朝ごとの食物

神のみこころ(2)第6週第3日~世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1)第2週第5日

 

7月の祈り 第31日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第5日)

 

神と小羊の御座から流れている命の水の川から飲むように祈る

 

啓示録 22:1

また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた.それは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。

 

主よ、わたしたちが毎日、神と小羊の御座から流れている命の水の川から飲むことができますように。この水は御座から召会の中に流れ、わたしたちの霊の中に流れ込みました。主よ、この生ける水がわたしたちからも流れ出ますように。ハレルヤ! 今日、主の恵みが豊かにありますように。参照:啓示録22:1のフットノート2, 3

 

 

水晶のように輝く命の水の川

 

 命の水は、神がキリストの中でその霊として、ご自身を彼の贖われた民の中に流れ込ませ、彼らの命また命の供給となることの象徴です。それは、裂かれた岩から流れ出て来た水で予表され(出17:6.民20:11)、主イエスの刺されたわき腹から流れ出た水で象徴されます(ヨハネ19:34)。ここで、この命の水は一つの川となり、神と小羊の御座から流れ出て、新エルサレム全体を供給し、浸透します。ですから、この都は神聖な命で満たされ、神の命の栄光の中で、神を表現するのです。(啓示録22:1のフットノート2)

 

 命の水は水晶のように輝いていて、何の暗さも不透明なところもありません。この命の水がわたしたちの中を流れる時、それはわたしたちを清めて、水晶のように透明にします。(啓示録22:1のフットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第30日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第4日)

 

ダニエル書第10章において霊的闘争が進行していることを、わたしたちが見ることができるように祈る

 

ダニエル10:12-13

彼はわたしに言った、「恐れてはなりません.ダニエル、あなたが心を定めてこの事を理解しようとし……た初めの日から、あなたの言葉は聞かれているからです.わたしは、あなたの言葉のゆえに来たのです。しかし、ぺルシャの王国の君が二十一日間、わたしに立ちはだかった……。

 

世界情勢の背後で、人の目に見えない霊的戦いがあります。主よ、あなたのみこころを知り、御言葉と一つになり、祈ることができますように。この霊的戦いにおいて、主イエスの勝利を宣言します。ハレルヤ! イエス勝利!

参照:ダニエル10:11のフットノート1

 

 

目に見える物質の光景の背後にある霊的な闘争

 

 [ダニエル書第10章において] キリストのビジョンの後、ある御使い(ガブリエルであったでしょうーダニエル8:16.9:21.参照、ルカ1:19、26)がダニエルの所に来て、彼の祈りに答えました(ダニエル10:12)。彼はダニエルに、二十一日間、彼自身がペルシャの王国の君と戦ってきたと告げました(13節、参照、20節前半)。ペルシャの王国の君はおそらく、サタンに従って神に反逆した(啓12:4前半、9後半)邪悪な霊、反逆の天使であり、サタンに託されてペルシャを助けた者でしょう。こうして、ダニエルがそれらの日々に祈っていた時、霊的な闘争が空中で二つの霊の間に起こっていました。一つはサタンに属し、一つは神に属します。別の邪悪な霊、ギリシャ(ヤバン)の君が来ようとしていました(ダニエル10:20節後半)。御使いの長ミカエルだけが、イスラエルのために戦う君であり、その御使いと共に邪悪な霊と戦っていました(13、21節.参照、ユダ9節)。さらに、御使いはメデア人ダリヨスの統治の第一年に、立ち上がって彼を支え、力づけ、彼が王国を受けるようにしました(ダニエル11:1.5:30-31)。このすべては、物質の光景の背後に霊的な闘争、目に見えない霊的な戦いが進行していることを示します(参照、エペソ6:10-20)。(ダニエル10:11のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第29日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第3日)

 

ダニエル書第10章における霊的光景のビジョンを見ることができるように祈る

 

ダニエル10:5-6

目を上げて見ると、見よ、ひとりの人がいて、亜麻布をまとい、腰にはウパズの純金の帯を締めていた。彼の体は緑柱石のようであり、彼の顔の外観はいなずまのようであり、彼の目は火のたいまつのようであり、彼の腕と彼の足は磨かれた青銅の輝きのようであり、彼の言葉の声は群衆の声のようであった。

 

主よ、わたしたちもダニエルのように目を上げて、ひとりの人、肉体と成られた三一の神を見ることができますように。主よ、あなたは何と尊く、価値があり、全体的であり、完全であることでしょう。わたしたちを照らし、霊的光景のビジョンをさらに見せてください。参照:ダニエル10:5のフットノート1

 

 

物質の状況の背後にある霊的光景のビジョン

 

 イスラエルの運命に関するビジョンがダニエルに明らかにされる前に、物質の状況の背後にある霊的光景のビジョンが彼に与えられました(ダニエル10:2-11:1)。この霊的光景において、キリストは首位です。ですから、彼が最初に啓示されています(4-9節)。ここで、超越したキリストが人としてダニエルに現れ、彼に評価させ、彼を慰め、励まし、期待させ、堅固にしました。彼はダニエルに現れたとき、多くのすばらしい特徴を持っていました。まず、彼は人性において祭司(亜麻布の外套で表徴される- 出28:31-35)として現れ、捕囚にある彼の選びの民を顧みました。次に、彼は神性においてダニエルに王職(金の帯で表徴される)の中で現れました。これはすべての民を支配するためです。さらに、キリストは彼の尊さと威厳の中で現れ(彼の体が緑柱石のようであることで表徴される-6節)、彼の民に評価させました。「緑柱石」というヘブル語の言葉は、青みがかった緑色あるいは黄色の宝石を指しており、キリストが彼の具体化において神聖で(黄色)、命に満ち(緑色)、天的(青色)であることを表徴します。(ダニエル10:5のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第28日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第2日)

 

わたしたちが神の天的な支配に服することができるように祈る。 

 

ダニエル4:26

……天が支配するのをあなたが知るようになれば、あなたの王国はあなたに確保されるでしょう。

 

主よ、わたしたちはみな神の天的な支配の下にあります。主よ、あなたを愛し、服することを学ばせてください。あなたは首位の方です。あなたが来られる時は近いです。ですから、目を覚ましていることができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。参照:ダニエル4:26のフットノート1

 

 

ダニエル書における三つの重要な事柄

 

 ダニエル書は三つの重要な事柄を含んでいます。それは神の天の支配、キリストの首位、神が彼の民に割り当てた運命です。神は彼のエコノミーにおいて、地上のすべての王と王国を含めて、宇宙を管理し、彼の定められた御旨を成就しています。それは、キリストが万物のうちで首位となるべきであるということです(コロサイ1:18)。キリストが首位であるために、神は選ばれた人が彼と組み合わされ協力することを必要とします。天の支配の下で、すべてが共に働いて神の選民の益となり、キリストを首位とする定められた御旨を完成します(ローマ8:28-29)。(ダニエル4:26のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第27日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第2週第1日)

 

神の御座が全宇宙の神の行政の中心であるという霊的ビジョンを見ることができるように祈る

 

啓4:2

直ちに、わたしは霊の中にいた.すると見よ、御座が天に据えられていて、その御座に座している方がおられた。

 

主よ、わたしたちが霊の中で、神の御座を見ることができますように。そして、御座の上の神があらゆる事を支配し決定されることを見せてください。わたしたちに与えられた環境は偶然ではなく、わたしたちの益のためであることを知ることができますように。主よ、あなたは慈愛に満ちた信実な神であることを感謝します。

 

 

神の御座

 

 啓示録の神の御座は、神の行政の中心です。書簡での御座は恵みの御座であり、わたしたちは御座からあわれみを受け、恵みを得ます(ヘブル4:16)。本書での御座は裁きの御座であり、この世は御座から裁きを受けます。最後に、すべての神の裁きが執行された後、神の御座は永遠の命の供給の御座となり、御座から生ける命の水が流れ出て、そこに命の木が生えています。これは、神の贖われた者の永遠における供給です。(啓示録4:2のフットノート2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第25日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第6日)

 

現在の世界の情勢の中で「時のしるし」を見分け、うまずたゆまず祈る。

 

列王上8:48

……心を尽くし……てあなたに立ち返り、そして……彼らの地、……あなたの御名のために建てた家に向かってあなたに祈るなら。

ダニエル6:10

……ダニエルは……自分の家に行った.彼は彼の上の部屋でエルサレムに向かって窓を開けていた.そして……ひざまずき、……祈り、感謝をささげた.……

 

主よ、現在の世界の情勢の中で、「時のしるし」を見分けさせてください。そして、ダニエルが祈ったように、わたしたちもあなたに立ち返り、心を尽くして、神のみこころを祈ることができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

祈りを聞かれる神

 

  列王紀上第8章31節から48節は、神が彼の選民の祈りを聞かれることに関する七つの状態を述べています。この最後の状態で、三つの事が強調されています(48節)。聖なる地、これは神が信者たちに割り当てた分け前としてのキリストを予表します。聖なる都、これはキリストにある神の王国を表徴します(詩48:1-2)。聖なる宮、これは地上での神の家、召会を表徴します(エペソ2:21.Ⅰテモテ3:15)。……

 

 バビロンでの捕囚の期間、ダニエルはエルサレムに向かって窓を開けることによって日に三度、聖なる地、聖なる都、聖なる宮に向かって祈りました(ダニエル6:10)。これが示すのは、神に対するわたしたちの祈りが、神の永遠のエコノミーにおける目標としてのキリスト、神の王国、神の家に向かっているとき、神がわたしたちの祈りを聞いてくださるということです。これが意味するのは、わたしたちがだれのために祈っても、わたしたちの祈りが神の権益を目標とすべきであるということ、すなわち、地上での神の権益であるキリストと召会を目標とすべきであるということです。それは神のエコノミーを完成するためです。(列王上8:48、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第24日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第5日)

 

主の回復の真理を流布するために祈る

 

マタイ24:14

そしてこの王国の福音は、すべての民に対する証しのために、人の住む全地に宣べ伝えられる.それから終わりが来る。

マタイ28:19

だから、行って、すべての諸国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして、

 

主の回復の真理を流布することによって、主の再来のために備えることができますように。主がわたしたちに福音の神聖な真理を学ばせてくださいますように。王国の福音が宣べ伝えられて、まず、わたしたちの身近な人たちがバプテスマされますように(マタイ24:14.28:19.ダニエル11:32)。主の祝福が豊かにありますように。

 

王国の福音

 

 王国の福音は、恵みの福音を含んでおり(使徒20:24)、それは人々を神の救いにもたらすだけでなく、天の王国へもたらします(啓1:9)。恵みの福音は、罪の赦し、神の贖い、永遠の命を強調しますが、王国の福音は、神の天的支配と主の権威を強調します。この王国の福音は、この時代の終わりが来る前、すべての民に対する証しのために、全地に宣べ伝えられるでしょう。ですから、啓示録第6章1節から2節の第一の封印の白い馬で表徴されるこの宣べ伝えは、この時代の満了のしるしです。

 

 王国の福音は、すべての民(異邦人)に対する証しです。この証しは、この時代の終わり、大患難の前に、全地に広がるに違いありません。(マタイ24:14のフットノート1,2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第23日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第4日)

 

キリストの昇天からこの時代の終わりまでの世界史のビジョンを見ることができるように祈る。また、福音の白い馬がさらに勝利を得るように祈る。

 

啓示録6:2

そして見ていると、見よ、白い馬があり、それに乗っている者は弓を持っていた.そして冠が彼に与えられた.彼は出て行って勝利を得た.そして、さらに勝利を得る。

啓示録19:14

そして天にある軍勢が白い馬に乗り、白くて清い細糸の亜麻布を着て彼に従った。

 

福音がキリストと共に出て行くとき、あらゆる種類の反対と攻撃を征服してきました。主よ、わたしたちもこの地で福音を宣べ伝えるとき、「出て行って勝利を得た」というこの御言葉が成就しますように。主イエスの勝利を宣言します。主よ、わたしたちの福音を祝福してください。今日、主の恵みが豊かにありますように。

参照:啓示録6:2のフットノート2

 

 

啓示録(黙示録)第6章の最初の四つの封印

 

 最初の四つの封印は、四頭の馬の競争のように、それぞれ騎手を乗せた四頭の馬から成っています。四人の騎手は実際の人ではなく、人格化されたものです。明らかに、第二の馬、赤い馬の騎手は戦争(啓6:4)、第三の馬、黒い馬の騎手は飢きん(5節)、第四の馬、青白い馬の騎手は死です(8節)。歴史の事実によれば、第一の馬、白い馬の騎手は、福音であるに違いありません。ある人の解釈のように、キリストあるいは反キリストではありません。キリストの昇天の直後、これら四つのもの――福音、戦争、飢きん、死は、四頭の馬に乗った騎手のように走り始めました。それはキリストの再来まで継続します。第一世紀に始まって、福音はこの二十世紀を通じて拡張し続けてきました。人類の間で戦争も同時に進行してきました。戦争は常に飢きんを引き起こし、飢きんは死という結果になりました。これらすべての事は、この時代の終わりまで続きます。(啓示録6:2のフットノート2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第22日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第3日)

 

この時代の終わりが近づいているので、主の回復がヨーロッパに拡大し、そこに根づくように祈る。王国の福音が人の住む全地に宣べ伝えられるように祈る。

 

ダニエル2:34-35

一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを砕きました。……石は、大きな山となって全地を満たしました。

マタイ24:14

そしてこの王国の福音は、すべての民に対する証しのために、人の住む全地に宣べ伝えられる.それから終わりが来る。

 

主よ、十人の王と反キリストが打ち砕かれる時が近づいています。わたしたちが花嫁の用意を整えることができますように。また、王国の福音が全地に宣べ伝えられますように。まず、わたしたちの家族、親族、友人、近所の人たちに福音がもたらされますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

 

人手によらずに切り出された石によって砕かれる

 

 大きな人の像の運命は、人手によらずに切り出された石によって砕かれることです(ダニエル2:34-35前半、44後半-45)。この石はキリストです。キリストは十字架を通して死に渡され神によって切られ(ゼカリヤ3:9.使徒2:23)、彼の復活において(使徒2:24)切り出されて、三つの面で石となりました。すなわち、召会を建造するための、土台の石と隅の石(イザヤ28:16.マタイ21:42)、不信のユダヤ人に対して、つまずきの石(イザヤ8:14.マタイ21:44前半.ローマ9:33)、人の政権の総合計を破壊する、砕く石です(マタイ21:44後半)。

 

 キリストは砕く石として来臨するとき、単独で来るのではありません。むしろ、彼は彼の軍隊としての彼の勝利者たち(彼の花嫁、彼の増し加わり)と共に来られます(ヨハネ3:29-30.啓17:14.19:7-8,11,14)。召会時代、すなわち奥義の時代に、キリストは召会を建造して彼の花嫁としつつあります(エペソ5:25-29)。キリストは地に下って来る前、婚礼を持ち、勝利者をめとります(啓19:7-9)。彼らは何年間も神の敵と戦ってきて、邪悪な者に対してすでに勝利を得ています(参照、啓12:11)。婚礼の後、夫としての彼は、彼の新しくめとった花嫁と共に来て、反キリストを滅ぼします。反キリストは彼の軍隊と共に直接、神と戦います(啓17:14.19:19)。(ダニエル2:34のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第21日

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第2日)

 

ダニエル書第2章の大きな人の像のビジョンを、霊の中で見ることができるように祈る。また、サタンの疲れきらせる策略に抵抗するために祈る。

 

ダニエル7:7-8

……第四の獣があり、恐ろしい、ものすごい、非常に強いものであった.それには大きな鉄の歯があり、……それには十の角があった。……見よ、もう一つの小さな角がそれらの間から出て来た.……

ダニエル7:25

また、彼はいと高き方に逆らう事を語り、いと高き方の聖徒たちを疲れきらせる.

 

世界情勢、人の統治の歴史は、主が彼のエコノミーを完成するためであることを見ることができますように(使徒17:26)。また、サタンの疲れきらせる策略に抵抗し、わたしたちの心、霊、時間(機会)、献身、神への愛が新鮮に保たれますように(ダニエル7:25)。主イエスの勝利の御名を呼びましょう。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

 

神の主権による世界情勢

 

 世界情勢、特にヨーロッパの情勢は、再形成されて聖書の予言に符合しています。わたしたちがこれについて明確であるなら、わたしたちはどこにいるのか、何をなすべきかを知るでしょう。

 

 ローマ帝国の文化、精神、本質は存続し続けていますが、この帝国の形態と外観は消失しました。しかしながら、ローマ帝国の形態と外観は、反キリストの下で回復されるでしょう。(ダニエル書ライフスタディ、第4編)

 

  啓示録第17章12節によれば、十人の王が大患難の前に、復興されたローマ帝国で起こされます。彼らは反キリストと一になって神に反対し、神の民であるユダヤ人と信者たちを迫害します。この十人の王は、ネブカデネザルが夢の中で見た大きな像の十本の足の指にたとえられます(ダニエル2:42)。彼らは自分自身と彼らの王国を、反キリストに従わせます(啓17:17)。

 

 西洋文化はヘブルの宗教、ギリシャの哲学、ローマの政治から成っています。ローマの政治は西洋文化を遂行しており、聖書は、ローマ帝国が復興されることを予言しています。……これはみなヨーロッパで起こります。(世界情勢と主の動きの方向、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第20日 

(朝ごとの食物 世界情勢と主の回復に関する時機を得た言葉(1) 第1週第1日)

 

地上での神の行動の指標としての世界情勢の背後にある神のビジョンを見ることができるように祈る。

 

啓1:10

わたしは主日に霊の中にいた.すると、わたしの後ろのほうで、ラッパのような大声がするのを聞いた。

ダニエル2:32-33

この像については、その頭が純金、その胸と両腕が銀、その腹とももが青銅、そのすねが鉄、その足は一部が鉄、一部が粘土でした。

 

主よ、わたしたちは今日の世界的な状況の中で、多くの制限と苦難の中で苦しんでいます。この時、わたしたちは霊の中で天が開かれて、神が何をしているのか「神のビジョン」を見ることができますように。そして、神の心を持つ人になることができますように。

 

 

世界情勢は地上での主の行動の指標となってきた

 

 この世界で、多くの著しい、最近の変化がありました。世界情勢が常に地上での主の行動の指標となってきたことは、歴史上の事実です。……神のエコノミーを完成することは、世界情勢と大いに関係があります。……

 

 ダニエル書第2章は、ネブカデネザルが夢を見て、それをダニエルが解釈したことを記録しています。その夢の中で、大きな人の像がありました。この像の金の頭は、ネブカデネザルと彼のバビロン帝国を表徴します。銀の胸と両腕は、メド・ペルシャ帝国を表徴します。青銅の腹とももは、ギリシャ帝国とアレキサンダー大帝を表徴します。鉄のすねと足は、ローマ帝国を表徴します。像の足は、一部が鉄、一部が粘土であり、ローマの崩壊の後とキリストの再臨の前の期間の諸国を表徴します。この像は、地上にある四つの大きな帝国とその統治を見せています。それは予言であり、主が彼のエコノミーを完成するために、主権によって人の統治の歴史を案配するということを説明しています。(世界情勢と主の動きの方向、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第19日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週)

 

主日の集会において、集会所、ズーム、ラインで参加している兄弟姉妹がそれぞれ、自発的に機能することができるように祈る。

 

Ⅰコリント14:1

愛を追い求めなさい.また霊の賜物を、特にあなたがたが預言することを、熱心に願い求めなさい。

Ⅰコリント14:4

異言で語る者は自分自身を建造しますが、預言する者は召会を建造します。

 

主よ、生ける主が兄弟姉妹を通して語り出されますように。みんなが語る集会が実現しますように。

 

主を語り出すために預言する

 

 預言するとは、主のために語り、主を語り出す、すなわちキリストを人に供給することです。これは召会の集会における主要な要素です。預言することは、神の命がその内容を満たす必要があります。愛は、神の命を経験し、神の命を召会建造のために、預言の賜物の内容とならせる最も卓越した道です。ですから、わたしたちは愛を追い求め、このさらに大いなる賜物を、熱心に願い求めなければなりません。(Ⅰコリント14:1のフットノート3)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第18日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第6日)

 

すべての兄弟姉妹が集会で主のために預言して、キリストが豊かに供給されるように祈る。

 

Ⅰコリント14:3

ところが預言する者は、建造と励ましと慰めを、人に語るのです。

Ⅰコリント14:31

なぜなら、あなたがたはみな一人ずつ預言することができるからであり、それはすべての人が学び、すべての人が励まされるためです。

 

主よ、わたしたちがみな一人ずつ預言することができますように。主のために語り、主を語り出すことを学ばせてください。今日、主の恵みが豊かにありますように。 

 

建造と励ましと慰めを、人に語る

 

 コリント人への第一の手紙第14章の「預言する」は、予知を意味するのではありません。このことは3節によって証明されます。それは言います、「預言する者は、建造と励ましと慰めを、人に語るのです」。……コリント人への第一の手紙第14章の預言することは、主のために語り、主を語り出し、主を他の人たちの中へと語り込み、主を他の人たちに供給する(分与する)ことです(3-5節)。霊的な賜物が発展しつつある、正常な、成長している信者たちとして、わたしたちは毎日主を他の人たちの中へと語り込まなければなりません。わたしたちは毎日このことを実行するなら、交わりのために共に集まるとき、みな分け与えるものを持つでしょう。このことはコリント人への第一の手紙第14章26節の成就となります。すなわちわたしたちがいつも集まるときには、それぞれの人に[詩歌、教え、啓示、…が]あります(召会を建造するための卓越した賜物、第1章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第17日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第5日)

 

すべての人が機能する相互性の召会の集会が回復されるように祈る。わたしたちが主を経験したこと、主の言葉を享受したことを、集会のために準備することができるように祈る。

 

Ⅰコリント14:23,26

こういうわけで、召会全体が一つ所に集まり、…… 26  それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつも集まるときには、それぞれの人に詩歌があり、教えがあり、啓示があり、異言があり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい。

 

主よ、わたしたちが集会するとき、主から受けたものを他の人に分け与えることができますように。すべての人が機能して相互性のある集会となりますように。そのために、わたしたちの霊を活用して、訓練された思いを用いて機能することができますように。

 

すべての人が機能する相互性の集会

 

 相互性の集会は、古代の仮庵の祭りにたとえられます。その祭りでイスラエルの子たちは良き地の産物、すなわち彼らがその地の働きから収穫した物を、祭りに携えてきて主の享受のために主にささげました。また、主との交わりと互いの交わりの中で、互いにあずかるためでした。わたしたちは、わたしたちの良き地であるキリストの上で労苦しなければなりません。それは、わたしたちが彼の豊富からいくらかの産物を収穫し、召会の集会にもたらして、ささげるためです。こうして、召会の集会はキリストの豊富における彼の展覧となり、またすべての参加者とともに、神の御前で、神と共にキリストを互いに享受するものとなり、聖徒たちと召会を建造します。

 

 新約聖書によれば、召会の集会は完全に相互性の集会です。……[コリント人への第一の手紙第14章26節では]一人あるいは少数の人だけが機能するのではありません。それとは反対に、すべての人が相互に機能します。ヘブル人への手紙第10章25節は、個人ではなく、集会をやめることなく、「互いに勧め合」うように、わたしたちを励まします。…… あらゆる聖徒は、キリストについて語り、キリストのために語り、キリストを語り出す平等の権利と機会を持つべきです。(新約の結論(13)、メッセージ206)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第16日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第4日)

 

神の心の願いであるキリストのからだとしての召会が建造されるように祈る。集会の中で機能することによって、キリストのからだが建造されるように祈る。

 

エペソ3:9

それはまた、万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミー[経綸]が何であるかを、すべての人を照らして明らかにするためであり、

 

主よ、御父の永遠のみこころをさらに深く知ることができますように。神の中に隠されてきた奥義をわたしたちに明らかにし、それを見せてください。また集会の中で機能することによって、キリストのからだが建造されますように。

 

 

どのように成就されるかを学ぶ

 

 エペソ人への手紙第4章16節によれば、キリストのからだの中の聖徒たちは、二つの組、すなわち「豊富な供給のあらゆる節々」と「それぞれの部分」に分類されます。節々とは、賜物のある人たち(使徒、預言者、伝道者、牧する者また教える者)です。からだの成長は、節々を通して共に親密に結合されることによってであり、また各部分の度量に応じた活動を通して共に組み合わされることによってです。……キリストのからだは、賜物のある人たちの機能を通して、また彼らの度量に応じた活動する肢体を通して、それ自身を成長させることによって有機的に建造されます。…・

 

 まず第一に、わたしたちは自分自身が御言の中に飛び込み、どのように自分自身が成就されるかを学ばなければなりません。わたしたちが成就されながら、聖徒たちの家から家へと、昼に夜に訪問し、彼らを養い、はぐくみ、時には涙をもって教えるなら、すべての聖徒たちは成就されます。彼らはみな語ることができるようになります。それぞれの部分は自分の度量に応じて活動します。そのときすべての聖徒たちは機能するので、わたしたちの間で聖職者とか平信徒はなくなるでしょう。わたしたちと一緒に集会するすべての聖徒たちは、キリストを語り出すために成就され、装備され、備えられます。これは主の心の願いの成就、キリストのからだの有機的な建造という結果になるでしょう。(長老訓練、第9巻:長老職と神の定められた道(1)、第9章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第15日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第3日)

 

集会の中ですべての兄弟姉妹が機能して、キリストを展覧するように祈る

 

Ⅰコリント14:26

それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつも集まるときには、それぞれの人に詩歌があり、教えがあり、啓示があり、異言があり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい。

 

主よ、わたしたちが集会に来るとき、自分が経験したキリストを携えて来ることができますように。そして、享受したキリストを集会の中で展覧することができますように。生ける主が語りかけて、兄弟姉妹みんなを主にあって生かしてください。今日、主の恵みが豊かにありますように。参照:Ⅰコリント14:26のフットノート1

 

 

召会の集会の中で機能する

 

 Ⅰコリント14章26節で五回繰り返されている「ある」は、ギリシャ語では広く使われており、多くの意味を持つ言葉です。そのうち次の三つがおもなものです。 (1)(あるものを)保持する、所有する、守る。 (2)(あるものを)享受として持つ。 (3)ある事を行なう手段、力を持つ。初めの二つは、この節に挙げられた五つの項目の初めの三つに適用されるべきであり、第三のものは、後の二つ、異言と異言の解釈に適用されるべきです。

 

 これは、わたしたちが召会の集会に来る時、人に分け与える主の何かを持っていなければならないことを示します。それは、主を賛美する詩歌、キリストの豊富を供給して、人を成就し養う(教える者の)教え、神の奥義であるキリストと、キリストの奥義である召会に関する、神の永遠の定められた御旨のビジョンを与える預言の啓示(30節)、未信者がキリストを知って受け入れるための、彼らへのしるしとなる異言(22節)、キリストと彼のからだに関する異言を理解できるようにする解釈です。わたしたちは集会に来る前、主を経験したことや、主の言葉を享受したことや、祈りの中で主と交わったことなど、主から来た事柄、主についての事柄で、その集会のために自分を準備すべきです。わたしたちは集会に来たなら、霊の感動を待つ必要はなく、待つべきでもなく、自分の霊を活用し、訓練された思いを用いて、機能すべきです。そして準備してきたものを、主の栄光と満足のために主にささげ、参加している者たちの益のために、すなわち、彼らが照らされ、養われ、建造されるために、彼らにささげるのです。(Ⅰコリント14:26のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第14日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第2日)

 

集会の中で、神のみこころをわたしたちに知らせてくださるように祈る

 

詩73:16-17

わたしがこれを理解しようと考えたとき、わたしの目にそれはめんどうなことであった.わたしが神の聖なる所へと入り、彼らの最後に気づくまではそうであった。

 

主よ、召会の集会を感謝します。主よ、集会の中で、兄弟姉妹を通して、神のみこころを語ってください。主よ、わたしたちの霊が開かれて、神のみこころを知ることができますように。また、神のみこころを行なうことができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

 

神は集会の中で、神のみこころをわたしたちに知らせます

(詩73:16-17)

 

 わたしたちは詩篇第73篇17節から28節で、詩篇の作者が神の聖なる所で解決を得たことを見ます。…… 第一に、神の聖なる所、すなわち神の住まいは、わたしたちの霊の中にあります。第二に、神の聖なる所は召会です。こうして、わたしたちは神の聖なる所へと入るために、わたしたちの霊に戻り、また召会の集会に入る必要があります。いったん、わたしたちが聖なる所(霊の中また召会の中)にいるなら、悪しき者に関する状況についての別の見解、特別な了解を持つでしょう。(詩篇ライフスタディ(2)、第30編)

 

 [詩篇第73篇の作者]は何に気づいたのでしょうか? 25節は言います、「わたしは天であなたのほかにだれを持つでしょう? 地ではあなたのほかに慕うものはありません」。彼は、神が働いて彼からすべての物質のものをはぎ取り、彼が完全に神を享受することができるようにしたことを認識しました。これは啓示です。なぜ悪しき者が繁栄し、彼らの富が絶えず増し加わるのでしょうか? それは、神が彼らを放棄されたからです。神は彼らに自分自身の道を行かせられます。彼らが行なうことは何であれ、神を享受することではありません。しかし、尋ね求める聖徒たちに対する神の意図は、すべての物質的な祝福や物質的な享受を取り除いて、彼らが神の中にあらゆるものを見いだすということです。天や地上における何ものも、神ご自身以外に彼らの享受となることはできません。……

 

 最終的に、それは単に律法を守る事柄ではなく、絶対的に神を尋ね求める事柄です。それは善悪を行なう事柄、正しいか間違っているかの事柄ではありません。もしあなたがそのことに関心があるなら、まだ善悪知識の木に占有されています。それは神を尋ね求め、神を獲得し、神を所有する事柄です。(リー全集、1969年、第3巻(上)、「詩篇において啓示され予表されたキリストと召会、第12編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第13日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第8週 第1日)

 

神のみこころを認識し、神のみこころを行なうために、召会の集会に来ることができるように祈る

 

ヘブル10:25

……わたしたち自身の集会を放棄してはいけません.……かの日が近づいているのを見ているのですから、ますますそうしようではありませんか。

 

主よ、わたしたちが、神のみこころを認識し、神のみこころを行なうために、召会の集会に来ることを大切にすることができますように。この期間、わたしたちの集会は、多くの制限を受けており、多くの状況と困難があります。兄弟姉妹それぞれに、道が開かれますように。そして、命の交わりを続けることができますように。今日、その恵みが豊かにありますように。

 

 

召会は、召し出された人たちの集まり、会衆です

 

 出エジプト記第15章13節は言います、「あなたは贖った民を、慈愛をもって導かれました.あなたは御力をもって、あなたの聖なる住まいに伴われました」。あなたはかつて、神が伴うことの目的地が彼の聖なる住まいであることに気づいたことがあるでしょうか?あなたは、神の住まいが彼の贖われた民の集会であることを認識することができるでしょうか? そこで、この二つのものを結び付ける用語があります。それは「集会の天幕」です。天幕は神の住まいを指しており、集会は、疑いもなく、神の民の集まりを指しています。これは、神の民の集まりが、まさに神の住まいであることを示します。

 

 新約で、神の住まいは召会です……。そして召会はギリシャ語、「エクレシア(ekklesia)」によれば、一種の集会を意味します。それは召し出された人たちの集まり、会衆です。神の召し出された人たちが共に集会するとき、この事が召会です。召会は集団の人々の集会、信者たちの集まりです。この集まりは神の住まいです。ですから、召会はまさに「集会の天幕」です。(召会の集会のためにキリストをささげ物として経験する、第2章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第11日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第6日)

  

召会を建造する主の働きが、神に対する享受をもって開始され、継続して神を享受してなされるように祈る。

 

ゼカリヤ12:1

イスラエルについてのエホバの言葉の託宣…

マラキ2:7

祭司の唇は知識を保つべきであり、人々は彼の口から教えを求めるべきである。彼は万軍のエホバの使者だからである。

 

主よ、あなたは朝ごとに新鮮です。わたしたちが主の御言葉を食べ飲みし、命の養いを得ることができますように。主を享受し安息することによって、働きや奉仕が開始されますように。主よ、召会における言葉の務めがさらに豊かになりますように。そして、わたしたちのパースン、自己が対処されますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。

 

負担をもって奉仕することは自己を対処させる

負担がなければ、わたしたちのすべての活動は、死んでいて効果のないものとなります。負担があれば、わたしたちは生き生きして、はつらつとします。そのような結果はわたしたちの方法と関係があるのではなく、わたしたちのパースンと関係があります。……

 

もしわたしたちが義務感からメッセージを与えるなら、自己が対処される必要はありません。しかしながら、負担からメッセージを与えることでは、わたしたちの自己は対処されなければなりません。…負担があるなら、わたしたちの自己は減少し、対処されます。自己が増加しないのは、ある事は、わたしたちの負担がわたしたちに行なわせないようにし、ある領域は、わたしたちが自分の負担を解き放つことができる前に対処されることを要求するからです。このゆえに、負担を持つことは、わたしたちを最も対処します。(召会の行政と言葉の務め、第2章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第10日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第5日)

 

主のくびき(御父のみこころ)を負い、主からの負担を持って奉仕するように祈る

 

イザヤ13:1

アモツの子イザヤが見た、バビロンについての託宣

使徒6:4 

ただしわたしたちは、祈りと言の務めを堅く持ち続けることにしましょう。

 

主よ、あなたは語る神です。わたしたちに神の語りかけがありますように。主との親密な交わりの中で、あなたの負担を受け取ることができますように。そして、あなたからの言葉を解き放つことができますように。今日、主の恵みが豊かにありますように。参照:召会の行政と言葉の務め、第2章

 

負担を伴った言葉の務め

人々が集会に来るとき、言葉を解き放つ必要があるかもしれません。わたしたちは何を語るかに関して、わたしたちの語りかけの要点に関して、主に尋ね求めなければなりません。それは、わたしたちがいかに上手に語るか、わたしたちの発言の論理や聖徒たちが触れられているかどうかという事柄ではありません。そうではなく、それは、聖徒たちの中に何が生み出されるかという事柄です。

 

ある人たちがまだ救われていないなら、わたしたちが言葉を解き放つとき、主の恵みによって、彼らの中に救いの種をまくために、彼らの魂を担うよう負担を受けるべきです。わたしたちの負担は救いであって、力強い言葉を解き放つことではありません。もし彼らが救われていても主を愛さないなら、わたしたちの負担は彼らが主を愛することであるべきです。もし彼らが主を愛していても、自分自身を喜んで主にささげず、彼の取り扱いを受けないなら、わたしたちの負担は彼らが自分自身を喜んで主にささげ、彼によって取り扱われることであるべきです。これが負担を伴った言葉の務めです。……

 

わたしたちが神の言葉を供給するとき、わたしたちの関心事は、わたしたちに神の語りかけがあるかどうかであって、わたしたちの語る題目であってはなりません。神の語りかけを得るために、言葉を供給する人は負担を持たなければなりません。(召会の行政と言葉の務め、第2章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第9日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第4日)

 

召会を建造する働きをするとき、わたしたちが神と一であるというしるしを帯びるために祈る。

 

出エジプト31:13,15

「イスラエルの子たちに語って言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない.それは、あなたがたの代々にわたる、わたしとあなたがたとの間のしるしであって、…… 15 六日間は仕事をするが、七日目は完全な安息の安息日であり、エホバにとって聖である.

 

主よ、わたしたちがまず神と共に安息し、神を享受し、神で満たされますように。そして、主と共に働くことができますように。主よ、わたしたちが神の民であり、神を必要としていることを示すしるしを帯びることができますように。今日、主を享受することで、恵みが豊かにありますように。

参照:出エジプト記ライフスタディ(8)、第172編

 

わたしたちが神と一であるというしるしを帯びる

わたしたちはみな安息日に関する基本的な学課を学ぶ必要があります。…安息日が意味するのは、わたしたちが神のために働く前に、神を享受し、神で満たされる必要があるということです。…ペンテコステの日のペテロの状況を考えてください。ペテロが立ち上がって福音を宣べ伝えたとき、自分自身によって宣べ伝えませんでした。彼は自分を満たしたその神によって宣べ伝えました。福音を宣べ伝えるとき、ペテロは空ではありませんでした。彼は満たす神によって、満たす霊によって福音を宣べ伝えました。ですから、ペテロは神の同労者であるというしるしを持っていたのであって、彼の福音の宣べ伝えは神にとって誉れと栄光でした。

 

この世の人々はみな自分自身によって働きます。彼らには、神に属していることを示すしるしがありません。彼らは神を享受せず、神と共に安息せず、神と共に働きません。わたしたちの状況は完全に異なっています。なぜなら、わたしたちにはしるしがあるからです。…そのしるしとは、わたしたちがまず神と共に安息し、神を享受し、神で満たされているということです。それからわたしたちは、わたしたちを満たしている方と共に働きます。さらに、わたしたちは神と共に働くだけでなく、神と一である者たちとして働きます。……

 

これが安息日のしるしです。わたしは語るとき、わたしの主がわたしの安息日であるというしるしを帯びることを、常に求めます。彼はわたしの安息、わたしの憩い、わたしの活力、わたしの力、わたしのすべてであって、それは御言を供給するためです。(出エジプト記ライフスタディ(8)、第172編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第8日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第3日)

 

主と共に安息し享受した後に、主のために働くという神聖な原則のために祈る

 

出エジプト31:17 

…それは、六日の間にエホバが天と地を造り、七日目に安息し憩われた…

使徒2:4

すると、彼らはみな聖霊で満たされ…

使徒2:13

…彼らは新しいぶどう酒で満たされているのだ!

 

主よ、神の住まいを建造することはあなたの心の願いです。そのために、わたしたちは主を享受し、主で満たされ、主と共に安息することができますように。この神聖な原則を感謝します。キリストこそ安息の実際です。キリストこそわたしたちの完全さ、安息、平穏、完全な満足です。今日、わたしたちが主を享受して、建造の働きが前進しますように。主の恵みが豊かにありますように。

参照:出エジプト31:13のフットノート1

 

神の住まいを建造する働きのために、彼を享受し安息する

[出エジプト記第31章12節から17節で]、 安息日が再びここで述べられており(参照、出20:8-11)、神の住まいを建造する働きと関係があるのは、神の民が彼と共に、彼のために働くとき、彼を享受し、彼で満たされることによって、彼と共に安息することを学ばなければならないことを表徴します。安息日を守ることはしるしであり(出31:17)、神の民が神のために、彼ら自身の力によってではなく、彼を享受し、彼と一になることによって働くことを示します。安息日はまた永遠の契約であり(16節)、わたしたちが神と一であるのは、まず彼を享受し、そして彼と共に、彼のために、彼との一の中で働くことによることを、神に保証します。

 

神はまず働き、そして安息されました。人はまず安息し、そして働きます(創2:2とフットノート)。ここで安息日を述べていることはまた、幕屋とその器具に関するすべてのことが、わたしたちを神の安息日に、そして神が計画し行なったことの享受の中での安息と新鮮さに導くことを示します。

(出エジプト31:13のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第7日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第2日)

 

知恵や学識のある者から隠してきた奥義を、わたしたち幼子たちに啓示されるように祈る

 

マタイ11:25-26

その時、イエスは答えて言われた、「父よ、天と地の主よ、あなたをほめたたえます.あなたはこれらの事柄を知恵や学識のある者から隠して、幼子たちに啓示してくださいました。そうです、父よ、このようなことは、あなたの目に喜ばしいことであったからです。

 

主よ、あなたは天と地の主です。あなたは神のみこころ、神のエコノミーを幼子たちに啓示されます。わたしたちが知恵や学識のある者のようではなく、幼子のようでありますように。隠されてきた奥義を啓示してください。そして、御父に知られることだけを満足と喜びとする者にしてください。主の恵みが豊かにありますように。参照:マタイ11:25のフットノート2、マタイ11:25のフットノート5,6

 

御父のみこころを認めて父をほめたたえる

マタイ第11章25節の[ほめたたえます]は、文字どおりには、ほめたたえをもって認める。主は、ほめたたえをもって、神のエコノミーを遂行する御父の道を認めました。人々は主の務めに応答しないで、むしろ彼を誹謗し(マタイ11:16-19)、おもな町々は彼を拒絶したのですが(20-24節)、彼は御父のみこころを認めて父をほめたたえられました。主はご自分のわざの繁栄を求めず、御父のみこころを求めました。彼の満足と安息は、人の理解や歓迎にではなく、御父に知られることにありました(マタイ11:26-27)。(マタイ11:25のフットノート2)

 

御父は「幼子たち」に御子と御父を啓示する

「知恵や学識のある者」とは、マタイ第11章20節から24節で罪定めされた三つの町の民のことです。彼らは、自分たちを知恵や学識があると見ていました。御父のみこころは、御父と御子についての知識を、このような者たちに隠すことでした。25節の 「幼子たち」とは、弟子たちのことを言っており、彼らは知恵の子供たちでした(参照、19節のノート4)。御父は彼らに御子と御父を啓示することを喜ばれました。(マタイ11:25のフットノート5,6)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第6日(朝ごとの食物 神のみこころ(3) 第7週 第1日)

 

主のくびき(御父のみこころ)を負い、彼から学んで、わたしたちの魂に安息を見いだすために祈る

 

マタイ11:28-30

すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす。なぜなら、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

 

主よ、わたしたちはみな重荷を負って生きています。いつの時もあなたは「わたしに来なさい」とわたしたちを招いてくださっています。主よ、わたしたちに必要なのは、あなたご自身です。主よ、あなたこそわたしたちの安息です。主よ、あなたのくびきを負い、御父のみこころを取ることを学ばせてください。わたしたちの魂に安息を見いだすことを得させてください。主よ、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」というこの御言葉を経験させてください。主の恵みが豊かにありますように。参照:マタイ11:29のフットノート3,4、マタイ11:30のフットノート1,2

 

心の柔和なへりくだった主イエス

柔和、あるいは温和であるとは、どんな反対にも抵抗しないことを意味し、へりくだったとは、自分を高く考えないことを意味します。主はすべての反対の中で柔和であり、すべての拒絶の中で心のへりくだった方でした。彼はご自身を完全に父のみこころに服従させ、ご自分のために何もしようとはせず、ご自分のために何かを獲得しようと期待されませんでした。ですから、状況がどうであっても、彼は心の中に安息を持っておられました。彼は御父のみこころで完全に満足しておられました。(マタイ11:29のフットノート3)

 

わたしたちの魂に安息を見いだす

主のくびきを負い、彼から学ぶことによってわたしたちが見いだす安息は、わたしたちの魂のためです。それは内側の安息であり、その性質は外面的なものではありません。(マタイ11:29のフットノート4)

 

主のくびきは御父のみこころであり、彼の荷は御父のみこころを遂行する働きです。そのようなくびきは負いやすく、苦しくはありません。またそのような荷は軽く、重くはありません。[負いやすく]のギリシャ語は、「用いられるのにふさわしいこと」を意味します。ですからここでは、良い、親切な、柔和な、温和な、容易な、楽しいを示し、過酷な、激烈な、険しい、苦痛の反対です。

(マタイ11:30のフットノート1,2)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

 


7月の祈り 第5日(朝ごとの食物 神のみこころ(2) 第6週)

 

神を代行する神のイスラエルのために祈る

 

ガラテヤ6:15-16

割礼も無割礼も重要ではありません.重要なのはただ新創造です。そして、この規範によって歩くすべての人、すなわち、神のイスラエルの上に、どうか平安とあわれみがありますように。

 

啓示録5:10

彼らをわたしたちの神のために王国とし、祭司とされたからです.そして彼らは地上で王として支配します。

 

主よ、わたしたちが神の王国の中で、神の統治の下で生きることができますように。神の子たちとされたことを感謝します。さらに、神のイスラエルとして造り変えられますように。また、神のために王国とし、祭司とされたことを感謝します。神のイスラエルの上に平安とあわれみがありますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

神の子たちと神のイスラエル

ガラテヤ人への手紙第3章26節でパウロは言います、「あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰を通して、神の子たちであるのです」。神の子たちとして、わたしたちは彼の民、彼の家族の者たちです。しかし神の新約エコノミーは、わたしたちを神の子たちとするだけでなく、神のイスラエルとします。

 

王家の息子がどのように訓練されて王となるかを例証として考えるなら、おそらくわたしたちは、神の子たちと神のイスラエルとの違いを理解することができるでしょう。一方で、そのような息子は王家の一員、王と王妃の息子として成長します。もう一方で、彼は将来王となるために訓練されなければなりません。

 

ですから、彼は二種類の生活を持たなければなりません。第一に、王家の息子としての生活であり、第二に、王となるべき生活です。もし第一種類の生活だけで、第二種類の生活がないなら、彼は装備され資格づけられて王となることはないでしょう。少年が一晩で訓練されて王となることはありません。またある美徳を発展させることによって王となる資格を持つのでもありません。彼が喜んでいて、愛に満ちて、柔和で、信実で、自制があるなら、とても良い少年です。しかしこれらの美徳が、彼に王となる資格を与えるのではありません。王となる者として、彼は訓練されて王の方法で生き、行動しなければなりません。いすに座る方法や人と会話する方法は、王的でなければなりません。王家の息子と王となるべき者という二重の身分を持つ者として、彼は二種類の生活を持たなければなりません。…・わたしたちの目が開かれて、わたしたちが王家の王であることを見ますように!わたしたちの運命はただ神の子たちとなることではありません。それは、神の王国で支配する王となることです。(ガラテヤ人への手紙ライフスタディ(2)、第43編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り 第4日(朝ごとの食物 神のみこころ(2) 第6週 第6日)

 

神の王国の中で、神の統治の下で、神のみこころを行なう、神のイスラエルとしての召会のために祈る

 

ガラテヤ6:15-16

割礼も無割礼も重要ではありません.重要なのはただ新創造です。そして、この規範によって歩くすべての人、すなわち、神のイスラエルの上に、どうか平安とあわれみがありますように。

 

わたしたちが神の王国の中で、神の統治の下で、神のみこころを行なうことができますように。キリストにある新創造を感謝します。神は私たちを神の子たちとするだけでなく、神のイスラエルとしての召会とします。主よ、この啓示、ビジョンをさらに見ることができますように。そして、その実際にあずからせてください。この御言葉が成就するために祈ることができますように。主の恵みが豊かにありますように。参照:ガラテヤ6:16のフットノート4、ガラテヤ6:15のフットノート1

 

神のイスラエルとなる

[神のイスラエルは]、すなわち、真のイスラエルです(ローマ9:6後半.2:28-29ピリピ3:3)。それは、キリストにあるすべての異邦人信者とユダヤ人信者を含みます。彼らはアブラハムの真の子たち(ガラテヤ3:7,29)、信仰の家族(ガラテヤ6:10)、新創造にある人たちです。彼らは「この規範」によって歩き、神のかたちを表現し、神の権威を執行します。これは、ヤコブが、イスラエル、神の王子、勝利者へと造り変えられたことで予表されています(創32:27-28)。(ガラテヤ6:16のフットノート4)

 

重要なのはただ新創造です

旧創造は、アダムにあるわたしたちの古い人(エペソ4:22)、わたしたちの生まれながらの天然の人であって、神の命と神聖な性質がありません。新創造は、キリストにある新しい人(エペソ4:24)、その霊によって再生された人であり(ヨハネ3:6)、神の命と神聖な性質がその中に造り込まれており(ヨハネ3:36Ⅱペテロ1:4)、キリストをその構成要素としていて(コロサイ3:10-11)、新しい構成となったものです。これは召会の性質、召会の内なる、内在的、有機的な構成要素です。こうして新創造は、神の子たちから成る、団体的で神聖な子たる身分です(ガラテヤ3:264:5,7)。それはキリストの贖い、その霊の再生、神がご自身をわたしたちの中に分与されることを通して、そして、わたしたちが団体的にこの新しい人として、三一の神との有機的結合の中へと入ることを通して、生み出されました。(ガラテヤ6:15のフットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り 第3日(朝ごとの食物 神のみこころ(2) 第6週 第5日)

 

神の力ある御手の下にへりくだらされるように祈る

 

Ⅰペテロ5:6-7

ですから、神の力ある御手の下にへりくだらされなさい.それは時至って、彼があなたがたを高く上げてくださるためです.あなたがたの心配事をすべて、神に投げてしまいなさい.なぜなら、あなたがたに関することを、彼は心にかけていてくださるからです。

 

わたしたちは神の統治を執行する御手の下にいます。わたしたちは自分を高くする者であり、へりくだらない者です。どうか、あなたのあわれみで、わたしたちが神の力ある御手の下にへりくだらされますように。また、生活の中での多くの心配事を主に祈り、投げてしまい、明け渡すことができますように。主よ、あなたは愛に満ちており、信実であり、顧みてくださる方であることを感謝します。主の恵みが豊かにありますように。参照:Ⅰペテロ5:6のフットノート1と2

 

神の力ある御手の下にへりくだらされる

[Ⅰペテロ5:6へりくだらされ]は、ギリシャ語は受動態で、神によってへりくだらされていることを示し、それはおもに迫害の苦難を通してです(Ⅰペテロ5:10)。しかしながら、これは神の働きに対するわたしたちの協力を必要とします。わたしたちは喜んで神の力ある御手の下に、低く、へりくだらされなければなりません。ですから、「へりくだらされていなさい」。「へりくだらされて」は受動的ですが、「なさい」(be)は能動的です。神がわたしたちの上に働いておられる間、わたしたちは主導権を取って、彼に働いていただく必要があります。主導権を取ることは能動的です。働いていただくことは受動的です。これは、わたしたちが進んで神の御手の下にあることです。神の御手は力があって、わたしたちのためにすべてを行なわれます。(Ⅰペテロ5:6のフットノート1)

 

喜んでへりくだらされる

神の力ある御手に服し、喜んでへりくだらされることは、神が尊ばれる道を取ることであり、神の時にわたしたちを高く上げてくださる根拠を神に与えます。神の取り扱いの中で、神のへりくだらせる御手によって喜んで低くされることは、神が栄光を受けられることで神の高く上げる御手によって高くされるための必要条件です。(Ⅰペテロ5:6のフットノート2)

                                   

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り 第2日(朝ごとの食物 神のみこころ(2) 第6週 第4日)

 

神の統治の下でクリスチャン生活をするために祈る

 

Ⅰペテロ1:17

そして、人を偏り見ることなく、それぞれの行ないに応じて裁く方を、あなたがたは御父と呼ぶのであるなら、あなたがたの寄留の時を、畏れのうちに過ごしなさい。

 

神は裁くことによって統治します。御父は現在、日ごとに神の子供たちを統治上、対処して裁かれます。主よ、あなたのあわれみによって照らされて、このことを見ることができますように。主よ、わたしたちがしばらく苦しみを受けた後、あらゆる恵みの神が、わたしたちを成就し、堅固にし、力づけ、土台づけてくださいますように(Ⅰペテロ5:10)。今日、主の恵みが豊かにありますように。

参照:Ⅰペテロ1:17のフットノート1と2、Ⅰペテロ4:17のフットノート1

 

神の統治上の裁き

わたしたちを召してくださった御父としての聖なる方は、わたしたちを再生して、聖なる家族(聖なる御父と聖なる子供たち)を生み出されました。わたしたちは聖なる子供として、聖なる生活様式で歩くべきです。そうでないと、御父は裁判官となり(Ⅰペテロ4:17)、わたしたちの聖でないものを対処されるでしょう。彼は、内側で命をもってわたしたちを生んで、わたしたちに彼の聖なる性質を持たせてくださいました。彼がわたしたちを外側で裁きをもって懲らしめるのは、わたしたちが彼の聖にあずかるためです(ヘブル12:9-10)。彼の裁きは、人を偏り見ることなく、わたしたちの行ない、振る舞いにしたがって行なわれます。ですから、わたしたちは寄留の時を、畏れのうちに過ごすべきです。わたしたちが彼をわたしたちの御父と呼ぶのであれば、彼をわたしたちの裁判官として畏れ、畏れのうちに聖なる生活をすべきです。(Ⅰペテロ1:17のフットノート1

 

ペテロは、「魂の最後の裁きのことを言っているのではない。その意味では、『父はだれをも裁くことはない。彼はすべての裁きを子にゆだねられた』(ヨハネ5:22)。ここで言われている事は、彼の子供たちに執行される、この世における神の統治上の日ごとの裁きである。それゆえにここで、『あなたがたの寄留の時を』と言うのである」(ダービー)。これは、神の家族に対する神の裁きです(Ⅰペテロ4:17)。(Ⅰペテロ1:17のフットノート2

 

裁きは神の家から始まる

本書は、特に彼の選ばれた民への対処において、神の統治を示しています。彼らが烈火のような迫害の中で受ける苦難は、彼らを裁く手段として、神に用いられていますが、それは彼らが訓練され、きよめられ、未信者たちから区別されて、彼らと同じ運命に遭わないためです。ですから、そのような懲らしめの裁きは、神ご自身の家から始まります。それは一、二度だけでなく、主が来られるまで絶えずなされます。(Ⅰペテロ4:17のフットノート1

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


7月の祈り 第1日(朝ごとの食物 神のみこころ(2) 第6週 第3日)

 

神の王国の中で、神の統治の下で、神のみこころを行なうように祈る

 

マタイ7:13-14

あなたがたは、狭い門から入りなさい. 崩壊に至る門は広く、その道は幅広い. そして、そこから入って行く者が多い。命に至る門は狭く、その道は狭められているので、それを見いだす者は少ない。

 

主よ、わたしたちは御父のみこころを行なうために、狭い門から入り、狭められている道を歩くことができますように。王国の新しい律法は、わたしたちの外側の行為だけでなく、内側の動機までも取り扱います。ですから主のあわれみがあり、主の命の光がわたしたちの内側を照らしてくださいますように。今日、この狭められている道を歩くことができますように。主の恵みが豊かにありますように。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)