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10月の祈り28日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第31週(M7)第2日

 

わたしたちの内にいますイエスは、栄光の望みです

 

コロサイ1:27

神は彼らに、異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどんなものであるかを、知らせたいと願われました.それはあなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。

 

Ⅱコリント4:17

なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです。

 

「創始者、キャプテン、開拓者、先駆者(ヘブル6:20)として、キリストは先頭を切って栄光の中に入りました。彼に従って行くわたしたちは、同じ道を歩んでおり、神がわたしたちのために定めた同じ栄光の中へともたらされつつあります(Ⅰコリント2:7.Ⅰテサロニケ2:12)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内にいますキリスト、栄光の望みを賛美します。今日のつかの間の軽い患難が、卓越した永遠の重い栄光をもたらすことを感謝します。わたしたちが日常の生活の中で、神聖な栄光の種を活用して、栄光から栄光へと造り変えられる行程を歩むことができますように。

 

つかの間の軽い患難は、永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらします

 

 このすばらしい人イエスは、原型、模範、先駆者、開拓者、キャプテンであり、ある日わたしたちの中へと入られました。……彼は救い主であるだけではなく、先頭を切ってレースを走り、栄光へ入って行かれた方、神の満ち満ちた表現の中へと入られた方、今日でさえ、神のこの満ち満ちた表現である方です。神の表現、神の栄光の輝きであるこのイエスは(ヘブル1:3)、わたしたちの中へと入って来られたイエスです。……もしコロサイ人への手紙第1章27節がなかったら、わたしたちの内にいますイエスが栄光の望みであるとは、決して想像しなかったでしょう。わたしたちの栄光の望みは、キリストご自身です。……

 

 パウロは、苦難がわたしたちを栄光へ導く助けとなることを知っていました……コリント人への第二の手紙第4章17節でパウロは、「つかの間の軽い患難」と、「永遠の重い栄光」を比較しています。彼は、永遠の重い栄光は、つかの間の軽い患難よりはるかに卓越していると言いました。……真の重みは栄光です。わたしたちのすべての苦難は軽いものであり、つかの間の軽い患難は、永遠の重い栄光をわたしたちにもたらします。(「ヘブル人への手紙ライフスタディ(1)」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り27日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第31週(M7)第1日

 

救いの創始者(キャプテン)、多くの子たちを栄光へ導き入れます

 

ヘブル2:10-11

……多くの子たちを栄光へ導き入れるのに、彼らの救いの創始者を、苦難を通して成就されるのは、彼にふさわしいことでした。聖別する方と、聖別されつつある者たちは、すべてひとりの方から出ているのであり、それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされないで。

 

ルカ24:26

キリストはこれらの苦しみを受けて、彼の栄光に入るべきではなかったのか?

 

「神の永遠の目標は、多くの子たちを栄光へ導き入れることです。神は彼の栄光のためにわたしたちを創造し、形づくり、さらには造りました。栄光とは、神の表現、すなわち表現された神です。わたしたちが神にささげることのできる最高の奉仕は、栄光の中で彼を表現することです(イザヤ43:7.Ⅰコリント6:20.10:31.Ⅱコリント3:8-9,18.4:1,5.出40:34)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたち、多くの子たちを栄光へ導き入れる救いの創始者(キャプテン)であることを感謝します。主よ、救いの創始者は苦難を通して成就されました。わたしたち神の多くの子たちは、今や成就される途上にあります。わたしたちも日々の生活の中で戦って、神がわたしたちのために定められた栄光へ入って行くことができますように。

 

キリストは死の苦しみを受けて、彼の栄光へ入りました

 

 神の目標は、彼の多くの子たちを栄光へ導き入れることです。彼の長子、主イエスは、開拓者として、戦ってこの栄光の中へ入られました。今や、彼は神の多くの子たちの救いのキャプテンであって、戦うことによって、彼らを彼の栄光へ導き入れられます。わたしたち神の多くの子たちは、今やその途上にあり、戦って、神がわたしたちのために定められた栄光へ入って行きます。……  

 

 主は死の苦しみを受け、死の川を渡って、栄光へ、神聖な存在の満ち満ちた表現へと入られました。……三十三年半、地上で生活した後、主はその予表を成就されました。イエスは川を渡られました。彼はバプテスマの時、まず川を渡られました。彼はバプテスマの後、三年半の間、絶えず川を渡っておられました。最終的に、十字架上で、彼は死の川を渡られました。彼は究極の川を渡って、栄光へ入られました。彼が入られた栄光は、神の神聖な存在の表現の実際です。復活の後、彼は神の栄光の表現でした。(「ヘブル人への手紙ライフスタディ(1)」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り25日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第6日

 

召会は、手順を経た三一の神の中にあります

 

エペソ1:3-5,7,13

ほむべきかな.わたしたちの主イエス・キリストの神また父.この方は……世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び、……イエス・キリストを通して、わたしたちを子たる身分へと、……あらかじめ定められました。……その愛する者の中で、わたしたちは彼の血を通しての贖い……を受けています。……彼の中であなたがたはまた約束の聖霊で証印を押されました。

 

「神聖なエコノミーの中では、神聖な三一の三者は、三つの連続した時期においてそれぞれが働き、現されます(エペソ1:3-14)。御父は、計画し、創始し、開始する方です(3-6節)。御子は、父が計画し、創始し、開始したすべての事を達成します(7-12節)。その霊は、父が計画した事と子が達成した事を執行し、適用します(13-14節)。選びは御父からであり、救いは御子からであり、分け与えや繁殖は霊からです(Ⅰテサロニケ1:3-6,10)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが世の基が置かれる前から、キリストの中で選ばれ、子たる身分へとあらかじめ定められたことを感謝します。主よ、あなたが手順を経た三一の神であることを感謝します。わたしたちを三一の神の中にある召会のビジョンで捕らえてください。ビジョンがわたしたちを強め、前進させ続けますように。

 

召会が主イエス・キリストの中にあることは、偉大な事柄です

 

 新約によれば、御父は多くの子たちを願っておられます。御父の関心は子たる身分にあります。これらの子たちを生み出すために、彼は子供たちを生んでこられました。彼には、子供の数を制限する必要はありません。父なる神は、……明確な目的とご計画を持っておられます。神の選びとあらかじめ定めることは、彼の目的にしたがっています。まず、彼はわたしたちを選び、それから、あらかじめ定められました。これは、神が唯一の開始者また創始者であることを示します。こういうわけで、召会が父なる神の中にあることは、召会が神の目的、ご計画、選び、あらかじめ定めることの中にあることを暗示します。……

 

 召会が主イエス・キリストの中にあることは、……偉大な事柄です。……キリストの中にあるとは、罪、肉、自己、天然の命、旧創造、死、サタンがないことを意味します。わたしたちがキリストの中にあるなら、あらゆる消極的なものは終結させられています。……キリストの中にある者にとって、神以外のあらゆるものは終結させられています。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第8編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り24日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第5日

 

召会は三一の神の中にあります

 

ヨハネ14:10-11

わたしが父の中におり、父がわたしの中におられることを、あなたは信じないのか? わたしがあなたがたに語る言葉は、わたしが自分から語るのではない.わたしの中に住んでいる父が、ご自身のわざを行なっておられるのである。わたしを信じなさい.わたしは父の中におり、父はわたしの中におられる.しかし、もし信じないなら、わざそのものによって信じなさい。

 

「パウロが、父なる神と主イエス・キリストにある召会について語るとき、事実上、彼が意味していることは、召会が三一の神の中にあるということです(Ⅰテサロニケ1:1.Ⅰコリント1:2.12:4-6)。神聖な三一の三者は分離することができないので、いつであれわたしたちが第一の御父を持つとき、第二の御子と第三のその霊も持ちます(マタイ12:28.ローマ8:11.ガラテヤ4:4-6)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちの中におられる三一の神であることを感謝します。そして、召会は三一の神の中にあります。父、子、霊には区別がありますが、分離していません。主イエス・キリストの恵みと神の愛と、聖霊の交わりとが日々、すべての兄弟姉妹と共にありますように。

 

父、子、霊には区別がありますが、分離されません

 

 今日のある根本主義的な聖書教師たちは、おそらく無意識的に、実は三神論的であるのです。これらの教える者たちは、父、子、霊には区別があるだけでなく、また分離していると言っています。わたしたちは、父、子、霊には区別があると言うことはできますが、分離していると言うことはできません。わたしたちは御子と御父を分離することはできませんし、また御父と御子をその霊から分離することもできません。なぜなら、三者はみな同時同存し、相互内在しているからです。

 

 ヨハネによる福音書で御子は、彼が御父の中におられ、御父は彼の中におられると言われました(10:38.14:10-11)。御子は御父の中におられ、御父は御子の中におられるなら、どうして分離されることができるでしょうか? 主イエスはまた、彼と御父は一であると言われました(ヨハネ10:30)。これは、御父と御子が区別されても、分離され得ないことのさらなる証拠です。父、子、霊には区別がありますが、分離されません。なぜなら彼らは三であり、しかも一であるからです。(「新約の結論(1)」、メッセージ3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り23日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第4日

 

召会は、父なる神と主イエス・キリストにある人たちで構成されています

 

ヨハネ1:12-13

しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は血からではなく、肉の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生まれたのである。

 

ヨハネ15:1

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は栽培者である。

 

「テサロニケ人への第一の手紙は、「父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会」へあてて書かれています(Ⅰテサロニケ1:1)。わたしたちが見る必要のあることは、召会が、父なる神と主イエス・キリストにある人たちで構成されており、彼らは神の命を持っていて、キリストと有機的に結合されているということです(ヨハネ3:15.15:1,5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは再生され、神から生まれ、神の命を持ち、三一の神との有機的な結合の中にもたらされたことを感謝します。わたしたちが日常生活において、また、召会生活の中で神聖な命と性質を経験し、享受することができますように。

 

神聖な命と性質の中にある有機的結合は、信者たちが聖なる生活をするための基礎です

 

 テサロニケ人への第一の手紙第1章1節は言います、「パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会へ.恵みと平安があなたがたにありますように」。この手紙と第二の手紙はいずれもテサロニケに在る地方召会にあてられており、その召会はその都市のキリストにあるすべての信者から成っていました。そのような地方召会は信者たちから成っており、父なる神と主イエス・キリストの中にあります。

 

 これが示しているのは、そのような地方召会が父なる神から生まれており、彼の命と性質を持っているということです。また、主イエス・キリストであるすべてと彼が行なったすべてにおいて、彼と有機的に結合されているということです。ですから、それは人々からですが(テサロニケ人のような)、有機的に神の中に、また主の中にあるのです。神聖な命と性質の中にあるそのような有機的結合は、信者たちが召会生活のための聖なる生活をするための極めて重要な基礎であり、それが二つの手紙の主題です。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り22日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第3日

 

召会は父なる神と主イエス・キリストの中にあります

 

Ⅰテサロニケ1:1

パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会へ.恵みと平安があなたがたにありますように。

 

「テサロニケに在る召会は、一方において、テサロニケ人に属するものであり、他方において、父なる神と主イエス・キリストの中にあるものでした。そのような召会は、父なる神から生まれており、彼の命と性質を持っています。また、主イエス・キリストであるすべてと彼が行なったすべてにおいて、彼と有機的に結合されています(ヨハネ1:12-13.Ⅰコリント1:30.6:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。召会が三一の神の中にあることを感謝します。わたしたちが、召会は父なる神から生まれて、神の命と性質を持っていることを、また主イエス・キリストと有機的に結合されていることを真に見ることができますように。

 

召会は、父なる神から生まれており、彼の命と性質を持っています

 

 父なる神と主イエス・キリストにあることは、わたしたちがまたその霊にもあることを暗示します。このゆえに、テサロニケ人への第一の手紙第1章1節では三一の神が暗示されているのです。この節は、召会が三一の神の中にあることを示しています。……召会が単に神のものであるためには、神が単にわたしたちの創造主であるだけで十分です。しかし召会が神の中にあるために、神はわたしたちの御父とならなければならず、わたしたちは彼と命の関係を持つ必要があります。同じように、召会が主イエス・キリストの中にあるために、キリストはわたしたちにとって主またイエスでなければなりません。

 

 新約は、召会が神の中にあると言っていないことを認識するのは重要です。テサロニケ人への第一の手紙第1章1節はわたしたちに、召会が父なる神と主イエス・キリストの中にあると告げています。これは、召会が単に神の中にあることについて語ることとは異なります。なぜならそれは、召会が三一の神の中にあることを啓示するからです。聖書によれば、単に神の中にある召会のようなものはありませんが、三一の神の中にある召会はあります。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り21日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第2日

 

わたしたちの心の中におられる主を認識すべきです

 

Ⅰヨハネ3:19-21

このことにおいて、わたしたちは真理から出たものであることを知るでしょう.そして、わたしたちは御前で、心を安らげるでしょう.というのは、わたしたちの心がわたしたちをとがめるとしても、神はわたしたちの心よりも大きくて、すべての事を知っておられるからです。愛する者たちよ、もしわたしたちの心がわたしたちをとがめないなら、わたしたちは神に対して大胆さを持ちます。

 

「三一の神がわたしたちの経験と享受になるとき、彼は御座におられる宇宙的に広大な方であるだけでなく、わたしたちの心の中におられる方でもあります(啓4:2-3.5:6.Ⅰヨハネ3:19-21)。新約における関心事は、わたしたちの存在の中に入って来て住んでいる三一の神を、……すなわち、わたしたちの霊の中に住んでおり、わたしたちの心の内側の各部分すべての中へと広がることを願っている方を、認識することです(エペソ3:14-17前半.Ⅰヨハネ3:19-21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。宇宙を支配する全能の神が、わたしたちの心の中におられる実際的な神でもあることを感謝します。わたしたちが自分の良心の感覚を顧みて、日常生活のすべての詳細において、神を経験的に認識することができますように。

 

わたしたちの霊の中に住んでおられる主は、心の中へと広がることを願っています

 

 [ヨハネの第一の手紙第3章21節の]ヨハネの言葉は、とても主観的な方法で神を知ることについてです。ある人たちは、宇宙を支配する全能の神について語るかもしれませんが、ここでヨハネは、わたしたちの心の中におられる神について語っています。彼は大能の神について、偉大な神について話しません。むしろ、彼は実際的な神について語ります。神は無限で、無制限で、わたしたちの把握する能力を超えているだけではなく、彼はまたわたしたちの心におられるほどに小さくもあるのです。神がわたしたちの経験となられるとき、彼は御座におられる宇宙的に広大な方であるだけでなく、わたしたちの心の中におられる方でもあります。……

 

 新約における関心事は、わたしたちの存在の中へと入って来られた神を、わたしたちが認識することです。すなわち、わたしたちの霊の中に住んでおり、わたしたちの心の内側の各部分すべての中へと広がることを願っておられる方を、認識することです[参照、エペソ3:17]。ですから、わたしたちは心の中の神を認識する必要があります。(「ヨハネの第一の手紙ライフスタディ」、第29編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り20日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第30週(M6)第1日

 

三一の神の中にある召会

 

Ⅰヨハネ4:13,14

彼はわたしたちに、彼の霊を与えてくださいました.このことから、わたしたちが彼の中に住み、そして彼がわたしたちの中に住んでおられることを知るのです。そしてわたしたちは、御父が御子を世の人の救い主として遣わされたのを見て、その証しをします。

 

「三一の神は、新約の構造です(マタイ12:28.28:19.ヨハネ15:26.使徒2:33)。わたしたちは、三一の神を経験し、享受することによって、彼を認識するようになります(Ⅰヨハネ1:5.2:27.4:16.5:11-12)。三一の神はわたしたちの中に住んでおり、わたしたちの命また命の供給として、わたしたちに経験と享受を与えます(Ⅰヨハネ4:13-15)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの中に三一の神が住んでいることを感謝します。わたしたちが毎日心を主に向け、霊を活用し、自分の存在を開き、「今日の分与に開きます」と主に告げることができますように。   

 

三一の神を命また命の供給として経験し、享受します

 

 敵の一つのこうかつさは、三一の神が経験と享受のためにわたしたちにとって主観的であることを否定し、神聖な三一を単に宗教のための客観的な教理として提示することです。……しかし聖書は、三一の神がわたしたちの信仰の対象であるだけではないことを啓示しています。主はわたしたちにとって主観的であり、わたしたちの中に住んで、わたしたちの命また命の供給となられます。日ごと、時間ごとにさえ、わたしたちはこのように彼を経験し、彼を享受する必要があります。……

 

 聖書ははっきりと、三一の神が、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天の過程を経た後、すべてを含む霊において究極的に完成され、来てわたしたちの霊の中に内住していることを啓示しています。わたしたちの人の霊の中に内住している、すばらしいすべてを含む霊のゆえに、ハレルヤ! (「ヨハネの第一の手紙ライフスタディ」、第32、21編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り18日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第6日

 

変貌されずまだ旧創造の中にいる限り、自分の体を守る必要があります

 

ローマ12:1

兄弟たちよ、こういうわけで、わたしは神の慈しみを通して、あなたがたに勧めます.あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげなさい.それが、あなたがたの理にかなった奉仕です。

 

「わたしたちは神と協力して、聖別の中でわたしたちの体を守るために、わたしたちの体を彼にささげなければなりません。それはわたしたちが召会生活のための聖なる生活をし、からだの生活を実行して、神の完全なみこころを遂行するためです(ローマ12:1-2.Ⅰテサロニケ4:4.5:18)。わたしたちの体を守るために、わたしたちは自分の体をどのような罪深いものにもささげてはなりません」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの体はキリストの肢体であり、聖霊の宮です。主よ、神と協力して、聖別の中でわたしたちの体を守ることを学ばせてください。わたしたちの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた犠牲としてささげることができますように。自分の魂の命を否み、古い人を十字架上で死に渡して、わたしたちの肢体を義の武器にとしてささげさせてください。

 

この汚れて汚染された世で最も難しいことは、わたしたちの体を守ることです

 

 どのようにしてわたしたちの霊と魂を守るかを知ることに加えて、またどのようにしてわたしたちの体を守るかを知らなければなりません。罪はわたしたちの体を駄目にし荒廃させました。……わたしたちの体は「罪の体」です(ローマ6:6)。自分の体を守ろうとするなら、わたしたちは決して古い人に従わない命、決して自分の魂に従わない命を生きるべきです。ローマ人への手紙第6章6節は言います、「……わたしたちの古い人が彼と共に十字架につけられたのは、罪の体が無効にされて、わたしたちがもはや、奴隷として罪に仕えることがないためです」。……

 

 あなたは年が進むにつれ情欲や汚れから自分を守る必要がなくなるだろうと考えてはなりません。変貌されずまだ旧創造の中にとどまっている限り、わたしたちは自分の体を守る必要があるのです。この汚れて汚染された世で行なうのに最も難しいことは、わたしたちの体を守ることです。わたしたちは体を汚すものを何も見たり、聞いたり、触れたりすることがないように注意する必要があります。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第24編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り17日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第5日

 

わたしたちの心理上の心には三つの主要な動脈(思い、意志、感情)があります

 

ローマ12:2

……思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。

 

ピリピ2:13

なぜなら、神の大いなる喜びのために、願わせ働かせるのは、あなたがたの内で活動する神だからです。

 

「わたしたちは神と協力して、聖別の中でわたしたちの魂を守るために、わたしたちの心理上の心の三つの主要な「動脈」、すなわち、わたしたちの魂の各部分であるわたしたちの思い、感情、意志を清めなければなりません(ピリピ2:2,5.1:8.2:13)。わたしたちの心理上の心の三つの主要な動脈を詰まらせているものを取り除く方法は、主に対して徹底的な罪の告白をすることです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内で活動する神を感謝します。主よ、わたしたちが主と共に時間を費やし、照らされ、暴露されるまで主と共にとどまることを学ばせてください。わたしたちの心の動脈を詰まらせているものを取り除くために、主に対して徹底的な罪の告白をすることができますように。

 

動脈の障害を取り除くために、主に対して徹底的な罪の告白をします

 

 わたしたちの心理上の心には三つの主要な動脈があります。これらの動脈とは、魂の三つの部分でもあって、思い、意志、感情です。……わたしたちの心理上の心の三つの主要な動脈の障害を取り除く方法は、主に対して徹底的な罪の告白をすることです。わたしは経験から、わたしたちは一定の期間、主の御前にとどまって、自分の欠点、失敗、敗北、誤り、悪事、罪(複数)を告白する必要があることを学びました。 ……わたしたちの思いは汚泥で詰まっています。…… 一つ一つわたしたちの思考を告白することによって、わたしたちはこの動脈から詰まっているものを取り除きます。  ……

 

 わたしたちが十分な時間を費やして、心理上の心の三つの主要な動脈を詰まらせているものを取り除くなら、わたしたちの全存在が生き生きとなったという感覚を持つでしょう。わたしたちの思い、意志、感情はすべて、とても健康な状態になるでしょう。これらの「溝」の中の「汚泥」はすべて、掘り去られるでしょう。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第24編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り16日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第4日

 

平和の神ご自身が、わたしたちを徹底的に聖別してくださいます

 

Ⅰテサロニケ5:23

そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あなたがたの霊と魂と体とを守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨の時に、完全で責められるところのない者にしてくださいますように。

 

「神は、彼の法理的な贖いにおいて、キリストの贖う血によって、わたしたちを地位において聖として、彼ご自身へと分離しただけでなく、また彼の有機的な救いにおいて、彼ご自身の聖なる性質によって、わたしたちを性情において聖化して、彼ご自身で浸透しつつあります(ヘブル13:12.10:29.ローマ6:19,22.エペソ5:26.Ⅰテサロニケ5:23-24)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主はわたしたちを聖別するために働いてくださっていることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたの働きに協力して、わたしたちの霊、魂、体を聖霊の浸透の中に保つことができますように。毎日、霊に注意を払い、あらゆる汚れから自分の霊を守ることができますように。

 

神はわたしたちの霊、魂、体を完全に守られます

 

 神はわたしたちを徹底的に聖別されるだけでなく、またわたしたちの霊、魂、体を完全に守られます。……量の面では、神はわたしたちを徹底的に聖別します。質の面では、神はわたしたちを守って、完全にします。すなわち、わたしたちの霊、魂、体を守って完ぺきにします。堕落を通してわたしたちの体は荒廃し、わたしたちの魂は汚染されました。またわたしたちの霊は死にました。神の完全な救いにおいて、わたしたちの全存在は救われ、完全無欠にされます。

 

 このため、神はわたしたちの霊をいかなる死なせる要素からも守っておられ(ヘブル9:14)、わたしたちの魂を天然の古いままにとどまっていることから守っておられ(マタイ16:24-26)、またわたしたちの体を罪の荒廃から守っておられるのです(Ⅰテサロニケ4:4、ローマ6:6)。神によるそのような守りと彼の徹底的な聖別は、わたしたちを維持して聖なる生活をさせて円熟へと至らせ、わたしたちが彼のパルシーアにおいて主と会うようにさせます。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第24編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り15日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第3日

 

心の純粋な人たちは幸いです、彼らは神を見ます

 

マタイ5:8

心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである。

 

ヘブル10:22

わたしたちの心はすすがれて邪悪な良心から離れ、体は清い水で洗われ、真実な心で、信仰の全き確信をもって、至聖所に進み出ようではありませんか。

 

 「わたしたちは、召会生活のための聖なる生活をすることにおいて「聖別されつつある者たち」となるために、「聖別する」方の内なる働きと協力して、わたしたちの心を対処しなければなりません(ヘブル2:11.詩139:23-24)」。

 

  主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちを聖別する内なる働きをしておられることを感謝します。わたしたちが主の内なる働きと協力して、わたしたちの心が対処されますように。わたしたちの心が神に対して柔らかく、純粋で、愛するようになり、平安であるようにしてください。

 

聖別する方の内なる働きと協力して、わたしたちの心を対処します

 

 心は命ととても重要な関係があるので、神の命がわたしたちの内から流れ出るようにするために、神はわたしたちの心を対処しないわけにいきません。わたしたちの心には神に対して柔らかくない、純粋でない、愛さない、平安でないという四つの大きな問題があります。柔らかくないのは意志の事柄であり、純粋でないのは思いだけでなく感情の事柄であり、愛さないのは感情の事柄、平安でないのは良心の事柄です。神がわたしたちの心を対処されるというのは、この四方面を対処して、わたしたちの心を柔らかくし、純粋にし、愛することができ、平安であるようにさせることです。……

 

 第一に、神はわたしたちの心が柔らかいことを願っています。柔らかいとは心の意志が神に服従すること、柔らかく従順になること、かたくなでなく、反逆的でないことです。神がわたしたちの心を対処して、わたしたちの心を柔らかくするとは石の心を取り去り、肉の心を与えることです(エゼキエル36:26)。これは、彼がわたしたちの堅い石の心を柔らかくし、柔らかい肉の心に変えてくださることです。(「命の認識」、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り14日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第2日

 

わたしたちの心が堅固にされて、責められるところのないものになります

 

エゼキエル36:26

わたしはまた、あなたがたに新しい心を与え、新しい霊をあなたがたの内に置く.わたしは石の心をあなたがたの肉から取り去り、あなたがたに肉の心を与える。

 

Ⅰテサロニケ3:13

どうか、わたしたちの主イエスが、彼のすべての聖徒と共に来臨する時、わたしたちの神また父の御前で、あなたがたの心を堅固にし、聖別の中で責められるところのないものにしてくださいますように。

 

「神は変わることのない方です。しかし、わたしたちの天然の誕生によれば、わたしたちの心は、人との関係においても主との関係においても、変わりやすいのです(参照、Ⅱテモテ4:10.マタイ13:3-9,18-23)。わたしたちの心は変わりやすいので、聖別する霊によって絶えず更新される必要があります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちに新しい心を与え、新しい霊をわたしたちの内に置いてくださったことを感謝します。主よ、わたしたちは変わりやすく、揺れ動きやすい心を持っていますから、日ごとに聖別する霊によって、絶えずわたしたちの心を更新してくださいますように。

 

わたしたちの心は変わりやすいので、絶えず更新される必要があります

 

 大部分のクリスチャンは堅固にされた心を持つのではなく、変わりやすい、揺れ動きやすい心を持っています。……わたしたちの天然の誕生によれば、わたしたちの心は変わりやすいのです。……わたしたちの心が変わりやすいのは、他の人々との関係においてだけでなく、主との関係においてでさえそうです。神は不変の方です。彼は決して変わりません。わたしたちは変わりやすい者であり、心において変わりやすいのです。こういうわけで、パウロはテサロニケの新しい信者たちの心が据えられ、建て上げられ、堅固にされることに関心があったのです。……

 

 わたしたちは、自分の心は変わりやすいことを認識し、承認する必要があります。ですから、わたしたちは主からあわれみと恵みを受けて、彼にわたしたちの心を堅固にしていただく必要があります。主はわたしたちの内側で働いて堅固にすることを行なう前に、わたしたちの許可を待っておられるのです。わたしたちの心が堅固にされるとき、それは責められるところのないものとなります。

(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第20編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り13日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第29週(M5)第1日

 

聖別の中で責められるところのないものにされます

 

Ⅰテサロニケ3:13

どうか、わたしたちの主イエスが、彼のすべての聖徒と共に来臨する時、わたしたちの神また父の御前で、あなたがたの心を堅固にし、聖別の中で責められるところのないものにしてくださいますように。

 

箴4:23

何ものにもまさってあなたの心を見守れ.そこから命の流れが出てくるからである。

 

「わたしたちは、召会生活のための聖なる生活をするために、主がわたしたちの心を堅固にし、聖別の中で責められるところのない(わたしたちの聖別の中で何の欠点もない)ものにしてくださることを必要とします(Ⅰテサロニケ3:13)。わたしたちの心が活動しているときはじめて、霊を活用することは役に立ちます。もし人の心が無関心であるなら、霊は内側に閉じ込められており、その能力を発揮することができません(マタイ5:3,8.詩78:8.エペソ3:16-17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。心の純粋な人たちは幸いです。心は命の出入り口であり、命のスイッチですから、主がわたしたちの心を堅固にしてくだいますように。主よ、わたしたちの思いを更新し、感情をあなたの愛で満たし、意志をあなたの意志と一にしてくださいますように。

 

心の純粋な人たちは幸いであり、神を見ます

 

 新約は純粋な心の問題を強調します。主イエスは言われました、「心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである」(マタイ5:8)。パウロはテモテに、純粋な心で主を呼び求める人たちと共にあるよう勧めました(Ⅱテモテ2:22)。さらに、ダビデは詩篇第51篇10節で、主が自分の内に清い心を創造してくださるようにと祈りました。

 

 それではどうして[テサロニケ人への第二の手紙第3章13節で]パウロは「純粋さの中で」、あるいは「清さの中で責められるところがない」と言わずに、むしろ「聖別の中で責められるところがない」と言うのでしょうか? それは、テサロニケ人への第一の手紙が召会生活のための聖なる生活についてであるからです。第一章、第二章、第三章から成るこの書簡の第一区分の結論は、主がわたしたちの心を堅固にし、聖別の中で責められるところのないものにしてくださることです。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第20編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り11日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第6日

 

わたしたちは主の中へと入れられ、神聖な豊富で満たされています

 

コロサイ2:10

そしてあなたがたは、キリストにあって満ち満たされているのです.彼はすべての支配と権威のかしらです。

 

エペソ3:8

すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、異邦人に福音として宣べ伝えるためであり、

 

「全豊満がキリストの中に住んでいるので、またわたしたちは彼の中へと入れられたので、わたしたちは満ち満たされており、神聖な豊富で満たされています(Ⅰコリント1:30.エペソ3:8)。キリストを信じているすべての人は、キリストの中へと入れられています。ですから、わたしたちはキリストと一体化されており、彼と一です(ガラテヤ3:27.Ⅱコリント5:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストを信じているわたしたちすべては、主の中へと入れられ、主と一であることを感謝します。主よ、わたしたちの目を開いて、キリストにあって、満ち満たされているとは何であるか見えるようにしてください。日常生活の中で、キリストの計り知れない豊富を経験し、享受することができますように。

 

主が経験したすべては、わたしたちの歴史です

 

 コロサイ人への手紙第2章10節の「満ち満たされ」と訳されたギリシャ語は、完備、完全を暗示しています。全豊満がキリストの中に住んでいるので、わたしたちはキリストの中へと入れられた後(Ⅰコリント1:30)、神聖な豊富のすべてで満ち満たされ、完全に満たされます。ですから、わたしたちは他の源を必要としません。キリストにあって、わたしたちには欠けるものがありません。なぜなら、彼にあってわたしたちは完全にされ、完備されるからです。わたしたちがキリスト以外の何かに向きを変える理由はありません。

 

 新約ははっきりと、キリストを信じるすべての者はキリストの中へと入れられたことを啓示しています。ですから、わたしたちは彼と一体化されており、彼と一です。その結果、彼であるすべて、また彼が持っているすべてはわたしたちに属しており、彼が経験したすべてはわたしたちの歴史です。……さらに、わたしたちは彼と一であるので、彼が完成し、獲得し、到達したすべてにあずかります。(「新約の結論(21)」、メッセージ355)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り10日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第5日

 

神たる方の豊満は、父、子、霊の豊満であるに違いありません

 

コロサイ2:9

なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです。

 

Ⅱコリント13:14

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。

 

「キリストは神の奥義として、神たる方の豊満の具体化です(コロサイ2:9)。「神たる方の全豊満」は、神たる方のすべて、神全体を指しています(9節)。神たる方は、父、子、霊から成っているので、神たる方の豊満は、父、子、霊の豊満であるに違いありません(マタイ28:19.Ⅱコリント13:14)。神の御子が肉体と成って人と成ったとき、彼には神の豊満がありました。そしてわたしたちはみな、この豊満から受けました(ヨハネ1:14,16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいます。わたしたちがキリストから流れ出た神、豊満を享受できることを感謝します。さらに主に触れて、恵みの上にさらに恵みを受けることができますように。

 

神たる方の豊満が肉体のかたちをもって、キリストの中に住んでいます

 

  「肉体のかたちをもって」[コロサイ2:9]という言葉は、キリストが彼の人性の中で着られた肉体を指しており、神たる方の全豊満が、人の体を持つ方としてのキリストの中に住んでいることを示します。キリストが肉体と成る前、神たる方の豊満は、永遠の言としての彼の中に住んでいましたが、肉体のかたちをもってではありませんでした。

 

 キリストが肉体と成って、人の体を着た時から、神たる方の豊満は、肉体のかたちをもって彼の中に住み始めました。そして栄光が現された彼の体の中に(ピリピ3:21)、それは今も、また永遠に住みます。神たる方の豊満が肉体のかたちをもってキリストの中に住んでいるという事実は、それが実際の、また実行上の方法で彼の中に住んでいることを意味します。今や神たる方の豊満は、神聖なパースンとして、キリストの中に肉体のかたちをもって住んでいるのですから、それは目に見え、触れることができ、受け入れることができます。(「新約の結論(21)」、メッセージ355)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り9日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第4日

 

神の歴史として、キリストは神の奥義です

 

コロサイ2:3

このキリストの中には、知恵と知識のすべての宝が隠されています。

 

ローマ11:33

ああ、神の豊富と知恵と知識とは、何と深いことでしょう! 彼の判断は何と計り知れず、彼の道は何と極め難いことでしょう!

 

「神は無限で永遠であって、初めも終わりもないのですが、歴史、物語も持っています(ローマ16:26.詩90:2)。すべてを含む、無限に拡張するキリスト(神の奥義、神の奥義的な物語)は、神の歴史です。神の歴史は、神がキリストの中で経過した手順を指しています。それは彼がわたしたちの中へと入って、わたしたちが彼の中へともたらされるためです(ヨハネ1:12-14,29.3:14.12:24.14:20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、知恵と知識のすべての宝が隠されています。神の歴史は、神がキリストの中で経過した手順を指しています。日々の生活の中で、わたしたちがこの神の歴史としてのキリストを経験し、享受することができますように。

 

キリストの歴史として、召会はキリストの奥義です

 

 キリストが神の奥義であるという事実は、彼が単純でないことを示します。……神の奥義として、キリストは計り知れない、無限で、永遠の神です。神は永遠ですが、彼にも歴史があります。神の歴史として、キリストは神の奥義です。キリストが神の歴史であるように、召会はキリストの歴史です。キリストの歴史として、召会はキリストの奥義です。召会の中で、わたしたちはこの歴史の継続です。

 わたしたちが受け入れたキリストは、すばらしい歴史を持つ神です。すべてを含む方として、キリストは神性、人性、人の生活、十字架、復活、昇天、栄光を現すこと、御座に着くことを含みます。彼はすべての神聖な属性と人性の美徳を含みます。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(3)」、第48編)

 

 わたしたちが自分自身を訓練して主と接触するなら、命を与える霊としてのキリストはわたしたちの霊と思いに浸透します。そのとき、わたしたちはまた経験において、キリストの中に隠されている知恵と知識を持ちます。このようにして、わたしたちは神の奥義としての彼を経験します。(「新約の結論(21)」、メッセージ354)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り8日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第3日

 

すべてを含むキリストは神の奥義です

 

ヨハネ1:1

初めに言があった.言は神と共にあった.言は神であった。

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

 

「すべてを含むキリストは神の奥義です(コロサイ2:2)。神ご自身は奥義であり、キリストはこの奥義の奥義です。「神の奥義」は、把握し難く説明し難いものを示しています。すべてを含む、無限に拡張するキリストは、神の奥義として、神の定義、説明、表現、すなわち、神の言です(ヨハネ1:1,14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主がわたしたちの霊の中に生きておられることを感謝します。主よ、わたしたちがキリストを救い主また主としてだけでなく、神の奥義としても知ることができますように。主よ、わたしたちの存在の最も深い部分を開いて、わたしたちの内側に生きておられる主に触れさせてください。

 

キリストを救い主また主としてだけでなく 神の奥義として知ることは極めて重要です

 

 エペソ人への手紙はキリストの奥義、すなわち召会、からだについてです(3:4)。コロサイ人への手紙は、神の奥義、すなわちキリスト、かしらについてです[2:2]。キリストをわたしたちの救い主また主としてだけでなく、神の奥義として知ることは極めて重要です。…… 神ご自身は奥義であり、キリストはこの奥義の奥義です。確かにわたしたちは聖書の文字を読むことによって、そのような奥義を簡単に推し量ることはできません。キリストはわたしたちの霊の中に住んでおられるので、わたしたちは霊を活用して、神の奥義としての彼を知る必要があります。

 

 キリストを、外側の方法で知る単なる対象と考えてはなりません。十字架につけられ復活させられた方として、彼は天の御座で、またわたしたちの霊の中にも生きておられます。ですから、霊を活用して彼と接触することは極めて重要です。これは、わたしたちの存在の深みから開いて、彼を呼び求めなければならないことを意味します。わたしたちの霊は、わたしたちの最も深い部分であって、心や魂のすべての部分よりも深いのです。ですから、わたしたちの霊を活用するとは、わたしたちの存在の最も深い部分を開いて主イエスの御名を呼び求め、わたしたちの内側に生きておられる方としての彼に触れることです。 (「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第18編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り7日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第2日

 

召会は、キリストを表現するキリストのからだとして、キリストの奥義です

 

エペソ1:9

みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいました.これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるもので、

 

エペソ3:5

その奥義は、今や彼の聖なる使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されていますが、別の世代では、そのように人の子たちに知らされていませんでした。

 

「エペソ人への手紙の中で、「奥義」は極めて重要な言葉です。神の隠された定められた御旨は、奥義です。この奥義がミングリングされた霊の中で明らかにされることが、奥義の啓示です(エペソ3:3,5)。神の奥義は、彼の隠された定められた御旨です。この奥義には、エコノミー、すなわち、奥義のエコノミーがあります(9節)。キリストは奥義です。召会は、キリストを表現するキリストのからだとして、キリストの奥義です(4節.コロサイ4:3)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。召会はキリストの奥義です。キリストに関するすべての事柄、奥義のすべての内容は、召会の中に置かれていることを感謝します。わたしたちの心が主に向いて、おおいが取り除かれ、ミングリングされたわたしたちの霊の中でこの奥義が明らかにされますように。

 

神の奥義はキリストであり、キリストの奥義は召会です

 

 神の奥義はキリストの中に明らかに示されているので、キリストは神の奥義です[コロサイ2:2]。……神の物語全体はキリストの中にあります。キリストから離れて、人は神の物語を見いだすことはできません。9節は、「キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいる」と言います。神に関するすべての事柄(彼のすべての物語、人が理解することができないすべての奥義)はキリストの中にあります。キリストは神の奥義です。

 

 キリストの奥義は召会です[エペソ3:4-6]。キリストご自身は奥義ですが、キリストに関するすべての事柄、キリストのすべての物語、奥義のすべての内容は、召会の中に置かれました。ですから、召会はキリストの奥義です。…… わたしたちはこの二つの間の区別をする必要があります。神の奥義はキリストであり、キリストの奥義は召会です。この二つは一ですが、それぞれに関して特別な詳細があります。コロサイ人への手紙はかしら、キリストについて語っており、エペソ人への手紙はからだ、召会について語っています。……頭と体は一緒にされなければなりません。こうして全体的な人があります。これは偉大な奥義です。(「召会の三つの面、第2巻、召会の行程」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り6日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第28週(M4)第1日

 

神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです

 

コロサイ2:2

それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです。

 

コロサイ4:3

同時に、わたしたちのためにも祈ってください.それは、神が御言のためにわたしたちに門を開いてくださって、わたしたちがキリストの奥義を語ることができるためです(この奥義のために、わたしもつながれているのです)。

 

「聖書における奥義とは、隠されていて知られていない事柄を指しているだけでなく、神の心の中に隠されている事柄をも指しています。これが、聖書で述べられている奥義に関する原則です(マルコ4:11.ローマ16:25-26.コロサイ1:26-27.2:2.4:3.エペソ1:9.3:3-4,9.5:32.6:19)。コロサイ第2章2節は、「神の奥義なるキリスト」と言っています。神の奥義はキリストにおいて現されているので、キリストは神の奥義です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の奥義なるキリストが啓示されていることを感謝します。わたしたちに、神の心の中に隠されている事柄を啓示してください。神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至ることができ、またキリストの奥義を語ることができますように。

 

聖書の中には、五つの大いなる奥義があります

 

   神の真理の中心はキリストです。神の中心はキリストです。「神の奥義なるキリスト」(コロサイ2:2)。奥義とは神の心の中に隠されているものです。神は万物の創造と人類の創造が何のためであるか、今までだれにも告げられませんでした。ですから、それは奥義でした。後ほど、神はこの奥義をパウロに啓示し、彼に語り出すように命じられました。この奥義とはキリストです。(ニー全集、第11巻、第34号)

 

 聖書における五つの大いなる奥義は、第一は宇宙の奥義であり、それは神です。第二は人の奥義であり、それも神です。第三は神の奥義であり、それはキリストです。第四はキリストの奥義であり、それは召会です。第五は召会の奥義であり、それは、キリストのあふれ流れたものまた拡大、神の家、金の燭台、花嫁、新エルサレムとしてのキリストの有機体です。これは宇宙における究極の奥義です。(リー全集、1983年、第1巻(上)、「聖書における五つの偉大な奥義」、第1、5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り4日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第6日

 

土壌としてのキリストの中には、空中の悪霊に勝利した要素があります

 

コロサイ2:7,15

すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら、また教えられたように信仰において堅固にされながら、感謝にあふれて…… 神は支配たちや権威たちをはぎ取り、彼らを公然とさらしものにして、そこにおいて彼らに、凱旋の中で勝ち誇られました。

 

「わたしたちは時間を費やして、すべてを含む地である主を享受しなければなりません。それによって、豊富な土壌であるキリストのすべての要素はわたしたちの中へと吸収され、わたしたちは経験において、彼にあって満ち満たされます(コロサイ2:10.4:2)。わたしたちは、土壌としてのキリストの豊富を吸収しようとするなら、柔らかくて新しい根を持つ必要があります(参照、Ⅱコリント4:16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。土壌としてのキリストの中には、空中の悪霊に勝利した要素があることを感謝します。わたしたちが朝、時間を費やして、自分を空にし、豊富な土壌であるキリストのすべての要素を、わたしたちの中へと吸収することができますように。そして、柔らかい、新しい根を持つことができますように。

 

土壌としてのキリストの豊富を吸収するために、柔らかい、新しい根が必要です

 

 土壌の中にはまた、支配たちや権威たちをはぎ取り、彼らに勝ち誇る要素もあります(コロサイ2:15)。この要素は、空中の悪霊に対する勝利です。信者も未信者も、彼らを取り巻く邪悪なものがあることを認識しています。人々は良くなろうとしますが、彼らに悪を行なわせるものがあります。……もしわたしたちが自ら空中の暗やみの力と戦おうとするなら、打ち破られるでしょう。しかし土壌としてのキリストには、悪霊を打ち破る要素があります。わたしたちが土壌の中に根ざし続け、その豊富な要素を吸収するとき、天上の支配たちや権威たちははぎ取られるでしょう。土壌の中には、暗やみの力をはぎ取る要素があります。わたしたちはこの土壌の中へと植えられました。今やわたしたちは、そのすべての豊富を享受しなければなりません。……

 

 土壌としてのキリストの豊富を吸収しようとするなら、わたしたちは柔らかい、新しい根を持つ必要があります。……わたしたちの根が柔らかく新しく、キリストの豊富を吸収するなら、わたしたちは消化する豊富をもって自動的に成長するでしょう。これは日ごと時間ごとに主観的にキリストを享受し経験することです。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(2)」、第53編、第55編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り3日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第5日

 

土壌としてのキリストの中には、わたしたちが吸収し、享受する多くの要素があります

 

コロサイ2:12-13

あなたがたは、彼と共にバプテスマの中で葬られ、またその中で、彼を死人の中から復活させた神の活動による信仰を通して、彼と共に復活させられたのです。あなたがたは、……死んでいましたが、神はわたしたちのすべての違犯を赦し、キリストと共に生かしてくださいました.

 

「コロサイ第2章8節から15節は、土壌としてのキリストについての完全な描写と定義を提示しています。土壌としてのキリストの中には、殺す力を伴った要素があり、肉を死に渡し(11節)、わたしたちを葬る要素があり(12節前半)、わたしたちを復活させる要素があり(12節後半)、わたしたちを生かす要素があり(13節)、数々の規定から成っている手書きの書を消し去る要素があり(14節)、空中の悪霊に勝利した要素があります(15節)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。土壌としてのキリストの中には、わたしたちが吸収して、経験すべき多くの要素があることを感謝します。わたしたちが時間を費やして、わたしたちのあらゆる必要に応じる土壌の中の養分を吸収することができますように。わたしたちの肉が死に渡され、葬られ、そして復活させることを生活の中で経験できますように。

 

土壌として、キリストはわたしたちを生かし、わたしたちに命を与えました

 

 コロサイ人への手紙第2章11節から15節で、わたしたちはさらに多くの要素を見いだします。11節は言います、「またあなたがたは、彼の中で、手によらない割礼をもって割礼されました.すなわちキリストの割礼の中で、肉の体を脱ぎ捨てました」。土壌はまたキリストの割礼を含んでおり、それは切ることと殺すことを意味します。……12節は、わたしたちがバプテスマの中でキリストと共に葬られたと言っており、……葬りの後、わたしたちは復活させられます。12節でパウロは、キリストを死人の中から復活させた神について語っています。

 

 この表現は、土壌としてのキリストの中には、わたしたちを復活させる要素があることを示しています。13節によれば、わたしたちはまた生かされます。土壌の中にはわたしたちに命を与え、わたしたちを生かす要素があります。コリント人への第一の手紙第15章45節でパウロは、命を与える霊について語っています。コロサイ人への手紙第2章13節で彼は、「命を与える」という同じギリシャ語を、ただ過去時制で用いています。土壌として、キリストはわたしたちを生かしました。彼はわたしたちに命を与えました。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(2)」、第53編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り2日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第4日

 

豊かな土壌としてのキリストに根ざし、キリストを吸収します

 

コロサイ2:6-7

それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら、また教えられたように信仰において堅固にされながら、感謝にあふれて、彼の中で歩きなさい。

 

コロサイ2:9-10

なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです.

 

「わたしたちは、わたしたちの生ける地としてのキリストの中を歩き、わたしたちが根ざしている豊かな土壌としてのキリストを吸収することができます。それはわたしたちが、その土壌から吸収する要素をもって成長するためです(コロサイ2:6-7.参照、Ⅰコリント3:6,9.コロサイ2:19)。コロサイ第2章8節から15節は、土壌としてのキリストについての完全な描写と定義を提示しています。わたしたちが時間を費やして、すべてを含む地である彼を吸収するとき、これらの節にある事実はわたしたちの経験となります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、神たる方の全豊満が住んでいることを感謝します。わたしたちが豊かな土壌としてのキリストに根ざして、この豊満から、義、義認、聖、聖別などのわたしたちが必要とするものを吸収することができますように。わたしたちを満ち満たし、成長させてください。

 

土壌としてのキリストの事実は、わたしたちの経験となります

 

 第2章8節から15節を含むコロサイ人への手紙の区分は……多くの重要な点を含んでいます。多くは、……良き地としての、わたしたちがその中に根ざしている豊かな土壌としてのキリストに関するものです。7節の「根ざしており」という表現は、土壌があることを暗示します。……わたしたちはすでに土壌の中に根ざしており、土壌から吸収する要素をもって成長します。わたしたちは土壌としてのキリストが、わたしたちの霊の中におられることを知っています。今やわたしたちは前進して、8節から15節で、わたしたちがその中に根ざしている土壌の記述を見なければなりません。これらの節は、土壌の完全な描写と定義です。……  

 

 [10節で]土壌としてのキリストの実質に関してさらに見ます。土壌の一つの面は、神たる方の豊満の面です。もう一つの面は、キリストがすべての支配と権威のかしらであることです。良き地としてのキリストの中に、多くの異なる要素があります。第一の要素は神たる方の全豊満であり、第二はすべての支配と権威のかしらです。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(2)」、第53編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り1日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第3日

 

蜜は弱い人を回復します。乳は未熟な者を養います

 

Ⅰペテロ2:2

生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。

 

詩119:103

あなたの言葉は、わたしのあごに何と甘いことでしょう!蜜よりもわたしの口に甘いのです!

 

 「わたしたちは神の言葉を食べ、すべてを含むキリストを良き地として、彼の贖う面と生み出す面で享受しなければなりません。神の言葉は、わたしたちが飲むための乳であり、わたしたちが食べるための蜜です(ヨハネ6:57,63,68.Ⅰペテロ2:2.詩119:103.エゼキエル3:3)。わたしたちは、キリストを乳と蜜の地として享受することによって、乳と蜜である彼で構成されます(雅4:11前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。すべてを含むキリストを良き地として享受できることを感謝します。毎日、わたしたちが乳と蜜を食して、内側に豊富を蓄えることができますように。そして、人々を養い、弱い人を回復することができますように。

 

この蜜の甘さは、長い時間をかけて集めた内側の活動であり、神に教えられて持つものです

 

 雅歌第4章11節は言います、「わが花嫁よ、あなたの唇は蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の下には蜜と乳がある.……あなたの着物の香りは、レバノンの香りのようだ」。人に属する、あるいは天然の香りは、おとめから発散されるかおりと比較することはできません。これは自然に彼女の唇を、蜂蜜のしたたりのようにさせます。蜂蜜は甘いものであり、打ちひしがれた人を回復します。しかし、この甘さは、一晩で生み出されるものではありません。それは、長い時間をかけて集めること、内側の活動、注意深く蓄えることから生じます。これは、神によって教えられた者だけが持つものです。おとめの口から出て来るのは、甘く新鮮な言葉であり、うわさ話や笑い話や軽率な言葉ではありません。……

 

 この節においてわたしたちは、甘い蜂蜜をゆっくりとしたたらせる彼女の唇に気がつくだけでなく、彼女の内側に蓄えられているものにも気がつきます。「あなたの舌の下には蜜と乳がある」。舌の上は、人が食物を取り入れる場所です。舌の下は、人が食物を蓄える場所です。これは、彼女がこれらのものを蓄えたことを意味します。彼女の中には豊かさがあります。彼女は豊かであり余る食物を持っています。蜜は弱い人を回復します。乳は未熟な者を養います。……彼女は必要のある人にいつでも分与することができます。(ニー全集、第23巻、「歌の中の歌(雅歌)」、第3区分)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り30日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第2日

 

乳と蜜の流れる良き地は、すべてを含むキリストの享受です

 

出3:8

わたしは下って行って、彼らを……救い出し、そして彼らをその地から、良い広大な地に、乳と蜜の流れる地に、……上らせる。

 

ヨハネ1:29

……見よ、世の人の罪を取り除く神の小羊!

 

12:24 

まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。

 

「神の召しの目的は、神の選ばれた人を、乳と蜜の流れる良き地で予表される、すべてを含むキリストの享受の中へともたらすことです(出3:8.参照、Ⅰコリント1:9)。乳と蜜は、動物の命と植物の命とのミングリングであり、キリストの命の二つの面、すなわち贖う面と生み出す面です(申8:8.26:9.参照、ヨハネ1:29.12:24)。キリストの命の贖う面は、わたしたちの法理的な贖いのためです。キリストの命の生み出す面は、わたしたちの有機的な救いのためです(1:29.12:24.啓2:7.ローマ5:10)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの願いは、わたしたちを乳と蜜の流れる良き地の享受へともたらすことです。わたしたちが日ごとに、乳と蜜としてのキリストの命の豊富を享受することができますように。また、主の食卓に来て、キリストの法理的な贖いと有機的な救いを享受させてください。

 

乳と蜜はキリストの命の二つの面、 彼の贖う命と彼の生み出す命を予表します

 

 乳は草を常食とする牛によって生み出され、蜜は花の蜜から蜂によって作られます。ですから、乳と蜜はキリストの命の二つの面から生じるキリストの豊富を表徴します。すなわち、動物の命によって予表される彼の贖う命(ヨハネ1:29)と、植物の命によって予表される彼の生み出す命です(12:24)。すべてを含むキリストは極めて豊富であり、わたしたちの享受のためです。(リー全集、1969年、第3巻(下)、「クリスチャン生活における二本の木」、第3編)

 

 主の食卓に来てすべてを含む方としてのキリストを享受する時はいつも、わたしたちは経験において、良き地にいてその地の豊富を享受します。これは、良き地がわたしたちの享受のための食卓、宴席となったことを意味します。この食卓、この宴席で、わたしたちは満足し、神も満足されます。これを見るなら、良き地の中へと入るとは主の食卓に来ることであることを認識するでしょう。食卓はわたしたちの享受のための宴席です。……わたしたちが食卓に来ることは良き地としてのキリストを享受することであると理解することは、極めて重要なことです。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(2)」、第50編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り29日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第1日

 

キリストは、すべてを含む方として、聖徒たちに割り当てられた分け前です

 

コロサイ1:12-13

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように.御父はわたしたちを暗やみの権威から救い出して、彼の愛する御子の王国に移してくださいました。

 

「キリストは、首位であるすべてを含む方として、聖徒たちに割り当てられた分け前です(コロサイ1:12)。新約の信者たちの割り当てられた分け前は、物質の土地ではなく、命を与える霊としての、すべてを含むキリストです(コロサイ2:6-7.ガラテヤ3:14)。キリストにある信者たちは、その地の豊富を享受することによって、建造されて、神の家また神の王国としてのキリストのからだとなります(エペソ1:22-23.2:21-22.Ⅰテモテ3:15.マタイ16:18-19.ローマ14:17)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストは聖徒たちに割り当てられた分け前であることを感謝します。日ごとの生活の中で、さまざまな面におけるキリストの計り知れない豊富を享受することができますように。そして、キリストのからだとしての召会が建造されますように。

 

キリストの豊富を享受することを通して、神の王国が召会の中で確立されます

 

 パウロがコロサイ人への手紙第1章を書いていた時、旧約の良き地の絵を考えていました。この良き地はすべてを含むキリストの予表です。12節にこの暗示があります。その所でパウロは、キリストは聖徒たちに割り当てられた分け前であると言っています。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第20編)

 良き地におけるイスラエルの子たちの経験は、今日わたしたちがキリストを享受することを予表しています。キリストはわたしたちの良き地であり、キリストの豊富の各面は、その地の産物によって予表されています。キリストの豊富な供給を享受するなら、わたしたちはキリストを生きることができるでしょう。また力づけられて敵を打ち破るでしょう。

 

 わたしたちがキリストを享受する時、敵は常に打ち破られます。さらに、キリストの豊富を享受することを通して、神の王国が召会の中で確立され、神の住まいのために宮が建造されます。これらすべての事柄、すなわち、クリスチャン生活をすること、敵を打ち破ること、神の王国を確立すること、神の家を建造することは、キリストの豊富を享受した結果です。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(2)」、第50編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り17日

2025年9月全国特別集会 メッセージ2

 

新約における彼の民に対するキリストの牧養

 

聖書:

ヨハネ第10章.Ⅰペテロ2:25.5:4.ヘブル13:20.啓7:16-17

 

ヨハネによる福音書は、主が命(11:25.14:6)であることだけでなく、主が良い牧者であり、彼が来たのは、わたしたちが命を得、さらに豊かに得るためであることをわたしたちに告げています(10:10-11)。

 

・キリストは牧者であり、彼の民を囲いから出てくるように召しています。彼は羊の先頭を歩み、彼の羊は彼に従います(ヨハネ10:2-4,7-11)。羊の囲いは律法、あるいは律法の宗教としてのユダヤ教を象徴します。キリストが来るまでは、神の選びの民はその中で保たれ、後見の中に守られていました(1節.ガラテヤ3:23-25)。主は牧者であり、ご自身の羊の名を呼びます(3節)。わたしたちは主を知っており、主もわたしたちを知っており、彼はわたしたちの名を呼びます(ルカ19:3-4)。

 

・キリストが彼の魂の命を捨てたのは、羊が神の命を得るためです(ヨハネ10:10 後半-11)。ヨハネ第10章10節から11節の「命」の原文は二つの異なる文字です。10節において、ギリシャ語はゾーエ(zoe)であり、この言葉は、新約で永遠の、神聖な命に用いられています。11節において、ギリシャ語はプシュケ(psuche)であり、魂、魂の命、すなわち人の命を意味します。この二つの節は、主イエスは二種類の命を持っていることを示しています。主は人であり、プシュケの命、人の命を持っています。彼はまた神であり、ゾーエの命、神の命を持っています。

 

・重要なのは、主は外側の活動でわたしたちを牧養するのではなく、命の方法をもって内側でわたしたちを牧養していることを、わたしたちが知ることです。これは、主が内側からわたしたちを牧養していることを意味します(ヨハネ10:10後半)。わたしたちの内側には、わたしたちの牧者としての主がおり、主は命であり命の中にある牧者です(2,9,10節後半)。わたしたちは、主が内側からわたしたちの命となってわたしたちを牧養していることを見る必要があります。わたしたちは、わたしたちの命としての主によって生きるとき、主の牧養を享受します(10節後半)。

 

歴代の信者は、みな良い牧者である主の牧養の下にいました(Ⅰペテロ2:25)。

 

・主は牧者の長であり(5:4)、神の羊の群れの大牧者であり(ヘブル13:20)、神の小羊の身分をもって彼はわたしたちを牧養し、永遠に至るまで、わたしたちを命の水の源泉に導き、わたしたちを永遠に満たし、渇くことも飢えることもないようにしてくださいます(啓7:16-17)。彼がこのように行なうのは、神の有機的な救いの大部分を完成させるためです。

 

(全国特別集会アウトライン)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


9月の祈り16日

2025年9月全国特別集会メッセージ1

 

主題:牧養のビジョンと委託

 

メッセージ 1

旧約における神の民に対する神の牧養

 

聖書:

創49:24.詩28:9,80:1前半.伝12:11.雅1:7前半,8節後半,2:16,6:3.イザヤ40:9-11.エゼキエル第34章,37:24.ゼカリヤ11:7,13:7

 

牧養することは、羊の群れに対してすべてを含む優しい顧みを行なうことです(ヨハネ21:15-17.使徒20:28)。牧養は、羊のすべての必要を顧みることを指しています(詩第23篇)。すべての羊は十分な備えを得て、良い世話を受ける必要があります。

 

旧約は、神はイスラエル人の牧者であると語り、またキリストが牧者として来ることを預言しています(創49:24.詩28:9.80:1前半.伝12:11.エゼキエル37:24.ゼカリヤ11:7.13:7)。

 

神の永遠のエコノミーの主要な目的と究極的完成のために神の羊の群れを牧養するこの事柄は、雅歌でも言及されています。「わたしの魂の愛する方、わたしに告げてください.あなたはどこであなたの羊の群れを飼っているのですか?…… 」(雅1:7前半)。

 

イザヤ書第40章9節から11節はキリストが神・牧者であることを預言しています。 イザヤ書第40章によると、キリストは神の牧者として、わたしたちを牧養し、導き、案内します。

 

エゼキエル書第34 章において、主ご自身は牧者として来てご自身の羊を捜し、彼らを尋ね出します(エゼキエル34:11-31.ルカ15:3-7.マタイ9:36.ヨハネ10:11.21:15-17.ヘブル13:20.Ⅰペテロ5:3-4)。

 

・主は彼の羊を捜し、彼らを尋ね出します(エゼキエル34:11.ルカ15:4-9)。

 

・主は、彼の民を未信者の間から連れ出して、ご自身へともたらします(エゼキエル34:12-13前半.参照、エペソ2:12-13)。

 

・主は彼の民をご自身の地へと導きます(エゼキエル34:13後半.参照、コロサイ1:12)。わたしたちの良き地はキリストです。良き地は今日、召会生活の中にもあります(使徒20:32.26:18.コロサイ1:12)。

 

・主は彼の民を小川のほとりに連れ戻します(エゼキエル34:13.啓22:1.Ⅰコリント12:13.詩36:8)。小川は、命を与える霊、その霊の生ける水を表徴します(ヨハネ7:37-39)。

 

・主は小川のほとりで彼の羊の群れを養います(エゼキエル 34:13.啓 22:1-2 前半)。

 

・主は彼の民を良い肥えた牧場に連れ戻します(エゼキエル34:14.詩23:2.ヨハネ10:9.参照、Ⅰテモテ1:4)。

 

・主は彼の民を伏させ、彼らに内側の安息を与えます(エゼキエル34:15.雅1:7.マタイ11:28-30)。

 

・主は傷ついた者を包み、病んでいる者(弱い者)を力づけます(エゼキエル34:16 前半.イザヤ61:1-2.ルカ4:18-19.マタイ9:9-13)。

 

・キリストは真のダビデ、真の牧者であって、ひとりの牧者として立てられて、わたしたちを養い、満たし、満足させます(エゼキエル34:23)。

 

(2025年全国特別集会アウトライン)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


改修記念集会(2025.9.7)

花嫁の用意

 

Ⅰ. 言葉の中の水の洗いによって召会を清めます

 

エペソ5:25-27

25 ……キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられた……26 それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、27 またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。

 

(1)過去、キリストは贖い主として、召会のためにご自身を捨てられました。この事は贖いと命の分け与えのためでした(ヨハネ19:34)。現在、彼は命を与える霊として、召会を、分離、浸透、造り変え、成長、建造を通して聖化しつつあります。 将来、彼は花婿として、召会を彼の満足のための配偶者として、ご自身にささげられます。

 

(2)新約聖書では、「言葉」を示すのに二つのギリシャ語が使われています。

「ロゴス」は、永遠に定められたものと、客観的に用いられるものとの両方を指します。……しかし、「レーマ」は語られる言葉を指しています。…… 真の成長は、わたしたちが神から直接、言葉を受け取ることにかかっています。……神が彼の言葉を通してわたしたちに語られるとき、わたしたちは照らされます。彼の言葉を通して、わたしたちは聖化され……成長させられます。……わたしたちは「レーマ」、神の生ける言葉を持つなら、清められ、聖化されることができます。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第3章)

 

Ⅱ. 輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許されます

 

啓示録19:7-8

7 わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。8 彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。

 

(1)キリストが信者にとって義であることには二つの面があります。第一の面の信者たちの義としてのキリストは、彼らが神に対して悔い改めてキリストの中へと信じる時、彼らを神の御前で客観的に義とします(ローマ3:24-26.使徒13:39.ガラテヤ3:24後半,27)。

 

(2)第二の面の信者たちの義としてのキリストは、神の現れとして信者たちから生かし出されます。この神はキリストの中で信者たちに与えられた義であり、神によって彼らが主観的に義とされるようにします(ローマ4:25.Ⅰペテロ2:24前半.ヤコブ2:24.マタイ5:20.啓19:8)。

 

(3)8節の義は「義なる行ない」と訳すことができます。細糸の亜麻布の衣は、わたしたちの勝利を得る命、勝利を得る生活を示しています。わたしたちの存在から生かし出されるキリストです。

 

Ⅲ. 詩編45篇の王妃は二枚の衣を持っています

 

詩45:13-14

13 王の娘は宮殿の内にいて栄光を極め、彼女の衣は織った物であり、金が織り込まれています。14 彼女は刺繍された着物を着て王の所に導かれ、彼女の背後のおとめたちも、彼女の付き添いたちも、あなたにもたらされます。

 

(1)詩篇第45篇において王妃は二枚の衣を持っており(13-14節)、一枚はわたしたちの救いのための客観的な義に相当し、もう一枚はわたしたちの勝利のための主観的な義に相当します。

 

(2)彼女の第一の衣には金が織り込まれており、第二のものは刺繍された着物です。この刺繍は聖霊の造り変えの働きを表徴します。……聖霊は今日わたしたちに働きかけて、わたしたちを造り変えておられます。わたしたちは第一の衣を持っていますが、わたしたちの第二の衣は今、聖霊の刺繍する働きの下で用意されつつあります。この衣はキリストの裁きの座でわたしたちが彼に会うように資格づけます。

 

(3)聖霊の刺繍する働きによって生み出された第二の衣を持っている者たちだけが、小羊の婚宴に出席するよう選ばれ、資格づけられます。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)



集会についてのお知らせ

千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。

 

今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。