C. キリストの贖いと救いを受ける方法【ア】

ア. 行いによるのではなく信仰によって受ける

 

 キリストの贖いと救いを、どのように経験することができるのでしょうか?その方法は、信仰によります。バウロは、エペソ人への手紙第二章八節と九節で言っています、「あなたがたが救われたのは、信仰を通してである、これはあなたがた自身から出たものではない、それは神の賜物である、決して行ないによるのではない、それはだれも誇ることがないためである」。贖いと救いは功績として得るものではありません。それは、わたしたち自身から生じるのではありません。わたしたちが行なうわざによってではありません。赦し、あるいは救いを得るために、人がなし得るものは何もありません。罪の赦しと命における救いは、いずれも信仰によるのであり、その他の何ものによるのでもありません。

 

 

1. 信仰とは、キリストの贖いのわざを実体化することです

 

 信仰とは何でしょうか?信仰は、まず神が十字架上のキリストに行なわれたことを見ることです。ヘブル人への手紙第十一章一節は、信仰は待ち望む事柄の実体化である、と言っています。わたしたちの目が色や景色を実体化するように、信仰も、わたしたちに二千年前に達成された神の贖いのわざを実体化します。神がわたしたちに代わってキリストを裁かれたことを見る時、わたしたちは贖われるのです。

 

 

2. 信仰とは復活におけるキリストの命を受け入れることです

 

 信仰は、またキリストがわたしたちに分与されるものを受け取ることでもあります。ヨハネの福音書第一章十二節は、キリストを信じる者は彼を受け入れる者である、と告げています。言い換えれば、信じることは受け取ることにほかなりません。信仰は、存在しないものを信じることではありません。そうではなく、信仰はすでにあるもの、そしてあなたに与えられているものを受け取ることにほかなりません。……

 

 あなたは善行に励んでいるかもしれません。あるいは罪の償いに真剣であるかもしれません。しかし、もしあなたが十字架上で達成されたキリストのみわざを見ないで、復活の中で彼の命を受け入れないなら、あなたは依然として救われないでしょう。聖書は、少なくとも百五十回、人はただ信仰のみを通して義とされ、救われ、永遠の命を受ける、と言っています(使徒16:31)。これらの百五十回には、どれも他の条件がありません。ただ信仰によってであり、それ以外にはありません。……

 

…キリストの贖いと救いは、永遠に「保証されています」。人が一度救われるなら、彼は水遠に救われます(ヨハネ10:28-29)。あなたが神の命を受け入れたなら、あなたはそれを決して失うことがありません(ローマ11:29)。いったん、あなたが神の子供になれば、あなたは二度と失われることはありません。

 

 

キリストの贖いと救い:アウトライン

(JGW日本福音書房 ロシアでの福音メッセージによる小冊子(5)キリストの贖いと救いより抜粋)