一つ思いと使徒行伝の極めて重要な面
花嫁の用意
8月の祈り30日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第6日)
主の語りかけによって、花嫁の用意を整え、主の来臨を願い求めます
雅8:13-14
園の中に住む者よ.わたしの仲間たちは、あなたの声に耳を傾けています.わたしにそれを聞かせてください。わが愛する方よ、急いでください.香料の山々の上のかもしかや、若い雄鹿のようになってください。
「この詩の書、すなわち、雅歌の結びの祈りとして、キリストの愛する者は、彼女の愛する方が彼の復活の力(かもしかと若い雄鹿)の中で急いで戻って来て、全地を満たす彼の甘く美しい王国(香料の山々)を設立してくださるようにと祈ります(雅8:14.啓11:15.ダニエル2:35)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが主の声に耳を傾けて、主の語りかけを聞くことができますように。主よ、復活の力の中で急いで戻って来てください。そして、全地を満たし、永遠にわたって王として支配してください。
主と共に働いているとき、主との交わりを維持し、常に主に耳を傾けます
愛する方を愛する者は、彼の園としての信者たちの中に住む方に、彼女の仲間たちが彼の声に耳を傾けているとき、主の声を聞かせてくださるようにと求めます[雅8:13]。これが示しているのは、キリストを愛する者として、外側で彼をわたしたちの生活として表現するわたしたちが、……主のために働くとき、主の語りかけの中で主と交わるべきであるということです。わたしたちは主と共に働いているとき、主との交わりを維持し、常に主に耳を傾ける必要があります。
愛する方を愛する者は、主が復活の力の中で急いで戻って来て[14節]、全地を満たす彼の甘く美しい王国を設立してくださるようにと祈ります(啓11:15.ダニエル2:35)。ここでわたしたちは、この愛する方を愛する者の祈りが、この詩的な書の結論の言葉であり、花婿としてのキリストと花嫁としての彼の愛する者たちとの、新婚の愛における結合と交わりを描写していることに気づくべきです。これはキリストの愛する者であるヨハネの祈り(聖書の結びの言葉として)のようであり、それは神聖な愛におけるキリストと召会に関する神の永遠のエコノミーを啓示しています(啓22:20)。(「雅歌ライフスタディ」、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り29日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第5日)
花嫁が用意を整えることは、輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることです
啓19:8-9
「彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である」。御使いはわたしに言った、「小羊の婚宴に招かれている者は幸いである、と書き記しなさい」。彼はまたわたしに言った、「これらは神の真実な言である」。
「花嫁が用意を整えることが意味するのは、彼女が「輝く清い細糸の亜麻布」の衣、すなわち、「聖徒たちの義(複数)」を着ることです(啓19:8)。この細糸の亜麻布は、花嫁の美しさです。わたしたちは、時間を費やして、主の言葉を祈り読みしたり、思い巡らしたりすることによって、彼の言葉の中で彼の美しさを見つめるときはいつでも(エペソ6:17-18.詩119:15)、彼はわたしたちの美しさとなります」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたち召会が輝く清い細糸の亜麻布の衣を用意して、着ることがでますように。主の言葉を祈り読みし、思い巡らして、主の言葉の中で主の美しさを見つめさせてください。そして、キリストがわたしたちの内側から花嫁の美しさとして輝き出ますように。
花嫁の美しさは、キリストがわたしたちの内側から輝き出ることです
キリストは今、わたしたちが彼の花嫁となる用意をしておられます。主が花嫁をご自身にささげる時が来つつあります。……花嫁の中に、キリストは美しさ以外の何も見られないでしょう。この美しさは、彼であることの反映です。……花嫁の美しさ……は、召会の中へと造り込まれ、召会を通して表現されるキリストから来ます。
わたしたちの美しさは、わたしたちの振る舞いではありません。わたしたちの唯一の美しさとは、キリストの反映、すなわち、キリストがわたしたちの内側から輝き出ることです。キリストがわたしたちの中で尊ぶものは、わたしたちの中の彼ご自身の表現です。……花嫁の美しさは、わたしたちから輝き出るキリストです。それは、人性を通して表現される神性の事柄です。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(4)」、第95編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り28日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第4日)
朝夕に、聖書に来て、言葉の中の水の洗盤によって清められます
ヨハネ7:38-39
「わたしの中へと信じる者は、……その人の最も内なる所から、生ける水の川々が流れ出る」。イエスはこれを、……その霊について言われたのである.……
エペソ5:26
それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり。
「エペソ第5章26節の「洗い」を指すギリシャ語は、文字どおりには「洗盤」です。旧約で祭司はその洗盤を用いて、彼らの地的な汚れを洗い去りました(出30:18-21)。わたしたちは日ごとに、朝夕に、聖書に来て、言葉の中の水の洗盤によって清められる必要があります。パウロは言葉とその言葉の洗う過程について語るとき、「レーマ」というギリシャ語を用いています(エペソ5:26)」。
主イエスよ、あなたを愛します。言葉の中の水の洗いによって召会を清めてくださることを感謝します。主が言葉を通してわたしたちに語られるとき、わたしたちは照らされ、聖化されます。わたしたちが神から直接、言葉を受け取って、生ける言葉を持ち、成長することができますように。
わたしたちは「レーマ」、神の生ける言葉を持つなら、清められ、聖化されます
新約聖書では、「言葉」を示すのに二つのギリシャ語が使われています。一つは「ロゴス」で一般的な意味の言葉のことを言います。もう一つは「レーマ」で、聖書では同じように「言葉」と訳されていますが、「ロゴス」とは全く違ったことを意味します。「ロゴス」は、永遠に定められたものと、客観的に用いられるものとの両方を指します。……しかし、「レーマ」は語られる言葉を指しています。……「ロゴス」も「レーマ」も神の言葉です。しかし、前者は聖書の中に客観的に記録されている神の言葉であり、後者は特定の状況においてわたしたちに語られる神の言葉です。……
真の成長は、わたしたちが神から直接、言葉を受け取ることにかかっています。神は彼の「レーマ」を使ってご自身の働きをしており、そしてわたしたちに語ることを願われます。…… 神が彼の言葉を通してわたしたちに語られるとき、わたしたちは照らされます。彼の言葉を通して、わたしたちは聖化されます。彼の言葉を通して、わたしたちは成長させられます。……わたしたちは「レーマ」、神の生ける言葉を持つなら、清められ、聖化されることができます。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り27日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第3日)
言葉の中の水の洗いによって、召会は清められ美しくされます
エペソ5:26
それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり。
啓19:7
わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。
「回復における主の主要な働きは、彼の真実な働きであり、わたしたちを用意して彼の栄光の花嫁とならせます。エペソ第5章26節で語られている継続的な性情の聖別がなければ、花嫁の用意が整えられる道はほかになく、啓示録第19章7節から9節が成就される道もほかにありません。召会は、命を与える霊としてのキリストが言葉の中の水の洗いによってわたしたちを清める聖化の過程を通して、美しくされつつあります(エペソ5:26-27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、言葉の中の水の洗いによって、召会を聖化し、清めてください。主よ、わたしたちの生活において、主の語りかけ、レーマが内側にありますように。そして、命における真の変化を持つことができますように。
主の回復における主要な働きは、主の花嫁を用意することです
啓示録第19章は完全に成就されます。さらに、わたしたちは、成就の過程が今日、起こっていると信じます。エルサレムがイスラエルの国に奪回されたからには、主イエスが戻って来られるのは遠いことであるはずはありません。しかしながら、花嫁は即座に用意されるのではありません。この用意は段階的な働きであり、一定の期間にわたって起こります。確かに、主は地上で働きをして、彼の花嫁を用意しておられるに違いありません。……
主は来て、すでに用意が整えられた花嫁をご自身にささげつつあります。この用意は、団体的に建造する働きを含んでいると、わたしは信じます。花嫁を構成する人たちは、命において円熟していなければならないだけでなく、一人の花嫁として共に建造されていなければなりません。回復における働きは、花嫁を用意する主の真実な働きです。……主の回復における主要な働きは、全地に福音を宣べ伝えることではなく、彼の花嫁を用意することです。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(4)」、第95編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り26日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第2日)
わたしたちは、主の美の家としての召会の中で、彼の麗しさを見つめ続けます
イザヤ28:5
その日、万軍のエホバは、ご自身の民の残された者[レムナント]にとって栄光の冠、また美の王冠となり、
詩27:4
わたしは一つの事をエホバに願いました.わたしはそれだけを求めます.わたしの命の日の限り、エホバの家に住んで、エホバの麗しさを見つめ、彼の宮で尋ね求めることを。
「花嫁の美しさは、召会の中へと造り込まれ召会から輝き出たそのキリストから来て、召会を通して表現されます(イザヤ43:7.エペソ3:21)。わたしたちは、主の美の家としての召会の中で、彼の麗しさを見つめ続ける必要があります。それによって、わたしたちは、栄光から栄光へと造り変えられ、主によって美しくされ、彼の美しい花嫁となり、彼をわたしたちの美の王冠として持ちます(Ⅱコリント3:18.啓19:7-9.イザヤ28:5.詩27:4.イザヤ60:1,7,9,13,19.62:3.啓21:11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 キリストは栄光の冠と美の王冠であることを賛美します。わたしたちの命の日の限り、主の家に住んで、主の麗しさを見つめ続けさせてください。わたしたちが造り変えられ、主によって美しくされて、主の美しい花嫁となることができますように。
花嫁の美しさは、召会の中へと造り込まれ召会から輝き出たそのキリストから来ます
イザヤ書第28章5節……で、キリストは栄光の冠と美の王冠として啓示されています。わたしたちは、冠と王冠の違いを考察する必要があります。わたしたちは、これらは同じものと考えるかもしれませんが、5節でこれらの項目は同格ではありません。これらの間には接続詞があります。すなわち、栄光の冠「と」美の王冠です。これはイザヤの驚くべき文書です。冠は、帽子やターバンのようですが、王冠は、冠の最も美しく栄光な部分です。……王冠は栄光の冠の美しさです。
神のすべての対処の後、復興の時代に、キリストは神の選びの民であるイスラエルの残された者[レムナント]にとって、栄光の冠と美の王冠となられるでしょう。彼は、彼の選びの民の栄光化となるでしょう。栄光と美は二つの別々のものです。あるものは非常に栄光あるものであっても、美しくありません。キリストは彼の選民にとって、栄光と美の両方になられます。(「イザヤ書ライフスタディ(2)」、第43編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り25日
(メモリアルデー特別集会 第4週 第1日)
聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです
エペソ5:25-27
……キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられた……それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、またそれは、しみやしわや、そのようなものが何もなく、聖くて傷のない栄光の召会を、彼がご自身にささげるためです。
エペソ第5章25節から27節は、神の全体的な救いを全体的に啓示しています
「性情の聖別の過程は、わたしたちの有機的な救いの過程であり、わたしたちを美しくして、キリストのために、わたしたちを美しく、聖い、栄光の花嫁とならせます(Ⅰテサロニケ4:3前半.Ⅰペテロ1:15-16.エペソ1:4-5.5:25-27. Ⅰテサロニケ5:23-24.ローマ6:19,22)。エペソ第5章25節から27節は、神の全体的な救いを全体的に啓示しており、三つの段階におけるキリストをわたしたちに提示しています」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが贖い主として、召会のためにご自身を捨てられたことを感謝します。わたしたち召会が、言葉の中の水の洗いによって分離、浸透、造り変え、成長、建造を通して聖化されていきますように。そして、しみやしわや、そのようなものが何もない聖くて傷のない栄光の召会として、キリストご自身にささげられますように。
キリストのために、わたしたちを美しく、聖い、栄光の花嫁とならせます
エペソ人への手紙第5章25節から27節は、実は一つの長い文章です。これらの節でパウロは、キリストが召会を愛して、彼女のためにご自身を捨てられたように、夫は妻を愛すべきであると言っています。彼がこうされたのは、召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためでした。それは、しみやしわや、そのようなものが何もない栄光の召会を、ご自身にささげるためです。……
過去、キリストは贖い主として、召会のためにご自身を捨てられました。この事は贖いと命の分け与えのためでした(ヨハネ19:34)。現在、彼は命を与える霊として、召会を、分離、浸透、造り変え、成長、建造を通して聖化しつつあります。将来、彼は花婿として、召会を彼の満足のための配偶者として、ご自身にささげられます。ですから、キリストが召会を愛するのは、召会を分離し聖化するためです。そして彼が召会を分離し聖化するのは、召会をご自身にささげるためです。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(3)」、第54編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り22日
(メモリアルデー特別集会 第3週 第5日)
円熟の最も有力なしるしは、他の人を祝福することです
創43:14
すべてに十分な神が、その人の前であなたがたにあわれみを与えてくださり……。
創48:15-16
そして、彼はヨセフを祝福して言った、「わたしの父祖アブラハムとイサクが御前に歩いた神よ、この日まで、わたしの全生涯にわたってわたしを牧養された神よ、すべての苦難からわたしを贖われた御使いよ、この少年たちを祝福してください……」。
「ヤコブの生涯が啓示しているのは、わたしたちに起こるあらゆる事が神の主権の下にあり、わたしたちの造り変えと円熟のためであるということです。偶然は何一つありません。ヤコブは円熟するために、まず彼の心の宝であるヨセフを失わなければなりませんでした(創37:31-35)。ヤコブの円熟の最も有力なしるしは、彼が他の人を祝福することでした(創47:7,10.48:14-16.ヘブル7:7)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの日常生活におけるあらゆることが、神の主権ある御手の下にあることを感謝します。わたしたちの上で、わたしたちの中で働いて、わたしたちを造り変え、円熟させてくださいますように。わたしたちを満たしているあらゆる物からわたしたちを空にして、神で満たされるようにしてください。
ヤコブの経験の二つの主要な面は、造り変えと円熟です
ヤコブの歴史はわたしたちの伝記とならなければなりません。わたしたちは、自分の日常生活におけるあらゆることが、神の主権ある御手の下にあることを信じなければなりません。ヤコブに起こったあらゆることは、彼の造り変えと円熟のためでした。ヤコブは造り変えられるために、変わる以外に何の選択も彼に与えられていない状況の中へと押し込まれなければなりませんでした。……
神は主権をもって人、物、事を用いて、わたしたちを満たしているあらゆる物からわたしたちを空にし、わたしたちを占有しているあらゆる物を取り除き、わたしたちの度量を増し加えて、さらに神で満たされるようにしてくださいます。……ヤコブの経験の二つの主要な面は、造り変えと円熟です。……主はわたしたちの間で、わたしたちの上で、わたしたちの中で働いて、わたしたちを造り変え、円熟させておられます。(「創世記ライフスタディ(6)」、第93編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り21日
(メモリアルデー特別集会 第3週 第4日)
神の永遠の定められた御旨は、わたしたちの造り変えと円熟を通して完成されます
コロサイ1:28
わたしたちはこのキリストを告げ知らせ、知恵を尽くしてすべての人を戒め、すべての人を教えています.それはわたしたちが、キリストの中で完全に成長したすべての人を、ささげるためです.
ヘブル12:10
肉の父は、自分の良いと思うようにしばらくの間、取り扱いましたが、霊の父は、益のために、わたしたちが彼の聖にあずかるようにと取り扱われるのです。
「創世記第37章から第47章は、ヤコブが円熟する過程についての記録です。創世記第27章で、わたしたちは押しのける者を見ます。第37章で、造り変えられた人を見ます。そして第47章の終わりで、円熟した人を見ます。造り変えの最終段階は円熟、すなわち、命の豊満です。神の永遠の定められた御旨は、わたしたちの造り変えと円熟を通してのみ完成されることができます(創1:26.コロサイ1:28.2:19)。命における円熟とは、聖霊の管理を受けた総合計です(ヘブル12:5-11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内側にある聖霊の油塗りを感謝します。また、聖霊の外側の管理を感謝します。日ごとの生活の中で、神聖な命が何度も何度も分け与えられて、わたしたちが命の豊満を持つことができますように。
わたしたちは内側の聖霊の油塗りと、聖霊の管理を通して円熟します
聖霊の管理は、聖霊がわたしたちの外側の環境の中で行なっておられることを指しています。それは、聖霊が人や物や事を案配して、それらを通してわたしたちが管理されていることを指しています。神が聖霊を通してわたしたちに働かれる大部分の働きは、油塗りである聖霊を別として、彼の外側の管理にあります。……わたしたちが従うとき、神のみこころは成就され、彼の属性はわたしたちの内側で増し加わります。ですから、従順な人たちにとっては聖霊の内側の油塗りだけで、ある程度十分です。
しかしながら、もしわたしたちが頑固であるなら、そして内なる油塗りに服従せず何度も何度も反抗するなら、聖霊はやむを得ずある環境を起こし、わたしたちを懲らしめ管理せざるを得なくなり、それによってわたしたちを服従させるのです。ですから、わたしたちの内側の聖霊の油塗りは、わたしたちに対する神の愛の甘い行為であり、神の本来の願いです。もう一方で、聖霊の外側の管理は神の御手の行動であり、神がそうせざるを得ない行為です。(「命の経験(上)」、第12編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り20日
(メモリアルデー特別集会 第3週 第3日)
円熟の秘訣は、彼女の意志が完全に服従させられ、復活させられたことです
ヤコブ5:7
こういうわけで、兄弟たちよ、主の来臨まで辛抱強くありなさい。見よ、農夫は前の雨と後の雨を得るまで、地の尊い実を切に待っています。
雅4:4
あなたの首は、武器倉のために建てられたダビデの塔のようだ.その上には千の小盾、すべて勇士の大盾がかけられている。
「雅歌第3章はわたしたちに、尋ね求める者の円熟を見せています。そして第4章は続けて、意志の服従によってそのような円熟に到達することを説明しています。尋ね求める者の円熟の秘訣は、彼女の意志が完全に服従させられ、復活させられたということです(雅4:4)。
主イエスよ、あなたを愛します。 円熟することは、キリストがわたしたちの内に完全に形づくられることです。主は真の農夫として、わたしたちの円熟を待っておられます。わたしたちの意志が服従させられ、復活の中で強くされますように。
わたしたちの意志は復活させられて、ダビデの塔、霊的戦いのための武器倉のようになります
ヤコブの手紙第5章7節でヤコブは、地の尊い実を辛抱強く切に待ち望む農夫の例証を用いています。……主イエスはじつは真の農夫、唯一の農夫です。わたしたちが主の来臨を待っている時、彼は真の農夫として、わたしたちの円熟を待っておられます。わたしたちは、「主よ、早く戻って来てください」と祈るかもしれません。しかしながら、主は言われるかもしれません、「わたしの子供たちよ、もっと早く円熟しなさい。あなたがたがわたしの再来を待ち望んでいるとき、わたしはあなたがたの円熟を待ち望んでいる。……あなたがたの円熟だけが、わたしの再来を早めることができる」。(「ヤコブの手紙ライフスタディ」、第11編)
[雅歌第4章4節において]主は[尋ね求める者の]首をダビデの塔にたとえています。……髪はわたしたちの意志を表徴し[1節]、……わたしたちの首もまたわたしたちの意志を表徴します。聖書の中で神に反逆する者たちは、首筋の硬い者と呼ばれます(出32:9.使徒7:51)。……山の上に現れているやぎの群れは彼女の意志が服従させられていることを示し、またダビデの塔は彼女の意志が復活の中でいかに強いかを例証します。まず、わたしたちの意志は服従させられなければなりません。それから、それは復活の中で強くなければなりません。(リー全集、1972年、第1巻(上)、「雅歌において描写されている命と建造」、第6編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り19日
(メモリアルデー特別集会 第3週 第2日)
円熟することは、キリストがわたしたちの内に完全に形づくられることです
ピリピ3:12-15
……わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それはわたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。……ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。こういうわけで、成人した者はみな、この思いを持とうではありませんか……。
「円熟することは、キリストがわたしたちの内に完全に形づくられることです。それはまたわたしたちが彼のかたちへと完全に造り変えられていることを意味します(ガラテヤ4:19.Ⅱコリント3:18)。主が彼のかたちをわたしたちの中へと完全に造り込んで、わたしたちを通して完全に表現されるとき、わたしたちは命において円熟します(エペソ3:16-17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが、キリスト・イエスによって捕らえられていることを感謝します。わたしたちが後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばして、神の賞を得るために、目標に向かって追い求めることができますように。そして、命において円熟することができますように。
わたしたちはキリストの命の中で、成長と円熟を追い求めて前進します
使徒パウロはピリピ人への手紙第3章12節から15節で、彼がどのようにキリストの命の中で成長と円熟を追い求めたかを告げています。このことにおいて、彼は決して自分自身に満足せず、常に追い求め、後ろにあるものを忘れて前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、目標と目的であるキリストに向かって前進していました。それは彼がキリストを獲得するためであり、それによって彼が命の中で成長し円熟するためでした。
パウロは彼自身がこのように追い求めたことを模範として、導き顧みていた信者たちに、彼らが彼のようになり、キリストの命において追い求め、キリストを完全に獲得して、成長し円熟するように勧めました。最後にパウロは、(比較的)成人している者はみなこの思いを持ち、これを目標とすべきであると言いました。……霊の命における円熟の必要条件は、この命において絶えず成長することです。信者は再生され、霊的に生まれたばかりの赤子となるとすぐに、聖書の中の神の言葉を悪巧みのない乳として、切に慕い求めるべきです。それは自分自身が霊の命において成長するためです[Ⅰペテロ2:2]。(「生命課程」、第4巻、第46課)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り18日
(メモリアルデー特別集会 第3週 第1日)
円熟するとは、わたしたちを変える神聖な命で満たされることです
ヘブル6:1
こういうわけで、キリストの初歩的な言を後にして、再び基礎を据えることをしないで、円熟にもたらされようではありませんか……。
ローマ12:2
またこの時代にかたどられてはいけません.むしろ、思いが新しくされることによって造り変えられなさい.それは、何が神のみこころであるか、すなわち何が善であって、喜ばれ、完全なものであるかを、あなたがたがわきまえるようになるためです。
「円熟」という言葉のギリシャ語の意味は、「終着点」です。造り変えられるとは、わたしたちの天然の命の中で新陳代謝的に変えられることです。円熟するとは、わたしたちを変える神聖な命で満たされることです(ヘブル6:1.コロサイ4:12.ローマ12:2.Ⅱペテロ1:3)。造り変えの最後の段階は、円熟、すなわち、命の豊満です(Ⅱペテロ1:4)。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、わたしたちの思いが新しくされることによって造り変えられますように。今日の生活の中で、神聖な命が繰り返しわたしたちに分与されますように。そして、命の豊満を持つことができますように。
造り変えの最後の段階は、円熟、命の豊満です
わたしたちは造り変えと円熟の違いを指摘する必要があります。造り変えの最後の段階は円熟です。円熟は命の豊満を意味します。……わたしたちは命を持てば持つほど、ますます円熟します。幼子ははっきりとは円熟していませんが、成長した人は円熟しています。人が円熟するとは、彼の命が豊満へと至ったことを意味します。造り変えは命における新陳代謝の変化です。ですから、造り変えは豊満の事柄ではなく、変化の事柄です。……造り変えを通してのみ、わたしたちは円熟に到達することができます。
わたしたちは天然の命を持っていますが、この命は神のエコノミーのためには良くありません。わたしたちの天然の命は……新陳代謝的に変化する必要があります。わたしたちは外観における外側の変化を持つだけでなく、性質における内側の変化をも持たなければなりません。わたしたちの人の命は神のエコノミーのために必要なものですが、それは天然の人の命のままであってはなりません。それは性質において造り変えられた人の命であるべきです。それは、神聖な命が造り変えられた人の命とミングリングされて、一となるためです。これは深い事柄です。(「創世記ライフスタディ(6)」、第93編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り16日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第6日)
神はアダムのあばら骨をもって女を建造しました
創2:23
すると、その人は言った、「今度こそ、これがわたしの骨の骨、わたしの肉の肉である.この者を『女』と呼ぶことにしよう.それは、この者が『男』から取り出されたからである」。
エペソ5:32
この奥義は偉大です.実は、わたしはキリストと召会について言っているのです。
「創世記第2章22節は、エバが創造されたのではなく、建造されたと言っています。アダムの脇から取られたあばら骨でエバを建造することは、復活の命をもって召会を建造することを予表します。この復活の命は、キリストの十字架上での死を通して彼から解き放たれ、彼の復活の中で彼の信者たちの中へと分け与えられました(ヨハネ12:24.Ⅰペテロ1:3)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストと召会という偉大な奥義を賛美します。神は今やキリストの復活の命をもって召会を建造しておられます。召会はキリストのものであり、復活のものであり、天のものです。主よ、わたしたちがキリストと召会のビジョンをはっきりと見ることができますように。
神は復活の命をもって召会を建造しました
創世記第2章において、キリストの花嫁がどのようにして存在するようになるかの絵があります。…… 創世記第3章になってはじめて、罪が入って来ました。こういうわけで、アダムの脇から出てきたのは、あばら骨であり、血はありませんでした。しかしながら、キリストが十字架上で眠っていた時には、罪の問題がありました。こういうわけで、彼の死はこの罪の問題を対処しなければなりません。血が贖いのためにキリストの脇から流れ出ました。血に続いて、水が流れ出ました。それは召会を生み出すための流れる命です。この神聖な、流れる、非受造の命は、アダムの脇から取り出されたあばら骨によって予表されています。
アダムから取り出されたあばら骨は復活の命を表徴し、神はアダムのあばら骨をもって女を建造しました。。……エバはアダムの骨の骨であり、アダムの肉の肉です。今日、わたしたちは召会としてキリストの一部分です(エペソ5:30-32)。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「聖書の中の命についての重要な啓示」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り15日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第5日)
アダムの深い眠り(十字架上の死)を通して、エバが生み出されました
創2:21
そこで、エホバ・神が、その人を深い眠りに陥らせられたので、彼は眠った.そして彼のあばら骨の一つを取って、その場所を肉でふさがれた。
ヨハネ12:24
まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。
「アダムが深い眠りに陥って彼の妻としてのエバを生み出すことは、キリストが十字架上で死んで、彼の配偶者としての召会を生み出すことを予表します(エペソ5:25-27)。聖書の中で、眠りは死を意味します(Ⅰコリント15:18.Ⅰテサロニケ4:13-16.ヨハネ11:11-14)。キリストの死を通して、彼の内側の神聖な命が解き放たれました。そして彼の復活を通して、彼の解き放たれた神聖な命が彼の信者たちの中へと分け与えられて、召会を構成しました(ルカ12:49-50.参照、ローマ12:11.啓4:5)」。
主イエスよ、あなたを愛します。一粒の麦が地に落ちて死んで、多くの実を結んだことを賛美します。キリストの死を通して、神聖な命が解き放たれ、復活を通して神聖な命がわたしたちの中へと分け与えられたことを感謝します。花嫁としての召会が命と性質と表現において、主と同じになりますように。
キリストの十字架上の死を通して、召会が生み出されました
ある日、真のアダムは十字架上で眠りに就かれました。……これは創世記第2章で、「神が、その人を深い眠りに陥らせられた」、また「彼のあばら骨の一つを取って」彼に一人の妻を建造したと言う句で予表されています(創2:21)。アダムの眠りは、召会を生み出すためのキリストの十字架上の死の予表でした。これは命を解き放ち、命を分け与え、命を増殖させ、命を繁殖させ、命を複製するキリストの死です。それは一粒の麦が地に落ちて死に、成長して多くの穀粒を生み出し(ヨハネ12:24)、からだ、すなわち召会であるパンとなる(Ⅰコリント10:17)ことで表徴されます。
召会をこのように生み出すことによって、キリストにある神は、命として人の中へ造り込まれました。まず、神は人と成られました。次に、神聖な命と性質のあるこの人は、死と復活を通して多くの信者たちの中に増殖し、彼らは多くの肢体となって、彼に符合する、また彼を補完する真のエバを構成しました。この過程を通して、神はキリストにあって、彼の命と性質を伴って、人の中へと造り込まれてきました。それは、人が命と性質において彼と同じになって、彼の補完として彼に符合することができるためです。(「創世記ライフスタディ(1)」、第17編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り14日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第4日)
神の目的は、勝利を得たキリストに加えて勝利を得た召会を得ることです
創2:18,20
それから、エホバ・神は言われた、「その人が独りでいるのは良くない.わたしは彼に、彼の配偶者としての助け手を造ろう」。……こうして、その人は、すべての家畜と空の鳥と野のあらゆる動物に名を付けたが、アダムのために、彼の配偶者としての助け手が見当たらなかった。
「わたしたちは、神がご自身のための配偶者を生み出すために、何を行なったかを見る必要があります。創世記第2章は、アダムとエバの予表において、キリストと彼の花嫁の絵を啓示しています。アダムが予表するのは、神がキリストの中で、真の宇宙的な夫であり、ご自身のために妻を捜し求めているということです(ローマ5:14.参照、ヨハネ3:29.Ⅱコリント11:2.エペソ5:31-32.啓19:7-9.21:9-11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは悪魔のわざに打ち勝ったキリストに加えて、悪魔のわざを打ち倒した召会を得ることを願っておられます。わたしたち召会がキリストに符合して、神の定められた御旨が成就しますように。
神が召会に求められることは、あらゆることでキリストと同じであることです
神はアダム「とエバ」の両方を持つことを願望されました(参照、創2:18)。神の目的は、勝利を得たキリストに加えて勝利を得た召会を得ることです。神の目的は、悪魔のわざに打ち勝ったキリストに加えて、悪魔のわざを打ち倒した召会を得ることです。神の目的は、支配するキリストと支配する召会を得ることです。これが、神がご自身の喜びのために計画されたことです。そして、彼はご自身の満足のためにそれを成し遂げられました。……
神はキリストを持とうと願われました。また神はキリストと同じ召会を持とうと願われました。神は、キリストが支配することを願われただけでなく、召会がキリストと共に支配することを願われました。神は地上に悪魔を許されました。なぜなら、彼は「彼らに」、すなわちキリストと召会に、「治めさせよう」と言われたからです[1:26]。神はキリストの配偶者としての召会がサタンを対処することに分を持つことを定められました。もし召会がキリストに符合しないなら、神の定められた御旨は成就しません。戦いにおいて、…… 栄光を得ることにおいても、彼は助け手を必要とされます。神が召会に求められることは、あらゆることでキリストと同じであることです。キリストが助け手を持つことが、神の願いです。(ニー全集、第34巻、「栄光の教会」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り13日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第3日)
神がまずわたしたちを愛してくださいました
Ⅰヨハネ4:21
神を愛する者は、自分の兄弟をも愛すべきです.この戒めを、わたしたちは彼から受けています。
Ⅱコリント5:14
なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです.そこでこう判断しました.ひとりの方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです。
「神と彼の民が一になるためには、両者の間に相互の愛がなければなりません。聖書の中で明らかにされている神と彼の民との間の愛は、おもに男女の間の愛情深い愛のようです(ヨハネ14:21,23.エレミヤ2:2.31)。神がまずわたしたちを愛し、彼の愛をわたしたちに注入し、わたしたちの内側で愛を生み出しました。わたしたちはこの愛をもって、神を愛し、兄弟たちを愛します(Ⅰヨハネ4:19-21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神は愛であり、神がまずわたしたちを愛してくださったことを感謝します。日ごとの生活において、神が愛であることの生活を生かし出し、兄弟姉妹を愛し、命を供給することができますように。
わたしたちの愛としての神をもって人を愛します
わたしたちは神の種族です。なぜならわたしたちは神から生まれて、神の命と性質を持っているからです(ヨハネ1:12-13)。わたしたちは再生されて神の種族、神の種類となりました。神は愛です。わたしたちは命と性質において神となっているので、愛でもあるべきです。神は愛ですから、神の種族として、わたしたちは愛であるべきです。
神は、わたしたちが天然の愛をもって愛するのではなく、わたしたちの愛としての神をもって愛することを願われます。神は人をご自身のかたちに創造されました(創1:26)。これは、神が何であるかにしたがって人を創造されたことを意味します。……
聖書の啓示によれば、神の第一の属性は愛です。……創造された人に愛の実際はありませんが、創造された存在の中には人を愛することを願うものがあります。……しかしそれは人の美徳、愛の神聖な属性の表現であるにすぎません。わたしたちが再生されたとき、神は愛としてのご自身をわたしたちに注入されました。わたしたちが神を愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです[Ⅰヨハネ4:8、19]。神がこの愛を開始されました。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(上)、「バイタルグループ」、第8編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り12日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第2日)
新エルサレム[花嫁]は、神の満ち満ちた表現となります
啓示録19:7-8
わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。
「聖霊が歴代にわたって絶えず働くことによって、この時代の終わりにこの目標に到達します。その時、花嫁、すなわち勝利を得た信者たちは用意が整えられており、神の王国が到来します(マタイ26:29.13:43)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神の民として、神との愛の関係の中へと入るとき、神の命を受けます。この命がわたしたちを神と一にならせることを感謝します。小羊の婚姻の時が来た時に、わたしたち召会が主の花嫁として用意を整えていることができますように。
新エルサレム[花嫁]は、敵を服従させ、地を征服し、神の権威を行使します
創世記第2章において見られる命は、流れる命、造り変える命、建造する命です。この命はわたしたちの内側で流れており、わたしたちを造り変え、最終的にわたしたちをキリストの花嫁として建造します。この花嫁、新エルサレムは、神の定められた御旨の二つの面を成就します。第一に、新エルサレムは、神の満ち満ちたかたちにおける神の満ち満ちた表現となります(啓21:11、参照、4:3)。第二に、この新エルサレムは敵を服従させ、地を征服し、神の権威を行使して全宇宙を、特に這うものを治めます(22:5、21:15、参照、8節、20:10、14-15)。……
こういうわけで、神の定められた御旨は、完全に新エルサレムによって成就されます。それは命の成果、結果、究極的な完成です。わたしたち信者に必要なのは命であり、この命は三一の神ご自身、すなわち御子の中におられる御父、その霊としての御子にほかなりません。どうかわたしたちがみな、この流れる、造り変える、建造する命の享受と経験の中へともたらされて、花嫁として整えられ、キリストの再来をもたらしますように。(リー全集、1969年、第2巻(下)、「聖書の中の命についての重要な啓示」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り11日
(メモリアルデー特別集会 第2週 第1日)
キリストの花嫁は、三一の神の建造です
創2:22
こうして、エホバ・神は、その人から取ったあばら骨を一人の女に建造し、彼女をその人の所に連れて来られた。
啓示録21:2
わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。
「神の建造は、全聖書の中心的な事柄です。キリストの花嫁は、三一の神の建造です。全聖書は建造の説明書にたとえることができます。聖書における神聖な啓示の開始であるエデンの園に関する啓示と、聖書における神聖な啓示の終わりである新エルサレムに関する啓示は、互いに反映しています」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の建造は、全聖書の中心的な事柄です。神聖な命を解き放ったキリストの死の結果である彼の補完としての召会を得られたことを賛美します。わたしたちの全存在をキリストで再構成し、召会が神の栄光を表現するようになりますように。
宇宙的な夫である神は、再生された人性と共に永遠に生きます
脇が開かれて、あばら骨を取り出すためのアダムの眠りの結果は、彼が彼に符合する補完としてのエバを得たことでした。これは、キリストの脇が突き刺され、神聖な命を解き放った彼の死の結果が、彼の補完として召会を彼が得られたことであったことを表徴します。これ以後、神はもはや独りではありません。キリストは彼に符合する花嫁を得られました。……
アダムとエバは一つになって、共に生きました。これは、宇宙的な夫である神が、再生された人性と共に永遠に生きられることを描写しました。……永遠において、キリストにある神は、人の生活の中心、実際、命となり、人は命としてのキリストにある神によって生きるでしょう。人は神の栄光を表現し、新しい地で神の権威を行使するでしょう。神と人、人と神は、永遠に結婚生活の中で共に生きるでしょう。(「創世記ライフスタディ(1)」、第17編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り9日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第6日)
小羊の婚宴に招かれている者は幸いである
啓19:9
御使いはわたしに言った、「小羊の婚宴に招かれている者は幸いである、と書き記しなさい」。彼はまたわたしに言った、「これらは神の真実な言である」。
マタイ22:2,14
天の王国は、王が自分の息子のために婚宴を用意するようなものである。…… なぜなら、招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないからである。
「小羊の婚宴(marriage dinner)は、結婚の婚宴(wedding feast)、すなわち、千年王国であって、それは神の目には一日のようです。それは勝利を得た信者たちにとって褒賞となります(9節.マタイ22:2,11-14.Ⅱペテロ3:8)。キリストの婚宴に招かれるのは幸いなことであり、これは勝利を得た信者たちを、千年期の享受の中へと導き入れます(啓19:9)。召される(招かれる)とは、救いを受けることです(ローマ1:7.Ⅰコリント1:2.エペソ4:1)。選ばれるとは、褒賞を受けることです」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストの婚宴に招かれている者は幸いです。主よ、わたしたちが勝利を得た信者たちとなり、小羊の花嫁となりますように。わたしたち召会がこの恵みの時代に主イエスを愛して、千年期の享受の中へと導き入れられますように。
勝利を得た信者たちは、千年期の享受の中へと導き入れられます
小羊の花嫁と[啓示録第19章9節にある]小羊の婚宴に招かれている客は、同じグループの人たちを指しています。言い換えれば、キリストの花嫁を構成する人たちは婚宴に招かれている客です。小羊の婚宴は[9節]、マタイによる福音書第22章2節の婚宴です。それは勝利を得た信者たちに対する褒賞となります。……マタイによる福音書第25章8節から13節の五人の愚かな処女はそれを逃します。しかしながら、王国時代に主によって対処された後、彼らは永遠に新エルサレムにあずかります。
このゆえに、キリストの婚宴に招かれることは、勝利を得た信者たちを千年期の享受の中へと導き入れることであり、幸いなことです。小羊の婚宴に招かれた勝利を得た信者たちはまた小羊の花嫁となります。……招かれて婚宴に出席することは、キリストと共に共同の王として千年王国にあずかる特権を持つことです。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り8日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第5日)
細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である
啓19:8
彼女は輝く清い細糸の亜麻布の衣を着ることを許された.その細糸の亜麻布の衣は、聖徒たちの義である。
ピリピ3:9
そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、
「[啓示録第19章8節で]……「清い」は性質を指しており、「輝く」は表現を指しています。「義(複数)」と訳されたギリシャ語は、「義なる行ない」とも訳すことができます。……わたしたちが救いのために受けた義は客観的であり、わたしたちが義なる神の要求を満たすことができるようにしますが、啓示録第19章8節の勝利を得た聖徒たちの義は主観的であり(ピリピ3:9)、彼らが勝利を得たキリストの要求を満たすことができるようにします」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの救いのための義の衣を感謝します。わたしたちはまた第二の衣を必要とします。主よ、今日の召会生活の中で、勝利を得る命としてのキリストを生かし出して、輝く清い細糸の亜麻布の衣を用意することができますように。
第二の衣は、日常生活の中でわたしたちの生かし出されたキリストです
全聖書の啓示によれば、わたしたち救われた者たちは二枚の衣を必要とします。すなわち、一枚はわたしたちの救いのためのものであり、もう一枚はわたしたちの褒賞のためのものです。わたしたちの救いのためには、わたしたちを覆う衣を必要とします。この衣はルカによる福音書第15章で放蕩息子に着せられた衣です。……わたしたちはみなこの第一の衣を持っており、それはわたしたちの義としての、わたしたちの義認としてのキリストであって、わたしたちが義なる神の御前に立つことができるようにします。
しかしながら、わたしたちはまた第二の衣を必要とします。この衣はわたしたちの救いのためではありません。そうではなく、それはわたしたちの褒賞のためであり、わたしたちが神の御子の婚宴に出席するように資格づけます。第一の衣は、わたしたちの救いのために、わたしたちが神と会うように資格づけます。……この第二の衣は、わたしたちの内側での聖霊の働きです。実は、それはキリストであって、わたしたちは彼によって生き、また彼を生かし出します。それは、わたしたちの日常生活の中でわたしたちを通して表現されるキリストです。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り7日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第4日)
花嫁の用意は、勝利者の命における円熟にかかっています
啓19:7
……小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えた……
ヘブル6:1
こういうわけで、キリストの初歩的な言を後にして、再び基礎を据えることをしないで、円熟にもたらされようではありませんか.……
「彼の妻は用意を整えた」(啓19:7後)。「彼の妻」は召会(エペソ5:24-25、31-32)、キリストの花嫁(ヨハネ3:29)を指しています。啓示録第19章8節から9節によれば、妻(キリストの花嫁)は、千年期の間の勝利を得た信者たちだけから成っています。花嫁の用意は、勝利者の命における円熟にかかっています(19:7.ヘブル6:1.ピリピ3:12-15.エペソ4:13)。勝利者は、命において円熟しているだけでなく、一人の花嫁として共に建造されています」。
主イエスよ、あなたを愛します。 花嫁の用意は、勝利者の命における円熟にかかっています。主よ、わたしたち召会が思慮深い処女たちとして、器に十分な油を持つことができますように。また、召会生活の中で建造されて、花嫁の用意を整えることができますように。
勝利者は、命において円熟しており、一人の花嫁として共に建造されています
わたしたちは「彼の妻は用意を整えた」という句に注意を払う必要があります。マタイによる福音書第25章1節から13節は十人の処女のたとえについて語っています。このたとえにおいて、器に油を持っていた思慮深い処女たち、すなわち神の霊が彼女たちの魂を満たし、充満している者たちは「用意のできた」者たちであったので、小羊の再来の時、花婿と共に「婚宴の」中へと入り(10節)、小羊の婚宴の享受の中へと入ります。これが示しているのは、何世紀にもわたる神の働きがご自身を人の中へと建造することであるということです。……
彼はご自身をわたしたちの中へと建造するとき、神の性質と天の要素をわたしたちの中へと構成されます。彼にご自身をわたしたちの中へと造り込んでいただけばいただくほど、わたしたちはますます神の要素と天の要素をわたしたちの中に持ちます。……わたしたちが聖霊に服従し、神にご自身をわたしたちの中へと造り込んでいただくとき、わたしたちの内側に神の臨在と天の味わいを持ちます。……花嫁が用意を整えたとは、召会が完全に建造されたことであり、成長して円熟へと至ったことを意味します。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り6日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第3日)
花嫁を持つ者は花婿である
啓19:7
わたしたちは喜び歓喜し、彼に栄光を帰そう.小羊の婚姻の時が来て、彼の妻は用意を整えたからである。
ヨハネ3:29
花嫁を持つ者は花婿である.花婿の友は立って花婿の声を聞き、その声のゆえに喜び歓喜する。こうして、わたしはこの喜びに満たされている。
「ヨハネは彼の福音書の開始において、小羊と花婿について語っており、啓示録においては、小羊の婚姻の時が来たと言っています(ヨハネ1:29.3:29)。「彼の妻は用意を整えた」(啓19:7後)。「彼の妻」は召会(エペソ5:24-25、31-32)、キリストの花嫁(ヨハネ3:29)を指しています」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストは世の人の罪を取り除く小羊であり、また花嫁を持つために来られた花婿です。今、わたしたちは地上で花嫁となって主に会うための用意をしています。わたしたちが団体の花嫁となるために、三一の神で浸透され、円熟へと至ることができますように。
小羊は贖いのためであり、花婿は婚宴のためです
啓示録第19章7節から9節は、主イエスが花婿としての小羊であることを明らかにしています。同じように、ヨハネによる福音書において、キリストは小羊と花婿の両方として提示されています。ある日、バプテスマのヨハネは宣言しました、「見よ、世の人の罪を取り除く神の小羊!」(1:29)。この節は、キリストが世の人の罪を取り除く小羊として来られたと、はっきり啓示しています。後にバプテスマのヨハネもキリストが花婿であることを示しました[3:29]。……
このゆえに、ヨハネによる福音書において、キリストは罪を取り除くために来られた小羊と、花嫁を持つために来られた花婿の両方として啓示されています。……小羊は贖いのためであり、花婿は婚宴のためです。贖いは神の小羊としてのキリストによって達成されました。そして婚姻は、キリストが来たるべき花婿として彼の花嫁をめとる時に起こります。……キリストの目標は、罪を取り除くことではありません。それは花嫁を持つことです。(「新約の結論(25)」、メッセージ424)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り5日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第2日)
小羊の婚姻は、神の新約エコノミーの完成の結果です
啓21:2,9-10
わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。 ……「ここに来なさい.あなたに小羊の妻である花嫁を見せよう」。そして彼はわたしを霊の中で、大きな高い山へ連れて行き、聖なる都エルサレムが、天から出て神から下って来るのをわたしに見せたが。
「小羊の婚姻は、神の新約エコノミーの完成の結果です。神の新約エコノミーとは、彼の法理的な贖いを通して、また彼の神聖な命における有機的な救いによって、キリストのために花嫁、すなわち、召会を得ることです(創2:22.ローマ5:10.啓19:7-9.21:2,9-11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの花婿であるキリストを賛美します。神の法理的な贖いと、彼の神聖な命における有機的な救いによって、わたしたちが夫のために着飾った花嫁のように整えられますように。
全聖書の究極的完成は、この宇宙的な夫婦です
福音書は、わたしたちの救い主としてのキリストの完全な記録を与えています。しかしながら、あなたはかつて、四福音書はまたキリストが花婿として来られたことも告げていることに、気づいたことがあるでしょうか(マタイ9:15.マルコ2:19.ルカ5:34.ヨハネ3:29)? 彼は彼の花嫁のために来られたのです。バプテスマのヨハネの弟子たちが、多くの人がヨハネを捨てて主イエスに従って行くのを見た時、ヨハネは彼らに、当惑しないように、キリストは花婿であり、すべての増し加わりは彼に属すると言いました(30節)。……花嫁はキリストの増し加わりです。
書簡では、キリストと召会が、夫と妻として描かれています(エペソ5:25-32.Ⅱコリント11:2)。……わたしたちは書簡の中に何が啓示されているかを知るなら、キリストがわたしたちの夫として啓示され、信者は彼の配偶者、彼の妻として啓示されているのを見るでしょう。……啓示録第19章では、キリストが婚宴を享受されることを見て、第21章では、新エルサレムが彼の妻になることを見ます。……全聖書の究極的完成が、この宇宙的な夫婦――夫と妻であることを見ます。(「ローマ人への手紙ライフスタディ(1)」、第1編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り4日
(メモリアルデー特別集会 第1週 第1日)
聖書は宇宙的な夫婦の神聖なロマンスです
マタイ25:6
真夜中に、「見よ、花婿だ! 彼を迎えに出よ!」と叫ぶ声がした。
Ⅱコリント11:2
わたしは神のねたみをもって、あなたがたをねたんでいます.なぜなら、あなたがたを清純な処女としてキリストにささげるために、一人の夫に婚約させたからです。
「最も純粋で、最も聖なる意味で、聖書は宇宙的な夫婦のロマンスです。すなわち、神はキリストの中で花婿であり、神の贖われた人は花嫁です(ヨハネ3:29.マタイ25:6.啓19:7.21:2.22:17)。神は何世紀にもわたって、人とのロマンスを持ってきました。神が人を創造した目的は、配偶者を持つことでした(創1:26)」。
主イエスよ、あなたを愛します。聖書は宇宙的な夫婦のロマンスであることを感謝します。キリストは花婿であり、神の贖われた人は花嫁です。日常生活の中で、わたしたちの全存在を主の上に置き、主を愛することができますように。
わたしたちは主を信じるだけでなく、主を愛することが必要です
コリント人への第一の手紙第2章9節でパウロは言います、「目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないものを、神はご自身を愛する者たちのために備えてくださった」。神がわたしたちのために定め、備えられた深く隠された事柄を認識し、それにあずかるために、わたしたちは彼を信じるだけでなく、彼を愛することが必要です。神を畏れ、神を礼拝し、神を信じる(すなわち神を受け入れる)ことだけでは不十分です。彼を愛することが、不可欠の条件です。神を愛するとは、わたしたちの全存在――霊、魂、体を、心、魂、思い、力と共に(マルコ12:30)――完全に彼の上に置くことを意味します。
これは、わたしたちの全存在を彼に占有していただき、わたしたちの全存在が彼の中で失われることです。その結果、彼がわたしたちのすべてとなられ、わたしたちは日常生活の中で、実際的に彼と一になります。このようにして、わたしたちは神と最も近く、最も親密な交わりを持ちます。そして、わたしたちは神のみこころの中に入って、心の秘密をすべて理解することができます(詩73:25.25:14)。こうして、神のこれらの深く隠された事柄を認識し、経験し、享受し、十分にあずかるのです。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)、第16編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り2日
(国際長老責任者訓練 メッセージ6 第6日)
あなたがたを神と、神の恵みの言にゆだねます
使徒15:40
しかし、パウロはシラスを選び、兄弟たちによって主の恵みにゆだねられて出発した。
使徒 20:32
今わたしは、あなたがたを神と、神の恵みの言にゆだねます.その言はあなたがたを建造し、また聖別されたすべての人の間で、あなたがたに嗣業を与えることができます。
「パウロは主の恵みにゆだねられていました。パウロが兄弟たちによって主の恵みにゆだねられたという事実は、彼が正しい道を取っていたことを示しています。神のあふれるばかりの恵みの言は、聖徒たちを建造することができます。神の恵みの言は機能して、聖別されたすべての人の間で、わたしたちに嗣業を与えます。神の嗣業にあずかるために、わたしたちは聖別される必要があり、聖別されるためには、神の恵みの言を必要とします」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の満ちあふれる恵みの言を感謝します。わたしたちが神聖な命において成長し、神の恵みの言によって聖別されますように。そして、神の嗣業にあずかることができますように。
神のあふれるばかりの恵みの言は、聖徒たちを建造します
使徒行伝第20章32節でわたしたちは、神の恵みの言の機能を見ます。第一に、この言は聖徒たちを建造することができます。聖徒たちを建造することは、神聖な命における成長を必要とし、神聖な命における成長は、神聖な要素の養いと神聖な知識による啓発と装備を必要とします。このすべては、神の満ちあふれる恵みの言によってのみ、なすことができます。恵みとは、肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天のすべての手順を経て、聖徒たちに享受として与えられた三一の神ご自身です。
第二に、神の恵みの言葉は機能して、わたしたちに「聖別されたすべての人の間で……嗣業」を与えます。神聖な嗣業とは三一の神ご自身であって、彼の贖われた人々のために、彼が持っているすべて、彼が行なったすべて、彼が行なおうとしているすべてを伴っています。この三一の神はすべてを含むキリストの中に具体化され(コロサイ2:9)、キリストは聖徒たちに彼らの嗣業として割り当てられています(コロサイ1:12)。聖徒たちに与えられた聖霊は、この神聖な嗣業の前味わい、保証、手付金です(ローマ8:23.エペソ1:14)。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第55編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
8月の祈り1日
(国際長老責任者訓練 メッセージ6 第5日)
主は彼の恵みの言を証しされました
使徒14:3
それでも、彼らはかなりの期間とどまって、主にあって大胆に語っていた.主は……彼の恵みの言を証しされた。
使徒 26
そして、そこからアンテオケに船で渡った.そこは、彼らが成し終えた働きのために、神の恵みにゆだねられて送り出された地であった。
「わたしたちは、3節にある「彼の恵みの言」という表現の意義を見る必要があります。「彼の恵みの言」という句は、ある時代に関する特定の点を示しています。主の恵みの言は、律法に置き換わります。パウロを動機づけ、彼の中で活動していた恵みは、生けるパースン、復活したキリスト、父なる神の具体化であり、すべてを含む命を与える霊と成って、彼のすべてとして彼の中に住んでいました(Ⅰコリント15:10)」。
主イエスよ、あなたを愛します。律法に置き換わった主の恵みの言を感謝します。主よ、あなたはすべてを含む命を与える霊と成って、わたしたちの中に住んでおられます。わたしたちの中のこの恵みを、生けるパースン、復活したキリストとして、日ごとの生活において経験し、享受することができますように。
この恵みによって、パウロはすべての使徒よりも多く労苦しました
[使徒行伝第14章26節で述べられた]この恵みとは、復活したキリストが命を与える霊と成って(Ⅰコリント15:45)、復活における手順を経た三一の神をわたしたちの中へともたらし、わたしたちの命と命の供給となって、わたしたちが復活の中で生きるようにすることです。ですから、恵みとは、わたしたちの命またすべてとなられる三一の神です。
この恵みによって、罪人のかしらであるタルソのサウロは(Ⅰテモテ1:15-16)最も前面の使徒となって、すべての使徒よりも多く労苦しました(Ⅰコリント15:10)。この恵みによる彼の務めと生活が、キリストの復活にとって否定することができない証しでした。彼を動機づけ、彼の中で活動した恵みは、……それは生けるパースン、復活したキリスト、父なる神の具体化であり、すべてを含む命を与える霊と成って、彼のすべてとして使徒の中に住んでおられました。(「使徒行伝ライフスタディ(2)」、第40編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)