朝ごとの食物

キリストを経験し、享受し、表現する(第8週5日~第12週6日)

11月の祈り30日

(年二回の訓練(7月)第12週6日)

 

王国としてのキリストの満ち満ちた享受の中へと入ります

 

使徒28:30-31

……パウロは自分の借りた住居に満二年、滞在して、彼を訪ねて来るすべての人を喜び迎え、大胆に、妨げられることなく、神の王国を宣べ伝え、主イエス・キリストについての事柄を教え続けた。

 

14:22

弟子たちの魂を堅固にし、その信仰にとどまるよう彼らに勧め、「わたしたちが神の王国に入るためには、多くの患難を経なければならない」と言った。

 

「神の王国とは、命としてのキリストがご自身の信者たちの中へと拡大して、神がご自身の命の中で支配する領域を形成したものです(Ⅱペテロ1:3-11)。使徒第14章22節でパウロは、その信仰にとどまっている信者たちに、わたしたちが神の王国の中へと入るためには、多くの患難を経なければならないことを認識するよう、懇願しました。なぜなら、全世界は、わたしたちがそこに入ることに反対しているからです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが福音を信じて再生され、召会生活の中へと入ることができたことを感謝します。主よ、命としてのキリストがご自身をわたしたちの中へと拡大してくださいますように。わたしたちの魂を堅固にし、その信仰にとどまり、復活したキリストの増殖にあずからせてくださいますように。

 

 

神の王国は、復活したキリストの増殖です

 

 王国への入り口は再生であり、王国の発展は信者が神聖な命の中で成長することです。神の王国は今日の召会生活であり、忠信な信者たちはその中で生活し(ローマ14:17)、来たるべき王国へと発展して、千年期において勝利を得た聖徒たちに対する嗣業の褒賞となります(ガラテヤ5:21.エペソ5:5)。最終的に、それは神の永遠の王国また神の永遠の命の永遠の祝福の永遠の領域として、新エルサレムにおいて究極的に完成し、神のすべての贖われた者が新天新地で永遠にわたって享受します。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第4編)

 

 ルカの文書である[使徒行伝]は神の王国をもって始まり(1:3)、神の王国をもって終わります[28:31]。王国を宣べ伝えることが復活したキリストを増殖させることであるという事実は、第28章31節の「主イエス・キリストについての事柄を教え続けた」という言葉によって証明されます。これは、神の王国が主イエス・キリストについての事柄と並行することを示します。キリストについての事柄を人々に教えることは、神の王国を拡大することです。ですから、神の王国は、実は復活したキリストの増殖です。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り29日

(年二回の訓練(7月)第12週5日)

 

神の王国は、使徒行伝における使徒たちの宣べ伝えの主題です

 

使徒1:3

イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きておられることを、多くの確かな証拠によって……示し、四十日にわたって現れ、神の王国についての事柄を語られた。

 

ルカ17:20-21

……イエスは答えて言われた、「神の王国は見える様では来ない……なぜなら、見よ、神の王国は、あなたがたの間にあるからだ」。

 

「神の王国は、使徒行伝における使徒たちの宣べ伝えの主題です(使徒1:3.8:12.14:22.19:8.20:25.28:23,31)。復活したキリストが、四十日にわたって使徒たちに現れ、彼らに「神の王国についての事柄」を語ったという事実が示しているのは、王国が、ペンテコステの後の、使徒たちの来たるべき使命において、彼らの宣べ伝えの主題になったということです(使徒1:3)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の王国は神の支配、統治であり、すべての祝福と享受を伴った主イエス・キリストご自身であることを感謝します。王国の種としてのキリストが増殖して、諸召会が生み出されますように。

 

 

神の王国は神の支配、統治であり、すべての祝福と享受を伴います

 

 使徒行伝で主が王国について何を語られたかは告げられていませんが、わたしたちは他の箇所の御言を考えることによって、主が言われたことを推論することができます。福音書で主イエスは弟子たちに、王国について多く教えられました。……主が福音書で王国について語られた時、主が彼らの「教授」として彼らを教えておられたことを、弟子たちは理解することができませんでした。ですから、わたしは、主イエスが彼の復活と昇天の間の四十日間に、彼の教えを繰り返されたと信じます。……

 

 神の王国を知ることは、霊的知覚、霊的洞察力を必要とします。……ヨハネによる福音書第20章で、彼ら[弟子たち]は復活したキリストのすばらしいパースンを、命を与える霊として彼らの中へと受け入れました。その結果、使徒行伝第1章で彼らは大いに異なりました。一方で、彼らは同じ人々でした。もう一方で、彼らは異なっていました。なぜならキリスト、命を与える霊が、今や彼らの命またパースンとして彼らの内側におられたからです。彼らは命を与える霊を内側に持ったので、神の王国についての主の語りかけを理解することができました。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り28日

(年二回の訓練(7月)第12週4日)

 

イエスの霊はイエスの実際です

 

ローマ8:9

しかし、確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは……霊の中にいるのです。もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません。

 

「キリストの霊がキリストの実際であるように、イエスの霊はイエスの実際です(ローマ8:9.使徒16:7)。もしわたしたちがイエスの霊を持っていないなら、イエスはわたしたちにとって実際にはなりません。イエスがわたしたちにとって実際であるのは、わたしたちがイエスの霊を、イエスの実際また実際化として持っているからです(7節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがイエスの霊を持っていることを感謝します。主よ、イエスの霊をわたしたちすべてに対して実際とならせてください。わたしたちがイエスの実際の中で生きて、イエスを真に知ることができますように。

 

 

イエスの霊は苦難に耐える豊かな力をもった人の霊です

 

 わたしたちが主のためにどのような種類の働きを行なうかは、わたしたちがどのような種類の霊によって案内され、導かれ、教えられ、構成されるかにかかっています。パウロは神の霊やエホバの霊ではなく、主の肉体と成ることと誕生を含む聖霊と、主の人性、人の生活、すべてを含む死、命を分け与える復活、昇天を含むイエスの霊で構成されていました。…… パウロはこのすべてを含む霊で構成された人でした。こういうわけで、彼は出て行って宣べ伝えたとき、真にイエス・キリストを宣べ伝えることができました。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第44編)

 

 キリストの霊がキリストの実際であるように、イエスの霊はイエスの実際です。もしわたしたちがイエスの霊を持たないなら、イエスはわたしたちにとって実際ではないでしょう。しかし今日、イエスはわたしたちにとって実際です。なぜなら、わたしたちは、イエスの霊をイエスの実際、実現として持っているからです。イエスは地上にいた時、絶えず激しい迫害を受けた人でした。ですから、イエスの霊は苦難に耐える豊かな力をもった人の霊です。彼は人の霊であり、また苦難のための力の霊です。(「新約の結論(17)」、メッセージ293)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り27日

(年二回の訓練(7月)第12週3日)

 

イエスの霊には、苦難の要素と苦難に耐える力があります

 

使徒16:6-7

また、彼らはアジアで御言を語ることを、聖霊に禁じられたので、フルギヤとガラテヤの地方を通って行った。彼らがムシヤに来た時、ビテニヤに入って行こうとしたが、イエスの霊が彼らを許さなかった。

 

「イエスの霊は、わたしたちが神聖な命を生きるための、イエスの中にある、神性を伴う神の霊であるだけではなく、わたしたちが正常な人の生活をしてその苦難に耐えるための、イエスの中にある、人性を伴う人なるイエスの霊でもあります(ローマ8:18.Ⅱコリント1:5)。パウロは彼の苦難の中で、イエスの霊を必要としました。なぜなら、イエスの霊には苦難の要素と苦難に耐える力があって、それは迫害を耐え忍ぶことができるからです(コロサイ1:24.使徒9:15-16.16:7)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 イエスの霊には苦難に耐える力があることを感謝します。主よ、わたしたちが、毎日の生活の中で、主の人性、人の生活、死、復活、昇天のすべてを含んでいるイエスの霊を経験し、享受することができますように。

 

 

反対や迫害に立ち向かうためにイエスの霊を必要とします

 

「聖霊」という称号が最初に用いられたのは、主イエスが胎に入った時でした。……時が来て、キリストが来られる道を備え、人の体を備えた時でした……(ルカ1:15、35.マタイ1:18、20)。……この称号[聖霊]は主の肉体と成ることと関係があります。このゆえに、最初の記述の原則によれば、聖霊はキリストの肉体と成ることと誕生と関係があります。

 

 使徒行伝第16章7節でルカは、聖霊からイエスの霊に転換しています。イエスは人として、まず人の生活をし、それから十字架につけられ、復活させられ、そして天に昇り、主またキリストとされました。イエスの霊は、聖霊よりも多くのものを含んでいます。聖霊は、主イエスの肉体と成ることと誕生だけを含んでいますが、イエスの霊は、彼の人性、人の生活、死、復活、昇天を含んでいます。…… イエスの霊とは、人性を持つ方、地上で三十三年半の間、人の生活をし、すべてを含む死を遂げ、死人の中から復活して、神聖な命をすべての信者の中へと分け与えることによって増殖し、天に昇って主またキリストとされた方の霊です。……この霊は、すべてを含むイエスの総合計また完全な実際化です。……使徒たちはそのようなすべてを含む霊の導きと案内の下で行動していたのです。  (「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第44編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り26日

(年二回の訓練(7月)第12週2日)

 

神は召会をご自身の血を通して獲得しました

 

使徒20:28

あなたがた自身と群れ全体に気をつけなさい.聖霊は彼らの間に、あなたがたを監督として立てられ、神がご自身の血を通して獲得された神の召会を牧養させるのです。

 

「神は召会を、「ご自身の血を通して」獲得しました(使徒20:28)。神は「ご自身の血」という代価を払って、召会を買い取りました。肉体と成ることを通して、わたしたちの神、創造主、永遠の方は、人とミングリングされました(ヨハネ1:1,14)。彼は神・人と成り、血を持ち、わたしたちのために死ぬことができました(Ⅰヨハネ1:7)。神・人である主イエスは、十字架上で死んだとき、人としてだけでなく、また神として死にました。彼が流した血は、人なるイエスの血だけでなく、神・人の血でもありました」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが「ご自身の血」の代価を払って、召会を買い取ってくださったことを感謝します。主が流された血は、神・人の血であり、永遠の効力があります。キリストの尊い血による贖いを感謝します。御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちを清めてくださることを感謝します。

 

 

神・人である主イエスは十字架上で死んで、神・人の血を流しました

 

[使徒行伝第20章28節の]「ご自身の血」という語句は、とても独特な表現です。神は神であって、人や被造物ではありません。それでは、どうして創造主である神が血を持っておられるのでしょうか? 肉体と成る前、神には確かに血はありませんでした。しかし、肉体と成ることを通して、わたしたちの神、創造主、永遠の方、エホバは、人とミングリングされました。その結果、彼はもはや単に神ではありませんでした。すなわち、彼は神・人と成りました。神・人として、彼は確かに血を持っておられ、それを通して召会が獲得されたのです。

 

 神・人であるキリストは、十字架上で死なれたとき、人としてだけでなく、また神として死なれました。十字架上で死なれた方は、また神から胎の中に入り、神を通して生まれた方でもあります。彼は神・人であったので、神の要素が彼の中にありました。神聖な要素が彼の人性とミングリングされました。こうして、神はご自身を人性に結合させて、救い主となられ(ルカ2:11)、わたしたちのために死んで、ご自身の血を流されました。(「新約の結論(13)」、メッセージ207)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り25日

(年二回の訓練(7月)第12週1日)

 

神聖な三一は使徒行伝の構造です

 

使徒2:32-33

このイエスを、神は復活させました.わたしたちはみな、そのことの証し人です。彼は神の右に引き上げられ、御父から約束された聖霊を受けて、あなたがたが見聞きしているものを、注ぎ出されたのです。

 

「神聖な三一が新約全体の枠組みであるように、神聖な三一は使徒行伝の構造です。使徒行伝の一章また一章が、神の新約エコノミーを遂行するための、神聖な三一の活動を明らかにしています――例えば、使徒(1:1-2,4-5,8,11,21.2:4,17-18,21-24,27,31-33,36,38)。父、子、霊がすべて、その霊の注ぎ出しと緊密に関係していました。その霊は、手順を経た三一の神の究極的完成です(33節.ヨハネ7:37-39.ピリピ1:19」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神聖な三一が新約全体の枠組みであることをさらに啓示してください。御子は昇天し、御父は彼を引き上げ、その霊は注ぎ出されたことを賛美します。 父、子、霊がすべて、その霊の注ぎ出しと関係しています。すべてを含む霊によって、主の天の務めが地上で遂行されますように。

 

 

父、子、霊は御子の昇天とその霊の注ぎ出しと緊密に関係していました

 

 聖書はわたしたちに、キリストが昇天したと告げています(エペソ4:8-9.ヘブル9:24)。しかしそれはまた、彼が神によって引き上げられ、高く上げられたとも言っています(マルコ16:19.ルカ24:51、ピリピ2:9)。神が彼を引き上げられた後、聖霊が弟子たちの上に注ぎ出されました。御子は昇天し、御父は彼を引き上げ、その霊は注ぎ出されました。三一の神(父、子、霊)は、昇天とその霊の注ぎ出しに完全にかかわっていました。御子の死には三一の神が含まれました。御子の復活には三一の神が含まれ、御子の昇天と引き上げられることにも三一の神がかかわっていました。父、子、霊は御子の昇天とその霊の注ぎ出しと緊密に関係していました。(リー全集、1984年、第3巻(上)、「神の新約エコノミー」、第7編)……

 

 キリストの昇天の後のその霊の注ぎ出しは、復活し昇天したキリストを、すべてを含む霊として下らせて彼の天の務めを地上で遂行し、神の新約エコノミーのために彼のからだとしての召会を(エペソ1:23)建造する(マタイ16:18)ためでした。(「使徒行伝ライフスタディ(1)」、第9編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り23日

(年二回の訓練(7月)第11週6日)

 

御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義を見る

 

ヨハネ17:23

わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.また、あなたがわたしを遣わされたこと、あなたがわたしを愛されたように彼らを愛されたことを、世の人が知るためです。

 

「わたしたちは、御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義を見る必要があります(ヨハネ14:2-3,23)。御父の家としての召会の中で生きることは、命としての三一の神の中で生きることであり(1:4.5:26)、光の中で生きることであり(1:4.8:12)、復活の中で生きることであり(1:25)、恵みと実際の中で生きることであり(1:14,16-17)、神聖な栄光の中で生きることであり(17:22-23)、祈りと礼拝の家の中で生きることであり(14:13.15:7)、牧養の生活を生きることであり(10:10-11,15-17)、神の建造の中で、神の建造のために生きることであり(2:19-21.14:23)、 一を守るために、究極的に完成された霊の神聖で奥義的な領域の中で生きることです(7:39.14:16-20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。御父の家としての召会を感謝します。主よ、わたしたちが御父の家としての召会の中で生きることの内在的な意義の各面を見ることができますように。またそれを経験させ、享受させてください。

 

 

神聖で奥義的な領域の中にいて、三一の神とミングリングされる

 

 すべての信者は一を守るために、究極的に完成された霊のこの神聖で奥義的な領域の中にいて、三一の神とミングリングされるべきです。[そして]、すべての信者は御子の中に住み、御子が彼らの中に住んで、彼らが多くの実を結び、御父の栄光が現される(表現される)ようにすべきです(ヨハネ15:4-5、8)。

 

 すべての信者は一となるべきです。それは、御父が御子の中におられ、御子が御父の中におられて、信者たちも御父と御子の中にいるためです。御子が信者たちの中におられ、御父が御子の中におられるのは、信者たちが成就されて一となるためです(17:21、23)。わたしたちの一は、三一の神の三の間の一と同じでなければなりません。実は、信者たちの一は三一の神の一です。三一の神の中で、わたしたちは成就されて一となることができます。ですから、真の一は、三一の神の中にあります。(リー全集、1994年―1997年、第4巻(上)、「神聖で奥義的な領域」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り22日

(年二回の訓練(7月)第11週5日)

 

召会は父なる神の中にあります

 

Ⅰテサロニケ1:1

パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の召会へ.恵みと平安があなたがたにありますように。

 

ローマ11:36

なぜなら、万物は彼から出て、彼を通し、彼に帰するからです。彼に栄光が、永遠にありますように。アーメン。

 

「御父の家、すなわち召会は父なる神の中にあります(ヨハネ14:2,20.Ⅰテサロニケ1:1.Ⅱテサロニケ1:1)。召会が父なる神の中にあるためには、神がわたしたちに対して御父とならなければならず、またわたしたちが神と命の関係を持つ必要があります(ヨハネ20:17)。新約では、「御父」は命の源を示しています(ヨハネ5:26)。召会が父なる神の中にあるということは、召会が唯一の源である方、すなわち発起者また開始者の中にあるということを意味します(Ⅰコリント8:6)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。召会が父なる神の中にあることを感謝します。わたしたちはみな御父から生まれ、御父がわたしたちの命の源であることを認識させてください。わたしたち召会が唯一の源である方、発起者である御父を認識し、深く経験することができますように。

 

 

新約では、「御父」は命の源を示しています

 

 テサロニケ人への第一の手紙の中でわたしたちは召会が神のもの、またキリストのものであるだけでなく、父なる神にある、また主イエス・キリストにあるという啓示を持ちます。[1章1節の]「父」という言葉は命の関係を示します。…… 神は召会の人たちの父です。なぜなら、わたしたちはみな彼から生まれたからです。わたしたちが神から生まれたこと、そして彼が今わたしたちの父であることはすばらしい事実です!

 

 仮に、あなたの父が合衆国の大統領であるとします。もしそうだとしたら、あなたは彼を「わたしの父、大統領」と言うことができるでしょう。…… それは大統領があなたの父であって、あなたは彼と命の関係を持っていることを示します。同じ原則で、わたしたちは神をわたしたちの父であると語ることができます。もはや神はわたしたちの創造主だけではありません。彼はわたしたちの父となられたのです。なぜなら、わたしたちは彼から生まれたからです。(「テサロニケ人への第一の手紙ライフスタディ」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り21日

(年二回の訓練(7月)第11週4日)

 

御父の家は、三一の神とわたしたち、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されます

 

ヨハネ14:21,23

わたしの戒めを持ち、それを守る者は、わたしを愛する者である.わたしを愛する者は、わたしの父に愛される.わたしも彼を愛して、わたし自身を彼に現す。…… イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。

 

「神の御子、主イエス・キリストは、その霊により、また彼の死と復活を通して、有機体、召会を建造しつつあり、それは彼のからだまた御父の家であって、三一の神と彼の選ばれ贖われた人とのミングリングによって生み出されます(ヨハネ14:7-24)。御父の家は、御父と御子がその霊と共に、贖われた選びの民を絶えず訪れることによって建造されます(23節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。御父の家は、三一の神がわたしたちを絶えず訪れることによって建造されることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたを愛する者、あなたの言を愛する者になって、相互の住まいが建造されますように。 

 

 

神と信者たちが共に建造されて、相互の住まいとなります

 

 ヨハネによる福音書第14章はおもに、いかにして三一の神がご自身をわたしたちの中へと分与し、彼とわたしたち、わたしたちと彼が、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されるかを見せています。この章は、三一の神、すなわち父、子、霊が、イエス・キリストの中でご自身を信者たちの中へと分与しておられること、この神と信者たちが共に建造されて、神性と人性の建造となっていくこと、最終的にこの建造が相互の住まいとなること、神が人の中に住まわれ、人が神の中に住むことを明らかにしています。

 

 これは第15章4節の主の言葉、「わたしの中に住んでいなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの中に住む」の基礎です。これは相互の住み合いです。なぜなら、わたしたちは彼の中に住み、彼はわたしたちの中に住まわれるからです。「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第32編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り20日

(年二回の訓練(7月)第11週3日)

 

わたしたちは救われ再生された後、神の中にまたキリストの中にいます

 

ヨハネ14:3,20

わたしが行って、あなたがたのために場所を用意したなら、再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える.わたしがいる所に、あなたがたもいるようになるためである。…… その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。

 

「あなたがたのために、場所を用意しに行く」ことが意味するのは、主が場所を用意し、贖いを完成し、道を開き、立場を作って、わたしたちを神の中へと入らせるということです(ヨハネ14:2-3,6)。わたしたちはみなキリストにある信者として、神の中に場所を持っており、またからだの中に場所を持っており、今やキリストの死と復活を通してわたしたちのために用意された場所の中で生きるべきです(ヨハネ14:2-3,20.Ⅰコリント12:27)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの死と復活を通して神の中に、キリストの中にもたらされたことを感謝します。神とキリストは、わたしたちの住まいです。キリストの死と復活を通して、キリストのからだの中で生きることができますように。

 

 

主の死と復活によって、わたしたちは神の中に、キリストのからだの中に場所を持っています

 

 主の贖いは、わたしたちのために天に場所を用意することではありませんでした。主の贖いは、わたしたちのために神の中に場所を用意することでした。……この思想は最高の水準にあります。主はわたしたちを贖って、わたしたちを神の中へともたらし、わたしたちのために神の中に場所を用意されました。……  全新約を通しての中心思想は、わたしたちが救われ再生された後、神の中に、またキリストの中にいるということです。神とキリストはわたしたちの住まいです。 ……主が場所を用意しておられたのは、わたしたちが神の中へと入り、主が彼の贖いによってわたしたちを神の中へともたらすためでした。彼の死と復活によって、彼はわたしたちを神の中へともたらされました。主を賛美します。わたしたち一人一人は神の中に場所を持っています! ……

 

 主は、「再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える」と言われました(14:3)。これは、主がわたしたちをある場所に迎えるのではなく、わたしたちをご自身の中に迎えることを意味します。主が彼の弟子たちをご自身に迎えるとは、20節で「あなたがたがわたしの中におり」という言葉で述べられているように、彼らをご自身の中へと入れることです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り19日

(年二回の訓練(7月)第11週2日)

 

御父の家にある多くの住まいは、キリストのからだの多くの肢体です

 

Ⅰコリント3:16

あなたがたは神の宮であって、神の霊があなたがたの中に住んでおられることを、知らないのですか?

 

Ⅰコリント12:27

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

 

「御父の家とは、三一の神が(肉体と成ること、十字架、復活を通して)ご自身を信者たちの中へと造り込み、完全に彼らとミングリングされ、彼らを建造して一つの有機体とならせ、彼の住まい、また表現とすることです(ヨハネ14:2-3,23)。御父の家とは、手順を経て究極的に完成された神と、彼の贖われ、再生され、造り変えられた選びの民とで構成された、神性と人性の合併です(ヨハネ14:20)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神の宮であって、神の霊がわたしたちの中に住んでおられることを感謝します。主よ、三一の神がわたしたちの中に造り込まれ、ミングリングされますように。そして、わたしたちが造り変えられて、神性と人性の合併である御父の家を享受することができますように。

 

 

主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造るのは、キリストのからだの建造です

 

 御父の家には多くの住まいがあります(ヨハネ14:2)。2節にある「住まい(複数)」のギリシャ語は、23節で「住まい(単数)」と訳されているのと同じ言葉の複数形です。「住まい」は何を意味するのでしょうか? 多くの住まいはキリストのからだの多くの肢体であり(ローマ12:5)、キリストのからだは神の宮です(Ⅰコリント3:16-17)。主のからだには多くの肢体があり、それぞれの肢体は住まいです。多くの住まいがからだの多くの肢体であることは、ヨハネによる福音書第14章23節によって十分に証明されています。それは、主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造ると言っています。……わたしたちはみな神の建造における住まいです。この建造はキリストのからだであり、すべての住まいはキリストのからだの肢体です。…… 

 

 ヨハネによる福音書第14章2節の「わたしは……行く」という言葉は、主が死と復活を通して行き、神の住まいの建造のために、人を神の中へもたらそうとしておられたことを意味します。これはマタイによる福音書第16章18節で述べられた召会の建造です。そこで主は「わたしの召会を建てる」と言われました。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り18日

(年二回の訓練(7月)第11週1日)

 

わたしたちは神の中へと信じ、それによって神の中へと入ります

 

ヨハネ14:1-2

あなたがたは心を騒がせてはならない.神の中へと信じ、またわたしの中へと信じなさい。わたしの父の家には多くの住まいがある.もしそうでなかったなら、わたしはあなたがたに話したであろう.あなたがたのために、場所を用意しに行くのである。

 

「ヨハネ第14章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じ、それによって神の中へと入らなければならないということです(ヨハネ14:1)。.神を信じることは客観的ですが、神の中へと信じることは主観的です。主観的に信じることは、わたしたちを神の中へともたらします。主の中へと信じることによって、わたしたちは彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受し、彼がわたしたちのために完成したすべてにあずかります(ヨハネ3:15)。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが客観的に神を信じるだけでなく、主観的に神の中へと信じることができますように。主よ、わたしたちが主の中へと信じて、主と一になり、主がわたしたちのために完成したすべてを享受することができますように。

 

 

神の中へと信じることは主観的であり、彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受します

 

 ヨハネによる福音書第14章1節は、二つの非常に重要な点を啓示しています。第一は、主が神と同じであることです。人が神の中へと信じるなら、主の中へと信じなければなりません…… 第14章1節の第二の重要な点は、神を信じることは神の中へと信じることとは違うということです。……この章の基本的な思想は、主が弟子たちに、神の中にいるのを助けようと、あるいは教えようとしておられたということです。

 

 わたしたちは、神を信じるのは客観的であり、神の中へと信じるのは主観的であることを、覚えていなければなりません。このように主観的な信じることが、わたしたちを神の中へもたらすのです。要するに、主は、「あなたがたが神の中へと信じるなら、わたしの中へとも信じなければならない」と言っておられたのです。「中へと(into)」という前置詞は非常に重要です。……わたしたちは前置詞を見落としてはなりません。それは事実を客観的に信じる事柄ではなく、主観的に信じる事柄であって、この事がわたしたちを神の中へもたらします。この章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じなければならないということです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ」、第29編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り16日

(年二回の訓練(7月)第10週6日)

 

今日、召会によって、御子を通して御父の栄光が現されます

 

ヨハネ17:5,22

父よ、世が存在する前に、わたしがあなたと共に持っていた栄光でもって、あなたご自身と共に、今わたしの栄光を現してください。…… あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです。

 

エペソ3:21

神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように。アーメン。

 

「三一の神の具体化として、御子キリストは御父の栄光を現すことです(ヨハネ17:1,5,22-23)。栄光を現すことは出現を意味します。栄光が現されることは出現することです。今日、召会によって御子の栄光が現され、御子において、また御子を通して御父の栄光が現されます(ヨハネ17:22.エペソ3:21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたち召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、栄光の中のキリストに結合されたことを感謝します。御子と御父が一であるように、わたしたちも成就されて一となり、ヨハネ17章の祈りが実現しますように。

 

 

今日、召会時代にキリストの中で、召会の中で神の栄光が現されます

 

 ヨハネによる福音書第14章から第16章の主のメッセージの主要な点は、御子において御父の栄光が現されるということです。肉体と成る前、キリストは神のひとり子として御父と共に栄光の中にいて、御父と共にこの栄光を享受していました。しかし、彼がこの栄光を持ったまま肉体と成ることを通して肉体を着られた時、この栄光は彼の肉体の中に隠されました……神聖な栄光、すなわち、神聖な命と性質の表現は、主の人性の中に閉じ込められ、隠されました。

 

 今日どのようにして御子の栄光が現され、御子において、御子を通して御父の栄光が現されるのでしょうか? それは召会によってです。召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、栄光の中のキリストに結合されたとき、神の御子が表現され、出現します。召会の一の中で神の御子の栄光は現され、その時、御子の中で、御子を通して御父の栄光が現されます。ですから、「あなたの子の栄光を現してください.それは、子があなたの栄光を現すためです」という祈りは、召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、一の中で神の御子に結合される事柄を含み、またそのことにかかっています。キリストの中で、また召会時代に召会の中で、神の栄光が現されます(エペソ3:21)。(「新約の結論(17)」、メッセージ288)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り15日

(年二回の訓練(7月)第10週5日)

 

神聖な栄光における最も深い一は、三一の神の団体的な表現のためです

 

ヨハネ17:1

イエスは……言われた、「父よ、時が来ました.あなたの子の栄光を現してください.それは、子があなたの栄光を現すためです」。

 

ヨハネ17:22-23

あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです.わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.……

 

「主イエスは、わたしたちが最高の段階の一へと入るように祈りました。それは神聖な栄光における一であり、三一の神の団体的な表現のためです。「あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです」(17:22)。これは信者たちの最も深い一、神の団体的な表現のための神聖な栄光における一です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたち信者の一には再生、聖別、栄光化における一があることを感謝します。主よ、わたしたちが自己を否むことによって、成就されて一となりますように。わたしたちに与えられた神聖な栄光によって成就されて一となり、団体的に三一の神を表現することができますように。

 

 

信者たちの一には三つの根拠、段階があります。それは再生、聖別、栄光化です

 

[信者たちの]一の第一の根拠は再生、御父の命を受けることであり、第二の根拠は聖別、神以外のすべてのものから……神ご自身に分離されることです。……この一の第三の根拠はこれよりも深く、高いのです。それは神聖な栄光の出現の中にある一です。わたしたちは……この世から分離された後、自分を否むことを通して、わたしたちの内の栄光の望みであるわたしたちの命としてのキリストによって(コロサイ1:27)生きなければなりません。

 

 信者たちの一には三つの根拠、段階があります。それは再生、聖別、栄光化です。再生によって神をわたしたちの父として持つことが第一段階です。聖なる言葉を通してこの世から分離されることによって、三一の神に来ることが第二段階です。自分自身を否むことを通して、神聖な栄光の命によって生きることが第三段階です。わたしたちは自分を否むことによって、成就されて一となるまでに、神聖な命を経験することができます。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り14日

(年二回の訓練(7月)第10週4日)

 

ヨハネによる福音書において、主イエスの栄光と栄光を現すことを見ます

 

ヨハネ1:14

……それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

 

マタイ17:2

すると、イエスは彼らの前でかたちが変わり、彼の顔は太陽のように輝き、彼の衣は光のように白くなった。

 

「ヨハネによる福音書において、わたしたちは主イエスの栄光と栄光を現すことを見ることができます。「わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった」(ヨハネ1:14)。これは、山上でキリストのかたちが変わったことを指しています(マタイ17:1-2,5)。「イエスは……彼の栄光を現された」。すなわち、主の神性が現されました(ヨハネ2:11)。 イエスは、「人の子の栄光が現される時が来た」と言いました(23節)。人の子としてのイエスの栄光が現されることは、彼が復活させられることでした」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは恵みと実際に満ちて来られたことを感謝します。主よ、あなたは、山上でかたちが変わり、神性の栄光を弟子たちに現されました。今日、召会の中で復活の命がわたしたちを通して表現されますように。

 

 

主が山上で、主のかたちが変わることは、栄光が現されることでした

 

 ヨハネは……ペテロとヤコブと共に、主が山上でかたちが変わった時、主の栄光を見ました[ヨハネ1:14]。主のかたちが変わることは、栄光が現されることでした。……キリストが人性の中で生きておられた時、山上で彼のかたちが変わったとき……一瞬、彼の弟子たちに彼の神性の栄光が現されました[マタイ17:2]。……

 

 ペテロはペテロの第二の手紙第1章17節から18節でこれに言及しています。「彼が父なる神から誉れと栄光を受けられた時、厳かな栄光によって、次のような声が彼に発せられたからです.『これはわたしの子、わたしの愛する者、わたしは彼を喜ぶ』。わたしたちは聖なる山に彼と共にいた時、天から発せられたこの声を聞いたのです」。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り13日

(年二回の訓練(7月)第10週3日)

 

主は自分の栄光を求めないで、遣わされた方の栄光を求めました

 

ヨハネ7:18

自分から語る者は、自分の栄光を求める.しかし、遣わされた方の栄光を求める者は、真実であり、彼の中に不義はない。

 

マタイ25:31

しかし、人の子が彼の栄光の中で、またすべての御使いが彼と共に来る時、彼は彼の栄光の御座に着く。

 

「神の栄光は、キリストの肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天、再来、彼が新エルサレムでともし火であることと関係があります。主イエスは彼の生活と働きにおいて、ご自身の栄光を求めたのではなく、彼を遣わした方の栄光を求めました(ヨハネ7:18.8:50,54)。キリストの復活において、彼の栄光は現されました(ルカ24:26.ヨハネ7:39.17:5.使徒3:13.Ⅰペテロ1:21)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたは生活と働きにおいて、ご自身の栄光を求めないで、遣わした方の栄光を求めました。主よ、わたしたちも制限された主の命を生きて、自分のためではなく、主の満足のために生きることができますように

 

 

主は制限された命を生き、神の満足のために神の栄光を求められました

 

 主の栄光は、彼の神性の栄光(ヨハネ17:22、24)、彼の人性の栄光(詩45:3)、彼の復活の栄光(ヨハネ7:39.使徒3:13-15)、彼の昇天の栄光(ヘブル2:9)から成っています。(マタイ25:31、フットノート4)。 制限された命、自己のために事を行なうことを制限された命を生きた方として、主は神の満足のために神の栄光を求められました。……[ヨハネによる福音書第7章16節から18節で]わたしたちは、主がご自身の栄光を求められなかったことを見ます。ですから、彼は自分からは語られませんでした。むしろ、彼はご自分を遣わされた方の栄光を求められました。

 

 主が神の満足のために神の栄光を求めた方であることは、彼が行なわれたことや彼の働きによるのではありません。それは彼が神のものであり、神に遣わされ、神から来て、神を語られたという事実によりました。……ヨハネによる福音書第7章は、彼が神によって制限された方であり、神のものであり、神に遣わされて神から来られ、ご自身の言葉を語らず、神を語られたことを啓示します。主が神の言葉を語られた時、神は彼の語りかけを通して表現されました。(リー全集、1982年、第2巻(上)、「ヨハネの文書における幕屋とささげ物の成就」、第21編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り12日

(年二回の訓練(7月)第10週2日)

 

わたしたちの内にいますキリストは、栄光の望みです

 

コロサイ1:27

……あなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。

 

ヘブル2:10

……方が、多くの子たちを栄光へ導き入れるのに、彼らの救いの創始者を、苦難を通して成就されるのは、彼にふさわしいことでした。

 

「すべてを含むキリストは、栄光の望みとしてわたしたちの中に住んでいます(コロサイ1:27.3:4,11)。わたしたちは主の栄光を見つめ、そして反映するとき、栄光から栄光へ、主のかたちへと徐々に造り変えられていきます(Ⅱコリント3:18)。神の有機的な救いの目標、またこの救いの最後の段階は、栄光、すなわちわたしたちの栄光化です(ヘブル2:10.ローマ8:17,21,30)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内にいますキリストは、栄光の望みです。内住するキリストが、わたしたちの全存在に浸透して、わたしたちを栄光から栄光へ、主のかたちへと徐々に造り変えてくださいますように。

 

 

主はわたしたちの贖われ変貌した体において栄光を現されます

 

 キリストがわたしたちの栄光の望みとなることができるのは、彼がわたしたちの霊の中に住んで、わたしたちの命とパースンとなっておられるからです。コロサイ人への手紙第3章4節によれば、わたしたちの命なるキリストが現される時、わたしたちも彼と共に栄光のうちに現されるでしょう。彼は現れて、わたしたちの贖われ変貌した体において栄光が現されるでしょう(ローマ8:23.ピリピ3:21.Ⅱテサロニケ1:10)。キリストが来られる時、わたしたちは彼において栄光化され、わたしたちにおいて彼の栄光が現されるでしょう。これは、内住するキリストが、わたしたちの体を含む全存在に浸透されることを示します。……

 

 コロサイ人への手紙第1章27節は、わたしたちが栄光化されるその栄光が、今やわたしたちのただ中に住んでいることを示します。この栄光は物ではありません。この栄光は生けるパースン、すなわち内住するキリスト、手順を経た三一の神のすべてを含む具体化です。このキリストは今や、わたしたちの中にある栄光の種です。……最終的に、この種の成長は、信者たちの栄光化の「開花」という結果になります。(「新約の結論(11)」、メッセージ180)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り11日

(年二回の訓練(7月)第10週1日)

 

三一の神は栄光の神です

 

ローマ3:23-25

なぜなら、すべての人は罪を犯したので、神の栄光に欠けており、無代価で、彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、義とされるからです.神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とされました.それは彼の血により、信仰を通してであって、彼の義を明らかに示すためです.……

 

「栄光は神の一つの属性です。栄光は神の表現、すなわち光輝において表現された神です(出40:34.使徒7:55.Ⅱペテロ1:3.啓21:11)。三一の神は栄光の神です(使徒7:2.エペソ1:17.3:14,16.Ⅰコリント2:8.Ⅱコリント4:6.Ⅰペテロ4:14)。神の永遠の目標は、彼の多くの子たちを栄光へもたらすことです(ヘブル2:10.Ⅰコリント2:7.エペソ1:5-6,12,14)」。

 

   主イエスよ、あなたを愛します。 人が神によって神のかたちに造られたことを感謝します。主よ、わたしたち人を、神の栄光のために神を表現する者へと造り変えてください。

 

 

神の永遠の目標は、彼の多くの子たちを栄光へもたらすことです

 

 人が神によって神のかたちに造られたのは、人が神の栄光のために神を表現するためです。しかし人は罪を犯して、神の聖と義に相反しました。人は神を表現するどころか、罪と罪深い自己を表現します。ですから、人は神の栄光に欠けています。神の栄光と表現に欠けていることが罪です。罪人は、神の聖と義の要求の下にあるだけでなく、神の栄光の要求の下にもあります。すべての人は神の聖であることに違犯し、神の義の律法を破り、すべて神の栄光に欠けています。ですから、すべての人は神の罪定めの下にあります。(ローマ3:23、フットノート1)

 

 一つの神の驚くべき属性は栄光です。……使徒行伝第7章55節は言います、「ステパノは……天を一心に見つめていると、神の栄光……を見た」。栄光は神の表現であり、光輝において表現された神です。神の栄光はアブラハムにとって大きな引き寄せであり、彼をこの世から神へと分離しました[参照、2節]。神の栄光はまた大きな励ましと力であり、アブラハムが神に従うことができるようにしました(創12:1、4)。(「新約の結論(1)」、メッセージ11)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り9日

(年二回の訓練(7月)第9週6日)

 

一粒の麦としてのキリストから生み出された宇宙的な合併の三つの面

 

ヨハネ14:23

イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。

 

「キリストの復活の中で、手順を経た三一の神と再生された信者たちとの拡大された、神性と人性の、宇宙的な合併が、変貌した一粒の麦としてのキリストから生み出された三つの面:① 第一の面は御父の家であり、御父の安息、満足、現れのためです(ヨハネ14:2)。② 第二の面はまことのぶどうの木であり、神の拡大、広がり、栄光を現すことのためです(ヨハネ15:1-8,16)。③ 第三の面はその霊の子供、新しい人であり、神の永遠のエコノミーを完成します(ヨハネ16:13-16,19-22)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの復活の中で、手順を経た三一の神と再生された信者たちとの宇宙的な合併があることを感謝します。主よ、わたしたちが御父の家としての相互の住まい、まことのぶどうの木、その霊の子供、新しい人についてのビジョンを見て経験し、享受することができますように。

 

 

御父の家は、三一の神と彼の選びの民との相互の住まいです

 

 御父の家は、御父と御子、そして贖われた選びの民に内住するその霊が、贖われた選びの民に絶えず訪れることによって建造され、究極的に完成された三一の神と彼の贖われた選びの民との相互の住まいとなります。……ヨハネによる福音書第14章2節は、御父の家には多くの住まいがあると告げており、23節でわたしたちは、これらの住まいは御父と御子が彼を愛する者たちに臨むことによって建造されることを見ます。その霊は……[23節で]暗示されています。なぜならその霊は、主イエスを愛するすべての者の再生された霊に内住しているからです。

 

 わたしたちは家に、学校に、職場にいても、わたしたちがどこにいても、御父と御子は来て訪れ、わたしたちの中で建造する働きを行ない、住まいを造られます。それは、三一の神とわたしたちとの相互の住まいとなるでしょう。これが、三一の神が絶えず訪れることを通しての御父の家の建造です。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第4編)  

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り8日

(年二回の訓練(7月)第9週5日)

 

主の人性の殻を砕くことを通して、キリストの神性の栄光を解き放つ

 

ヨハネ12:23-24

イエスは彼らに答えて言われた、「人の子の栄光が現される時が来た。まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ」。

 

「わたしたちは一粒の麦としてのキリストを経験し、享受し、表現することができます(ヨハネ12:24)。キリストの神性と彼の神聖な命との栄光は、一粒の麦としてのキリストの中に隠されていました(ヨハネ12:23-24)。キリストの神性の栄光を解き放つことは、彼の死によって彼の人性の殻を砕くことを通してでした(ヨハネ12:24):

 

 主イエスよ、あなたを愛します。あなたが一粒の麦として地に落ちて死なれ、多くの実を結ばれたことを賛美します。わたしたちも人性の殻が十字架を通して砕かれ、内側から神性の要素が解き放たれる実際を経験し、享受することができますように。

 

 

神がキリストの栄光を現され、彼を肉体と成った時期から包括の時期に移されました

 

 キリストが肉体と成ることを通して着た彼の人性は、彼の神性の栄光を隠す殻となりました。「彼の人性」という言葉の代わりに、おそらく「彼の肉体」という表現を用いたほうが良いでしょう。なぜならヨハネによる福音書第1章14節は、神が肉体と成ったと告げているからです。……キリストの神性はそれ自身、神聖な栄光です。神が光であるように、神性は栄光です。キリストが肉体の中に、彼の人性の中におられた時、彼の肉体は、彼の神性を隠し、こうして彼の栄光を隠す殻でした。

 

 神聖な栄光は彼の肉体の殻の中に隠されていたので、彼の栄光が現される必要がありました。ヨハネによる福音書第12章23節で彼は、「人の子の栄光が現される時が来た」と言われました。第17章1節で彼は祈られました、「父よ、時が来ました.あなたの子の栄光を現してください.それは、子があなたの栄光を現すためです」。…… 神がキリストの栄光を現されることは、キリストを一つの時期から別の時期に移しました。彼は第一の時期、肉体と成った時期におられましたが、その時期から第二の時期、包括の時期に移されました。包括の時期において、彼は最後のアダムとして、復活の中で命を与える霊と成られました。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り7日

(年二回の訓練(7月)第9週4日)

 

患難を経過するとき、継続的な更新が起こります

 

Ⅱコリント4:16

こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。

 

コロサイ2:19

かしらに結び付いて……この方から、からだ全体は、……豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。

 

「わたしたちは患難を経過するとき、日ごとにわたしたちの中で継続的な更新が起こる必要があります。それによって、神はご自身の心の願いを完成して、わたしたちを新エルサレムとすることができます(エゼキエル36:26.Ⅱコリント4:16.5:17.啓21:2)。わたしたちは復活の中で生活するために、復活の命の新鮮な供給で養われることによって、日ごとに更新されなければなりません(Ⅱコリント4:16)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内なる人は日ごとに新しくされていくという約束を感謝します。復活の命の新鮮な供給をもってわたしたちを養い、日ごとに更新してください。

 

 

わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます

 

 わたしたちの死ぬべき体、外なる人が死の殺す働きによって消耗しつつあるとき、わたしたちの内なる人、すなわち、わたしたちの再生された霊は、わたしたちの存在の内側の各部分と共に(エレミヤ31:33.ヘブル8:10.ローマ7:22、25)、復活の命の供給をもって、新陳代謝的に、日ごとに更新されていきます。(Ⅱコリント4:16、フットノート3)

 

 わたしたちは再生された後、神を持っていますが、神をあまり多く持っていません。こういうわけで、コロサイ人への手紙第2章19節は、わたしたちは神の増し加わりによって成長すると言うのです。……わたしたちは、わたしたちの内側の神の増し加わりによって成長します。……わたしたちの中に神が最も満ち満ちた程度にまでおられるとき、わたしたちは完全な成長を持ちます。……神がわたしたちの内側で増し加わりつつあるとき、彼の新しい要素がわたしたちの中へと加えられつつあります。…… わたしたちは神と接触しているとき、神はご自身を神聖な要素としてわたしたちの存在の中へと注入します。この新しい要素がわたしたちの存在する要素の中へと加えられます。(「日ごとに新しくされる」、第2章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り6日

(年二回の訓練(7月)第9週3日)

 

自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼します

 

Ⅱコリント1:8-9

兄弟たちよ、アジアでわたしたちに降りかかった患難について、あなたがたに知らずにいてもらいたくありません.すなわち、わたしたちは極度に、耐えられないほどに圧迫されて、生きる望みをさえ失ったほどです。実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ちました.それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼するためでした。

 

「わたしたちは復活の中で生活するために、復活の神を知り、経験し、得なければなりません(Ⅱコリント1:8-9)。生ける神は人のために多くの事を行なうことができますが、生ける神の命と性質は人の中へと造り込まれません。復活の神が働くとき、彼の命と性質は人の中へと造り込まれます。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは死人を復活させる神であることを感謝します。わたしたちが多くの苦しみや患難の中で、自分自身にではなく、死人を復活させる神に信頼することができますように。自分の天然の命を否み、神聖な命を生きる者にしてください。

 

 

復活の神が働くとき、彼の命と性質は人の中へと造り込まれます

 

 なぜわたしたちは生ける神と復活の神の区別を強調するのでしょうか?……生ける神は人のために多くの事を行なうことができますが、生ける神の性質は人の性質とブレンディングされることはできません。他方で、復活の神が働くとき、彼の性質そのものが人の性質の中へと造り込まれます。…… 生ける神があなたのためにある事を行なうときでさえ、その事の後もその前と同じように、彼は依然として彼であり、あなたは依然としてあなたです。……他方で、復活の神が働くとき、彼は人のために行なうことによって、ご自身を人に伝達します。……

 

 使徒パウロは生ける神を知っていることだけではなく、復活の神を知っていることも証ししました。パウロはひどく悩んでおり、彼は生きる望みをさえ失ったほどでしたが、そうすることで彼は死人を復活させる神に信頼することを学びました。復活の神が彼のために行動して彼を死人の中から復活させた時、その神聖な行動はパウロのために何かを達成しただけではなく、それはまた神ご自身の性質をパウロに伝達しました。(「生ける神と復活の神」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り5日

(年二回の訓練(7月)第9週2日)

 

あらゆる奉仕の原則は、芽を出した杖にあります

 

民17:8

その翌日、モーセは証しの天幕に入って行った.すると見よ、レビの家のアロンの杖が芽を出し、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた。

 

マタイ19:26

イエスは……言われた、「それは人にはできないが、神にはすべての事ができる」。

 

「あらゆる奉仕の原則は、芽を出した杖にあります。神は十一本の杖をすべて族長たちに戻しましたが、アロンの杖を契約の箱の中に保存し、永遠の記念としました。これが意味するのは、復活が神に対するわたしたちの奉仕における永遠の原則であるということです(民17:9-10)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。アロンの杖は芽を出し、アーモンドの実を結んでいました。あらゆる奉仕の原則は、芽を出した杖にあることを見せてください。主に対するわたしたちのすべての奉仕が、死と復活を経過したものとなりますように。

 

 

復活が神に対するわたしたちの奉仕における永遠の原則です

 

 神は十二人の族長たちにイスラエルの十二部族にしたがって、十二本の杖を取り、それらを証しの天幕の中にある契約の箱の前に置くように命じました。それから神は言われました、「わたしが選ぶ人の杖は芽を出す」(民17:5)。杖は一本の木です。それは木の枝であり、葉と根が取られています。……以前、それは木から樹液を受けて、花を咲かせ、実を結ぶことができましたが、今は死んでいます。…… 芽を出した杖はどれであれ神によって選ばれた杖でした。ここでわたしたちが見るのは、復活が神の選びの根拠であるということです。それはまた権威の根拠でもあります。……

 

 あらゆる奉仕の原則は、芽を出した杖にあります。神は十一本の杖をすべて族長たちに戻されましたが、アロンの杖を契約の箱の中に保存し、永遠の記念とされました。これが意味するのは、復活が神に対するわたしたちの奉仕における永遠の原則であるということです。主のしもべは、死んで復活した者です。…… 神に奉仕するための権威は、復活の中にあるのであって、人自身にあるのではありません。主に対するすべての奉仕は、死と復活を経過しなければなりません。そうしてはじめて、それらは神に受け入れられることができます。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第15編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り4日

(年二回の訓練(7月)第9週1日)

 

キリストの復活における三つの真理を知る

 

ヨハネ16:13-15

しかし彼、すなわち実際の霊が来る時、あなたがたをすべての実際へと導く.……彼はわたしの栄光を現す.それは、彼がわたしのものから受けて、それをあなたがたに明らかにするからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである.こういうわけで、彼はわたしのものから受けて、それをあなたがたに明らかにすると、わたしは言ったのである。

 

「わたしたちは復活としてのキリストを経験し、享受し、表現することができます(ヨハネ11:25)。わたしたちは復活の中で生活するために、キリストの復活に関する明らかにされた真理を見なければなりません」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの復活を感謝します。主よ、あなたが復活において長子として生まれ、わたしたちを多くの神の子たちとして生み出してくださったことを感謝します。命を与える霊としての主を日々経験し、享受することができますように。

 

 

復活において、彼は長子となり、命を与える霊と成り、わたしたちは神の子たちとなりました

 

 同じ復活の中で、① キリストは生まれて神の長子となり[使徒13:33]、②  神の選ばれた人々であるわたしたちは生まれて神の多くの子たちとなりました[Ⅰペテロ1:3]。彼らはキリストの「双子」です。また、この同じ復活の中で、③ キリストは命を与える霊と成られました[Ⅰコリント15:45後半]。今日、復活に関するわたしの聖書の学びは、結晶化したものとなりました。この結晶化とは、キリストの復活は単に神が彼を死人の中から復活させたことだけではありません……

 

 この一つの神聖な行為において、神は三つの大きな事柄を完成されました。彼は彼のひとり子だけでなく、彼の長子を生みました。彼はこの一つの出産において、彼の多くの子たちを生みました。そして彼は、神から生まれたこのイエス・キリストを、命を与える霊と成らせました。三つの偉大な達成が、一つの行為の中で起こりました。主の復活のこれらの主要な項目がなければ、召会はなく、キリストのからだもありません。もし聖書に神の長子、神の多くの子たち、命を与える霊を啓示するものがないなら、神のエコノミーもありません。(リー全集、1994年―1997年、第2巻(上)、「聖書における神聖な啓示の高嶺にしたがった生活をする実行的な道」、第3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り2日

(年二回の訓練(7月)第8週6日)

 

命を与える霊は複合の霊です

 

出30:23-24

あなたはまた、最も良い香料を取りなさい.すなわち、流れる没薬五百シケル、かおり高い肉桂をその半分、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、桂枝五百シケル……またオリブ油一ヒンを取りなさい。

 

Ⅰヨハネ2:20

あなたがたは聖なる方から油塗りを受けているので、あなたがたすべては知っています。

 

「命を与える霊は複合の霊であり、それは複合の油塗る膏油とその各種の成分によって予表されています(出30:23-25.Ⅰヨハネ2:20,27)。オリブ油は、神性を伴う神の霊を表徴します。没薬は、キリストの尊い死を表徴します。肉桂は、キリストの死の甘さと効力を表徴します。菖蒲は、キリストの尊い復活を表徴します。桂枝は、キリストの復活の駆逐する力を表徴します」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが複合の油塗る霊と成られたことを感謝します。そして、わたしたちが聖なる方から油塗りを受けていることを感謝します。主よ、複合の油塗る霊の神聖な成分をもって、日ごとにわたしたちに浸透してください。

 

 

複合の油塗る霊は、四種類の香料で予表されているキリストの人性と複合されています

 

 複合の油塗る霊は神の神聖な三一と複合されています。それは、五百シケルの香料の三つの単位によって予表されています(出30:23-24節前半)。五百シケルの真ん中の単位は二百五十シケルずつ二つの単位に分けられました。これは神聖な三一の第二が十字架上で分けられ、釘付けられたことを表徴します。複合の油塗る霊は、キリストの人性と複合されています。それは、四種類の香料によって予表されています。

 

 その霊は、キリストの死とその殺す効力と複合されています。それは、没薬と肉桂によって予表されています(23節前半)。菖蒲と桂枝によって予表されているキリストの復活とその駆逐する力(23後半-24前半)も、複合の油塗る霊の要素です。菖蒲は沼や湿地の中から真っすぐ上に伸びている葦です。ですから、これは主イエスが死の地から起き上がられたことを表徴します。桂枝は昔、昆虫や蛇を駆逐する駆虫剤として用いられました。それゆえ桂枝はキリストの復活の駆逐する力を表徴します。(「わたしたちの霊を伴うその霊」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


11月の祈り1日

(年二回の訓練(7月)第8週5日)

 

主はその霊を弟子たちの中に息吹き込みました

 

ヨハネ20:22

彼はこう言って、彼らの中に息を吹き込んで言われた、「聖霊を受けよ」。

 

Ⅰコリント15:45

そこで、「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」と書かれていますが、最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。

 

「御子は復活の中で、究極的に完成された霊を聖なる息として、弟子たちの中へと息吹き込みました(ヨハネ20:22)。[ですから]、主はその霊として、弟子たちの中に生きることができ、また弟子たちは彼によって、彼と共に生きることができます。主はその霊として、弟子たちの中に住むことができ、また弟子たちは彼の中に住むことができます(22節.ヨハネ14:19-20.15:4-5)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが命を与える霊と成って、わたしたちの中に入って来てくださったことを感謝します。主よ、わたしたちがあなたによって、またあなたと共に生き、相互の住み合いを経験し享受させてください。

 

 

主はその霊を弟子たちの中に息吹き込んで、ご自身を命として分与しました

 

 主が聖霊を弟子たちの中へ吹き込まれたことは、慰め主としての聖霊について主が約束されたことの成就でした。この成就は、使徒行伝第2章1節から4節におけるものとは異なります。それは、ルカによる福音書第24章49節での御父の約束の成就でした……。使徒行伝第2章では、その霊は激しい突風のように、弟子たちの働きのために、彼らの上に力として臨みました(使徒1:8)。ここでは[ヨハネによる福音書第20章22節]、その霊は息のように、弟子たちの命のために、命として彼らの中へ吹き込まれました。主はその霊を弟子たちの中に息吹き込むことによって、ご自身を命またすべてとして彼らの中に分け与えられました。(ヨハネ20:22、フットノート1)

 

 ヨハネによる福音書第20章22節で、息としてのその霊は、弟子たちの命のために、命として彼らの中に息吹き込まれました。主はその霊を弟子たちの中に息吹き込むことによって、ご自身を命またすべてとして彼らの中に分け与えられました。こうして、第14章から第16章で語られたことは、すべて成就されたのです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第46編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)