朝ごとの食物

2月の祈り第29日

(年二回の訓練12月 第2週4日)

 

エホバは顔と顔を合わせてモーセに語られました

 

ヨハネ4:24

神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなければならない。

 

出33:11

人が自分の仲間に語るように、エホバは顔と顔を合わせてモーセに語られた…。

 

「イスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ後、モーセは主の臨在がもはや民の間にないことに気づいたので、彼の天幕を移動させ、営所から離れた所に張りました。すると、彼の天幕は神の天幕となりました。なぜなら、主の臨在と語りかけがいずれもそこにあったからです(出33:7-11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは自分の仲間に語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られました。主よ、わたしたちをあなたと親密で、あなたの心にかなう人としてください。そして、わたしたちの集会が主の臨在と語りかけで満ちるようにしてください。

 

 

モーセの天幕は神の天幕となり、主の臨在と語りかけがありました

 

 出エジプト記第33章7節は言います、「モーセは天幕を取って、営所の外で営所から離れた所にそれを張り、それを集会の天幕と呼んだ……」。主の栄光は天幕の入り口にありました[9-10節]。11節で、「人が自分の仲間に語るように、エホバは顔と顔を合わせてモーセに語られた」と告げられています。主を追い求めることを願うすべてのイスラエルの子たちは、営所の外にある集会の天幕に向かって出て行きました。経験のある人、モーセは、神が彼の聖にしたがってもはや民の間にとどまられないことを知りました。なぜなら、営所は偶像礼拝的になったからです。ですから、モーセは以前に営所の中にあった彼の天幕を取り、それを営所の外に張りました。この行動は神の心にかなっていました。

 

 この天幕は神の天幕となりました。幕屋はまだ建てられていませんでした。ですから、モーセの天幕が、神と彼の民との集会のための集会の天幕となったのです。「モーセが天幕に入る時はいつも、雲の柱が下って来て、天幕の入り口にとどまり、エホバはモーセと語られた」(9節)。…… モーセは神の心にとても近い人、神の心にかなう人でした。こういうわけで彼は、神の臨在を完全に持つことができたのです。わたしたちはみな、モーセのような人だけが神の仲間になることができることを学ぶ必要があります。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第176-177編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第28日

(年二回の訓練12月 第2週3日)

 

主以上に愛するもの、生活の中で主に置き換わるものはすべて偶像です

 

Ⅰコリント10:14

こういうわけで、わたしの愛する者たちよ、偶像礼拝から逃れなさい。

 

Ⅰヨハネ5:21

小さい子供たちよ、偶像から自分自身を守りなさい。

 

「わたしたちが良き地としてのキリストを完全に所有しようとするなら、使徒パウロがイスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ偶像礼拝(出32:1-6)を指して言っているように、わたしたちは「偶像礼拝から逃れ」なければなりません(Ⅰコリント10:14)。金の子牛は神の贖われた民が造った偶像でした。立って戯れるとは、お祭り騒ぎ(調子に乗って騒ぐこと)にふけることです。わたしたちは真の神の真の子供たちとして、警戒して偶像から、またわたしたちの生活におけるキリストの代替物と置き換えから、自分自身を守る必要があります(Ⅰヨハネ5:21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちが神を礼拝し、神の栄光を現すために多くの物を与えてくださっていることを感謝します。主よ、偶像から自分自身を守ることができますように。主よ、自分を美しくすることから、わたしを救ってください。主よ、わたしはあなたを表現することを願います。

 

 

わたしたちの生活におけるキリストの代替物と置き換えから守られる必要があります

 

 出エジプト記第32章で、金の輪は妻、息子、娘の耳からはずされ、偶像、金の子牛を造るのに用いられました。人々は耳輪を付けて、自分自身を装飾します。今日の文化は自分を装飾することを促します。男も女も自分自身を装飾することに用いるものに多額の金銭を費やします。自分を装飾することは偶像礼拝に導きます。これが、主が第33章5節と6節でイスラエルの子たちに、装飾に関して戒めを与えた理由です。

 

「エホバはモーセに言われた、『……もしわたしが一刻でも、あなたがたのただ中にあって上って行くなら、あなたがたを滅ぼし尽くすであろう。だから今、あなたがたの飾り物を身から取り去りなさい.そうすれば、あなたがたに対してどのようにすべきかをわたしは知る』。こうして、イスラエルの子たちはホレブの山以来、自分の飾り物を取りはずしていた」。主が飾り物に関してこの戒めを出されたのは、第32章の記録が明らかにしているように、自分を装飾することが偶像礼拝に導くからです。……偶像の原則は、自分を装飾することです。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第173編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第27日

(年二回の訓練12月 第2週2日)

 

神の言葉とアナク人は、わたしたちの食物です

 

民14:9

ただ、決してエホバに背いてはなりません.その地の人々を恐れてはなりません.彼らはわたしたちの食物であるからです……

 

Ⅱコリント4:13

また、「わたしは信じた.それゆえにわたしは語った」と書いてあるとおり、同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それゆえにまた語るのです.

 

「神の言葉は、わたしたちのパン[食物]であり(マタイ4:4)、神のみこころを行なうことは、わたしたちの食物であり(ヨハネ4:34)、わたしたちの食物はまたアナク人でもあります(民14:9)。アナク人が表しているのは、わたしたちが召会を建造するためにキリストを追い求める時に遭遇する、一見すると乗り越えられない困難やどうしようもない状況です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの食物としての神の言葉を感謝します。主よ、わたしたちの行程で、わたしたちが遭遇する困難や難しい状況を信仰の霊を活用して食べることができますように。主よ、あなたの約束に信頼し、自分自身を完全にあなたにゆだねさせてください。

 

 

わたしたちの行く手に置かれた困難と誘惑は、わたしたちにとって食物です

 

 わたしたちの食物は、神の言葉であるだけでなく、神のみこころを行なうことだけでなく、わたしたちの食物は、アナク人でもあるのです。アナク人とは、わたしたちの出遭った困難です。多くの人は、神の言葉を食べ、神のみこころを行なうことを彼らの食物としました。しかし多くの人は、アナク人を食べていません。……アナク人を多く食べれば食べるほど、わたしたちはますます強くなるのです。カレブは一つの良い例です。彼がアナク人を「食物」として食べたので、……彼の四十歳の時の力と同じように、八十五歳になった今も力があるのです。……

 

 霊的な領域では、みなこのようです。……多くの兄弟姉妹の生活の中で、困難はわずかなのに、その生活の中での弱さは少なくないのです。彼らが主の御前に弱いのは、アナク人を食べることに欠けているからです。……サタンがわたしたちの行く手に置くあらゆる困難と誘惑は、わたしたちにとって食物です。これは、神が与えた霊的進歩のための手段です。信仰のない人は、困難を見れば大変だと言います。しかし、信仰のある人は、これはわたしの食物であると言って、主を賛美し感謝します。(ニー全集、第37巻、第3編、「神の守る力」)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第26日

(年二回の訓練12月 第2週1日)

 

主よ、わたしたちは良い心、信仰に満ちた心が欲しいのです

 

ヘブル3:12

兄弟たちよ、あなたがたのうちのだれも、不信仰という邪悪な心を持って、生ける神から落ちていくことがないように気をつけなさい。

 

「神がイスラエルの子たちを召した目標は、彼らが約束の地へ入ってその地の豊富を享受して、神の王国を設立し、地上における神の表現となることでした(出3:8,14,17)。すべてのイスラエル人は過越を通して贖われ、エジプト人の暴虐から救い出され、神の山へともたらされて、神の住まいである幕屋の啓示を受けましたが、彼らの悪行と不信仰のゆえに、ほとんどすべての人は荒野で倒れて死に、この目標に到達することに失敗しました(ヘブル3:7-19)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはイスラエルの子たちを召して約束の地へ入らせ、その地の豊富を享受させてくださる神であることを感謝します。主よ、わたしたちを不信仰という邪悪な心から救ってください。わたしたちは良い心、信仰に満ちた心が欲しいのです。わたしはその地に入ることはできませんが、あなたはできます。

 

 

ヨシュアとカレブは信仰に満ちた心を持っていました

 

 カナンの地を探った者たちは、悪い報告を持ち帰りました。一方で、彼らはその地が格別に良いと言いましたが、もう一方で、入ることは不可能であると言いました。そこにいる人々は巨人であり、町々は要塞化されて大きいと、彼らは言いました。……  ヘブル人への手紙第3章は、これは不信仰という邪悪な心であると告げています(12節)。それは邪悪な者に占有された心であるので、邪悪な心と呼ばれます。……わたしたちは祈らなければなりません、「主よ、わたしは良い心、信仰に満ちた心が欲しいのです。わたしはその地に入ることはできませんが、あなたはできます」。

 

 わたしたちの中におられる方は、世にある者より大いなるものです。わたしはできませんが、キリストはでき、そして彼はわたしの中におられます。わたしたちは彼の復活の力を信じなければなりません。神は、わたしたちが求め、また思うことすべて、わたしたちが夢に見、想像することすべてをはるかに超えて豊かに行なうことができます。神は行なわれます。神は成し遂げられます。ヨシュアとカレブの模範に従いましょう。彼らは信仰に満ちた心を持っていました。(民13:30)。(「すべてを含むキリスト」、第13章)

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第24日

(年二回の訓練12月 第1週6日)

 

地上の目に見える光景の背後で、目に見えない霊的戦いがあります

 

エペソ6:10-11

最後に、主の中で、また彼の力強い大能の中で力づけられなさい。神のすべての武具を身に着けなさい.悪魔の策略に敵対して立つことができるためです。

 

「イスラエルがその地の住民に対して戦ったことは、地上の目に見える光景の背後で起こっている目に見えない霊的戦いを描写しています(ダニエル10:10-21.エペソ6:10-20)。わたしたちが従事しなければならない、極めて実際的な霊的戦いがあります。わたしたちは戦って、すべてを含むキリストを獲得し、召会をキリストのからだ、新しい人、神の王国として建造しなければなりません(エペソ6:10-12.Ⅰテモテ6:12前半.Ⅱテモテ2:3-4.コロサイ1:13, 18.2:19.3:10-11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、地上の目に見える光景の背後にある、目に見えない霊的戦いを啓示してください。わたしたち召会が、極めて実際的な霊的戦いをすることができますように。主よ、わたしたちの願いは、キリストのからだが建造されて、神の王国が拡大し、それによってキリストが戻って来て、地を受け継ぐことができることです。

 

 

今日わたしたちが従事しなければならない、極めて実際的な霊的戦いがあります

 

 わたしたちはクリスチャンの経験において、語ってきた霊的戦いについてあまり認識がないかもしれません。わたしたちは霊的戦いについて考えるとき、わたしたちの霊と肉との間の戦い、あるいは罪やこの世との闘争を思うかもしれません。しかしながら、罪、この世、肉との戦いは、霊的戦いのより低い部分です。霊的戦いのより高い部分は、邪悪な霊と悪鬼どもとの霊の領域での戦いです。霊の世界には、サタンと彼に従う者どもによって強奪され、占有された領域があります。パウロはこれについての卓越した理解を持っており、それについて多く語りました。今やわたしたちはこの霊的実際、すなわちサタンの王国、暗やみの王国について学ぶ必要があります。……

 

 新約はわたしたちに、神が彼の民を任命してサタンの王国と戦わせられたことを告げています。神は彼らに、霊的戦いに従事する責任を割り当てられました。イスラエルがカナン人と戦った歴史は、今日わたしたちと堕落した天使たちや悪鬼どもとの間で激烈である戦いの予表、絵です。わたしたちは民数記第21章をこの見方から読むなら、霊的戦いに関するビジョンを見るでしょう。(「民数記ライフスタディ(2)」、第32編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第23日

(年二回の訓練12月 第1週5日)

 

霊的戦いは、サタンの王国と神の王国との間の戦いです

 

マタイ6:10

あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。

 

コロサイ1:13

御父はわたしたちを暗やみの権威から救い出して、彼の愛する御子の王国に移してくださいました。

 

「わたしたちは良き地を所有して、神の定められた御旨を完成しようとするなら、霊的戦いに従事し、サタンの勢力を打ち破らなければなりません(ヨシュア6:21)。わたしたちは霊的戦いの必要性を認識する必要があります。その戦いは、サタンの王国と神の王国との間の戦いです(マタイ6:10.7:21.12:26, 28.イザヤ14:12-14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちを御父の愛する御子の王国に移してくださったことを感謝します。今、サタンの王国と神の王国との間の戦いがあります。主よ、わたしたちがすべてを含む良き地としてのキリストを所有するために、霊的戦いに従事する者にしてください。

 

 

カナンの良き地はキリストの予表ですが、また邪悪な者と敵に満ちている地です

 

 過去……わたしたちは、カナン、良き地がキリストの予表であるという事実を強調してきました。今わたしたちは、カナンは邪悪な霊どものいるサタンの王国の予表であると言っています。これは矛盾しているように見えるかもしれませんが、実はそうではありません。わたしたちは予表を注意深く学ぶなら、カナンには二つの特徴があることを見るでしょう。一方で、カナンは申命記第8章に啓示されているように、豊富の地です。……もう一方で、カナンは邪悪な者と敵に満ちている地であり、彼らはみなイスラエルの子たちによって根絶されるべきでした。カナンのこの特徴、あるいは面は、サタンの暗やみの王国の最も邪悪な部分を表徴します。

 

 わたしたちはカナンのこれら二つの特徴を考察するとき、わたしたちがすべてを含む地としてのキリストを享受することができるかどうかは、カナン人によって予表される敵を打ち破るかどうかにかかっていることを見ます。これは、召会が全体として、すべての肢体を含めて、エペソ人への手紙第6章で啓示されている霊的戦いに従事するべきであることを示しています。(「民数記ライフスタディ(2)」、第32編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第22日

(年二回の訓練12月 第1週4日)

 

カナンの地の異教の部族は、わたしたちの天然の命のさまざまな面を表徴します

 

出23:30

わたしは少しずつ彼らをあなたの前から追い払い、ついにあなたは増え広がって、その地を受け継ぐ。

 

コロサイ3:5

こういうわけで、地上にあるあなたがたの肢体、すなわち、淫行、汚れ、激情、邪悪な欲、むさぼりを死に渡しなさい.むさぼりは、偶像礼拝です。

 

 「その地を占有していたさまざまな異教の部族は、わたしたちの天然の命のさまざまな面を表徴します。 神は、わたしたちの天然の命(異教の諸部族によって表徴される)を、一度ですべて断ち切るのではありません.神は、神聖な命におけるわたしたちの成長の程度にしたがって、わたしたちの天然の命を徐々に、少しずつ断ち切ります(出23:30)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたち命の成長の程度にしたがって、天然の命を徐々に、少しずつ断ち切ってくださることを感謝します。主よ、キリストにあって命において成長させてください。そして、わたしたちが神と協力して、天然の命を追い払うことができますように。

 

 

わたしたちの命の成長の程度にしたがって、天然の命が徐々に断ち切られます

 

 わたしたちは天然の命についてメッセージを聞いた後、天然の命を一度ですべて断ち切ることを願うかもしれません。しかしながら、こうすることは空虚にしてしまうことであり、悪鬼どもによって占有される危険があるのです。わたしたちはまだある期間、わたしたちの天然の命を必要とするという感覚があります。そしてわたしたちが主にあって成長すればするほど、彼はますます天然の命を断ち切るでしょう。イスラエルの子たちの数がかなり少なかったので、異教の部族が残り、地が獣から守られる必要がありました。

 

 しかし神の民が増し加わったとき、主は彼の民の数の増し加わりの程度にしたがってその部族を断ち切ります。これは、わたしたちがキリストにあって成長するとき、命におけるわたしたちの成長の程度にしたがって、わたしたちの天然の命が徐々に断ち切られることを表徴します。神は異教の部族を一度ですべて断ち切るのではなく、わたしたちの成長にしたがって「少しずつ」それを行なわれます。(「出エジプト記ライフスタディ(4)」、第73編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第21日

(年二回の訓練12月 第1週3日)

 

空中の権威の支配者であるサタンが、地上の民が神と接触することを妨げます

 

使徒26:18

彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである.それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、……嗣業を受けるためである。

 

「消極的な面で、カナンが表徴するのは、サタンの暗やみの王国の空中の部分、天上の部分、すなわち、サタンの勢力に満ちた天上です(エペソ2:2.6:12)。サタンは彼の権威と彼の使いたちを持っています。彼の使いたちはサタンの従属者であり、この世の暗やみの支配たち、勢力、支配者たちです。(使徒26:18.マタイ12:26.25:41.エペソ6:12.コロサイ1:13)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。最も高い層、第三の天におられる主を賛美します。主よ、わたしたちの目を開き、暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせてください。主よ、わたしたちにどのように霊的戦いをするかを学ばせてください。

 

 

カナン人は、キリストを享受するのを妨げる空中の権威と力を予表します

 

 エペソ人への手紙第2章は、天上に異なる層があることを示しています。キリストは最も高い層、すなわち第三の天にいて、わたしたちの良き地としてわたしたちのすべてとなられます。しかし天上のさらに低い層、すなわち空中があります。そこでは空中の権威の支配者であるサタンが、地上の民が神と接触すること、キリストを受け入れることを妨げています(2節)。これはカナン人によって予表されています。カナン人は、イスラエルが良き地に入るのを妨げていました。(「ヨシュア記ライフスタディ」、第3編)

 

 イスラエルの子たちは良き地へと入った後、カナン人、すなわちその地を占有していた敵に打ち勝たなければなりませんでした。これらの敵は、わたしたちがすべてを含むキリストを享受するのを妨げようとする空中の権威と力を予表します。わたしたちは内側で自己と肉によって煩わされており、わたしたちの上、空中には暗やみの邪悪な力があります。… わたしたちが自己と肉を対処すると直ちに、暗やみの力が出て来てわたしたちに対して戦うでしょう。その時わたしたちはどのように霊的戦いをするかを学ばなければなりません。霊的戦いは、キリストの豊富な産物の支えをもって良き地で戦われます。(「出エジプト記ライフスタディ(1)」、第12編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第20日

(年二回の訓練12月 第1週2日)

 

積極的な面でカナンが予表するのは、すべてを含むキリストです

 

申8:7

それはエホバ・あなたの神が、あなたを良き地に導こうとしておられるからである.そこは水の流れ、泉、源泉があり、谷間と山々に流れている地であり。

 

コロサイ1:12

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように。

 

「イスラエル人がカナンに入ることとカナンでの戦いとの意義を理解するために、わたしたちは、カナンには予表において二重の意義があることを知る必要があります(コロサイ1:12.エペソ1:3.2:2.6:12)。積極的な面で、豊富の地であるカナンが予表するのは、計り知れない豊富を伴う、すべてを含むキリストです(申8:7-10.コロサイ1:12.エペソ3:8)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。豊富の地であるカナンが、すべてを含むキリストを予表しているというビジョンを感謝します。主よ、わたしたちが計り知れない豊富を伴う、良き地としてのキリストを認識し、享受することができますように。

 

 

イスラエルの子たちが享受した良き地は、キリストの意義深い予表です

 

 キリストは良き地です。……三日目に死の水から出て来た地は、三日目に死の中から出て来られた復活のキリストの予表でした。……すべての命は、植物、動物、人の命を含めて、その地から出て来ました。人でさえ、その復活の土地のちりから造られました。医学的に言って、わたしたちの肉体は、地と同じ成分を含んでいます。……人類は地から出て来ました。地はキリストの図です。これは、キリストがあらゆる種類の命の源であることを表徴します。キリストは、良き地、死の水から出て来た地、高く上げられ、死の水に取り囲まれた地として、カナンの地によって描写されました。……この地はキリストの絵です。(「ヘブル人への手紙ライフスタディ(1)」、第17編) 

 

 申命記が良き地を記述しているので、良き地は旧約に啓示されていると言うことができます。しかし良き地の意味と意義は隠されているので、地は聖書の中に隠されていると言うこともできるのです。主の子供たちは主のあわれみと恵みによって供給を受け、御言の中に深く入り込み、神が彼の選びの民に約束された良き地が、キリストの予表であることを認識し始めました。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第20編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第19日

(年二回の訓練12月 第1週1日)

 

旧約におけるすべての戦いは、良き地と関係がありました

      

エペソ2:2

かつてはそれらの中で、この世の時代に流され、空中の権威の支配者、すなわち不従順の子らの中に今も活動している霊の支配者にしたがって、歩いていました。

 

「わたしたちは聖書を注意深く読むなら、良き地のための戦いがあることを見ます(ヨシュア1:2-6, 13)。神の敵であるサタンは全力を尽くして、神の民が良き地としてのキリストを所有し享受することを妨げています(エペソ2:2.6:12)。旧約におけるすべての戦いは、良き地と関係がありました(ヨシュア1:2-6.5:11―6:27)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは良き地としてすべてを含むキリストであることを感謝します。全聖書を通して、良き地のための戦いがあり、神の働きは常に地をを回復することであることを見せてください。この戦いの中で、わたしたちが良き地としてのキリストを所有し、享受することができますように。

 

 

神の民は良き地としてのキリストを所有し享受します

 

 神が人類に地を享受させようとして天と地を創造された後、間もなく、……サタンの反逆のゆえに、……地は深い淵の水の下に葬られました。……そして神は入って来て働き、… 地を深い淵の水から回復されました。…… しかしながら、この後、間もなく、……敵は人を欺き、…… 回復された地は再び深い淵の水の下に置かれました。……しかし箱船の贖いを通して、ノアと彼の家族は、地を所有してその豊富をすべて享受する権利を得ました…… しかし、間もなくこの選ばれた人でさえ、徐々に地からエジプトヘと漂流していきました。……長い期間の後、主はもう一度すべての民をエジプトからこの一画の地に連れ戻されました。ある期間の後、敵は再び行動し、カルデア人、軍隊をバビロンから遣わして地を駄目にし、民をそこから捕らえました。そして再び、七十年後、主は彼らをまたもやこの一画の地に連れ戻されました。

 

 これが旧約の歴史です。何度、主はこの地を回復されたでしょうか? 少なくとも五回か六回です。主は地を創造されましたが、敵はそれを駄目にしました。主は入って来て回復されましたが、敵は他のものをもって反抗しました。……ここに闘争があります。……ここに戦いがあるのです。…旧約におけるすべての戦いは、この一画の地に関してでした。……この地がすべてを含むキリストであることを、決して忘れてはなりません。ただのキリストではなく、すべてを含むキリストです。(「すべてを含むキリスト」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第17日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週6日)

 

花嫁としての召会は、団体的な戦士として霊的戦いに従事します

 

エペソ6:17-18

また救いのかぶとを受け取りなさい.さらにその霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を、すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい.どんな時にも霊の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために目を覚ましていなさい。

 

「エペソ第6章と啓示録第19章が啓示しているのは、花嫁としての召会が、神の敵を打ち破る戦士でもなければならないということです。エペソ第5章では、言葉は養いのためであり、花嫁を美しくします。しかし、エペソ第6章では、言葉は殺すためであり、団体的な戦士としての召会が霊的戦いに従事することができるようにします(エペソ6:17-18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。花嫁を美しくする言葉の養いを感謝します。主よ、わたしたち召会が団体的な戦士として、霊的な戦いに従事することができますように。わたしたちが敵と戦うために霊の剣、その霊である神の言葉を取ることができますように。また、わたしたちが軍隊から孤立しないように守ってください。

 

 

その霊の剣、すなわちその霊である神の言葉を受け取りなさい

 

 エペソ人への手紙第5章では、言葉は養いのためであり、花嫁を美しくすることに導きますが、エペソ人への手紙第6章では、言葉は殺すためであり、団体的な戦士としての召会が霊的戦いに従事することができるようにします。神の言を祈り読みすることは、わたしたちの内側の内敵を殺す方法です。毎日、どんな状況でも、わたしたちは祈り読みすべきです。わたしたちの内側で消極的な事に悩まされる時はいつでも、霊の中で祈りによって神の言を取るべきです。わたしたちがこうするとき、消極的な要素は殺されます。

 

 エペソ人への手紙第6章17節でパウロはわたしたちに、「その霊の剣、すなわちその霊である神の言葉」を受け取るように命じています。これは、わたしたちが敵と戦うために剣としての聖書の言葉を取る必要があることを意味します。この節のパウロの言葉によれば、神の言葉は直接的にではなく間接的に剣であるのです。……、剣は直接的にその霊であり、そしてその霊は言葉です。これは、もしわたしたちが敵サタンを対処したいなら、聖書の言葉はその霊とならなければならないことを示しています。もしわたしたちが敵を殺す剣として聖書の言葉を用いたいなら、わたしたちの経験において言葉はその霊でなければなりません。(「新約の結論(25)」、メッセージ426)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第16日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週5日)

 

わたしたちは聖くて傷のない栄光の召会となります

 

エペソ5:25-27

夫たちよ、キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたように、あなたがたの妻を愛しなさい.それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。

 

「花嫁として、召会は美しさを必要とします。エペソ第5章の美しさは、花嫁をささげるためです。花嫁の美しさは、召会の中へと造り込まれるキリスト、そして召会を通して表現されるキリストから来ます(3:17前半)。わたしたちの唯一の美しさとは、わたしたちの内側からキリストが輝き出ることです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが召会を愛して、ご自身を捨てられたことを感謝します。主よ、召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって清めてください。主よ、あなたの養い、はぐくみ、聖化し、きよめる豊富を経験させてください。わたしたち召会が、聖くて傷のない栄光の召会となりますように。

 

 

キリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めます

 

 わたしたちは、啓示録第19章とエペソ人への手紙第5章を結び付ける必要があります。エペソ人への手紙第5章なしに、花嫁が用意される道はなく、それゆえに啓示録第19章が成就される道はありません。主が規定、教理、古い人、しみやしわについてわたしたちに語られたことは、とても意義深いのです。キリストの養い、はぐくみ、聖化し、きよめる豊富を経験して、わたしたちの古さや欠点を取り除くことは、極めて重要です。そのようなものがすべて取り除かれた時、わたしたちは聖くて傷のない栄光の召会となります。そして、わたしたちは啓示録第19章の花嫁となるでしょう。花嫁が用意された時、キリストは花婿として来られます。

 

 主を賛美します、わたしたちはキリストのために、聖くて栄光の花嫁になる過程にいます! わたしたちが花嫁として用意され、主の再来に備える道を示してくださったことのゆえに、何と主を賛美することでしょう! キリストは、規定、教理、古い人、しみやしわがない召会を持たれるでしょう。そのような召会は美しい花嫁であり、彼の心の願いを満たします。……こうしてわたしたちは愛する花嫁として、キリストにささげられるよう用意されます。 (「エペソ人への手紙ライフスタディ(4)」、第95編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第15日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週4日)

 

彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ています

 

啓19:8

彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。

 

マタイ22:11-12

……王が入って来て、食卓に着いている人たちを見ると、そこに婚宴の礼服を着ていない人を見たので、彼に言った、「友よ、なぜあなたは、婚宴の礼服を着ないで、ここに入って来たのですか?」。彼は返事ができなかった。

 

「わたしたちの主観的な義として、キリストはわたしたちの中に住んでいる方であり、神によって義とされることができる生活を、わたしたちのために生きてくださいます(マタイ5:6,20)。マタイ第22章11節から13節の婚宴の礼服は、わたしたちの超越した義として、わたしたちが日常生活で生かし出すキリスト、またわたしたちを通して表現されるキリストを表徴します(マタイ5:20.啓3:4-5,18)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが主イエスを信じて義とされたときに、救いの衣を着せられたことを感謝します。今の暗い時代に、日ごとにキリストを生き、主をわたしたちの主観的な義として生かし出す生活をすることができますように。日々、清い細糸の亜麻布の衣を用意させてください。 

 

 

婚宴の礼服は、わたしたちの主観的な義として日常生活で生かし出されたキリストです

 

 召会が大きな堕落の下にある間、わたしたちは勝利者となって、日ごとにキリストを生き、彼を私たちの主観的な義として生かし出しさえすべきです。神の目に細糸の亜麻布の衣[啓19:8]は、わたしたちの日常生活において表現されるキリストです。……わたしたちの救いのために受けた義[Ⅰコリント1:30]は客観的で、義なる神の要求を満たすことができるのに対して、ここの勝利を得た聖徒たちの義は主観的で(ピリピ3:9)、わたしたちが勝利を得たキリストの要求を満たすことができるようにします。

 

 このゆえに、細糸の亜麻布の衣はわたしたちの勝利の命としてのキリストを示し、わたしたちは自分の存在から彼を生かし出します。……それは義なる行為、日ごとの歩み、クリスチャン生活であり、わたしたちの命としてのキリストがわたしたちを通して働かれます。この内なる命の働きが、わたしたちが着せられる白い亜麻布の衣です。宴席、特に婚宴に参加するために、わたしたちはふさわしい服装をしなければなりません。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第14日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週3日)

 

団体の花嫁の用意は、勝利者たちの命における円熟にかかっています

 

啓19:7

わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。

 

エペソ2:21-22

その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき、その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです。

 

「わたしたちの前に置かれた喜びは、花婿である主イエスが、用意を整えた彼の花嫁のために来ることです(啓19:7-9)。団体の花嫁の用意は、勝利者たちの命における円熟にかかっています(啓19:7.ヘブル6:1.ピリピ3:12-15.エペソ4:13)。造り変えられるとは、わたしたちの天然の命において新陳代謝的に変えられることですが、円熟するとは、わたしたちを変える神聖な命で満たされることです(ヘブル6:1)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いです。主よ、わたしたちが天然の命において造り変えられ、神聖な命で満たされて、花嫁として用意を整えることができますように。

 

 

勝利者たちは命において円熟しているだけでなく、共に建造されています

 

[啓示録第19章7節で]「彼の妻」とは、召会(エペソ5:24-25、31-32)、キリストの花嫁(ヨハネ3:29)を指します。しかしながら、啓示録第19章8節から9節によれば、その妻、キリストの花嫁は、千年期の間は勝利を得た信者たちだけから成るのに対して、第21章2節の花嫁は千年期以降、永遠に救われたすべての聖徒たちから成っています。啓示録第19章の小羊の妻は、アベルから主の再来までのすべての勝利を得た聖徒たちの集合体です。旧約と新約のすべての勝利者の集合体は啓示録第19章7節の妻であり、キリストの婚姻のために用意を整えます。

 

 花嫁の用意は、勝利者たちの命における円熟にかかっています。さらに、勝利者たちは別々の個人ではなく団体の花嫁です。この面で建造が必要です。勝利者たちは命において円熟しているだけでなく、一人の花嫁として共に建造されています。… 主は勝利を得た信者たちから成る彼の団体の花嫁と結婚します。主がわたしたちから流れ出るために、わたしたちが三一の神で完全に浸透されたとき、わたしたちは完全に建造され、共に組み合わされて、栄光の召会、主イエスの愛する花嫁となります。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第13日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週2日)

 

コロサイ第2章15節は、キリストが十字架につけられた時の戦いを描写しています

 

コロサイ2:13-15

あなたがたは、……神はわたしたちのすべての違犯を赦し、キリストと共に生かしてくださいました.そして、わたしたちに敵対し、わたしたちに逆らっていた、数々の規定から成っている手書きの書を消し去り、それを取り除いて、十字架に釘づけてしまわれたのです。神は支配たちや権威たちをはぎ取り、彼らを公然とさらしものにして、そこにおいて彼らに、凱旋の中で勝ち誇られました。

 

「コロサイ第2章15節は、キリストが十字架につけられた時に起こった戦いを描写しています。キリストは十字架につけられた時、贖いを完成するために働いており、また父なる神は、罪を裁くために働いていました。同時に、支配たちや権威たちも忙しくしており、神とキリストの働きを妨げようとしていました(コロサイ2:15)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 神の救いのエコノミーの中で、わたしたちをキリストと共に生かしてくださったことを感謝します。主よ、あなたが律法を十字架に釘づけて、邪悪な支配たちや権威たちをはぎ取り、凱旋の中で勝ち誇られたことを、わたしたちにいつも思い起こさせてください。

 

 

神は支配たちや権威たちをはぎ取り、凱旋の中で勝ち誇られました

 

 コロサイ人への手紙第2章15節によれば、神は支配たちや権威たちをはぎ取られました。……わたしたちはキリストが十字架上におられた時、神が働いておられたことを見なければなりません。その時、十字架は宇宙の中心でした。救い主、罪、サタン、わたしたち、神がみなそこにいました。神はそこで罪を裁き、律法を十字架に釘づけておられました。彼がこれを行なっておられた時、支配たちや権威たちは神とキリストの周りに集まりました。……

 

 13節から15節の主語は「神」です。…… 神はわたしたちをキリストと共に生かし、規定を十字架に釘づけ、支配たちや権威たちをはぎ取り、彼らを公然とさらしものにして、彼らに対して勝ち誇られました。…… 支配たちや権威たちをはぎ取ることによって、神は彼らを公然とさらしものにされました。神は彼らを公然と辱め、彼らに凱旋の中で勝ち誇られました。これは何という大きな事柄でしょう!(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(1)」、第23編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第12日

(サンクスギビングデー特別集会 第6週1日)

 

主はご自分の前に置かれた喜びのために十字架を耐え忍びました

 

ヘブル12:2

わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。

 

エペソ5:25

夫たちよ、キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたように、あなたがたの妻を愛しなさい.

 

「わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスは、ご自分の前に置かれた喜びのために、「恥をもいとわないで十字架を耐え忍び」ました(ヘブル12:2)。主は召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てました(エペソ5:25)。 また彼は一粒の麦として、死の中へと落ちて神聖な命を解き放ちました(ヘブル9:28.Ⅰペテロ2:24.Ⅱコリント5:21.ヨハネ12:24,31)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが召会を愛してご自身を捨てられたことを感謝します。主よ、信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめさせてください。主よ、あなたが召会を愛されたように、わたしたちも召会を愛することができますように。

 

 

キリストは召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられました

 

 エペソ人への手紙第5章25節は、キリストは召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたと告げています。キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたのは、召会を贖って、それに命を分け与えるためです。ヨハネによる福音書第19章34節によれば、血と水が主の裂かれた脇から流れ出ました。血は贖いのためであり、水は命を与えるため、それによって召会を生み出すためです。エペソ人への手紙第5章25節には、キリストが愛して、そのためにご自身を捨てられた召会があります。……

 

 主イエスは十字架での彼の死において、一粒の麦として死なれて神聖な命を解き放ちました(ヨハネ12:24)。…… キリストのすべてを含む死は、彼の内側にある神聖な命を解き放ちました。一粒の麦として、彼は死んで神聖な命を解き放ち、神の贖われた者を生かし、多くの麦粒を生み出して、共にブレンディングされて一つのかたまりになり、神にささげられることができるようにされました。このかたまりは召会、すなわち、キリストのからだです(Ⅰコリント10:17)。(「新約の結論(5)」、メッセージ70-72)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

2月の祈り第10日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週6日)

 

召されている者たちには、すべてが共に働いて益となります

 

創50:20

あなたがたは、わたしに対して悪を図りましたが、神はそれを良きに図ってくださり、今日のように、多くの人を生かしておくようにされました。

 

ローマ8:28

また神を愛する者、すなわち、彼の目的にしたがって召されている者たちには、すべてが共に働いて益となることを、わたしたちは知っています。

 

「ヨセフは、彼の兄弟たちが彼に行なったすべての事を神からのものとして受けました。またヨセフは、自分に罪を得た人たちを慰めました(創45:5-8.50:15-21)。彼は何という恵み、何という卓越した霊を持っていたことでしょう!」

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはすべてが共に働いて益となるようにしてくださる方であることを感謝します。わたしたちの環境で起こるすべてのことを、神からのものとして受けることができますように。わたしたちにヨセフのような卓越した霊を持たせてください。

 

 

わたしたちが主に明け渡して代価を払うとき、キリストの最上の分け前を享受します

 

 ヨセフはまた彼の兄弟たちを支え、慰めました(創50:15-21)。ヨセフの兄弟たちは、自分たちが彼に行なったことを忘れることはできず、彼らの父の死後、ヨセフが復讐することを恐れました。ヨセフは兄弟たちの求めを聞いた時、泣きました。なぜなら、彼は彼らに悪を報いるという考えが全くなかったからです。……ヨセフは彼の兄弟たちにこう言っているかのようでした、「あなたがたの意図は邪悪でしたが、神の意図は驚くべきものでした。神はわたしをここに遣わして、多くの人の命を救うことを意図されました。どうか悩まないでください。わたしはあなたがたがわたしに行なったことに感謝しています。あなたがたは神が彼の目的を成就されるのを助けたのです」。

 

 召会生活の中で、わたしたちはこのような霊を必要とします。たとえ人があなたに罪を犯しても、あなたは彼らが自分に行なうことは何であれ、神からであると考える必要があります。もしあなたがあらゆることを神からのものとして取るなら、すべてのつまずきはなくなるでしょう。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第9日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週5日)

 

その霊の統治、命の中で王として支配する生活を学びます

 

ローマ5:17

……あふれるばかりの恵みとあふれるばかりの義の賜物を受ける者たちは、さらにいっそう一人の方、イエス・キリストを通して、命の中で王として支配します。

 

「ヨセフの生涯の記録は、その霊の統治を啓示しています。なぜなら、その霊の統治は、円熟した聖徒の、王として支配する面であるからです。その霊の統治(命の中で王として支配する生活、神の王国の実際における神聖な命の制限と拘束の下にいること)は、その霊の他のどの面よりも高いのです(ローマ5:17,21.14:17-18.参照、Ⅱコリント3:17-18.Ⅱテモテ4:22.啓4:1-3)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、ヨセフの生涯の経験を感謝します。主よ、わたしたちに、その霊の統治、王として支配する面を啓示して見せてください。主よ、王国の実現のために、神の制限の下に生き、自己を否む人とならせてください。

 

 

その霊の統治には、円熟した聖徒の王として支配する面があります

 

 ヨセフの物語に現された命は人の命ではなく、堕落した命……天然の命でさえありません。そうではなく、それは復活の命、神の命です。ヨセフは興奮する状況にありましたが、何のいい加減さも見せませんでした。これが命です。ヨセフについては、命を見るだけではなく、自分を制御の下に保つ命の道をも見ます。……彼は人の感覚と情緒に満ちていましたが、自分自身と彼のすべての感覚をその霊の統治の下に保ちました。ですから、ヨセフにおいて円熟した命だけでなく、王として支配する命とこの王として支配する命の道を見ます。

 

 わたしたちはみな、特に青年たちは、円熟した人の王として支配する面であるそのような命と道を必要とします。この命はたやすく興奮しません……。そうではなく、興奮のただ中で落ち着いており、自分を制御し、その栄光を隠すのです。ヨセフは、全面的に神の制限の下にいた人です。ですから、神の王国は、彼を通してもたらされることができたのです。王国が実際的な方法で実現されるためには、制限の下に生き、自己を否む人がいなければなりませんでした。(「創世記ライフスタディ(7)」、第116、119編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第8日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週4日)

 

ヨセフは、実を結ぶ大きな若枝としてのキリストを予表します

 

創49:22

ヨセフは実を結ぶ大きな若枝、水源のほとりの実を結ぶ大きな若枝で、その枝は垣を越える。

 

創41:42

そして、パロは自分の印章指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、細糸の亜麻布の衣を着せ、金の首飾りを首にかけた。

 

「ヨセフは、実を結ぶ大きな若枝として(創49:22)、枝としてのキリストを予表し(イザヤ11:1-2)、彼の枝としての信者たちを通して(ヨハネ15:1,5)、神を枝出しします。創世記第49章22節において、水源(源泉)は、実を結ぶ源である神を表徴し(詩36:9.エレミヤ2:13)、枝が垣を越えることは、キリストの枝としての彼の信者たちが、あらゆる制限を超えてキリストを拡大し、あらゆる環境の中で彼を大きく表現することを表徴します(ピリピ1:20.4:22.ピレモン10節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。枝としてのキリストは、わたしたち信者たちを通して、神を枝出ししてくださることを感謝します。主よ、キリストの枝であるわたしたち召会が、あらゆる制限を超えてキリストを拡大し、あらゆる環境の中でキリストを大きく表現することができますように。

 

 

ヨセフが座に着いたことは、キリストが昇天において栄光と賜物を受けたことを予表します

 

 ヨセフが座に着いたときに栄光と賜物を受けたことは、キリストが昇天において栄光(ヘブル2:9)と賜物(詩68:18.使徒2:33)を受けたことを予表します。指輪、衣、金の首飾りは、キリストが天に昇ったときに受けた賜物を描写します。彼はその賜物を召会に渡されました。印章指輪は、キリストの信者たちの内側にある、またその上にある証印としての聖霊を表徴します(使徒2:33.エペソ1:13.4:30.参照、ルカ15:22)。

 

 衣は、わたしたちの客観的な義としての、わたしたちが神の御前に義とされるためのキリストを表徴し(Ⅰコリント1:30.参照、詩45:9、13.ルカ15:22)、またわたしたちから生かし出されるわたしたちの主観的な義としての、わたしたちが資格づけられて小羊の婚姻にあずかるようにするキリストを表徴します(詩45:14とフットノート1.啓19:7-9と8節のフットノート2)。金の首飾りは、従順のために与えられる聖霊の美しさを表徴し、服従することにおいて表現されます(参照、使徒5:32)。(創41:42、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第7日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週3日)

 

ヨセフは信仰と大胆さを持って、夢を解き明かしました

 

創40:8

……「わたしたちは夢を見たが、それを解き明かす者がいないからです」。ヨセフは彼らに言った、「解き明かすことは神によるのではありませんか? どうぞ、わたしに話してみてください」。(41:16)ヨセフはパロに答えて言った、「それは、わたしではありません.神がパロに平安をもって答えてくださいます」。

 

「ヨセフ自身の夢はまだ成就されていませんでしたが、彼は信仰と大胆さを持って、獄にいる二人の仲間の夢を解き明かしました(創40:8)。最終的に、ヨセフは間接的に、信仰によって語って給仕役の夢を解き明かすことを通して、獄から釈放されました(創41:9-13)。そして彼は直接、大胆に語ってパロの夢を解き明かすことを通して、王座にもたらされました(14-46節)。釈放と権威が彼に臨んだのは、いずれも彼の語ることを通してでした」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたはわたしたちに神のエコノミーのビジョンを与えられました。主よ、わたしたちが自分を見るのではなく、信仰と大胆さを持ってそのビジョンを語ることができますように。

 

 

ヨセフが語ることを通して、釈放と権威が彼に臨みました

 

 ヨセフの投獄の間に……給仕役の長と料理役の長が加わりました。……彼らは自分の夢を理解することができませんでしたが、ヨセフはそれらを解き明かすことができました。ヨセフの夢はまだ成就していませんでしたが、彼は信仰と大胆さを持って、仲間の夢を解き明かしました[創40:8-19]。…… わたしたちはビジョンの成就にしたがって語るよりも、ビジョンにしたがって語るべきです。たとえわたしたちのビジョンが成就していなくても、わたしたちはなおもそのことを人に語るべきです。わたしたちのビジョンが成就される時が来ます。ヨセフの夢は、彼が給仕役の夢を解き明かすことを通して、最終的に成就されました。

 

 給仕役と料理役の夢が成就されたのは、わずか数日の事柄でした。ヨセフの仲間の夢が成就した時、ヨセフは堅固にされ強められました。…… 彼の語りかけは彼を王座に置いただけでなく、全地に対する彼の権威を保証しました。あなたは語れば語るほど、ますます多くの権威を持つでしょう。釈放と権威が彼に臨んだのは、いずれも彼の語ることを通してでした。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第6日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週2日)

 

ヨセフは夢の中で見たビジョンによって導かれました

 

創39:21

エホバはヨセフと共におられた.そしてエホバは彼に親切を施し、獄の長の目に好意を得させられた。

 

「ヨセフの夢は、彼の生涯を制御し、彼の振る舞いを導きました。ヨセフがとても卓越してすばらしく振る舞ったのは、彼が夢の中で見たビジョンによって導かれたからです(参照、使徒26:19)。彼の兄弟たちは怒りを爆発させ(創37:18-31)、情欲にふけりましたが(38:15-18)、ヨセフは怒りを服従させ、情欲を征服し(39:7-23)、命に満ちた束として振る舞い、暗やみの中で輝く天の星のように行動しました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主はいつもわたしたちと共にいてくださることを感謝します。わたしたちもヨセフのように、見たビジョンによって制御され導かれますように。主よ、わたしたちが主の臨在を享受する生活をして、キリストで構成されますように。

 

 

ヨセフのような生涯には、常に主の臨在があり、主の権威が共にあります

 

 ヨセフが卓越してすばらしく振る舞ったのは、彼が夢の中で見たビジョンによって導かれたからです。……青年ヨセフは天のビジョン、彼が命に満ちて立ち上がる束であり、他のすべての星に拝まれる星であるというビジョンに、どれほど多く影響されたことでしょう! ……彼の二つの夢のビジョンは彼の生涯を制御し、彼の振る舞いを導きました。彼は立ち上がる命に満ちた束として振る舞い、暗やみの中で輝く天の星のように行動しました。…… 

 

 ヨセフのような生涯には、常に主の臨在があります(創39:2-5、21-23)。主の臨在があるところにはどこでも、権威があります。…… キリストの構成が神の臨在を伴って行く所にはどこでも、王として支配する部分があるでしょう。来たるべき王国において、天の王国でキリストと共に共同の王となるのはこの部分でしょう。こういうわけで、円熟した命の、王として支配する面は、常に主の臨在を享受する生活です。この宇宙における権威は主ご自身です。彼の臨在があるところにはどこでも、権威、統治する力があります。(「創世記ライフスタディ(7)」、第111編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第5日

(サンクスギビングデー特別集会 第5週1日)

 

ヤコブはヨセフを通して王として支配しました

 

創37:7-8

わたしたちが畑で束を束ねていると、突然わたしの束が立ち上がり、しかも真っすぐに立ちました.すると、あなたがたの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました」。兄たちはヨセフに言った、「おまえは本当にわたしたちを治め、実際にわたしたちの間で支配者になろうとするのか?」……

 

「霊的な経験によれば、ヤコブとヨセフは一人の人です。ヨセフは、円熟したイスラエルの、王として支配する面、ヤコブの円熟した性質におけるキリストの構成を表します。完全な方であるキリストで構成された円熟した聖徒として、ヤコブはヨセフを通して王として支配しました(創41:39-44.ヘブル6:1前半.ガラテヤ6:8.5:22-23)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたち神の民は命に満ちた小麦の束であり、また光に満ちた天体であることを感謝します。主よ、わたしたちが神聖な望遠鏡を用いて、時間を見通し、新エルサレムを見つめて、あらゆる兄弟姉妹がすばらしいことを見ることができますように。

 

 

ヨセフは、円熟した聖徒(円熟したイスラエル)の王として支配する面を表徴します

 

 ヤコブが円熟した時、彼の名は変えられました。彼の性情が造り変えられただけでなく、彼の名が、押しのける者であるヤコブから、神の円熟した王子、神のために支配することができる者であるイスラエルに変えられました。円熟したイスラエルの、王として支配する面は、ヨセフの伝記の中で描写されています。ヨセフはヤコブの一つの面を表しているため、ヨセフをヤコブと分離した人と考えるべきではありません。こういうわけで、創世記の最後の十四の章は、ヨセフの生涯の記録とヤコブの生涯の記録を組み合わせているのです。

 

 ヨセフはキリストの予表として、円熟した聖徒(円熟したイスラエル)の王として支配する面を表徴します。確かに、そのような人の王として支配する面は、完全でなければなりません。もちろん、わたしたちのだれも、完全ではありません。しかしながら、…… わたしたちは霊の中で王として支配しているときはいつでも、完全です。…… あなたは神聖な望遠鏡を用いて、時間を見通すなら、新エルサレムを見つめます。そこには束と星のほかに何もありません。新エルサレムには「地ねずみ」や「さそり」はいません。そこでは、あらゆるものが命と光に満ちています。 (「創世記ライフスタディ(7)」、第110編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第3日

(サンクスギビングデー特別集会 第4週6日)

 

からだは愛の中でそれ自身を建て上げます

 

エペソ4:15-16

むしろ、愛の中で真実を固く保って、わたしたちはすべての事で、彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです.……からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「からだの成長は、からだの建造です(エペソ4:16.コロサイ2:19)。キリストのからだの成長は、召会の中でのキリストの増し加わりです。その結果、からだはからだ自身を建て上げます(3:17前半)。からだは愛の中でそれ自身を建て上げます。この愛は、わたしたち自身の愛ではなく、キリストにある神の愛です。それは、わたしたちの中のキリストの愛となります。それによってわたしたちはキリストとからだの肢体仲間とを愛します(Ⅰヨハネ4:7-8, 11, 16, 19.ローマ5:5.8:39)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストのからだは愛の中でそれ自身を建て上げるに至ることを感謝します。キリストにある神の愛の中で、真実を堅く保つことができますように。そして、わたしたちがすべての事で、かしらであるキリストの中へと成長し込むことができますように。

 

 

わたしたちの間の欠け目は、キリストの豊富によって満たされます

 

 まず、わたしたちは個人的に成長し、次に団体的に成長します。個人の成長は団体の成長となります。ですから、肢体たちが個人的に建造されるだけでなく、からだが団体的に建造されます。…… 召会がある地方に一定の期間あった後、聖徒たちの間に、……摩擦が生じるかもしれません。……キリストにある成長はこのすべての摩擦を消し去[ります]。ですから、わたしたちは共に幸いで、真に一となることができます。わたしたちの間の欠け目は、キリストの豊富によって満たされます。そしてわたしたちは個人的にも団体的にも成長します。これが召会の真の建造です。

 

 召会の建造は個人の肢体の建造に基づいています。さらに、肢体の建造は彼らの成長にかかっており、次に彼らの成長はまたキリストの中に根ざし、キリストの豊富を吸収して、肢体が成長するその要素となることにかかっています。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(3)」、第52編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第2日

(サンクスギビングデー特別集会 第4週5日)

 

からだ全体は、神の増し加わりによって成長します

 

コロサイ2:7,19

すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら、また教えられたように信仰において堅固にされながら、感謝にあふれて、彼の中で歩きなさい。…… かしらに結び付いて……この方から、からだ全体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。

 

「成長することは、キリストがわたしたちの中へと加えられることです(Ⅰコリント3:6-7.ガラテヤ4:19)。からだの成長は、かしらとしてのキリストから出て来るものにかかっています(エペソ4:15-16)。かしらに結び付くことによってからだが供給されるとき、からだは神の増し加わりによって成長します(コロサイ2:19)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちを成長させてくださるのは神であることを感謝します。主よ、わたしたちがかしらとしてのキリストに結び付いて、供給され、神の増し加わりによって成長することができますように。

 

 

かしらとしてのキリストから出て来るもので、からだは成長します

 

 コロサイ人への手紙第2章7節で、パウロが根ざすことと建造することを一緒にしているのは意義深いのです。この理由は、根ざすことが成長するためであり、成長することは真の建造であるということです。成長は建造のためであるだけでなく、実は建造そのものです。木は生長するとき、それ自身を建て上げます。人についても同じです。すべての母親が認識しているように、子供は健康な食物で養われれば養われるほど、ますます成長し、成長することによって建て上げられます。…

 

 19節の「この方から」という言葉は、何かがかしらから出て来て、からだを成長させることを示します。からだの成長は、かしらとしてのキリストから出て来るものにかかっています。それは、植物の生長が、土壌からその植物の中へと入って来るものにかかっているようにです。……同じように、もしわたしたちが、かしらとしてのキリストから出て来るものを受け入れないなら、からだは成長することができません。ですから、かしらに結び付くことは、土壌としてのキリストの中に根ざすことと等しいのです。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(3)」、第52編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


2月の祈り第1日

(サンクスギビングデー特別集会 第4週4日)

 

あなたがたの思いを、地にあるものにではなく、上にあるものに置きなさい

 

コロサイ3:1-4

こういうわけで、もしあなたがたがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい.そこにはキリストがいて、神の右に座しておられます。あなたがたの思いを、地にあるものにではなく、上にあるものに置きなさい。なぜなら、あなたがたは死んだのであり、あなたがたの命は、キリストと共に神の中に隠されているからです。わたしたちの命なるキリストが現される時、あなたがたも、彼と共に栄光のうちに現されます。

 

「コロサイ人への手紙第3章1節から4節は、わたしたちがキリストと共に、一つの地位、一つの命、一つの生活、一つの運命、一つの栄光を持っていることを暗示します。天の神はわたしたちの生活の範囲であるべきです。わたしたちはキリストと共に、神の中に住むべきです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 わたしたちがキリストと共に復活させられたことを感謝します。わたしたちの命は、キリストと共に神の中に隠されています。主よ、わたしたちが霊に戻って、主の御名を呼び求めることができますように。そして、天におられる神がわたしたちの生活の領域となりますように。

 

 

天の神がわたしたちの生活の範囲であるべきです

 

 コロサイ人への手紙第3章1節でパウロは、上にあるものを求めるようにと命じています。これらのものを求める道は、霊に戻って主の御名を呼び求めることです。[そのとき]わたしたちは天へと引き上げられます。そしてわたしたちは経験において、キリストの中に、御父の中に、天にいます。そして霊の中で、わたしたちはキリストと一つの地位を持ち、上にあるものを求めます。

 

 第3章3節でパウロは続けて言います、「なぜなら、あなたがたは死んだのであり、あなたがたの命は、キリストと共に神の中に隠されているからです」。わたしたちの命(天然の命ではなく、霊の命、すなわちキリスト)は、キリストと共に、天におられる神の中に隠されているのですから、わたしたちはもはや、地にあるものを顧慮すべきではありません。天におられる神が、わたしたちの生活の領域であるべきです。わたしたちはキリストと共に、神の中に生きるべきです。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ」、第59、27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)