ローマ人への手紙第5章から第8章――聖書の核心
7月の祈り19日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1 第6日)
パウロの四回目の務めの行程は、逆境の中でキリストを大きく表現する生活でした
ピリピ1:19-21
というのは、あなたがたの祈り求めることと、イエス・キリストの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.そこで、わたしの切なる期待と希望は、わたしがどんな事にも恥じることなく、かえっていつものように、あらゆる事で大胆になって、生きるにも死ぬにも、今なおキリストが、わたしの体において大きく表現されることです。なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であるからです。
「パウロの四回目の務めの行程は(使徒第27章―第28章)、特別な方法で彼の生活、すなわち彼がキリストを生き、キリストを大きく表現し、キリストの中でいっさいの事柄を行ない、キリストを追い求めて、キリストの中に見いだされるという生活を見せています(ピリピ1:19-21前半.3:8-9,14.4:13)」。
主イエスよ、あなたを愛します。兄弟姉妹の祈りと、イエス・キリストの霊の満ちあふれる供給を感謝します。パウロのように、わたしたちも十字架につけられ、復活し、高く上げられたキリストを追い求めて、生ける証し人となることができますように。
パウロは監禁された航海の間中、すばらしい、卓越した、奥義的な神・人でした
嵐の海で、主はすでに使徒を、同船の仲間たちを所有する者としただけでなく……彼らの命を保証する者、彼らを慰める者ともされました(使徒27:22-25)。……使徒の長い、不幸な、監禁された航海の間中、主は使徒を主の超越性の中に保ち、思い煩いの領域をはるかに超えた生活をすることができるようにされました。この生活は、完全に威厳があり、最高水準の人性の美徳を伴っており、最も卓越した神聖な属性を表現しました。それは、何年も前に、主ご自身が地上で生きられたような生活でした。
これは、神性によって豊かにされた人性の中で、再び地上で生きられたイエスでした! これは、すばらしい、卓越した、奥義的な神・人であり、彼は福音書の中で生き、彼の多くの肢体の一人を通して、使徒行伝の中で生き続けられました! これが、肉体と成り、十字架につけられ、復活し、神が高く上げたキリストの生ける証し人でした! パウロはその航海中、キリストを生きて、大きく表現しました。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第71編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り18日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1 第5日)
パウロはキリストを生きてキリストを大きく表現し、キリストの継続となりました
ピリピ3:9
そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、
「使徒パウロは、すべての信者(キリストのからだの肢体)の模範として、キリストを生きてキリストを大きく表現し、キリストの継続となりました(ピリピ1:19-21前半.使徒9:4-5,15.26:18-19.Ⅰテモテ1:16)。パウロはキリストの弟子であり、キリストを見て、キリストに聞き、イエスにあるあの実際にしたがってキリストを学びました(使徒9:1-19,25-27.22:14-15.エペソ4:20-21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。「イエスの霊」の中には苦難を受ける命、苦難を受ける力があることを感謝します。パウロがキリストを生きて、キリストを大きく表現し、キリストの継続となったように、わたしたちも召会生活の中でキリストを追い求めて、彼の中に見いだされることを願います。
パウロの生活は、キリストを生き、キリストを大きく表現する生活でした
使徒行伝[第27章と第28章]の絵は……パウロの生活、振る舞い、性格を見せています。わたしたちは、パウロがその状況に超越していることを見ます。わたしたちはまた、彼の人の生活の知恵と威厳を見ます。疑いもなく、パウロの生活は、キリストを生き、キリストを大きく表現する生活でした。この部分を注意深く読むなら、パウロがピリピ人への手紙第3章で生きることを切望したその生活を、ここでしていたことを見るでしょう。あの章でパウロは、キリストを追い求めて、彼の中に見いだされようとしたと言っています(9、12節)。
使徒行伝第27章と第28章を読むとき、わたしはパウロをキリストの中に見いだします。荒れた困難な航海を通して、パウロは超越性と威厳と知恵に満ちた生活をしました。彼は囚人でしたが、王のように振る舞いました。……あらゆる環境の中で、パウロは超越した生活をしました。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第70編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り17日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1 第4日)
わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる
マタイ16:18
そこでわたしもあなたに言う.あなたはペテロである.わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。
エペソ4:13
ついにわたしたちすべては、その信仰の一に、また神の御子を知る全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し、キリストの豊満の身の丈の度量にまで到達するのです。
「これらの旧約の預言は、キリストの継続に関する聖書の最大の預言において頂点に達します。マタイ第16章18節で主イエスは言われました、「わたしは……わたしの召会を建てる」。今日でさえ、この預言は依然として成就されていないままです。この預言はまた、キリストの花嫁の用意が整えられることとして見られます。今日それは依然として成就されていません(啓19:7-9.エペソ5:25-27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。「わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる」と言われた預言を感謝します。主が預言されたことは必ず成就されます。ですから、召会は完全に建造されつつあります。キリストの花嫁の用意が整えられて、早い日に主の預言が成就されますように。
召会の建造に関する主の預言の成就は、彼の再来をもたらします
おそらく、弟子たちのだれも、ペテロを含めて、宇宙にそのようなものがあるのを認識したことはなかったでしょう。突然、主イエスはペテロに、「わたしは……わたしの召会を建てる」と告げられました。……これは召会に関する大きな預言でした。そして、それは今もなお大きな預言です。これは、主がこの言葉を語られてから二十世紀近くが過ぎたのですが、わたしたちは召会が完全に建造されているのをまだ見ることができないからです。
マタイによる福音書第16章18節のこの預言の成就は完全に実現されていないので、今日でさえ、この預言はまだ成就されないままです。…… 召会の建造に関する主の預言の成就は、彼の再来をもたらします。今や主が彼の預言を成就される時です。(リー全集、1972年、第3巻(下)、「聖書の中の最大の預言とその成就」、第1編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り16日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1 第3日)
キリストの出て行くこと、彼の現れは、継続的な事柄です
ミカ5:2
……彼の出て行くことは太古から、永遠の日々からである。
イザヤ53:10-11
……彼は……彼の種を見る.また彼の日々を延ばす.……彼は自分の魂の産みの苦しみの実を見て……
「ミカ書第5章2節は、ベツレヘムにおいてキリストが肉体と成ることに関して預言しています、『彼の出て行くことは太古から、永遠の日々からである』。キリストの出て行くこと、彼の現れは、継続的な事柄です。肉体と成った時、彼の出て来ることが始まりました。肉体と成った後、彼は以下のことを経過して継続して出て行きました。それは、人の生活、死、復活、昇天、究極的に完成された霊(すなわち、キリストご自身の実際)の注ぎ出し、福音の宣べ伝えを通して彼が人の住む全地に拡大することです。これらすべては、キリストの出て行くことの重要な段階です」。
主イエスよ、あなたを愛します。今日、主はわたしたち信者たちの中に生きることによって、彼の日々を延ばしておられることを感謝します。福音の宣べ伝えを通して、主が人の住む全地に拡大されますように。
今日キリストは、信者たちの中に生きることによって、彼の日々を延ばしています
太古から、永遠の日々から、三一の神は準備しており、永遠の中から出て来て、時間の中へと入りました。肉体と成った時、彼の出て来ることが始まりました。……彼は以下のことを経過して継続して出て行きました。それは、人の生活、死、復活、昇天、究極的に完成された霊(すなわち、キリストご自身の実際)の注ぎ出し、福音の宣べ伝えを通して彼が人の住む全地に拡大することです。……キリストの出て行くことは……彼が勝利者、すなわち勇士たち(ヨエル3:11)と共に戻って来て、反キリストを打ち破り、彼を火の池の中へと投げ込む(啓19:19-20)とき、すなわちサタンがアビスの中へと投げ込まれ(啓20:2-3)、キリストが彼の座を設けて王として支配する……とき、究極的に完成します。その時、彼の現れは完全になります。(ミカ5:2、フットノート1)
今日キリストは、彼の信者たちの中に生きることによって、彼の日々を延ばしています(ガラテヤ2:20.参照、使徒28:9のフットノート1)。彼のからだとしての彼の信者たちは、彼の延長です。(イザヤ53:10、フットノート3)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り15日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1 第2日)
キリストの増し加わりのために、神の言葉は成長し、増殖しつつあります
ローマ12:5
わたしたちも数は多いのですが、キリストの中で一つからだであり、そして各自は互いに肢体なのです。
Ⅰコリント12:12
それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべての肢体が多くあっても一つの体であるように、キリストも同様だからです。
「キリストの増し加わりのために、神の言葉は依然として成長し、増殖しつつあります(6:7.12:24.19:20)。使徒第6章7節の「成長し」は命の成長を指しており、神の言葉が命の事柄であって、人の心の中へとまかれた種として成長し、わたしたちの内側でキリストを増殖させ、神を増し加えるためです(マルコ4:14.コロサイ2:19)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 わたしたちは数は多いのですが、キリストの中で一つからだであることを感謝します。 神の言葉がわたしたちの心の中へとまかれた種として成長し、わたしたちの内側でキリストを増殖させ、神の団体的な証しの器となることができますように。
からだの生活をするためには、天然の命を否み、従順を学びます
神が求めておられる器は団体的なものです。ですから、わたしたちはからだの生活をすることを学ぶ必要があります。からだの生活をするためには天然の命を否み、神によって深い方法で取り扱われ、裁かれなければなりません。そして従順を学び、また交わることを学ぶ必要があります。(ニー全集、第37巻、第20編、「使徒行伝の継続」)
[使徒行伝は]実は終わっていません。むしろ、それはさらに加えられる余地を残しています。これは、聖霊がキリストの信者たちを通してキリストを宣べ伝え、彼を増殖させ、繁殖させ、拡大させる働きが、まだ完成しておらず、長い期間にわたって継続する必要があったからであるに違いありません。そのようにキリストを増し加え、増殖させ、拡大させる福音の働きは、神の新約エコノミーにしたがっており、神のために多くの子たちを生み出すことです(ローマ8:29)。それは、彼らがキリストの肢体となって彼のからだを構成し(12:5)、神の永遠のご計画を遂行し、彼の永遠のみこころを成就するためです。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第2版、第71編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り14日
(国際長老責任者訓練 メッセージ1)
使徒行伝は神の働きの記録であり、今も継続しています
使徒28:31
大胆に、妨げられることなく、神の王国を宣べ伝え、主イエス・キリストについての事柄を教え続けた。
ヨハネ5:17
イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる.だから、わたしも働いているのである」。
「使徒行伝の継続は、キリストの継続であり、キリストのからだの実際である成就された神・人の団体的な生活です(使徒28:31)。使徒行伝は神の働きの記録です。使徒第28章以後、神の多くの器がなおも彼の働きを遂行しています。神の働きは継続していて、止まったことがありません」。
主イエスよ、あなたを愛します。神は働いておられ、主も働いておられることを感謝します。神の働きは前進して王国に至り、さらには新しい天と新しい地に至ります。わたしたちも今日、召会生活の中で、キリストのからだの実際である神・人の団体的な生活を継続することができますように。
使徒行伝の継続は、キリストの継続であり、神・人の団体的な生活です
使徒行伝第28章を読むと、あなたはこの書がまだ終わっていないと感じるでしょう。この書には終わりがありません。使徒行伝は終わりのない書です。なぜなら、この書はまだ継続しているからです。一世紀の使徒たちの使徒行伝は終わったかもしれませんが、全体として使徒行伝はまだ終わっていません。今日に至るまで、わたしたちは使徒行伝を持っていますが、使徒行伝はまだ終わっていないのです。
主は言われました、「わたしの父は今に至るまで働いておられる.だから、わたしも働いているのである」(ヨハネ5:17)。これが見せているのは、サタンの反逆と人の堕落以来、神は今に至るまで働いておられ、主も働いておられるということです。使徒行伝とは何でしょうか? 使徒行伝はパウロの働きの記録ではありません。またペテロやヨハネの働きの記録でもありません。使徒行伝は神の働きの記録です。使徒行伝第28章以後、神は働かれなかったとだれが言えるでしょうか?(ニー全集、第37巻、第20編、「使徒行伝の継続」)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り12日
(国際華語特別集会 第5週第6日)
復活の霊により、わたしたちの霊は命であり、わたしたちの思いも命です
ローマ8:11
……イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます。
「この節には三一の神全体があります。それは「イエスを死人の中から復活させた方」、「キリスト」、「あなたがたの中に住んでいる彼の霊」です」。
主イエスよ、あなたを愛します。 イエスを死人の中から復活させた方の霊が、わたしたちの中に住んでいることを感謝します。主よ、あなたの神聖な命の分与がわたしたちの全存在にまで到達しますように。死ぬべき体にも命が与えられて、神のみこころを行なうことができますように。
彼の霊を通して、わたしたちの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます
ローマ人への手紙第8章11節には、三つの事柄があります。第一に、三一の神全体があります。それは、イエスを死人の中から復活させた方、キリスト・イエス、あなたがたの中に住んでいる彼の霊です。第二に、彼の分与のために必要とされる手順があります。それは、「イエス」(肉体と成ることを強調する)、「キリスト」(十字架と復活を強調する)、「復活させた」(復活を強調する)という言葉において暗示されています。第三に、彼がご自身を信者たちの中へと分与することがあります。それは、「あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます」という語句によって示されているように、分与がわたしたちの存在の中心で起こるだけではなく、円周まで、すなわち、わたしたちの全存在にまで到達することを示しています。
「あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます」という語句が示しているのは、神聖ないやしではなく、わたしたちが神の霊にわたしたちの中にご自身のホームを造っていただき、神聖な命をもってわたしたちの全存在に浸透していただいた結果です(エペソ3:16-19)。こうして、彼はご自身の命をわたしたちの死ぬべき、死につつある体に与えて、それをいやすだけでなく、それを生かして、ご自身のみこころを遂行させます。(「新約の結論(18)」、メッセージ302)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り11日
(国際華語特別集会 第5週第5日)
再生された人の霊は、義のゆえに命です
ローマ8:10
……体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに命です。
ローマ5:18
こういうわけで、一度の違犯を通してすべての人に罪定めが及んだように、一度の義なる行為を通して、すべての人に命の義認がもたらされたのです。
「人の堕落を通して、罪が死をもたらし、人の体に入り、それを神の事柄において死なせ、無力にしました。このゆえに、わたしたちの体は依然として死んでいます。ローマ第8章10節の霊は、再生された人の霊であり、堕落した人の体と対照的です。霊が義のゆえに命であることは、わたしたちの人の霊を指しているのであって、神の霊を指しているのではありません。わたしたちの霊は再生されているだけでなく、生かされており、命となっています。わたしたちがキリストを信じたとき、彼は神聖な命の霊としてわたしたちの霊の中へと入って来て、ご自身をわたしたちの霊とミングリングしました」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の霊はわたしたちの霊の中へと入って来て、ご自身をわたしたちの霊とミングリングしてくださったことを感謝します。今、わたしたちの霊は再生されているだけでなく、生かされており、命となっています。日々、霊を活用して神聖な性質がわたしたちの内側へと造り込まれますように。
わたしたちの霊は再生されて、生かされており、命となっています
人の堕落を通して、罪が死をもたらし、人の体に入り、それを神の事柄において死なせ、無力にしました。神は肉体において罪を罪定めされましたが(ローマ8:3)、この罪は、人の堕落した体から引き抜かれたり、根絶されたりしませんでした。このゆえに、わたしたちの体は依然として死んでいます。(ローマ8:10、フットノート4)
わたしたちの霊は再生されているだけでなく、生かされており、命となっています。わたしたちがキリストを信じたとき、彼は神聖な命の霊としてわたしたちの霊の中へと入って来て、ご自身をわたしたちの霊とミングリングしました。それによって、二つの霊は一つ霊となりました(Ⅰコリント6:17)。今やわたしたちの霊は、生きているだけでなく、命でもあります。(ローマ8:10、フットノート6)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り10日
(国際華語特別集会 第5週第4日)
キリストがあなたがたの中におられるなら、霊は義のゆえに命です
ローマ8:10-11
しかし、キリストがあなたがたの中におられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに命です。そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます。
「キリストがあなたがたの中におられる」は、ローマ人への手紙における極めて重要な点です。第3章で、キリストは十字架におられ、ご自身の血を流して、わたしたちを贖いました。第4章で、キリストは復活の中にあります。第6章で、わたしたちはキリストの中にいます。第8章で、キリストはわたしたちの中のその霊です。わたしたちが主を信じる前、内側のわたしたちの霊は死んでおり、外側のわたしたちの体は生きていました。今やわたしたちの中にはキリストがおられるので、外側のわたしたちの体は罪のゆえに死んでいますが、内側のわたしたちの霊は義のゆえに命です」。
主イエスよ、あなたを愛します。イエスを死人の中から復活させた方の霊が、わたしたちの中に住んでいることを感謝します。キリストはわたしたちの中のその霊です。今日、わたしたちの中に内住する方として、その霊を経験し、享受することができますように。
わたしたちが主を経験することでは、主はその霊です
ローマ人への手紙第8章10節は、キリストの霊がわたしたちの中のキリストであり、わたしたちの霊を命とすることを啓示しています。… この節ではその霊が述べられていません。なぜなら、ここでの強調は、キリストが今日、その霊であり、キリストの霊とはわたしたちの中におられるキリストであるということにあるからです。事実によれば、それはキリストです。経験によれば、それはその霊です。
わたしたちが彼を経験することでは、彼はその霊です。わたしたちが彼を礼拝し、彼を呼び求め、彼について語ることでは、彼はキリストです。わたしたちは、彼をわたしたちの救い主また贖い主として受け入れますが、彼はその霊としてわたしたちの中へと入られます。… わたしたちの中に住んでおられるのは二者ではなく、二つの面におけるひとりの住まわれる方です。「キリストがあなたがたの中におられる…」は、ローマ人への手紙の極めて重要な点です。… 今や第8章で、キリストはわたしたちの中のその霊です。(「新約の結論(18)」、メッセージ302)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り9日
(国際華語特別集会 第5週第3日)
主はわたしたちの霊の中におられ、わたしたちと一つ霊です
Ⅱコリント3:17
そして主はその霊です.そして主の霊のあるところには、自由があります。
Ⅱテモテ4:22
主があなたの霊と共におられますように。恵みがあなたと共にありますように。
「もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません」(ローマ8:9後半)。このことは、わたしたちがキリストのものであることが彼の霊にかかっていることを示しています。もしキリストの霊がないなら、あるいはもしキリストがその霊でないなら、わたしたちがキリストに結合されてキリストに属することはできません。しかしながら、キリストはその霊であり(Ⅱコリント3:17)、彼はわたしたちの霊の中におられ(Ⅱテモテ4:22)、わたしたちと一つ霊です(Ⅰコリント6:17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主は命を与える霊であり、主がわたしたちの霊と共におられることを感謝します。主に結合される者は、主と一つ霊になります。わたしたちとキリストとの有機的な結合の中で、主が何であるかを経験し、享受することができますように。
キリストの霊は、わたしたちが経験し享受することのできるキリストご自身です
ローマ人への手紙第8章9節から11節は、キリストを、キリストの霊として提示しています。キリストの霊は、わたしたちが経験し享受することのできるキリストご自身です。もし、キリストが死と復活の後、その霊と成らなかったなら、彼はわたしたちによって経験されることはできませんでした。もしキリストがその霊でなければ、彼は決してわたしたちの中へと入ることはできません。肉体にあるキリストがわたしたちの中へと入ることは不可能です。その霊としてのみ、彼はわたしたちの中へと入ることができます。……
キリストはその霊であり(Ⅱコリント3:17)、彼はわたしたちの霊の中におられ、わたしたちと一つ霊です(Ⅱテモテ4:22)。ですから、コリント人への第一の手紙第6章17節は言います、「主に結合される者は、主と一つ霊になります」。この節が啓示していることは、主、復活したキリストがその霊であるということだけではなく、主に結合された信者も霊であるということです。わたしたちとキリストとの有機的な結合の中で、彼が何であるかは、わたしたちもそうであるのです。(「新約の結論(18)」、メッセージ302)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り8日
(国際華語特別集会 第5週第2日)
三一の神の霊にわたしたちの中でご自身のホームを造っていただきます
ローマ8:9-10
しかし、確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは肉の中にいるのではなく、霊の中にいるのです。もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません。しかし、キリストがあなたがたの中におられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに命です。
「わたしたちが三一の神の霊にわたしたちの中でご自身のホームを造っていただくなら、わたしたちの経験においてわたしたちは霊の中におり、もはや肉の中にはいません。わたしたちがそのようであるなら、三一の神はその霊としてわたしたちの霊から(8:10)、わたしたちの思い(6節)によって代表されるわたしたちの魂の中へと拡大し、最終的に彼はわたしたちの死ぬべき体にさえ命を与えます(11節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の霊がわたしたちの中に住んでいることを感謝します。ですから、わたしたちは肉の中にいるのではなく、霊の中にいるのです。主よ、わたしたちの心の中に、ご自身のホームを造って定住してくださいますように。そして、わたしたちの魂の中にも、体にまでも拡大してくださいますように。
三一の神の霊に、わたしたちの中にご自身のホームを造っていただく必要があります
ローマ人への手紙第8章9節は、内住する霊に関して語っています、「確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは肉の中にいるのではなく、霊の中にいるのです」。「住む(dwells)」と訳されたギリシャ語は、「住む(abide)」(ヨハネ15:4)と同じギリシャ語ではありません。それは「家」という言葉と同じ語根を持っており、「居住する(resides)」あるいは「ホームを造る」と訳してもよいでしょう。それは、ある場所に一時的にとどまるという思想ではなく、ある場所に自分のホームを造る、そこに定住するという思想を伝達します。わたしたちは三一の神の霊に、わたしたちの中にご自身のホームを造っていただく必要があります。それはわたしたちが経験において、肉の中にいるのではなく、霊の中にいるためです。……
神の霊はわたしたちの中におられますが、もしわたしたちがわたしたちの中にご自身のホームを造る自由を彼に与えないなら、主はわたしたちの中に住むことができません。神の霊がわたしたちの中にご自身のホームを造ることができ、十分な余地をもってわたしたちの中に定住することができるなら、わたしたちは経験において霊の中にいるでしょう。(リー全集、1982年、第1巻(上)、「アナハイムにおけるさまざまなメッセージ」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り7日
(国際華語特別集会 第5週第1日)
ローマ人への手紙第8章は、神の啓示全体の焦点です
ローマ8:2
なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。
ローマ8:6
肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。
「ローマ第8章は全聖書の焦点また宇宙の中心であると考えられます。こういうわけで、わたしたちはローマ第8章を経験しているなら、宇宙の中心にいるのです。ローマ第8章は教理的な章ではなく、経験的な章です。それはクリスチャン生活の経験における三一について語っています。そして、ローマ第8章は、信者たちの生活のために、命の霊の法則としての手順を経た三一の神が神聖な命を信者たちに与えることを啓示しています(ローマ8:2,6,10-11,26-29)」。
主イエスよ、あなたを愛します。命の霊の法則がキリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したことを感謝します。わたしたちのクリスチャン生活において、思いを内住する命を与える霊に付けて、命と平安を経験することができますように。
パウロの書簡は、神聖な啓示を完成します
ローマ人への手紙第8章は、全聖書の焦点であると考えられるでしょう。聖書は創世記において神が、彼の永遠のご計画にしたがって天と地を創造したことを啓示することによって始まります。それは人が存在して、神の永遠の定められた御旨と願いを成就することができるためでした。神の永遠の定められた御旨と願いは、ご自身を命の供給として彼の選ばれた人々の中へと分け与えることであり、それは彼らが彼の表現となることができるためでした。……
聖書はこの団体的な表現をもって啓示録で完結しています。啓示録第21章と第22章は、旧約と新約の両方からの神の贖われた人々の構成体としての新エルサレムを描写しています(21:12,14)。この構成体は、内容としての三一の神と、表現としての神の選ばれた人々をもって建造されています。こうして、新エルサレムは神の永遠の定められた御旨を成就します。聖書のこれらの両端の間に、パウロの書簡があります。それは神聖な啓示を完成します。……ローマ人への手紙第8章は神の啓示全体の焦点です。(リー全集、1982年、第1巻(下)、「すべてを含む内住する霊」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り5日
(国際華語特別集会 第4週第6日)
霊の新しさの中で主に仕えます
ローマ6:4
こういうわけで、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされることを通して、彼と共に葬られたのです.それは、キリストが御父の栄光を通して死人の中から復活させられたように、わたしたちも命の新しさの中を歩くためです。
ローマ7:6
しかし、わたしたちは縛られていたものに死んだので、今や律法から解放されました.その結果、わたしたちは文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で仕えているのです。
「妻としてわたしたちはまた、文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で主に仕えるべきです(ローマ7:6)。第6章4節には、命の新しさがあり、それはわたしたちの生活のためです。第7章6節には、霊の新しさがあり、それはわたしたちの奉仕のためです。命の新しさも霊の新しさも、その霊と関係があります」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが復活したキリストと結合されたことを感謝します。わたしたちが命の新しさの中で生活し、霊の新しさの中で主に仕えることができますように。わたしたちがどのように自分の霊を活用するかを学ぶことができますように。
命の新しさも霊の新しさも、その霊と関係があります
ローマ人への手紙第7章6節は、わたしたちは妻として、……文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で主に仕えなければならないことを示しています。わたしたちは認識しなければなりませんが、第6章4節には命の新しさがあり、それはわたしたちの生活のためであり、第7章6節には霊の新しさがあり、それはわたしたちの奉仕のためです。
命の新しさは、わたしたちがキリストの復活と結合されることからやって来るものであり、わたしたちの日常生活の歩みのためです。霊の新しさは、わたしたちが律法から解放されて、復活したキリストに結合されることからやって来るものであり、神に対するわたしたちの奉仕のためです。ですから、霊の新しさと命の新しさは、古い人が十字架につけられた結果です。(「新約の結論(18)」、メッセージ300)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り4日
(国際華語特別集会 第4週第5日)
わたしたちは、妻また新しい人として、もはや律法の下にいません
ローマ7:6-7
しかし、わたしたちは縛られていたものに死んだので、今や律法から解放されました.その結果、わたしたちは文字の古さの中ではなく、霊の新しさの中で仕えているのです。それでは、わたしたちは何と言いましょうか? 律法は罪なのでしょうか? 絶対にそうではありません! しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知りませんでした.「あなたはむさぼってはならない」と律法が言わなかったなら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
「わたしたちは、縛られていた律法に対して死にました。それは、わたしたちが律法から解放されるためです。わたしたちは、妻また新しい人として、もはや律法の下にいません(ローマ7:6)。律法は神を描写し、定義しています(レビ19:2)。こういうわけで、律法は堕落した人に対して、多くの要求と規定を持っています。そして、そうすることによって、律法は罪を罪として識別し、人を罪の認識へと導きます(ローマ3:20.4:15.5:20)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 わたしたちは、縛られていた律法に対して死んだので、律法から解放されていることを感謝します。わたしたちは律法によって罪を識別し、罪を認識するようになりました。神の願いは、わたしたちの中へと入って来て、わたしたちの命またわたしたちのパースンとなることです。わたしたちが主と一になって、主を生きることができますように。
神の願いは、わたしたちの中へと入って、わたしたちの命またパースンとなることです
[ローマ人への手紙第7章6節は]古い人が十字架につけられたので、再生された新しい人は今や、古い人の律法から解かれて[いることを示しています](2-3節.ガラテヤ2:19)。律法は、古い夫、古い人に与えられたのであって、妻に対してではないのですから、また古い夫、古い人は十字架上で死んだのですから、新しい人、妻は、彼の律法から解放されたのです。ですから、妻また新しい人であるわたしたちは、もはや律法の下にはいません。(「新約の結論(18)」、メッセージ300)
神の願いは、わたしたちの中へと入って来て、わたしたちの命またわたしたちのパースンとなることです。このようにして、彼はわたしたちと一になり、わたしたちは彼と一になります。そうすれば彼がわたしたちの中に生きるとき、わたしたちは彼を生きます。これは聖書における神聖な啓示の基本的な原則です。(「出エジプト記ライフスタディ(4)」、第64編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り3日
(国際華語特別集会 第4週第4日)
妻として、わたしたちは神に対して実を結びます
ローマ7:4-5
こういうわけで、わたしの兄弟たちよ、あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死んでいるのです.それは、あなたがたが別の方、すなわち、死人の中から復活させられた方に結び付いて、わたしたちが神に対して実を結ぶためです。というのは、わたしたちが肉の中にあった時、律法を通して活動していた罪の激情は、わたしたちの肢体の中で働いて、死に至る実を結ばせていたからです。
「妻として、わたしたちは神に対して実を結びます(ローマ7:4後半)。わたしたちは復活の中にいて、神に対して生きるとき、神に対して実を結びます。再生された人として、妻として、わたしたちは神に対して実を結びます。これが意味することは、わたしたちの行なうあらゆることが、今や神と関係があるということです」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちはキリストと共に死に、キリストと共に復活して、彼に結びつかせられたことを感謝します。わたしたちは妻として、神がわたしたちの命の実、あふれ出となってくださいますように。
主の命はわたしたちの中にあり、わたしたちは自然に罪を犯しません
ローマ人への手紙第7章4節で、パウロは安息集会と結婚を一緒にしています。一方で、わたしたちは葬られました。もう一方で、わたしたちは結婚し、別の人に結び付きました。わたしたちは死なせられて他の人に結び付きます。ローマ人への手紙第7章4節で、わたしたちは死なせられて他の人に結び付きます。ガラテヤ人への手紙第2章19節では死んで生きます。もしわたしたちが二つの身分を持たなかったら、どうしてこれが可能でしょうか? わたしたちは古い身分にしたがって死なせられ、新しい身分にしたがって他の人に結び付きます。わたしたちの新しい身分によれば、わたしたちは死人の中から復活させられた彼に結び付きます。それは、わたしたちが神に対して実を結ぶためです。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(1)」、第12編)
ローマ人への手紙第7章4節後半は、「……わたしたちが神に対して実を結ぶためです」と言います。わたしたちは、律法が偶像を避けなければならないと言うから偶像を避けるのではありません。聖霊がわたしたちの中で実を結んでいるので、わたしたちは偶像を避けるのです。……わたしたちは恵みによって救われます。そして、主の命はわたしたちの中にあります。ですから、自然にわたしたちは罪を犯さないのです。これが、その霊の実です。(ニー全集、第60巻、第53編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り2日
(国際華語特別集会 第4週第3日)
死人の中から復活させられた主に結び付いて、神に対して実を結びます
ローマ7:3-4
ですから、夫が生きている間に別の男に結び付くなら、彼女は淫婦と呼ばれますが、もし夫が死ねば、彼女はその律法から解かれるので、別の男に結び付いても、淫婦とはなりません。こういうわけで、わたしの兄弟たちよ、あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死んでいるのです.それは、あなたがたが別の方、すなわち、死人の中から復活させられた方に結び付いて、わたしたちが神に対して実を結ぶためです。
「わたしたちの古い人はキリストの体を通して、律法に対して十字架につけられました。それは、わたしたちが別の夫、すなわち死人の中から復活させられたキリストと結婚するためです(ローマ7:4前半)。この「結合」が示していることは、妻としてのわたしたちの新しい身分において、わたしたちがキリストの復活の中で、パースン、名前、命、存在においてキリストと有機的な結合を持っているということです(Ⅱコリント11:2)」。
主イエスよ、あなたを愛します。今や、キリストがわたしたちの夫であることを感謝します。わたしたちであるすべて、わたしたちが持っているすべて、わたしたちが行なうすべてを終結させて、あらゆることにおいて主に信頼することができますように。わたしたちのかしらが完全に覆われますように。
キリストの復活の中で、パースン、名前、命、存在において彼と有機的な結合を持ちます
わたしたちの古い人はキリストの体を通して、律法に対して十字架につけられました。それは、わたしたちが別の夫、すなわち死人の中から復活させられたキリストと結婚するためです。ローマ人への手紙第7章4節後半でパウロは言っています、「それは、あなたがたが別の方、すなわち、死人の中から復活させられた方に結び付いて、わたしたちが神に対して実を結ぶためです」。この結合が示していることは、妻としてのわたしたちの新しい身分において、わたしたちがキリストの復活の中で、パースン、名前、命、存在においてキリストと有機的な結合を持っているということです。
今や、わたしたちは新しい夫であるキリストと結婚しています。コリント人への第二の手紙第11章2節でパウロはまた、信者たちを一人の夫、キリストに婚約させたとわたしたちに告げています。(「新約の結論(18)」、メッセージ300)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
7月の祈り1日
(国際華語特別集会 第4週第2日)
古い人、わたしたちの古い夫は、キリストと共に十字架につけられました
ローマ7:2
結婚している女は、夫が生きている間は、律法によって自分の夫に縛られていますが、もし夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
ローマ6:6
わたしたちは次のことを知っています.わたしたちの古い人が彼と共に十字架につけられたのは、罪の体が無効にされて、わたしたちがもはや、罪に奴隷として仕えることがないためです。
「わたしたちの古い人、すなわちわたしたちの古い夫は、キリストと共に十字架につけられたので、わたしたちは彼の律法から解放されており、そして新しい夫、すなわち、永遠に生きている方であるキリストに結合されています。信者として、わたしたちは二つの身分を持っています。第一のものは、堕落した古い人としてのわたしたちの古い身分です。第二のものは、再生された新しい人としてのわたしたちの新しい身分です。この新しい人は、神に対する真の妻としての、わたしたちの本来の正しい地位へと回復されており、神に依存し、神をわたしたちのかしらとしています(イザヤ54:5.Ⅰコリント11:3)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの古い人がキリストと共に十字架につけられたことを感謝します。わたしたちは再生されて、神に対する真の妻という新しい身分を得たことを感謝します。わたしたちが神に依存し、神をわたしたちのかしらとして生きることができますように。
すべての真のクリスチャンは、キリストを自分の夫として持っています
ローマ人への手紙第7章2節から6節は、キリストが新しい夫であることを啓示しています。再生された存在として、男の信者も女の信者もキリストが彼らの夫であり、そして彼らは彼の妻の一部です。……もしわたしたち信者が、キリストがわたしたちの夫であることを知らないなら、わたしたちはあわれな人たちです。なぜなら、事実上、わたしたちはやもめ、すなわち、夫を失った女のようであるからです。「やもめ」という言葉は、あわれさを暗示します。やもめは、彼女のすべての享受を取り去られ、奪われました。彼女は、人生の享受のすべてを失ったのです。確かに、すべての真のクリスチャンはキリストを自分の夫として持っていますが、彼らの多くが夫としての彼を知らないことはあわれなことです。(「新約の結論(18)」、メッセージ300)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)