朝ごとの食物

クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨 第4週5日~第8週 6日

 

1月の祈り 第30日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 6日)

 

群れの模範となりなさい

 

Ⅰペテロ5:2-3

あなたがたの間の神の群れを牧養しなさい.……自ら進んで、神にしたがって……熱心に監督しなさい.……群れの模範となりなさい。 

 

 「ネヘミヤは神を愛した人として、交わりの中で神に祈り、神と接触しました。城壁を再建するために、ネヘミヤは神の言葉に立ち、神の言葉にしたがって祈りました(ネヘミヤ1:1-11.2:4.4:4-5,9」。

 

 主よ、わたしたちもネヘミヤのように、神を愛することができますように。召会を建造するために、神の言葉に立ち、祈る人となりますように。

 

 

復活の中で生きた人:ネヘミヤ

 

 ネヘミヤは、彼の天然の人の中でではなく、復活の中で生きた人でした。彼は進取的でしたが、彼が進取的であったことは他の特徴も伴っていました。第一に、彼は神を愛していました。……彼はまた聖なる地(キリストを表徴する)、聖なる宮(召会を表徴する)、聖なる都(神の王国を表徴する)を愛しました。彼は神を愛しましたが、予表において、彼はまたキリスト、召会、王国をも愛しました。神を愛する者として、ネヘミヤは神と接触した人であり、神に祈りました(ネヘミヤ1:4)。……ネヘミヤは神に信頼し、神と一になりました。……その結果、彼は神の代理となったのです。(ネヘミヤ記ライフスタディ、メッセージ2)

 

 総督ネヘミヤは、王の地位にあり、エルサレムの城壁を再建するために、神のエコノミーを遂行することで心の純粋な人でした。ダビデを含むすべての王とは異なり、彼は利己的ではなく、自分の利益を求めず、情欲にふけりませんでした。ですから、彼は最高の分、すなわち、神が彼の選民に約束された良き地の王職を享受する資格を与えられたのです。彼は自分のことを求めず、人に供給し、城壁を建造しました。……その結果、彼は神に用いられたのです。(ネヘミヤ記ライフスタディ、メッセージ1、5)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 5日)

 

真の勝利者であったネヘミヤ

 

マタイ16:18-19

……わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.……わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.あなたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。

 

  「イスラエルが七十年間、捕囚にされていた時、神は真の勝利者であったネヘミヤのゆえに、なおも時代の行動を持っていました。ネヘミヤは、神にとって時代の価値を持つ者の模範です(ネヘミヤ1:1-11.2:9-20.4:4-5,9.5:10,14-19.8:1-10.13:14,29-31)」。

 

 主よ、純粋で進取的であったネヘミヤの模範を感謝します。わたしたちもネヘミヤのように、神の証しを継続し、保護する建造のために生きることができますように。

 

 

エルサレムの都の城壁の再建

 

 エズラ記は、イスラエルの捕囚からの帰還と神の家の再建の歴史であり、それは神の選民を彼のエコノミーにしたがって地上で神の証しとならせる回復の始まりです。ネヘミヤ記は、エルサレムの都の城壁の再建の歴史であり、それは神の選民の間で神の証しを継続的に回復して、神のエコノミーを完成することであったということです。

 

 ネヘミヤ記の極めて重要な点は、エルサレムの都が、都の中にある神の家にとって防衛と保護であったということです。この事は次のことを表徴します。すなわち、地上での神の住まいまたホームとしての神の家が必要とするのは、神の王国が領域として確立されて、地上での神の行政のための権益を保護し、神のエコノミーを遂行するということです。神の家を再建することは、神が堕落した召会を回復することを予表します。エルサレムの都の城壁を再建することは、神が彼の王国を回復することを予表します。神が彼の家を建造することと彼の王国を建造することは同時に進行します(マタイ16:18-19)。(ネヘミヤ記ライフスタディ、メッセージ1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 4日)

 

神のエコノミーは、男の子によって遂行される

 

啓12:7-9

さて、天では戦いがあった.ミカエルとその御使いたちが、龍と戦ったのである。龍とその使いたちは戦った。しかし、彼らは勝てなかった.そして、天にはもはや、彼らの場所はなくなった。こうして、その大きな龍、あの太古の蛇、「悪魔」とか「サタン」とか呼ばれる者、人の住む全地を欺く者は、投げ落とされた.

 

 「神が必要としているのは、男の子が神の敵を打ち破って神の王国をもたらすことです。それは神の永遠の定められた御旨が完成されるためです。主の回復は、今日の神のエコノミーの実行であり、神のエコノミーは、男の子によってのみ遂行されることができます(啓12:10)」。

 

 主よ、わたしたちを内なる人の中へと増強し、キリストの計り知れない豊富で養ってください。神のすべての武具としてのキリストを着て、神の敵を打ち破ることができますように。

 

 

勝利者は召会に代わって働きを行なう

 

 勝利者が勝利者となるのは、自分自身のために栄光や冠を受けるためではなく、ただひたすら召会全体が取るべき地位を取り、召会に代わって働きを行なうためです。……召会は失敗しました。……召会は神のための立場を獲得していません。残された一群れの人々だけが、召会に代わってその働きを果たし、召会の責任を担っています。この一群れの人々が勝利者たちです。彼らが行なうことは、召会全体の働きと見なされるのです。もし勝利者となる人たちがいるなら、神の目的は達せられ、神は満足されます。これが男の子の原則です。

 

 神の困難は、男の子が携え上げられることによって取り除かれます。神の問題は解決されます。いったん男の子が生まれれば、神の目的はもはや妨げられ得ないかのようです。これが今日、神が召しておられるものです。これが今日、神が注意を払われるものです。神はこのような人たちを得て、神の当初の目的に達することを求めておられます。(ニー全集、第34巻、「栄光の召会」、付録)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第27日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 3日)

 

男の子は主の裁きを執行する

 

啓12:10-11

… 今、わたしたちの神の救いと力と王国と、彼のキリストの権威とが来た.わたしたちの兄弟たちを訴える者、昼も夜もわたしたちの神の御前に彼らを訴える者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血のゆえに、また彼らの証しの言のゆえに、彼に打ち勝った.彼らは死に至るまでも、自分の魂の命を愛さなかった。

 

 「十字架上での主の死を通して、古い蛇であるサタンは裁かれ、追い出されました(ヨハネ12:31.16:11)。その裁きと判決は、男の子(団体の女の子孫)としての勝利者たちによって究極的に遂行され、執行されます(啓12:7-9)」。

 

 主よ、わたしたちが日々、神の恵みにあずかり、堅固にされて、力強い部分へと成長することができますように。男の子の一部分となることができますように。

 

 

男の子としての力強い部分へと成長する

 

 わたしたちはみな主の回復の中に入って来た者ですが、回復の中の者がみな勝利者になると言うべきではありません。……わたしたちは主を見つめて、豊かにされ、強くされ、さらに堅固にされて、女からさらに力強い部分へと成長しなければなりません。…… 

 

 どのようにして、わたしたちは男の子になることができるのでしょうか? 男の子の一部分になろうとするなら、あなたはさらに多く食べ、さらに多く成長し、さらに強くならなければなりません。それを実行上の用語で言うなら、さらに多く祈り、さらに多くの時間を主と共に過ごし、さらに多く御言を食べ、さらに多く主を経験し、さらに多く命の中で成長し、さらに多く消極的なことを対処しなければなりません。…… 

 あなたが男の子の中にいるかどうかは、あなたが神の願い、神の行動、神の永遠のエコノミーにどのように反応するかにかかっています。昼も夜も前進して、あなた自身を完全に、徹底的に神のエコノミーにささげるまでになるなら、あなたは男の子の一部分になるでしょう。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第26日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 2日)

 

勝利者は、神の要求を満たす

 

創3:15

また、わたしは敵意を置く.おまえと女との間に、またおまえの子孫と女の子孫との間に.彼はおまえの頭を打ち砕くが、おまえは彼のかかとを打ち砕く。

 

啓示録12:1-2

また、大いなるしるしが天に見えた.一人の女が太陽を着て、月を足の下にし、十二の星の冠を頭にかぶっていた.彼女は子を宿していたが、陣痛と出産の苦痛で叫んでいた。

 

 「宇宙的な輝く女は、神の民の総合計を表しています。そして究極的に、創世記第3章15節の女の子孫は拡大されて、男の子によって表徴される、勝利を得た信者たち、すなわち、神の民のさらに力強い部分を含みます(啓12:1-2,5,10-11)」。

 

 主イエスよ、あなたは女の子孫として、蛇サタンの頭を打ち砕きました。今、時代の手段である男の子を産み出すための産みの苦しみがあります。主よ、神にとって時代の価値のある男の子、勝利者が産み出されますように。

 

 

男の子は勝利者たちを伴う主イエスである

 

 女の子孫である主イエスは、蛇の頭を打ち砕きました。主はサタン、死の力を持つ者を滅ぼされました。・・・・・・啓示録第12章の宇宙的な女には二つの部分があります。外側の部分は女自身であり、内側の部分は男の子です。…… すべての神の民は、いくらか弱い女ですが、すべての神の民の間にはさらに力強い部分、すなわち男の子、勝利者がいます。……男の子も女の子孫の一部分です。・・・・ この男の子は個人ではありません。彼は団体的です。女自身が個人ではなく、宇宙的で団体的ですから、彼女の子も宇宙的で団体的でなければなりません。・・・・ 

 

 ですから、聖書の記録によれば、主イエスご自身と彼の勝利者たちの両方が、鉄の杖をもって諸国民を治めます。こうして、啓示録第12章5節の男の子は、主イエスと諸召会の中の勝利者たちの両方を含みます。さらに、啓示録第20章4節は、キリストと復活した勝利者たちは千年間、王として支配すると言っています。ですから、啓示録第12章の男の子は、個人の主イエスでもなく、彼から分離した勝利者たちでもなく、勝利者たちを伴う主イエスです。キリストご自身は最初の勝利者です(啓3:21)。導く勝利者として、彼は勝利者たちのかしら、中心、実際、命、性質です。地上の神の民の間に、主イエスと勝利者たちを含むさらに力強い部分があります。ですから、主イエスと彼の勝利者たちが、男の子を構成します。(創世記ライフスタディ、第19編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第25日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第8週 1日)

 

時代の価値を持ち、時代を転換する

 

ヘブル10:22

わたしたちの心はすすがれて邪悪な良心から離れ、体は清い水で洗われ、真実な心で、信仰の全き確信をもって、至聖所に進み出ようではありませんか。

 

「神は、この時代を終結させ、王国の時代をもたらすことを願っています。神はこの事を完成するために、彼の時代の手段を持たなければなりません。[そのために]、わたしたちは三つのものに、すなわち、至聖所に、恵みの御座に、神ご自身に進み出る必要があります。(ヘブル4:16.10:22.7:25.11:6)」。

 

 主よ、あなたはこの時代を終結させて、王国の時代をもたらそうとしておられます。このために、わたしたちが時代の手段となる勝利者となることができますように。

 

 

勝利者たちの原則

 

 神はある事柄に対するご自身の態度を変えられる時、時代の行動をなさいます。それぞれの時代の行動は、神の新しい道をもたらします。神の最も重要な時代の行動は、啓示録第12章にあります。神は、この時代を終結させ、王国の時代をもたらすことを願われます。……どのようにして神はこの時代を終結させ、もう一つの時代をもたらされるのでしょうか? 神は時代の手段を持たなければなりません。これが、神が今日行なおうとしておられることです。……

 

 神の願いは、堕落した被造物を被造物が対処することです。神の定められた御旨によれば、召会全体がサタンを対処すべきなのです。しかしながら、召会は失敗しました。ですから、勝利者たちが立ち上がる必要があるのです。神の定められた御旨は勝利者たちにおいて果たされます。なぜなら、彼らは神と共に働くからです。わたしたちは勝利者たちの原則を、神の言葉を通して見ることができます。(ニー全集、第34巻、「栄光の召会」、付録)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 6日)

 

主イエスよ、来たりませ!

 

Ⅰテサロニケ1:10

また、神が死人の中から復活させられた御子、すなわち、まさに臨もうとしている激怒からわたしたちを救うイエスが、天から来られるのを待っているのかを言い広めているのです。

 

啓22:20

これらの事を証しする方が言われる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アーメン。主イエスよ、来たりませ!

 

 「主を愛し、主の来臨を待ち望み、主の出現を愛する者たちは、勝利を得ます(Ⅰコリント2:9.Ⅱテモテ4:8.啓22:20.17:14)。わたしたちは主の出現を愛すれば愛するほど、今日ますます正常な生活をする必要があります(マタイ24:40-42.Ⅱテサロニケ1:10.3:6-12.Ⅰテモテ5:8)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはすぐに来られます。あなたを命とし、あなたを生き、あなたを大きく表現する者としてください。

 

 

主の出現を愛する生活

 

 ルカによる福音書第12章で、主はある金持ちについて、たとえを話されました。彼は努力して自分のために宝を蓄え、魂を楽しませようとしました。しかし神は彼に言われました、「愚かな者よ、今夜、彼らはあなたの魂を取り去ろうとしている」(ルカ12:16-20)。わたしたちが持つすべての「今日」は、真に主の恵みです。ですから、今日がある限り、まだ息がある限り、わたしたちは主と主の出現を愛し、主の来臨を待ち望み(ピリピ3:20)、常に彼の来臨を励ましとすべきです。

 

 パウロは、良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました。そして裁きの座で義の冠が自分に授けられ、主の出現を慕ってきたすべての人にも授けられると言いました(Ⅱテモテ4:6-8)。彼は主の裁きと王国によって、テモテに、またわたしたちにも、わたしたちが主の出現を愛する生活をすべきであることを思い起こさせました。このことによってわたしたちは落胆したり、後退したり、弱くなったりせず、最後まで忠信であり続けることができます。(神の定められた最新の道とキリストの再臨のしるし、第7章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 5日)

 

主の出現を慕ってきた人たち

 

Ⅱテモテ4:1

わたしは神の御前と、……キリスト・イエスの御前で、彼の出現と彼の王国によって、厳かにあなたに命じます。

 

Ⅱテモテ4:8

…… 義の冠がわたしのために用意されているのです.かの日には、義なる審判者である主が、それをわたしに授けてくださいます.わたしだけではなく、主の出現を慕ってきたすべての人にも授けてくださいます。

 

 主の再来がわたしたちにとって尊いなら、わたしたちは彼の出現を愛します(慕います)(Ⅱテモテ4:8)。主の出現、彼の再臨は、わたしたちにとって警告、励まし、奨励です(Ⅱテモテ4:1,18)。

 

 主よ、わたしたちが主を愛し、主の出現を慕う生活をすることができますように。義なる審判者である主の御前に立つために、最後まで忠信であらせてください。

 

義なる審判者である主の御前に立つ

 

 主の出現を愛することと、主ご自身を愛することは、分離することができません。わたしたちは真に主を愛するなら、彼の出現を愛するでしょう。主を愛し、彼のためにすべてを捨てる者はみな彼の出現をも愛し、彼の褒賞を受けます。主を愛さないで、この世を愛したり、罪を愛したりする者は、主の来臨を恐れます。ですから、主の出現を愛することは、わたしたちが主を愛しており、今日、主のために生きていることの証拠です。ですから、それはまた、わたしたちが主の褒賞を受けるための条件となります。(真理課程―第2段階、1巻、第12課)

 

 今日クリスチャンの間では、主の再来に関して多くの話があります。しかし、主イエスが戻って来るとき、あわれみ深い神として、あるいは恵み深い救い主としてではなく、義なる裁き主として来られることを認識している信者は多くありません。クリスチャンは、自らを準備してこの裁き主の御前に立つようにと警告され、励まされるべきです。(テモテへの第二の手紙ライフスタディ、第7編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 4日)

 

イエスをひたすら見つめて走る

 

ヘブル12:2

わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめていなさい.彼はご自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を耐え忍び、そして神の御座の右に座しておられるのです。

 

 「わたしたちがクリスチャンレースを走るのは、「わたしたちの信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめ」ることによります(ヘブル12:2)」。

 

 主よ、あなたは信仰の創始者であり、完成者です。主よ、あなたをひたすら見つめて、この行程を走ることができますように。

 

 

信仰の創始者、また完成者であるイエス

 

 ヘブル人への手紙第12章2節で、パウロはヘブル人信者たちに、信仰の創始者、また完成者であるイエスを、ひたすら見つめるようにと告げました。……わたしたちがそのようなすばらしい、すべてを含む方としての主をひたすら見つめるなら、彼は天、命、力をわたしたちに供給し、彼であるものすべてをわたしたちに伝達し、注入して、わたしたちが天のレースを走り、地上で天の生活をすることができるようにしてくださいます。そして主は、全生涯の行程を通してわたしたちを携え、栄光へ導き入れてくださいます(ヘブル2:10)。

 

 すばらしいイエス、天で御座に着き、「栄光と尊貴を冠として与えられた」(ヘブル2:9)この方は、宇宙において最も強い力を持つ魅力です。主は巨大な磁石のように、すべて彼を追い求める者たちをご自身へ引き付けられます。それは、わたしたちが主以外のすべてのものから目を離して、このような魅了する美しさに引き付けられることによってです。(ヘブル人への手紙ライフスタディ(3)、第50編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第20日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 第3日)

 

行程を走り終える

 

Ⅱテモテ4:7

わたしは良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました。

 

ヘブル12:1

こういうわけで、……わたしたちも、あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨てて、前に置かれているレースを、忍耐をもって走ろうではありませんか。

 

 「正常なクリスチャン生活は、行程、レースを走ることを含みます。それは神の永遠の定められた御旨にしたがって神のエコノミーを遂行するためです(Ⅰコリント9:24)」。わたしたちは、自分が走りたい行程を選ぶことはできません。神がわたしたちの前に置いているレースを走らなければなりません(使徒20:24)」。

 

 主よ、わたしたちには、あなたが定められた行程、レースがあります。わたしたちがこの行程を、忍耐をもって最後まで走り終えることができますように。

 

 

重荷と罪をかなぐり捨てて走る

 

 クリスチャンが永遠の命を得ることについては、問題はありません。しかしながら、クリスチャンが王国を得ることは、彼がどのようにレースを走るかにかかっています。……すべて彼の言葉、行為、思想、生活、また彼に関するすべての事柄は、将来彼が王国を得るかどうかと関係があります。……わたしたちの捨てること、献身、忠信、勝利は、わたしたちを冠を受ける者とします。しかしこの世を願い、自分の肉にしたがって歩く者は、主イエスを通して永遠の命を得ていても、天の王国は依然として彼らのものではないことを見るでしょう。

 

 神はわたしたちの前に王国を置き、わたしたちに走るべきレースを与えてくださいました。このレースの最後にわたしたちは、自分が失敗したのか勝利を得たのかを見るでしょう。……レースはすでに用意されており、走ろうとする者は、「あらゆる重荷と、いとも容易にまといつく罪をかなぐり捨て」なければなりません[ヘブル12:1]。レースを走ることには、二つの重要なことがあります。第一に、わたしたちはあらゆる重荷を捨てなければなりません。第二に、わたしたちは罪をかなぐり捨てなければなりません。(ニー全集、第17巻、第26号)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第19日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 第2日)

 

信仰の中にある神のエコノミー[経綸]

 

Ⅰテモテ1:3-4

わたしが……あなたに勧めたように、あなたは……ある人たちが異なる事を教え……ないように命じなさい.……信仰の中にある神のエコノミー[経綸]……

 

Ⅰテモテ1:18

……あなたに関して前になされた予言にしたがって、良い戦いを戦うようにと、わたしはこの命令をあなたに託します。

 

 「その信仰の良い戦いを戦うことは、神の新約エコノミーのために戦うことを意味します。特に、それは神の具体化としてのキリストのために、またキリストのからだとしての召会のために戦うことです(Ⅰテモテ6:12.1:4.コロサイ2:9,19)」。

 

 主よ、わたしたちを信仰の中にある神のエコノミーの中にとどまり続けさせてください。異なる教えに敵対して戦い、祝福に満ちた神の栄光を現すことができますように。

 

 

使徒たちの教えの中に居続ける

 

 何世紀にもわたって、召会の堕落と衰退には一つの源がありました。それは使徒たちの務めと異なる教えです。使徒行伝第2章42節でわたしたちは、召会生活の初めに、信者たちが使徒たちの教えの中に居続けたことを見ます。これらの教えは「その」務めでした。使徒たちが教え宣べ伝えたものは、キリストと召会以外の何ものでもありませんでした。

 

 使徒たちは、肉体と成り、十字架につけられ、復活し、昇天したキリストを宣べ伝えました。それは、主が復活の命として、信者たちの中へと分け与えられ、召会を生み出すためでした。これが使徒たちの教えの中心点であり、わたしたちがそれを見ることは極めて重要です。聖書には多くの事柄についての教えがあります。しかしながら、使徒たちの務めの焦点は、肉体と成り、十字架につけられ、復活し、昇天し、栄光が現されたキリストが、わたしたちの救い主、命、わたしたちにとってすべてとなって、わたしたちが彼のからだ、召会となるということです。これが新約の啓示の極めて重要な焦点であり、これが神のエコノミーです。(テモテへの第一の手紙ライフスタディ、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 第1日)

 

良い戦いを戦い抜く

 

Ⅱテモテ4:7

わたしは良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました。

 

Ⅱテモテ2:3

キリスト・イエスの良い兵士として、わたしと苦難を共にしなさい。

 

 「正常なクリスチャン生活は、神の王国の権益のために、サタンと彼の暗やみの王国に敵対して良い戦いを戦うことを含みます(エペソ6:10-19)。パウロは務めがキリストのための戦いであると考えました。それは、祭司の奉仕が兵役、戦いであると考えられたようにです(Ⅱテモテ2:3.民4:23,30,35)」。

 

 主よ、わたしたちが神の王国の権益のために、良い戦いを戦い抜くことができますように。わたしたちに与えられた行程を走り終えることができますように。その信仰を守り通すことができますように。

 

 

その信仰を守り通す

 

 テモテへの第二の手紙第4章7節でパウロは三つの項目を述べています。それは良い戦いを戦い抜くこと、行程を走り終えること、その信仰を守り通すことです。正常なクリスチャン生活は三重です。それは神の王国の権益のために、サタンと彼の暗やみの王国に敵対して良い戦いを戦うこと(Ⅰテモテ6:12)、行程を走り、神の永遠の定められた御旨にしたがって神のエコノミーを完成すること(ヘブル12:1)、その信仰を守り通して神の経綸の中の神聖な豊富にあずかること(ガラテヤ3:22)を含みます。

 

 その信仰を守り通すことは、神の新約エコノミー全体、すなわち、神の具体化また神の奥義としてのキリストと、キリストのからだまたキリストの奥義としての召会に関するその信仰を守り通すことです。(テモテへの第二の手紙ライフスタディ、第7編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第6日)

  

豊かな尊さを与えて、体を調和させる

 

Ⅰコリント12:24

……わたしたちの美しい肢体には、その必要はありません。神は欠けている肢体にさらに豊かな尊さを与えて、体を調和させられました.

 

 「キリストのからだの実際のために、神はからだを調和させられました(Ⅰコリント12:24)。「調和(ブレンディング)される」という言葉は、「調整される」、「調和一致される」、「調節される」、「混ぜ合わされる」ことを意味し、それは区別を失うことを暗示します。ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです」。

 

 主よ、キリストのからだの実際のために、わたしたちがさらにブレンディングされますように。わたしたちが十字架を経過し、その霊により、キリストを分与することができますように。

 

 

キリストのからだの実際のためにブレンディングされる

 

 ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです。……わたしが地方召会を尊ぶのは、一つの目的のゆえです。地方召会は、わたしをキリストのからだの中へともたらす手続きです。……ですから、わたしたちが地方召会にいる必要があるのは、キリストのからだの実際の中へと導き入れられ、もたらされることができるためです。・・・・・ (混ざり合いに関する実行的な要点、第1、2章)

 

 ブレンディングが意味することは、わたしたちがいつでも立ち止まって、他の人と交わりを持つべきであるということです。その時わたしたちは多くの益を受けるでしょう。……[ブレンディングは]キリストの宇宙的なからだの一を保つのに最も助けになる事です。・・・・・・ブレンディングは、キリストの宇宙的なからだを建造して(エペソ1:23)、神の大いなる喜びにしたがって(エペソ3:8-10.1:9-10)、神のエコノミーの最終的な目標である新エルサレム(啓21:2)を究極的に完成するためです。(神聖で奥義的な領域、第6章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第5日)

 

からだの中にある感覚と供給

 

コロサイ4:15-16

ラオデキヤにいる兄弟たちに、またヌンパと彼の家の召会によろしく。そして、この手紙があなたがたの間で読まれたなら、ラオデキヤの召会でも読まれるようにしてください.またあなたがたも、ラオデキヤからの手紙を読んでください。

 

 からだの啓示がある所には、必ずからだの感覚があります。もしわたしたちが肢体仲間の助けを拒絶するなら、わたしたちはキリストの助けを拒絶しているのです。遅かれ早かれ、単独のクリスチャンはみな枯渇するでしょう。からだ全体は、肢体の間で相互に依存することを通して建造されます(Ⅰコリント12:12)。

 

 主よ、わたしたちはみなキリストのからだの肢体であることを感謝します。互いにとりなし、すべての肢体を尊ぶことができますように。

 

 

からだの保護と制限

 

 キリストのからだは、肢体に対する保護であるばかりでなく、すべての肢体に対する制限でもあります。……わたしたちは、自分が自分自身の道を行くことを許してはなりません。むしろ、わたしたちは他の兄弟姉妹とブレンディングされることを学ぶべきです。個人的な性情や特異性は、召会の中では何の地位もありません。どの肢体も他の肢体の賜物を尊ぶべきであり、自分自身の賜物に忠信であるべきです。さらに、すべての肢体は自分の度量を知り、自分を高く見すぎるべきではありません。すべての人がこのようであれば、何のねたみも、野心も、他の人ができることをしたくなる願望もなくなるでしょう。……

 

 わたしたちは立ち返ってからだの中の地位を取り、からだによって制限されるべきです。もしわたしたちがこのようであれば、からだは損害を免れます。……わたしたちは渇きを覚えた時、また壁に当たった時、他の兄弟姉妹にわたしたちのためにとりなしてもらう必要があります。そうしてはじめてわたしたちは切り抜けることができます。……わたしたちがからだの中で生きる限り、わたしたちの状態がどうであっても、からだの供給を受けます。肢体はみな、からだの供給を尊ぶことと、すべての肢体を尊ぶことを学ばなければなりません。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第99、100編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第4日)

 

キリストのからだの感覚を持つ

 

Ⅰコリント12:26-27

もし一つの肢体が苦しむなら、すべての肢体が共に苦しみます.もし一つの肢体が栄光を受けるなら、すべての肢体が共に喜びます。今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

 

 「他の肢体と共にキリストのからだの実際の中で生きるために、わたしたちはみなキリストのからだの感覚を持つ必要があります(Ⅰコリント12:24-27.Ⅱコリント11:28-29)」。

 

 主よ、キリストと召会をさらに愛させてください。キリストのからだの啓示が与えられ、からだを見ることができますように。そして、からだの感覚を増し加えてください。

 

 

からだの感覚を持つように学ぶ

 

 召会生活において、わたしたちはからだの感覚を持つように学ばなければなりません。わたしたちが兄弟や姉妹と不和になっているとき、それは確かにわたしたちが神と不和になっていることを意味します。……

 

 からだの啓示のあるところには、からだの感覚があります。そして、からだの感覚があるところでは、個人主義的な考え方や行動は自動的に除き去られてしまいます。キリストを見ることは、罪からの解放という結果になります。からだを見ることは、個人主義からの解放という結果になります。……それは、わたしたちの態度や振る舞いを変える事柄ではありません。啓示がその働きを行ないます。わたしたちは見るという方法以外で、からだの領域に入ることはできません。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第98編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第13日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第3日)

 

主の回復は、シオン(勝利者)を建て上げる

 

ヘブル12:22

しかし、あなたがたが来ているのは、シオンの山に、生ける神の都である天のエルサレムに、……全体の集会に。

 

詩48:1

エホバは偉大であり、わたしたちの神の都、彼の聖なる山で、大いにほめたたえられるべきである。

 

 主の回復は、シオン(勝利者)を建て上げるためにあります。勝利者は、キリストのからだの実際として、新エルサレムにおいて究極的に完成します。召会生活の中で、わたしたちは力を尽くして今日のシオンに到達しなければなりません(エペソ1:22-23.4:16.Ⅰコリント1:2.12:27.啓14:1.21:2.詩84:5)。

 

 主よ、わたしたちが召会生活の中で、シオン(勝利者)となることができますように。わたしたちが神・人の生活をして、今日のシオンに到達することができますように。

 

 

召会生活の中にいる一群れの勝利者

 

 エルサレムは山の上に建てられました。シオンの山は山々の一つであり、その山々の上にエルサレムが建てられました。シオンは中心であり、エルサレムは周辺です。召会生活は今日のエルサレムであり、召会生活の中には、一群れの勝利者がいなければなりません。これらの勝利者は今日のシオンです。啓示録第14章によれば、勝利者は主と共にシオンの山に立っています(1-5節)。実は予表では、勝利者は今日のシオンです。……シオン(勝利者)がなければ、エルサレム(召会生活)は、保たれ維持されることはできません。(バイタルグループの訓練と実行、メッセージ1)

 

 キリストの死は原型であり、パウロは自分をその死の原型の中に入れ、そこで同形化されました[参照、ピリピ3:10]。この人、パウロの上に、すべての人は、十字架のしるしとかたちを見ることができました(ガラテヤ6:14、17……)。彼の古い命は、キリストの復活の力によって、キリストの死のかたちに同形化されました。復活の力は彼を力づけ、神・人の生活をさせました。主は、わたしたちの多くがそのような者となることを期待しておられます。(混ざり合いに関する実行的な要点、第4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第2日)

 

シオンの山の上に立っている勝利者

 

啓14:1

また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山の上に立っており、彼と共に十四万四千人がいて、小羊の名と彼の父の名がその額に記されていた。

 

 「シオンによって予表される勝利者は、キリストのからだの実際であり、諸地方召会の中でからだの建造を究極的に完成して、永遠において究極的に完成した聖なる都、新エルサレムをもたらします。新エルサレムは神の住まいとしての至聖所です。新天新地において、新エルサレム全体はシオンとなり、すべての信者は勝利者となっています(啓21:1-3,7,16,22)」。

 

 主よ、わたしたちが、キリストのからだの実際を持つ勝利者となることができますように。各地の地方召会にシオンの山の上に立つ勝利者を与えてください。

 

 

地方召会の中にいる勝利者

 

 シオンは、召会、聖なる都の高嶺、中心、引き上げるもの、強めるもの、豊かにするもの、実際です。もし一つの地方召会に勝利者がいなければ、その召会はシオンのないエルサレムのようです。……地方召会には何人かの勝利者がいなければなりません。これらの勝利者は、その地方召会の頂点であり中心です。彼らはその地方召会の引き上げるもの、強めるもの、豊かにするもの、実際です。もしこれらの勝利者をその地方召会から取り去るなら、その地方召会は空気の抜けたタイヤのようになります。(バイタルグループの訓練と実行、メッセージ1)

 

 エルサレムは召会を予表します。その中に[勝利者を予表する]シオンの山があります。……エルサレムは大きいですが、シオンは小さいです。エルサレムの本拠地はシオンです。神の心の願いとかかわりがあるときはいつでも、シオンが述べられています。ユダヤ人の失敗と罪とかかわることがあるときはいつでも、エルサレムが述べられています。……

 旧約が毎回、シオンとエルサレムの関係について言う時はいつでも、エルサレムの特徴、命、祝福、確立がすべて、シオンから来ることを示しています。(ニー全集、第11巻、第34号)。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第1日)

 

キリストのからだの実際を知る

 

エペソ1:17

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の御父が、知恵と啓示の霊をあなたがたに与えて、あなたがたに彼を十分に認識させ。

 

 わたしたちはキリストのからだの実際を知り、キリストのからだの実際の領域と内在的な意義の中へと入るために啓示を必要とします。このキリストのからだは神の心の願いであり、神の究極的な定められた御旨です(エペソ1:5,9-11,22-23.ローマ12:1-2)。

 

 主よ、わたしたちに知恵と啓示の霊を与えてください。わたしたちがキリストのからだの実際を見ることができますように。そして、キリストのからだの領域の中に入り、経験することができますように。

 

 

神からの啓示が、からだの領域の中へともたらす

 

 キリストのからだは実際です。召会生活も実際です。神の言葉は、召会はキリストのからだの「ようである」と言っているのではありません。召会はキリストのからだ「である」と言っているのです。……わたしたちのどんなものも、決してキリストのからだの一部になることはできません。なぜなら、からだの中では、「キリストがすべてであり、すべての中におられる」(コロサイ3:11)からです。

 わたしたちの中にあるものでキリストの一部分でないものは、それがどんなものでも、キリストのからだをわたしたちが内側で知ることを妨げます。……わたしたちはみな、キリストのからだの中のわたしたちの地位を見なければなりません。もしわたしたちがからだの中の自分の地位を真に見るなら、それはまるでわたしたちが二度目の救いを受けたかのようでしょう。

 

 キリストのからだは、教理ではありません。それは領域です。それは教えではなく命です。……キリストのからだは、全く異なった領域における経験です。……わたしたちはキリストのからだの実際を知るために、またからだの領域の中へと入るために、啓示を必要とします。神からの啓示だけが、わたしたちをからだの領域の中へともたらし、そうしてはじめて、キリストのからだはわたしたちの経験となります。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第98編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第6日)

 

地上で調和一致するなら、成就される

 

マタイ18:18-19

……あなたがたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。また、まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたのうちの二人が求めるどんな事でも、地上で調和一致するなら、天におられるわたしの父によって成就される。

 

  「祈りの家としての召会の中で、わたしたちは執行する方法で祈って、すでに天で縛られていたものを地上で縛り、すでに天で解かれていたものを地上で解きます。これがからだの祈りです。わたしたちは「調和一致」して求めるときはじめて、このような祈りを持つことができます(マタイ18:18-19)」。

 

 わたしたちの二三人が、地上で調和一致して祈ることができますように。また、わたしたちが、神のみこころを行なおうとする意志を持って祈り、行動することができますように。

 

 

神と協力する意志があってはじめて達成される

 

 神は一つの法則にしたがって働かれることを、わたしたちは必ず見なければなりません。地上には自由意志がありますから、神はご自身のみこころによって人をまっ殺することはされません。……これは事実です。神は天におられます。

 

 しかしながら、地上における彼の働きはすべて、地上においてこの働きに同意し、それを行なうことを決定する意志があってはじめて、達成されることができます。神は、地上における人の意志をわきに置くことはなさいません。神は、地上の意志をはく奪して単独行動することはなさいません。神と関係あるすべてのことは、地上において神と協力する意志があってはじめて達成されるのです。地上が働く時、神が働かれるのです。地上が決定する時、神が行なわれるのです。神は、人の意志を神のみこころと調和させなければなりません。この調和された意志こそ、神の大いなる栄光です!(ニー全集、第22巻、「召会の祈りの務め」、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第5日)

 

キリストのからだを通して行政を遂行する

             

コロサイ3:1

こういうわけで、もしあなたがたがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい.そこにはキリストがいて、神の右に座しておられます。

 

 わたしたちの祈りを通して、かしらであるキリストは道を得て、彼のからだを通して彼の行政を遂行します。かしらが天で働いて、とりなし、供給し、行政を執行しているとき、からだであるわたしたちは地上で働いて、キリストの天の務めに応答し、彼が行なっている事を反映しています(コロサイ1:18前半.2:19.3:1-2.ヘブル2:17.4:14.7:25-26.8:1-2.啓5:6)。

 

 主よ、あなたは天でとりなし、供給し、行政を執行しておられます。わたしたちがあなたの天の務めに応答して祈ることができますように。

 

 

昇天の地位は権威をもたらします

 

 わたしたちは昇天が地位であること、そのような地位にはそれに符合する権威があることを見る必要があります。クリスチャンの霊的生活はただ命の事柄だけでなく、地位の事柄でもあります。ですから、それは力の事柄だけでなく、権威の事柄でもあります。命は力をもたらしますが、地位は権威をもたらします。復活は力の事柄ですが、昇天は権威の事柄です。ある量あるいはある種の権威を持つためには、ある地位にいる必要があります。あなたが天の領域にいるなら、自然に天の権威を持つでしょう。わたしたちの真の祈りはすべて、天の地位において天の権威を行使することです。

 

 祈りの地位は昇天の地位です。あなたは天の領域においてはじめて祈ることができます。天の領域を離れるときはいつも、あなたは祈りの地位を失います。あなたは祈るかもしれませんが、その祈りは神の御前で価値がありません。・・・・・・しかしあなたの地位が正しく、あなたの状態が天の領域にあるなら、そのような祈りは神にとって真の喜びであるでしょう。あなたが祈る言葉は神の行政に等しいのです。それらは彼の命令を執行することに等しいのです。神はそのような祈りに答えてくださると、わたしは証しすることができます。(「祈りの学課、後半」、第17章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第4日)

 

召会、キリストのからだは、祈りの家です

 

列王上8:48

……そしてあなたが彼らの父祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの御名のために建てた家に向かってあなたに祈るなら、

 

 召会、キリストのからだは、祈りの家です(イザヤ56:7.マルコ11:17前)。わたしたちの祈りは、聖なる地、聖なる都、聖なる宮を目当てとすべきです。これが意味することは、わたしたちの祈りが、神の権益、すなわち、地上における神の権益であるキリストと召会を目当てとすべきであるということです(エペソ1:16-23.3:14-21)。

 

  主よ、召会はキリストのからだであり、祈りの家です。今、主よあなたに立ち返り、キリストと召会を愛して、神の権益のために祈らせてください。

 

 

エホバが彼らの祈りを聞き、正しい裁きを行なう

 

 [列王紀上第8章46節から53節において、ソロモンは、]神の民が[将来]捕囚になった時、彼らが心を尽くし魂を尽くしてエホバに立ち返って、……地、……町に向かい、また……家に向かって神に祈る時、エホバが彼らの祈りを聞き、正しい裁きを行なうように……と祈りました。

 

 神が彼の選びの民の祈りを聞かれることに関して、48節で三つの事柄が強調されています。信者たちに対する神の割り当てられた分け前としてのキリストを予表する聖なる地(コロサイ1:12)、キリストにある神の王国を表徴する聖なる都、地上における神の家、召会を表徴する聖なる宮です。これら三つのもの、聖なる地、聖なる都、聖なる宮は、神のエコノミーに関する三つの極めて重要な事柄です。バビロンに捕囚にされていた間、ダニエルはエルサレムに向かって窓を開けて、日に三度、聖なる地、聖なる都、聖なる宮のために祈りました(ダニエル6:10)。これは、神がわたしたちの祈りを聞いてくださるためには、わたしたちの神に対する祈りは、神の永遠のエコノミーの目標であるキリストに対して、神の王国に対して、神の家に対してなされなければならないことを示します。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第6日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第3日)

 

キリストのからだとしての召会の祈り

 

Ⅰコリント12:27

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

 

マタイ16:19

わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.あなたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。

 

「時代の祈りは、個人の信者の祈りではなく、キリストのからだとしての召会の祈りです(使徒12:5後半.啓8:3)。わたしたちは、昇天において主が獲得したものにしたがって祈るとき、主の昇天の地位を取って、彼の主としての身分をこの世の現在の状況に適用することができます(エペソ2:6)」。

 

 主よ、わたしたちはキリストのからだです。あなたは万物の上のかしらです。今、からだの中で、主が獲得し、到達したものにしたがって祈ります。わたしたちがからだに与えられた権威を、行使することができますように。

 

 

権威を行使して祈ることを学ぶ

 

 召会は岩の上に建てられます。この岩は昇天されたキリストです。結果として、ハデス[陰府]の門も召会に勝つことはできません(マタイ16:18)。わたしたちはハデス[陰府]の上に地位を持っています。ですからわたしたちは、かしらによってからだに割り当てられた権威を行使して祈ることを学ばなければなりません。

 

 このような祈りの中へと完全に入り込むために、わたしたちが認識しなければならないさらに二つの事があります。第一に、わたしたちは、キリストのからだの肢体であること、そしてからだの中で生活し、活動し、行動しなければならないことを認識しなければなりません。第二に、日常生活において、わたしたちはいつも新しい人を着なければなりません(エペソ4:24)。新しい人はからだを伴うかしら、すなわち、召会を伴うキリストで構成されています(2:15-16)。消極面において、わたしたちは古い人を脱ぎ捨てる必要があります。積極面において、新しい人を着る必要があります。からだの中に生きて、新しい人を着ることによって、わたしたちは、かしらによってからだに与えられた権威を行使することができます。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第2日)

 

かしらの権威を行使する

 

エペソ1:19-21

また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように.神は、その力をキリストの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、すべての支配、権威、力、主権、……唱えられるあらゆる名を超えて、はるかに高くされました。

 

 召会はキリストのからだであるので、召会の地位はキリストの地位と全く同じです。からだはかしらと一であるので、からだの地位はかしらの地位と全く同じです(Ⅰコリント12:12,27.エペソ5:30)。からだの権威は、からだによって行使されるかしらの権威です(コロサイ1:18.2:19)。

 

 主よ、召会はかしらの権威を行使します。主よ、わたしたちが召会の中で、時代の祈りをすることができますように。

 

 

主の昇天の立場で祈る

 

 わたしたちはまた、主が到達されたことをどのように行使するかも学ぶ必要があります。なぜなら、主は最も高い程度にまで獲得されただけでなく、彼はまた最も高いところに到達されたからです。仮に、あなたが病気になったとしましょう。……

 

 わたしたちが病気になるときはほとんどいつも、わたしたちは主に行き、請い求めます、「主よ、わたしをいやしてください。主よ、わたしにあわれみ深くあってください。主よ、わたしに恵み深くあってください」。これは物乞いのように祈ることです。もしわたしたちが、わたしたちはかしらのからだであること、かしらは天へ昇られ、そして今超越しているというビジョンを持っているなら、わたしたちはその立場を取り、主が到達されたことを要求するでしょう。わたしたちはただ、病に対して要求し、宣言し、そして断言します、「わたしを煩わせるな。おまえはわたしの足の下である!」。わたしたちは同じ方法で罪、弱さ、この世的であることを対処することができます。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第1日)

 

時代の祈り

 

マルコ11:17

……「わたしの家は、すべての諸国民のための祈りの家と呼ばれる」。……

 

「時代の祈りは、キリストのからだとしての召会の祈りであり、すなわち、昇天の主またからだのかしらとしてのキリストの権威を行使する祈りであり、神のエコノミーを成就します(イザヤ45:11.62:6-7.エゼキエル36:37.マタイ18:18-19)」。

 

 主よ、召会は祈りの家です。この家の祈りを通して、あなたのみこころが成就されます。わたしたちに、時代の祈りを学ばせてください。キリストのからだとしての召会の祈りを導いてください。

 

 

キリストのからだとしての召会の祈り

 

 わたしたちは……召会の勝利を得る祈りを考察します。この祈りは時代の祈りです。……クリスチャンとして、わたしたちは祈りに関して何かを知っているかもしれません。しかし、聖書の中に、特に新約の中には、わたしたちの人の観念をはるかに超えている、一種類の祈りがあります。この種類の祈りの中に入るために、わたしたちは天のビジョンを必要とします。・・・・・・

 

 この種類の祈りは個人の信者の祈りではなく、キリストのからだとしての召会の祈りです。これは、わたしたちがキリストの地位と権威を持っているという事実に基づいた祈りです。このような種類の祈りにおいて、わたしたちは主にわたしたちのために何かをしてくださるようにと請い求めません。そうではなく、わたしたちは、主が獲得し、到達されたことを要求します。しかしながら、このように祈るためには、わたしたちは、主が獲得し、到達されたことについてのいくらかの認識を持たなければなりません。キリストは主としての身分と頭首権を獲得されました。彼は主であり、万物の上のかしらです。主としての身分と頭首権は、主が獲得されたことの最も重要な面です。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第4週 第6日)

 

一タラントを隠さないで活用する

 

マタイ25:26-27

主人は彼に答えて言った、「邪悪で怠惰な奴隷よ.あなたは、わたしがまかなかった所から刈り取り、散らさなかった所から集めることを知っていた。それなら、わたしの銀貨を両替人たちに預けておくべきであった.そうすれば、わたしが帰って来た時、利子と共にわたしのものを受け取ったであろう」。

 

 主人が邪悪で怠惰な奴隷に言っているのは、彼が主人の銀貨を両替人たち(銀行)に預けておくべきであったということです。そうすれば、主人は帰って来た時、利子と共に彼のものを受け取ったでしょう(マタイ25:27)。

 

 わたしたちに与えられた一タラントを地に隠さないで、活用することができますように。また、一タラントを両替人たち(銀行)に預けることを学ばせてください。

 

 

自分のタラントを埋めない

 

 あなたは一タラントを受けたなら、それを用いる必要があります。あなたは集会に来る前、こう祈る必要があります、「主よ、わたしは一タラント持っていると信じます。わたしは地上の事とかかわりを持って自分のタラントを埋めたくありません。そうではなく、わたしはそれを用いて人を顧みたいのです」。

 

 ある意味で、銀行はみな、救われたばかりの人、弱い人、若者、後退した人たちであると言ってもよいでしょう。わたしたちは主の財産をこれらの銀行に預ける必要があります。銀行は導く兄弟たちではなく、弱い人、問題を持っている人です。仮に、ある兄弟が異議を唱え、召会について消極的に語るとします。……そのような異議を唱える兄弟が、長老の一人によってではなく、彼を愛し彼を顧みる召会の別の兄弟によって接触されるのは何と幸いなことでしょう! 異議を唱える兄弟が多くの人の接触を受けるなら、彼は最終的に召会に戻って来て、召会のゆえに主を賛美するでしょう。(マタイによる福音書ライフスタディ(3)、第66編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第4週 第5日)

 

タラント「霊的な賜物」を増し加える

 

マタイ25:15-17

彼はある者に五タラント、ほかの者に二タラント、ほかの者に一タラントを、それぞれの能力にしたがって与えた。そして彼は外国へ出かけた。五タラントを受けた者は直ちに行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。同じように、二タラントを受けた者も、ほかに二タラントをもうけた。

 

「タラントで商売をするとは、主がわたしたちに与えてくださった賜物を用いることを表徴します。ほかのタラントをもうけるとは、わたしたちが主から受けた賜物が最大限に用いられて、何の損失も浪費もないことを表徴します(マタイ25:16-17.Ⅰテモテ4:14.Ⅱテモテ1:6.4:5後半)」。

 

 主よ、わたしたちの奉仕が、命の面でさらに豊かになりますように。また、タラントを活用して、主の財産を増し加えることができますように。

 

 

主の財産が増し加わる

 

 マタイによる福音書第24章によれば、奴隷は家族の者たちに食物を供給するためです。これは、命の供給であるキリストの豊富を持つ栄養のある御言を、主の家の人たちに供給することです。しかしながら、第25章ではそのタラントで商売して、タラントを増し加えることを語っています。ですから、わたしたちの奉仕の結果には二つの面があります。第一の面は、人が養われ、豊かな栄養が与えられることです。第二の面は、主の財産が増し加わることです。例えば、わたしたちが福音を宣べ伝えれば宣べ伝えるほど、ますます福音は豊かになります。真理についても同じです。わたしたちが真理を人に供給すると、真理は増し加わります。これは聖徒と召会についてもそうです。信者も召会も増し加わります。……

 

 わたしたちの奉仕の結果は、タラントの増し加わりでなければなりません。主がわたしたちに与えられたものをただ維持することが、主のみこころなのではありません。・・・・・わたしたちの奉仕は、人を養い満足させ、タラントを増し加えるという結果にならなければなりません。(マタイによる福音書ライフスタディ(3)、第65編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)