はひき続き参加はご遠慮ください。

 

集会に参加される方は、まずご自宅で検温をお願いします。集会所では、非接触型赤外線温度計を用意しております。それを用いて、集会当日検温していただくこととなりました。記録して残します。そのさい37.2°を超える値が出たときは、もう一度別の体温計にて再検温していただきます。その後最終判断させていただくという手順になります。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

 

また、zoomを用いてリモートで集会にあずかることも可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。

 

今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。