リー兄弟への質問とリー兄弟からの回答

Q.わたしは祈りの中で主に触れるために、

  どのように主に向かえばよいでしょうか?

 

A.この質問は、クリスチャン生活の全体と

 関係があります。簡単に答えますが、

 わたしたちが主のみこころを知ろうとする

 努力は、ほとんど役に立たないと思います。

 わたしたちが思っていることは、みこころ

 でないということになるからです。

 けれども正しい方法は、呼吸するのと同じように単純に主に触れることです。

 主に対して開きなさい。そして、単純に主に触れなさい。

 そのうちわかってくるでしょう。それが主のみこころです。

Q.わたしのクリスチャン生活は、時計の振り子のように前に行ったり、後ろに行ったり揺れているのですが、これでも正常なのでしょうか?


A.正常です。

 ただし救われたばかりの幼子の場合です。

 そのように自分の感情をあまり気にしない

 で下さい。

 ただひたすら日ごとに祈り、聖書を読み、

 霊的な書物を消化するようにしなさい。

 そうすれば、あなたは堅固にされ、根ざし

土台づけられて、何ものによっても揺るがなくなります。吹き回される状態ならあなたはまだ幼子ですから、成長する必要があります。(エペソ4:14ー15)

どのように感じるか、そればかりに捕われてはいけません。

ただ前進しなさい。そして、良いクリスチャンの習慣を建て上げなさい。

あなたの感情は当てにはなりません。

次のように言いなさい「小さな悪鬼よ、わたしはおまえを信じない」。

祈ること、聖書を読むこと、告白をもって良心を対処することです。

あなたの良心にとがめがあれば、すぐに主に告白し、清めて下さるように求め、

絶えず清められた良心を保ちなさい。

主イエスは命を与える霊と成る

 

  命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない。

  わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である。

               聖書 ヨハネによる福音書第6章63節

肉体と成った主イエス(ヨハネ1:14)は、復活の後、

また復活を通して、命を与える霊と成られました。これは、コリント人への第一の手紙第15章45節で


「最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです」


とはっきりと述べられているとおりです。

 彼は命を与える霊であるので、わたしたちの命

また命の供給となることができます。

わたしたちが、十字架につけられ復活した救い主

として彼を受け入れる時、命を与える霊はわたしたちの中に入って来て、

永遠の命を与えられます。わたしたちは主イエスを受け入れますが、得るのは

命を与える霊です。


 ここの「肉」は、文脈によれば、物質の体の肉を指しています。主が、「わたしが与えるパンはわたしの肉であり」と言われた時(ヨハネ6:51)、彼はご自分の体の肉を

与えて食べさせるものと、ユダヤ人は考えました(52節)。彼らは主の言葉を正しく

理解しませんでした。彼らにとってそれはひどい言葉でした(60節)

ですから、この節で主は、彼らに与えて食べさせるのは彼の物質の体の肉ではない、肉体の肉は何の役にも立たない、と説明されました。


彼が与えようとされるのは、最終的に、命を与える霊であり、復活の中の主ご自身です。… これは、彼の語られた言葉が、命の霊の具体化であることを示します。彼は今や復活の中で命を与える霊であり、その霊は彼の言葉の中に具体化されています。わたしたちが、わたしたちの霊を活用することによって彼の言葉を受け入れる時、命であるその霊を得るのです。

(新約聖書回復訳とその節のフットノートから抜粋)