朝ごとの食物

10月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第9週4日)

 

不法から、また不法の働き人となることから救い出される

 

テトス2:14

彼がご自身をわたしたちのためにささげられたのは、わたしたちをすべての不法から贖うためであり、そして彼ご自身へときよめて、特別な民とならせ、彼の特有な所有として、良いわざに熱心にならせるためです。

 

「わたしたちは、不法から、また不法の働き人となることから救い出される必要があります。そして、神に仕えるという原則に従うことによって、神の目に正しいことを行なう必要があります(テトス2:14.マタイ7:21-23)」。

 

 主よ、わたしたちをすべての不法から贖ってください。神の権威の啓示を見させてください。主よ、わたしたちを真に権威に触れさせてください。主よ、わたしたちの奉仕を、服従という原則の中に保ってくださいますように。

 

 

神の権威の原則とサタンの反逆の原則を認識する

 

 わたしたちは、この宇宙には二つの原則があるということを認識しなければなりません。一つは、神の権威の原則であり、もう一つは、サタンの反逆の原則です。わたしたちは、一方において神に仕えながら、他方において反逆の道を取ることはできません。……奉仕は、権威と直接の関係があります。もしわたしたちが権威の事柄を解決しないなら、わたしたちの奉仕や生活のあらゆる面において、問題を持つようになるでしょう。わたしたちは、自分が神の権威の下にいるかどうかを自分自身に問わなければなりません。神のしもべとして、わたしたちは根本的な啓示、すなわち神の権威の啓示を見なければなりません。……

 

 もしわたしたちが反逆の根を取り除かないなら、わたしたちには何の将来も、何の働きもありません。主がわたしたちをあわれんでくださり、わたしたちを真に権威に触れさせてくださいますように。わたしたちが反逆の原則を離れ、反逆の道を拒絶しますように。どうか主がわたしたちの奉仕を、服従という原則の中に保ってくださいますように。(ニー全集、第59巻、「鼓嶺の訓練の記録(1)」、第12編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第9週3日)

 

神はもろもろの時代の王、永遠にわたって絶対的な権威を持つ方です

 

イザヤ16:5

一つの座が慈愛によって堅く立てられ、そこにひとりの方が真実にあって、ダビデの天幕の中に座し、裁きをなし、公正を求め、義を速やかにもたらす。

 

「神は、もろもろの時代の王、永遠にわたって絶対的な権威を持つ方であって、彼は決して変わることがありません(Ⅰテモテ1:17)。わたしたちが信じる神、わたしたちが仕えている神、わたしたちの中へと分与されつつある神は、もろもろの時代の王、永遠の王です(Ⅰテモテ1:17.Ⅱコリント13:14)」。

 

 主よ、あなたはもろもろの時代の王、永遠の王です。あなたは決して変わることがありません。主よ、あなたがわたしたちの心の中で統治するわたしたちの王であることを認識することができますように。そして、命の中で王として支配してください。

 

 

恵みの時代、新約の時代は、来たるべき時代の前味わいです

 

 イザヤ書第16章5節によれば、すべてを含むキリストはダビデの天幕の中で王として支配する王です。キリストが来たるべき時代に、イスラエルの国の復興の期間、ダビデの天幕の中で王として支配するなら、キリストのこの面はわたしたちとどのような関係があるのかと、わたしたちは思うかもしれません。しかしながら、わたしたちは恵みの時代に、ダビデの天幕の中で王として支配する方としてのキリストを享受することができることを、認識する必要があります。

 

 ヘブル人への手紙第6章5節によれば、恵みの時代、新約の時代は、来たるべき時代の前味わいです。……ですから、わたしたちが今日、享受しているものは、復興の時代における来たるべき王国の前味わいです。ですから、今日わたしたちは、キリストがわたしたちの王であることを認識しなければなりません。彼はわたしたちの心の中でだけでなく、ダビデの天幕の中でも王として支配します。(イザヤ書ライフスタディ(2)、第41編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第9週2日)

 

神の王国の神の支配の下で生きさせてください

 

申12:8

あなたがたは、わたしたちが今日ここでしているように、各自がすべて自分の目に正しいと思うことを行なってはならない。

 

 「主の回復の中でわたしたちは、士師記に描写されている不法から救い出されて、神の王国の神の支配の下で生き、神のみこころを行なう必要があります(テトス2:14.ガラテヤ1:4.マタイ6:10)。 今日のクリスチャンはしばしば、自分たちにとって、ある事柄は正しいか間違っているかであると言います。このように生きることは、自分の目に正しいことを行なうことです。わたしたちが自分の目に正しいことを行なうのは、恐ろしいことです」。

 

 主よ、わたしたちはサタンの権威と暗やみの王国から救い出されて、神の愛する御子の王国の中へと移されたことを感謝します。主よ、神の権威に服従し、神のみこころを行なうことができますように。

 

 

神に支配されて、神の権威に服従する人となります

 

 神によって支配されており、神の権威に服従する人は、彼の苦難また難しい状況においてさえ喜ぶことができます。彼は次のように言うことができます、「わたしの心は引き裂かれていますが、わたしの霊はなおも神を賛美します。…… これは、わたしがわたしの神に、わたしの中で王として支配していただき、わたしが彼の権威に服従しているからです。わたしは神の抑制と支配の下にある人です。なぜなら、わたしは救われており、神によってサタンの権威と暗やみの王国から救い出されており、神の愛する御子の王国の中へと移されたからです」。(信者たちにとって王国は何であるか、第八章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第9週1日)

       

神と神の地位を無にして、神の王職を認めていなかった

 

士2:11-12

イスラエルの子たちはエホバの目に悪を行ない……彼らは、……彼らの父祖の神を捨てて他の神々、すなわち周囲にいる民の神々に従い、それらを拝んでエホバを怒らせた。

 

士 21:25

それらの日々、イスラエルには王がなかったので、それぞれは自分の目に正しいことを行なっていた。

 

「イスラエルの民が、自分たちの間には王がなかったと言ったとき、これが意味したことは、彼らが神と神の地位を無にしていたということと、神の王職を認めていなかったということです(士17:6.18:1.19:1)」。

 

 主よ、あなたは神の表現を持つために、王国を必要としておられます。主よ、わたしたちが神と神の地位を無にしないで、服従する者とならせてください。主よ、わたしたちが自分の目に正しいことを行なっていることから救われ、王国の実際を持つことができますように。

     

 

イスラエルには王がなかったので、自分の目に正しいことを行なっていた

 

 イスラエルの子たちは良き地へと入りましたが、良き地は敵で満ちていました。……しかしながら、神の民に対する神の目的は、敵を打ち破り、その地を完全に所有するだけでなく、彼らが王国を設立するためでした。この目的が成就されなかったので、士師記の最後で、……イスラエルの子たちは、王、あるいは王国がなかったので、それぞれは自分の目に正しいことを行なっていた、と言っています。

 

 神は王国を必要とします。それは彼が表現を持つためです。イスラエルの子たちはエジプトから連れ出されて、荒野を通り、そこで神のための幕屋を建てました。それから彼らは良き地へと入り、あらゆる部族にその地の分け前が割り当てられました。士師記において、敵はある程度打ち破られ、イスラエルの子たちは良き地を享受することができました。それにもかかわらず、士師記には神の表現がありません。なぜなら、王がなかったからです。それぞれは自分の目に正しいことを行なっていました。(聖なる言葉の中で啓示されている神聖な三一、第10章[英文])

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週6日)

 

肉の情欲と財物の事柄を取り扱うことで、厳格な制御を必要とします

 

ローマ2:4

それともあなたは、神の豊かな慈愛と寛容と辛抱強さとを軽んじて、神の慈愛があなたを悔い改めに導いていることを知らないのですか?

 

ガラテヤ5:16

しかしわたしは言います.霊によって歩きなさい.そうすればあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。

 

「わたしたちは、ギデオンの失敗のかぎの内在的な意義を見なければなりません。ギデオンの肉の情欲にふけることと金をむさぼることは、偶像礼拝に導きました。淫行もむさぼりも、偶像礼拝と関係があります(エペソ5:5)。ギデオンの失敗は、わたしたちが情欲と財物の事柄を対処することで、厳格な制御を行使する必要があることを見せています」。

 

 主よ、わたしたちがギデオンの失敗から学ぶことができますように。わたしたちを肉の情欲とむさぼりから救ってください。主よ、わたしたちが神をわたしたちの主、かしら、王、夫とすることができますように。

 

 

神を自分の主、かしら、王、夫とするもの(国、社会、グループ、個人)はみな幸いです

 

 ギデオンは大きな成功をした後、恐るべき失敗をしました。彼の失敗のかぎは三つの要因から成っています。第一に、ギデオンには慈しみがありませんでした。彼は自分を支持しなかった同胞を殺し(士8:16-17)、神の第六の戒めを破りました(出20:13)。第二に、ギデオンは肉の情欲にふけり、彼の肉的な情欲を少しも抑制しませんでした。「彼には多くの妻がいた」ので、七十人の子がいたということです(士師8:30)。それに加えて、シケムにいた彼のそばめも彼に一人の子を産みました(31節)。この事によってギデオンは第七の戒めを破りました(出20:14)。

 

 第三に、ギデオンは民を治めることを拒絶することにおいて良い事を行ないましたが(士8:22-23)、彼の民の分捕り物をむさぼり、彼らはそれをギデオンに明け渡しました(24節)。

 わたしたちは主を愛し、サタンを憎むなら、祝福されるでしょう。……詩篇第33篇12節は言います、「幸いです、エホバを自分の神とする国は」。エホバを自分の主、かしら、王、夫とするもの(国、社会、グループ、個人)はみな幸いです。(士師記ライフスタディ、第5-6編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週5日)

 

復活の中で共にブレンディングされた大麦の一つパン

 

士7:13-14

……大麦のパンの丸いかたまりが、見よ、ミデアンの陣営に転がってきた。……それは……ギデオンの剣にほかならない。神がミデアンと全陣営を、彼の手に渡されたのだ。

 

Ⅰコリント10:17

一つパンであるからには、わたしたちは数が多くても一つからだなのです.…

 

「ギデオンとその三百人は、一人の人のように、一つ思いで、共に行動し、活動しました。この事は、その霊の中の一と、からだの中の生活を表徴しています。彼らが復活の中で共にブレンディングされたことは、最初に熟する穀物である大麦で表徴されており(士6:16.サムエル下21:9.レビ23:10.Ⅰコリント15:20)、一つパンであることは、召会を表徴しています(Ⅰコリント10:17)」。

 

 主よ、大麦のパン、復活したキリストがわたしたちの内におられることを感謝します。その霊の中の一とからだの中の生活を享受することができますように。 

 

 

大麦のパンは復活したキリストのパンです

 

 神はギデオンに三百人を与え、彼らを一体とならせました。単独の勝利は正しくありません。ギデオンとあの三百人は、一つ思いで共に行動し、活動しました。肉はすべて除き去られていたので、一であることができました。これはその霊の中の一とからだの中の生活です。(ニー全集、第11巻、神の勝利者)

 

 大麦のパン……は復活したキリストのパンであり、このキリストは決して制限を受けません。……あなたはこの状況に応じることができないと言います。それは正しいです。あなたには確かにできないでしょう。しかし、できる方がいます。それは、大麦である方です。大麦のパンは、あなたの内側にあります。あなたの中におられるほんの少しの復活したキリストで、十分です。(すべてを含むキリスト、第5章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週4日)

 

神がイスラエルのために戦います

 

士7:4-7

エホバはギデオンに言われた、「民はまだ多すぎる。……そこで、彼は民を水の所に連れ下った。……手を口に当てて水をなめた者の数は三百人であった.……エホバはギデオンに言われた、「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデアンをあなたの手に渡す。しかし他の民はみな……帰らせなさい」。

 

「勝利者がどのようにして選ばれるかは、三百人が選ばれることにおいて見られます。神は、ギデオンと共にいる民が多すぎると告げることによって、神がイスラエルのために戦うことを示しました。一回目の選びの結果、二万二千人が去りました」。

 

 主よ、神の栄光のために絶対的であらせてください。主よ、何も恐れない者にしてください。主よ、十字架によって自己を対処する者にしてください。

 

 

放縦する機会があってもそうしない人は、神に選ばれます

 

 一回目の選びの結果、二万二千人が去りました。彼らが去ったのは、自分自身の栄光を求めていたからです。……[二回目の]選びは、水を飲むという小さな事によりました。小さい事は常に、わたしたちがどうであるかを暴露します。当時、ユダヤ人とアラビヤ人は旅をするとき、荷物を背負いました。途中で水を飲むのに二つの方法がありました。一つ目は、荷物を下ろし、ひざをついて、口を水につけて飲む方法です。

 

 もう一つは、……荷物を下ろさず、手で水をすくって飲む方法です。この一万人のうち、口を水につけて飲んだ者は九千七百人いました。手で水をすくって飲んだ者は三百人でした。口を水につけて飲んだ者は、神によって除かれた者です。手で水をすくって飲んだ者が、神によって選ばれました。放縦する機会があってもそうしない者は、十字架の対処を経過した人です。このような人を、神は用いることができます。進んで十字架の対処を無条件で受ける人だけを、神は用いることができます。(ニー全集、第11巻、神の勝利者)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週3日)

 

天のビジョンを見て、主の召しに応答します

 

士6:15

[ギデオン]は言った、「ああ、主よ、どのようにして、わたしはイスラエルを救うことができるでしょうか? わたしの一族はマナセのうちで最も貧しく、わたしは父の家のうちで最も小さいのです」。

 

使徒26:19

こういうわけで、アグリッパ王よ、わたしは天のビジョンに背[きませんでした]。

 

「善であって、喜ばれ、完全な、神のみこころにしたがって、わたしたちは自分自身を生きた犠牲として神にささげて、キリストのからだの実際と生活を持たなければなりません(ローマ12:1-5.参照、士6:21-24)。わたしたちは、啓示録第2章と第3章の主の召しに応答する者たちとならなければなりません(啓2:7, 11, 17, 26-28.3:5, 12, 20-21.詩歌647番)」。

 

 主よ、わたしたちは貧しく、小さい者たちですが、天のビジョンを見せてくださっていることを感謝します。 神のみこころにしたがって、自分自身を神にささげて、からだの実際と生活を持つことができますように。

 

 

地上の供給が停止した時、天の供給が来ます

 

 この勝利の命に入るために……わたしたちは必ず、自己を徹底的に知り、自己は死ぬほかないことを見……なければなりません。わたしたちの終わりは神の始まりです。・・・・ 一般的に言って、すべての信者には経済的な困難が生じます。これはそれまでやってきたことが正しくなかったために、現在ではもう続けることができないからか、それとも霊的な原因によって、神が背後でこの事を、一つの目的をもって管理しておられるからです。こうして神は、わたしたちの財物を取り去り、わたしたちにキリストを追い求めさせ、キリストを万物のうちで第一位とならせられます。・・・ 。

 

 あなたの宝をちりの中に投げ捨ててこそ、エホバがあなたの宝となることができます(ヨブ22:24-25)。神は荒野でイスラエルの子たちを対処し、彼らの衣食の地上の供給をすべてなくし、彼らに神の豊富を認識させられました。地上の供給が停止した時、天の供給が来ました。物質上の困難が来ることは、キリストが万物のうちで第一位であることをわたしたちに求めさせ、信仰の学課を学び取らせようとするものです。(ニー全集、第11巻、神の勝利者)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週2日)

        

ギデオンは、彼の父との関係と自分自身の権益を犠牲にする

 

士6:25,34

その夜、エホバは彼に言われた、「……あなたの父に属するバアルの祭壇を打ち砕き、そのそばにあるアシラを切り倒しなさい。:34 エホバの霊がギデオンを覆った.彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が呼び集められて彼の後についた。

 

「ギデオンは、彼の父に属するバアルの祭壇を打ち砕き、アシラを切り倒すことによって、彼の父との関係と社会の享受を犠牲にして、エホバに従いました。ギデオンがこのような事を行なうことは、自分自身の権益を犠牲にすることを要求しました。彼の犠牲は、彼の成功の強力な要因でした(士6:28-32)」。

 

 主よ、今日偶像はわたしたちの心の中にあります。主よ、わたしたちが内側で主以上に愛し、主に置き換わっているものを打ち砕き、切り倒すことができますように。主よ、わたしたちが自分自身の権益を犠牲にすることができますように。

 

 

エコノミー上の霊がギデオンの上に臨み、彼は力強くなりました

 

 [ギデオンの成功の第三の要因は]、彼がバアルの祭壇を打ち砕き、アシラを切り倒したことでした(士6:25-28)。この事は神の心に触れました。イスラエルの堕落において、神は偶像を極みまで憎まれました。神は真の夫として、すべての偶像を、彼の妻であるイスラエルと淫行を犯した男であると考えていました。

 

 第四に、ギデオンは、彼の父に属するバアルの祭壇を打ち砕き、アシラを切り倒すことによって、彼の父との関係と社会の享受を犠牲にしました。彼が行なったことのゆえに、オフラの町の人々は彼と争い、彼を殺そうとさえしました(28-30節)。ギデオンが神のためにこのような事を行なうことは、自分自身の権益を犠牲にすることを要求しました。彼の犠牲は、彼の成功の強力な要因でした。(士師記ライフスタディ、第5編)

 この四つの要因の結果、ギデオンは褒賞を受けました。すなわち、エコノミー上の霊が彼の上に臨みました(士6:34)。ですから、彼は力強くなり、わずか三百人で二人の首長と二人の王を打ち破りました(7:25.8:10-12)。(士6:27、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第8週1日)

 

ギデオンは、注意深く神の言葉に聞き従いました

 

士6:12

さて、エホバの御使いがギデオンに現れて言った、「勇敢な戦士よ、エホバがあなたと共におられる」。

 

啓2:7

耳のある者は、その霊が諸召会に言われることを聞くがよい。……

 

「わたしたちは、ギデオンの成功の内在的な意義を見なければなりません。ギデオンは、注意深く神の言葉に聞き従いました。主は常に、わたしたちの耳を開いて、主の御声を聞かせることを願っています(啓1:10, 12.ヨブ33:14-16.イザヤ50:4-5.出21:6)」。

 

 主よ、わたしたちの耳を開いてください。わたしたちがギデオンのように、注意深く神の言葉に聞き従うことができますように。主よ、わたしたちが従順と服従であるキリストの命にしたがって行動できますように。

 

 

キリストの命は従順と服従です

 

 ギデオンはすばらしい士師であり、とても特別な方法でエホバによって召され、四つの事のゆえに成功しました。第一に、彼は注意深く神の言葉に聞き従いました。神の言葉はその当時、イスラエルの子たちの間でまれでした。第二に、ギデオンは神の言葉に従順であり、それにしたがって行動しました。(士師記ライフスタディ、第5編)

 

 一人の人の有用さは、彼が苦しんだかどうかにあるのではなく、苦難の中で従順を学んだかどうかにあります。神に従順である者だけが有用です。もし心が柔らかくされていないなら、苦難は去らないでしょう。わたしたちの道は、多種多様な苦難の道です。安逸と享楽を渇望する人は、役に立ちません。わたしたちはすべて、苦難の中で従順であることを学ばなければなりません。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第5編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週6日)

 

神を愛する者たちは、力強く昇る太陽のようになりますように

 

士5:15-16

……ルベンの支族の間では、心に大きな決意があった。……ルベンの支族には、心に大きな探求があった。

 

士5:31エホバよ、あなたの敵はみな、このように滅びますように。しかし彼を愛する者たちは、力強く昇る太陽のようになりますように……

 

「わたしたちは、デボラが彼女の歌の終わりで記述している者のようになることを切望し、祈る必要があります。「彼を愛する者たちは、力強く昇る太陽のようになりますように」(士5:31)。すべての召会が、決意すること、探求すること、昇る太陽のように輝くことを経験しようとするなら、彼らは確かに主を彼らの勝利として享受します」。

 

 主よ、わたしたちの心に大きな決意があり、心に大きな探求がありますように。主よ、わたしたちが主を愛する者たちとなり、力強く昇る太陽のようになりますように。

 

 

わたしたちも心に大きな決意を持ち、神に対して心に大きな探求を持ちます

 

 聖書は神の民の間に、心に大きな決意と心に大きな探求があったと言います(士5:15-16)。だれのために彼らは大きな決意と大きな探求を持ったのでしょうか? 熱望を持つ人は、地上で生きているにもかかわらず、いつも彼の心を主に向けます。わたしたちも心に大きな決意を持ち、神に対して心に大きな探求を持つべきです。・・・・

 

 ある人は尋ねるかもしれません、「大きな決意と大きな探求を持つ目的は何でしょうか?」。それは地上で神のために生きるということです。・・・・ 簡潔に言えば、それはあなたの全生涯のために神をあなたの命として受け入れることです。神は地上で彼のために生きるようにとあなたを導かれるでしょう。言い換えれば、神はあなたがすべての場所、すべての国、すべての民族の所へ行って、ご自身のために証しとなり、人々がご自身を知るように導くことによって、この地上でご自身を表現するために、あなたを導かれるでしょう。(祝福された人生、第3、6章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第15日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週5日)

 

わたしたちは転換した命の中で、第二の誕生を持ちます

 

ヨハネ19:26-27

イエスはご自分の母と、そばに立っている彼の愛する弟子を見て、母に、「女よ、見なさい、あなたの息子です」と言われた。彼はまたその弟子に、「見なさい、あなたの母です」と言われた。その時からその弟子は、彼女を自分の家に引き取った。

 

「わたしたちの第一の関係は肉の中にありますが、第二の関係は霊の中に、すなわち、転換した命の中にあります。わたしたちは第二の誕生を持っているので(ヨハネ3:6)、確かに第二の関係、すなわち、真の姉妹たち、また真の母たちとの第二の家族関係を持っています。すべての姉妹は祈りによって奉仕する姉妹となり、愛という最も卓越した道によって愛する母となる必要があります」。

 

 主よ、わたしたちは第二の誕生を持っているので、兄弟姉妹と第二の家族関係を持っています。主よ、わたしたちが祈りよって兄弟姉妹に仕え、愛する母となることができますように。

 

 

わたしたちはみな第二の誕生を必要とし、第二の母を必要とします

 

 わたしたちはみな第二の誕生を必要とし、またわたしたちはみな第二の母を必要とします。もしあなたがた姉妹たちが十字架を見ることによって負担を取り上げ、命の中で転換され、中学校の年齢の何人かの若い人たちをあなたの子供たちとするなら、五年以内に召会には復興があるでしょう。最上の方法は、十字架を見ることによって命の転換を持つことです。あなたは一人の若い人を十字架にもたらし、十字架につけられたイエスを見る必要があります。

 

 一般的な方法で兄弟あるいは姉妹であることは十分ではありません。すべての姉妹たちは仕える姉妹となる必要があります。またわたしたちは子供を持っていてもいなくても、みな母となる必要があります。これは祝福、成長、霊性、主に対する真の享受を受ける最上の道です。(リー全集、1975年―1976年、第1巻(上)、「姉妹たちに対する言葉」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週4日)

 

士師デボラはイスラエルに母としても立ち上がりました

 

士5:7

……わたし、デボラが立ち上がるまでは.わたしがイスラエルに母として立ち上がるまでは。

 

ローマ16:13

主にあって選ばれたルポスと、彼の母によろしく.彼女はわたしの母でもあります。

 

「デボラはイスラエルの士師としてだけでなく、イスラエルに母として立ち上がりました(士5:7)。召会生活の実行において、あらゆる召会に何人かの真の母がいるべきです。わたしたちはみな霊の母の顧みを必要とし、その顧みはわたしたちの真の養い、またわたしたちの真の保護です」。

 

 主よ、わたしたちがキリストの十字架と復活を通して、命の転換を持ったことを感謝します。主よ、わたしたちに霊の母の顧みと養い、保護が豊かにありますように。

 

 

召会生活の実行において、わたしたちはみな霊の母の顧みを必要とします

 

 新約聖書はわたしたちに、使徒たちの直接の肉親についてはほとんど告げていません。・・・・ ヨハネによる福音書第19章の記録によれば、十字架刑の間に主イエスは苦しんでいたとき、肉にある彼の母を見ました。・・・ 主イエスは十字架刑が終わりに近づいたとき、肉にある彼の母を見ましたが、ある意味で、彼は彼女に次のように言われたかのようでした、「母よ、わたしを見ないで、あなたの息子を見なさい」。同時に、彼はご自分のいとこであるヨハネに言われました、「見なさい、あなたの母です」(25-27節)。

 

 ヨハネによる福音書は命についての書です。それは天然の命についてではなく、転換し造り変えられた命についてです。ヨハネは彼の目的を成就するために、キリストの信者たちの命がイエスの十字架によって、また彼の復活によってどのように転換することができるのかを示す記録をわたしたちに与えています。肉にある命によれば、ヨハネはマリアのおいであり、マリアはヨハネのおばでした。しかし、彼らは十字架を見ることによって、もう一つの命を受けました。・・・・ この第二の命において、おいは真の息子となり、おばは真の母となります。・・・・ あらゆる召会に何人かの真の母がいるべきです。(リー全集、1975年―1976年、第1巻(上)、「姉妹たちに対する言葉」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週3日)

 

主は、彼の服従と従順の命をわたしたちに与えました

 

ピリピ2:8

人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました。

 

エペソ5:22

妻たちよ、主に服従するように、自分自身の夫に服従しなさい。

 

「召会における姉妹たちの第一で最大の機能は、服従することです。姉妹たちがこの学課を学ぶことができるなら、召会は強くなり、豊かになり、新しくされます。キリストで満ちている人は、服従で満ちています。主は彼の生涯にわたって服従し、彼の服従と従順の命をわたしたちに与えました(ピリピ2:5-11.ヘブル5:7-9)」。

 

 主よ、わたしたち召会が妻として、主に服従することができますように。主よあなたは、ご自身の服従と従順の命をわたしたちに与えてくださいました。主よ、わたしたち召会が服従の命を生かし出すことができますように。

 

 

姉妹たちが「服従する学課」を学ぶことができるなら、召会は強くなり、豊かになり、新しくされます

 

 姉妹たちの第一の機能は、服従することです。これはどのような種類の働きを行なうことともかかわりがなく、真の機能です。服従することは、どのような種類の行ないよりもはるかに大いなることです。・・・・・ 服従することは、命の供給、恵みの享受、十字架の働くこと、自己を否むことを必要とします。わたしたちは決して自己によって服従しようとすべきではありません。わたしたちは自分自身を主にささげて、主のために働きを行なうのではなく、ただ服従すべきです。(リー全集、1968年、第1巻(上)、第14編)

 

 救いは喜びをもたらすだけではありません。それはまた服従ももたらします。・・・・・主は従順を通してわたしたちの救いの源となりました。わたしたちが神のみこころに服従することを希望して、神はわたしたちを救われました。人が神の権威に出会う時、服従は単純なことであるでしょう。そして神のみこころを知ることも単純なことであるでしょう。なぜなら、生涯を通して服従しておられた主が、主の服従の命をすでにわたしたちに与えられたからです。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第5編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週2日)

 

デボラは男に対する女の服従を実行する

 

Ⅰコリント11:3,10

あなたがたに知ってもらいたいのですが、キリストはあらゆる人のかしらであり、男は女のかしらであり、神はキリストのかしらです。 10  こういうわけで、女は天使たちのために、権威に服従するしるしを自分の頭に持つべきです。

 

「神はデボラをイスラエルの士師として立ち上がらせました。デボラは男に対する女の服従を実行し、神の定めを守り、神の王職と頭首権の下で、全イスラエルを正しい秩序へともたらしました(士第4章―第5章)」。

 

 主よ、あなたは召会のかしらです。デボラが男に対する女の服従を実行したときに、国全体が正常な秩序にもたらされました。主よ、わたしたち召会が権威に服従することを学んで、からだの秩序が回復されますように。

 

 

男に対する女の服従を実行したとき、国全体が正常な秩序にもたらされる

 

 神の創造にしたがって、デボラはとても能力のある人でした。わたしたちが士師記第5章の彼女の歌を読むことによって見るのは、彼女が能力、才能、洞察力、先見性に満ちていたということです。しかし、そのような卓越した人は、とても服従していました。神は彼女をリーダーにされましたが、彼女は正しい秩序を守り、バラクを彼女のおおいとしました(士4:6-9)。彼女は、男が彼女のおおいとなる必要があることを認識していました。……

 

 彼女がこのような立場を取ったとき、全国民は異なるようになりました。彼らの悲惨な状態の中で、だれも率先してエホバの権益のために戦おうとせず、だれも進んで従おうとしませんでした。しかし、この卓越した非凡な女が率先して男に対する女の服従を実行したとき、国全体が正常な秩序にもたらされました。すべての者が自分の正しい地位に戻りました。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(3) 第7週1日)

 

わたしたちを聖徒たちとすべての召会に対する祝福の経路とします

 

マタイ1:1

イエス・キリストの系図の書.彼はダビデの子であり、アブラハムの子である。

 

ガラテヤ3:14

それは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスの中で異邦人に及ぶためであり、わたしたちが信仰を通して、約束されたその霊を受けるためなのです。

 

「わたしたちは絶えずキリストを、わたしたちの王、わたしたちの主、わたしたちのかしら、わたしたちの夫とし、経験し、享受すべきです。それは、彼がわたしたちの祝福となり、わたしたちを、聖徒たちとすべての召会に対する祝福の経路とすることができるためです(マタイ2:2.ピリピ2:9-11.コロサイ2:19.Ⅱコリント11:2-3.ホセア2:19-20.民6:23-27.詩128:5)」。

 

 主よ、あなたは、わたしたちの王であり、主であり、かしらであり、夫です。わたしたちの救い主、イエス・キリストを、まず王国のためにダビデの子として知り、経験させてください。そして、手順を経た三一の神を祝福として享受することができますように。

 

 

ひとたび王国があるなら、神が働いてわたしたちを祝福されます

 

 ひとたび王国があるなら、王国は神が働いてわたしたちを祝福される領域、範囲となります。…… わたしたちは、祝福が神の権威の領域、神の行政下にある領域を必要とすることを認識していないかもしれません。そのような領域がなければ、神が来てわたしたちを祝福されるすべはありません。もし神の行政の下にいて、神を主権者として受け入れることがないなら、神がわたしたちを祝福されるすべはありません。

 

 ですから、わたしたちの経験において、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、まず王国のためにダビデの子であり、次に祝福のためにアブラハムの子でなければなりません。…… わたしたちの多くは、キリストをわたしたちの王として受け入れることによって、手順を経た三一の神を祝福として享受すると、証しすることができます。わたしたちは主の支配の下にいればいるほど、ますます三一の神をわたしたちの祝福として享受するでしょう。(新約の結論(16)、メッセージ265)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週6日)

 

背教に対する抗毒剤は、命の備えと真理の啓示です

 

Ⅱペテロ1:3,19

彼の神聖な力は、ご自身の栄光と美徳によって、わたしたちを召してくださった方を知る全き認識を通して、命と敬虔にかかわるすべての事柄を、わたしたちにすでに与えてくださっています。19 また、わたしたちはさらに堅くされた預言者の言を持っています.夜が明けて明けの明星があなたがたの心に昇るまで、その言を、暗い所に輝くともし火のように、よくよく心にとめていなさい。

 

「ペテロが背教を取り扱う時に用いた抗毒剤は、命の備えと真理の啓示です(Ⅱペテロ1:3-21)。3節から11節で、ペテロは正当なクリスチャン生活に対する神聖な命の備えを用いて、背教に対して予防注射しました。12節から21節で、ペテロは神聖な真理の啓示を用いて、背教の異端に対して予防注射しました(2:1, フットノート3)」。

 

 主よ、わたしたちに神を知る全き認識を通して神聖な力を与えてください。主よ、命と敬虔にかかわるすべての事柄にあずからせてください。 聖書の御言葉が、わたしたちの心に明けの明星のように昇りますように。

 

 

使徒たちの証しと聖書の預言者の言は両方とも真理の輝きです

  

ペテロの第二の手紙第1章3節における「神聖な」という言葉は神の永遠、無限なまた全能な神性を示します。ですから、神聖な力は神聖な性質に関係のある神聖な命の力です。

 ・・・・ 命は内側のエネルギー、内側の力であり、外側の敬虔を生みます。すなわち栄光へと導きまた栄光という結果になります。

 

 第1章19節から21節に進んでペテロは、使徒たちの証しを確証するために旧約に見いだされる預言の言葉を[用い]ます。使徒たちの証しと聖書の預言者の言は両方とも真理の輝きです。この輝きは神聖な備え、神がその力によって作られた備えの部分です。それは彼の選ばれた子供たちが異端と背教から離れることができるためです。

 背教の要素は今日も続いていることを認識するのは重要です。多くの基本的な真理が、根本主義的と見られている信者たちによってさえ放棄されたので、主の回復にいるわたしたちは、真理のために戦う必要があります。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第8日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週5日)

 

わたしたちはキリストのからだの一肢体です

 

Ⅰコリント12:27,12

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。12 それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべての肢体が多くあっても一つの体であるように、キリストも同様だからです。

 

「背教に陥ることから守られる最上の道は、からだ全体を顧み、また主の一つの働きにおける主の唯一の証しを顧みることです(Ⅰコリント10:17.12:12, 27)」。

 

 主よ、わたしたちはキリストのからだであり、各自は一肢体です。体のすべての肢体が多くあっても一つの体です。主よ、わたしたちにこのからだの感覚を増し加えてください。主の唯一の証しを顧みることができますように。

 

 

背教に陥ることから守られて、 主の唯一の証しを顧みます

 

 士師記第18章30節の「自分たちのために」という言葉はとても意義深いのです。神を礼拝していると主張する多くの人は、実は彼ら自身のために何かを行なっているのです。背教は、神を礼拝するという口実の下で、自己のために何かを行なっています。ヤラベアムには神に対する心はありませんでした。むしろ、彼の心は、自分の小さい帝国のためであったのです。彼は心の中で、王国がダビデの家に戻ることを恐れました(列王上12:26)。神の御名を口実に用いて、彼はできる限りのことを行なって自分の帝国を保持しました。これが背教です。(創世記ライフスタディ(6)、第103編)

 

 原則において、あらゆる分裂の礼拝センターは同じです。それらを設立する者たちは、自分の利益、自分の願望だけを顧み、他のすべての聖徒たちを無視します。彼らは、自分の部族だけを顧み、他の部族を顧みなかったダンのようです。(創世記ライフスタディ(6)、第103編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週4日)

 

神の御名を置かれる場所を尋ね求めて、そこへ行く

 

申12:5

エホバ・あなたがたの神が、あなたがたの全部族の中から選んで彼の御名を置かれる場所、すなわち彼の住まいを尋ね求めて、そこへ行かなければならない。

 

「ダンの背教は、分裂の礼拝センターを立てたことでした(士17:9-10.18:27-31.列王上12:26-31)。ダンは獅子の子として、さらに多くの地を得るために戦い、勝利を得た後、高ぶり、単独で、独立的になりました(申33:22.ヨシュア19:47.士18:27-31)。ダンの背教の源は、他の部族を顧みないことにありました。からだの他の部分を顧みないことが背教の源です」。

 

 主よ、あなたの御名を置かれる場所、あなたの住まいを尋ね求めて、そこへ行くことができますように。主よ、わたしたちが 勝利を得た後、高ぶり、独立的になることから救ってください。主が彼の民の一を維持する唯一の立場に立つことができますように。

 

 

主が彼の御名のため、彼の住まいのために選ばれた唯一の場所に行く

 

 申命記第12章、第14章、第15章、第16章で、主はモーセを通してイスラエルの子たちに少なくとも十五回、彼らの全焼のささげ物を彼らが選ぶ場所でささげてはならないと命じられました。彼らは、主が彼の御名のため、彼の住まいのために選ばれた唯一の場所に行くように命じられました。申命記第12章13節と14節は言います、「気をつけて、あなたの全焼のささげ物を、あなたが見て良いと思うどの場所でもささげることがないようにしなさい.ただエホバがあなたの一つの部族の中で選ばれるその場所で、あなたの全焼のささげ物をささげ、その所で、わたしが命じているすべてのことを行なわなければならない」。……

 

 何度も、年長の、愛すべき、律法を与える者モーセは、この事柄についてイスラエルの子たちに命じました。これらの章を読むなら、モーセが唯一の場所、主が彼の御名と住まいのために選ばれた場所について、人々に命じていることを見るでしょう。主がモーセにこの命令を繰り返して言うよう命じられたのは、主が彼の民の一を維持することを心にかけておられたからです。(創世記ライフスタディ(6)、第103編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週3日)

 

神の道を離れないで、神を礼拝する

 

Ⅱペテロ2:2,15

……多くの者は彼らの淫蕩に倣い、真理の道は彼らのゆえにののしられます。15 彼らは真っすぐな道を放棄して、迷ってしまい、不義の報酬を愛したベオルの子、バラムの道に従ったのです。

 

「士師記第17章と第18章は、神を礼拝することにおけるイスラエルの背教を啓示しています。背教とは、神の道を離れ、別の道を取って、神以外のものに従うことを意味します。それは、イエス・キリストの御名の下で、また神を礼拝するという口実の下で、自己のために事を行なうことです(使徒9:2.18:26.Ⅱペテロ2:2, 15, 21.ユダ11節.士18:30-31)」。

 

 主よ、わたしたちが真っすぐな道を放棄して、迷ってしまわないように守ってください。主よ、わたしたちを混合、背教から救い、イエス・キリストの御名の下で、神を礼拝する者とならせてください。

 

 

真っすぐな道を放棄する背教から救われ、真の神を礼拝する者となる

 

 イスラエルは堕落して、統治、礼拝、道徳の三つの面で混乱するようになりました。……神の幕屋はシロにあり、大祭司はウリムとトンミムを持っていましたが、行政はありませんでした。士師記第17章と第18章は、イスラエルの子たちの礼拝における忌まわしい混乱を啓示しています。ミカは神々の家を自分の家に立てました。彼の母は銀をエホバにささげ、偶像と鋳た像を造りました。そしてミカは神々の家を立て、エポデとテラピムを造り、自分の息子の一人を任職して自分の祭司としました。エポデは神の権威を表徴し、それがなければだれも神を礼拝することはできません。後ほど、ミカは一人のレビ人を任職して自分の家の祭司とし、年に銀十枚と衣服ひとそろいと彼の食物を給料として払いました。

 

 それらの日々、ダンの人々がミカから彼の偶像、エポデ、テラピム、鋳た像を、彼の祭司と共に奪い、神の幕屋がシロにとどまっていた間、それらをもって別の礼拝場所をダンの町に立てました。その結果は二つの礼拝センター、すなわち、シロにある神の幕屋のある正しいものと、ダンにある正しくないものでした。それは礼拝におけるイスラエルの子たちの混乱でした。(士師記ライフスタディ、第9編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週2日)

 

イスラエルの夫、かしら、王であるエホバがしもべとなる

 

士2:1

さて、エホバの御使いが……言った、「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの父祖たちに誓った地に連れて来た。そしてわたしは言った、『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。

 

「士師記第2章1節は、エホバの御使いについて語っています(士5:23.民22:22)。エホバの御使いは神ご自身であり、彼の神聖な三一の中でしもべとして彼の選民に仕えます(参照、ヘブル1:14)。イスラエルは正しい妻として行動しなかったので、イスラエルの夫、かしら、王であるエホバは、彼の妻に対してしもべとなりました」。

 

 主よ、 イスラエルの夫、かしら、王であるエホバはしもべとなって、イスラエルを顧みてこられました。主よ、今日わたしたち召会はイスラエルのようです。主よ、召会に対するあなたの言葉は、叱責や命令ではなく、しもべの勧告であることを感謝します。この勧告に聞き従うことができますように。

 

 

イスラエルは正しい妻として行動しなかったので、神はしもべとなり顧みました

 

 神はシナイ山でイスラエルとの結婚の結合の中へと入り、……イスラエルがこのすばらしい結婚の結合の中で、彼との最も親密な接触の中にとどまることを願われました。しかし、……イスラエルは正しい妻として行動しなかったので、イスラエルの夫、かしら、王であるエホバは、彼の妻に対してしもべとなられました。

 

 これが意味するのは、彼が彼女に夫、かしら、王として来たのではなく、エホバによって遣わされたエホバの御使いとして来られたということです(ゼカリヤ2:9-11)。イスラエルはエホバをかしらとしなかったので、彼はしもべとなって彼女に仕えられました。士師記第2章での彼の勧告は、しもべの勧告でした。(士師記ライフスタディ、第3編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第6週1日)

 

だれがカナン人と戦うのでしょうか? 

 

士1:1-2

……ヨシュアの死後、イスラエルの子たちはエホバに尋ねて言った、「だれがわたしたちのために最初に上って行って、カナン人と戦うのでしょうか?」。エホバは言われた、「ユダが上って行かなければならない。わたしはその地を彼の手に渡した」。

 

「わたしたちは士師記の内在的な意義を認識する必要があります。旧約の全面的な観点によれば、神はシナイ山でイスラエルと結婚されました(出20:6, フットノート2)。士師記第1章1節から20節にあるユダとカレブの記事の後、イスラエルの歴史は本書に記録されているように、遊女の腐敗と堕落で満ちています」。

 

 主よ、士師記の内在的な意義を認識することできますように。だれがカナン人と戦うのでしょうか? 今、わたしたちが立ち上がってこの霊的な戦いをすることができますように。主よわたしたち召会が、キリストの団体の妻として、主を愛することができますように。

 

 

イスラエルには王がなく、すべての人は自分の目に正しいことを行なっていた

 

 士師記で、ある特別な言い方が何度も繰り返されています。すなわち、「それらの日々、イスラエルには王がなく、すべての人は自分の目に正しいことを行なっていた」(17:6.18:1.19:1.21:25)。しかし、神が王でした! 聖書の原則によれば、夫は結婚のかしら、また家族のかしらです。創造において神は、男がこの権威を持つことを定められました。ですから、男はまた王権を持っています。予表と型において、神は唯一の男です。わたしたちはみな女です。

 

 なぜならわたしたち、召会は、キリストにとって団体の妻であるからです。神はわたしたちの創造主、わたしたちの主であるので、わたしたちの王でもあるべきです。・・・・・ イスラエルは神の妻であったにもかかわらず、遊女となりました。イスラエルは神の王権を承認せず、神を自分たちの夫と承認しませんでした。ですから、イスラエルの子たちが自分たちの目に正しいことを行なったとき、その結果、腐敗し堕落しました。(士師記ライフスタディ、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週6日)

 

聖別された人たちの間での嗣業を受けます

 

使徒26:18

彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである.それは、わたしにある信仰によって、彼らが……聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。

 

「パウロは使徒第26章18節において、わたしたちの嗣業である、すべてを含むキリストについて言及しています。わたしたちの目が開かれ、サタンの権威から神に移されることの結果として、わたしたちは罪の赦しを得るだけではなく、神聖な嗣業をも受けます」。

 

 主よ、わたしたちの目を開き、暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせてください。主よ、わたしたちが信仰によって、聖別された人たちの間での嗣業を受けることができますように。主よ、聖霊を嗣業の前味わい、担保として与えてくださったことを感謝します。

 

 

聖徒たちに与えられた聖霊は、この神聖な嗣業の前味わい、証印、担保、保証です

 

 パウロは使徒行伝第26章18節において、わたしたちの嗣業である、すべてを含むキリストについて言及しています。わたしたちの目が開かれ、サタンの権威から神に移されることの結果として、わたしたちは罪の赦しを得るだけではなく、神聖な嗣業をも受けます。この嗣業は、三一の神ご自身と、彼が持っているすべて、彼が行なったすべて、彼がご自身の贖われた民のために行なおうとしているすべてです。この三一の神は、すべてを含むキリストに具体化されています(コロサイ2:9)。

 

 キリストは、聖徒たちに彼らの嗣業として割り当てられた分け前です。聖徒たちに与えられた聖霊は、この神聖な嗣業の前味わい、証印、担保、保証であって(ローマ8:23.エペソ1:13-14)、今日わたしたちはそれに前味わいとしてあずかり享受し、来たるべき時代と永遠において、完全にあずかり享受するでしょう(Ⅰペテロ1:4)。(新約の結論(7)、メッセージ101)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り 第1日

(朝ごとの食物 ヨシュア記、士師記、ルツ記 結晶の学び(2) 第5週5日)

 

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかる

 

コロサイ1:12

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に感謝をささげるようにと.

 

「パウロはコロサイ人への手紙を書いていた時、イスラエルの子たちに良き地が割り当てられたという絵を思い浮かべていました。彼は旧約聖書のその地の記録を背景にして、「分け前」という言葉を用いました(ヨシュア14:2)。 新約の信者の割り当てられた分け前は、物質の地ではなく、命を与える霊としてのすべてを含むキリストです(コロサイ2:6-7.ガラテヤ3:14)」。

 

 主よ、良き地の実際であるすべてを含むキリストを感謝します。わたしたちに割り当てられた命を与える霊としてのすべてを含むキリストを感謝します。主よ、神聖な嗣業として割り当てられた分け前を享受することができますように。

 

  

割り当てられた分け前は、命を与える霊としてのすべてを含むキリストです

 

 カナンの地がイスラエルの子たちにとってすべてであったように、良き地の予表の実際であるキリストは、わたしたちにとってすべてです。

 新約の信者たちの嗣業、彼らに割り当てられた分け前は、物質の地ではなく、命を与える霊としてのすべてを含むキリストです(コロサイ2:6-7、ガラテヤ3:14)。彼は、聖徒たちの享受のために、彼らの神聖な嗣業として割り当てられた分け前です。良き地の豊富は、さまざまな面における、キリストの計り知れない豊富を予表します。

 

 それらは、ご自身の霊の中にある、信者たちに対する満ちあふれる供給です(申8:7-10.エペソ3:8.ピリピ1:19)。キリストにある信者たちは、その地の豊富を享受することによって、建造されて、神の家また神の王国としてのキリストのからだとなります(エペソ1:22-23.2:21-22.Ⅰテモテ3:15.マタイ16:18-19.ローマ14:17)。(新約の結論、メッセージ44、352)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)