10月の祈り2日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第4日

 

豊かな土壌としてのキリストに根ざし、キリストをを吸収します

 

コロサイ2:6-7

それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら、また教えられたように信仰において堅固にされながら、感謝にあふれて、彼の中で歩きなさい。

 

コロサイ2:9-10

なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです.

 

「わたしたちは、わたしたちの生ける地としてのキリストの中を歩き、わたしたちが根ざしている豊かな土壌としてのキリストを吸収することができます。それはわたしたちが、その土壌から吸収する要素をもって成長するためです(コロサイ2:6-7.参照、Ⅰコリント3:6,9.コロサイ2:19)。コロサイ第2章8節から15節は、土壌としてのキリストについての完全な描写と定義を提示しています。わたしたちが時間を費やして、すべてを含む地である彼を吸収するとき、これらの節にある事実はわたしたちの経験となります」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストの中には、神たる方の全豊満が住んでいることを感謝します。わたしたちが豊かな土壌としてのキリストに根ざして、この豊満から、義、義認、聖、聖別などのわたしたちが必要とするものを吸収することができますように。わたしたちを満ち満たし、成長させてください。

 

土壌としてのキリストの事実は、わたしたちの経験となります

 

 第2章8節から15節を含むコロサイ人への手紙の区分は……多くの重要な点を含んでいます。多くは、……良き地としての、わたしたちがその中に根ざしている豊かな土壌としてのキリストに関するものです。7節の「根ざしており」という表現は、土壌があることを暗示します。……わたしたちはすでに土壌の中に根ざしており、土壌から吸収する要素をもって成長します。わたしたちは土壌としてのキリストが、わたしたちの霊の中におられることを知っています。今やわたしたちは前進して、8節から15節で、わたしたちがその中に根ざしている土壌の記述を見なければなりません。これらの節は、土壌の完全な描写と定義です。……  

 

 [10節で]土壌としてのキリストの実質に関してさらに見ます。土壌の一つの面は、神たる方の豊満の面です。もう一つの面は、キリストがすべての支配と権威のかしらであることです。良き地としてのキリストの中に、多くの異なる要素があります。第一の要素は神たる方の全豊満であり、第二はすべての支配と権威のかしらです。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ(2)」、第53編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


10月の祈り1日

6月訓練 キリストを経験し、享受し表現する(3) 第27週(M3)第3日

 

蜜は弱い人を回復します。乳は未熟な者を養います

 

Ⅰペテロ2:2

生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。

 

詩119:103

あなたの言葉は、わたしのあごに何と甘いことでしょう!蜜よりもわたしの口に甘いのです!

 

 「わたしたちは神の言葉を食べ、すべてを含むキリストを良き地として、彼の贖う面と生み出す面で享受しなければなりません。神の言葉は、わたしたちが飲むための乳であり、わたしたちが食べるための蜜です(ヨハネ6:57,63,68.Ⅰペテロ2:2.詩119:103.エゼキエル3:3)。わたしたちは、キリストを乳と蜜の地として享受することによって、乳と蜜である彼で構成されます(雅4:11前半)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。すべてを含むキリストを良き地として享受できることを感謝します。毎日、わたしたちが乳と蜜を食して、内側に豊富を蓄えることができますように。そして、人々を養い、弱い人を回復することができますように。

 

この蜜の甘さは、長い時間をかけて集めた内側の活動であり、神に教えられて持つものです

 

 雅歌第4章11節は言います、「わが花嫁よ、あなたの唇は蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の下には蜜と乳がある.……あなたの着物の香りは、レバノンの香りのようだ」。人に属する、あるいは天然の香りは、おとめから発散されるかおりと比較することはできません。これは自然に彼女の唇を、蜂蜜のしたたりのようにさせます。蜂蜜は甘いものであり、打ちひしがれた人を回復します。しかし、この甘さは、一晩で生み出されるものではありません。それは、長い時間をかけて集めること、内側の活動、注意深く蓄えることから生じます。これは、神によって教えられた者だけが持つものです。おとめの口から出て来るのは、甘く新鮮な言葉であり、うわさ話や笑い話や軽率な言葉ではありません。……

 

 この節においてわたしたちは、甘い蜂蜜をゆっくりとしたたらせる彼女の唇に気がつくだけでなく、彼女の内側に蓄えられているものにも気がつきます。「あなたの舌の下には蜜と乳がある」。舌の上は、人が食物を取り入れる場所です。舌の下は、人が食物を蓄える場所です。これは、彼女がこれらのものを蓄えたことを意味します。彼女の中には豊かさがあります。彼女は豊かであり余る食物を持っています。蜜は弱い人を回復します。乳は未熟な者を養います。……彼女は必要のある人にいつでも分与することができます。(ニー全集、第23巻、「歌の中の歌(雅歌)」、第3区分)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)