朝ごとの食物

1月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(3) 第7週 第1日)

 

良い戦いを戦い抜く

 

Ⅱテモテ4:7

わたしは良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました。

 

Ⅱテモテ2:3

キリスト・イエスの良い兵士として、わたしと苦難を共にしなさい。

 

 「正常なクリスチャン生活は、神の王国の権益のために、サタンと彼の暗やみの王国に敵対して良い戦いを戦うことを含みます(エペソ6:10-19)。パウロは務めがキリストのための戦いであると考えました。それは、祭司の奉仕が兵役、戦いであると考えられたようにです(Ⅱテモテ2:3.民4:23,30,35)」。

 

 主よ、わたしたちが神の王国の権益のために、良い戦いを戦い抜くことができますように。わたしたちに与えられた行程を走り終えることができますように。その信仰を守り通すことができますように。

 

 

その信仰を守り通す

 

 テモテへの第二の手紙第4章7節でパウロは三つの項目を述べています。それは良い戦いを戦い抜くこと、行程を走り終えること、その信仰を守り通すことです。正常なクリスチャン生活は三重です。それは神の王国の権益のために、サタンと彼の暗やみの王国に敵対して良い戦いを戦うこと(Ⅰテモテ6:12)、行程を走り、神の永遠の定められた御旨にしたがって神のエコノミーを完成すること(ヘブル12:1)、その信仰を守り通して神の経綸の中の神聖な豊富にあずかること(ガラテヤ3:22)を含みます。

 

 その信仰を守り通すことは、神の新約エコノミー全体、すなわち、神の具体化また神の奥義としてのキリストと、キリストのからだまたキリストの奥義としての召会に関するその信仰を守り通すことです。(テモテへの第二の手紙ライフスタディ、第7編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第6日)

  

豊かな尊さを与えて、体を調和させる

 

Ⅰコリント12:24

……わたしたちの美しい肢体には、その必要はありません。神は欠けている肢体にさらに豊かな尊さを与えて、体を調和させられました.

 

 「キリストのからだの実際のために、神はからだを調和させられました(Ⅰコリント12:24)。「調和(ブレンディング)される」という言葉は、「調整される」、「調和一致される」、「調節される」、「混ぜ合わされる」ことを意味し、それは区別を失うことを暗示します。ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです」。

 

 主よ、キリストのからだの実際のために、わたしたちがさらにブレンディングされますように。わたしたちが十字架を経過し、その霊により、キリストを分与することができますように。

 

 

キリストのからだの実際のためにブレンディングされる

 

 ブレンディングの目的は、わたしたちすべてをキリストのからだの実際の中へともたらすことです。……わたしが地方召会を尊ぶのは、一つの目的のゆえです。地方召会は、わたしをキリストのからだの中へともたらす手続きです。……ですから、わたしたちが地方召会にいる必要があるのは、キリストのからだの実際の中へと導き入れられ、もたらされることができるためです。・・・・・ (混ざり合いに関する実行的な要点、第1、2章)

 

 ブレンディングが意味することは、わたしたちがいつでも立ち止まって、他の人と交わりを持つべきであるということです。その時わたしたちは多くの益を受けるでしょう。……[ブレンディングは]キリストの宇宙的なからだの一を保つのに最も助けになる事です。・・・・・・ブレンディングは、キリストの宇宙的なからだを建造して(エペソ1:23)、神の大いなる喜びにしたがって(エペソ3:8-10.1:9-10)、神のエコノミーの最終的な目標である新エルサレム(啓21:2)を究極的に完成するためです。(神聖で奥義的な領域、第6章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第5日)

 

からだの中にある感覚と供給

 

コロサイ4:15-16

ラオデキヤにいる兄弟たちに、またヌンパと彼の家の召会によろしく。そして、この手紙があなたがたの間で読まれたなら、ラオデキヤの召会でも読まれるようにしてください.またあなたがたも、ラオデキヤからの手紙を読んでください。

 

 からだの啓示がある所には、必ずからだの感覚があります。もしわたしたちが肢体仲間の助けを拒絶するなら、わたしたちはキリストの助けを拒絶しているのです。遅かれ早かれ、単独のクリスチャンはみな枯渇するでしょう。からだ全体は、肢体の間で相互に依存することを通して建造されます(Ⅰコリント12:12)。

 

 主よ、わたしたちはみなキリストのからだの肢体であることを感謝します。互いにとりなし、すべての肢体を尊ぶことができますように。

 

 

からだの保護と制限

 

 キリストのからだは、肢体に対する保護であるばかりでなく、すべての肢体に対する制限でもあります。……わたしたちは、自分が自分自身の道を行くことを許してはなりません。むしろ、わたしたちは他の兄弟姉妹とブレンディングされることを学ぶべきです。個人的な性情や特異性は、召会の中では何の地位もありません。どの肢体も他の肢体の賜物を尊ぶべきであり、自分自身の賜物に忠信であるべきです。さらに、すべての肢体は自分の度量を知り、自分を高く見すぎるべきではありません。すべての人がこのようであれば、何のねたみも、野心も、他の人ができることをしたくなる願望もなくなるでしょう。……

 

 わたしたちは立ち返ってからだの中の地位を取り、からだによって制限されるべきです。もしわたしたちがこのようであれば、からだは損害を免れます。……わたしたちは渇きを覚えた時、また壁に当たった時、他の兄弟姉妹にわたしたちのためにとりなしてもらう必要があります。そうしてはじめてわたしたちは切り抜けることができます。……わたしたちがからだの中で生きる限り、わたしたちの状態がどうであっても、からだの供給を受けます。肢体はみな、からだの供給を尊ぶことと、すべての肢体を尊ぶことを学ばなければなりません。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第99、100編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第4日)

 

キリストのからだの感覚を持つ

 

Ⅰコリント12:26-27

もし一つの肢体が苦しむなら、すべての肢体が共に苦しみます.もし一つの肢体が栄光を受けるなら、すべての肢体が共に喜びます。今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

 

 「他の肢体と共にキリストのからだの実際の中で生きるために、わたしたちはみなキリストのからだの感覚を持つ必要があります(Ⅰコリント12:24-27.Ⅱコリント11:28-29)」。

 

 主よ、キリストと召会をさらに愛させてください。キリストのからだの啓示が与えられ、からだを見ることができますように。そして、からだの感覚を増し加えてください。

 

 

からだの感覚を持つように学ぶ

 

 召会生活において、わたしたちはからだの感覚を持つように学ばなければなりません。わたしたちが兄弟や姉妹と不和になっているとき、それは確かにわたしたちが神と不和になっていることを意味します。……

 

 からだの啓示のあるところには、からだの感覚があります。そして、からだの感覚があるところでは、個人主義的な考え方や行動は自動的に除き去られてしまいます。キリストを見ることは、罪からの解放という結果になります。からだを見ることは、個人主義からの解放という結果になります。……それは、わたしたちの態度や振る舞いを変える事柄ではありません。啓示がその働きを行ないます。わたしたちは見るという方法以外で、からだの領域に入ることはできません。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第98編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第13日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第3日)

 

主の回復は、シオン(勝利者)を建て上げる

 

ヘブル12:22

しかし、あなたがたが来ているのは、シオンの山に、生ける神の都である天のエルサレムに、……全体の集会に。

 

詩48:1

エホバは偉大であり、わたしたちの神の都、彼の聖なる山で、大いにほめたたえられるべきである。

 

 主の回復は、シオン(勝利者)を建て上げるためにあります。勝利者は、キリストのからだの実際として、新エルサレムにおいて究極的に完成します。召会生活の中で、わたしたちは力を尽くして今日のシオンに到達しなければなりません(エペソ1:22-23.4:16.Ⅰコリント1:2.12:27.啓14:1.21:2.詩84:5)。

 

 主よ、わたしたちが召会生活の中で、シオン(勝利者)となることができますように。わたしたちが神・人の生活をして、今日のシオンに到達することができますように。

 

 

召会生活の中にいる一群れの勝利者

 

 エルサレムは山の上に建てられました。シオンの山は山々の一つであり、その山々の上にエルサレムが建てられました。シオンは中心であり、エルサレムは周辺です。召会生活は今日のエルサレムであり、召会生活の中には、一群れの勝利者がいなければなりません。これらの勝利者は今日のシオンです。啓示録第14章によれば、勝利者は主と共にシオンの山に立っています(1-5節)。実は予表では、勝利者は今日のシオンです。……シオン(勝利者)がなければ、エルサレム(召会生活)は、保たれ維持されることはできません。(バイタルグループの訓練と実行、メッセージ1)

 

 キリストの死は原型であり、パウロは自分をその死の原型の中に入れ、そこで同形化されました[参照、ピリピ3:10]。この人、パウロの上に、すべての人は、十字架のしるしとかたちを見ることができました(ガラテヤ6:14、17……)。彼の古い命は、キリストの復活の力によって、キリストの死のかたちに同形化されました。復活の力は彼を力づけ、神・人の生活をさせました。主は、わたしたちの多くがそのような者となることを期待しておられます。(混ざり合いに関する実行的な要点、第4章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第2日)

 

シオンの山の上に立っている勝利者

 

啓14:1

また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山の上に立っており、彼と共に十四万四千人がいて、小羊の名と彼の父の名がその額に記されていた。

 

 「シオンによって予表される勝利者は、キリストのからだの実際であり、諸地方召会の中でからだの建造を究極的に完成して、永遠において究極的に完成した聖なる都、新エルサレムをもたらします。新エルサレムは神の住まいとしての至聖所です。新天新地において、新エルサレム全体はシオンとなり、すべての信者は勝利者となっています(啓21:1-3,7,16,22)」。

 

 主よ、わたしたちが、キリストのからだの実際を持つ勝利者となることができますように。各地の地方召会にシオンの山の上に立つ勝利者を与えてください。

 

 

地方召会の中にいる勝利者

 

 シオンは、召会、聖なる都の高嶺、中心、引き上げるもの、強めるもの、豊かにするもの、実際です。もし一つの地方召会に勝利者がいなければ、その召会はシオンのないエルサレムのようです。……地方召会には何人かの勝利者がいなければなりません。これらの勝利者は、その地方召会の頂点であり中心です。彼らはその地方召会の引き上げるもの、強めるもの、豊かにするもの、実際です。もしこれらの勝利者をその地方召会から取り去るなら、その地方召会は空気の抜けたタイヤのようになります。(バイタルグループの訓練と実行、メッセージ1)

 

 エルサレムは召会を予表します。その中に[勝利者を予表する]シオンの山があります。……エルサレムは大きいですが、シオンは小さいです。エルサレムの本拠地はシオンです。神の心の願いとかかわりがあるときはいつでも、シオンが述べられています。ユダヤ人の失敗と罪とかかわることがあるときはいつでも、エルサレムが述べられています。……

 旧約が毎回、シオンとエルサレムの関係について言う時はいつでも、エルサレムの特徴、命、祝福、確立がすべて、シオンから来ることを示しています。(ニー全集、第11巻、第34号)。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第6週 第1日)

 

キリストのからだの実際を知る

 

エペソ1:17

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の御父が、知恵と啓示の霊をあなたがたに与えて、あなたがたに彼を十分に認識させ。

 

 わたしたちはキリストのからだの実際を知り、キリストのからだの実際の領域と内在的な意義の中へと入るために啓示を必要とします。このキリストのからだは神の心の願いであり、神の究極的な定められた御旨です(エペソ1:5,9-11,22-23.ローマ12:1-2)。

 

 主よ、わたしたちに知恵と啓示の霊を与えてください。わたしたちがキリストのからだの実際を見ることができますように。そして、キリストのからだの領域の中に入り、経験することができますように。

 

 

神からの啓示が、からだの領域の中へともたらす

 

 キリストのからだは実際です。召会生活も実際です。神の言葉は、召会はキリストのからだの「ようである」と言っているのではありません。召会はキリストのからだ「である」と言っているのです。……わたしたちのどんなものも、決してキリストのからだの一部になることはできません。なぜなら、からだの中では、「キリストがすべてであり、すべての中におられる」(コロサイ3:11)からです。

 わたしたちの中にあるものでキリストの一部分でないものは、それがどんなものでも、キリストのからだをわたしたちが内側で知ることを妨げます。……わたしたちはみな、キリストのからだの中のわたしたちの地位を見なければなりません。もしわたしたちがからだの中の自分の地位を真に見るなら、それはまるでわたしたちが二度目の救いを受けたかのようでしょう。

 

 キリストのからだは、教理ではありません。それは領域です。それは教えではなく命です。……キリストのからだは、全く異なった領域における経験です。……わたしたちはキリストのからだの実際を知るために、またからだの領域の中へと入るために、啓示を必要とします。神からの啓示だけが、わたしたちをからだの領域の中へともたらし、そうしてはじめて、キリストのからだはわたしたちの経験となります。(ニー全集、第44巻、「キリストの奥義」、第98編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第6日)

 

地上で調和一致するなら、成就される

 

マタイ18:18-19

……あなたがたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。また、まことに、わたしはあなたがたに言う.あなたがたのうちの二人が求めるどんな事でも、地上で調和一致するなら、天におられるわたしの父によって成就される。

 

  「祈りの家としての召会の中で、わたしたちは執行する方法で祈って、すでに天で縛られていたものを地上で縛り、すでに天で解かれていたものを地上で解きます。これがからだの祈りです。わたしたちは「調和一致」して求めるときはじめて、このような祈りを持つことができます(マタイ18:18-19)」。

 

 わたしたちの二三人が、地上で調和一致して祈ることができますように。また、わたしたちが、神のみこころを行なおうとする意志を持って祈り、行動することができますように。

 

 

神と協力する意志があってはじめて達成される

 

 神は一つの法則にしたがって働かれることを、わたしたちは必ず見なければなりません。地上には自由意志がありますから、神はご自身のみこころによって人をまっ殺することはされません。……これは事実です。神は天におられます。

 

 しかしながら、地上における彼の働きはすべて、地上においてこの働きに同意し、それを行なうことを決定する意志があってはじめて、達成されることができます。神は、地上における人の意志をわきに置くことはなさいません。神は、地上の意志をはく奪して単独行動することはなさいません。神と関係あるすべてのことは、地上において神と協力する意志があってはじめて達成されるのです。地上が働く時、神が働かれるのです。地上が決定する時、神が行なわれるのです。神は、人の意志を神のみこころと調和させなければなりません。この調和された意志こそ、神の大いなる栄光です!(ニー全集、第22巻、「召会の祈りの務め」、第1編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第5日)

 

キリストのからだを通して行政を遂行する

             

コロサイ3:1

こういうわけで、もしあなたがたがキリストと共に復活させられたのなら、上にあるものを求めなさい.そこにはキリストがいて、神の右に座しておられます。

 

 わたしたちの祈りを通して、かしらであるキリストは道を得て、彼のからだを通して彼の行政を遂行します。かしらが天で働いて、とりなし、供給し、行政を執行しているとき、からだであるわたしたちは地上で働いて、キリストの天の務めに応答し、彼が行なっている事を反映しています(コロサイ1:18前半.2:19.3:1-2.ヘブル2:17.4:14.7:25-26.8:1-2.啓5:6)。

 

 主よ、あなたは天でとりなし、供給し、行政を執行しておられます。わたしたちがあなたの天の務めに応答して祈ることができますように。

 

 

昇天の地位は権威をもたらします

 

 わたしたちは昇天が地位であること、そのような地位にはそれに符合する権威があることを見る必要があります。クリスチャンの霊的生活はただ命の事柄だけでなく、地位の事柄でもあります。ですから、それは力の事柄だけでなく、権威の事柄でもあります。命は力をもたらしますが、地位は権威をもたらします。復活は力の事柄ですが、昇天は権威の事柄です。ある量あるいはある種の権威を持つためには、ある地位にいる必要があります。あなたが天の領域にいるなら、自然に天の権威を持つでしょう。わたしたちの真の祈りはすべて、天の地位において天の権威を行使することです。

 

 祈りの地位は昇天の地位です。あなたは天の領域においてはじめて祈ることができます。天の領域を離れるときはいつも、あなたは祈りの地位を失います。あなたは祈るかもしれませんが、その祈りは神の御前で価値がありません。・・・・・・しかしあなたの地位が正しく、あなたの状態が天の領域にあるなら、そのような祈りは神にとって真の喜びであるでしょう。あなたが祈る言葉は神の行政に等しいのです。それらは彼の命令を執行することに等しいのです。神はそのような祈りに答えてくださると、わたしは証しすることができます。(「祈りの学課、後半」、第17章)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第4日)

 

召会、キリストのからだは、祈りの家です

 

列王上8:48

……そしてあなたが彼らの父祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの御名のために建てた家に向かってあなたに祈るなら、

 

 召会、キリストのからだは、祈りの家です(イザヤ56:7.マルコ11:17前)。わたしたちの祈りは、聖なる地、聖なる都、聖なる宮を目当てとすべきです。これが意味することは、わたしたちの祈りが、神の権益、すなわち、地上における神の権益であるキリストと召会を目当てとすべきであるということです(エペソ1:16-23.3:14-21)。

 

  主よ、召会はキリストのからだであり、祈りの家です。今、主よあなたに立ち返り、キリストと召会を愛して、神の権益のために祈らせてください。

 

 

エホバが彼らの祈りを聞き、正しい裁きを行なう

 

 [列王紀上第8章46節から53節において、ソロモンは、]神の民が[将来]捕囚になった時、彼らが心を尽くし魂を尽くしてエホバに立ち返って、……地、……町に向かい、また……家に向かって神に祈る時、エホバが彼らの祈りを聞き、正しい裁きを行なうように……と祈りました。

 

 神が彼の選びの民の祈りを聞かれることに関して、48節で三つの事柄が強調されています。信者たちに対する神の割り当てられた分け前としてのキリストを予表する聖なる地(コロサイ1:12)、キリストにある神の王国を表徴する聖なる都、地上における神の家、召会を表徴する聖なる宮です。これら三つのもの、聖なる地、聖なる都、聖なる宮は、神のエコノミーに関する三つの極めて重要な事柄です。バビロンに捕囚にされていた間、ダニエルはエルサレムに向かって窓を開けて、日に三度、聖なる地、聖なる都、聖なる宮のために祈りました(ダニエル6:10)。これは、神がわたしたちの祈りを聞いてくださるためには、わたしたちの神に対する祈りは、神の永遠のエコノミーの目標であるキリストに対して、神の王国に対して、神の家に対してなされなければならないことを示します。

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第6日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第3日)

 

キリストのからだとしての召会の祈り

 

Ⅰコリント12:27

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。

 

マタイ16:19

わたしはあなたに天の王国のかぎを与える.あなたが地上で縛るものはすべて、すでに天で縛られていたものであり、あなたが地上で解くものはすべて、すでに天で解かれていたものである。

 

「時代の祈りは、個人の信者の祈りではなく、キリストのからだとしての召会の祈りです(使徒12:5後半.啓8:3)。わたしたちは、昇天において主が獲得したものにしたがって祈るとき、主の昇天の地位を取って、彼の主としての身分をこの世の現在の状況に適用することができます(エペソ2:6)」。

 

 主よ、わたしたちはキリストのからだです。あなたは万物の上のかしらです。今、からだの中で、主が獲得し、到達したものにしたがって祈ります。わたしたちがからだに与えられた権威を、行使することができますように。

 

 

権威を行使して祈ることを学ぶ

 

 召会は岩の上に建てられます。この岩は昇天されたキリストです。結果として、ハデス[陰府]の門も召会に勝つことはできません(マタイ16:18)。わたしたちはハデス[陰府]の上に地位を持っています。ですからわたしたちは、かしらによってからだに割り当てられた権威を行使して祈ることを学ばなければなりません。

 

 このような祈りの中へと完全に入り込むために、わたしたちが認識しなければならないさらに二つの事があります。第一に、わたしたちは、キリストのからだの肢体であること、そしてからだの中で生活し、活動し、行動しなければならないことを認識しなければなりません。第二に、日常生活において、わたしたちはいつも新しい人を着なければなりません(エペソ4:24)。新しい人はからだを伴うかしら、すなわち、召会を伴うキリストで構成されています(2:15-16)。消極面において、わたしたちは古い人を脱ぎ捨てる必要があります。積極面において、新しい人を着る必要があります。からだの中に生きて、新しい人を着ることによって、わたしたちは、かしらによってからだに与えられた権威を行使することができます。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第2日)

 

かしらの権威を行使する

 

エペソ1:19-21

また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように.神は、その力をキリストの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自身の右に座らせ、すべての支配、権威、力、主権、……唱えられるあらゆる名を超えて、はるかに高くされました。

 

 召会はキリストのからだであるので、召会の地位はキリストの地位と全く同じです。からだはかしらと一であるので、からだの地位はかしらの地位と全く同じです(Ⅰコリント12:12,27.エペソ5:30)。からだの権威は、からだによって行使されるかしらの権威です(コロサイ1:18.2:19)。

 

 主よ、召会はかしらの権威を行使します。主よ、わたしたちが召会の中で、時代の祈りをすることができますように。

 

 

主の昇天の立場で祈る

 

 わたしたちはまた、主が到達されたことをどのように行使するかも学ぶ必要があります。なぜなら、主は最も高い程度にまで獲得されただけでなく、彼はまた最も高いところに到達されたからです。仮に、あなたが病気になったとしましょう。……

 

 わたしたちが病気になるときはほとんどいつも、わたしたちは主に行き、請い求めます、「主よ、わたしをいやしてください。主よ、わたしにあわれみ深くあってください。主よ、わたしに恵み深くあってください」。これは物乞いのように祈ることです。もしわたしたちが、わたしたちはかしらのからだであること、かしらは天へ昇られ、そして今超越しているというビジョンを持っているなら、わたしたちはその立場を取り、主が到達されたことを要求するでしょう。わたしたちはただ、病に対して要求し、宣言し、そして断言します、「わたしを煩わせるな。おまえはわたしの足の下である!」。わたしたちは同じ方法で罪、弱さ、この世的であることを対処することができます。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第5週 第1日)

 

時代の祈り

 

マルコ11:17

……「わたしの家は、すべての諸国民のための祈りの家と呼ばれる」。……

 

「時代の祈りは、キリストのからだとしての召会の祈りであり、すなわち、昇天の主またからだのかしらとしてのキリストの権威を行使する祈りであり、神のエコノミーを成就します(イザヤ45:11.62:6-7.エゼキエル36:37.マタイ18:18-19)」。

 

 主よ、召会は祈りの家です。この家の祈りを通して、あなたのみこころが成就されます。わたしたちに、時代の祈りを学ばせてください。キリストのからだとしての召会の祈りを導いてください。

 

 

キリストのからだとしての召会の祈り

 

 わたしたちは……召会の勝利を得る祈りを考察します。この祈りは時代の祈りです。……クリスチャンとして、わたしたちは祈りに関して何かを知っているかもしれません。しかし、聖書の中に、特に新約の中には、わたしたちの人の観念をはるかに超えている、一種類の祈りがあります。この種類の祈りの中に入るために、わたしたちは天のビジョンを必要とします。・・・・・・

 

 この種類の祈りは個人の信者の祈りではなく、キリストのからだとしての召会の祈りです。これは、わたしたちがキリストの地位と権威を持っているという事実に基づいた祈りです。このような種類の祈りにおいて、わたしたちは主にわたしたちのために何かをしてくださるようにと請い求めません。そうではなく、わたしたちは、主が獲得し、到達されたことを要求します。しかしながら、このように祈るためには、わたしたちは、主が獲得し、到達されたことについてのいくらかの認識を持たなければなりません。キリストは主としての身分と頭首権を獲得されました。彼は主であり、万物の上のかしらです。主としての身分と頭首権は、主が獲得されたことの最も重要な面です。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「時代の祈り」、第2編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第4週 第6日)

 

一タラントを隠さないで活用する

 

マタイ25:26-27

主人は彼に答えて言った、「邪悪で怠惰な奴隷よ.あなたは、わたしがまかなかった所から刈り取り、散らさなかった所から集めることを知っていた。それなら、わたしの銀貨を両替人たちに預けておくべきであった.そうすれば、わたしが帰って来た時、利子と共にわたしのものを受け取ったであろう」。

 

 主人が邪悪で怠惰な奴隷に言っているのは、彼が主人の銀貨を両替人たち(銀行)に預けておくべきであったということです。そうすれば、主人は帰って来た時、利子と共に彼のものを受け取ったでしょう(マタイ25:27)。

 

 わたしたちに与えられた一タラントを地に隠さないで、活用することができますように。また、一タラントを両替人たち(銀行)に預けることを学ばせてください。

 

 

自分のタラントを埋めない

 

 あなたは一タラントを受けたなら、それを用いる必要があります。あなたは集会に来る前、こう祈る必要があります、「主よ、わたしは一タラント持っていると信じます。わたしは地上の事とかかわりを持って自分のタラントを埋めたくありません。そうではなく、わたしはそれを用いて人を顧みたいのです」。

 

 ある意味で、銀行はみな、救われたばかりの人、弱い人、若者、後退した人たちであると言ってもよいでしょう。わたしたちは主の財産をこれらの銀行に預ける必要があります。銀行は導く兄弟たちではなく、弱い人、問題を持っている人です。仮に、ある兄弟が異議を唱え、召会について消極的に語るとします。……そのような異議を唱える兄弟が、長老の一人によってではなく、彼を愛し彼を顧みる召会の別の兄弟によって接触されるのは何と幸いなことでしょう! 異議を唱える兄弟が多くの人の接触を受けるなら、彼は最終的に召会に戻って来て、召会のゆえに主を賛美するでしょう。(マタイによる福音書ライフスタディ(3)、第66編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


1月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  クリスチャン生活、召会生活、この時代の満了、主の来臨(2) 第4週 第5日)

 

タラント「霊的な賜物」を増し加える

 

マタイ25:15-17

彼はある者に五タラント、ほかの者に二タラント、ほかの者に一タラントを、それぞれの能力にしたがって与えた。そして彼は外国へ出かけた。五タラントを受けた者は直ちに行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。同じように、二タラントを受けた者も、ほかに二タラントをもうけた。

 

「タラントで商売をするとは、主がわたしたちに与えてくださった賜物を用いることを表徴します。ほかのタラントをもうけるとは、わたしたちが主から受けた賜物が最大限に用いられて、何の損失も浪費もないことを表徴します(マタイ25:16-17.Ⅰテモテ4:14.Ⅱテモテ1:6.4:5後半)」。

 

 主よ、わたしたちの奉仕が、命の面でさらに豊かになりますように。また、タラントを活用して、主の財産を増し加えることができますように。

 

 

主の財産が増し加わる

 

 マタイによる福音書第24章によれば、奴隷は家族の者たちに食物を供給するためです。これは、命の供給であるキリストの豊富を持つ栄養のある御言を、主の家の人たちに供給することです。しかしながら、第25章ではそのタラントで商売して、タラントを増し加えることを語っています。ですから、わたしたちの奉仕の結果には二つの面があります。第一の面は、人が養われ、豊かな栄養が与えられることです。第二の面は、主の財産が増し加わることです。例えば、わたしたちが福音を宣べ伝えれば宣べ伝えるほど、ますます福音は豊かになります。真理についても同じです。わたしたちが真理を人に供給すると、真理は増し加わります。これは聖徒と召会についてもそうです。信者も召会も増し加わります。……

 

 わたしたちの奉仕の結果は、タラントの増し加わりでなければなりません。主がわたしたちに与えられたものをただ維持することが、主のみこころなのではありません。・・・・・わたしたちの奉仕は、人を養い満足させ、タラントを増し加えるという結果にならなければなりません。(マタイによる福音書ライフスタディ(3)、第65編)

 

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)