神のエコノミーにおける神の恵み 第1週3日~第5週4日

 

6月の祈り 第30日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第5週4日)

 

肉には、サタンと罪と死がいつも共にいます

 

創6:8

しかし、ノアはエホバの目に恩恵を得た。

 

ヨハネ1:16

わたしたちはみな、彼の豊満から、恵みの上にさらに恵みを受けた。

 

「肉はサタンの傑作であり、サタンと罪と死の「集会所」です。恵みは、わたしたちによって享受された神ご自身であり、わたしたちを助けて、肉の状況を対処させます。恵みとは、神ご自身、神の臨在がわたしたちによって享受されて、わたしたちにとってすべてとなり、またわたしたちの中で、わたしたちを通して、わたしたちのためにあらゆることを行なうことです(ヨハネ1:14, 16-17.啓22:21)」。

 

 主よ、わたしたちの肉には、サタンと罪と死がいつも共にいます。ですから、主よ、わたしたちの肉を対処するために、いつも恵みの御座に行かせてください。主よ、わたしたちには、行くことのできる恵みの御座があることを感謝します。

 

 

神がわたしたちに来て、わたしたちと共に立たれる時、それが恵みです

 

 肉は悪魔の同在そのものであり、恵みは神の臨在そのものです。わたしたちはサタンの同在を対処するために、神の臨在を必要とします。……肉はサタンの同在ですが、わたしたちはそれに対抗する恵み、すなわち神の臨在を持っています。……あなたは自分が[サタン]を対処することができると思うでしょうか? そのような考えは忘れなさい。……

 

 サタンはわたしたちより大きいのですが、神はサタンより偉大です。神は最も偉大です。サタンがここでわたしたちと共にいるので、わたしたちは神がいてくださることを必要とします。わたしたちはこう言わなければなりません、「主よ、あなたの敵がここにいることを、あなたは知っておられます。あなたは来て、わたしと共に彼に対抗して立ってくださらなければなりません」。神がわたしたちに来て、わたしたちと共に立たれる時、それが恵みです。(「創世記ライフスタディ(2)」、第27編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第5週3日)

 

しかし、ノアはエホバの目に恩恵[恵み]を得た

 

創世記第6:8

しかし、ノアはエホバの目に恩恵[恵み]を得た。

 

ヨハネ1:17

律法はモーセを通して与えられたが、恵みと実際はイエス・キリストを通して来たからである。

 

啓示録22:21

主イエスの恵みが、すべての聖徒たちと共にあるように。アーメン。

 

「創世記第6章8節は言います、「しかし、ノアはエホバの目に恩恵[恵み]を得た」。肉はサタンの同在そのものであり、恵みは神の臨在そのものです。わたしたちはサタンの同在を対処するために、神の臨在を必要とします。サタンが最善を尽くしてその状況に損害を与えていたとき、神の目に恵みを得た者たちが常にいました。彼らは時代を転換した者たちとなりました(参照、ダニエル1:8.9:23.10:11, 19)」。

 

 主よ、わたしたちはサタンを対処するために、神の臨在を必要とします。主よ、わたしたちが神の目に恵みを得る者たちとなりますように。主よ、 曲がった、よこしまな、淫行の世代に、主よあなたが来て、わたしたちを強め、わたしたちと共に立ち、支えてください。

 

 

神の目に恵みを得た人には神の臨在があり、曲がったよこしまな時代を転換します

 

 恵みとは、神によってわたしたちに与えられる客観的なものだけではありません。恵みとは、わたしたちに来て、わたしたちのために事を行なわれる神ご自身です。あなたは弱いでしょうか? 神は来てあなたの強さとなられます。その神が来られることが恵みです。神が来てあなたと共に立ち、あなたのために、あなたの中で、その状況に直面してくださるからです。これが恵みです。…… 

 

 創世記第6章を注意深く読むなら、ここの恵みは、神がノアに多くの物を与えられたことを意味しないことを見るでしょう。それは、神がノアに来て、ノアと共におられたことを意味します。神の臨在がノアの強さと力でした。ノアは客観的に、神によって与えられたものを享受しただけではなく、神ご自身を享受したのです。曲がった、よこしまな、淫行の世代、その誘惑にだれも抵抗することができなかった世代のただ中で、ノアは主の目に恵みを得ました。神は来てノアを強め、彼と共に立ち、彼を支えられました。それが、ノアが見いだした恵みであり、それはわたしたちが今日、必要とする恵みです。(「創世記ライフスタディ(2)」、第28編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第5週2日)

 

アマレクとイスラエルの間の戦いは、肉とその霊との衝突を描写しています

 

ガラテヤ5:16-17

しかしわたしは言います.霊によって歩きなさい.そうすればあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。なぜなら、肉の欲することはその霊に逆らい、その霊は肉に逆らうからです.この両者は互いに敵対し、その結果、あなたがたは自分の欲する事柄を、行なうことができなくなります。

 

「創世記の記録の主要な目的は、堕落を見せることではなく、堕落した人のために、神の恵みがどれほど多く行なうことができるかを見せることです。アマレクは旧約において、肉を予表します。肉は、堕落した古い人の総合計です。アマレクとイスラエルの間の戦いは、信者たちの内側の肉とその霊との衝突を描写しています(出17:8-16.ガラテヤ5:16-17)」。

 

 主よ、アマレクとイスラエルの戦いにおいて、肉とその霊の戦いを学ばせてください。主よ、アマレクに打ち勝つために、主を食べ飲みして、天でとりなしておられるキリストと、肉と戦う内住の霊としてのキリストに結びつくことができますように。

 

 

アマレク(肉)に打ち勝つために、マナと生ける水の供給、モーセの祈りとヨシュアの戦うことがあります

 

 モーセが山頂で手を挙げることは、昇天したキリストが天でとりなしていることを予表します(ローマ8:34後半……)。ヨシュアは肉と戦う内住の霊としてのキリストを予表します……。アマレクがイスラエルによって打ち破られたのは、マナ(出第16章)と生ける水の供給を通して(17:1-6)、モーセの手を挙げることとヨシュアの戦いによってです。同じように、わたしたちが肉に対して勝利を得るのは、わたしたちの命の供給としてのキリストを食べ飲みすることによって、とりなすキリストと共に祈り、戦う霊としてのキリストと共に肉を死に渡すことによってです(ローマ8:13……)。(出17:11、フットノート1)

 

 山頂で祈っている者として、モーセはキリストを予表しますが、手が重くなった者として、モーセはわたしたちを代表します。これは、キリストが天で祈っているとき、わたしたちも地上で祈る必要があることを表徴します(Ⅰテモテ2:8)。肉は決して変わらず、改善しないので、肉に対して優勢であるために、わたしたちは絶えず祈り……、とりなすキリストに自分自身を結び付ける必要があります。(出17:12、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第27日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第5週1日)

 

あふれるばかりの恵みを受けて、命の中で王として支配します

 

ローマ5:17

……あふれるばかりの恵みとあふれるばかりの義の賜物を受ける者たちは、さらにいっそう一人の方、イエス・キリストを通して、命の中で王として支配します。

 

「わたしたちは、日ごとにまた瞬間ごとに、主を恵みの上のさらなる恵みとして、またあふれるばかりの恵みとして受けて、享受する者たちとなる必要があります。それは、恵みがわたしたちの中で王として支配して、わたしたちが命の中で王として支配するためです(ヨハネ1:16.ローマ5:17, 21)」。

 

 主よ、あなたの恵みがなければ、わたしたちは何も担うことができません。主よ、わたしたちが恵みの御座に進み出ることができますように。そして、時機を得た助けとなる恵みを見いださせてください。わたしたちが命の中で王として支配することができますように。

 

 

大胆に恵みの御座に進み出て、あわれみと、時機を得た助けとなる恵みを見いだします

 

 わたしは若かったころ、ほとんど毎日、祈りの中でこう言いました、「主よ、わたしは恵みの御座に進みます。あなたの恵みの御座で、わたしは時機を得た助けとなる恵みを見いだします。主よ、… わたしはあなたの恵みを毎年、毎週、毎日、毎時間ごとだけでなく、毎分ごとに必要とします。あなたの恵みがなければ、わたしは何も担うことができません」。今日、わたしはやはり主の恵みを毎分ごとに必要とします。……

 

 ですから、わたしは主に言い続けます、「主よ、わたしはあなたの恵みを毎分ごとに必要とします。わたしはあなたが恵み深くあることを、… 知っています。主よ、恵みはわたしの協力を必要としますから、わたしは恵みの御座の前にひざまずいて、わたしの必要に応じる恵みを見いだします」。多くの時、わたしたちは自分の状況に立ち向かうことができませんし、わたしたちに起こりつつあることに直面することができません。しかしながら、恵みの御座と呼ばれる場所があります。大胆に恵みの御座に進み、あわれみと、時機を得たあなたの必要である恵みを見いだしてください。(「創世記ライフスタディ(2)」、第28編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第25日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週6日)

 

神はへりくだる者に恵みを与えます

 

Ⅰペテロ5:5

同じように、若者たちよ、年長者たちに服従しなさい.またあなたがたはみな、互いに謙そんの帯を締めなさい.なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

 

「神はへりくだる者に恵みを与えますが、高ぶる者に敵対します(Ⅰペテロ5:5)。召会生活の中で、わたしたちはみな互いに謙そんの帯を締め、恵みを与える方としての神を享受する必要があります(参照、ヨハネ13:3-5)。へりくだりはわたしたちを、あらゆる種類の破壊から救い、神の恵みをもたらしますが、高ぶりはわたしたちを最高の愚か者にします(ヤコブ4:6.詩138:6.箴29:23)」。

 

 主よ、わたしたちがみな互いに謙そんの帯を締めることができますように。 主よ、わたしたちが神の力ある御手の下に進んでへりくだり、恵みを享受することができますように。

 

 

わたしたちは、神の力ある御手の下に進んでへりくだり、低くならなければなりません

 

 ペテロの第一の手紙第5章5節でペテロは、わたしたちはみな互いに謙そんの帯を締めるべきであると言います。召会にいるすべての者は、長老を含めて、謙そんの帯を締めるべきです。第1章13節でペテロは、思いの腰に帯を締めるよう命じますが、ここでは、彼はわたしたちの全存在に帯を締める必要があることを示します。……この比喩は明らかに、主がご自身を低くして、弟子たちの足、特にペテロの足を洗ったとき、どのように手ぬぐいを腰に巻かれたかについての、ペテロの印象から来ています(ヨハネ13:4-7)。

 

 高ぶることは、自分を他の人々より上に見せることです。…… 高ぶって、自分を他の人の上に見せるのではなく、わたしたちは謙そんの前掛けを締めるべきです。ペテロは、神は高ぶる者に敵対するだけでなく、へりくだる者に恵みを与えられると言います。厳密に言って、この恵みが指しているのは、へりくだる信者たちに増し加えられる、命の供給としての三一の神ご自身です。……わたしたちは、神の力ある御手の下に進んでへりくだり、低くならなければなりません。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、メッセージ33)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第24日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週5日)

 

わたしたちは命の恵みを受け継ぐ相続人です

 

Ⅰペテロ3:7

夫たちよ、同じように、女は自分より弱い器であるので、知識にしたがって妻と共に住み、また命の恵みの共同の相続人として、彼女に誉れを配分しなさい.それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

 

「命の恵みは、信者が強くても弱くても、すべての信者の嗣業です(Ⅰペテロ3:7)。命の恵みとは、わたしたちの命また命の供給としての神聖な三一における神です。わたしたちは命の恵みを受け継ぐ相続人であり、命の恵みを入れる器です(Ⅰペテロ3:7.エペソ1:14.Ⅱコリント4:7)」。

 

 主よ、わたしたちが強くても弱くても、命の恵みはわたしたちの嗣業であることを感謝します。主よ、わたしたちの内側におられる三一の神を命の恵みとして享受させてください。主よ、わたしたちを尊いことに用いられる器としてください。

 

 

わたしたちの内側におられる三一の神を、命の恵みとして受け継ぎます

 

 人は、女を含めて、神を入れる器に造られました(ローマ9:21,23)。キリストにある信者たちは、宝としてのキリストを入れる器です(Ⅱコリント4:7)。神の創造における性質によれば、女は身体的にも心理的にも男より弱いのです。…… 彼女たちもやはり主の器であり、ある誉れに値し、尊いことに用いられる器となることができ(Ⅱテモテ2:21)、誉れを受けるに値するのです。

 

 ペテロの第一の手紙第3章7節でペテロは、夫と妻は「命の恵みの共同の相続人」であると言います。命の恵みとは、わたしたちの命また命の供給としての神聖な三一における神です――御父は命の源であり、御子は命の経路であり、その霊は命の流れであって、わたしたちの内側を、御子と御父と共に流れます(Ⅰヨハネ5:11-12.ヨハネ7:38-39.啓22:1)。すべての信者はこの恵みの相続人です。… 三一の神は今や命の恵みとして、わたしたちの内側におられます。夫と妻の両方は、この命の恵みの共同の相続人です。わたしたちは共に命の恵みを受け継ぎます。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、メッセージ23、1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週4日)

 

神と共にある恵みは、不当に苦しめられても、神のことを覚えて耐え忍びます

 

Ⅰペテロ2:19-20

だれかが不当に苦しめられても、神のことを覚えて悲しみを耐え忍ぶなら、これは恵みです。あなたがたが罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んだとしても、何の誉れがあるでしょうか? しかし、あなたがたが善を行なって苦しみ、耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。

 

「Ⅰペテロ第2章19節から20節の「神と共にある恵み」は、神聖な命のわたしたちの内側での動機づけ、またわたしたちの生活におけるその表現を指しています。わたしたちが召されたのは、苦難のただ中でキリストを恵みとして享受し表現し、キリストの神・人の生活にしたがって、わたしたちの原型であるキリストの複製、コピーとなるためです(Ⅰペテロ2:20-21)」。

 

 主よ、わたしたちが不当に苦しめられても、神のことを覚えて「神と共にある恵み」を享受することができますように。主よ、わたしたちの生活が わたしたちのために苦しみを受けられたキリストの複製となりますように。

 

 

不当な苦しみのただ中で、三一の神を恵みとして表現することは、キリストの複製となることです

 

 ペテロの第一の手紙第2章19節と20節で……ペテロは、神のことを覚えて、わたしたちが進んで悲しみを耐え忍び、不当に苦しめられるなら、すなわち、不正な取り扱いを受けるなら、これは恵みであると言っています。… 文脈によれば、ペテロの第一の手紙第2章19節で語られる不当な苦しみは、未信者の主人たちによって負わされた虐待であるに違いありません。彼らが信者のしもべたちに反対し迫害したのは、しもべたちのクリスチャンの証しのゆえです(Ⅰペテロ3:14-18.4:12-16)。

 

 ペテロ……は、「これは恵みです」と言います[Ⅰペテロ2:19]。そして彼は、キリストはわたしたちに原型を残されたと告げます。恵みと原型は密接な関係があります。だれかが、信者の内側から恵みとしての三一の神の表現を観察し、またこれは恵みであることを承認するとき、この人は原型であるキリストのコピーとなったというしるしがあります。不当な苦しみのただ中で、三一の神を恵みとして表現することは、キリストの複製となることです。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、メッセージ19、20)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週3日)

 

イエス・キリストの出現の時に、もたらされる恵みの上に望みを置きます

 

Ⅰペテロ1:13

……イエス・キリストの出現の時に、あなたがたにもたらされる恵みの上に望みを完全に置きなさい。

 

Ⅱテモテ1:9-10

神はわたしたちを救い、聖なる召しをもって召してくださいました.それは……彼ご自身の定められた御旨と恵みによります.キリスト・イエスの中で、もろもろの時代の前にわたしたちに与えられていたこの恵みは、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現を通して、明らかにされています.……

 

「イエス・キリストの出現の時に、わたしたちにもたらされる恵みは、魂の救いを指しており、それは神の完全な救いの完成です(Ⅰペテロ1:5, 9-10)」。

 

 主よ、あなたが現れる時に、わたしたちにもたらされる恵みの上に望みを置きます。主よ、あなたの再臨の時にもたらされるこの恵み、魂の救いをこの時代に前味わいとして享受することができますように。

 

 

イエス・キリストが現れる時にもたらされる恵みは、魂の救いを指しており、それは神の完全な救いの完成です

 

 ペテロの第一の手紙第1章13節でペテロはまた、恵みの上にわたしたちの望みを完全に置くようにと命じます。この望みは再生から生じた生ける望みです(3節)。わたしたちは、イエス・キリストが現れる時に、わたしたちにもたらされる恵みの上に、わたしたちの生ける望みを完全に置く必要があります。……この恵みは、……魂の救いを指しており(Ⅰペテロ1:5,9-10)、それは神の完全な救いの完成です。恵みは主の最初の来臨によって、わたしたちにもたらされました(ヨハネ1:17)。それは彼の再臨によって完成されるでしょう。わたしたちはそのような恵みの上に、わたしたちの望みを置くべきです。

 

 今日わたしたちが主の何を享受しても、それは比較的に言って小さな部分です。……この時代は前味わいの時代です。しかし主イエスが戻って来られるとき、わたしたちは完全な味わいを享受するでしょう。……来たるべき完全な味わいは、この唯一の恵みの完成であるでしょう。ペテロの第一の手紙第1章13節の終わり近くでペテロは、イエス・キリストの出現、現れについて語ります。……現在、わたしたちはおおいの下で、主イエスを前味わいとして享受しています。しかしおおいが取り除かれる時が来つつあります。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、メッセージ11)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週2日)

 

わたしたちへと来るべき恵みが啓示されて、神の完全な救いを適用します

 

Ⅰペテロ1:10-12

この救いについては、あなたがたへと来るべき恵みについて予言した預言者たちも、探り求め、またつぶさに調べました.… キリストの苦難とそれに続く栄光を、前もって証しし… 彼らの供給したこれらの事柄が、… あなたがたのためである、ということです.…

 

「旧約の預言者は、わたしたちへと来るべき恵みについて予言しました(Ⅰペテロ1:10)。旧約の預言者の内のキリストの霊は、恵みとしてわたしたちに来るキリストについて、彼らに明らかにしました。このキリストが恵みとして来ることは、彼の肉体と成ること、彼の人の生活と十字架における苦難、また彼の復活、昇天、再来、統治における栄光を通してであり、神の完全な救いをわたしたちに適用するためです(Ⅰペテロ1:5, 9-10.参照、詩第22篇.イザヤ第53章.ダニエル9:26)」。

 

 主よ、あなたは全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか、と言われました。主よ、わたしたちが魂の救いを得て、神の完全な救いの無限の恵みにあずかることができますように。

 

 

信者たちへと来るべき恵みは、わたしたちの魂を救う恵みです

 

 ペテロの第一の手紙第1章10節は、信者たちへと来るべき恵みについて語っています。それは、信者たちの魂の救いについて、探り求め、またつぶさに調べた預言者たちによって予言されました。ここでペテロによって述べられた恵みは、ヨハネによる福音書第1章で述べられた恵みとは異なります。ヨハネは、… 恵みはイエス・キリストを通して来たと言います(14,17節)。恵みはイエス・キリストを通して、イエスの肉体と成ることと共に来ましたが、ペテロは、まだない、来るべき恵みがあると言っています。この恵みは旧約では述べられませんでしたが、信者たちの魂の救いについて、探り求め、またつぶさに調べた預言者たちによって予言されました(Ⅰペテロ1:9)。…

 

 ペテロが語った恵みは、信者の魂の救いのためでした。ペテロが恵みとして教えるものは、わたしたちの霊や体を救う恵みではなく、わたしたちの魂を救う恵みです。主イエスは言われました、「人が全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか?」(マルコ8:36)。… これは魂が救われる必要があることを示しています。あなたの魂を救うために、全世界を犠牲にしても、それは価値があります。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙における結晶の学び」、第24編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第20日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第4週1日)

 

恵みは、わたしたちの苦難、制限、弱さを通して、増し加えられます

 

Ⅱペテロ1:2

恵みと平安が、神とわたしたちの主イエスを知る全き認識の中で、あなたがたにますます満ちあふれますように。

 

「恵みの増し加わりとは、恵みがわたしたちの日常生活の中で、神とわたしたちの主イエスを知る全き認識の中で、増し加わることです。神のエコノミーにおける神の恵みは、豊富で、増し加わり、満ちあふれます(Ⅰペテロ1:2後半.Ⅱペテロ1:2.ヨハネ1:16.エペソ1:6-8.2:7.ローマ5:17, 21.Ⅰテモテ1:14.啓22:21)。 恵みは、わたしたちの苦難、制限、弱さを通して、わたしたちに増し加えられます(Ⅱコリント12:7-9.参照、1:12, 15)」。

 

 主よ、恵みが主イエスを知る全き認識の中で、増し加わることを感謝します。主よ、恵みが苦難、制限、弱さを通して、わたしたちにさらに増し加えられますように。

 

わたしたちは神の増し加わる恵みを絶えず享受しています

 

 神のエコノミーにおける神の恵みは、豊富で、増し加わり、満ちあふれます……神の恵みの豊富はあらゆる制限を超越しています。これらは神ご自身の豊富であって、わたしたちの享受のためです。さらに、神の恵みと、イエス・キリストの恵みの賜物は、多くの人に満ちあふれています(ローマ5:15後半、20後半)。神のエコノミーにおける恵みを経験することで、信者たちはまたあらゆる恵みの神の満ちあふれる供給を受けます[参照、Ⅱコリント9:8]。……

 

 今日、わたしたちはあらゆる恵みをもって、わたしたちに満ちあふれる供給をする神を持っています。わたしたちは神の増し加わる恵みを絶えず享受しています……この恵みは死んだものでなく、生きていて増し加わっています。それは日ごとにわたしたちに増し加えられつつあります。(「神のエコノミーにおける神の律法と恵み」、第2章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週6日)

 

神の恵みとしてのキリストを神の家族に供給します

 

エペソ3:8

……わたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を……福音として宣べ伝えるためであり。

 

エペソ2:7

それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富を……展覧するためでした。

 

「恵みの執事職は、神の恵みを彼の選ばれた民の中へと分与して、キリストのからだとしての召会を生み出し建造するためです(Ⅰコリント4:1-2)。この執事職から、使徒の務めが出てきます。使徒は、神の家の執事であって、神の恵みとしてのキリストを神の家族に供給します(Ⅰコリント9:17)」。

 

 主よ、神の恵みとしてのキリストの計り知れない豊富を感謝します。主よ、キリストのからだとしての召会が建造されますように。主よ、あなたの慈愛の中の恵みの卓越した豊富が召会を通して展覧されますように。

 

 

恵みはわたしたちの命また命の供給としての神です

 

 わたしたちの務めは、神の恵みの賜物にしたがっています。恵みはわたしたちの享受のための神であると言うことは、恵みはわたしたちの命また命の供給としての神であることを意味します(Ⅰコリント15:10.Ⅱコリント12:9)。この命の供給はわたしたちの内側で活動します。この活動する命によって、わたしたちはある能力を持ちます。それは賜物です。ですから、エペソ人への手紙第3章7節でパウロは、「神の恵みの賜物に」したがった奉仕者であると言っているのです。…… この能力は賜物であり、わたしたちを奉仕者として、キリストを他の人たちに分け与えさせます。

 

 わたしたちの務めはキリストの計り知れない豊富を福音として宣べ伝えることです。それは教理を提示することや、単に文字の御言教えることではありません。わたしたちの福音はすべての豊富を伴うパースンです。そのような福音を宣べ伝えることは、キリストの豊富を他の人たちに供給することです。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(2)」、第28編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第17日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週5日)

 

わたしに与えられた神の恵みの執事職は、あなたがたのためです

 

エペソ3:2

あなたがたのために、わたしに与えられた神の恵みの執事職について、あなたがたは確かに聞いていることでしょう.

 

エペソ3:8-9

すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、異邦人に福音として宣べ伝えるためであり、……

 

「エペソ第3章2節で使徒パウロは、恵みの執事職が、からだの肢体のために彼に与えられたと言います(エペソ5:30)。神の恵みの執事職がわたしたちに与えられたのは、わたしたちがキリストのからだの建造のために生活し、仕えるためです(エペソ3:2-7)」。

 

 主よ、キリストと彼のすべての豊富を、わたしたちに分与する神の恵みの執事職を感謝します。主よ、わたしたちがキリストの豊富を享受して、キリストのからだの建造のために生活し、仕えることができますように。

 

 

神の恵みの執事職はキリストのすべての豊富を分与します

 

 神のエコノミーの目的は、ご自身を彼の選びの民の中へと分与して、彼らを彼ご自身と一にすることです。聖書は、神が選びの民の内側に住むこと、神がご自身を完全に彼らと一にしようと願っておられることを啓示しています。神のエコノミーにおける目的はまた、キリストと彼のすべての豊富を、神に選ばれた彼の信者たちの中へと分与して、キリストのからだ、召会を構成し、手順を経た三一の神を表現することです(エペソ3:8-10)。

 

 エペソ人への手紙第3章において、パウロは二つの意味を持つ「オイコノミア(oikonomia)」というギリシャ語を用いています。この言葉は… 神のエコノミーを指しており、… 使徒の執事職も指しています。最終的に、神のエコノミーは使徒の執事職になります。神のエコノミーは、永遠の中で立てられました(9-11節)。使徒の神の恵みの執事職(ギリシャ語は「エコノミー」)は、時間の中で与えられ、恵みの中にある神の永遠のエコノミーを遂行します(2節.Ⅰコリント9:17)。神のエコノミーは神ご自身と共にありますが、使徒の執事職は単に一人の人としてのパウロに与えられただけではありませんでした。執事職はすべての信者に与えられました。(「神聖な啓示の中心路線(上)」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週4日)

 

与えられた恵みにしたがって、さまざまな賜物を持っています

 

ローマ12:6-7

……わたしたちに与えられた恵みにしたがって、さまざまな賜物を持っているのですから、それが預言であれば、信仰の程度にしたがって預言し、奉仕であれば奉仕することに、教える者は教えることに、

 

「からだの中でわたしたちが持っている賜物は、わたしたちに与えられた恵みにしたがって異なっています。これらの賜物は、わたしたちがキリストの恵みを経験したことの結果です(ローマ12:6)。[賜物]はわたしたちの命の成長に伴って、発展して命の賜物となります。それはわたしたちがキリストのからだの中で機能して、神に仕えるためです(ローマ12:6-8)」。

 

 主よ、わたしたちに与えられた恵みにしたがって、さまざまな賜物が与えられていることを感謝します。主よ、わたしたちが神聖な命を恵みとして享受することができますように。主よ、わたしたちの命が成長して、賜物が増し加わりますように。

 

 

ローマ第12章では、賜物が命の度量にしたがって与えられます

 

 ローマ人への手紙第12章の賜物は恵みにしたがっています。これは、賜物が命の度量にしたがって与えられることを意味します。あなたは神の命を高い程度に享受するなら、より高い賜物を受けるでしょう。しかしながら、もしあなたの神の命の享受が制限されているなら、あなたの賜物も制限されるでしょう。なぜなら、あなたの賜物の度量は、あなたが神聖な命を内側の恵みとして享受した程度によって制限されるからです。ローマ人への手紙第12章で数え上げられた賜物は、あなたに突然臨む奇跡的な賜物ではありません。

 

 ローマ人への手紙第12章の賜物は、わたしたちの人の体の肢体の能力のようです。……6節から8節に含まれているすべての項目は、命の中の恵みの賜物です。わたしたちはそれら七つを挙げることができます。すなわち、預言、奉仕、教え、勧め、与えること、導き、あわれみを示すことです。わたしたちは、これら七つの項目のそれぞれが、あわれみを示すことを含めて、賜物であることを覚えておく必要があります。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(1)」、第26編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週3日)

 

キリストのからだの実際は、神の恵みを内側で享受することから出てきます

 

エペソ1:6-8

それは、愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美となるためです.その愛する者の中で、わたしたちは彼の血を通しての贖い、すなわち違犯の赦しを受けています.これは、神の恵みの豊富によります.この恵みを、神は……わたしたちにあふれるばかりに及ぼし。

 

「信者たちが神のエコノミーにおける神の恵みを経験することの究極的完成は、キリストの有機的なからだとしての召会です(Ⅰコリント12:12-13, 27.エペソ1:6-8, 22-23)。キリストのからだの実際的な生活と建造は、神の恵みを内側で享受することから出てきます(Ⅰコリント1:9.Ⅱコリント13:14)」。

 

 主よ、あなたの血を通しての贖い、違犯の赦しを感謝します。主よ、神の恵みの豊富にあずかり、キリストのからだの実際的な生活と建造を持つことができますように。

 

 

神のエコノミーの中で、神の恵みの究極的完成を経験します

 

 信者たちが神のエコノミーにおける神の恵みを経験することの究極的完成は、キリストのからだとしての召会です(エペソ1:6-8、22-23)。…… 使徒パウロにとって、すべての事はちりあくたのようであり、恵みはキリストにある神でした。彼が主のために使徒のだれよりも多く労苦したのは、恵み、すなわち、彼が経験した主によりました。今日、わたしたちもパウロのように、わたしたちの生活、働きの中で、手順を経て究極的に完成された三一の神を恵みとして取るべきです。……

 

 そのような生活の中で、わたしたちは命だけを原則として取ります。命からのものは何であれ、それが神の欲するものです。命でないものは何であれ、神が拒絶するものです。この命は、実質としての父なる神、要素としての子なる神、本質としての霊なる神を伴う豊かな恵みです。この命はわたしたちの恵みとして来た神です。これが、わたしたちの持つべき生活です。どうか主がわたしたちにあわれみ深くあり、わたしたちを祝福してくださいますように。それによってわたしたちはそのような生活をし、最終的に神のエコノミーの中で、神の恵みの究極的完成を経験することができます。(「神のエコノミーにける神の律法と恵み」、第4章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週2日)

 

召会は、恵みの基礎の上に立っています

 

Ⅰコリント1:2-4

コリントに在る神の召会へ、すなわち、キリスト・イエスの中で聖別された者たち、召された聖徒たち、それと共に、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての者へ.……神であるわたしたちの御父と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。わたしは、キリスト・イエスの中であなたがたに与えられた神の恵みに基づき、あなたがたについて、いつもわたしの神に感謝しています。

 

「真の召会は、キリスト・イエスの中で召会に与えられる恵みに基づいています(Ⅰコリント1:2-4)。神の恵みは、召会の霊性や状態に基づいて召会に与えられるのではありません。召会は、恵みの基礎の上に立っています。それは、召会がさらなる恵みを受けるためです(啓22:21)」。

 

 主よ、一つの都市にある召会は神の召会であり、恵みの基礎の上に立っています。主よ、わたしたち召会がさらに多くの恵みを、恵みの上にさらに恵みを受けることができますように。

 

 

召会は、恵みの基礎の上に立っており、召会がさらなる恵みを受けるためです

 

 「神の召会へ」[Ⅰコリント1:2a]……が示すのは、召会が神によって所有されていることだけではなく、召会が神をその性質と本質として持っていることです。それは神聖で、普遍的で、宇宙的で、永遠です。「コリントに在る……召会」[2節b]は、一つの都市にある召会であり、具体的な地方にとどまっており、それをその地位、立場としており、諸事におけるその行政のための境界としていました。……その召会はキリストの地方的な証し、……キリストの宇宙的な証しの一部分のためにその地方にとどまっていました。宇宙的な証しは地方的な証しから成っており、構成されています。

 

 召会は、恵みの基礎の上に立っています。それは召会がさらなる恵みを受けるためです。わたしたちは、恵みを基礎として受けています。そして今日、わたしたちは恵みの上に立っているので、…… わたしたちにはさらに多くの恵みを、恵みの上にさらに恵みを受ける資格さえあります。(「純粋な召会」)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第13日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第3週1日)

 

神のエコノミーにおける恵みの下で生活します

 

Ⅱコリント1:12

わたしたちの誇りとするのは次のことです.それは、わたしたちの良心の証しするところです.すなわち、わたしたちはこの世にあって、神の純粋さと誠実の中で、肉の知恵においてではなく、神の恵みの中で振る舞いました.そして、あなたがたに対しては、ますますそのように振る舞いました。

 

「神のエコノミーにおける恵みの下での新約の信者たちの生活は、手順を経て究極的に完成された三一の神を恵みとして経験する生活全体です(ガラテヤ6:18.ヘブル4:16.啓22:21)。わたしたちのクリスチャン生活は、本質的に、神をわたしたちの恵みとする生活です(Ⅱコリント1:12)。

 

 主よ、正しいか間違っているか、良いか悪いかという生活から、わたしたちを救ってください。主よ、わたしたちが手順を経て究極的に完成された三一の神を恵みとして経験する生活をすることができますように。

 

 

わたしたちの生活全体は、三一の神が手順を経てわたしの中で恵みとなる生活です

 

 神のエコノミーにおける恵みの下での新約の信者たちの生活は、手順を経た三一の神を恵みとして経験する生活全体です。それは何を行なうかの事柄ではありません。… 生活全体とは、わたしの生活がすべて、三一の神が手順を経てわたしの中で恵みとなる生活であることを意味します。……生活全体は、一日二十四時間を意味します。わたしは目覚めていても寝ていても、三一の神をわたしの命またパースンとします。わたしは彼の行動について行きます。わたしは彼と共に行動します。二つの霊は一つ霊となり、二つの命は共に生き、二つの性質は共にミングリングされます。これが恵みとしての三一の神を経験する生活全体です。

 

 生活全体とは、正しいか間違っているか、良いか悪いか、それ以外の事柄についての生活ではなく、生けるパースンの生活です。この生けるパースンの生活とは、手順を経た三一の神と、三部分から成る造り変えられた人とがミングリングされた生活です。ですから、神はわたしたちの恵みとなり、わたしたちはこの恵みの中で生きます。(「神のエコノミーにける神の律法と恵み」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週6日)

 

神の増し加わりによって成長します

 

Ⅰペテロ5:10

しかし、あらゆる恵みの神、キリスト・イエスにあってあなたがたをご自身の永遠の栄光の中へ召してくださった方……。

 

コロサイ2:19

かしらに結び付いていないのです.この方から、からだ全体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。

 

「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの恵み……の中で成長しなさい」(Ⅱペテロ3:18前半)。恵みとは、神ご自身がわたしたちの命として、わたしたちと一になり、わたしたちを救い、わたしたちの中にご自身のホームを造り、わたしたちの内に形づくられることです。恵みの中で成長することは、神の増し加わりの中で成長することです(コロサイ2:19」。

 

 主よ、わたしたちの主また救い主イエス・キリストの恵みの中で成長することができますように。永遠の命の満ちあふれる供給によって成長することができますように。主よ、恵みを享受することと、真理を認識することによって成長することができますように。

 

 

クリスチャン生活は恵みの生活、恵みの経験です

 

 わたしたちは最も重要な点に来ました。それは信者が経験することでの神のエコノミーにおける恵みです。信者たちの毎日の経験は、恵みでなければなりません。もしそれが恵みでないなら、それは信者の経験ではありません。もしそれが恵みでないなら、それはクリスチャン生活ではありません。クリスチャン生活は恵みの生活、恵みの経験でなければなりません。……恵みは神の具体化、すなわちキリストです。ですから、信者たちが経験する恵みとは、神の具体化であるキリストです。(「神のエコノミーにおける律法と神の恵み」、第3章)

 

 恵みの中で成長するとは、神聖な力(Ⅱペテロ1:3-4)によって備えられた永遠の命の満ちあふれる供給によって成長することであり、主の知識の中で成長するとは、キリストが何であるかを認識することによって成長することです。これは恵みを享受することと、真理を認識することによって成長することです(ヨハネ1:14)。(新約の結論(23)、メッセージ390)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第10日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週5日)

 

わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです

 

ピリピ4:13

わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。

 

Ⅱコリント1:12

……わたしたちはこの世にあって、神の純粋さと誠実の中で、……神の恵みの中で振る舞いました.そして、あなたがたに対しては、ますますそのように振る舞いました。

 

「使徒パウロを動機づけ、彼の中で活動した恵みは、ある事物ではなく、生けるパースン、復活したキリスト、父なる神の具体化が、すべてを含む、命を与える霊と成った方、使徒の中に彼のすべてとして住んだ方です。そのようなキリストの中で、パウロは力づけられて、いっさいの事柄を行ないました。これが神の恵みです」。

 

 主よ、復活したキリストがわたしたちの中におられることを感謝します。すべてを含む命を与える霊と成った方が、わたしたちの中に住んでおられます。主よ、いつもあなたの中でわたしたちを力づけてくださいますように。

 

 

「力づけてくださる方」は、命を与える霊と成った、復活したキリストです

 

 復活したキリストを見たすべての弟子たちと使徒たちは、客観的に彼を見ただけでなく、主観的に彼を経験しました。彼らがキリストを見ることを通して、彼は彼らの中に入り、彼らの中で主観的な方となられました。ペンテコステの日が来た時、これが、彼らが生き生きとしており、活気に満ち、活動的であった理由です。復活したキリストが彼らの中におられました。

 

 使徒[パウロ]を動機づけ、彼の中で活動した恵みは、ある事物ではなく、生けるパースン、復活したキリスト、父なる神の具体化が、すべてを含む、命を与える霊と成った方、使徒の中に彼のすべてとして住んだ方です。これは、ピリピ人への手紙第4章13節のパウロの宣言に符合します、「わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです」。… これが神の恵みです(「新約の結論(19)」、メッセージ313)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週4日)

 

神の恵みによって、今のわたしがあるのです

 

Ⅰコリント15:10

神の恵みによって、今のわたしがあるのです.そしてわたしに対する神の恵みは、無駄にはなりませんでした.……わたしは彼らのだれよりも多く労苦してきました.しかし、それはわたしではなく、わたしと共にある神の恵みです。

 

ガラテヤ2:20-21

わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を……信仰の中で生きるのです。わたしは神の恵みを無にしません。……

 

「Ⅰコリント第15章10節で三度、述べられている恵みは、復活したキリストが命を与える霊と成って(45節)、復活における手順を経た三一の神をわたしたちの中へともたらし、わたしたちの命また命の供給となり、わたしたちに復活の中で生きさせます」。

 

 主よ、わたしと共にある神の恵みを感謝します。主よ、わたしはキリストと共に十字架につけられました。キリストがわたしの中に生きておられます。主よ、古い性質が終わらされ、復活の中で生きることができますように。

 

 

わたしたちは復活の中で生み出されて、わたしたちをキリストの肢体とする命を生きます

 

 神の恵みであるキリストは今や、命を与える霊、手順を経た三一の神の究極的完成として、復活の中におられます。彼が復活の中におられるのですから、わたしたち彼の信者たちも復活の中にいるべきであり、また復活の中で生きるべきです。復活とは、古い、天然のものがすべて終わらせられたこと、そして新しい、霊のものが生み出されたことを意味します。これが復活です。

 

 すなわち、天然のものが終わらされ、霊のものが生み出されること、天然のものを造り変えて霊のものにすることです。復活の中で、わたしたちは天然の命を生きるのではなく、古い性質において終わらされ、新しい性質において生み出されて、わたしたちをキリストの肢体とする命を生きるのです。(「新約の結論(19)」、メッセージ313)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週3日)

 

神は継続的にその霊を供給しておられます

 

ガラテヤ3:5

それでは、彼があなたがたにその霊をあふれるばかりに供給し……。

 

ガラテヤ3:2

……あなたがたがその霊を受けたのは、律法の行ないに基づいているのですか、それとも信仰を聞くことに基づいているのですか?

 

「わたしたちは神の子供たちとして、わたしたちの霊の中で、わたしたちの主の恵みを受けて享受する者となるべきです(Ⅱコリント13:14.ピレモン25節)。恵みの霊としてのキリストを受けることは、生涯にわたる継続的な事柄です(ヨハネ1:16.啓22:21)」。

 

 

 主よ、その霊をあふれるばかりに供給してくださることを感謝します。主よ、わたしたちがその霊を継続的に受けることができますように。主よ、わたしたちが信仰を聞いて、主の恵みを受け、享受する者とならせてください。

 

 

恵みの霊としてのキリストを受けることは、生涯にわたる継続的な事柄です

 

 ガラテヤ人への手紙第1章と第2章は啓示に関してであり、わたしたちの中に啓示された神の御子と、わたしたちの中に生きておられるキリストとについて語っています。しかし第3章2節で見られるように、経験に目を向けると、わたしたちが受ける方はその霊であることを認識します。その霊は神の御子キリストのパースンです。

 

 その霊を受けることは、一度だけ起こるのではありません。呼吸と同じように、それは生涯にわたる事柄です。こういうわけで、第3章5節でパウロは、現在時制を用いているのです。……ここでパウロは、神がその霊を供給されたとか、神がその霊を供給されるであろうと言っているのではありません。彼は、神はその霊を供給しておられると言っています。神は継続的にその霊を供給しておられるので、わたしたちはその霊を継続的に受ける必要があります。(「ガラテヤ人への手紙ライフスタディ(2)」、第41編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週2日)

 

恵みの御座に進み出て、時機を得た助けとなる恵みとしてのキリストを受けます

 

ヘブル4:16

ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか。

 

ガラテヤ6:18

兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。アーメン。

 

「神のエコノミーの的は、キリストが今日、わたしたちの霊の中で神の恵みであるということです(ガラテヤ6:18)。イエス・キリストの恵みとは、わたしたちが自分の人の霊を活用することを通して享受した、三一の神(彼は御子の中で具体化され、命を与える霊として実際化されています)の満ちあふれる供給です(ヨハネ1:14.Ⅰコリント15:45後半)」。

 

 主よ、恵みの御座がわたしたちの霊の中にあることを見せてください。主よ、わたしたちがいつもわたしたちの霊を活用して、主の恵みを享受することができますように。

 

 

わたしたちは霊に戻る時はいつも、恵みの御座に触れます

 

 信者たちは神のエコノミーの中で恵みを経験することにおいて、時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ます(ヘブル4:16)。天の御座に座しておられるキリストはまた今、神の住まいがあるわたしたちの霊の中におられます(エペソ2:22)。今日わたしたちの霊は神の住まいの場所であるので、わたしたちは霊に戻る時はいつも、天の御座に触れます。この御座はわたしたちにとって恵みの御座です。わたしたちは恵みの御座に進み出る時、時機を得た助けとなる恵みとしてのキリストを受けます。(「神のエコノミーにおける神の律法と恵み」、第2章)

 

 わたしたちの霊は、わたしたちが恵みを経験することができる唯一の場所です。わたしたちは恵みを受けて享受するために、わたしたちの霊に戻ってそこにとどまり、主をかしらまた王として認め、彼の地位を尊重し、彼の権威を尊びます。わたしたちは恵みの御座がわたしたちの霊の中にあることを見る必要があります(4:16)。(「新約の結論(20)」、メッセージ333)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第6日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第2週1日)

 

神の永遠のエコノミーは、全聖書の中心路線です

 

エペソ3:9

万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミー[経綸]が何であるかを、すべての人を照らして明らかにするためであり、

 

「神の永遠のエコノミーとは、一群れの人々を得て、三一の神がご自身を彼らの中へと分与し、彼らの命またすべてとなって、彼らが彼に結合されて一となり、彼で満たされ、占有され、地上で彼と一つの有機的な実体となって、キリストのからだ、召会となり、彼を団体的に表現することです(エペソ1:3-23)」。

 

 主よ、隠されてきた奥義のエコノミー[経綸]をわたしたちに啓示し、明らかにしてください。主よ、わたしたちが神のエコノミーのために生きることができますように。

 

 

わたしたちのクリスチャン生活は、神のエコノミーのためである生活です

 

 わたしたちはまた、自分が考慮していることの多くは個人の利益のためであることを認めなければなりません。わたしたちは、キリストが戻って来られる時、彼から褒賞を受けるか、それとも刑罰を受けるかということを考慮しているかもしれません。わたしたちは神のエコノミーをあまり考慮していません。詩篇全体は、最初の点から最後の点まで、キリストが完全に神のエコノミーのためであることを啓示しています。

 

 主がわたしたちのために死なれたのは、神のエコノミーを完成するためでした。主がわたしたちを救われるのは、神のエコノミーを完成するためです。また主がわたしたちの中で生きられるのは、わたしたちが神のエコノミーのために彼の中で生きるためです。こういうわけで、わたしたちは召会、キリストのからだであるだけでなく、キリストの王国、神の王国でもあるのです。神の王国は神のエコノミーの完成です。わたしたちはみな、クリスチャン生活は神のエコノミーのためである生活であることを認識しなければなりません。(クリスチャン生活、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第1週6日)

 

わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富が展覧されます

 

エペソ1:5-6

みこころの大いなる喜びにしたがい、・・・・ 愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美となるためです。

 

エペソ2:7

それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の中の彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代において展覧するためでした。

 

「キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する彼の慈愛の中で、神は彼の恵みによってわたしたちを救いました。そのような慈愛の中で、神の恵みはわたしたちに与えられます(エペソ2:7.ローマ2:4)。来たるべき時代に、すなわち、千年期と永遠において、神は彼の恵みの卓越した豊富を全宇宙に展覧します(エペソ2:7)」。

 

 主よ、わたしたちに対する慈愛の中の神の恵みの卓越した豊富を経験し、享受することができますように。主よ、わたしたちがあなたの慈愛の中で、真に神を賛美し、神をほめたたえる者とならせてください。

 

 

自分を忘れ、真に神を賛美します

   

 神の恵みの栄光の「賛美」とは何でしょうか? ……わたしたち、神の子たちは、あまり神を賛美しません。普通は神に感謝するだけです。「主を賛美します」と言う時、それはしばしば「主に感謝します」を意味しています。神に感謝するとは、わたしたちがある利益を受けて、そのゆえに神に感謝することを意味します。しかし神を賛美する時、わたしたちが神から何かの利益を受けたかどうかではなく、第一義的に神が何であるか、何を行なうかのゆえに神を賛美するのです。

 

 神を賛美するのにあなたは自分を忘れ、自分の外にいる必要があります。真に神を賛美している時、あなたは存在していないかのようです。あなたはただ神を、彼が何であり、何を行なうかだけを見ます。ですから、あなたは彼を賛美し、彼をほめたたえるのです。(エペソ人への手紙ライフスタディ(1)、第5、21編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第3日

(朝ごとの食物神のエコノミーにおける神の恵み 第1週5日)

 

わたしたちが救われたのは、 恵みにより、信仰を通してです

 

エペソ 2:8

なぜなら、 あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通してであって、これは、あなたがた自身から出たものではなく、 神の賜物であるからです。

 

「エペソ第2章8節でパウロは言います、 「あなたがたが救われたのは、恵みにより、 信仰を通してであって、 これは、あなたがた自身から出たものではなく、 神の賜物である」。恵みとは、わたしたちの中へと分与される神です。 ですから、 恵みによって救われることは、手順を経た三一の神がわたしたちの中へと分与されることによって救われるということです」。

 

 主よ、あなたは恵みとして、 わたしたちの中へと分与される神です。 主よ、わたしたちが恵みにより、信仰を通して救われたことを感謝します。 主よ、 三一の神がわたしたちの中へと分与され、 わたしたちの中へと造り込まれますように。

 

 

恵みとは、わたしたちに与えられた事物ではなく、 わたしたちの中へと分与される三一の神です

 

 エペソ人への手紙で、恵みとは、わたしたちの中へと分与される神を意味します。ですから、恵みによって救われることが意味するのは、神がわたしたちの中へと分与されることによって救われるということです。 大部分のクリスチャンは、恵みをパースンとしてではなく、事物と考えます。 彼らにとって、 恵みは彼らに無代価で与えられた単なる賜物です。この恵みの観念によれば、 わたしたちは神の救いに値しない罪人でしたが、 神は過分な恩顧を与えることによって、 わたしたちを無代価で救ってくださいました。 しかしながら、これは恵みによって救われることが意味しているものの表面的な理解です。

 

 ヨハネによる福音書第1章17節は、恵みはイエス・キリストを通して来たと言っています。これは、恵みはパースンのようなものであることを示しています。 エペソ人への手紙が啓示しているのは、救う恵みとは、神ご自身がキリストの中でわたしたちの存在の中へと造り込まれることであるということです。 恵みによって救われることが意味するのは、三一の神がわたしたちの中へと分与されることによって救われるということです。(「エペソ人への手紙ライフスタディ (1)」 第21編)

 

(JGW 日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第1週4日)

 

わたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美となります

 

エペソ1:6

それは、愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美となるためです。

 

マタイ3:17

すると見よ、天からの声が言った、「これはわたしの子、愛する者、わたしは彼を喜ぶ」。

 

「わたしたちの神また父は「愛する者の中で、……わたしたちを恵まれ」ました(エペソ1:6後半)。神がわたしたちを恵まれることが意味するのは、神がわたしたちを恵みの地位に置いて、わたしたちを神の恵みと恩恵の対象とならせること、すなわち、わたしたちにとって神が何であるかのすべてを、わたしたちが享受することです(エペソ1:6後半)」。

 

 主よ、わたしたちを恵みの地位に置いて、わたしたちを神の恵みと恩恵の対象としてくださったことを感謝します。主よ、神の愛する御子の中で、神の喜びはわたしたちにあり、わたしたちも神の中で幸いです。

 

 

神の喜びはわたしたちにあり、わたしたちも神の中で幸いであり、最終的に相互の享受があります

 

 エペソ人への手紙第1章6節は、愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれたと言っています。…… わたしたちは恵みの地位におり、恵みの対象であるので、神はわたしたちを喜ばれ、彼の喜びはわたしたちにあります。そしてわたしたちは彼を享受しており、彼の享受となりつつあります。ですから、相互の享受があります。

 

 6節の愛する者とはキリスト、神の愛する御子であり、神は彼を喜ばれます(マタイ3:17.17:5)。ですから、神はわたしたちを恵まれることにおいて、わたしたちを、神が喜ばれる対象とされます。これは完全に神にとって喜びです。キリストの中で、わたしたちはあらゆる祝福をもって、神に祝福されています。この愛する者の中で、わたしたちは恵まれ、神の恩恵と喜びの対象とされました。わたしたちはそのような対象として、神の恵みの中で、神の喜びである神の愛する者の中で、神を享受し、また神にわたしたちを享受していただきます。彼の愛する者の中で、わたしたちも彼の喜びとなります。(「新約の結論(20)」、メッセージ333) 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


6月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  神のエコノミーにおける神の恵み 第1週3日)

 

三一の神は手順を経過して、わたしたちにとって恵みとなりました

 

ヨハネ1:14

そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた.それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。

 

「恵みは、神の具体化であり、彼は神・人と成って、神性と人性を持っており、人の生活を経過し、死んで、復活し、昇天の中へと入りました。今や彼は命を与える霊であり、わたしたちの中に住んでいます(Ⅰコリント15:45後半.6:17)」。

 

 

 主よ、あなたはその霊としてわたしたちに享受される神聖な恵みとなられたことを感謝します。そして主よ、御子はその霊として実際化され、わたしたちの中に住んでおられます。このように手順を経て究極的に完成された三一の神を経験し、享受させてください。

 

 

御子はその霊として実際化され、わたしたちの中に住まわれます

 

 肉体と成ることにおいて、神である彼はかたちが変わって人と成られました。復活において、肉体の中の神である彼は、再びかたちが変わって命を与える霊と成られました。源としての御父は御子において具体化され、表現されます。御子はその霊として実際化され、信者の中に住まわれます(ヨハネ14:16-20)。今や彼は資格づけられて、わたしたちの恵みとなられます。そのようなかたちが変わった方が恵みです。

 

 その霊は、信者の中で彼らの命また命の供給です。それは第一に、彼らが飲む生ける命の水です(ヨハネ7:37-39)。第二に、彼らが食べる命のパンです(6:63)。第三に、彼らが吸い込む命の息です(20:22)。その霊はまた、彼らによって享受される神聖な恵みとなられます。

 そのような手順を経て究極的に完成された三一の神は、神の新約エコノミーの中で、すべての信者によって、永遠にまで享受される恵みです(啓22:21)。(「神のエコノミーにおける神の律法と恵み」、第3章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)