キリストを経験し、享受し、表現する(3)
2月の祈り28日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第6日
権威を伴った祈りは、天から地へと祈られます
エペソ1:22-23
また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の上にかしらとして召会に与えられました.この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。
エペソ2:6
キリスト・イエスの中で、わたしたちを彼と共に復活させ、彼と共に天上で座らせてくださいました。
「召会は権威をもって祈るとき、ハデス[陰府]を支配します(マタイ16:18)。召会には権威があり、あらゆるサタン的な事柄を支配します。権威を伴った祈りは、天から地へと祈られます。すなわち、それは天上の地位から始まり、天から地へと下に向かいます(2:6)。祈りの地位は昇天の地位であり、祈りの権威も昇天の権威です。昇天におけるすべての祈りは、権威の祈りです(エペソ2:6.1:22-23)」。
主イエスよ、あなたを愛します。召会にはあらゆるサタン的な事柄を支配する権威があります。主よ、わたしたちが日常生活の中で、すべての実際的な事柄の中で神の権威に服従して、祈ることができますように。わたしたちが神の永遠の定められた御旨の成就のために、権威の祈りを進んで学ぶことができますように。
祈りの地位は昇天の地位であり、祈りの権威も昇天の権威です
召会は権威を伴った祈りを用いてハデス[陰府]を支配することができます。キリストは万物を超越しており、召会のかしらであるので、召会は悪鬼どもとサタンに属するあらゆるものとを支配することができます。もし召会が悪鬼どもを支配する権威を持っていなかったなら、またもし主がこの権威を召会に与えなかったなら、召会は地上で生存することができないでしょう。召会が地上で生存することができるのは、召会にはあらゆるサタン的な事柄を支配する権威があるからです。……わたしたちは主の御名の中で悪鬼どもを追い出すことができます。またわたしたちは邪悪な霊どもがひそかに活動するのを支配することができます。……
わたしたちは神の権威に服従しなければなりません。もしわたしたちが神の権威に服従していないなら、わたしたちは権威をもって祈ることはできません。わたしたちは神の地位に関して神の権威に服従しなければならないだけでなく、また日常生活の中で、すべての実際的な事柄の中で神の権威に服従しなければなりません。(ニー全集、第22巻、「召会の祈りの務め」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り27日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第5日
最も重要な祈り、また最も霊的な祈りは、権威の祈りです
マルコ11:23-24 まことに、わたしはあなたがたに言う.だれでもこの山に向かって、「持ち上げられて、海に投げ込まれよ」と言い、心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、そのとおりになる。こういうわけで、わたしはあなたがたに言う.あなたがたが祈って求めるものはすべて、受けたと信じなさい.そうすれば、そのとおりになる。
「権威の祈りは、権威に基づいた命令です(イザヤ45:11.マルコ11:20-24)。権威の祈りは、命じる祈りです。神の御前で重みと価値のある祈りを持ちたいなら、わたしたちは神の御前で権威のある命令を発することができる必要があります(マルコ11:23)。権威の祈りには二つの面があります。すなわち、縛ることと解くことです(マタイ18:18)。普通の祈りは、縛ることと解くことを神に求める祈りです。権威を伴った祈りは、わたしたちが権威を行使することによって、縛りまた解く祈りです」。
主よ、あなたを愛します。わたしたちが権威の祈り、命じる祈りを学ぶことができますように。わたしたちの内側にある短気や邪悪な思いに対して、「離れ去れ」と命じて、神の権威を直接、適用することができますように。
権威の祈りは、命じる祈りです
聖書は最も高い、霊的な祈りを内容としています。しかし、この祈りを祈る人はほとんどおらず、それに注意を払う人もほとんどいません。……それは「権威の祈り」です。わたしたちは、賛美の祈り、感謝の祈り、嘆願の祈り、懇願の祈りがあることを知っています。……権威の祈りは、命じる祈りです。これは聖書の中で最も極めて重要で、最も霊的な祈りです。このような祈りは権威のしるしであり、権威の宣言です。……
権威を伴った祈りは、わたしたちが権威を行使することによって、縛りまた解く祈りです。神が縛ってくださるのは、召会がすでに縛ったからです。神が解いてくださるのは、召会がすでに解いたからです。神は召会にこのような権威を与えられました。召会がこのような権威を行使して語るとき、神はそれを行なわれます。…… 何であれ霊的な道を前進する上でわたしたちを阻むものに、わたしたちは離れ去るように命じることができます。これが権威をもって祈ることです。(ニー全集、第22巻、「召会の祈りの務め」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り26日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第4日
神を代行する人に必要な資格
マタイ8:9
というのは、わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒たちがいて、そこで、わたしがこの者に「行け」と言えば、彼は行き、あの者に「来い」と言えば、彼は来ますし、わたしの奴隷に「これをせよ」と言えば、彼はそれを行なうのです。
16:24
それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいなら、自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」。
「権威(代理権威)をもって神を代行する人は、以下の資格を持たなければなりません。権威に服従しなければなりません(マタイ8:8-9)。自分自身の中では何の権威も持っていないことを認識しなければなりません(28:18.Ⅱコリント10:8.13:10)。神のみこころを知って(エペソ1:9.5:17)、自己を否む者でなければなりません(マタイ16:24)。主と一になり、主との継続的で親密な交わりの中で生きていなければなりません(Ⅰコリント6:17.1:9.Ⅰヨハネ1:3)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが、すべての権威が神から出たものであることを認識し、自分自身を否むことを学ばせてください。主との継続的で親密な交わりを持ち、自分の意見を放棄して、神の心の願いを知ることができますように。
神の代理権威となるために、人は(神の権威を認識し、神の権威に服従することに加えて、)三つの基本的な要求を満たさなければなりません。代理権威は、[まず]すべての権威が神から出たものであることを覚えておかなければなりません。……もしある人に何か権威があるのであれば、その権威は神から出たものです。人に最初から備わっている権威はありません。また、だれも自分自身を権威として立てることはできません。…… 代理権威となる人についての第二の基本的な要求は、自分自身を否むことです。人は神のみこころについてはっきりする前に、自分の口を開くべきではなく、何の権威も行使すべきではありません。神の代理権威は、積極面において神の権威を認識しなければならないだけでなく、消極面において自分自身を否むことを学ばなければなりません。……
神の代理権威となる人は、第三の資格を持っているべきです。すなわち、彼らは主との継続的で親密な交わりを持たなければなりません。「交流」があるだけでなく、「意思疎通」がなければなりません。ある人は一日中、意見でいっぱいです。これらの人たちは、自分の意見を放棄することを学ばなければなりません。人は意見を持つ時はいつでも、それを主にもたらし、そのような意見が肉からのものであるか、それとも神からのものであるかを見いださなければなりません。こうして、神は徐々にご自身の心の願いをその人に啓示されます。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第12、18編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り25日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第3日
主が地上で行なったことは何であれ、完全に服従に基づいていました
啓4:2
直ちに、わたしは霊の中にいた.すると見よ、御座が天に据えられていて、その御座に座している方がおられた.
マタイ11:25
その時、イエスは答えて言われた、「父よ、天と地の主よ、あなたをほめたたえます.……」。
「宇宙には二つの大きな原則があります。それは、神の権威とサタンの反逆です。神とサタンとの間の唯一の争いは、権威と関係があります(使徒26:18.コロサイ1:13)。サタンは神の権威に反逆し、また人は神に反逆することによって神の権威を侵しますが、神はこの反逆を継続させません。神は地上にご自身の王国を設立します(啓11:15)。わたしたちは、神の権威に服従し、神の権威を維持するよう、決意する必要があります(マタイ11:25)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが地上で行なったことは何であれ、あらゆることは服従の中にあり、神の権威との完全な協力の中にありました。わたしたちを反逆の罪から救ってください。神の権威に服従し、神の権威を維持することができますように。
召会は服従を通して、神の権威に自由な道を持たせ、神の王国を現わします
あなたはこれまで天使と人の堕落によってどれほど宇宙が影響され、どんなに大きな問題が神にもたらされたかを認識したことがあるでしょうか? 神は彼の被造物がご自分の権威を受け入れることを願われます。しかしながら、これら二種類の被造物はいずれも神の権威を拒絶しました。……それにもかかわらず、…… 神はご自身の権威の体系を維持し、他方において、神はご自身の王国を設立します。サタンは神の権威に反逆し、また人は神に反逆することによって神の権威を日ごとに侵しますが、神はこの反逆を継続させません。神はご自身の王国を設立されます。
主が地上で行なったことは何であれ、完全に服従に基づいていました。……あらゆることは服従の中にあり、神の権威との完全な協力の中にありました。この領域において、主は神の王国を設立し、神の権威を行使されました。今日の召会も服従を通して神の権威に自由な道を持たせ、また神の王国を現わさなければなりません。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り24日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第2日
神の権威に出会った人は、神が立てた代理権威に服従することができます
ヘブル13:17
あなたがたを導く人たちに従い、彼らに服しなさい.なぜなら、彼らは弁明する者として、あなたがたの魂を見守っているからです……
Ⅰペテロ5:5
同じように、若者たちよ、年長者たちに服従しなさい.またあなたがたはみな、互いに謙そんの帯を締めなさい.なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
「神だけが、人に対する直接的な権威です。他のすべての権威は、間接的な権威、すなわち、神によって立てられた代理権威です(ダニエル4:32,34-37)。わたしたちは神の権威に出会うときはじめて、神が立てた代理権威に服従することができます(マタイ28:18.ヘブル13:17.Ⅰペテロ5:5)。神は、わたしたちが神だけに服従することを求めているのではなく、すべての代理権威にも服従することを求めています(ローマ13:1-7.Ⅱコリント10:8.13:10.ヘブル13:17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちが神の権威を認識し、神が立てた代理権威に服従することができますように。わたしたちの生活の中にある代理権威に服して、命の供給にいつもあずかることができますように。わたしたちを導く人たちに従い、服することができますように。
神が立てた代理権威に服従して、霊的な供給にあずかります
わたしたちは他の肢体の機能を受け入れる必要があります。わたしたちは見る機能の権威に服従するとき、かしらと何の壁も持たないでしょう。なぜなら、供給は権威の中にあるからです。賜物を持っている人はだれでも、その務めを持っています。また務めを持っている人はだれでも、権威を持っています。……神の任命した務めは、神の権威です。だれもそれを拒絶すべきではありません。……神はわたしたちに間接的な権威(すなわち代理権威)に服従してもらいたいのです。それは、わたしたちが霊的な供給を受けるためです。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第8編)
宇宙の中で、神だけが人に対する直接的な権威です。神以外のすべての権威は、代理です。両親は子供の権威として神を代行し、夫は妻の権威として神を代行します。公務員は市民の権威として神を代行し、学校の教師、会社の支配人、街頭の警官でさえ、すべて代理権威です。召会の長老も、権威として神を代行します。今日、人が神の直接的な権威に服従することは容易ですが、神が立てた代理権威に服従するのは容易ではありません。この理由は、あなたは代理権威があなたよりも優れていて強いと考えていないからです。……(「長老が召会を管理する」、第1章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り23日
サンクスギビング特別集会 第6週(M6) 第1日
すべての権威は、霊的なもの、地位上のもの、行政上のものであれ、神から出て来ます
啓22:1
また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。
ローマ9:21
それとも陶器師は土くれに対して、同じかたまりから一つを尊い器に、もう一つを卑しい器に、造る権威を持っていないのですか?
「神は最高の権威です。彼はすべての権威を持っています(ローマ9:21-22)。神の権威は、実は神ご自身です。権威は、神ご自身の存在から出て来ます(啓22:1)。すべての権威は、霊的なものであれ、地位上のものであれ、行政上のものであれ、神から出て来ます(Ⅱコリント10:8.13:10.ヨハネ19:10-11.創9:6)。わたしたちは神の権威に触れるとき、神ご自身に触れます(イザヤ6:1-5)。神の権威に出会うことは、神に出会うことと同じです(アモス4:12)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがすべての権威は神から出てくることを知ることができますように。わたしたちの生活の中で権威に触れる経験を持つことができますように。
わたしたちは神の権威に触れるとき、神ご自身に触れます
すべての権威は神からです。なぜなら、あらゆるものが神によって秩序立てられているからです。……神はすべての権威の上におられます。またあらゆる権威は神の下にあります。いったん、わたしたちが神の権威に触れるなら、わたしたちは神ご自身に触れるのです。基本的に、神の働きは力によってではなく、権威によって遂行されます。神はご自身の権威に属する言葉によって、あらゆるものを保持しておられます。被造物は神の権威の言葉を通して生じました。神の言葉は神の権威です。
自分のしもべが病んでいた百人隊長は、自分の下に服従する者たちがいるように、自分の服従すべき権威が上にあることを知っていました。ですから、彼は自分に主が一言語ってくださることだけを必要としました。そうすればその問題は取り扱われると、彼は信じていました。彼は、すべての権威は主の御手の中にあることを知っていました。彼は主の権威を信じていました。こういうわけで、主はこれほど大きな信仰を見たことはないと言われたのです。神の権威に出会うことは、神に出会うことと同じです。(ニー全集、第47巻、「権威と服従」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り21日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第6日
安息日はわたしたちを聖別し、わたしたちをしるしづけます
出31:13-14,16
……あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない.それは……わたしがあなたがたを聖別するエホバであることを、あなたがたが知るためである。……あなたがたは安息日を守らなければならない.それはあなたがたにとって聖なるものだからである。…… その日に仕事をする者はだれでも、民から断たれる。…… それゆえ、イスラエルの子たちは安息日を守り、永遠の契約として、代々にわたって安息日を守らなければならない。
「神の住まいに関するあらゆるものは、わたしたちを一つの事柄に導きます。それは主の安息日と、その安息と憩いです。召会生活の中で、わたしたちは幕屋の中におり、幕屋はわたしたちを安息に導き、神の定められた御旨と彼が行なったことに対する享受に導きます!」
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが主を享受し、主と一になることによって働くとき、自然に聖別されることを感謝します。日々の生活の中で、ささげ物としてのキリストを経験して、安息を持つことを学ばせてください。
幕屋とそのすべての調度品は、わたしたちを安息へと導きます
安息日はわたしたちを聖別し、わたしたちを指定し、わたしたちをしるしづけます。わたしたちは主を享受し、そして彼と共に、彼のために、彼と一になることによって働くとき、自然に聖別されます。わたしたちは聖くなり、俗的なものから分離されます。
出エジプト記第31章14節と15節は……もしだれでも安息日を守らず、しるしを帯びず、聖別されるために契約を尊ばないなら、その人は死に渡されると、はっきり言っています。これは霊的な死を被ることを表徴します。その原則は今日わたしたちの経験に当てはまります。
もしわたしが主との一の中で語らないなら、わたしの語りかけの中で死を被り、神の民から断たれるでしょう。神の民から断たれるとは、交わりから断たれることです。召会生活の中で、わたしたちは多くの事を行なっても、まず主を享受することがなく、また主と共に、主と一になることによって主に仕えることがないかもしれません。そのような奉仕は、霊的な死を被るという結果になります。…… 幕屋とその調度品のすべては神の安息日に導き……神が意図して行なったものを享受することに導きます。これは、幕屋とそのすべての調度品が、わたしたちを安息へと導くことを意味します。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第172編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り20日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第5日
わたしたちが神の民であり、神を必要としていることを示すしるしを帯びる
出31:13
……あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない.それは、あなたがたの代々にわたる、わたしとあなたがたとの間のしるしであって、わたしがあなたがたを聖別するエホバであることを、あなたがたが知るためである。
「わたしたちは召会を建造するという神の神聖な働き(幕屋を建造する働きで予表される)を行なうとき、わたしたちが神の民であり、神を必要としていることを示すしるしを帯びなければなりません。その時わたしたちは、神のために働くだけでなく、神と一になることによって神と共に働くことができます。神はわたしたちの働く力、また労苦する活力となります」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、使徒たちが天のぶどう酒の享受で満たされたように、わたしたちをその霊で満たしてください。そして、神の住まいを建造する働きを、神との一の中で行なうことができますように。
神がわたしたちの享受、力、活力であるというしるしを帯びている
使徒たちの新約の務めは、彼らがペンテコステの日に持った享受と共に始まりました。……その霊が彼らの上に下って来て彼らを満たすまで、主は彼らに待つように告げたということでした。……彼らは主の享受で満たされました。彼らがその霊で満たされたので、他の人は、彼らがぶどう酒に酔っていると思いました。実は、彼らは天のぶどう酒に対する享受で満たされていたのです。彼らはこの享受で満たされた後はじめて、神と共に働き始めました。これが神と共に働く道、神との一の中で働く道です。ペテロが使徒たちと共に立ち上がって福音を宣べ伝え、それによって神のために働いたとき、彼らはみな神の働きの中で神と一でした。
神は幕屋と調度品に関する啓示を与えた後、また神は建造する者たちを選び、彼らについてモーセに命令を与えた後、続けて安息日について再び語られました。神はこう言っておられたかのようです、「わたしの安息日を忘れてはならない。……あなたはわたしの住まいを建造する働きを、わたしと共に、わたしによって、わたしとの一の中で行なわなければならない。……あなたはわたしの民であり、わたしにあなたの享受、力、活力とならせる必要があるというしるしを帯びているべきである。……このように働くことによって、あなたはわたしを尊び、わたしの栄光を現す。これは、あなたがわたしの民であることを示すしるしを帯びることである」。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第172編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り19日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第4日
エホバは天と地を造り、七日目に安息し憩われました
出31:15,17
六日間は仕事をするが、七日目は完全な安息の安息日であり、エホバにとって聖である.安息日に仕事をする者はだれでも、必ず死に渡されなければならない。…… それは、永遠にわたしとイスラエルの子たちとの間のしるしである.それは、六日の間にエホバが天と地を造り、七日目に安息し憩われたからである。
「出エジプト記第31章17節は言います、「六日の間にエホバが天と地を造り、七日目に安息し憩われた」。安息日は神にとって安息であっただけでなく、憩いでもありました。神は彼の創造の働きが完成した後、安息しました。神は人のゆえに憩われました。神がご自身のかたちに霊のある人を創造したのは、人が彼と交わりを持つことができるためでした。ですから、人は神の憩いでした(26節.2:7.参照、ヨハネ4:31-34)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神にとって、第七日は安息と憩いの日であることを感謝します。主よ、わたしたちは神のかたちに霊のある人に創造されたので、神と交わりを持つことができることを感謝します。まず、わたしたちが神と交わり、神で満たされますように。
神のかたちに霊のある人が、神の憩いでした
創世記も出エジプト記も、神は七日目に安息されたと告げています。しかし、出エジプト記第31章17節で、「憩われた」という言葉が加えられています。これは、神でさえ憩う必要があることを啓示します。安息するのは一つの事ですが、憩うのはそれ以上のことです。わたしたちが安息するためには特に何も必要としません。座るか横になるかで十分です。しかし憩うために、わたしたちは食べたり飲んだりするものを必要とします。わたしたちはしばしば、憩うものとして食物や飲み物を指します。ここでの要点は、わたしたちが憩おうとするなら、わたしたちにとって憩うものを必要とするということです。神についても同じです。神はご自身を憩わせるものを必要とされます。……神を憩わせるものは何でしょうか?……
神は何のゆえに憩われたのでしょうか? 神は人のゆえに憩われたのです。人が神の憩いでした。神は人を愛されました。神がご自身のかたちに霊のある人を創造したのは、人が彼と交わりを持つことができるためでした。ですから、人は神の憩いでした。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第172編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り18日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第3日
人は彼の第一日に安息し、それから働き始めました
出31:13
イスラエルの子たちに語って言いなさい、「あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない.それは、あなたがたの代々にわたる、わたしとあなたがたとの間のしるしであって、わたしがあなたがたを聖別するエホバであることを、あなたがたが知るためである」。
創2:2
第七日に、神は行なっていた彼の働きを終えられた.そして第七日に、神は行なっていたすべての働きから安息された。
「幕屋を建造する働きの命令の後に、安息日に関する言葉が挿入されています。これが示すのは、建造する者たち、働く者たちが主のために働くとき、どのように主と共に安息するかを学ぶよう、主が彼らに告げたということです」。
主イエスよ、あなたを愛します。神はわたしたちの享受のために、あらゆるものを備えてくださったことを感謝します。わたしたちに神が完成されたものをまず享受させてください。
人にとってまず安息があり、それから働くということです
創世記によれば、神にとって安息日は第七日ですが、人にとってそれは第一日です。六日のうちに神は天、地、人が存在して神の定められた御旨を完成するのに必要なあらゆるものを創造しました。万物が造られた後、人が第六日に創造されました。これは、人が神の創造する御手から出て来るとすぐ、彼の第一日、すなわち神の第七日が始まろうとしたことを意味します。こうして、神にとって第七日であったものは、人にとって第一日でした。この意義は、神にとって安息日は働きの後の安息であり、人にとってまず安息があり、それから働くということです。神はまず六日間働き、そして第七日に安息されました。しかし人は彼の第一日に安息し、それから働き始めました。……
人は第一日に、神が前の六日間に完成されたものを享受しました。それから続く六日間、人は神と共に働きました。六日の働きの後、人は再び神が完成されたものをまず享受し、そして再び続く六日間働きました。これは循環として進みます。この循環は、わたしたちが神と一であることのしるしです。(「出エジプト記ライフスタディ(8)」、第172編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り17日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第2日
神のエコノミーにおけるあらゆる事は享受です
エペソ4:20-21
しかしあなたがたは、そのようにキリストを学んだのではありません.もしあなたがたが真に彼に聞き、そして彼の中で、イエスにあるあの実際にしたがって教えられているのであれば。
「わたしたちは、わたしたちに対する主のくびき(御父のみこころ)を負い、彼から学ぶなら、わたしたちの魂に安息を見いだします。神のエコノミーのくびきはこのようです。神のエコノミーにおけるあらゆる事は重荷ではなく、享受です」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは心の柔和なへりくだった方であることを感謝します。わたしたちが天然の命によってではなく、復活の中の命としての主によって、主から学び、魂に安息を見いだすことができますように。
主は御父のみこころに完全に服従して、満足していました
マタイによる福音書第11章29節で、主は彼から学ぶようにと告げられました。彼は心の柔和なへりくだった方です。柔和、あるいは温柔であるとは、いかなる反対にも抵抗しないことを意味し、へりくだるとは、自分を高く見ないことを意味します。主はすべての反対の中で柔和であり、すべての拒絶の中で心がへりくだっていました。彼はご自身を御父のみこころに完全に服従させ、ご自身のために何を行なうことも願わず、ご自身のために何かを獲得しようと期待しませんでした。ですから、状況がどうであっても、彼は心の中に安息を持っていました。彼は御父のみこころをもって完全に満足していました。
主は、わたしたちが主のくびきを負い、彼から学ぶなら、魂に安息を見いだすと言われました。主のくびきを負い、彼から学ぶことによってわたしたちが見いだす安息は、わたしたちの魂のためです。それは内側の安息であり、性質において単なる外面的なものではありません。(「マタイによる福音書ライフスタディ(2)」、第31編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り16日
サンクスギビング特別集会 第5週(M5) 第1日
わたしたちに安息を与える方としてのキリスト
マタイ11:28-30
すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす。なぜなら、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
「ここの労苦は、律法の戒めや宗教的規定を守ろうと努力する労苦を指すだけでなく、あらゆる働きにおいて成功しようとして奮闘する労苦も指しています。このように労苦する人はだれでも、常に大きな重荷を負っています」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは全生涯にわたって、御父に服従し、従順であって、その服従と従順の命をわたしたちに与えてくださったことを感謝します。わたも主のくびきを負い、主から学んで、魂に安息を見いだすことができますように。
主のくびきを負うとは、御父のみこころを取ることです。
マタイによる福音書第11章29節と30節に安息する道があります。……主のくびきを負うとは、御父のみこころを取ることです。それは、律法や宗教のどんな義務によって規制されたり支配されたりすることでもなく、または何かの働きによって奴隷にされたりすることでもなく、御父のみこころによって拘束されることです。主はそのような生活をして、御父のみこころ以外の何も顧慮しませんでした(ヨハネ4:34.5:30.6:38)。主はご自身を完全に御父のみこころに服従させました(マタイ26:39,42)。ですから、主はご自身から学ぶようにと、わたしたちに求めています。
神のみこころがわたしたちのくびきです。ですから、わたしたちには自分の好きなことを行なう自由はありません。むしろ、わたしたちはくびきを負わされています。若い人たち、自分は自由で解放されていると思わないでください。主の回復の中で、わたしたちはみなくびきを負わされています。くびきを負わされるのは何と良いことでしょう! 主のくびきは負いやすく、彼の荷は軽いのです。主のくびきは御父のみこころであり、彼の荷は御父のみこころを遂行する働きです。 (「マタイによる福音書ライフスタディ(2)」、第31編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り14日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第6日
新約の最後は、花嫁を持つ者はその霊であることを啓示しています
啓22:17
その霊と花嫁が言う、「来たりませ!」。聞く者も「来たりませ!」と言いなさい。……
7:17
御座の中央にいる小羊が彼らを牧養し、命の水の泉に導いて……くださるからである。……
「啓示録には、神聖な分与のための神聖な三一の究極的な啓示があります(啓22:1-2.7:17前半.21:6後半.ヨハネ4:14後半)。神聖な分与とは、神がご自身を、彼の選ばれ贖われた人々の中へと分け与えて、彼らの命、命の供給、すべてとすることです(Ⅱコリント13:14)。神聖な分与において、御父は源泉であり、御子は泉であり、その霊は流れです」。
主イエスよ、あなたを愛します。神聖な三一の神聖な分与を感謝します。花嫁を持つ者は花婿です。主よ、三一の神の究極的完成であるその霊が、日ごとにわたしたちの中へと分け与えられますように。そして、わたしたちが花婿にふさわしい花嫁へと造り変えられますように。
その霊と花嫁は一組の夫婦として、「来たりませ」と共に言います
啓示録第22章17節前半……は、手順を経た三一の神の総合計であるその霊が、今や完全に円熟して花嫁となった信者たちと一つになられたことを示します。ですから、その霊は手順を経た三一の神の究極的表現であり、花嫁は造り変えられた三部分から成る人の究極的表現です。啓示録第22章17節の時には、手順を経た三一の神(その霊)と、造り変えられた三部分から成る人(花嫁)は一になって、一人の人のように語るでしょう。
手順を経た三一の神の神聖な分与の究極的完成は、宇宙的な結婚となるでしょう(啓19:7-9.21:2、9)。神の贖われた民の中へと分与された、手順を経た三一の神の究極的完成であるその霊は花婿であり、贖われ、再生され、造り変えられた、人性の究極的完成である神の贖われた民は花嫁です。啓示録第22章17節で、その霊と花嫁は一組の夫婦として、「来たりませ」と共に言っています。……これは「花嫁を持つ者は花婿である」(ヨハネ3:29)の究極的完成です。新約の最後は最終的に、花嫁を持つ者はその霊であることを啓示しています。(「新約の結論(11)」、メッセージ179)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り13日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第5日
啓示録の中の三一の神は、建造する神であり、また建造された神です
啓21:10
そして彼はわたしを霊の中で、大きな高い山へ連れて行き、聖なる都エルサレムが、天から出て神から下って来るのをわたしに見せたが。
マタイ16:18
……わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。
「啓示録の中の三一の神は、建造する神であり、また建造された神です(啓21:18-19前半,21)。聖書は新エルサレムにおいて究極的に完成します。新エルサレムは、初めにいた神ご自身です(創1:1.啓21:10)。手順を経て究極的に完成された三一の神は、源、要素、本質として、ご自身をわたしたちの存在の中へと建造することによって、召会を建造しつつあります(17節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、啓示録の中の三一の神は建造する神であり、また建造された神であることのビジョンと経験を与えてください。キリストが信仰を通してわたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように。神と人、人と神がブレンディングされミングリングされて、共に建造される道を歩むことができますように。
建造し建造された神を人に供給します
新エルサレムは、神性と人性が共にブレンディングされミングリングされて、一つの実体となっている構成です。すべての構成要素は同じ命、性質、構成を持っており、こうして団体のパースンです。これは、神が人と成られ、人が神格においてではなく命と性質において神となるという事柄です。この両者、神と人、人と神は、共にブレンディングされミングリングされることによって、共に建造されます。これが神の建造の完了、究極的完成です。わたしたちはみなこのビジョンを見る必要があります。……
わたしたちは一つの事を実行する必要があります。それは、手順を経た三一の神を人の中へと供給して、彼がご自身を彼らの内なる人の中へと建造し込むことです。わたしたちの働きのあらゆる面(福音を宣べ伝えること、信者たちを養うこと、聖徒たちを成就すること)において、内在的な要素は、建造し建造された神を人に供給することでなければなりません。わたしはあなたに、このように働くよう主が教えてくださるように祈ることを促します。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第30編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り12日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第4日
手順を経て究極的に完成された三一の神は、その霊です
ヨハネ7:39
イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受けようとしているその霊について言われたのである.まだイエスの栄光が現されていなかったので、その霊はまだなかったからである。
「手順を経て究極的に完成された三一の神はその霊です(22:17前半.ヨハネ7:39)。手順を経て究極的に完成された三一の神の究極的完成として、その霊は神の新約エコノミーの祝福です(3:14)」。
主イエスよ、あなたを愛します。手順を経て究極的に完成されたその霊を感謝します。神がアブラハムに与えられた祝福が、その霊の約束であり、わたしたち異邦人に及んだことを感謝します。究極的に完成されたその霊を、わたしたちの命、また命の供給として経験し、享受することができますように。
その霊は、神がアブラハムに約束された新約エコノミーの唯一の祝福です
出エジプト記第30章で、膏油が用意され、この膏油は複合の膏油と呼ばれました。なぜならそれは、油が四つの異なる香料と複合されて作られたからです(22-25節)。この複合の膏油は、複合の霊の予表であり、彼は、人性、キリストのすべてを含む死、キリストのすべての力ある復活、キリストの超越する昇天を伴う複合の三一の神です。この複合の霊は、究極的に完成された三一の神です。(「三一の神が三部分から成る人に命となる」、第5章)
アブラハムに前もって福音を宣べ伝えたことに関して、ガラテヤ人への手紙第3章14節は言います、「それは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスの中で異邦人に及ぶためであり、わたしたちが信仰を通して、約束されたその霊を受けるためなのです」。神はアブラハムに福音を宣べ伝えるとき、その霊を約束されました。…… なぜならその霊は、神がアブラハムに約束された新約エコノミーの唯一の祝福であるからです。その霊は、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天という手順を経過した後の三一の神です。三一の神はこの手順を経過して、今や新約の祝福としてのこの究極的に完成された霊です。(「新約の結論(6)」、メッセージ80)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り11日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第3日
キリストは、手順を経た三一の神の中心です
ヨハネ7:39
イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受けようとしているその霊について言われたのである.まだイエスの栄光が現されていなかったので、その霊はまだなかったからである。
「キリストは、手順を経た三一の神の中心です(Ⅱコリント13:14)。「手順を経た」は、三一の神が経過した極めて重要な段階を指しています。肉体と成る前、神は手順を経ておらず、神聖な性質を持っていましたが、人の性質を持っていませんでした。しかし、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天を通して、三一の神は手順を経て究極的に完成されました」。
主イエスよ、あなたを愛します。三一の神が手順を経て命を与える霊と成られたことを感謝します。そして、わたしたちが父と子と聖霊の名の中へとバプテスマされたことを感謝します。三一の神が経過した段階のすべて、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天の要素、成分をわたしたちが生活の中で経験し、享受することができますように。
三一の神は、手順を経て命を与える霊と成られました
三一の神の手順は、新約の中ではっきりと啓示されていますが、この事柄は大部分のクリスチャンに見失われてきました。「手順」や「三一」のような言葉は、聖書の中に見いだされることはできませんが、これらの言葉が記述している事実は、聖書の中にはっきりと啓示されています。……
マタイによる福音書第28章19節で主イエスは弟子たちに、諸国民を「父と子と聖霊の名の中へと」バプテスマするようにと命じられました。この節で、「名」は単数形ですが、一つの名は三つのパースンを指しています。これは、神聖な三一のための一つの名があることを見せています。…… 父、子、霊は、三人の分離したパースンや三人の神ではありません。彼らはひとりの神、一つの実際、一つのパースンです。ですから、父、子、霊は一つの名で示されています。名はパースンを示し、パースンはその実際です。(「三一の神が三部分から成る人に命となる」、第5章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り10日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第2日
すべてを含む、究極的に完成された霊の中へとバプテスマされます
Ⅱコリント13:14
主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。
Ⅰコリント12:13
……わたしたちはユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、みな一つ霊の中で、一つからだの中へとバプテスマされ、みな一つ霊を飲むようにされた……
「わたしたちはキリストにある信者として、手順を経た三一の神の中へとバプテスマされました。三一の神のパースンの中へとバプテスマされることは、手順を経た三一の神の究極的完成である、すべてを含む、究極的に完成された霊の中へとバプテスマされることです。三一の神の御名の中へとバプテスマされることは、三一の神との奥義的な結合の中へと入れられること、また神であるすべてをわたしたちの存在の中へと適用することです」。
主イエスよ、あなたを愛します。主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、わたしたちと共にあることを感謝します。わたしたちが、すべてを含む、究極的に完成された霊の中へとバプテスマされて、三一の神との奥義的な結合の中へと入れられたことを感謝します。神であるすべてをわたしたちの生活の中で適用して、経験することができますように。
バプテスマされて、三一の神との奥義的な結合の中へと入れられます
三一の神、すなわち、父、子、霊は奥義ですが、実は奥義の中の奥義です!……命の事柄に関する多くの事柄は、人の理解の内側にはありません。人はただそれらの一般的な見解を持つことができるだけです。例えば、わたしたちは肉体の命を持っていますが、だれもそれを徹底的に説明することはできません。なぜなら、命は奥義であるからです。
さらに、わたしたちの内側には霊があります。これはさらに奥義的です。人の命とは何でしょうか? また人の霊とは何でしょうか? だれも完全な説明をすることはできません。わたしたちは、人のような比較的小さな奥義を把握することができないのですから、三一の神、すなわち、父、子、霊については言うまでもありません。(リー全集、1970年、第3巻(上)、「三一の神、すなわち、父、子、霊に関して」)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り9日
サンクスギビング特別集会 第4週(M4) 第1日
手順を経た三一の神の中心としてのキリスト
マタイ28:19
だから、行って、すべての諸国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして。
ガラテヤ3:27
なぜなら、キリストの中へとバプテスマされた者はみな、キリストを着たからです。
「神聖な三一の最も明確な啓示は、マタイ第28章19節にあります。「だから、行って、すべての諸国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして」。「名の中へと」は、パースンを示します。バプテスマされることは、父と子と聖霊の名(パースン)の中へと、手順を経た三一の神との有機的な結合の中へとバプテスマされることです」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは復活において命を与える霊と成ったことを感謝します。今やこの霊は三一の神の究極的完成です。わたしたちが父と子と聖霊の名の中へと、手順を経た三一の神との有機的な結合の中へとバプテスマされたことを感謝します。主よ、あなたであるすべて、あなたが持っておられるすべてを享受することができますように。
手順を経た三一の神との有機的な結合の中へとバプテスマされます
[マタイによる福音書第28章19節の]この命令は、主イエスが復活の中へと入った後、彼によって与えられました。復活は三一の神の手順の完成でした。三一の神は、手順を経過されました。この手順は、肉体と成ることをもって開始し、人の生活と十字架を含み、復活をもって完成しました。三一の神の具体化であるキリストは、復活において命を与える霊と成りました。今やこの霊は三一の神の究極的完成であり、信者たちが神聖な三一の中へとバプテスマされるためです。
神聖な三一の最も明確な啓示は、マタイによる福音書第28章19節にあります。一方で、この節は父と子と聖霊について語ります。もう一方で、この節にはただ一つの名、父と子と聖霊の名があるだけです。これが三一の神の手順の完成であり、復活において終わる手順です。この手順が完成した後、復活したキリストは弟子たちに来て、権威をもって出て行って、すべての諸国民を弟子とし、三一の神の御名の中、三一の神のパースンの中へと彼らをバプテスマするように命じられました。それはすべての諸国民が神聖な三一と有機的に結合され、彼らが召会生活のために、三一に対する享受の中へともたらされるためでした。(「新約の結論(6)」、メッセージ96)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り7日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第6日
神の臨在が神の道、「地図」であって、歩むべき道を示します
出33:14
エホバは言われた、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」。
詩27:8
「わたしの顔を尋ね求めよ」とあなたが言われるとき、あなたに向かって、わたしの心は言います、「エホバよ、あなたの御顔を尋ね求めます」。
「わたしたちは良き地の実際としてのすべてを含むキリストに入り、所有し、享受しようとするなら、主の臨在によってそうしなければなりません。主はモーセに約束しました、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」(出33:14)。神の臨在は神の道、すなわち「地図」であって、神の民に彼らが歩むべき道を示します。主の臨在、主の笑顔が支配する原則です」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの臨在がわたしたちと共に行ってくださいますように。あなたの栄光の御顔の笑顔の臨在を失うことがないようにしてください。ただ、主の直接の臨在によって守られ、支配され、管理され、導かれることを学ぶことができますように。
主の臨在によって守られ、支配され、管理され、導かれることを学びます
わたしたちは前進して[良き地の実際としてのキリスト]を所有しようとするなら、主の臨在によってそうしなければなりません。主の臨在がわたしたちと共に行くなら、わたしたちはその地に入って享受することができます。…… 主があなたを助けてくださる限り、それで十分であると決して思ってはなりません。……わたしたちは主の臨在を持たなければなりません。わたしたちはこう祈ることを学ばなければなりません、「主よ、もしあなたがわたしにあなたの臨在を与えてくださらないなら、わたしはここにあなたと共にとどまります。もしあなたの臨在がわたしと共に行かないなら、わたしは行きません。わたしが支配されるのはあなたの助けによってではなく、あなたの臨在によってです」。……
わたしたちは、……日ごとに言わなければなりません、「主よ、あなたの笑顔の臨在だけがわたしを満足させます。わたしはあなたの栄光の御顔の笑顔以外に何も欲しくありません。…… わたしたちはただ主の臨在によって守られ、支配され、管理され、導かれることを学ばなければなりません。わたしたちは主に、彼の直接の臨在以外に何も欲しくないと告げなければなりません。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り6日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第5日
今日、実際の霊はインマヌエルです
ヨハネ14:17
……実際の霊である.世の人はその方を受けることができない.……しかし、あなたがたは彼を知っている.彼はあなたがたと共に住んでおり、またあなたがたの中におられるようになるからである。
「実際的なインマヌエルは、わたしたちの霊の中におられる究極的に完成された三一の神の臨在としての実際の霊です。彼の臨在は、わたしたちの霊の中で、日ごとにわたしたちと共にあるだけでなく、瞬間ごとに常にわたしたちと共にあります(ヨハネ1:14.14:16-20.Ⅰコリント15:45後半.Ⅱテモテ4:22)。今日わたしたちの霊は、インマヌエルの地です(イザヤ8:7-8)」。
主イエスよ、あなたを愛します。今日、実際の霊がインマヌエルであることを感謝します。主イエスがインマヌエルでもあるという認識と感覚を持たせてください。わたしたちが自分自身の中で、自分自身によって何も言ったり、行なったりしないで、インマヌエルである主を経験することができますように。
インマヌエルの経験は、彼の神聖な臨在の中にいることです
今日、実際の霊はインマヌエルです。使徒行伝と書簡において、実際の霊は、わたしたちの霊の中の究極的に完成された三一の神の臨在そのものです。……三一の神は、わたしたちの外側では、ご自身をわたしたちの存在の中へと分与するという彼の意図を完成することはできません。……ですから、彼がわたしたちと共におられることは、内側のものでなければなりません。キリストと共に生きるために、わたしたちは彼の神聖な臨在の中にいる必要があります(ガラテヤ5:25前半)。……
[わたしたち]と共におられる別の方としてのインマヌエルと共に歩き、生き、語り、事を行なうクリスチャンはほとんどいません。わたしたちはインマヌエルの教理を持っていますが、インマヌエルの経験をほとんど持っていません。わたしたちはインマヌエルの経験をさらに多く持つなら、うわさ話などの、わたしたちが今日行なう事柄の多くを行なわないでしょう。……主の臨在はわたしたちの生活を変えます。わたしたちはみな、わたしたちの救い主である主イエスがインマヌエルでもあるという認識と感覚を持たなければなりません。(「三一の神が三部分から成る人に命となる」、第9章、[英文])
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り5日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第4日
インマヌエルは、人によって呼ばれた王・救い主の御名でした
マタイ1:23
「見よ、処女が身ごもって男の子を産む.人々は彼の名をインマヌエルと呼ぶ」(インマヌエルは、神われらと共にいますと訳される)。
マタイ18:20
二人または三人がわたしの名の中へと集められている所には、わたしがその中にいるからである。
「イエスは神によって与えられた王・救い主の御名でした。インマヌエルは人によって呼ばれた王・救い主の御名でした(23節)。マタイによる福音書はインマヌエル、すなわち、肉体と成ってわたしたちと共にいます神についての書です(21-23節)。実際上、新約全体の内容は、インマヌエルです(マタイ1:23.18:20.28:20.啓21:3)。キリストにあるすべての信者は、キリストの肢体として、この大いなるインマヌエルである団体のキリストの一部分です(Ⅰコリント12:12.コロサイ3:10-11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。インマヌエル、神われらと共にいます方を賛美します。主よ、わたしたちがイエスの御名の中へと集められるとき、主はわたしたちと共におられることを感謝します。主イエスの御名を呼び求めて、イエスの臨在の実際を経験し、享受することができますように。
実際上、新約全体の内容は、インマヌエルです
インマヌエルは、ある程度の経験を持った人たちによって呼ばれた名でした。あなたはイエスについていくらかの経験を持つときはいつでも、彼はあなたと共にいます神であると言うことができるでしょう。イエスは、わたしたちと共にいます神以外の何ものでもありません。これはわたしたちの経験です。神は、彼の御名はイエスであると告げられました。しかし、わたしたちは彼を受け入れ、彼を経験するとき、イエスはわたしたちと共にいます神であると言います。これはすばらしいのです。……
わたしたちはその霊とイエスの臨在とを決して分離することはできません。その霊はイエスの臨在の実際です(ヨハネ14:16-20)。この臨在がインマヌエル、わたしたちと共にいます神です。イエスの御名を呼び求めるとき、わたしたちはその霊を受けます。その霊はイエスのパースン、実際、実現です。(「マタイによる福音書ライフスタディ(1)」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り4日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第3日
イエスの御名は、わたしたちがその中で祈るためのものです
啓3:8
… わたしはあなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた.なぜなら、あなたは少しばかりの力を持っていて、わたしの言を守り、わたしの名を否まなかったからである。
「イエスの御名は、わたしたちがその中で祈るためのものです(ヨハネ14:13-14.15:16.16:24)。イエスの御名は、わたしたちがその中へと集められるためのものです(マタイ18:20)。イエスの御名は、わたしたちが大胆に語るためのものです(9:27)。主イエスがヒラデルヒヤの勝利者たちを称賛したのは、彼らが彼の御名を否まなかったからです(啓3:8)回復された召会は、主イエス・キリスト以外のすべての名を捨てて、絶対的に主に属しました」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちはイエスの御名の中で祈ります。また、主の御名の中へと集められていることを感謝します。主よ、わたしたちがヒラデルヒヤの聖徒たちのように、主の言を守り、主イエスの御名を否むことがなく、主の甘い名、豊かな名、力ある名、救う名、いやす名、慰める名、有効な名を絶えず呼び求めることができますように。
ヒラデルヒヤの勝利者たちは、主の御名を否みませんでした
わたしたちは……イエスの御名の中で祈ることができます(ヨハネ14:13-14.15:16.16:24)。これはわたしたちが長い祈りをして、「イエスの御名の中で」という言葉で結ぶことを意味するのではありません。それはあまりにも形式的です。しかしながら、わたしはこれに反対しません。なぜなら、わたしはこれを何度も行なったからです。むしろ、わたしたちの祈りにおいて、イエスの御名を呼び求め、「おお、イエスよ! イエスよ! わたしは来て祈ります!」と言うことは良いと、わたしは言いたいのです。……
主イエスは彼の御名の中で祈るようにと告げた後、続けて、その霊が来てわたしたちの中に住まわれると告げられました(ヨハネ14:13-17)。これは内住する霊が、主イエスの御名の中でのわたしたちの祈りと大いに関係があることを示しています。イエスの御名の中で祈るために、わたしたちはその霊を必要とします。わたしたちがその霊の中にいるとき、イエスの御名の実際の中におり、その御名の中でわたしたちは祈ります。(「マタイによる福音書ライフスタディ(1)」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り3日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第2日
主の御名を呼び求める者は、すべて救われる
ローマ10:12-13
ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません.同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです.なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。
「イエスの御名は、あらゆる名にまさります(ピリピ2:9-10)。イエスの御名は、わたしたちがその中へと信じるためのものです(ヨハネ1:12)。イエスの御名は、わたしたちがその中へとバプテスマされるためのものです(使徒8:16.19:5)。イエスの御名は、わたしたちが救われるためのものです(使徒4:12)。イエスの御名は、わたしたちが呼び求めるためのものです(ローマ10:13.Ⅰコリント1:2.使徒9:14.創4:26)」。
主イエスよ、あなたを愛します。あらゆる名にまさるイエスの御名を感謝します。わたしたちはみなイエスの御名を信じて、バプテスマされました。今、召会生活の中で主イエスの御名を呼んで、わたしたちの内側がいやされつつあることを感謝します。さらに、わたしたちがイエスの御名を呼び求めて、主の豊かな慈愛にあずかることができますように。
イエスの御名は、わたしたちがその中へと信じるためのものです
イエスの御名は、あらゆる名にまさります(ピリピ2:9-10)。いかなる名も、イエスの御名ほど高く、また上げられていません。あなたはイエスを憎んでも愛しても、彼のためであっても彼に逆らっても、イエスの御名が特別な名であることを認識します。……わたしの負担は、この高く上げられたイエスの御名が、わたしたちが多くの事を行なうためであることを、指摘することです。
まず、イエスの御名はわたしたちがその中へと信じるためのものです(ヨハネ1:12)。わたしたちはみなイエスの御名を信じなければなりません。……わたしたちは福音を宣べ伝えるとき、人々が祈るのを助けるだけでなく、イエスの御名を信じると、全宇宙に向かって宣言するのを助けるべきです。罪人が来て主イエスを信じるときはいつも、「今日わたしはイエスの御名を信じます!」と宣言しなければなりません。これは重大な違いを生じます。(「マタイによる福音書ライフスタディ(1)」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り2日
サンクスギビング特別集会 第3週(M3) 第1日
「イエス」は、「エホバ救い主」、あるいは「エホバの救い」を意味します
マタイ1:21 彼女は男の子を産みます.あなたは彼の名をイエスと呼びなさい.彼は自分の民を、彼らの罪から救うからです。
出3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、『わたしはある』である」。また彼は言われた、「イスラエルの子たちにこう言いなさい、『「わたしはある」が、わたしをあなたがたに遣わされた』」。
「イエス」は、ヘブル語の名前「ヨシュア」と等しいギリシャ語です。それは「エホバ救い主」、あるいは「エホバの救い」を意味します。また、イエスという名には、エホバという名が含まれています。エホバは、「わたしは『わたしはある』である」を意味し、それはエホバが自ら存在し、永遠に存在する永遠の方、過去おられ、現在おられ、将来、永遠にわたっておられる方であることを示します(出3:14.啓1:4)。
主イエスよ、あなたを愛します。イエスは、わたしたちの救い主となられるエホバであることを感謝します。主よ、わたしたちは信仰の霊を活用して、「神はある」ことを信じます。いつも神に進み出て、神を熱心に尋ね求めることができますように。
イエスという御名はエホバという御名を含み、「わたしはある」です
イエスは神によって与えられた御名ですが、インマヌエルは人によって呼ばれた御名でした。御使いガブリエルはマリアに、彼女が身ごもる子はイエスと呼ばれると言いました(ルカ1:31)。……このゆえに、イエスは神が与えられた御名でした。
イエスという御名はエホバという御名を含みます。ヘブル語で、神という御名は「大能者」、全能の神を意味し、エホバという御名は「わたしはある」、すなわち「わたしは、『わたしはある』である」を意味します(出3:14)。ヘブル語の「ある」という動詞は現在を指しているだけでなく、過去と未来も含んでいます。
このゆえに、エホバの正しい意味は、「わたしは、『わたしはある』である」、すなわち、今現在おられ、過去におられ、将来、永遠にわたっておられる方です。……神だけが永遠の方です。永遠の過去から永遠の未来まで、彼は「わたしはある」です。ですから、主イエスはご自身について、「アブラハムが存在する以前に、『わたしはある』」(ヨハネ8:58)と言うことができました。……わたしたちはイエスが大いなる「わたしはある」であることを知り、彼を大いなる「わたしはある」方として信じなければなりません。(「マタイによる福音書ライフスタディ(1)」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)