3月の祈り 第31日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週4日)

 

出エジプト記第17章は、どのようにアマレクと戦うかを見せています

 

ローマ8:13

……その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。

 

ガラテヤ5:24

しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのです。

 

「出エジプト記第17章8節から13節は、どのようにアマレクに敵対して戦うかをわたしたちに見せています。わたしたちは、とりなすキリストによって、また戦う霊によって、アマレクに敵対して戦います(ローマ8:34.ヘブル7:25.ガラテヤ5:17)。また、アマレクに敵対して戦うとき、わたしたちは祈ることによって、また肉を死に渡すことによって、主と協力する必要があります(ルカ18:1.Ⅰテサロニケ5:17.ローマ8:13.ガラテヤ5:24)」。

 

 主よ、わたしたちの古い人は十字架につけられたことを感謝します。天でとりなすキリストと共に祈ることによって、また戦う霊と協力して、わたしたちの肉を死に渡すことができますように。

 

 

わたしたちはその霊の働きと協力することによって戦います

 

 わたしたちはまた、戦う霊で肉を死に渡すことによって、アマレクに対して戦います(ローマ8:13、ガラテヤ5:17、24)。ローマ人への手紙第6章6節は、わたしたちの古い人はキリストと共に十字架につけられたと言います。それにもかかわらず、ローマ人への手紙第8章13節でわたしたちは、なおもその霊によって体の行ないを死に渡さなければならないことを見ます。

 

 さらに、ガラテヤ人への手紙第5章24節でパウロは、キリストのものである人たちは肉を十字架につけてしまったと告げています。……ガラテヤ人への手紙第5章の文脈によれば、その霊と肉は互いに戦っています。しかしながら、キリストのものである人たちは、やはり肉を十字架につけなければなりません。その霊が肉に対して戦うとき、わたしたちは肉を十字架につけます。これは、わたしたちがその霊の働きと協力することによって成し遂げられます。(出エジプト記ライフスタディ(3)、第47編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第30日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週3日)

 

肉(アマレク)はサタンのように、神の権威に敵対しています

 

出17:16

……「ヤハの御座に敵対する手がある! エホバは代々にわたってアマレクと戦われる」。

 

ガラテヤ5:19-21

……肉の働きは明白です.すなわち、淫行、汚れ……偶像礼拝、まじない……分裂、分派、ねたみ……そのような類の事柄です.……そのような事を行なう者は、神の王国を継ぐことはありません。

 

「アマレクには、主の御座に敵対する手があります(出17:16.サムエル上15:22-23)。サタンがかつて神の御座を覆そうとしたように、アマレクは神の御座を覆そうとしました(出17:8, 16)。わたしたちの肉は、神の権威に対する敵であり、神の統治上の行政に反逆しています」。

 

 主よ、わたしたちの肉はサタンのように、神の権威に敵対しています。主よ、わたしたちの中には、不従順なもの、服従しないものがあります。主よ、わたしたちが神の御座の下に服する者となり、神の王国を継ぐ者となりますように。

 

 

サタンの原則は、直接わたしたちに来ることはなく、他の人を通して、またわたしたちの何かを通して来ます

 

 わたしたちの肉のあらゆる面は、善くても悪くても、神の権威に対する敵です。肉は神や神の権威を顧慮しません。わたしたちは肉の中にいるときはいつも、自分を神の御座に服従する義務のない個人と考えます。わたしたちは、自分自身の地位と権利を持っていると考えます。そのような反逆的な態度は、その源がサタンの中にあります。しかしながら、サタンはわたしたちの肉と一です。サタンの原則は、直接わたしたちに来ることではなく、他の人を通して、あるいはわたしたち自身の中の何かを通して来ることです。

 

 例えば、サタンは蛇の形でエバに来ました。マタイによる福音書第16章で、… サタンはペテロの中で、彼を通して主に来ました。しばしばわたしたちの肉は、サタンのための外套として働きます。わたしたちが肉を働かせるときはいつも、サタンはわたしたちの内側に隠れています。ですから、肉はサタン自身のように、神の権威に敵対します。出エジプト記第17章の描写によれば、アマレクは神の御座に敵対する手です。(出エジプト記ライフスタディ(3)、第48、46編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第29日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週2日)

 

肉に付けた思いは神に敵対します

 

ローマ8:7

なぜなら、肉に付けた思いは神に敵対するからです.それは神の律法に服従しないし、服従することもできないのです。

 

「肉は、堕落した古い人の総合計、すなわち、わたしたちの堕落した存在全体を示しています(創6:3.ローマ7:18前半.ガラテヤ2:16)。肉は、古い人を生かし出し、表現することです(ローマ6:6)。そして、肉は神に敵対します。肉は神の律法に服従しませんし、それ自身を神の律法に服従させることもできません(ローマ8:7)。肉は神の敵の総本部であり、神の敵の働きの最大の基地です(ガラテヤ5:19-21」)。

 

 主よ、わたしたちの肉は、召会が建造されるのを妨げています。主よ、わたしたちの肉が対処されて、神の王国が来ますように。肉が対処されて主の頭首権がもたらされ、からだが建造されますように。

 

 

召会生活のために、わたしたちは肉を対処する必要があります

 

 旧約で、アマレク以上に徹底的に対処される敵はありません。なぜなら、アマレクは肉の予表であり、肉は神の王国に対する最後の敵であるからです。肉は、召会が適切に建造されていくことを妨げるものです。……召会生活のために、わたしたちは肉を対処する必要があります。もし肉が対処されないなら、神の王国はあり得ません。そしてキリストの王職、彼の頭首権がないなら、からだが建造される道はありません。こういうわけで、過去千九百年の間、召会の建造がほとんどなかったのです。今日のクリスチャンの間の混乱と分裂は、おもに肉、アマレクによります。

 

 主に感謝します、わたしたちは彼のあわれみと恵みによって、彼の回復の中で、肉を対処することの重要性を学びました。肉は問題を残しますが、わたしたちはあえてわたしたちの肉を気ままにさせません。わたしたちは、肉の中にとどまる大胆さを持っていません。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第11編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第28日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (2) 第5週1日)

 

アマレク人は肉、堕落した人を表徴します

 

サムエル上15:7-9

……サウルはアマレク人を討って……すべての民を剣の刃で徹底的に滅ぼした。……しかし、サウルと民は、[王]アガグと……すべての良いものを惜しみ……つまらない価値のないものをすべて徹底的に滅ぼした。

 

「予表では、アマレク人は肉、すなわち堕落した人を表徴します(出17:8-16)。クリスチャン生活を最も大きく破壊するものは、肉です(Ⅰペテロ2:11)。神がアマレクと絶え間なく戦っているという事実が啓示しているのは、神が肉を憎んでおり、肉を滅ぼすことを願っているということです(出17:16.ガラテヤ5:17)」。

 

 主よ、わたしたち堕落した人は、アマレクであり、肉であることを見せてください。主よ、わたしたちの肉が対処されて、すべてを含むキリストを享受することができますように。

 

 

クリスチャン生活を最も大きく破壊するものは、肉(アマレク)です

      

 アマレクは、イスラエルの子たちが良き地への途上で遭遇した第一の敵でした(申25:17-18.サムエル上15:2)。これは、わたしたちの肉がすべての敵の間で第一のものであることを示します。肉、罪、この世、サタンはすべて関連していますが、信者たちに対する戦いにおいて、それらの間で最も突出しているものは肉です(ガラテヤ5:17)。

 

 わたしたちの経験の中で、肉が死に渡されるとき(ガラテヤ5:24.ローマ8:13)、この世はわたしたちを保留することができず、罪はわたしたちの中で活動することができず、サタンはわたしたちの上で働くことで無力です。アマレクがイスラエルを攻撃する目的は、彼らが良き地に入るのを妨げることでした。同じように、サタンが肉をかき立ててわたしたちと戦う目的は、わたしたちの良き地としての、すべてを含むキリストの完全な享受の中に入るのを阻止することです(参照、申8:7のフットノート1)。(出17:8、フットノート2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第26日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週6日)

 

契約の箱と幕屋との歴史から、正常な召会を伴うキリストを見ます

 

エペソ3:16-17

どうか御父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、あなたがたを内なる人の中へと増強してくださいますように.またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.……

 

「契約の箱と幕屋との歴史は、召会歴史を予表しています。この歴史には五つの主要な面があります。第五の状況は、正常な召会を伴うキリストの状況です。これは正常な幕屋を伴う契約の箱によって予表されています(詩90:1-2.91:1-16.92:12-15.132:5, 8.歴代上28:11-20.歴代下3:1)」。

 

 主よ、契約の箱と幕屋との歴史から、神の心の願いに触れさせてください。主よ、召会が当初の正常な状況に回復されますように。主よ、召会生活がさらに拡大され、さらに堅固なものとなりますように。

 

 

この終わりの時代に、召会生活が拡大されて、さらに堅固なものになります

 

 [契約の箱と幕屋]との歴史は、召会歴史を予表しています。これは、最初期から現在に至るまでの召会の行程と状況の完全な描写を与えています。…… 第五の状態は、拡大され増し加わった正常な幕屋を伴う契約の箱の状態です。このような状況(キリストを表現する正常な召会を伴うキリスト)において、わたしたちは完全に家にいると感じます。

 

 第一[の状態]は完全に正しいのですが、第二は完全に空です。第三の状態は良いのですが、不正常です。そして第四の状態は半分の満足です。第五の状態は、その表現としての正常な召会を伴う実際としてのキリストです。……この終わりの時代に、主は当初の正常な状態を回復するだけでなく、召会生活を拡大して、それをさらに堅固なものにしようとしておられると、わたしは信じます。……主を賛美しましょう!(リー全集、1964年、第4巻(上)、「神の建造のビジョン」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第25日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週5日)

 

祭司たちはエホバの契約の箱を宮の至聖所の中へと運び入れました

 

サムエル下6:12 

……そこでダビデは行って、歓喜をもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町に運び上げた。

 

列王上8:6

祭司たちはエホバの契約の箱をその場所へ、すなわち家の最も内なる聖なる所の中へと、至聖所の中へと、ケルビムの翼の下に運び入れた。

 

「最後に、ソロモンがエルサレムで宮の建造を完成した後、契約の箱は宮の至聖所の中へと運び込まれました。これは正常な状況の完全な回復でした。主は今日の主の回復の中で、正常な状態を回復するために働いています。その状態とは、キリストが、キリストのからだの実際としての正常な召会の中にいて、ご自身を表現している状態です(列王上8:1-11, 48.エペソ2:21-22.3:16-21)」。

 

 主よ、契約の箱が宮の至聖所の中へと運び込まれた歴史から学ばせてください。主よ、偉大な奥義であるキリストと召会のビジョンを見せてください。

 

 

主の回復の中で、キリストがからだの実際としての正常な召会の中で、ご自身を表現します

 

 シオンの山に、ダビデは天幕を用意して契約の箱を入れました。……この案配はまだ完全に満足できるものではありませんでした。ある日ダビデは、主の契約の箱を住まわせるための、正当で確立された宮が建造される必要があることを認識しました。……これは実に良かったのですが、彼に対する神の答えはノーでした。

 

 神がそのように答えられたのは、第一にダビデが戦士であったからです(28:3)。……第二に平和の中でのみ、神の家は建造されることができます。第三に、神はダビデに、ご自身がまずダビデのために家を建て、その家から神は一人の子を起こして、ご自身のために家を建てさせると告げられました(サムエル下7:1-13.歴代上28:5-6)。……ダビデは……材料(2節.29:1-9)と土地(21:18-30.歴代下3:1)を用意しました。…… 最終的に、これらすべての用意の後、ソロモンは王座で権威を受けて、宮を建てました(列王上6:1-2)。(リー全集、1964年、第4巻(上)、「神の建造のビジョン」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第24日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週4日)

 

罪を告白し、わたしたちの偶像から神へと立ち返ります

 

啓示録3:19-20

わたしはすべて自分の愛する者を、しかったり、訓練したりする.だから熱心になりなさい.そして悔い改めなさい。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている.だれでもわたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは彼の所に入って行き、彼と共に食事をし、彼はわたしと共に食事をするであろう。

 

「今日、人々は神の証しを人の必要に置き換えています。人の必要が神の証しに置き換わるとき、堕落が始まり、問題が生じます。契約の箱は神の箱であっただけでなく(サムエル上4:11, 13, 17-19, 21-22)、証しの箱でもありました(出25:22.40:21)。イスラエルは悔い改め、徹底的な罪の告白をし、彼らの偶像から神へと立ち返り、神が彼らに何を行なってもらいたいかについて神に尋ね求めるべきでした」。

 

 主よ、あなたは召会のかしらです。 契約の箱が幕屋の中心であり内容であるように、主は召会の中心であり内容です。主よ、わたしたちが正常な召会生活を持ち、主と共に食事をして、神の建造のために生きることができますように。

 

 

わたしたちと神との関係が正しいなら、決して打ち破られることはありません

 

 祭司エリの時代、イスラエルの民は神を失望させました。彼らは神の目に罪深かったのです。彼らは神に対して間違っていましたが、それなのに出て行って敵と戦いました。もちろん、彼らは打ち破られました(サムエル上4:1-2)。……もしわたしたちと神との関係が正しいなら、決して打ち破られることはありません。わたしたちが神に対して間違っているとき、打ち破られるに違いありません。なぜなら、立場が失われているからです。わたしたちはこの決定的に重要な学課を学ばなければなりません。……

 

 もし正常な召会生活を持ちたいなら、わたしたちは召会の中、幕屋の中に契約の箱であるキリストを持たなければなりません。サムエル、サウル、ダビデの歴史におけるこれらすべての出来事は、神の建造という唯一の目標、目的のために起こりました。(リー全集、1964年、第4巻(上)、「神の建造のビジョン」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第23日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週3日)

 

契約の箱は幕屋の中心と内容です

 

民10:35

契約の箱が出立するとき、モーセはこう言った、「エホバよ、立ち上がって、あなたの敵を散らしてください.またあなたを憎む者が、あなたの御前から逃げ去るようにしてください」。

 

「契約の箱は幕屋の中心と内容として、キリストが、神の幕屋また神の家としての召会の中心と内容であり、神を団体的に表現することを表徴します(出25:22.40:21.コロサイ2:9.エペソ2:21-22.Ⅰテモテ3:15)。しかしながら、契約の箱は最終的に幕屋から分離されました。これは召会が堕落し、キリストの実際と臨在を失ったことを表徴します(サムエル上4:1-7:2)」。

 

 主よ、わたしたちが自分の繁栄、健康、家族のためだけに祈るのではなく、神のエコノミーを顧慮することができますように。主よ、わたしたちが主と召会を愛することができますように。

 

 

神のエコノミーのために、祈り、生活し、神の心にしたがった、神のエコノミーのための人となります

 

 今日、多くのクリスチャンは、神のエコノミーを何も顧慮しないで自分の繁栄、健康、家族のために祈ることによって、神を不法に用いています。わたしたちは神のいやしを求めて神に祈るとき、完全に神のエコノミーとかかわっていなければなりません。…… あなたは霊の深みから言うべきです、「主よ、わたしがこの地上にいるのは、わたしの健康や、わたしの繁栄や、わたしの子供や、わたしの仕事のためではありません。わたしがここにいるのはあなたのエコノミーのためです。あなたは依然として、わたしが地上であなたのエコノミーのために生きることを願われるでしょうか? わたしはあなたのエコノミーを見ました。・・・・・」。

 

 もし神が彼のエコノミーのために、あなたが地上で生き続けることを意図しておられるなら、あなたは医者を通して、あるいは他の方法を通していやされるでしょう。ここの要点は、わたしたちが神を不法に用いるのではなく、神の心にしたがって、また神のエコノミーのために、祈り、生活し、神の心にしたがった、また神のエコノミーのための人とならなければならないということです。(サムエル記上、下ライフスタディ、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第22日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週2日)

 

契約の箱の上にあるなだめの蓋

 

ローマ3:25

神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とされました.それは彼の血により、信仰を通してであって、彼の義を明らかに示すためです.……

 

「契約の箱の上にあるなだめの蓋は、神と彼の贖われた民とが会う場所としてのキリストを表徴します(出25:17-22)。キリストはなだめる方であり(ヘブル2:17)、神とわたしたちの間の関係を和らげる方であり、なだめの供え物として、神の要求を満たすことによって、わたしたちを神へと和解させる方です(Ⅰヨハネ2:2.4:10)」。

 

 主よ、あなたがなだめの供え物として、神の要求を満たしてくださったことを感謝します。主よ、罪を覆う蓋の上に振りかけられた血のゆえに、わたしたちは義なる神と交わりを持つことができることを感謝します。

          

 

罪を覆う蓋の上に振りかけられた血のゆえに、罪人は義なる神と交わりを持つことができます

 

 罪を償うために祭壇で流された血は至聖所へともたらされ、箱の蓋、罪を覆う蓋の上に振りかけられました。……血を振りかけることを通して、金の蓋は赤い色になりました。罪を覆う蓋の上に振りかけられた血のゆえに、罪人は義なる神と交わりを持つことができました。……贖いの血のゆえに、わたしたちは今日キリストの栄光の中で、義なる神と交わりを持つことができるのです。

 

 実は、箱の蓋はあわれみの座ではありません。それはキリストの神性の輝きとキリストの人性の贖いを持つなだめの蓋であり、わたしたちが義で、聖で、栄光の神と会って、語ることができる場所です。この場所はイエス・キリストご自身、すなわち神と人の両方である方です。キリストは人性において、血を流してわたしたちを贖いました。彼は神性において、神の栄光をもって輝きます。今日、彼はわたしたちにとって贖い輝くキリストであり、義で、聖で、栄光の神が、堕落した罪人と会うことができる場所です。(出エジプト記ライフスタディ(5)、第86編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第21日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第4週1日)

 

契約の箱は幕屋の中心また内容です

 

出40:20-21

次に、彼は証しの板を取って、それを箱の中に入れ、……そして、箱を幕屋の中に入れ、……証しの箱を隔てた.……

 

コロサイ2:9

なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです。

 

「キリストのからだの実際の中へと入るために、わたしたちは契約の箱の内在的な意義を見なければなりません。契約の箱は幕屋の中心また内容でした。これは、キリストが召会の中心また内容であることを表徴しています。契約の箱が幕屋のビジョンの中で最初に述べられているのは、キリストが召会の中で首位を占めているということです(出25:22.コロサイ1:17後半, 18後半)」。

 

 主よ、わたしたちがキリストのからだの実際の中へと入ることができますように。主よ、契約の箱が幕屋の中心また内容であることを見せてください。主よ、キリストが召会の中心また内容であることを経験し享受することができますように。

 

 

キリストは召会の中心また内容です

 

 幕屋は証しの幕屋と呼ばれています(出38:21)。なぜなら、その証しは箱の中にあり、箱は幕屋の中にあるからです。出エジプト記……で、わたしたちは証しの箱、あるいは証しの幕屋について語るとき、「証し」という言葉が律法を指していると理解すべきです。しかしながら、それは神の定義としての律法を指しているのであって、民が守る戒めとしてではありません。・・・・・

 

 至聖所は幕屋の最も内なる部分にあるので、幕屋の中心です。それは幕屋の焦点であり、神の住まいの中心を表徴します。神は幕屋に住まれましたが、外庭や聖所に住まわれません。彼は至聖所の中に住まれました。至聖所の中の箱は、神の住まい(召会)の中心を表徴します(エペソ2:21-22)。(出エジプト記ライフスタディ(5)、第84編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第19日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週6日)

 

神がわたしたちを助けてくださるのは神のエコノミーの成就のためです

 

サムエル上7:15

サムエルは一生の間、イスラエルを裁いた。

 

サムエル上12:23

わたしも、あなたがたのために祈ることをやめてエホバに罪を犯すことなど決してしない.わたしは良い正しい道をあなたがたに教える。

 

「サムエルは、王職の実際の中にある士師として務めをし、古く古びた祭司職によって民を裁くことに置き換わりました(サムエル上7:15-17)。また、サムエルは、祈りの人として務めをし、神の選民のために祈りました。(サムエル上77:3-17.8:6.12:19-25.15:11後半)」。

 

 主よ、わたしたちもサムエルのように、祈りの人となることができますように。主よ、わたしたちが自分のことだけでなく、神の願い、神のエコノミーの成就のために祈ることができますように。

 

 

わたしたちは神のエコノミーの成就の中で祝福を享受しています

 

 サムエルは、神の選民に対する神のみこころにおける願いが成就されるように神の選民のために祈りました。この日まで神はわたしたちを助けてくださいましたが、なぜ彼はわたしたちを助けてくださったのでしょうか? 神がわたしたちを助けてくださったのは、神の願いが成就されるためでした。わたしたちは、神がわたしたちを助けてくださるのは彼のエコノミーの成就のためであり、わたしたちがこの成就の中で祝福を享受していることを認識する必要があります。

 

 今日、神があらゆる方法でわたしたちを祝福しておられるのは、彼のエコノミーを成就してキリストのからだを建造するためです。サムエルの考慮において、神の選民のために祈ることをやめることは、エホバに罪を犯すことでした(12:23)。わたしたちも神の民のために祈る必要があります。(サムエル記上、下ライフスタディ、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第18日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週5日)

 

サムエルは地上における代理の神として五つの身分で務めをしました

 

サムエル上7:3-4

サムエルはイスラエルの全家に語って言った、「あなたがたが心を尽くしてエホバに立ち返ろうとするなら、外国の神々とアシタロテをあなたがたのうちから取り除き、心をエホバに向け、彼にのみ仕えなさい.……」。そこで、イスラエルの子たちはバアルとアシタロテを取り除き、エホバにのみ仕えた。

 

「サムエルは、地上で神と一でした。サムエルは、地上における代理の神として、すなわち、地上で神の民を支配する天の神の代行として、五つの身分で務めをしました(サムエル上7:3)。サムエルは、ナジル人として務めをし、神が尊び、神が喜ぶ祭司として務めをし、神によって立てられた預言者として務めをしました(サムエル上3:20)。

 

 主よ、わたしたちがサムエルのように、神のエコノミーについて明確な展望を持つことができますように。主よ、わたしたちが忠信な祭司となり、わたしたちを通して人々を神へと戻らせてください。

 

 

サムエルは神のエコノミーについて、明確な展望を持っていました

 

 サムエルは祭司として務めをしました。……サムエルが祭司であったのは、誕生によってではなく、神が特別に彼を起こされたことによりました。……[サムエル記上第2章35節]が示しているのは、サムエルが忠信な祭司であり、神のために行動し、地上での神聖な統治のために、王を立て確立することさえするということです。ダビデは彼によって立てられ、油塗られました。

 

 サムエルは神のエコノミーについて、また敵が行なって地上で神のエコノミーを荒廃させていたことについて、明確な展望を持っていました。こうしてサムエルは神のエコノミーについて、また周囲の状況について洞察力に満ちた人でした。最終的に、神は彼に符合することを行なわれ、イスラエルの民の間に変化がありました。民は神に戻り、神の御前で嘆き、進んですべての偶像を取り除きました。(サムエル記上、下ライフスタディ、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第17日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週4日)

 

祭司は神のために、神の言葉を語ります

 

サムエル上3:19-20

さて、サムエルは成長した.エホバは彼と共にいて、彼の言葉を一つも地に落ちないようにされた。全イスラエルは、……サムエルがエホバの預言者に立てられたことを知った。

 

「サムエルは神によって立てられて、神の言葉を語り、古い祭司職による神の言葉の教えを置き換えました。祭司職において、祭司が行なうべき第一の事は、神のために語ることです。神は、引き上げられた預言者職においてサムエルを預言者として立てることによって、神の言葉を神の選民に供給しました(サムエル上3:20-21)」。

 

 主よ、わたしたちが神の言葉を語り、神の言葉を供給することができるようにしてください。そのために、サムエルのように祈って、主から言葉を受けることができますように。

 

 

祭司は神の言葉を供給し、神の権威を行使します

 

  祭司職は、神の言葉を神の民に供給し、神の権威を神の民に行使することでした。わたしたちはみな、これら二つの事を学ぶ必要があります。しかしながら、ある人は預言者であって、キリストの豊富についてのビジョンを持っているかもしれませんが、どのように神の権威を行使して正しい道を取り、キリストの豊富についてのビジョンの欠け目を対処するかを知らないかもしれません。召会生活における問題はしばしば、どのように神の権威を行使するかを知らない人たちによって引き起こされます。・・・・・

 

 祭司職が正常であったとき、祭司たちは民にとって模範でした。祭司が教えたこと、また彼らが神の権威の中で行使したことを、彼ら自身が行ない、率先して神の永遠のエコノミーに関するすべての事柄を遂行したのです。例えば、祭司たちは率先してヨルダン川の中に踏み入り、またエリコの町を回りました。……今日、これが召会を顧みるための正しい道です。それは、神のために語って教え、率先して神の権威を行使することです。(サムエル記上、下ライフスタディ、第6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第16日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週3日)

 

サムエルは、地上での代理の神であったと言ってもよいでしょう

 

サムエル上2:35

わたしはわたしのために、忠信な祭司を起こす.彼は、わたしの心とわたしの思いの中にあるものにしたがって行なう.わたしは彼のために堅固な家を建てる。すべての日々、彼はわたしの油塗られた者の前を行く。

 

 「サムエルの行ない、生活、働きだけでなく、彼の全存在とパースンが、神にしたがっていました。サムエルの存在と神の心は一でした。こういうわけで、神にしたがった人であるサムエルは、地上での代理の神であったと言ってもよいでしょう」。

 

 主よ、わたしたちがサムエルのように、神に対して忠信でありますように。主よ、わたしたちの全存在とパースンが神と一になって、神の宝である神の民のために祈ることができますように。

 

 

サムエルは神に対して忠信であり、彼の全存在とパースンが神にしたがっていました

 

 サムエルは神に対して忠信であり、神の心と思いの中にあることにしたがって行ないました。サムエルの行ない、生活、働きだけでなく、彼の全存在とパースンが神にしたがっていました。サムエルの存在と神の心は一でした。こういうわけで、神にしたがった人であるサムエルは、地上での代理の神であったと言っても過言ではないのです。神の思いは、サムエルの考えでした。彼には、別の思想、考え、思いはありませんでした。彼の生活と働きは、何であれ神の心の中にあるものを完成するためでした。その結果として、サムエルは時代を転換させた人であったのです。

 

 サムエルが決して反逆的なことを何も行なわず、彼が時代を転換したことは革命を通してではありませんでした。むしろ、それは完全に神聖な啓示の事柄でした。彼は完全に、啓示という柔和で、温和な、正しい方法で振る舞い、働き、務めをし、仕えたのです。……さらに、彼は神の心にかなった人でした。すなわち、彼は神の心の複写、複製でした。そのような人として、彼は決して反逆的な事を行なおうとしませんでした。(サムエル記上、下ライフスタディ、第5、6編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第15日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週2日)

 

わたしたちは主のしもべとして聞く必要があります

 

サムエル上3:10

エホバは来てそばに立ち、これまでの時のように、「サムエルよ!サムエルよ!」と呼ばれた。サムエルは言った、「お話しください.あなたのしもべは聞いております」。

 

イザヤ50:4

主エホバは……わたしの耳を呼び覚まして、教えを受けた者のように聞かせられる。

 

「サムエルは、エリの監護の下で成長しました。サムエルは幼い時、エリの前でエホバに対して務めをし(サムエル上2:11後半, 18-19)、神に対して務めをする道をエリによって教えられました。わたしたちは主のしもべとして、主との交わりを維持して、いつも主に聞く必要があります(ルカ1:34-38.10:38-42)」。

 

 主よ、わたしたちの耳を呼び覚まして、いつも主に聞かせてください。主よ、わたしたちが神の裁きを見るとき、サムエルのように、主に仕えることで警告を受ける者にしてください。

 

 

サムエルは堕落したアロンの祭司職が悪化するのを観察して警告としました

 

 サムエルは、衰退したアロンの祭司職の最後の祭司であった年老いたエリの監護の下で成長しました(サムエル上1:25)。これは神の知恵でした。神は衰退した祭司職をサムエルに置き換えようとしていたので、彼はエリの監護の下にいる間、ある学課を学ぶ必要がありました。……サムエルは、エリの状態において見たものを理解し把握する能力を持っていました。これは将来のために、絶えずサムエルに対する警告となりました。

 

 サムエルは、祭司としてエホバに対して務めをすることをエリから学びました(2:11後半)。サムエルは学んでいたとき、堕落したアロンの祭司職が悪化するのを観察しました(2:12-17、22-25)。これはサムエルの将来の祭司職を弱めませんでした。むしろ、それは彼の祭司の奉仕の期間中ずっと、絶えず彼に対する警告となりました。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第14日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第3週1日)

 

サムエルはナジル人の誓願によって祭司となりました

 

サムエル上1:11,27-28

……わたしは彼を一生の間エホバにささげ、かみそりを彼の頭に当てません。27-28 「わたしはこの子のために祈ったのです.エホバは、わたしが彼に求めたことをかなえてくださいました。ですから、わたしもこの子をエホバにお貸ししたのです.彼は生きている限り、エホバにお貸しした者です」……。

 

「サムエルは、レビの部族に属していましたが(歴代上6:33-38)、アロンの家、すなわち、神によって定められた祭司の家には属していませんでした。サムエルは、誕生によってではなくナジル人の誓願によって祭司であった者として、主に対して務めをしました」。

 

 主よ、わたしたちがナジル人の原則にしたがって、自発的な献身によって自分自身を主にささげることができますように。そして、神の願いの成就のために生涯、主に仕えることができますように。

 

 

ナジル人の原則は、自発的な献身です

 

 ナジル人の原則は、自発的な献身です。それは主によって任命されたり、定められたり、さらには選ばれたりすることではなく、自発的な献身によってあなた自身を主にささげることです。エリの時代に、主は祭司職に関する限り真に貧しかったのです。ですから、ハンナはサムエルを主に貸しました。彼女は主に、もし彼が彼女に男の子を与えるなら、彼女はその男の子を主にお貸しすると告げました。…… 状況が不正常であるとき、主は彼の行政に関して貧しくなり、だれかが自発的に自分自身を主に貸す必要があります。

 

 サムエルはレビの部族に属しており(歴代上6:33-38)、エフライムの山地のものでした(サムエル上1:1-2)。彼はアロンの家に属していませんでした。しかし、彼はささげられ、分離され、神に貸されることによって祭司になりました。…… サムエルが祭司となったのは、……民数記第6章で備えられている補充にしたがってでした。ナジル人の原則によって、彼は自発的にささげられた人となって、定められた祭司職に置き換わりました。(真理課程、第1段階、第1巻、第10課)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第12日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週6日)

 

キリストの十字架は苦い水を甘くし、人の内側をいやします

 

出15:23,25

彼らがメラに来た時、メラの水は苦くて、飲むことができなかった.それで、その名はメラと呼ばれた。25 そこで、モーセがエホバに叫ぶと、エホバは彼に一本の木を示された.彼がそれを水の中に投げ入れると、水は甘くなった。……

 

「わたしたちが「苦い水」に来るとき、認識しなければならないのは、神が主権をもってひそかにわたしたちを動機づけ、真剣になって祈らせているということです。それはわたしたちの内なるいやしのためだけでなく(出15:26)、それにもまして、勝利を得たナジル人を生み出すためでもあります。ナジル人は神と協力して、王と彼の王国をもたらします。(啓11:15)」。

 

 主よ、わたしたちが「苦い水」の環境に来るとき、あなたに祈らせてください。そして、十字架につけられた命をこの環境に適用することができますように。また、わたしたちの自己の中の苦さがいやされますように。

 

 

わたしが苦しい環境の中にいるとき、わたしの内側に苦さがあることを見ます

 

 わたしが苦しい環境の中にいたとき、主はしばしばわたしにキリストの十字架を指し示されました。わたしは、十字架を取り十字架につけられた命を生きる必要があることを認識しました。これはわたしを苦しい状況から救い、わたしの苦しい環境はいやされました。しかしながら、同時に主はしばしば、わたしの内側に苦さがあることを見せられました。

 

 わたしは自分の環境の中だけでなく、わたしの自己の中に苦さがあることを見ました。わたしはまた、わたしの全存在の中に、わたしの霊、魂、体の中に苦さがあること、キリストの十字架をわたしの存在のあらゆる面に適用する必要があることを見ました。霊的に、心理的に、肉体的に、わたしはキリストの十字架の適用を必要としました。何度も、わたしはこのようにして主のいやしを経験しました。わたしの状況がいやされたとき、わたしは内側でいやされました。わたしの環境においてもわたしの存在においても、苦さは甘さへと変えられました。(出エジプト記ライフスタディ、第30編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第11日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週5日)

 

男の子(勝利者)は神の御座に携え上げられます

 

啓12:5

彼女は一人の子、男の子を産んだ.この子は鉄の杖で、すべての諸国民を牧養することになっている.彼女の子供は、神に、神の御座に携え上げられた。

 

「神の最も重要な時代の行動は、啓示録第12章の男の子に見られます。男の子は、主導する勝利者としてのキリストと、追従する勝利者たちとしてのわたしたちから成っています。神はこの時代を終わらせ、王と彼の王国の時代をもたらすことを願っているので、勝利を得た、団体の男の子を、彼の時代の手段として必要としています」。

 

 主よ、わたしたちがハンナの務めに分を持つことができますように。神が王国時代をもたらす手段である男の子を得られるために祈ることができますように。

 

 

ハンナの務めは試練と苦難を通して来るので、代価を必要とします

 

 ハンナの道は容易な道ではありませんでした。それはペニンナの比較とあざけりのゆえに、より難しくされました。ハンナたちになりたい者は、迫害、軽べつ、泣くこと、断食することに備えていなければなりません。……そのような務めは試練と苦難を通して来るので、代価を払わなければなりません。その務めは、わたしたちの中へと造り込まれなければなりません。他の人たちは食べ飲みし、自分の子供たちを見ることができます。しかし、ここに断食し泣いた人がいます。それは単に、どれほど多くの人を救うことができるかという事柄ではなく、神が勝利者たちの仲間を得るという事柄です。神が得ることを願っている人は、祈って王国をもたらすことができる人たちです。・・・・・

 

 ハンナの祈りは、サムエルを誕生させるための手段でした。わたしたちの祈りは、勝利者たちを生み出すという結果になるべきです。この点に関して、わたしたちは何を行なったでしょうか? ……サムエル記上第1章の息子は、王と王国をもたらす啓示録第12章の男の子です。(ニー全集、第46巻、第172編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第10日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週4日)

 

神は命の路線において神と一である人を獲得します

 

啓11:15

……世の王国は、わたしたちの主と彼のキリストの王国となった.彼は永遠にわたって王として支配される。

 

「命の路線は、キリストを生み出して神の民に享受させる路線です。それは地上で、神が彼の王国を持つことができるためです。彼の王国はキリストのからだとしての召会であり(マタイ16:18-19.ローマ14:17-18.エペソ1:22-23)、三一の神の有機体です。神は命の路線において彼と一であるそのような人を獲得することができる限り、地上で道を持ちます(サムエル上1:1―2:11, 18-21, 26)」。

 

 主よ、わたしたちが命の路線において、主と一である人となることができますように。主よ、わたしたちが神の王国としてのキリストのからだの実際を生きることができますように。

 

 

神は士師たちによる復興でなく、一つの王国と一人の王をもたらしたいのです

 

 イスラエルの歴史の中には、召会の歴史に類似する点が多くあります。……[イスラエル人たち]は、良き地に入ると間もなく、士師たちによって治められました。彼らの国民生活は、非常に低いレベルにありました。彼らは絶えず罪に陥り、敵という手段によって懲らしめられたのを見ます。彼らが神に叫び声を上げると、神は士師を起こして彼らを救い出されました。そうすると復興がありました。このことは繰り返し起こりました。…… 

 

 士師たちの歴史は永久に続くべきではありません。それは神の考えではありません。神が考えておられるのは王国であり、もっと多くの士師を立てることではありません。神は一つの王国と一人の王をもたらしたいのです。神は途中で士師たちを用いられました。しかし神の考えはダビデの上にあり、神の目的は一人の「王」でした。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第9日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週3日)

 

神のエコノミーを遂行するために、命の路線にとどまります

 

サム上1:11

[ハンナ]は誓願を立てて言った、「万軍のエホバよ、あなたがあなたのはしための苦悩を顧みて、わたしを覚え、あなたのはしためを忘れず、あなたのはしために男の子を授けてくださるなら、わたしは彼を一生の間エホバにささげ、かみそりを彼の頭に当てません」。

 

「サムエル記上は、予表において、王としてのキリスト(ダビデによって予表される)と彼の王国をもたらすことを見せています。今日わたしたちは新しいもの、新しい復興のために、主を仰ぎ望む必要があります。新しい復興は、この時代を、サタン的な大混乱のただ中における召会の時代から、王と彼の千年の王国の時代に転換します」。

 

 主よ、神のエコノミーを遂行するために、命の路線にとどまらせてください。主よ、わたしたちが神の願いを成就するために、ハンナのように祈ることができますように。

 

 

ハンナの祈りは、神聖な行動と協力して、神の永遠のエコノミーを完成するためでした

 

 ハンナの祈りに応答した神の行動は、神が彼のエコノミーにおける彼の行動に、人の協力を必要とされるという原則と一致しています。これは肉体と成ることの原則です。

 神は、命の路線の中で彼と一であった人であるハンナを動機づけることができました。神はそのような人を得ることができる限り、地上で道を持たれます。わたしは、わたしたちのうちの少なくとも何人かが今日のハンナとなって、こう言うことを望みます、「主よ、あなたの定められた御旨のために完成するどのようなこともあなたの心にあるなら、わたしはここにおります。わたしはあなたのエコノミーを遂行するために、命の路線にとどまっています」。……

 

 神は多くのハンナを、すなわち、何人かのサムエルを生み出して時代を転換させることができる人を必要としておられます。サムエルの起源は、特に神を追い求める彼の母と彼女の祈りでした(サムエル上1:9-18)。彼女の祈りは、神の心の願いの共鳴でした。彼女の祈りは、人が神聖な行動と協力して、神の永遠のエコノミーを完成するためでした。(「サムエル記上、下ライフスタディ」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第8日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週2日)

 

召会、勝利者は主が戻って来て全地を得られるための踏み石となります

 

詩篇第24:7-8

城門よ、あなたがたの頭を上げよ。長く耐え忍ぶ戸よ、上げられよ。栄光の王が入って来られる。栄光の王とはだれか? 強くて力あるエホバ! 戦いに力あるエホバ!

 

「この強奪された地上に、エホバの山、シオンの山があります。その山は完全に主に開いており、完全に彼によって所有されています。シオンによって予表される勝利者たちは足がかりであり、それを通して栄光の王である主が戻って来て、全地を彼の王国として所有します(詩24:1-3, 7-10.ダニエル2:34-35.7:13-14.ヨエル3:11.啓11:15.19:13-14)」。

 

 主よ、あなたが地に戻って来られる前に、召会に入って来てください。主よ、あなたの シオンの山を完全に所有してください。 栄光の王である主が戻って来て、全地をあなたの王国として所有してください。 

 

 

主は地に戻って来られる前に、召会に入って来られます

 

 地は主のものですが、今日地は強奪されています。しかしこの強奪された地上には拠点、山[としての召会]があり、それは主が戻って来て全地を得られるための踏み石[足がかり]です。… 詩篇第24篇は、ダビデが契約の箱をシオンに戻したときに書かれました。そのような状況の中で、そのような背景をもって、ダビデは詩篇第24篇を書いたのです。

 今日でさえ、……わたしたちはなおもこう言わなければなりません、「城門よ、あなたがたの頭を上げよ。長く耐え忍ぶ戸よ、上げられよ」。わたしたちはみな、主に対してとても開いていなければなりません。……

 

 もし召会が、もしシオンが、主に対して絶対的に開いていないなら、どうしてわたしたちは地が主に開かれるのを期待することができるでしょうか? ですから今日、わたしたちは応答して言わなければなりません、「そうです、戸を開き、主に対してすべて広く開きましょう。主よ、入って来てください! あなたが地に戻って来られる前に、召会に入って来てください。入って来てこの小さな山、シオンの山を完全に所有してください」。(リー全集、1969年、第3巻(上)、「詩篇において啓示され予表されたキリストと召会」、第5編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第7日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第2週1日)

 

主の回復はシオンを建造します

 

詩48:2

シオンの山は、……大いなる王の都であって、高くて麗しく、全地の喜びである。

 

詩50:2

麗しさの極みであるシオンから、神は輝かれる。

 

「わたしたちは、主の回復とは何であるかを認識しなければなりません。主の回復とはシオンを建造することです。シオンは、キリストのからだの実際である勝利者たちを予表し、聖なる都、新エルサレムを究極的に完成します」。

 

 主よ、わたしたちをシオンの山の上に立つ勝利者にしてください。主よ、自分の心が傷ついても、神の心を得ようとする者にしてください。主よ、自分に敗北させて、主に勝利を得させる者にしてください。

  

 

シオンは、キリストのからだの実際である勝利者たちを予表します

 

 シオンは、聖なる都である召会の高嶺、中心、引き上げるもの、強化、豊富、実際です。……地方召会には何人かの勝利者がいなければなりません。これらの勝利者は、その地方召会の頂点であり中心です。彼らはその地方召会の引き上げるもの、強化、豊富、実際です。……シオンとしての勝利者は、召会の顕著な部分、中心、実際です。

 

 今日のシオンとしての勝利者は、聖なる都(召会)の究極的完成のためです。彼らは地方召会の建造を究極的に完成し、成し遂げ、永遠において究極的に完成された新エルサレムをもたらします(啓21:1-2)。からだの建造を完了するために、主は勝利者を必要とされ、からだの建造は新エルサレムにおいて究極的に完成します。こういうわけで、聖書の終わり、最後の書で、勝利者に対する召しがあるのです。今日バイタルにされる道は、主の召しに応じて勝利者になることです。(バイタルグループの訓練と実行、メッセージ1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第5日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第1週6日)

 

まず父の王国と父の義を求めなさい

 

マタイ6:33

むしろ、まず父の王国と父の義を求めなさい.そうすれば、これらの物はすべて、あなたがたに加えられる。

 

「わたしたちの現在の状況と神の今日の必要は、原則においてサムエルの時代の状況と必要と同じです(サムエル上8:4-22)。ハンナが祈ったように、だれかが神の目標のために勝利の祈りをする緊急の必要があり、また資格づけられた者がサムエル(ナジル人、祭司、預言者、最後の士師)のようになる緊急の必要があります。サムエルは神によって用いられて、神の民の間の混乱した状況を終結させ、王と王国をもたらしました(サムエル上2:35)」。

 

 主よ、わたしたちにまず父の王国と父の義を求めさせてください。主よ、わたしたちが、ハンナのように神の目標のために祈ることができますように。そしてサムエルのように、神に有用な者とならせてください。

 

 

神聖な三一は、わたしたちのクリスチャン生活の模範です

 

 わたしたちは神聖な三一と協力することを学ばなければなりません。神聖な三一は、わたしたちのクリスチャン生活の模範です。神聖な三一の間に戦いはありません。御父は喜んで御子を高く上げ、御子は大いに進んで御父に服従し、その霊は進んで御子について証しします。わたしたちの「人の三一」はこのようではありません。ですから、わたしたちは救い主を必要とします。

 

 この救い主は、わたしたちの霊の中へと入って来られた神聖な三一です。わたしたちが救われた後、わたしたちの「人の三一」は内住する神聖な三一に従う必要があります。わたしたちの救いにおいて、わたしたちは内住している救い主と協力すべきです。最終的に、わたしたちの全存在(霊、魂、体)は、神聖な三一の栄光を現します。内住する三一とのこの協力は、彼の栄光が現されること、彼の表現、彼の現れという結果になります。(1990年秋  訓練生へ語られたメッセージ、第6章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第4日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第1週5日)

 

三一の神がサムエルとダビデを生み出して、神の王国がもたらされます

 

サムエル上1:27-28

わたしはこの子のために祈ったのです.エホバは、わたしが彼に求めたことをかなえてくださいました。ですから、わたしもこの子をエホバにお貸ししたのです.彼は生きている限り、エホバにお貸しした者です。……

 

「わたしたちがサムエル記上、下において見ることができるのは、ご自身の具体化と贖いを伴う三一の神が、サムエルとダビデを生み出して神の王国をもたらすことに、完全にかかわっていたということです。神聖な三一は、ダビデが油塗られて王となったことにおいて啓示されています(サムエル上16:1-3, 13)」。

 

 主よ、三一の神がサムエルとダビデを生み出して、神の王国がもたらされます。主よ、わたしたちが神聖な三一を経験し、享受して、神の王国をもたらすサムエル、ダビデのようになることができますように。

 

 

神聖な三一が、ダビデを油塗ってイスラエルの上に王とすることにかかわっていました

 

 多くのクリスチャンは今日、主の到来について語りますが、サムエルのような人が王キリストと彼の王国をもたらす必要があることを、大部分の人は認識していません。サムエルがダビデをもたらしたのは、天の王国が地上で設立され、神を表現することができるためでした。主が戻って来られることについての主の預言は、ハンナやサムエルのような人を通してのみ成就されることができます。ハンナはサムエルをもたらし、サムエルはダビデをもたらしました。……

 

 サムエル記上第16章 13節は言います、「サムエルは油の入った角を取り、彼の兄弟たちの真ん中で彼[ダビデ]を油塗った.その日から、エホバの霊がダビデの上に激しく臨んだ」。……わたしたちはこれらの節において、エホバである三一の神と、エホバの霊である三一の神の霊を見ます。……油は、神の霊を予表します。犠牲としてささげられた雌の子牛は、ささげ物としてのキリストを予表します。ですから、神聖な三一が、ダビデを油塗って彼をイスラエルの上に王とすることにかかわっていました。(聖なる御言に啓示された神聖な三一、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第3日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第1週4日)

 

ハンナは祈りの中で、神の行動と協力しました

 

サムエル上1:11

彼女は誓願を立てて言った、「万軍のエホバよ、あなたがあなたのはしための苦悩を顧みて、……あなたのはしために男の子を授けてくださるなら、わたしは彼を一生の間エホバにささげ、かみそりを彼の頭に当てません」。

 

「神聖な三一と主の主権ある御手が、サムエル記上第1章に啓示されています。エルカナは年ごとに、彼の家族と共に、当時シロにあった神の家、すなわち幕屋に行って、礼拝し、エホバにささげ物をささげていました(サムエル上1:3, 21-24)」。

 

 神聖な三一の具体化である神の家を感謝します。すべてのささげ物であるキリストの各面を経験して、完全な贖いを享受することができますように。

 

 

エルカナとハンナは、神が定めた命の路線にとどまりました

   

 堕落したイスラエルの大混乱のただ中で、エルカナとハンナは、神が定めた命の路線にとどまりました。……[それは]神の永遠の救いのためだけでなく、彼の永遠の定められた御旨のためでもありました。神の救いはおもにわたしたちの益のためですが、神の定められた御旨は神の願いを完成することと関係があります。わたしたちは、自分がここにいるのは自分の益のためであるか、あるいは神の定められた御旨のためであるか、自分自身に尋ねる必要があります。

 

 この夫婦は神のエコノミーを完成するために、地上での神の行動と協力しました。……彼らは行動する方によって、唯一の神聖な行動者によって動かされていたのです。彼は場面の背後でひそかに行動しておられました。神の主権ある取り扱いの下で、ハンナは魂において負担によって圧迫され、霊の中でエホバの御前に注ぎ出しました。これは神の行動でした。……彼女は祈らなければなりませんでした。ハンナは祈りの中で、神の行動と協力したのです。(サムエル記上、下ライフスタディ、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第2日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第1週3日)

 

王をもたらし王国を設立するために、神聖な三一がご自身の民とかかわりを持ちます

 

サムエル上8:5-7

彼らはサムエルに言った、「……すべての諸国民のように、今こそ、わたしたちを裁く王をわたしたちのために立ててください」。…… エホバはサムエルに言われた、「すべてこの民があなたに言ったとおり、彼らの声を聞き入れなさい.彼らはあなたを拒絶したのではなく、わたしを拒絶して彼らの王とならせないのである」。

 

「士師記のみじめな状況のゆえに、サムエルのような者を得るための緊急の切迫した必要がありました(サムエル上2:35.3:21)。サムエル記上、下が啓示しているのは、王をもたらし王国を設立することが、神聖な三一がご自身の民とかかわりを持つことにかかっていたということです」。

 

 主よ、あなたは今日の状況の中で、王職をもたらすサムエルのような者を必要としています。主よ、わたしたちを自分自身の権益や利得ではなく、神の心を顧みる者にしてください。  

 

 

わたしたちはまずサムエルのようになり、そしてキリストを享受して、王国をもたらします

 

 サムエルがエリの監護の下にいたとき、神は非常に細やかな方法で彼を教え、建て上げ、ご自身の正当な祭司として堅く立てられました。そのような祭司として、サムエルはイスラエルを裁く士師、神のために預言する預言者、王職をもたらす者となりました。この王職によって、神の王国は地上に確立されました。これは、今日あるべきわたしたちの状態の絵です。

 

 わたしたちはまずサムエルとなり、次にダビデとなって、キリストを享受し、わたしたちがキリストを享受したことが王国、すなわち召会となる程度にまで至る必要があります。マタイによる福音書第16章18節から19節によれば、召会と王国は同一です。王国は今日、召会であり、召会の中には内在的な本質、すなわちキリストのからだがあります。(サムエル記上、下ライフスタディ、第7、3編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


3月の祈り 第1日

(朝ごとの食物  サムエル記上、下 結晶の学び (1) 第1週2日)

 

サムエルは祭司の時代から王の時代へと、時代を転換させました

 

サムエル上10:25

それから、サムエルは民に王国の習わしを告げ、文書に記してエホバの御前に置いた。そしてサムエルはすべての民を、それぞれ自分の家に帰らせた。

 

マタイ6:10

あなたの王国が来ますように.あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますように。

 

「わたしたちは、サムエル記上、下において啓示されている神聖な三一を見る必要があります。サムエル記上、下は、王国をもたらすために極めて重要です(サムエル上8:4-22.10:25.13:14.15:28.16:1-3,13)」。

 

 主よ、わたしたちはサムエルの時代のように、時代を転換させる時にいます。主よ、わたしたちが団体のサムエルとして、神の王国と神の権威をもたらすことができますように。

 

 

サムエルは、ナジル人、祭司、預言者、士師としての四重の身分を持って王と王国をもたらしました

 

 サムエルは新しい時代を開始しました。彼は祭司の時代から王の時代へと、時代を変えました。祭司は神に仕えることができますが、神の王国と神の権威をもたらすことはできません。神の王国が確立されるとき、彼の権威は行使されることができ、そして彼の栄光は表現されることができます。マタイによる福音書第6章13節における祈りは、「王国と力と栄光とが、永遠にあなたのものである」と言います。まず、王国と権威の行使があり、次に栄光の表現があります。(リー全集、1954年、第4巻、527ページ――英文)

 

 士師記のみじめな状況のゆえに、サムエルのような者を得るための緊急の切迫した必要がありました。……サムエルは、ナジル人、祭司、預言者、士師でした。この四重の身分はサムエルを資格づけて、王をもたらし王国を設立することができる者とならせました。そのような者が起こされて自分の委託を遂行するために、神聖な三一の極めて重要な必要がありました。三一だけがこれを成し遂げることができました。(聖なる御言に啓示された神聖な三一、第10章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)