神のエコノミーのために、神の統治の下で、クリスチャン生活と召会生活をする
第1週第6日~第5週第5日
2月の祈り28日
(サンクスギビング特別集会 第5週第5日)
神のさまざまな恵みの良い家令として供給し合いなさい
Ⅰペテロ3:7
夫たちよ……命の恵みの共同の相続人として、彼女に誉れを配分しなさい……
Ⅰペテロ4:10
めいめいは賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い家令として、あなたがた自身の間で供給し合いなさい。
Ⅰペテロ5:5
……神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
「命の恵みは、信者が強くても弱くても、すべての信者の嗣業です(Ⅰペテロ3:7)。命の恵みとは、わたしたちの命また命の供給としての神聖な三一における神です。神のさまざまな恵みは、神のさまざまな恵みの豊富を指しており、聖徒たちが互いに供給し合うものです(Ⅰペテロ4:10)。神はへりくだる者に恵みを与えますが、高ぶる者に敵対します(Ⅰペテロ5:5)。謙そんはわたしたちを、あらゆる種類の破壊から救い、神の恵みをもたらしますが、高ぶりはわたしたちを最高の愚か者にします(ヤコブ4:6.詩138:6.箴29:23)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは強くても弱くても、命の恵みの共同の相続人であることを感謝します。わたしたちが神のさまざまな恵みを、わたしたちの間で互いに供給し合うことができますように。
神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられます
ペテロはまた命の恵みについて語りました。それは、信者が強くても弱くても、すべての信者の嗣業です(Ⅰペテロ3:7)。ペテロは信者の兄弟たちに、妻を愛して同情するように教えます。なぜなら、自分より弱い器である妻は、命の恵みの共同の相続人であるからです。……この命はわたしたちの命としての三一の神ご自身であり、わたしたちの中で生きてわたしたちの嗣業となられます。神のさまざまな恵みは[Ⅰペテロ4:10]、神のさまざまな恵みの豊富を指しており、聖徒たちが互いに供給し合うものです。あなたはわたしに恵みのある面を供給し、わたしもあなたに別の面を供給します。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙の結晶の学び」、第19編)
神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを与えられます(ヤコブ4:6)。あなたがへりくだっているなら、恵みが来ます。あなたが高ぶっているなら、恵みは去ります。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(上)、「どのようにして同労者、長老となるか、またどのようにしてその義務を果たすか」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り27日
(サンクスギビング特別集会 第5週第4日)
不当に苦しめられても、神のことを覚えて耐え忍ぶとしたら 神と共にある恵みです
Ⅰペテロ2:19-21
だれかが不当に苦しめられても、神のことを覚えて悲しみを耐え忍ぶなら、これは恵みです。……あなたがたが善を行なって苦しみ、耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.
「Ⅰペテロ第2章19節から20節の「神と共にある恵み」は、神聖な命のわたしたちの内側での動機づけ、またわたしたちの生活におけるその表現を指しており、それはわたしたちの振る舞いにおいて、人と神の目に甘美で受け入れられるものとなります。不当な苦しみのただ中で、恵みとしての三一の神を表現することは、キリストの複製になることです」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが不当に苦しめられても、神と共にある恵みがあることを感謝します。 わたしたちが苦しい環境の中で、神との親密な交わりを持つことができますように。そして、どのようにして恵みを取り、恵みを所有し、恵みを用い、恵みを適用するかを、学ぶことができますように。
クリスチャンとして不正な取り扱いを受けるなら、これは「神と共にある恵み」です
神のことを覚えて、わたしたちが進んで悲しみを耐え忍び、不当に苦しめられるなら、すなわち、不正な取り扱いを受けるなら、これは恵みです。ペテロの第一の手紙第2章19節で「恵み」と訳されたギリシャ語は「カリス(charis)」であり、ここでは神聖な命のわたしたちの内側での動機づけ、またわたしたちの生活におけるその表現を指しており、それはわたしたちの振る舞いにおいて、人と神の目に甘美で受け入れられるものとなります。
文脈によれば、ペテロの第一の手紙第2章19節で語られている不当な苦しみは、未信者の主人によって負わされた虐待であるに違いありません。これらの主人たちが信者のしもべに反対し、迫害したのは、クリスチャンの証しのゆえです(Ⅰペテロ3:14-18、4:12-16)。これらの節は、クリスチャンとしてのわたしたちの日常生活における振る舞いについて語っています。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(1)」、第19編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り26日
(サンクスギビング特別集会 第5週第3日)
イエス・キリストの出現の時に、もたらされる恵みに望みを置きます
Ⅰペテロ1:13
……イエス・キリストの出現の時に、あなたがたにもたらされる恵みの上に望みを完全に置きなさい。
Ⅱテモテ1:9-10
…… キリスト・イエスの中で、もろもろの時代の前にわたしたちに与えられていたこの恵みは、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現を通して、明らかにされています.この方は死を廃棄し……命と不朽を現し出されました。
「信者たちが望みを完全に置く恵みは、イエス・キリストの出現の時に、信者たちにもたらされます(Ⅰペテロ1:13)。イエス・キリストの出現の時に、わたしたちにもたらされる恵みは、魂の救いを指しており、それは神の完全な救いの完成です(Ⅰペテロ1:5,9-10)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが再び来られる時に、わたしたちの魂が救われますように。この時代は前味わいの時代ですから、次の時代にわたしたちが主の喜びの中に入り、わたしたちの魂が救われる完全な味わいを享受することができますように。
主イエスが戻って来られるとき、わたしたちは完全な味わいを享受します
ペテロの第一の手紙第1章13節は、信者たちが望みを完全に置く恵みについて語っています。ほとんど毎日、わたしは主の再来の時にわたしの魂が救われることを祈ります。……これは次の時代の魂の救いであって、主の喜びの中に入る者たちが主と宴席にあずかることです[マタイ25:20-23]。この恵みは、主イエスの再来の時の出現によって来ます。それは旧約の預言者たちが調べ、新約の信者であるわたしたちが望みとしているものです。そのような恵みのゆえに、主に感謝します。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙の結晶の学び」、第24編)
今日わたしたちが主の何を享受しても、それは比較的小さな部分です。聖書で、これは前味わいと呼ばれます。それはまだ完全な味わいではありません。この時代は前味わいの時代です。しかし主イエスが戻って来られるとき、わたしたちは完全な味わいを享受します。わたしたちは前味わいを享受している間、来たるべき完全な味わいの上に望みを置きます。……来たるべき完全な味わいは、この唯一の恵みの完成です。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(1)」、第11編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り25日
(サンクスギビング特別集会 第5週第2日)
ペテロが語った「来るべき恵み」は、信者の魂の救いのためでした
Ⅰペテロ1:10-11
この救いについては、あなたがたへと来るべき恵みについて予言した預言者たちも、探り求め、またつぶさに調べました.すなわち、彼らの内のキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を、前もって証しして明らかにされたことがいつなのか、あるいはどのような時であるかを、彼らは調べたのです。
「旧約の預言者は、わたしたちへと来るべき恵みについて予言しました(Ⅰペテロ1:10)。キリストの霊が、彼の永遠の機能において、旧約の預言者たちの内にあって、彼らに明らかにしたのは、キリストが新約の信者たちに来て、彼らにとって神の完全な救いのすべてに十分な無限の恵みとなり、彼らを王国時代に主の喜びの中に入らせ、この喜びは彼らの魂の救いであるということです(ヨハネ1:17.ヘブル10:29後半.Ⅰペテロ1:9.マタイ25:21,23)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストの霊の機能が永遠であり、わたしたちへと来るべき恵みがあることを、旧約の預言者たちによって明らかにされたことを感謝します。今日、わたしたちが来るべき恵み、魂の救いを享受することができますように。
来るべき恵みは、信者たちの魂の救いであり、王国時代に主の喜びの中に入らせます
ペテロの第一の手紙第1章10節は、信者たちへと来るべき恵みについて語っています。それは、信者たちの魂の救いについて、探り求め、またつぶさに調べた預言者たちによって予言されました。ここでペテロによって述べられた恵み[の面]は、ヨハネによる福音書第1章で述べられた恵み[の面]とは異なります。ヨハネは、言は肉体と成り、恵みに満ちていた、そして恵みはイエス・キリストを通して来たと言います(14、17節)。恵みはイエス・キリストを通して、イエスの肉体と成ることと共に来ましたが、ペテロは、まだない、来るべき恵みがあると言っています。
この恵みは旧約では述べられませんでしたが、信者たちの魂の救いについて、探り求め、またつぶさに調べた預言者たちによって予言されました(Ⅰペテロ1:9)。……ペテロが語った恵みは、信者の魂の救いのためでした。ペテロが恵みとして教えるものは、わたしたちの霊や体を救う恵みではなく、わたしたちの魂を救う恵みです。……人は全世界を手に入れても、自分の魂を失うことがあり得ます[マルコ8:36]。これは魂が救われる必要があることを示しています。あなたの魂を救うために、全世界を犠牲にしても、それには価値があります。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙の結晶の学び」、第24編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り24日
(サンクスギビング特別集会 第5週第1日)
恵みと平安があなたがたに増し加わりますように
Ⅰペテロ1:2
すなわち、父なる神の予知にしたがい、その霊の聖別の中で、イエス・キリストの血に対する従順と、彼の血の注ぎへと選ばれた人たちへ.恵みと平安があなたがたに増し加わりますように。
Ⅱペテロ1:2
恵みと平安が、神とわたしたちの主イエスを知る全き認識の中で、あなたがたにますます満ちあふれますように。
「恵みとは、わたしたちの享受としてのキリストご自身です。恵みの増し加わりとは、恵みがわたしたちの日常生活の中で、神とわたしたちの主イエスを知る全き知識の中で、増し加わることです。神のエコノミーにおける神の恵みは、豊富で、増し加わり、満ちあふれます。恵みは、わたしたちの苦難、制限、弱さを通してわたしたちに増し加えられます。(Ⅰペテロ1:2後半.Ⅱペテロ1:2.ヨハネ1:16.エペソ1:6-8.2:7.ローマ5:17,21.Ⅰテモテ1:14.啓22:21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。恵みは、わたしたちの享受としてのキリストご自身であることを感謝します。主よ、徐々に、日ごとにわたしたちの 日常生活の中で神が増し加わりますように。わたしたちの苦難、制限、弱さを通してわたしたちに恵みが増し加えられますように。
恵みは、苦難、制限、弱さを通してわたしたちに増し加えられます
ペテロは信者たちの日常生活において、神と彼らの主イエスを知る全き知識の中で増し加わる恵みについて語りました(Ⅰペテロ1:2、Ⅱペテロ1:2)。神と主を知る全き知識の中で、恵みが次々と増し加わります。……信者は神聖な命において円熟するとき、何倍にも多く増し加わる恵みを享受するでしょう。神が制限されないように、恵みは制限されません。
わたしたちは再生された時、神をわたしたちの中へと受けましたが、それはわずかな量の神にすぎませんでした。徐々に、年を経るごとにわたしたちの内側で神が増し加わるとき、わたしたちは神の分量によって重みがあるようになります。それは、恵みとしての神が、わたしたちの中で増し加わっているからです。(リー全集、1994年―1997年、第1巻(下)、「ローマ人への手紙の結晶の学び」、第19編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り22日
(サンクスギビング特別集会 第4週第6日)
わたしたちはキリストを経験するだけでなく、キリストを享受します
ピリピ2:2
どうかあなたがたは同じ事を思い、同じ愛を持ち、魂において結合され、一つの事を思って、わたしの喜びが満ちるようにしてください。
ピリピ3:1
最後に、わたしの兄弟たちよ、主の中で喜びなさい。同じ事をあなたがたに書くのは、わたしにとってめんどうなことではなく、あなたがたにとって安全なことです。
「主がわたしたちの魂を牧養し、わたしたちの魂を回復するとき、わたしたちはキリストを経験するだけでなく、またキリストを享受します(ピリピ2:2.3:1前半)。キリストを経験することは、おもにわたしたちの霊の中の事柄ですが、キリストを享受することは、わたしたちの魂の中にあります(1:27.2:2)。キリストに関して、わたしたちの味わいはおもにわたしたちの魂にあります。こういうわけで、キリストを享受するために、わたしたちは主にわたしたちの魂のあらゆる部分を、特にわたしたちの思いを牧養していただくことを必要とするのです」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちがキリストを経験することは、わたしたちの霊の中にあり、キリストを享受することは、わたしたちの魂の中にあります。主よ、わたしたちの思いを牧養してくださいますように。 わたしたちがキリストに対する正しい味わいを持ち、キリストを経験し享受することができますように。
キリストを味わい享受することは、わたしたちの魂の中にあります
長年、わたしたちはキリストを経験することと、キリストを享受することについて語ってきましたが、キリストを享受する詳細な方法を見てきませんでした。ですから、わたしはキリストを享受する方法について多くのメッセージをする負担を持ってきました。キリストを享受するために、わたしたちは自分の魂のあらゆる部分、特にわたしたちの思いを対処する必要があります。もしわたしたちの考え方が対処されるなら、キリストに対する正しい味わいを持ち、そしてキリストを経験し、またキリストを享受するようにもなります。
わたしたちは食べるだけでなく、自分が食べているものを享受します。わたしたちが食べる食物を享受するかどうかは、味わうことにかかっています。キリストに関して、わたしたちの味わいはおもに魂に関係しています。こういうわけで、キリストを経験することとキリストを享受することに関して、わたしたちは魂のさまざまな部分を対処する必要があるのです。(リー全集、1978年、第1巻(下)、「キリストを経験する」、第3編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り21日
(サンクスギビング特別集会 第4週第5日)
主のくびきを負うとは、御父のみこころを取ることです
マタイ11:28-30
すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす。なぜなら、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
「主はわたしたちの魂の牧者として、わたしたちの魂に安息を与えます(マタイ11:28-30)。主のくびきを負うとは、御父のみこころを取ることです(12:50)。主のくびきを負い、彼から学ぶことによってわたしたちが見いだす安息は、内側の安息、すなわち、わたしたちの魂のための安息です(マタイ11:29-30)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは魂の牧者として、わたしたちの魂に安息を与えてくださることを感謝します。主よ、あなたは 御父のみこころによって拘束されました。わたしたちも主のみこころを取り、魂に安息を持つことができますように。
主はご自身を、完全に御父のみこころに服従させました
主のくびきを負うとは、御父のみこころを取ることです。それは、律法や宗教のどんな義務によって規正されたり制御されたりすることでも、何かの働きのために奴隷にされることでもありません。それは、御父のみこころによって拘束されることです。主はそのような生活をし、御父のみこころ以外の何も顧慮されませんでした(ヨハネ4:34.5:30.6:38)。彼はご自身を、完全に御父のみこころに服従させました(マタイ26:39、42)。ですから、主はご自身から学ぶようにとわたしたちに求められます。(マタイ11:29、フットノート2)
柔和、あるいは温和であるとは、どんな反対にも抵抗しないことを意味し、へりくだったとは、自分を高く考えないことを意味します。主はすべての反対の中で柔和であり、すべての拒絶の中で心のへりくだった方でした。彼はご自身を完全に御父のみこころに服従させ、ご自分のために何もしようとはせず、ご自分のために何かを獲得しようと期待されませんでした。ですから、状況がどうであっても、彼は心の中に安息を持っておられました。彼は御父のみこころで完全に満足しておられました。(マタイ11:29、フットノート3)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り20日
(サンクスギビング特別集会 第4週第4日)
キリストをわたしたちの魂の牧者として経験し、享受します
Ⅰペテロ2:25
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、あなたがたの魂の牧者また監督者に立ち返ったのです。
詩23:3
彼はわたしの魂を回復し、彼の御名のために、わたしを義の途に導かれます。
「わたしたちはキリストの複製となるとき、キリストをわたしたちの魂の牧者として経験し、享受することができます(Ⅰペテロ2:25.マタイ11:28-30.ピリピ1:27.2:2)。わたしたちの魂はとても複雑です。ですからわたしたちは、霊の中の命を与える霊であるキリストが魂においてわたしたちを牧養し、わたしたちの思い、感情、意志を顧み、わたしたちの問題、必要、傷を顧みてくださることを必要とします(ヨハネ14:16-17.Ⅰコリント15:45後半.6:17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたはわたしたちの魂の牧者であることを感謝します。わたしたちに与えられた環境、困難の中で、わたしたちの魂が苦しむので、主の牧養を必要とします。霊の中の命を与える霊であるキリストが、わたしたちの魂を回復し、義の途に導いてくださいますように。
わたしたちの魂が苦しむので、わたしたちは主の牧養を必要とします
キリストは木の上の彼の死において、わたしたちの贖い主でした。今や彼は復活の命において、わたしたちの内側でわたしたちの魂の牧者また監督者です。ですから、彼はわたしたちを導き、また命をもってわたしたちに供給することができます。それは、わたしたちが彼の苦難の足跡の中で彼の原型に従うためです(Ⅰペテロ2:21)。25節によれば、キリストはわたしたちの魂の牧者また監督者です。わたしたちの魂は、わたしたちの内なる存在、真のパースンです。わたしたちの主は、わたしたちの魂の牧者また監督者として、わたしたちの内なる存在の益を顧みることによって、またわたしたちの真のパースンの状態を監督することによって、わたしたちを牧養されます。……
この書簡は、多くの迫害を受けていたユダヤ人のクリスチャンに書かれました。一見して、迫害は外側でわたしたちの体と関係があります。実は、迫害は魂に向けられているのです。わたしたちの魂が苦しむので、わたしたちの魂が主の牧養を必要とします。わたしたちの体がこのような顧みを必要とするのではなく、おもにわたしたちの霊でもありません。わたしたちの魂(思い、感情、意志)が、牧者としての主を必要とするのです。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(2)」、第21編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り19日
(サンクスギビング特別集会 第4週第3日)
キリストがあなたがたの内に形づくられるまで産みの苦しみがあります
ガラテヤ4:19
わたしの子供たちよ、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしはあなたがたのために、再び産みの苦しみをしています。
エペソ3:17
またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またあなたがたが、愛の中に根ざし土台づけられ、
「キリストがわたしたちの内に形づくられるとは、キリストにわたしたちの中で完全に成長していただくことです(4:19)。わたしたちの中に生き、わたしたちの内に形づくられつつあるキリストは、わたしたちの心の中にご自身のホームを造りつつあります(エペソ3:16-17前半)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたはわたしたちの中に啓示され、今やわたしたちの中に生きておられることを感謝します。主よ、わたしたちの思い、感情、意志にご自身を構成し込んで、わたしたちがあなたのかたちを表現することができますように。
キリストはわたしたちの心の中にご自身のホームを造っておられます
パウロの宣べ伝えは、特にキリストに焦点づけられていました。ガラテヤ人への手紙によれば、キリストはわたしたちの中に啓示されましたが(1:16)、今やわたしたちの中に生きておられます(2:20)。やがて彼はわたしたちの内に形づくられるでしょう(4:19)。キリストがわたしたちの内に形づくられるとは、キリストにわたしたちの中で完全に成長していただくことです。まずわたしたちが悔い改めてキリストを信じたときに、キリストはわたしたちの中へと生まれました。今や彼はクリスチャン生活において、わたしたちの中に生きておられます。彼はわたしたちの円熟のとき、わたしたちの内に形づくられます。……
わたしたちの中に生きておられ、またわたしたちの内に形づくられつつあるキリストは、今やわたしたちの心の中にホームを造られる方でもあります[エペソ3:17]。……心はわたしたちの存在の中心です。わたしたちの心の中に、キリストは今や彼のホームを造っておられ、すなわち、定住しておられます。ですから、キリストはわたしたちの中におられるだけでなく、彼はわたしたちの中にご自身のホームを造っておられます。(「新約の結論(4)」、メッセージ55)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り18日
(サンクスギビング特別集会 第4週第2日)
キリストはパースンとしてわたしたちの中に生きておられます
ガラテヤ2:20
わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
ヨハネ6:57
生ける父がわたしを遣わされ、わたしが父のゆえに生きているように、わたしを食べる者も、わたしのゆえに生きる。
「わたしたちの原型であるキリストの複製となるために、わたしたちはキリストを、わたしたちの中に生きる方として、わたしたちの内に形づくられる方として、わたしたちの心の中にご自身のホームを造る方として、経験する必要があります(ガラテヤ2:20.4:19.エペソ3:16-17前半)。キリストはその霊としてわたしたちの中に住んでいるので、わたしたちは彼に内側で生きていただく必要があります(ヨハネ14:16-19.ガラテヤ2:20)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているのはもはやわたしではありません。 キリストはその霊としてわたしたちの中に住んでおられることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたのゆえに生きて、あなたをわたしたちのパースンとして生きることができますように。
わたしたちは彼をわたしたちのパースンとし、彼を生きるべきです
わたしたちは今や、非常に重要で欠くことのできない事柄にやって来ました。それは、キリストが信者たちの内側に生きておられる方であり、それは、彼らが彼を生きるためであるということです。キリストはわたしたちの命であるだけでなく、パースンとしてわたしたちの中に生きておられます。すべてのクリスチャンは、別のパースン、キリストがわたしたちの中に生きておられるという認識を持つ必要があります。わたしたちは、十字架上で死んでわたしたちを贖った方が、今やわたしたちの内側に生きておられるというビジョンを見る必要があります。
キリストは、一方で、第三の天におられます。しかしもう一方で、彼はわたしたちの内側に生きておられます。キリストが命を与える霊と成ったのは、わたしたちの中に生きるためです。……命を与える霊として、彼はわたしたちの内側に生きておられます。今や、わたしたちはキリストをわたしたちの命としてだけでなく、わたしたちのパースンとして持っています。主がわたしたちの中に生きておられるので、わたしたちは彼をわたしたちのパースンとし、彼を生きるべきです。(「新約の結論(4)」、メッセージ55)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り17日
(サンクスギビング特別集会 第4週第1日)
キリストの複製となり、キリストをわたしたちの魂の牧者として経験します
Ⅰペテロ2:21-23
あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.この方は何一つ罪を犯したことがなく、また彼の口には、悪巧みが見いだされませんでした.彼はののしられても、ののしり返すことがなく、苦しめられても、脅かすことをしないで、義しく裁く方にいっさいをゆだね続けられました。
「わたしたちはキリストにある信者として、わたしたちの原型としてのキリストの複製となることができます(Ⅰペテロ2:21)。神の統治の下での主イエスの生活は原型であり、わたしたちが彼の複製となることによって、彼の足跡に従うようにします(21-23節.エペソ4:20-21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが苦しみを受けて、わたしたちがあなたの足跡に従うようにと、原型を残してくださったことを感謝します。主よ、あなたはわたしたちの中に生きておられ、わたしたちの内に形づくられ、わたしたちの中にご自身のホームを造りつつあります。わたしたちが原型であるキリストの複製となることができますように。
神聖な命の豊富を含む過程を経験することによって、キリストの複製となります
神の意図は、わたしたちが自分自身の努力によってキリストを模倣しようとすることではありません。わたしたちは経験から、キリストを模倣しようとするのはうまくいかないことを知っています。わたしたちは彼を模倣することはできないのです。わたしたちが必要とするのは模倣ではなく、複製です。……外側でキリストはわたしたちの原型であり、内側で彼はわたしたちのパースンであって、わたしたちの中に生きており、わたしたちの内に形づくられ、わたしたちの中にご自身のホームを造っておられます。この過程を通して、わたしたちは原本、すなわちわたしたちの原型であるキリストの複製となります。
わたしたちは神聖な命の豊富を含む過程を経験することによって、キリストの複製、キリストのコピーとなる必要があります。この過程が完成するとき、わたしたちはキリストの複製となります。だれもが三一の神の表現をある信者の内側から観察することができるなら、これはそのような信者が、原型であるキリストの複製になったことを示します。手順を経た三一の神を表現する生活様式は、キリストの複製です。(「新約の結論(4)」、メッセージ56)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り15日
(サンクスギビング特別集会 第3週第6日)
測りなわの神が、割り当ててくださった尺度の度量にしたがいます
Ⅱコリント10:13
しかし、わたしたちは自分の度量を越えて誇ろうとはしません.むしろ測りなわの神が、わたしたちに割り当ててくださった尺度の度量にしたがって、遠くあなたがたにまで到達することを誇ります。
「わたしたちの主に対する祭司の奉仕はすべて、「測りなわの神」としての彼を源としていなければならず、わたしたち自身からであってはなりません。わたしたちの祭司の奉仕はすべて、彼の導きと彼の制限にしたがっており、彼の死をわたしたちの内側で働かせなければなりません。それによって、彼の復活の命はわたしたちを通して、他の人の中へと分け与えられることができます(Ⅱコリント10:13.ヨハネ12:24.21:15-22.サムエル下7:18,25,27.ルカ1:37-38.詩歌650番)」。
主イエスよ、あなたを愛します。測りなわの神を賛美します。パウロが進んで神の測りなわに服したように、わたしたちも主の制限を受け入れて、主に仕えることを学ばせてください。
パウロは進んで神の測りなわに服しました
わたしたちが主の死の殺しの下にあるとき、彼の復活の命は、わたしたちを通して人に分け与えられます。人に命が分け与えられるのは、常にわたしたちが十字架の殺しを経験したことの結果です。(Ⅱコリント4:12、フットノート1)。わたしたちは、パウロがとても霊的であったので、わたしたちとは全く異なっていたと思うべきではありません。彼でさえ、主の制限を受け入れることを学ばなければなりませんでした。
例えば、パウロはローマに行くことを願ったのですが、縄目の中でそこへ行くとは思いもしませんでした。…… さらに、彼はローマの信者たちに、彼らに送られてスペインに行くことを期待したと告げています(ローマ15:24)。パウロは決してスペインに行きませんでしたし、縄目の中でローマに到着しました。それらの縄目は主の測りなわ、主の制限でした。…… そうです、パウロはローマにいましたが、獄中でそこにいたのです。その入獄は制限でした。……これは、パウロの縄目と投獄が、神の主権の制限であったことを意味します。パウロは進んで神の測りなわに服しました。彼はこの制限を踏み越えたり、それに反逆したりしませんでした。(「コリント人への第二の手紙ライフスタディ(2)」、第51編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り14日
(サンクスギビング特別集会 第3週第5日)
わたしたちは霊の家に建造されて、聖なる祭司の体系となります
Ⅰペテロ2:5,9
あなたがた自身も……霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって、イエス・キリストを通して、神に受け入れられる霊のいけにえをささげなさい。……あなたがたは選ばれた種族、王なる祭司の体系、聖なる国民、所有として獲得された民です.それは、あなたがたを暗やみから、驚くべき光の中へ召してくださった方の美徳を、あなたがたが告げ知らせるためです。
「聖なる祭司の体系、すなわち組み合わされた祭司団は、建造された霊の家です。神は彼の住まいのための霊の家と、彼に仕えるための祭司団、すなわち団体の祭司の体系を求めています(Ⅰペテロ2:5.出19:5-6)。わたしたちは、「選ばれた種族、王なる祭司の体系、聖なる国民、所有として獲得された民です」(Ⅰペテロ2:9)。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちを暗やみから驚くべき光の中へ召してくださった方を賛美します。わたしたちが霊の家に建造されて、聖なる祭司の体系となり、団体的な方法で神の定められた御旨を完成し、神の願いを満たすことができますように。
神は彼に仕えるための祭司団、団体の祭司の体系を求めています
ペテロの第一の手紙第2章5節で……「霊の」は、生きて成長する神聖な命の能力を示しています。「聖なる」は、分離し聖別する神聖な性質の能力を示しています。神の家は、おもに神聖な命によって存続します。ですから、それは霊のものです。祭司の体系は、おもに神聖な性質によって存続します。ですから、それは聖なるものです。
組み合わされた祭司団が、建造された霊の家です。ペテロは彼の二つの書簡を召会にあてたり、5節で信者たちの団体の生活を強調するのに「召会」という用語を用いたりしませんでしたが、「霊の家」と「聖なる祭司の体系」という用語を用いて、召会生活を示しています。個人的な方法での霊の生活ではなく、団体的な方法での霊の生活が、神の定められた御旨を完成し、神の願いを満たすことができます。神は彼の住まいのための霊の家、彼に仕えるための祭司団、すなわち、祭司の体系を求めておられます。……この奉仕は、霊の生活における三つの極めて重要な段階から出て来ます。すなわち、新しく生まれること(Ⅰペテロ1:2)、キリストで養われることによる命の中での成長、信者たちと共に建造することです。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、第18編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り13日
(サンクスギビング特別集会 第3週第4日)
赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい
Ⅰペテロ2:1-2
こういうわけで、すべての悪意と、すべての悪巧みと偽善とねたみと、すべての悪口とを捨て去りなさい.生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。
「神の建造のために命において成長しようとするなら、わたしたちは、「すべての悪意と、すべての悪巧みと偽善とねたみと、すべての悪口とを捨て去」らなければなりません(Ⅰペテロ2:1)。神の建造のために命において成長しようとするなら、わたしたちは神の悪巧みのない言葉の乳で養われなければなりません(Ⅰペテロ2:2)。言葉の乳を享受し、神と言葉の中の彼の良きことを味わうために、わたしたちはすべての祈りによって彼の言葉を受け取って、彼の言葉を思い巡らさなければなりません(Ⅰペテロ2:3.エペソ6:17-18.詩119:15,23,48,78,99,148)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を飲むことができますように。そして、神と言葉の中の彼の良きことを味わい、神の霊の家として建造されますように。
すべての悪巧みを捨て去り、言葉の乳を切に慕い求めます
[ペテロの第一の手紙第2章2節の] ]言葉の乳は、……魂、すなわち内なる存在のための乳です。それは神の言葉の中で伝達されて、わたしたちの理性のある思いの理解を通してわたしたちの内なる人を養い、わたしたちの知性の機能によって吸収されます。悪巧みのない言葉の乳に含まれる栄養分は、悪巧みに対する抗生物質です。……
第2章1節と2節でペテロが示しているのは、生まれたばかりの赤子のように、わたしたちはすべての悪巧みを捨て去ることを実行する必要があること、また悪巧みのない言葉の乳を欲する必要があることです。悪意の邪悪な根を捨て去る目的は、わたしたちが言葉の乳を切に慕い求め、欲するためです。……あなたは神の言葉を求める飢え渇きを欲するなら、すなわち、言葉の中の乳を飲むことを欲するなら、あなたの悪意を憎み、他の人について悪口を言うことをやめる必要があります。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、第15編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り12日
(サンクスギビング特別集会 第3週第3日)
神の建造のために命において成長する必要があります
エペソ2:21
その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき。
箴4:23
何ものにもまさってあなたの心を見守れ.そこから命の流れが出てくるからである。
「神の建造は生きているので、成長します。神の家としての召会を真に建造することは、信者たちの命における成長によります(エペソ2:21)。神の建造のために命において成長しようとするなら、わたしたちは主を愛し、わたしたちの霊に注意し、何ものにもまさってわたしたちの心を見守って、命の道にとどまらなければなりません(Ⅰペテロ1:8.2:2,5.3:4,15.箴4:18-23.申10:12.マルコ12:30)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 召会を真に建造するために、わたしたちの命における成長が必要です。主よ、わたしたちが主を愛し、 わたしたちの心を見守って、命の道にとどまることができますように。わたしたちが十字架の砕きを経験し、これらの障害が対処され取り除かれて、召会が建造されますように。
十字架の砕きを経験して、キリストの命がわたしたちから生かし出されます
その建物は生きているので(Ⅰペテロ2:5)、成長します。それは、聖なる宮へと成長します。神の家としての召会の実際の建造は、信者たちの命における成長によります。(エペソ2:21、フットノート4)。 多くの人は救われた後、命の道を知らず、キリストを自分の命としないので、霊的な生活に困難があります。(「命と召会を知る」、第1章)
主がわたしたちをあわれんでくださり、わたしたちが照らされて、わたしたちの中にいかに多くの障害があるか、またこれらの障害がいかに多く神の命を制限するかを見ますように。実は、わたしたちの中の障害は、これらの事にだけ限定されるのではありません。それにもかかわらず、わたしたちの中のこれらの障害すべてに対する一つの解決があります。すなわち、わたしたちは十字架を経過し、十字架にわたしたちを砕いてもらわなければなりません。…… これは、キリストの命がわたしたちから生かし出されるようにするでしょう。(「命と召会を知る」、第3章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り11日
(サンクスギビング特別集会 第3週第2日)
わたしたちは再生と造り変えを通して、キリストの複製としての生ける石となります
Ⅰペテロ2:4-5
人には捨てられたが、神には選ばれた尊い生ける石である主に来て、あなたがた自身も生ける石として、霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって、イエス・キリストを通して、神に受け入れられる霊のいけにえをささげなさい。
「神の目標は、生ける石で建造された霊の家を持つことです(Ⅰペテロ2:5)。わたしたちの命として、キリストは朽ちない種です。神の建造のために、彼は生ける石です(Ⅰペテロ1:23.2)。わたしたち、キリストにある信者は、再生と造り変えを通して、キリストの複製としての生ける石となります。わたしたちは土くれから創造されましたが(ローマ9:21)、再生の時、神聖な命の種を受けました。その種はわたしたちの中で成長することによって、わたしたちを造り変えて生ける石とします(Ⅰペテロ2:5)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは神に選ばれた尊い生ける石であることを賛美します。神の願いは、生ける石で建造された霊の家を持つことです。主よ、わたしたちが生ける石としてのキリストに来ることによって生ける石となり、霊の家に建造されますように。
わたしたちは造り変えられて生ける石となり、霊の家に建造されます
生ける石は命を持っているだけでなく、命において成長する石です。これは、神の建造のためのキリストです。[ペテロの第一の手紙第2章4節から5節において]ペテロは、植物の命である種から(1:23-24)鉱物の石に、比喩を変えました。種は命を植えるためであり、石は建物のためです(2:5)。……わたしたちの命として、キリストは種です。神の建造のために、彼は石です。
わたしたちは彼を命の種として受け入れた後、成長する必要があります。それは、わたしたちが彼をわたしたちの中に生きておられる石として経験するためです。こうして彼は、わたしたちをも、彼の石の性質で造り変えられた生ける石としてくださいます。それは、土台また隅の石である彼(イザヤ28:16)の上に、わたしたちが他の人々と共に、霊の家に建造されるためです。(Ⅰペテロ2:4、フットノート1)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り10日
(サンクスギビング特別集会 第3週第1日)
ペテロの手紙と全聖書の中心思想は、命と建造です
Ⅱペテロ1:3-4
彼の神聖な力は、ご自身の栄光と美徳によって、わたしたちを召してくださった方を知る全き認識を通して、命と敬虔にかかわるすべての事柄を、わたしたちにすでに与えてくださっています.彼はその栄光と美徳を通して、尊く、際立って偉大な約束を、わたしたちにすでに与えてくださっています.それは、これらの約束を通して、あなたがたが情欲によるこの世の腐敗から逃れて、神聖な性質にあずかる者となるためです。
「ペテロの手紙と全聖書の中心思想は、命と建造です(Ⅰペテロ1:23.2:2-5.Ⅱペテロ1:3-4)。命とは、キリストの中に具体化され、ご自身をわたしたちの中へと分与して、わたしたちの享受となることです。建造とは、召会、キリストのからだ、神の霊の家であり、それは神の拡大また拡張であって、神を団体的に表現します(創2:8-9,22.マタイ16:18.コロサイ2:19.エペソ4:16)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 命と敬虔にかかわるすべての事柄を、わたしたちにすでに与えてくださっていることを感謝します。主よ、あなたは命の種として、わたしたちの内側の命の力です。命の成長と発展を通して召会が建造され、命の表現となりますように。
命とはまさに三一の神であり、建造は召会、キリストのからだです
命の事柄とその結果、すなわち建造は……実は、新約全体の主題です。命とはまさに三一の神であり、彼は一つの長い手順を経過された後、命の霊と成られました。……建造は召会、キリストのからだです。この建造は命から出て来るものです。召会は神聖な命の結果です。いったんわたしたちがこの命を受けると、それはわたしたちの内側で成長し始め、わたしたちに浸透し、わたしたちを造り変え、神の住まいとしてわたしたちを共に建造します。
この時代において神の住まいは召会であり、永遠の時代においては新エルサレムです。住まいは神がわたしたちにとって命であることの結果です。彼の命がわたしたちの内側で成長するにしたがって、わたしたちは造り変えられます。この造り変えの目的は、神の住まいの建造です。成長、造り変え、建造は新約において極めて重要な点です。(リー全集、1980年、第2巻(上)、「パウロの完成する務め」、第9編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り8日
(サンクスギビング特別集会 第2週第6日)
自分の魂を信実な創造主にゆだねなさい
Ⅰペテロ4:19
ですから、神のみこころによって苦難を受ける者たちも、良いことを行なって、自分の魂を信実な創造主にゆだねなさい。
2:24
わたしたちが罪に死んで、義に生きるために、彼はわたしたちの罪を、ご自身の体において、木の上で担われました……
「わたしたちは自分の魂を、信実な創造主にゆだねるべきです(4:19)。神は彼の統治においてわたしたちを裁いているとき、信実に彼の愛の中でわたしたちを顧みています。わたしたちは彼の取り扱いの裁きを受けているとき、自分の魂をわたしたちの創造主の信実な顧みにゆだねるべきです(マタイ10:28.11:28-29)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは愛の中でわたしたちを顧みておられる信実な神であることを感謝します。わたしたちがキリストの死の中で罪に死に、キリストの復活の中で義に生きて、神の統治の義なる要求にふさわしい生活をすることができますように。
十字架の主観的な働きを経験して、義に生きるようになります
ペテロの第一の手紙第4章19節の神のみこころは、わたしたちがキリストのために苦難を受けることを神が願い、わたしたちをこれに定められたということです。ここの「ゆだね」は、文字どおりには、……「委託として任せること」を意味します。信者たちは自分の肉体において迫害を受けるとき、特に殉教のとき、主が彼の霊を御父にゆだねられたように(ルカ23:46)、彼らは自分の魂を神に、信実な創造主に、委託としてゆだねるべきです。迫害は、苦難を受ける信者たちの肉体に打撃を与えることができるだけであって、彼らの魂に打撃を与えることはできませんでした(マタイ10:28)。……彼らは信仰においてゆだねることによって主と協力すべきです。……
わたしたちが主の御名を呼び求め、彼と交わりを持つとき、命を与える霊はわたしたちの内側で活動されます。自然にわたしたちは十字架の主観的な働きを経験し、それがわたしたちと罪との間を分離し、わたしたちは自動的に義に生きるようになります。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(2)」、第29編、21編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り7日
(サンクスギビング特別集会 第2週第5日)
神の力ある御手の下にへりくだらされなさい
Ⅰペテロ5:5-6
同じように、若者たちよ、年長者たちに服従しなさい.またあなたがたはみな、互いに謙そんの帯を締めなさい.なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、神の力ある御手の下にへりくだらされなさい.それは時至って、彼があなたがたを高く上げてくださるためです。
「わたしたちは、神の統治を執行する力ある御手の下にへりくだらされているべきです(Ⅰペテロ5:6)。神の力ある御手の下にへりくだらされるとは、神によってへりくだるようにさせられることです。しかしながら、わたしたちは神の働きと協力し、進んで神の力ある御手の下にへりくだらされ、低くされなければなりません(5:6)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたは心の柔和なへりくだった方であることを感謝します。わたしたちは、自分自身をへりくだらせることはできません。神の力ある御手の下にへりくだらされますように。このことでわたしたちが進んでへりくだらされ、低くされるように、神の働きと協力させてください。
主はご自身を低くして、弟子たちの足を洗われました
召会にいるすべての者は、長老を含めて、謙そんの帯を締めるべきです。ペテロの第一の手紙第1章13節でペテロはわたしたちに、思いの腰に帯を締めるようにと命じますが、ここ[第5章5節]ではわたしたちの全存在に帯を締める必要があることを示しています。ここの「帯を締め」のギリシャ語は、「奴隷の前掛け」を意味する名詞から派生しています。そのような前掛けは、奴隷のゆったりした衣服を、奉仕するときに引き締めます。ここでは言葉の比喩として使われており、奉仕における美徳として謙そんを身につけることを表徴しています。この比喩は明らかに、主がご自身を低くして、弟子たちの足、特にペテロの足を洗ったとき、どのように手ぬぐいを腰に巻かれたかについての、ペテロの印象から来ています(ヨハネ13:4-7)。……
わたしたちは、自分自身をへりくだらせることはできません。むしろ、わたしたちは神によってへりくだるようにさせられる必要があります[6節]。それにもかかわらず、神がわたしたちをへりくだらせることは、わたしたちが神の働きと協力することを必要とします。これは、わたしたちが神の力ある御手の下に進んでへりくだらされ、低くされなければならないことを意味します。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(2)」、第33編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り6日
(サンクスギビング特別集会 第2週第4日)
主イエスは地上にいたとき、神の統治の下にある人の生活をされました
Ⅰペテロ2:21-23
あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.この方は何一つ罪を犯したことがなく、また彼の口には、悪巧みが見いだされませんでした.彼はののしられても、ののしり返すことがなく、苦しめられても、脅かすことをしないで、義しく裁く方にいっさいをゆだね続けられました。
「主イエスは地上にいたとき、完全に神の統治の下にある人の生活をし、彼に関するすべてのことを神の統治にゆだねました(ヨハネ6:38.Ⅰペテロ2:21-23)。わたしたちはキリストにある信者、また神の子供たちとして、神の統治の下にあるクリスチャン生活をすべきです(ヨハネ3:15.1:12-13.Ⅰペテロ4:13-19.5:6-8)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが主の足跡に従うようにと、原型を残してくださったことを感謝します。あなたは義しく裁く方にいっさいをゆだね続けられました。わたしたちも神の子供たちとして、神の統治の下にあるクリスチャンの生活をすることができますように。
わたしたちの寄留の時を、畏れのうちに過ごします
主イエスは地上で苦しんでいた間、義しく裁く方にいっさいをゆだね続けられました。この簡潔な言葉は、主がわたしたちのための原型である生活をしただけでなく、絶対的に神の統治の下で生活をされたことも示します。彼ご自身は常に神の統治の下にあり、彼に関するあらゆることを神の裁きにゆだねておられました。
ペテロの第一の手紙第1章17節でペテロは、わたしたちの寄留の時を、畏れのうちに過ごすようにと勧めます。これはピリピ人への手紙第2章12節でのような、聖なる恐れです。それは、わたしたちが聖なる生活様式で振る舞うための、健康で真剣な用心深さを指しています。……わたしたちの寄留のあらゆる瞬間は、畏れのうちになければなりません。これは聖なる生活様式と関係があります。わたしたちはすべての生活様式において、聖となり、この世から分離される必要があります。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ」、第21、11編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り5日
(サンクスギビング特別集会 第2週第3日)
クリスチャンの命が成長するために、神の統治の取り扱いを必要とします
Ⅰペテロ4:12-13
愛する者たちよ、あなたがたを試すために臨んでいる、あなたがたの間の烈火のような苦難を、思いがけない事が起こったかのように、怪しんではなりません.むしろ、あなたがたは、キリストの苦難にあずかった程度に応じて喜びなさい.それは、彼の栄光の出現の時に、あなたがたも大いに歓喜するためです。
「ペテロの文書の尊さは、彼がクリスチャン生活と神の統治を結合して、クリスチャン生活と神の統治が、対になって並行することを啓示していることにあります(Ⅰペテロ1:17.2:21,24.3:15.4:17.5:5-8)。クリスチャンの命が成長するために、わたしたちは神の統治の取り扱いを必要とします(Ⅰペテロ2:2.4:17.Ⅱペテロ1:5-7)」。
主イエスよ、あなたを愛します。三一の神は長い手順を経過して、命を与える霊と成り、わたしたちの中に住んでくださっていることを感謝します。わたしたちがは神の統治の取り扱いにあずかり、命が成長しますように。
わたしたちはなおも旧創造の中にあるので、神の統治上の対処を必要とします
ペテロの第一の手紙は、神の統治の下にあるクリスチャン生活についての書です。わたしたちは容易に、クリスチャン生活には注意を払っても、神の統治を無視します。実は、クリスチャン生活と神の統治は並行するのです。三一の神は長い手順を経過して、命を与える霊と成り、わたしたちの中に住みました。これはわたしたちのクリスチャン生活のためです。
それと同時に、三一の神はなおも宇宙の創造主であり、またその支配者です。一方で、わたしたちは再び生まれて霊の命、神聖な命を持ちました。もう一方で、わたしたちはなおも旧創造の中にあります。こういうわけで、わたしたちは神の統治上の対処を必要とするのです。クリスチャンの命が成長するために、わたしたちは神の統治の取り扱いを必要とします。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(2)」、第31編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り4日
(サンクスギビング特別集会 第2週第2日)
Ⅰペテロ1:17の裁きは、神[御父]が日ごとに、統治上、彼の子供たちを対処する裁きです
Ⅰペテロ1:15-17
あなたがたを召してくださった聖なる方にしたがい、あなたがた自身もすべての生活様式において聖となりなさい.というのは、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖となるべきである」と書かれているからです。そして、人を偏り見ることなく、それぞれの行ないに応じて裁く方を、あなたがたは御父と呼ぶのであるなら、あなたがたの寄留の時を、畏れのうちに過ごしなさい。
「Ⅰペテロ第1章17節の裁きは、御父が執行する裁きであり、それは将来の裁きではなく、神が現在、日ごとに、統治上、彼の子供たちを対処する裁きです。聖なる子供たちとして、わたしたちは聖なる生活様式の中を歩くべきです(15-16節)。そうでないと、父なる神は彼の統治において裁き主となり、わたしたちの聖でないことを対処します(4:15-17.ヘブル12:9-10)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちを召してくださった聖なる方を賛美します。わたしたちが日ごとに統治上の裁きの下で、御父の聖にあずかって、聖なる生活様式の中を歩くことができますように。
わたしたちは聖なる生活様式の中を歩くべきです
神ご自身が聖であるから、神の民は聖となるべきです。わたしたちを召してくださった御父としての聖なる方は、わたしたちを再生して、聖なる家族(聖なる御父と聖なる子供たち)を生み出されました。聖なる子供たちとして、わたしたちは聖なる生活様式の中を歩くべきです。……彼[御父]は、内側で命をもってわたしたちを生んで、わたしたちが彼の聖なる性質を持つようにされました。彼はわたしたちを外側で裁きをもって懲らしめ、わたしたちが彼の聖にあずかるようにされます(ヘブル12:9-10)。
彼[御父]の裁きはわたしたちの働き、振る舞いにしたがっており、人を偏り見ることはありません。……わたしたちは彼をわたしたちの御父と呼ぶのであるなら、彼をわたしたちの裁き主として畏れ、畏れのうちに聖なる生活をすべきです。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(1)」、第11編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り3日
(サンクスギビング特別集会 第2週第1日)
今や裁きが神の家から始まる時だからです
Ⅰペテロ4:17
なぜなら、今や裁きが神の家から始まる時だからです.そしてもし、まずわたしたちから始まるとしたら、神の福音に従わない者たちの終わりは、どうなるでしょうか?
Ⅱペテロ1:2
恵みと平安が、神とわたしたちの主イエスを知る全き認識の中で、あなたがたにますます満ちあふれますように。
「ペテロの第一と第二の手紙は、神の宇宙的な統治についてです。ペテロの第一の手紙の主題は、神の統治の下にあるクリスチャン生活です。特に神が彼の選びの民を取り扱うことでの、神の統治を見せています(1:2)。ペテロの第二の手紙の主題は、神聖な備えと神聖な統治であり、これは神がわたしたちを統治しているとき、わたしたちが必要とするものをすべて供給することを見せています(1:1-4.3:13)」。
主イエスよ、あなたを愛します 。神の統治の下にあるクリスチャン生活を感謝します。主よ、神がわたしたちに苦難や環境を与えて統治しているとき、あなたはわたしたちが必要とするものをすべて供給する方であることを信じて、感謝することができますように。あらゆる恵みの神、キリスト・イエスに信頼することを学ばせてください。
苦難を受け迫害されている聖徒たちがみな神の統治の下にいることを、彼らに示しました
ペテロの二つの手紙、特に第一の手紙が書かれたのは、まき散らされたユダヤ人信者たちが迫害を受けていたからです。彼らは烈火のような苦難を受けていました。ペテロはこの迫害を、炉が燃えていることにたとえました。信者たちは煩わされ、おそらく疑っていたので、ペテロは手紙を書いて彼らを教え、また慰めたのです。ペテロの第一の手紙第5章10節で彼は言います、「あらゆる恵みの神、キリスト・イエスにあってあなたがたをご自身の永遠の栄光の中へ召してくださった方は、あなたがたがしばらく苦しみを受けた後、彼自らあなたがたを成就し、堅固にし、力づけ、土台づけてくださいます」。
ここでペテロは信者たちに、疑う必要がないこと、なぜなら神が彼らを成就しておられるからであることを告げているように見えます。……ペテロは手紙を書いて、苦難を受け迫害されている聖徒たちを慰め、彼らがみな神の統治の下にいることを彼らに示しました。神の統治の行使はまず、ご自身の子供たちの上にあります。(「ペテロの第一の手紙ライフスタディ(1)」、第1編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2月の祈り1日
(サンクスギビング特別集会 第1週第6日)
ペテロの文書は神のエコノミーの極めて重要な事柄を四つの面から明らかにします
Ⅰペテロ1:10-12
この救いについては、……預言者たちも、探り求め、またつぶさに調べました.すなわち、彼らの内のキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を、前もって証しして明らかにされ[ました]……。彼らに啓示されたのは、彼らの供給したこれらの事柄が、……あなたがたのためである、ということです.
「ペテロは、わずか八つの章から成る彼の二つの手紙で、神のエコノミー全体を、世の基の置かれる前の過去の永遠から(Ⅰペテロ1:2, 20)、将来の永遠における新しい天と新しい地まで(Ⅱペテロ3:13)述べています。彼は神のエコノミーに関する極めて重要な事柄を、…… 四つの面から明らかに示しています」。
主イエスよ、あなたを愛します。ペテロの文書において、神のエコノミー全体が四つの面から明らかに示されていることを感謝します。 わたしたちが成長し、造り変えられて、霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって神に仕えることができますように。
神のエコノミーの極めて重要な事柄の四つの面
(1)三一の神の面から:父なる神は、永遠において彼の予知にしたがって人々を選び……彼らを神の栄光の中へ召しました……。キリストは、世の基の置かれる前から神によってあらかじめ知られていましたが、時代の終わりに現されました。そして彼は神の選ばれた人を贖い、救いました。……その霊は、天から遣わされ、キリストが贖い救った者たちを聖別し、きよめました。
(2)信者たちの面から:信者たちは神の所有として、神に選ばれ……彼の栄光と美徳によって召され……キリストによって贖われ……神によって彼の生ける言葉を通して再生され……キリストの復活を通して救われました……。彼らは今や神の力によって守られており(Ⅰペテロ1:5)、きよめられて互いに愛し合っており(22節)、言葉の乳で養われることによって成長しつつあり(2:2)、命の中で霊的な美徳を発展させつつあり……徐々に造り変えられて霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって神に仕えます。
(3)サタンの面から:サタンは信者たちの敵である悪魔であり、ほえたける獅子のように、歩き回って、だれかを食い尽そうと捜し求めています(Ⅰペテロ5:8)。
(4)宇宙の面から:堕落した天使は罪定めされて、永遠の裁きを待っています……。古代の不敬虔な者たちの世界は洪水によって滅ぼされ…… すべての死んだ者と悪鬼は裁かれます……。それから、新しい天と新しい地が新しい宇宙として現れ、その中に、神の義が永遠に住みます。(「ペテロの第二の手紙ライフスタディ(2)」、第13編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)