11月の祈り1日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第31週(M7)第6日

 

主はモーセに顔と顔を合わせて語りました

 

出33:9,11,14

モーセが天幕に入る時はいつも、雲の柱が下って来て、天幕の入り口にとどまり、エホバはモーセと語られた。……人が自分の仲間に語るように、エホバは顔と顔を合わせてモーセに語られた。……エホバは言われた、「わたしの臨在があなたと共に行って、わたしはあなたに安息を与える」。

 

「モーセは、主の臨在がもはや民の間にないことを認識したので、自分の天幕を移して、営所から離れた所に張りました。すると、彼の天幕は神の天幕となりました(出33:7)。モーセが自分の天幕を移して偶像の営所から分離させた後、主は彼に顔と顔を合わせて語りました。それは人が自分の仲間に語るようにでした(11節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはモーセに顔と顔を合わせて語られました。主よ、わたしに顔と顔を合わせて語ってくださることを願います。主よ、わたしをあなたの仲間としてください。わたしが神の心を知り、神の心に従う者となりますように。

 

モーセの天幕には主の臨在と主の交わりがありました

 

 金の子牛を造って礼拝する前、イスラエルの民は全体として、主の臨在にかかわる唯一の範囲また領域でした(出19:5-6)。しかし彼らが金の子牛を造って礼拝した後、一つの分離が存在するに至りました。出エジプト記第33章7節は言います、「モーセは天幕を取って、営所の外で営所から離れた所にそれを張り、それを集会の天幕と呼んだ。エホバを求める者はみな、営所の外にある集会の天幕に向かって出て行った」。この節の天幕はモーセの天幕を指しています。この時まで、モーセの天幕は常に営所の内側にありました。なぜなら、主の臨在がイスラエルの民の間にあったからです。

 

 しかしモーセは、主の臨在がもはや民の間にないことを認識したので、自分の天幕を移して、営所から離れた所に張りました。すると、それは神の天幕となりました。これは、神がおられた天幕と営所の間に分離があったことを意味します。……天幕には主の臨在だけでなく、主の交わりもありました。(リー全集、1963年、第1巻(上)、「幕屋の霊的適用」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)