朝ごとの食物

1月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週6日)

 

霊に付けた思いは命と平安です

 

ローマ8:6

肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。

 

マラキ2:15

しかし、彼は二人を一つに造られたのではないか?……あなたがたの霊に注意し、だれも自分の若い時の妻を裏切ってはならない。

 

「思いを肉に付けることは、肉の側に付き、肉と協力し、肉と共に立つことを意味します。思いを霊に付けることは、霊に注意し、霊の側に付き、霊と協力し、霊と共に立つ、すなわち、わたしたちの霊に注意を払うことです(マラキ2:15-16)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、常にわたしがあなたに依り頼み、あなたの側に立つことができますように。そして、わたしたちの霊に注意を払い、思いを霊に付けることができますように。

 

 

どのようにわたしたちの思いを霊に付けるかを学ばせてください

 

 わたしたちは、どのようにわたしたちの思いを霊に付けるかを学ばなければなりません。言い換えると、わたしたちは神に信頼し、主に依存することを学ばなければなりません。……これは電気器具を使うことによって例証することができます。わたしたちはただそれをコンセントに差し込む方法を知っていればよいのです。それらをコンセントに差し込まない限り、何の問題もありません。そのことでは、だれも助けることができません。

 

 わたしたちは聖書をその物語と教えと共に学ばなければならないのですが、真の秘訣はローマ人への手紙第8章6節にあります。わたしたちは聖書に精通しているかもしれませんが、ローマ人への手紙第8章6節を適用しないなら、わたしたちが何を知り、また何を行なおうと、ほとんど何も達成しないでしょう。・・・・・ わたしたちはいつもわたしたちの思いを霊に付けて、この実際の中を生きることを実行しなければなりません。(リー全集、1964年、第二巻(下)「キリストと召会の光の中での新約の概略、(第二集、ローマ人への手紙からピレモンへの手紙)、第11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週5日)

 

主よ、あなたの御顔を尋ね求めます

 

詩27:4,8

わたしは一つの事をエホバに願いました.わたしはそれだけを求めます.わたしの命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめ、彼の宮で尋ね求めることを。……「わたしの顔を尋ね求めよ」とあなたが言われるとき、あなたに向かって、わたしの心は言います、「エホバよ、あなたの御顔を尋ね求めます」。

 

「わたしたちが真に神に触れ、神と接触し、神を吸収するとき、神はわたしたちの中で語ります。そしてわたしたちは、彼の内なる語りかけにしたがって祈ります。祈ることは神へ行き、神に会い、神に近づき、神と交流し、神を吸収して、神が内側でわたしたちに語ることができることです。わたしたちが、わたしたちに対する神の言葉をもって神に祈るとき、わたしたちの祈りは神を発表します(ヨハネ15:7)」。

 

 主よ、あなたを愛します。あなたの御顔を尋ね求めます。主よ、わたしたちの内側で語ってください。 主よ、あなたが語られた内側の神の語りかけにしたがって祈ることができますように。

 

 

真の祈りは、神が語ったことを、神に対して発表し返すことです

 

 神はわたしたちの内側で語られます。そして、祈るとは彼が語ったことを彼に語り返すことです。これが詩篇第27篇8節の原則です。……ですから、わたしたちが祈りの中で発する言葉は、わたしたちの内側での語りかけの発表なのです。……祈りとは、わたしたちの語ることを通して何かを求めることではなく、神がわたしたちの内側で語ったことをわたしたちが発表することです。このゆえに、わたしたちの祈りは神の発表となるのです。……

 

 最上の最も価値のある祈りは、わたしたちが語る祈りではなく、神が語る祈りです。……叫び求めることは、人のものを神に告げることですが、請い求めることは神のものを懇願することです。最上の祈りは、尋ね求めることです。尋ね求めることは、神に語っていただいて、それによって語られた言葉が人の内側の神の語りかけとなり、神の発表となることです。(「祈りの意義と目的」、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第26日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週4日)

 

祈りを通して主と触れ合うとき、わたしたちの霊の中で命の霊の法則は働きます

 

ローマ8:4

それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。

 

コロサイ4:2

うまずたゆまず祈り、感謝しつつ祈りの中で目を覚ましていなさい。

 

「わたしたちが祈りを通して主とのその触れ合いの中にとどまり、わたしたちの霊の中で彼との接触の中にとどまる間に、命の霊の法則は自動的に、自然に、苦もなくわたしたちの中で働きます(ヘブル11:1,5-6.Ⅱコリント4:13.ピリピ2:12-13.ローマ8:2,4,6,13-16,23)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主はわたしの光であり、またわたしの救いです。主よ、わたしたちはダビデのように、命の日の限り、主の家に住んで、あなたの麗しさを見つめることを願い求めます。

 

 

命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめることを求めます

 

 ダビデは自分の経験から啓示を受けて、神が自分の光であり、また自分の救いであることを見ました。この事に基づいて彼は言いました、「わたしは一つの事をエホバに願いました.わたしはそれだけを求めます.わたしの命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめ……ることを」(詩27:4)。ダビデは毎日、毎時、神と接触し、神を吸収することを切望しました。ダビデは神を見つめることによって神と接触し、神を吸収しました。彼は神と接触するとき、内側で照らされました。そして彼は神を吸収するとき、内側で救いを受けました。ダビデは神を見つめることによって、神を彼の光また救いとして得ました。……

 

 わたしたちは祈るとき、彼の栄光ある御顔を見つめ、彼の臨在の中にとどまって、彼を礼拝し、賛美し、彼に感謝し、彼を思い巡らすべきです。わたしたちは彼の働きとパースンについて思うべきであり、自分の状態や環境を見るべきではありません。神を見つめ、彼を待ち望み、彼を思い巡らすことによって、わたしたちは彼をわたしたちの中へと吸収することができます。(「祈りの意義と目的」、第1章)

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週3日)

 

神の神聖な、非受造の命(ゾーエ)を分与します

 

ローマ8:10-11

しかし、キリストがあなたがたの中におられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに命です。……キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます。

 

 「わたしたちが主の中へと信じることによって主を受け入れたとき、彼は命の霊の法則として機能して、ご自身を神の神聖な、非受造の命(ギリシャ語、「ゾーエ(zoe)」)として、わたしたちの霊の中へと分与しました」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちが思いを霊に付けることによって、命と平安を享受することができますように。そして、三一の神の命がわたしたちの霊、魂、体へと分与されますように。

 

 

三一の神の命がわたしたちの存在の三部分の中へと分与されます

 

 ローマ人への手紙第8章6節を考察しましょう、「肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です」。ここで、わたしたちの思いも「ゾーエ」になることができることを見ます。わたしたちの思いを霊に付けるとき、わたしたちの魂を代表する思いは「ゾーエ」となります。……これはわたしたちの魂の中への神聖な命の分与です。……

 

 11節は神の分与についてさらに啓示します。……この節は、ゾーエがその霊を通してわたしたちの死ぬべき体の中へと分け与えられることができることを啓示します。ですから、わたしたちの霊と思いがいずれも「ゾーエ」であるだけでなく、わたしたちの体さえも「ゾーエ」に満たされることができるのです。わたしたちはみな、三一の神の命がわたしたちの存在の三部分の中へと分与されることについて、ビジョンを見る必要があります。……わたしたちは主に言う必要があります、「主よ、あなたに感謝します。あなたがわたしの中へと入って来られてから、わたしの霊は命となりました。今や思いを霊に付けるなら、わたしの思いも命となります。おお、主よ、何とあなたを賛美することでしょう!(「ローマ人への手紙ライフスタディ(2)」、第62編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週2日)

 

ローマ第8章は、全聖書の焦点また宇宙の中心です

 

ローマ8:9,11

しかし、確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは肉の中にいるのではなく、霊の中にいるのです。もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません。…… そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら……

 

 「ローマ第8章は、全聖書の焦点また宇宙の中心です。ですから、わたしたちはローマ第8章を経験しているなら、宇宙の中心にいます。宇宙における中心的な焦点は、手順を経た三一の神がすでにわたしたちの中へと入って来て、今やわたしたちの中に住んでいるということです。これは最大の奇跡です。宇宙の中で他の何も、これ以上に重要ではあり得ません(イザヤ66:1-2.ヨハネ14:23.15:4)」。

 

 主よ、あなたを愛します。手順を経た三一の神がすでにわたしたちの中に住んでいます。そして、わたしたちの内側で活動している命の霊の法則があることを感謝します。主よ、わたしたちが霊にしたがって歩き、三一の神の豊富を享受することができますように。

 

 

わたしたちには、内側で活動している命の霊の法則があります

 

 ローマ人への手紙第8章において、三一の神はその霊と成られました。9節で、彼は神の霊、またキリストの霊と呼ばれており、11節では、イエスを死人の中から復活させた方の霊と呼ばれています。こういうわけで、その霊は、父なる神、子なる神であるキリスト、霊なる神を含んでいます。彼は、三一の神の三一の霊です。

 三一の神は、その霊の形でわたしたちに到達します。三一の神の適用、また到達として、その霊は三一の神の究極的完成です。……

 

 この方は、わたしたちに内住することを願っておられます。そのことが意味するのは、彼がわたしたちの内なる存在全体を占有し、完全に所有することを待っておられ、期待しておられ、働いておられるということです。わたしたちには、内側で活動している……法則があります。それは命の霊の法則であり、それは内住する三一の神の豊富です。これらすべての豊富を享受する方法は、ただ霊にしたがって歩くことです(4節)。(リー全集、1982年、第1巻(上)、「ローマ人への手紙第八章にしたがった、その霊としての三一の神に対する信者たちの経験」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第3週1日)

 

命の霊の法則を享受することは、キリストのからだの実際へと導きます

 

ローマ7:24-25

何とわたしは苦悩している者でしょう! だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか? わたしたちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します!……

 

ローマ8:2

なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。

 

「ローマ第8章における命の霊の法則を享受することは、わたしたちをローマ第12章におけるキリストのからだの実際へと導きます。わたしたちがからだの中で、またからだのために生きているとき、この法則はわたしたちの内で活動します(ローマ8:2,28-29.12:1-2,11.ピリピ1:19)」。

 

 主よあなたを愛します。主よ、命の霊の法則がキリスト・イエスの中で、わたしたちを罪と死の法則から解放したことを感謝します。主よ、わたしたちが霊にしたがって歩き、キリストのすべてを経験することができますように。

 

 

キリストの中にある事実は、霊の中にあることによって経験します

 

 わたしたちはローマ人への手紙第5章ではアダムの中におり、ローマ人への手紙第6章ではキリストの中におり、ローマ人への手紙第7章では肉の中におり、ローマ人への手紙第8章では霊の中にいます。肉の中にいるなら、アダムを経験し、霊の中にいるなら、キリストを経験します。第5章のアダムは、第7章の肉の中でのみ経験することができ、第6章のキリストは、第8章の霊の中でのみ経験することができます。……新しく生まれた子供は、確かにアダムの中にいます。…… しかしながら、わたしたちは年を取れば取るほど、ますます肉の中にある経験を持ちます。……わたしたちがアダムの中で持っているものは、肉の中にいることによって経験されます。

 

 同じ原則で、キリストの中にある事実は、霊の中にあることによってのみ経験することができます。わたしたちは霊にしたがって歩く時、キリストのすべての豊富を経験します。キリストの豊富はアダムの豊富よりもはるかに大きいのです。しかしそれを経験するためには、霊にしたがって歩かなければなりません。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(2)」、第34編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週6日)

 

わたしたちをあわれみの器、尊い器、栄光の器としてください

 

エペソ4:15-16

むしろ、愛の中で真実を固く保って、わたしたちは……彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです.この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。

 

「わたしたちはどのように神聖な啓示の最高峰(神が人と成ったのは、人を命と性質において神とするためである)に到達するかを考察するとき、自分自身に信頼するのではなく、愛、力、あわれみである主に依り頼むべきであり、また主にわたしたちをあわれみの器、尊い器、栄光の器としていただくべきです(雅8:5-6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、愛の中で真実を固く保つことができますように。主よ、すべての事で、かしらであるキリストの中へと成長し込むことができますように。 主よ、わたしたちが キリストのからだの建造のために、命において成長し、円熟することができますように。

 

 

キリストのからだの建造のために、命の円熟を必要とします

 

 これまで愛する者は、パロの戦車の雌馬、馬、シャロンのばら、谷の中といばらの間のゆり、はと、煙の柱、寝台、輿、園、泉のある源泉にたとえられましたが、今や彼女は、神の天の住まいと天のエルサレムにたとえられており、命における彼女の円熟が神の建造のためであることを示しています。

 

 キリストのからだの建造のために、わたしたちは命の円熟を必要とします。エペソ人への手紙第4章12節から16節は、からだの建造について語っており、わたしたちが成長して円熟に到達し、キリストのからだが建造されることができるようになる必要があることを告げています。……からだの建造は、物事を組織化し、管理し、案配するわたしたちの能力と何の関係もありません。キリストのからだは有機体であって、組織ではありません。この有機体の建造は、命における成長と円熟にかかっています。からだの建造は有機的です。(「雅歌ライフスタディ、第7編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第20日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週5日)

 

テルザとエルサレムは神の聖なる所、神の住まいを表徴します

 

雅6:4

わが愛する者よ、あなたは美しいことテルザのよう、愛すべきことエルサレムのよう、恐ろしいこと旗印を持った軍隊のようである。

 

Ⅰコリント3:9

……あなたがたは神の耕された地であり、神の建物であるからです。

 

「テルザとエルサレムは神の聖なる所、神の住まいを表徴し、神の聖なる都がそこを囲んでその保障となっています(雅6:4前半)。キリストを愛する者は、神と一になって神の住まいとなるとき、神の目に美しいことテルザのようであり、愛すべきことエルサレムのようです」。

 

 主よ、わたしたちが最上の愛をもってあなたを愛することによって、あなたの住まいとなりますように。主よ、わたしたちが至聖所の内側に生きて、復活を経験することができますように。そして、復活における新創造として、キリストの昇天の中で生きることができますように。

 

 

テルザとエルサレムで予表されている神の建造は、新約でキリストの有機的なからだです

 

 キリストを愛する者は、復活における新創造として、キリストの昇天の中で生きることを通して、キリストの命の豊富において円熟します。それは、彼女がキリストの園となるだけでなく、テルザで表徴される神の聖なる所と、エルサレムで表徴されるその保障となるためです。キリストの命の中で円熟するのは大きな事です。追い求める者は二つの建物にたとえられています。一つは王の宮殿です。もう一つはその保障として宮殿を囲む都です。……

 

 キリストの園となることは、キリストの命の要素とその計り知れない豊富の要素の中で繁茂することです。神の聖なる所となるとは、キリストの命とその計り知れない豊富をもって成長する中で、建造されることです(キリストのからだの建造と関係がある――エペソ4:15-16)。旧約で、神の建造はテルザとエルサレムで予表されています。新約で、この建造はキリストの有機的なからだです。キリストの有機的なからだは、キリストの妻でもあります(5:25-32)。さらに、キリストの有機的なからだは、新エルサレムの建造を究極的に完成し、完全にします。(リー全集、1994-1997年、第3巻(上)、「雅歌の結晶の学び」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第19日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週4日)

 

神を愛するとは、わたしたちの全存在を完全に彼の上に置くことです

 

Ⅰコリント2:9

……「目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないものを、神はご自身を愛する者たちのために備えてくださった」。

 

「神を愛するとは、わたしたちの全存在――霊、魂、体を、心、魂、思い、力と共に(マルコ12:30)――完全に彼の上に置くことです。これは、わたしたちの全存在を彼に占有していただき、わたしたちの全存在が彼の中で失われることです。その結果、彼がわたしたちのすべてとなられ、わたしたちは日常生活の中で、実際的に彼と一になります」(Ⅰコリント2:9のフットノート3)」。

 

 主よ、わたしたちがあなたを信じるだけでなく、あなたを愛することができますように。主よ、わたしたちの全存在をあなたの上に置くことができますように。主よ、わたしたちを占有して、実際的にあなたと一にならせてください。

 

 

わたしたちは命、性質、表現、機能において神と同じになります

 

 神がわたしたちのために定め、備えられた深く隠された事柄を認識し、それにあずかるために、わたしたちは彼を信じるだけでなく、彼を愛することが必要です。……神を愛するとは、わたしたちの全存在―霊、魂、体を、心、魂、思い、力と共に(マルコ12:30)―完全に彼の上に置くことです。これは、わたしたちの全存在を彼に占有していただき、わたしたちの全存在が彼の中で失われることです。その結果、彼がわたしたちのすべてとなられ、わたしたちは日常生活の中で、実際的に彼と一になります。このようにして、わたしたちは神と最も近く、最も親密な交わりを持ちます。そして、わたしたちは神の心の中に入って、心の秘密をすべて理解することができます(詩73:25.25:14)。(Ⅰコリント2:9、フットノート3)

 

 わたしたちが神格において神と同じであると言うことは重大な冒とくですが、わたしたちが命、性質、表現、機能において神と同じになることはできないと言うことは不信仰です。聖書は、神がわたしたちと一となり、わたしたちを彼と一とすることを欲しておられると何度も告げています。これが神の意図です。キリストの命の円熟によって、かつては罪人であった勝利者たちは、命、性質、表現、機能においてキリストと同じになって、神の永遠のエコノミーを完成します。(「新約の結論(25)」、メッセージ428)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第18日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週3日)

 

真に主を愛するなら、命における成長と造り変えを必ず持ちます

 

雅2:2,14

わが愛する者が娘たちの間にいるのは、ゆりがいばらの間にあるようだ。…… 岩の裂け目、崖の隠れ場にいるわがはとよ.わたしに顔の表情を見せなさい.あなたの声を聞かせなさい.あなたの声は甘く、あなたの顔の表情は愛らしい。

 

「わたしたちは雅歌において、神聖な分与を経験することと神聖なロマンスの中に生きることとの関係を見ます。わたしたちが真に主を愛するなら、命における成長と造り変えを必ず持ちます(Ⅱコリント5:14-15.3:18)。雅歌の追い求める者は、彼女の愛する方をとても愛しているので、神聖な分与を経験しており、命における彼女の成長には継続的な変化があります(雅1:2-3,4後半,9,12,15.2:2,14.3:6-7.4:7,12-15.6:4,10,13前半)」。

 

 主よ,あなたを愛します。わたしたちが主の命を受け入れる道を知ることができますように。主よ、わたしたちが主を命として経験し、命における成長の八つの段階を通して、造り変えられていきますように。

 

 

命における成長と命の造り変えを示している八つの比喩があります…(雌馬、はとの目、ゆり、はと、煙の柱、寝台、輿、冠)

 

[雅歌の最初の三つの章において]主は少なくとも八つの比喩を用いて、彼を追い求める者を描写しています。主がさまざまな比喩を使って彼を追い求める者を描写したことは、追い求める者がその時に到達していた状態を説明しました。ですから、もしわたしたちが八つの比喩をすべて一緒に考察し、それらを相互に比べてみるなら、わたしたちはそれらの意味がわかるでしょう。それらは命における成長と命の造り変えを示しています。

 

 最初に、主イエスは雌馬の比喩を用いられました。次に、主ははとの目について語られました。彼女はまだはとではありませんでしたが、はとの目を持っていました。はとの目の後にゆりがありました。ゆりの後にはとそのものがありました。はとの後に煙の柱、寝台、輿がありました。最後に、冠がありました。……わたしの負担は雅歌を解釈することではなく、わたしたちがみな主の命を受け入れる道を知るようになることです。非常に多くのクリスチャンが命としてのキリストについて語りますが、彼を命としてどのように経験するかを知っている人は非常に少ないのです。(リー全集、1972年、第1巻(上)、「雅歌において描写されている命と建造」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第17日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週2日)

 

神が人を創造したのは、人が彼を愛するためです

 

Ⅱコリント11:2

わたしは神のねたみをもって、あなたがたをねたんでいます.なぜなら、あなたがたを清純な処女としてキリストにささげるために、一人の夫に婚約させたからです。

 

マルコ12:30

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい。

 

  「神は愛する方であり、愛する方としてのご自身のかたちに人を創造しました。この事が意味するのは、神が人を創造したのは、人が彼を愛するためであるということです(マルコ12:30.エペソ3:14-19)。雅歌の主題は次のとおりです、「すばらしい結婚における愛の歴史は、個別の信者とキリストの愛の交わりにおける進展する経験を啓示する(雅1:2)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが創造されたのは、あなたを愛するためであることを見せてください。主よ、わたしたちがあなたに応答する愛情深い愛を持つことができますように。

 

 

雅歌には、愛する方と彼の愛する者との間にある愛の描写があります

 

 全新約はロマンスと求愛の方法で書かれました。マタイによる福音書は花婿としてのキリストについて語っており、啓示録は小羊の婚姻を指し、小羊の妻としての新エルサレムの啓示で結んでいます。…… 全聖書は神の求愛の言葉です。わたしたちは聖書の中で、神がわたしたちの愛を追い求めておられるのを見ます。主はペテロにご自分を愛するかと尋ねたとき、ペテロに求愛し、彼の愛情深い愛を求めておられたのです。全体として、聖書はそのような神聖な求愛の言葉です。

 

 わたしたちは神の求愛の言葉を守ろうとするなら、彼に対して応答する愛情深い愛を必要とします。ペテロはこのように主を愛することを求められ、またパウロはそのような愛で主を愛するように押し迫られました(Ⅱコリント5:14-15)。すべての信者はこのように主を愛する必要があります(ヨハネ14:21、23)。……このような応答する愛情深い愛は雅歌に記述されており、ここには愛する方と彼の愛する者との間にある愛の描写があります(雅1:2-4)。(「出エジプト記ライフスタディ(3)」、第55編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第16日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第2週1日)

 

聖書には、宇宙的な夫婦の神聖なロマンスがあります。

 

ヨハネ3:29

花嫁を持つ者は花婿である.……

 

啓19:7

わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。

 

「最も純粋で、最も聖なる意味で、聖書は宇宙的な夫婦のロマンスです。キリストにある神は花婿であり、神の贖われた人は花嫁です(ヨハネ3:29.マタイ25:6.啓19:7.21:2.22:17)。神は愛する方であり、愛する方としてのご自身のかたちに人を創造しました。この事が意味するのは、神が人を創造したのは、人が彼を愛するためであるということです(マルコ12:30.エペソ3:14-19)」。

 

 主よ、あなたを愛します。聖書の中にある宇宙的な夫婦の神聖なロマンスを啓示して見せてください。主よ、わたしたちが主を愛して、もはや自分自身によって、自分のために生きるのではなく、神と共に、神のために生きることができますように。

 

 

全宇宙の奥義は、神と神に選ばれた者が一組の夫婦になることです

 

 もしあなたが聖書の深い思想の中に入り込むなら、最も純粋で、最も聖なる意味で、聖書が宇宙的な夫婦のロマンスであることを認識するでしょう。この夫婦の男性は、神ご自身です。彼は神聖な方ですが、この宇宙的な夫婦の男性となることを願っておられます。この神は、長い過程の後、花婿としてのキリストとなられました。この夫婦の女性は、団体の人であり、神の贖われた民であって、旧約と新約のすべての聖徒を含んでいます。長い過程の後、この団体の人は花嫁としての新エルサレムとなります。この聖なるロマンスは、旧約聖書全体を通して繰り返し啓示されています。……… 

 

 全宇宙の奥義は、神と神に選ばれた者が一組の夫婦になることです。……わたしたち、神に選ばれた者と神は、一つの源、一つの性質からのものであり、一つの命を持っています。今や、わたしたちはまた一つの生活を持つ必要があります。わたしたちは自分自身によって、自分のために生きているのではありません。わたしたちは神と共に、神のために生きており、神はわたしたちと共に、わたしたちのために生きておられます。ハレルヤ!(「ローマ人への手紙ライフスタディ(1)」、第1編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第14日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週6日)

 

命の水の川は、神と小羊の御座から、大通りの中央を流れています

 

啓22:1-2

また御使いは、……命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。その川のこちら側にも向こう側にも命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、……

 

「永遠において、御座に座している神は、小羊・神、すなわち、わたしたちを贖う神であり、彼の御座から命の水の川が流れ出て、命の木と共に、わたしたちの供給また満足となります。ともし火としての小羊は、光としての神をもって輝き、神の栄光、すなわち神聖な光の表現をもってその都を照らします(啓21:23.22:5)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、あなたの御座がわたしにありますように。主よ、あなたの頭首権と主権を認識させてください。そして、あなたに服従することができますように。主よ、命の水の川がわたしたちの内側を流れ、命の豊かな供給、霊の交わりがありますように。

 

 

彼の頭首権と主権を認識して、彼の権威にわたしたちを服従させるなら、わたしたちの内側を命の水の川が流れます

 

 わたしたちの経験の中でキリストが御座におられるとき、わたしたちは命の水の川の流れを持ちます。……命の水の川は御座から流れ出ます[啓22:1]。……わたしたちがキリストの輝き、キリストの贖い、御座の中心としてのキリストの支配を実際的に経験するなら、聖霊の全豊満と神聖な命の豊富を経験するでしょう。生ける流れが絶えずわたしたちの内側を流れるでしょう。この流れと共に、命の木があります。命の木はわたしたちの命の供給としてのキリストです[啓22:2]。

 

 わたしたちは主に行って、彼と接触すべきです。彼はともし火です。彼はわたしたちを照らし、神の光の中にもたらしてくださるでしょう。彼は小羊です。彼はわたしたちを清め、再びわたしたちに彼の贖いを適用されるでしょう。彼は御座の上におられます。彼は彼の頭首権と主権を認識させて、彼の権威にわたしたちを服従させるでしょう。このように主を経験した結果は、すばらしい流れです。すばらしい流れがわたしたちの内側を流れ、命の豊かな供給、神聖な道、霊の交わりが伴うでしょう。(リー全集、1963年、第3巻(下)、「さまざまなメッセージ」、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第13日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週5日)

 

恵みと実際はイエス・キリストを通して来ました

 

ヨハネ1:17

律法はモーセを通して与えられたが、恵みと実際はイエス・キリストを通して来たからである。

 

Ⅰヨハネ4:16

…神は愛です.愛の中に住んでいる者は神の中に住んでおり、神も彼の中に住んでおられます。

 

「神の愛は源です。なぜなら、神は起源であるからです。主の恵みは神の愛の経路です。なぜなら、主は神の表現であるからです。その霊の交わりは主の恵みを神の愛と共に分け与えて、わたしたちに三一の神(父、子、霊)を、三一の神の神聖な美徳と共に経験させ享受させることです」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、神聖な三一の中にある、源、経路、流れを感謝します。主よ、わたしたちに三一の神(父、子、霊)を、三一の神の神聖な美徳と共に経験させ享受させてください。

 

 

わたしたちの霊の中には、神聖な三一の循環があります

 

 神聖な三一には、源、経路、流れがあります。この循環の源、源泉は御父の愛です。この循環の経路、流れ出は、キリストによって表現され、わたしたちに伝えられた恵みです。キリストの恵みは、御父の愛の源から出て来ます。流れは、御父の愛を伴うキリストの恵みの交わり、交流、伝達、循環としての聖霊です。わたしたちの中には二つの循環があります。一つの循環はわたしたちの物質の体の中にある血液の循環であり、もう一つの循環はわたしたちの霊の中にある神聖な三一の循環です。これらの循環のどちらかがなくなれば、わたしたちは肉体的に死ぬか、あるいは霊的に死ぬでしょう。

 

 コリント人への第二の手紙第13章14節は、この内側の、霊的な循環の詳細の記述を与えています。この循環は、わたしたちのクリスチャン生活と召会生活における供給です。これは、電気の流れが町全体にとって動力の供給であると言うのに似ています。……何年も前、ニューヨーク市で電気の供給がしばらく停止しました。それが起こった時、町の生活全体が停止してしまいました。これはとても良い例証です。わたしたちは、召会生活全体がコリント人への第二の手紙第13章14節にかかっていることを見なければなりません。それは、御父の愛、御子の恵み、わたしたちの霊の中の流れとして流れるその霊の交わりにかかっています。(「神聖な三一の中で、また神聖な三一と共に生きる」、第13章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第12日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週4日)

 

その霊の交わりは、主の恵みと神の愛との伝達です

 

Ⅱコリント13:14

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。

 

「主の恵みは、わたしたちの命としての主ご自身であり、わたしたちの享受となります(ヨハネ1:17.Ⅰコリント15:10)。神の愛は、神ご自身であり(Ⅰヨハネ4:8, 16)、主の恵みの源です。その霊の交わりは、その霊ご自身であり、主の恵みと神の愛との伝達であって、わたしたちにあずからせます(Ⅱコリント13:14)。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちの命としての主ご自身を享受できることを感謝します。主よ、わたしたちに 父、子、その霊から成る三一の神の分与が日ごとにありますように。

 

 

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりは、神聖な三一の伝達です

 

 主の恵みは、わたしたちの享受のための、わたしたちの命としての主ご自身です(ヨハネ1:17.Ⅰコリント15:10)。神の愛は、主の恵みの源としての神ご自身です(Ⅰヨハネ4:8、16)。その霊の交わりは、わたしたちがあずかるための、神の愛を伴う主の恵みの伝達としてのその霊ご自身です。これらは三つの別々のものではなく、一つのものの三つの面です。…… 神は起源であるので、神の愛は源です。主は神の表現であるので、主の恵みは神の愛の経路です。その霊の交わりは、神の愛を伴う主の恵みの分与です。その霊は、三一の神、御父、御子、聖霊とその神聖な美徳を、わたしたちが経験し享受するための、神を伴う主の伝達であるからです。

 

 ここでは、主の恵みが最初に述べられています。なぜなら、この手紙はキリストの恵みに関するものであるからです(Ⅱコリント1:12.4:15.6:1.8:1、9.9:8、14.12:9)。そらされ、混乱させられ、その後、励まされ、回復されたコリントの信者たちには、このような愛、恵み、交わりの三つの美徳の神聖な特質と、このような三つの神聖な実質から成る三一の神、すなわち父、子、その霊から成る三一の神が必要でした。ですから使徒は、彼の愛のこもった親密な手紙を結ぶにあたって、一つの文の中に、これらの神聖な尊いものをみな含めたのです。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(2)」、第59編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第11日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週3日)

 

これは三一の神の永遠の祝福です

 

民6:25-27

「エホバが御顔をあなたの上に輝かし、あなたに対して恵み深くありますように.エホバが御顔をあなたに上げ、あなたに平安を与えられますように」。彼らがわたしの名をイスラエルの子たちの上に置くなら、わたし自ら彼らを祝福する。

 

「Ⅱコリント第13章14節の祝福は、民数記第6章22節から27節の祝福と同じです。これは三一の神の永遠の祝福です。それは、三一の神が彼の神聖な三一の中でご自身をわたしたちの中へと分与して、わたしたちの享受となることです――「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、三一の神をわたしたちの中へと分与してください。 主よ、わたしたちが聖霊を悲しませないように守ってください。あなたの御顔の表情が幸いでありますように。

 

 

三一の神を祝福として持つことは、何という祝福でしょう

 

 民数記第6章23節から26節とコリント人への第二の手紙第13章14節のいずれにおいても、祝福は外側の物質的なものではありません。ここの祝福は、良い職業、すばらしい家、高い教育、良い家庭生活ではありません。さらに、この祝福は、召会の中でどの種類の地位を持つこととも関係がありません。ときどきわたしたちが自分の状況を考えると、失望し、自分には何もないと感じるかもしれません。…… わたしたちは、召会生活の中でさえ、何も実際ではないと感じるかもしれません。わたしたちはこのように感じるとき、どうすべきでしょうか? 

 

 わたしたちは三一の神に戻るべきです。彼はわたしたちの実際の祝福と分け前です。彼を祝福として持つとは何という祝福でしょう! 彼の御顔、彼の臨在を持って、彼を日ごとに恵みとして享受するとは何という祝福でしょう! わたしたちは苦しみを受ければ受けるほど、ますます彼を恵みとして享受します。彼の御顔の表情がわたしたちの上で微笑んで、わたしたちに保証し、確証するとは何という祝福でしょう! 彼の中で、彼によって、彼と共に平安を持つとは何という祝福でしょう! これはわたしたちの祝福としての三一の神です。おお、キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように!(「民数記ライフスタディ(1)」、第11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第10日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週2日)

 

エホバがあなたを祝福し、あなたを守られますように

 

民6:23-26

「あなたがたはイスラエルの子たちを、このように祝福しなければならない.……『エホバがあなたを祝福し、あなたを守られますように.エホバが御顔をあなたの上に輝かし、あなたに対して恵み深くありますように.エホバが御顔をあなたに上げ、あなたに平安を与えられますように』」。

 

「民数記第6章22節から27節でわたしたちは、祭司による祝福の模範を見ます。この祝福は、旧約の祝福でもなく、新約の祝福でもなく、それは三一の神の永遠の祝福です。すなわち、三一の神が彼の神聖な三一の中で、ご自身をわたしたちの中へと分与し、わたしたちの享受となることです」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちに三一の神の永遠の祝福が豊かにありますように。主よ、神聖な三一の神聖な分与がありますように。また、あの邪悪な者から守ってくださいますように。

 

 

分与する三一の神の中で守られ、またあの邪悪な者から守られます

 

  「エホバがあなたを祝福し」とは、エホバがご自身をあなたに与えられることを意味します。しかしながら、神がご自身を与えられるのは、一人の兄弟が贈り物を人に与えるように、単に客観的な方法でではありません。神がご自身をわたしたちに与えられるのは、彼の三一の中で、段階ごとに少しずつです。……「わたしが主から受けた唯一の祝福は、わたしの三一の神です。わたしの三一の神がわたしの祝福です」。 御父は彼の愛の中で、あらゆる方法とあらゆる面でわたしたちを祝福し(参照、エペソ1:3.[民6:24])、また彼の力の中で、……わたしたちを守っておられます(参照、ヨハネ17:11、15)。

 

 民数記第6章24節で、「守る」という言葉は極めて重要です。ヨハネによる福音書第17章11節で主イエスは、御父が彼の御名の中で、わたしたちを守ってくださるようにと祈りました。これは、分与する三一の神の中でわたしたちを守ることです。…… ヨハネによる福音書第17章15節で主イエスは続けて、御父がわたしたちをあの邪悪な者から守ってくださるようにと祈られました。……わたしたちは、分与する三一の神の中で完全に守られるために、またあの邪悪な者から完全に守られるという祝福のために祈るべきです。これは何という祝福でしょう!

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第9日

(朝ごとの食物 サンクスギビング特別集会 第1週1日)

 

全宇宙で、唯一の永遠の祝福は三一の神です

 

エペソ1:10

時代の満了時のエコノミー[経綸]へ至るためです.すなわち、キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを、彼の中でかしらにつり上げようとされたのです

 

「全宇宙で、唯一の祝福は三一の神です。この祝福は、わたしたちの中へともたらされる神聖な三一の神聖な分与を通してわたしたちに臨んで、わたしたちの享受となり、神の神聖なエコノミーを完成します」。

 

 主よ、あなたを愛します。神の神聖な分与は、神がご自身のご計画を完成する手段です。主よ、わたしたちに神聖な三一の分与と享受が日々ありますように。主よ、神聖な三一の神聖な分与を通して、キリストのからだが建造されますように。

 

 

神聖な三一の神聖な分与を通しての結果は、キリストのからだとしての召会です

 

 宇宙全体における唯一の祝福は、神ご自身です。神以外のものは何であれ空虚です。……宇宙の存在は大いなる奇跡ですが、神がなければ宇宙の奇跡的な存在は空虚です。神から離れて、すべてのものは「空の空」です(伝1:2)。神ご自身だけが実際です。彼だけがわたしたちにとって祝福です。もしわたしたちが全宇宙を得ても神を失うなら、最もあわれな人となるでしょう。……神ご自身がわたしたちの祝福であり、この祝福は、神聖な方を彼の神聖な三一(父、子、聖霊)の中で、わたしたちの中へと分与することを通して来ます。

 

 エペソ人への手紙第1章は、どのようにして三一の神が彼の選ばれ、贖われ、造り変えられた人々を彼の神聖な三一の中で祝福しておられるかの記録を、わたしたちに与えています。この章はおもに、神がわたしたちを彼の神聖な三一の中で祝福していることの三つの段階、すなわち、彼がどのように御父の中で(3-6節)、御子の中で(7-12節)、その霊の中で(13-14節)祝福しておられるかについてです。最終的に、神の選ばれた人々への祝福としての神聖な三一のそのような流れの…… 結果は、キリストのからだとしての召会、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です(22-23節)。キリストのからだとしての召会は、神であるすべてを彼の選ばれた人々の中へと分与する流れとしての、神聖な三一の総合的な結果です。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第7日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週6日)

 

代価を払って金、白い衣、目薬としての三一の神を獲得します

 

啓3:8,18

……あなたは少しばかりの力を持っていて、わたしの言を守り、わたしの名を否まなかった…… わたしはあなたに勧める.あなたが富むために、火で精錬された金をわたしから買いなさい.またあなたがまとって裸の恥を現さないために、白い衣を買いなさい.また見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい。

 

「わたしたちはヒラデルヒヤの道を継続するために、ラオデキヤの道から救われなければなりません。ラオデキヤは堕落しゆがんだヒラデルヒヤです(啓3:14-22)。わたしたちはヒラデルヒヤの道を継続したいなら、神の御前にへりくだり、代価を払って金、白い衣、目薬としての三一の神をさらに多く獲得する必要があります(啓3:18)」。

 

 主イエスよ、わたしたちを高ぶりと、なまぬるくなることから救ってください。主よ、わたしたちが代価を払って金、白い衣、目薬としての三一の神を獲得することができますように。わたしたちに与えられた少しばかりの力と恵みを用いて、最善を尽くすことができますように。

          

 

主から受けた恵みを用い、それを費やして、できる限りを尽くして主の言を守ります

 

 わたしたちはヒラデルヒヤに在る召会を非常に高く評価していますが、主は「少しばかりの力」を持っていると言われます。主を喜ばせるのは、わたしたちが強いことではなく、その少しばかりの力を使って成し得る最善を尽くすことです。強くなろうとしないでください。……ただ彼から受けたものを費やしてください。主の恵みを横領してはいけません。……わたしたちのうちの最も小さい者でも、彼からある量の恵みを受けています。あなたはその恵みを費やし、それを使って最善を尽くさなければなりません。

 

 こうするなら、主はあなたを評価して、「よくやった。あなたは少しばかりの力を持っていて、力の限りを尽くし、わたしの言を守り続けた」と言われるでしょう。……主は巨人を喜ばれません。彼は恵みを持っている小さい者たちを喜ばれます。恵みはその容量によって、制限されるかもしれませんが、わたしたちがそれを用い、それを費やしてできる限りを尽くして主の言を守るなら、主は喜ばれます。(「啓示録ライフスタディ(1)」、第15編)

 

 (JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第6日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週5日)

 

主がご自身の回復のためにダビデのかぎを用いて戸を開きます

 

啓3:12

勝利を得る者を、わたしの神の宮の柱にしよう.……わたしはまた彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち天から出て、わたしの神から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記そう。

 

「主がご自身の回復を拡大するためにダビデのかぎを用いて戸を開くことは、わたしたちにとって客観的ですが、キリストはまたダビデのかぎを用いて、主観的にわたしたちの内なる存在の中の戸を開き、わたしたちを造り変え、神の家の中の柱へと建造します。その柱の上には神の御名、新エルサレムの名、主の新しい御名があります(啓2:17.3:12.参照、21:22)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが白い石と柱となって、神の宮の中へと建造されますように。そのために、わたしたちが、神の御名、新エルサレムの名、主の新しい御名の実際を経験し、造り変えられていきますように。

 

 

わたしたちが白い石(啓2:17)と柱となって、神の宮の中へと建造されます

 

 ヒラデルヒヤに在る召会への手紙における導入の言葉である[啓示録第3章7節]において、聖書教師たちが理解するのが最も難しい用語は、「ダビデのかぎ」です。このかぎは主によって用いられて、彼の回復の召会のために戸を開きます。今日、それはまたわたしたち、すなわち彼の回復において主を追い求める者また愛する者のために主によって用いられて、開かれた戸を持って客観的な方法で回復を開展するだけではなく、またそれはわたしたちが白い石(啓2:17)と柱となって、神の宮の中へと建造され、三つの名、すなわち、神の御名、神の都の名、主の新しい御名を帯びるためです(啓3:12)。

 

 宮、神の家はまず現在の時代における召会を指しています(Ⅰコリント3:16-17、Ⅰテモテ3:15)。……最終的に、永遠において宮は新エルサレムとなります。神の家は今日の神の住まいのための召会であり、それは永遠における神の住まいのための神の幕屋と宮の両方としての新エルサレムにおいて究極的に完成します(啓21:3、22)。(リー全集、1994-1997年、第4巻(上)、「アナハイムにおけるさまざまな集会」第19編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第5日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週4日)

 

キリストは神の家(宝物倉)のかぎを持っています

 

イザヤ22:22

わたしはダビデの家のかぎを彼の肩に置く.彼が開けば、だれも閉じることはなく、彼が閉じれば、だれも開くことはない。

 

「わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受するために、命の感覚にしたがって主との接触の中にとどまり、主と接触し続け、自分自身を訓練して霊の中で貧しくなり、心が純粋である必要があります(Ⅱコリント2:10.ローマ8:6.10:12-13.コロサイ3:16.マタイ5:3, 8)」。

 

 主よあなたを愛します。主よ、あなたの中には神のすべての豊富が具体化されていることを感謝します。その豊富を享受するために、わたしたちが自己を否み、十字架を負い、魂の命を失うという「かぎ」を用いることができますように。

 

 

わたしたちは宝物倉としてのキリストの中で神の豊富を享受します

 

 神の家族は宇宙で最大の家族であり、歴代のすべての信者を含みます。この巨大な神聖な家族において、キリストは唯一の執事です。彼はあらゆる面で神の家族を顧み、わたしたちに仕えてくださいます。……すべてを含むキリストは、エリアキムによって予表されるように、その肩に神の家(宝物倉)のかぎが置かれている方でもあります。……

 

 わたしは、イザヤ書第22章22節の直接の適用が、このようなことであると信じます。すなわち、キリストは神の宝物倉の戸を管理するかぎを持っておられ、その宝物倉にはわたしたちの享受のための、キリストにある神の豊富があります。わたしたちは、主がこれらの豊富がわたしたちに開くこと、また彼がこれらの豊富を閉じることを経験しています。彼がこれらの豊富を閉じると、わたしたちは渇き、あるいは内側で失ったという感覚を持ちます。わたしたちの経験は、キリストが彼のすべての豊富に対するかぎを持つ方であることを示します。(「イザヤ書ライフスタディ(2)、第42編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第4日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週3日)

 

神はすべての者と事柄を解雇して、キリストに置き換えます

 

啓3:7

……聖なる者、真実なる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれも閉じることはなく、閉じればだれも開くことのない者が、こう言われる。

 

ガラテヤ2:20

わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.

 

「真の召会生活は、すべての聖徒が解雇され、キリストに置き換えられて、キリストを召会の中のあらゆるものとする生活です。わたしたちはみな「セブナ」であり、真のエリアキムとしてのキリストによって取り除かれ、置き換えられて、彼の複製となり、神の奥義の執事また神のさまざまな恵みの家令となります(コロサイ3:10-11.Ⅰコリント4:1.Ⅰペテロ4:10)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちはキリストと共に十字架につけられ、キリストがわたしたちの中に生きておられます。主よ、わたしたちのすべての事柄がキリストに置き換わり、キリストがすべてとなりますように。

 

 

すべての者とすべての事物がキリストに置き換わり、キリストはすべてとなられます

 

 わたしたちは、神がわたしたちを創造したとき、わたしたちを雇ったこと、そしてわたしたちを十字架につけ、キリストと共に釘づけたとき、わたしたちを解雇したことを見る必要があります。……神はすべての者を、十字架上で解雇されました。そしてすべての者を、キリストに置き換えつつあります[参照、ガラテヤ2:20]。

 神がすべての者とすべての事柄を解雇して、キリストに置き換えた後、まず王国のために復興があり、次に新エルサレムのための新天新地のために復興があるでしょう。……

 

 真の召会生活は、すべての聖徒が解雇され、キリストに置き換えられて、キリストを召会の中のあらゆるものとする生活です。これが、イザヤ書第1章から第23章に隠された神のエコノミーのビジョンです。…… すべての者を雇った神は、最終的にすべての者を解雇しました。それは彼が、すべての者をキリストに置き換えるためです。すべての者とすべての事物がキリストに置き換わるとき、キリストはすべてとなられます。(「イザヤ書ライフスタディ(1)」、第13編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第3日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週2日)

 

ヒラデルヒヤに在る召会は、 主の言葉を守りました

 

啓3:8

……あなたは少しばかりの力を持っていて、わたしの言を守り、わたしの名を否まなかった……。

 

Ⅰテモテ1:3-4

……ある人たちが異なる事を教えたり、作り話や果てしのない系図に、心をとめたりすることがないように命じなさい.そのようなものは、信仰の中にある神のエコノミー[経綸]ではなく、むしろ論議を引き起こすだけです。

 

「ヒラデルヒヤの者たちが「神に対して富んで」(ルカ12:21)いるのは、彼の言葉を祈り読みし、口ずさんで、彼らの心の中に彼の言葉を蓄えることによってです(エペソ6:17-18.詩119:11, 15)。彼らが神の言葉に手を挙げることが示しているのは、彼らが温かく、喜んでそれを受け入れ、それにアーメンと言うことです(48節.ネヘミヤ8:5-6)」。

 

 主よ、あなたを愛します。わたしたちも少しばかりの力を持って主の言葉を守り、主の名を否むことがないようにしてください。主よ、あなたの言葉を祈り読みし、口ずさんで、わたしたちの心の中に主の言葉を蓄えることができますように。

 

 

少しばかりの力しか持っていなくても、使徒たちの教えにとどまり、健康な言葉にとどまります

 

 一つの召会は独特であり、主によって高く称賛されました。それはヒラデルヒヤに在る召会です。…… なぜなら、彼らは言葉を守ったからです(啓3:8)。それが意味するのは、彼らが使徒たちの正当な教えから離れ去らなかったということです。彼らは弱かったのですが、主はなおも彼らを大いに称賛し、少しばかりの力を持っていて、彼の言葉を守ったと告げられました。

 

 正当な教えから離れ去るのは恐ろしいことです。その結果、堕落して、他の教えを取り上げることになります。……わたしは、回復にいる召会の人たちがみな、パウロの務めから離れ去ったアジアにいた人たちに続く者とならないようにと望みます。むしろ、わたしたちがヒラデルヒヤに在る召会の模範に従って、少しばかりの力しか持っていなくても、主の言葉を守るようにと望みます。主の言葉を守りましょう。それは、使徒たちの教えにとどまり、健康な言葉にとどまり、正当なリーダーシップを伴う主からの唯一の啓示にとどまることです。そうすればわたしたちは安全です。(長老訓練、第7巻:「主の動きのための一つ心」、第8章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第2日

(朝ごとの食物 10月長老責任者訓練 第8週1日)

 

「現にある真理」、「最新の」真理を見て、生き、実行します

 

Ⅱペテロ1:12

……あなたがたはこれらの事柄を知っており、また現にある真理の中で堅固にされているのですが、わたしは常にこれらの事柄を、あなたがたに思い起こさせようとしているのです。

 

「わたしたちは「現にある真理」、「最新の」真理を見て、生き、実行して、時代を変え、キリストの再来をもたらす必要があります。わたしたちはその霊が諸召会に語っていること、すなわち、現在の時の神の御声を聞く必要があります(Ⅱペテロ1:12.啓2:7.マタイ16:18.創2:22.エペソ5:25-27.参照、ヨハネ1:23.雅8:13-14)」。

 

 主よ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが現にある真理の中で堅固にされますように。そして、「現にある真理」、「最新の」真理を見て、生き、実行することができますように。主よ、わたしたちに恵み深くあり、現在の時の神の御声を聞くことができますように。

 

 

現にある真理を見て  現在の時の神の御声を聞く必要があります

 

 [ペテロの第二の手紙第1章12節の」「現にある真理」は「今日の真理[あるいは、最新の真理]」と言っても良いでしょう。…… 実は、あらゆる真理は、すべて聖書の中にあります。……しかし、それらはみな聖書の中にありますが、人の愚かさ、不忠信、怠慢、不従順を通して、多くの真理が失われ、人から隠されました。真理はそこにあるのですが、人はそれを見ることができず、触れることができません。時が満ちて神がよしとされる時、ある時期になって、幾らかの真理を解放し、それらを改めて新しく現されます。……

 

 わたしたちは神に感謝しなければなりません。なぜなら神はご自身の偉大な御旨を、わたしたちに得させてくださったからです。わたしたちはへりくだり、ひれ伏して、自分を否まなければなりません。わたしたちははっきり見なければなりません。すなわち今日の働きは、ただ単に人を救い、人が霊的になるのを助けるだけではないのです。……神に感謝します。わたしたちは神の「現にある真理」を知ることができます。どうか神がわたしたちに恵み深くあり、わたしたちが「現にある真理」の落伍者となることがありませんように。(ニー全集、第11巻、第36号、「わたしたちは何であるのか」)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)